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To monon tis zois tou taxeidion 生涯で一度きりの旅

ギリシャ映画 (2001)

https://www.openbook.gr/to-monon-tis-zois-tou-taxeidion/ で 原作の『Το μόνον της ζωής του ταξείδιον』の「PDF」をクリックすると、映画の元となったGeorgios Vizyinosが1884年に書いた短編小説の全文が手に入る。ただし、全文ギリシャ語で、Google翻訳とWordのトランスレーターは機能しない。そこで、https://imtranslator.net/ を使って一文節ずつ英語に翻訳し、目を通してみた。内容は、作家と同名のGeorgiosが、孫のGiorgisに話して聞かせる寓話。映画では、その寓話を、精神病院に入れられた老年のGeorgios Vizyinosが、拘束独房の中で読み上げる中で、物語が進行するという2重構造となっていて、冒頭の初老のGeorgios Vizyinos、高齢のGeorgiosGiorgisの祖父)、精神病院に入れられた老齢のGeorgios Vizyinosを同じ俳優がメイキャップを変えて演じ、Giorgis役のFragiski Moustakiが、Georgiosの少女時代を演じるという複雑さ(男子だとトルコ軍に入隊させられるので、10歳になるまで女子として育てられた)。そして、少年に戻ると すぐに結婚させられる。その式の直前に、数キロ先の岩山まで行こうとして辿り着けなかったのが、題名になっている「生涯で一度きりの旅」。結婚後は、妻に旅を禁じられ、どこにも行けなった。…というのが寓話のストーリー。寓話の中では、Giorgisがコンスタンチノープルの洋裁師の徒弟になり、そこでいろいろな体験をする。最初の体験が、王女の結婚衣装を妖精の力を借りて超短時間で完成させて王子となるという夢。そして、祖父Georgiosの死が近づいたという一報を受け、故郷の村に帰り、祖父から「生涯で一度きりの旅」についての話を聞く。ここまで、映画の95%以上がすべてGeorgiosの寓話。だから、Giorgisは現実の存在ではなく、寓話の中の登場人物。映画の最後で、寓話から現実に戻り、精神病院に入れられたGeorgios Vizyinosが死ぬ。テッサロニキ国際映画祭で作品賞他7部門を獲得しているが、映画はもっと分かりやすく作るべきだと思う。ギリシャ映画には難解なものが多いが、これはその最たるもの。学問ではないのだから、難しければ良いものではない。

映画の冒頭に組み込まれた、僅か7分のイントロ。そこでは、若い娘との結婚を望んでいた作家のGeorgios Vizyinosが、経緯不明のまま精神病院に入院させられる。そして、白髪の老人となる。この老人が、自分がかつて書いた小説『生涯で一度きりの旅』を、声を出して読み始めると、映画の本編が始まる。映画の本編の主人公は、Giorgisという10歳の少年。キリスト教徒の村から、コンスタンチノープルのバザールにある仕立て屋の徒弟に、祖父母によって送り込まれた(父母はいない)。少年の頭にあるのは、祖父が話してくれた、徒弟と王女との結婚というお伽噺。徒弟になると、早くも、その夢に浸る。しかし、現実はそんなに甘くない。仕立て屋の主人にこき使われる毎日にうんざりしたGiorgisは、やる気をなくし、次第にやせ細っていく。そんな時、祖父のGeorgiosが死にかけているという一報が故郷からもたらされ、Giorgisはその男と一緒に丸1日馬に乗って祖父母の家に戻る。しかし、戻ってみると、祖母は相変わらず祖父Georgiosを罵倒するだけで、心配の表情のかけらも示さない。祖母から祖父の居場所を聞いたGiorgisは、丘の上にいる祖父に会いに行く。そこで、知ったことは、①祖父は、結婚してから一度も旅に出たことはなく、出ようと何度もしたが、ことごとく祖母に妨害された。②祖父は、トルコ軍に入隊させられないよう10歳まで少女として育てられた。その間、家から一歩も出られなかった。③結婚可能な10歳になると、男の子に戻されたが、妻帯者は入隊を避けられたので、即結婚させられた。男の子になってから結婚するまでの数時間の間に、Giorgisは、これまで窓から見て行きたいと思っていた丘まで行き、そこから天に登ろうと思ったが、途中であきらめた。④これが、祖父の、「生涯で一度きりの旅」だった。夕方になりGiorgisは祖父と家に戻るが、翌朝起きてみると、祖父Georgiosは帰らぬ人となっていた。ここで、小説は終わる。語り部だったGeorgios Vizyinosは死に、少数の関係者が付き添って、棺が運ばれていった。

Fragiski Moustakiは、①寓話の中のGeorgiosの孫Giorgisと、②寓話の中のGeorgiosの少女から少年への移行期の2役を演じている。顔を意図的に変えることは行われていないので、①と、少年になってからの②の区別がつかず、それがますます映画を分かりにくくしている。台詞はそれなりに多いが、ほとんどがナレーションの形で、事情説明に使われ、実際に映像上で話す場面はほとんどない。映画はこれが初出演で、後続作品はない。。

あらすじ

映画の冒頭、初老のGeorgios Vizyinosがベッティーナの家のドアを杖で何度も叩き、「開けろ!」と叫び続けるシーンがある。彼は、20代の若く美しいベッティーナと結婚する気でいる。家に招じ入れられたGeorgios Vizyinosだが、数日(?)すると、2人の紳士が待つ部屋に通される。そこで、紳士A〔左端、長い髭〕から、「結婚式は田舎で行われます」と告げられる(1枚目の写真)。紳士B〔中央、ちょび髭〕は、「それが、彼女の母親の希望です」。そして、Georgios Vizyinosは一頭立ての馬車に乗り森の中の道を進む。彼は、「どこに連れて行く気だ!?」と何度も叫ぶ。そして、タイトルが表示される。場面は、いきなり精神病院に。そして、黒かったGeorgios Vizyinosの髪はほとんど白く変わっている。20年は施設に閉じ込められていたに違いない。彼は、簡単なベッドと小さな脇棚しかない真っ白な部屋で、独りで口ずさみ話し始める。「私がコンスタンチノープルで縫製組合の徒弟に採用された時には、まさか王様の娘の衣装を縫うなどという子供っぽいながら素敵な夢が、叶う見込みなどは全くなかった〔Ὄτε μ᾿ ἐστρατολόγουν διὰ τὸ ἔντιμον τῶν ραπτῶν ἐπάγγελμα, οὐδεμία ὑπόσχεσίς των ἐνεποίησεν ἐπὶ τῆς παιδικῆς μου φαντασίας τόσον γοητευτικὴν ἐντύπωσιν, ὅσον ἡ διαβεβαίωσις, ὅτι ἐν Κωνσταντινουπόλει ἔμελλον νὰ ράπτω τὰ φορέματα τῆς θυγατρὸς τοῦ Βασιλέως.:小説の冒頭の部分、誤訳の可能性大〕」(2枚目の写真、左下隅の印は、唯一現実であることを意味している)。その時、看護婦に案内されて先ほどの紳士AとBが現われるが、年を全く取っていない。ということは、最初のシーンそのものがGeorgios Vizyinosの記憶の一部なのであろう。2人は、この小説の中にも登場するので、老齢のGeorgios Vizyinosの時代の人物と見るのが正しいであろう。紳士Bは、Georgios Vizyinosの部屋の鍵穴からの覗き、「自分の小説を話している。『エスティア』で出版された本だ」。紳士A:「どの小説だ?」。紳士B:「『生涯で一度きりの旅』だ」。
  
  

場面は小説の中に入って行く。しかも、小説の中は、2層構造になっていて、最初のパートは、「夢」。だから、本来は口がきけないはずの仕立て屋の奥さんが、子供たちに向かって、「お早う」と大きな声で話しかけると、子供たちは大急ぎでテーブルに集合し、「お早うございます」と唱和する(1枚目の写真)〔夢の方が先になっているので、きわめて分かりにくい〕。主人が、「急いで仕事にかかれ」と命令する。子供たちは、一斉に仕事を始める(2枚目の写真)〔大人はいない/現実ではなく、小説の中なので、何でも可能〕Giorgisは、2階で奥さんと2人だけで歌っていたが〔特別待遇は 夢の中だから〕、バザール内に馬車が乗りつけ、中から偉そうな人が降りたのに気付く(3枚目の写真)〔実は王様〕
  
  
  

急いで、階段を降りて1階に行くと、ちょうど主人が頭を下げて客を迎えたところだった。「金の刺繍をじょどこした王女様の胴着でございます」と、布で包んだ服を手に持つ。Giorgisは、主人から袋を受け取ると(1枚目の写真)、それを持って馬車に走って行く。馬車の中には、Giorgisと同じ年頃の王女が乗っていた。王女があまりに可愛いので、Giorgisはじっと見入ってしまう(2枚目の写真)。そして、先ほど、奥さんと歌っていた歌詞を口ずさむ。王女は、その歌が気に入り、Giorgisをじっと見つめる(3枚目の写真)。
  
  
  

ここで、老齢のGeorgios Vizyinosが、自作の本の第2節を読む。「王女は、仕立て屋の男の子に惚れ込み、その愛は大きく強かったため、恋の病にかかり、最高の医者も治すことができなかった」(1枚目の写真)。彼が見ている本は、エスティア〔ΕΣΤΙΑ〕から出版された『生涯で一度きりの旅』。「王女は、最後に父を呼び、率直に話した。『お父様、甘い声で歌う仕立て屋の息子と結婚を。できなければ 私は死にます』」(2枚目の写真)。先ほど、王女と来た時は馬車だけだったが、今度は、「国王様の御成りだ」という華々しいお触れがあり、王が 通訳や警護の者を引き連れてバザールを横断し、仕立て屋を訪れる。そして、Giorgisを呼び寄せると、トルコ語で話しかける〔コンスタンチノープルは1453年からオスマン帝国の支配下に入るので、この小説が書かれた1884年まで400年以上トルコ語が使われてきたハズだ。なのに、なぜ、ギリシャ語に通訳する必要があるのだろう〕。王の話はこうであった。「娘を連れて行く者に神の恵みを。義理の息子になる者に神の恵みを。ただ、朕(ちん)は高名な王であり、息子になる以上、飛びぬけた事績が必要である。汝には何ができるかな? 山にいるライオンを生きたまま連れてこれるか? ドラゴンを倒せるか?」(3枚目の写真)。Giorgisは 「僕は、縫い目なしで結婚衣装を作ることができます」と言う。「よろしい、義理の息子よ。王女に縫い目なしの結婚衣装を40着、明日の夜明け前までに作りなさい。さもなくば、首を刎(は)ねるぞ」。
  
  
  

Giorgisは、これっぽちも不安にならず、その日の夕方はゆったりと食べ、飲み、ヤールギュレシ〔上半身に油を塗って行うレスリング〕の観戦を楽しんだ。それは、Giorgisは、自分が金髪のニンフの孫で、危機に瀕した場合は、40人の小さなニンフが40着の見事なドレスを縫ってくれることを知っていたから。真夜中を過ぎ、主人を含めて全員が眠ると、Giorgisは誰もいない部屋に行き、決して外したことのない秘密の指ぬきを取ると、中から1本の金髪の髪の毛を取り出す。そして、その毛をランプに入れて火を点ける。すると、白い光がGiorgisを照らし、ニンフが現われる(1枚目の写真)〔ニンフ自体は映らない〕。ニンフ達は歌い、冗談を言いながら、どんどん縫っていったというナレーションは入るが、映像は、ごく象徴的なもの(2枚目の写真)。翌朝、王は、一番でやってきて、40着のドレスが柱状に吊り下げられた光景を目にする。ドレスは、金と真珠で飾られて、その価値や王の国の資産をも上回るものであった。そして、ドレスの塔の一番下からGiorgisが姿を見せる。王は100%満足し、Giorgisに向かって手を差し伸べる(3枚目の写真)。そして、Giorgisと王女は着飾って馬車に乗り(4枚目の写真)、どこかに出かける〔結婚式は、既に終わっているらしい〕。ここまでが、Georgios Vizyinosの小説にあるように、Giorgisが、父のGeorgiosから聞かされたお伽噺。
  
  
  
  

真っ白な部屋で、老齢のGeorgios Vizyinosは、その寓話に因んで歌い出す。「♪宮殿の奴らや兵士どもが、俺たちから娘っ子を連れていった。コキジバトのような娘っ子を。一度連れて行かれたら、そこは宮殿。胸壁や地下牢のある彼方の地だ」(1枚目の写真)。ハレムを揶揄した歌だ。そして、急にGiorgisの顔のアップに変わる(2枚目の写真)。小説の一節のナレーション:「私が来てから数ヶ月が経ったが、まだ何一つ果たしてなかった」。ここで、Giorgisの声に変わる。「奥さんは口がきけないので、一緒に歌う機会もなかった。僕らは、主人に監視されながら、一日中、背中を丸くして縫い続けた」「見習いに惚れてくれるような王女様なんて、どこにいるんだろう? でも、僕は、入口の正面に座って待ち続けた。お祖父ちゃんの話を信じていたからだ」「奥さんは、僕たちを連れて、丸一日、街に連れていってくれた」。その時、スレイマン1世橋〔Kanuni Sultan Süleyman Köprüsü〕を渡る。1567年に架けられた長さ636メートルの石の橋だが、コンスタンチノープルの西約30キロにあることから、バザールと王宮のある市街地が、そんなに離れているハズがない。単なる “見場の良さ” から挿入されたのであろう。その後、コンスタンチノープルの街なかを歩く奥さんと子供達の姿が映る(3枚目の写真)。
  
  
  

Giorgis:「僕は、主人が怖かった。主人は、僕たち見習いが自分にとって “不可侵の所有物” であることを忘れないようにさせることが好きだった」。主人は、1人1人縫製の仕方を注意して回る。Giorgisのところに来た時には、「まだ終わっとらんのか?」と叱る(1枚目の写真)。そして、いきなり入浴シーン。奥さんが、湯船に入ったGiorgisを、布で洗っている。「ヴィゼ〔Βιζύη〕に行ったことありますか?」(2枚目の写真)〔コンスタンチノープルの北西約110キロ/Giorgisの故郷?〕。奥さんは首を横に振る。「読み書きは、できるのですか?」(3枚目の写真)。奥さんは頷くが、当たり前だろう。でなければ、口のきけない奥さんが主人とコミュニケートできるわけがない。
  
  
  

Giorgis:「僕は、見習いの中で一番年下だったので、主人は、スルタンの母親に包みを運ばせた」。あの日も、Giorgisは、宮殿への届け物を命じられる(1枚目の写真)。彼が最初に渡るのが、2節前で言及したスレイマン1世橋(2枚目の写真)。橋の中央に立つ白い大理石の板には、アラビア語で橋の由来が書かれている。「紳士方は、ボスポラス海峡のアジア側、宮殿とは反対側に住んでいたGiorgisは、この橋でボスポラス海峡を渡っているのだろうか? この台詞からして、映画では、そのような仮定を設けているとしか思えない/ただし、ボスポラス海峡に最初に橋が架けられたのは、1973年。全長1074メートルの吊橋だ〕。コンスタンチノープルの市街地に入ると、背景にモスクの丸みを帯びた円錐状の屋根が見える(3枚目の写真)。
  
  
  

Giorgisは階段を降りていくが(1枚目の写真)、その先は地下ではなく、宮殿だった。ナレーション:「私がそこで会ったのは、黒人の宦官だった」。通路のパティオと反対側はずっと続く部屋になっていて、そこには鉄格子がはめられ、中には、うら若い女性達がいて、Giorgisに手を振ったり、微笑みかけたりする。Giorgisの後から付いてくる宦官は、鞭で床を叩き、女性達に警告を与える。ナレーション:「私は、女性の笑い声、品のない冗談、猥雑な悪口を耳にした。宦官は、ハレムの女性達に対し、異教徒の私が 誹謗するような視線を投げないよう見張っていた」(2枚目の写真)。ここで、声がGiorgisに変わる。「期待に震え、僕は最後の部屋に入って行った。そこに、何が待ってたと思う?」。「その部屋は、からっぽだった。しかし、壁の一部に木製の筒があった」。Giorgisが筒に触ると、筒は回転し始め、180度回ったところで、小さな扉が現われる。Giorgisが扉を開くと、「子羊ちゃん、あなたなの?」と声がする。「そうです。サルタナ様〔王妃〕」。Giorgisは、中に入っていた菓子を手に取り(3枚目の写真、矢印)、口に入れる。「もっと欲しい?」。「あなたに お会いしたいです」。Giorgisが、扉の奥の赤いカーテンを触っていると、宦官が笑い出し、Giorgisは慌てて逃げ出す。
  
  
  

夜の大部屋で、子供達が枕を投げ合って遊んでいる(1枚目の写真、矢印は枕)。しかし、ナレーションは、今日の経験について触れている。「見習いの子供たちは、回転する円筒からお菓子を食べたことを自慢して話したが、サルタナだと思った甘い声は、宮殿中で一番年寄りの宦官のものだった」。場面は、白い部屋の老齢のGeorgios Vizyinosに変わる。彼は、窓を見ながら、詩を口ずさむ。「夜、街に住む孤独な小鳥は嘆き悲しむ。心の痛みなどなく歌うナイチンゲールのように。誰からも顧みられず、不毛な岩の上に咲く花のように」(2枚目の写真)。そして、場面が 仕立て屋の窓から悲しそうに窓の外を見るGiorgisに変わっても、声は続く。「かくして、異国の地で花開き 萎む 心の中の哀れな小さき花々よ。苦く、苦い歌だけが、真っ暗な沈黙の中で響く」。その後、Giorgisが主人のカウンターの前で仕事をしている(3枚目の写真、矢印は縫製用の糸)。カウンターの後ろの壁面には、アダムとイヴの大きなタピストリーが飾ってある。「神様がイヴに服を着せなくちゃと思ったことで、仕立て屋という職業が生まれたと、僕は思ってる。もし僕が神様だったら、イヴを 創造したままにしておいただろう。裸だからといって、どんな害があるというんだろう? イヴは、あのタピストリーより、ずっと美しかったに違いない」。
  
  
  

そこに1人の男が入って来て、主人に話しかける〔映画冒頭の紳士B〕。「しばらくGiorgisを借りていいか?」(1枚目の写真)。2人は、コンスタンチノープルまで出かける。Giorgisは 白い豆の駄菓子を買ってもらう(2枚目の写真、矢印)。「あなたは、僕の親戚?」。「遠戚だな。君の伯母さんのゾーイが手紙を寄こして、様子を見てくれ言ってきた」。男の職業は絨毯屋らしく、店に連れて行く。そこで、Giorgisは 「僕がどこにいて、何を見て、誰に会ったか、村にいるお祖父ちゃんに知らせてあげたい」と希望を話す。男は、さっそく紙とペンを用意し、「いつでも」と促す。「大好きなお祖父ちゃん。僕はパラポルティのあるシルヴリは見たけど、王女様はまだ見てないよ」(3枚目の写真)〔ΠαραπόρτιとΣυληβριὰ は、架空の場所〕。男は、そこまで書くと 「読み方と書き方を教えて欲しいかい?」と尋ねる。
  
  
  

ナレーション:「私は 主人のことが嫌いになった」(1枚目の写真、矢印はハサミ)「主人の強欲なハサミがジョキジョキと切り進むにつれ、歯のない顎が変な動きをする時も、目は私から片時も離さず、私が痛む背骨を一瞬真っ直ぐにした途端…」(2枚目の写真)。主人は、「Giorgis、起きろ!」と注意する〔実は、Giorgisが ぼんやりして仕事をしていなかったから〕。場面は、再び絨毯の店に変わり、男が四角い小さな紙片にギリシャ文字のアルファベットを書いたものを用意して 「παππούς」と並べ、「お祖父ちゃん。『π』は2つだ」と教える(3枚目の写真)。
  
  
  

白い部屋の老齢のGeorgios Vizyinosが悩む姿が映る。「労働環境の劣悪かつ退屈な単調さ、商いに不慣れな人が直面する困難が、私に2重、3重にもなってのしかかってきた」。場面は、怖そうな主人の顔のアップに変わる。「私は、鉛で覆われたドームの見えるケベッツィヘ・ニオ〔Κεμπετσῆ‐Χανίου〕の鉄門の背後にあるスタンブール〔Σταμποὺλ〕・バザールに閉じ込められ、悲しみで活力が消え、痩せていった」。1枚目の写真は、往時のバザールの中を描いた絵。ここで、場面は、公衆浴場ハマムに赴いたGiorgisと(2枚目の写真)、見習いの少年達の姿を映す(3枚目の写真)。「私の心は荒(すさ)んでいたため、愛の歌など歌う気にもなれなかった。逆に、絶望的なまでに故郷を恋しく思い、嘆き悲しんだ」。
  
  
  

白い部屋の老齢のGeorgiosは、小説の最悪の場面を思い出す(1枚目の写真)。Giorgisに何かミスがあり、手の平を、主人に何度も棒で叩かれる(2枚目の写真、矢印は振り上げられた棒)。奥さんと、子供達全員がその仕置きを見ている(3枚目の写真、矢印は手を叩いた棒)。ナレーションが何もないので、何が起きたのかは分からない。
  
  
  

老齢のGeorgios Vizyinosが、なぜか鎖に繋がれている。このシーンだけは、解釈の仕様がない(1枚目の写真)。「私は かつて仕立て屋だった。なぜ私はそれを恥じなければならないのか?」。すると、遠くから、「Giorgis!」と呼ぶ声が聞こえる。仕立て屋では、Giorgisがハッとして顔を上げる(2枚目の写真)。一人の旅人が扉を開けて入って来る。そして、「お前の祖父が、天使と格闘している〔死の淵にいる〕。終わりは近い。お前を求めておる! 来い。直ちに出発するぞ!」(3枚目の写真)。この直後、Giorgisのナレーションが入る。「お祖父ちゃんは、天使と格闘してる。一人じゃ敵わないので、僕の助けが要る。助けられるかな? だけど、これはたった一つの機会… 嫌な主人から逃げられるだけでなく、お祖父ちゃんに、どこの世界で王女様と会ったのか訊くこともできる」。主人は、仕方なく、Giorgisを徒弟から解放する。
  
  
  

男は、Giorgisを後ろに乗せて馬を走らせる(1枚目の写真)。そのうち、辺りは暗くなり、Giorgisは闇の中で祖父と天使が闘っている幻想を見る。単調な馬の走りの中で、Giorgisはいつしか眠りに落ちてしまい、祖父が闘いに負けて死んでしまった夢を見る(2枚目の写真)。目は、Giorgisが入ってくるであろうドアの方を向いたまま、開いたままになっている。「僕は、怖い夢を見て目が覚めた。二度と眠らないよう、首を真っ直ぐにしていようとしたが、どうしても首が垂れ、また眠ってしまった」。2つ目の夢は、祖父の死後数年後。墓地に行くと、祖父が自分の墓碑に所に座って、あらぬ方を見つめている〔これら2つの夢は、映画の進行上、何の関係もない〕。馬は森を抜けると、翌日の午後になってようやく祖父と祖父の住む家に着いた(3枚目の写真)。
  
  
  

ナレーション:「重い沈黙が漂っていた」。Giorgisが木の扉を開けて中に入ると… 「昔と何も変わってなかった。ただ一つ違うのは、いつもピカピカに磨いてあった お祖父ちゃんの靴が、お祖父ちゃんの部屋のドアの前になかったことだ。お祖父ちゃん、死んじゃったんだ!」。でも、これは小説の中のお話だ。何があってもおかしくない。すぐに祖母が現われる。「いたずら坊主が帰って来た。この恥知らず、今までどこにいたんだい? 月にでも いたんかい? それとも、ユダヤ人の硫黄をみんな食っちまったのかい? そんなに酸っぱそうな黄色い顔して」(1枚目の写真)。祖父が臨終あるいは死んだとはとても思えない態度だ。「首を吊られた男みたいに、突っ立ってるつもりかい? 今すぐ、水を汲んできておくれ」。Giorgisは、祖父のことを尋ねようと、外に出て行く前に、「お祖母ちゃん」と声をかける。「何だい、病人みたいにフラついて。どこかに肝臓でも落としたきたんかい?」。Giorgisは、急いで井戸まで行き、水を桶に汲む(2枚目の写真)。ナレーション:「祖母は、祖父の一張羅を用意し、ラベンダーとバジルの香りが部屋に溢れていた」。Giorgis:「僕は、お祖父ちゃんが天使に連れて行かれる前に、どうしても会いたくてたまらなかった」。そこで、水を汲んで戻ると、Giorgisは祖母に 「お祖母ちゃん、お祖父ちゃんはどこ?」と尋ねる。すると、凄まじい罵詈雑言が返ってくる。「手伝いもせずに、出て行っちゃったわよ。あの、のらくら! ぐうたら! 役立たず!」。Giorgisは、誤解して、「お祖母ちゃんは、お祖父ちゃんに、お墓から出てきて雑用をして欲しがってる」と呆れ(3枚目の写真)、「可哀想なお祖父ちゃんは、今何してるの?」と訊く。「なんで? あの人なら、お日様に当たってグータラしてるよ。あの大飯食らい! ろくでなし! 甲斐性なし!」。それを聞いて、Giorgisは、まだ死んでいないとホッとする。「どこで、お日様に当たってるの、お祖母ちゃん?」。「丘の上でしょ。他にどこがある? あの間抜け! 怠け者! 役立たず!」。
  
  
  

Giorgisは、家の近くにある丘のてっぺんまで走って行き(1枚目の写真)、祖父に抱き着く。臨終間際とはとても思えない。祖父は、「お前は、街に行ってた。だから、たくさんの人を見たろ?」と訊く。「うん、お祖父ちゃん、風でくるくる回る製粉所もあるんだ」。「太陽がパンを焼くような土地に行ったことはあるのか?」(2枚目の写真)。「ううん、ないよ」。Giorgisは、気を取り直して、「お祖父ちゃん、海を見なきゃ。見渡す限り水があって、その上を船が風を受けて走るんだ」と自慢する。「そんなのは、どうでもいい。海の “へそ” を通ったか? お祖母さんが、壺の中のにがりをかき混ぜるみたいに、渦を巻いて巻き込まれる所を見たか?」。「ううん、お祖父ちゃん、そんなの見なかった」(3枚目の写真)。「なら、坊主、お前は何も見なかったことになる!」。後で分かるが、この小説の中の祖父は、一生涯でどこにも旅をしたことがない。そんな祖父が、Giorgisの行ったことを悉く否定、ある意味、バカにするのを見ていると、祖父の人格に疑問を抱かざるを得なくなる。だから、その後の、“知ったかぶり” を丸出しにしたような祖父の長々と続く寓話を訳す手間は省く。Giorgisは、その後もコンスタンチノープルで見たことを話すが、祖父は、何かと難癖をつけ、見たことすべての価値を否定する。
  
  
  

Giorgisは、口には出さなかったが、内心こう思う。「お祖父ちゃんがあちこち旅をしたことは疑わないけど、僕は、長い旅を経て街から戻ったとこなんだ。僕だって、たくさん見たんだ!」。そこで、「これまで、あちこち旅をしてきたんでしょ?」と訊いてみる。「わしが? 旅を?」。祖父は、サラセン〔Σαρακηνοῦ〕の聖母〔Στὴν Παναγία〕に行こうとした時のことを話す。ロウソクやお香を含め旅支度をして いざ出発しようとした時、祖母が、怖い顔をして立ち塞がる。「いったいどこに行く気なの?」。「聖母様だよ」(1枚目の写真)。「あんたが祭りに行ってる間、牛は誰が面倒を見るの? もうすぐ子牛が産まれるんじゃないの? みんなに何て思われるかしらね」。結局、聖母には、祖母とその弟が、祖父の馬に乗って出かけた〔悪妻の典型〕。祖父は、さらに、「わしが旅に出ようとすると、家畜がお産をするか、蜂が逃げてしまうか、誰かが病気になるか、客人が来るんだ。だから、結婚してからずっと、準備をしたのは わし、旅に出かけたのは家内だった」とも話す〔〔すべて、悪妻の画策〕。「だが、わしは、聖墓〔Ἅγιον Τάφο〕に行くべく、こっそりと計画を練った。誰にも内緒で。何年もかかって、金も貯めた。そして、ある日、突然、祖母に、『わしは、これから旅に出る。出産もないし、病人もいない、客人もない』と宣言した」。しかし、悪妻の方が上手だった。まずは、涙戦術で祖父を懐柔し、その後で、「あなたは、行くとの誓いを立てたが、私たちは夫婦でしょ。だから、代わりに私が行っても同じじゃなくて?」と言い(3枚目の写真)、結局、馬に乗って聖墓に出かけたのは、悪妻のその弟だった。祖父は、それ以後、旅に出ようとする試みを諦めた。
  
  
  

Giorgisは、祖父が旅に出たのは、結婚する前だったのかと訊く。祖父の返事は意外なものだった。「結婚させられる直前まで、わしは男の子ではなかった」。「じゃあ、何だったの? 女の子?」。「お前ら若い連中は幸せな時代に生きておる。いつだろうが、好きな場所に行ける。わしの若い頃は不幸な時代でな、わしらの母は、聖母様の前に跪いて泣いたものじゃ。女子を授かるか、男子の場合は、産まれる前に殺してくれと。イェニチェリ〔オスマン帝国の最精鋭の歩兵軍団〕は、最も恐れられた部隊で、奴らは、村々を回っては、最も凛々しく 最も聡明なキリスト教徒の男児を狩り集め、トルコの軍隊に仕立てたのじゃ。呪わしき4月1日に」。1枚目の写真は、窓からその様子を見ていた若き日のGeorgios。2枚目の写真は、狩り集められた男の子達。「わしが生まれた時、わしにはGeorgiaという女子の名が付けられ、女の子の服が着せられた。それからずっと、わしは、家の4つの壁しか見たことがなかった」(3枚目の写真)。
  
  
  

Georgiaが10歳になった日、父が、母と目を合わせた後(1枚目の写真)、彼女を2階に連れて行く。そして、鏡の前に立たせると、「Georgia、お前は今日からGiorgis、男の子だ」と言い、三つ編みのおさげ髪を1つずつ、ハサミで切り落としていく(2枚目の写真)。そして、着ていた女の子の服を脱がせ(3枚目の写真)、素裸にすると、1階の妻に向かって、「来い」と呼ぶ。妻は、男の子の服一式を持って上がってくる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

Giorgisが男の子になると、すぐに、予め定められた女の子と結婚式が行われる。2人は、一緒に荷馬車に乗り、教会に向かう(1枚目の写真)。教会では、神父が結婚式をとり行う(2枚目の写真。黄色の矢印が少年時代のGeorgios。ピンクの矢印が将来悪妻となる少女。「わしは、真新しいカフタン〔トルコの民族衣装〕の結び方も知らなんだのに、妻を与えられた。それは必然だった。スルタンの命令では、イェニチェリが連れて行けるのは、未婚の若者だけだったからな」。ここで、Giorgisが口を挟む。「だから、お祖父ちゃんは、結婚前に旅ができなかったんだ」。「それは違う!」(3枚目の写真)「結婚する前にやろうとしたんじゃが、終えることができんかったんじゃ」。
  
  
  

「あそこに見える丘を見るがいい。高い奴だ」。「あれだね。てっぺんが空に触れてる」。「わしは、少女時代から、窓を開けては あの丘を見とった。わしは、あそこに行って、てっぺんまで登り、そのまま空に登ろうと思った。だが、女の子じゃった。どうやったら、外に出られる? 父が、わしの髪を切り、男の子の服を着せ、家族中が結婚式の準備で忙しかった時、わしは、庭に忍び出た。考えておったのは、旅のことだけじゃった」。Georgiosは、鶏小屋に入ると、鶏が巣に上がる時に使う梯子を掴むと〔梯子で、丘から空に登ろうと思った〕、丘に向かって走り出す(1枚目の写真、矢印は梯子)〔その時、未来の妻は、Georgiosに向かって石を投げつけたというから、その時から、悪妻ぶりが芽を出していたわけだ〕Georgiosはハシゴを抱え、丘に向かって走る。「まるで、生まれ変わったみたいじゃった。誰も、わしだとは気づかない。わしは、丘を目指してひたすら走った。1マイル、2マイル」(2枚目の写真、黄色の矢印は梯子、緑の矢印は丘)「走れば走るほど、丘は遠くなっていき、空は高くなっていった。わしは疲れ、腹が空き、持っていた木の梯子が鉛のように感じられ、辺りも暗くなり始めた」。Georgiosは、父のことが気がかりになり、引き返す。家の前では、心配した父が待っていた。「これが、わしの “生涯で一度きりの旅” じゃ。未完だったがな」(3枚目の写真)。
  
  
  

その話を聞いたGiorgisは、祖父に質問する。「お祖父ちゃんが、僕に言ったことはどうなるの? 太陽がパンを焼くような土地のこととか、海の “へそ” のこととか? 王女様のことは?」。「ああそれはな、わしの祖母が編み物を教えている時に、何もかも話してくれたんじゃ」(1枚目の写真)。それだけ言うと、祖父は、「寒くなってきたな」と言って立ち上がる。杖を使ってかろうじて立つので、かなり体が弱っている。ここで、ナレーション:「祖父は、地平線を見つめていた。私たちの前に広がる景色に惹きつけられているようだった。晩秋の様々な色合い、平原に点在する墓の土塁が、唯一無二の素晴らしい調和を見せている」(2枚目の写真)。2人は、ゆっくりと家に向かう。「この、とても心地よい光景にもかかわらず、隠された苦悩、重苦しい予感が、私の胸を一杯にした。かつてはこの地に溢れていた生命力が、今や、ゆっくりと、しかし、確実に離れていくと感じられる」(3枚目の写真)。よろよろと戸口の階段を上がっていく祖父を見たGiorgisは、「可哀想なお祖父ちゃん。天使と闘って勝ったけど、とても疲れて弱っちゃった。また闘うはめになったら、とても勝てないや」と思う。
  
  
  

夜になり(1枚目の写真、映っているのは例の丘)、Giorgisは悪夢を見る。別の丘が燃える(2枚目の写真)。病院のGeorgios Vizyinosは、小説を諳んじる。「その夜は、とても寒かった。翌朝目が覚めたら、庭を覆う一面の落ち葉の上に霜が降り、真っ白になっていた」(3枚目の写真)。ところが、鶏の鳴き声で目を覚ましたGiorgisが窓辺まで行き庭を見るが、どこも白くない〔小説を映画化しているハズなのに…〕
  
  
  

Giorgisが寝ていた建物を出て、母屋に向かうと、戸口の前には村人の列ができていた。驚いたGiorgisは、部屋の中に駆け込む(1枚目の写真)。そこで見たのは、祖父Georgiosの遺体だった(2枚目の写真)。病院の老人がつぶやく。「彼は 平安な表情で横たわり、超自然的な光が顔を照らしていた」。Giorgisは、素直に 「可哀想なお祖父ちゃん! お祖母ちゃんのせいで、どこにも旅に行けなかった!」と悲しむ。そして、かつて祖父が行こうとして途中でやめた丘を目指して走り出す(3枚目の写真)。なお、原作小説の最後は、「可哀想な祖父は、今度こそ、“生涯でたった一度” を全う出来た〔Διότι ὁ καϋμένος ὁ παπποὺς συνεπλήρωνε ἀληθῶς τώρα «τὸ μόνον τῆς ζωῆς του ταξείδιον»〕」となっている。映画では、なぜか使われていない。この方が相応しいと思うのだが…
  
  
  

映画の最後は、冒頭の精神病院に戻る。 Georgios Vizyinosの死の一報を受けた一家の親友と称する女性が病室に行くと、遺体はもう運び出され、看護婦が遺品をスーツケースに詰めている。中身は、シャツ2枚、スボン2本、コート、本数冊、時計と著述のみ(1枚目の写真)。女性はスーツケースを預かり、看護婦と一緒に門の外に出ると、そこには、関係者らしき男性が3人いた(うち、2人は紳士AとB)。そこに、Georgiosの遺体を収めた棺が担がれてきて、荷馬車に乗せられる。そして、荷馬車は墓地に向かって動き出し、その後を、少ない関係者が後を追って歩く(2枚目の写真、矢印はスーツケース)。注意すべきは、これは、小説の中での “Giorgisの祖父Georgiosの死” ではない。小説の著者 Georgios Vizyinosの死の場面で、しかも、それは歴史的事実とは無関係であるという点。
  
  

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