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Chizkeik (V) チーズケーキ

ロシア映画 (2008)

13才のパーヴェル・ミリエンチューク(Pavel Melenchuk)が主演するロシア映画。文字通り、チーズケーキがテーマとなった、奇妙な味わいのサスペンス映画だ。展開が読めないところが、不気味で面白い。この手の映画の場合、ネタバレを嫌う人がいるので、もし、将来、この映画を購入して観るつもりのある方は、適当に読み飛ばして、パーヴェルの写真だけ見ていただきたい。

アリョーシャは、アル中の母子家庭という最悪の家庭環境に苦しんでいる。そんな折、街でスカウトされて出演したチーズケーキのTVコマーシャル。幸せ一杯の家族という虚像の世界。その世界に憧れたアリョーシャは、コマーシャルに出演した医者と、女優と、自分の3人で本当に家族をつくりたいと願う。そして、念入りにプランを立てた上で、独身の医師のアパートに押しかけ、最後には “養子にしてもいい” と思われるくらい、医師に気に入られる。一方で、既に夫のいる女優については、何と、夫を殺害するという極端な手段に出る。さらに、医師が愛人に奪われそうになると、愛人まで謀殺してしまう。そうしておいて、3人を何とか1ヶ所に集め、TVコマーシャルの団らんの再現を狙うのだが…。

パーヴェル・ミリエンチュークは、典型的な美少年。冷たいほど整った顔立ちに、きれいな金髪。その彼が、きわめて残酷な殺人を、計画的かつ巧妙に行う。きわめてユニークな脚本であり、キャスティングだ。つまり、こんな可愛い子が、そんな悪いことをするはずがないと思わせる点が面白い。


あらすじ

冒頭に流れるチーズケーキのTVコマーシャル。幸せそうな3人家族がおいしそうにチーズケーキを食べている。少年がアリョーシャ、女性がナターシェンカ、男性がミハイル。実はこの3人、家族ではない。アリョーシャは広告担当者が街で偶然見つけた可愛い子供、ナターシェンカはコマーシャル専用の女優、ミハイルは担当者が偶然診てもらった医師(外科医)なのだ。3人が一緒になったのは、コマーシャルの撮影時のみ。お互い何の関係もない。
  
  
  

ミハイルが、病院での勤務に疲れて一人住まいのアパートに帰ると、ドアの前に少年が座り込んで寝ている。もし、こんなことが自分に起これば、誰でも驚くと思うが、医師も驚いて少年を起こす。少年:「今晩は、ミハイル・アレクサンドロビチさん」。医師:「今晩は」。「僕が、判ります?」。「さっぱり。名前も、思い当たらんね。そもそも、なぜ ここに?」。「僕は、アリョーシャ。泊めて下さい」。見ず知らずの少年に、いきなり「泊めて下さい」と言われれば、誰でも躊躇するだろう。「何で、私が、君を泊めると? 他人だろ? 帰りなさい」「家が、あるんだろ?」。「ええ」。「そりゃいい。どいてくれんか。分かった?」。「はい」。「帰って。お休み」。当然の対応だろう。
  
  

部屋に入った医師、TVをつけるとちょうどチーズケーキのコマーシャルが流れている。そして、外にいた少年が誰だったか気付く。自分に救いを求めに来たのかと心配になり、ドアを開けると、少年はまだ座ったままだった。「家に帰るのが 怖いのか?」。「いいえ。帰りたくないだけ」。「じゃあ、何のせいだ? 落第点でも 取ったのか?」。「まさか、悪い点なんて」。「なら、一体なぜ、ここにいるんだ? 床は冷たい。肝臓に悪いぞ」。「構わないよ」。「きっと、警察が探してるぞ」。「どうして? 悪いことなんか してない」。「家族が心配してる。何も話してないんだろ?」。「誰も心配なんてしてない」。そこに、向かいの詮索好きのお婆さんが出てきたので、慌てて部屋に入れてやる。そして、「いいか、泊めるのは、今夜限りだからな。悪いが、君を助けてやれん。それどころじゃないんだ。いいな?」と釘をさす。かくして、潜入成功。目ざといアリョーシャの目は、手を洗いに入った洗面所で、女性用の化粧品多数、女性用のガウンとスリッパに気付く(2枚目の写真)。この人には、彼女がいるんだ。敵だ。
  
  

明くる日、医師が目を覚ますと、少年の姿はどこにもなかった。しかし、朝食が用意してあり、汚かった台所はきれいに整頓されていた。「全部、洗ってある。信じられん」と独り言。いったいどういうことかと不思議に思うが、悪い気はしない。一方、アリョーシャは電車に乗って学校に向かっていた(2枚目の写真)。座っていた女の子のノートを見て、算数の間違いを教えてやる。頭が良くて、親切なのだ。病院に着いた医師は、担当の看護婦に、TV局の女性(コマーシャル出演を誘った担当者)の電話番号を調べさせ、電話をかける。そして、「コマーシャルに出た少年のこと、教えてくれないか」と頼む。「どうやって、見つけた?」「街中で、偶然?」「確かに、とても可愛い子だ」「特に 理由はない。訊きたいだけ」。この時は、これで終了。
  
  
  

アリョーシャは、高級な調度品を売る店に入り、如何にも高そうな磁器の花瓶をワザと台から落として割る。店から医師に電話が入る。患者の手当て中の医師に替わり電話を取った看護婦が、「先生の息子さんのことで」と言うので、びっくりする。「息子だって?」。そして、電話に出る。「代りました。ええ、彼です。私には、何とも。息子じゃありません。もう一度 言います。息子じゃありません。どうしたら いいかって? 警察を呼んだら? ええ、さよなら」。一旦は電話を切るが、思い直して店に電話をかけ、警察は呼ばずに、午後3時過ぎに店に行くと伝える。店に行くと、割れた花瓶の横に、少年が座らされている(2枚目の写真)。花瓶代を弁償し、店から連れ出すと、「君とは、コマーシャルで一緒だった。いいか、これで五分五分だ。助けてやったろ? 皿洗いと、オートミールの代りに」。「おいしかった?」。「おいしかった。ありがとう。次は、来ないからな。警察に任せる。自分で、解決するんだな」と通告して別れる(3枚目の写真)。
  
  
  

その夜、医師は少年を警戒し、アパートへ帰らなかった。しかし、翌朝アパートに戻り、1階の郵便受けを見ると、1通の封筒があり、中にはお札と、『割れた花瓶の代金です。ありがとう。アリョーシャ』と書いた紙が入っていた。それに心を動かされた医師は、TV局の女性に再度電話をかけ、今度は本気で会うつもりで、学校の担任の先生の名前まで教えてもらう(2枚目の写真)。
  
  

アリョーシャの住環境は最悪だった。担任は、「難しい家庭です。父親がなく、酔っ払いの母親。でもアリョーシャは、とても利口な子です」。実際に会った母親は、もっとひどかった。医師を見て、「リョーシュカと、コマーシャルに出た人ね。で、奴ら、幾ら くれたの?」。「必要な額」。「で、リョーシュカには、幾ら?」。「さあね、直接訊けば」。「くそガキ、金を 隠しやがった」。末の息子の扱いを見かねた担任の教師が、「ベラ、いつか、親権が剥奪されるわよ」と注意すると、「何だって? 子供 つくってから、ほざくんだね! 4人に一部屋しかないんだ。パンを買う金だってない」。「ウォッカに使っちゃうからでしょ」。「何だと! 出て お行き!」。医師の心に、何とかしてやろうという同情心が芽生えたのは、当然の帰結であろう
  
  

翌朝、医師が病院に出勤すると、少年が廊下で待っていた。診察室に呼び、看護婦を外させてから、「で、君を どうしよう?」と話しかける。そして、「いいかい、夜10時までに部屋に来ること。10時を過ぎたら 入れない。学校、隣近所、警察からのどんな苦情もダメだ。分ったかい?」。首は振るが嬉しそうな顔を見せない少年に、「なぜ、何も言わない? それとも、万事了解か?」。お互い笑みがこぼれる(1枚目の写真)。アリョーシャは、留守中、医師のアパートを訪れると、徹底的に掃除し(2枚目の写真)、洗面にあった女性の化粧品もガウンもスリッパもすべて廃棄した。
  
  

ここで、アリョーシャが善から悪へと180度変化する。まず、こっそりと家に戻ると、バスタブの下に隠してあった千枚通しを太くしたような道具(武器)を取り出し、変装用の帽子と上着と一緒に持ち出す。そして、プールを見渡すことのできるカフェに入り、コーヒーとサンドイッチを注文すると、ある人物を見張り始める(2枚目の写真)。見張っているのは、プール専属の指導員。指導員が仕事を終えて帰宅して行くと、素早く会計を済ませて後を追う。そして、男が入って行ったアパートの前のブランコに乗り、そのまま男の出てくるのを待ち続ける(3・4枚目の写真)。夜遅くなって、ようやく男が犬の散歩に現れる。アリョーシャは、近づいていって、振り向きざま、何と千枚通しを深々と腹部に刺したのだ(5枚目の写真)。映画の雰囲気が激変する衝撃の一瞬だ。ただし、この男が何者なのか、なぜ殺したのかは全く分からない。
  
  
  
  
  

ためらいもなく殺人を犯したアリョーシャだったが、ゴミ捨て場まで来ると、たまらなくなって嘔吐する(1枚目の写真)。そして、変装用の帽子と上着を捨て、「10時まで」という約束があるので、医師のアパート目指して必死で走る。しかし、10時には間に合わなかった。そこで、部屋の外の窓枠に座り医師が出てくるのをじっと待つ。そして、しびれを切らして様子を見に来た医師に入れてもらう。「入って。朝になったら、話そう」。無言で入る少年。とても殺人を犯した直後とは思えない冷静さだ。
  
  

ここで、シーンは、また一気に変わり、スタジオでTVコマーシャルの撮影が行われている。演じているのは、チーズケーキのCMで母親役だった女性だ。撮影が終了し、監督の車でHした後、携帯に電話がかかる。夫が刺殺されたという、警察からの知らせだった。呆然として帰宅する女性。これで、アリョーシャの殺した人物が誰だったか分かるが、動機は依然として不明だ。
  
  

次は、医師のアパート。朝、起きて、「ごめんなさい。二度と しません」と謝るアリョーシャ。医師は、「昨晩、どこにいたのかは、訊かん。猶予は1回だ。あと1回やったら、元いた所に戻るんだな」と叱るが、その後は態度がぐっと軟化し、「休みが取れたから、上手に使おう」と言い、郊外の川へ遊びに連れて行ってくれる。途中、「運転してみたくないか?」とハンドルまで握らせてくれる。そして、川原では、水遊びにバーベキュー、そして、サッカー。帰宅する車の中では、疲れて眠るアリョーシャを心配して、毛布までかけてやる。まさに、アリョーシャが夢に見ていたこと… 新しいパパとの素敵な暮らし、そのものだ。そう、このために、アリョーシャは医師に接近したのだ。チーズケーキのCMで味わった「理想の3人家族」の再現。そのための第1段階が、医師と親しくなることだった。それは成功した。第2段階は、母役を務めた女性の夫を殺害し、独身に戻すこと。そうすれば、医師と結婚することが可能となる。
  
  
  
  

そして、突然 未亡人となった女性は、夫が残した手作りの帆船模型の前で、虚ろな心のまま涙にくれていた。そんな心理状態では、数日経っても笑顔などできっこない。映画では、もう少し後のシーンになるが、CMの撮影中、「笑顔は無理です」と言って、職場放棄してしまう(2枚目の写真)。
  
  

アリョーシャにも、晴天の霹靂とも言える新たな危機が襲いかかった。医師が、アパートに愛人を連れてきたのだ。しかも、もう1年近く付き合っていて、お互い結婚する気でいる。愛人が帰った後、アリョーシャは寝た振りをして機会をうかがい、医師が席を外した隙に携帯にかかってきた彼女の番号を すかさず確認した。
  
  
  
  

翌日、アリョーシャはさっそく行動に出た。食料品店に行って、紅茶の缶を買ってきたのだ。そして、中味を捨てる(1枚目の写真)。ここで、場面は大学の実験室で働く女性にスイッチする。そこに医師から電話がかかり、迎えに来た車に乗り込む。医師から、「最初に会ってから、ちょうど1年だ」と言って花束を渡され、「ほんとに、ありがとう」と熱くキスする。そして、レストランに向かうが、その途中で、「アリョーシャは いい子だけど、このまま続けることはできないわ。何が起きるか分らない。彼に対して、全責任を負う気はあるの?」と、ライバルの切り捨てにかかる。一方、アリョーシャの方は、コズマという不良を仲介役にして、怪しげな人物と接触する(3枚目の写真)。この時点で、目的は明かされない。
  
  
  

医師の愛人が自宅アパートにいると、そこに携帯メールが入る。「ガーリャ、今どこにいる?」。「家に」。「出られない?」。「なぜ?」。「サプライズ」。「どんな?」。「お楽しみ」。これは、医師から携帯を盗んだアリョーシャが、医師に成り代わって入れたメールだ。メールの指示はさらに続く。「大学に行って」。愛人が大学に着くと、「研究室に入って」。こうしたメールを、アリョーシャは町の中心にある公園のベンチで打っている。その姿に目をとめた旅行ガイドが、「あなた、ケーキのコマーシャルの子?」と訊いてくる。そして、「外国のお客さんが、あなたをテレビで見て、一緒に写真を撮って欲しいって。いいかしら?」。「喜んで」。「笑顔で、はい、チーズ!」でにっこりするアリョーシャ(2枚目の写真)。余裕というか、神経が太いというか。その直後に、「右の引出しの中」とメールし、引出しにアリョーシャが入れておいた紅茶の缶を開けた愛人は、研究室ごと爆弾で吹き飛んだ。男性を殺害した時よりは、“足がつきやすい” 危険な行動だ。
  
  
  

愛人の悲惨な死を知った医師が、アパートに帰宅する。アリョーシャは、「寄りかかって」「靴を脱いで」「もう片方も」「部屋に入るよ」と励ましながら、医師を抱きかかえたまま、何とかソファーに横にならせる(1枚目の写真)。翌朝、アリョーシャは朝食を用意するが、テーブルに座った医師は黙って一点を見つめている。「少しでも 食べてよ。無理してでも。お願い」。医師はその言葉を聞くと、無言でソファーに戻ってしまう。「遅刻してるよ。患者さんが、待ってるでしょ」と言っても、「放っとけ」。「電話して、病気だと言っとくね。それで、いい?」。「一人に」。完全に虚脱状態にある医師。それに対するアリョーシャの行動は、素早く、かつ、意表をついたものだった。何と、自分の左腕を包丁で切り始めたのだ。流れ落ちる血(3枚目の写真)。医師は、「何やってる、バカモン! このキ印!」「死にたいのか」と飛び起き、大急ぎで腕を縛って病院へ連れて行く。自分を犠牲にした即刻性のあるショック療法だ。その冷静さが 怖い。
  
  
  

今まで、会いに行かなかった母親役の女性に、アリョーシャがようやく接近する。「今日は。僕、判ります?」。「判らないわ」。「一緒に、コマーシャルに… 覚えてない?」。「ああ、思い出したわ」。そして、荷物を持っているのを見て、「持ってあげる」。「重いわよ。それに、ケガしてるじゃない」。「反対側の手で 持つから」。こういう すり寄り方が実に上手い。この女性、夫も職も失ったことで、コテージを売りに出している。そこに連れてってもらい、「わぁ、きれいなトコだね」。そして、「お願い、もう広告は貼らないで。買い手を見つけるから。1人いるの」と言って別れる。
  
  

そして、コテージまで、医師を連れて行く。歩きながらアリョーシャが説明する。「家を買うなんて言ってないよ」。医師:「金なんて、ないしな」。アリョーシャ:「目的は、売るのを やめさせること」。医師:「どうなってる? 初めは、郊外に行きたいと言い… 次に、家を買うよう勧め… 今度は、買わないとだと? もう、どこにも行かん。説明しろ!」。アリョーシャ:「医者でしょ? なら、悩んでる人を助けなきゃ。彼女は、すごく悩んでる」。医師:「知らない人だぞ」。アリョーシャ:「知ってるよ」。かくして、3人が一つ所に揃うことになった。女性は、男がコテージを買いに来たと思っているので、「じゃあ、家を見せるわ」と言うが、医師は、「私には、家を買うつもりなどない」と宣言する。「なら、なぜ来たの?」と訊かれ、「連れて来られた」とアリョーシャを示す。2人を会わせても何も起こらないのを見て、アリョーシャは「お茶でも飲もうよ。やかんはどこ?」と言って、男女2だけにして仲良くさせる戦法に出る。しかし、殺人計画と違って、男女関係はアリョーシャの思惑通りには進まない。
  
  

アリョーシャが湯を沸かしている間に、医師が女性に話しかける。「コマーシャルを撮ったのが、遙か昔に思える」。「そうね。もう 過去の人生だけど」。そして、帆船模型を見ている医師に、「夫の趣味だったの。死んだわ。1週間前に」。その言葉にハッとする医師。恐らく、すべてを悟ったのだ。その時、アリョーシャが紅茶を運んでくる。アリョーシャが嬉しそうに紅茶を注ぐシーンは、そのままチーズケーキのコマーシャル・シーンに切り替って映画は終わる。その後、3人がどうなったのかは分からない。アリョーシャが殺人罪で逮捕されたかどうかも。含みを持たせた結末だ。
  
  
  

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