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Demi-tarif 半額/捨てられた子供たち

フランス映画 (2003)

コリア・リッシャー(Kolia Litscher)が他の2人の少女と一緒に3人だけで出演した〔登場人物が3人だけの〕話題作。8歳の時から女優として活躍し、16歳で脚本を書き始めたイジルド・ル・ベスコ(Isild Le Besco)が20歳にして初監督した作品で〔製作・脚本も兼〕、これまでの「映画の中の子役」の描き方とは一線を画した作品として、様々に評価された。DVDに封入されている解説の中で、評論家のChris Markerが新しいヌーヴェルヴァーグと述べているのはお世辞としても、一種の問題作であることは確か。ル・ベスコは、脚本を2人のプロデューサーに持ち込んだが、1人にはたらい回し、1人には無視されたので、自分で作ることにして、1つ年上の兄と一緒に暮らしているアパートの寝室を撮影場所とし、兄に撮影を依頼した。コリア・リッシャーは、名前は全く異なるが、実は監督の実の弟。だから、真冬の屋外での水中シーンとか、屋内での全裸シーンも平気でさせている。共演の2人の少女は、姪の誕生パーティで会ったとか。これなら、限りなく低予算で製作できる。さて、この映画の最大の特徴は、すべてを子供目線で描いていることである。パリ市内のアパートでの子供達3人だけの暮らし。誰にも干渉されず、生きたいように生きる。身持ちの悪い母親のお陰で3人とも父親は違っても、息はぴったりと会い、どんな逆境にもびくともせず、楽しく生きている。食い逃げも、盗みも、物乞いも全く気にしない。料金未払いで電気が切られたら、夜遅くまで町で映画をタダ観して過す。お金がなくて困っても、学校で相談もしないし、誰にも助けを求めない。3人だけの閉ざされた世界で逞しく生き抜いていく。映画は手持ちのデジタルビデオで撮影され、わざと露出オーバーに処理されている。画質も極めて粗く、時々ピントも合っていない。字幕のある会話シーンは、学校の教師が警告する場面のみ。大人びて簡潔で時として詩的なナレーションにも字幕は付いているが、子供達の気ままな会話に字幕はない。また、子供達は時々全裸になる。非難する批評もあるように、確かに居心地のいいものではない。しかし、それが敢えて子供達の現実なんだと主張するところに、この映画の洗練されていない強さと若さがある。

映画は夏休みのシーズンから始まる。母親が家に寄り付かなくなってからの3人の子供達の日常を克明に追って行く。街角の水盤で水浸しになり、ファーストフード店でタダ食いし、親切そうな食品店で味見をさせてもらう。夏が終り学校が始まると、メトロにタダ乗りして学校に行く。帰りにスーパーでお菓子を盗む。アパートでの生活も紹介される。狭い部屋の中で、食べ、遊び、笑う。時には裸にもなり、時には化粧もする。病気になってもめげない。電気が切られてしまうと、外で過す時間が多くなる。アパートの中は真っ暗で寒いから。メトロの構内でお金をせびったり、映画をタダで見たり。万引きで捕まることもある。夜遅くにはアパートに帰るが、暖房がないので体を寄せ合って寝る。ある日、学校で呼び出され、常習的な遅刻、シラミまみれ、汚い服装が注意され、両親を面談に寄こすよう通告される。1年が経過し、再び夏休みとなり、3人は、母親が用意した列車に乗ってバカンスに出かける。3人だけで母親はいない。それ以上詳しいことは、何も説明されない。そもそもこの映画、タイトルも出なければ、エンドクレジットもないのだ。

コリア・リッシャーは、どこにでもいる男の子。監督の弟だからといって、いろいろさせられるのは可哀想なそうな気がするが、時々、カメラに目が合ってしまうのは、お兄さんが撮影しているからだろうか? お世辞にも、可愛いとか、演技が巧いとは言えない。


あらすじ

この映画のあらすじ紹介は難しい。ナレーションとシーンとが結びついていない場合が多いためだ。ナレーションが全くない場合もある。そこで、シーンの解説は黒字で、ナレーションは青字で表示する。そうすれば、最大限に映画の雰囲気を表わすことができる。また、写真は、映画の画質が非常に粗いため、規定のサイズより小さいものを使用する。映画の冒頭と最後は、ロメオが水中で泳いでいるシーンだが、写真ではうまく映らないので省略する。しかし、ナレーションは既に始まっている。「私たちは、幸せだった… それが何かは 知らなかったが。苦痛はあった… それが何なのか、はっきりとは分からなかったが」。ロメオとレオが並んで赤い果物にかぶりついている(1枚目の写真)。何かは分からない。トマトのようには見えないが、結構柔らかそうだ。「私たちは、7歳と8歳と9歳だった。彼女〔=母〕は、いつも気儘だった。それが流儀。好きなようにしていた。私たちは、何とかやっていた」。3人は、食べていた果物を通りで売ろうとするが、誰も買わない。「寂しくはなかった… 彼女を待ってはいたけれど」。見晴らしのいい道路際で3人が遊んでいる(2枚目の写真)。「私たちは、歩き回った。そして、好きなことをした。夏休みだったから」。
  
  

3人は、服を着たまま、街角にある広い水盤で遊んでいる(1枚目の写真)。水はすごく浅い。遊び終わった3人が去って行く歩道に、濡れそぼった子供達の足跡が転々と残る(2枚目の写真)。
  
  

食べ物には困らなかった。出かけるのが好きだったから」。3人は、ファーストフード店でポム・フリッツを食べている(1枚目の写真)。食べる姿は、演技でも何でもない。だから、醜い顔も平気で見せる。食べ終わると、頃合を見計らってお金を払わずに逃げ出す(2枚目の写真)。「出かける度に、より遠くに行かざるをえなくなった。同じ店には 二度と行けなかったから」。ここは、ナレーションとシーンが合致している。
  
  

アラブ風のバックミュージックが流れる中、3人は、食料品店で味見をさせてもらっている(1・2枚目の写真)。何を食べているかは分からないが、お店の人はかなり友好的だ。店を出て夜の街に出ていく。「お互いが 大好きだった… ものすごく。3人が まるで1人のようだった。喧嘩もしたし 争いもした… 激しく… かなり激しく」。3人はアパートに帰り、カーニバルのような化粧を始める。「彼女は、時々 電話をかけてきた… 愛してると言うため。嬉しかった… 言葉が聞けて。でも、戻っては来なかった」。
  
  

子供達がカルターブル(ランドセル)を背負い、走ってアパートを出る(1枚目の)。外は雨だ。そんなのは平気。メトロの自動改札をくぐり抜け、プラットホームに出て、電車に乗り込む。「夏が終わり学校が始まった。彼女は、頑張ってと電話をかけてきた。それを聞いて嬉しかった。学校が、始まるからじゃない」。電車を降り、ひたすらホームを走る(2枚目の写真)。後で分かるが、遅刻しまいと必死なのだ。「学校は嫌いだった。いつも、授業の終わるのが待ち遠しかった。夜になって、3人だけになれるのが」。ただし、学校でのシーンはない。
  
  

学校からの帰り、ルナがスーパーでお菓子を盗もうとするが、服に入りきらない。そこで背負ったカルターブルを床に置いて、開くと、堂々とお菓子を幾つも詰め込む(1枚目の写真)。後ろを客が通るが、注意もしない。そのままメトロの駅まで入って行き、ホームのイスに座って盗んだお菓子を3人で楽しく食べる(2枚目の写真)。そこには、何の罪悪感もない。3人は電車の中でも食べ続ける。メトロを降りて、歌いながら通りを歩き、アパートに帰って笑いながら歯を磨く。そして寝る。これが1日の生活パターンの概略と思っていい。
  
  

時は過ぎ、冬が近づく。彼女は、まだ帰って来ない」。ロメオが鍋に向かって何かを茹でている(1枚目の写真)。レオとルナは食卓に着いて待っている。「3人とも、得意なものがあった。ロメオは、パスタ作り。レオは、食器洗い。ルナはヨーグルト・ケーキ」。ロメオが茹で上がったパスタをザルにあけ食卓まで運んで行く(2枚目の写真)。何かを掛けているようには見えないので、パスタだけを食べているのかもしれない。
  
  

ここでシーンは切り替わり、冬も近いというのに、3人はパジャマだけで部屋から出て行く。裸足のまま階段を降り、上半身裸になって夜の屋外へと…。「夜になると街に出た。夏は びしょ濡れになるため。冬は 風邪をひくため。熱が出れば、学校に行かなくていい」。ロメオが風邪をひき、気分が悪くて泣いている(1枚目の写真)。「病気になると 泣いてしまう。時には、何もなくても… ちょっとしたことで。でも、乗り越えた」。3人で「病気よ飛んでいけ」をやって、ロメオの顔に笑顔が戻る(2枚目の写真)。その後で、レオがくすぐられて叫ぶシーンもある(3枚目の写真)。3人の仲が良いことが手に取るように分かる。
  
  
  

こうして3人でキャーキャー遊んでいると電話がかかってくる。レオが取るが、すぐにロメオが替わり、テキトーに返事してすぐに切る。「電話がかかってきても、3人だけだとは言わなかった… 決して。それは秘密だった… 私たちだけの」。その後も、3人の遊びは続く。ロメオが両手に握った何かに、ルナがまじないをかけている(1枚目の写真)。何も説明はないが、みんなで笑いこけている場面もある(2枚目の写真)。「私たちは、魔術師だった。何でもできた… 現わしたり、消したり」。
  
  

ロメオは、シャボン玉で遊んでいる(1枚目の写真)。このシーンとは無関係に、重要なナレーションが流れる。「私たちの家。そこは、私たちのもの。誰も来ない。父さん達〔複数形!〕は、見たことがない… 一度も。彼女が、家に来るのを嫌ってたから。彼女は、3人にバラバラになって欲しくなかった。ルナの父さんは、休みの日に、娘を連れて帰りたがった。彼女は許さなかった。3人とも連れて行くか、ゼロかだった」。レオとルナの全裸シーンの後、3人がヴェネチア風に仮装して街を歩くシーンが挿入される(2枚目の写真)。
  
  

私たちは、いつも話し合った。大きくなったら、どうなるかを。でも、ずっと このままかもしれない」。その後、3分にわたる全裸シーンが続く。映画の中で一番批判されている部分だ。内容は3つに分かれていて、最初はロメオがトイレで小便をする(1枚目の写真)。なぜ裸なのか、なぜ写すのか、理由はさっぱり分からない。2番目はレオが食卓の上で缶から飴をすくって舐める(2枚目の写真)。ここには、内容とは無関係のナレーションが被る。「彼女が、フラっと入って来て、そのまま 居てくれるといい。ほんの時々だって… 時々でなくてもいい。買い物をしてくれるとか、食堂に連れて行っていくれるとか、プレゼントをくれるとか、お話をしてくれるとかもいい。海の話かな。水が沸騰し、蒸気となって雲を作る。雲が丘にぶつかってはじけ、雨が地面に降り、川となって海へと注ぐ。そして、彼女は、朝になると出て行くに違いない」。3番目は3人がシーツとドライヤーで遊ぶシーン(3枚目の写真)。
  
  
  

その後、3人がTVを見入るシーンがある。顔だけが大きくクローズアップされる(1・2枚目の写真)。特に、一番年少のレオの大きな淡青色の瞳が印象的だ。このシーンは、何の台詞もなく無意味に2分間も続いた後、ようやくナレーションが入る。「私たちは、眠らない。疲れない」。
  
  

さらに1分半の無駄なシーンが続き、ようやく画面が替わる。ロメオが残ったお金を数えている。額面不明のお札が2枚と、コインが10数枚しかない(1枚目の写真)。その後は、レオが人形を片手に延々と独り言を続ける。また、ロメオがベッドで横になるシーン(2枚目の写真)もあるが、何をしているか分からない。ついでに言えば、なぜこのシーンが必要なのかも分からない。
  
  

中盤の迷走はさらに続く。ロメオが、ベッドにいる2人のうちどちらかの女の子とふざける(1枚目の写真)。そして、レオがトイレで痒くて脚を掻く(2枚目の写真)。ここでも、半裸シーンが主体となる。幸い、こうしたシーンはこれが最後で、映画はようやく動き始める。
  
  

アパートのドアのベルが鳴り、訪問者が現れる(1枚目の写真)。それは、電力会社の作業員で、電気料金未払いのため電気を止めに来たのだ。「私たちは、メーターを切られた。彼女が払わなかったから。彼女は、こうしたことに無頓着なのだ。こうしたことだけじゃなく、何事にも」。作業員も、出てきた子供達の異様な風体(2枚目の写真)を見て、このアパートには大人がいないことぐらい気付くべきであろう。だが、何もしない。
  
  

ここから、子供達による物乞いシーンが始まる。メトロの構内で、ルナがメインとなって、大人からお金や食べ物をねだる(1・2・3枚目の写真)。ナレーションは全くない。盗みをする時と同じで、3人の顔には、物乞いを連想させる卑屈さは全くない。ただひたすらに、遊んでいるような感覚だ。ただ、実際にこの子たちがこうした状況に置かれていたら、こんなに天真爛漫でいられるかどうかは疑問だ。食事をちゃん取った上で撮影に臨み、「おねだりするシーン」と言われた結果だとすれば、そこに生活感がないのは当たり前かもしれない。
  
  
  

私たちは、暗がりにいるのは嫌だった。だから、夜になると街に出た。小さな暖房機も動いてくれない。電力会社がメーターを外したから。私たちは、身を寄せ合って寝た。いっぱい着込み、体を押し付け合って」。このナレーションの後、一気に、3つのシーンがナレーションなして映される。最初が、映画館のシーン。まず、ルナが適当な言い訳をして(両親が先に入ってしまったとか)、館内に入る。そして、非常口まで走って行って、裏口で待機していたロメオとレオを中に入れてやる(1枚目の写真)。その後、1本目の日本映画を観て〔「そうだよ。結局、あたしは裏切ったんだよ、あんたのこと」という日本語の台詞が聞こえる〕、観終わると3人でトイレのボックスに隠れる(2枚目の写真)。そして、2本目のイギリス映画に挑戦〔こちらは、「プランケット&マクレーン」〕(3枚目の写真)。これが最終上映回らしく、3人は閑散とした通りを家路につく。アパートに帰っても、真っ暗で寒いだけなので、こうした生活パターンは、映画館で時間を潰すかどうかは別として、毎日続いたに違いない。
  
  
  

次のシーンでは、3人が揃ってドラッグストアに入って行く。そしてルナが店員にレオの塗り薬を頼む(1枚目の写真)。レオはイスに腰掛け、左足の裏を見せて症状を説明する。その後で、3人がカウンターの前で店員に何か言われて嬉しそうな顔をするが(2枚目の写真)、何を話しているか分からないので、結局どうなったのかは分からない〔フランス語のヒヤリングのできる人、助けて!〕。
  
  

3番目のシーンでは、まず、なけなしのお金を使って1人分のポム・フリッツを買い(1枚目の写真)、外の路上に座り込み、仲良く分け合って食べる。そして、その次は、ルナが1人でスーパーから盗んで外に出ようとして、防犯ゲートでブザーが鳴り、必死で逃げるがガードマンに取り押さえられてしまう(2枚目の写真)。10歳以下なので、警察には突き出されず、しっかり絞られて帰される。足取りが重いのはそのせいだ。
  
  

映画の最後になって、やっと学校のシーンがある。ロメオは、何度か誕生パーティに招待してくれたアリと隣同士だ(1枚目の写真)。その次の場面が腑に落ちない。3人は、バックパックが一杯置いてある場所に行き、そこから目ぼしい物を取り出しては、自分のカルターブルに入れている(2枚目の写真)。①もし、これが子供達のものなら、なぜロッカーではなく、床の上に無用心に置いてあるのか? ②なぜ、このタイミングで「盗み」を働いたのか〔常習的にやっていれば、荷物の放置はありえないし、3人も捕まっているハズ〕? 次の、最も重要な場面で、3人は教師の前に呼び出される。この部分にだけ、会話に字幕が付く。「いつも遅刻してるわね。なぜなの?」。ロメオ:「朝、メトロに乗るんだ。そのせいだよ」。「毎朝?」。「そう」。「ご両親は、送ってくれないの?」。「うん」。「それから、シラミ。何か、対策は取ってるの?」。ルナ:「シラミ用のシャンプー使ってるわ。でも、効かないの」。「効かないのなら、シャンプーが悪いんじゃない? ご両親に ちゃんと言いなさい。他の子に シラミが感染してるわよ」「それに、その服装は問題ね。清潔とは言えないでしょ」。そして、最後には、「ご両親に、学校のソーシャルワーカーとコンタクトするよう伝えなさい。こんな状態は、あなた方のような小さな子には異常よ」と言われてしまう(3枚目の写真)。3人は、放課後、配膳室のような所に侵入すると、そこに置いてあったものを片っ端からバッグに詰め込む(4枚目の写真)。
  
  
  
  

学校が終った時、彼女は、私たちを引き取りに来た。夏休みに相応しいと思う場所に、行かせるために。でも、一緒には来ない。夏休み中の予約を してくれただけだ」。しばらくして、駅のプラットホームに、バカンスに出かける3人の姿があった(1枚目の写真)。荷物を一杯かかえて長距離列車に乗り込む(2枚目の写真)。観客には、3人がどこへ向かうのかは分からない。「私たちは、遊んだり 黙っていたりするだろう。そんな日が 何日も続くのだ」。そして、再び、巻頭と同じロメオの水中シーン。最後に、観客の方を見つめるように大きく見開かれたロメオの目。彼は、そして3人は、何を訴えかけたいのか?
  
  

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