トップページに戻る
  少年リスト   映画リスト(邦題順)   映画リスト(国別・原題)  映画リスト(年代順)

Duma ぼくのともだちドゥーマ

アメリカ・南アフリカ映画 (2005)

アレクサンダー・マイケルトス(Alex Michaeletos)主演の動物映画。アメリカ映画なので、ハリウッド的な少年と動物の交流かと思うと、全く違う。Carol Cawthra Hopcraft原作の『How It Was with Dooms(1997年)』の映画化。原作はケニヤが舞台だが、それを南アフリカに持ってきた。どちらもアフリカで、舞台は人跡未踏の地や野生の猛獣がウヨウヨいるジャングル。サバイバル映画に近い。アレクサンダーは南アフリカ人。南アフリカ人が南アフリカを舞台にした映画に出演するのは当然と思いきや、キャスティングは全世界でしたらしい。アメリカのメジャー作品なので、どの程度忠実にロケ場所を選んでいるかは不明だが、画面で見る限り演じるのには勇気と体力が要りそうである。苛酷といってもいい。

アレクサンダー演じるザンの一家は、祖父の代からボツワナ国境近くで農園を経営している。父子でボツワナ北部まで行った時、道路でチーターの赤ちゃんを拾う。家に持ち帰りドゥーマと名付け育てることに。ある日、父が脳腫瘍で倒れ、回復して帰ってくる。余命の短いことを悟った父は、大きくなったドゥーマを野生に返しに行こうと申し出る。しかし、実現せず死亡。母子はヨハネスブルグに行くが、ドゥーマは保護局が引き取りに来る前に抜け出しザンの学校へ。学校は大騒ぎとなり、ザンはドゥーマを連れて農園へ戻る。そして、父の残したバイクで、ドゥーマを野生に返すべくボツワナへと向かう。しかし、途中でバイクはエンスト。偶然会ったリプクーナという正体不明の黒人と北へ向かって進む。そして、幾多の難関を乗り越え、ドゥーマは安住の地を見つける。これがアメリカ映画かと思うほど、大自然がうまく映画に取り入れられていて、それだけザンの苦労も大変で、最後の感動も大きい。ただ、どうしても気に入らないのは、設定が不自然でいい加減な点。ヨハネスブルグの学校を逃げ出したザンとドゥーマは、200-300キロ離れた農園までどうやって帰ったのか? 父に見せられた地図は25万分の1で、自宅からボツワナまで見開き1枚になっていたが、25万分の1で表示できるのは100キロがせいぜい、しかし、ボツワナ北部までの距離は700-800キロもある。さらに、ザンの歩いた距離は300キロは下らないが、可能なのだろうか?

アレクサンダー・マイケルトスは、野に寝転び、蛇をつかみ、チーターと戯れ、砂漠を歩き、激流を漕ぎ進む。スタントはほとんどない。その割には、ごく普通の、端正な感じの少年だ。それだけに、よくこれだけの難関を乗り切れたと、観客に感動させることができる。


あらすじ

ボツワナ北部で、暗くなってから、道路上にいる一匹のネコ科の動物の赤ちゃんを発見し、急ブレーキをかける父。「きっと迷子だな」(実際には母がライオンに殺された)。「ママいる?」とザン。「いないみたいだ」。そのまま放置もできないので、車に乗せて連れていくことに。途中の食堂で、手製のほ乳瓶に溶けたアイスクリームを詰めてザンに渡す父。ザンが言う。「顔に黒い縞、何だか分かる?チーター。世界一番速い動物。0-60の加速が2秒だ。パパのポルシェよりきっと速い」。この一家はかなり裕福なのだ。父が「このまま飼うべき?」と言うと、すかさず「そう」。父は「ザン、ずっとじゃないぞ。生まれた場所に戻してやらないと」と念を押す。
  
  

チーターは、家族の一員として元気に育っていく。名前は、スワヒリ語でチーターを意味する「ドゥーマ」になった。そして、ドゥーマがかなり大きくなった時、父が農作業中に突然倒れる。脳腫瘍だった。退院した父は、ザンをサイドカー付きオートバイに乗せ、ドゥーマとスピード競争をし、時速100キロまで出す。しかし、父が元気だったのはその時が最後だった。父の癌が再発し、母ともども死を覚悟した時、父はツリー・ハウスにザンを呼んで、ドゥーマの今後について諭すように告げる。「ドゥーマは、もうギリギリの年令だ。手遅れになる前に大自然に帰してやろう」。「行きたがってないよ。野生に戻るなんて嫌がるさ」。「お前が決めることじゃない。野生の動物だ、忘れたか? 野生は、一種の本能なんだ。骨や血に刷り込まれている。記憶のように」。そして、地図をザンに見せて「今いるのはココ」、「ずーっと北に上がっていくと… ココで見つけた」「この北西には山や谷がある。彼には天国だ。追跡し、捕捉し、噛み付く、簡単なことだ。来週2人でやろう」〔この25万分の1の地図が絶対におかしい。実際の距離は700-800キロはある。25万の1なら10枚くらいは必要〕。しかし、来週を待たず、父は死んでしまう。
  
  

母は、農場を貸し出し、ヨハネスブルグの伯母さんのアパートに同居し、ドゥーマは動物保護区に入れると決める。仏頂面で母とヨハネスブルグに向かうザン。翌日、ザンは学校へ。ザンが体育の授業に、体操着なしで行くと、悪ガキのボスが「楽しい日になりそうだ」とにんまり。午後、ザンを迎えにもう一度アパートを出る母。ドゥーマはTVのリモコンにうっかり触り、TVがついて驚いてテーブルの上に。怖がった伯母さんがドアを開けたまま部屋を逃げ出したので、ドゥーマは母の車を追ってザンの学校へ。大騒ぎとなる学校。ザンが、男子トイレに捜しに入った時、それを見つけた悪ガキのボス。「ドゥーマって? ゲイの友達か?」。手下がザンのCDプレーヤーをひったくる。そして、返して欲しけりゃ金を出せと脅す。そこに現われたドゥーマ。慌てて逃げ出したボスは、手に持った札束を落としていった。「よくやった」とドゥーマに言うザン。
  
  

ザンとドゥーマが、この後で、200-300キロは離れた農園までどうやって戻ったか、全く説明がない。チーターと一緒では、なかなか難しいと思うのだが。それはさて置き、農園に戻ったザンは、母に置手紙を残し、父のサイドカー付きオートバイで北西へと向かう。ボツワナ(隣の国)の中部まで上がったところで、ここも不明瞭なのだが、わざわざ道路から離れてマクガディクガディー塩湖を走り始める。干上がった塩湖なので真っ平らだ。最初は快調だったが、かなり進んだところで突然ガス欠。オートバイを押して、軽飛行機の残骸まで辿り着き、夜を過ごす。
  
  

ザンが寝ていると、オートバイのエンジンをかけようとする音が聴こえる。荷物を山ほど背負った黒人がバイクを動かそうとしていた。怒鳴ってやめさせ、ドゥーマが顔を見せて相手がビビッたところで、ザンが「水、持ってる?」と訊く。「かもな」「お前はどうなんだ?」。「バイクがある」「乗せてあげてもいいよ」とザン。「喉が渇いたのか?」と訊かれ、水筒の水をゴクゴクと飲む。その後で、「動くんだろうな?」と黒人。「ガソリンがあれば」とザン。この返事に、してやられたと苦笑し、自分はリプクーナだと名乗る。「僕はザン、水をありがとう」。水のある所まで歩くと5日かかるという話に、ザンは考え込む。工作は得意なのだ。オートバイに木でマストを立て、車体から離れた所にタイヤを1本付けて、砂上ヨットを作る。真っ平らなので、風を受けて滑るように走行。リプクーナも感心することしきり。
  
  

塩湖が終わると砂漠が始まる。車で行けるのはここまでだ。リプクーナの水筒も空になり、「水が要るよ」とザン。「心配いらん。見つける」。そして、砂地を掘り始める。水なんて出ないぞと、諦めた表情で座り込むザン。しかし、意に反して、幸いなことに、穴の底から少量の水が出てきた。「そう言ったろ」と自慢げなリプクーナ。ところで、リプクーナはドゥーマを野生に返すことには反対で、売れば大金が手に入るとしつこい。ザンに断られると、「少しだけ付き合ってやる。そしたら、俺は南へ戻る」と道案内を買って出るが、ザンが磁石で確かめると方向が90度違う。
  
  

廃屋が建っている場所に来た時、ヘリが飛んできた。廃屋に隠れろと指示するリプクーナ。ますます変に思うザン。だって、もしかして自分を捜しているヘリかも知れない(実は、母が乗っていた)。次に寄ったのが、元ダイヤモンド鉱山。リプクーナが試掘に坑道に入った時、ザンは逃げようとする。しかし、構内で崩落が起こり助けに戻る。だが、土の中から顔だけ掘り出したところで手を止め、「どこに連れてく気だった?」と問い正す。「お前の行きたいトコだ」。「違うね。西じゃなく北に向かってた」。「それが山に向かう道だ」。「町へ行くつもりだろ。警察に」。「何言ってる」。「僕の懸賞金をもらってドゥーマを売るんだ」。そして、リプクーナの抗弁と助けての声を無視し、「お互い、好きな道を行けばいい」と言い捨て、シャベルだけ残して去っていく
  
  

磁石通りに歩いたザン。目の前に深い谷が現れる。オカバンゴ大沼沢地につながる渓谷だ〔実際は、こんなに深い谷は存在しないはずなのだが…〕。翌日、得意の工作で、裂いた上着で流木を縛り筏を作る。そして、嫌がるドゥーマを乗せて川に入る〔この辺りの沼地のような風景は正しい〕。しばらくは順調に川を下るが、途中の小瀑で筏がバラバラに。早速出てきたワニから逃れて何とか岸に上がる。しかし、ドゥーマとはぐれてしまい、結局ドゥーマは密猟者の仕掛けた檻に捕らわれ、ザンは暴れ猪に追われて穴に落ちて気絶してしまう。
  
  

ザンが気付くと、リプクーナが、ドゥーマともども助けてくれていた。そして、自分はずっと悪人だったと打ち明け、これからは真人間になると誓う。それは良かったが、問題は食料。ドゥーマが何度やっても失敗するので、2人とも腹ペコ。その時、近くにサハリ見物にきた外国人観光団が。山のような昼食も用意されている。ザンが一計を案じ、シャツの下に蛇を隠し、「助けて」「噛まれた」と叫んで駆け寄る。「何に、噛まれた?」と集まってきたグループの前で「これ」と言ってシャツを開けると、そこから黒いヘビが。すかさず、床下に隠れていたリプクーナが「毒ヘビだ」と叫ぶ。われ先に逃げ出す人々。2人は、バイキング形式の昼食を袋にごっそり詰めてカヌーで逃げ出す。カヌーの中で、学校でぶんどった札束を、「助けてくれたから」と渡そうとするザン。しかし、リプクーナは改心したから受け取らないと言う。それなら河に捨てると脅し、“保管”してもらうことに。そのお礼に、ダイヤモンド鉱山で見つけたダイヤの原石を1個もらい、「友だちリプクーナを、忘れるなよ」。ザンは、「忘れないよ、リップ。でも、僕のことも忘れないで」と言い、さらに、「もう、サヨナラするから」と、首を折って死んだフリ。最初は慌てたが、生きていると分かり、「こんどやってみろ、殺してやる。このクソガキ」とリプクーナ。だが、ザンはとても嬉しそうだ。
  
  

リプクーナの故郷に近付き、草原を歩いていると、ツエツエバエの大群に遭遇する。刺された時の恐ろしさを知っているリプクーナは、ザンを毛布でくるんで守ってやるが、自分は顔と手をいっぱい刺されてしまう。顔が腫れ上がり、さらにライオンに襲われる気配がし、その上雨まで降ってくる。火を起こそうとするが、草が濡れていて点かない。そこでザンから預かった札束を出し、「使い途があったぞ。ほら、燃やせ」と火を点けさせる。焚き火ができたので、ライオン除けは成功。しかし、リプクーナの病状がどんどん悪くなるので、ザンはドゥーマを紐で縛り、一人で助けを呼びに行く。さっそくライオンが寄ってくるが、ドゥーマが紐を切って、ライオンを自分に引き付け、ザンを救う。
  
  

ザンは、明かりを見つけて村人の家に辿り着き助けを求めるが英語が通じない。身振りで、顔がひどいと分かってもらい、村人が救助に出かける。リプクーナの焚き火まで行くと、ドゥーマがいなくなっている。実は、ライオンからザンを救った後で、メスのチーターと出会ったのだ。家にかつぎ込まれたリプクーナは、まじない師によって、顔面に泥薬を厚く塗られ、仮面の形になる。そして、数日後、仮面が壊されるとリプクーナも治っていた。そして、村を飛び出した時に残していった妻や子供たちと感激の再会をすることができた。リプクーナは、ザンのことを、一緒に長い旅をしたチーター少年だと紹介し、「俺たちみんな一つの家族だ」と言ってくれる。
  
  

心配が一つ減り、ドゥーマの様子を見に行くザン。完全なパートナーとなった2匹のチーターが見事に狩りをしている姿が遠くに見える。ドゥーマは野生に戻ることができたのだ。しかし、そこにはザンの居場所はない。寂しげなザンの表情。草原に横になって父の言葉を思い出していると、そこにドゥーマがきて甘える。それで気持ちが吹っ切れたザンは、「おい、やったな相棒。カノジョを見つけたな」「気を付けるんだぞ」「寂しくなるな」と言うと、ドゥーマに背を向けてゆっくりと歩み去る。それを見たリプクーナは、優しく肩を叩いて一緒に去っていく。そこでシーンは替わり、ザンが農園で1人働いている母に駆け寄り、抱きつくところで映画は終わる。
  
  

   A の先頭に戻る                 の先頭に戻る
   アメリカ の先頭に戻る            2000年代後半 の先頭に戻る

ページの先頭へ