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Entrelobos エントレロボス/狼とともに

スペイン映画 (2010)

マヌエル・カマチョ(Manuel Camacho)が、逆境の中で生き抜いていく7歳の少年の姿を赤裸々、かつ、感動的に演じたもの。マルコス・ロドリゲス・パントーハ(Marcos Rodríguez Pantoja、1946~)が7歳で売られ、19歳で発見されるまでの実話を元に映画化されたもので、本人も2010年時点(64歳)のマルコスとして映画に登場している。この苛酷なサバイバル映画は、全編が現地ロケ。山地で狼と共生しながら生き抜いていくという点では『ジャングル・ブック』と若干の共通点はあるが、片や全編ブルー・スクリーンでの撮影。演じる子役にとって、この違いは大きい。狼との交流シーンも、本作では飼いならされているとはいえ本物、片やCG。フェレットとは舌で舐め合わないといけないし、木から落ちて骨折した時には、口でつる草を剥いだり、薬草を噛み切らないといけない。出演時8歳とされる(正確な生年不明)マヌエルにとっては、さぞや大変な撮影だったと思われる。取りあえず、大変さを分かってもらうために、メイキングで紹介されている木から落ちるシーンと、薬草を噛み切るシーンを紹介しておこう。最初の木から落ちるシーンでは、上の写真が枝から落ちる瞬間(もちろん、ロープを使っているが怖い)、下の写真は地面に落ちる直前(こちらは、ロープなし。高さ1メートルはある。痛そう)。
    
次は、草を噛み切るシーン。ばい菌は大丈夫なのだろうか?
   

父親と継母と暮らす2人の兄弟。継母には、自分の子供もいる。当然愛情はそちらに注がれ、死んだ前妻の子である兄弟には冷酷そのもの。一家の生計の糧である地主から預かった山羊5頭が狼によって殺された時、路頭に迷うことを恐れた継母の言い出したことは、「子供を地主に差し出せ」というものであった。7歳のマルコスは、地主から、奥地に1人で暮らしている老人の手伝いを命じられる。もう家には戻れない。山羊5頭の代りに売り飛ばされたに等しい。こんな残酷なことが19世紀ならまだしも、1954年のスペインで起きていたとは。マルコスは、洞窟に住む老人と一緒に住み始める。救いは、この老人が優しくて、マルコスに生きるすべを教えてくれたこと。飼っている山羊は地主のものなので、老人もミルクを絞る以外は手を出せない。だから食料は自分で調達するしかない。そこで、老人は、フェレットを使って兎狩りをしたり、様々な罠を仕掛けたりして生きてきた。そして、狼の声で吠え、餌を与えて狼と和睦を結んできた。そのすべてをマルコスに教えてくれたのだ。しかし、その老人も病気で死んでしまう。1人残されたマルコスには、教えられたことがなかなか実行できない。食べる物もなく、ハゲタカのたかっていた腐った鹿肉を食べては吐き、飢えて死にそうになった時、助けてくれたのは狼だった。映画の8割は、7歳のマルコスが狼と共生しながら生きていく姿を描く。共生と言っても、一緒に暮らしている訳ではなく、必要に応じて助け合うという対等の立場だ。「実話」という重みは大きい。マルコスの苦労も、だから一層涙をさそう。もっと多くの人に観られていい映画だと思う。なお、マルコスは、1975-76年にかけて学術的な聴取を受けたが、その経緯は、『LA PROBLEMATICA EDUCA-TIVA DE LOS NINOS SELVATICOS: EL CASO DE "MARCOS"(野生の少年の教育問題―マルコスの事例)』〔http://www.raco.cat/index.php/AnuarioPsicologia /article/viewFile/ 64461/88142〕に詳しく書かれている。それを少し見た限りでは、映画では説明されていないが、父の本業は炭焼き。継母と暮らしていたのはマルコス1人で兄はいない。だから、ここは映画の創作。山奥の老人と暮らし始めてからの生活も、7歳の少年が20年前のことを詳細に覚えているわけではないので、自然の中で1人で生きていくすべを学んだ点と、狼と共生関係を結んだというおおまかな筋は正しいが、細部がどの程度事実に即しているかは不明。ただ、聴取内容を読むと、最初に洞穴に着いた時のことを、「Me llevaron a la sierra, a una cueva. Salió un viejecito con barba que llevaba unos zapatos de corcho. Había lobos aullando, zorras, cabras monteses, ciervos, los venados, alacranes, culebras ... Por la noche yo oía estos animales y tenía miedo... No me preguntaba nada, ni hablaba conmigo, ni nada de nada.(彼らは私を山へ連れて行った。洞穴へ。そして、コルクの靴をはき、髭のある小さな老人に、私を預けた。狼の遠吠え、狐、野生の山羊、鹿、サソリ、蛇… 夜にはそれらの動物の音が聞こえ、私は怖かった…  私は老人に何も言わなかったし、老人も何一つ訊かなかった)」と述べている。映画とそっくり。また、狼との初期の関係については、「Al otro día, me viene muy despacito, muy despacito, arrimándose a mí, fui a un agujero de estos que hacía para las perdices y se la di, y se acostó, y se la comió.(次の日、狼は 非常にゆっくりと近づいてきて、私に鼻をすり寄せた。私は、優しくなでてやった。私は狼の穴にヤマウズラを持って行った。狼はそれを食べた)」とも述べている。ここも似ている。

マヌエル・カマチョは、最初から汚れた顔で登場し、次第に野生児と化していくが、素顔はかなり端正な顔の少年。8歳で、これほど大変な役をこなした少年は、稀ではないか。よく、やり通したと思う。潔癖症の人間なら、およそ耐えられないことを、一杯させられたのだから。マヌエルは、これ1作で懲りて映画界からは退いたと思っていたら、5年後にオーストリア映画『Brothers of the Wind(風の兄弟たち)』(2015)で、ジャン・レノと鷲と共演している。

以下のあらすじでは、いいシーンが多いため、文章が少ない分、枚数を多くした。


あらすじ

1954年、コルドバ県北端のシエナ・モレナ山脈。11歳と7歳の山羊飼いの兄弟が、地主の山羊の面倒を見ている。この地方では、広大な土地を所有する大地主が君臨し、その下で、多くの小作人が、山羊を飼って中世と紙一重の貧しい生活を強いられている。兄弟は、途中で淵のようになった小川にさしかかる。すると、汚れた体を洗おうと、兄が服を脱ぎ始める。背中には、継母に叩かれた跡が残る。マルコス:「きのう、鬼婆の奴、ひどかったね」〔鬼婆=継母〕。兄:「もう痛くない」。そして、水に入り、「来いよ。冷たいけど気持ちいいぞ」と弟を誘う。水浴を終えた後、岩の上に横になって話し合う2人。マルコス:「僕たち 見てるかな?」(1枚目の写真)。兄:「誰が?」。「母さん」。「もちろん、天国から全部見てるさ」。「天国にいると、なぜ分かるの?」。「アントニオ神父が言ってた。地上でいいことをした者は、天国に行けるって」。「鬼婆の奴は、無理だね」。2人が山羊を連れて帰る途中、突然 狼の群れに襲われる。兄弟と犬は必死で守ろうとしたが、狼から逃げるのが精一杯。貴重な山羊を5頭も失ってしまう。殺された犬(?)を首にかけて継母の前に立つ兄と弟(2枚目の写真)。継母:「何やらかした?」。兄:「狼の奴らが山羊に襲いかかって、5頭 殺した」。「5頭? このバカたれが! 一体、何してた? これから、何 食べりゃいい?」。「仕方なかった」。「言い訳は おやめ。山羊の面倒も見れない役立たず! 出てくんだよ! 顔も見たくない。出てけ!」。こうして兄弟は、夜、雨の降る外に放り出される。これほど悪辣な継母は、童話でも、映画でも、お目にかかったことはない。そこに父が帰ってくる。父:「坊主どもは、どこだ?」。継母:「あいつら、地獄に落ちるがいい。山羊が5頭 狼に殺された」。「なんてこった! 弁償できなんだら、ここから追い出されちまうぞ」。「追い出されたら、あたしら のたれ死にだよ。金をどうにかおし。ここは離れんからね」。「もう借金はできん。俺に どうしろと?」。「ガキを放り出しな。もう 十分 大きいからね」。「お前の子じゃ ないからな」。こう言いながら、ワインをボトルから飲む父(3枚目の写真)。そういうお金はあるのだ。
  
  
  

翌朝、マルコスが山羊の世話に出かけようとすると、父が、「荷造りしろ。出かけるぞ」と命じる。「どこへ?」(1枚目の写真)。「地主のとこだ」。「なんで?」。「いいから、黙って用意しろ」。「いいよ、でも、兄ちゃんも一緒だ」。継母:「いんや。あの子は残る」。「一緒じゃなきゃ、どこにも行かない」。「今すぐ 出て行くんだ。こっちへ来て、持ち物を詰めな」。マルコスは、兄に、「兄ちゃん、お願い、僕を放り出させないで」と頼む。マルコスをしっかりと抱き寄せ、放さない兄。そんな兄弟を、2人がかりで無理やり引き離す継母と父。父は、マルコスを、むしり取るように抱えると(2枚目の写真)、兄弟の抗議の声など無視して家から出て馬に乗る。兄は、行かせまいとする継母の手に噛み付いて弟を追うが、走る馬にはとても追いつけない(3枚目の写真)。「助けて!」。「マルキート!」〔マルコスの愛称〕の声がむなしく響く。残酷な「実父による子供ざらい」のシーンだ〔この部分は、脚色が大きいと思われる〕。
  
  
  

地主の邸宅を訪れた父。部屋に通され、「話して よろしいでしょうか、ドン・オネスト?」と訊く。オネストは、「正直者」の意味だ。こんな悪の権化のような人物が「正直者」という名前とは笑わせる。「何の用だ?」。「息子を連れて来ました」。「何て名前だ?」。マルコス:「マルキート」。「山羊の扱いが上手だと聞いているが」。答えようとしない息子の頭をぶって、父が答える。「とても上手です。山羊と一緒に育ちました」。地主は、部下のセフェリノを呼ぶ。「明日の朝、この子を老人の所に連れて行け」。初めて地主の顔を見るマルコス(1枚目の写真)。「そう致します、ご主人様」。セフェリノが出ていった後で、父がおもむろに、「それで… 山羊のことは、許していただけますね、ドン・オネスト?」と訪ねる。「今回は、許す。だが、今度やったら、放り出すぞ。分かったな?」。「はい、ご主人様」。父は、ここで一言 願い出ようとする。「最近、狼がよく出没しまして…」。「狼の話は 持ち出すな。家と馬を使わせてもらえるだけで ありがたいと思え」。狼を放置しておいて、狼に山羊が襲われたら、責任を取らせる。無責任かつ残酷だ。息子を1人置いて部屋から出ようとする父に、マルコスが、「父さん、どこへ行くの?」と訊く。「家だ」。「で、僕は?」(2枚目の写真)。背を向けて無言でドアを閉める父を見て、呆然と涙ぐむマルコス(3枚目の写真)。
  
  
  

セフェリノとマルコスは、途中で野宿し、出発して2日目の午後に、老人の住む洞穴に到着する。「やあ、アタナシオ爺さん。田舎暮らしは 健康にいいだろ」。老人はうつむいたまま、返事もしないで作業を続けている。「あんた、まだ、ふさぎ込んでるのかよ?」。答えがないので、セフェリノは持って来た5つの袋から1つだけ降ろして、「夏用に、小麦の袋を置いてくぞ。秋に、山羊を引き取りに来る」と言って立ち去ろうとする。その時、ようやく老人が沈黙を破った。「残りの袋は?」。「バリーヤの隠れ家を言ったら、全部やろう」。返事がないので、「じゃあな」と言い(1枚目の写真)、馬を進めながら、「その子は 置いてくぞ。山羊の世話の助けに連れて来た」と告げて去って行く。ポツンと残されたマルコス(2枚目の写真)。きっと、自分はどうなるんだろうと、不安で一杯だったことだろう。
  
  

洞穴は、入ってすぐの所が広くなっていて、その真ん中に赤々と大きな焚き火が輝いている。最初の夜は散々だった。老人は、焚き火をはさんで反対側を指し、「そこで寝ろ」と言っただけ。夕食として、丸ごと兎を1匹渡されたものの(1枚目の写真)、どうしていいか分からない。老人は、一切助けてくれない。マルコスは、小さな斧で兎を叩いて切れ目を付け、内臓を引っ張り出してみるが、皮の剥ぎ方を知らないので、それ以上どうにもならない。気持ち悪げに悪戦苦闘するものの(2枚目の写真)、最後には、なすすべなく、疲れて そのまま寝てしまう(3枚目の写真)。この部分は、恐らく脚色。
  
  
  

そのまま朝になり、マルコスは同じ姿勢で寝ている。老人はいつの間にか いなくなったが、頭の下には朝食の粥の入った木の椀が置いてある(1枚目の写真)。起きたマルコスは、こっそりと老人の後をつけ、罠から獲物を外したりする様子を物陰から見ているが、一番興味を惹かれたのはフェレットを使った兎狩り(2枚目の写真)。幾つもある兎穴に石で蓋をして、目当ての穴の出入口に網を被せ、別の出入口からフェレットを入れて兎を捕まえる方法だ。老人が見事に兎を捕まえたのを見て、ニッコり笑うマルコス(3枚目の写真)。
  
  
  

次の日も、マルコスは老人の後を付けて、様々な罠を見ていたが、そのうち老人から声がかかる。「Nene!」。スペイン語では「baby」の意味だが、ここでは「坊主」と訳しておこう。如何にも老人が言いそうなので。彼は、最後までマルコスを名前では呼ばず、「坊主」で通している。マルコスを呼んだのは、山羊の1頭が脚を折ったため。「坊主、こっちに来い」。「蛇に噛まれたの?」。「違う、脚を折ったんだ。小枝を何本かと、ロックローズと トウダイグサも少し要る」。マルコスが材料を取って来ると、「そっちを押さえてろ」「ロックローズは打ち身に効く」と言いつつ、骨折した部分の直し方を見せてやる(1枚目の写真)。この知識は、後で、マルコス自身がケガをした時、大いに役に立った。手当てが済むと、「洞穴まで 運んでやれ」と言って、マルコスの小さな体に 大きな山羊を背負わせる(2枚目の写真)。その夜、焚き火で兎を焼いた老人が、マルコスに肉を渡し、「ローズマリーを、取って来い」と命じる。暗くなった森に、ローズマリーを捜しに行くマルコス。そこに狼が現れる。唸る狼。怯えるマルコス。狼は、マルコスが思わず落とした椀に入っていた兎の肉を咥えると、去って行った。洞穴に逃げ帰るマルコス。「セニョール、狼が!」。「どこだ?」。「すぐそこ」。「兎を食べてたら、狼が、手から盗ってった」。「兎を持ってて幸運だったな。お前が食べられてたかもしれん。一匹狼には よく注意しないとな」。マルコスは、毛皮の陰に隠れて如何にも怖そうだ(3枚目の写真)
  
  
  

そんなことがあったので、次の日にはさっそく実地教育。老人が、狼の声を真似て遠吠えしてみせる(1枚目の写真)。これが、「餌をやるぞ」という狼への合図なのだ。さっそく、顔馴染みの狼がやって来る。それを見た老人は、「さあ行け」とマルコスに兎を持たせて行かせる。恐る恐る狼に近づいて行くマルコス。「今だ。投げろ」の声で、マルコスが兎を前に投げる。狼がウサグを取りにやって来る(2枚目の写真)。「動くなよ」。狼は、兎を咥えて去って行く。「戻って来い。だが、目を逸らすな」。戻って来たマルコスに、「これで分かったろ。どうやれば、狼の信頼が得られるか」(3枚目の写真)。その夜は、狼に対する注意が、さらに続く。「狼は、襲う前に周りを走る。こっちから、あっちと何度もやって、体に触れる。おののかせるためだ。怖がって、走って逃げると、首に飛びかかる。一巻の終わりだ」。「狼は、おじさんに何かした?」。「わしが、最初ここに来た時、山羊を何頭か殺した。それから、わしは、信頼関係を築いた。今じゃ尊敬されとる」。「どうやったの?」(4枚目の写真)。「今日、見せたのと 同じ方法だ」。
  
  
  
  

次の日も、生き抜くための実践教育が続く。兎狩りだ。「しっかり覆え」と穴に網を置かせる(1枚目の写真)。次に、フェレットを渡し、「この子を 穴に入れるんだ」。マルコスはフェレットを兎穴に入れ(2枚目の写真)、すぐに網を仕掛けた場所に移り、兎が来るのを待つ。「ほら、来るぞ」。マルコスは、飛び出してきた兎を網ごと捕まえる(3枚目の写真)。
  
  
  

ここからは、台詞がほとんどない。老人は、小さな黄色い花の脇を、マルコスに釜で掘り起こさせる。すると、中から芋のようなものが出てくる(1枚目の写真)。貴重な澱粉源だ。次は、ツグミの捕らえ方(2枚目の写真)。「ツグミがここにとまると、馬の毛に絡まる」。その様子を、じっと見るマルコス(3枚目の写真)。
  
  
  

河原では、何かの仕掛け。残念ながら何を獲るものなのかは分からなかった。仕掛け前と、掛かった後の写真を対比して並べるにとどめる。ここでも、マルコスの笑顔が見られる。3枚目の写真は、狼の親子の観察。まだ慣れていないので、マルコスは怖そうだ。
  
  
  

その夜、老人と親しくなったマルコスが、話し始める。「あの日はとっても変だった。僕をぶたなかったんだ。あの女は、僕を嫌ってた。僕ら 兄弟を」(1枚目の写真)。「父さんは、見て見ぬふり」。そう言った後で、「だけど、ここじゃ すごく幸せだよ」と老人を見てニッコリ笑う(2枚目の写真)。
  
  

その時、外で、物音がする。「誰だ?」。外からは、フクロウの鳴き真似。「仲間だ。バリーヤが来た」。バリーヤは、地元では、あらゆる犯罪の根源とされるお尋ね者で、憲兵が捜しまわっているが、実は、スペイン内戦の生き残りが、反体制の抵抗組織の首領になっただけで、盗賊ではない。老人も、後から分かる理由で、バリーヤを匿うのに一役買っている。焚き火を囲んだ僅か5名ほどの男たち。バリーヤ:「誰かが、ドン・サムエルの農場を襲って護衛を殺した。『全部の鳥が小麦を食べたのに、罪はスズメに課せられる』。恥知らずの連中だ。正義の名の元に戦うなんて、ついてない。それが 何になる? これを見てみろ。ただの 逃亡者だ」。別の義賊:「4日間、寝てない。昨日、ドロテオが言ってた。50人の憲兵が 俺達を捜してる」。老人:「それで、奴の言ったことが分かった」(1枚目の写真)。バリーヤ:「奴って?」。「セフェリノだ。奴は、5袋の小麦を渡すはずだった。何て言ったと思う? お前さんの隠れ家を言ったら、小麦を全部よこすとさ」。ここで、マルコスが口をはさむ。「僕が、セフェリノと ここに来た時、憲兵と遭ったよ。あんた達を 捜してた。ドン・マルティンの農場から 豚を盗んだって言ってた」(2枚目の写真)「それから、セフェリノに訊いてた、あんたの居場所を知ってるかって。教えた者は、大金をもらえるんだって」。バリーヤ達は、少し休んだだけで、「憲兵が いつ現れるかもしれん」と言って出て行った。
  
  

また、2人だけになり、マルコスが老人に尋ねる。「おじさんは、なぜ、一人なの? 家族は いないの?」(3枚目の写真)。「ほとんどいない。妻と子供達は、戦争で殺された。わしは、山羊と茂みにいて、突然、爆音を聞いた。何か悪いことが起きたと思って、町まで 走り通した。着いた時には、死にたくなった。トマだけが生きてた… 長男だ。市街戦に出ていて 助かった。愛する者のすべてを失った。だから、ここに来たんだ。ここにいて、悲しみを心に 閉じ込めるためにな」。
  

翌日の朝、バリーヤへの追撃があったせいか、老人は元気がない。「坊主。山羊を連れて行け。わしは、気分がすぐれんから、ここにいる」。マルコスは、「じゃあ、また今夜」と言ってでかける。途中、くたびれて草地で寝ていると(1枚目の写真)、そこに狼の子供が寄ってくる。ハッと目が覚め、すぐそばに狼がいるのに気付き、一旦は身を引いたが、小さな狼の人懐っこそうな目に安心して、手を伸ばす。犬のように、ペロペロと手を舐める狼。嬉しくなったマルコスは、狼と戯れる(2枚目の写真)。マルコスの生涯の友となる狼との、重要な出会いのシーンだ。マルコスは、この狼を「Lobito(チビ狼)」と呼ぶことにした。後をつけていくと、そこにはチビ狼の兄弟が2匹いた。仲のいい3匹を見ていて、嬉しそうに笑うマルコス。
  
  

まだ夕方でもないのに、マルコスは山羊をほったらかしにして、洞穴に駆け込む。喜び勇んで、「すごい経験したよ。きっと、信じない!」と話しかけるが、老人の具合は思ったより悪そうだ。「熱があるね」。「熱を冷ます薬草を、煎じてくれんか」(1枚目の写真)。薬草はストックがあるので、マルコスはすぐに鍋に水と薬草を入れる。「すぐ良くなるよ。僕、ここを離れたくないんだ」。そう言って体を寄せるマルコスを、老人が抱きしめる(2枚目の写真)。
  
  

次の日、昨日3匹の子狼を見た場所で、気長に待つマルコス。かなりの時間が経ちあきらめかけた時、チビ狼がおずおずと寄って来る。優しく撫でてやるマルコス(1枚目の写真)。人間とじゃれているので、心配した母狼が後ろから近づいてくる(2枚目の写真)。チビ狼は、さっそく退散して行った。この話を報告をしようと、マルコスは洞穴に帰るが、老人はいなくなっていた。
  
  

老人は、洞穴の近くの草原で、苦しそうに横になっていた。心配したマルコスは、「セニョール、どうしてここに来たの?」と訪ねる。「中は暑すぎてな、ここなら 新鮮な空気がある」。「まだ 痛むの?」。「ああ」。そして、老人は意を決して話しかける。「坊主、お別れだ」。「どこへ行くの? 歩けないのに」。「彼方へ。ずっと前から、行きたかった」。老人の意図することを理解したマルコスは、「じゃあ、僕も連れてってよ」と言う。「何で?」。「母さんに会いたい」。老人は、話題を変える。「聞くんだ。もし、彼が生きてたら… いつの日か… また、会うだろう」。「彼って?」。「バリーヤだ。怖がるな… わしの息子、トマだ」。そう言うと、首に付けていた狼の牙のついた紐を、「持ってろ。お前を守ってくれる」と掛けてやる(1枚目の写真)。「いいか、何があっても、火を絶やすんじゃないぞ」。それが老人の最後の言葉だった。老人にしがみついて泣くマルコス(2枚目の写真)。実話だと分かっているので、可哀想で観ていられない。
  
  

ここから15分以上にわたって台詞はゼロ。マルコスしかいないので、話す必要がないからだ。老人が死んだ直後からマルコスを襲ったのは空腹だった。確かに、老人は罠の掛け方や、兎狩りの方法を教えてくれた。しかし、老人の指導の元で、言われた通りにするのと、実際に自分一人でするのとは全く違っている。河原の仕掛けには何も掛かってくれない(1枚目の写真)。石の罠の下も空だ(2枚目の写真)。茂みの通り道に掛けた針金の罠もダメ(3枚目の写真)。そして、真打とも言えるフェレットを使った兎狩り。兎の出入口には一杯穴が開いている。全部を石で塞げばいいのだが、塞いでない穴もある。せっかく網を広げて待っていても、兎は別の穴から逃げていってしまう(4枚目の写真の矢印)。何度やってもダメ。成果はゼロ。最後は、山羊の乳を搾ろうとするが何も出て来ない。仕方がないので、乳首を咥えて吸う(5枚目の写真)。本当に咥えている。その日は空腹をかかえて寝ることに。
  
  
  
  
  

翌日。何も掛かっていないツグミの罠の下で、がっかりして横になり、筒からフェレットを取り出す。最初に会った時からの仲良しなのだ。フェレットの頭をつかんで口元に持っていき、舐め合う。1枚目の写真では唾液がつながっているし、2枚目の写真は舌と舌が触れている。何度も頭を撫でてやり 抱きしめる(3枚目の写真)。マルコスにとって、唯一の友達なのだ。フェレットというと聞こえがいいが、要はイタチの一種、俳優も大変だと思う。
  
  
  

そして、いよいよ鷲のシーン。マルコスの目の前の草原に、突然兎が何匹も現れた。しかし、上空には鷲がいる。見上げるマルコス(1枚目の写真)。鷲は、急降下して兎を捕らえた(2枚目の写真)。そして、木の上の巣へ運んでいく。マルコスは鷲を追いかけ、巣のある場所がそれほど高くないので、登って行って兎をいただこうと決心する。太い幹を登り、枝を渡って巣に近づく(3枚目の写真)。しかし、もうちょっとで手が届きそうになったところで(4枚目の写真)、バランスを崩して枝から落下(5枚目の写真、および、冒頭の解説のメイキング映像)。地面に叩き付けられる。左手首を脱臼もしくは骨折する。
  
  
  
  
  

マルコスは、以前、老人が山羊に施した治療を思い出し、左手首を庇いつつ地面を這い(1枚目の写真、および、冒頭の解説のメイキング映像)、草むらに生えていた低い潅木を右手で折り取り、歯で先端を噛んで皮を剥ぐ(2枚目の写真)。隣に生えている薬草の茎を歯でつかむと、そのまま折り取る(3枚目の写真)。これに、落ちていた小枝を何本も集めて、さっき剥いだ皮を巻きつけて固定する。あまりの痛さに悲鳴をあげる(4枚目の写真)。いくら実話だといっても、あまりにも悲惨だ。それに、演技する方も、汚いものを一杯口に含み、大変だったと思う。
  
  
  
  

しかし、危機的状況がこれで終わった訳ではない。手が不自由になった分、当然、悪化の一途を辿る。右手だけでは何もできない。小川で水を飲もうとして、魚のいることに気付き、右手を突っ込んで捕らえようとするが、当然、そんな簡単には捕まらない(1枚目の写真)。そして、片手では兎狩りはできない。どうしようもなくなり、岩にもたれたまま声を上げて泣き出すマルコス(2枚目の写真)。疲れて河原で寝ているマルコスの上を、ハゲタカの群れが舞う(3枚目の写真、矢印はハゲタカの影)。心配したフェレットが顔を舐めて、目を覚ましたマルコスが、ハゲタカの群れに気付く(4枚目の写真)。このままでは、早晩ハゲタカの餌食になるのは目に見えている。フェレットの筒を必死で持ち、何とか河原から脱出するマルコス(5枚目の写真)。
  
  
  
  
  

そうして進んでいるうち、マルコスは、ハゲタカが死んだ鹿をつついているところに出くわす(1枚目の写真)。「いっちまえ!」と大声で叫んでハゲタカを追い払い、ハゲタカのつついた後に顔を突っ込み、肉を食いちぎる(2枚目の写真)。顔中に、鹿の血が付いてしまう。しかし、一口かじっただけで、戻って来たハゲタカに追い払われてしまう。生存競争は厳しいのだ。だが、腐った鹿の肉の代償は大きかった。洞穴に戻って、食べたものを吐くマルコス(3枚目の写真)。こうして、体力はどんどん消耗していく。
  
  
  

餓死寸前のマルコスが、翌日 目を覚ますといつもと何か違っている。体を少し起こし、洞穴の入口に目を凝らす(1枚目の写真)。何かある! やっとの思いで立ち上がり、そろそろと近づくと、入口の岩の上に鹿の骨付き肉の一片が置いてあった(2枚目の写真)。マルコスが正面の丘の上を見ると、そこには「チビ狼」の姿が(3枚目の写真)。マルコスの様子を心配して見ていた狼が、自分達の分の一部を分けてくれたのだ。実話なので、子狼の思いやりに感心してしまう。マルコスが肉を取ったことを確認した狼は、姿を消した。
  
  
  

ここで、映画は夏から秋へと一気に飛ぶ。マルコスの髪がボサボサに伸びている。彼が布をナイフで切り裂いていると、狼の遠吠えが聞こえる。ハッとして顔を上げる。目が鋭い(1枚目の写真)。遠吠えの聞こえた方に走っていくと、狼の親子が 鹿にかぶりついている。すると、チビ狼が、肉を一切れ咥えてトコトコと歩いて来て(2枚目の写真)、マルコスの近くの岩の上に置き、去って行った。さっそく近づいて行き、肉を受け取るマルコス(3枚目の写真)。振り返ってマルコスを見た狼に、笑顔を見せる。
  
  
  

しかし、この時点でのマルコスは、狼に養われているわけではない。次のシーンで、マルコスは地面を掘り返し、以前、老人に教えられた芋のようなものを捜し当てて喜んでいる(1枚目の写真)。次には、罠に小動物が掛かっているのを見つける(2枚目の写真)。極め付きは、フェレットを使った兎狩り。老人に死なれた直後はどうやっても獲れなかったのに、今では、兎の出てくる穴を的確に予想し、見事に捕らえることができるようになった(3枚目の写真)。
  
  
  

兎を獲ったマルコスは、岩場の上まで走って行くと、狼の声を真似て遠吠えをする(1枚目の写真)。如何にも慣れた様子だ。遠吠えをきいて、チビ狼が駆け寄ってくる。獲ったばかりの兎を渡してやるマルコス(2枚目の写真)。薄汚れてはいるが、嬉しそうなマルコスの顔が印象的だ(3枚目の写真)。こうして、マルコスとチビ狼の間には一種の共生関係(友情と呼んでもいいかもしれない)が出来上がっていた。
  
  
  

そこに、大きな事件が起きる。かつて、別れ際にセフェリノが老人に言ったように、秋になったので山羊を引き取りに来たのだ。セフェリノが「アタナシオ!」と何度も呼ぶが、返事はない。マルコスは洞穴から出て、茂みに隠れている。「クソじじいめ、どこに行った? アタナシオ! 1日中 待っとれんぞ! なんで山羊が、囲いにいるんだ?」。洞穴に入って来たセフェリノは、「俺と 隠れん坊でもする気か?」と言い、返事のないことへの見せしめに、大事な焚き火に小便をかけて消してしまう(1枚目の写真)。洞穴の外から、心配そうに見ているマルコス(2枚目の写真)。洞穴から出てきたセフェリノに、部下から「ねえ、ボス! こっちへ!」と、声がかかる。そこは、老人が死んだ場所だった。草地の一部が長方形のように囲まれ、中に人骨が散らばっている。それを見たセフェリノは、「長くはないと 思ってたが」「黙ったまま死にやがって」と言って、頭蓋骨を蹴り、唾を吐きかける。セフェリノは、老人がバリーヤの父親だと知っていて、賞金稼ぎのため居場所を訊き出そうと狙っていた。その思惑が外れたので、怒ったのだ。囲いに入っていた山羊は、部下に命じて連れて帰らせる。
  
  

山羊が行ったのを確認して、マルコスは洞穴に駆け込み、消えてしまった焚き火を何とかしようと息を吹きかける。すると、もしやと戻って来たセフェリノが、背後からこっそりと忍び寄る。それに気付いたマルコスが逃げようとするのを捕まえると、「何を隠れてた?」とか「一人でどうやって生きてた?」などとは訊かず、「バリーヤがどこに隠れてるか、知ってるか?」と訊く(1枚目の写真)。利己主義の塊のような醜い人間だ。悪辣度では継母に匹敵する〔恐らく脚色〕。マルコス:「放せ!」。「奴は どこに隠れてる?」。「知らない!」。「痛い目に遭いたいか? あのじじいは、奴を助けてたんだろ?」。「知らないよ!」。「このクソが。吐かせてやるぞ」。そう言うと、マルコスを脇に抱え、連れ出す。山羊たちと一緒に連れ去られるマルコスを見る狼の一家。狼の唸り声を聞き、動揺する山羊の群れ。馬も怖がって棒立ちになる。セフェリノが銃を取ろうとした隙を見逃さず、マルコスは馬から飛び降りた(2枚目の写真)。狼に囲まれているので、「お前なんか 食われちまうがいい」とマルコスをあきらめ、セフェリノは去っていく。マルコスは、小川の中を上流に向けて走って逃げ、その後を狼の一家が追っていく(3枚目の写真)。こうして、マルコスは狼に助けられた。
  
  
  

冬。辺りは一面の雪。そこに、セフェリノと2人の部下が、猟銃を手に現れる。目的は、自分たちを襲った狼の射殺。狼の3兄弟が揃って餌を探しているのを見つけ、遠くから銃で狙う(1・2枚目の写真)。3人で3匹を狙ったので、2匹は即死。「チビ狼」だけは、瀕死の重傷を負い、かろうじて逃げる。「セフェリノさん、1匹逃げました」。「放っておけ。あの傷なら死ぬ」。近くで兎を獲ろうとしていて銃声を聞いたマルコスが、近くに寄ってきて様子を伺っている(3枚目の写真)。セフェルノ達は、殺した2匹の狼を馬に乗せて帰って行った。
  
  
  

マルコスは、雪の上に残る血の跡を追って倒れているチビ狼を発見すると、肩に背負って(1枚目の写真)、洞穴まで連れ戻った。そして、撃たれた脚を薬草で手当てし、首にキスし、体を撫でてやる(2枚目の写真)。洞穴に取っておいた干肉を少し切って「さあ、少し食べろ」と口元まで差し出すが、狼は弱っていて食べない。代りに自分の口に放り込み、しばらく噛んでから、フェレットを抱き寄せ、一部を取り出して仲良く分け合う(3枚目の写真)。
  
  
  

恐らく翌日。雪の積もった草原の隅でマルコスが地中から何かを掘り出し、食べている。その時、近くに雷鳥のいるのを見つけ石をぶつける。雷鳥は逃げたが、マルコスがびっくりしたのは、雷鳥の載っていた岩に石が当たった時、火花が散ったこと。マルコスは急いで岩に駆け寄ると、石で岩を叩く。1枚目の写真には、火花が飛んでいる(矢印)のが、かろうじて映っている。マルコスは、岩からむしり取った苔(?)に飛んだ火花に慎重に息を吹きかけ、炎にすることに成功した。秋に小便をかけられて焚き火を失ってから数ヶ月、ようやく火を手に入れることができ、如何にも嬉しそうなマルコス(2枚目の写真)。彼は、石の板に炎の付いた苔や枯れ枝を乗せると、慎重に洞穴まで持ち帰った(3枚目の写真)。そして、チビ狼に「すごいものを持って来た。これで、良くなるぞ」と語りかけると、焚き火の定位置にそっと置き、上から枝を置いて炎を燃え上がらせた(4枚目の写真)。「じっとして、チビ狼。もう、安心していいぞ。うんと気持ちが良くなるからな」。そして、狼を抱き寄せ、頭を優しく撫でてやる(5枚目の写真)。1時間23分。ここで、少年時代のマルコスの話は幕を閉じる。
  
  
  
  
  

ここからは、1965年。マルコスが19歳で「発見」された年。その前半では、大きくなった「チビ狼」と大人になったマルコスがじゃれ合うシーン(1枚目の写真)や、一緒に遠吠えをするシーン(2枚目の写真)が含まれる。後半は、マルコスがセフェルノによって拿捕され、憲兵隊によってロープで縛られて下山するシーン(3枚目の写真)や、それを見送る「チビ狼」(4枚目の写真)のシーンが含まれる。トータルの時間は18分。内容はもう少し複雑だが、マヌエル・カマチョには無関係なので、これだけに留める。19歳のマルコスは、その後、シエナ・モレナ山脈の北の町フエンカリエンテ(Fuencaliente)に連れて行かれ、ほとんど忘れていた言葉を神父に習った後で、マドリードのヴァレーオ財団の回復期病院に入院。その後は、兵役に就いたり、福祉関係の仕事に就き、現在は、スペイン最北西端にあるガリシア地方の田舎の村で、信頼できるパートナーと一緒に住んでいる(都会の喧騒と臭いが大嫌いだとか)。
  
  
  
  

映画の最後は、2010年、映画の撮影に合わせて、マルコス・ロドリゲス・パントーハ本人がシエナ・モレナ山脈を訪れるシーンになっている。昔登った岩場に行き、狼の遠吠えの真似をする(1枚目の写真)。そして、岩場に上着を脱いで横たわって待つ。そして、現れた狼と楽しく戯れる(2枚目の写真)。現れたのが、かつての「チビ狼」だと思いたいが、マルコスが7歳の時に1歳だった狼が半世紀後に生きているはずがない(野生の狼の平均寿命は5-10年)。そうかと言って、野生の狼が見知らぬ人間に親しく近づいて行くとも思えない。だから、感動を削ぐようだが、この部分は完全な「やらせ」。好意的に解釈すれば、映画の最後に、何とか本人に登場して欲しかったのであろう。
  
  

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