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Ford v Ferrari フォードvsフェラーリ

アメリカ映画 (2019)

今から半世紀以上前、1966年6月18-19日に行われたル・マン24時間レースで、フォードがアメリカの自動車メーカーとして初めて勝者となった実話を描いた映画。この映画の中には、悪役が1人登場する。フォードのNo.2、マーケッティングが専門のレオ・ビーブだ。彼は、ル・マンを走る技術の困難さについては全くの無知・無関心で、車を売ることしか考えていない。そうした人物を、ル・マン制覇計画のトップに据えた社長のヘンリー・フォード2世を含め、カーレースの世界に相応しくない人物がひしめく中、すべてを任された元レーサーでスポーツカー工房の持ち主キャロル・シェルビーと、彼の下で 主導的に実験車両の弱点を指摘し、高速化と耐久性強化を目指す現役のレーサー、ケン・マイルズの2人が映画の主役。ただ、映画は “映画” なので、必ずしも “実話” ではない。しかも、半世紀以上も前のことで、当事者は誰も生きていない。こうした中で “正しさ” を追求する意味がどこまであるかは分からないが、映画の流れは、あくまでレオを悪役に仕立てる。初対面で悪印象を持ったケンを、ル・マンに参加させまいとし、シェルビーはそれに何とか対抗して出場させる。そして、その結果は、ル・マン史上に残る異様なものだった。最大の目的であるフェラーリが途中でリタイヤして敵がいなくなると、フォード社は、トップを走っていたケンの車を減速させ、3台のフォード車を並んでゴールさせるという “写真映りがよく、宣伝効果が期待できる行為” を命じる。映画では、この カーレースの精神とは程遠い愚劣な案の提案と強制をレオの責任にしたため、映画の公開後、「レオ・ビーブは企業の悪役か、それとも、困難な仕事をこなした いい奴か?」という投げかけがネット上に数多く現われる。それは、レオが1972年に55歳でフォードを退社した後、グラスボロ(Glassboro)州立大学(ニュージャージー州)に非常勤の教授として移り、最後は経営学部長にまでなったため、そうした時代しか知らない者から見て、異質に思えたからであろう。レオがこの案を、ル・マン制覇計画のトップとして社長に提案したことは事実だが、映画では、それ以外にレオの人格を疑うような “意地悪シーン” がちりばめられており、それらは明らかに脚本上の操作なので、実在の人物を、死んでいるからと言って貶(おとし)めるのが正しいことだとは思えない。しかも、あらすじの中で詳しく紹介するが、3台同時ゴールという愚劣な案の創案者は、どうやら、このレースで、2位から1位に繰り上がったレーサーのマクラーレンらしい。また、別の見方をすれば、最終決定者はヘンリー・フォード2世なので、愚劣な案は社長の判断でストップすることもできた。悪者はどこにでもいる。

映画は、1963年から始まる。登場するのは、車を極限まで走らせることが大好きなケン・マイルズ。生粋のイギリス人で、1951年にアメリカに帰化、以来、ハイウッドに定住し、小さな店を構え、スポーツカーのチューニングを生計の手段とする一方で、自費でレースに出ては何度も優勝をしていた。1人息子のピーターは、それに感化され、時間さえあれば父のそばで、自動車に触れる日々が続く。ケンの才能と変人ぶりは知れ渡るようになっていて、ウィロースプリングスのレースで優勝した際、アメリカでの有数のレーシングカー製造社のオーナー、シェルビーからスポンサーを付けるように忠告される。ケンの “客に嫌われる” 店は、税の未払いで差し押さえられ、44歳のケンは、やむなく一介の職工として他のガレージで働くことになる。そんな時、ル・マンでの打倒フェラーリを旗印に掲げたフォード社は、シェルビーにレーシングカーの製造を委託、シェルビーは、そのドライバーにケンを推す。ケンは、ル・マン制覇という壮大な夢に惹かれて仕事を引き受け、原型モデルの改良に全力を注ぐ。ピーターは 週末や夜 父と一緒にシェルビーの工房に行く。ただ、ケンの歯に衣着せぬ物言いは、フォードのNo.2のレオ・ビーブとの初対面で決定的な悪印象を与えてしまい、1965年のル・マン挑戦の時は、フランスにも行かせてもらえない。この時、惨敗したシェルビーは、社長のフォード二世から責任を問われると、社内の風通しの悪さが敗因だと直言し、社長1人をボスにと希望する。しかし、その半年後、社長はレオ・ビーブをル・マン制覇計画のトップに据えるという最悪の人事を断行する。そのため、ケンはレオによって、再びル・マン行きを阻止されかかるが、今度はシェルビーが先手を打ち、何とかケンをル・マンに行かせることに成功する。そして、問題の1966年のル・マン。開始後17時間でフェラーリは2台ともリタイヤし、残ったフォード車3台が独走態勢に入る。敵が消えたことを知ったレオ・ビーフは、宣伝上最も効果のある方法として、フォード車3台の同時ゴールを社長に提案し、OKを取ると、シェルビーを通しケンに減速を迫る。ケンは、最後の一周までレーサーとしての意地を通して運転すると、そこで一気にスピードを落とし、後続の2台が来るのを待ってゴールする。しかし、ル・マンの規定により、同着の場合は、走行距離の長い方が勝者となることが知らされ、予選の順位が下で後方からスタートしたマクラーレンに優勝を奪われる。ケンは、その2ヶ月後、新しいレーシングカーの試走中、ピーターの見ている前で死亡する。

この映画を観る人は、カーレースの熱い世界を見たいか、マット・デイモンとクリスチャン・ベールを見にきたのかのどちらかで、ケン・マイルズの一人息子ピーターなど どうでもいいに違いない。しかし、映画の中で、ピーター役のノア・ジュープ(Noah Jupe)は 思ったより出番が多い(撮影時は13歳)。4人のうちの1人だった『クワイエット・プレイス』よりも、出番が多い。上映時間が1.7倍長いせいかも知れないが、短いシーンでも必ずノアを入れようとした監督の積極姿勢によるものであろう。ただ、個々の出演時間はとても短いので、演技はさせてもらえない。あらすじ作成に当たっては、映画の終盤までは、ノアの写真3枚、プラス、状況説明の1枚という変則的なスタイルを採用した。終盤のレースのクライマックスは通常に戻したので、ノアの写真は少なくなっている。最後に、『太陽の帝国』で子役として最高の演技を見せてくれたクリスチャン・ベールの名優ぶりが見られるのは、たとえ本人が44歳になっても、嬉しいの一言だ。2018年にはゴールデングローブ賞の主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を獲得し、アカデミー主演男優賞にノミネートされた。この映画でも、ゴールデングローブ賞の主演男優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。アカデミー主演男優賞は、いつ取れるのだろう?

あらすじ

ケン・マイルズのチューニング専門店の中で、息子のピーターがおもちゃのレーシングカーを走らせて遊んでいる(1枚目の写真)。すると、客の文句の声が聞こえてくる。①何度電話をかけても出ない、②車の調子がかえって悪くなり、動かなかったり 爆発音がする。この前後、オープニングクレジットが出ているのだが、ピーターが心配して振り返って時、ちょうどNoah Jupeの名前が表示される(2枚目の写真)。父は、「車はどこも悪くない。運転のされ方がそのまま出てるだけだ」と イギリス発音丸出しで言う。さらに、「燃料が多すぎ、点火が不十分だから、エンジンがかからない」とも。客が 「どういう意味だ?」と訊くと、「あれはスポーツカーですよ。だから、スポーツカーみたいに運転してやらないと。学校の先生みたいに運転したら息を詰まらせちまう」(3枚目の写真、後ろに映っているのは、1962 MG MGA 1600 Mark II Roadster)「チェンジアップは5000rpm〔毎分回転数〕で。本気で、びしっと きびきび運転すれば、きれいに走りますよ」。客が、「俺が、運転の仕方を知らないと言ってるのか?」と怒ると、「言わせてもらえば、あれは、あなた向きじゃない。プリムスかスチュードベーカー〔共にアメ車〕がお似合いでは」と言い、それを聞いたピーターが思わずニッコリする(4枚目の写真)。客は、それまでのチューニング代も払わず、怒って出て行ってしまう。これでは、経営がうまくいくはずがない。

ピーターは、客が悪口を言って出て行くのを見ている(1枚目の写真)。MGは、父のチューニングのせいで、急発進して去って行く。その危なっかしげな運転を見送りながら、二度と来ない客にむかって、「さよなら〔Ta-ra/イギリス方言〕」とつぶやく(2枚目の写真、左の矢印は妻、右の矢印はピーター)。「お客さん、満足した?」。それからあとの妻との会話は、父が演じる “一人の男性” と、母が演じる “車好きの女性” の間で交わされる 一種のお遊び。ピーターは、写真の額を置きながら、またかといった顔でそれを見る(3枚目の写真)。これが、ケン・マイルズ一家の初登場シーンになる。

ケン・マイルズの次の登場シーンは、ウィロースプリングス(Willow Springs)にあるサーキット。ケンのレースカーのチェックをしていた検査官は、トランクが閉まらないのは失格だと言い、怒ったケンはハンマーでトランクの蓋を裏から何度も強打して凸凹にし、何とか閉まるようにする。その短気ぶりを見ていたシェルビーは、「負けるのが好きなのか、ケン?」と、暴れ馬に教えようとする。ケンは、持っていたスパナ〔映画の台詞では “wrench” となっているが、どう見てもスパナ〕をかざすと 「俺は負けん」と言う(1枚目の写真、矢印)。「スポンサーがつかんと勝てないぞ。勝たなきゃ、負け犬だ」。それを聞いたケンは、「これで殴られ〔lamp〕たいのか?」と不快感を示す。「息子をわざわざここまで連れてきたのは、失格になるのを見せるためか、間抜けづらを曝すためか?」〔ハリウッドにあるケンの店の北約90キロ〕。この言葉でケンはシェルビーに向かってスパナを投げ、シェルビーが避けたので、スパナは その後ろにあった自分のレースカーの窓ガラスを一部割ってしまう。シェルビーは、「それが答えか」と言って去り、ケンは、息子のピーターと目が合う(2枚目の写真)。レースが始まり、会場の解説者が、「1963年のウィロースプリングス100にようこそ」〔開催日は11月17日〕と言うので、“今” が1963年だと分かる12台のレースカーがスタートラインに向かってゆっくり走っていく。並走していたレースカーのドライバーが、「おい、ケン、お前のシールドどうした?」と訊くと(3枚目の写真、矢印)、ケンは、「新しいデザインだ」と返す〔スパナで割れたガラスの端部を 茶色の物質で補強してある〕。レースが間もなく開始されるとアナウンスがあり、ピーターを含め、観客は一斉に拍手する(4枚目の写真)。

レースのシーンは、CGではなく実写なので迫力があるが、逆に映像は単調にならざるを得ない。残り22周で、ケン・マイルズは3位に付けている。ピーターは、コースの間際まで行き、心配そうに見守る(1枚目の写真)。残り1周となり、シェルビーはコンクリートの上に放置されていたケンのスパナを拾う。2位がコースアウトし、ケンが2位に上がる。そして、最終コーナーを抜けたところで首位のガーニーと並び、最後は一気に加速して競り勝つ(2枚目の写真、矢印がケン)。ピーターは雄叫びを上げる(3枚目の写真)。父は、ピーターのそばにレースカーを寄せると、「乗れよ」と声をかける。ピーターが嬉しそうに乗り込むと、父が、「俺は、ハッピー」と歌い始め、ピーターも唱和する(4枚目の写真)〔このシーンは、https://www.cinemablend.com/ によれば、脚本にはなく、最初のテイクの時、Christian Baleが「乗れよと言っちゃダメなのか?」と監督に訊き、監督が、「いいじゃないか、やってみろ」と応じ、シーンに入ったもの。変わった歌は、Christian Baleが子供の頃、イングランドで覚えたもの。Noah Jupeもイギリス人なのですぐに唱和できたとのこと〕〔なお、史実では、ケン・マイルズは1963年のウィロースプリングス100の優勝者ではない。1963年に彼が優勝したのは、Hawaiian Grand PrixとSecond Running Dodger Stadium Road Racesの2つ(http://www.wsrp.cz/natus1963.html)。その前年には12回優勝しているが、ウィロースプリングスではない。なぜ、映画では、ここにしたのだろう?〕

夜、ケンが、眠ってしまったピーターを抱いて 口笛を吹きながら妻の待っている玄関まで行く。そして、「やったぞ」と嬉しそうに言うが、妻の顔は冴えない。「どうした?」。「IRS〔内国歳入庁〕が来たの。ガレージを差し押さえられたわ」。ケンは、スポンサーなしでレースに参加していたので、チューニング専門店での僅かな稼ぎをすべて注ぎ込み、“豆粒一つない” 極貧〔not have a pot to piss〕になっていた。「Ford v. Ferrariの 何が実話で何がフィクション」という特集(https://slate.com/)でも、1963年初頭に税の未払いのため差し押さえられたと書いてある。別な日の朝、ピーターは大きな音で目が覚める(1枚目の写真)。窓からは、父が、せっかくもらったトロフィーを、全部ゴミ箱に捨てているのが目に入る。キッチンでは、妻が 「日銭を稼ぐために レースをあきらめる必要はなくてよ」と、極端な変身を止めようとする。「あきらめるとも。十分楽しんだ。家族を養っていくべき時だ〔time to put food on the table〕。もう45なんだ」〔ケンは、1918年11月1日生まれ〕。夫婦が話している間に、ピーターはゴミ箱からトロフィー全部を持ってくると、自分のベッドの下に隠す(2枚目の写真、矢印)。そして、部屋の入口に立って、2人の話を聞く。母:「レースをやめたら、我慢できなくなるわよ」。「回り道〔round the Wrekin/イギリス方言〕は止めよう。終わったんだ。いい方に考えよう」。この言葉を聞き、父のレースが大好きなピーターは悲しくなる(3枚目の写真)。

その後、フォードによるフェラーリ買収が失敗する場面が入るが、これは1963年4月に実際に起きたこと。ただし、その時、フェラーリの社長がフォードに対して並べた侮辱的な言葉はフィクション。「フォードは醜い工場でちっぽけな車を作る」「重役連はクズども〔sons of whores〕」「社長は石頭〔pigheaded〕」。映画では、これらの言葉に怒ったフォード二世が最高のエンジニアを集めて復讐することを決意するので、観ていて分かりやすい。そして選ばれたのがシェルビーの率いる “個人向けのカスタム車両” をするシェルビーアメリカン社。フォードの副社長の1人アイアコッカ〔1970年に社長、1978年クライスラーの社長、1979年に会長〕が会社を訪れるが、簡潔な社長室に飾ってあったのが、ウィロースプリングスでケンが投げつけたスパナ(1枚目の写真、矢印)。シェルビーは、ル・マンでフェラーリに勝つという大役を任され、そのための必須条件として、ケンを要求する。OKを取ると、シェルビーはさっそくケンを連れて食堂に行き、打ち明ける。それを聞いたケンは、「あんた、あのフェラーリ親爺を、フォードの車で負かそうってのか?」と呆れる(2枚目の写真)。「そうだ」。「何年かかると話したんだ? 数百年?」。「90日」。ケンはケラケラと笑う。ケンが一番危惧したのは、フォードの技術力ではなく、大企業を構成する多様な人間からの口出し。その大げさな言葉の中に、「何百万ものマーケティングの奴らが… 写真を撮りたがるぞ」「心の底では、あんたみたいな人間を嫌ってる」という台詞がある。これは、ル・マンで、マーケティングのプロだったレオ・ビーブが、ケンに優勝させるのを嫌い、3台のフォード車を並んでゴールする写真を撮ろうとレースをねじ曲げたことを予告させるような台詞だ。シェルビーは、乗り気でないケンに、「日曜に、クローバーフィールド〔サンタモニカ空港〕で新しいマスタングが発表される。レースの計画も公表される。俺のスピーチを聞いてくれ」と頼む。「ピーターも連れてこいよ。気に入るぞ」。日曜日、ケンはピーターを連れて現れる(3枚目の写真)。

ピーターは、飾ってあるムスタングに近づき、「どう思う?」と父に訊く。車を正面から見た父は、「秘書の車だ」。ピーターは 「僕は好きだよ」言い(1枚目の写真)、ドアを開けて中を覗く。それに気付いたレオ・ビーブは、「ああ… すまないが、やめてくれないか?」と笑顔で頼む。触っていけないとは知らなかったピーターは、「ごめんなさい」と謝る(2枚目の写真)。レオは、面白くない顔をしているケンに気付き 「あなたのお子さんですか?」と訊く。「そうだ」。「塗装に触れないよう、言ってもらえませんか?」。ピーターは、慌てて手をどける。父は、「あんた、誰?」とぶっきらぼうに尋ねる。レオは、上級副社長で、新車発表会の責任者だと自己紹介する。ケンは、「外見はファンタスティックだが、中身は 大衆を欺こうと着飾ったデブチン〔lump of lard〕だ。俺のアドバイスは、直6とバカげた3速をやめ、ホイールベースを縮め半トン減らし、値段も下げること」とズバズバ。父の言い方が気になって寄ってきたピーターは、「父さん」と制止しようとするが(3枚目の写真)、父は、構わず、「それでも、俺はシボレー・シェベル〔GM〕を選ぶ。あれもひどい車だがな」。Christian Baleは最高に巧い。

そこに、シェルビーがビーチクラフトの軽双発輸送機を操縦してアイアコッカと一緒に到着。シェルビーは、フォードの重役連に紹介される前に、ケンとピーターの方に歩いて行く。ケンは、さっそく、「よお、リンドバーグさん」と皮肉る。シェルビー:「そうか? やあ、ピーター、元気か?」。「シェルビーさん」。「会えてよかった」。「フェラーリをやっつける車、作ってるの?」(1枚目の写真)。「ル・マンには出場するよ。最初にゴールを通過できれば、優勝だな」。そこに、レオ・ビーブがやってきて、アイアコッカはシェルビーを紹介する。シェルビーは、ケンとピーターをレオに紹介するが、さっきの直後だけに、お互い気まずい。そして、シェルビーのスピーチ。彼は、まず、10歳の時に父から聞いた言葉を引き合いに出す。「この世に生まれて 何をしたいか知っている者は実に幸せだ。一日たりと働かなくてすむ」〔この後半は、“孔子の名言” に近い。なお、孔子の前半は「汝の愛するものを仕事に選べ」〕。「だが、そんな人間はとても少ない。それに、幸せかどうかも分からない。だが、彼らはすべきことを見つける。虜になるようなものを。成し遂げるまで、満足させないで駆り立てるようなものを。私もそんな人間だ。全く同じ人間をもう一人知っている。彼の名は…」。2枚目の写真は、スピーチを聞いている2人。ケンはてっきり自分の名が言われると思い、サングラスを外す。しかし、事前に アイアコッカから、“社内での調和” についてくどくど頼まれたシェルビーは、「ヘンリー・フォードさん」と言い、喝采をあびる。拍子抜けして怒ったケンは、「行くぞ」とピーターに声をかけ、すぐに行動に出る(3枚目の写真)。何としてもケンに加わって欲しいシェルビーは、ある日、ケンが日雇いのガレージ仕事から疲れて帰って来ると、自宅前で待ち構えている。そして、30分だけと断り、車に乗せ、空港まで連れて行く〔ボーイング727が駐機しているので、ロス国際空港?〕。そこには、イギリス・フォードで作られたばかりのレースカー(GT40)が置かれていた(4枚目の写真)。

父は、その夜、さっそくGT40の試運転を始め、いくつもの問題点を指摘する。翌日の妻との車内での会話の中で、昨夜は帰宅が遅かったという話が出るので、30分ではなく3時間は運転していたのかも。そして、妻に正直に打ち明けなかったことで非難されると、1日200ドル〔1964年4月とすれば(マスタングの発表月)、CPI Inflation Calculatorによれば2020年の1660ドル(≒18万円)に該当〕もらえると話す。それを聞き、妻が 「ふざけてるの〔Are you shitting me〕?」と訊くので、如何に多額かが分かる。その後は、GT40の欠陥を指摘する日々が続く。シェルビーは GT40に毛糸をテープで貼り付けさせ(1枚目の写真)、空気の流れをチェックするシーンは、本当にあったこと〔「テープと毛糸でフォードGT40にどう磨きをかけたか」という、https://fordauthority.com/の記事(2016年なので、映画の製作前)〕。こうして、2人の共同作業で、GT40はどんどん軽量化していく。ある日、レオ・ビーブがシェルビーを訪れ、ケンのことを「ビート族〔beatnik/無軌道な行動をする人間〕と呼び、フォードの “信頼性” に反するので、ル・マンには出場させないと言う。シェルビーは強く反論するが、この嫌な男は受け付けない。シェルビーは、仕方なくケンを部屋に呼び 「君は、来週行けない」と言い(2枚目の写真)、その理由も説明する。その後、全員がル・マンに出かけて誰もいなくなった工房で 黙々とGT40の改良に取り組むケンの姿が映される〔しかし、これは事実とは全く違っている。ケンは1965年にル・マンに行き、しかも1966年の宿敵マクラーレンと組んで走り、3時間でギアボックスが壊れてリタイヤしている。しかも、1966年には家でTVを見ていたピーターが、1965年にはル・マンに行ったこと。「ル・マン66/ピーター・マイルズが父ケン・マイルズについて語る」(https://www.lemans.org/)では、「ル・マンに来たことは?」と訊かれ、「私は1965年、父についてル・マンに来ました。メカニカルな理由で父はリタイヤしましたが、素晴らしい経験でした」と答えている〕。フォードがル・マンで惨敗したあと、シェルビーは社長室に呼ばれる。シェルビーは謝罪や言い訳は一切せず、逆に、社内の風通しの悪さを指摘し、「当事者は1人だけに」と要求する。社長は、シェルビーを近くに呼ぶと、「この会社を動かしている人間は1人」(3枚目の写真)「君は直属だ」と保証する〔ところが、半年後には、レオ・ビーブがレースプログラムの総責任者(overall executive director)に指名され、ことごとく邪魔をするので、この社長もいい加減なものだ⇔この社長の言葉は、関係者全員が既に亡くなっているので確かめようがないが、映画の創作であろう〕

デイトナ24時間レースまで3週間。このレースは1966年2月6日に開催されたので、1月中旬頃、ピーターは、工房の前に置いてあったレースカーの中に入り、ハンドルを回して遊んだり、父がテストカーを走らせているのを見たりしている。すると、父が戻ってきて、ブレーキの過熱が問題だと指摘する。それが終わると、「ピーター、乗れ」と声がかかる(1枚目の写真)。走行場面はない。日が落ちた直後のコース上で、親子は2人きりになる。父は、テストカーから降りて歩き始める。ピーターが 「何してるの?」と訊くと、父は 「あのクラックが見えるか? あれは、父さんにとって、ターン8のマーカーだ」と話す。「何の? 減速の?」。「ブレーキに軽く触れ、シフトダウンする」。「でも、時速150マイル〔241キロ〕で走ってる」。「ああ」。「どんな風に見えるの?」。「すっ飛んで行く。だが、スピードを上げると、他のすべての動きが遅くなる」。だから、視野を狭めないことが大切だと身振りを交えて教える。「そうすれば、すべてが見えてくる」。ピーターには、よく意味が分からないので、質問を変え、「他にもマーカー、あるの?」と訊く。「もちろん、あるさ。たくさんな」。「車を頑張らせ過ぎちゃいけないから、だよね?」。父はピーターが運転しているように教える。「その通り。車には優しくしてやれ。体の下で、可哀想なものが呻いてるのを感じるんだ。メカに限界まで頑張らせ、それでも壊したくないなら、限界を感じ取ってやれ」。ケンのこの言葉は、ピーターに “そうしろ” と教えている。だから、次の、非常に分かりにくい会話も、その延長での話だ。映画の台詞だけでは、どうしても理解できなかったので、台本https://pmcdeadline2.files.wordpress.com/2019/12/ford-v-ferrari-script-final.pdfを訳すことにした(映画になくて、台本にあるものは青字)。「あそこを見ろ」。父は走路の遠くを指す。「何を見るの?」。「見詰めるんだ。研ぎ澄ませ。目を閉じろ。そして開けろ。あそこで、ピーターが完璧に一周するんだ」(2枚目の写真)「ミスなし。どのギヤ・チェンジも、どのコーナーも完璧。それが見えるか?」〔台本では、この台詞が、“ピーターが完璧に走っている姿” を2人で思い描いていることが はっきりする〕。「そう思う」(3枚目の写真)。「たいていの者には見えない。それが あることすら知らない。だが、あるんだ」〔“ある” のは、マーカーのこと?〕

夜間、黄色のロードコーンを並べて作られたコースを、ケンが走っている。ピーターは、ストップウォッチで時間を計る(1枚目の写真、矢印)。その頃、シェルビーは、アイアコッカからの内部情報で、レオ・ビーブが総責任者になると教えられる。さらに、ケンを個人的な嫌悪感から外すつもりだということや、明日、社長と一緒にレオが来て、そのことを伝えるということも〔アイアコッカの目的は、ケン外しに反対して争うなという忠告〕。一方、走行中のケン。ブレーキが過熱してペダルを踏んでも効かなくなる〔フェード現象〕。車は制動が効かなくなっただけでなく、摩擦熱から発火し車体に燃え移る(2枚目の写真)。緩衝用に置いてある空のドラム缶に激しくぶつかると、その衝撃で爆発する。ピーターと一緒にいた母は、近寄らないようにさせる(3枚目の写真)。父は、燃える車の中から救出される(4枚目の写真、矢印)。

それから、しばらくして、ケンは、片肘に包帯を巻いただけで他に怪我もなく、工房の中で、怒りにまかせて無茶なことを言い出す。「エンジンなんか、ほっぽり出しちまおう。停められないんじゃ使えん」。これに対して、設計責任者のフィルは、「ブレーキ自体を新しく設計し直した方がいいな。ピットでの交換をブレーキパッドだけじゃなく、ブレーキローターを含め、ブレーキ構造全体にするんだ」と提案する(パッドとローターの関係は右図参照)。ケンは急に真面目になり、「ちょい待て、それって許されてるのか?」と心配する。だが、フィルが、「さあな。フランス語は読めん」と言って、規則冊子を渡すと、ケンは、さっきの心配とは裏腹に、「ブレーキも “パーツ” の一つなんだろ。パーツの交換なら許されてる」と、前向きに発言する〔この場面でのケンの3つの発言は、どれも脈絡がなく、脚本が練られていない〕。ピーターは、少し離れてこの話を聞いている(1・2枚目の写真)。フィルは、さっそく机に向かって、新しい “交換可能なブレーキシステム” の絵を描き始める。ピーターは、その前に座ると、「体が燃えたことある?」と訊く。「ないな。一度も経験はない。だが、あれは耐火スーツなんだ。熱は通さない」と優しく教える。「でも、ルイス・エヴァンズはモロッコ・グランプリで死んだよ。耐火スーツを着てたけど」(3枚目の写真)〔この事故は、1958年に実際に起きた〕。「そうだが… 閉じ込められて息ができなかった。車から出られる限り、大丈夫だ」〔「息ができなかった」と言うと、窒息死のように聞こえる。実際には、直後に専用機でイングランド有数のクィーン・ビクトリア病院に救急搬送されたが8日後に火傷により死亡した(https://www.bbc.com/)〕

そして、問題の翌日。社長が、レオ・ビーブを伴って訪れる。社長は、総責任者を置いた理由として、900万ドルの出費を口にするが、これは、現在の7200万ドル〔≒78億円〕〔トヨタがF1に注ぎ込んだ予算は年500億円とも言われるので、それに比べれば少ない〕。シェルビーは、さっそく計画通りの行動に出る。フィルに社長を預けておき、邪魔なレオを自分の部屋まで連れて行く。レオは、嫌なことを言う前に、2人の間の意見の相違について融和的な態度を取ろうとするが、シェルビーは、レオの行動が外から見えないようにするため、ブラインドを閉める(1枚目の写真)。そして、レオがレースプログラムの総責任者になったと告げた瞬間、部屋から出てドアを閉めロックする。シェルビーは、そのまま社長のところまで行くと、レースカーに乗ってみるよう勧める。「900万ドルの乗り心地を」。シェルビーは社長を乗せて、蛇行しながらフルスピードで走る。そして、工房から離れた場所で停車する。社長は泣き始める。「知らなかった。こんなだとは」。シェルビーは、誰もが扱える車ではないと言い、ル・マンで優勝するにはケン・マイルズが必要だと訴える。社長は、かつて「君は直属だ」と言ったくせに、レオ・ビーブを総責任者に据えて任せたと弁解し、言い逃れようとする。シェルビーはその矛盾を指摘せず、デイトナ24時間レースでケンが優勝したらル・マンに行かせる、できなかったら自分の会社を譲ると言い、フォード2世の了承を得る〔一連の場面は、すべて映画の創作〕。その頃、工房には、タイミング良く、ケンがピーターを乗せて着いていた(3枚目の写真)。

1966年2月6日、デイトナ24時間レースが開催される。レオ・ビーブは、記者連に向かって、「今日のGTのすべてが私の指揮下にあります。ドライバー、スピード、作戦、rpm〔エンジンの回転数〕に至るまで、我々が決めます」と自慢する〔映画は、レオを徹底的に悪役に仕立てている〕。レオは、シェルビーに属さないチームに肩入れし、お陰でケンは23時間目になっても後塵を拝している。そこで、シェルビーは、レオが勝手に決めたrpmの上限値(6000)を無視し、「7000でガンガン行け〔go like hell〕」とボードに書き、コース際まで行ってケンに見せる。このレースは、ラジオ中継しかないので、ピーターと母は、自宅で聴いていたが、アナウンサーが、「デイトナのレースは、あと僅か数分で終わりますが、最終盤でフォード98が激しく追い上げています」と言い出したので、これまでがっかりしていたピーターも信じられない(1枚目の写真)。残り1周でケンは4位。3位になったところで、最後のターンに入る。ピーターはラジオを持って声援する(2枚目の写真)。ここにきて、ケンは、シフトダウンし、7500回転まで上げ、トップに追いつくと、さらにシフトダウンしトップに躍り出てゴールイン(3枚目の写真)。ピーターと母は抱き合って喜ぶ(4枚目の写真)〔デイトナ24時間でケン・マイルズが優勝したのは事実〕

ケンがフランスに発つ前夜、ピーターの部屋に行くと、床に寝ころんだピーターが熱心に何かを見ている(1枚目の写真)。「何してる? 夜更かし坊主〔Dirty stop out/イギリス方言〕」。「マップ描いてたんだ。ル・マンで父さんをフォローできるように」。父は、絵を見て「完璧だな〔spot on〕。エキスパート〔dab hand〕じゃないか」と褒める。それに気をよくしたピーターは、「コースのこと 教えて」と頼む。父は、「スタートラインから、スタートする」と言って、太い白い線を指差す。しかし、ピーターは、父の指を取ると、「ル・マンでは、ここから車まで走り始めるのがスタートだよね」と言って、指を右にずらす(2枚目の写真)〔この独特のスタートは、「ル・マン式スタート」と呼ばれ 1969年まで続いた〕。父は 「その通り」と言うと、「年寄りが、ヨロヨロしながら何とか歩き、車を動かす」とおどける。ピーターも 「ぶつけちゃダメだよ」と調子を合わせる(3枚目の写真)。そしたら、ダンロップ・ブリッジまで目一杯加速」。このあと、父は、詳しくコースの説明をする。言葉だけでは分かりにくいので、興味のある人には 日本語のサイトがお勧め(→https://toyotagazooracing.com/)。なお、ル・マンのコースは1966年以降、何度も変更が加えられているが、小規模なものなので問題はない。一周を終えると、父は 「最初の3分半だ」と言う〔1956-1967年のコースは全長13.461 キロなので、平均時速は230キロになるが、それよりも24時間レースなので、411周も必要なことの方にびっくりする〕。それを聞いたピーターは、「でも… 毎回完璧に走るなんてできないよ」と言う(4枚目の写真)。「だが、やってみないと」。

1966年6月18日。スタートまで4分。アメリカの自宅では、ピーターが 「母さん、来て」と呼ぶ(1枚目の写真)。TVの画面には、「フランス、ル・マンからの衛星生中継」と文字が入る。母が、その中に夫の姿を素早く見分け、「いるわ」と言う(2枚目の写真)。参加した55チームの選手各1人が、予選での成績順に、スタートラインに近い方から一列に並ぶ〔スタートの順位は1963年以降に決まったルール(https://www.livebetting.net/le-mans/)。前に書いたように、一列に並んで車まで走るのは1969年で終わるので、この変わった光景が見られたのは、1963-69年の7回だけ〕。ケンはその先頭にいるが、選手同士の距離は結構ある〔コースを挟んで反対側に置いてある車は、1台分の空間を間に開けて並んでいるので仮にそれが6メートルとすれば、最後尾は先頭から300メートル以上離れることになる。このスタート時における “距離差” が、あとで大問題になる〕。時計が午後4時をさすと、スタートラインの中央でフランスの国旗が振り下ろされ、選手が一斉に走り出す(3枚目の写真、選手同士の間隔がよく分かる)。整備されていたはずなのに、ケンの車のドアがうまく閉まらず、出発がかなり遅れる。それを見て、2人はいったいどうなるのかと心配する(4枚目の写真)。

スピードを上げ始めた後も、ドアは走行中に何度も開き、右手でドアを押さえながらの運転は、順位をどんどん下げる。そして、ようやく一周すると、すぐにピットインする。ピーターは 「ドアのせいだ」と心配する。車を停めたケンは 「ドアのクソッタレが閉まらん!」と叫ぶ。フィルが巨大なハンマーで叩いて閉める〔ドアのエピソードは実話らしいが、詳しい状況は不明〕。ケンは、遅れた分を必死に取り戻す。何周目かは分からないが、ケンが10位まで順位を上げたことが、TVで伝えられる場面がある。それを聞いたピーターは、「父さん、行け行け」と声援を送る(1枚目の写真)。そして、ケンは、ラップレコードを更新(3分34.3秒)。そこで、レオ・ビーブの邪魔が入る。「シェルビー、走らせ過ぎだ。作戦と違う」。シェルビーは、「作戦は変わる」と拒否するが、このエピソードは、“レオを悪者にする” ためだけに挿入されたもの〔ドアで遅れなければ最初から1位のハズなので、それを挽回しているだけ〕。ケンは、次の周回でもラップを落とさず観客席の前で先行車を抜いて行く(2枚目の写真、矢印)。TVのアナウンサーが、「3分31.9秒。またまた新記録です」と言い(3枚目の写真)、2人を喜ばせる(4枚目の写真)。

夜の11時。ピットでケンが紅茶を手に休んでいると、頭上で雷が鳴る。相棒の運転する車がピットインし、燃料を入れ、タイヤが交換されると、交代したケンが発進。この時点では、フェラーリが1位と2位。時計が午前0時37分を指す場面では、雷雨がフロントガラスに叩きつけている。ケンは、アルナージュ・コーナーでポルシェを追い抜く時、邪魔した相手をコースアウトさせる。午前5時9分、トップを走るフェラーリと ケンが競っている場面で、レオ・ビーブがピットに電話をかけ、下っ端の作業員に命令を下す。シェルビーが気付いた時には、その男は、ケンに対し 「EZ」と書かれた板を見せる。この “EZ” とは、“a shorthand way of telling the driver to take it easy” の意味なので、飛ばし過ぎを抑制しようとしたものだが、フェラーリを負かすのが至上命題なのに、「なぜ?」としか言いようがない。ケンは、この指示を無視し、フェラーリを追い抜くが、ブレーキが故障。ケンが、何とかピットに辿り着いたところで、それまでTVの前で寝てしまったピーターが目を覚ます(1枚目の写真)。フィルが “あの時” デザインした “交換可能なブレーキシステム” が登場する(2枚目の写真)。それを見たピーターは、「やってるね。ブレーキだ」と、“あの時” のことを思い出す。ここで、問題点を指摘しておこう。これは、映画ではほとんど登場しない、優勝したブルース・マクラーレンに関するサイト(https://www.mclaren.com/)に、このような記載がある〔マクラーレン自身は1970年に事故死〕。「日曜の朝、残っていたフォードは3台だけでフェラーリはリタイヤしていた〔他の資料によれば朝9時〕。そこで、残ったフォード車に対し、集中力を失わないようペースダウンが求められた」「1位のマクラーレンと2位のマイルズは、ピットからのEZE指示で、全速時より減速して走っていた。しかし、残り3時間でマクラーレンがピットインした時、マイルズは5周で30秒差を縮めていた」。もし、これが正しければ、減速は、フォードが勝つことが決まった時点で、事故を起こさないようにするための安全策だったことになる〔映画の、レオによるEZ指示は、フェラーリとまだ戦っている時点ではあり得ない⇒脚本のミス〕

ブレーキの交換に結構手間取ったので、フェラーリより2周遅れを告げられる(1枚目の写真)。その時は、まだ真っ暗だったが、1周遅れて抜く時には夜明けが始まっていた。ピーターは、TVで観ながら、「あと1周追いつかないと」と言う(2枚目の写真)。そして、完全に明るくなった時、ケンはフェラーリに迫る。シフトダウンして加速し、一気に追い抜こうとするが、相手もアクセルを踏み込んで対抗。ここで、エンジンの回転数が9000を超え破損してしまう(3枚目の写真、矢印は煙)。フェラーリはリタイヤするが、これが先程書いた朝9時。レースは、まだ7時間残っている。ピットでは、部下がシェルビーに、「マクラーレンが4分差で、ケンが1位。2位と3位も、みなフォードです」と報告する。これは、先ほど引用した、「1位のマクラーレンと2位のマイルズ〔ケン〕は…」という記述と、全く逆だ。

フォード車による1~3位独占を知ったレオ・ビーブは、社長に「社長、私、思うのですが、3台のフォードがぴったり並んでゴールしたら、最高じゃないでしょうか? フォード、フォード、フォードです」と、マーケッティングのことしか考えない浅はかな提案をする。それに対し、アイアコッカは、「実際にできるとは思えないな」と否定的だ。「なぜ?」。「マイルズが1周先だ。彼をスローダウンさせるのか?」。「もちろん」。レオ当人は、この3台同時ゴールの提案は “事実” だったと認めている〔多くのサイトに書かれている〕。しかし、先ほどのマクラーレン関連のサイトには、もっと衝撃的なことが書かれていた。①マクラーレンがスローダウンの命令を遵守したのに、マイルズは無視した、②ファイアストン〔タイヤメーカー〕と契約しているマクラーレンがピットインした時、シェルビーの契約しているグッドイヤーのタイヤに無断で変えられ、その際、マイルズに30秒先行していたのが、40秒の追走になってしまった、③不公平だと思ったマクラーレンは、上層部〔恐らくレオ〕に、①を訴えた上で、「車を一列に並べてみては? いい写真は新聞に受けますよ」と提案した。これが正しいとすれば、一列案は、“卑怯なケン” に対してマクラーレンが腹を立てた結果、出された案だった! そして、さらに別のサイト(https://www.popstops.com/blog/post/ford-v-ferrari)。そこには、当時、マクラーレンの担当だったファイアストンの技術者の息子の話が掲載されている。それによると、マクラーレン車のタイヤが、雨天走行でタイヤが噛んで〔chunking out〕しまったので、ファイアストンの技術者だった父が、シェルビーのグッドイヤーの担当者に頼み、レインタイヤを提供してもらった、とある。そして、そのことは、マクラーレンには知らされなかった。だから、マクラーレンは、それをシェルビーによる妨害工作だと誤解し、怒った結果、変な提案をしてしまった。こう、突き詰めていくと、悪いのはいったい誰なのだろう? 恐らく、最終的にゴーサインを出したヘンリー・フォード二世に責任があるのだろう。それは、のちにフォードの社長になったアイアコッカが、小型車製造戦略のため ホンダから駆動装置を購入しようと考えた際、ヘンリー・フォード二世が、「ボンネットに私の名を冠した車に、ジャップのエンジンは要らん」(Iacocca: An Autobiography, p108)という ひどい発言をしたことからも、人間性に疑問があるからである。
 途中の説明が長くなったが、社長の了解を得たレオは、シェルビーに、「社長が、マイルズにスピードを落とさせ、3台同時のゴールインを希望しておられる」と伝える。シェルビーは、「俺のドライバーに近づくな」と休憩中のケンに レオを近づけない(1枚目の写真)。後で、ケンから、何があったかを訊かれたシェルビーは、「スローダウンしろとさ。マクラーレンより4分先行してるだろ。ナンバー2〔レオ〕は、3台のフォードの同時ゴールを望んでる。チームの一員になれときた。いい写真になるからだと」。ここまでは、レオに言われたことだが、余分なことも付け加える。「たとえ1位タイでも、同じ年に セブリング、デイトナ、ル・マンを制した初めての男になれる。三冠王だ」。シェルビーは最後に、「君に命令することはできん。君さえ良ければ俺は構わん」と言う。ケンは、「俺が決めるのか?」と訊く(2枚目の写真)。「君が決めろ」。運転を替わる前に、ケンは、レオや社長のいる方を見上げる。時計は12時58分を指している。乗り込んだケンは、全神経を注ぎ込み、3分30.6秒の新記録を更新する。ピーターは、「完璧だね」と父を讃える(3枚目の写真) 。

ケンが、命令をあざ笑うかのように高速で走り続けるのを見たレオは、再びシェルビーの前に現れ、「奴が車を壊したら、並んでゴールできなくなる。奴を何とかしろ、さもないと、あんたをSCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)とFIA(国際自動車連盟)から追い出すぞ」と威嚇する(1枚目の写真)。シェルビーは、「ケン・マイルズは車の中だ。ゴールするまで彼のものだ」と相手にしない。最後の一周。ケンは、「俺は、ハッピー」と口ずさむと、時速215マイルから一気にスピードを下げる。しばらくすると、2台のフォード車が追いついてくる(2枚目の写真、矢印)。TVを観ていたピーターは、異常な光景に困惑する(3枚目の写真、2つの矢印は、後方の2台のフォード)。母は、その決断を称賛するが、ピーターには納得できない(4枚目の写真)。

そして、3台が並んでゴールする(1枚目の写真、矢印はケンの車)。ところが、これは映画だけの話。実際のゴールは、2枚目の写真のように、マクラーレンが最後の瞬間に加速して1位となり、ケンは2位(矢印の白と赤の車)。映画では、“揃って1位” なので、親子は不満な点はあっても大喜び。ここで、問題となるのが、ル・マンの奇妙なルール。もし、ゴールを2台が同時に通っても、走行距離が長い方が1位とみなされる。つまり、最前列からスタートしたケンは、同着なら、1位には絶対になれない。だから、映画のような状態だと、勝者が突然敗者となってもめるが〔こんなルールの存在など、大会関係者以外 誰も知らない〕、実際には、マクラーレンが1位を奪ってしまったので、ケンはその時点で負けを思い知らされたであろう。少し前の節で紹介したマクラーレン側の “ほとんど知られていない言い分” が、なぜ分かったか? それは、2枚目の写真を見て、なぜマクラーレンはフォード側の要望に従わず、最後に勝ちを奪ったかの理由を知りたかったからだ。ただ、その部分に対する明確な回答は得られなかった。マクラーレンと交代で運転していたクリス・エイモンは、当時を振り返り、「最後のカーブから現れた時、ブルース〔マクラーレン〕はトップに立ってた! 引き分けにならないよう、数フィート先に出ていた。ケンはそのことで とても怒ってた」と語っている。また、マクラーレンは、「フォード側は結果を喜んでいた。それは、俺が最初から計画に加わっていたことと、レース中、一度も車に無茶をさせなかったからだろう」という言葉を残している。これを読むと、“真の最低の男” は、レオ・ビーブでもフォード二世でもなく、マクラーレンのような気もする。レーサーの気概のない単なる会社の雇われ男に徹し、ケンのことを誤解から逆恨みし、異常な同着ゴールを提案し、直前に首位を奪ったのだから。

てっきり引き分けになると思っていたシェルビーは、変なルールでケンが2位になったと知ると、レオにつかみかかる。「この野郎! 知ってたな!」(1枚目の写真)〔レオは、知らされた時、「何てこった! 思ってもみなかった」と述べている〕。一方、ケンは、マクラーレンの周りに大勢の人が集まっていくのを寂しそうに見ている(2枚目の写真、矢印)。ケンにとって唯一の喜びは、レースを最後まで観ていたフェラーリの社長が、帽子を取って敢闘を讃えてくれたことだった〔フォード二世とは格が違う〕。シェルビーは、ケンに会うと、一番に「頼むべきじゃなかった」と謝る。ケンは、「あんたは、走らせると約束した。勝つことまで約束してない」と、詫びを受け入れる。「すごい走りだった」。「すごいマシンだ」。「速いな」。「もっと速くなる」。それから2人は、次のマシンについて話し合う(3枚目の写真)。

ル・マンから2ヶ月後の8月17日。ケンは、新しく改良した車をスタートさせる。ピーターは、親指を立てて〔サムズアップ〕、父にエールを送る(1枚目の写真)。車が遠くに消えると、フィルに 「いい車だね」と言う。父が運転する車は、丘を下った辺りで、何かに突っ込んだように激しく砂塵を立てる。それを見たフィルたちは、一斉に駆けて行く。ピーターは、立ちすくんでそれを見ている(2枚目の写真)。すると、それに気付いたシェルビーが、走るのをやめ、振り返ってピーターを見る(3枚目の写真)。この事故で、ケン・マイルズは47歳で死亡する。その時のピーターは、もうすぐ15歳。

事故から約半年後。ケンのことが忘れられないシェルビーは、ケンの家の近くまで車で行く。そして、自室に飾っておいたスパナを手に持って車から降りる。家を見て、行こうかどうか迷っていると、背後からピーターの声がする。「シェルビーさん」。シェルビーは、振り向き、「やあ、ピーター」と言う。ピーター:「そのスパナ、覚えてるよ。父さんが、あなたに投げた」。「そうだ」。「なぜ?」。「何か、怒らせるようなことを言った。いろんな呼び方もしたし〔負け犬、間抜けづら〕」。「そうだね。母さんと話したいの?」。「そう… 挨拶して様子を訊こうと思って… 考え直したんだ。言葉は… 役立たないって」。そこで、話題を変える。「物は役に立つ。何かを作れるし、直したりもできる」。こう言うと、ピーターにスパナを渡す(1枚目の写真)。「君のお父さんは…」。「あなたの友達だった」。「そうだった。それに、お父さんは 君のことをとても気に入ってた〔finer than frog fur〕」(2枚目の写真)〔『サバービコン/仮面を被った街』で、Matt DamonがNoah Jupeの父親を演じた時は、こんな優しい顔は一度も見せなかった。このシーンの方が、本当の親子のように見える〕。その時、母が呼ぶ声が聞こえる。「母さんを手伝ってこなくちゃ」(3枚目の写真)。「ここで何やってる。行けよ」。「じゃあね」。映画のこのエンディングを見ていると、ピーターは、父の死後シェルビーの工房は訪れていない。実際のピーターも、父の死の数ヶ月後から、映画には登場しなかったが、父の友人だったDick Troutmanのカルヴァー・シティ〔ハリウッドの南西約10キロ〕にあるカスタムカーショップ〔特注車店〕で週末に働くようになる。そして、14年間 腕を磨くと、メカニックとして独り立ちし、レーサーのイヴァン・スチュワートと組み、1991年3月のNissan 400 overall championshipで優勝した際、クルーのチーフを務めた。そうした活躍を含め、Los Angeles Timesの1991.6.6の記事にピーターのことが掲載されている。

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