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Hamid ハミッド

インド映画 (2018)

インドのジャンムー・カシミール州でのイスラム教徒迫害という不幸な社会現象を、1人の7歳の少年ハミッドを主人公に描いた秀作。映画のポイントは、イスラム教徒のハミッドが、行方不明になった父を返して欲しいとアッラーに頼もうと、携帯電話をかけようとする現代的な着想。電話番号をどうするかの仕組みはイスラム的で面白いが〔監督がこの映画を撮ろうとした原点〕、電話の相手が、イスラム教徒を弾圧するインド治安部隊の兵士というのは、実にアイロニカルな発想だ。ハミッドと兵士の間の、最初は奇妙で、親しくなるにつれて心温かくなる会話が素晴らしい。しかし、本質的に無理な会話はいつか破綻する。しかし、破綻した後の結末も、イスラム、ヒンズーの両方に配慮して美しくまとめている。それにしても、カシミール地方では、行方不明者〔支配側による謀殺〕が昔から続いていたという事実は、映画を観て調べるまでは全く知らなかった。アイジャズ・カーン監督は、慎重を要する題材に見事に取り組み、インドの映画史に一石を投じた。

ハミッドの父は、地元のジェラム川で使われる伝統的なボートを作る船大工で、小さな作業場で働いている。ある夜、インドの治安部隊の検問を通過して帰宅するが、6歳になる息子ハミッドに頼まれていたセルホンを、買ったものの、職場に置き忘れてきてしまう。ハミッドから、どうしてもセルホンが欲しいとしつこく頼まれた父は、家を出て、そのまま行方不明となった。それから1年。ハミッドは7歳になっている。母は、未だに いなくなった夫を見つけ出そうと警察に通い、こうした原因を作ったハミッドを許そうとはしない。ハミッドは、何とかアッラーに頼もうとするが、頼み方が分からない。そうしたある日、町で786という数字を見つけ、それがアッラーの象徴だと教えられる。道具箱の中から父のセルホンを見つけたハミッドは、786にかけてみるが、3桁ではどこにも通じない。ところが、ある宣伝のチラシに、3桁ずつ数字をまとめて携帯番号が記されているのを見て、「9-786-786-786」という番号にかけてみる。すると、呼び出し音が鳴る。ハミッドは、それがアッラーだと思って話し始める。しかし、相手は、同じ町で警備についている治安部隊の隊員アパイだった。アパイは、相手が子供なので、最初は適当に受け答えていたが、“アッラーにかけている” と知った途端、電話を切る。しかし、それにもめげず、2回目にハミッドが電話をかけると、アパイは風邪気味だったせいもあり、面倒になって、「私がアッラーだ」と冗談で言ってしまう。そして、ハミッドの親しげな話しぶりは、家族から離れて暮らすアパイにとっては、聞いていて嫌なものでもなかった。そこで、3度目の会話では、話していることが楽しくなる。アパイは、ハミッドのことが気に入ると、彼には内緒で、地元の警察に行ってハミッドの父のことを訊いたり、ハミッドの母の手内職の代金を払ってくれない男を脅して払わせたりしてくれる。一方、ハミッドは、少しでも大好きな父に近づこうと、父が働いていた作業場に行き、未完成のまま放置してあるボートを、指導を受けて完成させようとする。ハミッドとアパイの会話は、「アッラーがちっとも父を返してくれない」ことから、“アッラーの怠慢” を非難し、さらには、“アッラーの存在意義” を疑うようになり、破綻に向かう。ちょうど、首相が町に視察に来て、アパイが警備任務に就いている時だったので、ハミッドの “アッラーに対する失望” に応えられなくなったアパイは、「私はアッラーじゃない。インド軍の兵士だ」と正体を打ち明け、さらに、ハミッドの父は死んでしまって もういないと、伏せていた調査結果も教えてしまう。ハミッドは絶望し、セルホンを破壊するが、父の思い出にしがみつくことはやめ、父の仕事の跡を継ぐことで父と共に生きる道を選ぶ。父が残したボートを完成させたハミッドは、それに、父が望んでいた赤いペンキを塗る。

映画の題名でもあり、映画の唯一の主役であるハミッドを演じるのは7歳のTalha Arshad Reshi。映画初出演。インド人とは思えない〔失礼〕美少年。台詞の棒読み的なところもあるが、7歳だし、2019年のインドのナショナル・フィルム・アワードで最優秀子役賞(ウルドゥ語)を取っているので、難役をこなしていると高く評価できる。監督の話では、最初に見つけた適役の子は、役が気に入らないと辞退。それから、困難なオーディションが続き、やっと見つけたハミッド役は、撮影の2日前になって、怖気付いて逃げ出し、スタッフは仰天。そこに登場したのが、Talha。「カラメル色の目と、天使のような顔」なので、すぐに声をかけ、撮影の前日に使い古したフェランにキャップ姿でホテルに現われた時には、スタッフ全員が感激したとか。しかし、受賞が8月9日に発表された4日後の8月13日の記事では、監督が「4日経っても家族と連絡がつかない」と心配している。モディ首相によるジャンムー・カシミール州からの自治権剥奪が8月8日なので、現地はかなり混乱していたのだろう。その後、どうなったかはフォローできない。


あらすじ

ジャンムー・カシミール州の北西部にあるバルマラ地区に住むラーマト・アリは、木舟作りの小さな作業場で働いている船大工。その日も、職長のラスールと2人で夜まで仕事をしていた。作業中に手に軽い怪我をしたので ラスールが様子を見に来る。そして、ラーマトの完全間近のボートを見て、「どんな色を塗るつもりだ?」と尋ねる(1枚目の写真)。「赤です。ジェラム川にぴったりでしょ」。そこに、経営者〔数人雇っているだけ〕のバシールが来て、「もう帰れ」と言う。ラーマトは作業場から青い木舟を漕ぎ(2枚目の写真)、ジェラム川の小さな桟橋に着く。そこから自転車に乗り換え、家に向かう。途中には、インドの治安部隊(CRPF)の検問所がある(3枚目の写真、矢印は自転車で検問所に近づくラーマト)。「小隊長のアパイは徹底的なイスラム教徒嫌い。身分証を見ただけでは満足せず、自転車の荷台に置いてある道具箱も開けさせる。中にあったノートを取り出して検分する。ラーマトが、「よく詩を書きます」と言うと、「読め」と命じる。「もやが、孤独な夜を包み込み、揺れ動き、向きを変え、眠らせてくれない。私は終わりなき苦しみに、もがき、闘い、眠れぬ夜のために涙する」(4枚目の写真)。隊員からは、「暴動を起こす気か?」などとバカげた質問も出る。ラーマトが、「心の悩みを書いたのです」と答えると、アパイは、「悩んでるのか?」と言いながら、そのページを破り捨てる」。
   

ラーマトの家では、6歳のハミッドが、TVを見て「もうすぐ試合が始まるよ」と言うと、母は 「9×6は?」と訊く。「72」。「54でしょ。勉強に集中なさい」。そこに、父が帰ってくる〔家の構造がよく分からない。一家は2階に住んでいて、屋根裏もあるのだが、1階がどうなっているのかは一度も映らない。ただ、玄関は1階にあり、共有という感じはしない〕。ハミッドは 「とうちゃん、お帰り」と言うと、「ぼくのセルホン、買ってきてくれた?」と訊く。父は何も答えず、破られたノートを心配そうに見ている。ハミッドは、父の前に行くと、「セルホン欲しいよ」とねだる(1枚目の写真)。父:「忘れた」。父は、母が要求していたカレンダー〔1枚もの〕は忘れずに持ってきていたので、すぐに渡す。「ぼくのセルホンは?」。母は、「まだ九々の表も覚えてないのに、もうすぐ試験でしょ。ほら、言ってみて」と話題を逸らす。「9×1は9、9×2は18、9×3は27、9×4は…」。父:「もういい」。「セルホン」。「もう買ってある。作業場に忘れてきた」。「試合が、もうすぐ始まるよ」。「分かってる」。「セルホンは?」。息子の度重なる要求に折れた父は、「取ってくる。いいな?」と言い出す。「いいよ」。「今行くから」。妻は、「待って。もう遅いわ」と止める。父は、「行かなかったら、夜中ハミッドにブツブツ言われるから」と説明する。妻は、今ちょうど編んでいる途中の真っ赤なセーターを夫に当ててみて、「似合うわね」と言う(2枚目の写真、矢印はセーター)〔伏線〕。父は階段を降りて行き、母は、ハミッドに「困った子ね」と言う。ハミッドは、自転車を引きながら去って行く父の姿をじっと見ている(3枚目の写真、矢印)。
  

「1年後」と表示される〔ハミッドは7歳〕。父は、あの夜、出かけてから二度と姿を見せなかった。生きているのか死んでしまったのかも分からない。原因はすべてハミッドにあるので、母は、ハミッドを嫌い、ほとんど口もきいてくれない。母は、警察に持って行く書類の準備をしている(1枚目の写真、矢印)。ハミッドは、靴の底が剥がれかかったので、両手に靴を持って、「かあちゃん」と声をかけるが、3度呼んで初めて、「今、忙しい」としか返事をもらえない。母が隣の部屋に消えると、ハミッドは靴を投げ出し、資料の中に入っていた “父の写真” を取り出す(2枚目の写真、矢印は写真、その右上に靴が転がっている)。ハミッドは、大好きな父の写真を1枚も持っていないので、ポケットにしまう。そして、TVを消すが、部屋に戻ってきた母は何も言わずにTVをつける〔2人とも出かけるのに、なぜ?⇒夫はTVが好きだったので、戻ってきた時に喜ぶだろうと思って〕。そして、資料をポリ袋に入れると、バッグを持って部屋を出て行く。ハミッドは、遅れまいと、部屋に置いてあったリュックを背負い、靴を拾って後を追う。
 

ハミッドは母のすぐ後ろを歩いていたが、両方の靴の先端が剥がれ始めているため、すごく歩きにくい。お陰で、母が、ブダーコーチの町行きのバスに乗り込んだ時、ハミッドはようやく追いつく。彼は、母の方を見ながら ゆっくりバスの前を歩き、自分が乗る学校行きのバスに向かう(1枚目の写真、矢印はハミッド、右手のバスが母の乗ったバス)。ハミッドがバスの最前列の席に座ると、母の乗ったバスが発車する。ハミッドは、母を見て手を降るが、母は見向きもしない(2枚目の写真)。ハミッドがそのまま窓の外を見ていると、1人の少年が、父親に靴の紐を結んでもらっている(3枚目の写真)。
  

この一種懐かしい光景は、ハミッドに、父がいた頃の幸せな記憶を甦らせる。父は、詩が好きなだけに、1年生になったばかりのハミッドに、靴紐を結びながら、「学校では、言葉の勉強に力を入れろ。言葉が、人格を作るんだ」と話しかける(1枚目の写真)。そこに、棺を担いだ男達の一群がやって来る。父は、「すぐ戻る」と言うと、ハミッドが、「バスが出ちゃう」という心配するのを横目に棺を担ぎに行く。その間にバスは出てしまう。父は、20メートルほど担ぐと、ハミッドの元に戻って来て、「バスは出たのか?」と訊く。「なぜ、かついだの?」。「アッラーに会いに行く人は埋葬しないと」。「なぜ?」。「そうすれば、忘れることができるから」〔日本人には抵抗があるが、映画の中では重要な言葉〕。こう言うと、父は、「別のルートで学校に行こうな」とハミッドに言う。2は、父の青いボートに乗る。ハミッドは、自分の名の意味を訊く。「ハミッドは、アッラーを称える人のことだ」。「でも、ぼく、一度も称えたことないし、そもそも知らないよ」(2枚目の写真)。「そんなことはない。アッラーは、すべての人をご存知だ。すべての人を大切にして下さる」。「じゃあ、すべての人の名前を知ってるの?」。「そうだ」。そして、父は歌い始める。「♪彼は誰? 私は誰? 君は誰? 大きな鍋でアヒルを料理しよう」。ハミッドが続ける。「♪おいしい野菜を刻んで入れる」。「♪花を浮かべた水を注ごう」。2人で、「♪一滴ずつ」(3枚目の写真)。歌は、父がハミッドを自転車に乗せた後も続く。この父子が如何に仲が良かったかが分かるシーンだ。母は一方的に息子を責めているが、ハミッドにとっても父は何ものにも代え難い存在だった。
  

ここから先は、過去の回想シーンはない。授業中、ハミッドが、初めて見る父の写真に見入っていると、隣に座っているビラールが、「誰の写真だ? 見せろ」と手を出したので、ハミッドは背中に隠す。その姿が、教師の目にとまり、「何してる?」と訊かれる。ビラールが、「ハミッドが写真を隠してます」と言ったので、教師は、「見せなさい」とハミッドに命じる。ハミッドは、「とうちゃんです。戻ってきません」と言いながら、写真を渡す(1枚目の写真、矢印)。ビラールは、「戻って来ないんじゃなく、アッラーの元に行ったんだ」と口を出す。教師は、すぐに、「ビラール!」と叱り、ハミッドに、「お父さんに、アッラーの祝福を」(2枚目の写真)「写真は家に置いてきなさい」と言って返す〔教室内の光景が、寺子屋を思わせて面白い/床は畳でなく絨毯〕。ハミッドは、「なんで、とうちゃんがアッラーと一緒にいると思うんだ?」と ビラールに訊く。「ばあちゃんが言ってた。アッラーは、愛するものを連れてくるんだって」。「それなら、とうちゃんは、そう言ってから 出てきゃよかったんだ」(3枚目の写真)。「それに答えられるのは、お前のとうちゃんか、アッラーだけだ」。
  

インドの治安部隊の隊員2人が、「AZAD(自由)」と落書きされた塀に向かって小便をしていると。10代後半の青年が、拳大の石を、先に小便を終えたアパイに投げつける。石は肩に当たる。青年は逃げるが、アパイは 小さな空き地に追い詰めると、至近距離でAK 47カラシニコフ〔自動小銃〕で青年の顔に向ける。アパイは、一足遅れて到着した同僚に、「見ろ、この革命野郎、ちびってるぞ」と、死の恐怖で漏らした青年を軽蔑する。同僚は、「まだガキじゃないか。放してやれ。奴に何かしたら、面倒なことになるぞ」と言い、アパイから小銃を取り上げる。アパイは、「そんなの どうでもいい」と言うと、青年の頭や肩を拳で殴りつけ、同僚が停めようとすると、今度は 何度も足蹴にする(1枚目の写真、矢印はアパイ)。同僚が、「以前の間違いをくり返すな」と警告すると、アパイは、「あのことを、思い出させるな」と怒って暴行をやめる。次のシーンでは、ハミッドの母が、書類を持ってブダーコーチ警察に入って行く。署員は、「外で待ちなさい」と指示する。外には、10名の男女が待っている。母が空いた場所に座ると、署員が出てきて、「署長は会議に出かけます。だから、あなた方に会うことはできません」と、待っていても無駄だと告げる(2枚目の写真、矢印は母)。老人は、「なぜ会えないんだ? 長いこと待ってたんだぞ」と文句を言う。「待っても無駄です。署長なら こう言うでしょう。『我々は捜索に全力を尽している。誰かを見つけたら、お知らせする』と。毎日来られても、それしか言えません。それでは、立ち去って下さい」〔カシミールでは、治安部隊によるイスラム系住民の拉致が続き、家族が行方不明になる状況が長年続いている〕。次のシーンは、再びアパイ。乗っていた治安部隊のバスが突然止まる。彼が運転席まで見に行くと、1人の男が、スプレーで道路に字を書いている。「GO INDIA GO BACK(インドに帰れ)」。アパイは、運転手に警笛を鳴らすよう命じるが、男は止めないので、自分で警笛を何度も鳴らす。それでも、止めないのを見ると、「あいつを轢け」と命じる。「いやです」。「何を待ってる!」。「どうかしてるんじゃ?」。怒ったアパイは運転手を席からどかして、自分でバスを動かそうとし、止めようとする兵士も交えた争いになる(3枚目の写真)。アパイは、スプレーを終えた男に向かい、「自由が欲しいのか?! なら、教えてやる!」と怒鳴る。その直後に映るのが4枚目の写真。イスラム教徒達が、インドの治安部隊に向かって投石している(矢印は石)。「自由を!」。アパイ達は、ヘルメット、盾、すね当てという完全防備で抑え込む。
   

学校から帰ったハミッドは、母に、「とうちゃんは、なぜアッラーの元に行ったの?」と尋ねる。これまで、そんなことを息子が訊いたことはないので、「誰が言ったの?」と尋ねる。「ビラール」。相手が同じ小学生だと分かると、母は質問を黙殺し、「婚約式に行かなくちゃいけないから、準備なさい」と話題を逸らす。「だけど、新しい服なんてないよ。靴だって…」。母は、淡い黄色の服を放って寄こす。カシミールのイスラム教徒の服はサルワール・カミーズ〔Salwar Kameez〕と呼ばれる簡単な白く長い上着と、同じ色の短いズボンだ。婚約式に行った母が暗い顔をしているのに気付いた女性〔式を取り仕切っている〕は、母を別室に連れて行く。母は、ハミッドから、“夫が、なぜアッラーの元に行ったのか” を訊かれたと話す。「それは、本当でないと言ったの?」。「父親が戻ってくるなんて、むなしい期待を抱かせたくなかったんです」〔だから、黙っていた?〕。「ハミッドは、作業場に来た方がいいって、バジールが言ってたわよ」。「でも、あの子の父親は、勉強を望んでました」。「あの人は、ハミッドが跡を継いで技量を学べば、すごく喜ぶと思うわ」。一方、男性の部屋にいたハミッドは、隣の部屋に見覚えがあったので入って行く。そして、父の写真を取り出して、確かめる(1枚目の写真)。写真の中の父は、2つ並んだイスの片方に座っている。そのイスが目の前にある。ハミッドは、父が座ったイスに座り、父が触ったかもしれない肘掛けに触ってみる(2枚目の写真)。その時、1人の男性(アバス)が部屋に入ってきて、「写真に映っているのは君のお父さんか?」と訊く。さらに、「君のお父さんは、そのイスに座って、こういう詩を詠んだんだ… 『私の指の魔法は、夢を形に変える。それはアッラーご自身が助けて下さるからだ』」と話す。ハミッドは、「とうちゃんは、アッラーとよく話してたの?」と訊く(3枚目の写真)。「アッラーのお手伝いに熱心だったから」。そこに、バジールが来て、「行きましょう。お時間です」と言う〔ハミッドの父を雇っていたバジールが敬語を使っている。イマーム(イスラム教の導師)なのか?〕。アバスは、「バジール、ナマーズ〔1日に5回行うイスラムの祈り〕には、この子もモスクに連れて行こう」と言う。「もちろんです」。
  

ナマーズを終えた3人が小さなモスクから出て来る。アバス:「ハミッド、今朝は祈りを捧げたか?」。バジール:「朝は学校に行くので、時間がありません」。アバス:「学校は大事だが、天国に行けることも大事だぞ」。ハミッド:「いつ、仕事が終わるの?」。アバス:「誰の」。ハミッド:「とうちゃん。アッラーのお手伝いに天国に行ったんでしょ?」。アバス:「それは、アッラーがお決めになることだ」(1枚目の写真)。そして、バジールに、「この子のカミーズ〔ズボン〕を直してやれ」と命じる。「はい」。「足首の上で止めないと。祈りに良くない」。それだけ言うと、アバスは用があるからと去って行く。バジールと2人だけになったハミッドは、壁に貼ってあるポスターに目を留める。そこには、家にあったきれいな紙に印刷されていたとの同じ数字が書いてある。「おじちゃん、786ってアッラーの数字?」(2枚目の写真、矢印)。バジールは、「بِسْمِ اللهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ (慈愛あまねき、慈悲深き、アッラーの御名において)」と言い。これらの文字を足し合わせると786になると教える〔数秘術では、アラビア文字の基本字母28に、1~9,10~90(10単位),100~1000(100単位)の28の数字が割り振られている。上記のアラビア文字で書かれた言葉の文字を足すと786になるのだが、それを分かりやすく解説しているのは、こちらのサイト⇒https://www.youtube.com/watch?v=QrcqyqgSfR8。「お前は正しい。これはアッラーの数字だ」。「おじちゃんは、とうちゃんみたいに、よくアッラーと話すの?」。「誰もができるわけじゃない。アッラーがお父さんに話されたのは、彼が良き職人だったからだ。だから、お前も作業場に来た方がいい。そしたら、同じような良き職人になれる」(3枚目の写真)。
  

ハミッドが家に帰ると、母が、請け負っている縫い物仕事の件で電話をかけている。未払い金の一部でも払ってもらえないかと頼むが、曖昧な返事しかもらえない。電話が終わると、ハミッドは、「かあちゃん、とうちゃんの箱が欲しい」と頼む。「なぜ?」。「作業場に行って、舟の作り方を覚えたい」。「勉強に集中なさい」。「とうちゃんは、アッラーを全力で手伝ってる。だから、こんなに長いこと帰って来ないんだ」(1枚目の写真)。「誰が、そんなことを?」。「ビラール」。「バカげてる」。そう批判はしたものの、母は、夫の道具箱を持って来ると、「持ってく前に、きれいにしなさい」と言いながら床に置く(2枚目の写真、矢印は箱の一部)。ハミッドは、箱を屋根裏に持って行くと、息を吹きかけて蓋の埃を飛ばす。そして、蓋を開ける(3枚目の写真)。ハミッドは、最初に 中に入っていた小さな舟の模型、2つ目にノートを手に取り、3つ目に父のセルホンに手を伸ばす。あんなに欲しかったセルホンが ここにある。4つ目は金槌と釘。ハミッドは、靴底が剥がれないように、靴の先端に釘を打つ。
  

ハミッドは、学校に行く途中で、何でも屋に寄り、「動くかどうか、チェックしてもらえる?」と頼む(1枚目の写真、矢印)。このセルホンは、プリペイド式だったようで、「前払い金がゼロになってる」と言われる。「使いたければ、お金を追加しないと」。ハミッドは、全財産の1ルピー〔1.6円〕を出す。しかし、「最低10ルピー必要だ」と言われてしまう(2枚目の写真、矢印)。ハミッドは、夕方家に戻ると、「かあちゃん、10ルピーいるんだ」と話しかける(1枚目の写真)。「なぜ?」。「鉛筆がダメになったから、新しいのがいる」。嘘は報われない。母は手元にあった鉛筆を、「ほら」と言って渡す。これで、もう、母に頼む途は断たれた。場面は変わり、治安警察の宿舎で、アパイが大暴れするシーンがある。きっかけは、TVで、シュリーナガルに向かっていた3人のティーンエイジャーの車が、銃弾を浴びたというニュースが流れたこと。アパイはこの種のニュースが大嫌いだ。その原因がこの場面で分かる。かつて、彼はテロリストが “盾” として1人の子供を乗せたバンに向けて引き金を引いたことがあった。子供は銃撃戦の中で死んだが、アパイに撃たれたためでなく、テロリストが殺したからなのだが、アパイにとっては後味の悪い体験となり、今でも、それがトラウマとなってアパイを怒りっぽい人間にしている〔怒りっぽいのは、あらゆることが癪に障るため〕
  

翌日、ハミッドは、先日アバスに連れられて行ったモスクの入口で、「アッラーの御名において、小銭のお恵みを」と声を上げている盲目の老人のところに行き、「なぜ、アッラーの名においてなの?」と尋ねる。老人は、「わしのためだと頼んだら、何ももらえないからだ」と答える。「なら、アッラーの名において、ぼくに9ルピーくれる?」。「9ルピー?」。「10いるんだけど、1ルピーしか持ってないんだ」。「乞食に施しを求めるのか? それで、何をする気だ?」。「アッラーと話すのにお金がいるんだ」。「どうかしてるぞ」。そう批判しても、老人は、施しの小銭の中からハミッドに一掴み渡す(1枚目の写真、矢印)。「もし、アッラーに電話が通じたら、わしにも祝福をお願いしてくれ」。「もちろん」。ハミッドは、9ルピーだけもらい、残りは皿に戻す。ハミッドは、その足で何でも屋に行き、10ルピーを渡し、セルホンを使えるようにしてもらう(2枚目の写真)。ハミッドは、少しでもアッラーに近づこうと丘の上に行き、礼拝用の白いキャップを被る。そして、セルホンを取り出すと、「786」と押す。しかし、3桁の番号ではどこにもつながらない。ハミッドは がっかりする(3枚目の写真)。
  

ハミッドは、何でも屋に戻り、ダメだったと首を振ってセルホンを渡す。店の親爺は、自分でやってみようと、「何番だ?」と訊く。「786」。「それから?」。「それだけ」。「これは、何の番号だ?」。「بِسْمِ اللهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ を足すと、この数字になるんだ」。「それは、電話番号じゃないぞ」。「なぜ?」。「携帯電話の番号は10桁だ」。「10桁? でも、ぼく、これしか知らないよ」(1枚目の写真)。「じゃあ、正しい番号を知るんだな」。がっかりて、あちこち彷徨い歩いたハミッドは、暗くなってから帰宅する。夫の二の舞かと心配していた母は、「どこにいたの?」と厳しく訊く(2枚目の写真)。さらに、「母さんがお前を捜し回るとだろうと期待したの?」と嫌みも。ハミッドが、「ぼく…」と言いかけると、母はハミッドの頬を引っ叩く。痛む頬を押えて向き直ったハミッドに(3枚目の写真)、母は、「お前、父さんがなぜいなくなったか訊いたわね? お前のせいでいなくなったのよ!」と責める。ハミッドは、泣きながら屋根裏に行くと、父の写真を出し、白いキャップを被り、通じない電話をかけ続ける。
  

翌朝、学校に向かうハミッドは、通路に捨てられていた広告を拾う。それは、単なる宣伝で、「9-123-123-123」に電話して特典をもらおうという英語のキャンペーン。ハミッドには意味不明だったが、10桁の電話番号は大きなヒントになった。そこで、学校が終ると、生徒たち全員がバスに乗るのに、ハミッドだけは丘の方に行こうとする。それを見たビラールが、「どこに行くんだ?」と訊くと、「アッラーは美しい! 強い! そして、上手な歌い手だ」と意味不明のことを言い(1枚目の写真、矢印)、去って行く。ハミッドは、丘を登り、大きな洞(うろ)のある木のところまで行くと、洞の前に腰を降ろし、父の写真をじっと見て、下に置く。次いで、拾った広告を取り出すと、ボールペンを取り出し、印刷してある電話番号の下に、「9-786-786-786」と書く。アッラーの数字を3つ並べたものだ。そして、セルホンを出すと、白いキャップを被り、10桁の番号をプッシュする(2枚目の写真、矢印はハミッドが書き加えた電話番号)。すると、電話が鳴る音が聞こえる。ハミッドは、期待に溢れて空を仰ぎ見る(3枚目の写真)。
  

治安警察のアパイがAK 47カラシニコフを手に警備の役に就いていると、突然セルホンが鳴り出す。見たことのない番号からなので、「ハロー」と言う(1枚目の写真)。ハミッドは、嬉しそうに、「初めまして」と返事する(2枚目の写真)。相手が子供の声なので、「誰だ?」と訊く。「あなたを尊敬してます」。「何だ?」。「ぼく、あなたのことよく知りませんが、すごく尊敬してます」(3枚目の写真)。「誰だ?」。「ぼくですよ、ハミッド」。「どうして私を尊敬する?」。「あなたは素晴らしい方で、とても上手に歌われるからです」。「私は、すごく下手だぞ」。「じゃあ、それを尊敬するのはやめます。ごめんなさい」。「誰なんだ?」。「ハミッドです」。「坊やは、誰と話してるつもりなんだ?」。「アッラーです」。「切るぞ」。アパイは即座に電話を切る。同僚に、「誰からだ?」と訊かれたアパイは、「どこかのバカなガキのいたずら電話だ」と答える。
  

ハミッドは、バスに乗って町に向かおうとするが、お金を持っていない。しかし、親切な女性がバス代を払ってくれ、ハミッドはこれもアッラーと話せたお陰だと思う。その後、ハミッドは家に行って道具箱を持ち出すと、父の青いボートを漕いで作業場に向かう(1枚目の写真)。作業場に現われたハミッドをバシールは歓迎し(2枚目の写真)、すぐに、職長のラスールに会わせる。ハミッドと握手したラスールは、「大きくなったな」と頭を撫でる。バシールは、「舟の作り方を学びたがってる」と口添えすると、ラスールは、「お前の選択は正しい。親爺さん同様に教えてやろう」とハミッドに言う。ハミッド:「ぼく、うんといい職人になりたい。そうすれば、アッラーが話しかけてくれる」(3枚目の写真)。ラスールは、バシールに、「アッラーが、子供達の声だけを聞いて下さっていれば、世界は美しい場所になっていただろうに」と話す。ラスールは、1年前に父が作っていた舟のところにハミッドを連れて行く。「お前の親爺さんがこの舟を作った」。「水に浮かぶの?」。「まだだ。準備ができてない」。「どういうこと?」。「舟が浮くためには、重さがぴったり合っていないといかん。少しの狂いも許されん」。「こんなに大きいのに、どうやったら重さが分かるの?」。バシールは、「そこが、職人の技なんだ」と教える。ラスール:「まず、ちゃんとした木を選ばないとな。それが一番大事なことなんだ。間違った木を使うと、舟は沈んでしまう。分かるか?」。
  

夜になり、丘の上でのことを考えていたハミッドは、布団から出てきて、壁にもたれて電話をかける(1枚目の写真)〔この時だけ、白のキャップでないが、なぜだろう?〕。「切らないで下さい。アッラーに どうしてもお話しがしたいんです」。「言っただろ…」。「お忙しいことは分かります。2分だけ下さい」。アパイは風邪ぎみで、何度も咳く。「いいぞ、続けろ」。「あなたは、アッラーですか?」。「君は、アッラーと話してるんじゃかなったのか?」。「はい」。「なら、私がアッラーだ」(2枚目の写真、矢印)。「でも、あなたの話し方は ぼくらと違います」。「気にするな。君は、好きなように話し、私は聴いてやる」。そして、何度も咳く。「せきしてるんですか? かぜを ひかれたみたいですね。暖かい布を持っておられないのですか?」。「何も持っちゃいない」。「ほんとに? じゃあ、ぼく、何かさがします」。ハミッドは電話を切ると、衣装箱から暖かそうな布を取り出して、モスクの前まで置きに行き、そこから電話をかける。アパイが、「何回言ったら…」と言い始めて咳くと、ハミッドは、「とうちゃんは、のどが悪いときは話さない方がいいと言ってました。ひどくなるからです。あなたのために、ショールをモスクの前に置いてきました。とうちゃんのですが、使ってください。きっとよくなります。もう切ります。かあちゃんは、ぼくが家を抜け出したことを知りません」。アパイは、本来は優しい人間なので、ハミッドの心遣いに感心する〔もちろん、モスクまでショールを取りには行かない〕。翌朝、ハミッドがモスクの前に行くと、いつもの盲目の老人が、ハミッドが置いてきたショールをまとっている。「そのショール、どこで見つけたの?」。「アッラーが下さった」。その言葉に、ハミッドは、「わぉ、自分の世話もできないんだ。道理で、手助けが必要なわけだ」と驚く。「手助けって、誰が?」。「アッラーだよ。自分の世話ができないから、とうちゃんを手放さないんだ」。
 

ハミッドは、すぐに電話をかける。「アッラー、お早うございます」(1枚目の写真)。「また、君か?」。「ご気分は?」。金網で覆われた監視所から出たアパイは、「良くなった」と答える。「ぼくのショールを、なぜ乞食にあげたんですか?」。「何だと?」。「ぼく、知ってます。彼から聞きました」。「君の名前は?」。「ハミッド・アリです。バール・ヴィハール小学校。かあちゃんはイシュラト、とうちゃんはラーマトです」。「訊いたのは、君の名前だぞ」。「学校には、ハミッドは他に2人います。ちゃんと見分けてもらわないと」。「どうやって電話番号を見つけた?」(2枚目の写真)。「カレンダー、ポスター、モスク、どんなとこにもあなたの番号があります。786です。でも、誰も、それを10桁の番号に結びつけられませんでした。やれたのは、ぼくだけです」。「君は、幾つだ?」。「まだ小さいです」。「何歳だ?」。「知らないんですか? 何でもご存知かと」。「そうなんだが、今は思い出せない」。「そうでしょうね。世界中のことで 手いっぱいでしょうから。ぼく7つです」。「君の問題は何だ?」。「ぼく、もう何度も言いました。モスクで聴いててくれなかったんですか?」。「私は、どうしたらいいい? 世界中から問題が持ち込まれるんだぞ。すべて覚えてられるか。気にするな。もう一度話してみろ」。「みんなが言うんです。とうちゃんは あなたと一緒にいるって。だから、ぼくは手紙を書きました。とうちゃんが見れば、きっと帰ってきてくれます。伝えていただけませんか?」。「そうしよう」。ハミッドは、父のノートを開いて、自分が書いた手紙を読む。「『とうちゃん。ぼくは元気だよ。ちゃんと勉強もしてる』」(3枚目の写真、矢印はノート)。「まって、これは嘘です。つい書いてしまいました」。そう言うと、もう一度、初めから詠み始める。「『とうちゃん。ぼくは元気だよ。勉強しないって、かあちゃんに叱られるけど。なぜ、いなくなったか知ってるよ。セルホンのこと、ごり押しするんじゃなかった。ごめんね、とうちゃん。二度とあんなことしないから。かあちゃん、いつも変なんだ。ぼくを見てもくれない。きっと、ぼくのことが嫌いなんだ。お願い、帰ってきて。かあちゃんは、セーター編んでるよ。ぼくは、とうちゃんの舟を作ってる。お願いだから帰ってきて。ハミッド』」。この手紙の内容を聞いたアパイは、心を打たれる。「この手紙、伝えてくださいますよね?」。アパイには答えようがない。「そう… しよう。もう行かないと。後で話そう」と言い、電話を切る。
  

作業場で父の舟を仕上げていたハミッドは、バシールが2人の職人にお金を渡しているのを見て、隣にいる職長に、「ラスールおじちゃん、バシールおじちゃんは なぜお金を払ってるの?」と尋ねる。「給料を払ってるんじゃ」。それを聞いたハミッドは、列の後ろに並ぶ。そして、自分の番になると、「ぼくも給料が欲しいよ」と言う。「給料?」。「うん。ぼく働いてる。だから払ってよ」。「だが、お前は見習い中だぞ」。「でも、仕事もしてるでしょ?」。バシールは、「そう言うんなら」と言って、100ルピー〔160円〕渡す。「一生懸命に働けば、1週間100ルピー払おう。そうじゃなければ、月に100ルピーだ」。「ものすごく いっしょうけんめい働いたら、毎日100ルピーもらえる?」。この提案は 直ちに却下され、ハミッドは、すごすごと退散する(1枚目の写真、矢印はお札)。家では、母が、ハミッドの服を片付けていて、ポケットの中にあるお札に気付く。そして、ハミッドが家に帰ってくると、「このお金、どうしたの?」と詰問する。「ぼくの給料だよ。バシールおじちゃんが、作業場で手伝ったから100ルピー払ってくれた」。「70ルピーしかないわ。残りは?」。「とうちゃんを戻すのに使った」。「どういうこと?」。「戻して欲しいってアッラーにお願いしたんだ」(2枚目の写真)。「施したの?」。「うん、アッラーをたたえて、モスクの外に座ってる乞食の人に あげた」。「次からは、全部渡しなさい」〔この母は、全部、自分のものにする気なのだろうか?〕
 

ハミッドは、屋根裏に行くと、電話をかける。「お話ししないといけません。ぼく、かあちゃんに嘘つきました。とうちゃんは、嘘は悪いことだといつも言ってました。でも、ついたんです」。「何て話したんだ?」。「おじちゃんは給料に100ルピーくれましたが、かあちゃんには70しか渡しませんでした」(1枚目の写真)。「残りは?」。「あなたと話せるように、20ルピー使いました。10ルピーは隠しました」。「なぜ?」。「とうちゃんの舟を塗るためです。おじちゃんに赤いペンキをお願いしたら、高すぎるって。だから、ペンキを買うために毎週10ルピーずつ貯めることにしました。とうちゃんが帰ってくる前に塗りたいんです。でも、そのことは話さないでください」。「父さんは、船大工なのか?」。「そうです。詩も書きます。僕の手紙、伝えてもらえました?」。「すぐ… 伝えよう」。「お願い、急いで。もうすぐ試験なので、とうちゃんに勉強を教えてもらわないと」。「お父さんの詩を聞かせてもらえるか?」。ハミッドは、箱から父のノートを出して読む〔以前、父が読んだ詩とは違う〕。「君も、詩を書くのか?」。「ぼくには書けません。でも、とうちゃんは、言葉を学ぶよう望んでました。いつも、『言葉が、人格を作る』って言うんです。あなたは、詩を書くのですか?」。「私はできないな。だが、覚えてるのが1つある」。そこは、宿舎の外だったが、アパイは大声で詩を唱え始める。そして、最後は、「前に進め!」と何度も口ずさみながら 闊歩する(2枚目の写真)。ハミッドも、その部分だけ、楽しそうにくり返す。
 

翌日、ハミッドが、学校の帰りに、「前に進め!」と大きな声で言いながら通りを歩いていると、アバスが、「坊や」と呼びとめ〔あれだけ話していたのに、名前も覚えていない〕、手の平にいろいろな実を載せ、「これは、君を強くする」と言って食べるよう勧める。ハミッドは、アーモンドを選ぶ。アバスは、「子供達が、デーツやレーズンじゃなくアーモンドを選ぶのを見たのは初めてだ」と言い、横に座らせる。「君のおじさんの話では、最初の給料からアッラーに幾らか寄付をしたそうだな。だが、施しは不要だ。アッラーは、カシミールの自由を望んでおられる。そのためには、君は、山の向こう側に行かねばならん。今じゃない。君が大きくなったらだ」〔ここで言う、「山」とは、パキスタンとの間に聳える山脈を指すのであろう〕。アバスは、反インドのパンフレットをハミッドに渡し、配るように命じるが、ハミッドは最初に出会った2人に手渡すと、残りは地面に捨てる。次のシーンは、アパイが地元の警察署長を訪れている。そして、ハミッドの父ラーマト・アリについて質問する。アパイは、「この件で、何か進展は?」と訊くが、「まだ調査中だ」と言われただけ。「何も見つからない?」。「なぜ、あんたに話さにゃならん? 首相にでも頼まれたのか?」と嫌味を言う。そして、「ここには、誰かを失くした奴がみんなやって来る。昨日も男が1人来た。息子が妻の子宮から消えたとか言って」。その非情な言い方に、アパイは、「言葉に気をつけろ。言葉が、人格を作るんだ」と、昨夜のハミッドの言葉を投げつける。
 

次にハミッドが電話をかけた時、アパイは、投石をくり返すデモ隊と対峙するため、網で覆われたバスの中にいた(1枚目の写真、矢印は投げつけられた石)。「今どこにいる?」。「モスクの近くです」。ハミッドは、デモ隊の姿を見てびっくりする(2枚目の写真)。「暴徒に加わるんじゃないぞ。彼らからは離れてろ。家に戻れ。分かったか? 今すぐだ!」。ハミッドは、素直に家に向かう。
 

夜、今度は、母が、怒って電話をかける。「あなたは、5000ルピー〔8000円〕未払いなんですよ。一銭も払ってくれてないじゃないの!」(1枚目の写真)。相手が何か言う。「どれだけ待たせる気?」。相手が何か言う。「困ってるのは、あなただけじゃない。私には子供があって…」。ここで、相手が電話を切る。屋根裏に行ったハミッドは、すぐに電話をかける。「かあちゃんは、いつもぼくにガミガミ言います。今日は、あなたがガミガミ言いました」。「ガミガミ言ったんじゃない。誰かに石を投げることは悪いことだと理解して欲しかったんだ」。「ぼく、そんなことぜったいしません。とうちゃんは、もし、ぼくが石を投げたら、投げ返されると言いました。そして、石は銃弾にはかなわないとも」。「お父さんは正しい」。「アッラーだけが、命を取る権利があるとも言いました。あなたは、誰かの命を取ったことがあるのですか?」。これは、アパイにとって厳しい質問だった。「君のお父さんは完全に正しい。お父さんは君のことを心から気にかけている」。「もしそうなら、なぜ ここに いてくれないんです? ぼく、とうちゃんに戻って来て欲しい!」。「そんなに容易じゃないんだ」。「ぼく、とうちゃんの言う通りにしてきました」(2枚目の写真)「でも、もし、戻って来ないんなら、山の向こう側に行きます」。「どこ?」。「向こう側です。アバスおじちゃんが、ぼくをそこに送りたがってます。とうちゃんは反対してましたが、ぼくは行きます」。「お父さんは正しい。行ってはダメだ」。「とうちゃんを送り返してくだされば、ぼくは行きません。されないんなら、行きます」。「ハミッド、聞くんだ」。「ウチは、お金がないんです。誰かが、かあちゃんに、仕事のお金を払ってくれないからです。かあちゃんは怒ってました。助けてくれます?」。「相手は誰だ?」(3枚目の写真)。ハミッドは、走って調べに行く。
  

すると、翌日、さっそく1人の男がやってくる。そして、母に5000ルピー全額を渡し、「遅くなって悪かった」と謝る〔よほど、アパイから脅された?〕。「これ、全額?」(1枚目の写真、矢印)。「もちろん」。それを見たハミッドは、アッラーに感謝して空を見上げ、「ありがとう、アッラー、あとは、どうか、とうちゃんを返してください」と願う(2枚目の写真)。一方、アパイにも問題が起きていた。上官の部屋に呼ばれると、ラーマト・アリの失踪について訊きに行ったことを強く咎められる(3枚目の写真)。
  

作業場では、ハミッドがラスールに質問している。「何が、舟を水に浮かべてるの?」(1枚目の写真)。「水じゃ」。「だけど、物は水に沈むよね」。「そこが面白いんじゃ。水は、舟を浮かべたり沈めたりする」。ラスールはハミッドの近くに行くと、肩に手を置き、「舟には素晴らしい心があるんじゃ。彼らは 広々とした空を尊敬していて、自分達などすごく小さな存在だと悟っている。だから、決して思い上がったりはしない。思い上がるって、分かるか?」。ハミッドは首を横に振る。「自慢することだ。『わしは、これを持ってる。わしは、知事を知ってる』というようにな」。「ぼくは、思い上がったりしないよ」。「それでいいんじゃ」。一方、集会所のような場所で、“思い上がり” の典型のようなアバスが、10代の青少年を前に、「私は君達に宗教について話してきた。多くの問題も取り上げてきた。今日は、映画をみんなで観よう」と呼びかけている。そこに、道具箱を持ったハミッドが通りかかる。アバスは、「ハミッド」と声をかける(2枚目の写真、矢印)。「私達は、これから映画を観る。加わりなさい」。「ダメ、急いで帰らないと、かあちゃんに叱られる」。「観ないと、アッラーを怒らせるぞ」。こう言って、ハミッドを無理矢理小さな映写室に連れて行かせる。そこで上映されていたのは、アルカイダが使っていたような、過激な洗脳宣伝映画。よくテロの実行犯が叫ぶ、「アッラーフ・アクバル〔アッラーは偉大なり〕)」の声が響き渡り、子供が銃を撃つ(3枚目の写真、矢印はハミッド)。そして、「アッラーは、自由のために立ち上がれと命じられた。我々の血が、カシミール解放への道を開くのだ」と煽る。ハミッドは、隣の子に、「あれ間違ってる。アッラーはあんな風に話さない」と言う。「アッラーと話したことあるのか?」。ハミッドは何も言わない〔自慢すれば、“思い上がり” になるから〕
  

一方、母の元には、別の誘いがあった。近所に住む口うるさいおばさんが、知らない女性を連れて訪れたのだ。そのナビーラという女性は、家の中に招じ入れられると、「明日、この町に首相が来るの。私達の委員会は、サイレント・マーチで抗議することにした〔サイレント・マーチは、行方不明者や殺された人の写真を掲げた静かなデモや座り込み〕。あなたにも加わって欲しい」(1枚目の写真)。母は、「できることはすべてやって来た。政治には係わりたくないの」と乗り気でない。「私達の権利よ。生きるための戦いなの」。隣人は、「警察や遺体安置所巡りをしてれば、ご主人が戻って来ると思ってるの?」と、母の態度を批判する。母:「抗議をすれば、戻って来るの?」。ナビーラ:「いいえ。でも、これ以上行方不明になることを止められるかもしれない。ラーマトさんの写真はお持ち?」。母が黙っていると、2人はあきらめて引き上げる。しかし、2人が玄関から外に出て行くと、ハミッドが「おばちゃん」と呼び止める。そして、「とうちゃんの写真、いるんだよね?」と訊く。「そうよ」。「渡したら、返してもらえる?」。「分からないわ」。「でも、返してもらわないと困るんだ」。そう言うと、ハミッドは写真を見せる(2枚目の写真、矢印)。ナビーラは、写真を見ると、「コピーを取ったら、ちゃんと返すわ」と約束する。次に映るのは、母が、夫のために編んでいた赤いセーターの毛糸をほぐしているシーン(3枚目の写真、矢印)。夫が永遠に戻らないと悟った挙句の悲しい決断が、全くの無気力な表情の中に伺える。
  

母の異様な様子を見たハミッドは、至急電話をかける。「アッラー、かあちゃんがどうかしちゃった!」。「どうした?」。「口をきいてくれない。とうちゃんのセーターをほぐしてる。お願い、助けて。今すぐ、とうちゃんを返して」(1枚目の写真)。「やってるんだが…」。「今すぐ、とうちゃんと話したい」。「君の父さんは子供じゃない。私の責任じゃない。彼の意志でここに来たんだ。彼は、戻りたいと思った時に戻る。君を助けられん」。「でも、あなたは、何でもできるんでしょ?」。「できることは何もない。もう寝るんだ!」(2枚目の写真)。「なぜ、ガミガミ言うの?」。その時、アパイのところに、同僚が深刻な顔をしてやってくる。「どうした?」。「来てくれ」。それは、過激派によって殺された治安警察の隊員の遺体が運ばれてきて、それを出迎えるためだった。
 

翌朝、サイレント・マーチに参加する女性たちが、母の家の前に来る。母は、断ったはずなので、不審に思いながら外に出てくる(1枚目の写真)。ナビーラは、「これを返しに来たわ」と言って、ハミッドが渡した写真を返す。母には意味が分からないが、横からハミッドが来て、写真を母の手から取り上げると、母も事情を察する。ハミッドが母を見上げて、「かあちゃん」と催促すると、母は女性達と一緒に行くことに決め、服を着替えに家に戻る。そして、夫がいつ帰宅してもいいように 点けっ放しにしていたTVを消し〔夫の死を認める〕、セーターを片付けると、出かけて行く。一方、男達は道路際に一列に並び、プラカードを掲げ 抗議の声を上げている。その前に、治安警察が銃を持ち、一列に並んで対峙する(2枚目の写真、矢印はアパイ)。母は、座り込みの女性と老人のグループの中に入る。一番に座っている2人の女性が持っている大きな紙には、「We cannot forget the past as it is the strength for our future(我々は過去を忘れない。それが未来への力となる)」と書かれているが、これは、ウエブサイト「KashmirWatch」によれば、2011年12月10日にスリナガルの広場で行われたAPDP(行方不明者両親協会)による座り込みで使われた標語だ。母は、大きな紙に貼ってある行方不明者の写真の中にある、自分の夫の写真に見入る(3枚目の写真、矢印)。
  

家では、ハミッドが、セルホンを手に取る。アパイは、隊員の列を離れて電話を受ける。「とうちゃんはどこ?」。「ハミッド、後で話そう」。「だけど、返してくれるって約束した」。「最善を尽くした」。「嘘だ! なぜ助けてくれないの?! 教えてよ」。「ハミッド、君の父さんは…」。「あなたの責任じゃない、でしょ?! 今、やっと分かった。あなたには、どうだっていいんだ!」。「気にはしてるが、どうにもならんのだ」。「じゃあ、あなたの存在に、どんな意味があるの?!」(1枚目の写真)。この鋭い言葉で、すべては崩れ去る。「私はアッラーじゃない。インド軍の兵士だ。どういうことか分かるか?」(2枚目の写真)。「ぼくの敵なんだね?!」。「そうだ」。ハミッドは、白いキャップをむしり取る。「君は、私の敵だ」。「とうちゃんは?」。「二度と戻らない。誰も、彼を戻せない。私の側か… 君の側の誰かが… 殺した。ハミッド、君の父さんは死んだんだ」。その死の宣告を聞いたハミッドは、セルホンを見つめると(3枚目の写真)、壁に向かって思い切り投げつける(4枚目の写真、矢印は2つに割れたセルホン)。
   

アパイは、電話が切れたので、デモ隊を振り返る。すると、いつもの同僚が、1人で、デモ隊に「身分証を見せろ」と突っかかっている。理由は、昨夜運ばれた遺体が彼の親友だったため、怒りをぶつけたかったから。かつては、その同僚に、イスラム教徒の青年に対する暴行を止められたアパイだったが、今度は、逆に、同僚を止める側になる。ハミッドとの度重なる会話で、かつての自分の行為と向き合うことができ、アパイは、温厚な人柄に戻っていたのだ。「あいつらの1人がラジンダーを殺したに違いない」。「やめろ、ラジンダーはそんなことは望んじゃいない」(1枚目の写真)。一方、ハミッドは、外に出て、インド軍の車両が通って行くのを見ると、布で顔の下半分を覆い、先頭のジープ目がけて石を投げつける(2枚目の写真、矢印は石)。そして、走って逃げる。父が死んだ悲しみを、怒りに転嫁したのだ。
 

ハミッドは、山に向かって走る。母は、座り込みの場所で泣き始め、それを制止されると、耐え切れなくなって立ち去る。ハミッドは、それ以上走ることができなくなると、空を仰いで泣き叫ぶ。「アッラー、なぜとうちゃんを奪ったの?! 返してよ!」(1枚目の写真)。ハミッドは、家に戻ると、かつて母が作った行方不明者に係わる書類や 壊れたセルホン手に取り、父の写真にじっと見入る(2枚目の写真)。そして、それらを持って丘の上の墓地まで行くと、草地に穴を掘り、一番下に書類、その上に割れたセルホン、一番上に父の写真を置く(3枚目の写真、矢印)。そして、すべてを埋める。1年以上前に父が行った言葉、「埋葬すれば、忘れることができる」を実行したのだ。
  

夜になり、母と子は、家の前で出会う。そして、手をつないで家に入って行く。母は、道具箱を開けると、夫の眼鏡を手に取り、愛しむように口づけする。次に、白いキャップを取り出し、胸に抱きしめて嗚咽し、キャップを元に戻す。最後に取り出したのが、夫が愛用していたノート。再び嗚咽し、ハミッドの手を握りしめ、胸に当てる(1枚目の写真)。最後には、ハミッドの頭にキスし、抱きしめる。この1年間、絶えてなかった愛情表現だ。夫が亡くなった今、夫が残した一番大切なものはハミッドだ。母は、そのことにようやく気付いた。ハミッドは、「かあちゃん、とうちゃんの舟、できあがったよ。あした、見にくる?」と訊く。母は何度も頷き、もう一度抱きしめる。翌日、アパイは、初めて自分からハミッドに電話するが、セルホンは壊れて埋められてしまったので、通じない。ハミッドと母は、作業場に行く。ハミッドは、完成した舟を母に見せる。母を見たバシールが、ハミッドに、「君宛の小包がある」と渡す(2枚目の写真)。ハミッドが箱を開けると、中には赤いペンキの缶が2つ入っていた。ハミッドは、缶を母のところに持って行き、嬉しそうに 「かあちゃん」と言う。バシールは、缶を見て、「結局、赤いペンキを買ったのか?」と尋ねる。ハミッドは、「買ってないよ。アッラーが送ってくれたんだ」と言い、空を見上げる(3枚目の写真)〔アパイが贈った〕。ハミッドは、ペンキを塗り始める。
  

映画の最後、舳先(へさき)に「786」と描いた一艘の赤い舟が映る。中央に微笑んだ母が乗り、ハミッドが幸せそうに漕いでいる(1枚目の写真)。舟は、美しいカシミールの自然をバックに進んでいく(2枚目の写真)。
 

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