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Heidi ハイジ

イギリス映画 (2005)

サム・フレンド(Sam Friend)がペーター役を演じる2005年版「ハイジ」。イギリス制作で、会話は英語だが、恐らく原作に最も忠実な作品。「恐らく」と書いたのは、たくさんある「ハイジ」をすべて観た訳ではないからだ。ペーターは脇役なので、この紹介、特に、あらすじはペーターの登場する場面に限定する。しかし、解説の部分では、原作との対比について触れておこう。初めに原作に忠実と書いたが、原作からの逸脱箇所は、時間の関係で削除された部分を除くと、①ハイジがフランクフルトから帰ってきた時のアルムおじさんの態度が厳しすぎる、②ペーターがクララの車椅子を突き落とす場所、きっかけ、その後のクララの歩くきっかけが違う、の2点だけで、後は、登場人物の外見・性格付けを含め、きわめて原作に近い。例えば、最近作の2014年版「ハイジ」では、逸脱箇所は、①冒頭のデーテとハイジの山を登る状況が違う、②残されたハイジに対するアルムおじさんの対応が冷た過ぎる、③最初のアルプ行きでハイジの昼食をペーターが勝手に食べる(連れている山羊も多すぎる)、④デーテによるハイジの「誘拐」の仕方が違う、⑤フランクフルトで最初の夕食の状況が全く異なる、⑥ハイジがアルプス見たさに教会に行く時クララを同行し、捨て猫をもらうのはハイジでなくクララ、⑦クララの父と祖母が同時に帰宅、⑦ハイジに対する祖母のアルファベット教育と夢遊病が同時進行、⑧ハイジの帰郷を聞かされたクララの反応がハイジに冷た過ぎる、⑨クララと祖母が山小屋を唐突に訪れる、⑩藁の寝床で、ハイジがクララに藁をかけてふざける(不健康なクララにそんなことをするとは思えない!)、⑪クララに突然会い来た父親が娘の姿が見えないと怒り出す、⑫クララの医者がアルプスに来ず、最後が尻切れトンボ、等々多い上に、(a)寡黙なはずのペーターがしゃべりすぎ、(b)優しいだけのクララに生意気で冷たい側面がある、など主要登場人物に「あれ」と思わせる違いもある。下に、1枚写真を付けるが、ハイジは歴代で一番「らしい」が、ペーターは一番「醜い」。それに比べると、2004年版「ハイジ」の登場人物は、アニメの「アルプスの少女ハイジ」に近い。ハイジはそれほど可愛くないが健康そのもの、ペーターは歴代で一番ハンサムだろう。そして、アルムおじさんを演じるのは、あのマックス・フォン・シドー、いけ好かないロッテマイヤーはジェラルディン・チャップリン、ハイジの後見人となる医者は著名なシェイクスピア俳優のオリヴァ・フォード・デイヴィス。演技者の層は一番厚いのではないか。
  

管理者の特権で、少し違う話をしよう。「ハイジ」はあまりにも有名なので、内容に言及しても仕方がないからだ。「ハイジ」の舞台はスイス北東部のマイエンフェルト(Maienfeld)からリヒテンシュタインの方向に入っていった山中。私もマイエンフェルトには行ったあるが、「雰囲気のなさ」にがっかりしたものだ。2014年版「ハイジ」は、その南方のクルヴァルデン(Churwalden)がロケ地になっている。サン・モリッツからクール(Chur)へと抜ける主要幹線沿いの町だ。映画では、秋の紅葉ならぬ「黄葉」が美しいが、私が近くのマルモレラ湖で撮影した素晴らしい「黄葉」の写真を最初に付けよう。ところで、ヨーロッパアルプスはフランスからスロベニアまで続いているが、地質上は西が片麻岩と結晶片岩、中央が片麻岩と結晶片岩、東が苦灰石からなっている。西の代表はフランス・シャモニー付近の黒く荒々しい針峰、中央はスイス~オーストリアに広がる灰色っぽい重量感のある山容。マイエンフェルトやクルヴァルデンのアルプスもこの部類だ。それがイタリアに入ると一変し、白く垂直の岩肌のアルプスに豹変する。2005年版「ハイジ」のロケ地はスロベニアのアルプス。イタリアと同じ白いアルプスだ。だから、山の雰囲気がスイスとは全く違う。映画の中でハイジが見とれるバラ色に染まったアルプスの写真を2枚目の付ける。白いのは雪のせいだけではなく、苦灰石のせいだ。私はアルプス歩きが好きで、スロベニア・アルプスにも行ったことがある。その時の縦走ルートを3枚目の写真に赤で示す(目的地は左端のPrisojnik山)。岩の色が2枚目の写真に似ていることが分かる。4枚目の写真は山頂からの大展望。標高は高くないが、堂々とした山並みだ。
  
  
  
  

サム・フレンドは、典型的なイギリス顔の少年。年齢は原作の設定と同じ11歳くらいであろう。表情は豊かで、素朴な雰囲気をよく出している。子役としての活躍はほとんどがTVで、映画も脇役だけ。この作品が代表作と言える。


あらすじ

ハイジが、アルムおじさん(祖父)の山小屋にやってきた次の日の早朝、小屋の前につないである2頭の山羊を見て、「この子たち何て名前?」と祖父に訊く。映画では「こっちは『Daisy(雛菊)』、これは『Dusky(こげ茶)』」と答えるが、原作では『Die Weiße heißt Schwänli(小さな白鳥) und die Braune Bärli(小熊)』〔1881年の初版本(https://archive.org/details/spyhdlr)〕となっている。その時、口笛の音がして、ペーターが村人の山羊を連れてやって来る。祖父:「ペーターじゃ。放牧地まで 山羊を連れに来たんじゃ」。ハイジ:「行ってもいい?」。「構わんが、まず顔を洗ったらどうじゃ? お日さまに笑われれずにすむぞ」。アルムおじさんは、ペーターには、「お前さんにも異存はないな(Presumably you have no objections)、山羊大将?」と訊く。怖いアルムおじさんの「命令」なので、ペーターには背く気などない。それでも人見知りする少年らしく嬉しそうな顔をしないところがとてもいい(1枚目の写真)。「いいけど(Suppose not)」。アルムおじさんは、「あの子のお昼だ。全部食べさせろ」と白い包みを渡す(2枚目の写真)。ハイジはペーターと一緒に、牧草地に向かって歩き出す(3枚目の写真)。
  
  
  

牧草地でお昼の時間になって、ペーターがわずかばかりの昼食を取り出す。ハイジは、「それで全部?」と尋ねる。「ウチ、余裕ないから」(1枚目の写真)。ハイジは、大きなチーズを手に持って、「これ食べて。パンも」と言ってくれる。「いいのか?」。「私 こんなに食べられないから」。両方とも頂戴し、笑顔で「ありがとう」と言うペーター(2枚目の写真)。2人は、景色のよい場所で食べている(3枚目の写真)。何事にも興味のあるハイジは次々と質問する。変わった鳥の鳴き声に、「あれ何?」。「鷹さ、当たり前だろ」。「ここに住んでるの?」。「そこのてっぺんに巣がある」。「見に行ける?」。「バカ言うな。山羊だって登れない」。「なぜあんな風に鳴くの?」。「さあな」(3枚目の写真)。ペーターは、原作に「思ったことを言葉で表現することがとても苦手」とあるので、こうしたやりとりは如何にもペーターらしい。ペーターは、その後、平気で危ない所に行く癖のある山羊を叩こうとして、ハイジから毎日チーズとパンをもらう約束をもらい、ご満悦。
  
  
  

別の日、ハイジはペーターと一緒に山へ出かける。「すぐ雪がくるな」。「どうして分かるの?」。「そんな気がする」。そして、話題を変えて、「僕のばあちゃんが、君に会いたいって言ってる」(1枚目の写真)と訊く。「どんな人?」。「すごい年寄りで、目が見えない。代わりに指で触るんだ」。「ほんと? どうやるのか見たいな」。「じゃあ、明日はどう?」(2枚目の写真)。「いいわよ」。
  
  

次の日は、ペーターが言った通り、一面の雪。ハイジは、それを見て、「ペーターは、どうやって羊を連れてくるのかな?」と祖父に訊く。「できないじゃろうな」。「でも、おばあちゃんに会うって約束しちゃった。私を待ってるわ」。「婆さんも、我慢するしかないじゃろうて。お前もだぞ」。しかし、ペーターは歩きにくい新雪にもかかわらず、出かける用意をしている。「どこへ行くの?」。「ハイジに会いに」(1枚目の写真)。「雪が深すぎるわ、ペーター」。「心配ない。僕なら平気さ。暗くなる前に帰るよ」。ペーターは雪こぎをして、ハイジの山小屋まで登って行く。誰かがノックするので、ドアを開けたアルムおじさんは、「ペーター!」とびっくり(2枚目の写真)。「気は確かか? 雪が固まる前に登ってくるなんて」。ペーターは、「ちゃんと来たろ?」と言って小屋に入ると、「やあ、ハイジ」と挨拶する。すごく仲のよい雰囲気だ。せっかくペーターが来たので、アルムおじさんは、食事を用意してやる。「それで、大将… また、鉛筆をかじるつもりかな?」。ハイジは、何の意味か分からないので、「鉛筆をかじるって?」と訊く。「冬の間、ペーターは学校に行かなゃならん。そこで、鉛筆かじりに、生き甲斐を見出した訳じゃ。違うか、ペーター?」と皮肉たっぷりに訊く。ペーターが好きなハイジは、もっと単純に「学校で何するの、ペーター?」と尋ねる。「読み書きを習うんだ。僕は、一度もやったことないけど」。「どうして?」。「時間のムダだからさ。山羊飼いに、読み書きなんか必要ないだろ」。それを聞いたアルムおじさんが、諭すように言う。「さてさて、それは、場合によりけりじゃ。一生山羊飼いとして暮らしていきたければ別じゃがな」(3枚目の写真)。居づらくなったペーターは、「帰らないと」と言って席を立つ。
  
  
  

クリスマスが過ぎて雪がカチカチに凍ると、祖父は、先端に「ハイジ」と書いた小さな木の橇をプレゼントする。そして、そのまま2人で橇に乗ってペーターの小屋まで滑り降りて行く。小屋に着いた祖父は、中には入らず、暗くなる前にペーターに送ってもらうよう念を押し、橇を引いて山小屋に戻って行く。ペーターの母と祖母は、ハイジの突然の訪問に驚く。しばらくするとペーターが学校から帰ってきて、「来るって行った通りだろ、ばあちゃん」と大喜び(1枚目の写真)。母は、ペーターに、「で、今日の読み方はどうだった?」と訊く。当然、ペーターは何も答えない。「ペーター、読み方は習わないと」。「なんで?」と反論し、「君は読めるか、ハイジ?」と訊く。「いいえ」。「ほらね」。その時、風で家がきしむ。「いつか、この家、風に吹き飛ばされちゃうよ」(3枚目の写真)。ペーターのこの一言が、アルムおじさんがペーターの家を修理するきっかけとなる。
  
  

冬が過ぎ、デーテ叔母が、ハイジを強引にフランクフルトへと連れ去る。ちょうどペーターの小屋の前を通りかかった時、ペーターが小屋から出てきて、「ハイジ、どこに行くんだ?」と訊く(1枚目の写真)。デーテは「あんたに関係ないでしょ」と返事もさせない。ハイジ:「中に入って、おばあちゃんにさよならも言えないの?」。「汽車に乗るのよ。遅れちゃうわ。寄り道はダメ」。「さよならも言わなかったら、がっかりするわ」。「戻って来る時、お土産あげればいいでしょ」。「いいの?」。「もちろんよ。フランクフルトで売ってる おいしいロールパンとかね」。
  

フランクフルトで暮らしていて、アルプスが恋しいあまり夢遊病になったハイジは、祖父の元に帰される。帰ってきた日は、山小屋に入れてもらえず〔原作との乖離点①〕、隣の山羊小屋で藁にくるまって寝る。あくる日、ペーターがやってきて、山小屋の前で薪割りをしているアルムおじさんに「ハイジ、どこ?」と訊くが、返ってきたの「知らんな(How should I know?)」というすげない言葉。その時、山羊小屋から「ここよ、ペーター」とハイジが呼ぶ。さっそく中に入って行ったペーターに、ハイジはフランクフルトから連れてきた子猫を見せる。猫を抱いたペーターは、「何て名前?」と訊く(1枚目の写真)。「ボリスよ、すっごく大胆なの」。「それで、放牧地へは来るかい?」。「やめておく(I don't think so)」。「あの気難し屋と ここにいる方が楽しいもんな」。「そんな言い方しないで。私が出てって、おじいさん、すごく傷付いたんだから」。「出てけって 言われたんだろ?」。「腹を立ててたからよ。叔母さんなんかと 行くべきじゃなかった」。「あいつに 駅まで引きずってかれたんじゃないか」(2枚目の写真)「僕、見てたんだぞ」。この言葉を漏れ聞いていた祖父は、その後、ハイジに対する怒りを静めていく。コメント: 祖父のハイジに対する怒りが強過ぎるように感じる。しかし、原作のように大歓迎というのもしっくり来ない。ハイジとペーターのこのシーンは、それなりに現実的で、映画の中にうまく溶け込んでいる。2枚目の写真のペーターの表情も、他では見たことがないので、とてもいい。
  
  

祖父と仲直りしてから何日も経ち、季節は秋に。放牧地に来ても、ハイジは本を読んでばかりいる(1枚目の写真)。「フランクフルトから戻ってきてからずっと、バカな本ばかり読んでるな」。「本はバカじゃないわ、ペーター」。「読む奴がバカなんだ」。「あなたも読み方を覚えるべきよ。私が教えてあげる」。「いいよ」(2枚目の写真)。「じゃあ、どうなるか、分かってるの? 分からないでしょ?」。「何をさ?」。「いつか、山高帽をかぶってるような先生のいる大きな学校に行かされた時、読めないことがバレたら、みんなに からかわれるんだから」。「するもんか」。「するわよ、絶対」。「ほんとに、読み方 教えられるの?」(3枚目の写真)。「もちろん」。かくして、ペーターはハイジから読み方を習うことに。
  
  
  

そんなある日、フランクフルトから届いた手紙をペーターが届けにくる(1枚目の写真)〔アルムおじさんに手紙を渡すのは、宛先の「ハイジ」という字が読めないから〕。祖父は、「お前さんにだ。フランクフルトから」と言って(2枚目の写真)、手紙をハイジに渡す。ハイジがびっくりするところで画面はフルンクフルトに変わるが、手紙にはクララと祖母と医者がハイジの元を訪れると書いてあった。そして、実際に山小屋までやって来た3人。アルムおじさんはテーブルを家の外にしつらえ、素朴だが新鮮な食事でもてなす(3枚目の写真)〔小屋から出すにはテーブルを分解しないと無理なので、大変な歓待だ〕。この場で、おじさんは、クララが望むなら、夏中ここに泊まればいいと勧める。
  
  
  

この日を境に、ペーターの様子がおかしくなる。それは、今まで独占してきたハイジを盗られてしまったからだ。ペーターは、テーブルの様子を草むらの中から伺っている(1枚目の写真)。そして、放牧地に山羊を連れて行く必要があるので、渋々姿を現す。それを見つけたハイジが、さっそくクララに「会わないと、クララ。お土産を渡せるわ」と言って、車椅子を押していく。反抗的に下を向いたままのペーターを前に、ハイジが「お友達のクララよ」と紹介し(2枚目の写真)、クララも「今日は、ペーター」と微笑むが、ペーターは作り笑いで「やあ」と言っただけ。クララが「これ、あなたに」とお土産を渡すが、何も言わずに受け取る。ハイジが「フランクフルトから持ってきたの」と説明すると、あまり嬉しそうな顔でなく「ありがとう」。ハイジは、さらに、「あなたのおばあちゃんには暖かなショール、お母さんにも服を持ってきたのよ」と付け加えると、「そうかい(Oh yeah)?」(3枚目の写真)。そして、背を向けて山羊を連れて行く。どう見ても、失礼な態度だ。クララは、「なぜ、嫌われるの?」と悲しそうにハイジに訊く。「妬んでるんだと思うわ。今まで毎日一緒に放牧地に行ったけど、ここ数日、できなかったから」。
  
  
  

クララの「いつか、放牧地に行きたいわ」という希望は、アルムおじさんがクララの車椅子を押して登ることで実現した。高台に来て至極満足げなクララ(1枚目の写真)。ハイジに「山は好き?」と訊かれ、「ええ、素晴らしいわね」。アルムおじさんがクララの腰に手を回して、持ち上げるとピクニックをするため草地に運んでいく。それを岩陰からこっそり見ていたペーターは(2枚目の写真、後ろめたそうな表情がいい)、2人がいなくなると車椅子に寄って行き(3枚目の写真)、後ろから思い切り蹴飛ばす。車椅子はそのまま草の斜面を自走して行くと、崖から垂直に落下し、こなごなになった。
  
  
  

しかし、ハイジは車椅子が転がって行くのを見て、慌てて止めようと後を追い、崖から足を滑らせてしまう〔原作との乖離点②〕。クララはそれを見て悲鳴を上げ、祖父は必死で崖に駆けつける。幸いハイジは草に捉まって落下こそしなかったが、いつ落ちて死んでもおかしくない危険な状況。祖父は、「ペーター、至急ここに来い!」と叫ぶと、ハイジに向かって腕を差し伸べる。手をつかむが、体が不安定なため引っ張り上げられない。「ペーター、わしの脚を押さえてろ」。ペーターは全力で脚をつかんでアルムおじさんが落ちないようにする(1枚目の写真)。祖父はやっとのことでハイジを引き上げるのに成功するが、無理に力を入れたせいで背中を痛めてしまう。3人が草地に倒れ込んでぐったりしていると、「ハイジ」と心配そうに呼ぶ声が聞こえる。最初に気付いたアルムおじさんが見上げると、そこにはびっくりして無我夢中で立ち上がったクララの姿があった(2枚目の写真、アルムおじさんは痛めた背中を押さえている)。おじさんは、「立ってるじゃないか!」と驚いて叫ぶと、それに気付いたクララ自身もびっくりしてお尻をつく。おじさんは、「もう一度立ってごらん」と言うが、クララは無意識だから立てたので、自分の意志で立つことはできない。ハイジは「でも、立ってじゃない」と言うが、クララには立てない。そこで、アルムおじさんは2人に、「手を貸してあげろ」と命じる。ハイジとペーターに両腕を持たれたクララは(3枚目の写真)、支えられたまま立ち上がるのに成功する。おじさんは、2人に手を放させ、それでもクララが立っていられるので、前に歩かせる。5、6歩進んでアルムおじさんに受け止められるクララ。おじさんは笑い出し、ハイジがクララに抱きつく。「ハイジ」の中で常に一番感動的なシーンだ。アルムおじさん:「これから、毎日練習をしましょう。夏の終わりまで」。そして、ペーターが車椅子暴走の犯人だと気付いているおじさんは、練習を手伝うよう命じる。「いいな(Aren't you)?」。「はい」(4枚目の写真)。コメント: 原作ではペーターが山小屋から車椅子を落とし、その後、アルムおじさんがクララを背負って放牧地に連れて行く。そして、ハイジとペーターの3人だけになった時、ハイジはもっと上にあるお花畑をクララに見せようと、ペーターと一緒にクララを抱えながら動かそうとして、歩ける可能性に気付くという設定だ。2005年版の方が、クララが立ち上がる理由がより自然で、車椅子の落下と救助シーンに迫力もあり、映像化としては優れていると思う。
  
  
  
  

映画の最後を飾る、クララの父が味わう感動と感謝の場面にはペーターは登場しない。ペーターが最後に登場するのは、その直前、ハイジ、クララ、アルムおじさん、ペーターが屋外で食事をしているシーン。クララが、「信じられないけれど、夏も、もう終わりね。あっという間だったわ」としみじみと話すと、ハイジは「来年の夏に また来ればいいじゃない。みんなで一緒に過せるわ」とクララに言い、「そうでしょ、おじいさん?」と祖父に訊く。「いつでも、どうぞ」。その間、ペーターは食べるのに専念している(写真)。この直後に、クララの父と医者が馬で到着し、クララとの感動の対面と、医者によるハイジの後見人化の話があり、ジ・エンドとなる。最後の部分は原作でもページを割いているので、このようにきちんと描いて欲しいものだ。解説で述べたように、2014年版はこの部分がほとんどないに等しいので、観終わってもすっきりしない。
  

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