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Hugo ヒューゴの不思議な発明

アメリカ映画 (2011)

エイサ・バターフィールド(Asa Butterfield)が、主人公のヒューゴを演じる3D大作。偉大な映画作家の成れの果てを演じるベン・キングズレー、その養女役のクロエ・モレッツ(Chloë Moretz)も素晴らしい。エイサの主演作は、『縞模様のパジャマの少年』、本作、『エンダーのゲーム』と続くが、アメリカの子役と違い間隔が離れているので3本しかない。中でも、本作はエイサの代表作で、個人賞も2つ獲得している。台詞は、役柄上少ないが、感情表現は見事で、エイサの持っている “不思議な” 魅力が100%開花している。

舞台は1931年のパリの冬。父から時計技師の腕を受け継いだヒューゴ。しかし、父を提携先の博物館の火災で失い、以後、唯一の親類である酔っ払いのおじに 時計の点検係をしているターミナル(始発駅)まで連れて来られ、“壁の中” での生活が始まる。父の形見は、父が博物館の屋根裏で見つけた錆びたオートマトン(西洋からくり人形)だけ。1日2回の構内時計の点検と、おじの命令で食料を盗む以外の時間は、父が残したノートをもとにオートマトンの修理に熱中する。オートマトンが動いたら、人形が書いてくれるであろう自分へのメッセージに期待して。しかし、修繕用のパーツを得るため欲しかったぜんまい仕掛けのネズミに手を伸ばした瞬間、おもちゃ屋の店主に捕まり、大切なノートまで取り上げられてしまう。そこから始まる、店主とヒューゴ、それに店主の養女のイザベルの三つ巴の新たな人生。映画のもう一人の主役は、ベン・キングズレー演じる映画創成期の製作者ジョルジュ・メリエス(Georges Méliès、1861-1938)。彼の再評価と、彼への賛辞こそが、原作の隠れた主題であり、それをマーティン・スコセッシ監督はより拡大させる。ヒューゴとメリエスへの焦点の二分化がこの映画の弱点で、アカデミー賞で11部門ノミネートされながら、作品、督賞、脚色、編集など主要部門を落とし5部門のみの受賞となったのは、そのあたりに原因があったのでは? ヒューゴの登場部分は脚本も見事だが、過去のメリエスの映像部分が冗長だ。ただ、この映画の最大の問題点は、といっても、映画ではなく邦題のことだが、原作の翻訳本と似た題名にしたことだ。映画の方は原作とは離れ、題名を “Hugo” のみとしたが、邦題は『ヒューゴの不思議な発明』のまま。一番理解できないのは、原作の翻訳本は『ユゴーの不思議な発明』で、ユゴー〔フランス語発音〕をヒューゴ〔英語発音〕に変えたのなら、その時 “不思議な発明” も取るべきだった。この点にこだわるのは、“不思議な発明” に意味があるからだ。原作では、メリエスの晴れ舞台のあと、イザベルではなく、ヒューゴ自身により後日談が語られる。そのわずか、335文字の中で、ヒューゴが全く新しいオートマトンを作ったこと、そして、その人形自身が300枚近いイラストをちりばめた原作そのものを描いた、と書かれている。そんなすごい人形を作ったこと、それが成人してからのヒューゴがやってのけた “不思議な発明” なのだ。映画化にあたり、その部分はカットされ、従って、題名も “Hugo” だけに変更された。だから、邦題は完全に間違っている。この点は強く言及しておきたい。最後に蛇足、この映画はアメリカ映画だが、舞台はパリ。だから登場人物の名前はすべてフランス名。“Hugo”だけなぜ英語発音となったかと言えば、映画の中で「ヒューゴ」と発音しているからであろう。母がイギリス人という設定なので、こうした矛盾が生まれたのかもしれないが。

エイサ・バターフィールドの最大の魅力は、その青く鋭い目。青い目の子役といえば、イライジャ・ウッド(Elijah Wood)が最も有名だが、イライジャは空色に近い青、エイサは紺色に近い青。成人でもほとんど見ない色で、それが精悍だが謎めいた印象を与える。表情が多彩で、自然に泣け、演技の上手さには定評がある。


あらすじ

オープニングの長回しシーン。空から駅に進入し、プラットホームを通リ抜け、最後が駅の入口の大きな丸い時計盤の4時に開いた穴から構内を見るヒューゴの目で終わる。すべて3Dデジタルだが、2D映画の擬似3D化ではなく、3Dの可能性に賭けたスコセッシの意地を感じさせる見事な映像だ。1枚目の写真の文字盤の4のところに、小さくヒューゴの顔が見えている。そして2枚のクローズアップが、一連の最終場面だ。彼は、こうして、一般人の入れない “壁の中” から、じっと社会を観察している。
  
  

次に、2回目で最後の長回し。今度は、ヒューゴが “壁の中” の歯車の間を縫って走り、別な時計に行きつくまでだ。どこまでが実写か分からないが、よくできている。ヒューゴが行ったのは、さっきより小さな時計。数字は全部 “窓” になっていて、そこからは構内のおもちゃ屋がよく見える。老店主がウトウトしている。その前には欲しかったネズミのおもちゃが。これなら、手に入るかもしれない。ヒューゴは、“壁” から出て、こっそりと近づく。しかし、ネズミに手を伸ばした瞬間、店主に腕をつかまれてしまう。「とうとう捕まえた!」「ウチで盗むのは 初めてじゃないだろ、このチビ泥」。命ぜられて、ヒューゴはポケットの中身を出す。中には小さな歯車やゼンマイが。「もう片方は?」。「空っぽだよ」。駅の警務員を呼ぶと脅され、しぶしぶ、父のノートを出す。それを見始めた店主の顔が驚きで急変する。「この絵は、お前が描いたのか?」。沈黙。「どこで盗んだ?」。「盗んでない」。「こそ泥の嘘つきめ、失せろ」。「返してよ!」。「もうお前の物じゃない。わしの物だ。どうしようと勝手だ。燃やしてやる!」。「ダメ!!」。「じゃあ、誰が書いたか言うんだ!」。沈黙。「出て行け、このチビ泥!」。
  
  

店主の最後の叫び声が警務員の耳に入ってしまい、ヒューゴは追われる身に。何とか “壁の中” に戻る。ノートを取られ絶望するが、駅構内の時計のネジだけは巻かないといけない。それが本来の仕事だから。最初は、駅の構内に天井から吊り下げられた空中時計。梯子を下りて行って中にある時計の巨大なぜんまいをクランクで力一杯巻き、歯車の軸に油を差す。そこから上に登り、駅正面にある巨大な時計塔の大時計にも同じ処置を。そこからは、パリの街が一望できる。
  
  

その日の夕方。店の閉まる時間に合わせ、ヒューゴが待っている。「やっぱり来たな」「何て名だ?」。「ヒューゴ・カブレ」。これ近づくと警務員に突き出す、と警告する店主。「僕のノート、返して」。「帰宅したら ノートは燃やす」。ヒューゴは店主の後を追う。そして、歩きながら、「ノートを燃やさないで」と懇願する。「わしの勝手だ」。店主は、そのまま駅を出て行く。外は雪で寒い。でも、思い切ってヒューゴは着いて行く。しかし、店主は無視したまま自分のアパートに入ってしまう。ヒューゴは、中までは入れない。仕方なく、窓に石を投げ、窓越しに顔を見せた店主の孫(と、かねがねヒューゴは思っていた)に、出てきてと身振りで頼む。ヒューゴの方では見慣れていても、彼女にとっては初対面。「あなた誰?」。「君のおじいさんが僕のノートを盗んだ」「燃やされる前に 取り戻さないと」。少女は、「パパ・ジョルジュは おじいさんじゃない」「それに、泥棒でもない。それはあなたよ」「あなたって、悪い子なんでしょ」「帰って」。「ノートは取り返す」。「なぜ そんなに大事なの?」。「言えない」。「秘密なの?」。「そう」。「いいわ。秘密って大好き」。結局、少女は、「話さない、動かない」ヒューゴに根負けし、ノートが燃やされないよう頑張ると約束させられる。ヒューゴは頷いて引き返す。
  
  

“壁の中”に戻ったヒューゴは オートマトンにじっと見入る。ここから回想シーンが始まる。父が、修理に通っていた博物館の屋根裏部屋で人形を見つけ、時計商を営んでいた店に持ち帰った日。きっと字を書く、と教えてもらったこと。時計のように複雑な内部構造。「2人で直そう」と笑顔で言ってくれた優しい父。それから、続いた修理の日々。ある日、人形の背中にあるハート方の窪みを見せられ、「これも厄介だ。謎だな」。「でも、楽しい?」。友達のような父だった。ところが、ある夜、ヒューゴが一人で人形を直していると、急にドアが開き、おじが姿を見せる。「火事があった」「お前の親父は死んだ」「すぐ荷造りしろ。一緒に来るんだ」。泣きそうになると、「急げ」と罵声が飛ぶ。ヒューゴは、オートマトンを抱いておじの後に続く。「俺の見習いになって、一緒に駅で住むんだ。時計の世話の仕方を教えてやる」。「学校は?」と訊くと、「もう 行かんでいい」「壁の中にいると、そんな暇なんかない」「俺がいなきゃ、孤児院だったんだぞ」。悲しくて辛い記憶だ。そのおじも、ここ数ヶ月顔を見ない。
  
  
  

翌朝、ヒューゴはいつも通り、穴を出て、パンと牛乳ビンを拝借し、柱の陰で食べていた。そこに急に現れた青い制服の警務員。フランスの鉄道はすべて私営なので、ターミナルごとにこうした警備員がいる。映画の邦訳にように「公安官」と訳すと、公務員かと誤解される。
  
  

おもちゃ屋の前で、ヒューゴは店主が現れるのを待っている。「来ると思っとった」。「ノートを返して」。「なんで、そんなに欲しがる?」。「要るんだ… あるものを直すのに」。店主から渡された布を開くと、黒い燃えかすがこぼれ落ちる。ヒューゴは、それを涙を流して恨めしげに見る。店主:「立ち去れ」。ヒューゴは自暴自棄になって走り出す。そこに昨夜の少女が。「泣いてるの?」。「違う」。「動かないで」と言い、ハンカチを取り出し、「泣いていいのよ」と言いながらヒューゴの涙をぬぐう。そして、大事な話があるからと、行きつけの本屋に引っ張り込む。ヒューゴ:「ねえ、どう大事なの?」。少女:「パパ・ジョルジュはまだノートを持ってる。燃やしてないの。あれは ごまかし」。「どうして?」。「分からない」「でも、ノートにひどく動揺してたのは確か」「ママ・ジャンヌと夜遅くまで話してた」「きっと、泣いてたのよ」。「どうして僕を助けるの?」。「ひょっして冒険があるかも」「本の中以外では、冒険ってしたことないの」とにっこり笑う。そして、イザベルだと名乗る
  
  

ノートを取り戻すには、「立ち向かわないと」「断固として」と言われて、ヒューゴはおもちゃ屋に戻る。「立ち去れ」と言っても、じっと睨み続ける。すると、店主がおもむろに「直せ」と言って、この前ヒューゴの腕をつかんだ時、床に落ちて壊れたネズミのおもちゃを取り出す。ヒューゴは簡単に修理してみせる。見事に動いたのを見て、「少しはマトモなんだな」「毎日店に来て、盗んだ部品1個1個について相応に働けば返してやる」と言う。毎日真面目に修理するヒューゴを見て、気を許していく店主。ヒューゴも、ノートなしでオートマトンが修理できるようになっていく。そして、遂に修理は完了した。しかし、あのハート型の鍵がないせいか、ぜんぜん動かない(なお、原作では、イザベルが盗み出してきたノートがあって、ようやく完成することになっている)。
  
  

本屋で2人が話していると、話題は映画に。イザベルが一度も映画を観たことがないと聞いたヒューゴは、「冒険したくない?」と持ちかける。そして、映画館の裏口の鍵を開けて一緒に忍び込む。トーキーは1927年から始まったばかりなので、館内ではまだ無声映画が上映されている。2人は途中でつまみ出されるが、イザベルは 初めての映画を十分楽しんだ。映画が終わった後、ノートルダム大聖堂をバックに、2人はアルシュヴェシェ橋の上で語り合う。ヒューゴ:「父さんが最初に観た映画は、お月様の目にロケットが突き刺さるって奴」「父さんと僕にとって、映画館は特別だった。映画を観てれば、母さんのいない寂しさを忘れられた」。イザベル:「お父さんのことは、よく考える?」。「いつもさ」。住んでいる場所を訊かれ、駅を指差す(残念だが、ノートルダムの付近から見える駅は1つもない。かなり離れれば、セーヌ右岸に時計塔をもつリヨン駅があるが、何れにせよ架空の駅なのだ)。
  
  

駅に戻った2人。正面から警務員が歩いてくる。ヒューゴは気が気でない。イザベル:「歩き続けて。自然に」。ヒューゴは、イザベルのベレー帽をひったくって、髪を隠すようにすっぽり被る。それでも、目を付けられて呼ばれる。イザベルは、自分はおもちゃ屋の子だと言い、ヒューゴのことは、「田舎から出てきたイトコのヒューゴです」と紹介する。そして、「許してやって」「この子… 頭が弱くて。つまり とろいんです、可哀想でしょ」。言われたことに腹は立てたが、ヒューゴは、如何にも知的障害のような顔をする。すごく可笑しい。この策略は成功。イザベルから、「あなたの命を助けたんだから、隠れ場を見せてくれない?」と頼まれ、最初は断る。ところが、大勢の通行人の中でころんだ拍子に、イザベルがいつも首にかけていたネックレスがセーターの上に出る。そこには、ハート型をした鍵が付いていた。ヒューゴは思わず鍵を手に取り、「これ、どこで?」と訊く。
  
  

鍵を貸す条件として、理由の説明を求められたヒューゴは、意を決してイザベルを “壁の中” へと連れて行く。イザベルは小説の中の冒険のようだと興奮する。ヒューゴはオートマトンを見せる。人形の表情に、イザベルが「悲しそう」。「待ってるんだと思う」。「何を」。「また動いて、すべきことをするのを」。「ネジを巻いたら、どうなるの?」。「分からない」。イザベルが鍵を渡す。しかし、ヒューゴは手に持ったまま、ためらう。「どうしたの?」。「バカげてると思うけど、父さんからのメッセージのような気がする」。そして、鍵を差し込んで回す。一斉に歯車が回転し、複雑なパターンでカットされたカム車が自動的にセットされると、腕が固定され、ペンをもった手がインク壷に向かって動き始める。ヒューゴは喜ぶ。インクに浸したペンが、少しずつ、何かを書いていく。
  
  
  

何を書くか、興味津々の2人だったが、バラバラの模様を少し書いただけで人形は停まってしまう。「直せたと思うなんて、バカだった」「壊れてるんだ」と、頭を抱えてヒューゴは涙ぐむ。「もし直せたら、孤独じゃなくなると思ったのに」。その時、再び人形の手が動き始める。人形が書いたのは、文字ではなく絵だった。しかも、偶然に、父と最初に観た映画の。描き終わって、最後に署名が書かれた。「ジョルジュ・メリエス」。ヒューゴは、人形に向かって「ありがとう」「父さんからのメッセージだ」「答えを見つけないと」と話しかける。
  
  
  

答えは、メリエスのアパートにしかない。早速2人は、その夜アパートに向かう。イザベルは、ママ・ジャンヌにヒューゴを紹介する。夫から泥棒だと聞いていたので、ヒューゴは冷淡に扱われる。そこでヒューゴは、イザベルが説明し始めるのを止め、オートマトンの描いた絵を渡す。ママ・ジャンヌは、亡霊を見たように驚く。ヒューゴが苦労して直したオートマトンが描いたと話すと、褒められると思いきや、「持ち帰って。過去は掘り返さないで」「パパ・ジョルジュには絶対見せちゃダメ」と意外な反応。だが、ヒューゴは必死だった。「父さんと僕で、頑張って直したんだ」「思い出の品はこれしかないから」「何の意味なのか知りたい」「お願い」。
  
  

そこに、パパ・ジョルジュが帰宅。ママ・ジャンヌは慌てて2人を寝室に隠す。その時、ヒューゴは、彼女が一瞬タンスを見たのに気付く。そこで、よく調べると、一番上の板がずれている。背の高いイザベルが椅子に乗って板を外し、中にあった木箱を出そうとする。すごく重いので、引っ張り出した勢いで椅子が壊れ、箱の中身が部屋中に散乱してしまう。そこに、音を聞きつけたパパ・ジョルジュが入ってくる。彼は、その様子を見ると唖然とし、紙を拾って握りしめ、「よみがえってしまった」と、くしゃくしゃにして破ろうとする。止めようとする夫人。「やめて、あなたの作品よ」。「わしの?」「わしは何なんだ?」「文なしの商人だ。壊れたぜんまい仕掛けの人形だ」。ヒューゴに向かって、「信じてやったのに、これがそのお礼か」「お前は残酷だ」と言って顔を覆って泣く。
  
  

翌日、謎を解こうと、2人は本屋から教えてもらった映画アカデミーの資料室に向かう。捜すのは、『夢の発明―映画創成期の物語』という本だ。本を見つけた2人は、机の上に広げて読む。途中まで来て、“お月様の絵” に目を奪われる。題名は『月世界旅行』。そして、ジョルジュ・メリエスについての解説が。「第一次世界大戦中に死去」と書いてある。「死んだ?」。その時、背後から「君たち、メリエスに興味あるの?」と声がする。その男は、何と、本の著者だった。2人は、メリエスは生きていると伝える。男は、2人を自分の研究室に連れて行き、メリエスの崇拝者だと自己紹介し、興奮して自分のコレクションを見せる。
  
  

駅の時計を整備する時間になったので、ヒューゴについてイザベルも再び “壁の中” へ入って行く。いつも通り、まず、駅構内の空中時計から。作業しながら、ヒューゴは「あの人をパパ・ジョルジュに会わせて、映画を観せよう。そうすれば、忘れ去られてないって分かる」と提案する。イザベル:「ママ・ジャンヌに話すべき?」。「ううん、手品をやる時みたいに、あっと言わせよう」「華々しくやらないと」。「最高!」。次は、時計塔の大時計だ。ヒューゴは、作業をしながら、「どんな機械にも使命がある。だから、壊れた機械を見るのは悲しい。もう使命を果たせないから。人間だってきっと同じだ。役割がなくなると、壊れてしまう」と語る。イザベル:「パパ・ジョルジュみたいに」。「きっと治せるさ」。「あなたの役割って、治すこと?」。「分かんない」。「私の役割は 何かしら?」。ヒューゴは作業が終わると、イザベルをガラスの文字板の前に連れて行き、一緒にパリの街並みを見下ろす。「どんな機械にも、不要な部品は一つもない」「すべてが必要な部品だ」「だから、もし、世界が一つの大きな機械だとしたら、僕は不要な部品なんかじゃない」「理由があるから、ここにいるんだ」「てことは、君にだって、ちゃんとした存在理由がある」。2人はしっかりと手を握り合う。
  
  

ヒューゴは、メリエス研究家を連れてアパートに行く。夫人は、突然の訪問に拒否反応を示す。しかし、研究家の、「あなたのご主人に、ひとかたならぬ恩義を感じています」「すべての映画を拝見し、感銘を受けました」「ご主人は偉大な芸術家です」という言葉に、夫人の顔も思わずほころぶ。さらに、「今もお美しい。映画に出ておられた時のように」と言われ、「もう一度、昔のあなたに会われませんか?」と勧められ、フィルムを持参してきたと聞き、てみたくなる。手回しの映写機で短いフィルムを観る4人。例の “月世界” のシーンもある。観終って、イザベルが思わず「ママ、きれいだった」。すると、「今も美しい」という声がする。いつの間にか、メリエスが、映写機の音に気付き、調べに来ていたのだ。夫人が、「あなたは、これまで過去を忘れようと努めてきた。でも、それはただ、あなたを不幸にしただけ。きっと、思い出す時が来たのよ」と言うと、メリエスは、ヒューゴに向かって自分の半生を語り始める。心血を注いだオートマトンの製作、映画との出会い、手品師だった経験を活かした映画づくりの楽しさ、充実した前半生、戦争の到来によって打ち砕かれた夢。破産。そしてフィルムを溶かして得た僅かな金でおもちゃ屋になったこと。最後に、愛しいオートマトンは、壊すに忍びなかったので、博物館に寄付したが、一度も展示されないまま、火災に遭い、自分が作ったものはすべてなくなったと寂しく付け加える。ヒューゴは、「すぐ 戻ります」と言って、駅に向かった。
  
  
  

ところが、駅では運悪く警務員に見つかり、事務所内の監房に入れられてしまう。しかし、鍵開けはお手のものだ。警務員が警察に連絡している間に檻(おり)を抜け出し、オートマトンを取りに “壁の中に”。しかし、警務員と犬もしつこく追いかけてくる。時計塔のてっぺんまで追い詰められ、ヒューゴは、決死の思いで、ガラスの文字盤にあるメンテナンス用のドアから屋外に出る。時計の針にぶら下がるが、落ちれば一巻の終わりだ。
  
  

ヒューゴは、警務員と犬を一旦はやり過ごし、オートマトンを抱いて駅構内を出ようとする。しかし、いつしか迫る警務員。「捕まえた」と腕を取られた弾みで、オートマトンが宙を飛んで、線路に落ちる。蒸気機関車がホームに入ってくる。ヒューゴは、人形を助けようとホームに飛び降りる。必死で急ブレーキをかける機関士。ヒューゴは、間一髪、警務員に引き上げられた。連行されるヒューゴは、警務員に向かって懇願する。エイサの渾身の名演だ。「聞いて、お願い、どうか、聞いて!」「分からないと思うけど、僕を行かせて」「僕にも分からない。なぜ父さんが死んだのか。なぜ僕が独りなのか」「でも、これが、僕に何かができる… 証なんだ」「たのむから、分かってよ!」。メリエスが大きな声で言う、「分かるぞ!」。そして、警務員に向かっては、「その子は、私の子だ」と擁護する。ヒューゴはメリエスにオートマトンを渡しながら、「ごめんなさい。壊れちゃった」と謝る。メリエスは、「いいや、違う。完璧に機能した」(つまり、自分を目覚めさせてくれた)と言って、ヒューゴを抱き寄せる。感動の一瞬だ(原作にはない)。
  
  
  

半年後、「ジョルジュ・メリエスの生涯と偉業を讃える夕べ」が映画アカデミーで開かれた。今は、メリエスのアパートに住み、学校にも通っているヒューゴがタキシードを着てイザベルと仲良く座っている。メリエス研究家の司会で、映画アカデミーの新メンバーとしてメリエスが紹介され、満場のスタンディング・オベーションを受ける。それに対し、メリエスはヒューゴを見つめ、「私が今夜、あなた方の前に立っているのは、ある一人の勇敢な少年のお陰です」「彼は、一つの壊れた機械を、困難をものともせず修理しました」「それは、私が見た中で最も優しい手品でした」(原作にない)。そして、メリエスの傑作集が上映される。
  
  

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