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Incompreso 天使の詩

イタリア映画 (1966)

言わずと知れた半世紀前の名画である。フィレンツェ郊外のイギリス領事の美しい邸宅の中で展開する父と10才の長男アンドレア(Stefano Colagrande)の誤解が重なっていく悲劇の物語。原題の「Incompreso」はそのものずばりの「誤解」。原作はイギリスのフローレンス・モンゴメリー(Florence Montgomery)による『Misunderstood(誤解)』(1869)(邦訳名、幼い天使)。2010年にリマスターされたDVDには、故ルイジ・コメンチーニ(Luigi Comencini)監督の娘で自身も監督のクリスティーナ(Cristina Comencini)と脚本家の一人ピエトロ(Piero de Bernardi)の35分近い対談も入っていて、いろいろな舞台裏が紹介されているので、それを含めて紹介していこう〔該当部分は青字〕。

フィレンツェ駐在のイギリス領事サー・ジョン・エドワード・ダンカムには10才と5才(実年令)の男の子がいた。兄がアンドレア、弟がミーロ(Simone Giannozzi)。イギリス人なので正しくは、アンドリューとマイルズだが、イタリア映画なので、全編イタリア語で話は進む。だから、アンドレアとミーロ。父親に扮するのはイギリスの名優アンソニー・クエイル(Anthony Quayle)。当然、イタリア語は流暢に話せないので、イタリアの名優ロモロ・ヴァリ(Romolo Valli)が吹き替えている。領事は、若い妻を亡くしたばかりで悲しみにくれているが、兄の方には死んだことを打ち明け、弟には黙っていることにする。このスタートから、誤解が誤解を生み、兄にはドライに、弟には甘く接する領事。この差別は、エピソードの積み重ねでエスカレートし、兄アンドレアは喪失の悲しみを何重にも味わい孤立を深めていく。そんな中、登場するジョン・シャープ(John Sharp)演じる大らかなウィル伯父さん(正確には大伯父)。事態は一時改善の方向に向かうが、弟ミーロの悪意はない反抗と嘘により一気に崩壊する。そして終章。アンドレアは、ミーロ絡みの事故により重体となる。死別の前の、対話による救済。迫りくる死と、父親からの懺悔のどちらが早いかのせめぎ合いという辛く悲しいドラマを、感傷的ではなく上品で知的にまとめている。対談では、この映画が、監督の一種の自叙伝だったと明かされる。13才で父を亡くし(映画とは逆)、人生が変わってしまった時の寂しさを映画に注ぎ込んだと。脚本家のピエトロも14才で父を亡くして打ちのめされた。こうした実体験が、死と向かい合ったことによる喪失感の描写を真に迫ったものとあしたと分析されているが、なるほどと頷かされる。なお、『天使の詩』は2012年にブルーレイが発売されたが、その日本語訳は誤訳と悪訳の見本とも言える。破壊行為と非難しても過言ではない。以下のあらすじで引用している台詞は、すべて原文(イタリア語)からの訳である。

兄を演ずるステファーノ・コラグランデ(Stefano Colagrande)は裕福な家庭に育った内気な少年で、気品の感じられる演技は本人の地であろう。現在は名門フィレンツェ大学の生物医学科の準教授。弟を演じるシモーネ・ジャンノッツイ(Simone Giannozzi)は酒屋の悪戯息子。実に天真爛漫だが、悪びれない悪さが怖い。この映画には思い入れがあるので、特別バージョンとして、非常に詳しく紹介する。あらすじに入る前に、クリスティーナ・コメンチーニとピエトロ・デ・ベルナルディの対談の様子を示しておく。原作との違いについて、「兄弟も設定もまるで別物。同じなのは、父親のひいきだけ…」。「チビ君への」。「小説の子供達は、2人とも性格はそれほど違ってなかった。映画では違いが強調されてる。小説では意地悪はなし。映画ではかなり意地悪。それが事態をどんどん悪化させていく。小説では、ただの悲劇」。「子供同士に嫉妬はない。そこは同じだ」と語っている。また、アンソニー・クエイルについて、「吹替えは、名優のロモロ・ヴァリが担当。ちょっと贅沢すぎる気もするわね。名優の声を名優が吹き替える。英語訛りがないなんて絶対変なのに、映画だからいいのよね」。知られていない秘話だ。
  


あらすじ

フィレンツェ郊外のヴィッラ。13-14世紀にルネサンスが花開いた頃、フィレンツェ郊外の丘陵地帯に貴族たちがこぞって建てた「イタリア露檀式庭園」をもつ別荘の一つだ。並木の先に建つ屋敷の前に黒塗りのジャグワーが乗り付けられる。そこから降り立つフィレンツェ駐在のイギリス領事。サー・ダンカム。妻を亡くして日も浅い悲痛な表情が印象的。次のシーンは、子供たちが預けられていたギレ邸。元・使用人のドーラが迎えに来たところだ。「さあチビちゃん、お鼻かんで」。ミーロ:「風邪だよ」。「いつもの事でしょう?」。病気がちなミーロを甘やかさないところがいい(後から出てくる看護婦のような保母は最悪)。ドーラが「じゃあ、おウチに戻りましょう」と言うと、ミーロが「母さま、戻って来た?」と訊く。「いいえ、まだよ」。その会話を聞くアンドレアの表情は暗い。後から分かることだが、アンドレアは母の病気と死を漏れ聞いていて、そのショックから立ち直れないでした。家に戻り、階段を上がる時、葬儀で使われた花が散乱しているのを見る表情も寂しそうだ(3枚目の写真)。
  
  
  

父が2人を出迎え、ミーロには母親代わりの保母が付けられる。主人の前では愛想よく、子供だけになると厳しく、自己保全に汲々とするタイプだ。この保母を手配した英国人会の人選は失敗だった。なぜ保母に拘るかと言えば、悲劇の引き金になるからだ。子供たちが行こうとすると、父が、「アンドレア、待ちなさい。話しておく事がある」と引き止める。そして書斎に連れて行き、母の死を打ち明けようと、重い口を開く。「お前たちをギレさんに預けた時、こう話したろ、 『お母様が突然、出かける事になった』と。それは、本当じゃなかった」「お母様は、この家にいて病気だった」「で、お前たちが いない間に、容態が悪くなった」「それで…」「いいかい、アンドレア…」。なかなか話せない。その時、アンドレアは、「知ってる。ギレさんの家の人が、話してるのを聞いた」と先に話す。それを聞いた父は、「なら、良かった。お前の勇気には感心する。お前は強い子だ。お母様が亡くなった事を、どう話そうかと悩んでいた。まさか、こんな展開になるとは。とても良かった。お前なら、逞しく生きられる」。かくして、誤解の第一歩が始まった。父の言葉を聞くアンドレアの耐え難いような表情(2枚目の写真)。それを父は見過ごした。父は最後に、「一つだけ約束して欲しい」。「はい、父様」。「ミーロには、何も言うな」。「言いません」。「約束だ」。「約束します」(3枚目の写真)。これも、重要な伏線となる。
  
  
  

アンドレアが、歌いながらシャワーを浴びている。そして、シャワーを終えて、思わず「母様! バスロー…」と叫び、母の死を実感する。対談では、この挿話について、ピエトロが「タチーナ(脚本家の1人)の素敵な発想だ。母親が死んだってことを、忘れてる。脱帽だ」と述べている。
  

次が、保母の自分勝手でご都合主義的、権威主義的な一面が明らかになるシーン。ミーロが栄養食を食べさせられようとして必死に抵抗する。「さあ、坊や、幼子イエス様の好物ですよ」。「こんな生ごみ、食べるんもんか!」。そこにアンドレアが学校を終えて帰ってくる。保母は、ひとくさりアンドレアを批判すると、再びミーロを責める。「ゼリーは、体にいいの」。「こんなの嫌いだし、お腹空いてない」。「勝手になさい! お父様に、残したゼリー見せますからね」。可哀想にと思ったアンドレアが、スープを飲み干してやる。「お利口でしょ? 全部食べた」とミーロ。しかし、アンドレアの口に付いたスープを見て、「あなたね!」。「違うよ」。「何をしたか分かってるの? この子は、ビタミンを補給が必要なの」。「すごく マズいもん」とミーロ。「そうだ。こんなの食べ物じゃない。ゲテ物だ!」とアンドレア。「いい、お手本だこと。お父様に、話しますよ」。この保母が、子供嫌いなことは確かだ。
  
  

ある日のお昼、アンドレアが食堂(1枚目の豪華な部屋!)に行くと、父がいない。「お父様、今日も ご不在?」と訊くと、「電話がありまして、お客様と ご一緒とか」。母の席をじっと見、父の席に用意してあった皿が片付けられるのも見ている(2枚目の写真)。食べようとしないので、「坊ちゃま、食欲ないのですか?」と尋ねられ、我に返る。「腹ペコだよ!」と言い、調理場へ行ってローストチキンを皿に載せ、ミーロのいる寝室に向かう。階段で保母と会うと、鋭い質問が飛ぶ。「食べ物を持って、何を?」。「昼食」。「どこで?」。「ミーロと」。「ダメです。休ませないと。お昼は、食堂でなさい」。「一人で 食べたくない」。保母は、アンドレアを正面から見下ろしながら言い聞かせる(3枚目の写真)。「いいこと、お父様のご希望はミーロの休息。それを実行するのが、私の役目なの。あなたも、協力して」。「分かった」。アンドレアは、ミーロと保母の口論を聞きながら、皿を持ったまま庭へ。4枚目の写真でアンドレアの前にあるのがカナル(水路)。その向こうには典型的なイタリア式庭園の一部が見える。アンドレアは一人寂しく、“度胸試しの木” にぶら下がって鬱憤を晴らすのだった。広大な敷地の大邸宅であることがよく分かる。
  
  
  
  
  

夜。ミーロに童話を読んでやって部屋に戻る父を、アンドアが呼び止める。「明日、学校で柔道の試合があるけど、見に来てもらえない?」。「明日か? とても無理だな… アイルランドの代表団に言えないだろ… 息子の試合で中座するとは。どう思う?」「そうだね」。そして、学校での試合。アンドレアと喧嘩友達のフランツィーニが対戦していて、フランツィーニを押さえ込んだところで、父が部屋に入ってきた。予期せざる出来事に驚いたアンドレアは、隙をつかれ、フランツィーニに逆転され、そのまま敗戦。うなだれるアンドレア。その夜、アンドレアは父の書斎を訪れた。そして、敗戦の悔しさをぶつける。「負けたけど、勝ってた。見てたでしょ? 押さえ込みが決まるまで、あとちょっとだった。そこに、突然 父様が…」。すると、父の非情な一言。「行かなければ、よかった?」。「違う! 分かってないね! 来れないと聞いてたから、期待してなかったんだ。驚いた拍子に、フランツィーニが抜け出して、僕を押え込んだ」。「深刻に考えるな」。「違うよ! まあ、そうかも… とにかく悔しいんだ」。「大した事じゃない。負ける事も大切な経験だ。次、勝てばいい。私は、いないから」。最後の言葉が怖い。このシーンについて、対談では、クリスティーナが「柔道のシーンも胸に痛いわ。遅れて入って来るから、動揺する… 大人と子供の視点の違い。突飛だけど、ありがちね」「負けたワケを必死に説明するんだけど、もうたくさんと思われちゃう。喪失の悲しさだわ」と述べている。
  
  
  

夜。雷雨。寝室ではミーロが怖がって、アンドレアのベッドに逃げてくる。そして、アンドレアが返答に困るような質問を連発する。「母さまに会いたい。どうして戻らないの? 戻るって言うけど、ちっとも帰って来ないじゃない」。難しい質問だ。アンドレアは、「母様には、やる事がある」。ミーロは、「どこで?」と訊く。「どこだと思う?  ある所だ」。「どんな所なの?」。「別荘だ。とっても素敵な。大きな芝生のある庭。池もあって白鳥がいる。それと馬で一杯の厩舎。日曜にはみんなで森に狐狩りに」。「玄関の絵 みたいに?」。「その通り」。「そこで、何してるの?」。「ここで、してたような事だ。パンとバターの朝食を用意したり、口紅を塗ったり、みんなを母様の美しさでうっとりさせる」。「なら、どうしてここで やらないの?」。「どうして? もちろん、やるさ。でも… できないんだ…」。いたたまれなくなったアンドレアは泣き声になる。
  
  

そこに、父が入ってくる。ミーロは、アンドレアとの会話から受けた不満と疑問をそのまま父にぶつける。「母さまに、会いたい」「母さまは、死んだ」。父は、アンドレアを「何を、話した?」と責める。「何もだよ! 誓って何も!」。しかし、父は、ミーロを抱くと、「さあ、坊や、向うに行こう」と言って連れていってしまう。アンドレアが「父様!」と叫んでも、一顧だにしない。アンドレアは、母の絵の架かっている客間まで行き、「なぜ、信じない? なぜ、父様は、僕を信じない? なぜ?」と自問する(3枚目の写真)。
  
  
  

アンドレアが主庭園の通路を自転車で一周し、時間をミーロがカウントしている(実に広い庭園だ!)。「1、2、3、4、5、7、9、8、10、12、13、15、17」(順番が正しくない)ときて、その先が分からなくなり、遠くで休んでいる保母に「ねえ、17の次は、何?」と訊く。保母は、ミーロが危ない場所にいることに気付き、自分の不注意になることが心配で、「ミーロ、いい子だから 降りて!」と叫ぶ。「いい子って 言うけど、それなら17の次 教えてよ!」。「知りません! 誰が そこに?」。「お兄ちゃま。ボク、時計係だよ」。保母は、叱ってやろうと、「アンドレア!  すぐ、自転車をやめなさい!」と命ずる。そして、通路の真ん中に立って通行を阻止する。「危ない。どけよ! どけってばキチガイ!」。避けようとして、自転車ごと転倒したアンドレア。「殺すトコだった!」。見ていたミーロは、「そんな キチガイ、殺しちゃえばよかった!」。この言葉にキレた保母は、「辞めてやる!」と出て行く。ミーロは、「すごかったね! キチガイ相手に」と兄を賞賛。アンドレアは、「母様は、自転車を速く走らせると、喜んでくれた。計測して、記録を破ると、ご褒美をくれた。あいつ、何様の つもりなんだ?」。最後にミーロは、「お池に 連れてって」と頼む。「すぐ 行こう! 僕たち、自由だから」。このシーンについて、対談では、クリスティーナが「庭園のシーンも すごく孤独なのよね。2人とも自由だけど、寂しかったと思う。子供たちだけでしょ」と述べている。
  
  
  

印象的なボートのシーン。2人だけでボートを漕いでいる。先ほどの主庭園も広かったけれど、イギリス自然風景式の庭園部分は遥かに広大だ。その広い池にいるのは子供たち2人だけ。「お兄ちゃま、母さま どんなだった?」。「憶えてないのか?」。「前は憶えてたけど、今は ほとんど…」。「応接間の肖像画、知ってるな? あれは夏。冬はもっと青白い。母様は走ると、顔を赤くして よく笑った」。話を聴いているミーロの顔の中に、母の面影を見たアンドレア。「お前、似てる」。「誰? 母さまに」。「ああ… 目も、口も。笑ったトコ なんかも」。この時の2人の笑顔がとてもいい。2人の会話は、その後、深刻な方向へ。「お兄ちゃま、死ぬって どういうこと?」。「説明するのは難しい」。「どうして?」。「目をつむって息を止め、耳を塞いでみるんだ。きっと、そんな風さ」。「でも、何も見えないよ」。「何が、見たかった?」。「母さま」。「母様を見るには、死なないと」。最後のアンドレアの言葉は重い。最後の場面で、死を受容する大きな要因にもなっている。
  
  

別な日、2人がお小遣いを出し合って、父の誕生日プレゼントを買う相談をしている。「大事なのは、アイディアなんだ。覚えとけ。値段は 関係ない」。そして、「じゃあ期待してろよ、ミーロ」と言って自転車をこぎ始める(1枚目の写真)。自転車をつかまえようとして、地面に落ちたミーロ。「お兄ちゃま」。「何、めそめそしてる?」。「半分以上は、ボクのお金だ」。「ミーロ、無理言うな。フィレンツェは 遠い。2人乗りは 無茶だ」。しかし、ミーロは一緒に行くと言い張る。「ミーロ、駄々をこねるな。泣くなよ」。「泣いてやる!」。アンドレアは、無視して自転車で出発するが、直線コースを必死で走って先回りしたミーロが門に立ちふさがる。「どくんだ、ミーロ!」「ミーロ やめろ! 無駄だ!」。しかし、結局無理が通り、しぶしぶ連れて行くことに。
  
  
  

次のシーンは、フィレンツェの中心を流れるアルノ川に架かるヴェッキオ橋。1345年に架けられた市内最古の石橋で、橋の上の両側に店舗が並んでいる観光名所だ。橋の上を行き来しながらプレゼントを選ぶ2人。結局2人の写真入りの紳士小物セットにすることに。橋の中央は店舗がなく、そこに立って写真を撮ってもらう。2人の後ろに見えるのは、1569年に架けられたサンタ・トリニタ橋。このシーンについて、対談では、クリスティーナとピエトロが、「ヴェッキオ橋といえば、例のシーン。パパのプレゼントを買いに行く。家並も とても美しい」。「最高のショットだ」。「橋の上で、妹のエレノラがエキストラ出演」。「ほんと?」。「ええ、見ても 分からないけど」と述べている。
  
  

アンドレアが急な坂を必死で登っている。背後には、フィレンツェのシンボル、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(1296年起工)の巨大な楕円形ドーム(赤い屋根)が見える。「あの写真屋め。30分と言ったのに、2時間もかかった。父様より1分でも早く着かなくちゃ」。「カタツムリ みたい」。「急坂で、お前が重いからだ!」。後ろから来たバスにクラクションを鳴らされ、バスの後輪の覆いにちゃっかり掴まることにしたアンドレア。これで時間は稼げたが、後から父の車が迫る。「領事閣下、あの2人 ご覧下さい」。「正気じゃない」とあきれる父(自分の子だとは思っていない)。しかし、近づくと、「あ… アンドレアだ。ミーロもいる!」。そして、追い抜きざま、「アンドレア、バスから離れろ! すぐ手を放せ! 何て非常識な! 帰ったら覚悟しろ!」と怒鳴る。このシーンについて、対談では、クリスティーナとピエトロが、「最高ね。むちゃなシーンだけど、最高。よく撮ったわね。子供たち、ほんとに バスに掴まってるんだもの。だから激怒する」。「当然だ」。「お父さんに好かれたいのに、いつも悪い方に。喜ばせようとして、失敗をくり返してしまう」と述べている。
  
  
  

帰宅したアンドレアは、父に激しく叱咤される。「呆れ果てて、叱る気にもならん。矯正不能だ。責任感というものがない!」「今後は、何でも勝手にやったらいい。好きにしろ」「だが、一人でやれ。ミーロに 構うな!」「分かったか?」。アンドレアも珍しく反論する(1枚目の写真)。「連れて行きたくなかった。でも、しつこくせがまれて…」。「お前に、なついてるからだろ?」。「ええ」。「だが、お前の方は、扱いに困ってオモチャにしてるんだ」。叱られている場へ、ミーロがプレゼントを持って入ってくる。「誕生日おめでとう」。「そうだった。どうもありがとう」(2枚目の写真)。それを見ている複雑な表情のアンドレア(3枚目の写真)。包み紙を破ると、そこには2人の写真があった。そこで父も、「これでは、慎重に対処しないとな」と言う〔プレゼントの中に、父の運転に対し、「慎重にね」と子供達が書いた言葉を引用した〕。「寄宿学校に入れてよ。僕は 悪い子だ」というアンドレアに対し、「気付かないだけだ。周りの事に関心が持てない。あの時も、悲しそうには… だから、『良かった』と… だが、度が過ぎる。いつか、うっかり弟を傷付ける事になりかねない」。“気付かず” “周りの事に関心が持てない” のは父の方だ。『良かった』というのは、最初にアンドレアに母の死を打ち明けようとした時に使った言葉だ。そして、“うっかり” アンドレアを死なせてしなうことになる。そういう意味で、非常に重要なシーンの1つだ。
  
  
  

映画の中で最も心に迫るシーン。ミーロと無線で遊んでいて、書斎の戸棚の中で変わった器械を見つけたアンドレア。それは、当時まだ珍しかったテープレコーダーだった。ボタンを押すと懐かしい母の声が聴こえる。父はこれを独占してきたのだ。器械に耳を寄せて聴き入るアンドレアの顔のクローズアップ。背後に流れるのは、モーツアルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章。悲しみに満ちたメロディー。古典派のピアノ協奏曲の最高峰、白眉の楽章との評もある。選曲の見事さには脱帽させられる。テープが、エリオットの詩「夕暮れの静けさが、空に広がっている」まできた時、大叔父が到着して中断。その夜、続きを聴きたくて、アンドレアはこっそり書斎に忍び込む。しかし、詩はすぐに終わってしまう。巻き戻してもう一度聴こうとするが、ボタンを色々押しても何も聴こてこえない。実は重ねて録音し、大切な母の声を消してしまったのだ。
  
  

順序は逆になるが、テープの音を消す前に、大叔父と会うシーンがある。太った、実によくできた人間だ。2人の子供とじゃれ合うこともできる。「お兄ちゃまは、いつも9点や10点なの」。「ほんとなら、大変だ!」。「どうして?」。「勉強のやり過ぎは、異常で自殺行為だ」。「勉強なんか、ほとんどやってません」。「まさか、頭がいいんじゃなかろうな?」。「普通ですけど」。「なら いいが」。「どうして?」。「頭がいいのは、タチが悪い」。そして、テープを消してしまった翌朝、庭で。大叔父とミーロが話している。「カバンの中味、何なの?」。「つまらん物さ。頭とか…」。「頭?」。「子供の頭… コレクションだ」(2枚目の写真)。大叔父は無邪気なミーロをからかうのが好きなようだ。その時、父の怒声が響く。「テープレコーダに触ったのは、誰だ? テープが、消されてる!」。アンドレアは、思わず、「僕、何もやってない!」と口にする。「僕、テープレコーダには、触ってない」。「本当か、アンドレア?」と疑う父。「はい。誓って」(3枚目の写真)。初めてつく嘘だ。
  
  
  

アンドレアは、必死だった。フィレンツェ市内の電気店に行き、何とか “母の声” を取り戻そうとする。「消えたの?」。「消えちまったのさ。何度 言えば、分かる?」。「元に戻せない?」。「ないものは戻せん。操作を間違ったんだ。だが、テープは使えるぞ」。「もう一度、試してよ。幾らでも払うから」。「何もできん。まだ、分からんのか? ないものは、ない」。あきらめて店を出ようとするアンドレアに店主が声をかける。「泣いとるのか? テープに何が入っとった?」。「母様の声」。「なぜ、泣く? どうして? 亡くなったのか?」。理由を知った店主は、「可哀相に。済まんな。だが、わしは魔法使いじゃない」と慰め、店の奥に連れて行き、「来なさい坊や。元気になる薬をあげよう。強くて焼けるが万能薬だ。すぐに、気分がガラッと変わる」と蒸留酒を少量飲ませる。しかし、店主が電話に出ている隙に、アンドレアはコップに並々と注ぎ入れ、飲んでしまう。
  
  

遠い自宅まで自転車をこぎ、全身にアルコールが回ったアンドレアは、芝生の上で酔って倒れてしまう。水をかけて目を覚まさせようとするミーロ。大叔父に見つかり、「酔っ払ってる!」と叫ぶ。親切な大叔父は、誰にも見つからないよう自分の部屋に担いで行き、そこで吐かせ、ベッドで休ませてやる。その時の会話が、人柄が出ていて面白い。「もし理性を取り戻したら、わしの好奇心を満足させてくれんか?」「木曜は酔っ払う日? それとも これは例外?」。「初めてです」。「ならいい。酒は、ちと早すぎる」「ま、時には やむを得ん事も」「理由があるんだろ?」。「訊かないで。言いたくないの」。「大丈夫。呑兵衛には暗黙の協定があって、他人の酔っ払う権利は尊重する」「休んで、夕食までには しゃきっとするんだぞ」。大叔父が好きになるアンドレア。
  
  

父が、叔父と息子を妻の墓所へ案内する。いつも母の墓に来ているので、アンドレアは大叔父を案内して歩く。「よく、来るのかね?」。「はい、時々」。父は、墓に供えようとバラの花束を持って来ていた。しかし、墓にはアンドレアが供えた花が。ミーロは「ねぇ、父さま。また 花が供えてある」と言うと、父が叔父に説明する。「矢車草は、妻が大好きだった花です。いったい誰が…」。しかし、父は矢車草を惜しみなく捨て、ミーロと共にバラを生け始める。それを見たアンドレアの寂しい表情(2枚目の写真)。この個所について、クリスティーナは、「供えた花を捨てられるところ、残酷だわ」と言及している。アンドレアは、その後も墓に近寄らず、口笛を吹いて気ままに動き回っている。誤解してばかりの父は、叔父に、「アンドレアを ご覧なさい。世界が終わっても、ああして遊んでますよ」と言って目をひそめる。しかし叔父は、「君は間違っとる、ジョン。アンドレアは、主人を亡くした犬だ。優しく抱きしめてやらないと」と指摘する。そして、「子供や犬を、侮辱する気はないが、どっちも似とる。主人を 求めてる点で」とも。「私は、友達になりたいんです」。「友達じゃない、ジョン、主人だ」。
  
  

叔父の言葉に、感じるものがあった父は、領事館の前で車を降りる時、今まで一度もしなかったことを口にした。「アンドレア、私と一緒に残らないか?」。「なぜ?」。「手助けを してもらおうかと。手紙を開けたり… もし、よければだが」。「うん、やりたい!」。アンドレアは、喜び勇んで父の執務室へ。「さあ、ここが私の部屋だ。気に入った?」。「ええ」。山積みの郵便物の封を切る父の姿を、アンドレアは嬉しそうに見ている。その後、英国大使宛の大切な手紙の口述筆記を頼まれ、失望させないよう頑張るが、あまりの速度についていけない。「早すぎるよ、父様」。「済まなかった」。そして、父は意外な提案をする。「なぁ、お前。土曜日には、大事な授業あるかい?」。「土曜日… 算数の試験だけど、どうして?」。「ローマに連れて行こうかと… だが、試験なら…」。「父様、連れてって!」。「学校から帰ったら出かけよう。外食して、3時間でローマだ。日曜の夜には、戻れる」。「それほんと?」。「ああ、もちろん。だけど、いい秘書になるんだぞ」。「はい、父様」。アンドレアが、これまでで最高に嬉しかった瞬間だ。
  
  

午後は、ニジェールの留学生との昼食会。事前に大叔父から、ぐつぐつ煮られて食べられた男のホラ話を聞かされていたミーロは、目の前に座った黒人が怖くてたまらない。兄に話そうとするが、「ミーロ、何してる? 席に戻って」「何のつもりだ?」「食事中に席を立つな」「内緒話も失礼だ」「話す時は大きな声で」と叱られる。そして、「話すんだ! さぁ、思いきって」「何を怖がってる? とって食われる訳でなし」。比喩で言った “食べる” をまともにとったミーロ。「違うよ! この人たち、生きてる人間を食べるんだ」とトンデモ発言をしてしまう。外交官として慌てた父は、「ミーロ、何を言う! 気でも狂ったか?」と制止するが、ミーロは、「叔父様の話では、この人たち、生きたまま人を食べるんだって。特に、柔らかくて… 白い子を」と言ってしまう。この箇所について、クリスティーナとピエトロは、「黒人とのシーンは、政治的な失態とまでは言えないわ。子供が、叔父さんの冗談を 真に受けただけだから」。「前もって、脅されてたからな」と述べている。一旦は最悪に不機嫌だった父も、車の中で笑いこける叔父と子供たちに懐柔され、駅では気持ちよく叔父と分かれることができた。大叔父が乗っているのは、イタリア国鉄が誇るセッテベロ号。当時では、画期的な屋上運転台式前面展望車だった。去って行く大叔父とともに、アンドレアの幸せも消えてしまう。
  
  

土曜の朝、父とローマに行く日だ。出発は学校から帰った後だが、洗車のため、早朝寝室をこっそり抜け出すアンドレア。ミーロに見つかるとうるさいからだ。しかし、見つかってしまう。パジャマ姿のまま兄を追って庭に出てきたミーロ。「どうして、出てくの?」。「出てくもんか! ベッドに戻れ、風邪ひくぞ」。「出てかないなら、どうして車を?」。「洗車して、父様を驚かすんだ」。「ボクも、驚かしたい」。「父様に優しくしてもらったのは、僕だ」。「優しくって、何を?」。「ローマに連れてってもらえる」。「嘘ばっかり」。「ほんとさ。昼食後、2人で出発する」。「ボクもローマに行きたい」。ダダをこねると止まらない。それでも何とか、「もし、洗車させてやったら 満足するか?」。「うん」。「お利口に、ベッドに戻るな?」。「うん」。アンドレアは、車を手で押して、ホースの届く場所まで自走させる。そして、洗い始める。もちろん濡れるといけないので、ミーロには近づかせない。ミーロが栓を開ける。「水、行った?」。「来るな。濡れたら風邪ひく。そこにいろ」。洗車が終わり、「水を止めて」と言うが、ミーロは止めるどころか、ホースをたぐり寄せ、全身に水をかける(2枚目の写真)。「ミーロ! 何してる、このバカ!」。庭を逃げ回るミーロ。「何で、水 かぶった?」。「ほっといて」。「来い、拭いてやる!」「ミーロ、止まれ!」「なぜ、逃げる?」。「ワザと じゃない!」。「ワザとだ!」。「違うモン!」。「嘘付き!」。ミーロは、新しい保母(今度はまとも)にも嘘をつく。「アンドレア、信じられないわ。なぜ、ミーロがワザと水をかぶるの?」。「知るもんか! でも、やったんだ!」。「嘘だよ」とミーロ。「お前、何て奴だ!」「父様に話せば、きっと信じてくれる」。
  
  

しかし、父は信じなかった。学校から喜び勇んで帰宅したアンドレア。しかし、帰宅と同時にローマ行きの自動車は出て行った。アンドレアの荷物だけポツンと置き去りにして。並木道まで走っていって、出て行く車を呆然と見送るアンドレア。アンドレアは仕方なく家に入って行くが、ベッドに横になったミーロからは心無い言葉が。「ローマには、連れてかないって」。「なぜだ?」。「父さま、すごく怒ってた。帰ったら 叱られるよ。また、熱が出たんだ。38度2分」。「自分でやったと、言わなかったのか?」。「言わない」。悔しくて涙を流すアンドレア。見ていると、ミーロがどんどん憎らしくなる。
  
  
  

ミーロは、結局、扁桃腺の除去手術を受け、その間、家には誰もいない。町に出て “不良” するアンドレア。ある日、アンドレアがいつものように、度胸試しの木でぶら下がっていると、ミーロが駈け寄ってくる。「何回、ピシッって音 させたの?」。「4回」。「ボクも、やりたい」。「ダメだ! 僕一人で、ぎりぎりだ!」。「1回だけ!」。「2人じゃ、絶対 無理だ!」。「扁桃腺とったから、軽いよ」。「やめろ!!」。木はミーロの重みで折れ、アンドレアは水面に激しく打ち付けられた(3枚目の写真の矢印)。はっきり言って、これは第2級殺人である。
  
  
  

事故を聞いて家に駆けつけた父。心配したのはミーロのことだった。しかし、保母に、「アンドレア坊ちゃまは、応接間に運びました。すぐに、会ってあげて下さい」と言われ、意外な展開に戸惑う。そして、客間のソファーという話に、「なぜ、ここに?」と訊く。「強いご希望で」と保母。それはもちろん、そこに大好きな母の肖像画が架かっていたからだ。アンドレアは、脊椎の損傷に伴う激痛に顔をしかめながら、「良かった。でしょ? ミーロは無事だった」と父に言う(ここでも、『良かった』という象徴的に言葉が使われている)。皮肉を言えるような状態ではないので、本音なのだろうが、あまりに悲しい第一声だ。そして、「僕の事、怒ってる?」と訊く。「まさか、なぜ お前を?」。「危険だと分かってた。承知の上でやったんだ。やってると、気が休まるから」。ここまで言うと、医者の打った強力な薬が効いて、睡眠状態に入っていった。父が医者に、「一体 何が!?」と質問すると、「誠に残念ですが、恐らく脊椎に損傷が」という最悪の答え。「そんな?! でも、なぜ?」。「幹が当たったか、石の上に落ちたんでしょう。動かす事はできません。レントゲン装置が必要です、専門家も」。父は、イタリアや本国イギリスからも名医を招来した(3枚目の写真)。現在は、重傷の脊髄損傷患者の受傷早期の死亡率が激減しているが、半世紀前では、名医といえどもなすすべがなかった。
  
  
  

アンドレアが 医者の診察を受けた後に、父と最初に交わす会話。「お医者は、みんな帰して。もう、来させないで」。「なぜ?」。「もう、会いたくない」。「治して もらえるのに?」。「絶対 治せない」。「何を言う。世界最高のお医者さんだぞ」。「ううん。話しを聞いちゃった。下半身が麻痺してるって。もう、二度と歩けないんだ」。「違う! 聞き違えたんだ」。アンドレアは、「だといいね」(2枚目の写真)と寂し気に言うと、薬が効いて眠っていった。
  
  

重要な会話のシーン。「一つ、約束して」。「何でも、望み通りに」。「誓って」。「誓うとも」。「歩けないなら、治さないで」。「歩けるとも。良くなってきてるだろ」。「死ぬのは怖くない。母様も死んだんだ。一人で生きてたくない」。「私が いる。いつも、そばにいるだろ」。「違う。父様が好きなのは、ミーロだけ。母様なしで、生きてたくない」。余りにも重い言葉だ。父の受けた衝撃はいかほどかと思う。これだけ言うと、アンドレアは再び睡眠状態に入り(常に痛み止めの強い睡眠剤が点滴されている)、うわ言で、「先生、作文が終わりません。これ以上、書けないんです。ごめんなさい」と言い始める。父は、叔父への電話で、「奇跡を待つのみです。助かっても二度と歩けません。脊椎損傷で、下半身が麻痺し、動かす事も触れる事もできません。服も、昨日遊んでいた時のままです。私の失態です。強い子だと思っていたら、実は、とても脆い子でした。裁かれるのは私です。あの子は、愛されていないと信じています。このまま、逝かせるような事は耐えられません。でも、もう ほとんど意識がないんです」と語る。
  
  

待ちわびていた父の前で、目が覚めたアンドレア。今まで全身を覆っていた酸素用のテントは撤去されている。医者も見放したことが分かる。つまり、死の前の最後の会話だ。「父様」。「よく眠ってたな。気分は?」。「いいよ… 何とか…」。アンドレアは、父が手にしたノートに目をとめる。「読んでないよね?」。「いいや。一緒に読もう。眠ってる間、この話ばかりしてたろ」。「やめて」。「手伝わせておくれ」。「だめ、読まないで。まだ終わってない」。「知ってる。だから手伝いたいんだ。一度だけでも」。「それなら…」。
  
  

そして、最終章。父がノートを読み始める。「『一番の友だちについて、どこに友情を感じるか、書きなさい』。疑いなく、僕の一番の友は父である」。そして、ずっと読み進み、「僕が悲しんでいると、父はすぐ気付き、抱きしめて、こう言ってくれる」。そこで文章は終わっていた。「なぜ、ここで終わってる?」。「父様は、何も言ってくれなかった」。これも非常に重い言葉だ。父は、「アンドレア、一緒に続きを書こう。お願いだ」。そして、作文の続きを書くように、語り始める。「抱きしめて、こう言ってくれる。『息子よ許しておくれ。父は お前を全く誤解していた。自分の悲しみに気を取られ、息子がより深く悲しんでいるのに気付きもしなかった』」「そうなんだろ?」「『それが分かるまで時間がかかり過ぎた。実に無念で許し難い事だ。だが、これから2人は真の友達だ。私が、心から そう願うから。だって、お前は、すべての父親が欲しいと思う理想の息子だから』」。「それほんと、父様?」。「そうだとも」。「僕、きっと治るよ。歩けなくても構わない。だけど、意識が遠のいていく。もし、生きられなくても悲しまないで。母様が、この世を去った時、僕は、父様と一緒に残った。今は、母様が僕を呼んでる」。そして、「父様…」の言葉を最後に息を引き取った(2枚目の写真)。映画は、アンドレアを抱く父をフェード・アウトし、代わりに母の肖像画をフェード・インして終わる。
  
  
  

対談では、クリスティーナとピエトロが、この場面に対し詳しく語っている。「学校の作文のテーマについて、訊いていい?」。「ああ、いいとも」。「すごい発想ね」。「父と子と関係を反映させたかった」。「うまく反映してるわ」。「一番の友だち…」。「そうね」。「片思いなのに」。「ほんとね」。また、クリスティーナは、「映画の終章は辛いわ。やっと父親に理解してもらえた。そして、その直後に死が訪れる。迫りくる死と、父親からの懺悔のどちらが早いかのせめぎ合い。父は息子にどうしても話したい。これまで、一度も口にしなかった事を。死の直前に、よくやく話す機会が生まれる。何て恐ろしいの」とも語っている。さらに、「くどくど解説がないまま、作文のところで終わる。実に洗練された脚本で、簡潔そのもの。少ない言葉で、意を尽くしている。そして、あの父と子の究極の対話。会話形式にすると、長くなってまとまらないから、作文を読むスタイルにしたのね。とても卓抜した発想ね。感傷を排して、お涙頂戴になってない」と、感傷的でなく、お涙頂戴でもないとも明言している。最後の絵に関しては、「そして、絵をフェード・インする。子供は下の方に小さく。なぜ、フェードしたの?」。「ちょっと 迷ったがね」。「ちょっと?」。「少し、やりすぎだと? だけど、みんな満足してくれた」。さらに、「母親の絵のモデルは叔母なの」。「ほんと?」。「映画は絶対見なかった。『私を殺しちゃった』って。叔母は映画に出たがってたの。美人だったから。でも、父は、身内には出て欲しくなかった。結局、やめてもらうことにして、絵を使い、叔母はカンカン。『私は、もう何もしない。壁で死んでるから』って」。
  

結論として、この映画は、決して感傷的でなくお涙頂戴でもない。少年がはかなく死ぬ他の映画、『クリスマス・ツリー』(1969)、『メリーゴーランド』(1973)、『ラスト・クリスマス』(1978)などでは、確かに意図的な涙腺誘導が見られ、脚本も単純だ。それに比べて、『天使の詩』は、エピソードの一つ一つがはめ絵のように絡み合い、伏線が見事に敷かれ、会話は理性的・抑制的。脚本が練り上げられている証拠である。対談のこの箇所で全体を締めくくろう。「完璧な映画ね。脚本も監督も。欠陥はゼロ。父が言ってた。『こんな映画は稀だ。何一つ悔いはない』」。「その通りだ」。「気に入らないシーンが一つもない。とても優雅で。父のお気に入りだった」。

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