トップページに戻る
  少年リスト   映画リスト(邦題順)   映画リスト(国別・原題)  映画リスト(年代順)

Knowing ノウイング

アメリカ映画 (2009)

チャンドラー・カンタベリー(Chandler Canterbury)が重要なパートを演じるパニック映画。キーワードは、地球外生命と地球の破滅。この手の映画の中では、子役の占める割合が一番高い。例えば、イライジャ・ウッドが高校生役で出ている『ディープ・インパクト』(1998)ではイライジャの出演場面はポイント的だが、チャンドラーは全編を通じてコンスタントに出演している。しかし、内容として子役映画ではないので、チャンドラーの存在が一般にはあまり注目されていない。しかし、チャンドラーは、2010年代の前半においてアメリカを代表する子役の1人であり、この映画は、その最も幼い時点での代表作である。

映画は、MITの天体物理学のケストラー教授役で主演するニコラス・ケージが、50年前に1人の女生徒が書いた数字の列に偶然目が行き、その数字が過去の自然災害や人為的事故の年月日と死者数の羅列であることに気付いたところから本筋に入る。パニック映画のスタートだ。地球規模での大災害の到来を示す前兆現象は映画によって様々だが、私は、この映画の数字の謎が一番気に入っている。50年前に書かれた1枚の紙を埋め尽くす細かな数字。しかも、その数字は、書かれた時点より未来に起きた〔ケストラー教授にとっては過去の〕災害の記録だった。そして、紙は、3つの数字を残して終わっていた。残された3つのうち、最初の1つは教授の目の前で起きる旅客機の墜落事故。この時、数字列の中の意味不明な部分が、緯度と経度を示す数字であることが分かる。2つ目は、緯度と経度で場所が確定できたので、その場所に、惨事を防ごうと出向く教授。しかし、悲惨な地下鉄事故が目の前で起きてしまう。事故が相次いでいる原因は、太陽フレアの異常だ。そして、数字の最後の文字が、「33」ではなくて「EE」、すなわち「EVERYONE ELSE」(人類すべて)であることが分かった時、教授は、太陽のスーパーフレアで地球が破滅することを悟る。一方、チャンドラーが演じる教授の一人息子ケイレブは、50年前に埋められた小学校のタイム・カプセルから、数字の列の紙をもらった当人だが、その前後から不思議な囁き声が聞こえるようになる。そして、怪しい風体の男たちが身の回りに現れる。実は、地球の破滅を予見した高度な地球外生命体が、ごく一部の地球人を他の惑星に移して種の保存を図ろうとする中で、「アメリカ地区の代表」の男性にケイレブが選ばれていたのだ…

チャンドラー・カンタベリーは、目が印象的な容姿端麗な少年。一番のベスト作品は、主演作の『Standing Up(スタンディング・アップ)』(2013)だが、残念なことに大きな眼鏡をかけている。そして、その前後の『Little Red Wagon』(2012)では短髪でイメージが違い、『Angels Sing』(2013)では大人っぽくなってしまっている。そういう意味では、この映画と、『A Bag of Hammers(人生の軛(くびき)』(2012)の2本が一番彼らしい。


あらすじ

1959年、マサチューセッツ州レキシントンに新設された小学校に通うルシンダは、いつも頭の中に変な囁き声が聞こえる奇妙な女の子。授業で、テイラー先生が、学校の創立記念式典の記念行事としてルシンダのアイディアが通り、タイムカプセルを埋めることになったと生徒たちに告げる。そして、カプセルに入れるため、未来の絵を生徒たちに描かせる。しかし、提案者のルシンダが必死に書き続けたのは、絵ではなく数字の羅列だった。あと一歩で終わりというところで、時間切れで先生に紙を持って行かれる(1枚目の写真)。教室の風景は、現代とは違い、嘘のように静かで、礼儀正しい子供たち。BLのコメンタリーでは、忠実に50年代を再現したと言っていた。翌日、演壇の校長が式辞を述べた後、2人の作業員によりカプセルは慎重に地面に掘られた穴に格納された(2枚目の写真)。その夜、ルシンダは取り上げられて書けなかった8桁の数字「42757137」を、学校の体育室の地下の物置のドアの裏に、爪を血まみれにして引っかき終わったところを保護された。
  
  

50年後。2009年の夜、天体物理学者のケストラーが、夜、庭に置いた反射望遠鏡で息子のケイレブに土星の輪を見せている。ケイレブは、「他の惑星で生命は見つかった?」とか「生命がいる可能性は どのくらい?」と父に訊く。そして父が答える前に、ケイレブの知っている数字を言ってしまう。「なぜ 訊いたんだ?」。「僕の話を聞いてるか確かめただけ」(1枚目の写真)。この一言で、父子の間に一種の断絶のあることが分かる。父は約1年前のホテル火災で妻を亡くしてから人が変わってしまい、母を失った息子との関係をうまく再構築できないでいる(コメンタリーによる)。その直後、家に入ろうするケイレブ。「どこに行く」。「ディスカバリー・チャンネルを見に」。「パパ特製の日曜の夜のホットドッグができ上がるぞ」。「食べられないよ。ベジタリアンになるって決めたんだ」。「そういうことは、決めた時に話すべきだろ。全部買わせておいて」。「聴こえないの? 今 言ったじゃない」。さらなる断絶。遅くまでベッドで番組を見ているケイレブに、「明日、授業で集中できなくなるぞ」とTVを消すよう命じる父。「明日は授業ないよ。50周年だ、覚えてる?」(2枚目の写真)。不審感が顔に表れている。
  
  

MITの講義で、地球における人類の誕生には、決定論的な見方だけでなく、「何の意味も目的もない偶然の結果」とする見方もあると話す教授。生徒に「先生はどちらですか?」と訊かれ、「ろくでもないことが起きただけ(I think shit just happens)」と答える。こうした背景には、すべて妻の不慮の死が影響している。講義が済んでしばらくして息子の小学校の創立50周年を思い出した父は、必死で小学校に駆けつける。式典では、特別ゲストとしてテイラー先生がテープカットを行い、2人の作業員によりタイムカプセルが慎重に穴から引き上げられた(1枚目の写真)。ケイレブ:「また 忘れるトコだった」。父:「歌には間に合ったぞ。一番上手かった」。「聴こえるハズない」。開封されたカプセルに生徒が集まり、紙の入った封筒を1通ずつ手渡されていく。ケイレブがテイラー先生から渡された封筒には、「Lucinda Ǝmbry」と書かれていた。「E」を「Ǝ」と逆に書くのが彼女の癖なのだ。封筒を見た瞬間のケイレブ(2枚目の写真)。下を見る目線は、チャンドラーの特徴。ケイレブが数字ばかりの紙を見ていて、ふと目を上げると、紙の向こうに謎の人物がいる。ケイレブが初めて見る人間だ。そして、頭の中に囁き声が聞こえてくる。ケイレブは不安になる(3枚目の写真)。本来は学校に戻さなくてはならない紙だが、そのまま家に持ち帰ってしまう。
  
  
  

その晩。宿題をしながら、ケイレブは、学校で友達から誘われたと父に話す。「週末にお泊まり会をやるから、来てくれって。パパがボート持ってて、湖で乗せてくれるんだ」。それに対する父の返事は、気のない「考えておくよ(I'll think about it)」。せめて、「I'll think it over.」くらい言ってやればいいのに。この返事で、ケイレブは「ダメなんだ」と諦める(1枚目の写真)。おまけに、その際、バッグの中に突っ込んであった紙を見つけられてしまう。「これを どうする気だ? 家に持ち帰っちゃいかん。学校のものだろ」と叱られる。「何か意味があるんだ。数学のパズルか何かだよ」。「それは分からんが、持ってちゃいけない」。これでは、父子のコミュニケーションは悪くなる一方だ。ベッドの中で、生前の母のビデオを見ながら、想い出にふけるケイレブ(2枚目の写真)。
  
  

父は、ウィスキーをガブ飲みしながらTVを見ていて注ぎ損ね、溢れたグラスを、うっかり大事な紙の上に置いてしまう。紙の上にくっきりとついた円のマーク(1枚目の写真)。その中の数字にふと目をとめた父。ホワイトボードにマジックで2段目の数字を書いてみる「911012996」。途中で「/」を入れて切ってみる。3度目で「2001年9月11日」だと気付く(2枚目の写真)。9.11同時多発テロの日だ。しかし、2996の意味は分からない。そこで、ネットで検索すると、「その日 失われた2996名を追悼して」という文字が目に飛び込んでくる。「おいおい、一体なんなんだ?」と動転する父。壁からホワイトボードを引きちぎると、机に載せて、紙の数字を書き写し、一番先頭の数字「02125942」を「1959年2月12日」として入力すると、航空機の墜落事故の記事が出てくる。ただし、映画で使われている写真は、1967年6月4日に起きたマンチェスター郊外での墜落事故のもので、死者の数は「42」ではなくて72名。最初くらい歴史的事実と合わせて欲しかったが、スタートとなる1959年の年はじめには適切なものがなかったのであろう。その後、次々とネットで惨事を見つけ、日付を赤、死者数を青で囲んでいくところは迫力がある。日本の阪神・淡路大震災も出てくる。しかし、その部分のクローズ・アップはあるが、全体を写したシーン(3枚目の写真)には、「11795」がどこにもない。小道具は真面目に作って欲しいものだ。茶々を入れてしまったが、父にとってショックだった点は、そこに妻の焼死した日付「102408」を見つけたことだ。物事は最初から決まっているという決定論の正しさを裏付けるように、50年前から既に妻の死は決まっていた。この紙のことを知っていたら、妻の死を防げたかもしれないという思いは、父に強い衝撃を与えた。
  
  
  

翌日、大学に行った父は、同僚に衝撃の内容を示すが、未解明の数字が半数混じっていることから、都合のいい数字だけを取り出して勝手に意味を付けたんだと否定されてしまう。しかし、紙が真実を物語っていると確信する父は、残された3つの数字に着目、特に、明日また事故が起きることになっていることを心配する。そして、少しでも謎が解けないかと、50周年の時に出席していたテイラー先生を訪れる。彼女は、かなりボケていたが、それでもルシンダのことはよく覚えていた。彼女が数字を並べた紙を書いたことも、その夜、体育室の地下の物置のドアを爪でひっかいていたことも覚えていた。しかし、実際に会って訊いてみたかったルシンダは、もう数年前に死んでいた。家に戻った父が小学校に電話をしていると、外でサッカーの練習をしていたケイレブの前に1台の車が停まった。そして彼の頭の中で、また囁き声が。ケイレブは、声に誘われるように車に近付き、中にいる男に見入る(1枚目の写真)。お互いの間に会話はない。ただ、じっと見るだけ。異様な感じだ。その時、車から腕が伸び、ケイレブに1個の黒石が渡される(2枚目の写真)。「那智黒石」のような石だ。息子が見知らぬ車の所にいるのに気付いた父は、誘拐を怖れて呼び寄せる。「誰だ?」。「知らない。ただのおじさん達」。「何をもらった?」。「これさ。クールだよね?」。「知らない人と 話すんじゃない。宿題はやったのか?」。「あと、10分練習させて」。「二度と言わせるんじゃない。家に入れ」。大きなため息とともに、従うケイレブ。
  
  

父が、謎の解明に熱中していると妹がやってくる。いつも兄の様子を見に来るのだ。妹は、「(ケイレブの)夕食の面倒ぐらいみてあげる。そしたら、他の人みたいに出かけられるでしょ」と提案するが、「ありがたいが、大丈夫。信じないかもしれんが、息子とはうまくやってる」と断られる。何という認識のズレ。そして、妹は早々に追い払われる。深夜0時を回り、何か起きるのではないかとTVを見続ける父。そのまま寝てしまう。午後3時半にもなって、電話の音で起こされる。電話に出ると、「パパ、どこなの?」とケイレブの声。「午後は、お迎え当番だよ」(1枚目の写真)。今朝、父が寝ていてケイレブが学校に行けたのは、他の人が当番で送ってくれたからであろう。「10分で行くから」と言って慌てて車を出したものの、小学校への高速道路は大渋滞。することもないので、携帯カーナビで小学校をクリックすると、そこに、現在位置として緯度42.71、経度71.20と表示された〔因みに、この緯度と経度は、小学校のあるレキシントンのすぐ東にある州間高速93号線の場所なので、矛盾しない〕。何となく気になり、紙を確認すると「42717120」と書かれていた。ということは、今日、大惨事が、ちょうどこの場所で起きるのだ。気になって車から降り、渋滞の原因を見に行く父。外は土砂降りの雨。事故処理で道路を閉鎖している警官と話している時、警官が逃げ出す。目線を追うと、旅客機がこちらへ向かって墜落してくる。ここから2分8秒にわたる長回しが続く。飛行機が高速道路を翼で擦りながら横切り(2枚目の写真)、地面に激突して分解・炎上、その修羅場の中を一人でも救えないかとニコラス・ケージが歩き廻る(3枚目の写真)。途中で爆発が2回、火につつまれた人もいるし、ニコラスが助け出す負傷者もいる。CGと実写を組み合わせた複雑なシーンでの長回しは見事だ。長回しと言えば、『ヴィクトリア(Victoria)』(2015)が133分5秒(よく、138分と書いてあるが、映画冒頭と最後のクレジット部分は外すべき)の全編長回しで話題となったが、あれはただダラダラと主人公のヴィクトリアをつけ回しているだけ。ドキュメンタリーに毛の生えたもので、長いだけが取り柄。密度の高い、こちらの2分の方が凄い。
  
  
  

疲労困ぱいして帰宅した父。何が起きたかを息子に隠そうとする。「何があったの? どうなってるの?」と訊くケイレブに対し、「高速で車が故障した」と嘘をつく。「それだけじゃないよね?」。「もう寝る。宿題をやれ。そしたら、すぐ寝ろ。今夜はテレビなし」。「どうして? いつも1時間見てるのに」。「質問も なしだ」。「筋の通らないこと言われりゃ、質問くらいするさ。サッカーはダメ、お泊りはダメ、今度は、何が起きてるかも、何でいつも変なのかも話してくれもしない。もう子供じゃないんだ」(1枚目の写真)。その夜、ケイレブは、部屋の中を誰かが歩く音で目が覚める。頭の中で囁き声も聞こえる。ベッドから身を起こすと、目に前に立っている男が窓の方を差す。すると、窓の外が次第に明るく、赤くなってくる(2枚目の写真)。ケイレブは、思わず立ち上がって窓に近付いて行く(3枚目の写真)。窓から見えた光景は想像を絶するものだった。周囲の森が一面炎に包まれ、そこから多くの動物たちが燃えたまま逃げ出している。その地獄絵を呆然と見おろすケイレブ〔下目線〕(4枚目の写真)。思わず叫び声を上げてしまう。父が駈け付けるが、彼には、もちろん地獄絵は見えない。代りに、森の際に男が1人立ってこちらを見上げているのが見える。追跡するが、すぐに見失ってしまう。
  
  
  
  

翌日、父は、何らかの手がかりを探そうと、ルシンダの娘ダイアナを訪れる。いきなり声をかける勇気がなかったのか、ダイアナとその娘の後をつける。2人は博物館に入って行き、娘が 更新世に生息していたダイアウルフの想像復元モデルの展示を見ている。そこで父は、ケイレブに「ダイアウルフを見ておいで。後で、行くから」とプッシュする(1枚目の写真)。1人で見ていた少女としては、ハンサムな男の子が寄ってくれば つい気になる。しかも耳には補聴器が。そこで、「狼の赤ちゃんって、耳が聴こえないの知ってた?」と話しかける。「ホント?」。「だけど、大きくなると10マイル離れた、他の狼の遠吠えが聴こえるの」。「どうして知ってるの?」(1枚目の写真)。「ナショナルジオグラフィックで読んだわ」。2人が話し合っているのを確認すると、父は、ダイアナに近付いていき、「あれ、あなたの娘さん?」と声をかける。ケイレブは、巧妙に出しに使われたわけだ。結果として、4人は一緒に飲み物をとりに行くことに。屋上のテラスで、話し合う父とダイアナ。その中で、父は、出会いは偶然ではなく、ルシンダのことが訊きたかったからだと打ち明ける。そして、タイムカプセルから出てきた紙のこと、そこに書かれていた驚愕の数字のこと、昨日の飛行機事故のこと、明日、ニューヨーク市で170人が死ぬこと、10月19日に33人が死ぬことを矢継ぎ早に話す。しかし、狂気で死んだ母のことを思い出したくないルシンダは、逃げるように立ち去る。
  
  

事前に情報をつかんだことで、惨事を止められないかと、父はFBIに、紙に予告された地点を0時から封鎖しろと匿名で電話をかける。もちろん、逆探知を怖れて公衆電話から。そして、翌朝、妹の元を訪れ、ケイレブを預ける。これから何が起きるか分からないので、いとしげに息子の頭を撫でる(1枚目の写真)。そして、妹には「ニュースを見せるな」とだけ言い残して惨事の予想地点に向かう。ワース通りとラファイエット通りの交差する場所に着いた父は、匿名電話に反して封鎖がされていないことに腹を立て、警官に食ってかかるが、警告を受けて待機していたFBIの車に連れて行かれそうになり、慌てて逃げて手近の地下鉄の入口から中に入る。プラットホームまで降りた父は、そこで挙動不審の男を見つけ、男を全力で追いかけ、そのままホームに到着した車両に乗り込んで追跡を続ける。男を先頭車両まで追い詰めたところで、彼が単なるケチな窃盗犯だと分かるが、その時、反対車線の車両が、ポンイトの故障で脱線し、駅に向かって高速で突っ込んでくる。実は先日の飛行機の墜落も、このポイントの故障も、最近活発となっている太陽フレアによる電磁気異常による静電気放電が直接原因だった。ホームに突入した車両を見て逃げまどう人々。電車は、ホームに停まっていた車両を破壊しながら、ホームの人々もなぎ倒していった(2枚目の写真)。CGと分かっていても、7年前の作品で技術的には劣ると分かっていても、その迫力には圧倒される。父は、多くの避難者に混じり、茫然自失の状態で地上に出て行く。
  
  

夜遅く悄然として帰宅する父(妹に預けておいたケイレブも一緒)。家の前では、事故を知ったダイアナと娘が待っていた。開口一番、ダイアナは「10月19日って言ったわね? 母は、いつもその日のことを話してた。私が死ぬ日だって」。そして、2人は、子供も連れて、ルシンダが住んでいた山中の小屋へと向かう。道は背の高い雑草で覆われていて、誰も通っていないことが分かる。小屋は廃屋と化していた。2人の子供を車内に残し、小屋に向かう途中で、紙を見たダイアナが、紙の最後の文字を見て、ルシンダは「時々、文字を逆さに書いてた。最後の文字、これ『33』じゃなくて『EE』よ」と言って、封筒に書いてあった「Ǝmbry」の文字と対比して見せる(1枚目の写真)。小屋の壁一面に貼ってあったのは、大惨事を報道する新聞記事。しかし、父が目をとめたのはエゼキエル書の第1章の4-26節に書かれているメルカバー(天の車)に関する1670年に描かれた版画。なぜか気になり持ち帰る。一方、車に残されたケイレブ、囁き声で目が覚める。危機感を抱くが(2枚目の写真)、ダイアナの娘は、同じように囁き声が聞こえるのに平然としている。コメンタリーでは、ケイレブは父と引き裂かれるのを怖れているから抵抗していると解説していた。小屋では、父が、以前息子が見知らぬ人からもらったとの同じ黒石が何個もベッドの下にあるのを見つけ、ベッドの裏側を見ようと壁に立てかける。すると、ベッドの裏一面に「EVERYONE ELSE」(人類すべて)という文字が書かれていた(3枚目の写真)。それは、10月19日にすべての人類が絶滅するという恐ろしい予告だった。車に残されたケイレブには、謎の男たちから、「一緒に行こう」と囁き声で伝えられる。一緒に行こうとする娘。ケイレブはそれを止めようと、車のクラクションを鳴らす。駆けつけた父に、ケイレブは「彼らが いた」と話す。「誰がいたんだ? 何か されたか?」。「ううん、話しかけてきた」(4枚目の写真)。「何て言った?」。娘が、「望むなら、一緒に来てもいい」って。ダイアナ:「誰が言ったの?」。「囁く人たち」。拳銃を持って後を追う父。追いつかれた男はゆっくりと振り向くと、口を開けた。そこから溢れる強力な光で、父は、目がくらんでしまう。
  
  
  
  

その夜、帰宅し、ケイレブの様子を見に行く父。眠れずにいる息子を見て、「寝なきゃダメだぞ」。「僕、アビーみたいに、時々、囁き声が聞こえるんだ。ルシンダにも聞こえたと思う?」〔アビーは、ダイアナの娘〕(1枚目の写真)。「ああ、そう思うよ」。「僕とアビーは死ぬの?」。「いいや、そんなことは絶対させない。分かったな。絶対だ」(2枚目の写真)。心の離れていた父とケイレブが、一歩近付いた。そして、翌朝、新たな展開がある。父が、「朝食には 何が食べたい?」と様子を見に行くと、アビーは昨夜父が持ち帰ったエゼキエル書の版画にマジックで色を塗っていた。中央の神を取り囲む部分に赤と黄で色をつけ、「太陽だわ」と言ったのだ(3枚目の写真)。その言葉にハッとする父。この瞬間、10月19日に何が起きるか悟ったのだ。
  
  
  

MITの研究所に行った父は、同僚を自室に連れて行き、コンピュータを立ち上げ、太陽でスーパーフレアが起きた場合、地球がどうなるかと説明する(1枚目の写真)。この説明は、最近の異常現象とも合致するので、今まで懐疑的だった同僚も納得する。それは、死の宣告だった。コメンタリーを聞いていると、監督は、太陽にスーパーフレアが起きるといという設定に、科学者から反論が寄せられるのではないかと若干危惧していたような印象を受ける。しかし、この映画より後の2014年3月、日本天文学会春期年会で、京都大学らの研究チームが、2009年にNASAが打ち上げた太陽系外惑星探査衛星「ケプラー」の観測結果と、2013年6月に実施した国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡の高分散分光装置による分析の結果、太陽に非常によく似たタイプの恒星でスーパーフレアが起きている実態を明らかにした。そして、「太陽でもスーパーフレアが起こりうるという仮説を支持する結果」としている。その後の研究は、国立天文台 岡山天体物理観測所に設置されるアジア最大の口径3.8mの望遠鏡によって継承されるが、2015年に工事は開始されたが、2016年6月の段階では稼動に至っていない。脱線してしまったが、この先、この映画の最大の弱点箇所が待っている。それは、ダイアナの「もし、地下に隠れたらチャンスはある?」との問いに、「ある(It's possible)」と父が答えたことだ。これは、もっと後のシーンで、あくまで洞窟に行こうとするダイアナに対し、「洞窟では助からん! どこでもだ! 放射線は地殻1マイルまで貫通する!」と強くたしなめるのと明らかに矛盾する。父は一旦家に帰り、用意を整えて4人で出発しようとする。ケイレブが部屋から降りて来ないので、呼びに行くと、机に向かって一心に何かを書いている。近寄ってみると、それはルシンダが書いたものと同じ数字の羅列だった。父が紙を取り上げると、ボールペンでそのまま机に数字を刻み続ける。ボールペンを取り上げると今度は爪で、ルシンダがしたように机を引っ掻く。止められたケイレブは、我に返り、紙を見て、「これ僕が?」と訊く(2枚目の写真)。父は、机に刻まれた数字を見て、ルシンダが体育室の地下の物置のドアを爪でひっかいていたという話を思い出す。ルシンダが「EE」の後に書くべきだった緯度と経度が、物置のドアにまだ残っているのではないか? その緯度と経度は、救済の場所を示しているのではないかと思いつく。その背景には、自分にこの紙が託されたのには訳があるという確信に近い信念があった。父は、洞窟に向かうはずだった車で小学校に乗りつけ、体育室の地下の物置のドアを剥ぎ取ると、車に載せて再び家に戻る。そして、ダイアナに詳しい説明もせずに、表面のペンキをヘラで落とし始める。そんな父を見て、ダイアナは、父に見切りをつけ、子供達を自分の車に移す。「パパはどうなるの?」(3枚目の写真)と心配するケイレブには、「後から来る」と嘘をついて車に載せるが、この部分もあまり説得力がない。パニック状態になった母親の愚かな行為だと言えなくもないが、ケイレブまで同行させるのは行きすぎだ。
  
  
  

ドア表面のペンキを削ぎ落として現れた数字は「42757137」〔レキシントンの西約10キロの山中〕。これを携帯ナビに入力すると昨夜行ったばかりのルシンダの小屋が「目的地」だと分かる。至急そこに行こうと作業小屋から外に出ると、誰もいない。携帯電話は電磁異常で全く通じない。父にとってダイアナなどどうでもいい、心配なのは息子のことだけだ。家の周りを捜し回ってもいないので、ダイアナに連れ去られたと思い、行く予定だった洞窟目がけて車を走らせる。一方、ダイアナの車では、アビーが「どこに行くの? 囁く人たちから隠れてるの?」と心配そうに訊く。「そうよ。これから行く所では見つからない」。「ママ、もう知ってるわ」。「どうやって?」。「そう言われたから」。「また会ったの?」。「ううん、話しかけるだけ」。「でも、どうやって話しかけるの?」。「頭の中に囁くの」。半狂乱のダイアナ。観ていて不愉快なキャラクターだ。ダイアナは、ガソリンを補給するためスタンドに入る。ダイアナがキャッシャーに行くと、TVで緊急非常放送が流れているので、つい見てしまうが、車の中でその様子を見ていたケイレブは(1枚目の写真)、車を出て公衆電話から父に電話する(2枚目の写真)。その時、ダイアナが気付いて駈けてくると、ケイレブに車に戻れと命じ、電話を取る。父は、行き先は洞窟ではなくルシンダの小屋だと言うが、ダイアナは聞く耳を持たない。「子供達を助けなきゃ!」と言うばかり。「動くんじゃない。ケイレブは私の子だ。どこに行くかは私が決める」。至極当然の論理だ。その時、事態は思わぬ方向に進む。給油のために停めておいた車に、囁く人たちが乗り込み、2人を連れ去ったのだ。というか、ダイアナから救ったのだ。彼女は狂ったように、スタンドに停まっていた別の車に飛び乗り(盗んで)、後を追う。そして、赤信号を突破しようとして大型トレーラーに衝突し(3枚目の写真)、予言通り、10月19日の午前0時ちょうどに死亡する。
  
  
  

父は、ガソリンスタンドで子供たちがさらわれた方向を聞き、後を追う。途中でダイアナの死を見とどけ〔そんな暇はないと思うが〕、ルシンダの小屋、そして、そのさらに奥へ向かう。車は、一面に黒石が敷き詰められた空き地に到着。そこには、乗り捨てられたダイアナの車もあった。そして、父はそこでケイレブと再開する。4人の囁く人たちもいる。その場所から離れようとする父に、ケイレブは、「でも、あの人たちと行かないと」と断る。「あの人たち、初めから僕らを守ってくれてた。予め準備してくれて、今、迎えに来てくれたんだ」。父は、男に「何者だ?」と訊くが、返事はない。その代わりに、上空から巨大なものが接近してくる。異文明の宇宙船だ。天体物理学者だけに、驚嘆して思わず地面に膝をつく父。宇宙船の中心に見える核は、エゼキエル書の挿絵の「天の車」を思わせる球体だ(1枚目の写真)。ケイレブが続ける。「行かないと。もう一度やり直せるよう、僕らを選んだんだ。初めから やり直すんだよ」(2枚目の写真)。宇宙船から離れ、球体が地上に降りて来る。父の手を引っ張り球体に向かおうとするケイレブ。しかし、その前に囁く人が立ちはだかる。ケイレブが、「どういうこと? 分からないよ」と囁く人に言い、父の方を向いて、「なぜ、あんなこと言うの」と訊く。何も聞こえない父は、「何て言ってるんだ?」と訊く。「選ばれた者しか行けないって。囁き声が聴こえた者だけ」。囁く人も、アビーも球体の方に行ってしまう。父は事態を悟り、「私は一緒に行けない」とケイレブに告げる。「僕たち選ばれたのに」。「『僕たち』じゃない、お前たちが選ばれたんだ」。そして、ケイレブの前に膝を付くと、「アビーを大事にしろ。彼女のために強くなれ」と諭す(3枚目の写真)。「イヤだ。パパが一緒じゃなきゃ行きたくない」。「彼らはお前を取り上げてもよかったのに、そうしなかった。お前が自分で決められるように」。「でも、約束したじゃない。僕たち、ずっと一緒だって」(4枚目の写真)。「一緒だとも。お前とは離れない。だが、お前は彼らと行くんだ。行かないといけない。ケイレブ、お聞き、泣くんじゃない。私たちは、一緒だったし、これからも一緒だ。ママも一緒だぞ。ほら、これを お取り」。そう言って、父は、3人が一緒に映った写真入りのペンダントをケイレブに渡す。「大好きだよ、パパ」と抱きついた後、ケイレブは、涙の残った顔で球体に向かう(5枚目の写真)。ケイレブが球体に着くと、人間の姿をしていた囁く人は天使を思わせる知性体へと変貌する(6枚目の写真)。球体が「天の車」なら、知性体は天使でも構わないわけだ〔コメンタリーでは、どうように解釈してもいいと監督は述べている〕。ケイレブと父が最後に手話で交わす別れが感動的だ(7枚目の写真)。2人と4体を乗せた球体は宇宙船まで上昇すると、そのまま複雑に入り組みながら恒星間宇宙船に変形し、空へと昇っていった。次のシーンでは、あちこちの大陸から飛び立った同形の宇宙船が10数基が地球を離れ、遠宇宙へとワープしていく様が映される(8枚目の写真)。
  
  
  
  
  
  
  
  

父としては、息子を地球の破滅から救うことができて本望だったであろう。従容として、ニューヨークに住む断交状態の祖父母の家に向かう。和解の直後にニューヨークを襲うスーパーフレア。すべての構築物が超高熱で一瞬に燃え尽きていく(1・2枚目の写真)。一方、無人の惑星に降ろされたケイレブとアビー(3枚目の写真)。他の宇宙船も次々と着陸してくる。正面に見える大樹に向かって駈ける2人(4枚目の写真)。計30名ほどの子供たちに課せられた人類再興の義務は大変なものだ。アフターサービスなしで、子供たちだけ残して、立ち去ってしまっていいのだろうか。お互い言葉すら通じないのに、とつい思ってしまう。
  
  
  
  

     C の先頭に戻る                    の先頭に戻る
     アメリカ の先頭に戻る               2000年代後半 の先頭に戻る

ページの先頭へ