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Lifted 歌に心を

アメリカ映画 (2010)

ユライア・シェルトンのワンマン映画。歌手でもないのに、7曲を自ら歌い、笑顔から泣顔まであらゆる表情を見せる。映画そのものの出来がいいとは決して思えないが、ユライアという才能ある子役がいたということを知っておくためには貴重な作品。IMDbの評価の6.6は、「可もなく不可もない」という数値だが、面白いのは、他に例のない得点分布。私が一番好きな映画『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』は、IMDb8.9と非常に高いが、それは、10点が43%、9点が26%、8点が16%、7点が7%と純減し、7点以上が92%を占める。この映画と同じIMDb 6.6の映画を捜すと、偶然、1つ前に紹介し、ユライアも出ている『Alabama Moon』が6.6だった。その得点分布は、10点が16%、9点が6%、8点が14%、7点が24%、6点が21%、5点が10%と、ピークが7点にある。その他の6-7点の映画のほとんど全てはこうした分布を示す。「IMDb 8のようによくはない、7もちょっと無理かな、でも6では低すぎる」といった感じの採点だ。ところが、この映画は、とても異常な分布を示している。10点が何と40%。これは『王の帰還』に近い。9点は11%、8点は12%、7点は11%。ここまでで、74%。それなのに総点は6.6。その原因は、1点が7%と高く、これが足を引っ張っている。『Alabama Moon』とは全く違うパターンで、好き嫌いが非常にはっきりしている。“User Reviews”が多いのも特徴だが、レビューを書く人は、もっと極端で、はっきり言って、10が1のどちらか。10は絶賛し、1はこき下ろす。なぜ、こんなことが起きるのか? この映画は、かなりに「愛国的」「戦死軍人の英雄視」があり、それを評価した人は10点をつける。また、この映画には、途中までは生きていると信じ込むように作られた「戦死した父の亡霊」が大きな役割を果たす。亡霊の存在の可否はさておき、問題は、戦死して3ヶ月も経ち、葬儀も行われたハズなのに、息子は歌唱コンクールに父が応援に来たと思い込む。その脚本も「あこぎ」さに激怒した人は、すべてが気に入らなくなってこき下ろす。私は、何度観ても、「なぜ、父の死を知っているハズのヘンリーが、映画のような状態になったのか」が理解できない。しかし、ユライアの熱演に脱帽して8点を進呈した。

今回に限り、解説は、あらすじの最後に記載する。

ユライア・シェルトン(Uriah Shelton)は1997.3.10生まれ。2009年8月23日の記事に、ユライアが、「アラバマ州における新作映画報奨プログラム」の第1作として、インディーズ映画『Lifted』の主役に抜擢されたと書かれている。映画出演時は12歳。年齢の割に小柄で、表情も豊か。そして、ちゃんと歌っている。もちろん、少年歌手としてデビューできるレベルではない。しかし、歌唱コンクールで優勝しても、それが、観客に「もっともだ」と思わせるくらいには上手くないといけない。歌手歴ゼロだったユライアは、どうやって練習したのだろう。ずっと前に紹介した、大好きな映画、『Billy Elliot the Musical Live』でも、ミュージカルの主役を務める子役の選定にあたっては、ダンスの能力だけが評価の対象で、劇中で歌う6曲については、合格してから訓練するという方針だった。本格的なボーイソプラノでもない限り〔数年前に封切られた『ボーイ・ソプラノ/ただひとつの歌声』は、Benjamin P. Wenzelbergの吹き替え〕、頑張って練習すれば、比較的短期間でも劇場で歌って見苦しくないレベルに達するようだ。それでも、ユライアの努力は高く買いたい。ユライアの紹介は、しばらくないかもしれないので、①TV映画『The Nanny Express』(2008)、②TV映画『Ring of Death』(2008)、③『Lifted』が2010年11月に開催されたNapa Valley Film Festivalで上映された時の両親役とのスリー・ショットの順に、以下紹介しよう。
  
  
  


あらすじ

2008年8月下旬。小さな平屋の一戸建てに住む一家の話。朝、一人息子のヘンリーはキッチンでシリアルを食べている。母が「卵は?」は訊き、ヘンリーが「ううん、これでいい」と答えた時、父がクッキーの皿をこっそり横に置く。ヘンリーが嬉しそうに食べようと口まで運ぶと、母が皿ごと取り上げる。夫には、普通の朝食を持って来て、「他に欲しい物があったら、自分で作ってね。準備しないと。9時から集会があるから」と言う。この「集会」とは、グループ・セラピーのこと。母は、以前、麻薬の常習者になったことがあり、それをやめてから1年2ヶ月、ずっとセラピーに通い続けている。もちろん無職。家計の助けにはならない。夫が営む小さなガレージと海兵隊の予備役(二等軍曹)の給与〔現在のデータしかないが、経験6年以上で年6,660ドル≒70万円〕で、家のローンを払いながら細々と暮らしている。父は、ヘンリーに、「ビートボックスだ」と声をかけ、「こんな朝から?」と言われても、「さあ、やれよ」。仕方なく、ヘンリーは口と腕でリズムを取り始める。それに合わせて父が、韻を踏みながらリズミカルに喋る(1枚目の写真)。ラップだ。父のラップが終わると、ヘンリーが、『消えゆく太陽〔Ain’t No Sunshine〕〔ビル・ウィザースの曲〕を歌い始める。典型的なヒップホップだ。この部分は、最初の朝食の場面から、右のサイトで見ることができる(https://www.youtube.com/watch?v=3CN4IH9sIpI)。リンクがなくなった場合は、「Uriah Shelton, Sunshine」で必ず他のリンクがあるはず。この時、ユライアが歌うのは、原曲のヒップホップ風アレンジ。参考までに、ビル・ウィザース本人が歌う曲は、右のサイトで見られる(https://www.youtube.com/watch?v=tIdIqbv7SPo)。歌い方は全く異なっている。歌の途中で 母がヘンリーの頭にキスする(3枚目の写真)。ユライアの表情はいつもユーモラスだ。
  
  
  

ヘンリーは、父の愛車で学校まで送って行かれる。フォード・ランチェロの1979年型という稀少なピックアップ・トラックだ。車から降りたヘンリーは、虐めっ子に「そのスボンは何だ? ママがハイになって、おむつを外す練習を忘れたのか?」とからかわれる(1枚目の写真)。母が9時からのグループ・セラピー話すことは… 麻薬をやめて1年2ヶ月経つが、今でも、麻薬をやっている連中の前を通ると欲しくなる。その時、夫と息子のことを考え、「それが、私の世界、愛するもの。私をハイにしてくれる。そう思って誘惑と戦うの」。勇敢なように聞こえるが、1年2ヶ月も経つのに、未だにセラピーに頼り、働きもしないのは、かなり意志薄弱なように思えてならない〔後で破綻する〕。ヘンリーは、学校から出る時、虐めっ子がいないかどうか慎重に様子を伺う(2枚目の写真)。そして、学校の裏を回って通りに出るが、悪ガキ連はそんなことは先刻承知で、隠れて待ち伏せしていて、跡をつける。そして、ヘンリーがつけられているのに気付いて逃げ出すと、一斉に追いかける。捕まったら何をされるか分からないので、ヘンリーは、正面にあったバプテスト教会に逃げ込む(3枚目の写真)。ここで、一言。時期は、8月のように見える。なのに、なぜ中学校(11~13歳)があるのだろう? そこで調べてみた。ここは、アラバマ州という設定だが、『Alabama Moon』に出てきたタスカルーサの学校のサイトを見ると、そこは4学期制で、2019年は1学期が8月8日~10月5日、2学期が10月18日~12月20日、3学期が1月7日~3月8日、4学期が3月18日~5月23日となっている。アメリカの他州とは状況が全く違い、8月にも授業があるのだ! 後で、ヘンリーは8月18・19日に開催されるアラバマ・ティーン・スタークエストに出場するが、この時も、学校をサボって行くことになっている。8月8日から1学期が始まっているからだが、最初に映画を観た時は納得できなかった。でも、ちゃんと整合性はとれている。
  
  
  

追っ手は教会の中まで入り込むが、中に牧師がいるのを見て出て行く。牧師は、会衆席に隠れたヘンリーに、「もう安全だが、もう少しここにいた方がいい」とアドバイスする。何もすることがないので、牧師は、たどたどしくピアノを弾き始めるが、自分の能力に限界を感じ、ヘンリーに「弾くかい?」と訊く。「どうしようかな」(1枚目の写真)。「弾くのか、弾かないかどっち?」。「弾きたいけど、そんなピアノ弾いたことないから」。「本物のピアノを弾いたことがない?」。「ないよ」。「試したい?」。ヘンリーは肩をすくめる。「ここに、おいで」。そして、ヘンリーを横に座らせると、「何でも好きなものを」。「あなたが弾いてたのは何?」。「礼拝に使う曲だよ。それをやってみるかい?」。ヘンリーは、少し考え(2枚目の写真)、それを試すことにする。ヘンリーが楽譜を見ながら、弾いて歌う(3枚目の写真)。そのシーンは、次のサイトで見られる(https://www.youtube.com/watch?v=Y4gegBRcKV8)。ただし、この曲は映画のオリジナルソング『わが心に入り給え〔Come Inside My Heart〕』で、教会とは何の関係もない。牧師は、ヘンリーの才能に感心する。
  
  
  

映画では、順番が相前後するが、ガレージで一人働いていた父のところに郵便屋がきて、請求書の束を渡す。その中に、自宅宛の1通もあったが、それもついでに渡していく。その封筒は、海兵隊からのものだった。父は、すぐに手紙を読む(1枚目の写真、矢印は命令書)。内容は、2008年8月22日付けの命令書。宛先は、ウィリアム・マシューズ二等軍曹。冒頭には、「アフガニスタンのバグラム空軍基地駐在の第24海兵遠征部隊への現役勤務を命じる」と記されている〔海兵隊の二等軍曹の給与は、現時点の年額は29,840~46,220ドル≒320~500万円〕。すぐに家に戻った父は、集会から帰ってきていた妻に打ち明ける。妻は、夫がいるからこそ麻薬に立ち向かえているのに、いなくなったらどうなるか不安でたまらない。それは、以前、夫がイラクに派遣された時、麻薬中毒になった苦い経験があるからだ。夫は、「君は、あの時と同じ人間じゃない」と、安心させようと努める。そして最後に、「収入が減るから、節約しないと」とも言う〔とうことは、今の収入(+予備役年の6,660ドル)は上記の年額より多いことになる〕。そこに、ヘンリーが教会から帰宅する。異様な光景を見て、「ママ、大丈夫?」と心配する(2枚目の写真)。父は、母の具合が悪いのではなく、自分が現役任務に召還されたことが原因だと話す。「数週間でアフガニスタンに発つ」。「何でそんなことさせるの? 不公平だよ。もう、イラクに行かされたじゃないか」。父は、不公平なのではなく、「これは、私の選択なんだ。予備役に払われる給与が、ママの回復に役立った。それに、この家を買う時の頭金にもなった。今度は、私が約束を果たす番だ。いいな」と理解を求める(3枚目の写真)。
  
  
  

悲しくなったヘンリーは、自室のコンピュータの前に座って、さっき弾いた曲をチェックしている。そこに、心配した父が入ってくる。父は、出征中は、ヘンリーが歌った曲をEメールで送るように頼む(1枚目の写真)。「そうすりゃ、息子のことが自慢できるだろ」。ヘンリーは、さっき本物のピアノを弾いたことを話す。「どこで?」。「メイン・ストリートを下ったトコにあるバプテスト教会」。「どこで、何をしてたんだ?」。「ただ、入っただけ。最後は、歌ったんだ」。「教会に入れって勧められたか?」。「ううん」。「聖書について聴かされたか?」。「ううん」。「知らない間に、頭から水をかけられなかったか?」〔洗礼のこと〕。「ううん」。ヘンリーは、父のおおげさな表現に笑ってしまう(2枚目の写真)。「そんな牧師、聞いたことがないな。で、聴かせてくれないのか?」。「いいよ」。そう言うと、ヘンリーは、コンピュータ用のDTM鍵盤を弾きながら歌い始める(3枚目の写真)。この鍵盤でいつも弾いていたので、ピアノも普通に弾けたのだ。このシーンのサイトは→(https://www.youtube.com/watch?v=MoGarardw1k)。
  
  
  

そして、別離のシーン。3人は、長距離バスの停留所の近くでバスの来るのを待っている(1枚目の写真)。すると、バスが到着する。父は、一旦立ち上がり、ヘンリーの前に座り込むと、「何が仕事なのか知ってるな?」と訊く。ヘンリーは、頷く。「何だ?」。「ママの世話をすること」。「違う。それは、ママの仕事だ。お前の仕事は、学校に行くことだ」(2枚目の写真)「だが、最も大切なことは、歌うことだ… 毎日… いつも。分かるな?」(3枚目の写真)。「いいよ」。父は、10秒以上ヘンリーを抱きしめる。そして、妻とキスする。妻は、「約束する。心配しないで」と誓う。父はおもむろに荷物を取り上げて背負うと、バスに向かって歩いて行く。
  
  
  

ヘンリーのカレンダーが3回短時間で映される。最初は、出発した9月(1枚目の写真)。14日から×がついているので、この日か、前日が出発日。ただ、このカレンダーはフェイク。カレンダーの右端は土曜か日曜だと思うが、2008年9月16日は火曜日〔画面にバッチリ映る小道具ぐらい、真面目に作って欲しい〕。この映画は、庭木はいつも緑だが、家の玄関の両脇にあるパーゴラ風の鉄の柱に絡むまがい物の葉の色で季節を表現している。9月30日に×印をつけて玄関を出る時には、葉は茶色く枯れている〔ヘンリーはまだ裸で寝ているし、この地の9月30日の最高平均気温は27℃、同最低気温は16℃なので、枯れ葉は早過ぎる〕。次に10月20日に×を入れるシーンがあり〔10月1日がカレンダーの右端だが、10月1日は水曜日〕、ヘンリーはパジャマを着ている。母に届く郵便物は、「延滞」のスタンプの押されたものばかり〔支払いが滞っている〕。3回目は12月のカレンダー。ヘンリーは10日に×を付けている(2枚目の写真)。12月は7日が日曜なので、右端が日曜なら一応合っている。時計は、7時ちょうどを指しているが、他のシーンでもヘンリーはいつも7時が起床時間だ〔伏線〕。ヘンリーは、学校が終ると教会に行き、すっかり仲良くなった牧師と一緒にピアノを弾く(3枚目の写真)。
  
  
  

しかし、次のシーンでは、危険信号が灯る。母が、父の愛車を売っている。それを窓からヘンリーが覗いている(1枚目の写真、赤の矢印は車の代金、黄色の矢印はヘンリー)。車には、500ドル〔5万円〕と書いてあるので、ずいぶん安売りしたものだ。こんな少額では、火消しにはならない。そして遂に… ある日、ヘンリーが家にいると、母が電話で怒っている。「これ、どうなってるの? こんなの違法じゃない?」「聞きなさいよ」「夫は、アフガニスタンにいて、お国のために尽くしてるのよ。分かってる?」「悪いと思うなら、なぜ、こんな仕打ちをするの?」(1枚目の写真)。ここで、母は電話を切る。「どうしたの、ママ?」。「パパの軍隊の給料では、住宅ローンが払えなくなったの。だから、家を取り上げられちゃう」。「待ってよ。僕、働くから」。「誰かが働くとしたら、ママしかない。だから、この4ヶ月探してきたの。でもね、この住宅ローンはすごいインチキで、銀行はうんと低利でサインさせといて、今度一気に3倍に引き上げるって言い出すの。ママには、何が何だか分からない。それに、あいつらにとっては、パパの現役勤務なんか無関係なの」〔父は、恐らく、あまり考えずに「変動金利型」のローンを選択した。そして、急激に金利が上がったため、「未払い利息」が残り、実質的に残金まで増えて破綻に至った〕。「僕たち、どうすればいいの? 家は出られないよ。パパが戻るトコがなくなっちゃう」。「じゃあ、話すしかないわね。アフガニスタンに行ってる間に家を取られたって」。「僕たち、どこに住むの?」(3枚目の写真)。「仕事が見つかるまで、父さんのトコに居るしかない」。「ヤだよ、ママ。あの人、僕を嫌ってる」。「嫌ってなんかいないわ。あなたとパパが聴いてる音楽が嫌いなだけよ。あそこにいる間は、ヘッドホンを使えばいいでしょ。できるだけ早く出てくって約束するから」。
  
  
  

銀行の車が乗り付け、「売り家/銀行所有物件」という看板を立てていく。家の中からダンボール箱を持ったヘンリーが出てきて、引越し用に母が借りたバンの中に積み込む(1枚目の写真、矢印は看板)。よく見ると、玄関の両脇にあるパーゴラ風の鉄の柱に絡む葉の色が緑になっている。引っ越したのは恐らく4月21日であろう〔なぜ、この日に特定できるかは 後で分かる〕。引っ越し先の祖父の家はトレーラーハウス。祖父は、手伝いもせずに粗悪なビニール張りのアルミ・チェアにふんぞり返っている(2枚目の写真、赤の矢印は最低の祖父、黄色の矢印は隣に住む麻薬中毒のクズ)。祖父:「あんな奴と結婚するなと言わんかったか? いつも俺を見下しやがって。だがな、俺は住む家を失くしはしなかったぞ」。そして、大量の荷物を見て、「中には入らんぞ」。母:「ほとんどは、友達の家に保管してもらうの。今夜だけよ」。祖父は、殊勝に手伝っているヘンリーを指差すと、「ここで、そんな服を着せるんじゃない。ここは、黒んぼの貧民窟じゃないんだ」(3枚目の写真)〔それを言うなら、ここは、“白んぼ” の貧民窟だ〕
  
  
  

翌朝〔4月22日、ヘンリーは朝起きた時にカレンダーに×印を付ける〕、ヘンリーが起きてくると、母は、「悪いけど、今日は、あれを着てくれる?」と言って、白いシャツと長ズボンを示す。ヘンリーは、白いシャツをつまむと、「なぜ?」と訊く(1枚目の写真、矢印はシャツ)。「ここにいる間は、平和に過したいの」。「ママ、こんなの着て学校に行けないよ。殴られちゃう」。「そんなに悪くないわ。それに、だぶだぶスボンでお祖父ちゃんにぶん殴られるより いいんじゃない?」。母の様子が明らかに違って来ている。すぐに出て行くと言った約束も、守るつもりはなさそうだ。ヘンリーは、朝食を断り、さっさと家を出て行く。ヘンリーが登校する姿を見ていると、隣のクズが、「で… 今はシラフなんか?」と声をかけてくる。「1年と10ヶ月ね」〔2008年8月に1年2ヶ月と言っていた→これだと4月になる〕。「そりゃ、残念だな。せっかく、この辺りじゃ一番のヤクがあるってのに」。「お願い、放っといて」。「ほんのちょっぴりどうだ?」。「いらない。集会に行かないと」。学校に行ったヘンリーは、「ラップ野郎が、おしっこハーマン〔マンガのキャラ〕になった。なんだ、そのズボン。ママに、コカインなんかやめて服買ってくれって頼めよ」と皮肉られる。ヘンリーは、頭に来て言い返す。「そっちこそ、ママに言ったらどうだ。大食いをやめたら、玄関を通り抜けられるようになるって」。この口論は、学校の前だったため、幸い先生が止めに入る。学校が終ると、ヘンリーは一目散に逃げ出すが、相手もすぐに追いかける。それでも、奇跡的に教会まで逃げることができた(3枚目の写真、矢印は虐めっ子)。
  
  
  

牧師は、「あの子たちは、いい加減飽きないのか?」と呆れる。ヘンリーは、「そうならいいんだけど」と否定的〔最初に教会に飛び込んだのは8月、今回は4月22日、途中はどうなっていたのだろうか?〕。牧師は、ヘンリーが興味を持ちそうなものを見せる。それは、8月18・19日にアラバマ州最大の都市圏バーミンハムで行われるアラバマ・ティーン・スタークエストのチラシだった(1枚目の写真)。「出てみたらどうだね?」(2枚目の写真)。「どうかな」。「多くのレコード会社の幹部が来る。試してみたらいい」。「僕は、5000ドル〔50万円〕の賞金の方に興味があるな」。「いけるんじゃないか」。「そう思う?」(3枚目の写真)。「ああ。チラシのコピーをあげよう」。
  
  
  

その日〔4月22日午後〕、アフガニスタンにいる父から母に携帯電話が入る(1枚目の写真)。思わぬ電話に母は大喜び。話はヘンリーのことになり、「まだ、学校から帰って来ないか?」と訊く。「あの子、ジョンソン牧師さんのトコで長居してるから。すごく有難いと思ってるの。だって、その方がずっと…」と、思わず、祖父のことを言いかけ、「あの子、いつも部屋に閉じ籠もってばかりでしょ。コンピュータとばかり。健康的じゃないわ」と嘘を付く。「心配ない。音楽が好きなだけだ。音楽は誰にとっても悪いハズがない」〔祖父以外は〕。そこに、ヘンリーが帰ってくる〔服装は、さっきと同じ/手に、牧師からもらったチラシのコピーを持っている→だから、1つ前のシーン(ヘンリーが引っ越した翌日)と同じ日〕。携帯に飛びついたヘンリーは、「何だと思う?」と、いきいなり謎かけ。「何だ?」。「ジョンソン牧師さんが、バーミンハムのティーン〔10 代の少年少女〕の歌唱コンテストを見つけてくれたんだ。5000ドルもらえるかも」。「出るのか?」。「どうかな。すごく緊張しちゃって」(2枚目の写真)。「一緒にいてもらえると、いいんだけど。曲目の選び方とか、即興のラップとかで」。「いつなんだ?」。「2・3ヶ月先」。「その頃には、たぶん戻れるだろう」。「ホント?」。「配置の縮小が話題になってる。一緒にやれるぞ」。「でも、間に合わなかったら、僕一人でやらないと。ホントにお金が必要なんだ」。ここで、母が、“大変化” を黙っているよう必死の動作。その時のヘンリー/ユライアの表情が面白い(3枚目の写真)。「ちゃんと行くよ。一緒に優勝しよう」。「すごいや」。その時、戦地は緊急サイレンが鳴り、父は、すぐに電話を切る。話せなくなった母は、がっかりする。その時、雷鳴が響き、雨が滝のように降り出す。これは、“涙” を象徴するものなのだが、結構長いシーンの意味は、ラストに近くなるまで分からない。
  
  
  

この映画の最も “分かりにくい” いところ。直前の長い雨のシーンの後、朝のヘンリーのベッド。時計は7時5分を指しているのに、ヘンリーはまだ寝ている。母が入って来て、「ヘンリー、起きてるの? ママは、もう行くわよ。学校に遅れないで」と声をかけ、ヘンリーは目を開ける(1枚目の写真)。部屋の壁には、4月のカレンダーが放置されていて、×は4月22日で止っている。だから、映画が連続しているのなら、この日は23日で、まだヘンリーが×をつけてないのかと思ってしまう。母は、そのまま集会に出かける〔映画の最初では9時からだったのに、なぜ早くなった?〕。しかし、集会の場の直前で自転車の向きを変えると、「ねえ、リサ」という呼びかけにも応えず、そのままどこかに消える。祖父のトレーラーハウスの中では、ヘンリーが12時10分になっても学校に行かず、ヘッドホンをはめて、寂しそうに聞き入っている(2枚目の写真)。一方、今までどこをウロついていたのか分からないが、母はようやく戻ってくると、いつもの場所に座っているクズに、「ハイになりたいの」と声を掛ける。「あるぞ」。母は、如何にも無気力な感じでクズに寄って行くと、麻薬をタバコ状に巻いたものの吸い残しを差し出される(3枚目の写真、矢印)。この、クズ女は、「ちょうどいい量ね。ヘンリーが戻ってくる前には、ちゃんとしていないと」と言い、深々と吸い込む。
  
  
  

しかし、ヘンリーは、その “おぞましき” 姿を窓から見ていた(1枚目の写真、右に映っている肌色のものは、麻薬を吸ってのけぞった母の顔)。頭に来たヘンリーは、部屋に戻ると、大音量でヒップホップをかける。そこに、昼食で祖父が戻ってくる。この3人目のクズは、クズ娘に、「あいつ、1日中ここにいるのか? あの怠け坊主が、朝から晩まで黒んぼの音楽を聴いてるのには我慢ならん。お前が何とかしろ。でなきゃ、俺がやる」と食ってかかる。しかし、クズ娘は、麻薬でハイになっていて、身動き一つしない〔祖父が叱るべきなのは娘なのに、何もしない〕。クズ祖父は、ヘンリーの部屋に入って行くと、ラジカセを床に投げつけて壊し、「俺の家でこんな音楽は許さん!」と怒鳴りつける(2枚目の写真)。そして、ヘンリーをベッドに押し倒す(3枚目の写真)。「離せ!」。「今度やったら、撃ち殺してやる! 分かったか?! さっさと起きて、学校に行って来い!」。
  
  
  

ヘンリーは、泣く泣くカバンのところまで行くと、中から教科書をすべて取り出し、コンテストのチラシのコピーを見る(1枚目の写真、見ているのはチラシ)。そして、着替えの服をカバンに詰めると、家を出て行く。ヘンリーは、クズ母の前まで来ると、「ママ?」と声をかける。返事はない(2枚目の写真)。それでも、頭にキスをすると、そのまま外に向かう。次にヘンリーがいるのは、幹線道路。大型のトレーラーが来るのを見ると、ヘンリーは、ヒッチハイクの手を上げる(3枚目の写真、矢印はヘンリー)。道路標識が映るが、バーミンハムまで179マイル〔286キロ〕の地点だ。
  
  
  

トラックはゆっくり走り、夜、暗くなってからバーミンハムに着く。この時期でバーミンハムが暗くなるのは午後8時以降。運転手は、わざわざアリス・ロビンソン・スティーブンス舞台芸術センターの前まで乗せて行ってくれた。ヘンリーは、「どうも ありがとう」とお礼を言い、親切な運転手は、「お休み」と声をかけるてくれる。ヘンリーはすぐ前の建物に行くと、徹夜の待機組みが10名以上並んでいる。ヘンリーは最後尾についた(1枚目の写真)。この時点で、この日が、8月17日だと、ようやく分かる。つまり、雷雨のシーンが4月22日で、そこから、急に8月17日に飛んでしまう。その間、何があったのか、観客には全く情報が与えられない。翌朝、ヘンリーが目を覚ますと(2枚目の写真)、後ろには長い列ができていた(3枚目の写真)。建物から係員が出てきて、「みなさん聞いて下さい。コンテストは間もなく始まります。名前を呼ばれたら、ステージに入って下さい」と説明する。一方、祖父の家では、クズ母がハメを外している。クズ男の持っていたコカインを全部注射してしまったのだ。これには、クズ男ですら、「このクソあま、2人分 空にしやがって。もっと手に入れてきて、一緒に楽しまないとな」と呆れる。そして、祖父の家を出て、どこかに買いに行く。
  
  
  

アフガニスタンにいた父は、ヘンリーとの携帯での約束通り、家に戻ってくる(1枚目の写真)〔絶対間違っているのは、玄関の両脇にあるパーゴラ風の鉄の柱に絡む葉の色が、また茶色に変わっている点。8月なのに!〕。しかし、ドアには鍵がかかっていて開かない。振り返ると、そこには、「売り家」の看板が立っている。それを見た父は、荷物は放っておいて走り出す。向かった先はクズ妻のクズ親爺のトレーラーハウス。ドアを開けて見つけたのは、ヘロイン漬けになったクズ妻の情けない姿。呼びかけても反応はゼロ。父は、「何て奴だ。約束したじゃないか」と責める(2枚目の写真)。息子のことが心配になり、ヘンリーがいると思しき部屋に行くと、床には壊れたラジカセが。「お前、何されたんだ?」。そこには、ヘンリーが着替えを詰めた時に床に落ちたチラシが残っていた。それを見た父は、チラシを持って、家から走り出る。映画では、少し先のシーンになるが、父は、動き出した列車に飛び乗り(3枚目の写真)、バーミンハムに向かう。
  
  
  

一方、順番に受付を済ませたヘンリーは、ロビーで待っている。応募者が多ので、最初に予選が行われる。予選に使われるのは3つのステージ。審査員は3名で、聴衆はいない。ヘンリーの隣でベンチに座っていた母子連れが、「2番のステージにならないよう、祈らないとね」と話している。「何でも、あそこの審査員たちは、ブルースやアーバン・ミュージックが好きみたいだから」(1枚目の写真)。それを聞いたヘンリーは、「2番にして、お願い」と天を仰ぐ(2枚目の写真)。一方、トレーラーハウスでは、母がコカインから醒める。そして、ヘンリーを探すが、どこにもいない。母は、自分が麻薬に溺れたせいで、息子が家出したのだと思い込む。一緒にいたクズ男が、「俺んちに来て、もっとやろうぜ」と誘うが、母は、息子を探しに自転車で出かける。近所の酒場でクズ連中と談笑しているクズ親爺に、「ヘンリー、どこにいるか知ってる?」と訊くと、「知りたくもないな」という無責任な返事。「最後に見たのはいつ?」。「ボコボコにした時かな。俺の家で黒んぼの音楽を鳴らしてたんだぞ」。「いつの話?」。「昨日だ」〔この祖父ほど嫌な役は滅多にない〕。一方、父は、会場に着き、ヘンリーを捜す。父が、2階のバルコニーに行くと、ヘンリーは目ざとく見つける。そして、階段を駆け上がると、父に抱きつく(3枚目の写真)。「とっても寂しかったよ。来てくれたなんて信じられない。どうやって来たの?」。「来るって言ったろ」。
  
  
  

ヘンリーは、次に、自分が呼ばれる番だと話す。「何を歌うんだ?」。「『マイ・ガール』〔ザ・テンプテーションズの曲〕か『消えゆく太陽』を歌おうと思ってた。「審査員はどうなんだ?」。「2番はブルースが好きなんで、そこに呼ばれないかなって」。「他はどうなんだ?」。「知らない」。「ここで待ってろ。調べてくる」。父は3番に入って行き、その直後に、「ヘンリー・マシューズ君、3番へ」と呼ばれる。中に入って行くと、先に歌った子の母親が、審査員たちに食ってかかっている。2人が出て行くと、「次の人」と声がかかる。父は、ヘンリーに、「この審査員たちは、白いパンしか好きじゃないらしい」〔黒人の曲は嫌い〕と言い、「じゃあ、どうしたら?」と訊くヘンリーに(1枚目の写真)、『リパブリック讃歌〔The Battle Hymn of the Republic〕〔南北戦争の時の北軍の行軍曲〕を歌うよう指示する。ヘンリーは、『リパブリック讃歌』を歌うが(2・3枚目の写真)、このシーンのサイトは→(https://www.youtube.com/watch?v=OwlnC7uaR1E)。歌い終わると拍手が起こり、審査員長は、「文句なしの合格だ」と言い 87番の札を渡す〔ヘンリーは、先頭から20番以内に並んでいたのに、なぜ87番なのだろう?〕。一方、母は、ひょっとしたらと思い、バプテスト教会に行く。
  
  
  

予選を勝ち抜いた参加者による本戦が始まる。全員が会場に集められ、呼ばれると、順に舞台に上がり、歌うというシステムだ。父は、周りに誰もいない最後列の席を選ぶ。審査員は2人。女性の方は、プロのボイストレーナーで、かつての優勝者。男性の方は、地元のラジオ番組の人気司会者。審査員は10点満点で採点。上位8人が、翌日に行われる第二部に進むことができる。最初の挑戦者は、トッド・シンプソン〔Todd Simpson〕。サポートバンドを従えた本格的なボーカリストだ〔トッド・シンプソンは本名で、アラバマで活躍中の現役の歌手。これまでに200曲以上を作曲し、1800回以上舞台で歌っている/ここで歌う『Died When I Met You』も、2010年リリースのアルバムに入っている〕。父は、「次に何を歌うか決めないと」と言う。「そうだね。アッシャー〔Usher〕はヒップすぎるし…」(1枚目の写真)「ルーサー〔Luther Vandross〕は?」。「ダメだ。考えを変えないと。ババ〔人気司会者〕は、80年代の大ファンだ。彼の番組では いつもかけてる。2人は、ノートパソコンで曲を探す。その間に歌は終わり、点数は、ババが9、ダーリーン〔もう1人の審査員〕が7〔2人の点数は、見事な歌には低すぎる…〕。「一緒に歌ってくれるよね?」。「もちろん。うんとアピールしないとな」。「よかった」。その時、最後列の一番端の席にトッド・シンプソンがやって来て座る。ヘンリーは、「彼、ホントに上手かったよね」と父に言い(2枚目の写真)、「ああ、本人も分かってるさ」と言う。ヘンリーの様子を見たトッドは(2枚目の写真)、ヘンリーが微笑みかけると、丁度やって来たバンドの連中に首を振って席を立ち、2列前の席に移る。明らかに、ヘンリーを嫌っての行動だ〔伏線〕。2人目の女性が歌うのを聞き、うんざりしたババは頭を抱える。教会では、牧師が母に、事情を訊いている。「昨夜の午後に、家出したみたいなんです」。牧師は、警察への届けは自分が手配すると言い、麻薬の巣に帰らなくてもいいよう、牧師館で泊まらせる。舞台では、何人目かが歌い終え、ダーリーンは、「悪くなかったわ」と言い、ババは、「何だって?」と思わず叫ぶ。司会に感想を訊かれたババは、「もう一度聴くくらいなら、自分のクソをランチに食べた方がマシだ」と言い、点数は1。それを聞いたダーリーンは8点をつける。
  
  
  

次が、ヘンリーの番。ヘンリーが舞台に上がり、パソコンをテーブルに置くと、スタッフが、「接続しようか?」と訊く。「結構です。パパがするから」。そして、父が接続する。その間にヘンリーは舞台の真ん中に進み出て、「アルファヴィル〔Alphaville〕の『永遠に若いままで〔Forever Young〕』を歌います。父さんがサポートします」と言う。これを聞いたダーリーンがババに、ニヤニヤしながら耳打ちする〔伏線〕。ヘンリーが熱唱し(1・2枚目の写真)、前半が終わると、父がラップを挟む。それが終わると、ヘンリーは2番には進まず、リフレインだけで終わる。このシーンのサイトは→(https://www.youtube.com/watch?v=mHlg1WTDrWU)。参考までに、アルファヴィル本人の歌は→(https://www.youtube.com/watch?v=t1TcDHrkQYg)。別の曲かと思うほど違っている。ババは、「名前は何だって?」と訊き直し、ヘンリーだと教わると、「ヘンリー、君は、俺を生き返らせようと、神が送り込んでくれたんだな」と褒め(3枚目の写真)、「心臓発作が起きたフリでもして、ここから逃げ出そうと思ってた。だが、君を発見できたことは嬉しい喜びだ」と付け加え10点。ダーリーンは、「この手の歌には馴染みはないけど、声は素晴らしいわ」と9点。第二部出場は確実だ。
  
  
  

夜になり、1日目が終わる。得点上位の8名がステージ上に並ぶ。名前は、得点の低い順に呼ばれ、右端には、キムランス・ヤング〔Kymrence Young/本名〕、トッド・シンプソン、そして、最高得点のヘンリーが並ぶ。ヘンリーは、隣に立ったトッドに、「やあ」と親しげに声をかけ、「あんたのギグ、すごく良かった」と言うが(1枚目の写真)、トッドは少し考え(2枚目の写真)、ヘンリーに聞こえるように、「フリーク〔変人〕」と言う。ヘンリーは、“何で” と言いたそうな顔でトッドを見る。全員がいなくなり、どうしようかと迷っていると、楽屋から父が顔を出して、声を出さずに呼ぶ。翌朝、ヘンリーは開場時間に目を覚ます(3枚目の写真、矢印は父。ヘンリーが上半身裸なのは暑いから)。父は、「シャワーを浴びてきれいにしないとな」と言うが、その後どうしたのかは分からない。
  
  
  

いよいよ、第二部の開始。新たに3人目の審査員が加わる。地元のカントリーミュージック界の大御所ジミー・ノックスだ。最初に歌うのが、キムランス・ヤング。YouTube上で活躍しているだけあって、歌は素晴らしい。採点は、ババ9、ジミー9、ダーリーン6。ダーリーンの採点は、いつも狂っている。何人目かの時は「2、3、9」という点を出し、別の時は「9、10、3」。「9、8、1」の時、ジミーはダーリーンの異常さに気付く。そして、その次に、「1、1、10」を出した時、ババが怒ってダーリーンの得点票を奪い取ろうとする。そして、ヘンリーの番になる。ヘンリーが歌うのは、オリジナル・ソング『寂しいよ〔I Miss You〕』(1・2枚目の写真)。このシーンのサイトは→(https://www.youtube.com/watch?v=ouqQh5Yq90c)。ババの感想は、「素晴らしい。真の才能だ」。ジミーの感想は、「君のスタイルに詳しくはないが、いい声をしてる。君には才能がある」。ダーリーンの感想は、「そうね。確かにいい声ね。でも、これは歌のコンテストよ。歌ってるのは1分半だけ。バカげた言葉〔ラップのこと〕はやめて、歌に専念したら?」。それを聞いたジミーは、ババに、「席、替ってくれないか?」と頼むが、無茶な話なので断られる。点数は、「10、9、7」(3枚目の写真)。次が、トッド・シンプソン。熱演を聴いていた父は、「我々にはバラードは歌えない」と言い出す。「じゃあ、どうすれば?」。「うまい案がある」。そう言うと、パソコンを見る。トッドの得点は、最高の「10、10、9」。
  
  
  

クソ祖父が酔っ払ってTVを見ていると、そこに、尊敬しているジミー・ノックスが出て来たので画面に注目する。その後に、トッドに続き、ヘンリーが紹介される(1枚目の写真)。クソ親爺はすぐにミニトラックを出すと、娘を強制的に乗せてバーミンハムに向かう(2枚目の写真)。そのことを知った牧師は、掲示板に貼っておいたチラシを思い出し(3枚目の写真、矢印はチラシ)、自らもバーミンハムに向かう。
  
  
  

いよいよ、半分の4人による戦い。ヘンリーが選んだ曲は、マッドネス〔Madness〕の『アワ・ハウス〔Our House〕』(1枚目の写真)。父のラップの間に、トリッキーな動き(2枚目の写真)を見せて、観客を驚かせる。この曲のサイトは→(https://www.youtube.com/watch?v=uya4HuJpgl0)。参考までに、マッドネスの歌は→(https://www.youtube.com/watch?v=4p4RWBCEFRo)。ヘンリーの歌い方の方がバラードに近い。得点は「10、10、8」。次が、準決勝で3人による争い。3人が壇上に並ぶ(3枚目の写真)。
  
  
  

準決勝までは、2時間の休憩。その間に、大異変が起きる。ヘンリーが、夕食代わりのスナックを山ほど取ってきて食べようとすると、そこに、クソ祖父の怒鳴り声が響き渡る。「どけ! 俺の孫があそこにいる!」。ヘンリーは、一緒に来た母を見て「ママ」と喜ぶが、クソ祖父は、会場係を、「こんな下らんことを こいつをさせやがって、思い知らせてやるぞ!」と威嚇する。そして、母と抱き合っているヘンリーの腕をつかんで引っ張り出そうとする。ヘンリー:「離せよ!」。騒ぎに、警備員がやってくる。クソ祖父は、「俺の孫が行方不明になった。母親はすごく心配した〔ヘンリーをTVで見るまでは無視していた〕。ここの奴らは、親もいない未成年を勝手に出場させとるんだ!」。それを聞いたヘンリーは、「何言ってる? ずっとパパが一緒じゃないか」(1・2枚目の写真、黄色の矢印は父を指した手、赤の矢印はクソ祖父)と、発言を否定する。クソ祖父→ヘンリー「何だと、この嘘付きが」。クソ祖父→警備員:「あいつの親爺は、3ヶ月前、アフガニスタンで死んだんだ」〔4月のカレンダーに最後の×がついていた22日が、亡くなった日〕。ヘンリー:「そんなの嘘だ! 黙れ!」。ヘンリーは、クソ祖父に飛びかかろうとして、母に引き離される。クソ祖父→警備員:「こいつ、気が変なんだ」。ヘンリーは、振り返ると、「パパ、何か言ってよ、お願い」と頼む。父は、「パパの姿は誰にも見えない」と答える。「何だって?」「ママ?」。母は、「ヘンリー、あなた、お父さんが亡くなったことは知ってるでしょ」と言う。ヘンリーの頭を過去のシーンが過ぎる。パソコンは、父でなくスタッフが接続していた。トッド・シンプソンがヘンリーを変人扱いしたのは、ヘンリーが空席に向かって話していたからだった。ラップを口ずさんでいたのはヘンリー本人だった。ヘンリーの目からは、涙がとめどなく流れる(3枚目の写真)。「そんな… 嘘だよ…」。ここで、カメラはアフガニスタンに代わり、ヘンリーとの電話を終えた父が、直後に、現地人に殺される場面が入る。ヘンリーは、それでも、あきらめない。「ママ、パパはここにいるよ。すぐそこに」。クソ祖父は、「もう十分だ。こいつは気が狂ってる」。母は、ようやく自分のクソ親父に反撥する。「息子のことを狂ってるなんて、二度と言わないで。分かった? この子が、パパがいるって言うなら、その通りなのよ」。「そうか、これで気違いが二人になったか」。そう言うと、無理矢理に腕を取る。整備員が間に入り、乱暴な扱いを止めさせる。クソ親父→警備員:「分からないのか? あいつら狂ってるんだ。俺は、あいつらに責任がある」。クソ親父→母子:「外で待ってるぞ。10分経って出てこなかったら、歩いて家に帰れ」。クソ親父は、ロビーから出て行く。こうした出来事は、トッド・シンプソンが見ている前で起きた。ここで、この映画が、“嘘付き” だったことが判明する。ヘンリーの父が、ずっといるように見せておきながら、実はもう死んでいた。助けを欲しがっていたヘンリーを見て、死んだ父が亡霊になって現れたのだ。ユライア・シェルトンが出演していなかったら、「何だ!」と怒鳴りたくなるような脚本だ。
  
  
  

クソ祖父が入口に立っていると、憧れのジミー・ノックスが前を通ってトイレに行く。クソ祖父は、金魚のウンチのように後に付いて行き、小便中のジミーの後ろに立つと、「お、俺、あんたさんの音楽、大好きでな、ノックスさん」と話しかける〔用足し中に話しかけるのは非常識の最たるもの〕。「アルバムだって、みんな持ってる。隣人が、インターネットからタダでダウンロードしてくれたんだ」。ジミーは、あまりのずうずうしい内容に、思わず唸る。ジミーが手を洗い始めると、「俺の孫も出てるんだ」と話しかける。「そうか? 誰だ?」。「ヘンリー・マシューズってガキなんだ」。「そうか、すごい子だな」。「あんたさんみたいな音楽を歌ってくれたらいいんだが、不快な黒んぼの真似しやがるんで困っとる」。ジミーは、洗ったばかりの手を見せて、「この濡れた手でどうするつもりか分かるか?」と訊く。「何だね?」。ジミーは、ありったけの力でクソ祖父の顔を殴りつける〔一番せいせいする場面〕。ジミーは、出口にある紙タオルで手の水気を取ると、紙を丸めてクソ祖父に投げつける(1枚目の写真、赤の矢印は鼻血、黄色の矢印は紙タオル)。一方、ヘンリーと母は会場の外のベンチに座って慰め合っている。そこに、会場係が、出場を続けるかどうか訊きにくる。迷うヘンリーに、父の亡霊は、「お前なら勝てる。そうしたら、人生の扉が開くぞ」と諭す。その言葉で、ヘンリーは出場の継続を了承する。会場係が喜んで去った後、母は、「パパはそこにいるの?」と訊く。そして、イエスだと知ると、夫に話しかける。「私には、あなたが見えない。でも、知って欲しいの。すごく反省してるわ。二度とあんなことはしない。命にかけて誓う。絶対に、あなたとヘンリーを失望させない。この子が21になるまで手元から離さない」(2枚目の写真)。それだけ言うと、母は “二人だけ” になりたいというヘンリーの希望に応えるため、ベンチを離れる。ヘンリーは、父を見上げて、「僕、一人でやれるか分からない」と言う。「何を?」。「歌うこと」。「いつも一緒だ」。「分かってる。でも、僕一人で どうやってやればいいんだろう?」(3枚目の写真)。
  
  
  

父は、準決勝は1人で歌い、決勝用に誰か捜してくると提案する。「お前と一緒になってやってくれる友達だ」。「無理だよ」。「パパを信じろ。パパが一緒なんだと思ってやればいい。そいつは生きてるけどな」(1枚目の写真)。「パパ? 死んでるってどんな感じ?」。「さあ、うまく説明できるかな。まだ死んだばかりだし。ただ、一つはっきりしたことがある」。その後に続く “亡霊論” はパス。父は、最後に、ヘンリーの生き方について、こう忠告する。「一瞬一瞬の体感を、全身で受け止めるんだ。そうすれば、一流への道が開ける」。「戻ってきてくれる?」。「もし、パパの姿を見ることができなくなっても、忘れるんじゃないないぞ、パパはいつだってお前と一緒にいる。お前が大好きだ、ヘンリー」。「大好きだよ、パパ」。父は、バーミンハムの高層マンションに住んでいる友達の三等軍曹ジェレミーの部屋に現れる。父は、ジェレミーが見ているTVのチャンネルを、歌唱コンテストに関するニュースに固定する。そこでは、有名人のジミー・ノックスが、コンテストの参加者ヘンリー・マシューズの祖父から暴行罪で訴えられたという椿事についての紹介し、ヘンリーが歌っている姿も映る(2枚目の写真)。ヘンリー・マシューズの名前を耳にしたジェレミーは、亡き親友から預かっていた手紙を取り出して読む(3枚目の写真、矢印)。「ジェレミー、わが兄弟。もし、お前が、この手紙を読んでるなら、俺はもう死んでるわけだ。お前とは一緒に軍で過せて幸せだった。ところで、お前に頼みがある。こんなこと頼めるのは、お前しかないからな。お願いだ。俺の息子から目を離さず、もし助けを必要としてるなら、そこにいてやって欲しい。お前には永遠に感謝する。常に忠誠を。ウィリアム」。
  
  
  

準決勝が始まる。キムランス・ヤングの得点は、「9、9、10」。次がヘンリー。ヘンリーは予選で歌った『リパブリック讃歌』を選ぶ。1人で歌えるからだ。しかし、途中まで歌ったところで、父のことが思い出されて続けられなくなる(1枚目の写真)。結局、途中棄権。それでも、点数は「8、8、6」。決勝は、トッド・シンプソンとキムランス・ヤングで争われることになる。しかし、トッドは何事かを司会に耳打ちする。司会は、「皆さん。突然の出来事です。コンテストの規則によれば、出場者が自らの意志で脱落した場合、彼もしくは彼女は、次点者が代わりを務めます。本日の結果、最後に残ったのは、キムランス・ヤングとトッド・シンプソンでしたが、彼は先ほど辞退しました。従って、決勝出場者は、キムランス・ヤングとヘンリー・マシューズになりました」と告げる。ヘンリーは、すぐ会場を出て、トッドの後を追う。そして、専用の大型バンの前に仲間と一緒にいるトッドのところまで走って行く(2枚目の写真、矢印はトッド)。そのヘンリーに、トッドは、「なぜ、歌うのを止めた?」と尋ねる。答えに詰まったヘンリーは、「なぜ、こんなことを?」と逆に尋ねる。「5年前、俺の兄貴がイラクで戦死した。辛かった。お前の気持ちは分かる」。「お気の毒に」。「俺たちの分まで…」(3枚目の写真)。ここで、言葉を変え、「頑張れよ、兄弟」と激励する。
  
  
  

トッドと別れて戻る途中、通路で待っていたジェレミーが、「おい、ヘンリー」と呼びかける。「俺は、ジェレミー・ウォルト。君のお父さんの友達だった」。「うん、知ってる。あなたは、フリースタイル・ラップが抜群だって パパが言ってた」。ジェレミーは、ヘンリーの父の軍帽を、「君が持ってると知ったら喜ぶ」と言って渡す(1枚目の写真)。「じゃあ、僕と一緒に出てもらえるの?」(2枚目の写真)。「光栄なことだ」。「じゃあ、来てよ」。キムランスが歌っている間、2人は舞台裏で話し合う。「君は、どんなフリースタイル・ラップがいいんだ?」。「そうだね… フリースタイルの良さを活かして、感じたままにやってよ」(3枚目の写真)。2人の息は、歌う前からぴったりと合っている。キムランスの得点は「10、10、9」。勝つには30点を取るしかない。
  
  
  

「僕は、ボブ・ディランの『天国への扉〔Knockin' On Heaven's Door〕』を歌います。ジェレミー・ウォルトと一緒です。この歌を父と、亡くなった英雄すべてに捧げます」。こう前置きして、ヘンリーは歌い始める。ボブ・ディランは、ミュージシャンとして初めてノーベル文学賞を授与された天才だ。この曲(1973年発表)には、ベトナム戦争の帰還兵の悲惨さが込められているとも解釈されている。いつも通りヘンリーの歌のシーン(1・2枚目の写真)を最初に紹介し→(https://www.youtube.com/watch?v=-aT9QuIuHOM)、次いで、ボブ・ディラン本人の歌声→(https://www.youtube.com/watch?v=rnKbImRPhTE)。ボブ・ディランの歌はネット上に溢れているが、このサイトは、動画はないが、歌詞が一番対比しやすいので選んだ。ヘンリーの熱唱に、会場は熱狂的なスタンディングオベーション。点数は、「10、10、10」と30点をマーク。ヘンリーとジェレミーは抱き合って喜ぶ。母と、一緒に応援していた牧師もステージに上がって祝福する。
  
  
  

ヘンリーと母が、ジェレミーの車を待っていると、そこにババが走ってくる。母は、訊かれもしないのに、ババに、「ジェレミーが、今夜泊まるモーテルに乗せてってくれるの」と説明する。「そうか? あんたら、ロスに行くってのは、どうだい?」。母:「ロスへ?」。ババは、ヘンリーに1枚の紙を渡す。「ほら。この男に電話するんだ。そして、来週木曜の午後3時に彼の事務所だぞ」(1枚目の写真)。「彼は、あんた達と契約したくて うずうずしてるぞ。君は まだ小さいが、大金が転がり込むからな」(2枚目の写真)。3人だけになると、ジェレミーが、「で、ロスか?」と訊く。母はヘンリーに 「どうする?」と訊く。「ロス」。翌朝、3人はバーミンハムのモーテルを出発する。ジェレミーは地図を持っているので、2人をロスまで連れて行く気だ〔直線距離でも2900キロもある〕。3人が車に乗り込むと、父の亡霊が車の上に現れる(3枚目の写真)。車が走るにつれ、父の亡霊は、他の様々な元軍人の亡霊と出会う。軍人崇拝的で、好きになれないエンディングだ。
  
  
  

改めて、時系列的に流れを見てみよう。
2008年8月下旬: ヘンリーと父が、朝、『消えゆく太陽』を歌う。12歳のヘンリーは、学校の1学期が始まったところ。学校が終ると、虐め子に追われたヘンリーはバプテスト教会に逃げ込み、牧師に匿われる。そこで歌うのが『わが心に入り給え』。ヘンリーが家に帰ると、父と母が深刻な顔で話し合っている。わずかな給与のために予備役に就いていた父に、アフガニスタンでの現役勤務が命じられたのだ。この手紙の日付が8月22日なので、この日は、“下旬” とは書いたが25日前後であろう。その夜、ヘンリーは、『わが心に入り給え』を父に聞かせる。
2008年9月中旬: 父がアフガニスタンに行くため家を出る。カレンダーの日付から13日か14日。
2009年冬: 母が父の車を500ドルで売る(冬服を着ている)。
2009年4月中旬: 母が、ヘンリーに、家のローンが払えなくなったので、祖父の所に引っ越すと告げる。
2009年4月21日: 2人は、祖父のトレーラーハウスに引っ越す。
2009年4月22日: 学校(最後の4学期)で虐められたヘンリーは、教会に逃げ込む。そこで、8月に開催されるアラバマ・ティーン・スタークエストのチラシをもらう。ヘンリーが帰宅すると、アフガニスタンにいる父から電話がかかってくる。しかし、その直後、父は射殺されて死亡する。翌日から、ヘンリーはカレンダーに×印を付けるのを止める。
2009年4月末~5月初: 父の遺体はアメリカに搬送され、葬儀が行われる(映画にはない)。ヘンリーは嘆き悲しむが死は受け入れたはず。
2009年8月17日: ヘンリーは、学校に不登校(13歳になったヘンリーの1学期)。母は、突然、1年10ヶ月にわたって自らに禁じてきたコカインに何故か手を出す。それを見てがっかりしたヘンリーは、禁じられた黒人の曲を大音量でかけ、祖父に制裁を受ける。そして、その足で家出し、ヒッチハイクでバーミンハムに向かう。
2009年8月18日: 午前中、アラバマ・ティーン・スタークエストの予選が行われ、ヘンリーは『リパブリック讃歌』を歌って本選に進むことが許される。午後の本戦では『永遠に若いままで』を歌い、上位8位以内に入り、翌日の第二部に進むことが決まる。この時、心細くて動揺したヘンリーを助けようと、父の亡霊が現れるが、ヘンリーは何故か本物の父だと思い込む。この部分が、一番不自然なのだが、映画では、如何にも本物の父が現われたように描いていて、ズルい。
2009年8月19日: アラバマ・ティーン・スタークエストの第二部。ヘンリーは『寂しいよ』を歌い、上位4人に入る。次に歌った『アワ・ハウス』で、準決勝に進む。一方、故郷では、昨日のTVを見た祖父が母を連れてバーミンハムに向かう。そして、準決勝を控えたヘンリーに食ってかかり、父が3ヶ月前に死んだと話し、映画の観客をびっくりさせる(呆れ返る人もいる)。ヘンリーは、かつて父の葬儀にも出たハズなのに、祖父にこう指摘されても、父の存在を信じたくてたまらない。しかし、遂に、亡霊であることに納得し、亡霊の父は、決勝には友人を助けに寄こすと約束して消える。午後6時から始まった準決勝では、ヘンリーは途中で棄権し、3位となる。しかし、同じような体験をもつトッドが自主的に辞退し、大会の規約で、ヘンリーが決勝に出られることになる。ヘンリーは、父が采配した戦友のジェレミーと共演し、優勝する。それとともに、ロスでのデビューが約束される。


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