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Little Lord Fauntleroy 小公子 (1936年版)

アメリカ映画 (1936)

『小公子』は、先に紹介した『オリバー・ツイスト』や『トム・ソーヤ』に比べれば映画化は少なく、私の手元にあるのは、1936年、1980年、1995年、2003年の4本。ただし、最後の2003年版はロシア製なので、原題は『Radosti i pechali malenkogo lorda(Радости и печали маленького лорда)〔小公子の喜びと悲しみ〕』。原作のロシア語訳は、“Маленький лорд Фонтлерой”なので、題名が違う分、内容も原作とはかなり違っている。1980年版は、TV映画だが、セドリック役がリッキー・シュローダー(1970年生まれ)。『チャンプ』でゴールデングローブ賞新人男優賞を取った翌年の作品だ。リッキーは、ボクサーの子にはぴったりでも、どうみても「育ちの良さ」や「品格」とは無縁の存在で、あまりにも違和感があり過ぎる。完全なミス・キャスト。1995年版は、これもTV用で、BBCのミニ・シリーズ。長さ6時間。『オリバー・ツイスト』のように長編で複雑な物語なら6時間はちょうどいい長さかもしれないが、その3分の1にも満たなくて単純な筋の物語に6時間はあまりに長すぎる。原作に忠実であるべきBBCのミニ・シリーズだが、時間を持て余し、騙(かた)りの母が登場してからの歪曲が度を越している。また、セドリック役のマイケル・ベンツ(1981年生まれ)は、セドリックとしては年長すぎ、さらに、品が良いわけでも可愛いいわけでもない。2003年版は、先に書いたように、原作をかなり変えている。それは、恐らく良い方に働いていて、びっくりさせられて面白い。セドリック役のアレクセイ・ビショーキン(1990年生まれ)は撮影時11歳? 可愛いことはいいが、ほとんど笑わない。笑顔でいっぱいのフレディ・バーソロミューとは対照的。さて、その1936年版だが、『小公子』の映画化としては、この作品がベスト。当時の脚本のあり方に倣い(?)、原作の台詞が忠実に生かされている。『トム・ソーヤ』の1938年版では、字幕1211ラインのうち、271ラインが原作の文章とほぼ同じ言葉を使っていて驚かされたが、この作品では、字幕1305ラインのうち、何と507ライン(39%)が原作の文章とほぼ同じ言葉を使っている。例として、セドリックが、初めてドリンコート伯爵に会う場面を取り上げる。

 セドリック(映画):「Are you the earl? I'm your grandson that Mr. Havisham brought. I'm Lord Fauntleroy.」
 セドリック(原作):「Are you the Earl? I'm your grandson, you know, that Mr. Havisham brought. I'm Lord Fauntleroy.」
 セドリック(映画):「I hope you are quite well.」
 セドリック(原作):「I hope you are quite well.」
 セドリック(映画):「I'm very glad to see you.」
 セドリック(原作):「I'm very glad to see you.」
 伯爵(映画):「You're glad to see me, are ya?」
 伯爵(原作):「Glad to see me, are you?」
 セドリック(映画):「Yes, very.」
 セドリック(原作):「Yes, very.」

ほぼ同じといって良い。この映画で、原作と大きく違うのは、アメリカが舞台の部分。特に、有名な子役ミッキー・ルーニーが演じる靴みがきのディックの台詞は原作とかなり違い、ブルックリン訛りもミッキーが演じた多数の映画の中で一番ひどいとされる。例えば、セドリックがお別れを言いに来た時、ディックが弁護士のハヴィシャムにかける最初の言葉は、

 ディック(映画):「T'anks, mister, for the t'ings you're done for him.」
 ディック(原作):「Thanky, sir, fur bringin' him down here an' fur wot ye've done.」

訛のニュアンスは違っているようだが、共に まともな英語ではない。会話だけでなく、アメリカで起きる出来事は、セドリックも含めて原作と大幅に変えてある。原作を書いたバーネットもアメリカ人だが、映画の製作もアメリカだったので、自国の部分を充実させたかったのかもしれない。

原作と映画化の関係を見て行こう。第1章は、a)セドリックと母の楽しいが交友範囲の狭い生活の紹介、b)セドリックと乾物屋のホップスとの会話、が主な内容。映画では、1(a)はごく簡単に終え、セドリックの誕生日に自転車を贈る創作場面が入る。そこでは、実際にりんご売りの老婆と会い、セドリックをからかう子供たちと喧嘩し、ディックに助けられる。その後で1(b)につながる。第2章では、a)弁護士ハヴィシャムの突然の訪問、b)セドリックと乾物屋のホップスと会話part 2、c)老伯爵のセドリックの母に対する偏見、d)セドリックに初めて会った時の弁護士の印象、e)伯爵とはどんなものかの説明、f)伯爵のお金の使い道、が大まかな内容。映画では、2(a)に続き、母の不満と不安の部分が創作され、その後に2(c)が入る(3(c)の一部も使われる)。セドリックが呼び戻されて話を聞いた後の2(b)は全台詞がほぼ原作と同じ。家での夕食の場で、2(e)(f)が連続して入る。台詞もほぼ原作と同じ。第3章は、a)友だちへのプレゼント、b)別れ、c)船の上での「母が城に住めない理由」の説明、と短い。映画では、3(a)(b)はほぼ同じ。ディックの渡すプレゼントのハンカチの柄が馬ではなくボクシングになっている。3(c)はほとんどはカット(一部のみ2(c)の後に挿入)。イギリスに着いて最初の夜が第4章a)ロッジで母が伯爵からの給付金を辞退すると弁護士に話す、b)城に着いた弁護士の伯爵への報告セドリックについて、c)母からの伝言について、d)母の配慮について、という構成になっている。映画では、4(a)は同じだが、その後に、3(c)とは違う形で母子が一緒に住めないことへのセドリックの深い悲しみが示される(原作では、セドリックは不思議がるが、それほど悲しまない)。そのあとの、城での弁護士の伯爵への報告4(b)(c)(d)は、台詞を含めほぼ原作と同じ。この段階で、原作ではまだ3分の1に達しかけたところに過ぎないが、映画では4割を超えている。従って、この後は、エピソード全体の省略が目立つ。第5章は、a)セドリックの登城門番、b)使用人との挨拶(使用人の筆頭は 女中頭のメロン夫人)、c)伯爵の部屋猛犬のドゥーガル、d)伯爵が父と似ていない、e)お金の使い道、f)セドリックはイギリス人かアメリカ人か、g)食堂へ行くのに痛風の伯爵に肩を貸す、h)食堂での冠の話題、i)食後に一番たいじな人は母だと話す、という長い内容。映画では、5(a)はカット。城は実写ではなく背景の絵(他の3作品では、すべて本物の城を使っている)、5(b)は2段階で、最初に執事のパーヴィスが出迎え、次に城内でメロン夫人たちが出迎える(執事がいるのが当然なので、映画の方が正しい)。伯爵に初めて会うシーン5(c)(d)(e)(f)は、台詞が原作とほぼ同じ(ホールの天井は上部が絵、伯爵の部屋の高い天井の上部は絵)。5(g)は、途中で伯爵が10代目の伯爵の説明をする創作シーンがあるが、小さな子の肩に寄りかかっているのに、途中で停まって負担をかけるのは不自然。5(h)(i)は、ほぼ同じ。第6章は、a)セドリックの目覚めとおつきの女中ドーソンの紹介、b)伯爵が用意したたくさんのおもちゃ、c)伯爵と野球ゲームをする、d)モーダント牧師の来訪ヒギンズの話を切り出す、e)セドリックが助け舟を出す、f)セドリックが手紙を書く、g)母に会うためロッジに行こうとして仔馬の話を聞き喜ぶ、h)それでも母に会いたいと言う、i)ロッジに行く馬車の中で「大きくなったら祖父のようになりたい」と言う。j)伯爵は母に会うのを断る、という長い内容。映画では、6(a)(b)はカット。6(c)はおはじきに変更。6(d)(e)(f)はほぼ同じだが、手紙の誤字は訂正しない。6(g)(h)も同じ。6(i)の「大きくなったら祖父のようになりたい」は(f)(g)の間に入れてあるので、馬車はすぐにロッジに着き 6(j)になる。第7章は、a)教会母に対する村民の敬意、b)セドリックへの深い敬意、c)ミサ、d)ヒギンズのお礼に対しセドリックが祖父を驚かす返事とする、という内容。映画でも、この部分はほぼ同じ。第8章は、a)セドリックが初めて仔馬に乗る、b)セドリックは乗馬が上手になり伯爵を喜ばせる、c)乗馬の途中でびっこの子に遭い仔馬に乗せて自分は歩く、d)伯爵はセドリックの母に1頭立ての馬車を贈る、e)ホッブスさんに最初の手紙を書く、f)母がいなくて寂しいと祖父に打ち明ける、という内容。映画では、乗馬の部分はすべてカットされる。そして、先の教会の場面の後に馬車で帰るシーンが追加され、その中で、8(f)の台詞が使われ(10(b)も使われる)、城に戻ったセドリックが最初にするのが8(e)。映画では、この手紙を受け取ったホッブスさんとディックの反応が描かれるが、これは全くの創作で、原作には一切ない。第9章は、a)足の悪かった伯爵が馬に乗ってセドリックに同行するようになる、b)セドリックが広い領地を見せられ金持ちでいることの難しさを悟る、c)アールス・コートという劣悪な集落の改善を祖父に進言する、と言う内容。映画ではすべてカットされた。第10章は、a)アールス・コートの工事中の様子、b)母を忘れることはないと祖父に話す、c)城でのパーティロリデイル夫人がセドリックに会い感心する、d)夫人がセドリックの母に会い感心する、e)セドリックと美しいミス・ハーバートの会話、f)弁護士の到着、g)疲れて眠るセドリック、h)パーティ後の弁護士との衝撃的な会話伯爵の怒り、i)伯爵の後悔、という長い内容。映画では、10(a)はカット。10(b)は以前コメントした馬車のシーンで8(f)の後に入る。10(c)はそのまま。10(d)はカット。10(e)は歌まで入れて膨らませ、10(f)(g)は簡単に、10(h)(i)は台詞も原作通りに忠実に再現している。第11章は、a)アメリカでのその後(付き合いのなかったホッブスさんとディックが親しくなる)、b)セドリックから「正規の跡継ぎ」が現れたという手紙が来る、という短い内容。映画では、共にカットされている。第12章は、a)セドリックが跡継ぎでないと祖父に愛されないのではと心配する、b)跡継ぎを名乗る母子が城に来て追い払われる、c)伯爵が宿屋にいる跡継ぎを名乗る女に会いに行き怒鳴る、d)伯爵がセドリックの母に会いに行き心が安らぐ、という内容。映画では、12(b)はカット、パーティ後の弁護士との会話に続き、2人で宿に行く(12(c))という設定に変えてある。そして、宿には、母子だけではなく共犯者の弁護士もいる。その男はミナという女性が偽者だと知っていて協力している。子供は恐ろしく醜い。この部分は、原作より遥かに長く創作されていて、ミナの破廉恥ぶりも如何にもアメリカ人らしい。この場面に続き、原作にはないが、伯爵が法律の専門家に相談に行き、打つ手がないと知らされる創作シーンも挿入される。そして、伯爵は絶望してセドリックの母に会いに行く(12(d))。この場面は、原作よりやや長くなっているが、基本的に台詞は同じ。この後、12(a)に戻り、セドリックが祖父と睦まじい会話を交わすが、台詞は原作とほぼ同じ。第13章は、a)ホッブスが新聞でセドリックの事件について熱心に読む、b)ディックが客からもらった絵入り新聞でミナが騙り女だと気付く、という短い内容。映画では、13(a)(b)が合体されている。第14章は、a)伯爵、弁護士、ホッブス、ベン、ベンの兄でミナの夫 の5人が宿に行き 騙り女を追い払う、b)伯爵がセドリックに、母を城内に住まわせたいと話す、という短い内容。映画では、14(a)を膨らませ、ミナらしい抗弁が創作されている。14(b)は後まわし。最終の第15章は、a)ホッブスがセドリックに城の絵を見せてもらう、b)セドリックの8歳の誕生日パーティ、c)ホッブスがアメリカに帰らないと宣言する、という短い内容。映画では、15(a)は案内人が伯爵になっている。伯爵はセドリックには甘くても、ホッブスに甘いのは「らしく」ないので、アメリカ人向けか? 15(b)は簡略化し、前半をセドリックのスピーチ(台詞は原作と内容が違い、かつ短い)、後半を「14(b)の母との同居」を誕生日プレゼントとしている。映画の最後は、15(c)。できれば、この部分はカットするか、15(a)の後ろにまわし、素晴らしい誕生日プレゼントで終わった方が良かったように思う。

これが、このサイトにおけるフレディーの最初の登場となるので、「1930年代のMGMのチャイルド・スター、フレディ・バーソロミュー全伝〔Freddie Bartholomew Complete Biography of the 1930’s MGM Child Star〕」(https://immortalephemera.com/22051/freddie-bartholomew-biography/)に準じて紹介しよう。フレディーは、戦前で最も有名な子役。1924年3月28日にロンドン西郊のウィルズデン(Willesden)で生まれた〔フレディーが亡くなった1992年1月23日の翌日のニューヨーク・タイムズの記事は間違いだらけで有名だが、そこではダブリンで生まれたと書いてある(https://www.nytimes.com/1992/01/24/arts/freddie-bartholomew-is-dead-child-star-in-films-of-the-1930-s.html)〕。生まれた時に与えられた名前は、Frederick Cecil Bartholomew。フレディーは、幼い時から才能があり、3歳の時、教会の会合で詩を朗読した。こうした才能に惹かれた伯母(叔母かも)のMillicent Mary Bartholomewは、フレディーをウォーミンスター(Warminster、保養地として有名なバースの南南東20キロ)にある祖父の館カールトン・ヴィラに引き取り、代母として育てた。フレディーは、この町で、「驚異の少年雄弁家〔Boy Wonder Elocutionist〕」と呼ばれるようになる。そして朗読を始める前に童謡も加える。ある日、町のパーティで馬に乗った振りをしながら「おもちゃ町の大砲」を歌って大喝采を受けると、フレディーは、大好きな「Cissie(シシー)」伯母さんの仲介もあって、『Toyland(おもちゃの国)』(1930)という短編映画に主演し、その後3本の映画に端役で出演する。転機は、『David Copperfield(孤児ダビド物語)』の前半の少年時代のデビッド役を探していたMGMの製作者デヴィッド・O・セルズニックと監督ジョージ・キューカーがフレディーに一目惚れしたこと。伯母は、一存でフレディーをハリウッドに連れて行く。これは、数年後に起きる両親との醜い法廷論争の発端となった。『David Copperfield』を撮影中のフレディーの週給は100ドル。少ないように見えるが、この当時の換算レートは1ドル=約3.5円。だから、350円に相当する。日本の1935年の勤労者世帯の実収入は月91円だったことを考えると、週350円は、その15倍に相当する〔“日本円貨幣価値計算機”だと1935年の350円は2017年の62~71万円〕。同年に公開された次回作『Anna Karenina(アンナ・カレリナ)』の後、フレディーの週給は1,250ドル〔4,375円、“日本円貨幣価値計算機”では、773~888万円〔そのまま年収に直すと4~4.6億円〕に跳ね上がる。『小公子』は大成功を収め、フレディー自身も、素晴らしい演技、上品なイギリス的話し方、その可愛らしさで高く評価される。しかし、この多額の報酬は、それまで養育を放棄してきた両親の欲望を刺激し、「フレディー+伯母」のペアとの間で親権を巡る法廷闘争が始まり、多額の費用が投入される。右の新聞記事(1937年)は、上記のサイトに載っていた、「ハリウッドの哀れな金持ち少年フィレディー・バーソロミューとその守護者シシー伯母さん」という記事。下部には、所得税と弁護費用でお金に羽が生えて消えていく絵が描かれている。こうした子役を巡る醜い争いは、『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキンでもくり返された。フレディーは『The Devil Is a Sissy(腕白時代)』、『Lloyds of London(勝閧)』を経て、もう1つの代表作『Captains Courageous(我は海の子)』(1937)に到達する。撮影に1年を要したこの名作の成功後、彼の週給は2,500ドル〔8,750円、現代換算442~508万円〕に倍増する。フレディーの華は、翌年の『Kidnapped(魔城脱走記)』と『Lord Jeff(海国魂)』まで〔ここまでは、当時の日本でも上映された〕。右の写真は私の所持している当時のサイン入り写真。一番ハンサムな頃だ。その後も1951年まで映画に出演し続けるが、身長が伸びるに従い、人気は下がっていき、出演作も二流へと落ちる。子役の悲しい末路だ。


あらすじ

映画は、セドリックの父エロル元大尉の死から始まる。原作では、父から勘当され、お金がないので、イギリス陸軍での地位〔commission〕を売り、ニョーヨークで勤め口〔situation〕を見つけて結婚したと書かれている。ヴィクトリア朝でのイギリスでは仕官の地位を金で買うことは一般的だったようで、「英国陸軍における仕官地位の購入」(https://web.archive.org/
web/20160520024659/http://www.colonialwargaming.co.uk/Miscellany/Army/Commissions.htm
)によれば、大尉〔Captain〕の場合、その属している部隊によるが、映画では「Grenadier Guards(近衛歩兵第一連隊)」となっているので、表中央の「Foot Guards」に該当する。これだと、4,800ポンドとなる。原作の書かれた1886年頃のポンドの価値だが、年収200ポンドでメイドを1人雇い、子供を学校に行かせることができるとあるので、4,800ポンドだと24年分にあたる。イギリス貴族の年収は少なくとも1万ポンド以上なので、それに比べれば一時金での4,800ポンドは少ないが、仕事口があって、これだけのお金があれば生活には困らない〔前回 紹介したオリバー・ツイストでは、彼が最終的に相続したのは僅か3,000ポンドだった(ある訳本では「年3,000」となっていたが、明らかな間違い)。この額では、ブラウンロウ氏の養子にならなかったら、紳士の生活は送れなかったろう〕。セドリックは、母に、「だいじな人、父様は… よくなったの〔Dearest, is Father well now〕?」と尋ねる。母は、「ええ、坊や、良くなったわ、とてもね。でも、私たちは2人だけになってしまったの」と答える。「2人だけよ」。そう言うと泣きながらセドリックを抱きしめる(1枚目の写真)。その直後に、暖炉の上に置かれた元大尉の写真と、持ち物が入っていた箱が映る(2枚目の写真)。外は吹雪だ。なお、原作によれば、2人の生活は、母が孤児だったためと、夫が死んでからは仕事に就かなかったため、訪問者が誰もいない非常に静かなものだった。そして、セドリックの髪は、「柔らかくてきれいな金髪〔soft, fine, gold-colored hair〕で、自然にカールしていた」とある。フレディ・バーソロミューの髪は、白黒なので目立たないが金髪ではない〔カラー時代になってからの3作では、3人とも金髪〕
  
  

映画は、一気にセドリックの9歳の誕生日に飛ぶ〔原作のセドリックは、この時点では7歳だが、映画では、フレディ・バーソロミューの年齢に合わせて2歳プラスされている〕。セドリックがかけてあった布を取ると、中から新品の自転車が現れる。フレディーが大喜びする時の口の形は 非常に特徴的だ(1枚目の写真)。「こんな凄いの、生まれて初めてだ!」。そして、「ブルックリン一の安全運転するよ」と言うので、住んでいる場所はニューヨークではなくブルックリンになる。この当時、ブルックリンは独立した都市で、1890年の人口調査では合衆国で4番目の大都市だった〔1位ニューヨーク、2位シカゴ、3位フラデルフィア〕。ブルックリン市は1898年にニューヨーク市に編入される。セドリックは、乗りたくてたまらないので、すぐに乗ってみる(2枚目の写真)。セドリックが乗っているのは、Ordinary(オーディナリー)と呼ばれるタイプで、1880年頃に考案されたもの。前輪が極端に大きいのが特徴。だから、2枚目の写真のように、階段があれば子供でも乗れるが、一旦下りると、平地でサドルに乗るのは大変〔早くも1885年には、前輪と後輪が同じ大きさのRover(ローバー)が発売される/1886年なら、なぜローバーにしなかったのか?/イギリスに行く時なぜ持って行かなかったのか?〕
  
  

セドリックが最初に向かった先は、りんご売りのおばあさん(1枚目の写真)。セドリックは、心優しいので、まず、痛風のことを尋ねる。しかし、おばあさんが なかなか自転車に気付いてくれないので、「今日は、自転車日和ですね」と言って、注意を引き付ける。そして、最新式だと言って、ベルを鳴らしてみせる。老婆:「聖パトリックの鐘みたいだね」〔マンハッタンの有名な大聖堂〕。おばあさんと別れたセドリックは、自転車を走らせながら何とか乗ることに成功する〔地面を蹴ってペダルに両足を乗せ、踏ん張ってサドルの高さまで腰を上げる〕。セドリックが、歩道の工事箇所に架けられた板を渡るため自転車を降りると、そこには近所の悪ガキが集っていた。そして、渡り終えた後で自転車を押して歩くセドリックを取り囲んで はやし立てる(2枚目の写真)。「♪来たぞ、来たぞ、きれいなおべべ着て。いばりくさり、ばかにしやがって〔The way ain' near away'n it be. That's as tough as it's going to be〕」。そして、1人の子が、「おい、そのキラキラオモチャ〔ice wagon〕、どこで手に入れよった?」と訊く。「通してください」。「ちょい乗せろや」。「お断りします」。「汚されるんが怖いんか」。「自分で乗りたいのです」。一番の年長が、「おい、イギリス野郎、懐かしのロンドンにいつ帰るんだ?」と訊く。「僕はイギリス人ではありません。アメリカ人です」。「なら、そのけったいな しゃべくり、どこで覚えよった?」。「父様はイギリス人でした」。「かあちゃんは、われがうろついてるの知っとんか?」。「母様に向かってそんな言い方するな!」。全員が、「ママのペット!」と笑う。年長の少年がタイヤを握って動けないようにし、「へたれ にやんこ〔Sissy cat〕!」と侮蔑する。年長は、セドリックを工事中の穴に突き飛ばす。怒ったセドリックが土くれを年長にぶつけ、そこから1対8のケンカが始まる。そこに、靴みがきのディックが加勢に駆けつけ、形勢は互角。さらに、セドリックのことが好きな警官が助けに入り、悪ガキは逃げて行く。泥だらけになった2人は、自転車の横に座る。セドリックは、「助けに来てくれて、どうもありがとう」と礼を言う。「俺だって、おたふく うつしちまったから、アイコさ」。セドリックは、自転車を見て、「傷一つ付いてない」。「わお、何てこったい〔Gee whillikers〕! どっかでかっぱらったんか?」。「だいじな人がくれたんだ。凄いだろ?」(3枚目の写真)。「とびきりだ〔It's a lalapalooza〕!」。この節のプルックリン方言は、翻訳不可能に近い〔いろいろな国からの移民の多い町なので、日本各地の方言を混ぜた〕
  
  
  

セドリックは、「ホッブスの極上の野菜と乾物」と書かれた店に入って行く。ホッブスは、ささやかな誕生会を用意している。飲物はジンジャーエール1本、食べ物はクッキーとキャンディーだけ。セドリックはディックが来るまで待って欲しいと頼む〔原作では、ホッブスとディックは、セドリックがブルックリンにいる間は、まだ赤の他人〕。そして、この後が原作と同じになる。待つ間、ホッブスが新聞を見ている。「何読んでるの、ホッブスさん?」。ホッブスは、「Harper's Weekly」という新聞〔1857~1916年の間 ニューヨークで発刊された政治雑誌〕の一面に載った「大勢の貴族たちが小冠をかぶっている絵」を見て、「小冠をかぶった伯爵やら侯爵らが、自分たちが一番偉いみたいにのさばってやがるのが、我慢ならんのさ」と言う。セドリックは、「伯爵や侯爵にたくさん知り合いがいるの?」と訊く。「まさか。この店に、こいつらの中から1人連れて来たいもんだな。そしたら、その がめつい暴君野郎には、クラッカーの樽にだって座らせてやらんぞ」(1枚目の写真)。「この人たち、もう少し知ってたら、伯爵にはならなかったかもね」(2枚目の写真)。「とんでもない! 名誉に思ってるのさ。それが奴らなんだ。悪党どもだぞ」。ここで、ディックがやって来る。3人で乾杯したところに、エロル家の保母兼女中のメアリーがセドリックを呼びに来る。
  
  

セドリックの母のアパートでは、ロンドンから訪れたハヴィシャム弁護士が、「ご子息は、あなたの亡き夫の兄、伯父の死により、跡継ぎとなられたのです」と来訪の理由を説明する(1枚目の写真)〔兄は単数形を用いている。2人いた兄のうち長男はずっと前に落馬して死亡し、子供はなし。そして、今回次男が熱病で急死、子供はなし。そこで三男の息子のセドリックが伯爵家を継ぐことになった〕。弁護士は、「予め申し上げておきますが、ドリンコート伯爵様は、あなたに対しあまり友好的とは申せません」と、実態よりもやんわりと伝える。しかし、その後の、「伯爵様は、あなたにはお会いならないと決めておいでです」の言葉で「非・友好度」が明らかになる。母には、城の近く〔家から城門までの距離は不明だが 城門から城まで5~6キロはある〕の家と適度の収入が用意されるが、セドリックは母に会いに来られても、母は城門をくぐることは許されない。一方、セドリックを連れ帰ったメアリーは、ケンカで泥だらけになったセドリックを必死にきれいにしている。そこに、メアリーの妹ブリジットが訪れ、亭主マイケルの病気が悪化し、お金がなくなり家賃も払えないと泣き崩れる。母は弁護士に対し、セドリックへの説明は自分に任せてくれと頼む。「伯爵様が私のことを嫌っておられると、あの子が知ってはなりません。もし知れば、2人が親しくなるのを妨げるでしょうから」。そこに、セドリックが現れて弁護士と握手する(2枚目の写真)〔19世紀のイギリスでは、特に、上流階級では、初対面の相手に握手による挨拶はしなかった/セドリックの態度は如何にもアメリカ流〕。「はじめまして」。「では、この方が、フォントルロイ卿なのですね」。原作の第1章は、この台詞で終わる。
  
  

その言葉にセドリックはひどく戸惑う。母は、「お祖父様には誰もお子様がいなくなり、とても寂しがっておられるます。だから、あなたにイギリスに来て、一緒に暮らして欲しいとおっしゃるの。お祖父様は伯爵なので、あなたはその跡継ぎ、名前もフォントレロイ卿になるのよ」と教える。セドリックは、「だいじな人、伯爵にならないといけないの? やめられない?」と必死(1枚目の写真)。「あのね、坊や、私たち、すぐにイギリスに発つの」。「イギリスに行かないといけないの? 行きたくないんだけど」。そう言った後で、「ホッブスさん、何て言うだろう?」と心配になる(2枚目の写真)。
  
  

有名なシーン。セドリックは、翌日、ホッブス乾物店に行き、クラッカーの樽に座る。そして、「ホッブスさん、昨日の朝、僕たちが話していたこと覚えてる?」と尋ねる。「イギリスのことじゃなかったかな」。「そうだよ、伯爵の話、覚えてる? 『クラッカーの樽にだって座らせてやらんぞ』って言ったよね」。「言ったとも。本気だ。やってみるがいい。思い知るぞ」(1枚目の写真)。「ホッブスさん、そのうちの1人が今 樽に座ってるよ」(2枚目の写真)。「何だと?」。「そうなの。僕もその一人、というか、そうなるのかな。おじさんをダマしたくないんだ」。ホッブスは、最初、気温が高いせいだと思い、次に病気なのか心配する。「ありがとう、僕なら大丈夫。ごめんなさい、でも本当なんだ。ハヴィシャムさんが、弁護士の人だよ、イギリスからやって来て、そう話したんだ。お祖父様が寄こしたんだって」。「お祖父さんて?」。「覚えられそうにないから、紙に書いてきた」と言って、メモを読み上げる。「ジョン・アーサー・モリヌー・エロル・ドリンコート伯爵」。「これが、名前。2つか3つのお城に住んでるの。息子がぜんぶ死んじゃったから、僕が伯爵になるんだって。今は、フォントルロイ卿なんだ」。ホッブスは、口癖の「たまげたな〔I am jiggered〕」と言うしかない。
  
  

弁護士と3人で夕食をとる場面。セドリックは、「あのね、僕、伯爵って何なのか全然知らないの。もし、それになるのだったら、知っておいた方がいいでしょ? 説明してくださらない〔Would you mind explaining it to me〕?」と丁寧に訊く〔原作では、“'splaining” と訛っている〕。弁護士は坦々と説明するが、セドリックが、なら 大統領と同じようなものだと言い出し、それを否定するために、「伯爵は、とても古い家柄〔ancient lineage〕であることが多いのです」と説明する。しかし、セドリックは “lineage”という単語を知らない。そこで質問すると、「とても古い〔old〕家族のことです」と答える。セドリックは、この“old”を「年寄りの」と解釈し、「なら、りんご売りのおばあさんと同じだ。百歳くらいだと思うの」と言い、「すごい、“ancient lineage”で、立ってるのが不思議なくらいなの」と言って、痛風がひどくなっていることを心配する(1枚目の写真)。当然、弁護士は誤解を解く。そこに、メアリーが入って来てブリジットが来たと告げ、母は部屋を出て行く。この時、弁護士もセドリックも席を立つが、これはイギリス流の礼儀。そして、2つ目の話題が始まる。「伯爵には、他にも利点があります。とてもお金持ちなのです」。これは、セドリックの金銭感覚を計る一種の罠。「それって いいことだね。僕、お金がいっぱいあるといいな」(2枚目の写真)。この発言に、弁護士は危惧の念を抱く。「ほほう、なぜです?」。「僕がお金持ちだったら、りんご売りのおばあさんに、りんごの台がすっぽり入るようなテントとストーブを買ってあげるの。それに、骨が痛くならないようにショールもね」。次の買い物リストは、だいじな人へのプレゼント。「だいじな人」の意味を訊かれ、「父様が亡くなられてから、母様のことをそう呼ぶの」と答える。その次がディック、最後はホッブスさん。ここまでは原作通りだが、そのあとで、「ご自分のもので、何か欲しい物はないのですか?」と訊かれ、「仔馬」と答えるのは、後のシーンを盛り上げるための伏線。
  
  

そこに母が戻ってくる。セドリックは立ち上がって母のイスを引く。母は、ブリジットだったと言うと、セドリックは、「何かしてあげたいな。子供が6人いて、旦那さんは失業中なの。炎症性リウマチなんだけど、可哀相でしょ」と弁護士に話す。弁護士は、セドリックの希望を叶えるようにとお金を預かってきたと言い、5ポンド渡す。セドリックは大喜び。「今すぐ渡して来ていいかしら?」と席を立って訊く(1枚目の写真)。そして、帰ろうとするブリジット目がけて走って行く。母は、「大金ですわ、ハヴィシャムさん。私たちにはそんな持ち合わせはありません」と言うが、原作を含めてここの箇所は納得できない。以前書いたように、エロル大尉が仕官の位を売ったことで得たのは4800ポンド。さらに、当時は、年収200ポンドでメイドを1人雇い、子供を学校に行かせることができるとも書いたが、これだと月17ポンドに相当する。5ポンドは、1週間分の賃金にしか相当しない。どこが感激するほどの大金なのだろう? 50ポンド渡したというのなら、驚きもするのだが〔“Pounds Sterling to Dollars: Historical Conversion of Currency”を用いると、1885年の5ポンドは、2019年の665ドル≒7万円余となり、やはり少額だと分かる〕。セドリックは、戻ってくると、「泣いてたよ! 嬉しいから泣くんだって。そんなの見たの初めてだよ。お祖父様は、すごく良い方に違いないね。伯爵になるのって、考えていたより悪くないみたい。何だか、嬉しくなってきちゃった」(2枚目の写真)と話す。
  
  

港に向かう馬車に乗ったセドリックは、途中で、まず、りんご売りのおばあさんの立派になった売店の前まで行く(1枚目の写真)。原作では、完成後に会いに行くシーンはないので映画での創作。おばあさんが、キスして抱き締めるのはいいとして、その後に、りんごを1つだけ渡して、「船の中でお食べ」と言い、セドリックがお金を渡そうとすると、「店のおごりだよ」というのは、好きになれない。これほどの親切に対し、馬車には3人いるのに1個しか渡さず、しかも「店のおごり」という失礼な言葉。興ざめだ。次はディック。ディックの「店」には、「ディック・ティプトン師匠/誰も敵わない〔Can't be beat〕」という幕が下がっている。立派なイス付きの靴みがき台だ(2枚目の写真)。2人の間で、「それじゃ〔Well〕…」が何度も交わされる(3枚目の写真)。セドリックが、最後に引き取って「それじゃ、さよなら」と言って握手する。「商売、うまくいくといいね」。原作では、言葉に詰まって何も言えないディックだが、映画では、「これ以上稼いだら、ダイヤとポイル〔poils, pearl(真珠)の言い間違い〕の上でゴロゴロだ」と答える。その後も会話は続くが、最後にディックが「行かないでくれたらな〔I wish you wasn't goin' away〕」というのは原作とほぼ同じ〔原作では“you”でなく“ye”〕。そして、お別れにハンカチを渡す。原作には、「紫色の蹄鉄と馬の頭(複数)が描かれた深紅の絹」と書いてあるが、.映画では、白地に4人のボクサーが描かれている。
  
  
  

そして、乾物屋。セドリックは、先端に熊を彫ったパイプをプレゼントする〔原作にはない〕。その後で、「これが ほんとのプレゼントだよ、ホッブスさん」と渡したのが鎖の付いた金の懐中時計。「そこに何か描いてあるでしょ。蓋の裏に。僕が頼んだんだ。読んでみて」。ホッブスは、時計を手に取ると、読み上げる。「最も古い友人、フォントルロイ卿からホッブス氏へ。これを見たる折は、私を思い出されんことを」(1枚目の写真)。「僕を 忘れて欲しくないの」。「忘れるもんか。お前さんこそ、イギリス貴族の中に入っちまって、俺のことを忘れるなよ」。「どこに行っても、おじさんのことは忘れない。会いに来て欲しいな。きっと、お祖父様が手紙で招待するよ。お祖父様が伯爵でも気にしないよね?」(2枚目の写真)。「会いに行くとも」。そして、しっかりと握手する。なぜホッブスからの餞別がないのか〔原作でも〕、よく分からない。
  
  

セドリックの一行は蒸気帆船でニューヨークからリヴァプールに向かう。1枚目の写真は、1884年に就航した最新のウンブリア(Umbria)号とは若干違うが、よく似ている〔どのみち絵だが…〕。ウンブリア号の場合、ニューヨークからリヴァプールまでの片道料金(1等上級片道)は175ドル〔35ポンド≒52万円弱〕。原作によればリヴァプール到着は11日後。伯爵の城がどこにあるのかは全く書かれていない。ただし、どこかの駅から馬車に乗りコート・ロッジに翌日夜に着いたとある。当時、網の目のような鉄道編は完成間際で、ロンドン~リーズ間300キロを5時間半で旅行できた。ただし、汽車の本数は少ないので、途中の乗換えで、どこかで一泊し、目的の駅まで行ったのであろう。そう考えると、イングランドのどこでにあってもおかしくはない。ドリンコート伯爵の城は絵だが、このコート・ロッジは実写。お城と見まごうばかりに立派なので(2枚目の写真)、セドリックは、「ここがドリンコート城?」と訊いてしまう。馬車から降りると、一足先に着いて用意していたメアリーが出迎える。中で待っていたのは、伯爵が手配したコックと小間使い(3枚目の写真)。原作にはっきり書かれていないので、映画によって人数や名前が異なる。
  
  
  

セドリックの母は、弁護士に、「今夜は伺わなくてよろしいでしょ? ここでの最初の夜は息子と一緒に過したいのです」と頼む。弁護士は、「伯爵様も、今夜会えるとは思っておられないでしょう。明日でよろしいかと思います」と答えるが、これは原作より、少し甘い。この弁護士の性格設定は、原作より、母に対して好意的になっている〔逆に、非常に厳しい映画もある〕。その直後、母は、別れて暮らすことをまだ話していないと白状する〔原作では、船の中で打ち明け、ロッジに着いた時点では、セドリックは理由は理解できないものの、納得している/船中のシーンがないので、ロッジで告白するしかない〕。最後に、母は、伯爵が寄こすと言った給付金は不必要だと伝えて欲しいと頼む(1枚目の写真)〔この部分の台詞は、弁護士の否定的な反応も含め、原作とほぼ同じ〕。弁護士は城に帰還報告に出かけ、2人だけになった母はセドリックにこれからのことを話す。「愛しいセディ、話しておくべきことがあるの」から始まる30ラインの台詞は、すべて映画の創作。「理解できないと思うけど、これまで通り、あなたのためを思ってすることだと、お母様を信じて欲しいの。明日、ハヴィシャムさんが、あなたをお祖父様のお城に連れて行き、あなたはそこで暮らします。私は一緒に行きません」。この言葉で、セドリックは、驚いて母の顔を見る。「この美しい家が私の住まいで、メアリーが世話をしてくれるわ」。セドリックは、「でも、だいじな人、今までみたいに一緒にいられないなんて、本気じゃないよね? 言える訳ないよね? そんなことできない、できっこないよ!」と悲壮な顔。母は、①いつか理解できる、②もう大きくなった、③祖父は愛してくれる、と言ってなぐさめる。「お祖父様は、とっても親切で、あなたを幸せにしようと望んでおられるのよ」。「でも、だいじな人、僕は母様がいないと幸せじゃない」(2枚目の写真)〔原作よりも、ずっと「甘えん坊」〕。「いつも別れている訳じゃないのよ。ここはお城から遠くないから、毎日走って会いに来られるわよ」。そのあと、しばらく母が話し、セドリックは無理矢理納得させられる。
  
  

城まで報告に行った弁護士と伯爵の会話〔複数のテーマが、台詞まで ほぼ原作と一致〕。弁護士は、伯爵に向かい合って座る(1枚目の写真、後の映像はどちらか一方の顔のクローズアップなので、ツーショットはここだけ)。弁護士は、フォントルロイ卿と母親が、今コート・ロッジにいて、船旅は順調で健康状態も良く、明日、卿を城に連れてくると述べる。伯爵は、「どんな坊主なんだ?」。「9歳のお子様の性格を判断するのは難しゅうございます」。「バカか? 鈍いガキか?」。「子供のことはよく存じませんが、立派なお子さんのように思えました」。「健康か? 丈夫そうか?」。弁護士は肯定する。「すくすくと育ち、見場も良いか?」。「りりしい少年だと思います。しかし、英国の少年とはどこか違うと お感じになられるでしょう」。伯爵は、アメリカ人の悪口を並べる。弁護士は、そのような一般論ではなく、「成熟した面と、子供らしさが交じり合っている」のが「違い」だと述べる。それについても、伯爵は、アメリカらしさとして悪く取る。弁護士は、これ以上話しても無駄だと思い、セドリックの母からの伝言を伝える。この「お金を受け取らない」という申し出に対しても、伯爵は悪意ととらえ、拒否しても渡せと命令する。弁護士は、2つ目の間接的なメッセージを、伯爵が聞きたくないと言うのを押し切り、話し始める。「フォントルロイ卿には、伯爵様の夫人に対する偏見のため別れて暮らすことになったのだ、と思わせるようなことはなさらないよう、夫人はお願いされておられます。さもないと、伯爵様を幾分なりとも恐れることにもなりかねず、あなた様への愛情にかげりが出るやもしれません。夫人は、卿が 初めてあなた様と会われる時に、如何なる影もあるべきではないとお考えです」。伯爵は、侮っていた母が悪口の一つも言っていないことに驚く。弁護士は、その点を保証した上で、「お子様は、お祖父様がこれほどなく優しく、情愛の深い方だと心から信じておいでです」と述べたので、伯爵を思わず目を見開く(2枚目の写真)。弁護士は、最後に、夫人への敬愛の念を込めて、「助言させていただければ、フォントルロイ卿があなた様をどう思われるかは、ひとえに、あなた様にかかっていると思われます。さらに申し上げれば、母君を貶(けな)すようことは、口にされない方が、よい関係を築かれるのではないかと存じます」と助言する。
  
  

翌日、セドリックと弁護士を乗せた馬車は城に向かう(1枚目の写真、城は、このようにマットペイントでしか表現されない)。この映画で不思議なのは、御者の横に座っている召使が常に腕を組んでいること。こんな姿を見たことがないので、一体何なんだろうと思ってしまう。城の正面玄関に着いた馬車。ここだけはセットだ(2枚目の写真)。
  
  

弁護士は、出迎えた執事のパーヴィスを紹介し、セドリックは、執事にも握手を申し出る(3枚目の写真、背景の木は幕に描かれた絵)。パーヴィスはその奇妙な態度を不審に思うより、感激したに違いない〔原作には、執事は登場しない〕。「初めまして」。「ありがとうございます、閣下」。扉の両脇には召使が立っているが、そちらに挨拶はしない。中には4人の女性が並んで待っている。先頭が女中頭のメロン夫人〔これは原作と同じ〕。ここでも握手する。メロン夫人は、歴代の映画の中でも最も上品で優しさの塊のような女性(2枚目の写真)。セドリックが2人目に手を差し出すと、女中の分際(ぶんざい)では叱られると思ってか、腰を下げて挨拶する。
  
  

セドリックと伯爵が初めて顔を合わす場面。ここが、この作品の「山場」になるので、台詞は、最も忠実に、原作に従っている。セドリックは、伯爵が下していた命令通り、1人で面前に行かされる〔失望した顔を召使に見られたくないため〕。部屋の入口までは召使が案内して行く(1枚目の写真、天井は絵だが、ハンマービームと呼ばれるイギリス独自の木造屋根で、アーチのように見えるが主構造はトラス)。召使が、部屋の扉を開け、「フォントルロイ卿でございます、閣下」と言上する。扉は閉められ、1人になったセドリックは誰もいないように見える大きな部屋を見渡す(部屋の上半分は絵)。暖炉の前にいた大きな犬が寄って来る。すると、暖炉に向いたイスに座っていた伯爵が、「ドゥーガル、戻って来い」と呼び戻す。犬は構わずセドリックに近づく。セドリックは、気さくに犬の首に手を置くと、一緒に戻ってくる〔原作では、ドゥーガルは伯爵以外、誰も寄せ付けない猛犬で、伯爵はセドリックの度胸に感心するのだが、映画では、猛犬らしさは全くない。他の映画では、猛犬らしさを強調したものもある〕。セドリックは伯爵の前に立つと、「あなたが伯爵ですね? 僕は、ハヴィシャムさんが連れて来た あなたの孫、フォントルロイ卿です」と言って、いつも通り握手の手を差し出す(2枚目の写真も)。伯爵は、戸惑いながらも手を握る。「とてもお元気そうですね。お会いできて、すごく嬉しいです」(3枚目の写真)。「会えて嬉しいのか?」。「はい、とっても」。
  
  
  

それだけ言うと、セドリックは、もう1つのイスに座る。すごく変わった座り方で、脚を組むのだが、左脚を鋭角に曲げ、左足首の上に右脚を真っ直ぐに置く〔いわゆる、「足を組んだ」座り方とは違うので、生意気な感じはしない/原作では普通に座る〕。「僕、あなたが、父様に似ているのかどうか、ずっと気になっていました」。「で、どうだ?」。「あまり似ておられないようですね」。「では、失望したのだな?」。「いいえ、まさか! 父様に似ておられなくても、お祖父様らしいのは大好きです。どんな子だって、お祖父様は好きです。とりわけ、あなたのように親切な方なら」(1枚目の写真)。「わしが親切だというのか?」。「はい、ブリッジトやりんご売りのおばあさんやディックのことでは、とても感謝しています〔I'm ever so obliged〕」。ここで、セドリックは、伯爵のお金を使って友達にしたことを話す。ホッブスに贈った懐中時計の蓋の裏に刻んだ文字まで話す。そして、ホッブスが誰かと訊かれると、「『極上の野菜と乾物』の店主で、僕の一番の友だちでした」と答える(2枚目の写真、この台詞は原作にない)。話は、そこから、ホッブスがいつも暗唱していた独立宣言の話になり、さらに、それがイギリスからの離反行為だったことに気付いたセドリックは、「あなたが、イギリス人だと忘れていました」と謝る。伯爵は、セドリックもイギリス人だと指摘し、セドリックは、口答えを謝った上で、アメリカ人だと主張する。ここまでの段階で、伯爵は、ぜんぜん期待していなかった「蛮国」生まれの孫が、最善の予想すら遥かに超える素晴らしい少年だと分かり、嬉しくなり始める〔映画では、セドリックに会う前の伯爵の心の中は分からないので、原作に基づいて参考に追加した〕
  
  

その時、召使が、「ディナーの用意ができました、閣下」と告げ、介添えをしようと寄ってくる。伯爵は、左足が痛風で歩行に苦痛が伴う状態。それを見たセドリックは、「お手伝いしましょうか?」と声をかける。「僕に寄りかかってください。ホッブスさんがじゃがいもの樽で足を痛めた時も、僕にもたれたんです」。「できると思うのか?」。「できると思います。僕、強いんです。もう9歳ですから」。伯爵は、セドリックを試す意味でやらせてみる。そして、遠慮せずに肩に体重をのせる。セドリックは肩を斜めにしながら、ゆっくりと歩いていく。「安心してよりかかって… 大丈夫ですから… あまり遠くなければ…」。ここまでは原作通りだが、映画では、なぜか途中で伯爵が足を止め、肩にもたれたまま、壁の2階部分に架けられた第十代伯爵の肖像画の説明を始める。これは、セドリックにとって大変な負担だ。それが終わると再び原作に戻り、セドリックはホッブス流の足の痛みの治療法について話す(1枚目の写真)。話が終わったところが食堂。長さ10メートルはありそうな細長いテーブルが中央に置かれ、その一方の端に伯爵が座る(2枚目の写真)。セドリックが座るのは、その向かい側だ。テーブルには生花や大きな燭台2本が置かれているので、お互いの顔を見ることは困難だし、大きな声を出さないと、相手に届かない。それでも、汗をかいたセドリックが取り出したディックの派手なハンカチは伯爵を驚かす。セドリックは、ディックのことを正直〔square〕だと褒めるが、当時のイギリス英語には、“square” にはそうした意味はなかったようで、意味を問い直す。その後、セドリックは、伯爵が小冠をかぶっていないことに驚いたと話す(3枚目の写真)〔小冠(Coronet)の種類は、https://commons.wikimedia.org/wiki/
File:Coronet_of_the_British_Heir_Apparent.svg
の絵が一番分かり易い〕。これも、ホッブスのいい加減な知識から出た言葉だった〔着用は戴冠式のような重要な宮廷行事の時だけ〕。伯爵は無下には否定しない。
  
  
  

食事が終わって部屋に戻ると、セドリックは、「ここは、2人だけで暮らすには、とっても大きな家ですね」と話しかける。「大き過ぎるか?」。「あまり仲の良くない2人が住んだら、寂しいだろうなと考えただけです」。「わしは、仲良しになれそうか?」。「そう思います。ホッブスさんと同じくらい。ホッブスさんと僕は大の仲良しでした。それ以上の仲良しと言ったら…」。ここで、セドリックは話を中断する。「フォントルロイ、何を考えておる?」。「だいじな人のことです」(1枚目の写真)。「『だいじな人』とは、誰だ?」。「母様のことです」。セドリックは急に寂しくなり、立って少し歩き廻る。犬がそれに付いて行く。伯爵はセドリックを前に来させる。セドリックは、今まで、一度も家から離れたことがなく、他人の城で1人で夜を過すのは不思議な気持ちがすると告げる。「でも、だいじな人は、遠く離れているわけじゃない… それを忘れるなって言われました。それにもう、僕は9歳です。母様からいただいた写真だってあるんです」。そう言うと、セドリックはロケットに入った肖像写真を見せる。伯爵は、最初は見るのを拒もうとしたが、見てみると美人なので思わずじっと眺めてしまう。「この女(ひと)がとても好きなようだな?」。「はい、心からそう思います。ホッブスさんたちは友だちだけど、だいじな人は、一番の友だちです。僕は、父様にお世話を託されたのです。大人になったら、母様のために働いてお金を稼ぎます」。「何をするつもりだ?」。「ホッブスさんと一緒に商売をしてもいいと考えたこともありましたが、今は、大統領になりたいです」(2枚目の写真)。「代わりに、貴族院に入れてやろう」。「そうですね、もし大統領になれなくて、それがいい商売なら、構いません」。
  
  

翌朝、教区牧師のモーダントが、請願のために伯爵の部屋に案内されると、中では、伯爵とセドリックがビー玉で遊んでいた(1枚目の写真)〔原作では、アメリカ流の野球ゲーム〕。牧師が入って来たのに気付いた伯爵は、「お早うモーダント、新しい仕事ができてな」と言って立ち上がる。そして、「こちらが、新しいフォントルロイ卿だ」と紹介し、セドリックには、「こちらは、教区牧師のモーダントさんだ」告げる。セドリックは、「お目にかかれて大変嬉しく存じます〔I'm very glad to make your acquaintance, sir〕」と丁寧に挨拶し、握手する(2枚目の写真)。牧師は、「お目にかかれて光栄でございます〔I'm delighted to make your acquaintance〕、フォントルロイ卿」と嬉しそうに応える。
  
  

牧師は、挨拶を終えると、小作人のヒギンズの窮状を伯爵に訴え始める。ヒギンズ家の悲惨な状態を聞いていたセドリックは、思わず、「マイケルと同じだ!」と声を出してしまう(1枚目の写真)。伯爵は「ここには、慈善家がおるのを忘れておった」と言うと、セドリックを目の前に来させる。「お前なら、どうする?」。「僕がお金持ちだったら、そのまま住まわせてあげて、子供たちにいろいろあげます」(2枚目の写真)。「戯言を言うでない。お前はフォントルロイ卿だ。お前の裁量でできることを学ばんとな。字は書けるか?」。「はい、上手じゃありませんが」。「あそこの机に行き、ニューウィックに一筆書くんだ」〔ニューウィックは小作農の管理人〕。机の前に座ったセドリックは、「何と書けば?」と尋ねる。「こう書くがいい。『ヒギンズには、当面、口出ししないこと〔Higgins is not to be interfered with for the present〕』。フォントルロイと署名しろ」。この言葉を聞き、セドリックは大喜びで書き始める〔牧師が喜んだのはもちろんのこと〕。セドリックは、書き終わった手紙を持って来て、「これでいいでしょうか?」と見せる(3枚目の写真)。3枚目の写真の文字は、「Dear mr. Newik if you pleas mr. higins is not to be inturfeared with for the present and oblige  Yours rispecferly青字は原作文(追加)、太字はスペルミス/セドリックの特徴は、文の終わりにピリオドを入れないこと〕。「ヒギンズは十分満足するだろう」。「ホッブスさんは、いつもそんな風に署名するんです。「どうぞpleas」は入れた方がいいかしらと思って… 『口出しinturfeared』のスペルは、これで正しいでしょうか?」。「辞書のスペルとは違っておるな」(4枚目の写真)。「やっぱりですね」。「ヒギンズは、スペルに文句は言うまいて」〔原作では、すべてチェックして、もう一度書き直す〕。「お祖父様は、世界一素晴らしい方ですね。モーダントさん、そう思いません?」。牧師には返す言葉がない〔今まで請願を叶えてもらうには大変苦労をしたし、叶えてもらえないことも多々あった〕。「ホッブスさんに手紙を書きます」。「何と書くんだ?」。「お祖父様は、聞いたことがないほど親切な方だって。だから、大きくなったらお祖父様のようになりたいって」。これまで酷薄なことで知られてきた伯爵には、この賛辞は堪(こた)え、「わしのようにか」と言って考え込む。
  
  
  
  

牧師が帰ると、セドリックは、「だいじな人に会いに行っていいですか? 僕のこと待っていらっしゃると思うの」と頼む(1枚目の写真)。行かせたくない伯爵は、「まず、馬屋の中に見せたいものがある」と誘う。セドリックは馬屋という言葉に惹かれるが、「よろしければ〔If you please〕、とても感謝していますが、明日にできればと思うんです。母様は ずっと僕を待っていますから」。「分かった、馬車を呼ぼう。馬屋は見たくないだな?」。「見たいんです」。「気にせんでいい。ただの仔馬だ」。セドリックは、その言葉にびっくりする。「仔馬! 誰の仔馬ですか?」。「お前のだ」。「僕の?」。「そうだ」。「仔馬が持てるなんて! 夢みたい!」(2枚目の写真)〔ニューヨークで弁護士に何が欲しいと言われ、仔馬と答えた〕。セドリックは、「何でも下さるんですね」と感謝するが、「見たくないのか?」と訊かれると、「もちろん、見たいです。見たくて待ちきれないくらい。でも、残念ですが 時間がありません」と断る(3枚目の写真)。「午後に会えばいいではないか? 明日まで延ばせないのか?」。「でも、母様は、朝からずっと僕のことを考えています。僕もそうでした」。この言葉で、伯爵はあきらめる。
  
  
  

馬車は、コート・ロッジに着く。セドリックは、伯爵も降りると思い込んでいるので、「杖を渡してください。お降りの時は僕に寄りかかって」と話しかける(1枚目の写真)。「わしは降りん」。「お降りにならない… だいじな人に お会いにならないの?」(2枚目の写真)。「『だいじな人』は許してくれるだろう。新しい仔馬も放ってきたんだと話すがいい」。「母様はがっかりします。お会いしたいと思ってるでしょうから」。「そうではあるまい〔I am afraid not〕」。セドリックは馬車を降りると、一目散に玄関に走っていく。そして出迎えた母と抱き会う。伯爵は、出て行く馬車の中から振り返って その姿を見ている(3枚目の写真)。
  
  
  

次の日曜日、原作によれば、大勢の人がミサに集まる。それは、フォントルロイ卿についての「多くの素晴らしい話〔many wonderful stories〕」が村人の間に伝わっていたため。伯爵には、教会に来る習慣は全くなかった〔It was by no means the Earl's habit to attend church〕とあるので、村人もフォントルロイ卿本人に会えるとは思っていなかったのだろが、噂話をいろいろと聞きたかったに違いない。そこに、セドリックの母が、メアリーを連れて現れる。母は、村人が自分に頭を下げるのを見て、原作では、最初は意味が分からなく、理解した時には、「はにかんで赤くなりながら、微笑えんだ〔she flushed rather shyly and smiled〕とある。しかし、映画では、そんな「ういういしさ」は感じられない(1枚目の写真)〔エロル夫人を演じたDolores Costelloは、映画出演時32歳であけっぴろげな美人。原作のイメージは25歳前後の地味で人見知りする美人なので、違いすぎる~唯一のミス・キャスト〕。その後、伯爵が、フォントルロイ卿を「見せびらかす」ために馬車で乗り付ける。原作の第8章〔教会訪問の次の章〕には、孫を見た村人が「どこから見てもりっぱな若様〔every inch a lord〕」だと言うのが聞きたかったとある。馬車から降りたセドリックは、「お祖父様に会えて、皆さん喜んでますね」と伯爵に言う。伯爵は、「帽子をとらんか、フォントルロイ。お前にお辞儀しとるんだ」と注意する。「僕に?」(2枚目の写真)。教会の中では、一般の席とは離れた専用の囲いの中に2人だけ入る。原作では賛美歌の前にセドリックが壁の石像のことを伯爵に尋ねるが、映画では賛美歌が始まってから訊くので、これはお行儀が悪い。賛美歌は、原作では特定されていないが、映画では、「子羊をば ほめたたえよ」が歌われる(3枚目の写真)。
  
  
  

ミサが終わり、教会から出てくるセドリックを ヒギンズが待っている。伯爵:「やあ、ヒギンズ」。セドリック:「あなたが、ヒギンズさんですか?」と微笑みかける(1枚目の写真)〔さすがに握手はしない〕。「新しい領主を見に来たのであろう」。「はい、閣下。若様がご親切に庇ってくださったものですから、お礼を申し上げようと思いまして」。そう伯爵に説明すると、ヒギンズはセドリックに丁寧にお礼を述べる。しかし、セドリックは、「僕は手紙を書いただけで、なさったのは お祖父様です」と訂正する(2枚目の写真)。「お祖父様は、いつも皆さんにいいことをなさるでしょ」。ヒギンズは、その言葉に戸惑いながら、お陰で妻も回復したと述べる。セドリックは、「お子さん方が猩紅熱だと聞いて、お祖父様も心配しておられました」と実際にはなかったことを付け加え、ヒギンズだけでなく伯爵をもドギマギさせる。「どうだ、ヒギンズ、お前たちはわしを誤解してきたようだな。フォントルロイ卿はわしをよく分かっておる。わしの人柄について確かなことが知りたくば、卿に訊くがよい」。伯爵の言葉は原作とほぼ同じだが、その時の表情が、原作に書かれた「苦々しい笑み〔fine grim smile〕」とは言い難い。
  
  

伯爵とセドリックを乗せた馬車の中での会話。原作には、このシーンはない。話される内容は第8章の最後と第10章の前半でセドリックが話す台詞を、うまくつなげてある。伯爵:「母親に、そんなに会いたいか?」。「はい。いつも会いたくてたまりません」(1枚目の写真)「お祖父様は、会いたくないのですか?」。「知らんからな」。「そうでした。それが不思議なんです。母様は お祖父様に何も訊くなと言いました。だから、訊きません」。ここまでが第8章。ここからが第10章。「毎日会っておるではないか。足りんのか?」。「僕たち、いつも一緒で、好きな時にお話しできました」。「忘れたことはないのか〔don't you ever forget、嫌味な表現〕?」。「ありません」。「僕、お祖父様を忘れたりするはずがありません〔shouldn't forget〕」(2枚目の写真)「もし、一緒に住んでなければ、もっとお祖父様について考えると思います」。
  
  

このあと、セドリックがホッブスに宛てた最初の手紙が映る(1枚目の写真)。これは、第8章の先ほどの台詞の直前に入る場面。原作では、手紙は遥かに長い。1枚目の写真と同じ箇所だけ抜き出してみよう。「My dear mr hobbs i want to tell you about my granfarther he is the best earl you ever new it is a mistake about earls being tirents he is not a tirent at all i wish you new him you would be good friends i am sure you would he has the gout in his foot and is a grate surfer…」緑字は、省略された部分〕。驚くべきことに、コンマが1つもない。従って、大文字も最初の1文字のみ。スペルミス(太字)も多い〔1枚目の写真の手紙は、なぜか完璧に書かれていて、セドリックらしくない〕。このあと、手紙をもらったホッブスとディックの反応が映るが、これはすべて原作にない創作。ホッブスがセドリックの手紙を読んでいる(2枚目の写真)。手紙の最後は、その後の会話に合わせて変えてある。「お祖父様はすごく良い伯爵です。あなたのことを思い出します。みんなに好かれています」〔句読点があるのは、創作文のため〕。ホッブスは、この「あなたのことを思い出す」という表現にカチンとくる。会ったばかりだというのに、生まれた時からの友人と同じにされて癪に障ったのだ。ホッブスは、それをセドリックに対する陰謀と受け取る。そして、「乾物商でも成功を収めてたろうにな」と言う。ホッブスがこんなバカげたことを言うのは、「伯爵」というものに対する認識がゼロで、「傲慢で卑劣〔haughty and mean〕」という先入観しかないため。2人の会話は、ディックの住んでいる場所の話に移り、そのあまりのひどさから、ホッブスは、自分の馬屋の屋根裏がきれいで、ベッドも置いてあるから、タダで住めと言い出し、ディックは、「ヤッホー! ホッブスさん! はくじゃく〔eril〕のこと言ってたけど、おじさんは はくじゃくなんかじゃねえ、王子様だ!」と歓声を上げる(3枚目の写真)。
  
  
  

原作の削除が目立ち、場面は一気に城で開かれた「フォントルロイ卿のお披露目パーティ」へ。セドリックは、真っ先に、伯爵の妹 ロリデイル夫人に引き合わされ、夫人はセドリックの虜になる(1枚目の写真)〔原作によれば、夫人が城に招待されたのは、35年前の結婚以来、僅か2度目〕。夫人がセドリックの父を好きだったこともあり、2人の会話は弾む。セドリックの話が、父から母に移ると、伯爵はすかさず、夫人の夫君〔ただの「サー」なので、かなり格下〕への紹介に切り替える〔原作にはない〕。妹と2人だけになった伯爵は、「コンスタンシア、打ち明けるが、そなたも見抜いておるだろうが、わしは、親バカの年寄になりかかっとる」と打ち明ける(2枚目の写真)。それに対し、夫人は、伯爵がセドリックの母親を無視しているのを批判する〔原作では、母に会いに行くが、映画では、この問題に、それほどまでには執着しない〕。伯爵が次にセドリックを引き合せたのは、ロンドンの社交界の華 ミス・ハーバート。彼女に、「おっしゃいな、フォントルロイ卿、なぜ そんなに私を見ているの?」と訊かれたセドリックは、「何て美しい方なんだろうと思ったんです」と答える。それを聞いた年輩の貴族が、「フォントルロイ、存分に楽しむがいい。大人になったら、そんなことを言う勇気はなくなるぞ」と笑いながら言う。セドリックは、「誰にも、言わずにはいられないでしょ〔Nobody could help saying〕。この方、美しいと思われないのですか?」と反論する(3枚目の写真)。「我々は、思ったことを口にしちゃいけないんだ」。原作通りだが、セドリックの初々しさがよく出ている。
  
  
  

パーティの途中、緊急の用事で現れたハヴィシャム弁護士は、パーティが終わると、直ちに伯爵に暗いニュースを伝える。「悪い知らせでございます。最悪ではないかと、閣下」。そして、「もし、これを真に受けるなら、ここに寝ておられるのは、フォントルロイ卿ではございません。ただの エロル大尉のご子息です」(1枚目の写真)〔セドリックは疲れてソファで寝ている〕。ロンドンの弁護士事務所に、長男ベーヴィスの子供だと称する少年を連れた極めて野卑なアメリカ女性が現れたのだ。伯爵は、「何だと! 気が狂ったか! 嘘だ! 忌まわしい嘘だ!」と激昂する。弁護士は、女性の話として、ベーヴィスと11年前にロンドンで結婚したと話す〔原作では「6年前」になっている。なぜ5年も前にしたかは、女の連れて来るみっともない少年が、セドリックより年上のため/子供は、デーヴィスが女を捨ててからアメリカで生まれた〕。証拠は結婚証明書と子供の出生証明書〔出生証明書はアメリカで発行されたものなので、偽造品でも見分けがつかないはずだが、それに関する調査は行っていない→極めて重要な件なのに、脇が甘い〕。弁護士から女性の無教養ぶりを聞かされた伯爵は、「わしは、最後まで異議を唱えるぞ! ベーヴィスの子供など認めん!」と怒鳴る(2枚目の写真)。しかしそのあと、伯爵は、自分がセドリックの母を如何にないがしろにしてきたか後悔し、「天罰〔retribution〕かもしれん」と口にし、寝ているセドリックの顔を見ながら、「わしが、子供に愛着を感じるようになると言う奴がいても、信じなかったろう。だが、わしは この子が可愛い。おかしなことに、この子も わしを好いておる」(3枚目の写真)と心のうちを打ち明ける。
  
  
  

「爵位請求者」が村の宿屋に入ったと知ると、城には一歩も入れなかった伯爵は、弁護士を伴って部屋を訪れる(1枚目の写真)。女は、最初だけ愛想よく、「会えて嬉しいわ、そうよね、閣下さん」と言うが、伯爵が苦虫を潰した顔のまま無言でいると、13歳は下らない不細工な子を呼び寄せ、「ほら、お祖父ちゃんに握手して」と押し出す。その不出来の息子は、左手にキャンディーを持ったまま、伯爵の前に行くと、キャンディーを口にくわえる(2枚目の写真)。あまりの下品ぶりに、伯爵の蔑みの表情が増す。息子も相手にされないと知った女は、急に態度を変え、「ナンなのさ、そんな冷たい目で見て、あんたの孫なんだよ!」と文句を言う。詐欺の片棒をかついだ悪徳弁護士もしゃしゃり出て来て挨拶するが、伯爵は彼も無視する。その後、女は伯爵に向かって言いたい放題わめきちらす。その表情は、如何にも蓮っ葉な売女といった感じ(3枚目の写真)。原作には、「伯爵は、女に好きなだけ話させ、要求させ、女が疲れるまで、一言も口をはさまずにいた」と書かれているだけなので、この長時間にわたる女の罵詈雑言はすべて創作。黙っていた伯爵が最後に言う言葉は、ほぼ原作通りだが… 「お前は、わしの長男と結婚したと言っておる。万一、それが証明されたら、法はお前の味方だ。その時は、お前の息子がフォントルロイ卿になるだろう。ただし、徹底的に調査するから覚悟しておけ。お前の主張が証明されたら、お前にくれてやる。だが、お前と、その息子には、わしが生きとる限り二度と会うつもりはない。わしが死んだら、残念だが、お前の好きにするがいい」。青字(原作)の部分が抜けているので、文脈が全く通らない。
  
  
  

宿で、嫌なものを見てしまった伯爵は、救いを求めてコート・ロッジを訪れる(1枚目の写真)。この部分の会話は、ほぼ原作に沿っている。重要な部分は、母が、「私がセディに気に掛けておりますのは、父親のように勇敢で、正しく、親切な人間に育つことです」。「祖父とは全くの対照的にか?」。「私は、あの子のお祖父様を知る光栄に浴しておりませんので」(2枚目の写真)〔カバーの仕方がすごく巧い〕。「セディは、あなた様を愛しております」。「そちが 『なぜ、城に入れてもらえぬか』 あれに話していても、愛してくれただろうか?」。「正直申し上げて、そうは思いません。ですから、知らせたくなかったのです」。伯爵は、母の配慮に感動する。そして、「セディはわしを好いておる。わしもあの子を好いておる。わしは、これまで一度たりとも、誰かを好いたことはない。だが、あの子は、会った時からわしを好いてくれた。わしは年寄りだ。人生にうんざりしておった。だが、あの子は、生きるはりあいを与えてくれた」と賞賛する(3枚目の写真)。
  
  
  

原作では、あばずれ女に会う前になっているが、映画では、コート・ロッジから帰った後、伯爵はセドリックの寝室に行く。「悪い知らせを お聞きになったんでしょう?」。「ああ、最悪だ」。「僕はもうフォントルロイ卿じゃないのね?」。「あの女めにやられた」。「なら、その別な子が… お祖父様の… 子供になるの? 僕の代わりに?」(1枚目の写真)。伯爵は強く否定する。「違う!」。「でも、その子がフォントルロイ卿なら、お城に住むんでしょ?」。「わしが生きとる限り、あの下等なガキは城に入れさせん!」。「なら、僕、伯爵にならなくても、まだお祖父様の子供なの? 前と同じように?」。「そうだ。わしが生きておる限り、お前はわしの子だ」。「だったら、伯爵なんかどうでもいいの。だって、僕、伯爵になる子が、お祖父様の子になると思ってたから。もう 子供じゃないのかと思っちゃって」(2枚目の写真)。「奴らには、お前のものは何一つ取り上げさせん。何が起きようと〔Come what may〕、わしがお前にやれるものは、全部やる」。伯爵のセドリックに対する愛情が良く分かる。
  
  

一方、ブルックリンでは、伯爵家の跡継ぎ騒動をめぐる記事がアメリカの新聞を賑わし、ディックの靴みがきのイスに座ったホッブスが、それを読み上げている(1枚目の写真)。ホッブスは、以前は、セドリックが伯爵になることを残念がっていたが、いざ、簒奪者が現れて地位が危なくなると、そうした状況そのものに怒りをぶつける。2人は場所を交代し、ディックがイスに座り、ホッブスがディックの靴を磨き、ディックが新聞を読み上げる。「新しいレディ・フォントルロイは、以前女優だった。彼女は、ニューヨークとロンドンで舞台に立ったと述べている。5ページに続く」。ディックが5ページをめくり、そこにあった絵を見て仰天する。「まさか、ウソだろ〔Holy mackerel〕!」。「どうした?」。「これ見なよ。これ、あいつだ!」(2枚目の写真)。「あいつ?」。「あいつは、貴族なんかじゃねえ! 俺、よく知ってるんだ。ミナさ、ベン〔ディックの兄〕の女房だ!」。「お前の兄貴か?」。「ああ」。「全部、インチキ〔hocus-pocus〕だったんだな?」。「そうさ」。「たまげたな」。「あいつ、前に結婚してたけど、ベンの子以外にガキなんかいなかったぞ」。これは決定的な証拠だ。ホッブスは、さっそく知り合いの弁護士に相談に行く。
  
  

村の宿屋では、隔離状態に置かれた詐欺女はイライラが募っている。詐欺弁護士はロンドンに行くよう勧めるが、詐欺女としては、それだと伯爵を喜ばせるだけなので、したくない。「この、しけた田舎のパブに居座ってやる」。「もっとひどい場所に住んでたじゃないか」。「関係ないだろ。そんな口きいてると〔keep a civil tongue〕、クビにしてやるからね」。「私ならしないな」。「どういう意味さ?」。「言った通りだ。私なら、そんなことはしないな、ミナ」〔ちゃんと名前を知っている〕。「あたいは、レディ・フォントルロイだよ」。弁護士はバカにしたように笑う(1枚目の写真)。そこに、突然、伯爵が入って来る。ミナが喜んだのも束の間、次に、ディックが入って来て、「やあ、ミナ」と声をかける。さらに、ベン、ホッブス、ハヴィシャムの順に入って来る。ハヴィシャムは、ベンに、「この女を知っているかね?」と尋ねる。ベンは頷く。そして、「子供はどこだ?」とミナに訊く。ミナは、生まれて3日で肺炎で死んだと嘘をつくが、ディックがこっそり奥のドアを開けると、そこにいた少年が、「やあ、ディック叔父さん」と恥ずかしそうに言う。企みがバレても、ミナは、「汚いスパイ野郎! あたいをハメたね! 覚悟しな、法律に…」と喚くが、誰も相手にしない(2枚目の写真)。詐欺弁護士は、「私は何も存じません、閣下、誓います」と責任逃れに必死。ハヴィシャムに「出生証明書の偽造問題がある」と指摘されても、「誓います!」としらばくれる。細々(こまごま)したことなど どうでもいい伯爵は、「とっとと、この国から出て行け!」と一喝して、すべてを終わりにさせる。
  
  
  

セドリックの10歳の誕生日のお祝いパーティの招待状に、セドリックがホッブス用に自筆で書き加えている(1枚目の写真)。そして、城では、伯爵自らが、ホッブスに城の中を案内している〔原作では、セドリックが案内する〕。部屋中に肖像画が飾ってあるので、ホッブスは、「ここは、美術館のようなどこですかい、閣下?」と尋ねる。「美術館ではないな、ホッブスさん。わしのご先祖〔ancestors〕の肖像画でな」。ホッブスは、“ancestors” という単語を知らなかったので、“aunt's sisters(叔母の姉妹)” だと思い込み、そんなに子沢山だったのかと驚く〔少なくとも半数の絵には男性が描かれているので、なぜ「姉妹」と誤解したのか分からない〕。伯爵は、“ancestors” とは、「一族の著名な人々」を指すと教えるが、ホッブスは、映画の最後の言葉でも、“auntsister” と言っている〔想像を超えた環境に緊張し、よく理解できなかった〕
  
  

セドリックは庭で招待客を前に挨拶する。「今日は素敵な日ですね。僕は、誕生日はいつも好きですが、こんなに親切にしていただき、今年は特別です」(1枚目の写真)「お祖父様は、すべての人が幸せで快適になるよう望んでおられますが、僕も、大きくなったら、同じようにしたいと思います。僕は、お話しすることが得意ではないので、これでやめておきます。でも、これだけは言わせてください。僕の誕生日が気に入っていただき、どうもありがとうございました」。そのあとで、セドリックは、伯爵から特別なプレゼントを贈られる。母の姿を見つけたセドリックは、「だいじな人、僕、ずっと お城でお会いしたかったの!」と叫んで駆け寄る。母子は振り返って伯爵を見る(2枚目の写真)。「フォントルロイ、お前のお母様は、これからは城で住まわれる」。セドリック:「僕たちと一緒に? これからずっと?」(3枚目の写真)。母:「本当に、そう望んでおられますの?」。伯爵:「ずっと そう望んでおったのに、それに気付かなかったのだ」。最後にホッブスが登場。母から、アメリカに戻るかと訊かれ、「あそこには住まん。アメリカは、若くて元気な奴らにはいい国なんだが、足りないものがある。“auntsister” もないし、伯爵もない」と答え、映画は終る〔原作でも、この言葉が最後〕
  
  
  

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