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Loverboy バイバイ、ママ

アメリカ映画 (2005)

ドミニク・スコット・ケイ(Dominic Scott Kay)が、タイトルロールの「loverboy(愛しい坊や)、ポール」を演じる母・子ドラマ。Victoria Redel の原作(1989年)に基づき、俳優のケヴィン・ベーコンが監督したもの。原作の複雑な構成を活かした脚本で、現在進行形の部分6歳のポールが「巣立ち」始めるまでの時系列的な回想、母の「不幸な娘」時代の回想の3層構造となっている。中心となる母・子関係は、最初、母の異常とも思えるほどの溺愛ぶりが描かれる。しかし、ポールが小学校に行きたがり、父親の存在に憧れるようになると、母の溺愛は、「息子が奪われるのではないか」という強迫観念に変容していき、衝撃的な結末を迎える。IMDbは5.5と凡庸だが、Rotten Tomatoesは17%(6/35)と悲惨。責任は、84分でも長く感じる饒舌さと、母の利己的な行動が大方の観衆や批評家の反感を買ったからであろう。しかし、ドミニク・スコット・ケイは、これほど可愛い子役は他にいないと言えるほど光っている。

あらすじは、映画の通りに紹介しているので、ここでは、時間軸に沿って簡単に内容をまとめよう。マーティとシビルという両親の間に産まれた一人娘エミリーは、異常に愛し合う両親に疎外されて育ち、いびつな性格になっていく。そして、まだ小学生のうちに目撃した両親の自殺。エミリーは、自分の子供には、自らの味わった苦しみを与えないよう、心から愛を注げるような環境で育てたいと思う。そのためには、シングルマザーで子供を授かるしかない。そこで、エミリーはあらゆる手を使って理想の子供を妊娠しようとする。そして、諦めかけた頃、ホテルのエレベータで出会った男性と一夜を過ごし、ポールを身ごもる。母は、両親の残した遺産で家を購入し、育児に専念する。そして、6歳になったポールは牧場に連れて行かれ、羊の耳に囁くと夢が叶えられると教えられる。母は、世間体を全く気にせず、ポールを “loverboy” と呼んで猫っ可愛がりする。だから、隣人からは変人扱いされる。そんなポールが、変わり始めたのは、スクールバスから降りて来た子供たちに会い、6歳なら法律で学校に行くべきだと聞いた時。母は、ポールの「学校に行きたい熱」を忘れさせようと色々工夫するが、失敗の連続。最後の手段として12月に海の家に連れて行った(隔離しようとした)のに、逆に、学校に必ず入学させなければならない状況に追い込まれる。ポールが学校に通い始めて担任のシルケン先生が好きになると、今度は嫉妬が始まり、医者に連れて行くと嘘をついて何度も早退させる。この策略にはポール本人も嫌気がさし、母に対する反感を募らせる。そして、ついに爆発。母は、校長室で先生たちを誹謗し、ポールを学校に渡さないと宣言する。それは、母子だけで安住の世界へ旅立とうとする決意の表明でもあった。母は、ポールを運転の練習だと偽って、ガレージの中に停めた車に乗せ、エンジンをかけさせる。ガレージの扉は密閉されているので、排気ガスが満ちていく。その中で、母と子の最後の会話が交される。ポールは一晩車内で泊まるだけだと言われて眠りにつき、母は、大量の睡眠薬を飲んで眠りにつく。そして、翌朝、息苦しくなって目を覚まし、運転席からガレージに這い出したポールだけが一命を取りとめた。

ドミニク・スコット・ケイは、なぜか、主演作が非常に少なく、『Single Santa Seeks Mrs. Claus(独身サンタの、クロース夫人探し)』(2004)、本作、『スノー・バディーズ』(2008)の3作しかない。後の2本も順次紹介していく。ドミニクは、『Saving Angelo』と『Grampa's Cabin』という2本のショート・ムービーを監督・原作・主演している。前者は、カリフォルニア州のMount Shasta International Film Festival(2008)の最優秀短編映画賞を獲得し、Young Artist Awards(2007)にノミネート、後者はYoung Artist Awards(2008)にノミネートされている。大したものだ。残念ながら入手は不可能。他の映画も入手できないか、あるいは、端役出演なので、2枚写真を紹介しておこう。1つは、2本のショート・ムービーを上映したMalibu Film Festival(2008)での写真。1つは翌年の『House M.D.』というTVシリーズ(2009)の1話「The Softer Side」で患者を演じた時のもの。より少年らしくなったが、顔立ちは整っている。


あらすじ

映画の冒頭、スコットランド民謡『The Skye Boat Song(スカイ・ボート・ソング)』が流れる。チャールズ・エドワード・ステュアートは、1746年、カロデンの戦いでイングランド軍に大敗する。ベン・ナ・フューラ島の女性フローラ・マクドナルドは、チャールズを女装させ、従者と6人の船員とともにボートでスカイ島に逃がす(自分も同行する)。その冒険譚を歌にしたものだ。これがオープニング・クレジットに延々と流れる。無意味なはずはない。クレジットの後の最初の映像は、3層構造のうち、の現在進行形(写真の左下に★印を付けた)の部分。つまり、母とポールの最後の日。だから、母の心の中では、ポールはチャールズで、世の荒波という危機に瀕している、母はフローラで、そんなポールを救い出してスカイ島(天国)に逃がしてやる。それを示唆してしるのであろう。歌詞を紹介しておこう。訳はworldfolksong.comに従った。「急げボートよ 鳥の如く。進め! 水夫は叫ぶ。王となるべき若者を乗せて。海を渡り スカイ島へ」。ここまでは、逃避行そのもの。「荒波の中 汝は安らかに眠る。海原は王のベッド、ゆりかごのように。フローラが見守る、汝の疲れた顔を」。ここが映画に関連すると思われる部分〔DVDの日本語字幕では「女神フローラ」となっている。あまりに無責任だ〕。車の中の 母とポール。ポールは運転席に座っている。「できないよ」と言うポールに、母は、「『できる』と言うまで、聞こえないわ」と一方的。「手を1時10分前の位置に置いて」(1枚目の写真)。「冗談だよね」。「冗談じゃないわ。手をハンドルに置いて」。「6歳の子は、運転しないよ」(2枚目の写真)。「あなたはするの」。ポールは、キーの差し込み口に何とか鍵を入れて、母に言われたように右に回すとエンジンがかかる(3枚目の写真)。この間、会話とは別に、母がポールの大事な持ち物を1つのカバンに詰めている様子が小刻みに挿入される。最後に、ポールは、「ボク、運転してる」と言って、ハンドルを力いっぱい動かすが、実際に運転している訳ではなく、ただ遊んでいるだけ。窓の外は妙に明るいので、どう見ても屋外に見える〔実際には ガレージの中なので、観客を惑わすために光線を当てているのだろう。映画の最後の朝のシーンでも中は真っ暗なので、ガレージに窓はないはず。確かに、途中までガレージの扉を開けておき、夕方になって閉めたという可能もある。しかし、母が外に出た様子は一度もないし、外に出たがっているポールが1人で車内に残り、母がガレージの扉の下に布を詰めて密閉しているのを黙って見ているとも思えない〕
  
  
  

映画は、この後に移り、母がポールを身ごもるまでの過程を追う。「私は、家なんか欲しくなかった。夫なんか欲しくなかった。私が心から望んだもの、それは赤ちゃんだった」という回顧とともに、宅配便で送られてきた人工受精の試験管6本が映る。こんな方法で〔医者にも行かず〕受精が可能かどうかは分からないが、画面は1年後に切り替わり、「5本はダメだった。もっと何か別の方法を試さないと」「南米低地では、異なる相手からの複数射精が丈夫な子供を生むと信じられている」「私は実行を決意し、7年5ヶ月前に探求を開始した」と回顧。彼女は、いろいろな男性にアタックするが、お陰でこの映画はR指定〔17歳未満の観賞は保護者の同伴が必要〕となった。そして、泡風呂でsex相手を待つシーンから、に飛ぶ。そこでは、母エミリーの両親が泡風呂でいちゃついている。この2人はお互いが大好きで、娘エミリーは放ったらかし。お陰で、エミリーは一風替わった少女になっている。ここで、に戻り、先ほどの運転の続き。ポールが、「もうやめたい」と言うので、母は、「これから一緒に旅に出るのに?」と誘いかける。「旅って?」。「ハンドルに集中して、ちゃんと握ってるの」。そして、「ママは曲がる時どうする?」と訊く。「いつも片手で回してる」。「ばっちり見られてるわね」(1枚目の写真)。ポールの得意げな顔だ。「シルケン先生も、目ざといって」。ここで重要なのは、シルケン先生という言葉が早々と出てくるところ。では、かなり後になり、母がポールの学校行きを認めてから担任のシルケン先生が登場する。このことは、が「現在」であることを端的に示している。しかし、観客には、初めて出てくる名前なので何のことか分からない。かなりトリッキーだ。母は、シートベルトを付けさせ〔逃げないよう固定し〕、左折の練習をさせる。その後に移行し、2度目のセックスシーンと、空港での突然の月経の苦い思い出を経て〔なかなか妊娠できない〕に戻る。母が、「気を付けて!」と叫んで、ポールが驚く(2枚目の写真)。ポールは、「運転ごっこ」だと思って、母の言う通りにハンドルを切る。「ねえ、自分が如何に完璧か分かってる?」。母は、ポールを抱き締めてキスする。そしてへ。ボーイハント作戦の失敗で落胆した母は、ホテルのエレベータで偶然出会った男性と一夜を過ごす。朝、男性は「知っておいて欲しい、君のことを心から愛している」と言うと、永遠に去っていく。母のナレーションが入る。「彼の名前はポール」だった。この男性がポールの父で、名前もあやかった。母は妊娠し、ニューヨークの北約15キロにあるヨンカーズで一戸建ての家を購入して定住する。お金は、両親が残してくれたので、そうした余裕は十分にある。このシーンは結構長く、赤ん坊ポールに初めて歯がはえるまで続く。ここからへ。これまでより、やや暗くなっている。ポールが、「おウチに入りたい」と言い出す。「まだ、出かけてないじゃない」。「疲れちゃった」。「愛しい坊や、お願いだから」。「ボクを『愛しい坊や』って呼ばないで。ボクはポールだ」。後で出てくるの場面で、ポールは最初は「愛しい坊や」と呼ばれて喜んでいるが、学校に行くようになると強く嫌うようになり、ここではそれを反映している〔上記のシルケン先生と同じパターン〕。ポールが、母の嫌う態度に出たので、母は、逃げられないようにドアのピンを下げてロックする(3枚目の写真)。「なぜ、そんなことしたの?」。「今夜はここで寝るからよ」。
  
  
  

場面は、その後、に戻り、エミリーの8歳の誕生日。父は、最後に、「お前も、夢中になるものを見つけるといい。誰にでも情熱は必要だ」 と言う。この言葉を受けて、映画はに戻り、そこから37分間は、数回短くが入るが、には戻らない。どちらかと言えば、ここからが、映画の本編といった感じだ。の父の言葉を受けて、母は、「私は情熱を見つけた。あなたは私の宝物」とナレーションが入る。以外で6歳のポールが初めて映るシーンだ。場所はどこか郊外の牧場。2人の前には放し飼いの羊が2頭いる(1枚目の写真)。ポールは、初めて見る動物を怖がる。母は、「覚えておいて。怖いと思う時こそ、いい機会なの」「そこには魔法が漂っていて、これまで見たこともない機会にめぐり会えるの」。そして、もっと具体的に、「ベドウィンの人たちは、朝起きてすぐ羊の耳に囁くと、夢が叶うと信じているのよ」と教える。さらに、「忘れないで、私の王子様。あなたの周りには魔法が一杯あるの。だから、その秘密を見つければ、永遠に幸せになれるわ」(2枚目の写真)。ポールは、母と一緒に羊の近くに寄って行き、自分の願いごとを羊の耳に囁く(3枚目の写真)。これとそっくりな場面が、映画のエンディングにもなっているので、重要な場面だ。
  
  
  

ほとんど会話のないシーン。2人でポールの部屋の真っ白な壁に紫色のペンキを塗りたくって楽しんでいる(1枚目の写真)〔少し変なのは、その部屋が真っ白で何も置いていない点。新居に移った際に、何もない壁にペンキを塗るシーンは他の映画でも時折見かけるが、この家に6年間2人は住んでいる。今さら、なぜこんなことをするのだろう? 唯一の可能性としては、これまでは母子が一緒に寝ていて、大きくなったので、空き部屋にしておいた部屋をポール用にしたという設定なのだが…〕2枚目の写真は、の冒頭で、母がポールの部屋を見納めに眺めるシーンに出てきたもの。最終的には、このような形となる。手形は残っていないので、後からきれいにしたのであろう。壁に書かれた「LOVEDBOY」やハート型が母の溺愛振りを示している。2人がじゃれ合っていると〔この頃のポールは従順で、縫いぐるみのような存在だった〕、玄関に誰かやってくる。ポールが階段を下りてドアを開けと、そこには初めて見る女性がケーキを持って立っていた。驚いたのは女性の方だったろう。パンツだけはき、背中に赤いマントを付けた小さな男の子が、あちこちに紫色をつけて立っていたのだから。「お母さんは みえる?」。「クモのパパにはペニスがあるって知ってた?」。姿も変なら、返答も変だったのでますます戸惑う女性。そこに、ポールの母が下りて来る。「息子のポールよ」(3枚目の写真)「ごめんなさい。ポールの部屋にペンキを塗ってる最中なの」。女性は、向かいに引っ越してきた隣人で、焼いたケーキを持って挨拶にきたのだ。
  
  
  

母のナレーション。「外の世界に適合していけるか… 世間体とか一般的慣行などはどうでもよかった」。そして、庭にスピーカーを置いて、フルートの曲を流す。母はフルートを吹くフリをし、ポールは指揮者のフリをする(1枚目の写真)。「尊大さこそ、求めていたすべて」。急に雨が降ってきて、子供と遊んでいた隣の父親はあわてて避難したが、2人はそのまま雨の中で演奏のフリを続ける(2枚目の写真)。いくら変人と思われようが… 「広い世界が私達の学校。私はそこから学び、あなたにそれを教えたい」。2人は雨の中で抱き合う(3枚目の写真)。次に、母が「For all intents and purposes」と言い、ポールが「For all intents and porpoises」と答える。次は、「Abominable snowman」に対し、「Abdominal snowman」。こういう言葉遊びは、映画字幕では一番難しい。特に、前者ではDVDは苦戦していて、字幕では「目的(パーパス)から連想?」。「ネズミイルカ(パーパス)」とし、日本語吹替えでは「イズミに音が似てる言葉は?」。「ネズミ」としている。後者は、字幕も吹替えも、「ヒマラヤの雪男?」。「ヒマな雪男」。これらに対し、一切の批判は加えない。そもそも2秒で伝えること自体が不可能なのだから。実際の意味だけ示しておくと、「For all intents and purposes」は慣用句で、「どう見ても」という意味。それに対し、「For all intents and porpoises」は、ダジャレとして有名な言葉で、こんな言い回しもある、「トン、トン、そこにいるのはだ~れ? イルカだよ? イルカって何? 「どう見ても」のダジャレさ。分かったかい」。Tシャツにもなっていて、映画より後の出版だが『Useless Humor: For All Intents And Porpoises』という本まであるほどだ。一方、「Abominable snowman」は、ヒマラヤ山脈に住むと言われている未確認動物イエティのこと。「Abdominal snowman」は、筋肉質のムキムキ雪男として人気のキャラクター。ただし、スラングでは訳せないほど卑猥な意味になる(During the ejaculatory phase of a male/female sexual encounter, if the male participant withdraws his penis and ejects semen onto the famale participant's abdomen, this is referred to as an "abdominal snowman.")。
  
  
  

母と一緒に近所を歩いていたポールは、公園の遊具で遊んでいる同年輩の子供たちを見て、どうしてもと行きたがる。その後、自宅の庭で2人で砂いじりをしていると、スクールバスが到着し、それを見たポールが黙っていなくなる(母は気付かない)。ポールは、バスから降りてくる子供たちを、何事かと見ている(1枚目の写真)。女の子みたいにも見える。ポールに寄ってきた女の子が、「ハーイ、あたし6つよ」と声をかける。「ボクもだよ」。「そんなハズない。ウソよ」。「ウソじゃない」。「ウソよ。6つだったら学校にいるもん。きまりよ」(2枚目の写真)。「ボク、おウチが学校だよ」。「あんたのママ変だって、ウチのママ言ってた」。だが、ポールが可愛いので、「遊戯王(Yu-Gi-Oh)パーティやるけど、来ない?」と誘う。「もち、行くよ」。ここに、息子がいなくなったことに気が付いて母が飛んできて、ポールを連れ帰る。パーティ行きも禁止する。泣き出したポールを、「2人だけでぶらぶらしてる方がずっと楽しいわよ」とキス責めにし、何とかなだめる。しかし、その後で、ポールは「パパはどこにいるの?」と意外なことを尋ねる。母は、答えようがないので〔あの一夜だけの邂逅で、二度と会わなかったから〕、ギリシャ神話のオデッセウスになぞらえて夢のような話をでっちあげる。ポールは即座に反応した。「お伽噺なんかうんざりだ! ウソばっかりじゃないか」(3枚目の写真)。「本当よ」。「違う、違う! お父さんがいるはずだ!」と怒ると、テーブルをバンと叩いて席を立ち、部屋に閉じ籠もってしまう。
  
  
  

母は、ポールの部屋の前で最高のサプライズがあると話してポールの気をそそる。次のシーンでは、その誘いが成功し、2人は庭の芝生に張ったテントの中で夜を過ごしている。母は、生クリームをたっぷりかけたデザートを作り(1枚目の写真)、機嫌を直したポールから「大好きだよ、愛しいママ〔Miss Darling〕」と言われ、すかさず、「大好きよ、愛しい坊や〔Loverboy〕」と返す。この頃は、ポールはこう呼ばれても嫌がらない。そして、そのまま朝になる。いつものアルバイトの芝刈り少年が前を通り過ぎると、先日挨拶に来たお向かいさんがやって来て、「誰かいますか?」と声をかける。母がテントから出てくると、「あなたとポール、ここで寝たの?」と訊いた後で、書類を渡す。「これ何?」。「入学の書類」。「どうも。でも、結構よ」。「息子さんには 友だちが必要よ。ずっと避けてられないわ」。それを聞いたポールは、「ボク 学校に行きたい。バスにも乗りたい」と言い出す。「行けるわよ」。「いつ?」。「すぐよ。クリスマスの後かしら。後で話しましょ」(2枚目の写真)。
  
  

隣人が帰った後、芝刈りの少年が、「庭で見つけたよ」と言って、ケガをした雛鳥を持ってくる。2人は庭の端に植えてある大きな木の下に行く。木を見上げながら、ポールが、「ここに住んでたの?」と訊く(1枚目の写真)。「ママはどこかな?」。「きっと、雛の食べ物を捜しに行ったのよ。聞こえる? あそこにおウチがあるんだわ」〔鳥のさえずりが聞こえる〕。紙箱に寝かせられた雛は、ケガがひどい。「痛そうだ」。「きっと、猫のせいね」。「怖がってるかな?」。「さあ、家に入りましょ。ママがちゃんと見にくるから」。「ボクも、見にくる」。その言葉通り、ポールは暗くなってから様子を見に来た。雛を箱から抱き上げて、「覚えておくんだよ。怖いと思った時が、いい機会なんだ」と、牧場で母に言われたように話しかける(2枚目の写真)。それを窓から見ていた母は、ポールが眠ると、庭に出て行く。この時、ナレーションが入る。「あの時、死について話すべきだったわ。鳥はきっと死んでいた。そしたら、2人で小さな穴に埋め、あなたはお墓を飾ったでしょう。私は、涙で頬を濡らしているあなたを抱き締め、悲しまないでと慰めていたのに」。この唐突な改悛の言葉は、の現在時間軸〔ガレージ内の車中〕で、ポールのこと()を回想しながら囁いた言葉。だから、「起こらなかった非現実」である。実際に母がやったのは、雛を箱から出し、石を振り上げて叩き殺すことだった(3枚目の写真、矢印は石)。その直後、場面は久し振りにに戻る。そこでは、エミリーの父母がいつも通りラヴラヴで町を歩き、「こんな鳥の餌箱が欲しかったのよ」と母がねだっている。その時、エミリーは、2人の後ろをゾンビのような顔と動作で付いてくる。前に見た時よりも、「異常さ」が増している。
  
  
  

朝、ポールが雛の箱を見に行くと、空っぽだった。ポールは空を見上げると、箱を持って家に入る。そして、「いなくなっちゃった。きっと、ママが迎えにきたんだ」と話しかけると(1枚目の写真)、母は、そのことには何も触れず、唐突に、「キッチンにサンドイッチの箱があるから、取ってらっしゃい」と言う。「どこかに行くの?」。「小旅行」。「初めて聞いたよ」。「行きたくないの?」。「ううん」。「よかった。ご近所には知られたくなかったから。じゃあ、2階に行って服を来てらっしゃい」〔本当の理由は、学校のことを忘れさせ、邪魔されずに2人だけで過したいから〕。「小旅行」という割には、車の運転は長く続く。ようやく着いた先は、夏に人気の海岸のサマー・ハウス。今はオフ・シーズンなので誰もいない。ずっと寝ていたポールは、母が、「明日の朝、見に行きましょ」と言うのを聞かず、「海岸に着いたんだ、今すぐ行かなくっちゃ」と走って海岸に向かう(2枚目の写真、左端に僅かに海)。海辺なので風が吹いている。母は、「一緒に目を閉じて、風に願いごとをしましょ」と言う。しばらく目をつむってから、ポールは「やったよ。何を願ったの?」と訊く。「愛しい坊や〔Loverboy〕と 愛しいママ〔Miss Darling〕がずっと一緒にいられますように、ってお願いしたの。あなたは?」。「言えないよ。言ったら叶わなくなるもん」(3枚目の写真)。ここでも、息子との断絶を感じて、母は愕然とする。
  
  
  

海岸でカニと戯れていた2人の前に、闖入者(母にとっては)が現れる。せっかく隣人やスクールバスの生徒と切り離したのに… 母の顔は警戒モードだ。やって来たのは、サマー・ハウスのオーナーの女性。週末に 海辺で焼きハマグリのパーティをやるから来ないかと誘うのが目的だ。2人だけになりたい母は断るが、ポールは、「どうして?」と不満そう。母は、「ケーキを焼くって約束しちゃったから」と、本人を前にして平気で嘘をつく。大家もさる者で、「なら、ケーキを持ってらっしゃいな。ロブスターもあるわよ」と、たたみかける。ポールは、「本物のロブスター?」と行く気満々。それでも母は、「ポールはロブスターを食べたことないから…」と行きたくないと意思表示。しかし、ポールの、「ママは、いつも言ってるじゃない。新しいものに挑戦しろって」で、パーティ参加が決まった。パーティに行った母。そこに、ロブスターを持って大家の甥が現れる。ロブスターを食べ終わる頃には、ポールと甥は仲良くなっていて、母が早々と引き揚げようとすると、ポールは、「マーク〔甥のこと〕が、いつか釣りに連れてくれるって」と嬉しそうに話す。母:「そうなの?」。マークは、「まず、君のママの承諾を得ないといけないが、ぜひ行きたい」と言って(1枚目の写真)、ポールの背中をポンと叩く。母は、「いい顔」をして別れようとしたので、大家やマークに好意を持たれてしまう。翌朝、マークはさっそくサマー・ハウスを訪れる。早起きして服も着ていたポールは、「釣りに行くの?」と期待を寄せる。「ママと話してからだ。これ見てごらん」。マークが渡したものは、海釣りに関する本。「いいね。でも、ママ まだ寝てる」。「そうだ、手伝ってもらいたいことがある。金づち使うの上手かな?」。「小っちゃな時から使ってるよ」。そこにパジャマ姿の母が現れる。「スニーカーをはいてちょうだい、愛しい坊や」。「そんな呼び方しないで。ボク、ポールだよ」。で、ポールが初めて「愛しい坊や」と呼ばれるのを嫌うシーンだ。マークは、ボートの木材が一部腐っているので、ポールに手伝ってもらいたいと頼む。母は、目の届かない所に行かせたくないと断るが、ボートはサマー・ハウスの前まで車で運ばれていたので、断りようがない。2人は作業に入り、漕ぎ手の座る板を交換する。かなり時間が経ってから母が覗くと、2枚の板が新しくなっていた(2枚目の写真、交換したのはポールの座っている以外の2枚)。母が、家の中に呼び込もうとすると、ポールは、「時間がないよ。ボートを浮かべてみないと」と言う。「散歩するんじゃなかった?」。「だけど、行きたいんだ。いいでしょ」。そして、マークに逆さまに背負われて車に向かう(3枚目の写真)。「ママも行っていい?」。「男だけだよ。ママはダメ」。その後、岸辺近くに浮かんだボートで釣りをしている2人に、浜辺から寂しく手を振る母の姿が映される。母の思惑は完全に外れてしまった。ポールと2人だけの蜜月のはずが、これまで以上に疎外感を味わわされるハメに。
  
  
  

その夜、食事をしながら、ポールは「ガンギエイ」〔魚のエイの一種〕のことを話し始め、「来年、1匹捕まえるんだ。いい? 学校が終ってからだよ」と念を押すように言う。「学校って?」と、とぼける母。「ママ、約束したじゃない。ボクたち、土曜に発とうよ。そしたら、学校に行ける」。「あのね、考えたんだけど、ここすごく楽しいから、もうちょっといましょ」。「ダメ!」。「大家さんと話したんだけど、この家 空いてるから…」。ここで、怒ったポールが席を立つ。「どこに行くの?」。「帰るって 言いに行く。学校に行くんだ。ここには、また夏に来ればいい。分かった?」(1枚目の写真)。仕方なく、母も了承する。ポールは、「ボクのパパ、マークみたいだと思う」と言う。「そうなの?」。「うん、マーク大好き」(2枚目の写真)。翌日の夜、母からの電話に応えてマークが夕食に訪れる。母は、積極的にマークにアタックし、キスまでする。そして、「私と 愛しい坊やは、冬中ここにいようかと思ってるの」と話しかける。その途端、ポールが現れ、「そんな風にボクを呼ぶな! ここは出て行く!」と大声で怒鳴る(3枚目の写真)。ポールが、母に対して本気で怒るのは、映画ではここが初めてだ。母とポールはもみ合いになるが、母の、「ママの言う通りにしなさい!」の言葉にキレたポールは家から出て行こうとする。玄関のドアは鍵がかかっていて開かないので、ポールは、げんこつでガラスを割る。当然、ケガをしてしまい、母は、仕方なくポールを乗せて家に帰ることになる。
  
  
  

月曜の朝、ポールが母の寝室に来て、まだ寝ている母を起こす(1枚目の写真)。ポールは、自分で選んだ服を来て、いつでも学校にでかける用意ができている。「下で待ってるよ」。母は、仕方なく、学校の前まで車で送って行く。ポールは、はやる心を体現するように車から飛び降りて、学校に行こうとするが、母は、「何かあったり、家に帰りたくなったら電話するのよ」とくどくど話す(2枚目の写真)。母に構わず道路を走って渡ったポールを、母は必死に呼び止め、「ママも、付いていかせて」と頼むが、「一緒に来て欲しくない」(3枚目の写真)「ボクは、赤ちゃんじゃない。他に、お母さんなんていないじゃないか」。そう言うと、後ろも振り向かずに走っていった。子離れができていないのは、母親のみ。
  
  
  

その日、初登校から帰宅したポール。夕食の際、皿の中身を見て、「野菜、野菜、パン…」と独り言。確かに、偏った内容だ。「何してるの?」。「種類を数えてる。今日習ったんだ。シルケン先生は、5種類以上の…」(1枚目の写真)。「それが、先生の名前なの?」。「うん。とってもいい人で、みんな 大好きなんだ」。「1日中座っていても苦にならない?」。「ううん」。そして、お絵描きで褒められたと言って、スマイリーフェイス付きの絵を母に渡す。しかし、母は褒めもしないし、「冷蔵庫に貼らないの?」との要望も拒絶。そして、手の付けられていない夕食の皿を、さっさと片付ける。さらに、「シルケン先生の言うことなんか聞きたくもない」と剣もほろろ。そのくせ、テントを張ったから、学校での初日を祝おうと、甘い言葉で誘う(2枚目の写真)。ポールは、「イヤだよ。明日のために、よく寝ることが大事なんだ」と言うと、さっさと寝室に引き揚げる。母にとって、シルケン先生は完全な敵となった。「特別」な子供だったポールを型にはめて、普通の子供にしてしまう悪しき教師。そして、母は、そんなことはさせないと誓う。
  
  

ここで、画面は久々にに戻る。かなり暗くなっている。ポールが指を口を突っ込んで、歯をぐらぐらさせる。「やめなさい」。「おウチに戻りたい」(1枚目の写真)「疲れちゃった。運転の仕方も分かったし」。「歯を抜きたい?」。「まあね」。「抜いてあげる」。「できるの?」。「もちろん。そしたら、今夜はここにいるのよ。一緒に車の中で眠るの」。「でも、シルケン先生は、枕の下に歯を入れるんだって」。「それは間違いよ。歯を抜いた場所で寝るの」。母は、有無を言わせない。ここで、唐突にに飛ぶ。小学校の発表会で、エミリーがデヴィッド・ボウイの『Life On Mars?(火星に生き物はいるの?)』を歌う。ファンのページから、この歌に対するボウイの解釈を引用させてもらうと、「彼女は現実に失望しているんです。現実の憂鬱さの中で彼女は生きているんですが、彼女はどこかに素晴らしい人生があると聞かされているんです。でもそれを見つけることができないから、彼女はひどく失望しているんです」とある。まさに、エミリーの心情そのものだ。だから、エミリーはこの歌を選んだのだろう。しかし、その歌は小学生のレベルでも、アメリカの田舎ファミリーのレベルでもなかったので〔そもそも、歌もまるきり下手〕、不評を買い、両親からは恥をかいたと叱られる。この時、父はひどく咳いていて、健康に重大な問題のあることが始めて示唆される。画面は、再びに戻る。母が、ポールの口に指を入れて(2枚目の写真)、ぐらぐらの乳歯を抜く。
  
  

母は、ポールの学校を訪れる。受付の先生が、「またですか」と言うので、トラブルメーカーだと分かる。母は、昨晩、ポールの体調がすごく悪かったと嘘を並べ、ポールを早退させて医者に連れて行く言い訳にする。そこにシルケン先生がポールを連れて現れる。「やっとお会いできて良かった。ポールは先生を褒めちぎってますの」と心にもないことを言い、「行きましょうか? 遅刻寸前よ」とポールにも嘘をつく(1枚目の写真)〔遅刻=予約時間を意味する〕。「お医者様が問題ないと言われれば、明日から学校に戻します」。車の中で、ポールは、うんざりした顔で 窓の外を見ている。「終わったら、ちょっと出かけましょ」。「ホントの? それとも、空想の?」。「違いがあるの?」。「今度は、予約した?」。「言ったでしょ。割り込ませてもらうの」。「なんで、同じことばかりするの? ちゃんと予約できないの?」。医者の前に付く。「訊いてくるから待ってて」。「学校 休んでばっかりだ」(2枚目の写真)。結局、割り込みはダメだった。そもそも本当に訊いたのかも怪しい。というのは、ポールが、「ブラウン先生は、なぜ診てくれなかったの?」と訊いた時、「たぶん、来週の水曜日」と答えたからだ。ちゃんと予約したなら、「多分〔maybe〕」とは言わない〔「多分」は、実現性の低い表現〕。母は、ポールを公園に連れて行き、ボートに乗せる。そして、持ってきたバスケットの中に入っている食べ物の名前を自慢げに並べ上げる。それを聞いている無表情なポールの顔が印象的(3枚目の写真)。彼は、もう母のことが信用できない。だから、母が何を話しても聞く耳を持たないのだ。母が言い終わると、「ボクたち、ここで何するの?」と訊く。「宇宙の秘密を知ってる古代のインディアンの酋長に会いに行くの」。ポールは無言で立ち上がると、靴が濡れるのも構わず池に入り、岸に上がる。そして、「何だよ、ママ。お医者に連れてくって言ったくせに!」と言うと、池で拾った石を地面に投げつけ、走って逃げていく。
  
  
  

母が、学校に押しかけ、校長やシルケン先生が応対している。「あの子はどこ?」。「看護婦のところです。来るのを拒んでます。お漏らししてて。すごく動揺してます」。母は、医者で打つ注射のせいだと言うが、シルケン先生は、「医者なんて存在しません」と、ずばり母の嘘を指摘する。それに対し、平然と嘘を重ねる母。場面は、校長室に移る。校長は、ポールの母が、普通の「子離れできない母親」だと思い込んで、話を進める。その中で、母の職業を尋ね、母は、「細胞研究室で蛍光発光の研究」とまた嘘をつく。かなり病的だ。ただし、顔の表情から、シルケン先生は信じていない。勤務中の研究者なら、何回も午前中に息子を病院通いに連れて行く時間などないからだ。その後、シルケン先生が、ポールが如何に教室でよくやっているかを話し始めると、母はそれを遮り、「あなた、ポールの並外れた才能が分かってらっしゃる?」と訊き、「私の受け持ちの子供は、全員が特別です」という模範回答に対し、「あの子は、ただの普通の子じゃない。知能が卓越し、創造性が素晴らしいの」と親バカ振りを丸出しに。しかし、先生の正しい評価は、「努力家で、トップクラスの子供達に遅れずについていってます」というものだった。それを聞いた母は、シルケン先生の個人攻撃を始める。年齢を訊き〔如何に未熟かを示すため〕、次いで、モンテッソーリ教育法の開発者として知られるイタリアのMaria Montessoriの「自由で自然な教育」から、部分引用してみせる。そこでは、一部公立小学校での型にはまった教育法が個性を削ぐものだと指摘し、その例えとして、「ピンで留められた蝶のように、机に縛り付けられ、無味乾燥で無意味な知識を押し付けられる」と書いてあるが、母は、その前半部分だけを口にする〔一方的なシルケン敵視を、抜き出した言葉と勝手に結びつけた〕。そして、こんな引用など聞いたことがないだろうと侮った上で、自国アメリカの思想家エマーソンの言葉を引用する。「あなたの務めを、あなた以上に知っていると称する輩はいつもいる〔You will always find those who think they know what is your duty better than you know it〕」(1枚目の写真)。母が、校長室を勝手に退出する前に最後に投げつけた言葉は、「どれだけ望んでも、ポールは手に入らない〔Despite your craving you may not have Paul〕」。狂っているとしか言いようがない〔この映画に感情移入しにくいのは、このエキセントリックな人物設定のせいだ〕。これがの最後の部分。この口論があって、へとつながる。車の中。窓の外は真っ暗だ。時間の経過ははっきり分かるが、最初に書いたように、ここは窓のないガレージの中なので、明るさの変化は少ないハズだ。母は、ポールの歯を入れて畳んだ布を見せると(2枚目の写真、矢印)、「目が覚めた時、歯の妖精さんがピカピカの1ドルコインをくれるわよ」と言って、ポールの頭の後ろに入れる。夜が遅いせいか、ポールは半分ウトウトしている。「一緒に寝るの?」(3枚目の写真)。「そうよ」。そして、ゆっくりと時間をかけた口づけ。「いつもそばにいるわ、愛しい坊や」。
  
  
  

の最後の挿入。エミリーが家に帰ってくると、家の前には救急車やパトカーが停まり、大勢の人もいる。エミリーには何が起きたか分からないし、誰も説明しようともしない。ここでが挿入され、母が、睡眠薬をプラスチック瓶ごと手のひらに出して、全量を口に入れる。エミリーは階段を上がり、両親の寝室のドアを開ける。ベッドの上には父母が寄り添い、眠るように死んでいた(1枚目の写真)。夫が治癒不可能な病気だと分かり、睡眠薬を飲んで心中したのだ。父の手の下にはエミリーへの手紙が残されている。ベッドの左に置かれた酸素ボンベは、父が呼吸困難に苦しんでいたことを示している。この自殺は、エミリーにとって大きなトラウマとなり、そして30歳を過ぎた今、今度は、ポールと一緒に同じことをくり返そうとしている。ここで、最後のナレーション。今度は、現時点だ。「これほど息子を愛した母親があっただろうか? 愛しい坊やと 愛しいママは… 永遠に… 一緒」(2枚目の写真)〔息子が自分から離れて行くからといって、息子を道連れに死ぬとは、「これほど身勝手な母親があっただろうか?」と言い換えるべきだろう〕。エンジンがかかったままの車からは排気ガスが出ている。そして、ガレージの扉の下には、ガスが漏れないよう、布が詰めてある(3枚目の写真)〔ポールがエンジンをかけたのは、まだ明るいうち。こんな状態で放置していれば、もっと前に症状が出るのではないか?〕
  
  
  

翌朝、芝刈りの少年がきて、ガレージを開ける。運転席のドアが開いていて、ポールが床に倒れている。少年は、「ポール、起きろ」と体を起こす(1枚目の写真)。反応がないので、「助けて!! 誰か助けて、お願い!!」と叫ぶ。画面は、昔、ポールと母が訪れた牧場に変わる。そこには10代も末になったポールが、同年代の女の子と一緒にいる。「ここって、昔、一緒に来たところ?」。「うん」。「他のお母さんとは 違ってたわよね?」。「うん」。「寂しい?」。「いつも」〔自分を殺そうとした母親に対して、意外な返事だ〕。ポールは、1人で羊に寄って行くと、耳に何か囁く。そして、彼女にも、「おいでよ」と声をかける。「怖いわ」。「いいかい、怖いと思った時が、いい機会なんだ」。彼女は、恐る恐る羊に近づき、囁きかける(2枚目の写真)。2人は何を願ったのだろうか。それは、羊から離れると仲良く手をつなぐことから察しがつく。ただ、その後に入る母のナレーションがすべてをぶち壊す。「すぐ近く… 道の向こう… 木の向こう… 地平線の向こうで… 私はあなたを待ってるわ、ポール」。この母親は、ポールを道連れに心中を図り、殺そうとした。それなのに、運よく生き残ったポールが天命をまっとうしたら、また会いたいと自分勝手なことを願っている。これほど後味の悪い映画も珍しい。この下らない、ナレーションさえなければ、そして、ポールが「いつも寂しい」などと言わなければ、ポールと彼女の新しい人生を祝福できるのに。
  
  

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