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Michael ミヒャエル

オーストリア映画 (2011)

22の台詞しかしゃべらない10才のダヴィット・ラウケンバーガー(David Rauchenberger)が、児童性愛者の犠牲者として準主役を演じる映画。批評家の間で賛否両論があり、私は強い否定派。この映画は、徹底的に児童性愛者ミヒャエルの視点から描かれている。従って、ダヴィット・ラウケンバーガー演じるヴォルフガングの出番は非常に僅かだ。同じ、児童虐待物でも、『僕が死んだら幅木の裏に(Pokhoronite menya za plintusom)』の場合は、虐める祖母にも同情すべき点はあったし、虐められるサーシャ少年にも出番は多かった。だから、どちらの人物にも、観ていて感情移入ができる。しかし、この映画では、2011年5月のインタビューで、監督は、「もし、ミヒャエルの行動があまりに異様だったら、観客がその人物像と自分とを重ね合わせることで得られる痛みを伴う体験など、できなかったでしょう」とふざけたことを言っている。観客に、児童性愛者への感情移入を求めているのだ。映像そのものは、きわめて抑制された表現で、児童虐待も抽象的・非可視的にしか映像化していない。その点が評価されているのかも知れないが、主人公が鬼畜であることに変わりはない。そんな人間のクズに、どう感情移入しろというのか? 監督の発想・姿勢そのものに異常さを感じる。さらに、映画には、空白の部分が多数あり、「なぜ?」の集合体とも言える。それを指して、「サスペンス」と褒める評論家もいるが、観ていて、理解できない部分が多いのは、脚本のお粗末さ、推敲の甘さ以外の何物でもない。

ヴォルフガングは、鉄筋コンクリートで固められた地下の一室で暮らしている。彼が、いつからここに囚われているかは不明である。監督は、「物語は、少年が誘拐された時の恐怖が収まり、この男と日常生活を送れるようになった時点から始めました」と語っている。しかし、どう観ても数年は監禁されているように思える。この、ミヒャエル、保険会社の中堅社員で、昼間は留守。その間、ヴォルフガングはずっと地下室だ。ミヒャエルが帰宅し、電動の窓を全部閉め切ると、1階に連れてきてもらえ、夕食を一緒に食べる。たまに、車で知人のいない場所へ連れ出してもらえることもあるし、逆に、ミヒャエルがスキーに行っている数日間、地下に閉じ込められっ放しのこともある。しかも、1週間に1・2度は、性的虐待も受けているようだ。この非人道的・屈辱的な監禁生活に幕を閉じたのは、ヴォルフガング自身が必死で考え出した戦略だった。

ダヴィット・ラウケンバーガーは、出番が少ないだけでなく、クローズアップもないので、映画リストや少年リストに入れる写真がなくて困ったほどだ。それに、演技と言えるほどのものも見せてくれない。難しい役柄であることは認めるが。


あらすじ

映画の最初の部分だけは、非常にサスペンスフルで、かつ、画面の切り替えがシャープ。ひょっとしたら名画かもと期待させる。台詞が皆無なので、簡単に状況を説明しよう。会社から帰宅したミヒャエルが、狭いガレージに車を入れ(1枚目の写真)、家に入ると2人分の夕食の準備をする。準備が終わると、1階の窓すべてに電動のシャッターが降ろし、外から一切覗けないようにする(2枚目の写真)。そうしておいてから、ミヒャエルは、地下に降りる階段のドアを鍵で開ける。ドアの内側には、防音用の厚いクッション材が張ってある(3枚目の写真)。叫び声が外に漏れないようにするためだ。地下には、さらに厳重な鋼鉄製の扉がある(4枚目の写真)。ミヒャエルが扉を開け、「おいで」と呼ぶと、真っ暗な牢獄の中から、1人の少年の姿が次第に現れる(5枚目の写真)。このシーンは、確かに衝撃的だ。真っ暗というのが、少年の置かれた苛酷な状況をと恐怖を、象徴的に示している。
  
  
  
  
  

食卓についたヴォルフガングの表情は当然ながら、暗い。「テレビ見ていい?」と訊き、「9時まで」とお許しを得て、ようやく食べ始める。食事の後は、2人で並んで後片付け。最初の異様なシーンがなければ、普通の父子と言ってもいい。ただし、言葉は一切交わされない。ミヒャエルも、相手が子供の割には、えらく無愛想だ。にこりともしない。テレビも、時間がくると、「さあ、もう十分だろ」と容赦がない。そして、地下まで連れて行き、真っ暗な牢獄へと戻す。この地下室、次のシーンから明かりが点いているので(だいたい、真っ暗なら、ベッドにも辿り着けない)、映画の効果を狙って、最初のシーンだけ真っ暗にしたのだと解釈している。
  
  

それから恐らく数日後、ミヒャエルが歯をみがいてから、牢獄に入って行く。そして、そこから出てきたミヒャエルが、1階の洗面所で入念にペニスを洗う。このことから、彼が、牢獄の中で何らかの性行為をヴォルフガングに強いたことが分かる。そして、おもむろに日記の19日(水)の18時半の所に×印を付ける。このページには17,18,19日の3日分が記載でき、21時にTVとの記載がないので、先ほどのシーンは16日以前かもしれない。また、裏に透けて見える15日(土)の20時の部分にも×印らしきものが見える。そのことが暗示する、おぞましさ。
  
  

次のシーン。ミヒャエルの会社での、口数は少ないが、真面目な社員風に働いている様子が紹介される。魔物はどこにでも潜んでいる、とでも言いたげに。一方、地下室の中の少年。昼間か夜かは分からない。しかし、電気が点いている。そこでは、ヴォルフガングが電気ケトルで湯を沸かし、インスタント食品を食べている。それが昼食なのか、あるいは、ミヒャエルが外食のため夕食なのかは分からない。
  
  

着ている服が全く同じなので、同じ日だと思われるが、ヴォルフガングが小さな机に向かって絵を描いている。そして、完成した絵と、書き終わった手紙とを丁寧に折りたたみ始める(1枚目の写真)。すると、自動セットの照明が消え、真っ暗になる。ヴォルフガングは、懐中電灯を出してきて、手紙をきちんと折り、封筒に入れて唾で封印する(2枚目の写真)。推測だが、ミヒャエルは、一種のガス抜きとして、両親に手紙を書くのを許しているのだろう。無記名で投函するとでも言って。しかし、無記名でも、そんな手紙が届いたら、差出局のスタンプから足がつく恐れがあるので、投函するハズがない。当然、早速開封して手紙を読む(3枚目の写真)。そして、棚から箱を取り出すと、そこに手紙を保管する。箱にはざっと30通の手紙が入れてあり(4枚目の写真)、少年を騙して僅かな希望を持たせ続けているミヒャエルの非道さに震撼させられる。それにしても、手紙を、毎日書いているとは思えないので、拉致されてきてから相当の年月が経過していることが分かる。
  
  
  
  

そんな境遇のヴォルフガングにも、時折は息抜きが与えられる。休日、ミヒャエルが車を出し、かなり走ってから「今だ」と声を掛けると、後部座席の下から、毛布を被って隠れていたヴォルフガングが顔を出す(1枚目の写真)。農園でヤギと遊んだり(2枚目の写真)、観光スポットに行って望遠鏡を覗かせてもらったり(3枚目の写真)、少しはハイキングの真似事もさせてもらえる。途中で会った父子に、羨ましそうな視線を投げるヴォルフガング(4枚目の写真)。しかし、「調教」されているヴォルフガングには、助けを求めて叫ぶことはできない。見えない鎖でしっかりと繋がれているのだ。
  
  
  
  

久しぶりのレクリエーションから帰宅して、発病したヴォルフガング。ミヒャエルが性行為に及ぼうとすると、「気分 悪いよ」とうつ伏したまま動けない(1枚目の写真)。ミヒャエルは、あり合わせの薬を与え、毛布にくるんで休ませる(2枚目の写真)。熱がどんどん高くなる少年を見て、ひょっとして死ぬかもと危惧したミヒャエルは、近くの山の中に入って行き、いざと言うときに死体を埋める穴を掘る(3枚目の写真)
  
  
  

幸い、翌朝になってもヴォルフガングは生きていた(1枚目の写真)。ミヒャエルは薬屋に入ろうとして、車に撥ねられてしまう(2枚目の写真)。そして、そのまま入院(3枚目の写真)。病気の少年を閉じ込めたままなので(食べ物もない)、早く退院しようとするが、脳のCTを撮ってからでないとダメだと言われる。ようやく帰宅し、びっこをひいて階段を降り(4枚目の写真)、地下室の電源を入れると(扉の左に配電盤がある)、中からノックの音がする。少年が生きていると分かり、ホッとしたと思うのだが、なぜか、ミヒャエルは嬉しそうな表情一つ見せず、もちろん、声すらかけず、そのまま1階に戻ってしまう(電気は消さない)。ひょっとしたら、今の状態の足で扉を開けると、逃げられると怖れたのだろうか?
  
  
  
  

次のシーンでは、ミヒャエルとヴォルフガングが、2人揃って地下室の掃除をしている(1枚目の写真)。掃除があらかた終わると、ミヒャエルは疲れたように、少年のベッドに座り込む。そして、まだ、洗い場をきれいにしている少年の後ろ姿を見ているうちに、欲望が嵩じてきて股間に手を伸ばす(2枚目の写真)。そして、「おいで」「手を拭いて」「さあ」と呼ぶ。最初は抵抗するものの(3枚目の写真)、最後には、いやいや近付いていく所で、シーン・チェンジ。
  
  
  

クリスマス・イヴが近付き、ミヒャエルがツリーを買ってくる。1階にツリーをセットし、「ツリーの飾り、一度くらい取って来いよ。箱は廊下にある」と少年に声をかける。ということは、2人でイヴを迎えるのは、今年が初めてではないのだろう。飾り付けが終わり(1枚目の写真)、地下室に戻されたヴォルフガングを抜き打ちで訪れるミヒャエル。机の上に置いてあった絵を勝手に見る。ヴォルフガングは、下に隠してあった小さな絵を全力で奪う(2枚目の写真)。その後、ヴォルフガングが手に隠し持っていたツリー飾りをめぐって、激しい争奪戦(3枚目の写真)。「勝てると思うのか?」と強引に奪い取ったミヒャエル。その行動を、ある評論家は、ミヒャエルの少年時代の不遇の意趣返しだと分析している。イヴの夜、ツリーの前で、『清しこの夜』を歌う2人。『清しこの夜』は、元々、オーストリアで生まれた曲。クリスマス・プレゼントの交換で、ミヒャエルはハリポタの5巻を贈り(ドイツ語版は2003年の出版なので、映画の設定は2003年ということか?)、ヴォルフガングは、さっき必死で隠した絵を贈る(4枚目の写真)。その絵に描かれていたのは、2人の人物。これに関しては、少なくとも、①自分の本当の両親、②地下室で一緒にいたい友達、③成人した時の自分とミヒャエル、の3つの可能性がある。①は私が最初に観た時の感想、②と③は評論家の意見。①だと思った理由は、右側の人物の髪が長そうに見えたから。②は、ずっと一人で寂しいので、一緒に牢獄にいる友達が欲しいというミヒャエルへのサイン、③は、今は子供だから可愛いが、大人になったらどうなるのだろうとミヒャエルを不安にさせるため(?)。この後のシーンを観ると、(a)ミヒャエルは絵を燃やし、(b)泣き、(c)地下室に二段ベッドを入れ、(d)2人目の拉致を試みる。この流れからすると、②の可能性が高そうである。逆に言えば、この映画には、分からないことが多すぎる。
  
  
  
  

ヴォルフガングは、ミヒャエルと一緒に二段ベッドをセットし、歓迎のための飾りつけをし、(1枚目の写真)、数少ない本の半分を、新来者のために上のベッドに置いてあげた。如何に彼が寂しかったかがよく分かる。たとえ、ミヒャエルの犠牲者になる少年が増えてもだ。ミヒャエルは、ゴーカート場に行き、親が近くにいなくて、自分の好みに合いそうな少年を物色し、巧妙に誘い出すことに成功(2枚目の写真)。しかし、幸いに、危ういところで父親から声がかかり、この子は魔の手から逃れることができた。ミヒャエルは、すごすごと引き返し、ヴォルフガングに、「さっき電話があって、今日は、もう一人の子は来られない。残念だな、きれいに用意したのに。悲しむなよ。いつか、連れて来てやるから」となぐさめる(3枚目の写真)。
  
  
  

ある夜、ミヒャエルがTVで映画を観ていると、男が女に、「こっちがナイフ、こっちがペニス、どっちを 入れてやろう?」。「いやよ、やめて!」というシーンがあった(1枚目の写真)。それが気に入り、次の夕食の時、ヴォルフガングの前で、自分のペニスを出し、同じ台詞を言うミヒャエル(2枚目の写真)。ヴォルフガングは、目も上げず、「ナイフ」とだけ言って、淡々と食べ続ける。因みに、このシーンは、テーブル上に衝立を設けて撮影したそうだ。しばらくして、ミヒャエルが「テレビで言ってたよ、4人に1人は、職を失うって。経済危機だから、失業が ずっと続くんだ」。この唐突な台詞の必要性が分からない。ひょっとしたら、この後で、ミヒャエルに誰の言葉か訊かれ、「ドイツの副長官」と答え、それを聞いたミヒャエルがカッとする場面につなげたかったのかもしれない。しかし、それでも、「ドイツの副長官」で何故怒るのか? 少年が、ドイツの放送を見ていたから? ヴォルフガングはドイツから拉致されてきた? 謎が多すぎる(脚本がなってない)。とにかく、怒ったミヒャエルは、以前、ヴォルフガングが書いた両親宛の手紙を1通持って来て、「見ろ。何だか分かるか? 君の手紙だ。両親は、読みたくないとさ。手紙も書きたくないそうだ。君の持ち物は全部捨てて、部屋は貸したとか。君なんか、どうだっていいんだ」。そして、「私の言う通りになさいと、言ってるぞ」と付け加える(3枚目の写真)。唇を噛みしめながら、「みんな 作り話だ」とつぶやくヴォルフガング。しかし、いざベッドに入り、すすり泣く姿は悲惨だ(4枚目の写真)。この地下での永遠の監禁を覚悟したから。
  
  
  
  

ミヒャエルは、友達2人とスキーに行くことになり、事前に、牢獄にたくさんのインスタント食品を運び込む(1枚目の写真)。同じものばかり毎日食べろと言う、栄養バランスも何も考えない無責任さ。そして、スキー場(2枚目の写真)では下手なスキーを披露し、ウエイトレスに誘惑されてもインポでうまく出来ない。散々な目に遭い帰宅したミヒャエル。地下室に行き、「うまくいってる?」と訊いてもヴォルフガングは無視して無言。溜まったゴミ袋を両手に持ち、「外に出すぞ?」と訊いても無言(3枚目の写真)。「いいな?」のダメ押しにも無言。捕食者と被食者の間に生まれた、父と子のような意思疎通の断絶。いい気味だ。
  
  
  

雪の積もった日、ミヒャエルがバケツ2杯分の雪を地下に運び、扉を開けると同時に、予め作っておいた雪玉をヴォルフガングにぶつける。「お願い、やめてよ!」。それでも、2つ目のバケツに入れておいた雪を投げつける(1枚目の写真)。子供っぽいし、ひどすぎる。しかし、珍しく見せた笑顔。この人物、笑うことがほとんどないのだ。さて、後から地下室に戻ってみると、床は水浸し。さっそく2人で、雑巾がけをする(2枚目の写真)。床が乾いてから、2人でジゲゾー・パズル。これには、ヴォルフガングもやる気を見せた(3枚目の写真)。娯楽すら、ほとんど与えられない情況だから。
  
  
  

ミヒャエルは、退職した上級職の後釜に選ばれ、職場でお披露目パーティを開く。飲み物や食べ物を自費で用意し、それを注いだり、配るのもミヒャエルの役目だ(1枚目の写真)。しかし、嬉しくないはずはない。余ったケーキを持って、ご機嫌で帰宅。ヴォルフガングに渡そうとするが、なぜかこの夜は、反抗的だ(2枚目の写真)。それは、後のシーンで分かるように、ヴォルフガングが秘策を思いついて、興奮していたせいなのかもしれない(あくまで想像)。夕食の用意にミヒャエルが1階に行っている間に、ヴォルフガングは、電気ケトル一杯の熱湯を作る(3枚目の写真)。そして、夕食だと呼びにきたミヒャエルの顔目がけて、熱湯をぶちまける(4枚目の写真)。撮影が下手で、熱湯らしいSFX処理がないので、水のように見えてしまい、一瞬何が起こったのか分かりにくい。
  
  
  
  

やけどで、目までやられたミヒャエルだが、ヴォルフガングが牢獄から逃げ出すのだけは、全力で阻止し(1枚目の写真)、何とか鍵をかけた。照明まで消す余裕はない。バス・ルームまで辿り着き、冷たいシャワーを浴びるが、それで治るような火傷ではない。何とか、医者に診てもらおうと車を出すが、もうろうとした目で、カーブを曲がり切れずに転落。帰らぬ人となった(2枚目の写真)。
  
  

教会での葬儀。そして、母と兄による遺品整理。地下室に降りていった母が、不思議な扉を見つけ、開けてみると中には明々と照明が。そして隙間から覗いて見えたものは… ここで、映画は突然終わる。葬儀の期間も短いので、ヴォルフガングは当然生きて助かり、親元に帰ることができたのであろう。
  
  

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