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Paperhouse ペーパーハウス/霊少女

アメリカ映画 (1988)

エリオット・スピアーズ(Elliott Spiers)が重要な脇役を演じる霊的なファンタジー映画。主演はシャーロット・バーク(Charlotte Burke)。少女がノートに描いた鉛筆画が、そのまま夢の中に現れるという設定は意表をついて面白い。ただ、それだけだとファンタジーで終ってしまうが、少女が誰もいない寂しい家の窓に1人の少年を描き足したことから、映画は不思議な展開を見せる。特に、その少年が、少女の住んでいる現実世界で、まだ会ったことのない難病の少年だと分かった時点で。少女は、その事実を知ってから、夢の中の少年を自分が作り出した創造物ではなく、大切な友達として接するようになる。病気が何とか悪化しないよう心から願う。そして、夢の中で交わす2人のファーストキス。しかし、その時、もう少年はこの世にはいなかった(あるいは、死の淵にいた)。映画の最後は、少女が訪れた海岸の町で、少年との間で交わされる最後の霊的な接触の場面で終る。少年の登場する場面、特に、その姿が映される場面は決して多くない。だから、いつものように、登場する場面だけの紹介にすることも考えたが、なかなかよくできたストーリーなので、プラス、少女も気に入ったので、映画の全体を紹介することにした。

エリオット・スピアーズは、撮影時14-15歳。抗マラリア薬の接種による重い副作用が精神を蝕み、1994年、僅か20歳で、入院中のロンドンの病院で自殺した。それを知って観ると、現実のエリオットと、映画の中のマークとが重なり、マークの最後の別れのシーンに引き込まれてしまう。


あらすじ

映画は、オープニング・タイトルと、アナが見開きのノートに一軒の家を描くシーンが重なる形で始まる。タイトルの終了と、絵を描き終わるのとは同時。家は2階建てで、若干先細りに歪んでいる(1枚目の写真)。柵で囲まれた庭には草が生えているだけで、庭の右側には木のようにも見える塊が4つ描かれている。授業中、前の席の女生徒にノートを取られ、机を引いてイスから転がり落とさせたアナは、教師に罰として廊下で立たされる。しかし、アナは、立っているうちに気分が悪くなり、いつの間にか廊下に倒れてしまう(2枚目の写真)。実は、この時アナは感染症にかかっていて、これがその前兆だったのだ。気を失ったアナ。気が付くと、辺りは一面の野原で、遠くの方に1軒の家が見える。そこに向かって、アナは駆けて行く(3枚目の写真)。その時、アナが倒れていることに気付いた教師により、夢から引き戻される。
  
  
  

保健室で休んでいたアナ。そこに心配した母が迎えに来る。帰宅途中で、医者に連れて行かれそうになったので、早く家に帰りたい一心のアナは、「真似事だっだの(I was pretending)」と嘘をつく。さらに、「騙したの(I faked it)」と話を加速させる。その言葉に怒った母は、午後の授業を受けさせようと、車をUターンさせて学校に連れ戻す。恥ずかしいので、教室には行かず授業が終わるまで隠れていたアナは、級友と2人で廃駅の跡まで行き、かくれんぼをすることに。アナが隠れる方になり、廃トンネルの中に隠れようとする(1枚目の写真)。アナは、中に入ったところで、また気を失う。気が付くと、さっきと同じ場所。しかし、もっと家の近くにいる。家の形は、絵と非常に似ている(2枚目の写真)。塊が木ではなく、立った石だという以外は〔石の位置や数も違っている〕。アナは、柵を開けて中に入り、玄関を叩くが、反応は全くない(3枚目の写真)。叫んでも、窓から覗いても、誰もいない。このアナの不思議な夢は、アナの姿が見えなくなって心配した級友の通報で駆けつけた警察によって、破られる。
  
  
  

アナは、顔見知りの女医の往診を受け、2-3日の休養を申し渡される。細菌検査の結果はその場では出ないので、熱が高いというだけでの診断だ。アナは、「いつまでベッドに寝てればいいんですか?」と訊き、「金曜に往診に来るまで」と言われ、不平を口にする。女医は、「あなた、運がいいのよ(Count yourself lucky)。私の患者には、あなたより少しだけ年上で、1年も寝たきりの子がいるの」。「私だったら、死んじゃうわ」。「お互い、仲良くやれる(get on well)かもね」。この女医の話は、その後の展開に大きな影響を与えることになる。アナが、無人の家ではつまらないので2階の窓に男の子の顔を描き足した時(1枚目の写真)、アナの頭には、女医の言葉が残っていた。それは、描き終わった直後に、「可哀想すぎる」と言って、消しゴムで消そうとしたことからも明らかだ。ところが、鉛筆で描いたのに、何度消そうとしても 男の子は消えない。アナが電気を消して(2枚目の写真)眠りに落ちると、また 例の家の前にいた。「誰かいるの?」の呼びかけに、絵と同じ窓から1人の少年の顔が覗く(3枚目の写真)。「中に入っていい?」。「あっち行けよ」。「入れてくれたら、すぐ帰るわ」。「できない」。「なんで?」。「階段がないから」。「じゃあ、どうやって そこに上がったの?」。「分からない。なぜか、ここにいたんだ」。アナは、かなりの熱で目が覚める。
  
  
  

アナは、ノートの別のページを開くと、そこに、家の中の立断面を描き始める。2階の少年のいた部屋にドアを描き、家の真ん中には階段を描いたのだ(1枚目の写真)。描き終わるとスタンドを消し(2枚目の写真)、ベッドに戻る。そして夢の中。アナが玄関を開けると、そこには描いた通り、階段があった。なぜか、他の部分は雑なのに、階段の手すりだけは、絵と違って非常に装飾的だ。そして、いよいよ部屋に入る。少年は、がらんとした空間だけの部屋の、窓の下の段の上に足を投げ出して座っていた(3枚目の写真)。アナは、少年に近付いて行くと、「階段あるじゃない。あなた、間違ってたわね」とわざと非難するように言う。「いつの間にか、できたんだ」。「私が描いたの」。「君は、ここにいるべきじゃない」。「もっと、朗らかな子に描くべきだったわ。私があなたを描いたのよ。この家や階段やすべてをね」。そして、「一緒に見に行きましょ」と声をかける。少年は「歩けない」と拒否。「そうよね、足を描かなかったもん」。少年は、片足ずつ両手で持って床に降ろすと、アナに向かって、「僕は絵じゃない!」と大きな声で否定する(4枚目の写真)。「ごめん。窓のところに誰かを描こうと思ったの」。「まあ、いいよ」。そして、少年が「僕はマークだ」と言ったところで、アナは、雷の音で目が覚める。
  
  
  
  

アナは、家の中の立面図の玄関ホールに、ソフトクリーム・マシンとドア、そのドアの先の部屋に自転車を描き足した。また、2階のマークの部屋には、ベッドだけでなく、パソコンや食べ物、うず高く積まれた本などを描き足した。左の部屋の壁に1個だけ掛かっているのは大きなラジオ(1枚目の写真)。また、最初の絵には、庭が寂しいので果樹を加えた。そして、「丘の向こう側には海がある。何マイルも先まで輝いて、みんなに見えるのよ」と言いつつ、灯台を描く(2枚目の写真)。この海と灯台が、後になって重要な意味をもつことになる。そして、金曜日、女医が再訪し、「腺熱のようね」と言う〔腺熱だけでは、腺熱リケッチア症か伝染性単核症のどちらか不明だが、その後の症状から前者の方だと思われる〕。「2-3週間は、ベッドに寝たきりね」と宣告されるが、アナは元気がなく、反論はしない。そして、患者の少年について、「いつ、ベッドから出られるの?」と訊いてみる。「いつでも出られるんけど、出たがらないの」。「でも、良くなってるんでしょ? 良くなりたくないの?」。「もちろん、なりたいわよ。でも、ベッドで本を読んでるのが好きなの」「それに、動くこと自体が苦痛なの」。「マークは、歩けないの」(3枚目の写真)。「そうよ」。それを聞いたアナは、絵の世界のマークを歩かせてやろうと、階段に足で立っているマークの絵を描き足した(4枚目の写真)。アナは、「これで、歩けるわ」と言って眠るのだが…
  
  
  
  

アナが走って行く先の家には、1本のオレンジの木が生えている(1枚目の写真)。喜び勇んで玄関を開けると、階段にあったのは、石膏の足型だけ(2枚目の写真)。もし、ここが、アナの夢の中だけの世界だったら、マークには歩ける足が付いているハズだ。だから、この架空の家だけはアナの空想の産物としても、登場するマークは、女医の患者のマークを反映した “何らかの存在” ということになる。次いでアナが反対側に置いてあるソフトクリーム・マシーンを動かすと、受け皿のコーンがないので食べられない。2階のマークの部屋も同じような調子だ。山と積んであるハンバーグは食べられそうにないし、チーズは巨大、コークのビンも巨大、ベッド脇の本は雑に書いたため、分離不能のひと塊になっている。マークは、動かないパソコンの裏蓋を開けて、何とか動かそうとしている(3枚目の写真)。
  
  
  

ここで、ようやくアナは自分の名を告げる。そして、「歩けるように足を描いたんだけど、ダメだったわ」と打ち明ける。「言ってることが分からないよ」。「あなた、マークなんでしょ、ニコラス先生の患者の?」。「違うよ」。「ここに いない時の話よ」。「僕はいつもここにいる。ここに捨てられたんだ」。埒が明かないので、アナは窓を開けて自分が描いたオレンジの木を見る。そして、「果物はどう? 体にいいわよ」と声をかける。庭に降りて行くアナ。マークは、手だけを使って窓の方にいざって行く(1枚目の写真)。そして、全身の力を込めて窓の下の段の上に載ると、窓の外に身を乗り出してオレンジの実をキャッチする(2枚目の写真)。しかし、しばらくすると笑顔が消え、話し始める。「その子は、僕と同じ年頃で、自転車を持ってた。青い色の新品だった。その自転車が大好きだったけど、乗れなかった。毎日それを見てるだけだったけど、それで幸せだった(made all the difference)。いつの日か、きっと乗れる。そう思えることが大事だったんだ(all that ever mattered)」(3枚目の写真)。それを聞いたアナは、自分は夢を見れば自由にここに来られるが、マークが閉じ込められてしまったのなら、父にここまで助けに来てもらおうと考える
  
  
  

目が覚めたアナは、さっそく最初の絵の左端に父の絵を描き加え始める。しかし、写真を見ながら描いたのに、最後の口を描く時に手が滑り、への字型になってしまう。「狂った人みたい」。描き直そうとするが、例によって、消しゴムは役に立たない。その時、母がやって来たので、「これ、誰か分かる?」。「パパね。上手じゃない」。「酔っ払ってるみたい。酔ったパパ、嫌いなの」。母に、「怒ってるみたいね」と言われ、「こんなパパが夢に出てきたら怖い」(1枚目の写真)と答える。そして、1人になって考えた末、父の目の部分を何重にも黒く塗りつぶし(2枚目の写真)、窓のマークにも斜線を入れ、最後に絵をくしゃくしゃに丸めて(3枚目の写真)、床に捨ててしまう。アナがお風呂で温まっている間に、母は、床に捨てられた絵を黒いゴミ袋に入れてしまう。その夜、アナは夢を見なかった。
  
  
  

その日、往診に来た女医の様子がおかしい。そこで、アナは、診察の後、こっそり玄関まで行って、母と女医の別れ際の会話を盗み聞く。「大丈夫? すごく心配そうよ」。「最近安定していた男の子の容態が昨日急に悪化したの」。「どんな病気なの?」。「筋ジストロフィー。そこに、気道感染症を併発したの。命に係わるわ」。それを聞いて愕然とするアナ(1枚目の写真)。昨夜、絵をくしゃくしゃにしたことで、マークを危険にさらしてしまったのだ。部屋に戻ったアナは、昨夜捨てた絵を必死になって捜すがどこにもない。そんな時、外からゴミ収集車の音が聞こえる。アナは、パジャマ姿のままエレベーターに乗り込む。気付いた母が必死に階段を走って追いかける。アナは外に飛び出て行くと、母と一緒に黒いゴミ袋を全部開けてチェックする(2枚目の写真)。幸い、捨てた絵は見つかった。そして、アナは病気に疲労が加わって、すぐに眠り込む(3枚目の写真)。
  
  
  

アナが恐る恐るマークの部屋のドアを開けると、そこは真っ暗な廃墟と化していた。暗いのは、窓に描かれた太い黒い線のため、部屋の中がぐちゃぐちゃなのは、絵がくしゃくしゃにされた時の衝撃だろう。幸い、マークは生きていた。「これ、みんな君の仕業? 君のことが分からないよ」。「マーク、現実の世界のこと、何か覚えてる?」。「だけど、これが現実の世界だろ」。「私がここにいない時、あなたも、もう1つの世界にいるの」。「僕、どこか悪いの?」。「入院してるわ。そうじゃなかったら良かったのに(I wish you weren't)、ごめんなさい」。アナはマークに対し、自責の念も加わり、とても優しく接する。その時、現実の世界で鳴っている目覚ましの音が聞こえるが、アナは目が覚めない。このことは、アナの病気が悪化して、半ば昏睡状態にあることを意味する。その時、窓の外から異様な音がして、1人の男が現れる(2枚目の写真)。それは、アナが絵の端に描いた父だった。しかし、玄関まで迎えに行ったアナに対して父が発した言葉は、「目が見えん!」という怒りの声。アナが父の目の部分を塗りつぶしたので、目が見えないのだ。そして、手に持った金槌を振り上げる。アナは怖くなって玄関を閉め、鍵がかからないので、ソフトクリーム・マシーンをドアまで押して行って、開かないようブロックする。そして、マークを2階から何とか1階に降ろし、マークを自転車に乗せて押して行こうとする〔玄関以外に出口はないので、無意味な行為〕。そこに、自転車の置いてある部屋の窓を割って父が入って来る(3枚目の写真)。実は、ここから先の場面は、この映画の中で一番脚本の出来の悪い部分だ。父は、呼吸困難で心停止に陥ったアナを助けに来た救急隊員を表象していることが後で分かるが、そこにルークが絡む理由が判然としない。ルークは危篤状態のハズなので、アナとは別の行動方針があっても良さそうなのだが。
  
  
  

1階の窓が割られた瞬間、アナは母の点けたロウソクの火で目が覚める(1枚目の写真)。だから、この時点では、救急車はまだ呼ばれていない。だから、父の攻撃は意味をなさない。そして、この直後、アナはショック状態になり、気を失う。救急車が呼ばれるのは、この直後だろう。夢の中で目が覚めると、自転車は破壊され、マークの姿はどこにもない。2階のマークの部屋にもいない。もう1つの2階の部屋に初めて入ると、そこには不思議な光景が広がっていた。部屋中にロクソクが並べられていたのだ(2枚目の写真)。これが何を意味するのかは分からない。このロウソクが一斉に消え、その闇の中から父が現れることから、仮説として、ロクソクはアナの生命、それが消えたことは、心停止の状態、そして、それを救うために父=救急隊員が現れたと見ることはできる。しかし、その後が、また分からなくなる。アナが、1階の隠し部屋のような所に入ると、そこにマークがいた。そして、「聞けよ。すぐに見つかっちゃう。君は目を覚まして、バカな絵を変えるんだ。あいつを消すんだ」と言う。「消えないの」。「違う。紙を破るんだ。それしかない」。目が覚めないので、アナは横になったまま、現実の世界で絵の紙のありそうな場所に手を伸ばし(3枚目の写真)、紙の左端を破り取って、それをロウソクに入れて焼く(4枚目の写真)。ただ、何度も書くが、アナの命を救いに来た救急隊員を、マークがなぜ執拗に敵視するのか、全く筋が通らない。
  
  
  
  

この不可解なシーンの最後。父に捕まったアナは、そのまま抱えられて丘に連れて行かれる(1枚目の写真)。地面が割れて火が見えるのは、裂かれて燃やされた絵を象徴しているのであろう。そこまではいいのだが、ここでまたルークが登場する。そして、不自由な体を引きずって家から外に出て、アナの後を追って行く(2枚目の写真)〔でも、なぜ? マーク自身が危篤状態なのに〕。地面に横たえられたアナは、そこで父に何度も胸を叩かれる(3枚目の写真)。後からの説明によると、救急隊員が、蘇生のため心臓マッサージをしたとある〔ならば、なぜ叩いたのか?〕。さらに問題なのは、その後、やっとの思いで追いついたマークが、金槌でアナの父を叩いて傷付け、倒れた父に火が燃え移って死ぬシーン〔救助隊員を殺す?〕。この矛盾したシーンが必要だったのは、恐らく「結果ありき」からだと推測される。最終シーンで、アナとルークは海の見える丘の上の灯台に行かないといけない。そのためには、家は燃えてしまわないといけない(4枚目の写真)。最後に、WEBを見ていて、胸部叩打は心停止に対する処置として、「医療ドラマで良く出てきますが、実際には行いません」と書いてあったことを付記しておく。
  
  
  
  

アナは病院で目が覚める。女医に「息すると痛いの」と訴える(1枚目の写真)。「それは、肋骨への軽い打撲症のせいね。救急隊員が心臓マッサージをしたから。それで命が助かったのよ」。映画の観客には、ここで初めて、昨夜の変な夢の説明がされる。アナは、マークについても訊いてみる。一瞬迷った女医は、「彼なら大丈夫。帰宅して、快適に過してるわ」と嘘をつく。アナは「死にかけてるんでしょ?」と訊き直し、「見なくなったの」と打ち明ける。「何を?」。「夢よ」。アナは、夢の中でマークに会ったと打ち明ける。幻覚だと言う女医に対し、アナは、マークの目の色、悪い方の足、自転車のことを話す。どうやって知ったのか女医は不思議がるが、夢で会っていたとは当然信じない。しかし、アナの頼みは母に伝え、ノートを病院まで持ってきてもらうことはできた。アナは、夢を見なかったのはノートが手元になかったからだと思ったのだ。アナは、ノートを手にすると、マークが灯台の中で楽しく暮らせるよう、新しいページに、楽しいもので一杯の部屋を描いた(2枚目の写真)。夢の中でも絵が描けるよう、鉛筆の絵も付け加えた。そしてアナは、看護婦にもらった睡眠薬で眠りに落ちていく(3枚目の写真)。
  
  
  

目の前には、黒と白で塗られた灯台が聳えている〔海外のサイトでも、「この灯台はどこ?」という疑問があったが、恐らくマットペイントというのがその答え〕。アナは、灯台に向かって、「マーク」と叫びながら駈けて行く(1枚目の写真)。窓が開くと、マークが顔を見せ、「そこで、待ってて」と言う。そして、螺旋階段を駆け下りて来て、「ほら、これどう?(How's that then eh?)」と、歩けたことを自慢してみせる(2枚目の写真)。マークが歩けるということは、この時点で、もう生きてはいないか、死の淵にあることを示唆している。「もう戻って来ないんじゃないかと思ってた。おいでよ、見せるものが一杯ある。今度は、すごく上手に部屋を作ってくれたからね」。しかし、アナは、「崖の方に行ってみようよ」と、海へと誘う。じゃれ合う2人の姿がすがすがしい。草の上に座った2人。「君の世界じゃ、僕どうなってる?」。「良くなってるけど、ここほどじゃないわ」。「そっちで、僕がどうなろうと、君がここにいれば構わない。君の世界なんか、もう関係ない。こっちで暮らそうよ」。アナは、突然、「誰かとキスしたことある?」と訊く。首を振るマーク。「私も ないわ」。そう言って、ファーストキスを交わす2人(3枚目の写真)。とても感動的なシーンだ。2人が仲良く座っているのは、高い崖の上。浜辺に降りることは不可能だ。ハシゴだと降りるのは大変なので、ヘリコプターならいいとマークが言い出す。そこでアナは、鉛筆を取り出し、「今度は、これ持って来たの。ヘリコプターを描けるわ」と言って(4枚目の写真)、マークに渡す。マークは、立ち上がると、「戻って描いてくる」「ここで待ってて」と言い、1人で灯台に走って行く。「置いてきぼりにしないで(Don't go without me)」というアナに向かって、灯台の入口で手を振るマーク(5枚目の写真)。エリオット・スピアーズの追悼サイトでも、使われている写真だ。映画でも、これが、マークの顔が映る最後の場面となる。
  
  
  
  
  

ここで、アナの目が覚める(1枚目の写真)。次のシーンでは、もうアナは帰宅し、一家で海に行くための荷物を詰めている。そこに父が入ってくる。夢の中での凶暴な父を見て以来、アナは、何となく父を避けている。夢のことを訊かれ、「もう見てない」と答える。女医の話が出た時、父は、「お医者さんは、お前が 死んだ患者を知ってた、と話してたな」と口を滑らせる。この言葉はアナには大きなショックだった(2枚目の写真)。「どうしたんだ?」と訊かれ、「マークが死んだ」と遠くを見るように話す。「知らなかったのか? ごめんよ」。「別にいいの。でも、最後に見た時、良くなるんじゃないかって期待してたから」。「仲良しだった?」。アナは頷く。そして、次のシーンで、アナは両親と一緒に海に向かう汽車に乗っている。「汽車」と書いたのは、海沿いに走る列車の窓から、蒸気機関車の煙のようなものが見えるからだ。時代は現代(映画作成年の1988年)なので、乗っているのは保存鉄道でしかあり得ない。一家が向かっているのは、イフラクーム(Ilfracombe)というデヴォン州北海岸の町なので、途中にあるWest Somerset Railwayの可能性が最も高い。汽車の中では、アナは塞ぎこんだままだ(3枚目の写真)。マークの死のショックから立ち直れていない。
  
  
  

町に着き、ホテルにチェックインし、カーテンを開けると、そこには例の灯台が聳えている(1枚目の写真)。それを見て、会心の笑みを浮かべるアナ(2枚目の写真)。アナはさっそく丘を登り、灯台に直行する。しかし、いくらドアを叩いても、「マーク」と叫んでも、何の返事もない(3枚目の写真)。
  
  
  

アナは、入口の手前にある白い石の下から覗いている紙に気付くと、石を傾け、紙を取り出して広げてみる(1枚目の写真)。そこには、「置いてきぼりにしたくはないけど、ヘリコプターが一日中待ってる。もう行かなくちゃ。ここで僕を待ってて。戻ってくるから。愛してる、マーク」と書かれていた。現実の世界に初めてマークが登場するシーンだ。だから、ここから先は、霊的なファンタジーの世界となる。アナが見たものは、幻だったかもしれない。心の中の願望だったのかも知れない。それをはっきりさせないまま、ロマンティックな結末へと向かうところに、この映画の良さがある。アナが海岸の崖まで行くと、1機のヘリコプターが近付いて来る。崖の縁に立って、「マーク!」と手を振るアナ(2枚目の写真)。デヴォンの北海岸で一番高い崖は高さ244メートルとあるので、この場所も200メートルくらいはあるであろう。崖っぷちに立つのは、相当の勇気が要る。その時、アナの真上にホバリングしたペリコプターから、「アナ」の声と同時に縄梯子が投げ下ろされる。「崖から離れるんだ、アナ、危険だよ」(3枚目の写真)。しかし、わずかのところで梯子に手が届かない。「置いてきぼりにしないで!」と叫ぶアナに向かって、「さよなら、アナ」の声がしてヘリコプターが高度を上げる。崖から落ちそうになったアナを救ったのは、母だった(4枚目の写真)。母には、アナの姿だけが見えて、ペリコプターは見えなかったに違いないが、「彼は もう大丈夫よ、ママ。私には分かるの」の声には抱擁で答える。映画は、海岸に沿って飛ぶヘリコプターからの映像、というか、自由になったマークの魂の見たイメージで終る。
  
  
  
  

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