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Vuelve ブエルベ/戻ってきて

アルゼンチン映画 (2013)

ここでは、監督のイバン・ノエルについて解説しよう。彼の監督作品は、紹介済みの『En tu ausencia(いない間に)』(2008)から、『Brecha(ギャップ)』(2009)、『¡Primaria!(小学校!)』(2010)までの3作がスペインでの撮影。その後、アルゼンチンに拠点を移し、今回紹介する『Vuelve』、『Limbo(リンボ/辺獄の子供たち)』(2014)、『Ellos Volvieron(戻ってきた3人)』(2015)、『La tutora(家庭教師)』(2016)、紹介済みの『Nine Meals from Chaos(終末の混沌を如何に生き抜くか)』(2018)、『Rechazados(つまはじき)』(2018)の6作を撮影する。これらはすべてスペイン語の標題で、映画の中での会話もスペイン語。監督の名前に「á」が使われているが、主要な言語でこの文字が使われるのはスペイン語。なので、彼はスペイン人だと思われがちだ。しかし、イバン・ノエルは、エジプト・フランス混血でイタリア国籍を有する父と、オーストラリア人の母が 中東を拠点として働いていた時に、ベイルートで生まれている。イギリスの全寮制学校で教育を受けたため、英語は母国語並み(大学は、ヨーク大学の音楽コース)。彼がスペインに行ったきっかけは、プロのギター奏者として、フラメンコを学ぼうと思ったから。それまでにギタリストや写真家として15年働いたお金を使い、最初の『En tu ausencia』が製作された。ただし、スペインでは黙殺(公開されず)。『Brecha』はマラガ映画祭から出品を拒否され(公開もされず)、セビリアで撮影された『¡Primaria!』は、東京国際映画祭では上映されたが、セビリア映画祭からは出品拒否(公開もされず)。こうした経緯を踏まえ、イバン・ノエルはアルゼンチンに拠点を移す。幸い、現地で受け入れられてはいるが、異色の映画製作者であることに変わりはない。この『Vuelve』は、大人と子供の関係を淡々と描いた最初の3作と違い、心理的異常やサスペンスが基調となっていて、それは、その後の5作での踏襲される。その意味では、異色さがエスカレートしたとみなすこともできる。例えば、『La tutora』は、映画化の回数の最も多い小説の1つ、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』のアルゼンチン版だが、原作とはかけ離れ、よる幻惑的になり、結末さえ変えてホラーに近づいている。スペイン、アルゼンチンを問わず彼の作品に共通しているのは、必ず全裸の少年が現れること。これに対して、上記の情報を得たSkyKid.comの長いインタビューの中で、『En tu ausencia』をイギリスで上映した際、観客の1人が「児童虐待」で警察に電話したという事例を挙げている。そして、イバン・ノエルは、そうした状況が不条理〔absurd〕なので、敢えて挑発〔provoke〕していると語る。

アルゼンチンのコルドバ北方のエスタンシアに住む一家3人の話。父は、イエズス会時代の教会堂の文化財的価値を守るための研究をしている。母は、一見正常に見えるが、過去に何らかの精神疾患に伴う入院歴がある。そして、その疾患のせいで、子供を死産してしまった経緯もある。小学生のガブリエルは一人息子。ただし、母親に子供ができなかったため、父が若い女性と関係を持った結果生まれた子供。ガブリエルには、無論知らされていない。母は、普通なら、その種の子供を憎むかもしれないが、逆に、ガブリエルを熱愛し、自分の一部にしてしまう。ガブリエルが小学校の高学年になった時、夫は気付かないものの、母の精神のバランスが再び崩れ始め、異常な言動が現れる。そして、その “矛先” は、すべてガブリエルの “教育” に向けられる。吠える犬への憎しみ、漂白剤を使うほどの清潔志向(果樹園の落果の廃棄も含まれる)、死産した赤ん坊の墓所への愛着、死の予告と庭園の池まで来れば会えるという暗示、ガブリエルの肉体に対する愛(いつく)しみなど。ガブルエルと母とは血の繋がりはないが、母の特異な精神疾患は、愛を絆としてガブルエルに引き継がれる。そして、ガブリエルの目の前で起きる 母の飛び降り自殺。これが引き金となり、ガブルエルの精神疾患が起動する。ガブルエルには、幻の母が見えるようになり、頭の中にも母の声が囁く(すべて、ガブリエル自身が創り出した幻想)。そして、その声に操られるように、ガブリエルは、果樹園の落果を集めて廃棄し、自らの体をせっせと洗っては愛しむ。その程度で終わっていればよかったのだが、吠える犬を毒殺したことをきっかけに、より過激化。殺した犬の首を折って集めた血を、父の飲むワインに入れて厳しく叱られる。ガブリエルは、悲観して母に会いに行こうと池に入水するが、溺死すべきところを父に救われてしまう。そして、父は、ガブリエルを本当の母に会わせる。ガブリエルは、父を悩殺した原因だと幻の母から示唆された彼女の目に 漂白剤を浴びせ、盲目となった実の母を建物の屋上まで追いやり、転落させて殺す。父は、落果を廃棄する穴に突き落とし、そこに電線を投げ込み、底に貯まった水で感電死させる。最後に自らも、母に会いに行けると信じて、再度池に入水して溺死する。

主役のガブリエルを演じるのは、レンツォ・サベリ(Renzo Sabelli)。これほど、印象的で強烈な目をもった少年は他にいない。ガブリエルは、最後の審判の際にラッパを吹き、死者を甦らせる天使とされるが、この映画のガブリエルも、原題「ブエルベ(戻ってきて)」が示すように、自殺した母を蘇らせようとし、どんどん深みにはまっていく。レンツォの年齢は不詳だが、恐らく10-11歳。映画出演はこれ1作のみ。“目ぢから” が強烈すぎ、演技の方まで目が届かない。

あらすじ

映画の冒頭に、「Cotard syndrome(コタール症候群)」の説明がある。しかし、映画の中のガブリエルが抱えることになるのは、「自分は既に死亡している」という妄想ではなく、死んだ母が現れて指示を与えてくれていると思い込む妄想。これなら、「Nurturing syndrome(養生症候群)」と書くべきだ。「死人が生き返った」と思い込むのは、こちらだからだ。監督は、それを分かっていて、観客の期待をミスディレクトするために、敢えてこう表示したのだろうか? 映画の冒頭には、ガブリエルと父母の3人が食卓で談笑するシーンがある。母:「修道僧は、なぜ船の絵を描いたのかしら?」。父:「海を渡ってきたからだよ、ソフィア」。「修道女も一緒だったの?」。「変な発想だな。厳しい規範があるから、聖なる修道院には如何なる女性も足を踏み入れることはできないんだ」。その後、犬が吠え出し、母が不機嫌な顔になる〔伏線〕。この何気ないシーンの後、映画の舞台となるサンタ・カタリナ・エンタンシアにある教会堂が映る(1枚目の写真)〔ここは、ブエノスアイレスの北西640キロにあるコルドバ(『母をたずねて三千里』にも登場する)の、さらに北60キロにある世界遺産になっているエンタンシア。「コルドバのイエズス会伝道所とエスタンシア群」という名前での遺産登録されている。6つあるエンタンシア(イエズス会が入植のために造成した大規模農園)のうち最大のものが、ここサンタ・カタリナ・エンタンシア。附属の美しい教会は17世紀末から18世紀初頃にかけてのバロック建築〕。映画は、ここで再び家の中に戻る。母が本を読み上げ、ガブリエルがそれを筆記している。母は “授業” を中断し、「あなたの目、なんてきれいなの」と口にする(2枚目の写真)。ガブリエルがほほ笑む(3枚目の写真)。「澄んだ目の人には、清らかな魂が宿るものよ。誰よりも深い純粋な魂が」。そして、さらに、「男の子に生まれて良かったわね」。「なぜ?」。「もうすぐ分かるわ。欲望… 肉欲の罪…」。それを聞いたガブリエルは母に抱きつき、「ママが、守ってくれる」と言う。順不同になるが、若い女性エバが、コルドバからのバスを降りるシーンが一瞬映る(4枚目の写真)。場所は、同じ世界遺産のヘスス・マリア〔コルドバの北北東50キロ、サンタ・カタリナは、ここから18キロ北西にある〕
  
  
    

このあと、その後の展開の伏線となる幾つかの何気ないシーンが連続する。①うるさい犬を 庭の整備係が殴る場面(1枚目の写真、右にあるのは芝刈機)。②整備係が芝刈機を使っていると、ガブリエルが彼の方にホースの水を向けてしまい、「俺を殺したいのか?」と叱られる場面(2枚目の写真)〔確かに芝刈機の取説には、「散水直後の濡れた芝生の刈込みはしないで下さい」と書いてある〕。③作業小屋の中にあるポリタンクの中身を、ガブリエルが「フリオ、中に何が入っているの?」と訊き、「毒だ」を教わる場面(3枚目の写真、矢印は毒液)。少し相前後するが、地位不明の人物が、ガブリエルの父に電話をかけてくる。「グレゴリオ、もうこれ以上批判をかわすことは無理だ。修道会の総長が乗り出してくる。あんたが、どういう経緯でそこを所有するに至ったのか知りたがっている。政権も変わったからな。政府の役人が、弁護士を連れてやって来るんだ」。これに対し、父は、「ルイス、助けてくれよ。今まで、ここのために尽くしてきたのに、追い出すなんてよく出来るな」と助力を乞う。
  
  
  

一家3人が、居間でくつろいでいる(1枚目の写真)。しかし、カメラのアングルが変わると、母とガブリエルの関係が、少し常軌を逸していることが分かる。ガブリエルが母の手首にかかった装身具に触っているのはいいとしても、母がガブリエルのシャツをめくり上げ、お腹をじかに愛撫している(2枚目の写真、矢印)。読書に没頭していて、ようやく気付いた父は、「ガブリエル」と2度呼ぶ。そして、父の顔を見たガブリエルに、奇妙な昔話をする。それは、かつてこの修道院にいた総督〔virrey〕の話。彼は結婚したが子供に恵まれなかった。そこで、修道院を宮殿に変え、妾を迎えて跡取りを作ろうとした。修道士が抵抗すると、総督は農園の果樹を毒液で枯れさせ、一切の資金援助を絶った。しばらく経ち、妾が子を産む段になると、総督はまだ去らずにいた修道士が邪魔なので、水の供給を止めた。修道士は神に祈ったが、雨は降らなかった。そこで、彼らは、水を遮断した壁の下にトンネルを掘ろうとしたが、崩れて全員が死亡した。総督に跡取りができると、彼は良心に呵責を覚え、自ら修道士になることにした。神は、彼に永遠の命を与える代わりに、修道院の修復を命じた。父は、最後に、「その修道士は、今でもここにいる」と秘密を明かすように言う(3枚目の写真、この頃には、ガブリエルは姿勢を正して聞いていた)。この挿話が何のためなのかはよく分からない。話を先取りするようだが、映画開始後30分の場面で、父の姉が、「なぜ、あなたは修道士たちを追放したの?」と訊く場面がある。それに対し、父は、「役立たずの修道士どもから、私の手に移ってから、ここはずっと良くなった。少なくとも、私は、この文化遺産をきちんと管理している」と答えている。また、映画開始後32分のラジオでは、修道会の神父が、父のことを、「所有者を自称しているだけです。果樹園における毒の使用についても調査中です」と非難する。父が自分の行為を「総督」になぞらえて話したような気がしなくもない。その場合、トンネル云々は作り話だろうが、「彼は結婚したが子供に恵まれなかった」「妾を迎えて跡取りを作ろうとした」「総督に跡取りができると」の部分は、「結婚した」=ソフィア、「妾」=エバ、「跡取り」=ガブリエルと考えると、ぴったり当てはまる。この話を聞いた母はピンときたかもしれないが、ガブリエルは言葉通りに受け取った。ガブリエルは、言葉に左右されやすい精神疾患(養生症候群)の持ち主だったので、映画の中では、その後、この「修道士」が何度も彼の意識の中に登場する。
  
  
  

ある日、母が礼拝堂で祈っている。そこに、ガブリエルが入って行き、聖水盤の水に指先をつける。それに気付いた母は、「ガブリエル。あなたはいい子よ。私は、いつでもここにいる… あなたのために」と、未来を予言するように言う(1枚目の写真)。その後、ガブリエルは果樹園に行く。誰も収穫する者がいないので、リンゴは地面に落ち、いちじくは枝についたまま朽ちている(2枚目の写真)。この段階では、ガブリエルは何もせず、見ているだけ。次のシーンでは、母とガブリエルが、園内の池の畔に並んで座っている。近くの枝には、真っ赤な蛇の卵が産み付けてある。母は、「ほら、見てごらん。小さな卵よ。あそこから、赤ちゃん蛇が産まれるの」と言った後で、「ママにも、小さな赤ちゃんがいたの。ぽんぽんの中に。でも、産まれなかった〔伏線〕。私の中で腐ったの。どういうことか分かる?」(3枚目の写真)「いつの日か、その子は戻ってくるの… ここに」。そして、お腹を触る。「この中で泳ぐの」。この話だけでも、奇妙だ。母の死んだ赤ちゃんとは誰のことだろう? しかし、次の言葉も非常に暗示的だ。「ガビー〔ガブリエルの愛称〕、私に会いに来てくれるわね?」。戸惑ったガブリエルは、「どこに?」と訊く。「ここよ。私は、いつでもここにいる」〔伏線〕。ガブリエルは、水面に見入る。そのあと、ガブリエルが再び腐ったイチジクを見ていると、いきなり誰かがイチジクをつかみ取る。映像は白黒に変わり、修道士が現れる。修道士は、「イチジクは早く摘むのだ。腐る前に。これらの木々の根は、死んだ修道士の棺に届き、髪に絡み付いている。根が 死体から養分を吸うから」と語りかける。言葉の意味は無意味だが、ガブリエルが父の話のあとすぐに修道士を見たことは、彼の疾患の重症度の現れとみなすことができる。
  
  
  

ガブリエルの入浴シーン。母の 優しく撫ぜるように石鹸をつける行為は、ガブリエルの年齢を考えると〔小学校の高学年〕、少し異様に感じられる(1枚目の写真)。その時、ドアの前に来た父に呼ばれた母は、何事か言われる。すると、彼女は急に取り乱し、床に置いてあったガブリエルのパンツを拾うと、洗面器で念入りに洗い始める。そして、「清潔にしないといけない。何もかも。常に」と言い(2枚目の写真)、黄色い容器に入った漂白剤を大量に流し入れる。「漂白剤は強いから、どんな汚れも落としてくれる。悪いものを全部洗い出すのよ。分かった?」〔伏線〕。そのあと、2人は、庭園の一角に設けられた墓の上に横になる〔母の死産した赤ちゃん?〕。母は、「ガブリエル、聞きなさい。幾つかの場所は、すごく神聖なの」と教える(3枚目の写真、ガブリエルの目には涙)。その後、入園料を払って中に入った親子連れが、ガブリエルが神聖だと感じた煉瓦の通路に入り込み、彼に「出てけ!!」と大声で怒鳴られるシーンがある〔ここは、後で、非常に重要な場所だと分かる〕。親子連れは、慌てて逃げ去る。
  
  
  

夜の寝室。夫は、「君は、私にプレッシャーをかけてるぞ」と文句を言う〔どう “かけて” いるかは、映画を観ていても分からない〕。「こういうのは好きじゃない。身近にいる君が、助けるどころか、足を引っ張るんだからな。君は、何もかも混乱させている。自分自身も、ガブリエルも。あの年頃の子には、もっと慎重に接しないと」。ここで、妻が反論する。「もし、あなたが、セックスのことを言いたいのなら、回り道をする必要はないわ」。「君の子供のことなんだぞ!」。すると、妻は、はっきりと言う。「私に子供はいない。私の中で腐ったじゃないの!」(1枚目の写真)〔ガブリエルが、この女性の子供でないことがはっきりした〕。「だから、堕胎したのか」。夫は、ベッドに横になると、いつも通り本を読み出すが、その時、隣に横になった妻の行動がよく分からない。体が少し揺れ、胸の動悸が次第に激しくなり、息遣いも荒くなる。夫がそれに気付き、怒って出ていくので、自慰行為をしていた可能性が高い。妻は、絶頂に達すると、身を起こし、「腐ってたからよ!」と叫ぶ(2枚目の写真)。この叫び声に驚いたガブリエルが、自室で机から振り返ると、横に置いてあった本が落ちる(3枚目の写真、矢印)。母の行為と、その後の絶叫は、精神のバランスが崩壊寸前であることを示している。落ちた本は、予兆なのか?
  
  
  

そして、翌日、母は、教会ではなく居館のらせん階段のトップで、壁画の修復をしている。すると、犬の鳴き声がうるさくて、作業が手につかない。一番下では、ガブリエルがサッカーボールで遊んでいる。母は、筆の手を止め、手すりから見下ろす(1枚目の写真、矢印)。母から見たガブリエルは、2枚目の写真のようになる。犬のしつこい鳴き声に、最後の糸が切れてしまった母は、自分のこれからする行為に涙を流しながら、下を覗きこみ、「坊や、犬を黙らせて」と言う。それは、ガブリエルをどかせるための言葉だった。ガブリエルがボールを手に持ち、犬を黙らせようとホールから一歩出ると、後ろで、凄まじい音がする。驚いて振り返ったガブリエルが目にしたものは(3枚目の写真)、床に叩きつけられて絶命した母の姿だった(4枚目の写真、ボールが落ちているのは、茫然自失して手放したため)。これだけ強いショックを受ければ、普通の子供でも セラピストが必要になるであろう。
  
  
    

父は、ガブリエルの面倒を見てもらおうとしたのか、自分の姉を呼び寄せる。そして、現状を説明する中で、息子の状態を訊かれ、「母親と強い絆で結ばれていた割に、大きな変化は見られない。前よりは、内向的になった。ただ、元々、私とはあまり話をしなかったからな」と答える(1枚目の写真)。姉は、「感情を隠してる可能性があるわね。観察してみましょう。助言もしてあげる」と言い、さらに、「最後に会った時より、随分大きくなったわ。ちょうど、頭も体も成長する重要な時期よね。ちゃんと面倒を見ないと」と付け加える。その頃、ガブリエルは、かつて母が「私は、いつでもここにいる」と言った池の端に立って、水面を見ている(2枚目の写真)。父は、「姉さんは一度だけここにやってきて、ソフィアを病院に入れてしまった」と批判する。「それで良かったのよ。ちゃんと診断しないと、悪化していたでしょうから」。姉は、さらに、「ガブリエルをここに置いておくのは良くないわ。子供のいる場所じゃない。あの子には、もっと暖かな場所が必要よ。こんな隔絶した場所じゃなくてね。ここは、陰気で不吉よ」と言う(3枚目の写真)。
  
  
  

次に、伯母が ガブリエルを学校まで迎えに行くシーンがある(1枚目の写真)。それなりに大きな町なので、18キロ離れたヘスス・マリアに行ったことになる〔それまで、誰がガブリエルを送迎していたのだろう? 自殺した母にそれができたとは思えない〕。それを、映画の冒頭、バスから降りた若い女性が木陰から見ている。車に乗るとすぐ、伯母は笑顔で「お友達と会っていたの?」と訊くので、ガブリエルが出て来るのが遅れたのかもしれない。彼は何も言わない(2枚目の写真)。ガブリエルを見ながら、「口をききたくないの?」と尋ねた時、いきなり先程の女性が車にぶつかる。轢いたというよりは、ゆっくり走ってくる車を止めるようにぶつかってきたのだ(3枚目の写真)。よく怪我をしなかったと思うが、意外だったのは、伯母が、「このバカ! 何するのよ! どこから来たの? 精神病院? このキチガイ!」と怒鳴り続けたこと。脇見運転中の衝突なので、人身事故だと思うのだが… その頃、父はラジオを聞いていた。それは、修道会の神父と番組の女性司会者との対談で、話題は、父の管理している修道院について〔内容の一部は既に紹介した〕。女性:「修道院の所有者〔父のこと〕には、酌量すべき情状があるのではありませんか?」。神父:「所有者を自称しているだけです。果樹園における毒の使用についても調査中です」。「でも、あの方は、この地域では依然有力な名士ですし、修道院の文化財に関する本も数多く書かれていますよ」。「あそこの資資料館はほとんど閉鎖状態ですし、貴重な文化財に対する真の貢献というよりは、自己陶酔的な内容に過ぎません」。「修道院の将来はどうなると、お考えです?」。「彼のものではありませんから、修道会が取り返します」。公共の電波で流れるにしては、非常に攻撃的な内容だ。
  
  
  

ガブリエルは、母が、以前、「私は、いつでもここにいる… あなたのために」と言っていた礼拝堂を訪れてみるが(1枚目の写真)、何も感じられない。そこで、「ごめん… だけど… 気分が悪いよ…」と呟きながら、自然そのものの庭園の中をさまよい歩く。ガブリエルの疾患の悪化を示すように、幻の修道士の黒衣が、遠くで交差する(2枚目の写真、黄色の矢印はガブリエル、空色の矢印は、右に歩く黒衣の修道士)。そして、彼が神聖視する煉瓦の通路に入って行くと、入れ替わりに幻の修道士が出て行く(3枚目の写真、黄色の矢印はガブリエル、空色の矢印は、左に出て行く黒衣の修道士)。これらの映像は、次の決定的な瞬間の予兆として意味がある。
  
  
  

ガブリエルは煉瓦の通路の半ばまで来て立ち止まり、祈るような気持ちで目を閉じる。そして、目を開くと、周りは白い光に包まれ、正面に母が立っている。「ママ」(1枚目の写真)。「ガブリエル。とても寂しかった」(2枚目の写真)。幻の母は、さらに、「神は優しいし、あなたは良い子。だから、私達はまた一緒になれる。神は、2度生きる機会を与えて下さる。人生はとても苦しいものなの。私は悲しみにくれ、神を悲しませてしまった。だから、私を助けて。そうすれば、また一緒になれるわ」と言う。「どうすれば?」。「良きことをなさい。ここには たくさんの腐った果実がある。修道士が集めるのを手伝いなさい。果樹園は苦しんでいる。すべては神のものなのに」。母の話す言葉は、ガブリウエルの精神疾患が創り出した幻なのだが、ガブリエルはそれに気付かない。だから、すぐに言われた通り、地面に落ちた果実を幻の修道士と一緒にスコップで集め、一輪台車で運び、煉瓦で造られた廃棄槽に捨てる(3枚目の写真)。
  
  
  

ガブリエルが姿を消したので、父は、心配してあちこち探し、館の屋上テラスから大声で名前を呼ぶ。それが耳に届き、ようやくガブリエルが現れる。父は、戸口まで迎えに行き、「何をしてた?」と問い詰める。「果実を集めてた」。「果実? 何のため?」。「毒を拡げないように」。修道会の主張に同調したような返事にショックを受けた父は、「誰から聞いた?」と強い調子で訊くが、ガブリエルは何も言わない。父は、姉と2人だけになると、「どうやって知ったんだ?」と疑問をぶつける。姉には答えようがない。その頃、ガブリエルは、母の「清潔にしないといけない。何もかも。常に」という言葉を守り、シャワーで念入りに体を洗う(2枚目の写真)。すると、母の手が現れ、ガブリエルの体を撫でるように洗う(3枚目の写真、矢印は母の手)。このような官能的な映像は、母の心底にあった願望を引き継いだ幻想なのか、ガブリエルの性に対する目覚めが引き起こしたものなのか? 次の日も、ガブルエルは泥まみれになって、朽ちた果実を集める。すると、伯母が寄ってきて、「ガブリエル、そろそろ前に進まないと」と、母の死から離れられない甥をたしなめる。しかし、返事はない。「果実が悪いと 誰から聞いたの?」(4枚目の写真)と質問しても、完全に無視される。頭を撫ぜようとしても、さっと体を離して触らせない。
  
  
  
  

ガブリエルが、館のそばの水盤をじっと見ている。母の声が聞こえる〔頭の中で囁く〕。「パパを助けてあげなさい。大切なものを失くしたの。見つけてあげて」(1枚目の写真)。ガブリエルは、父の書斎に行き、机の回りを捜す。見つかったので〔見つけたものが、目的のものだとどうして分かったかは不明〕、嬉しくなって口笛を吹いていると、そこに父が入ってくる。息子が無断で入ったので、「そこで 何してる?」と非難を込めて訊くと、ガブリエルは、「見て、パパ、見つけたよ。捜してたんでしょ」と言い、机の上に置いておいたファイルを取って、父に渡す。ファイルの中には、幼児の写真と書類が入っていた。それを見た父は、「どこで見つけた?」と尋ねる。ガブリエルが、「お手伝しようと…」と言いかけると、「どこにあったんだ?!」と、話を遮って大きな声で詰問する。恐れをなしたガブリエルが黙っていると、いきなり頬を引っ叩く(2枚目の写真、矢印、右端が机)。手伝ったのに、いきなり叩かれたガブリエルは、父を睨む(3枚目の写真)。父は、すぐに姉のところに行き、「これはもう、ただのおふざけや、心の問題じゃない。何か別のものだ」と激しい調子で言う。「今度は、どうしたの? それは何?」。「養子縁組の書類だ」。「どこに置いてあったの?」。「書斎だ。どこに置いたかも忘れていたんだが、あいつが勝手にいじくり回して…」。「よくまあ見つけたわね」。「それが、見つけたんだ」。
  
  
  

伯母は、ガブリエルをイスに座らせ、催眠術をかけて眠らせ、意識下の考えを訊き出そうとする(1枚目の写真)。 しかし、伯母の指を見つめさせる方法では効果がなく、ガブリエルは立ち上がって部屋を出て行こうとする。伯母は何とかイスに戻らせ、今度はガブリエル自身の左手をじっと見つめさせる(2枚目の写真)。ガブリエルは、深い催眠に落ちて行く。様々なビジョンが頭を過(よぎ)るが、最後の方には母の自殺も出てくる。何れにしても、ガブリエルの精神疾患の解決はならないようなものばかり。伯母は、ガブリエルを起こし、「何を見たの?」と訊くが、彼は、一瞬だけ見えた “父が母に怒鳴る” シーンを取り上げ、「パパがママといた」とだけ答える。そして、その時、伯母はガブリエルの腹部に傷があることに気付く。彼女は、すぐにガブリエルの父に警告する。「あの子が、深く悲しむのはどこもおかしくない。でも、自傷行為は尋常じゃないわ。何か、罪の意識があるのね。すぐに、その責任者を捜し始めるでしょう。あの子は、あなたと一緒にいる。だから、あなたが責任者にされるわよ」(3枚目の写真) 。
  
  
  

そして、断りなく 数年前のシーンが挿入される。母は、夫の後をつける。夫が、一軒の家の玄関の前にいる。扉が開くと、覗いた顔は映画の冒頭のエバ。母は、木の陰からそれを見ている(1枚目の写真)。母が振り向くと、そこには幼い頃のガブリエルが立っている。そして、場面はエバの寝室に。父とエバが激しく交わっている(2枚目の写真)。そして、映画は、母の死の少し前、冒頭第3節の “居間でくつろぐ一家3人” のシーンに替わる。ただし、母とガブリエルの位置関係は異なり、2人は90度の角度で交差し、ガブリエルは両脚を母の膝の上に乗せている。母の手はガブリエルの太ももの上部に置かれている。そして、母の顔と、夫とエバのセックスシーンが交互に映される。母がそのシーンを直接見たハズはないのだが、恐らく、母の空想が肥大化し、夫がやっていたであろうことを想像し、母の手の動きが早く激しくなる。その手は、ガブリエルの、微妙な部分に置かれている(3枚目の写真)。困惑したガブリエルは、手で陰部を覆い隠す。この一連のシーンは、何を意味するのだろう? 前半は、観客にエバが夫の浮気の相手だとはっきり分からせるためだろうが、なぜ、敢えてここに挿入したのか? また、それと連動した後半のシーンは、母の欲求不満と、その標的にされたガブリエルの異様な関係を、彼の精神を破壊した原因だと思わせたいのか?
  
  
  

ガブリエルは、幻の母と一緒にベンチに座っている。そして、母の声が頭の中で囁く。「犬が吠えてるでしょ。苦しんでるからよ。みんなに虐められるから。もう我慢できないのね。こんな風に生きていたくなんかないんだわ。苦しみを止めさせないと。助けてあげなさい」(1枚目の写真)。ガブリエルは、以前、庭の整備係から、「毒だ」と教わったポリタンクの中身を缶に流し込む(2枚目の写真、矢印)。ガブリエルは、それを餌に混ぜ、犬に食べさせる(3枚目の写真)。犬の苦しげな鳴き声が夜空に響き、父は読書を止めて寝てしまう。ガブリエルは、自分のしたことを考え、体をひきつかせて泣く(4枚目の写真、目尻に涙が)。翌朝、整備係が一輪台車に犬の死骸を乗せて作業小屋に運び入れる。
  
  
    

ガブリエルが、館の壁の前でボールを蹴って遊んでいると、頭の中で幻の母が囁く。「ママは、意思に逆らって病院に入れられたの」。ガブリエルは、壁にもたれて考え込んでいる。「でも、病気なんかじゃなかったわ。失血したせいだと言われたけれど、輸血はしなかった。私をダマしたのよ」(1枚目の写真)。ガブリエルは、小屋に放置してあった犬の首を折り(2枚目の写真)、流れ出た血を缶に貯める。母の無念に対し、仕返しするためだ。その頃、映画の冒頭のルイスが、父に電話をかけてくる。「グレゴリオ、私は収用命令を受けた。そこを引き払ってもらう。命令書は、あんたに直接手渡す。そっちに行くから、その時話そう」。画面では、エバがヘスス・マリアからの未舗装道を黙々と歩く姿が映る。そして、最後には、教会堂の間近までやって来る(3枚目の写真)。
  
  
  

ガブリエルは、犬の血の入った缶を持ってキッチンに行くと、置いてあった2人分のステーキに犬の血を塗る。そして、赤ワインの中に血を注ぎ入れる(1枚目の写真、矢印)。食事が始まり、ワインを一口飲んだ父は、異常に気付く。そして、伯母がグラスを口に当てたのを見て、「飲むな、デボラ」と止める。伯母は、唇に付いた滴(しずく)の臭いを嗅ぎ、血が入っていると気付く。そこで、「ガブリエル?」と声をかける。彼は、2度呼ばれて初めて顔を上げて伯母を見る。「これ、血なの?」。「ママにあげるべきだったものだよ… 病院で」(2枚目の写真)。それを聞いた父は、立ち上がってチッチンに行き、口を洗ってくると、ガブリエルの顔を思いきり殴る。そして、彼が床に倒れても殴り続ける。そして、片手をつかんで床を引きずると(3枚目の写真)、ドアの所で体の上に乗り、上半身を連打する。あまりの暴力に、姉が止めに入る。そして、「ここで何が起きているのか分からないの?! あの子はソフィアと同じ病気に罹ってるのよ!」と言い、即刻 入院させるべきだと主張し、父はそれを撥ねつける。
  
  
  

庭園に出ていったガブリエルは礼拝堂に行き、そこで幻の修道士から、「お前の母さんには、もう話しかけるだけの力がない。だが、助けを求めている。血を失っているからだ」と言われ、池に入って母に会おうとする(1枚目の写真)。その時、修道院の前まで来ていたエバは、鉄柵の門に阻まれて中に入れないでいたが、自分の息子が自殺するのを見て(2枚目の写真)、グレゴリオに大声で助けを求める。その声を聞き、「池の中!」と指示された父は、池に飛び込み溺れていた息子を端に引き上げる(3枚目の写真)。一方、同じ頃 屋敷内で声を聞いた伯母は、門の所にまで行き、「ここで何してるの?」とエバを責めるように訊く。「息子に会いに来ました」。「息子? お前の息子じゃない。あの子も、お前なんか要らない。お前は売女(ばいた)よ! ずっと昔からそうだった。逮捕してもらうからね」と罵る。少し後のシーンになるが、実際に警察が来て、エバはパトカーで連行される。
  
  
  

館の中では、父と伯母が喧嘩をしている。伯母の非難に苛立った父が、「もう十分だ! あの子は、溺れるトコだったんだぞ!」と怒鳴ると、「何もかもが、制御不能になってるからじゃないの!」と反論される。「自分勝手な解釈はやめろ! 出てってくれ!」(1枚目の写真)。溺れそうになったガブリエルは、この不毛な口論を毛布に包まれて聞いている(2枚目の写真)。何れにせよ、口うるさいだけで、何の役にも立たなかった伯母は、こうして出て行くことに。翌日、墓の上に現れた幻の母が、ガブリエルに囁きかける。「困ったことになったわ。すべて悪い方に向かってる。私も、すごく弱ってしまった。ここに来て助けて」。2人は、一緒に布を手にして平らな墓石の上を拭いている。「明るい目のあの女には、あなたのお父さんを騙すことができ、家に留まろうとするわ」(3枚目の写真)「そうなったら、お父さんと一緒になって悪いことを始める。その意味、分かるわね?」。その後で、母は話題を変える。「このお墓は、きれいしておかなくてはならないの。私は、もう一度死ぬから」(4枚目の写真)。
  
  
    

伯母がいなくなったので、父とガブリエルが2人だけで食卓に座っている(1枚目の写真)。すると、父が、「ガブリエル、血が出てるぞ」と指摘する。「分かってる」。「なぜ、拭わない?」。「少しずつ、出したままにしておきたいから」。「なぜ?」。「僕を清潔にしてくれる」(2枚目の写真)〔鼻血を出すことが、なぜ清潔さと結び付くのかは不明〕
  
  

その後、ガブリエルは清潔になるため、風呂に入る。官能的なイメージで有名な3枚の写真を添える(1~3枚目の写真)。この時、外で、車の音がする。何事だろうと思ったガブリエルは、バスタブの上に乗って窓から外の車寄せを見てみる(4枚目の写真)。そこには、父が車で連れてきた若い女性(エバ)がいた。
  
  
    

ガブリエルは、急いで腰にバスタオルを巻き、ドアの窪みに隠れる。だから、父が、「ガブリエル?」と呼んで前を通っても、気付かれない。彼は、「どうしたらいいの?」と迷う(1枚目の写真)。幻の母が、「私は、もう一度死ぬから」と言った場面を思い出す。やるべきことが分かったガブリエルは、バスタオルのまま居間に入って行き、エバの前に立つ(2枚目の写真)。父は、「ガブリエル。この人がエバさんだ」と言うが、気にもとめない。ガブリエルは、何も言わずにエバの顔をじっと見つめる。そして、そのまま立ち去る。父とエバは、意思疎通に失敗したことでがっかりする。ガブリエルは、そのまま浴室まで行くと、コップを取り出し、母が前に使った漂白剤をコップに注ぐ(3枚目の写真、矢印、透明なので水のように見える)。頭の中で母が囁く。「あの女のパワーは、明るい目にある。それで、お父さんを騙すの。そして、私たちの家に入り込もうとする」。ガブリエルはコップを持ってエバの前に立つ(4枚目の写真、矢印の先に透明な漂白剤)。父は、息子がエバのために水を持ってきてくれたと思う。嬉しそうな顔をしたエバの明るい目に向かって、ガブリエルは漂白剤を浴びせる〔これだけ多量の漂白剤が目に入れば、すぐに目を洗っても、失明の恐れがある〕
  
  
    

ガブリエルは、そのままの格好で、庭園の奥に逃げて行く(1枚目の写真、矢印)。そして、煉瓦で造られた廃棄槽の上辺隅に隠れる。父は、エバを洗面に連れて行って洗うよう指示した後、ガブリエルの後を追う。逃げるガブルエルの姿を遠くから見ていたので、廃棄槽まで行くが、姿が見えない。そこで、「ガブリエル、お前のしたことは とても悪いことだ」と言った後で、「ソフイアはお前のお母さんじゃない。エバが本当のお母さんだ」と話す。これを聞いたガブリエルは、“母を否定し、明るい目の女に騙された父” は許せないと怒り(2枚目の写真)、置いてあったシャベルで父の頭を、「嘘つき!」と叫んで 強打する。父は、廃棄槽に落ちる(3枚目の写真)。
  
  
  

父は、血まみれになりながら、「ガブリエル、何てことするんだ?!」と叫ぶが、彼に聞く耳はなく、朽ちた果実を一輪台車で運んでくると、父の上に捨てる(1枚目の写真)。父は、「ソフィアは病気だった! ソフィアはすごく不幸だった!」と自己弁護するが、ガブリエルは、「僕は、ママに何もひどいことしてない!」と怒鳴る(2枚目の写真)。ここで、彼は、すぐ足元にコードリールが転がっているのに気付く。そして、以前、芝刈機を使っていた整備係にホースの水をかけそうになり、「俺を殺したいのか?」と叱られたことを思い出す。ガブリエルは、足で押してコードリールを廃棄槽の中に落とす(3枚目の写真、矢印)。中には雨水が貯まっていたので、父は感電死する。
  
  
  

ガブリエルは、一番の悪を成敗しようと館に戻る。そして、目が見えなくて徘徊しているエバの後ろに回り込む(1枚目の写真)。何をされるか分からないので、エバは必死でガブリエルの気配から逃げる。そして、狭いらせん階段〔母が自殺した場所ではない〕を、無理矢理手探りで登らされる。後ろからガブリエルが登ってくるので、エバは先に進むしかない。そして、とうとう広いテラスに出る。そのまま、めくらめっぽう走っていくと、端から転落し、縁からぶら下がる(2枚目の写真、矢印)。しかし、腕でしがみついていただけなので、やがて力尽きて地面に叩きつけられる。ガブリエルは、それを確認すると、下まで降りて 死体の脇に立つ(3枚目の写真)。実は、エバはガブリエルの父の第2子を身ごもっていた。ガブリエルはスカートの下に手を入れると、胎児の死体を引きずり出して、手に持つ。
  
  
  

胎児の血で、ガブリエルは血まみれになる(1枚目の写真)。そして、母に再会するため池の端まで来ると、まず胎児を池に入れる。すると、頭の中で、「愛してるわ」と囁き声が聞こえる。ガブリエルは、「ママ、今 行くからね」と言うと、そのまま池に倒れ込む(2枚目の写真)。水中で2人は再会を果たす。これも、ガブリエルが最後に見た幻影であろう(3枚目の写真)。
  
  
  

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