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A Dog of Flanders フランダースの犬

アメリカ映画 (1999)

1872年にウィーダというペンネームの女性作家によって書かれた世界的に(特に日本で)有名な原作を映画化したもの。予算700万ドルに対し、収入217万ドルなので、興行的には完全な失敗作。原因は、欧米における原作の “救いようのない悲しさ” に対する不人気があげられる〔だから、このアメリカ映画は、結末をハッピーエンドに変えた〕。この点について、非常に丁寧に調査した結果が、『ガジェット通信』の「フランダースの犬にまつわる救われない話」(2012年)の中に書かれている(https://getnews.jp/archives/164355)ので、興味ある方はどうぞ。それにしても、ベルギーで無視され続けてきた「フランダースの犬」を有名にしてくれたのが、日本びいきのヤン・コルテールだということは、今回、この映画を紹介するにあたって、方々の日本語サイトに書いてあったが、そのヤンが、日本人の女性と結婚し、しかも、熱愛したのに飽きられ、最後には殺してしまうとは〔先の2012年のサイトには、2008年に日本人妻を殺害後、2010年に懲役14年の判決を受けたことは、なぜか書かれていない〕。一方、ベルギー人が、2019年に「Ik heb een vraag」上にアップロードした 「イギリスの小説『フランダースの犬』はなぜ日本人に人気があるのか? そして、この小説はなぜこの国ではあまり知られていないのか?〔Waarom is de Engelse roman 'A Dog of Flanders' zo populair bij Japanners? En waarom is deze roman hier minder bekend?〕」という長文の投稿も、ネロとパトラッシュの “祖国” の人から見た分析なので、なかなか当を得て面白い(https://www.ikhebeenvraag.be/mvc/vraag/43712/Waarom-is-de-Engelse-roman-A-Dog-of-Flanders-zo-populair-bij-Japanners)。

ネロは、父親が誰なのかも不明なまま、母を2歳の時に亡くし、80歳代の貧しい祖父に育てられた少年。祖父と一緒に、近所の農家の牛乳を集め、その牛乳缶を乗せた小さな荷車をアントワープまで牽いて行き、マーケット広場で牛乳を売っては、その時得られる僅かな手数料で細々と暮らしていた。住んでいる小屋は、貧相でも借家なので、毎月家賃も払わないといけないので、僅かの贅沢はおろか、日々の食事にも困るような暮らしぶりだった。しかし、ネロは、素直で、真面目で、正直で、働き者の、絵に描いたような “いい子”。そして、アントワープからの帰り道、路傍に倒れていたで1匹のフランダース犬を拾う。残酷な飼い主によって、死ぬほどの虐待を受け、放置された犬だったが、ネロと祖父の温かい看護で元気になると、パトラッシュと名付けられ、ネロの代わりに荷車を牽いてくれるようになる。このネロには、小さな頃からの友だちに、アロイーズというほぼ同い年の少女がいた。ネロが幼い時に死に別れた母が残していった絵を見て、ネロは絵を描くことが唯一の楽しみとなり、そのモデルはいつもアロイーズだった。こうして、何ごともなく時は過ぎていくように見えたが、2つの問題が進行していた。1つはアロイーズの父コゲーツ。出自は、貧しい出だったが、豊かになりたいと努力し、裕福になった反面 性格も変わり、貧困に苦しむネロなど アロイーズには相応しくないと考えるようになってしまう。もう1つは90歳に近づき、ますます弱っていく祖父。13歳のネロは、何もかも一人でこなさなくてはならない。その時、コゲーツの納屋で火事が起こり、ネロの小屋の大家のスティヴンスは、何もかもネロのせいだとコゲーツを煽り、コゲーツもそれを信じてしまったので、ネロは完全に疎外される。ネロにとって唯一の道は、偶然、出会った著名な画家ミシェルに見出された絵の才能を生かし、クリスマスに結果が発表される絵のコンテストで勝つこと。そうすれば、ネロを見下し、見放した人々にも受け入れられるかもしれない。しかし、渾身の力を振るって描いた絵は、3人の審査員のうち、ミシェル以外の2人が推した別の少年に負け、ネロは深い失望を味わう。その上、家賃の滞納で小屋を追い出されてしまい、ネロは雪が降りしきる中、パトラッシュと一緒に路頭に迷う。途中で、コゲーツが落としていった大金の入った財布を拾って届けると、パトラッシュを預け、死を覚悟でアントワープに向かう。目的は、死ぬ前に、アントワープ大聖堂にある、ルーベンスの名画を見ること。この先は、日本公開版と、オリジナル版で内容が異なる。日本公開版は、原作通り悲劇で終わり、オリジナル版は、ネロに明るい将来が約束された形で終わる。

ネロ役は、2人の子役が演じている。少し幼い時のネロを演じたのは、ジェシー・ジェームズ(Jesse James)。1989年9月14日生まれなので、1998年の撮影とすれば、撮影時9歳。これまで紹介した映画では、『The Butterfly Effect(バタフライ・エフェクト)』(2004)と『Sky Kids(スカイ・キッズ)』(2008)。現在でも現役で活躍中。
 少し大きくなってからのネロを演じたのは、ジェレミー・ジェームズ・キスナー(Jeremy James Kissner)。1985年3月24日生まれなので、撮影時13歳。この映画で、ジッフォーニ映画祭(イタリア)の主演男優賞を獲得している。将来の紹介予定作に『Great Expectations(大いなる遺産)』(1998)がある。ジェシー・ジェームズと違い、活躍期間は短い。

あらすじ

吹雪の中を小さな息子を連れてダース老人の借家に辿り着いた娘のメアリーが(1枚目の写真)、老人のベッドに寝かされ、「お父さん、あなたに余裕などないことは知っています。でも、ネロの面倒を見るって約束してもらえません?」と頼む(2枚目の写真)。そして、「私の描いた絵、まだ持ってますか?」と尋ねる。「ああ」。「どうか息子に渡してやって下さい。私のことを思い出してくれるように」。それだけ言うと、今度はベッドの反対側にいる小さなネロの方を向き、「私はいなくなるけど、小さくて大切なあなたをずっと見守ってる。神はあなたにたくさんのことを計画しておられるわ。ネロ、愛してる。いつも一緒にいるからね」(3枚目の写真)。そう言うと、メアリーはこの世を去る。原作には、イエハン・ダース老人がちょうど80歳になった時、彼の娘はアルデンヌ地方のスタヴロ〔Stavelot、ダース老人が住んでいるアントワープ郊外の寒村の南東約140キロ〕の近くで死に、2歳の息子を残したと書かれている。ということは(1872年の出版なので)、少なくとも、今から150年以上前。汽車はあっても、それに乗れるだけのお金があったとは思えないので、80歳の老人が そんな遠くまで、一体どうやってネロを迎えに行ったのだろう? 映画の方が自然に思える。
  
  
  

オープニング・クレジットが終わると、ネロは9歳くらいになっている。そして、87歳になった祖父と一緒に母の墓に来ると、石板に祖父の顔を描いている(1枚目の写真、矢印)。祖父が、「母さんの声、聞こえるか?」と訊くと、ネロは首を横に振る。「心を込めて聞くんじゃ。母さんが言うとったぞ。お前には神様が与えてくれた才能があると。お前は、わしまで誇らしくしてくれる」。そう、祖父は言うと(2枚目の写真)、「来い、村まで競争じゃ」と言う。ネロは、「僕の勝ちだよ、おじいちゃん」と言って、先に木橋を渡って小さな荷車の方に走って行く(3枚目の写真、矢印は、2人が牛乳缶の運搬に使っている荷車)。原作には、老兵のイエハン・ダースは、小さな荷車で、牛を飼っている幸せな隣人たちの牛乳缶を日々アントワープの町まで、少し足を引きずって運ぶ以外は何もできなかった。村人たちは、老人を可哀想に思って この仕事を与えたのだったが、それよりも、この正直な配達員に牛乳を任せることで、自宅の庭や牛や家禽や小さな畑の世話ができる利点の方が大きかった。しかし、老人にとって、それは重労働になってきた。彼は83歳で、アントワープまではたっぷり1リーグ〔約4.8キロ〕か、それ以上もあったからと、ネロが9歳になる前の状況が書かれている〔その場合は、この小さな荷車を1人で押して行ったことになる〕
  
  
  

次のシーンはアントワープ。ネロが荷車を牽き、祖父が後から押して、如何にも古そうな煉瓦のアーチ橋を渡り、野外のマーケットに入って行く(1枚目の写真、矢印はネロ)〔この映画のアントワープの場面は、複数のベルギーの町でロケされているが、この場面は、中でも一番大きくて一番美しい町ブルッへ(Brugge、日本では、英語での発音ブルージュかフランス語での発音ブリュージュで知られている)〕〔そして、この橋はボニファチウス橋(Bonifaciusbrug、2枚目にグーグル・ストリートビュー)で、完成は20 世紀初頭〕。ネロは、いつも牛乳を買ってくれる八百屋の老女に、「お早うございます」と声をかけ、老女は 「お早うね、坊や」と言うと、空の牛乳缶を置く。そこに、ネロの祖父がやって来たので、「最近どうしてる? 自分が何歳か忘れたの?」と訊く。祖父は 「年は取っても、精神は若いでな」と答える。ネロが、運んできた牛乳缶から、老女の牛乳缶に牛乳を入れている間に、老女が、牛乳代を祖父に渡そうとすると(3枚目の写真、矢印は注いでいる牛乳)、祖父はネロに渡すよう指示する。ネロが牛乳を入れ終わると、老女は、ネロに 「ご苦労様でした」と言って銅貨を1枚渡す。そして、店で売っているタマネギなどの野菜3種類をプレゼントしてくれる。
  
  
  

ネロは荷車を牽き、祖父は荷車を押して村に戻って行く(1枚目の写真)。その頃、残虐な男が、荷車に荷物を満載させ、「ブービエ・デ・フランダース」という犬種の黒い毛の犬に牽かせている。そして、酒を飲みながらむやみやたらと犬を鞭で叩いて虐待する。犬は、あまりにひどく叩かれたので、遂に動けなくなってダウンする(2枚目の写真、矢印)。幾ら叩いても動かないので、男は、もうすぐ死ぬと思い、荷車から外して道端に捨て、自分で荷車を牽いて行く。しばらくして、家の近くまで戻って来たネロが、捨てられていた犬を見つける。「生きてるかな?」。祖父は、触ってみて、「かろうじて」と言う(3枚目の写真、矢印)。「こんなこと、誰がするの?」。「命を大切にしない奴もおるんじゃ」。「こんなところに放っておけないよ。連れて帰っちゃ駄目? 僕の食事を分けるから」。
  
  
  

しかし、小屋に連れて帰っても、死にそうなほど弱っているので、犬は何も食べようとしない。祖父は 「食べるにも力がいるんじゃ。後になったら食べるかもな」と言う。「他に、僕にできることは?」。「たくさんの愛情じゃ」。それからのネロは、弱って動かない犬に、木の葉のついた細い枝で作ったネックレスを付けたり、夜になると、暖炉の前に座って、木の板に犬を絵を描いたりする(1枚目の写真)。それから、かなりの日数が経ち、犬は次第に食べ物を口にするようになり、遂に、犬を描いた絵を、立ち上がった犬に見せることができるまでに回復する。そして、ネロと犬がじゃれ合って遊ぶまでになると、ネロは 「名前を付けなくちゃ」と言う。祖父は、すぐに 「パトラッシュ。お前の母さんのミドルネームじゃ」と言う。それを聞いたネロは、「それなら、二人して僕を守ってくれる」と賛成する。一方、祖父の脚が悪化しているのを見て、「おじいちゃん、お医者に診てもらったら?」と言うが、祖父は、そんなお金などないので、「(医者に行っても)年取って疲れると言うだけじゃ。そんなことなら もう分かっとる」と答える。それでも心配なネロは、「おじいちゃん、母さんみたいに 僕を残して死なないでね」と頼む(3枚目の写真)。祖父は、笑ってネロにキスするが、ネロの表情は冴えない。
  
  
  

ある晩、ネロが夕食のスープを作って陶器の椀に入れて祖父のところに持って行くと、祖父は脚が痛くて食欲がない(1枚目の写真、黄色の矢印)。ネロが、かつてパトラッシュ用に作った “木の葉のついた細い枝で作ったネックレス” を祖父の首にかけると、祖父はネロの母から預かった画帳を取り出し、「お前がいつでも母さんのことを思い出せるように、これを持っていて欲しかったのじゃ」と言って、中の絵を数枚見せる(2枚目の写真)。1枚目は、運河沿いに生えている1本の木、2枚目を見たネロは、「大聖堂の近くにある男の人の像みたい」と言うと(3枚目の写真)、祖父が、「ピーター・パウル・ルーベンス〔一部英語発音〕。母さんの憧れの人じゃ」と教える〔ネロがルーベンスを知ったきっかけ〕。3枚目は 祖父のお気に入りの妻の絵。そして、いつも壁の棚の上に置いてあるスケッチ画を見せ、ネロの母の若い頃の絵だと話す(1枚目の写真の青い矢印)。
  
  
  

ネロが、「なぜ、母さんは村を出てったの?」と訊くと、「彼女は恋に落ちた。お前の父さんと遭ったんじゃ」と話す。「おじいちゃんは、その男(ひと)のこと知ってた?」。「お前の母さんは、恋については隠し通した。それが彼女の強い意志だったんじゃ。彼女は、お前の父さんについては、一言も話さんかった。じゃが、心から愛しとった」。「だけど、相手の男(ひと)も?」〔結局、母は、相手に捨てられ、ネロは父なし児になったから〕。「もちろん じゃとも。彼女は、彼がとてもいい人じゃと、わしに話したぞ」(1枚目の写真)。そう言われても、ネロの疑惑は収まらない。その時、ノックもなしていきなりドアが開き、最低の家主のスティヴンスが、パイプを咥えたまま入って来る。そして、「家賃はどこだ?」と要求し、ネロは、棚に置いてあった容器に入れてあったコインを、ろくでなしの手に全部入れる。ろくでなしは、「これで全部か?」(2枚目の写真、矢印)と文句を言う。ネロが 「払いますよ、スティヴンスさん。いつも、そうしてきたでしょ」と言うと、ろくでなしは、「そうした方がいいぞ。忍耐は、俺にはない徳の一つだからな」と言うと、出て行く。ネロは 「あいつ、大嫌い」と言い、祖父は 「あんな奴らの水準にまで、自分を落とすんじゃない」と、ネロに人を憎むなと教える。次の場面では、ネロのことが好きな 近所のアロイーズ〔日本の訳本や漫画等では全て「アロア」になっているが、原作は英語で、映画では「アロイーズ」と発音している〕がやってきて(3枚目の写真)、暗い顔のネロが一気に明るくなる。
  
  
  

パトラッシュは 元通りに元気になると、外に吠えながら出て行くと、恩返しのつもりで荷車の牽き棒2本の先端を結ぶ革〔今まで、ネロは2本の棒の間に入り、革に体を押し付け、荷車を牽いていた〕を咥えて引っ張る。そして、次のシーンでは、今までネロがいた部分にパトラッシュが入り、ネロが走ってようやく追いつけるスピードで荷馬車を牽いて行く(1枚目の写真)〔パトラッシュの体にロープを縛り付けで固定している〕。村に行くと、原作には出てこない、気さくな鍛冶屋のウィリアムが、パトラッシュとネロが運んできた牛乳缶を怪力で持つと、そのままそこから飲んで満足する(2枚目の写真、矢印)。そして、ロープではパトラッシュが可哀想なので、ネロがアロイーズの絵を描いている間に、ちゃんとした革帯を作ってあげると言う。ネロは、母の絵にあった “運河沿いに生えている1本の変わった木” までアロイーズを連れて行くと、「母さんは有名な絵描きになるつもりだったのに、病気になっちゃった」と話し、アロイーズの絵を描き始める(3枚目の写真、矢印)。しかし、じっとしていることが嫌いなアロイーズは、土をネロにぶつけ、2人で土の投げ合いが始まる。2人がウィリアムの工房に泥まみれになって戻ると、パトラッシュには立派な革ベルトが出来ていた。その革は、ウィリアムの仕事用の革のエプロンを切って作ったものだった。そこに、まだ若くて陽気なコゲーツ〔日本の訳本や漫画等では、コゼツ〕がやって来て、泥まみれのアロイーズを笑顔で抱き上げる。ネロが 「今日は、コゲーツさん」と言うと、娘に 「バイバイ、ネロ。バイバイ、ウィリアムと言えよ」と言い(4枚目の写真)、自分も笑顔で 「バイバイ」と言い、娘と一緒に去って行く〔すごく気さく〕
  
  
  
  

ネロとパトラッシュは、アントワープに行く。教室が1つしかない小さな学校の建物の前で、ネロは、親切そうな中年の女性〔教師〕に牛乳缶ごと渡し、お金をもらう。彼女が入って行ったドアの向こうのガラス窓からアロイーズが手を振っているので、そこは彼女が通っている小学校だ〔ネロは学校に通っていないので、字を読むこともできない〕。その先で、パトラッシュは運河にかかる短い橋を渡るが、そこからは大聖堂が見える(1枚目の写真)〔このロケ地は、先にロケとして出てきたブルッヘで、Zonnekemeers通りが運河を跨ぐ橋の上から見た聖母教会(Onze-Lieve-Vrouwekerk)〕〔2枚目のグーグル・ストリートビューだと、運河のあることがよく分かる〕。ネロは、パトラッシュに、「あの大聖堂の中に、素晴らしい絵があるんだ。おじいちゃんが言うには、母さんは一度見たことがあるんだって。僕も見てみたいな」と話しかける。次のシーンは、ルーベンスの銅像が立っている大聖堂のすぐ横の広場(3枚目の写真、矢印は銅像)〔このロケ地は、フールネ(Veurne)という、現在の人口で言うと、ブルッヘの10分の1くらいの小さな町にあるマルクト広場から見た鐘楼(Belfort)〕〔4枚目のグーグル・ストリートビューを見ると、3枚目の写真で銅像のあった部分に円柱が立っている(矢印)〕。5枚目の写真は、拡大されたルーベンスの銅像〔この銅像は、没後二百年を記念して1843年に建てられたもので、アントワープ大聖堂の前のフルーン広場(Groenplaats)に立っている。だから、3枚目と5枚目の写真は、ロケ地の背景との合成映像〕
  
  
  
  
  

ネロが、母の描いた銅像と、実際の銅像を見比べた後で、母のデッザンを折り畳んで布袋に入れると、ちょうど通りかかった中年の男性が、「君もルーベンスの賛美者かな?」と尋ねる(1枚目の写真)。ネロは、「はい。僕の憧れの人です」。「偉大なる名匠も、自分を見つめる若き明るい目を見て喜んでいるに違いない」。「僕、会ってみたいんです」。「ルーベンスは、ずっと前に亡くなったんだ。言うまでもなく、彼の芸術は永遠に生き続けるがね。偉大な人物とその偉業は未来永劫称えられるものなんだ。また、そうでなくちゃいかん」。「お願いです。もっと教えてください。僕も偉大な画家になりたいんです」(2枚目の写真)。「ほお、君がかい? じゃあ、君はその第一歩を踏み出したことになる。ルーベンスは芸術のあらゆる面において達人だった。構図、光の動き… 彼は勉強に励んだ。彼は、そぐそこ、そこの角を曲がった所で勉強したんだ」。「ここ、この街でですか?」。「彼はまた 偉大な教師でもあった。しかし、彼を本当に偉大にしたのは、彼があらゆることに興味を持ち、情熱を注いだことなんだ」。それを聞いたネロは、「僕も そうなんです」と言って笑顔になる(3枚目の写真)。
  
  
  

その時、地元の下手くそな画家が、如何にも対等だと言わんばかりに、「ミシェル!」と声をかける。これまでネロと話していたミシェルと、ネロが振り向くと、馬車から降りた派手な格好の男と、立派な服装の少年がいる(1枚目の写真、矢印)。男は、「牛乳? 私たちのような立派な芸術家は、コニャックを飲まないと」と、自分の偉さを誇示する。ミシェルは、ネロに 「あの嫌な男が、これから何をするか見てみようじゃないか」と小声で言い、男に近づいて行くと、男は、自分の弟子に向かって、「ロバート・ケスラー、ミシェル・ラ・グラン先生を紹介しよう」と言い、小さな弟子は、「市庁舎であなたの絵を研究しました」と話し、男は、「彼の父親が尊敬すべき市長だということはご存知でしょうな」と、自分が立派な弟子を持っていることを自慢する。ミシェルは、男に 「私の友だちを紹介しよう」と言い、ネロの方を向いて自分の名を言わせ、今度は、2人の方を向いて 「スティーンズ、ロバート」と紹介する。嫌らしいスティーンズは、「私は彼の父親を知らないと思いますな」と言い、そういう差別的な発言に対し、ミシェルは 「ディートリッヒ、やめてくれ」と批判する。スティーンズはロバートに大聖堂内あるルーベンスの絵を見せにきたのだった。それを聞いたミシェルは 「私も、友だちのネロと一緒に見に行くところだった」と言う。ネロが 「パトラッシュも来ていいですか?」と尋ねると、ミシェルは 「司祭〔アントワープ大聖堂はカトリック〕は犬を入れさせない」と言い、縛ってから聖堂内に来るようにアドバイスすると、スティーンズたちと一緒に大聖堂に入って行く。スティーンズが、「火曜に小さな展覧会を始めるから、シュナップス〔スカンジナビア産の蒸留酒〕を飲みに来て下さい」とミシェルに言うと、ミシェルは 「悪いが、これから4、5年は多忙なんだ。教会から頼まれて壁画を何枚か描きにローマに行くから」と断る。そう言いながら、遠慮して離れているネロに、こっちに来いと手で合図する(2枚目の写真、矢印は、カーテンで隠されたルーベンスの絵)。スティーンズが司祭を呼びに行っている間に、ロバートは絵がカーテンで覆われている理由をミシェルに尋ねる。ミシェルは 「これはルーベンスの意図じゃない。彼の絵は、誰にでも楽しめるものだった」と、暗に教会の金儲け主義を批判する。司祭を連れて来たスティーンズは、自分で払うのは嫌なので、ロバートに1フラン銀貨を出させる〔大まかな概算で、現在の約1000円〕。銀貨を受け取った司祭が、カーテンの右側の輪を引いてカーテンを開けようとすると、そこに荷車を牽いたパトラッシュが吠えながら入って来る。司祭は、「ここは神の家だぞ!」と激怒する。パトラッシュの荷車が募金箱を転倒させて中のコインが床に散らばると、ネロは、飛び出て行って パトラッシュがそれ以上走らないようロープを掴む(3枚目の写真、矢印はコイン)〔パトラッシュをしっかり縛り付けなかったネロの過失〕。司祭は、盗んでもいないのに、パトラッシュを連れて出口に走って行くネロに向かって、「この泥棒!」と罵る。ミシェルは、司祭に対し、「あなたが、銀と同じくらい魂に対して熱心に心を配っていれば、この街には罪人などいなくなるはずだ」と皮肉る。原作には、この場面に登場するどの人物も登場しないし、ネロがこの時点で大聖堂に入る場面もない。すべて映画の創作。
  
  
  

ネロが、がっかりしてパトラッシュと一緒にどこかの家の戸口で座っていると、そこに、パトラッシュの以前の飼い主が通りかかり、「お前、俺の犬を見つけたんだな?」と声をかける。パトラッシュは唸り、ネロは 「あんたの犬だって? 僕は道端で死にかけてるのを見つけたんだ」と反論するが、残酷な男は 「そんなの関係ねぇ。それは俺の犬だ」と主張する。パトラッシュは唸り続け、ネロは 「彼は、あんたを嫌ってるよ」と言うが、男は 「そいつは俺のもんだ。取り戻すぞ。分かったか?!」と怒鳴る(1枚目の写真、矢印は元の飼い主)。ネロは 「パトラッシュ、走れ!」と逃がし、酔っ払った男は、ふらつきながら追いかけ、そのあとをネロが追う。男が荷車を掴んで 「逃げるな! 目にものくれてやる!」と、パトラッシュに向かって怒鳴ると、ネロは 「僕の犬だ!」と叫ぶ。男は 「俺のだ。お前が盗みやがった! とっとと失せろ、さもないと心臓をえぐり出すぞ!」と息巻く(2枚目の写真)。そこに、普段は村にいる鍛冶屋のウィリアム が運良く野外マーケットにいて助けに入るが、男は、大きなナイフを取り出す。そのナイフを杖で叩き落としたのが、ネロを追って来たミシェル。男は、近くの店にあった斧を取ると、それを振り回してミシェルに向かっていくが、そこに、パトラッシュが男の顔に飛びかかり〔男は、パトラッシュを奪おうと、先にナイフで荷車から切り離していた〕、男は、階段から落ちて死亡する(3枚目の写真)。原作では、幸いなことに、彼の前の飼い主はメヘレン〔Mechelen、アントワープの南約20キロ〕のキルメス〔守護聖人の祭り〕で酒の上の喧嘩で殺されたので、新しく大事にされる家で、彼を邪魔する者は誰もいなかったとなっていて、こうした騒動は起きない 。
  
  
  

9歳のネロの最後の場面。彼は、ミシェルのアトリエに連れて行かれ、男に捉まれて怪我をした腕に包帯を巻き、お菓子をもらって食べている。勇敢なパトラッシュを褒めているミシェルに、ネロは 「あなたは偉大な画家ですか?」と尋ねる(1枚目の写真)。「そうなるように努力しているよ、ネロ。だが、たぶん違うだろう」。ネロは、壁に飾ってある絵を見て、「あなたは、素晴らしいですね」と言う。「ありがとう」。「でも、ルーベンスは最高だった、ですよね?」。「ルーベンスは天才だった」。その中に、1枚、ミシェルの若い頃を描いた小さな絵がある。「これ、あなたでしょ? 僕、好きだな」。「審美眼があるな。天賦の才能のある弟子が描いてくれたんだ」。「彼、偉くなったの?」。「彼女には、その可能性があった。でもな、ネロ。私たちの社会では、誰も自分の出自を忘れないんだ。特に、女性は。彼女は、貧しい家庭の出身で 若かった。私は愚かなことに、彼女を去らせてしまった」〔重要な伏線〕。ネロは、「僕には友だちのアロイーズがいて、モデルになってくれます。彼女の絵をご覧になりたいですか?」。ミシェルは 「もちろん」と答え、ネロは鉛筆画を見せる(2枚目の写真)。ミシェルは 「卓抜だ。君はまだ小さな子供なのに。あちこち遠近感は欠けているが、描いているうちに直るだろう」と褒める。それを聞いたネロは 「お手伝いと引き換えに教えたことありますか?」と尋ねる(3枚目の写真)〔ネロにはお金がない〕。「とても嬉しいが、私はローマに行かないといけない」。「あなたの友だちは? 彼女は、教えてくれますか?」。「彼女は立ち去ってしまい、二度と会えなかった。だが、いずれにせよ、今の君に教える必要はない。大切なことは、君流に 心を込めて描き続けることだ。対象を調べ、観察する… それが、何かを描こうとする前に、やるべき最も重要なことだ。対象が、何でできているか見つけ出すこと。心の目、直感の目のために情報を蓄えるんだ」。「ルーベンスもそうだった? 僕、彼のようになりたい」。「それでいい。望みは高く持たなくては。君は偉大になれるよ、ネロ。君は、そう信じてるか?」。「たぶん」。「それでいいんだ」。何度も書くが、原作にはミシェルは出て来ないので、もちろん、こうした会話もない。
  
  
  

4年後は、大きくなったアロイーズが馬に乗って疾走するシーンから始まる。父コゲーツの農場には、立派な風車が建っている。アロイーズの両親は、風車小屋の中で穀物を挽いていたが、アロイーズが馬に乗っているのに気付くと、外に出て行く。父は、走るのを止めさせ、「野を駆けるより、やるべき仕事がある」と叱る。アロイーズが 「ネロは言ってたわ、彼が偉大な画家になったら、私が荷車を押す必要はないって」と反論すると、父は、「たいていの画家は、食べていくだけでやっとだ。彼は、お前に そう言ったか?」と再反論。それに対し、アロイーズは、「ルーベンスは大金持ちだった。ネロは、ルーベンスに詳しいの」と再々反論。「ネロは、読み書きすらできん」。「私が教えるわ。そしたら、私をモデルにして絵を描くの。彼は、とっても上手なのよ」。4年前と違い、風車に投資して成功したコゲーツは、金の亡者になっていて、昔の素朴なコゲーツではない。「私は、お前の心が、ネロのばかげた考えで一杯になるのを見過ごすわけにはいかん。乗馬はやめて、すべき仕事をしろ。ネロは、別のモデルを見つけるんだな」(1枚目の写真)。アロイーズが 母に 「なぜ、父さんはネロが嫌いなの?」と訊くと、母は 「彼はネロが好きよ。彼はただ、自分が貧しかった頃のことを思い出しているだけなの。人生は厳しいってね」。「お金が、人を幸せにするわけじゃないわ。ネロとお祖父さんは貧しいけど、幸せよ」。母の優しさは原作と同じ。一方、13歳になったネロが、4年前と同じように、アントワープの大聖堂の前のルーベンスの銅像の前で、敷石に白墨でルーベンスの顔を描いていると、そこにローマから戻って来ていたミシェルが通りかかり、「ネロ、君なのか?」と声をかける。ネロは、叶わぬと思っていた再会にびっくりし(2枚目の写真)、「ラ・グラン先生。戻られたんですね」と喜ぶ。ミシェルは、「はいといいえだ。また、ローマに戻らないといかん。だが、今度は、そんなに長くはない」と言った後で、「君、随分変わったな。かろうじて君だと分かった。パトラッシュは昔のままだな。モデルもルーベンス先生だ」。そう言うと、ネロの描いた絵を見る(3枚目の写真)。洗練された描写を見たミシェルは、「君の目は明晰になり、君の手は強烈になった。君は、才能に賢明に向き合ってきた。線画を卒業する時期が来たようだ」と言う。
  
  
  

ミシェルは、ネロをアトリエに連れて行くと、まず、自分の顔をネロに鉛筆で描かせる。敷石の上の簡単なルーベンスの顔ではなく、実に良く描けた自分の顔(1枚目の写真)で腕前を確認したミシェルは、「これは、君のために用意しておいたものだ」と言うと、まず、キャンバスを見せる。そして、「たくさんの絵筆も必要になる」と言い、6本の絵筆を布の上に置いて包む。「それ、全部僕のですか?」。「画家の商売道具だ。一足早いクリスマスの贈り物」。ネロは、テーブルの上に置いてあるギメ・ブルーの瓶を手に取ると、「こんな美しいもの、見たことがありません」と言う(2枚目の写真、矢印)。ミシェルは、数少ない絵の具を如何に混ぜて、自由に好みの色を創り出していくかを 実演してみせる。そして、「時として、一日の終わりに、私のパレットに異なった色調の30色ができていることもある」と言うと、混ぜるのに使った絵筆も渡す(3枚目の写真、矢印)。そして、ふと気付いたように、毎年、市主催で、クリスマスに “ルーベンス・青少年美術コンテスト” が開かれると言い〔賞金は銀貨1000フラン〕、ネロに、必ず応募するよう強く勧める(4枚目の写真)。原作では、ネロはクリスマスに結果が発表される18歳未満の若者なら誰で応募できるコンテスト〔賞金は銀貨200フラン〕の存在を知り、それに応募することを自ら決める。
  
  
  
  

4年前からアロイーズをモデルに絵を描いてきた “運河沿いの木” の前で、2人は待ち合わせている。そして、アロイーズは自ら焼いたハートの形のクッキーを持ってきて、ネロに渡す(1枚目の写真、矢印)。ネロはお返しに、色彩で描いたアロイーズの絵を、「王女の肖像画」と言って渡す(2枚目の写真)。「すごく上手ね」。しかし、ネロは あまり元気がない。「空を見上げると、自分がとっても小さく感じるんだ。なぜ、生まれつき金持ちの人もいれば、貧乏だったり、病気の人もいるんだろう? 不公平だよ」(3枚目の写真)。そして、さらに。「僕の母さんが亡くなってから、母さんはどこに行ったんだろうと ずっと思ってた」とも。アロイーズは、「きっと、お母さんは、毎晩現れる輝く星の1つになったのよ」と慰める。「そうだといいな。ルーベンスのような偉大な人や、僕の母さんのような善良な人々の聖霊が、死んだ後も存在しないとしたら、間違ってるよ」。その時、アロイーズの母が呼ぶ声が遠くから聞こえる。ネロは、「明日の夜、ここで会おうよ。君の絵を仕上げないと」と言って別れる。
  
  
  

翌日の夜に2人が再会した時、近くで音楽が流れ、楽しそうな声が聞こえてくる。それは、サーカスの団員たちが、運河沿いの道端に停めた何台もの馬車の中で一夜を過ごす前に、焚き火の前でみんなでダンスをしていたからだった。アロイーズは、父からサーカスについて恐ろしい話を聞いていたので怖がるが、ネロがこっそり見に行くと、一緒について行く。2人が、馬車の下に隠れて様子を窺っていると(1枚目の写真)、2人と目が会った占い師のおばさんが、2人を手招きする。彼女は、ネロの手相を見て、「あなたは、いつの日か 偉い人になるわね、おちびさん。あなたの人生と愛は、多くの人を感動させる」と言う(2枚目の写真)。さらに、「あなたたちの星は交差してるわ。それに、あなたたちの心臓は まるで一つしかないように鼓動している」と言うと、最後に笑顔で、「この人生で、あなたたちは本当の幸せを見つけることができる」と付け加える。それを聞いた2人は笑顔でお互いを見合う。占い師は、ネロに小さな指輪を渡してくれる。ネロは、その指輪をアロイーズの指にはめる。そのあと、2人は、団員の若い女性と一緒にダンスを始め、その女性は、ネロとアロイーズだけで踊らせる。踊り終わった2人が顔を近づけて見合うシーンは、本当の恋人同士だ(3枚目の写真)。
  
  
  

翌朝、アロイーズの父のコゲーツが、娘の名を呼びながら森の中を必死に走っている。アロイーズが朝になっても、部屋から出て来なかったので、見に行ったら どこにもいなかったからだ。コゲーツの声に最初に気付いたのはネロだが、結局、コゲーツがテントの脇で眠っているアロイーズを抱き起こすまで、何もできなかった(1枚目の写真)。アロイーズは、「ごめんなさい、パパ。眠っちゃった」と謝り、ネロも 「コゲーツさん、全部僕が悪いんです。僕、彼女の絵が描きたかったんです」と詫びる。それに対し、コゲーツは、「俺が、どれだけ心配したか分かるか? どうなんだ?」と強く批判する。アロイーズは、ネロの絵を見ている父に 「私が悪いの」と言うが、コゲーツは 「お前のことは後で始末する」と言うと、ネロに向かって 「お前は、軽率で無責任だ。アロイーズは俺の命だ。危険にさらすことは絶対に許せん。分かったか?」と強く叱りつけ、娘を連れて去って行く。そのあと、いつものように、ネロがパトラッシュに荷車を牽かせてコゲーツの納屋の前を歩いていると、それを見たコゲーツに呼びつけられる。コゲーツは手伝っていたアロイーズを家政婦に連れて行かせると、「お前がアロイーズを描いた絵。絵はばかげてるが〔何の鑑識眼もない無知な男〕、娘に似ているし、妻も気に入っている」と言うと、銀貨1枚を出して 「お前から買う」と言う(2枚目の写真、矢印はコイン)。ネロは 「売り物じゃありません」と言う。コゲーツは 「ならそれでいい」と言うと、振り返って、妻アナに 「絵を持って来い」と命じる〔事業に成功してから専横になった〕。ネロは 「コゲーツさん、それ贈り物です」と言う(3枚目の写真)。それを聞いたコゲーツは 「娘に近づかないで欲しい」と言う。「でも、アロイーズは僕の友だちです」。「お前はもう、ここでは歓迎されん」。「昨夜のせいですか?」。「違う。それが最善だからだ」。ネロは、「誰にとって、最善なのですか?」と訊くが、コゲーツは答えずに立ち去る。涙を流して悲しむアロイーズを見て、善良な母は、今や屑男となった夫に、「あなたが腹を立てるのは分かるけど、やり過ぎよ」と諫める。コゲーツは 「アロイーズは乗り越えるさ」と言うが、ネロのことは無視する。「ネロは、あの子にとって兄と妹みたいなものなのよ」。「兄と妹だと? この先どうなるか、お前にも分かってるはずだ」〔2人は結婚する〕。「もしそうなっても、そんなにひどいこと? ネロは真面目で働き者の少年よ」。「あいつは孤児だ」。「女の子にとって、幸せになること以上にいいことはないのよ。たとえそれが、あなたのような “鋳(い)掛け屋の息子” と結婚することであってもね。私は愛してからあなたと結婚したのよ。父の意向に逆らって」(4枚目の写真)〔若い頃のコゲーツは、アナより貧しい家系の出身だった〕。コゲーツは、自分には野心があり、それが今の成功に導いた。ネロは絵描きになることしか考えていないと、自分との違いを強調し、アナの箴言を100%無視する。原作でも、コゲーツは絵を買おうとし、ネロはお金を受け取らずに絵を渡し、アナがネロを庇う点は同じ。ただし、その原因となったサーカスでの一夜などはなく、ただ単に、ネロが娘の絵を描いているのをコゲーツが嫌っただけ。その背景には、原作でのネロは15歳で、男女関係に対する心配度が高いこともある。
  
  
  
  

アロイーズの誕生日の日。ネロの祖父が、アロイーズへのプレゼント用に天使の羽を持った操り人形を作っている(1枚目の写真、矢印)。それを見たネロは、今年は、アロイーズの誕生日を祝う会に行かないと話す。祖父は、それは、コゲーツがアロイーズに良かれとしたことだと言うが、ネロは、「コゲーツさんは、大事なのはお金だけだと思ってる」と、ずばり指摘する。祖父は、「貧しいことは、お前にとって辛いことじゃ」と慰めるが、ネロは 「僕たち、いっぱい持ってるよ。パトラッシュはいるし、お互い一緒じゃない。彼がどう思おうと、気にしない」と言って、祖父を安心させる。そして、最後に 「僕たち、死んだあと、ほんとにまた一緒になれるのかな?」と訊き、祖父は 「もちろんだとも」と答える。「また、母さんにも会える?」。「忘れちゃいかん。母さんは、今、ここにいるんじゃ。お前には姿が見えなくても、いつもお前と一緒なんじゃ」。その日、ネロは、いつも通り、パトリッシュに荷車を牽かせてコゲーツの家の前を通る。納屋の入口の前には、テーブルが並べられ、そこには招待された男の子が6人もいる(2枚目の写真)。それに一瞬目をやったネロは、あとは毅然として前を向き、誕生会など無視して歩いて行く(3枚目の写真)。映画ではアロイーズの誕生日になっているが、原作では “anniversary of Alois's saint's day”、“name-day” と書かれている。このことは、「アロイーズが命名されたのと同じ名の聖人の祝日」であることを意味する。
  
  
  

アロイーズへのプレゼントを持ってきた妻について来た “最低・最悪の家主のスティヴンス” は、コゲーツの前で、「それで、俺は、あのバカ婆ぁを追い出し、そいつの家をタダで手に入れたんだ」と、酔っ払いながら自慢して、笑い出す(1枚目の写真、矢印はパイプ)。スティヴンスは、酒のお代わりを注ぎに来た家政婦に、「今夜のあんたは、とても美しいな、ミリー」と声をかける。そこに、スティヴンスの妻が一緒に帰ろうとやってくるが、スティヴンスには秘めた目的があるので、妻だけ先に帰す。夜、遅くなり、以前、アロイーズからもらったハート型のクッキーを見ていたネロは、祖父が作ってくれた操り人形をアロイーズにプレゼントしようと思い立つ。そこで、夜中に家を抜け出し、アロイーズの2階の部屋の窓の下の煉瓦壁に梯子を立て掛けると、人形の頭で窓ガラスをノックする(2枚目の写真、矢印)。目が覚めたアロイーズは、窓の向こうで羽を動かしている天使を見て嬉しくなると、窓を開け、「なんて可愛いの。これ大好き」と喜ぶ(3枚目の写真、矢印)。ネロが、「もう君に会えないの、辛いな」と言うと、アロイーズも、「分かってる。私もよ」と言う。ネロが、「美術コンテストの後は、何もかも変わるよ」と言うと、アロイーズは 「神様があなたを勝たせて下さるよう、毎晩祈っているわ」と言う。原作では、ある日〔誕生日でも何でない日〕、ネロは アントワープからの帰り道で操り人形が道に落ちているのを見つける。ネロは梯子は使わず、アロイーズの部屋の隣にある物置小屋によじ登り、そこからアロイーズの窓を叩き、彼女に人形を渡すと、お礼の言葉も聞かずに去って行く。
  
  
  

その夜、非常事態を知らせる鐘が鳴り響き、アロイーズが目を覚ますと、「火事だ!」と叫ぶ声が間近かで聞こえる。村外れに住んでいるネロと祖父も、その声で目が覚める〔2人とも消火の手伝いに駆け付ける〕。火元は、コゲーツの納屋。木の扉を開けると、中は火の海。それを見たスティヴンスは恐怖で困惑し、家政婦のミリーにじっと見つめられると(1枚目の写真・左)、“バラしたら承知せん” という怖い顔で睨みつける(2枚目の写真・右)。一方、賢いアナは、集まって来た村人を、小川から納屋まで一列に並ばせ、バケツ・リレーで水を納屋まで次々と送るが(2枚目の写真、矢印はバケツ)、燃え盛る藁には何の役にも立たない。火は藁屋根にも燃え移り、コゲーツは絶望する(3枚目の写真)。
  
  
  

翌朝、鎮火はしたが納屋は燃え尽き、真っ黒になった板が一部残っているだけ。悄然として無気力になったコゲーツに、ロクデナシの悪魔スティヴンスは、「中には、壊れたランタンなどなかった。刈ったばかりの穀物が 独りでに燃え出すなんてことがあるか?」と話しかける(1枚目の写真)。コゲーツは、笑いながら、「誰かが故意に火をつけたとでも言いたいのか?」と訊く。スティヴンスは、「アロイーズの誕生日の後、ここを訪れ者が誰かいたか 心当たりはあるか?」と、ウィリアムと家族に訊く。ウィリアムは、「あんたは、いつも最悪の事態を考える。事故は起きるんだ」と言うが、スティヴンスは、「これは事故なんかじゃない」と言うと、ネロに向かって、「こっちに来い」と言う。そして、「お前は復讐を求めていた、違うか? コゲーツさんにアロイーズに会うことを禁じられたから」と、罪をなすりつける。それを聞いたコゲーツは、「ネロは昨夜ここにいたのか?」とアロイーズに訊く。そして、彼女が大切に抱いているものを見て、「何を持ってる? どこで手に入れた?」と訊く。アロイーズが黙っているので、今度は、ネロに 「お前、昨夜娘に会ったのか?」と訊く。こちらも黙っているので、コゲーツは 「信じられん。この火事の責任は、お前にあるのか?」と指弾する。ネロの祖父は 「あんた、ネロにそんなことができると本当に思ってるのか?」と怒り心頭で問いかける。スティヴンスは 「人は復讐のためならどんなことでもする」と、責め立てる。ここで、ネロは初めて口を開き 「火事が起きた時、僕、ベッドの中にいたよ」と反論するが、スティヴンスは 「お前が火を点けたんだ」と決めつける。それを聞いたアナは 「ネロは、そんなこと決してしないわ」と強く擁護するが(2枚目の写真、矢印は操り人形)、軽薄なコゲーツは 「スティヴンスは正しい。そのガキは、俺に腹を立てたから、火を点けたんだ」と、証拠もないのに断定する。ネロ:「やってないよ!」。コゲーツ:「この嘘つき野郎!」。祖父:「何を根拠にわしの孫を攻撃するんじゃ!」。コゲーツは、アロイーズから人形を取り上げると、人形を地面に思い切り投げ付けて破壊する。ネロ:「でも、僕やっていない! 僕が火を点けたんじゃない! 信じて!」。しかし、コゲーツは信じず、祖父は悲しむネロを抱き締める(3枚目の写真)。原作でも、火事は一番重要な出来事なので、同じように起きる。ただし状況は異なり、このように書かれている。その夜、製粉所で火事があった。離れ家と多くのトウモロコシが燃えたが、製粉所自体と住居は無事だった……粉屋は保険に入っていたので、失ったものはなかったが、それにもかかわらず、粉屋は激怒し、火事は事故によるものではなく、卑劣な故意によるものだと声を大にして宣言した……(粉屋はネロに)『日没後、きさまはここでうろついてた。俺は、きさまが、他の誰より火事について知ってると確信してるぞ』と乱暴に言った……粉屋は、翌日になると、多くの彼の隣人たちに向かって公然と粗暴なこと〔犯人はネロ〕を言いふらした
  
  
  

いつもの時間になり、ネロがパトラッシュに荷車を牽かせて村の中を歩いている。そして、鍛冶屋の前を通りかかると、ウィリアムが「ネロ」と声をかける。ネロは 「誰も僕に牛乳を頼まないよ」と悲観する。ウィリアムは 「知ってるぞ。スティヴンスの奴がもうここに来た。あいつが、君から牛乳運びを奪ったんだ。俺は、今朝から牛乳は飲まんことにした。スティヴンスなんかとは口もききたくないからな」と言うと、ネロに同情し、「椅子を幾つか、パトラッシュと一緒に届けてくれ。配達料は払う。牛乳缶は処分するから、ここに置いていけばいい」と、缶を荷車から撤去する(1枚目の写真、矢印は牛乳缶)。その頃、小屋では祖父が息を引き取る。享年91歳なので、病気〔リュウマチ?〕と貧困〔乏しくて偏った食事〕に苦しんだ1870年代の男性としては、異例の長寿と言える。そして、埋葬後の墓地に来てくれたのは、ウィリアム1人だけ。彼は、ネロに、「君のお母さんが亡くなったあと、お祖父さんの一部も失われてしまった。君のお母さんは特別な人だった」と話す。「どんな人だったの?」。「厳しい人生だったが、彼女は部屋を明るく照らすことができた」。ネロは、祖父が残した手紙をウィリアムに渡す(2枚目の写真、矢印)。ネロは字が読めないので、その中身を知りたがる。それを知ったウィリアムは、「これは、君のお母さんの手紙だ」と言うと、読み上げてくれる。「親愛なるお父さんへ。ずっと手紙を書きたかったのですが、言葉が見つかりませんでした。私は止むに止まれず家を出て行きました。どうか、分かって下さい。私はあなたや、ある方の名誉を傷つけたくありませんでした。神には神の理由があるのだと、私は思います。息子の誕生は私の人生で最も喜ばしい日でした。そのことは、真の幸福は富や地位からではなく、内面からもたらされるものだと、私に確信させました。お父さん、いつかまた、可愛い孫を膝に乗せて、行き交う舟を水辺で一緒に眺められる日が来るのを楽しみにしています。私は、もう出発しなければなりません。どうか、幸せで健康なクリスマスになりますように。いつも愛しています、あなたの娘、メアリー。追伸、彼の名前はネロです」。読み終えたウィリアムは、鍛冶屋に寄って何か食べたり、泊っていくことを勧める(3枚目の写真、矢印)。しかし、ネロは、大事な用事があると言って辞退する。原作では、母の遺した手紙などはない。
  
  
  

ネロは家に籠ると、美術コンテストに提出する絵の製作にかかりきる(1枚目の写真)。季節は紅葉→落葉→雪と変わっていく〔日々の食費はどうしたのだろう?〕。絵のテーマは、火災の前夜にアロイーズと一緒に楽しんだサーカスの人々のダンス。描き終わって、コンテストの受付けに行くと、ちょうどドアから出てきた担当者に、「済まないが、締め切りは3分前に過ぎたんだ」と言われる(2枚目の写真)。ネロが何と懇願しても受け付けてくれなかったが、ネロが絵を見せると(3枚目の写真)、その出来栄えに感心し、受け付けてくれる。原作にはネロがいつ、どんな絵を描き、いつ応募したかについて、全く触れられていない。
  
  
  

家に戻ったネロを、ロクデナシの悪魔スティヴンスが訪れ、「家賃が滞納のままだぞ。何回警告させる気だ?」と詰(なじ)る。「祖父の埋葬の支払いもまだなんです」。「お前の心配事になんか興味はない。朝までに、ここから出て行くんだ」(1枚目の写真)。「でも行くところがないんです」。「そんなこと、俺の知ったことか。惨めな人生を俺のせいにするな。お前の母親を責めろ。いいか、朝までだぞ」。原作では、ネロは葬式の費用は全額払い、お陰で一銭も残っていなかった。そこに家主が来て〔映画と違い、端役なので名前もない〕、滞納分として小屋の中の持ち物すべてを押収し、翌日の立ち退きを命じる。一方、コゲーツの家では、夫が、貯えておいた現金をすべて出して、革の財布に入れている。それを見たアナは、「納屋の再建、なぜクリスマスの後まで待てないの?」と訊く。「火事で多くを失ったから、俺は製粉所で2倍働かんといかん。それに、穀物を保管する場所がどこにもない」。アナは、夫が金儲けのために無理して風車を建てたことを批判し(2枚目の写真、矢印は財布)、さらに、「私は、簡素な生活が好きだった。結婚した時のあなたが好きだった。今のあなたは、スティヴンスのように 心でなくお金に振り回されるようになってしまった」と、夫自身をも批判する。全財産を持って家を出て馬に乗ったコゲーツは、途中で革の財布を落とし、その上に雪が降り積もって行く。その日が、ちょうど12月24日だったので、ネロとパトラッシュはアントワープに行き、審査結果の発表のある公会堂の前の階段で、事前の合唱会が終わるのを待っている。すると、クッキーをたくさん乗せたトレイを持った菓子屋が、階段に1個落としていく。拾おうとすると、公会堂から出てきた女性が靴のヒールで踏んでしまうが、お腹が空いたネロはそれを拾うと、半分を口に入れ(3枚目の写真、矢印)、半分はパトラッシュの下に置く。
  
  
  

いよいよ、審査結果の発表が行われるので、ネロも中に入って行く。会場の前方の壇上には4人が座っていて、そのうち、中央の左がアントワープ市長、中央の右が別格の審査員ミシェル、一番左は、かつて一緒に大聖堂に入って行った口先だけのスティーンズ、一番右は新たに登場した男。この3人が審査員だ。最初に挨拶に立った市長は、「ラ・グラン先生、簡単にお話し頂き、優勝者を発表して下さい」と依頼する。ミシェルは、気が進まないので、「スティーンズ先生が話せばいいでしょう」と、耳のそばで囁くが、市長は二流の画家なんかに発表させたくないので、無理矢理ミシェルを立たせる。ミシェルは 「こう書かれています」と言うと、『フランダースの犬』 の原作の3分の1ほどのところに書かれている、少し変わった記述を読み上げる。「国民よ、あなた方の偉大な男たちをしっかりと記憶に留めなさい、彼らによってのみ未来はあなた方のことを知るのだから〔O nations, closely should you treasure your great men, for by them alone will the future know of you〕」(1枚目の写真)。それが、自分に向けられた言葉だと思ったネロは、嬉しそうな顔になる(2枚目の写真)。ミシェルは、さらに自分の言葉で、「この点で、私たちの街は賢明でした。街は偉大な息子を生前から称え、その死後もその名を賛美した」「美術を教える私たちが知っているように、技法は学ぶことができても、本物の真の才能は神からの授かり物なのです」「今年、私は、これまで出会った中で最も才能豊かな少年に一票を投じました。彼の生き生きとした絵は、彼の年齢を遥かに超えた洞察と包含を示したからです。しかし、彼に投じられたのは私の一票だけで、その少年は…」。話が不味い方に進んだので、才能なきスティーンズがすぐに立ち上がり、ミシェルの最後の言葉を無視し、自分の弟子の市長の息子を優勝者として紹介する(3枚目の写真)。それを聞いたネロは、「すべて終わっちゃった」と、涙を流して絶望する(4枚目の写真)。原作では、発表会などはなく、優勝作が壇上に掲げられるだけ。その後のネロの言葉は、映画と同じ It is all over
  
  
  
  

ネロは、あてどなく雪の中を歩いて行く(1枚目の写真)。すると、パトラッシュが雪の中に何かを見つけて動かない。ネロが近寄って行き、雪を除けると中には財布が入っていて、中には大金が(2枚目の写真、矢印)。財布の表には、「COGEZ」と大きく書いてあったので、ネロはコゲーツの家まで行き、ドアをノックする。ドアを開けたアナは、「可哀想に、入って」と 優しく迎え入れる。ネロの姿を久し振りに見たアロイーズも嬉しそうに歓迎する。アナは、家政婦のミリーに食べ物を持ってくるよう命じるが、ネロは 「コゲーツさん、いますか?」と訊く。「いいえ、探しに出かけてるの…」。ネロは 「これを?」と言って財布を見せる。「まあ、ネロ! あなた、見つけてくれたのね」。「パトラッシュです」。アナは 「クリスマスの奇蹟ね! ありがとう」と言ってネロを抱き締める(3枚目の写真、矢印はネロ)。そのあとで、アロイーズも抱き着く。食べ物の入った籠を持ってきたミリーに、アナは 「その食べ物は要らないわ。一緒に食事するから」と言うと、ネロには 「財布は自分で渡して」と言う。しかし、ネロは 「パトラッシュに温かい牛乳をやってもらえますか?」と言うと(4枚目の写真)、①アロイーズがパトラッシュに牛乳を飲ませに、②アナがネロに何かを渡そうと取りに行っている間に、黙ってドアを開けると、雪の降りしきる外に出て行く。原作でも、パトラッシュは雪の中から財布を見つけ、中には紙幣で2000フランが入っていた。お金をコゲーツの家に届け、黙って消えるのも同じ。
  
  
  
  

財布を見つけることができずに絶望して戻ってきたコゲーツは、パトラッシュを見て 「くそ犬」と 激しい言葉を吐くが、怒ったアナは 「ネロは大物にはならないかもしれない。でも、彼が正直な子であなたは幸いだったのよ! それに、あの 『くそ犬』 がこれを見つけてくれたのよ!」と言って、財布を突き付ける。それを聞いたコゲーツは、火事のことがあるので許したわけではないが、これまでネロを一切家に近づけなかった自分のえげつなさを後悔してテーブルに座る(1枚目の写真、矢印は財布)。夕食の時間になっても、誰も食べようとしないのを見て、ミリーは決断する。「お話ししなければならないことがあります、旦那様」(2枚目の写真)「スティヴンスさんは、もし私が旦那様に話したら、仕事を失うだろうと言いました。私はこの仕事が好きですし、旦那様の家族も好きです。でも、もういいんです。一人で外にいるネロのことを思うと…」。「何が言いたいんだ、ミリー?」。「ネロが火を点けたんではありません」。「何で知ってる?」。「私がその場にいたからです。やったのはスティヴンスさんでした」。ここで、画面は、当日の夜、納屋で藁に寝転がったスティヴンスが、パイプに火を点けているシーンに変わる(3枚目の写真、矢印)。それを聞いたコゲーツは、すべてが自分のミスだと悟り、すぐネロを探しに行く。原作では、コゲーツは反省するが、ネロを探しに行くのは、翌朝。
  
  
  

コゲーツは、ネロが住処を追い出されたのを知らないので、ネロが住んでいた小屋に行ってみるが、そこには何一つ残っていない(1枚目の写真)。コゲーツは、スティヴンスの所に行き、①失火責任の隠蔽と、②ネロの虚偽告訴という2つの大罪に対し、罵詈雑言を浴びせ、殴る蹴るの制裁も加えた上で、ネロがどこに行ったか問い詰めてもいいと思うのだが、残念ながら悪党スティヴンスはもう映画には出て来ない〔非常に不満〕。外は吹雪になり、森の中を歩いてアントワープに向かっていたネロは、落ちていた太い枝につまずいて転び、そのまましばらく気を失う。村に戻ったコゲーツは、非常事態を知らせる鐘を鳴らす。ネロは、鐘の音とは関係なく、意識を取り戻す(2枚目の写真)。一方、村では、松明を手に持った村人達が、「ネロ!」と呼びながら森の中を捜し回る(3枚目の写真)。原作では、前節に書いたように、夜の間、コゲーツは何もしない。
  
  
  

アントワープに着いて半分凍えているネロのところに、匂いを追ってパトラッシュがやって来る〔なぜ、誰もパトラッシュのあとをつけなかったのだろう?〕。パトラッシュは、コゲーツ家に預けてきたはずなので、ネロは 「ここで、何してるんだ?」と訊くが(1枚目の写真)、1人では寂しかったので、嬉しいに違いない。そのうちに、大聖堂でクリスマス礼拝に参加していた人々が出てくる。そこで、ネロはパトラッシュを連れて大聖堂に向かう(2枚目の写真)。ネロは、教会関係者が誰もいなくなるまで告解室の中に隠れていて、大聖堂の中が静寂に包まれると、告解室から出てルーベンスの絵のカーテンの前に行く。そして、カーテンの右側の輪を引いて絵を剥き出しにするが、聖堂の中が真っ暗なので、いくら蝋燭を近づけても、ほとんど何も見えない(3枚目の写真、矢印はカーテンを開けるために引く輪の取っ手)。原作では、パトラッシュがネロに追いつくのは大聖堂の中。映画と違い、パトラッシュを抱き締めたネロは、横になって一緒に死のう。誰も僕たちを必要としていないし、僕たち二人きりなんだと弱々しく囁く。
  
  
  

立っていても疲れるだけで何も見えないので、ネロは床に横になるが、「ここは、外にいるより寒いね。きっと(床の)石のせいだ」と、蝋燭の火で手を暖めながら、パトラッシュに話しかける(1枚目の写真)。「朝日が昇るまでそう時間はかからないよ、パトラッシュ。ルーベンスの傑作を一度でも見れば、僕たち 母さんやおじいちゃんと一緒になれる。僕たちのことを まだ愛してくれている たった二人の人たちと」。それから しばらくすると、眠っているネロの横の蝋燭の火が消える。翌早朝、村人たちはアントワープにやってくる。ネロがどこにもいないので、大聖堂に行ったのではないかと思ったからだ。すると、昇り始めた朝日の明るい光が、大聖堂を照らし出す(2枚目の写真)。光は聖堂の中に差し込み、ネロの顔を照らし、ルーベンスの絵も照らす。ネロがうっすらと目を開けると(3枚目の写真)、目の前にはルーベンスの「De Kruisafneming(キリスト降架、1611-14年)が光に浮き出てくっきりと見える(4枚目の写真)。なお、5枚目に、アントワープの大聖堂にある「De Kruisafneming」の本物を掲載するが、絵は本来3枚からできている。映画の中央部だけというのは極めて不自然だ〔大聖堂内での撮影が許可されなかったので、真ん中だけ写真コピーしたのだろうか?〕原作では、朝日ではなく、月の白い光が射し込み、絵が浮かび上がる。それに、ネロが見たのは、「De Kruisafneming」と「De Kruisafneming(キリスト昇架、1609-10年)の2点〔大聖堂内には、これ以外にも、「De Verrijzenis van Christus(キリスト復活、1611-12年)」と「De Tenhemelopneming van Maria(マリア被昇天、1625-26年)」の計4枚のルーベンスの絵がある〕
  
  
  
  
  

すると、絵の前にいきなりルーベンスが現われる〔ネロの幻想〕。ネロ:「ルーベンス先生?」。ルーベンスは、絵を指して、「君は、どう思うかね?」と訊く(1枚目の写真)。「素晴らしいですね」(2枚目の写真)。「君のサーカスの絵も気に入ったよ」。「僕の絵、ご覧になったのですか?」。「ネロ、私は君の絵の才能に強い関心を持っておるんだ」。「なぜ、僕、美術コンテストで勝てなかったのでしょう?」。「君の望みは、ただ単に勝ちたかった、ことなのか? いやいや、君を責めることはできん。君は、認められたいんだ。それは、誰もが望んでいることだからな。だが、今から200年後、あのくだらないコンテストのことを誰が覚えてると思う?」。「僕、偉大な画家になれるでしょうか?」。「この先何年も、人々は君からひらめきを与えられるだろう」(3枚目の写真)。原作には、もちろんない。
  
  
  

ルーベンスは手を差し出し、ネロはその手を握る。そして、立ち上がって数歩いて振り返る。そこにあったのは、床の上で息絶えた自分とパトラッシュの姿(1枚目の写真、矢印)。自分が死んだと悟ったネロは、ルーベンスと一緒に大聖堂の主祭壇に向かって歩いて行くと、中央から光が溢れ始める(2枚目の写真)〔3枚目の写真の左側は、アントワープ大聖堂の主祭壇、右側(2枚目と同じ祭壇)は、ロケに使われメヘレン(Mechelen)の聖ロンバウツ教会(Sint-Romboutskathedraal)の主祭壇。右側の写真は少し拡大してあるので、実際の規模はもっと小さいが、主祭壇は割とよく似ている。ただ、最も大きな違いは、ロケ地では身廊の柱に彫像が付いている〕。その光の中からネロの母が現われ、「私の坊や」「ネロ!」と呼び、ネロを抱き締める(4枚目の写真)。原作には、もちろんない。日本公開版は、ここで終わり、最終節の2人の星が大聖堂とルーベンス像の上で小さく光るシーンで幕を閉じる。
  
  
  
  

そして、墓地へ向かう葬列では、アロイーズが先頭を歩き、コゲーツとアナの夫妻がそのすぐ後に続く(1枚目の写真)。墓地に着くと、棺の蓋が閉じられ、その上に、アロイーズは、父が、地面に思い切り投げ付けて壊した “天使の羽を持った操り人形” を泣きながら置く(2枚目の写真)。そこにやって来たのが、ミシェル。彼は、「私は美術コンテストの真の勝者に値する少年を探しに行ったが、もう遅すぎた」と悔やむ(3枚目の写真)。この部分だけは、原作で、“世界に名を馳せた画家” が大聖堂にやって来て、私は、昨日、勝者となるべきだったはずの者を探している。彼は、類まれな将来性と才能を持った少年だった。倒木の上に立つ木こりの老人—それが彼の画題だった。しかし、そこには将来への大きな可能性があった。ぜひとも彼を見つけて、私と一緒に連れて行き、芸術を教えたいと問いかけるのと少し似ている。
  
  
  

その言葉を聞いたアナは 「すべてが遅すぎたのです、先生」と、泣きながら言う。ミシェルが 「あなたは、彼のお母さんですか?」と尋ねると、アナは 「彼の母は、そこに眠っています」と、隣の小さな墓碑を指す。そして、後ろを指し 「彼の祖父は、あちらに眠っています」と、後ろの小さな墓碑を指す。「この少年には、他に家族がありませんでした」。その言葉で、母と祖父、そして、ルーベンスと一緒にその話を聞いているネロが映る(1枚目の写真)。ミシェルが 「彼の父親はどこですか?」と訊くと、アナは 「ほとんどの人は、ネロの父は別の街に住んでいて、ネロが生まれた後で亡くなったと信じています。でも、私は、彼の母が私に打ち明けてくれたことを信じます。彼女がアントワープの著名な画家を愛していたと(2枚目の写真)。それを聞き、ネロの母が かつての自分の恋人で、ネロは自分の息子だったと分かったミシェルは、跪いて棺に手を当てる(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

ネロは、母に向かって 「僕、自分の人生を生きたい」と言う。すると、映画は、まだ火の点いている蝋燭のそばで横になっているネロを一瞬映す。場面は変わり、ミシェルのアトリエの窓の外を、「ネロ、迎えに来たぞ!」と叫びながら10人ほどの人が走っていく(1枚目の写真)。大聖堂に入っていった村人は、床の上に横たわっているネロを発見する。コゲーツがネロを抱き起こすと、ネロの目が開き、すぐ前にいるアロイーズを見る(2枚目の写真)。ネロは、2人に 「僕、自分の葬式を見たよ」と言い、他の人たちを見ると 「皆さんも、そこにいた。今、見てるみたいに」と言う。そして、今度は、アロイーズに 「ルーベンスが、僕や、母さんや、おじいちゃんと一緒にいた」と、夢の話をする。夢の内容とは関係なく、コゲーツは、「許してくれ、ネロ、悪かった、許して欲しい」と、自分の行為を謝る。一方、村人を見て大聖堂にやって来たミシェルは、「君に、あげるものがある。これは、私が君の年頃の時に もらったものだ」と言い、美術コンテストのメダルを渡す(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

ネロは 「あなたが来ると 思ってました。僕が夢の中で見たように」と言うと、思い切って、「あなたが、僕の母さんに絵を教えたって、ご存じでした?」と訊く。ミシェルは 「君のお母さん?」とびっくりする。「メアリー・ダース、あなたの優れた弟子でした」(1枚目の写真)。“メアリー” の名は、ミシェルを直撃する。夢の中よりもはっきりと、アナが話し始める。「メアリーは、相手が誰なのか言おうとしませんでした。彼女は、このことであなたが面目を失い、醜聞があなたを破滅させることを恐れたのです。彼女はあなたをとても愛していましたから」(2枚目の写真)。それを聞いたミシェルは、いつの間にか姿を消したメアリーの真意が分かり、その忘れ形見が目の前にいることを知ると、「私のせがれ」と言って、ネロを思い切り抱き締め、ネロは 「父さん」と応える(3枚目の写真)。ミシェル:「神様、ありがとう」。カメラは引いていき、村人の様子を映すが(4枚目の写真)、一番喜んでいるのは、アロイーズの一家。アロイーズはこれでネロと結婚できるし、コゲーツは、田舎の一介の製粉業者から一流画家の義父になれる。素朴なアナだけは、娘が幸せになれるだけで十分だ。こうしたハッピーエンドの方が、原作の悲劇より、観ていてよほど感動的なのでは?
  
  
  
  

1枚目の写真は、日本版、オリジナル版とも共通のラストシーン。星が、コンピューターで作ったことがすぐ分かるほど安っぽいのは許せない。ついでながら、2枚目の写真は、アントワープのフルン広場〔Groenplaats〕に立つルーベンス像と、聖母大聖堂〔Onze-Lieve-Vrouwekathedraal〕の北塔〔高さ約124m〕。1枚目の写真のロケ地のフールネの鐘楼〔Belfort van Veurne、高さ約50m〕よりは、遥かに大きい。因みに、2つの塔は、共に、ユネスコの世界遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群」に含まれる56の鐘楼の1つ。
  
  

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