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Brudermord 兄弟殺し

ドイツ・ルクセンブルク映画 (2005)

『Pandaemonium(パンデモニウム)』という雑誌の2016年の5月号に「頑固な憎しみ: ユルマズ・アルスランの『兄弟殺し』(2005)、新しいタイプの “祖国映画”」という28ページの長文論文が掲載されており、その冒頭の一部を転記すると、「移民の国、流動的な国境を持つ国として、その出自と折り合いを付けねばならない現代のドイツのために、アルスランは “祖国映画〔Heimatfilm〕” という古典的なジャンルを今日化し、自己を反映する形で “他者” との架け橋となり得る多国籍映画を提起することで、帰るべき祖国を失った移民たちの共通の悲しみを浮き立たせ、“敵同士” を調停的にくくるという独自の映像手法を発展させた。このような手法は楽観的とは言えないが、映像化された “食うか食われるかの現在世界の暴力” を減少させ得る有力な手段として、アルスランは安易な二元論に逃げることなく、祖国像として 複合的かつ遊牧的な “第三の空間” を創造することで、新たな祖国への想いを一体化できると主張している」と書かれている。意図的に難しい表現を駆使して読者を惑わせるのが目的なのかもしれないが、要は、少し前に紹介した『Born a King(ボーン・ア・キング)』の時代、600年以上続いたオスマン帝国が滅亡し、旧オスマン帝国領の大部分はイギリスとフランスの委任統治領となった。この時、イギリス領としてイラク、ヨルダンに加えてパレスチナが生まれ、現在の最悪の紛争の根本原因を生んだ。フランス領としてレバノンとシリアが生まれ、シリアでは長年紛争が続いている。その中で、元オスマン帝国の将軍ムスタファ・ケマル・アタテュルクの主導で1923年にローザンヌ条約が締結され、トルコが誕生する。これで、中東のアラビア半島を除き、すべてが分割・固定されてしまった。しかし、旧オスマン帝国には、クルディスタンという広大な地域(の地図/明治学院大学機関リポジトリの 「クルド―翻弄の歴史と現在―」 より)が存在していて、その地域はクルド人の居住地であったあったにも関わらず、多くの国の一部として勝手に分割されてしまった。それが、祖国を持たないクルド人の悲劇を生む。クルド人の多くは、移民としてヨーロッパに渡り、この映画の舞台となる2004年のドイツでは、ヨーロッパの 100 万人のクルド人の 60% 以上(約60万人)がドイツに居住していたと、「グローバリスト」というサイトに書かれている。これはドイツの人口の1%に相当する〔日本では0.0016%〕。一方、クルドに敵対するトルコからの移民は、2004年には約190万人とクルド移民の3倍に達していた(IZA DP No. 2677)。かくして、ドイツの一つの都市で、伝統的にクルド人を嫌っていたトルコ人の移民2世と、ドイツに来て間もないクルド人の移民一世の間で、血みどろの喧嘩が起きる。それを媒介したのが、ピット・ブルという種類の凶暴な闘犬だった。この映画に救いはない。

トルコ東部の貧しい家族の一員、青年アザドのところに、兄からお金が送られてきて、兄のいるドイツの都市に出稼ぎに行くことになる。その少し後に、シリア国境近くに住んでいて、残酷なトルコ軍に無垢の両親を銃殺された少年イボが、祖父の尽力でドイツの同じ都市に行く。2人は、難民の一時収容施設の大部屋にある2段ベッドの上下になったことと、いろいろな国からの難民が多い中で2人ともクルド人だということで、アザドが兄、イボが弟のような関係になる。アザドは、自分を呼んだ兄シェモが ポン引きという違法で唾棄すべき仕事をしていたので、同じ街にいても仕事の手伝いを拒み、クルド移民が経営するコーヒー店のトイレで細々と床屋をやって僅かなお金を稼いでいた。彼はそこにイボを連れて行き、2人の結束はより強固になる。しかし、仕事の帰りに路面電車に乗った際、ドイツ以外の多くのヨーロッパの国で飼うことを禁じられている凶暴な闘犬ピット・ブルを連れた トルコ移民2世の悪辣度の高い不良兄弟が乗車し、たまたまそこに乗っていたイボを怖がらせる。アザドは、トルコで親しみを込めて相手を呼ぶ時の習慣で 「ブラザー」 と声をかけてからイボを怖がらせないよう頼むと、不良のアフメットは、格下のクルド人から 「ブラザー」 と呼ばれたことに腹を立て、過剰な言葉で脅す。それに腹を立てたアザドは、次の停車場で降りると、発車して閉まったドアの向こうのアフメットとピット・ブルを愚弄する。これがすべての出発点。そのあと、①アザドの父が故国で入院し 多額の手術費用が必要となり、②兄が自分のお金で賄おうと提案に来た時、③偶然、街中でアフメットとピット・ブルに遭遇し、④アフメットに耳を切られそうになったアザドを助けようとした兄の意図せざる何らかの行動が、アフメットのナイフを彼自身の腹に刺し、⑤ピット・ブルが切り口から腸を引っ張り出して食べ、飼い主のアフメットを殺す。⑥警察に連れて行かれたアザドは、兄が関与したことを言わない。⑦犯人に復讐しようと誓ったアフメットの弟ゼキは、アザドとイボを拉致し、⑧アザドに暴力を振るって犯人を言わせようとするが失敗したので、イボを強姦して白状させる。⑨アザドの兄は、ゼキが警察に垂れ込んだことで逮捕され、⑩刑務所に収監されている間に、ゼキによって殺され、腸を抜き取られる。⑪ゼキは、その腸をピット・ブルに食わせて兄の仇をとり、⑫食べ終わると、ピット・ブルを射殺する。⑬アザドは、兄を殺したゼキの喉をナイフで切って殺し、耳も切り取る。⑭逃げようとしたアザドは、ゼキの仲間に銃で撃たれる。⑮アザドとイボは、施設で知り合ったアルバニアからの移民ミルカと一緒にバスでアルバニアに行くことになっていた。⑯負傷したアザドはそのバスの中で死亡し、お互いの “兄弟殺し” が完結する。最後にこの映画で一番苦労したのは、字幕に、クルド語、トルコ語、ドイツ語の区別が一切ない英語字幕しかないこと。トルコ語かドイツ語かを判断・区別するのは大変だった。

イボ役は、Xewat Geçtan〔クルド語の発音は不明〕。Xで始まる子役はこれが初めて。彼の映画出演はこれ1つのみ。ロカルノ国際映画祭で「Special Mention For his outstanding performance」という賞を獲得している。

あらすじ

映画の冒頭、トルコからの第一世代の移民で小売業を営む老夫婦が、第二世代〔移民ではなく、ドイツ人〕になった長男〔最低のクズ男〕の “イスラム教の聖骸布で覆われた死体” に清めの儀式を行っている。この短い映像と共に、この映画の主役イブラヒム・デニズリ〔Ibrahim Denizli〕、通称イボ〔Ibo〕のクルド語によるナレーションが入る。「自らの祖国を去って行った男たちがいる。彼らは成功と富という夢を追い求める。彼らは、その多くが劣悪な状況であっても、懸命に働いた。光に引き寄せられた蛾のように、多くの者が約束の地への道を歩んだ。そして、彼らはたった一つの夢のために、これらすべてに耐えた」。ここで、場面は、あとで、マルディン〔Mardin、シリア国境近くのトルコのクルド人居住地区〕の郊外だと分かる丘を、イボが祖父と一緒に登って行く。祖父は山羊を一頭連れている。ナレーションは続く。「目標を達成した時、彼らは自らのほとんどを置き去りにしてきたことに気づいた」(1枚目の写真、矢印は山羊)。祖父は、連れて来た山羊に水を飲ませる。「彼らがあなたからすべてを奪い、記憶以外何も残っていない時、それが、生まれ変わる時だ。僕の祖父の魂は古く、そして根深い。僕の魂はまだ若く、ほとんど何も見えない。死は、この世で唯一の忠実な伴侶だ」。祖父は、山羊の首を鋭利なナイフで切断する(2枚目の写真、矢印)。「それは、生への切望を研ぎ澄ます。僕の祖父は、僕の新しい魂を祝福してくれ、僕が見えるよう助けてくれた」。祖父は、山羊の血を付けた手で、イボの額に血をこすり付ける(3枚目の写真)。
  
  
  

次の場面は、同じトルコ東部の、シリア国境からは離れたディヤルバクル〔Diyarbakir〕に近い山岳地帯の小屋に住むハサン・カラマン〔Hasan Karaman〕宛ての手紙を届けようと、彼の伯父が車を走らせている。伯父は、荒野で7頭の羊の面倒を見ていたハサンの次男のアザド〔Azad〕に、ドイツに移住した兄のシェムセティン〔Shemsettin〕から父に宛てた封筒を渡す(1枚目の写真、矢印)。アザドは、この映画のもう1人の主役。封筒を受け取った父が中身を見ると、中には札束と、手紙が1通入っている(2枚目の写真)。字が読めない父は、アザドに手紙を読ませる。「親愛なる両親、祖父母、兄弟姉妹の皆さんへ。お元気であれと願っています。私は元気で、あなたの目と祝福された手にキスします。約束通り、弟のアザドが私と一緒になれるよう、お金を同封します。二人して豊かになり、当地で最も偉大な家を建てます。お会いしたいです。心を込めて、シェモ」。父は、アザドをシェモのいる都市に行かせることにする。業者のトラックがやって来て、シェモから送られたお金を渡すと、業者はアザドを、他の大勢と一緒にトラックの荷台に乗せる。アザド達を乗せたトラックが長いトンネルに入る。そこで、またイボのナレーションが流れる。「このトンネルの先では、お金が光り輝いている。あなたがそこに到達すると、あなたはゆっくりと死に始める。誰もが死ぬ… たとえ肉体は生き続けていても。“流刑” という言葉を囁く人々すらいる」。
  
  
  

ここで、ドイツにいる3人が映される。最初は、アザドの兄シェモ。父に送った立派な手紙とは裏腹に、彼はドイツに来て、最も卑劣な職業の一つに従事している。それは、売春の斡旋。ドイツ語がほとんど話せないクルド人の新米女性を発見・勧誘し、全裸にさせて役に立つかどうかチェックした後、先輩の売春婦に手伝わせて服を着せている(1枚目の写真)。そして、イボのナレーション: 「多くの者が高みを目指した。彼らは戦い、しかし敗れ、そして勝者は “嫌悪” という言葉を背負った。しかし、移住先で、祖国の親族が生き抜くのをどう助けたかに違いはなかった。ドネルケバブにして死肉を売ろうが、ホテルの部屋で生身を売ろうが。どちらもお金を稼ぐことが目的だった」。ここで、場面が変わり、成功の象徴としてのBMWが映る。「それは、ヨーロッパ人から学んだことだ。お金は臭くない」。車が、小売店の前で停まり、第一世代のトルコ移民の厳しい父が後部座席に威張って座っている典型的な不良の長男に向かって、「どこにいた?」とトルコ語で詰問する。「片付ける用事があったんだ、親爺」。「店は一人でやっていけると思っとるのか?」。そこに、店にいた次男〔長男とつるんだ不良〕が車までやってくると、「30分ほど出かけるよ。俺たち、閉店までには戻るから」と言って、車で出て行く。それを見た父は 「何というチンピラだ! バカ者ども!」と、怒りをぶつけるが、車はとうにいなくなっている。そして、車に乗り込んだ次男のすさんだ顔が映り、イボのナレーションが流れる。「お金を夢見る者たちの息子たちは、重い宿命を背負わないといけない。彼らの魂は危険地帯を泳ぐことになる。彼らは水面を泳ぐか、溺れるかだ。彼らがしがみつくことができるのは、友人と家族だけ。そのためなら、彼らは何でも犠牲にする」。車が車庫に入ると、車に乗っていた4人が降り、トランクを開ける。中にいたのはアメリカン・ピット・ブル・テリア〔現在、この危険な闘犬が禁止されている国は、イギリス、フランスなどヨーロッパを中心に23ヶ国(日本では自由)。ドイツでは 所有権に関する制限と条件が科せられているだけで禁止はされていない。2000年6月26日に、6歳のトルコ人の少年Volkan Kaja が、トルコ移民のIbrahim Kuluncが飼育するゼウスという名のピット・ブルともう1頭の闘犬によって噛み殺され、無罪を主張した被告は懲役3年半の判決を受けたにもかかわらずだ〕。そして、3番目は、ドイツにやって来て、一時的な収容施設に保護されたアザド。収容されている青少年全員に、月に一度、お小遣いとして僅かのお金が配布され、アザドにも渡される(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

アザドが、2段ベッドが並ぶ大部屋の、自分の下段ベッドで、商売道具の髭剃りナイフやハサミの手入れをしていると、そこに、係員に連れて来られたイボが、アザドの上段のベッドを使うよう指示される。そして、この施設の規則が、英語、中国語、アラビア語、トルコ語で書かれた紙を見せ(1枚目の写真、矢印は映画の冒頭に出てきたイボ)、よく読むように言った上で、明日通訳が来ると告げられる。係員が去ると、アザドはクルド語で 「今日は〔Roj baş〕」と話しかけ、聞きなれた言葉を聞いてホッとしたイボも 「今日は」と応じる。アザドは、自分の横に座るよう、手でベッドを叩いて指示する。イボが横に座ると、「こっちに家族はいるのか?」と訊く(2枚目の写真)。イボはそれには答えず、「あなたは?」と訊き返す。「数人の叔父と、兄」。イボはもらった紙について、「これ、どうしたらいいの?」と尋ねる。「読むだけ」。「ブラザー、何て書いてあるのか読んでもらえません?」。アザドは紙を取り上げると、「何ができて、何ができないか書いてあるだけさ。だけど、僕は、やりたいことは何だってやる」と言うと、紙を細切れにして床に捨てる。イボが紙を拾い始めると、アザドは 「ほらな、君はすべきことをしてる。僕は、やっちゃいけないことをやった」と言い、要は常識的なことしか書いてないと理解したイボは紙を再び捨てる。アザドは、「下で、お金はもらったか?」と尋ねる。「何のお金?」。「月に一度、小遣いをくれるんだ」。「お金なら持ってるよ。物乞いなんかしたくない」。「義務だから もらわないと。来いよ、交渉してやる。何て名だ?」。「イボ」。「アザドだ」。一方、アザドの兄シェモは、新米女性を後部座席に乗せると、「いいか、ソーニャ、15分は15分だ、追加の1秒はない。15分で出て来なかったら、迎えに行く」と、時間を守るようドイツ語で指示する(3枚目の写真)。解説のLesley C. Pleasantの論文によれば、「シェモが、ドイツ語の下手な新米女性に、訛りの多いドイツ語で話しかけるのは、優越感を示すためと、精神的に威圧するため」。
  
  
  

一方、アザドは、兄の “仕事” につき合いたくなかったので、ささやかな仕事をして僅かなお金を稼いでいる。今日は、初めてイボを連れて、その “仕事場” に行く。アザドは、クルド人が経営するコーヒー店に入って行くと(1枚目の写真)、「あなたに平安あれ〔Selam û elêkim〕」と、イスラム共通の挨拶し、そのまま奥のトイレに入って行く。そして、小便器と洗面台の間にイスを置くと、鼻に脱脂綿を詰め、イボに理由を訊かれると、「酒臭い客がいる。それに、小便の臭いは吐き気を催すんだ」と言いつつ、バッグからカットクロスを取り出し、手鏡を出してイボに持たせ、紙箱から取り出した髭剃り用の道具一式を洗面台に並べる(2枚目の写真)。しばらくすると、アザドが 「叔父さん」と呼ぶ人物が入って来て、髭を剃ってもらう(3枚目の写真)。この人物が、トイレ内で髭を剃ってもらうのは、ドイツ人の床屋に行くのが嫌いだから。
  
  
  

仕事が終わり、真っ暗になった頃、2人は吊橋を渡って施設に戻る(1枚目の写真)。この吊橋、いったいどこにあるのかと、19世紀に造られたヨーロッパ中の吊橋を当たってみたら、何と、フランス第二の都市リヨンのソーヌ川に架かるサン=ジョルジュ歩道橋〔Passerelle Saint-Georges〕という、1852年に架けられた長さ79mの橋だった〔てっきりドイツかルクセンブルクでのロケだと思っていたのに、よりによってフランスとは〕。2枚目に、グーグル・ストリートビューの写真を掲載する。橋を渡りながら、アザドがお札を数え始めたので(3枚目の写真、矢印はお札)、イボは 「床屋って儲かるの?」と尋ねる。「まあまあだな。ほとんど両親に送るんだ」。「きっと、誇りに思ってるね」。「誇りは代償を伴うんだ〔『創世記』の第37章に書かれたヨセフが受けた嫉妬による虐め〕。それを聞いたイボは、両手で耳を塞ぐ。
  
  
  

橋を渡った先にある、クルド移民の経営する食堂で、アザドとイボは夕食を取っている。イドは、「あんな狭苦しいとこで寝なきゃならないの? 出て行けないの?」と訊く。「要望書を出せばいい。少し時間がかかるけどな」。アザドは、もう要望書を出していて、それが通れば部屋を借りるつもりだと話す。「別の街に行くの?」の質問には、ここだとお客がいるが、他の街に行けばゼロからのスタートになるので、どこにも行かないと答える。「時々、部屋に行ってもいい?」。「十分なスペースがあれば、一緒に住んでもいいぞ」。「ありがとう。一緒に働けるね。僕、鏡を持ったり、掃いたり、カミソリをきれいにしたりするよ」(1枚目の写真)。しかし、アザドが 「両親のためにも働かないとな」と、自分と同じ環境だと誤解して話すと、両親をトルコ兵に殺されたイボは黙って下を向く。アザドは、イボのことを相棒と呼び、「手始めに」と、稼いだお札の1枚を渡そうとする(2枚目の写真、矢印)。しかし、鏡を持っていただけで何もしなかったイボは受け取るのを遠慮する。そこに現れたのが、施設の担当者ショレジ。アザドが、かなり遠くで床屋をやっていると知っていたので、探しに来たのだ。理由は、アザドの父が、ディヤルバクルの病院に内出血〔きわめて曖昧。手術をしなければ死ぬと言っているので、病気としての脳内出血か、転倒事故による硬膜下血腫か?〕で入院し、手術には3000ユーロ〔2004年の為替レートで、当時の約40万円〕必要だと話す〔兄のシェモにはもう話したと言っているので、シェモ1人で十分賄えると金額だと思うのだが、入院は別として、なぜ払えそうもない金額のことまで話したのだろう?〕
  
  
  

2人が働いていた場所は、よほど遠いらしく、Sバーン〔地上を走る近距離列車〕に乗る。何駅目かは分からないが、ドアが開くと、そこに、ピット・ブルを連れたヤクザっぽいトルコ系ドイツ人が2人乗ってくる。ピット・ブルがむやみに吠えたので(1枚目の写真)、乗ろうとしたドイツ人の乗客が、「危ない! 君らの犬をどけんか!」と文句を言うと、耳から口にかけて刺青を入れている兄アフメットは、「他のドアから乗んなよ」と言って追い払う。ドアが閉まると、バカ犬は、反対側のドアで恐怖に震えているイボと、イボを匿っているアザドに向かって凶暴に吠える。アザドが、「ブラザー、犬を遠ざけて」と頼むと、クルド人から “ブラザー” と呼ばれたことに腹を立てたアフメットは、「俺は、貴様のブラザーなんかじゃない。このクソが。分かったか?」と、ドイツ語で言い(2枚目の写真)、さらに、ドイツ語が分からないかもしれないので、同じ言葉をトルコ語で繰り返す。解説のLesley C. Pleasantの論文には、次のように書かれている。「アフメットは最初にドイツ語でアザドを誹謗中傷することで、自分と移民の間に一線を引き、自分はドイツ国民で、移民とは違った権威ある存在だと宣言する。暴言をトルコ語でも繰り返したことで、両方の言語に対する〔クルドにたいするトルコの〕優越感も強調する。すなわち、ドイツ人である彼は、移民の分際で何かを指示すべきではないと思い、トルコ人としては、たかがクルド人が何かを指示する権利などないと感じている」。アザドは、イボに、「次で降りるぞ」と囁くと、次の停車場で、犬を避けて前方のドアから降りる。そして、電車が動き始めた時に、犬のドアが真横に来たので、アサドは犬の前のガラス窓を叩き、うっぷんを晴らす(3枚目の写真、矢印は世界一凶暴なピット・ブル、その上の坊主頭がアフメット)。
  
  
  

2人が施設に戻ると、監視員が起きているので、正面玄関からは入れない。そこで、階段を上がり裏口まで行くと、そこでは7人の同じ年頃の女性達が話を弾ませている。その時、ちょうどガラス戸にもたれていたのは、アルバニア出身の女性ミルカ〔初登場〕。アザドがガラス戸をノックすると(1枚目の写真、矢印はミルカ)、ミルカがドアの鍵を開けて2人を中に入れてくれる(2枚目の写真)。2段ベッドの上段に入ったイボは、大切に持っていた財布を開け、全額を出すと、下段に降り、手術費用の足しにと渡そうとする。その優しさに感動したアザドは、両手でイボを抱き締めると、「小さなブラザーよ忘れてくれ。それじゃ父さんは救えない」と言う(3枚目の写真、矢印はお札)。「必死に働いても、お金 稼げないの?」。「3ヶ月、昼も夜も働いたって足りない。だから、心配しないで君の両親に送るんだ」。
  
  
  

上の段に戻ったイボは、祖父に祝福されてドイツに送られる前に起きた悲劇に思いを馳せる(1枚目の写真)。このシーンは真っ暗な中で展開する台詞もほとんどないシーンなので、解説のLesley C. Pleasantの論文中の文章を交えながら、状況を説明する。「イボをトルコからドイツへ導いた道のりは、両親の殺害から始まった。イボがトルコ軍による両親の殺害を追体験するフラッシュバックの中で、イボに安全を与えてくれたのは両親だった。イボは母に抱かれ、父が話を聞かせている。その時、外から 「出て来い! 手を上げて! さもないと撃つぞ!」と、トルコ兵が命じる。父は銃を手にするが、母は「だめ」と銃を持って行かせない。父は銃を置いて家を出て行くと、光が浴びせられ(2枚目の写真)、銃声がして射殺される。母親は悲鳴を上げ、イボを残して外に出て行き、射殺される。すると、外で、上官が 「死体の下に銃を入れて、報道用の写真を撮るんだ」と命じている〔何もしないクルド人の一家を襲い、状況を偽装するその卑怯な態度。トルコの対クルド政策は1930年代から90年間全く変わっていない。何というひどい民族なのだろう〕兵士達が去ると、今まで、そこを “家” にしてきたものを失くしてしまった “家” から、イボは、両親の死体に向かって、赤ん坊のように、「母さん… 父さん… 母さん… 父さん…」と言いながら這って行く。イボは2人の間に横たわり、文字通り、平和を望む者(母親)と父親(普段は銃を持たずに家から出ない男)の架け橋となった(3枚目の写真)」。
  
  
  

翌朝、昨夜アザドの父の入院を知らせに来たショレジが先導する形で、ドイツのクルド民族主義団体を率いる女性移民のジランが大部屋に入ってくる。ショレジは、いろいろな人種の混ざっている子供達の大半を、「1時間したら戻るんだ。ほら、出て行って」と追い出す。そして、代わりに、かつて施設にいたクルド人の子供達が入って来る。ジランは、初めて会ったイボに、「何て名前?」と尋ねる(1枚目の写真)。「イブラヒム・デニズリ」。「どこの出身?」。「マルディン近くの村」。それを聞いたジランは、「ようこそ、イブラヒム」と歓迎し、「困った時は、ショレジが助けてくれるわ」と言うと、すぐ後ろにいたアザドが、「もう、僕がやってるよ」と手を上げる(2枚目の写真)。「いいことね、ありがとうアザド」。そう言うと、ジランは、全員に向かって演説を始める。「友よ、君たちは学校に行くことが如何に重要かを理解しないといけない。教育がないと、君たちは餌食にされる。君たちの多くは、実家に僅かな仕送りするために、受け入れがたい仕事をしている。捕まらないようにしないと、すぐに強制送還されてしまう。教育を受けていない者だけが虐げられるのだ。私たちは違う。私たちには故国があるのだと世界に知らしめるため、共に立ち上がらねばならない」(3枚目の写真)。
  
  
  

その日、アザドとイボが、コーヒー店のトイレでいつもの仕事をしていると、ポン引きで兄のシェモが入って来て、客が出て行くのを待っている。客が出て行き、イスに座ったシェモは、恐らく3000ユーロの札束を出し 「これを 母さんに送るんだ。きっと、ホッとするぞ」と言う(1枚目の写真、矢印)。しかし、彼が座ってから後ろを向いたままのアザドは、黙っている。兄が 「金を取れよ」と促すと、アザドは、「なぜ、兄さんが自分で送らない?」と訊く。「お前も、そろそろ まともな額を送るべき頃だと思ったからだ」。「兄さんの金で自慢する気はない」。「俺たちの父さんが死にかけてるのに、心配じゃないのか?」。「父さんの命が、その金次第だと思うと、気分が悪くなる」(2枚目の写真)。この言葉は、父の死を許容した発言になるので、怒った兄は 「何が気に食わん? 盗んだんじゃないぞ! 稼いだんだ!」と怒鳴る。「ポン引きで! 売春婦の金だ!」。兄は立ち上がってアザドを引っ叩く。そして 「お前の記憶を呼び覚ましてやる! この売春婦の金で、お前に将来と希望をやろうと、ヨーロッパに呼んだんだ。俺は、この金で、故国の家族全員を養ってる。どこが悪いんだ? お前を見ろ! トイレに座ったクソ野郎どもの鼻毛を切ることが、俺よりマシだと思ってるのか!」。こう言うと、兄はトイレから出て行く。
  
  

自分が情けなくなったアザドは、イスに座り込み、イボは、その周りに散らばった髪を掃除する。仕事を中断して、2人が店を出て歩道を歩いていると、兄が走り寄って来て、「待て! 俺がお前に何をした? さっきは、言い過ぎた。お前は俺の唯一の兄弟だ。この国には他に誰もおらん」と、ある意味詫びるが(1枚目の写真)、アザドは、「道は人それぞれだ」と言って、離れて行く。兄は、「なぜ俺を毛嫌いする? 俺は怪物か?」と訊くが、その時、前方から歩道を歩いて来る “ピット・ブルを連れたアフメット” に気付いたアザドは、敵に気取られないよう、兄に抱き着く。それを、自分への和解だと誤解した兄は、アザドの背中を優しく抱く。その横を、アフメットが気付かずに通り過ぎて行くが、アザドの匂いを覚えていたピット・ブルが激しく吠えかかる(2枚目の写真、矢印)。それで、アフメットは、そこにいるのが、“あの生意気なクルド野郎” だと気付き、「会いたかったぞ」と笑顔で言い、アザドの耳を ナイフを持った手で掴むと、「この小さな耳をどうするか知ってるか? 俺の犬に食べさせるんだ」と、脅しか本気か分からないようなことを言う。
  
  
  

それを聞いた、兄シェモが 「おい、お前! ふざけるのもいい加減にしろ」と割って入る。アフメット:「鼻を突っ込むんじゃねぇ!」。シェモは、アフメットのナイフを奪うと、アフメットを後ろに駐車していた車に突き飛ばす。ピット・ブルはシェモの脚に噛みつき、怒ったシャモはピット・ブルを振り放すが、その時、バランスを崩し、アフメットにぶつかり(1枚目の写真)、持っていたナイフがアフメットの腹を切り裂く。そこから顔を覗かせた腸にピット・ブルが噛みつき(2枚目の写真)、引っ張り出し、歩道に落ちた腸を美味しそうに食べる(3枚目の写真)。
  
  
  

警察署で、2人は、署長から罵声を浴びせられる。「トルコでは、殺し合いをしても構わん! わしの知ったことか! だが、ドイツでは法律がルールだ! だから、君たちがこの国にいる限り、期待される行動を取らねばならん! 私たちは君たちに、お金、服、食べ物、その他諸々の物を与える! なのに君は? 刺し合った! それが 私たちへのお礼なのか?」(1・2枚目の写真)。ドイツ語は分からなくても、アザドが罵倒されているのは分かるので、イボは、アザドに 「やったのは、兄さんだと言えば? 僕たち、何の関係があるの?」と訊くが、刺したのが兄だと知られたくないアザドは黙っているし、誰もクルド語が分からないので、イボの発言は何の影響も与えない。次に、横の席にトルコ語を話す男性が座る。「元気かい?」と尋ね、無視されたので 「私は丁寧に訊いたんだ。丁寧に答えてもらわないと。君と、同じ年頃の青年が、路上でむごたらしく死んだ。気が咎めないのかね?」(3枚目の写真)。ここで、ようやくアザドが口を開く。「僕が始めたんじゃないし、僕が刺したんでもない。なぜ僕を人殺しのように扱うんだ? 僕は、死んだ男も 殺した男も知らない」。イボは施設に戻されるが、アザドは犯人でもないのに、なぜか署内の留置所に入れられる。それを救い出したのが、クルド民族主義団体のジラン。オートバイに乗せて施設まで連れて行くと、「アザド、十分気を付けて。危険な状況よ。尋問で お兄さんのことを黙っていたのは正解ね。ネウロスの祭り〔春分の日前後に行われるクルド人の新年祭〕が近づいてる。あなたたちが2人とも刑務所におらず、汚れたトルコ人から身を守ったことを祝いましょう。あなたたちはヒーローなの。あなたのお兄さんもそこにいるわ。たくさんの人がいるから、誰もあなた方に気付かないでしょう」と言って別れる。
  
  
  

一方、アフメットの父の家では、夜、息子の腸を食べて殺したピット・ブルのそばに歩み寄った父親が、犬を撃ち殺そうと拳銃を向ける。すると、アフメットの弟のゼキが父の手を押え、「父さん、何するの?」と訊く(1枚目の写真、矢印は拳銃)。「こいつを殺す。この野獣に襲われなければ、アフメットは生きていただろう」。兄と同じくらい悪漢のゼキは、自分の計画があるので、「落ち着いて。銃声を聞いたら、みんな どう思うかな?」と制止する。しかし、まともな父親は、「あんなことが起きたのに、わしが気にすると思うか? お前たちに千回は言った。この家であの犬は見たくないと。今すぐ殺してやる」。「父さん、今、ここではダメだ。俺が処分する。銃を渡して」。銃を受け取ったゼキは、ピット・ブルを連れてガレージに行くと、ピット・ブルに向かって、「お前が、あの野郎の腸を飲み込むまで、生かしておいてやる」と告げる(2枚目の写真、矢印は犬)。
  
  

翌日、アザドとイボがトイレで客の髭を剃っていると、そこにショレジが入ってきて、「アザド、ちょっと来て」と声をかける(1枚目の写真)。店の出口にアザドを連れて行くと、ショレジは 「君は大変なことになってるぞ」と注意する(2枚目の写真)。「死んだ男の弟と、そいつの悪友どもだ。奴らは、施設に現れると、君がどこにいるか訊いた。入って来たのは2人だったが、外には少なくとも1ダースはいたな。全員がこん棒やナイフなど、いろんなもので武装していた。君は、常に、我々の数人と一緒にいるべきだ」。しかし、愚かなアザドは、「ありがとう、でも、自分の面倒は自分で見るよ」と言っただけ。
  
  

2人が仕事を終えて歩道を歩いていると、いきなり車が行く手を塞ぐ。2人は、来た道を走って逃げるが、車はUターンする形でその前方を塞ぎ、ドアが開くと、覆面をした男たちが降りて来て、2人を拉致する(1枚目の写真)。2人は、誰もいない郊外の資材置き場に連れて行かれる。アザドは2人の手下に両腕をつかまれ、覆面をしたゼキが、何度も顔を殴っては、「俺の兄貴を刺したクソ野郎が誰なのか、言いやがれ!」と強制する。しかし、アザドは黙ったまま。アザドが地面に倒れると、ゼキは襟をつかんで起こすと、銃を口に突っ込み。「あのガキの小さなケツで快感を味わってもいいんだぞ! 奴の名前を言え!」。それでも、アザドが口を割らないと、血まみれの顔を銃で殴って地面に再び倒す。そして、イボの上着の後ろ身頃を掴むと、首を絞めるような形で引きづって行き、コンクリートのヒューム管に乗せると、画像には映らないが、イボに拳銃を突き付けてアナルレイプする(3枚目の写真)。
  
  
  

そのあまりの凄惨さに、アザドは、「お願いだ、やめて! ナイフで刺したのは、僕の兄さんだ」と白状する(1枚目の写真)。それを聞き、イボへのレイプをやめたゼキは、「貴様のクソ兄だと? なんでもっと早く言わなかった?」と言うと、再び、アザドに銃を突き付け、「奴は、どこにいる?!」と訊く。「誓って、知らないよ。僕は難民だから。僕がどこに住んでるか見ただろ? 兄さんとは気が合わないんだ。兄さんのことはごめん」。ゼキは、最後に、アザドの両手を靴で踏みつけて怪我を負わせて解放する。そのあと、アフメット以下の最低の男ゼキは、「貴様の可愛いお尻の友だちには、奴が懇願するまで、アナルを続けるからな」と恐ろしいことを言う。当然そのような映像はなく、事が終わった後に、茫然としたイボがズボンを履き直す場面(2枚目の写真、矢印はスボンを上げている手)が、悲劇を暗示している。イボは、地面に倒れているアザドのところに行き、2人して悲しみ合う(3枚目の写真)。
  
  
  

施設に戻ったイボは、アザドに 「お願い、ピアスの男のことは誰にも言わないで。マジだよ。何があったか、絶対誰にも言っちゃダメだよ」と頼む(1枚目の写真)。アザドは 「みんな僕のせいだ。許してくれるか?」と詫びる。「奴ら、僕より、アザドを傷つけたよ」。「ううん、そうじゃない、イボ。君にあんなことが起きるくらいなら、僕が死んだ方が良かった」。「あいつが地面に落ちて死ぬまで、ずっとピアスで耳を吊るしておいてやりたい。僕、もう、ここにはいたくない」。「イボ、約束する。幾つかのことを解決したら、君と一緒にここを出よう」。「僕、両親のところに行きたい」。「どこにいるんだ?」。「天国」(2枚目の写真)。「ブラザー、僕たち2人で天国に行こう」。一方、ジランはシェモの家を訪れる。シェモは 「ジラン、俺はしばらく脱げ出さないと。状況はかなり悪い。フランスでのコネはどうなった?」と訊く。「ベルギーの方が組織化されてるわ」。「俺は、もう、これまでの同志たちとは関わりたくない。俺には似合わなくなった。しばらく姿を消したいが、それは俺たち二人だけの問題だ」。「どういうこと? ナイフでの喧嘩?」。「あれは正当防衛さ」。「それなら、刑務所行きにはならない。それに、誰も あなたがそこにいたとは知らないもの。アザドは黙ってるし、イボもよ〔もう、バレてしまった〕」。
  
  

アザドは、イボを学校に連れて行く。ドイツ語が全く分からないのでイボは教室に行くのを嫌がる。そして、「僕、これまで学校に行ったこと一度もないんだ」と不安を打ち明ける。アザドは、「怖がらないで。ここの生徒は、誰もまともに読み書きできないから」と言って(1枚目の写真)、何とか教室に行かせる。次のシーンは教室の中、最初に教師が発する言葉は、「Das ist ein Pferd〔これは(1頭の)馬です〕」。それが、アヒルと続く(2枚目の写真)。イボは、ドイツ語がさっぱり分からないので、教師が発するドイツ語を生徒全員がくり返すのを 1人だけ黙って見ている。そのうちに、黒板に描かれた動物の絵が、イボの空想の中で動き出し、祖父と並んで屋根の上に座っていたイボが 絵の馬に乗って野原を走って行き、両親の墓の周りで舞っている花と一緒に戯れる(3枚目の写真)。それを想像して、イボが幸せそうな顔になる(4枚目の写真)。その笑顔を見て、教師は「何て名前?」と訊く。イボが 「イブラヒム・デニズリ」と返事すると、教師は 「私の授業をそんなに楽しんでくれて嬉しいよ」と言い、「大きくなったら、何をしたい?」と訊く。イボは 「死んだ人を呼び戻します」と答え、生徒達から笑い声が起きるが、教師は理由を察して生徒達を諫める。
  
  
  
  

アザドは、悪漢アフメットとゼキの両親が営む店を訪れ、2人の父親に 「お悔み申しあげます」と言った上で、「僕は、あなたの息子さんの死に責任はありません」と言う。「分かっとる」。アザドは、「僕は息子さんに降りかかったような不運を望んでいませんでした」と言うと〔趣旨の良く分からない発言〕、口調を変えて、「だが、あなたのもう一人の息子が僕の友人にしたことは許せない! 僕が生きている限り、報いを受けるのを見届けてやるからな!」(1枚目の写真)と、“お悔み” に来たのか、“非難” に来たのか分からない発言をする〔観ていても不自然極まりない〕。ゼキによるイボへの強姦を指しているのだが、何も知らされずに非難だけ受けた父親は、当然怒り出す。「黙れ、責任を回避する気か? お前の兄とやらはどこにいる? わしの息子を殺した奴だ。お前の兄は人殺しだ! ここから出て行け! お前のような偽善者は見るのも汚らわしい!」。その結果、アザドは店を追い出される〔無意味なシーン。それとも、アザドの頭の悪さを言いたいのか?〕。ここで、シーンはネウロスの祭りに移る。夜、大きな焚き火を取り囲むようにクルド移民が手をつないで歓声を上げている。その中で、ジランとシェモが密談をしている。「シェモ、手配したわ。2日後にはパリよ」。「ありがとう、ジラン。神の祝福を」。そこに、アザドとイボがやって来る。シェモがアザドの顔を見て、「その顔、どうした?」と訊くが、アザドはゼキに暴行を受けて白状したことを言いたくないので、「何も。誰もが兄さんを狙ってる、それだけさ」と答え、さらに、「警察も、死んだ男の家族も、僕を見下してる。他人の犯した罪を被せられてね。僕は、もう うんざりだ」と、一転して不満をぶつける。ジランが 「落ち着いて、ブラザー。誰もあなたを傷つけることはできないわ」と、安心させようとすると、アザドは包帯を巻いた両手を見せ、「じゃあ、これは何なんだ?」と文句を言う。ジランは、「若者を数人集めるわ。二倍にして返しましょう」と、指導者としては過激で愚かなことを言い、アザドは 「やり返しても、またやられるだけだ。その行き着く先は、何なんだ?」と批判する。ジランは 「噛めないような歯に何の意味があるの? 私たちは、仲間とともに立ち上がらないと。あなたに、そんなことするなんて許せない。私たちが守るわ」と反論する。意見が合わないアザドは、イボと2人だけで何もせず座っている。すると、警官が2名 中に入って行くのが見える。祭りは最高潮に達し、大きな焚き火の上を何人かが飛んで超える(2枚目の写真)。ジランは、拡声器を持つと、参加者に向かって、「亡命者の皆さん、ネウロスおめでとう! クルディスタン〔クルド人の地(冒頭の解説の地図:トルコ南東部、イラク北部、シリア北東部、イラン北西部、アルメニアの一部)〕永遠なれ! わが友よ、地球上で炎が一つでも燃え続ける限り、クルドは不屈だわ!」と言い、喝采を浴びる。その陰で、シェモの横に警察が現われ、彼は こっそりと連行される(3枚目の写真)。
  
  
  

兄が逮捕された翌日、アザドはまたトルコ移民の店を訪れる。アザドは 「兄が逮捕されました。彼はあなたの息子の死に相応しい罰を受けるでしょう」と言い、頭を下げて詫びる。そして、床に跪くと 「僕は死ねばよかった。なぜ、生まれたんだろう? 僕さえいなければ、あなたは 悲しみとは無縁で済んだのに。どうか許して下さい」と謝る(1枚目の写真)〔兄がナイフを刺したのは偶然。死んだのは、犬が腸を引き出したから。元はと言えば、アフメットが悪いのだが、Sバーンで相手を愚弄したアザドにも責任がある。だから、後半の謝罪は当然で、前半は責任転嫁〕。父親は、元々悪い人間ではないので、「立ちなさい。これ以上の苦痛はもう十分だ」と言う。そこに、ゼキが入ってきて、アザドに銃を向けると 「よくも平気で来やがったな」と言う(2枚目の写真、矢印は銃)。父は、暴力は嫌いなので銃を取り上げる。すると、アザドは、前回中途半端に言ったことを、今回は父親にも分かるよう正確に述べる。「あんたが、僕の友だちにしたことを、僕は決して許さない。もし、この国に正義があるのなら、あんたのような豚野郎は刑務所で朽ち果てるだろう。ご両親が気の毒だ。無垢で無力な少年をレイプする権利は、誰にもない」。それを聞いたゼキは、否定せず、「楽しんだもの勝ちさ」と言う。それを聞いたアザドは 「児童強姦魔! 神の罰を受けるがいい!」と罵り、ゼキに店から追い出される。しかし、事はそれで済まない。父親は 「あれは、本当か?」とゼキに訊く。「兄貴のためなら、何だってするさ」。それは、児童強姦を肯定するものだった。父親は、「わしらは愛をもってお前を育てたのに、お前は無垢の者に手を上げるのか? わしらは何を間違ったのだろう? 兄が死んだのに、小さな子供を襲うとは。そんな息子など要らん! わしの人生から出て行け! 二度と会いたくない!」と叱ると、腕をつかんでゼキを店から放り出し、睨みつける(3枚目の写真)。
  
  
  

アザドは、兄に会うため刑務所に行く。2人は、職員が立ち合って面接室で会う(1枚目の写真、矢印は職員)〔日本でも、職員の立ち合いが基本原則〕。兄は 「どうして捕まったのか、いまだに分からん。幸い、俺は母さんに全部の金を送っておいた。父さんがこのドサクサのせいで死んでたらと思うと」と、謎と幸運について語る。アザドが 「あれは、正当防衛だった。それに、死んだのは、あいつの犬が腸をえぐり出したからだ。僕、ちゃんと証言するから」と言うと、兄は 「ケンカなんか問題じゃない! 正当防衛だからな」とバカにした後で、「最悪なのは ポン引きや盗品売買、そして神のみぞ知るその他のことだ」と、不運について語る(2枚目の写真)。さらに、「2年間、投獄されるんだぞ! どうしようもない!」と言うと、アザドに 「お前が警察に話したのか? 本当のことを言うんだ! イエスかノーか?」と(一番確かめたかった事を)訊く。アザドは、ゼキには洩らしたが、警察に直接話した訳ではないので 「ノー」と答え、容疑は晴れ、容疑者は兄が一緒に暮らしていた古参の売春婦になる〔とっくに姿を消している〕
  
  

モダンな教会で、イースター〔2004年4月11日〕のミサが行われている(1枚目の写真)。ネウロスの祭りの3週間ほど後だ。そこに出席していたミルカが、ミサの途中に後ろを向き、隣に座っていた仲間の女性に、「何見てるの?」と訊かれると、「放っといてよ」と言うと立ち上がり、4列ほど後ろに座っているアザドに、「イースター、おめでとう」と言い、両方の頬にキスする(2枚目の写真)〔普通にこの映画を観ていて、この女性が、かつてアザドとイボが “階段を上がったガラス戸を開けて入れてくれた女性” だと、気付く観客はいないのではないか? そのシーンで彼女の顔がまともに映ったのは僅か6秒。それから45分近く一度も出て来ない。そんな女性にいきなりキスさせるのは、いくら何でも突拍子もない展開だ〕。ミサからの帰り道、イボは 「あなたは彼女を愛してる。彼女は、あなたと結婚したがってる」などと言って囃し立てるが、観ていて違和感はつきまとう。それが済むと、アザドはイボに 「お願いがあるんだ」と言い、①一緒に警察に行って欲しい、②そこで、ゼキにされたことを話して欲しい、と頼む。これに対し、当然のことながら、イボは強く反対する。アザドは 「あの野郎に金〔賠償金〕を払わせたくないのか?」と訊くが、これでは、“金目当ての行動” になってしまう。イボが他人に絶対知られたくない恥を、お金なんかのために、警察で公に知られるようなことを勧めるとは、何と嫌な性格なのだろう? 兄がポン引きで稼いたお金を父の手術用にと渡そうとした時に、「父さんの命が、その金次第だと思うと、気分が悪くなる」と言ったくせに、イボの自尊心を破壊するようなことを平気で勧めるとは、最低の脚本だ。イボが、「大人になったら、あいつを殺してやる!」と話すことで(3枚目に写真)、アザドの愚行は実行に移されないが、アザドの台詞は、いつもどこか変だし、演じている俳優も下手くそ。この映画で、一番耐えられないのは、虐殺シーンではなく、アザドが出て来るシーンだ。
  
  
  

翌朝、緊急に伝えたいことができたので、ショレジがアザドのベッドにいないので、イボを起こし 「アサドはどこだ?」と訊くが、イボは知らない(1枚目の写真)。実は、映画では1分ほど前に、アサドが女子の大部屋に行き、ミルカに会うシーンがある。そこでは、ミルカと一緒にいた仲間の女性達は、2人に遠慮して部屋を出て行った。ショレジは、アザドを探して施設内を歩き回るうち、女子部屋の前に2人の女子が “守る” ように立っているのを見て、中に入ろうとすると、うち1人が、「何の用?」と妨害する。「アザドを探してる」。「中にいるけど、ちょっと待ってあげないと」。「今すぐ入る必要がある。とっても重要なことなんだ」。ショレジが、中に入ると、アザドとミルカは裸で抱き合って寝ている。ショレジは 「アザド、君の兄さんが刑務所で亡くなった」と知らせ(2枚目の写真)「気の毒だったな。外で待ってるぞ」と、すぐに出て来るよう示唆する。ベッドから飛び出したアザドは、あまりのことに嘆き悲しむ。その頃、鬼のゼキは、刑務所で目的を果たし、シェモの腸を入れたビニール袋の中身を、ピット・ブルを隠しておいたガレージの床に置くと、ピット・ブルに食べさせる(3枚目の写真、矢印はピット・ブル)〔先に書いたように、職員の立ち合いなしでは会えないので、ゼキが職員に対し贈賄行為をして殺したとしか思えないが、そんなことが可能なのだろうか??〕
  
  
  

刑務所に行ったアザドは、白い布を被せられた兄と対面する(1枚目の写真)。額にキスした後、係官が別室で書類への記載を求めて出て行かせようとするが、アザドは布を剥ぎ、腹部に傷跡があるのに気付く(2枚目の写真、矢印)〔こんな小さな傷口から、あれだけたくさんの腸が掻き出せるものだろうか? それに、傷口がきれい過ぎる〕。それを見たアザドは怒りの叫び声を上げ、係官によって連れ出される〔この2人は、ゼキに買収されたのだろうか? 医師もいたが、死因をどう判断したのだろうか? この辺りも、映画の弱点〕。一方、ガレージでは、ピット・ブルがシェモの腸を食べた糞を出すと、それを回収したゼキは、ピット・ブルを撃ち殺す(3枚目の写真)。その後で、ゼキは もう一度父親の店に行き、謝罪し、店の手伝いを申し出るが、父親は断固として許さない。しかし、父親がいなくなり、“父親と違い、悪魔的な雰囲気の漂う母親” に頼み込むと、彼女はいとも簡単に許して手伝わせる〔アフメットとゼキが最低の不良になったのは、恐らく母親のせい〕
  
  
  

夜、イボは 公衆電話から、かつて住んでいた村の村長と話している(1枚目の写真)。どうやら、少し前に一度電話して、祖父と話したいと頼み、村長が祖父を呼んできてくれたのだ。「ありがとう、村長さん」。その後で、祖父に変わったので、「おじいちゃん! 僕、寂しい。もう耐えられない。家に帰りたい」と訴えるが(2枚目の写真)、願いは叶わなかったらしく、「さようなら」と悲しそうに言って受話器を置く。同じ頃、イボのベッドに行ったアザドは、彼がいないので心配になり、ミルカと一緒に夜の街に探しに行く。「どこに行ったんだろう? 行くところなんかないのに」。「故郷に戻ったんじゃないの?」。「もし、イボに何かあったら、奴ら、殺してやる!」。「怖いこと言わないで。私、あしたアルバニアに帰るわ。なんだか、あなたに不幸をもたらしただけみたい」。それを聞いたアザドは、「一緒に行きたい」と言う(3枚目の写真)。
  
  
  

そのあとも、アザドはイボを探し続ける〔イボは、アザドにとって 弟と同格になっている〕。結局、イボは、いつものコーヒー店のトイレにある個室の中で、便器を枕にして眠っていた(1枚目の写真)。アサドに対し、故郷に戻ることを許されなかったイボは 「ここで死にたい」と言い、アザドは悲しそうなイボの頭を撫で続ける。アザドはイボを背負うと、ミルカと一緒に施設に戻る。すると、守衛室にいたショレジが 「アザド、話がある」と 呼び止める(2枚目の写真)。アザドは、ミルカにイボをベッドまで連れて行くように頼む。2人だけになると、ショレジは 「君のお兄さんの死は、我々を怒らせた。ジランは、君に公開デモの承認を求めている」と話す。アザドは 「なぜ尋ねる? 彼女は自分のやりたいことは何でもするじゃないか」と強く反論する。「デモの最中にお兄さんの遺体があれば、より強烈になるだろう」。「それじゃ、ただのハイエナじゃないか!」。「クルド人が 如何に虐げられているか考えるんだ」。「クルド、クルドじゃないか。僕らが、アフリカ人や中国人や神のみぞ知る他の連中より優れているとでも?」(3枚目の写真)〔“国なき3000万人” と言われるクルド人と、祖国のある民族を対比すること自体、クルド人でありながら現状把握ができていない→愚かな人物〕。ショレジは 「君のお兄さんはドイツの刑務所で殺された。ドイツの豚どもは我々の根絶を認めている」と、事の重大性を強調するが、アザドは 「あんたは何も分かっちゃいない!」と、一般論しか言わないショレジを批判する。
  
  
  

ジランは、シェモの棺、シェモの多くの顔写真を並べ、拡声器で 「あなたの死は、私たちが今生きている世界を示している! この地球上の誰も、私たちを絶滅させることはできない!」と叫ぶ(1枚目の写真)。アザドは、シェモの棺にキスすると、ゼキの父親の店に入って行き〔父親は不在〕、電話をかけているゼキの後ろから忍び寄ると、左手で頭を押さえ、右手のナイフでゼキの喉を切る(2枚目の写真、左下の矢印はナイフ、右の矢印はピアスを付けた耳)。ゼキが床に倒れると、ナイフをピアスの耳に向ける。アザドが店を出て行くと、アフメットとゼキの仲間の不良どもを乗せたBMWの前に ゼキの母親が飛び出て来て、アザドに向かって、「人殺し! よくもあたしの息子を殺したわね!」と叫び、BMWから飛び出した2人に向かって、「あいつを捕まえて!」と言う(3枚目の写真、矢印はアザド)。
  
  
  

アザドを追う不良は、日中の街中にもかかわらず、アザドを殺そうと、平気で銃をバンバン撃つ(1枚目の写真、2人の女性は銃声で逃げている)。アザドは、歩道橋を走って対岸に逃げる(2枚目の写真、矢印は拳銃)。この変わった橋も、最初の頃の古い吊橋と同じで、フランスのリヨンのソーヌ川に架かるオム・ド・ラ・ロッシュ歩道橋〔Passerelle de l'Homme de la Roche〕(3枚目の写真)。
  
  
  

何発も撃った弾の1つがアザドの背中に当たる(1枚目の写真)。かなりの出血だ。アザドは、何とか長距離バスの発着場まで辿り着き、待っていたミルカによって、発車間際のバスに乗せられようとするが(2枚目の写真)、イボの同行が必須なので、右手で傷を押えながら左手でイボの手を取って乗車を促す(3枚目の写真)。3人が乗ると、バスはすぐにアルバニアに向けて発車する。
  
  
  

夜になり、ミルカとイボが眠っている。アザドは、死が近いことを悟ると、懐からハンカチを取り出し、イボを起こすと、ハンカチを拡げ、中に包んでおいた “切り取ったゼキのピアスの耳” を見せる(2枚目の写真)。それを見たイボは表情一つ変えない(3枚目の写真)。その直後、アザドは、「僕には、もう天国が見えてるぞ、ブラザー。素晴らしいところだ」と囁く。そして、イボが眠ると、目を大きく開いて絶命する(4枚目の写真)。解説のLesley C. Pleasantの論文によれば、この不可解なラストシーンを、次のように分析している。「幾つかの点で、ラストシーンは、暴力の発端となったSバーンの場面の再来とも言える: 2人の故国のないブラザーがバスの最後列に座っている。眠っているミルカはピット・ブルではない; それでも犬はそこにいる―“復讐の証としてイボに耳を渡す死にゆくアザド” という形で; “すべてを奪われ意気消沈したイボ” という形で; そして、“『あなたに不幸をもたらしただけみたい』とアザドに言って故国を目指すミルカ” という形で。しかし、もし切断された耳がピット・ブルの代役だとしても、それは もうイボを怖がらせないし、彼にパワーを感じさせもしない。しかし、この恐ろしい贈り物に対する彼の無反応は、人間性の喪失を示唆しているのかもしれない、つまり、イボ自身がピット・ブルになってしまい、そのため彼は何の反応も示さず、彼をレイプした男の耳が削がれた証拠に満足もしない。無関心、無表情、無反応、無頓着に彼は耳から目を逸らし、眠りに落ちることで、死の楽園に向かう友人を放置する」。この不思議な分析が正しいかどうかは分からないが、”無関心、無表情、無反応、無頓着” が奇妙なことは確かだ。そして、2人が死体とともにアルバニアに着いた後、一体何が起きるのであろう? イボには新たな人生が開けるのだろうか?
  
  
  
  

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