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C’mon C’mon カモン カモン

アメリカ映画 (2021)

かつて紹介した 『Extremely Loud & Incredibly Close(ものすごくうるさくて、ありえないほど近い)』(2011)で、ダルドリー監督は、主役オスカーを演じたトマス・ホーンについて 「度胸と頭脳明晰さを兼ね備えたトマスに対し、子役には絶対させないスタニスラフスキー・システムのメソッド演技をさせた」と述べていた。しかし、この映画の撮影(2019年11月~2020年1月)の1年前にアカデミー主演男優賞を獲得したばかりの、いわば絶頂期にある名優ホアキン・フェニックスを相手にして、彼を上回る素晴らしい演技を見せてくれた撮影時10歳のウッディ・ノーマンの飛び抜けた才能は、トマス・ホーンを完全に凌いでいる。そのことは、ほとんどの海外映画評論サイトが、ウッディの演技に時には半分ほどのページを割いて言及していることからも、誰もが認める既成事実になっている。まず、4つのサイトで、どのように評されているかから見てみよう。
 まずは、①THE NEW YORKERの2021年11月17日付けの「“C’mon C’mon,” Reviewed: A Child Star Is Born(『カモンカモン』のレビュー: 子役スターの誕生)」という記事から。この評は、アメリカとは思えないほど専門用語を多用した難しい表現で溢れているので、日本語にしてもかなり読み辛いものとなっている。内容は 「マイク・ミルズの情熱的なドキュメンタリードラマは、ホアキン・フェニックスと驚異的な若手俳優ウッディ・ノーマンの相性の良さが際立つ」という言葉から始まる。そして、映画の内容が簡単に語られる。「きっかけは一本の電話だった。ジョニー〔映画の主役: ニューヨークを拠点とするラジオプロデューサー兼オンエアパーソナリティー〕がホテルの孤独な一室から、ロサンゼルスに住む作家で教師の妹のヴィヴに、母の一周忌の機会にかけた電話。兄妹が母の死後話したのはそれが初めてであることは明らかで、最期の数日間に起きたことで2人の間には苦い思い出が残っている。しかし、ヴィヴには、今新たな問題が起きていた。サンフランシスコ交響楽団に引き抜かれた夫ポールが、精神的な負担にため住居のある対岸のオークランドで精神疾患の発作に見舞われ、ヴィヴによるケアが求められたのだ。ジョニーは臆することなくすべてを投げ打って、ロサンゼルスに飛び、ヴィヴの代わりに、ほとんど会ったこともないヴィヴの9歳の息子ジェシーの面倒を見ることになる。すると、ポールの容態が悪化し、ヴィヴはオークランドでの滞在を延長する必要が出てくる。ジョニーは、いくつかの予定されているインタビューのためにニューヨークに戻らないといけなかったので、ジェシーを連れて行く。そして、ヴィヴが再度滞在を延長すると、ジョニーは更なるインタビューのためにジェシーをニューオリンズに同行させ、この二つのチャレンジにより、甥と叔父の間には強い絆が生まれる」。そして、次に、ジェシーについて、こう述べている〔ここから英語の表現が難しくなる〕。まずウッディ・ノーマンが演じるジェシーについて、「ジェシー〔設定は9歳〕は早熟で特異な子で、孤独感や広大で暗黙の感情的欲求を隠したり明かしたりするインスパイアされた気まぐれに満ちている(例えば、彼には手の込んだ就寝前の習慣があり、孤児のフリをしたり、ヴィヴ〔ジェシーの母〕、今はジョニー〔ヴィヴの兄〕のことを、ジェシーを死んだ息子の親代わりしている人だというフリをする)。ジェシーは飽くなき知りたがり屋であり、さらに、彼は本能的で衝動的なドラマのセンスで感情を伝える避雷針でもある。時には、彼は古典的な(だが、大胆で無謀なほど独自のやり方の)演技手法を用い、時には、俗語を使った詩でビックリ口撃を仕掛けたり、彼の周りの大人の生活について奔放で容赦のない質問をしたりする。大人たちの莫大な欲求は、彼にとって不可解で恐ろしいものなので、彼は説明を求めることで、啓示、少なくとも気晴らしを得ようと決意している」と、難しい人格であることを強調している。そして、ジェシー役のウッディ・ノーマンについては、「ノーマンは衝動的で自由でのびのびしているが、驚くほど正確で、偉大な子役の一人だ。彼はこの役を指揮官の鋭い感覚で演じ、決して安易な感傷や愛すべき奇抜さに走ることがない。そして彼の弁証法の素晴らしさ、精巧な持ち味、衝動的に屈折した表現力で高揚する感情的な話し方は、最高の台詞をアドリブで言っているように見せる(映画のタイトルにもなっている、驚くほど深みのある反復を含む)」と結んでいる(この部分は、解説の最後に詳しく記載する)。
 次に、映画の企画からウッディ・ノーマンに至るまでに言及した、②British GQの2021年12月2日付けの記事「Mike Mills on C'mon C'mon: ‘I wouldn’t have done this film at all if I wasn’t a dad'(『カモン カモン』のマイク・ミルズ〔監督〕: 『もし、私がパパじゃなかったら、この映画はできなかっただろう』」というインタビューで、「ウッディ・ノーマンはオーディション・テープを提出したそうですね?」という質問に対し、監督は、「ホアキンも私は二人とも、『この映画が現実のものになるか、あるいは、かもしれないか見てみよう』といった感じだった。なぜなら、私は子供が演じるには あまりにもきつい脚本を書いてしまったから━こんなこと、本当にできるんだろうか? だから私たちは暗黙の了解のようなものを交わしていた━できるような子が出て来るまで、すべてが仮定の話だよね」「そのあとで、子供たちのサムネイル〔オーディション・テープ〕のリストがパソコンにリンクされ、最初のリンクにウッディが入っていた。見てみると、彼はとても上手だった。彼は、カメラに向かって演技してないという点で、全く違っていた。これは単純なことのように聞こえるが、実は、なぜ彼がすごいかの理由の重要な部分なんだ。そこで私は、『おお、あのウッディって子が欲しいんだが、すぐに連れて来れる?』ってスタッフに訊いた。彼らは 『彼はロンドンにいます』と答えた。それで、彼はいつ戻ってくるのか尋ねた。『いいえ、彼はそこに住んでいます』。そうか、彼はロンドンにいるアメリカ人の子供なんだ。『いいえ、いいえ、彼はイギリス人です』。彼はずっとアメリカ英語で話していた。私は前世で何か良いことをしたに違いない。なぜならそんなことは普通起こらないから」と答える。次に、「撮影現場で彼のアメリカ英語を洗練させるため何かしたのですか?」と訊かれると、監督は 「方言指導なんか何もしなかった。彼はアメリカ英語を知っていた。どうしてかは、分からないが。私が『カット』と言うと、彼はイギリス英語に戻るんだ。一日中アメリカ英語のままというわけではなく、行ったり来たりしている。バイリンガルの子供みたいに。なぜなら、いつもではないが、彼は即興で台詞をやっているからだ」と答える。「この作品は、あなたの息子であるホッパーとの関係にインスパイアされたものです。あるプロフィールによれば、二人は 『彼らの年齢以上に深く探究心があり、賢明である』と記されており、これは確かに『カモン カモン』のジェシーと一致します。では、この二人にはどのような関係があるのでしょうか?」に対しては、「書くことは、ある意味、幻覚体験や魔法のような練習で、耳にしたり息子から聞いた話とは違うことを書き始める━新たに加えたり、強化したりして。しかし、最も重要なことは、俳優と出会い、その俳優を一緒に作家になるよう招くことだ。即興で何かをしていて、『どう思う? なんでこんなことする、ウッディ? ホアキン?』と話しかける。こうすることで、それが彼らの歴史、精神、心、魂になるんだ」と答える。「ウッディはジェシーの演技にどの程度関与していたのですか?」。「彼は子供だから、たくさん関与したんだ。私は子供じゃないから、どの台詞が子供らしくないか、どこは子供らしいかを、彼に頼ってきた━君の直感に全面的従うと言って。こうしたことは、多かれ少なかれ、どの大人の俳優にもあって、みんなその必要性を理解している。演技をしている彼らの直感は、私の本来の意向よりもっとずっと重要だから」。
 ウッディ・ノーマンについて書かれた③SCREENDAILYの2021年12月20日の「‘C’mon C’mon’ actor Woody Norman: “Never not listen to someone because of their age”(『カモン カモン』俳優ウッディ・ノーマン: 「年齢を理由に人の話を聞かないことはない」)」からの引用。「かくも優れた子役の演技は、可能な限りその役柄に似た子供を起用することで生まれると思われがちだ。しかし、ノーマンはそうではない。第一に、ノーマンはカリフォルニア人ではなくイギリス人で、アメリカ人の血を引いてもいない。『撮影が始まる2、3年前に、別の仕事(『カレント・ウォー(エジソンズ・ゲーム)』の小さな脇役)のために発声練習を受けたんだ」。「第二に、今や自信を持った12歳━動物の権利に情熱的で、レコード盤を集め、ギター、ベースギター、ウクレレを弾く━は、常軌を逸し やや虚弱なジェシーとほとんど共通点がない。『僕たちは全く違う。僕はいつだってもっと外向的なんだ。もちろん、いつもじゃないけど、彼はもっとずっと内向的だけど、僕はいつだってみんなと一緒にいたい。僕はこれまで友だちがいない時期なんてなかったけど、ジェシーはそんな時期ばかり。だから、この仕事を引き受けたいと思ったのは、ジェシーと僕があまりにも違うからだと思う。ジェシーの変人ぶりが好きだったし、その変人ぶりで演技できたんだ」「彼がジェシーという登場人物と共有したのは、アメリカを発見するという機会だった。映画は、時系列的に撮影されたので、ノーマンの旅はジェシーと一致した。それは、ノーマンにとって貴重な体験だった。『僕は、物語の中でジェシーが成長したように 成長したし、僕とホアキンの関係も同じだった』と彼は話す。『最初、僕たちはお互いによく知らなかったけど、それでも友だちだった。撮影が進むにつれ、ジェシーとジョニーのように親しくなった』。現在、ノーマンとフェニックスは、『当然、ママの携帯電話からだけど』、定期的にメッセージを送り合う固い絆で結ばれている」と、ウッディ・ノーマンへのインタビューを交えて記事をまとめている。
 最後に、④Los Angeles Timesの2021年11月19日の記事「That chemistry Joaquin Phoenix and Woody Norman have in ‘C’mon C’mon’ is completely authentic(『カモン カモン』でのホアキン・フェニックスとウッディ・ノーマンの相性の良さは完全に本物だ)」から該当する部分を抜き出すと、「ホアキン・フェニックスは、マイク・ミルズ監督が自身の映画『カモン カモン』の “錨” を務めることができるような才能のある子役を見つけられるのか非常に懐疑的だった。ミルズ監督は、ホアキンが 『こんなこと すべてをやれるような子供は見つからない。実際に見たら信じるよ』 と言ったと語っている。イギリスの若手俳優ウッディ・ノーマンがこの役のためにロサンゼルスに来た時、フェニックスはすぐにそれを 『目にした』。フェニックスは語る。『僕らが、あるシーンを一緒に演じていた時、ウッディがアメリカ英語らしいアドリブを入れて、ダイナミックさを保ちつつ、そこに新しい何かをもたらした瞬間があった。僕はミルズを振り返って見て、何か本当に魔法のようなことが起こったのだと、二人で確信したんだ』。その瞬間から、47歳のフェニックスと10歳のノーマンは、ミルズが予想もしなかったレベルで意気投合した。『最初は私の脚本なんだが、それを俳優たちに渡すと、彼らがそれを変容させ、電気が起こり始めるんだ。最後には、映画は、ジョニーとジェシーではなく、ホアキンとウッディが恋に落ちるドキュメンタリーのようになっていた』」と書かれている。
 長々と、引用してきたが、ウッディ・ノーマンの演技は、これまで紹介してきた575本の子役の登場する映画の中で、異次元の卓越さで輝いている。それは何故なのか? 彼は、脚本を超え、ジェシーになりきり、ジェシーならこうするだろうと思って彼を演じている。だから、どのシーンも、動きが止まることはない。表情は次から次へと変化し、まるでそこに本当のジェシーが生きているかのように見える。これは、大人の名優にしかあり得ない素晴らしい演技だ。その白眉が、上記①の最後に書かれていた 「最高の台詞をアドリブで言っているように見せる」場面。ジェシーが伯父の真似をして、マイクに向かって、まずインタビューする側になり 「将来について考えたことある?」と訊くフリをし、次に、インタビューされる側になって、「うん、あるよ。何かをやろうと思っても、絶対そうはならない。考えたこともないようなことが起きるんだ。だから、こうするしかない… がんばらないと、やろう、やろう、やろう…〔C’mon, C’mon, C’mon, C’mon, C’mon, C’mon, C’mon, C’mon, C’mon, C’mon…〕」と言う部分だ。これは、伯父がいつも仕事としてやっているインタビューの真似事をやってみて、自分の本音を初めて見せる部分。親しくなった伯父といつかは別れ、自分と少し距離のある母のところに戻った時に どう生きて行くかを考えて口にした言葉で、映画の題名になっている『C’mon, C’mon』を際限なく繰り返してみせる。この時の何とも言えない表情が素晴らしい才能の全てを物語っている。

この映画は、BLのオーディオコメンタリーの監督の弁によれば、「子供を1人の人間として認めること」を前提に作られている。なので、映画は常に9歳のジェシーを中心に回り、そのジェシー役のウッディ・ノーマンは、「1人の人間として」自由な演技を見せている。全体の構成は、ロサンゼルス編、ニューヨーク編、ニューオリンズ編に別れ、では、サンフランシスコ近くのオークランドに住む父親が精神に異常を来したため、母親のヴィヴが一時ロサンゼルスを離れなければならなくなったので、その間の数日、ニューヨークに住む兄のジョニーに一人息子のジェシーの面倒を見てもらうところから始まる。2人はもともと疎遠で、会うのは1年ぶり。しかも、ジョシーはかなり癖のある子なので、今まで独身で通してきたジョニーは、ジェシーとの関係の構築に苦労する。それが、さまざまな短い出来事の累積で語られる。では、父親の容体が悪く、オークランド滞在が延長されたので、ニューヨークで仕事の入っているジョニーは、独断でジェシーをニューヨークに連れて帰る。2人の関係は、知り合うにつて親しみを増すが、振幅も激しくなり、口論も起きる。それらが、さまざまな短い出来事の累積で語られる。では、父親の入院に伴い、さらに滞在が延びたことから、ジョニーはジェシーをニューオリンズに連れて行く。2人の関係は、親子に等しいほどになる。それらが、さまざまな短い出来事の累積で語られる。しかし、父親の容体が回復したことから、ジェシーはせっかく親しくなったジョニーと別れなくてはならなくなる。この映画の最大の成果は、上記の冒頭解説で詳しく書いたように、演技をするのではなく、ジェシーになりきって行動する当時10歳のウッディ・ノーマンの素晴らしさを、映画フィルムとして後世に残した点にある。この映画を一度もご覧になっていない方はもちろんのこと、映画館で観られた方でも、そこまで詳しくジェシーを見ておられないだろうから、BLもしくはDVDで初見もしくは再見されることを、『映画の中の少年たち』の製作者として強くお勧めする。

ウッディ・ノーマン(Woody Norman)は、2009年3月12日生まれ。映画の撮影は2019年11月~2020年1月なので、撮影時10歳。TVドラマへの端役出演は2015年から8本。映画も『The Current War(エジソンズ・ゲーム)』(2017)の端役、『Bruno』(2019)の主要な脇役、『The Small Hand』(2019)の端役を経て、この映画。その後は、『Cobweb()』(2023)の主役と続く。この映画では、英国アカデミー賞の助演男優賞など11の賞にノミネートされたが、ロンドン映画批評家協会の若手俳優賞、ワシントンD.C.映画批評家協会の若手俳優賞、デトロイト映画批評家協会のブレイクスルー賞、ハートランド映画祭のライジング・スター賞の4つの賞を受賞した。

あらすじ

映画には、ニューヨークを拠点とするラジオプロデューサー兼オンエアパーソナリティーのジョニーが、思春期に近い若者や十代の若者に、彼ら・彼女らの人生や将来への期待についてインタビューする長期プロジェクトを行っている場面が4回挿入される(総時間は11分56秒。映画の本編は102分31秒なので、約12%に相当する)。あらすじで取り上げる内容ではないので、インタビューが行われた場所と時間のみ記載する。また、映画はロサンゼルス、ニューヨーク、ニューオリンズと3つに分かれるので、それぞれの場所も明示した。

映画と同時にスタートする1回目のインタビューの場所はデンバー(4分7秒)。
その後は、ロサンゼルス(24分10秒)。

ジョニーが仕事先のデンバーの安ホテルから、1年ぶりに妹のヴィヴに電話をかけている(1枚目の写真)。ジョニーが、「電話しようか迷ったんだ… もし、そうしないと…」とためらいがちに話し始めると、ヴィヴは、「話せて良かった。ママが聴いてるかも」。ここで、2人の母が高度の認知症を患い、病院のベッドでジョニーが調子を合わせて喜ばせている様子〔過去〕が映る。「もう1年〔母の死後〕も経ったとは思えない。君がどうだい?」。「変な感じね」。その間、映像では、母の末期に、“ロサンゼルスで始終母の面倒を見ている妹” と “ニューヨークで働いていて、たまにしか母に会いに来ない兄” との間でいさかいが起きている様子〔過去〕が短く映る。ヴィヴは 「今、どこにいるの?」と訊き、ジョニーは 「デトロイトで、子供たちにインタビューしてる」と答える。ヴィヴは 「この前、ジェシーが、ラジオであなたの番組聴いたわ」。「そうか?」(2枚目の写真)。「ええ、車を運転してたら、ラジオからあなたの声が聞こえたの」(3枚目の写真)。「ホントか?」。「もう9歳よ。覚えてる? あの子、あなたの声が分からなかった。1年も経ってるから。子供にとっては長い期間よ」。
  
  
  

「ジェシーはどんなだ?」。「いい子よ。頭が良くて、すごく変わってるの」(1枚目の写真)「あの子は、成長し、面白いし、何て言ったらいいか、小さいけど もう一人前よ。ところで、ポールはオークランドに移ったの」。「彼が? おいおい本当か?」。「ええ、大丈夫よ。そう思うけど… つまり… 彼は… 元気なんだけど、少し手助けしてあげないと…」。「それで、君は、連れてくのか、ジェシーを?」。「いいえ、そんな旅じゃないから」。「で、誰が、ジェシーを見るんだ?」(2枚目の写真)。「まだ、考えてなくて」。この無責任なヴィヴの返事を受けて、次のシーンでは、ジョニーがロサンゼルスにあるヴィヴの家を訪れる。玄関のドアのガラス越しにジェシーが見えたので、ジョニーは満面の笑顔でドアを開けると、ジェシーに向かって 「よお」と声をかける(3枚目の写真)。ヴィヴは 息子が伯父に会ってから1年が経ち、少し緊張して 「やあ」と小声で言ったので、「お元気ですか?」とサポートし、ジェシーも 「お元気ですか?」と言う。「元気だよ。君は?」。「いいよ」。
  
  
  

ヴィヴ: 「ジョニー伯父さんに、入って下さいって頼んだら?」。ジョニー: 「僕に、中に入って欲しいかい?」。ジェシー: 「中に入る?」。ジョニー: 「ありがとう」。ジェシー: 「いいよ」。ジョニー: 「ハグしていい?」(1枚目の写真)。ジョニーはジェシーを抱き上げてハグする。そのあと、ジェシーは伯父に、簡単に家の中を案内し、両親の部屋まで来ると、ベッドに体を投げ出し、「ママ言ってたよ… 伯父さんは今夜ここで寝るんだって。ママの、特大で、居心地のいいベッドなんだ」。そして、食事のテーブルにつくと、ジョニーは不思議な話を体を使って始める。「大きな、大きな、大きな、大きな、大きな、小さな、真菌の管のようなもの、管状の真菌があって、それがすべての木々をつないでる」(2枚目の写真)「だから、ここにいる。背もうんと高いんだ」(3枚目の写真)「すべての食べ物を手に入れ、そしてちょっとだけ、えーと、管を通って別の木に入るんだ。それから、その、えーと、すべての食べ物を手に入れ、通ってくんだ。だから、木々は…」〔ジェシーが如何に変わっているかをストレートに表現している。彼の癖は。「えーと」を多発すること〕
  
  
  

2人だけになると、ジョニーは、「ポールに何があったんだ?」と尋ねる。「つまり、彼は、サンフランシスコ交響楽団から、あのね、信じられないような申し出を受けたの、でも、それが彼をダメにしちゃった。毎度のことだけど。で… それから、彼はクソ犬を飼った、そんなことしちゃいけなかったのに」。「で、君がその後始末を?」(1枚目の写真)。「そうよ。それがポールなの」。「ジェシーはどうなんだ? 彼には話したのか?」。「いいえ。整頓の手伝いに行くから、後で一緒になろうと話しただけ」。「僕と2人だけで大丈夫かな?」。「あの子、私がいない方が好きなの。きっと、喜ぶわ」。その時、1階から、ジェシーが 「おーい、誰かいる?」と、2階に2人がいることを知っていて、呼ぶ声が聞こえる。それを聞いたヴィヴは、「覚悟できてる?」と訊く(2枚目の写真)。「何のだい?」。「気を引き締めて。「私を訪ねて来るのが好きな、小さな孤児がいるの。つまり、今は、あの子は あなたに会いにやって来るの。あの子は、私には何人か死んだ子供たちがいるってフリをするのが好きなの。だから、その子たちが何をしたのかいっぱい質問して、その真似をするのよ」。「そりゃ、最悪だ」。そして、「誰かいる?」の催促に従い、ヴィヴが 「今、行くわ」と言いながら、階段を下りてくる。そして、「あなた、孤児ね?」と、調子を合わせて訊く。「今夜、ここで眠っていい? 孤児院の二段ベッドは、子供たちのイビキでいっぱいなんだ」。「もちろん、いいわよ。ちょうど、息子もいないしね」。「よければ、代わりになってあげてもいいよ」(3枚目の写真)。「いい考えね。息子なら、もうベッドに入る時間よ」。そう言うと、ヴィヴは、ジェシーを彼の部屋に連れて行く。ジョニーは、ベッドに横になったジェシーに、『オズの魔法使い』の第一章から読み聞かせ始める。ジェシーが眠ってしまうと、いつもインタビューをしているマイクに向かうと、今日の出来事として、「彼は、木々が互いに連絡を取り合い、木々が真菌の地下ネットワークでどのようにつながっているかを教えてくれた」と話す。ヴィヴは、翌早朝、まだ眠っているジェシーにキスすると、家を出て行く。
  
  
  

ジョニーは、1階の居間から鳴り響くモーツアルトの『レクイエム』に起こされ、1階に降りていく。ジェシーは床に横たわってまま、伯父を見て 「お早う」と言う。ジョニーが、「うるさい!」と注意すると、「土曜だ。土曜は大きな音がいいんだ」と言う(1枚目の写真)。「ママは出かけた?」。「ママは言ってたよ、ちょっと気まずいかもしれないって」。「聞こえない」。ジェシーはより大きな声で、「ママは言ってた。ちょっと気まずいかもしれないけど、伯父さんも すぐに慣れるって」。「音をちょっと下げてくれないか?」。「ママがメモを残してったよ、キッチンに」。次のシーンでは、音楽は止み、ジェシーが、初めて実物を見るジョニーのマイクに興味を持っている。しかし、ジョニーがいつも子供たちにやっているように、「では、未来について考える時、君はどうなってると思う?」と質問すると、ジェシーは、「僕はやりたくない」と言う。「未来について想像したくないのかい?」。「質問されたくないんだ」と、完全拒絶。そして、逆に、ジョニーの機械について質問を始める。そして、ヘッドホンもはめてもらう(2枚目の写真)。そして、ヘッドホンを付け、手に、プロ用のマイクを持って一緒に外に出て行く。人通りの多い遊歩道だけでなく、砂浜にも出て行き、海に向かってマイクを向ける(3枚目の写真)。
  
  
  

家に戻って風呂に入っていたジェシーは、「ジョニー」と呼ぶ。ジョニーが、「何か要るのか?」と入って行くと、「ママは、お話ししてくれる。物語でもノンフィクションでもいいよ」と言う。ジョニーは、タイルの上に座り込むと、「お話しは苦手なんだ。ただ話すのはどうだ? お互い知り合えるし」と言う。すると、ジェシーは、「なぜ、ママと話すのを止めたの?」と質問する(1枚目の写真)。「話してるぞ」。「ううん、話してない」。ずばり指摘されたので、「分からん」と認める。「前は、よく話してたの?」。「ああ」。そして、ジョニーの母の過去の映像が挿入される。認知症が進み入院中の母だ。たまに見舞いに来て、無抵抗に母の言う通りにしているジョニーを見て、始終面倒を見ているヴィヴは、「いつも、母さんの言うがままにするんだから!」と批判して口論になる。その際の一番厳しい言葉は、ヴィヴの、「あなたは、可愛がってくれたお母さんを失う。私は、一度も理解してくれなかったお母さんを失う」だ。前者は、ニューヨークで思いのままにスポットライトを浴びて暮らし、後者は、認知症患者の世話に明け暮れる。その怒りが、2人の仲を裂いて行く。ジョニーは、ベッドで、『オズの魔法使い』の第3章をジェシーに読み聞かせている。すると、突然ジェシーが、「なぜ結婚しないの?」と質問する。ジョニーは、「長い間、ある人と一緒だった… ルイーザだ」と言うと、『オズの魔法使い』に戻る。すると、ジェシーがまた、「好きだった?」と割り込む。「今でも」。「じゃ、なぜ別れたの?」(2枚目の写真)。「分からん」。そして、3度目の『オズの魔法使い』。今度は、ジョニーが途中で読むのを止め、「僕から言い出した訳じゃない。お互い愛し合ってると思う。それは、ずっと続いている。でも、その愛をお互い表現するのは難しいことが分かる。それから、見つめ合って、こんなことになり、びっくりする。君が こんな経験をしないよう望むけど、多分するかもな。だが、それでいいんだ」。それだけ言うと、4度目の『オズの魔法使い』に。いつしか、ジェシーは眠っている。ジョニーは、この経験も、自らマイクに向かって話す(3枚目の写真)。「『オズの魔法使い』を読んで、頭にキスし、お休みを言うと、彼は僕になぜ結婚しないのかと尋ねた。僕は彼に、別れたくなかった、ルイーザがいなくて寂しいとは言えなかった。なぜだろう?」。
  
  
  

その夜、ジョニーはなぜか 『双極性熊の家族』という、親が精神疾患をかかえている子どもの体験をとりあげた絵本を読んでいる。「なぜか」と書いたのは、彼が専門書でなく、このような絵本を自分のために読む必要がないから。この絵本の言葉は、その背景に映る精神疾患をかかえたポールがジェシーに与える影響を示す過去の映像(1枚目の写真、右下隅に★印)を説明する意味しかない。「そう遠くない昔、遠く離れた北極圏の村に北極熊の家族が住んでいました。パパ北極熊、ママ北極熊、赤ちゃん北極熊がいて、みんなとても愛し合っていましたが、でもどこかがおかしかったのです。赤ちゃん北極熊は、どこかおかしいか知っていました。彼は、口には出さないけれど、ずっと心配していました。パパが心配だったのです。パパ北極熊は、自分の感情をコントロールするのが難しく、時にはママとベビー熊を動揺させたり、怖がらせたりすることさえしました」。翌朝になり、居間でイスに座ったジェシーが、「僕、じゃあ伯父さんを、『パパ』って呼べばいい? それとも、『ジョニー』って呼べばいい?」と訊き、ジョニーが、「好きに呼んでくれて構わないよ」と答える。「分からないよ。僕、何かを選ぶことに慣れてないから」(2枚目の写真)。「ゆっくり考えればいい。その間に、どう感じられるか見極めるんだ」。「そうする。だけど、伯父さんの子どもたちが死んじゃって、ホントに残念だったね」(3枚目の写真)〔ヴィヴとやっていた “ごっこ” の伯父版〕。「あのなあ、僕は、その役はできないと思うよ」。「これって、僕とママがやってたことなんだ」。「それはママが納得してやってるから問題ないんだ。だけど、僕には納得できないから、そう言ったんだ」。「どうして、納得できないの?」。「バカらしいんだ。悲しいよ。君は、なぜやりたいんだ?」。「ただ、苦手なんだろ?」。「どうして、何でもかんでも、君がやってるような奇抜で奇怪な真似をしなくちゃいけないんだい?」。「僕が、やりたいからさ」。「なぜ、もっと普通のことをしないんだ?」。「普通って?」。「君の現実の人生のような…」、「普通って?」。
  
  
  

次の場面で、ポールの精神疾患がかなり悪化している様子が、本題ではないので、短い場面を組み合わせて紹介される(1枚目の写真)。そして、ヴィヴは我慢できなくなってジョニーに電話する。「彼を検査に連れて行くことはできるけど、まず仕事をやめさせてリラックスさせないと。だから、あと数日、ジェシーと一緒にいてもらえない? ジェシーの学校に電話して、あなたをリストに載せておいたから、学校までの送迎、お願いできる?」。「できるんだが… あのな ヴィヴ… 金曜にはニューヨークに戻ってインタビューしなくちゃならんのだ。だが、何とかしてみるよ」(2枚目の写真)。「そんなこと、できるの?」。「何とかしてみるよ」。翌朝、ジョニーとジェシーは朝食のテーブルに座り、ジョニーがテーブルの上で指を動かすと、ジェシーがそれを真似する(3枚目の写真)。それを見たジョニーが、今度は拳骨でテーブルを叩くと、ジェシーもすぐに倍にして拳骨で叩き、ジョニーが3倍にする〔こうしたじゃれ合いは、すべて監督の指示ではない〕
  
  
  

そのあと、2人はまた海岸に行き、ジェシーはヘッドホンをつけてマイクで音を拾うが、その間、ジョニーは、ずっとニューヨークにいる同僚の女性ロクサーヌと携帯で話し続けている。ロクサーヌ:「最初のインタビューは土曜の9時かな。それまでには戻ってくる?」。ジョニー:「ああ、必ず」。「その前に会えるかしら、それともフェルナンド〔助手〕が飛行機用にくれたインタビュー用のメモを送った方がいい?」。「ちゃんと行くよ、だけど、送ってくれ、そうすれば、見とくから、でも、いや、金曜には行くよ。どうかな、まだチケットは手配してないんだ」。話は、ヴィヴにも及び、「何とか、解決するよ」と言った後、「でも、この子はマジすごいんだ。一式身につけて、一緒に歩いてる」(1枚目の写真)。「録音機材を?」。次の場面で、2人は砂浜に座り込み、2人とも録音機材は身につけていない。ジョニー:「ニューヨークに行ったことは?」。ジェシー:「ううん」。「一度もかい?」。「一度だってないよ」。「こういったすべて、太陽の光、砂浜に退屈しないか?」。「ううん」。「なんてこった。なあ、一緒に来ないか?」。「何て?」。「一緒に、ニューヨークに」。「それって、今すぐ?」。「まあ、今すぐじゃないが、週末にインタビュー取材やら何やらで行かなきゃならん。一緒に来て手伝うか? 君が録音した音を、番組に織り込んだりできるかも。楽しいぞ」。「それ気に入った」(2枚目の写真)。そのあと、家に帰ると、ジェシーはジョニーのすぐ横に座り込み、ジョニーの唇を引っ張って遊び、ジョニーが耐えきれなくなると、楽しそうに笑う(3枚目の写真)。
  
  
  

その頃、オークランドでは問題が起きていた。ヴィヴがポールの犬を散歩に連れて行き、戻って来るとポールの姿が消えていた。自分とダメ夫のことしか頭にないヴィヴは、ジョニーに電話をかけて悩みを訴えるが、ジョニーは 「僕の話も聞いてくれ」と くどい話に釘を刺し(1枚目の写真)、「もしジェシーが 僕と一緒にニューヨークに行ったら? 彼はそうしたいと言ってたし、僕も…」。ここで、ヴィヴが口を挟む。「どういうこと? あの子が行きたいって言ったの? もう、訊いたわけ?」。「いいや、ニューヨークについて話してたら、一度も行ったことがないって」。「ジョニー、9歳の子にニューヨークに行きたいか訊く前に、母親に断るべきよ」(2枚目の写真)〔忙しい兄に無理矢理頼んでおいて、ちゃんと息子の世話もできないくせに、何という自分勝手な〕。「ヴィヴ、君を助けたいんだ。僕には、これしか助ける途がない」。「助けにならないわ。他を当たって見る」。そして、ジョニーがジェシーを迎えに学校に行く場面。入口の脇で待っていると、ジェシーが親しげに寄ってきて、横に座る(3枚目の写真、矢印)。ジョニーは、夜になると、その時の様子をマイクで収録する。「…そしたら、この可愛い髪と顔の子は、ちっちゃな声で 『ママと話した?』って訊いた。僕は、『イエス』と答えた。『で、ママ 何て言った?』。『君が大好きだって』。彼には言えなかった」。しかし、翌日、ヴィヴから電話が入り〔こんな、自分勝手な女性に好意的な友だちなどいるハズがないので、ジェシーの預かり手は見つからなかった〕、「あなたの仕事中、あの子を見ててくれる人がいるのね?」と訊き、さらに、「それって、どういう人?」と、〔もっと、感謝すべきなのに〕くどくど尋ねる。「誰か、見つけるよ。約束する」。ようやくヴィヴは、「OK。私、ジェシーの先生に電話したわ。緊急事態が発生したので、1週間ほど家を空けるって。あの子の宿題、送るわ」。「心配するな」。「OK」〔飛行機代を払ってジェシーをニューヨークまで連れて行き、面倒をみてくれるのに、「ありがとう」の一言もない〕。その後で、ジョニーが、『母親たち: その愛と残酷な行為に対する小論』〔西欧社会における悲惨な母性を擁護する内容〕を読み上げるシーンがあるが、これは、1つ前に彼が読み上げた『双極性熊の家族』と違い、観ている者に全く共感を与えない。というのは、明らかに入院が必要な夫を甘やかし、ジェシーをないがしろにするヴィヴの態度が母親失格なので、この本の引用に値しないから。
  
  
  

ここから、ニューヨーク(34分21秒)。

ここから、ニューヨーク。マンハッタン橋のマンハッタン区側にある誰もいないソフトボール・フィールドで、ジェシーが橋を渡って行く電車に向けてマイクを向けて、「すごく長いね」という場面からスタートする。「ここ、気に入ったか?」。マイクを電車に向けていて、ヘッドホンを付けているので、ジョニーの声が聞こえない。「なあに?」。今度は、マイクを向けたので、「ニューヨーク、気に入ったか?」と訊き直す。ジェシーは、マイクに向かって 「うん」と答える(1枚目の写真)。「どっちが好き? ここでレコーディングするのと、ビーチでレコーディングするのと?」。「こっち」。「あのな、僕が、レコーディングの何が好きか、分かるか? こうした音を、ずっと取っておける、永遠にだ。そこが、クールなんだ」と、魅力を語る。次の映像はマンハッタン橋の付け根にあるチャイナタウンを歩いている4人(2枚目の写真)〔右上がマンハッタン橋への高架橋とその下の鉄道橋、2人の後ろにいるのは、左が同僚のロクサーヌ、右が助手でジェシーのお守り役にもなるファーン〕。4人のいる場所をグーグル・マップの立体表示で示すと、3枚目の写真のようになる。黄色の×印が4人のいる場所。その背後に、マンハッタン橋が見える。橋の架かっているイースト川の右端にビルを挟んで2つの小さな塔が川の両側に見えるが、これが有名なブルックリン橋(国定歴史建造物)。マンハッタン橋の左すぐ横のビルは高さ258mのマンション。ロクサーヌはファーンに、ジェシーのことを、「彼って “ミニ・ジョニー” みたい。フード〔フード付きのジャンパー〕に、くしゃくしゃの髪の毛」と話す。2人は、その後、中国料理店に入るが、ジェシーは食事よりアイスクリームの方が好き。箸が使えないアメリカ人用のフォークで麺をすくうが、一口食べて、アイスクリーム皿を手元に持って来て(4枚目の写真、矢印)、ジョニーに制止される。
  
  
  
  

ロクサーヌが 「ネットで見た最もクレイジーなもの」と尋ねると、ジェシーはすぐに、「陰謀が好きだよ」と答える。ジョニーは、話すより先にブロッコリーを食べろと言うが、ジェシーは、スマホで読んだ変な話を持ち出す。「政府機関が、蟻の巣を手に入れた。それから後は、こんなだったかな。彼らは、死人にそれを埋め込む。すると、死人は生き返り、体の中には蟻の惑星ができてたとか」 と言って、バカな話だと笑う(1枚目の写真)。ジョニーは、下らない話を止めさせようとして、スマホを取り上げようとするが、ジェシーは平気で、次の話に入る。「こんなのもあったよ。彼らは、森の中で巨大な動物を見つけて、顔を剥ぎ取った」(2枚目の写真)「そして、注射をいっぱいして、すごくパワフルにすると、政府の秘密兵器にしたんだ」。店の外に出ると、ロクサーヌは、「学校の友だち、みんな君みたいなの?」と訊く。「ぜんぜん違うよ」。ニューヨークでの住まいに戻ったジョニーは、いつものように、その日の感想をマイクに向かって話す。「僕は疲れた。すごく疲れたが、あの子は違ってた」(3枚目の写真)。
  
  
  

そして、「歯ブラシ持って来たか?」と尋ねると、「ううん」と答える。「おいおい、入れて来いと言ったろ」。ジェシーは 「入れなかった」と答えると、すぐに、「感情を表現するの苦手なの?」と質問する。「今はフラストレーションがかなり溜まってるからな」。ジェシーは 「それなら、座って、すべて吐き出せばいいじゃない」とセラピストのように言う(1枚目の写真)。真夜中になった頃、ジェシーはフソァーから起き上がると〔ジョニーは独身なので、ベッドは1つしかない〕、寝室に入って行き、電気スタンドを点けると、勢いよくジョニーのベッドに飛び込む。当然、眠っていたジョニーは目が覚める。彼は、本質的に優しいので、叱らずに、「おい、どうした?」と訊く。ジェシーは、ベッドの中で、「僕の友だちは僕みたいに話さない。だって、僕にはホントの友だちがいないから。僕は いつも大人と一緒なんだ」と妙な理屈をこねるが、ジョニーは 「ダメだ、ジェシー、ベッドに戻るんだ」と言い、ジョニーは、ジェシーをソファまで連れて行き、寝かせ、彼が眠るまで一緒に座っている。そして 立ち上がって、ゆっくり自分の部屋に戻り始めると、眠っていたハズのジェシーが背後で顔を出し、「今夜、一緒に眠っちゃダメ?」と訊く。そして、ジョニーは仕方なくベッドまで連れて行くと、すぐには眠らず、夕方の食事のことでジョニーを責める。「どうして僕にいっぱい砂糖を食べさせたの? ママは、許さなかったのに」。ジョニーは、「何だと? 君が言ったんだぞ、ママがOKしたって」。すると、ジェシーは急に話題を変え、「ママが小さかった頃のこと、話してくれる?」と言い出す(2枚目の写真)。「ママは可愛い子だった」。「僕、聞いてるよ、ママのボーイフレンドたちのこと、ママが家出したこと、いつもトラブル抱えてたってこと、中絶したってことも」(2枚目の写真)。後で、ジョニーがマイクに向かって話すシーンが挿入される。「なんて言えばいいんだ。そんなこと、初耳だった」。ここで、ジェシーの衝撃的な会話の直後に戻る。ジョニーは、「いいかい、女性の体って、うーん、まるで… そうだな、他の誰もがそうだが、君には権利があるだろ… 自分の体に、だから、女性にもちゃんと権利があるんだ。それはだな… “自己決定権” って呼ばれるものだ〔アメリカの連邦最高裁が女性の中絶権を合憲としてきた1973年の「ロー対ウェイド」判決を覆したのは2022年6月24日〕
  
  
  

その直後、ジェシーは、またがらりと話題を変える。「ママがどうやって僕を眠らせるか、教えてあげるね」と言うと、「さあ、横になって」「足を休めて、脚を休めて」「手を休めて、腕を休めて」「目を休めて」(1枚目の写真)「口を休めて、顎を休めて。頭を休めて」(2枚目の写真)「今夜はもう何も考えないで。気を楽にして。空には星だけ」(3枚目の写真)〔数日前、YAHOOで見た「2分で入眠できる米軍式睡眠法」では、リラックスさせる順が、顔、腕、手先、足、足先の順と逆になっている以外は、ほぼ似ている。だから、ジェシーが教えたことは間違いではない〕。この夜の2節にまたがる連続したシーンは、ウッディ・ノーマンの自然な演技の多様性を示す最初の事例なので、写真を多くした。
  
  
  

次の節の1枚目と2・3枚目の写真のシーンの間に、2回目のインタビューが入る。場所はニューヨーク(2分1秒)。

翌朝、ジョニーはヴィヴに電話をかけ、「…だから何だ? 彼にはあるのか、その… 睡眠障害でも?」。「あのね、多分、過剰に刺激されただけだと思うわ。あの子に糖分与えた? スマホで変なもの見せなかった?」。両方とも正解だったので、ジョニーは全面否定し、代わりに、「君は慣れてるからいいだろうが」と、如何にも睡眠不足の疲れた声で言う。ところが、ヴィヴは、「慣れてなんかない。時には、憎たらしくなるわ。つまりね、私、あの子を何よりも愛してるけど、ひどい時には、同じ部屋にいるのが耐えられなくなるの… くどくどと、話し続ける… 無意味でどうでもいいことを容赦なく… 私が考えようとしても、それを遮って…」(1枚目の写真)。ヴィヴの不満は際限なく続き、それと共に、観客のヴィヴへの同情は薄れていく〔「母親失格」の一語〕。その日のインタビューが終わり、ジョニーは歯ブラシを買いに店に入って行く。ジェシーが真っ先に手に取ったのは、「僕は君の歯ブラシだ」と歌う歯ブラシ(2枚目の写真、矢印は歯ブラシ)。ジョニーは、それを見て、「それはダメだ。ママを怒らせちゃうぞ。他のにしろ」と言うが、ジェシーは、「ママ、ここにいないよ。だから、お願い買ってよ」と譲らない。ジョニーは、直接話すのをやめて、別の棚に行き、“正しい選び方” について教訓を垂れてから歯ブラシの棚に戻って来ると、ジェシーがいない。棚の間を、「ジェシー!」と呼びながら必死に探していると、ジェシーが、“歌う歯ブラシ” を持ったまま、驚かすように目の前に飛び出す。「何してた?」。「その顔、見たら?」。「おい、こんなマネするんじゃない。いいな?」。「パニくってるね」(3枚目の写真)。「やめろ」。「やめろ」〔ジョニーの言葉をワザとくり返している。この後も同じ〕。「やめるんだ」。「やめるんだ」。「やめろ!」。「やめろ!」。「もうたくさんだ!」。「もうたくさんだ!」。「今すぐやめろ!」。「放せ!」(4枚目の写真、矢印は歯ブラシ)。店を出た2人。ごった返す夜のチャイナタウンを歩きながら、ジョニーは歯ブラシを一方的に拒絶したことを謝る。
  
  
  
  

しかし、許してもらえなかったらしく、家に戻ると、ヴィヴに詳細を打ち明ける。彼女は、兄を慰めた上で、「あのね、心配で怖くなったから怒鳴ったんだと説明して、それから謝ればいいのよ。分かる? あの子も、一人の人間なんだから、正直になればいいだけよ」とアドバイスする。そして、ヴィヴは、ジェシーに代わるよう要求する。母が、「大丈夫なの?」と訊くと、「ふざけただけだよ。電話なんかする必要なかったのに」。「そうね、分かってる。だけど、あなたは彼をすごく不安にさせたのよ、ジェシー、いい? もうやっちゃダメ」。「どうしてジョニーの味方するの?」。「味方なんかしてない。どっちでもない。でもね、あなたはジョニーの言うことは聞かないと。彼の家にいて、世話してもらってるんだから」。「どうして? なぜ、ジョニーが僕の世話なんかするの?」(1枚目の写真)。「ジェシー、お願い。ジョニーには優しくしてあげて」。ジェシーは、歌う歯ブラシで歯を磨いた後、ジョニーに、「僕、ジョニーのこと知りもしないのに、なぜママは、僕を一緒に来させたの?」と訊く(2枚目の写真)。ジョニーは、「おいおい、いいか、ジェシー、君が来たがったんだ」〔「一緒に来ないか? ニューヨークに」と誘ったのはジョニー〕。これに対し、ジェシーは、「僕、選ぶことなんかできなかったじゃない」と強く反論した後で、「ママはひどい、ひどいママだ」と、こんな状況に陥れた母にも不満をぶつける。ジョニー:「ホントは、そんな風に思っちゃいないだろ?」。ジェシー:「僕がどう思ってるかは、誰にも分からない」。「君を怖がらせたから、僕を怒っているんだと思う」。「違う。ママは自分のやりたいことをやってるだけだ」。「そんなことはないよ、ジェシー」。「ジョニーは、自分が何言ってるか、分かってないんだ。ママは、そうなんだ!」。「ママは、パパを助けようとしてるんだ」。「パパになぜ助けが必要なの? パパ、どうかしたの?」。言葉に詰まったジョニーが、「ママに電話するか?」と訊くと、ジェシーは 「ママといたい」と言って泣き出す。そして、ジョニーの寝室から逃げ出す。その後、彼は、父との楽しかった思い出に浸る(3枚目の写真)〔過去の映像なので★印付き〕
  
  
  

翌朝、2人はセントラル・パークまで歩いて行く。雪が僅かに残る公園に着くと、さっそくジョニーは、ヴィヴに電話する。「ジェシーは何を知ってる? 何もかも知ってるのか?」。それを聞いたヴィヴは、ジェシーと話そうとする。しかし、ジェシーは 「ヤだよ」と拒否する。そこで、ジョニーはスマホをスピーカーモードにする。ヴィヴは、「ジェシー、聞いて、あなたのパパは良くなってるわ」と言う。ジェシーは、「前みたいに?」と訊く(1枚目の写真)。「そうよ。前みたいに。心配させたくなかったんだけど、大失敗ね。ちゃんと話すべきだったわ。ごめんなさい」。それを聞いたジェシーは、「大丈夫だと言っといて」と言い、ジョニーとスマホから離れていく。そして、マイクが音楽を拾ったのか、それともロスで聴いていたのを思い出したのか、モーツアルトの『レクイエム』が流れ、それに合わせるようにジェシーが手を上げる(2枚目の写真)。ジョニーが近づいてくると、すぐに逃げ、逃げて行った場所で、また手を振って指揮の真似をする(3枚目の写真)。そして、また逃げる。
  
  
  

夜になり、ジェシーがバスタブに入っている場面。ここも、1分半ほどの短いシーンだが、ウッディ・ノーマンは絶え間なく表情を変え、高い演技力を見せてくれる。ジェシーは、ヴィヴにやっていたように “フリ” をして、「ところで、ジョニーの子供、髪を洗うの嫌がってようだね。僕ならいつでも洗ってあげられるのに」とジョニーに話しかける(1枚目の写真)。それを聞いたジョニーは、まだ慣れていないので、「話したくないのか?」と訊く。「話してるじゃない」。「普通に話したらどうだ?」。「僕、普通に話してるんだけど」(2枚目の写真)。そう言うと、今度は、孤児の真似、「孤児院じゃ、髪は自分で洗うんだ」。ジョニーが何とか調子を合わせて 「厳しいな」と言うと、 「そうさ」と答えたので、「かわいそうに」とつなげる。「厳しいんだ。罰でもないのに、『髪を洗わんか、このバカガキども』ってね」(3枚目の写真)。「ひどい場所だな」。いい加減うんんざりしたジョニーは、「君は、髪を洗うのを嫌がってるみたいだから、僕が洗おうか?」と訊き、ジェシーは頷く。しかし、いざ、「よし、じゃあ洗うぞ、お若いの」と言うと、ジェシーは、「なぜ、自分の髪を洗わないの、じっちゃん?」と、別の “フリ” に入る(4枚目の写真)。「君からだ」。「ううん、そっちから」。「いいから、さっさと自分で髪を洗うんだ」。「いいから、さっさと自分で髪を洗えよ、じっちゃん」。次のシーンでは、ようやく、ジョニーがジェシーの髪にシャンプーをつけて洗っている。「どうだ、いいだろ?」。「うん」。
  
  
  
  

3回目のインタビュー。場所は再びニューヨーク(2分33秒)。

翌日は、ずっとインタビューの仕事。夜になり、ジョニーは、ジェシーを連れてピザ屋に入る。ジェシーは、「ジョニーは、国中を回って、子供たちに 未来についてどう思うか訊いてるんだ。もし答えたく場合にはどうするの? 『飛ばして!』とか 『イヤ!』 とか 『こんな質問答えたくない』って言っていいの?」と訊く(1枚目の写真、ジェシーはカウンターを叩いて断る真似をしている)。「そうだ」。ジェシーは、質問の内容をがらりと変える。「ジョニーは、どうしてママと、兄妹らしくしないの?」(2枚目の写真)。そして、「なぜ、一人なの?」とも。「そんなの、誰が気にする。ナンセンス〔blah, blah, blah〕」。ジェシーは ひとしきり 「ナンセンス」と言って楽しむと、マイクを向けて、急にシビアな質問をする。「パパが最初に病気になった時、ジョニーは、ママにパパと別れろって言った?」。返事がないので、「言ったの?」と催促する。「君のママには、自分を大事にしろって言った」(3枚目の写真)。ジェシーは、信じられないという顔で、「ナンセンス」と言う。「ナンセンス、じゃない」。「そうさ」。「そうじゃない」。「そうさ」。「いろいろなことがあったし、みんなが いろんなことを言った。多くの懸念もあった。僕らは時々、自分がなぜそんなことをしてるのか、完全には理解できないことがある。だが、僕は、君のママやパパや君自身を傷つけたいと思って 何かをしたことはない。すべてがうまく行くよう望んでただけだ」。それに対しても、ジェシーは 「ナンセンス、ナンセンス」と言い、ジョニーも、「ナンセンス、ナンセンス、かもしれんな」と言い、ジェシーが 「ナンセンス、ナンセンス」と言い返す。ジョニー:「そうだ」。
  
  
  

その夜、ジェシーはジョニーのベッドに行き、「どこか知らないところからやって来た、背丈は小柄な人と同じくらい、ジェシー・ザ・マンだ!」とプロレスラーのフリをして、ベッドにジャンプして入る(1枚目の写真)。ジョニーは、「待て、待て、こっちにも準備がいる。今、やっちゃダメだぞ」と言うが、それを無視して、ジェシーはベッドの上に飛び上がると、真っ直ぐに立つ。「下りろ」。「あんた何者だ?」。ジョニーはベッドから下りると、最初の “ジェシー・ザ・マン” の真似をして、訳の分からない言葉でわめく。そして、ベッドに横になったジェシーに向かって、「お前を破壊してやる!」と脅す(2枚目の写真)。そこに、ヴィヴから電話がかかってくる。電話の内容を要約すれば、結局、精神病院への入院が決まり、ポールから、少し良くなるまで一緒にいて欲しいと頼まれたということ。そのため、ロサンゼルスの自宅への帰りが遅くなってしまう。親切なジョニーは、「君は、必要な世話をするんだ。ジェシーは、僕と一緒にここにいる」と言い、妹を安心させる。
  
  
  

翌日、ジェシーはジョニーが、かつて、ジェシーとポールがやっていたように、手を動かして仲良く遊んでいる様子が映る(1枚目の写真)。しばらくして、2人は、外に出かける。すると、ロクサーヌから電話が入る。「ニューオリンズで子供たちを集めてくれる人が見つかったの。(インタビューを)やるべきだと思うわ」。ジョニーは、「いいよ。あのな、だけどジェシーがいるんだ。今すぐ出かけられるかどうか分からない」と答える。「一人では、行きなくないわ」。その重要な電話の最中に、ジェシーは、「ジョニー、公園に行こうよ」とせがむ。「ちょっと待て、頼むから」。「電話切って」(2枚目の写真)。ロクサーヌは、「ジェシーと一緒なの?」と訊く。その時には、見切りをつけたジェシーがジョニーから離れていく。「それで、どうしたらいい?」。「ニューオリンズ行きは、いい考えだと思う」。その時、ジョニーは、ジェシーがどこにもいないことに気付く。そこで、「あとでかけ直す」と言って電話を切ると、走って探し回るが、①以前の店屋の中のように狭くなく、②ジェシーは本気で去っていったので、なかなか見つからなくて焦る。ようやく、バス停にいるジェシーに駆け寄ると、ジェシーはジョニーを責め、ちょうど来たバスに乗ってしまう。放ってはおけないので、ジョニーも跡を追って乗り込み、ジェシーの隣に座る。そして、抱きしめて、「バスなんかに乗ってどうする?」と訊く。「分かんない」。「最悪の事態になってかもしれないんだぞ」。「ジョニーなんか要らない」(3枚目の写真)。ジョニーは、家に帰ると、すぐヴィヴに電話する。ヴィヴは、ジョニーの話を聞くと、こう本音を吐露する。「彼は今の状況がどれほどひどいか感じてるの、分かる? 彼は、不器用で子供っぽい方法で、こう言ってるの。『今は手に負えない気分なんだ』って。『伯父さんは対処できる? こんな気持ちの僕を世話できる? もし僕が伯父さんから逃げ出し、こっそり このバスに飛び乗っても、僕は大丈夫だろうか? 僕はただ、伯父さんも知ってる空想の中にいて、万事うまくこなしてる。知ってるよね。僕もそこに行くよ。何とかするから。伯父さんのスナックは買うし、荷物もまとめ、一緒に出発するよ。行きたいんだ。自分でも何をやっているのか分からないけど』って。私の、悲惨な人生にようこそ。あなたは、ただ やり続けるしかないのよ」。
  
  
  

ヴィヴとの電話を終えたジョニーは、その日のジェシーとの揉め事を逐一マイクに向かって報告する(1枚目の写真)。そこの中には、バスに乗り込んだシーンもある(2枚目の写真)。最後の言葉は、「こんな風に思うのは好きじゃないが、あの子は甘ったれていると思う。それとも、僕が…」。そして、翌朝、ソファに横になったジェシーは、恨みがましい目でジョニーを見ながら、「こんなことするなんて信じられない」と責める(3枚目の写真)。ジョニーが、ジェシーを送り返すための荷造りをしているからだ〔この部分が、脚本の唯一の謎。ヴィヴは、まだオークランドにいるのに、ジェシー1人をロスに帰して、彼の面倒は誰が見るのだろう??〕。ジョニーは、「分かっているけど、今は君の世話ができないんだ」と、言い訳をする。「できるさ」。「できない。だが、仕事が済んだら、すぐロスに行き、何でも君がやりたいことをする。いいだろ。どうだ、気に入ったか?」。
  
  
  

空港に向かうタクシーの中で、ジェシーはゾンビのような顔をしていたが(1枚目の写真)、急に、「お腹が痛い」と言い出す。因みに、背後に映っているのは、残り少なくなったニューヨークの高架鉄道〔監督は、過去の名作に敬意を表して、わざとこの場所で撮影をしている〕。ジェシーは、さらに、「うんちしたい」と付け加える。「出るのか?」。「今すぐ」。「我慢できんのか?」。「我慢できない」。そこで、ジョニーは運転手に、ガソリンスタンドかダイナー〔簡易食堂〕で停まってくれるよう頼む。タクシーがダイナーの前で停まると、ジョニーはジェシーと一緒にダイナーに入って行き、トイレを使わせてくれるよう頼み、ジェシーはトイレに入る。しかし、急ぐよう指示しても、「ダメ」という返事。「うんちしてるのか?」。「ううん」(2枚目の写真)。「トイレに行く必要あったのか?」。「ううん」。「やったな! くそっ! いいか、遊びは終わりだ、出て来い」。「イヤだ!」。「ジェシー、今すぐ出て来い!」、「ごめん。隠れたり、バスに乗ったりして、ごめん、ジョニー、ごめん」(3枚目の写真)「電話、聞いちゃったんだ。僕の世話できないって言ったよね。僕、家に帰りたくない。ママはパパのことで悲しんでるし、パパはいないし」〔ここも、前節の “脚本の謎” の続き。何度も書くが、ヴィヴは、まだオークランドにいるので、家に帰っても誰もいない。それと、ニューヨークに来てから、ジョニーが、電話で、ジョニーの世話ができないと言ったことはない〕。結局、ジョニーは空港に行くことを諦め、タクシーから荷物を取り出してダイナーに戻って来る。
  
  
  

ここから、ニューオリンズ(インタビューを除くと 25分12秒)。

ジョニーとロクサーヌは、ファーンとジェシーを伴ってニューオリンズに到着、協力者のサンニという女性の家で2部屋を提供される。5人は、食事をしながら今後について話し合うが、ジェシーにはフォローできない内容なので、つまらなそうな顔でただ座っている。夜になり、ジョニーは、ジェシーが寝転がったベッドの端に座ると、スマホの “わが子に対する対処法” の記事を読んでいる。「…子供たちの悲しみ、怒り、恐怖感を、時間かけて乗り越えさせましょう。これがどうなるかは、あなたの人柄で決まります青色の文字は、記事の読み上げ〕。ジェシーは、口に突っ込んだ指でジョニーの背中に何か悪さをし、“やっちゃった” という顔をする(1枚目の写真)。「お子さんが話を聞くよう、穏やかに誘うのです。試してみましょう」。ここまで読むと、ジョニーはジェシーを見て、「なあ、僕が間違ってた。そのことについて話したいけど、いいかな?」と尋ね、ジェシーは、「もち」と返事する。「次のようなことも試しましょう… 君を家に帰そうとしたことで、傷ついた?」。「そうだよ」(2枚目の写真)。「そして、こう言うのです… あんなことをして悔やんでる。僕に腹を立ててる? それでいいんだ。僕は、君が感じたり、思ってることは何でも聞きたい」。それを聞いたジェシーは、「僕、ジョニーはウザイ奴だと思った」と答える(3枚目の写真)。「そうか。僕はとっても… 感情を示す言葉を使いましょう… 僕は、とっても不愉快で、愚かで、現実を把握せず、嘆かわしかった。そして、心の底から、あなたの子の目を見て、謝るのです」。ここで、ジョニーはスマホの画面を読んでいた眼鏡を外すと、ジェシーの顔を見る。ジェシーは、“待ってました” とばかりに笑顔になり、「言ってよ」と催促する(4枚目の写真)。ジョニーは、短く 「ごめんな」と謝り、それを聞いたジェシーも、「僕も ごめんね」と謝る(5枚目の写真)。そして、「携帯なんかやめたら」と言って取り上げる。そして、仲直りしたところで、ジョニーのベッドに入ると、十八番の孤児の真似を始める〔ここでは、2分強のシーンでの表情の変化を5枚〕
  
  
  
  
  

4回目で最後のインタビュー。場所はニューオリンズ(3分15秒)。

ニューオリンズでのインタビューが終わると、ジョニーは、ジェシーを預けておいた〔宿題をさせている〕ファーンのところに戻る。ジョニーが、「問題なかった?」とファーンに尋ねると、「ないよ」と答えるが、ジェシーは、「ごめんなさい」とファーンに謝る。「いいんだ」。そして、ジョニーには、「彼ただ… ちょっと泣いちゃって… スナック切れちゃったし、iPadの電源落ちとか、いろいろあったから」と説明する。ジェシーは、ジョニーと2人だけになると、「泣いちゃった」と言って、恥ずかしがる(1枚目の写真)。ジョニーは、「気にするな」と慰めるが、「いつもなら、あんなに泣かない」と、ずっと悲しそう。元気づけようとするジョニーに、そこに置いてあった絵本(クレア・A・ニヴォラの『星の子供』)を読んで欲しいと頼む。「地球を訪れるには、人間の子供として生まれないといけない…」。絵本を読むのは、部屋に戻ってからも続く(2枚目の写真)。読む声の背景の映像は、ロスでの過去や、ニューオリンズでの光景など、様々なカットが脈絡なく流れる。中でも。重要な文章は、「…学ぶこと、感じることがたくさんあるだろう。喜びと恐れ、幸せと失望、悲しみと驚き。混乱と歓喜の中で、君は、自分がどこから来たか忘れてしまうだろう…」。最後は、再度部屋に戻り、ジェシーはジョニーが父親であるかのように、もたれかかる(3枚目の写真)。読み上げのラストは、「…そして、君の星に帰る時が来たら、この奇妙に美しい世界に『さよなら』を言うのはつらいだろう」。ジェシーは、「泣いてるね」と言う。「いいや」。「そうだよ。絶対泣いてる」。「これは、真実なんだ。僕らは、何もかも忘れてしまう」。「僕は忘れない。ジョニーは忘れるよ、バカだから」。「君は、(将来、今回の旅行のことを)ほとんど覚えていないだろう」。「そんなの大バカだ。ジョニーは、一番の大バカだよ。それにね、ジョニーの脳ミソの量は、ホントに死んじゃった人より少ないんだ」。仲良しになればなるほど、口の悪さはエスカレートするばかり。
  
  
  

次の日は、ニューオリンズで開催されたパレードに2人で参加する(1枚目の写真)。しかし、ジョニーが調子に乗ってジェシーを背負って行進していると(2枚目の写真)、日頃の運動不足が祟ったのか、路端までヨロヨロと歩いて行くと、そこで倒れ込んでしまう(3枚目の写真)。映画では、この行進のシーンと並行して、昨夜、ジョニーとヴィヴがスマホで話し合っている様子が映る。内容は、①仕事をしながらジェシーの世話をするのは大変、②明日、ジェシーをパレードに連れて行く、③ヴィヴとポール、母の死後のヴィヴ、ルイーザなど、“2人の人生の問題点” の3つ。
  
  
  

ジョニーとジェシーは、そのままサンニの家に直行する。ジョニーが 「あれは、何だったのかな」と、倒れた時のことを不思議がると、ジェシーは 「気絶したんだ」と言う(1枚目の写真)。ベッドに仰向けになったジョニーの両手の上に頭を乗せて見守るジェシーに、ジョニーは 「そうだな、気絶だった。誰にも話さないでおこう。カッコ悪いから」と言う。ジェシーは、上半身を起こすと、「カッコ悪くない!」と否定する。「君を怖がらせてしまったな」。「ううん」。「それ、ホントか?」。「大丈夫だったよ」。「僕が大丈夫だったとは思わんし、君もそうだったとは思わん」。ジェシーは 「僕らには、ある程度の回復力があるよ。ダメでも、心の中で考えればいい」(2枚目の写真)「何か、楽しくなることを考えるんだ。ストレスが溜った時なんかには、こんな方法もあるよ。肩をトントン叩いたり、石をポンと投げたり、指先同士を合わせたり」(3枚目の写真)「意識して呼吸したりする。それとも、体を振るんだ」と言いながら、すべての動作をやって見せる。「驚いた。ありがとう」。ジェシーは、そのまま頭をジョニーのお腹の上に乗せる。ジョニーは、ジェシーの頭に触りながら、「僕ら、似てるとは思わんか?」と訊く。「ぜんぜん」。「似てるとも」。ジェシーは、再度上半身を起こすと、首を横に振って笑顔で否定する。ジョニーも笑顔になって、「似てるって」。「似てないよ」。「似てたいな」。ジェシーは、「ジョニーみたいに気絶しないもん」と言いながら、気絶したみたいに、ベッドにうつ伏せになる〔2人は、大人と子供としてではなく、人間同士として仲がいい〕
  
  
  

ジェシーは、前日ジョニーがインタビューをした内容を聞きながら、自分のベッドに仰向けに寝ると、マイクを両手で持ち、しばらく目を閉じて考える。そして、インタビューの音声を止めると、咳払いし、天井を見上げ、インタビュアーになったつもりで、「将来について考えたことある?」と訊き、言い方がまずかったのか、今度は、視線を下げて、同じ質問をくり返す(1枚目の写真)。すると、今度は、インタビューされる側になり、「うん、あるよ」と言うと 「あのね、何かをやろうと思っても、絶対そうはならない」と、自分の意見を述べる。そして、目を閉じて顔を逸らせると、右手を上げて、何かを否定するように水平に動かしながら、「考えたこともないようなことが起きるんだ」と言う(2枚目の写真)。そして、天井を真っ直ぐ見上げると、「だから、こうするしかない… がんばらないと」と言い(3枚目の写真)、その後は、目線を下げ、斜め横を見ながら、「やろう〔C'mon〕、やろう、やろう…」と何度も繰り返す(4枚目の写真)〔「C’mon」 の標準的な訳は、「さあ、行こう」。日本版のBLの字幕は 「先へ」。ここでは、“C’mon” の正しい訳の1つの 「頑張って」を自らに言い聞かせる形に変え、さらに「カモン」に合わせて3文字表記に変えた〕〔いずれにせよ、インタビューされることが嫌いなジェシーが初めて自ら口にした、映画の題名にもなっている最重要の言葉〕〔4枚の連続写真で、僅か30秒のシーンの中での微妙な表情の変化を紹介した〕
  
  
  
  

ジョニーは、ジェシーを市立公園のペリスタイル〔古代ギリシャ風の列柱〕パビリオンに連れて行く。すると、ヴィヴから電話が入る。ヴィヴは朗報を伝える。「医者は外来治療でいいと言ったのよ。家に帰ってもいいって」。「今すぐジェシーと話したい?」。「ええ。ジョニー、いろいろとありがとう」。そこで、ジョニーは、「ジェシー、ママだぞ」と呼んでスマホを渡す。ジェシーは、彼らしく、ひとところにじっとせず、柱の間を歩き回りながら母からの話を聞く。「聞いて、あなたのパパはずっと良くなったの。お医者さんは治療を続けるけど、家に帰れるくらい回復したそうよ。 だから、あなたを迎えに行くわ、いいわね? ママは、明日一番のフライトに乗るつもり。すごく興奮してる。会うのが待ちきれないわ」。そこまで聞くと、列柱の端まで行っていたジェシーは、真っ直ぐジョニーに向かってスタスタと歩いて行き、ヴィヴに対しては 「うん」とだけ言うと(1枚目の写真)、スマホをジョニーに返し、森に向かって走り出す。スマホからは、「ジェシー? 坊や? そこにいるの? ジェシー?」というヴィヴの声が、聞く人なく流れる。ジェシーが、公園の森の中を歩いていると、心配したジョニーがずっと後をついてくる(2枚目の写真)。それに気付いたジェシーは、振り向くと、「どこまでもついて来なくていいよ。僕なら、大丈夫」と言う(3枚目の写真)。
  
  
  

それに対して、ジョニーは、「大丈夫そうには見えんぞ」と、ユーモアを交えて言う。「でも、大丈夫だよ」。「いいか、あのな… 君は今、越えている、その… 君の回復力をだな… そういう時は、大丈夫じゃなくていいんだ。分かるな? そうだな… 怒ったり、悲しんだりしたっていい… 迷って混乱しちゃう… それでいいんだ」。「僕は、大丈夫だよ!」。「分かった、でも… もし大丈夫じゃなかったら、空気を蹴ったっていい、カッとなってもいい、叫んでもな… それでいいんだ!」。「大丈夫なんだってば!!」。「それはしごく当然の反応なんだ!」。「大丈夫だって!!」。ここで、ジョニーは言い方を変える。「ああ、僕は大丈夫じゃない!!」。ジェシーは態度を変えない。ジェシー:「僕は大丈夫だ!!」。ジョニー:「僕は大丈夫じゃないし、それはしごく当然の反応なんだ!!」。そう言うと、「こっちに おいで」と優しく言うが、ジェシーは動物のようにただ叫ぶ。ジョニー:「さあ」。ジェシー:「大丈夫じゃない!」(1枚目の写真)。ジョニー:「そうだ」。ここで、ジェシーは以前の “ジョニーの言葉の反復ゲーム” を始める。ジェシー:「それはしごく当然の反応だ!」。それに合わせ、ジョニーは、新しい表現で、「これはめちゃくちゃだが、理にかなってる!!」と叫び、ジェシーも、「これはめちゃくちゃだが、理にかなってる!!」と同じ言葉で叫び返す。ジョニー:「めちゃくちゃなのに、なんで どこが理にかなってるんだ?!!」。ジェシー:「めちゃくちゃなのさ!!!」。そして、2人で空に向かって、何度も叫ぶ(2枚目の写真)。それで、ようやくジェシーの “大好きなジョニーと別れなくてはならない絶望” が収まる。ジョニーは、「君が 笑ってるのか、泣いてるのか、僕には分からん。ちゃんと知りたい」と笑顔を交えていうと、「さあ、ほら、こっちに来て」と言い、ジェシーはジョニーに抱き着く。「顔を見せて。笑ってるのか? 笑顔なのか?」(3枚目の写真)「お茶目な笑顔だ。もう大丈夫だな?」。「うん」。ジョニーを片膝をつくと、ジェシーを背負おうとする。「気絶しない?」。ジョニーが、「しないぞ」と言ったので、ジェシーは肩に乗る。ジェシーを背負って森の中を歩きながら、ジョニーは、「肩をトントン叩いたり、指先同士を合わせたり、石をポンと投げたりするからな」と言い〔ジェシーが言ったことをちゃんと覚えている〕、「ところで、どうして石を投げるんだ?」と訊く。ジェシーは、いつものように質問には答えず、「僕、大きくなったら、パパみたいになっちゃうと思う?」と訊き返す。「君の方がずっといい」。「どうして?」。「なぜなら、君は… そうだな… 君は、自分のことをよく知っていて、自分自身や自分の気持ち表現できるんだ。ママが君に教えてくれたように。だから、君はゲームのずっと先を行っている。僕を信じろ。君は、見違えるようになった」。どう見ても、仲の飛び切りいい “父と子” の関係だ。
  
  
  

母が、ニューオリンズまで迎えに来た後は、父の回想シーン(4分20秒)。

ヴィヴが、朝一番の飛行機でロスからニューオリンズまで来て、タクシーでサンニの家までやって来る。ジェシーは家から飛び出して母に抱きつく。ジョニーとヴィヴは、ジェシー、ロクサーヌ、ファーンと一緒に近くを散歩しながら、兄妹としての親密さを取り戻す。このシーンの最後は、ジョニーとヴィヴがジェシーの肩と足を持って、いちにのさんでミシシッピ川に放り込もうとする直前で終わる(1枚目の写真)〔左端はロクサーヌ、右端でスマホで撮っているのはファーン〕。次の場面は、サンニの家の中で関係者との別れ。外で待っているタクシーの前で、ジョニーは、ジェシーに、「平日にはスマホの画面は見ない。週末は、1日に1時間。それだけ。いいな?」と念を押し、ジェシーは、「バイ」と言って 名残惜し気に抱き着く(2枚目の写真)。ジェシーがタクシーに乗ると、兄妹はお互いに 「愛してる」と言って抱き合う。その後、ジョニーはロスの自宅に帰るが、その映像と一緒に流れるのは、ジェシーの 「将来について考えたことある? うん、あるよ。あのね、何かをやろうと思っても、絶対そうはならない。考えたこともないようなことが起きるんだ。だから、こうするしかない… がんばらないと。やろう、やろう、やろう…」の言葉。画面は、パソコンを立ち上げて、最後のどこまでも続く 「やろう」の声を聞きながら、ジョニーは笑顔になる。その後に、その時映画では映さなかった、“ジェシーがマイクに向かって言ったシーン” が挿入される。「ジョニー、ジョニー、ジョニー、ジョニー、ジョニー、ジョニー、ジョニーはちょっと変わってる」(3枚目の写真)「ジョニーは僕を笑わせてくれる。プロレスの時のジョニーは滑稽だった。ジョニーは僕の一番の友だちかもしれない。だって、ジョニーには、2人しか… ジョニーには、2人しか友だちがいないんだ。でも、僕の一番の友だちかもしれない。分からないけど」(4枚目の写真)。それを聞いたジョニーは、マイクにむかって、嬉しそうに、「ナンセンス、ナンセンス」とくり返す。
  
  
  
  

ロスの家で、ジョニーから届いたボイス・メッセージを、ヴィヴはジェシーに聞かせる(1枚目の写真)。「やあ、ジェシー、こちらはモーツァルト、君の極端で 過度に感情的な伯父さんだ。僕が目を覚ました時、君はオペラ音楽をがんがん鳴らしてた」。ここで、画面は、ニューヨークで、このメッセージをマイクに向かって話している “過去のジョニー” になる。「君のママがいなくなってたのには驚いたけど、君は気にしてないように見えた。君は一応僕を受け入れてくれた。でも、君にマイクを向けたけど、インタビューには応じなかった」(2枚目の写真)「君はビーチや街の音を録音した」。ここで、画面は、もっと過去のニューオリンズへ。「ニューヨークに戻らなければならなくなり、君に一緒に来ないかと誘ったら、君は 『行きたい』と言った」。画面は、再び、マイクに向かって話すジョニー。「ニューヨークで、君は眠ることができなくて、ベラベラとしゃべり続けた。他にも、君は、いっぱい話した。作業や録音のこととか…」。場面は現在に戻り、ジェシーはお風呂に入ったり(3枚目の写真)、母と一緒に夕食を食べたりしている。「君のおしゃべりを止めようと何度もトライしたが、できなかった。今では、そうしなけりゃよかったと思う。今は、君のクレイジーな考えやクールなアイディアを聞きたいんだ」。
  
  
  

画面は、2人がベッドの中で話し合う “映画にはなかったシーン” になる。ジョニー:「僕らが一緒にベッドに入ると、君は尋ねた…」。ジェシー:「このこと、ずっと覚えてる?」。「多分な。これは、2人にとって、素敵なお泊まり会みたいなもんだ」。「絶対覚えてないだろうって言ったよ」。「違う。君なんだ。絶対覚えてないのは。僕はちゃんと覚えてる」。「僕、忘れちゃうのかな?」(1枚目の写真)。「僕は、『覚えてるといいな』と言った。そしたら、君がすごく怒った。だから、僕は、『全部思い出させてあげるよ」と言った』(2枚目の写真)。映画は、ベッドの端に座ったジョニーの肩を、ジェシーの指がトントンと触れるシーンで終わる(3枚目の写真)。
  
  
  

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