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El niño de los mandados 使い走りの少年

コロアビア映画 (2021)

カルロス・デル・カスティージョ(Carlos del Castillo)監督が、父親の少年時代を描いた作品。コロンビアという国情のせいなのか、情報が錯綜し、どの程度正しいかは分からないが、コロンビアの2つの映画関連サイトによれば、グアヤキル国際映画祭(最優秀作品賞、主演男優賞、監督賞、撮影賞)、パスト国際映画祭(最優秀作品賞)、ファルコン国際映画祭(最優秀作品賞)、カンヌ国際インディペンデント映画祭(主演男優賞)での受賞歴が書かれている。しかし、IMDbには一切触れられていない〔グアヤキル国際映画祭は存在するが、IMDbは扱っていない。残りの3つはIMDbも扱ってはいるが、該当年にこの映画の名前等はない〕。受賞歴云々は別として、この映画を語る場合、あらすじで何度も触れているように、最大の欠点は、観客に対し、あまりにも不親切な点。監督の父という身近な存在がテーマになっているためか、登場物と “父親” との関係が何も説明されていないし、その他にも、「なぜ?」「いったいどうなっているの?」と思わせられる場面が、あまりに多過ぎる。これは、明らかに失敗と呼んでいい。批判はこれだけにしておき、https://www.elnuevosiglo.com.co/ によれば、監督は、「使い走りの少年』は、父の子供時代と、父が私たち兄弟に話してくれた多くの体験談からインスピレーションを得た物語だ。私はそれらのストーリーに魅了され、再現したいと思うようになった。映画は、素晴らしい町を舞台に、あらゆる困難に直面しながらも奮闘し、それを克服し、目標を達成しようとする少年の、とてもシンプルな物語を描いている」と語っている。そして、「2016 年に映画の撮影を開始した」とも。逆境に置かれた少年の映画は多いが、そもそも平穏な社会に孤児が1人で住んでいて、それが当然視されているという環境は、現代ではあり得ないので、半世紀以上前(昭和29年)とはいえ、それが史実として描写されるのは衝撃的だ。そして、この11歳の主人公には親戚がいるらしいのだが、誰も援助の手を差し伸べない。だから、ある意味 運よく町で一軒しかない薬局のお手伝いとして雇ってもらうと、薬のラベルをどんどん読んで知識を増やしていきながら、本来の業務である薬の配達も行う。空いた時間を利用して、町の人たちために雑用も手伝い、かくして、題名通りの “使い走りの少年” になっていく。こうした設定は他では観たことがないので、それなりに面白いし、少年がどんどん知識を膨らませ、町にいない医師の代わりを務めるようになるというのも、当時の田舎町の状況なら可能なような気がする。

1954年の夏、アルフォンソと母が、コロンビアの山岳地帯の小さな町の貧民窟に住んでいる。アルフォンソは、通っていた小学校もやめ、半日を炭鉱で手伝っている。そして、迎える母の急死。母は墓地に埋葬されたが、資金援助がなくて墓石すらない。そして、日常生活も、数日分の食料の貯えしかないので、危機に瀕する。しかし、というか、幸いというか、町で一人しかいない医師が急死し、これも町に一軒しかない薬局が、他からの圧力もあって、アルフォンソを手伝いとして雇うことになる。アルフォンソは、店の中にずらりと並んだ薬の入った瓶に興味を示し、片っ端からラベルを読み始める。また、頼まれて、特殊な薬をこっそり用意したり、薬に関する冊子を読んでいるうちに、病状と、それに見合った薬についての知識をつけていく。アルフォンソは、薬の配達以外にも、患者に合わない薬の訂正や、町の人に頼まれた仕事や買い物まで行い、町の人たちにとって “使い走りの少年” として好かれるようになる。そんな時、慣れない自転車でひどく転倒して、一時は再起不能だと診断されるが、1954年なので診断ミスか、奇跡的な回復力により、アルフォンソは事故から4ヶ月後に意識を取り戻す。松葉杖で歩けるようになると、それまで貯めたお金と、町の人たちの善意で、何もなかった母の墓に立派な墓石が立っている。さらに、薬のやりとりを通じて親しくなっていた市長夫人のはからいで、ちゃんとした部屋と、将来に適した学校にも入れてもらえる。。

主演を演じるのは、ロケ地のモンギに住んでいた13歳のウィルメル・アマド・スワレス(Wilmer Amado Suárez)。https://www.eltiempo.com/ には、「数十年後、カルロス・デル・カスティージョが主役の少年を探している時、アマド・スワレスと出会った。アマドは13歳で、ボヤカ県モンギに住み、放置と虐待を受け、路上生活をし、1時間も歩いて学校に通っていた。これは、監督の父親とよく似た悲惨な状況だった」と書かれている。そして、この映画で主役を務めた後、「奨学金を得て、シャルロット・アカデミーで演劇を学んでいる」とも。

あらすじ

映画の冒頭、①意味不明、②意味あり、③完全に無意味な映像が流れる。①は、同時に流れるラジオのニュースと関係があると思われる。「当局は、アンティオキア県北西部のサン・パトリシオ炭鉱で新たに発生した肺炎に懸念しています〔ただし、舞台となる町からは県境まで200キロも離れている〕。また、フランスの著名な人類学者フィリップ・ドゥラクロワが、ボヤカ県おける鉱業の考古学的研究のため中央政府によって招聘されました」。前者の肺炎は、映画の舞台となるボヤカ県のモンギから遠く離れた県での出来事だが、モンギにも薬剤不足を招く。後者の「フィリップ・ドゥラクロワ」は、1枚目の写真の男性の名前がフィリップなので、両者は同じ人物だと思われるが、この場面の直前に2人はキスを交わしているし、映画の中では夫婦のように見える〔女性は、町の小学校の教師ルシアなのだが、独身の女性1人で、両親と同居でもないのに、町の中ではなく、郊外の一軒家に住んでいる〕〔フィリップと、なぜ親しいのかは全くの謎。後で、写真屋が言い寄るシーンもあり、それも謎〕〔この映画は、人物の設定が全体に曖昧で非常に解かりにくい〕〔それにしても、このシーンを映画の冒頭に持って来る意味は全くない〕。そして、空からの映像で、山から次第にモンギらしき町に近づいていく様子が映り(2枚目の写真)、これはダイナミックで好感が持てる。最悪なのは、「モンギ(Monguí)、ボヤカ 1954年」(モンギの町は、現在人口約5000人、町の中心部の標高は2900-2950mもある)と表示された後に1分16秒も続く、町で唯一の巨大建造物 “聖母マリアの小聖堂” の前での写真屋の記念撮影勧誘場面。こんな大きな教会が、他には何もない小さな田舎町にあるということがGoogleマップを見て分かるまでは、このシーンはモンギではなく、10キロ西にある人口11万のソガモソでの賑わいを映したものかと誤解してしまった。誤解を招くだけで、何の意味もない映像。編集の決定的なミス。
  
  
  

映画が始まって2分43秒後に、初めて本編が始まり、主人公のアルフォンソが、標高3000m前後の場所をランニングシャツ1枚で、右肩に鉱山労働者用の飲み物、左手にパンの入った竹籠を持って歩いている(1枚目の写真)〔モンギは緯度5.72と赤道に近い。因みに、首都ボゴタは標高2600m程度、緯度4.6で、平均最高気温は1年を通じて18-20度〕。彼が 坑口の横に着くと、集まった鉱夫達が アルフォンソの持っている籠からパンを1個ずつ取って行く(2枚目の写真、矢印)。鉱夫の監督が咳いていると、フィリップがなぜかれを見ている〔彼は人類学者であって医師ではないが…〕。同じ頃、アルフォンソの粗末な石を積んだだけの小屋では、母が木の皿で何かの生地を捏ねている。そして、そのまま外に出て行き、石で出来た焚き火台の手前で一度ふらつき、その先の物干し台の木柱までよろよろ歩いて行き、意識を失う(3枚目の写真)〔大血管系の突然死?〕。同じ頃、アルフォンソもいきなり地面に倒れる。優しい老鉱夫がすぐ横の切り株の上に座らせてくれる。その時、遠くから、急を知らせる 「アルフォンソ!」と呼ぶ声がし、アルフォンソは鉱山の黒い粉で汚れた顔を上げる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

冒頭の “ぐだぐだ” と違い、アルフォンソのシーンが始まって2分37秒後に、もう母の埋葬シーン(1枚目の写真)。泣いているアルフォンソの左で、両手で肩を心配そうに抱いているのは、ボヤカの市長の奥さんのベルタ(2枚目の写真)。その左が市長〔映画のその後の展開から、2人とアルフォンソの間には近しい姻戚関係はない。小さな町なので、町民の葬儀には出席するのが習わしなのか? 遠縁だが市長夫妻なので隣にいるのか?〕。一方、右の女性はサロメ〔こちらも、アルフォンソとの関係は不明。しかし、埋葬に出ているし、隣に立っているので、一番近い親戚であることは確か。母の妹かもしれないが、それにしてはあまりに冷たすぎる。母子は粗末な小屋で極貧の生活をし、アルフォンソは学校に行かずに働いている。サロメは金持ちなのに、何も援助しなかったのはなぜなのだろう?〕。神父の言葉が最後に近づくと棺が穴の底まで降ろされる。すると、鉱夫の監督が寄って来て、「これが人生なんだ。明日は、ちゃんと朝6時に来いよ」と言う(3枚目の写真)。そして、全員が白い花を棺桶の上に投げると、”墓掘人” がすぐに、“穴を掘った時に積み上げた土” を棺の上に掛け始める。
  
  
  

サロメは、自分の横に立っている親しいルース(?)〔血縁関係不明〕に向かって、「何て早死になの。42よ。ここの人たちって、若くして死んでいくわね」と話しかけ、相手は、「父が糖尿病だって分かったから、少しずつ砂糖を減らしたのよ」と言う。「彼、気づかなかったの?」〔“彼” と言っているので、自分の父ではない。だから、ルースは姉ではない〕。「いいえ。でも、今じゃ、無糖のジュースだって飲めるのよ」と答え、2人して笑う(1枚目の写真)。こんな時に、雑談を始め、しかも笑顔まで見せる2人を見て、アルフォンソは、頬に涙が残った顔で睨みつける(2枚目の写真)。雑談が終わると、2人は、アルフォンソに 「さよなら。元気で。またね!」と言って去って行く〔この映画の最大の欠点は、人間関係が全く説明されないこと〕。すると、親戚ではないので離れた所にいた、“以前、アルフォンソが通っていた小学校” の一人だけの教師ルシアが寄ってくると、「学校に戻って来て、アルフォンソ。あなたは私の一番の生徒よ」と話しかける(3枚目の写真)。アルフォンソは、「ありがとう、ルシア先生、でも僕 働かなくちゃいけないの知ってるでしょ。これからは、それが一日中になるんだ」と言う〔ここも、大きな疑問点。以前、アルフォンソは学校に行っていた。それなのに、これまでは母が健在だったのに、なぜ鉱山で働くことになったのだろう? それと、母が亡くなると、なぜこれまで以上に働く必要があるのだろう? 母も何らかの内職をしていたのだろうか? 今住んでいるボロ屋は貸家なのだろうか? ここでも、分からないことが多過ぎる。そもそも、さっきいた2人の女性は、孤児になった親戚の子に、なぜ救いの手をさしのべないのだろう?〕
  
  
  

教師との辛い別れの後、アルフォンソが涙にむせんでいると、そこにルースの息子〔アルフォンソと同じ小学校だった〕がやって来て、「アルフォンソ、ママからコートを返してくれないか聞いてほしいと頼まれたんだ」と言う。アルフォンソは、葬儀用に借りていた黒いコートをすぐに脱いで返す(1枚目の写真、矢印)。埋め戻しの作業が終わりかけた頃、アルフォンソは “墓掘人” に、「墓石は?」と尋ねる。「含まれとらん。誰も払わんかった。70ペソ要る」(2枚目の写真)〔埋葬費用は誰が負担したのだろう? 後で分かるが、この墓地には、コンクートで出来た5段式の集合納骨壇がある。それに比べると、棺ごと埋める方がお金がかかったと思うが、なぜ中途半端で止めたのだろう? これも謎としか言いようがない〕。「70ペソ? 立派なお墓は?」。「300ペソぐらいかな…」。そう言うと、きれいに盛っていない土の一部を足で踏むと(3枚目の写真、矢印)、そのまま立ち去る。アルフォンソは、低い盛り土に向かって、「心配しないで、ママ、素敵な墓石を用意してあげる」と約束する。そして、集合納骨壇の隙間に行き、もう一度悲しんでいると、そこにまたルースの息子が走って来て、「アルフォンソ、ママから帽子を返してくれないか聞いてほしいと頼まれたんだ」と言う。アルフォンソは、葬儀用に借りていた黒い帽子もすぐに脱いで返す(4枚目の写真、矢印)。こんな時に二度も請求させるなんて、ルースも嫌な女性だ。
  
  
  
  

翌朝、目が覚めたアルフォンソは、ベッドサイドの時計が停まっていたのか、いつもより遅く目覚める。アルフォンソは、外に出ると、母がよろよろしながら地面に落としていったジャガイモを拾い(1枚目の写真、矢印)、皿に置く。次は、母が意識を失った時に物干し台の竿の片方が地面に落ちてしまっていたので、竿を元に戻す(2枚目の写真、矢印の向き)。そして、部屋に戻ると、埋葬の時に着ていたYシャツを脱いで半袖シャツに着替える(3枚目の写真)〔なぜ、昨日or一昨日はランニングシャツに長ズボン、今日は半袖シャツに半スボンなのだろう?〕。最後にもう一度外に出ると、籠の鳥に餌だけやると、朝食は抜きで、急いで鉱山に向かう。
  
  
  

アルフォンソが鉱山に着くと、ちょうど監督が茹で卵を食べようとしていたので、木陰に隠れて監督が呼ばれていなくなるのを待っていると、うまい具合に機械が故障したとの声がかかる(1枚目の写真、矢印はアルフォンソ)。さっそくアルフォンソは、作業用の長ズボンを、半ズボンの上から履き始める(2枚目の写真、矢印)。しかし、戻って来た監督は、アルフォンソが6時に来なかったことを知っているので、彼の前まで行くと、腕時計を見ながら、「明日は、ちゃんと朝6時に来い、と言わなかったか?」と非難すると、「作業ズボンは、そこに置け」と場所を指示し、「もう、君は必要ない」と言う。そして、お札を取り出し、「4ペセタに、君が売ったパンの分4ペセタ。その分は俺と半々で分ける契約だった」と言う(3枚目の写真)。アルフォンソは監督のあまりの非情さに頭に来て、監督が他の方を見て指示している間に、こっそり塩の瓶の蓋を外してから姿を消す。そこで、監督が茹で卵を食べようと塩を振ると、塩が全部卵の上に乗り、それを見た鉱夫たちが笑う。
  
  
  

アルフォンソが家に向かって歩いていると、後ろから、市長の車がやって来る(1枚目の写真)。そこで、アルフォンソは手を上げて、ヒッチハイクを希望する。それを見た、市長夫人のベルタは、「見て、あの子よ。お母さんが亡くなった子」と言う(2枚目の写真、矢印)〔この言葉から、姻戚関係がないことが分かる〕。「可哀想に」。しかし、市長が何も言わなかったので、運転手はクラクションを鳴らし、アルフォンソは狭い道路から路肩に大急ぎで逃げて車を避ける。そして、「政治家め」と呟く。市長は、「可哀想に、人生めちゃめちゃだ」と言っただけ。ベルタは、「何が言いたいの? 助けてあげないと」と批判する(3枚目の写真、矢印)。「助けるって、どういう風にだね?」。「行き先を尋ねて、乗せて行ってあげればいいでしょ」。「彼を乗せて行ったら会議に遅れてしまう。知事が来るんだ、遅刻はできん。それにこうした不運は、彼の性格を強くする」〔ベルタ夫人は、夫の最初の言葉は許容できても、最後の言葉には腹を立てる→夫婦仲が悪い原因〕。アルフォンソが歩いていると、すぐ先で、車が故障して停まっている。市長はイライラして、助手席に乗っていた秘書に、「整備士を乗せて来るべきだった」とブツブツ。ベルタは、黙って通り過ぎて行ったアルフォンソを見て、「あなた、神様は棒や鞭で罰しないことが分かった?」と夫に言う。「わしは、秘書をぶってないぞ」。「私は、あの子のことを言ってるのよ」〔アルフォンソを乗せなかったから神が罰を与えた〕「あの子を乗せなかったから、今度は、彼の方が早く着くわ」。それを聞いた市長は、「アルフォンソ、お願いだ、誰かに出会ったら、助けを寄こすよういってくれ!」と叫ぶ。アルフォンソは、自分の小屋に戻っただけなので、伝言したかどうかは分からない。
  
  
  

アルフォンソは、家に戻ると、まだ食べていなかった朝食の準備を始める。石で出来た焚き火台にマッチで火を点け、その上に成型加工されていないフライパンを置き、壺に残っていた白い “穀物を練ったもの” を入れて温める(1枚目の写真)。家の中に一旦入ると、籠の中に10個ほど入った生卵を1つ手に持つと、外に戻って、焚き火台の端の布の上に置く。そして、もう一度室内に戻ると、手製の肩掛けバッグから、さっきもらったお札を取り出し、1枚ずつ細く巻いて空のガラス瓶の中に入れる(2枚目の写真、矢印)〔墓石を買うための貯金〕。それも終わり、アルフォンソが母の思い出に浸っていると、外の焚き火台でボンという音がする。外に見に行くと、白い煙が見えたので、慌ててフライパンを火から外し、うっかり端の布を取ると、さっき置いた生卵が転がり落ちて地面に落ちて2つに割れてしまう(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

アルフォンソは、食事を終えると、恐らくかなりの距離を歩いて教師のルシアがいる小学校まで行く(1枚目の写真)。そして、窓から覗き、授業中だと分かっても、そのままガラスをトントンと叩き(2枚目の写真)、「ルシア先生」と呼ぶ。教師は、8人しかいない生徒に、「7ページを読んでて」と言うと、アルフォンソに会いに教室から出て行く。生徒達のうち7人は窓に走り寄って様子を伺い、アルフォンソのことが好きな女の子ルズ・メリーは、教師の後ろに付いてドアのところまで行く。教師は、「元気? どうかしたの?」と尋ねる。「僕、クビになっちゃいました。急いで仕事を探さないと」。「なぜクビに?」。「遅刻です」。「何かできるか考えてみましょう。上司と相談してみるわ」。「ううん、先生、それいい考えじゃないみたい。それより、僕に仕事をくれそうな人を知ってたら教えて欲しいんです」(3枚目の写真)。「思いつくかどうか、考えてみるわ。朝食、食べたの?」。「はい、先生、どうもありがとう」。「本当?」。「はい」。「必要なことがあれば、何でも言ってね」。「はい、ルシア先生」。アルフォンソが去ってくのを、ルズ・メリーが教師と一緒に見送る。
  
  
  

次のシーンでは、アルフォンソがいきなり、小さな市庁舎の玄関入ってすぐのイスに座っている〔あまりにも唐突。アルフォンソの独自の判断(そもそも、車のエンコの後、アルフォンソは連絡して市長を助けたのか、助けなかったのか)? 教師ルシアの考え?〕。すると、1人しかいない秘書〔車の助手席に乗っていた〕がやってきて、「市長は多忙なので、しばらく時間がかかるから、待合室に行きなさい。コーヒーはいかがかな?」と、親切に話しかける。アルフォンソは、「はい、ありがとうございます」と言い、隣の待合室で立ってコーヒーを飲む。すると、再び秘書がやって来て、「申し訳ないんだが、市長は多忙なので、君に会うことはできないそうだ」と言う。アルフォンソが、「じゃあ、僕、明日来ます」と言うと(1枚目の写真)、「明日も忙しいそうだ。来週もずっと」と、面会謝絶の返事。アルフォンソが、「トイレ使ってもいいですか?」と尋ねると、「2つは壊れてて、残る1つは市長室の中にあるんだ」と、トイレの使用も拒否される。我慢の限界に達したアルフォンソは、庁舎のドアから出ると、ドアのすぐ横で用を足し、犬に追い払われる〔エンコの時、助けなかったのなら “仕返し”。助けたのなら “忘恩”〕。翌日、アルフォンソは家を回っては、小さな仕事がないか聞いて回り(2枚目の写真)、映画の中では、一人のお婆さんが 家の外の柱の上部に素焼きの鉢を付ける作業をやらせてくれ(3枚目の写真)、僅かなお駄賃をくれる。
  
  
  

こうした日が続き、アルフォンソは 毎日一切れのパンと、茹で卵1個と、僅かなミルクという貧相な朝食を食べる(1枚目の写真)。そして、洗濯をしながら、鳥籠の中の1羽の鳥のことを考える(2枚目の写真)。意を決して、残った少しばかりの餌を食べさせると、籠の扉を開け、「もう食べ物がない。飛んでいけマーティン」と言い、長年飼ってきた鳥ともお別れする(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

ここで、場面はがらりと変わり、平和な田舎の野道を1台の自転車が走ってくる。乗っているのは、町に1人しかいない医師のレオニダス(1枚目の写真)。次のシーンでは、レオニダスが途中の野原で摘んだ花を、立派な家にいるサロメに渡している〔サロメは未婚だと分かる〕。サロメは花の匂いを嗅いでからソファに置くと、手に持っていた小さな籠からイチゴを1つ取り出し、そのまま医師の口に入れる(2枚目の写真)。医師は丸ごと口に入れ、噛まずにごくっと飲み込むが、イチゴがどこかに詰まってしまい、急に胸を押えて苦しみ出す。その後、近所中に大きな悲鳴が響き渡り、医師は死んだらしい〔そんなことが起こり得るのだろうか? 食品による子供の窒息死はあるが、医師がそんなことを? 愛人の前で無理して緊張して飲み込んだのが気管支に入ったのか?〕。ベルタ女史が、役所の前の清掃を監督していると、そこに白髪の薬剤師マティアスがやって来て、「わしに用かな?」と尋ねる。ベルタは、「レオニダス博士が亡くなったので、あなたには手助けが必要でしょう」と切り出す。マティアスは新しい医師が来るのを待っていると言うが、ベルタは、肺炎の流行でソガモソの医師は忙しくて手が回らないと答える。そして、「マティアスさん、また飲んでるの?」と、アルコールの臭いのする息に神経を尖らす。マティアスは、喉が渇いたからビールを飲んだだけと誤魔化すが、彼のアル中は常態化している。ベルタは、「あなたには、この町のすべての患者を世話してもらわないといけない。大きな責任よ。でも大丈夫、完璧な助っ人を見つけてあげたから」と言う。マティアスは、助っ人は不要、一人でできると反論するが、ベルタは 「必要なのか訊いてるんじゃないわ。あなたには必要なの。明日、男の子を寄こします」と一方的に言う(3枚目の写真)〔この助っ人の少年というのがアルフォンソ。ベルタはアルフォンソが職を求めていることを、一体どこから聞いただろう?〕
  
  
  

翌朝、アルフォンソは籠に残っていた最後の生卵を茹で始め、今日のためにきれいに洗っておいたYシャツと半ズボンを洗濯竿から取り込む。その時、ラジオが ブラジルのジェトゥリオ・ヴァルガスが昨日自殺したと報じているので、この日は1954年8月25日だと確定する。次のシーンで、アルフォンソは「薬局/神の聖ヨハネ」と書かれたドアの所まで来てドアをノックするが、何度叩いても返事がないので、ドアを少し開けて、「今日は」と呼んでみる(1枚目の写真)。この建物は、ロケ地のモンギの中心地にある建物(2枚目のグーグル・ストリートビュー)〔緑と赤の色遣いは、この町全体に共通する色彩。壁は白く塗られた煉瓦積みだが、両隣はその上から白い漆喰かモルタルが厚く塗られている。しかし、少しでも中心部から外れると、色は同じでも、急に壁がお粗末になっていく〕。それでも返事がないので、アルフォンソは中に入って行き、三方の壁一面にきちんと並べられた瓶にびっくりしながら、「マティアスさん」と呼ぶ。すると、ようやく奥から老人が出て来て、「君は誰だ?」と訊く。「秘書の人から聞いたんです。あなたが手伝いを必要としてるから、8時にここに来るようにって」(3枚目の写真)。昨日のことは、泥酔と老衰で記憶にないので、マティアスは、「秘書? 何の仕事? 君なんか必要ない。出て行ってくれ」と言う。そこに、ベルタ女史が 「お早う」と言って入ってくる。アルフォンソは、さっそく、「お早うさん」と言い、アルフォンソも、「お早うございます、ベルタさん」と言う。ベルタは、アルフォンソを見て、「午前7時59分、時間厳守ね。とってもいいことよ」と言い、マティアスには、「調子はどう、マティアスさん。もうすぐ開店ね」と言う。マティアスはベルタに、「あなたは、彼に来るよう言ったんですか?」と尋ねる(4枚目の写真)。「もちろん。あなたに話した男の子よ。昨日話したでしょ。忘れたなんて言わないでね」。マティアスは、形勢が悪いので 忘れたとは言えない。そこで、カウンターに置いてあった薬の広告を渡すと、読み上げさせる。マティアスは 「風邪やインフルエンザには、グリペリーナを服用して下さい」と正しく読み上げる。マティアスは、計算ができるかと訊き、「はい、旦那さん」の返事を受けると、男の子だから自転車には乗れるに違いないと勝手に思い込み〔実は一度も乗ったことがない〕、自分の年では配達などできないので、採用を決める。
  
  
  
  

マティアスが奥に引っ込むと、ベルタはポケットから紙を取り出し、「この小さな紙に書いてあることは誰にも見せないで。それを手に入れたら、私に渡してちょうだい」と頼み(1枚目の写真、矢印)、アルフォンソは、相手が恩人なので、何度も頷く。ベルタは、さらに、「マティアスを大事にしてあげて。何があっても我慢して、いつも助けてあげなさい。もし、何か用ができたら、私に会いに来くるのよ」と言って、店を出て行く。マティアスが、何を手に入れたのかは映されない。夕方になり、アルフォンソは、イスの上に立って、棚の薬瓶のラベルを読んでいる。マティアスは、カウンターの反対側に座ってウィスキーをボトルごと飲んでいる。そして、「ラベルを全部 読む気か?」と尋ねる。そして 「絶対終わらんぞ」と言うと、「今、何時だ?」と訊く。「午後6時5分です」。「じゃあ、お帰り」。アルフォンソはイスから降りると、棚に置いてあったパンフレットを手に取り、「このパンフレット、貸してもらえます?」と尋ねる(2枚目の写真、右の矢印はパンフレット、左の矢印はウィスキーを飲んでいるところ)。「パンフレット? そんなもん、どうするんだ?」。「読むんです」。「持ってけ」。「ありがとう」。「明日の朝。8時ちょうどだぞ」。家に帰ったアルフォンソは、ロウソクの光でパンフレットを読む(3枚目の写真)。
  
  
  

翌日、教師のルシアとサロメが、テーブル席が2つしか屋外でコーヒーを飲んでいる。ルシアは、露出度の高い服に対し、「そんな服、着るべきじゃないわ、サロメ」と注意する。「町の人たち、よくしゃべるから」〔悪い噂が独り歩きする〕。サロメは、「フィリップはどう?」と訊く〔このシーンの前に、フィリップがルシアの家の庭で咳いている場面があった〕。「町には医者がいないから、首都まで検査に行くしかないの」。一方、薬局では、マティアスがフラスコに入った液体に、ビーカーから別の液体を加えている。それをアルフォンソがじっと見ていると、「何かすることはないのか? 棚卸しでもしてろ」と命じ、「『棚卸し』って何ですか?」と訊かれ、“どうしようもない” といった顔になる。ここで、場面は、準備中のレストランに。そこにいたベルタが秘書に紙を渡し、「これを薬局から持って来て。アルフォンソに頼んでおいたの」と言う(1枚目の写真)〔昨日、アルフォンソには、紙の内容を 「誰にも見せないで」 と、如何にも内密に言っていたので、この紙に書いてあるものとは別のハズ〕。アルフォンソは、お客用に、ガラス瓶にカラフルなキャンデーを入ると、『棚卸し』を始める。すると、そこに秘書がやって来て、「今日は、アルフォンソ」と声をかける。そして、「これらの薬を、市長の腎臓結石のために持って行く必要があるんだ」と言い、それから小声で 「それと、ベルタさんが頼んだ物」と付け加える。それを聞いたアルフォンソは、予定通りの成り行きなので にんまりする(2枚目の写真)。しかし、秘書が持って来た腎臓結石の薬名を見たアルフォンソは、在庫を調べることなく、「ベルタさんに、この薬は品切れなので、ソガモソから取り寄せないといけないと伝えて下さい」と言い、ここからが凄いと思うのだが、「とりあえず、この痛み止めを飲ませてあげて下さい〔医師でもないのに、適切な薬を選定する能力がもうできている→まだ店に来て間がないのに 少し早過ぎ〕。明後日、ベルタさんに薬は持って行きますから」と言って、痛み止めの瓶を渡す(3枚目の写真、矢印)。すると、いつの間にかマティアスが横にいて、「いつから アルフォンソが処方するようになったんだ?」と、咎めるように訊く。秘書は、「これはただの鎮痛剤だよ マティアスさん、ご心配なく」とアルフォンソを庇う。マティアスが、「そうかな?」と後ろを向いた瞬間を捉えて、マティアスはカウンターの下に隠しておいたベルタ用の箱を、マティアスの様子を見ながらこっそり秘書に渡す(4枚目の写真、矢印)。秘書は 「私が見る限り すべては完璧に機能してますな」と言いつつ、包みを上手に隠し、薬局から出て行く。マティアスは、カウンターの上のお菓子を見て、「これ何だ?」と訊く。「お客様用です、マティアスさん」。これで、マティアスは何も言えなくなる。
  
  
  
  

それからどのくらい日数が経ったのかは分からないが、ある日、マティアスが幼くして死んだ孫が使っていた自転車を 店の入口まで大事そうに持って来ると、「これを、ルシア先生に持ってってくれ。フィリップさんの薬だ」と言って、紙でくるんだ薬瓶を渡す(1枚目の写真、矢印)。そして、「この自転車でお行き。だが、君の体の一部のように大切に扱うって約束するんだ」と言う。アルフォンソは、自転車に乗れないので、牽きながら歩くしかなく、当然大切に取り扱うことになる。アルフォンソは、自転車を掃除した後で、マティアスが見ていないのを確認して、自転車を牽いて行く。その頃 学校では、写真屋が 生徒を一人ずつ教壇に座らせ、卒業記念写真を撮っている。そこに、薬を持って歩いて来たアルフォンソが到着し、ルースのバカ息子と、もう1人の男子生徒が、アルフォンソが自転車に乗れないことを笑うと、ルシアは、「彼は自転車に乗れないかもしれないけど、とても優秀な生徒よ」と叱る。2人がいなくなると、アルフォンソはルシアに薬を渡す(2枚目の写真、矢印)。ちょうどいい機会なので、ルシアは 「卒業アルバムの写真、一緒に撮らない?」と勧める。それを、まだ入口にいて耳に挟んだバカ息子が、「でも、彼はもうここの生徒じゃないよ、先生」と反対すると、ルシアは、「マノロ〔漢字で “真鈍”=バカ息子〕、誰が、あなたなんかに尋ねた?」と叱る。ルシアはアルフォンソを連れて教室に入って行き、アルフォンソの服装が卒業アルバムに相応しくないので、1人の生徒に帽子とYシャツを脱がせ、それをアルフォンソに着用させ、写真屋が笑顔にさせて撮影する(3枚目の写真)。
  
  
  

ある日、アルフォンソは、コンクートで出来た集合納骨壇が並んでいる通りに行くと、最上段の左端2つが使われていないのを見つけたので、5段式の納骨壇の前に自転車を置き、左端から2つ目の納骨壇を登り、5段目に手をかける。そして、これまでに薬局で働いて増やした “貯金の入ったガラス瓶” を、一旦、左端から2つ目の箱に置く(1枚目の写真、矢印)。そして、ガラス瓶を持つと左端の箱に移し、手前に煉瓦を置いて隠す(2枚目の写真、矢印は煉瓦の後ろのガラス瓶)〔最終的に煉瓦は3個置く〕。そして、自転車に戻ると、荷台に入れておいた白い花束を持って墓石のない母の墓に行き、花束を頭の位置に刺す(3枚目の写真)。ルシアの家では、フィリップの具合がかなり悪くなり、ソファに横たわっていることが多くなる。
  
  
  

次の3枚の写真は、アルフォンソが、パンフレットを理解するために、本や辞書を使って勉強している場面を紹介している。家でも、野原でも、薬局のカウンターでも。
  
  
  

ルズ・メリーとその姉の祖母 ドロレスは、ずっと病気で、レオニダス医師が死んでからは、元気をなくしていた。それでも、アルフォンソは、ドロレス用の薬をちゃんと届けてくれる(1枚目の写真、矢印)。その際、姉は、アルフォンソにドロレスを診察してくれるよう頼む。アルフォンソが何をどう診察したのかは分からないが、祖母は、アルフォンソに、チーズの入った籠を市長に届けてくれるよう頼む(2枚目の写真、矢印)。アルフォンソが市庁舎に行くと、市長は秘書に自分がこれから行う演説をタイプを打たせている最中だったが、アルフォンソが来た目的を知ると、タイプを中断させ、祖母からのプレゼントを秘書に受け取らせる(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

それが終わると、アルフォンソは市長に頼まれた腎臓結石の薬が手に入らなかったので、代わりにサルサパリラというハーブが効果があると書いてあったので持って来たと言って、サルサパリラ根の液体エキスの入った瓶を渡す(1枚目の写真、矢印)〔サルサパリラは、現在でも販売されているが、抗炎症効果はあるが、効能の中に腎臓結石は含まれていない〕。市長は、「わざわざ調べてくれた? これ、痛みに効果あると思うか?」と訊き、アルフォンソが 「はい、市長さん」と答えると、市長は深く感謝する。そして、町の教会のアヴェリーノ神父に渡して欲しいと、別の瓶を渡される(2枚目の写真、矢印)。アルフォンソは、さっそく近くの教会に行き、神父に市長からだと言って贈り物を渡す(3枚目の写真、矢印)。4枚目の写真は、この映画の冒頭にも出てきた教会の、町の公式ホームページにあった写真。これを見ると、教会だけが異様に大きくて、町そのものはすごく小さいことがよく分かる。映画は、このあと、アルフォンソは、3枚目の写真で彼のすぐ左に映っていたルシアから、紙に書いた買い物リストを渡される。ここまでくると、アルフォンソは、まさに「使い走りの少年」だ。
  
  
  
  

薬剤師のマティアスに会いに、エミリアーノという医師がやって来る。しかし、マティアスは店の奥で酔っ払って眠りこけているので、アルフォンソに 「この町に医者が一人もいないのは困ったことだ。私の見るところ、マティアスは助けにならないしな」と話しかける(1枚目の写真、矢印はマティアス)。アルフォンソは、ベルタから 「マティアスを大事にしてあげて」と言われているので、「マティアスさんは、疲れているだけです、エミリアーノ先生」と庇う。エミリアーノ:「だが、レオニダス先生の後任を見つけないとな」。アルフォンソが、エミリアーノがなぜこの町の医者にならないか尋ねると(2枚目の写真)、パーキンソン病なので、もう診療ができなくなったと言い残し、店から出て行く。アルフォンソは、仕事を続けていたので、エミリアーノが聴診器をカウンターに忘れていったのに気付くのが遅れ、店の外に飛び出して行った時には、医師の姿はどこにもなかった(3枚目の写真、矢印は聴診器)。
  
  
  

アルフォンソは、ルシアから頼まれた生鮮食品を買い、彼女の家まで自転車に乗せて〔もちろん、自転車は牽いて〕運んでくる(1枚目の写真、矢印は買い物)。アルフォンソが、エミリアーノの聴診器を耳に付けて、馬の首に当てて実験していると、自転車を見たルシアがフィリップと一緒に迎えに出てきて、お互いに挨拶を交わす。ルシアが、「私が頼んだ薬、持って来てくれた?」と訊くと、「フィリップさんの胸に、もっとよく効くものを持ってきました。僕が読んだら、フィリップさんの咳はアレルギー〔炭鉱の出口にずっと座っていたので、粉塵アレルギー?〕が原因です」と言う。フィリップは、「僕はアレルギーなんか持ってないぞ」と言うと、アルフォンソは、パンフレットを渡し、それに対する薬を渡す(2枚目の写真、矢印)。フィリップが 「他の薬よりいいの?」と訊くと、アルフォンソは 「他の薬は効果がないからやめた方がいいです」と言い、フィリップも 「確かにそうだな、全然効かない」と賛成する。そして、「一緒に食べてかないか、アルフォンソ」と誘う。アルフォンソは当然 「ありがとう、先生」と言い、3人で 買ってきた物を家に運ぶ。食事を前にしても、アルフォンソが聴診器を付けているので、フィリップは 「それは聴診器だ。心臓の音を聞くためのものだ」と言うと、チェストピースを手に取ると、アルフォンソの胸の特定の箇所に当て、心音を聞かせる。そして、「どこで見つけたんだい?」と訊く。「ソガモソから来た人が置いて行きました」。ルシアは 「きっと、エミリアーノ先生ね」。「そうです、今度会ったらお返しします」(3枚目の写真、矢印は聴診器)。ルシアは、余った食品をアルフォンソに分けてあげるといい、アルフォンソは感謝する。
  
  
  

次の3枚目の写真は、アルフォンソが何とか自転車に乗れるようになりたいと思って練習する場面。頭はいいが、運動神経はダメなようで、なかなか上達しない。秘書が親切なのは好感が持てる。モンギは、コロンビアの18のPueblos Patrimonio(歴史的な町)に選ばれただけあり、どこを撮っても “絵” になる町並みが見られる。
  
  
  

ある時、アルフォンソは小さな女の子の猫が屋根に逃げてしまったのを助けようと、父親の腕に支えられて屋根に這い上がる(1枚目の写真、矢印は黒い子猫)。そして、屋根の先端まできて、父親に子猫を渡す(2枚目の写真、矢印)。そのあと、思い切って屋根から飛び降り、膝をケガしてしまう。家に帰ると、薬局から持ち帰った脱脂綿で血を拭き取り(3枚目の写真、矢印)、そこに “赤チン”〔現在は製造されていない〕を塗る。
  
  
  

翌朝、ベルタがアルフォンソの家にやって来て、「ねえ、アルフォンソ」と呼びかけるが、初めて見た住処があまりに悲惨な場所なのでびっくりする。アルフォンソが足を引きずって現れたので、「どうしたの?」と訊くと、「子猫を助けようとして屋根に上って落ちちゃいました。でも、すぐに赤チンを付けました」と答える(1枚目の写真)。ベルタは、「お礼を言いに来ただけよ。ハーブのことでいろいろと世話になったから」と話し始める。「ご心配なく、ベルタさん」。「このハーブは女性のもの。重要なことよ、女性専用なの」〔このハーブは、モンテヴェルディア・イリシフォリア(男性生殖器に対する毒性がある)?〕。これに対し、アルフォンソは 「それが赤ちゃんを産まないためのものであることは知っています」と言った後で、常識的に考えて11歳の子が市長夫人に対し訊くとは思えないような質問をする。「なぜ、赤ちゃんを産みたくないんですか? 市長さんは 待ち焦がれておられるのに」(2枚目の写真)。さらに、「赤ちゃんは、あなたに幸せをもたらします」とも〔こちらの言葉の方が、もっと異常。ベルタの祖母か、年上の親類の伯母か神父が言うのならまだしも…〕。この言葉を聞いたベルタは、アルフォンソの頬を包むように触り、「あなたに神の祝福を」と言う。
  
  
  

薬局では、アルフォンソがマティアスの代わりにフラソコの液体に、ビーカーから別の液体を注いでいる。注ぎ終わると、マティアスが他の容器にあった液体を加えようとしたので、アルフォンソは 「それ、もう、僕が入れました」と言う。自分が如何に役立たずかを認識したマティアスは、横に置いてあったウィスキーをがぶ飲みする(1枚目の写真、矢印は空になった瓶)。そして、味が違うので、舌で唇を舐めてみて しばらく考える。アルフォンソは、来客用のキャンディーの入った瓶を黙って差し出し、マティアスは1個取って口に入れてから、空の瓶を持って奥に消える。次のシーンでは、アルフォンソが墓地に行き、5段式の納骨壇に登っているのを、墓掘人が見ている。アルフォンソは母の墓まで行くと、「もう35ペソある。お金が貯まったら、すぐ素敵な墓石を買うからね」と話しかける(2枚目の写真)〔一番安い墓石は70ペソだが、素敵な墓石は300ペソなので、まだ先は長い〕。その言葉も、墓掘人が聞いている。全く別の日、アルフォンソは、夏休み中の小学校の生徒5人と一緒にトラックに乗って町からかなり離れた丘陵地帯まで行く。そして、右目の悪い子と2人だけになると、「君のママの薬を持って来た」と言って2つの瓶を渡す。男の子は、「どうやって手に入れたの? これってすごく高価なんだ」と驚く。アルフォンソは 「“神秘的な力” さ。誰にも内緒だぞ」と言い、唇に指を当てる(3枚目の写真、矢印は薬)〔お金はどうしたのだろう? アルフォンソなので、勝手に持ち出したとは思えない。先に、5段式の納骨壇に登った時、お札を1枚取り出したようにも見えたので、それで支払ったのだろうか? でも、それだと、その直後に、母の墓に向かって貯金を自慢するシーンと噛み合わない気もする〕
  
  
  

別の日、誰かに頼まれたものを自転車の荷台に山盛りに積んだアルフォンソが、町の人2組とすれ違うと、4人ともアルフォンソに手を上げて挨拶する(1枚目の写真、右の矢印は2人とも親し気に手を上げる、左の矢印は背の低い方は、もう少し後で手を上げる)。如何に、彼が人気者になっているかを示している。そして、もちろん、薬局以外の使い走りだけではなく、薬局でもアルフォンソは勉強に励む(2枚目の写真)〔如何に暇な薬局か…〕。そして、この頃には、上手に自転車に乗れるようにもなっている。墓参りをしたり、家を掃除したり、好きな女の子と遊んだり、薬局での短いシーンもさらに2つ。その次に、どこかの家の前でベルタからお金を受け取り、四角い箱を渡す意味不明のシーンも〔避妊薬は止めたので、市長の薬? 何度も書くが、あまりにも説明がなさ過ぎる〕。その直後のシーンでは、自転車のハンドルの両側に4羽の鳥をぶら下げたアルフォンソが坂を上って行く(3枚目の写真)〔典型的な使い走りだが、薬局の仕事はどうなっているだろう? 8-18時までが勤務時間のハズ。日曜のアルバイト?〕
  
  
  

医者(?)としての実技も上達する。最初は、ケガをした手の甲に何か不明な処置をしている短いシーン(1枚目の写真)。次は、冒頭と卒業写真の時に出てきた写真屋の息子のケガを治療している時、写真屋に 「バレリアン(セイヨウカノコソウ)水 飲んだら? 睡眠に役立つよ」と声をかける。写真屋は 「俺が眠れないってなぜ知ってる?」と訊く(2枚目の写真)。「目の下にクマが目立ち、大声でわめき、チョッキのボタンのかけ方が違ってる」。写真屋は下を巻く。そのあとに、一番訳が分からなくて、長くて〔1分30秒〕、下らないシーンが入る。さっきの写真屋がルシアと出会い、いきなり結婚を申し込み、完全に断られる場面〔結局、ルシアは独身で、映画の冒頭、フィリップとキスしたのは、宿を貸している間に親しくなったというだけの理由。フィリップの病気を心配したり、アルフォンソを夕食に誘った時は、まるで夫婦のようだったのに、なぜ、こんな描き方をするのだろうか?〕。次のシーンは、墓掘人の家の前の木に登ったルースのバカ息子のマノロと3人の子供達。マノロは、「墓掘人なんか怖くない」と言うと、パチンコで、家の前に置いてあった花束の入った壺を割る。他の3人はすぐ逃げるが、小太りで鈍いマノロは、怒って出てきた墓掘人に追いかけられていると、急に胸が苦しくなって立ち止まる。一緒にいた女の子が、「彼、喘息なの」と言うが、墓掘人には何もできないので、マノロはその場で倒れてしまう。そこに、ちょうど墓参にやってきたアルフォンソが駆けつけ〔墓掘人の家は、墓地の外れに建っている〕、気付け薬〔炭酸アンモニウム?〕を嗅がせ(3枚目の写真、矢印)、マノロは意識を取り戻す。墓掘人はアルフォンソに感謝する。
  
  
  

別な日、薬局で、サロメがアルフォンソに足に何かを塗ってもらっていると(1枚目の写真)、そこに男が飛び込んで来て、「アルフォンソ、ドロレスさんの家に行ってくれ。死にそうなんだ。急いで!」と叫ぶ。アルフォンソは、バッグにドロレス用の薬が入っていることを確かめ、すぐに自転車に乗って急行する。すると、奥からマティアスが出てきて、「どうしたんだね?」と訊く。「ドロレスさんが死にそうなんだ」。「なぜ、わしを呼ばんかった?」。「アルフォンソを呼んで来てくれって頼まれたから、その通りにしただけさ」(2枚目の写真)。それを聞いたサロメは、「残念ね、マティアスさん。でも、あなた、いつもそうやって飲んでるから」と、ウィスキーの瓶の蓋を開けたのマティアスをバカにする。マティアスは、「失礼だがね、お嬢さん、わしはたまにしか飲まんのだよ」と反論する。呼びに来た男が去ると、マティアスは 「あいつめ〔アルフォンソのこと〕、わしの飲み物に余計なことをしおって。いつからアニス〔セリ科の一年草〕水を飲まされてたんだ?」とブツブツ。それを聞いたサロメは、「だから、最近、機嫌がいいのね」と皮肉るが、マティアスは、もっと厳しい言葉で応酬する。「黙んなさい。あんたには この町で発言する権利なんかない!」。ドロレスの家は町からかなり離れた野中の一軒家。アルフォンソは、聴診器でドロレスの心音を聞いているが、それが止まってしまう。ドロレスが死んだと分かったアルフォンソは(3枚目の写真)、ゆっくりと聴診器を外し、姉妹から何を訊かれても何も言わず、聴診器をバッグに仕舞うと、ドロレスを恐ろしそうに見ながら後退し、最後は逃げ出す。
  
  
  

頭の中が真っ白になったアルフォンソの自転車は坂道に入ってスピードを増す。その先では、墓掘人と、マノロと2人の女の子がボールを蹴って遊んでいる。アルフォンソは、そこに目がけて突っ込んで行く(1・2枚目の写真)。次に映るのは、ドロレスの棺を運んだ列がコンクリートで出来た集合納骨壇が並んでいる通りを進んで行く場面〔この場面も理解不能。後で、ドロレスは埋葬されたのではなく、集合納骨壇に納められたことが分かる。それなら火葬にされた遺灰を納めるハズなので、なぜ棺が運ばれて行ったのだろう?〕。ここで、場面は病院に変わる。モンギには、そもそも医師がいないので、ここはソガモソ。マティアスが医師から説明を受け、病室の前で待っていた4人に、忙しい医師の代わりに状態を説明する〔待っていたのは、ベルタ、ルシアとフィリップ、サロメ(改心した?)〕。「アルフォンソは外傷性脳損傷〔交通事故や転倒などで外から頭に強い力が加わり、脳の組織が傷つくことによっておこる疾患〕だそうです。医者からは、彼はもう足も腕も動かせないと言われました」。深い悲しみが5人を包み込む。
  
  
  

「4ヶ月後」と表示される。マティアスはアルフォンソのベッドの横の2人用のソファに座っている(1枚目の写真)〔店もあるので毎日は来られない。今日は日曜なのだろうか? それに、自動車も持っていないのでバスで通っていたのだろうか? いつものことだが、この映画は、そういった情報は常に何も与えてくれない〕。すると、マティアスは アルフォンソの足の先が動いたのに気付く(2枚目の写真、矢印)。彼は すぐに看護婦を呼び、看護婦は医師を呼びに行く。マティアスがアルフォンソに顔を近づけると、アルフォンソの左手が上がり、マティアスのYシャツをつかむと、「もう、アルコールの臭いがしないよ、マティアス」と囁く。それを聞いたマティアスは、嬉しさのあまり、「飲んでないとも」と言い、アルフォンソの手を握る(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

次のシーンでは、アルフォンソは退院し、松葉杖で歩くことができるようになっている。アルフォンソは店の前で見送るマティアスと “永遠の友” として堅く握手をすると、ゆっくりと歩いて店から立ち去る(1枚目の写真)〔もう、二度と戻ることはない〕。アルフォンソは、次に墓所を訪れる〔松葉杖で行けるので、それほど遠くはない〕。アルフォンソは、貯金を隠してあった集合納骨壇の前まで行くと、何と、その空間は 「ドロレス・ロサレス/1878-1955」と書かれたコンクリート板で完全にふさがれていた(2枚目の写真、矢印)。それを見たアルフォンソは、全財産を失くし、その場に尻をついて泣き出す(3枚目の写真)。
  
  
  

アルフォンソは、一体どうなったのか訊こうと、墓掘人の家に行ってみる。室内には、壁一面に墓掘人が描いた肖像画が掛けてある。「いつ退院したんだ?」。「数日前。この絵の人たち、何なの?」。「死んだ人たちだ」。「ドロレスさんは、どうして亡くなったの?」。「ドロレスは、もう生きたくなかった。孫娘たちは、彼女が飲まなくちゃならん薬を、マットレスの下から見つけた」。それを聞いたアルフォンソは、「じゃあ、僕のせいじゃなかったんだ」とホッとする。アルフォンソは、イーゼルに飾られた自分の母の絵に触りながら、「絵が上手だね」と本心から褒める(1枚目の写真、矢印は母の絵)。「気に入ったか? アラミンタ、お前さんのママだ」。壁には、墓掘人の絵も飾ってある。そこで、「どうして、自分自身を描いたの?」と訊く。「俺が死んだら、誰が描いてくれる?」。これで、アルフォンソも納得。墓掘人は、ここで 「一緒に来て欲しい」と言い出す。2人は、アルフォンソを前にして、母の墓まで行く。すると、母の埋葬された土盛のあった場所には、立派な墓が作られていた。それを見たアルフォンソは、嬉し涙にくれる。墓の前に膝まづいて生花に触りながら(2枚目の写真)、アルフォンソは墓掘人を見上げて、「ありがとう」とお礼を言う。墓掘人は、「お前さんが瓶に貯めておいたお金を使った。それに、俺とルシア先生とサロメの3人で、町の人たちから残りの費用を集めた」と説明と、嬉しそうに笑いながらアルフォンソの頭を撫でる。そして、アルフォンソの横に膝をついて座ると、アルフォンソを抱きしめる(3枚目の写真)〔一番感動的なシーン〕
  
  
  

アルフォンソが、不自由な体で何とか家まで行き、必要な僅かな物を持って帰ろうとすると、そこに市長、ベルタ、秘書が車で乗り付ける。市長は、アルフォンソが下まで降りるのを助けてくれ、下で待っていたベルタは、妊娠して膨らんだお腹にアルフォンソの手を当て、「あなたに会えて嬉しいわ」と笑顔で言う(1枚目の写真、矢印)。そのあとの、最後の斜面も、市長が転ばないようにサポートする(2枚目の写真)。そして、「ちょっと休んで」と言い、脇にあった石に座らせる。アルフォンソは、市長に「病院までいろいろ持って来て下さり、ありがとうござました」と丁寧にお礼を言う。「気に入ったかな?」。「はい、とても役に立ちました」。ここで、ベルタが、「あなたに お話があるの。学校についてよ」と言い、主人に向かって、「彼の滞在先はもう用意してあるのよね?」と話しかける。それを聞いたアルフォンソは、「ご心配には及びません」と言うと、市長が、「心配しないわけにはいかん。将来、重要な人物になるには、学校に行かないといけないからな」と、アルフォンソに言い聞かせる(3枚目の写真、矢印はもう一度膨らんだお腹)。これだけ言うと、市長は アルフォンソを立たせて車に向かわせ、自分は、ベルタの胎児に触りながら、「さあ おいで、ダーリン」と言うと、大切な宝物のようにベルタを扱う〔市長がこんなにアルフォンソに親切なのは、ベルタが赤ちゃんのことを話したから?〕
  
  
  

アルフォンソは、その後、用意された部屋に入る。松葉杖は置いてあるが、なくても歩けるので、あれからかなりの時間が経ったのだろう。壁には、墓掘人から贈られたアルフォンソの絵が飾ってある。この部屋は、学校の寮にしては広すぎるので、どういう場所なのかは分からない。映画は、アルフォンソが窓辺まで行ったところで終わり、画面が白黒になると、その後の経歴が少し黄色い字で示される。「アルフォンソはしばらくの間、町の人々を助け続けた。彼は、学校を卒業後 軍隊に入り 看護師として何千人もの兵士を助けた。数年後、彼はルズ・メリー〔小学校でアルフォンソを好きだった女の子〕と結婚し、現在はバジェ・デル・カウカ県〔ボゴタの西南西200キロ~海まで広がる大きな県〕の町に住んでいる」(2枚目の写真)〔市長が言っていた 「将来、重要な人物になるには」 とは かけ離れているような気もするが…〕。その後、監督に続き、アルフォンソ役の子役の名が最初に表示された頃、「アルフォンソ、1957年」の時のアルフォンソ本人と思われる写真(3枚目の右側?)が表示される〔1954年で11歳だったので、14歳の時の写真〕
  
  
  

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