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I Know My First Name Is Steven (TV)
   覚えてるのはファースネームがスティーヴン

アメリカ映画 (1989)

1972年12月4日、カリフォルニア州マーセド(Merced)〔サンフランシスコの東南東約180キロ〕という平和な町で起きた7歳の少年スティーヴン・ステイナー(下の写真)は、過去に少年に対する性犯罪歴のあるケネス・パーネルによって巧みな話術によって誘拐され、聞くに堪えない虐待を受けたのち、14歳になって欲望の対象でなくなった時、5歳の少年ティモシー・ホワイトが新たに誘拐されたのを見て、1980年3月1日に警察まで連れて行き、7年3ヶ月ぶりに保護された。パーネルは、牧師を装い、最初は教会への募金について母と話したいからと言って車に乗せ、家に行かないことにスティーヴンが気付くと、適当な理由をでっち上げて不安を減らし、さらに途中から公衆電話で母親に電話をかけたフリをして、“お泊まり” の許可が出たと言って嫌がるスティーヴンをキャシーズ・バレー(Catheys Valley、マーセドの東北東約35キロ)の貧弱な家まで連れて行く。その後も嘘は続き、スティーヴンが口にした簡単な情報を元に、父が怒っていてしばらく会いたくないと思っていると話し、明日は連れて帰ると言う。翌朝になると、そのうち連れて帰るが、今日ではないない。理由は両親が問題を抱えていて、それが解決するまでここにいることになったと話す。さらに、翌日には、判事に会いに行ったと言い、パーネルがスティーヴンの親権を与えられた、理由は、両親がお金に困り(これもスティーヴンの一言を利用した)子供を5人も養えなくなったからと話し、名前も、デニス・パーネルに変えさせる。このようなマインド・コントロールに加え、12月12日には、睡眠薬を与えて眠らせたデニスを遠く離れたサンタ・ローザ(Santa Rosa、キャシーズ・バレーの西北西約255キロ)まで連れて行く。そして髪を短く切り、1973年1月4日にMagnolia小学校に入学させ、2年生が終了すると、9月9日には3年生としてHighland小学校に転校させ、父が心臓麻痺で死んだ、母は東部に帰り、残された子供たちは養子にされてバラバラになったと話す。この時点でも、デニスはまだ8歳。彼は、心理的・肉体的に大きなダメージを受け続けていたため、こうした嘘を100%信じてしまう。映画は、その2年後の様子を一瞬映し、その後は、さらに5年後、14歳になったデニスの “決断とヒーローと屈辱” の人生を描いていく。この映画の7歳のスティーヴン=デニスの描写の中には、性的虐待を推測させるような描写は一切ない。それは恐らく非常に多くの人が観るであろうTVのミニ=シリーズとして製作されたので、そうした描写や台詞を一切排除したからであろう。そうした意味では、特に前半は、事件を知らない日本人にとっては、残酷だが、単純な児童誘拐事件として観てしまう。AmazonのKindleですぐに入手できる 『From Victim to Hero: The Untold Story of Steven Stayner(犠牲者から英雄へ: スティーヴン・ステイナーの秘話)』(2010年出版)というかなり詳しいにも、初日の夜のことは、こんな風にしか書かれていない。「スティーヴンはゆっくりと歩いて寝室に行き〔この小屋には2部屋しかなく、寝室は1つだけ〕、服を着たままベッドに登った。シートは汚く、汗とタバコで臭かった。パーネルは、彼に背を向けてソファに寝ているマーフ〔頭は弱いが心は優しい誘拐の共犯者〕の向こうの寝室を見た。しばらして、マーフは寝室のドアが閉まる音を聞き、すぐに、少年が泣き叫ぶのが聞こえ」た。そして、翌日の章には、こう書かれている。「マーフはパーネルを睨み返した。彼は、パーネルが有罪判決を受けた小児性愛者であることを最初から知っていたのだが、パーネルが少年を性的に虐待した方法が好きではなかった」。そして、スティーヴンについては、「彼は、昨夜も今朝も彼に苦痛を与えた男と話したくなかった」「性的虐待を受けた子供だけが感じる痛みで、スティーヴンはソファから床に転がり落ちた。彼の体は隅々まで痛み、彼はまた泣き叫んだ。なぜ、この男は、彼にこんなことをしたのか?」。【この先は、極めて汚らわしい内容なので、読みたくない人は、次節まで飛ばして下さい】。スティーヴンの受けた虐待に関して、最も正確に伝えていると思われるサイト(https://imgur.com/gallery/5hmQM)には、冒頭に、「スティーヴンの両親が幼い次男を必死に探し始めたのと同じ夜、パーネルは 7 歳の子に性的暴行を加え始めた」と書かれている。さらに、本人の証言として、「スティーヴンは、誘拐された時まだ幼かったので、パーネルから最初に肛門性交された時のことをこう話した。『要するに、僕は、思ってしまったんだ。これは、僕が知らなかっただけで、きっと当たり前のことなんだと。でも、痛かった。ものすごく。だから、僕は泣き続けた。それでも、パーネルは僕を無視し、やり続けたんだ』『肛門性交は苦痛だった。パーネルは100回くらい僕に挿入し、ほとんどいつも肛門が裂けた。痛かったが、彼は完全に無視した』」と書かれている。別なサイト(https://www.salon.com/1999/07/30/steven_stayner/)には、パーネル側の話として、スティーヴンに性的暴行をしたことで唯一後悔したことは、『アナルセックスすると、あいつはいつも出血したから、俺まで血まみれになり、それが気に食わなかった』と、あまりにひどいことを述べている。先のには、1974年4月、デニスが9歳の誕生日を迎えた直後、ウィリッツ(Willits、サンタ・ローザの北北西約120キロ)に引っ越し、Willits小学校に4年生として転校したと書かれている。その先の問題ある記述は、「パーネルは、デニスが嫌悪した別の形の罰〔オーラル・セックス〕を強いるようになった。パーネルは、これは父親が息子を鍛練する一般的な方法だと主張したが、デニスは信じておらず、他の生徒に知られることを怖れていた。他の生徒達が、そのようなことをする人のことを何と呼ぶか聞いたことがあり、デニスは自分がホモだと思われたくなかった」と書かれている。この頃には、デニスは色々な情報を得るようになっていて、自分のさせられている行為を恥じるようになっていた。これほど可哀想なことはない。

あらすじでの紹介は、幼い子供時代のスティーヴンのルーク・エドワーズの出演がここで終わるので止めますが、その後どうなったかだけは、下に書いておきます。

映画の後半では、デニスは14歳になっている。何も詳しい情報は与えられないが、先のでは、「デニスは、フォート・ブラッグ(Fort Bragg、ウィリッツの西40キロ)にある薄汚い2部屋のトレーラーハウスに移り住み、バスで30-40分かかるコンプトチ(Comptche、フォート・ブラッグの南東約25キロ)あるPoint Arena高校に8年生として入学した」「デニスは、常習の喫煙・飲酒者だった。彼のパパ〔パーネル〕は、タバコとアルコールを制限するどころか、いつも与え続けていた」と書かれている。確かに、デニスは、前半最後の9-10歳の頃から、ヘビー・スモーカーになっている。高校生としてのデニスはフットボールに熱中し、友達もできて、普通の子のような日々を送っている。1980年1月、映画では触れられていないが、には重要なことが書かれている。デニスが大きくなり過ぎ、今に自由を要求するのではないか。学校の成績が良くないので、中退して軍隊に入ると言い出した場合、必要書類が提出できず、“パーネルがデニスの親権を取っている” という嘘がバレてしまう。そこで、パーネルはデニスの時より幼い少年を誘拐し、そのあと、デニスを殺して、今住んでいるマンチェスター(Manchester、コンプトチの南南西約35キロ)の小屋の後ろの森に埋めてしまい、少年と一緒にアーカンソー州に逃げようと決める〔事件解決後、警察の調査で長さ6ft、幅3ftの穴が見つかっている〕。そして、ここからは映画に近いのだが、パーネルは、デニスの友達のシェーン(映画ではピート)を麻薬とアルコール付けにして性欲を満たすと、今度は、そのシェーンを使って、パーネルが働いているユカイヤ(Ukiah、マンチェスターの北北東約45キロ)の小学1年生ティミーを、1980年2月14日に誘拐させる。学校から小屋に戻ったデニスは、ティミーを新しい弟だと紹介され、その後、ティミーの髪がかつての自分の時のように染められたのを見て、ティミーの運命を悟る。そこで、ティミーを説得して、パーネルがユカイヤのホテルの夜警として夜 仕事に出かけると、すぐに小屋を出て、ヒッチハイクでユカイヤに向かう。そして、そこの警察署の前までティミーを連れて行き、中に入って名乗るよう指示するが、怖くなったティミーは逃げ出してきてデニスと一緒に拘束され、警察の寄り調べを受けるうち、デニスが7年以上前に行方不明になったスティーヴンだと判明、連絡はすぐにマーセドの両親にも知らされ、一家は大きな喜びに包まれる。翌朝、パーネルは逮捕され、スティーヴンが本人だと確認すると、彼は駆け付けた多数のマスコミの中をパトカーに乗り、直線距離で約315キロ南東にある両親の自宅まで運ばれ、夜暗くなって到着。待っていた多くの地元の住民と、マスコミに囲まれ、両親と感激の再会を果たす。ここで終わればハッピーエンドなのだが、マンチェスターの小屋を何故か見聞に来た地方検事が、見張りの警官が調査済みというのに中に入って行き、天井裏に隠してあったデニスの裸の写真を3枚見つける。ここから、話しが悲惨な方向に進み、地元警察が持って来たその写真を見た父が、怒り心頭になり、スティーヴンがこうした行為をさせたことを断固許すまいと頑なな態度に豹変する。いわば悪役だ。しかし、にはこのような逸話は一切書かれていない。デニスの裸の写真は存在しないし、父も、息子がレイプされたことで態度を豹変させたりはしない。映画は、このシーンが長すぎて観ていて辟易する。もし本が正しいとすれば、なぜこのような変更を加えたのだろう。スティーヴンが高校で虐めにあうのは確かだが、それは、写真やレイプがマスコミによって報道されたからではなく、本によれば、パーネルが1951年に起こした8歳の少年に対する性的虐待が大々的に報道されたことで、スティーヴンもきっと同じ目に遭ったに違いないと男子生徒の一部が勝手に考えたからだとされている。そして、スティーヴンの裁判は最悪だった。先にユカイヤで行われたティミーの裁判では、誘拐罪で7年の禁固刑を受ける。しかし、その後、マーセドで行われたスティーヴンの裁判(1981年12月)では〔映画では、最悪なことに、同じ裁判所の映像が映る〕によれば、マーセド郡の地方検事が 性的虐待はマーセド郡で行われたものでなく〔スティーヴンが誘拐された夜から性的虐待を受けたキャシーズ・バレーは、マリポーサ郡にある〕、性的虐待による訴えは管轄外であり、無効審理で却下されるべきと主張し、(ティミーと)同じ犯罪で 2 回有罪判決を受けられない州法があったため、スティーヴンを連れ去ったという罪だけで、(1982年2月の判決では)僅か20ヶ月の禁固が加算されただけだった〔映画を観ていても全く理解できず、本を読んで初めて理解できた〕。さらに、それを聞いたマーセドの警察署長は呆れて、「もし裁判がメンドシーナ郡〔ユカイヤのある郡〕で行われていたなら」と言ったと書いてあるが、これは署長の浅はかな間違い〔スティーヴンが最初に連れて行かれたキャシーズ・バレーのあるマリポーサ郡か、小学生として性的虐待を受け続けたサンタ・ローザのあるソノマ郡での裁判が正しい〕。映画は、裁判のシーンがくどくどと長いのに、判決の理由が上に書いたように全く説明されていない。には、映画を観たスティーヴンの両親は、「ミニ・シリーズ〔この映画〕で、スティーヴンがパーネルによって苦しめられた性的虐待に焦点を当て過ぎ、ティモシーを救ったヒロイズムを軽視していることに傷付けられた」とある。映画では、この判決のあとのスティーヴンの荒れた行動に焦点が当てられ、1981年12月(16歳)の時にジョディという女性を妊娠させるが〔映画は、この少し後で終わっている〕その後のスティーヴンの最大の功績は、本によれば、高校を中退させられた時の教頭の頼みに応じて、各地の小学校で、如何に誘拐に遭わないかを生徒達に説く「子供の誘拐を防ぐための学校意識向上プログラム」に積極的に参加して、自分のような思いを他の子にさせないよう努力したこと。最後に、スティーヴンが実際にジョディと結婚するのは、1985年6月のこと。そして2人の子(男女)を持つが、1989年9月16日〔ミニシリーズのTV放映が1989年5月22・24日〕の雨の日、バイクを運転中のスティーヴンは、雨で車の発見が遅れ、踏んだブレーキが雨の路面で横滑りし、車の側面にぶつかり死亡した。僅か24歳だった。ここからは、別の出典だが、スティーヴンによって救われたティミーは、警官になる。しかし、2010年4月1日、肺塞栓症で死亡(35歳)。2016年2月17日、マーセドの公園にスティーヴンと幼いティミーが手をつないだ銅像が立てられた(右の写真)。また、極悪犯のパーネルは、約8年(7年+20ヶ月)の刑期を僅か5年で服役を終えた〔何という無神経な司法。この時点では、まだスティーヴンは生きていた〕その後は、Los Angeles Times2004.4.16の記事によれば、「パーネルは、2003年1月、元caretakerの妹に、4歳の少年を500ドルで買いたいと頼み〔当局によるおとり捜査〕、その行為だけで、過去の重罪を軽い刑罰で免れたことを考慮して、2004年4月15日に25年の終身刑を言い渡された」 旨のことが書かれている。そして、2008年1月21日、76歳で獄死した。最後に、スティーヴンの兄ケーリーは、スティーヴンが死んだ1989年の10年後、ヨセミテ国立公園の入口にあるモーテルのhandymanとして働きながら1999年の2月から7月にかけて4人の女性を残酷な方法で殺害・遺棄し、2002年8月に死刑判決を受けた(2006年以降、カリフォルニア州では死刑が執行されていない)https://allthatsinteresting.com/cary-stayner)。

7歳と9歳のスティーヴン役は、ルーク・エドワーズ(Luke Edwards)。1980年3月24日生まれ。映画は1989.5の放映なので、1988年の撮影とすれば、撮影時8歳。彼のTV出演は1988年のドラマからだが、映画はこれが初めて。その後、『スウィート・ロード』(1989)、『真実の瞬間(とき)』(1991)、『ニュージーズ』(1992)、『マザーズボーイ/危険な再会』(1993)、『リトル・ビッグ・フィールド』(1994)と出演作が続く(1、2、5は紹介済み)。今も現役で活躍。

あらすじ

映画は、1972年12月3日から始まる。日曜のクリスマス商戦で賑わう町の中で、背広姿のパーネルと、ラフな格好のマーフが教会の募金のパンフレットを配布している。しかし、行き交う人々はクリスマスの買い物に忙しく、誰もパンフレットを受け取ってくれない。店から出て来た嬉しそうな子供達を見て、パーネルは 「息子がいたらいいだろうな」と口にする。「俺をパパと呼んでくれる、俺の言うことも素直に聞く小さな子だ。そんな子のために、クリスマスのプレゼントを買うぞ」。呆れたマーフは 「ガキなんかどうする? 自分の面倒も見れないくせに」。「その子が見てくれるさ。酔っ払って寝る時には、ブーツを脱がせてくれる」。そう言うと、マーフを無視し、おもちゃ屋に入って行くと、片っ端からおもちゃをカートに入れ、購入したものを車の後部座席に放り込む(1枚目の写真)〔この映画には、こうした日付や場所の表示がよくある。1回目なので、その場面を提示した〕。2枚目の意味不明の写真は、ステイナー家の母が、2人の息子と3人の娘用に、クリスアス・プレゼントを買うシーン。最後に手に持っているのは、スティーヴンに渡す兵隊さんの人形(矢印)。
  
  

その直後のシーン。スティーヴンは、学校が終わっても、途中にある ひと気のない場所で、丸い印に向かってボールをぶつけて遊んでいる(1枚目の写真、矢印)。跳ね返ったボールを取り損ね、道に飛び出していき、車にぶつかりそうになるが、それがパーネルとマーフの車(2枚目の写真)。これが、スティーヴンの運命を変えた。そのあと、スティーヴンはまだそこで遊び続ける。一方、暗くなってから父の運転する車が、7人家族の割には小さな家に帰ってくる(3枚目の写真)。
  
  
  

夫は、キッチン用品の修理中。「渡した40ドル〔2021年の220ドル〕で足りたか?」と訊くので、1人当たり平均8ドル〔44ドル〕のプレゼントになる。「夕食は?」。「シンディーの番よ。まだ始めてない?」。そう言うと、「シンディー、月曜!」と大きな声で呼ぶ〔この日は、日曜日だが?〕。一方、残りの3人はTVの前に釘付けになっている。そこに入ってきた母は、「スティーヴィーはどこ?」と訊く。「知らないよ。どこかその辺にいるだろ」(1枚目の写真)。母が買ってきたプレゼントを包装紙で包んでいると、父が、長男のケーリーを呼ぶ。ケーリーは、「僕、昨晩したよ。スティーヴィーの番だ」と答える。「スティーヴィーはどこだ?」。「ここにはいない」。それを聞いた母は、キッチンで料理を始めたシンディーに、「学校から帰ってからスティーヴィー見た?」と訊く。「ううん」。母はガレージに行き、夫にスティーヴィーが帰って来てない報告する。その時、スティーヴィーが早足で歩いてくるのが分かり、母は、バルコニーに出て行き、帰ってきた次男に、「スティーヴン・ステイナー、学校が終わったら すぐ家に帰れと言ったでしょ! 部屋に直行し、お父さんが行くまで待ってなさい」と叱る(2枚目の写真)。そして、彼が家に入ると、夫に、「背中にベルトを試してもいいんじゃないかしら。でないと、一生のらくら者で終わってしまうわ」と言う。その直後の夕食のシーンにスティーヴンはいない。罰として、父が来るまで部屋で待機させられているから。解説で述べたでは、状況は全く違い、この日はシャロン・カーの一日早い誕生パーティ(この日が日曜なので、1日早めた)。彼女のベスト・フレンドのスティーヴンも、当然そこに招かれていた。
  
  
  

スティーヴンが兄と共用の部屋で待っていると、そこに、夕食を終えた父が入って来る(1枚目の写真、彼は2段ベッドの下段に座っている)。父は、「なぜ、すぐ帰宅しなかった?」と質問する。「忘れちゃった」。「家に帰るのを忘れた?」。「うん」。「どこにいた?」。「公園」。「何してた?」。「ボールで遊んでた」(2枚目の写真)。「誰と?」。「一人で」。「一人でボール遊びしてたのか?」。「そう」。「いったいどうした? 私の言うことを、どうやったら聞くようになる? ベルトで殴るか?」。「ううん」。「お母さは、そうしろと言ったぞ。お前は、年長者が言ったことを尊重し、従うことを学ばんといかん」(3枚目の写真)〔翌日の誘拐を招く言葉〕。「はい」。「これから、毎日、学校から家まで真っ直ぐ帰ること。2時半には家にいろ」。そして、冷たくなった夕食を食べに行かせる。
  
  
  

その頃、夜の食堂でパーネルとマーフが話している。パーネルは、「お前、何歳で家を出た?」と訊く。「17」。「そんなことは知ってる。家を出たいなと最初に思ったのは何歳の時だ?」。「さあな、6か7の時かな」。「俺は6歳の時だ」。「それが、どうかしたか?」。「ポイントはだな、俺たちみたいな少年がいっぱいいるんだ。惨めな家から連れ出してくれて、自分たちを本当に理解し、ちゃんとした教育を与えてくれる父親が欲しいなと思っている」。「だけど、誰もあんたに 養子させようなんて思わないぜ」。「分ってる」。「なら、どうする気だ?」。「男の子をもらう」(1枚目の写真)。「どうやって?」。「取り上げる」。ここで、「1972年12月4日」と表示される。キッチンで、母が4人の子に、「急いで、学校に遅れるわ、8時を過ぎてる」と急がせる(2枚目の写真)。
  
  

その頃、スティーヴンは、ガレージの白い壁に、鉛筆で自分の名前を書いていた(1枚目の写真)。母は、バルカニーから 「何してるの?」と訊く。そして、壁に書かれた字を見て、「何てことするの! 今すぐ ここに来なさい」と呼びつける。「あなたが理解できない。昨夜、お父さんが話さなかった? これ以上、困らせないで」(2枚目の写真)「今度、何か悪いことしたら、ベルトで叩かれるわよ。なぜ、あんなことしたの? どうしたの?」。「分かんない」。「ここに住んでて幸せじゃないの?」。「前の家の方が良かった。隣に果樹園があって」と、笑顔を見せる(3枚目の写真)。「あそこには戻れないの。気に入ってたけど、お金がかかって、払うことができなくなったの」〔重要な伏線〕
  
  
  

車の中で、パーネルは、「俺は、取り上げる子を決めてある」とマーフに話す。「どうすりゃいい?」。「お前は、パンフレットを配れ。目当てのガキが来たら、俺が合図する。ガキのためなんだ、マーフ。俺の息子になったことで、いつか感謝するだろう」。では、前日の状況が全く違うので、車の中でパーネルは、「俺は、先週、そのガキを見つけた。毎日、どこを歩くか知ってるから、どこで捕まえればいいかも分かってる」と言う。そして、午後2時30分に、ヨセミテ・パークウェイとシャーリー・ストリートの南西の角にある駐車場に車を停める。パーネルは、少年(スティーヴン)が寄り道しなければ、2時45分頃 そこを通ることを知っていた。スティーヴンが歩いていると、男(マーフ)が、「やあ、どこに行く?」と声をかける。「家」。マーフはパンフレットを渡す(1枚目の写真、矢印はパーネル)。マーフがパーネルをそっと見ると、彼は “その子だ” とばかりに頷く。マーフは、「私は教会から来て、寄付者を探してるんだ。君のママは、寄付してくれるかな?」と訊く。「分かんない」。「どこに住んでるんだい?」。「この3ブロック先」。「私たちは、君のママと話せると思うかい?」。「そう思うよ」。そこに、パーネルの車が横付けされる。マーフは、「パーネル牧師さんだ」と紹介する。そして、「君の家を教えてくれるかい?」と言い、パーネルは、「中に入りなさい」とドアを開ける。マーフは、「牧師さんが、家まで乗せて行ってくれる」と言う(2枚目の写真)。家はすぐ近くにあるので、車はすぐに家に通じる通りの角を通り過ぎる。スティーヴンは、すぐに、パーネルに、「僕の通りを過ぎちゃった。あっちだよ」と指で示す(3枚目の写真、矢印)。パーネルは、「分かってる。でも、ドライブするには良い日だろ?」。「僕、まっすぐ家に帰らないと」。「心配しなくていい」。「帰らないといけないんだ」。「なぜ? 何かトラブルを抱えているのかな?」。「そうだよ」。「何が怖いんだね? お父さんに叩かれることか?」。「そう」(4枚目の写真)。「お父さんのことは心配しなくていいんだ。お父さんは、君を二度と叩かないだろう。約束する」。そして、車は町からどんどん離れて行く。では、基本的に大きな違いはないが、パーネルが、「家まで送ってあげましょう」と言った時、スティーヴンは、「いいです。家まであと数ブロックだから、歩きます」と断る。パーネルは 「君の家がどこにあるか知らない。後を追ってゆっくり走れば、違反切符をきられてしまう」と言い、乗るよう強く勧める。また、スティーヴンが、「これ、僕の家への道じゃない」と言った時には、「分かってる。まず、先に、教会に寄る必要がある。それから君の家に向かう」と言って、納得させる。
  
  
  
  

パーネルは、途中の公衆電話の前で車を停める。しばらくして戻ってくると、後部座席のドアを開け、「今、君のママと話してきた」と言う(1枚目の写真、矢印は電話ボックス)。「僕、話せる?」(2枚目の写真)。「いいや、ママはとても忙しかった。ママは、君が一晩泊ってもいいと言った」。「僕、どうやって家に帰れば…」。「君は、私が小屋に用意した山ほどのおもちゃが見られるぞ」。そして、「キャシーズ・バレー/マーセドから20マイル〔32キロ〕」と表示される。そこには、スティーヴンの祖父の母方の祖父も住んでいる。パーネルは、一軒の小屋のように小さな家の前で車を停めると(3枚目の写真)、スティーヴンを中に連れて行く。そこには、前日に買ったおもちゃが一杯置いてあり、「みんな君のだよ」と言われ、スティーヴンはびっくりする(4枚目の写真)。「それで遊んでなさい。私は、すぐ戻る」。そう言ってパーネルは外に出ると、外で待っていたマーフに、「お前は、今夜ここで泊まれ。ガキを見張ってて欲しい」と言った後で、「もし、このことを誰かにバラしたら、俺と同じ罪になるからな」と言う。頭の良くないマーフが理解しかねていると、「俺たちは、ガキを誘拐した」と言った上で、少額の紙幣を渡し、牛ひき肉とサヤインゲンを買って来いと命じる。マーフが、「もし、ガキがバラしたら?」と心配すると、「俺がガキの面倒を見る。あいつは、誰にも何も言わん」と言う。「なぜだ?」。「俺はあいつのパパ。あいつは俺の面倒を見る」と、変なことを言う。では、途中で電話をかけるフリなどしない。いきなり小屋に連れて行く。パーネルは、「まず、先に、教会に寄る」と言っていたので、スティーヴンは、「これ、教会には見えない」と言う。「もちろん。ここは、私の家だ。ここから、君のママに電話する」。それうぃ聞いたスティーヴンは、すぐに小屋に入る。小屋の床にはおもちゃがたくさん置いてある。パーネルは、「君はおもちゃで遊んでいなさい。私は君のママに電話する。いいね?」と言い、スティーヴンは、「OK」と答える。パーネルは、どこにも接続していない受話器を取り上げ、番号をダイヤルする。「もしもし。ステイナー夫人」「スティーヴンは私と一緒です」「はい、元気です。全く問題ありません。ちょっと待って、訊いてみます」。ここで、パーネルは、「君のママは、君がここで泊まっていくか知りたがってる」と、スティーヴンに話す。スティーヴンは、シャロンの誕生日パーティがあるからダメだと断る。パーネルは、そのことを母に尋ねたフリをして、パーティは明日に延期されたとスティーヴンに話し、彼は泊まることを認めてしまう。その後の説明が怖い。「彼は、この子がすぐに体験する人生の変化をよく知っていた」。
  
  
  
  

一方、スティーヴンの自宅では、夜になっても帰って来ない息子のことを心配した母が警察を呼び、アルバムの中からスティーヴンの写真を1枚取って渡す(1枚目の写真)。父と長男のケーリーは、周辺を探し回る(2・3枚目の写真、矢印はケーリー)。
  
  
  

小屋では、マーフが買ってきた材料を使った夕食が始まる。それを見たスティーヴンは、「ここで泊まりたくない。家に帰りたい」と言い出す(1枚目の写真)。「まだ行かないよ。私たちは、まだ楽しんでない」。「パパに電話したら、迎えに来てくれるよ」。「悪いが、それができんのだ。前には言わなかったが、君のお父さんは、君と一緒にいたくないんだ。なぜだか分かるか?」。「知らないよ」。「嘘をつくなよ」。「僕、自分の名前をガレージに書いちゃった」。「そうだ。彼もそう言ってた〔実に巧みな攻略法〕。彼、すごく怒ってたぞ。しばらく、私と一緒にいるべきだと思っておられる」。「僕、パパに電話して、消すから許してって謝りたい」(2枚目の写真)。「パパに電話はできない。ここには電話はない〔さっき、母に電話したばかりなので、この台詞は間違っている。なのに、スティーヴンはそれを指摘しない〕。それに、君とは話したくないと言われた」(3枚目の写真)。そして、「サヤインゲンは食べんのか?」と訊き、皿を回転させてサヤインゲンを前にし、「食べるんだ」と言う。「嫌いなんだ」。「サヤインゲンは体にいい」。「食べたくない」。「食べないと、叩くぞ」。「家に帰りたい!」。「食べろ」。「嫌だ」。パーネルはテーブルを強く叩き、「食べろ」と要求する。怖くなったスティーヴンは 嫌々口に入れる。では、ガレージに名前を書いていないので、父の話はない。夜の10時になって出された食事は、マカロニとチーズ。スティーヴンは、食べたくないと言い張り、パーネルが爆発し、「ここは嫌いだ。家に帰りたい」と泣き始める。
  
  
  

この小屋は、入口に雪が残っていたように山の中にあるので室内は寒く、可哀想に思ったパーネルが、自分の暖かいウールのガウンを渡し、それを羽織ったスティーヴンがテーブルに座る。パーネルは、2人分のホット・チョコレートを作り、これに対しては、スティーヴンも喜ぶ。そして、寒さで震えているマーフに、「マーフさんも、ココア飲まないの?」と訊くが、パーネルがそれを否定する。「明日は、家に連れてってくれる?」(1枚目の写真)。「家に連れてくよ」。スティーヴンが美味しそうにホット・チョコレートを飲むところで、彼に関するこの日のシーンは終わる。一方、スティーヴンの父は、クレイジーなところのある義父の犯行を疑い、真夜中に家まで車で行く、そして、家の中にいないことを確認して帰って行くが、そのすぐ近くにスティーヴンは拉致されていた。父が、帰宅すると、そこにはパトカーが停まっていて、父が家に入るとドアをノックし、顔を見せたのは、地元の警察署長。彼が来た理由は、スティーヴンの友達の1人が、父がスティーヴンを殴ったと言っていたのを聞いたから。そこで、「あなたは、スティーヴンを殺しましたか?」という過激な質問をする。そして、そうでない確証を得るために、全員にポリグラフ〔うそ発見器〕による検査を受けるよう半強制する(2枚目の写真)。役立たずの署長が帰った後で、ケーリーの部屋に行った母は、2段ベッドの下段に放置してあるスティーヴンのパジャマを抱きしめ、涙にくれる(3枚目の写真、矢印)。最後に、もう一度小屋に戻り、2部屋しかない小屋のテーブルのある部屋が映される。すると、どこからか、パーネルの 「怖がるな」、スティーヴンの 「かまわないで」「家に帰りたい」「いやだ」と言う声が聞こえる。は、全く違う。「ここは嫌いだ。家に帰りたい」と泣き始めた後、続きがある。パーネルは、「スティーヴン、君が知っておくべきことがある」と話し始める。「何?」。「私は、明日、君を家には連れていかない。君は、これから私と一緒に暮らすんだ」。「何て? どうして? ママやパパはどこ?」。「今や、私が君のパパだ。君のママとパパは、君を養うことができなくなった。だから、私が替わってあげようと申し出たんだ」。スティーヴンは 「分かんないよ。どうして、僕を養えないの?」と泣き始める。「君の兄さんや姉妹を全て育てるだけのお金がないんだ。だから、判事は、君を私に任せたんだ。法律上の文書全てがちゃんと揃ってる」。そうした言葉が理解できない7歳のスティーヴンは、「家に帰りたい」と泣くだけ。パーネルは本性を現わし、床に倒れるくらい、スティーヴンの顔を強く引っ叩く。スティーヴンは、床に丸まって泣き出す。パーネルは、スティーヴンの両手をつかむと、自分の顔をスティーヴンの顔に押し付け、「言っただろ、今や、俺は、お前のパパなんだ!」と荒々しく言うと、開いた寝室のドアに向かってスティーヴンを押し、「さあ、ベッドに行け!」と命じる。スティーヴンは、寝室に行くと、服を着たまま1つしかないベッドに登った。シーツは汚れ、汗とタバコの臭いがする。マーフィーはテーブルのある部屋でソファ寝ていて、寝室のドアが閉まる音を聞く。すぐに、スティーヴンが 「やめて!」と叫ぶ声が聞こえ、パーネルが 「黙れ!」と叱る。スティーヴンの悲鳴が部屋中に響き、マーフは毛布被り、激痛に苦しむ声が聞こえないようにした。の表現も間接的だが、映画では、さらに、何事もなかったように描いている。これは、ある意味、誤解を招くので 控え目すぎる脚本だ。
  
  
  

「1972年12月5日」と表示される。小屋でのスティーヴンの髪は乱れ、顔は魂が抜けたようにあらぬ方を見つめている。パーネルが、「おい、ベーコン食うか?」「腹、減ったか?」と訊いても、身動き一つしない(1枚目の写真)。「試してみろ。家じゃ食ったことないんだろ? 卵と一緒に食えよ。強くなれるぞ」。無反応のスティーヴンの口にベーコンを突き付けると、スティーヴンは一口だけ食べる。そして、パーネルが、「ベーコン、気に入ったか?」と訊くと、「今日、家に帰れる?」と訊く(2枚目の写真)。「帰れるぞ。今日じゃないが」。「いつ?」。「さあな。君の両親は問題を抱えてる。それを解決しないとな」。で、昨晩パーネルが言ったことは、映画では翌12月6日の夜に話すことなので、この部分は 映画の創作。にはこう書かれている。「その朝、小さな小屋の中の雰囲気は陰惨だった。スティーヴンは、疲れてよれよれになり、体は震え、ソファに丸まって横たわり、痛ましくすすり泣いていた」〔昨晩に続き今朝も性的虐待を受けたので〕。隣の部屋で過ごしたマーフについては、こうも書かれている。「彼は、パーネルが有罪判決を受けた小児性愛者であることを最初から知っていたのだが、パーネルが少年を性的に虐待した方法が好きではなかった」(解説で引用した)。そこで、彼は、「息子にするガキに、よく虐待なんかできるな?」と非難するが、パーネルの返事は、「ガキは、誰がボスなのか、最初から学ばんといかん」という冷たいもの。パーネルとは違って優しいマーフは、スティーヴンのぐちゃぐちゃにされた髪を撫でながら 「大丈夫だよ、坊や。マーフおじさんがいるからな」と声をかける。スティーヴンは涙を流しながら、「あいつ、僕に痛いことした!」と叫ぶ。「分かってるよ、坊や」。ここで、場面は両親の家に変わり、母が、訪れた警官に、もっと鮮明なスティーヴンの写真を渡す(3枚目の写真)。によれば、この日、マーセドでは朝から警察、ボーイスカウト、ボランティアによる大々的な捜索が行われ、小屋、納屋、倉庫、自動車はもちろん、放置された段ボール箱、古い電化製品、倒木、ごみ廃棄場、さらには、小川に岸や底まですべてが調べられた。こうしたシーンは映画にはない。ポリグラフを依頼する場面は、ここに書かれているが、父親の暴力とは関係なく、子供が行方不明になった時の標準的なプロセスだと説明される(その日のうちに検査を受ける→映画では12月12日)。学校での生徒達の動揺の状況についての記述もあり、スティーヴンを好きだったシャロンは泣いている。
  
  
  

「1972年12月6日」と表示される。スティーヴンは、パーネルに 「パパに電話してくれる?」と訊く(1枚目の写真)。「もちろん」。「僕を連れに来てって言ってよ」。「その時が来たら、私が自分で君を家まで連れて行く」。パーネルは、マーフに、病気だからと欠勤を連絡して、小屋に留まるように言い、小屋から出て行く。パーネルは近くの店まで歩いて行き、入口の自販機で新聞を買うと、一面に、「行方不明のマーセドの男の子の捜索続く」と大見出しの下に スティーヴンの大きな写真が掲載されている(2枚目の写真)。パーネルは、店の中に入り、黒色の染髪剤を購入する。その頃、マーフは、スティーヴンに、絵本を見せて気分を和ませ、「マーフおじさんと呼んでくれ」と言い、スティーヴンも「OK」と言う。そして、さっそく、「マーフおじさん、電話のかけ方知ってる?」と訊く。「もちろん」。「ママに電話かけてくれない?」。「でも、ここには電話がないんだ」。「お店にはあるよ」。「そうだな。だが、ママの電話番号、知らないんだ。パーネルが、外へ出るなと言ってたしな」。「分かりっこないよ」。「多分な。だが、パーネルは狂ってる。俺は怖いんだ」。「僕もだよ」。ドアが開き、パーネルが入ってくると、「ベーカーズフィールド(Bakersfield、小屋の南南西約250キロ)に行かないと」と言い出す。そして、金が必要だから、母にもらいに行く。と理由を説明したあと、さっき店で買った紙袋をマーフに投げ、「これでガキの髪を洗え」と命じ(3枚目の写真、矢印は染髪剤の入った紙袋)、「今夜、戻ってくる」と言って、出かける。映画では、この日のことは他に何も触れられていないが、によれば、早朝、FBIの捜査官が令状を持って両親の家を訪れ、庭を掘り返して死体が埋められていないかどうかを調査すると告げる。そして、その日、埋められていそうな箇所は、すべて掘り返される。映画の進展はずっと遅いので、12月6日についてのの記述は、全く違っている。「スティーヴンは、ソファの横になってすすり泣いている。このクソガキは、いつまで泣いているんだ、彼は思った」。そこで、パーネルは、「おい、ここに来い」とスティヴンを呼びつける。ここで、冒頭の解説で引用した文が入る。「彼は、昨夜も今朝も彼に苦痛を与えた男と話したくなかった」(これで4回連続)「性的虐待を受けた子供だけが感じる痛みで、スティーヴンはソファから床に転がり落ちた。彼の体は隅々まで痛み、彼はまた泣き叫んだ。なぜ、この男は、彼にこんなことをしたのか?」。このあと、パーネルはスティーヴンをイスに座らせ、①髪が長すぎる、②髪の色が明るすぎる、と言う。そして、電気バリカン、理髪用のハサミ、クシ、ブラシを取り出し、髪を短くする。この散髪シーンは、映画では12月13日にある。パーネルは、このあと、スティーヴンの髪を。真っ黒までいかない暗い色に染める。映画では、同じ日に、マーフに染めるよう命じるが、染めるシーンはない。それに、長い髪を染めてから、1週間後に切るのは逆なような気がする。全て終わった後で、パーネルは、いきなり、「腹が空いたか、デニス?」と訊く。スティーヴンは、「僕はデニスじゃない、スティーヴンだ」と言うが、パーネルは、「もう違う。これから、お前の名はデニスだ。分かったか? デニス・グレゴリー・パーネルだ」と言う。映画では、次の節にあるので、ここから先は、2つ先の節で紹介する。では、このあと、マーセドの警察署長に、当時カリフォルニアの州知事だったロナルド・レーガンから電話がかかってきて、「我々には、この少年を見つけ出し、両親の元に戻す必要があります」と署長に告げる(会話はさらに続く)。
  
  
  

夜になりパーネルが戻って来る。その腕には、一匹の雌の子犬が抱かれていて、「この子の名前は、クイーニーだ」と言ってスティーヴンに渡す。「家に持って帰っていい?」(1枚目の写真)。「スティーヴ、ちょっとおいで」。パーネルは、スティーヴンと犬を自分の膝の上に乗せると、「君に知らせることがある。今日、判事に会いに行ったんだ。判事って何か知ってるかい?」。スティーヴンが頷く。「判事は、私に君の親権をくれた」(3枚目の写真)「つまり、君は、これから私と一緒に暮らすことになる。私の息子として。私は君のパパだ。これからは、パパと呼んでくれ」。で犬を渡すのは、翌1973年の1月に小学校に入ってから。
  
  
  

「もう一つ、君の名前も変えた。新しい名前はデニスだ。デニス・グレゴリー・パーネルだ」。それを聞いたスティーヴンは、すぐに、「新しい名前なんか欲しくない。家に帰りたい」と言う(1枚目の写真)。「君のご両親は、君をもう欲しくないそうだ」。「もしそうでも、僕のこと愛してくれてる」。「そうだな、理解するのは難しいと思う。2人が、君を愛してないわけじゃないんだ。ご両親は、君に、何か困ってると話さなかったか?」。「あるよ」。「何だい?」。「お金があんまりないから、引っ越したんだって」。「そう、まさにその通り。君のご両親は、君を養えなくなったんだ」〔実に巧みな攻略法〕。私なら、君の世話ができ、ちゃんと教育を受けさせられる。子犬だって買ってあげたろ? これから、私たちは、子犬が走ったり遊んだりできる素敵な場所に引っ越すつもりだ」。「僕の兄さんや、姉さんや、妹はどうなるの?」。「ご両親は、これからは、君が私と暮らすことになったと説明し、みんな納得した」(2枚目の写真)。「僕、話したい」。「君が、さよならを言うことは、いいことだと思う。だが、経済状況が最悪で、家を手放して、ちっちゃなアパートに引っ越した。だが、心配するな、落ち着いたら、電話をくれると思う。パーネルの膝の上で、デニスになったスティーヴンは泣き続ける(3枚目の写真)。では、2人の関係はもっと荒んでいるので、パーネルはこんな優しい言い方はしない。「僕、そんな名前 嫌いだ。デニスは嫌だ、スティーヴンがいい」。パーネルは、もう2日前に、「俺は、お前のパパなんだ!」と言っているので、「お前は、もう俺の息子なんだ。お前のママとパパは、お前のことなどもう愛してない。だから、俺は、お前に好きな名前が付けられ、デニスが気に入ったんだ」。「デニスになりたくない! スティーヴィーがいい!」。「そうじゃない! もう違う! 今はデニスだ! だから早く慣れろ!」。そして、「名前を言え!」と怒鳴る。「スティーヴィー」。パーネルはデニスの頬を引っ叩き、「デニスと言え!」と命じる。
  
  
  

「1972年12月12日」と表示され、母が、ポリグラフによる検査を受けている(では12月5日)。祖父も渋々検査を受けるが、検査の後、母は、スティーヴンの写真を渡し、キャシーズ・バレーの店にも貼って欲しと頼む。その日の夜、パーネルが店に買い物に行くと、出口の掲示板にその写真が貼ってある(1枚目の写真、矢印)。店主から、祖父からそれを貼るよう頼まれたと聞いたパーネルは、スティーヴンの祖父が、この小さな集落に住んでいると知り、危機感を募らせる。そこで、その夜、デニスに大量に睡眠薬を飲ませ、マーフに手伝わせて、必要な荷物を車に運び(2枚目の写真)、キャシーズ・バレーを去る。その際、パーネルは マーフに毎週40ドル〔2021年の220ドル、月880ドルは、ロクな職に就いていないマーフにとって、かなりの金額〕、自分の口座に振り込むよう要求する。さもないと警官を向かわせると脅して。パーネルは、途中で寄った中古車店で、別の車を購入し、足が付かないようにする(3枚目の写真)。では、デニスは睡眠薬を飲まされていない。だから、車の後部座席に横になっているところに、マーフがさよならを言いに行く。「スティーヴンは、古いビュイックの後部座席に 重い緑の毛布を掛けられて横たわり、手荒な夜を過ごしたように見えた。マーフは、パーネルが厳しさを緩めないことを知っていた。子供を完全に支配すること、それだけがパーネルの手段だった。少なくとも、彼には子供を殺すつもりはない。ガキにはチャンスがある、とマーフは考えた」。では、その直後、「ステイナーのガキが消えてから6週間経った」という警官の言葉があるので、1月15日まで飛んでいる。映画は、まだそこまで追いつかない。
  
  
  

その日の夜か、あくる日の夜明け前、デニスを乗せたパーネルの車は、直線距離で255キロ離れたサンタ・ローザのモーテルに着く(1枚目の写真)。そして、朝になり(12月13日)、パーネルはブライドを上げ、朝日をデニスの顔に当て、「起きる時間だ」と言う(2枚目の写真)。そして、クイーニーをベッドの上に投げる。デニスが、嬉しそうに犬を撫でるのを見たパーネルは、「そんなにそいつが好きなら、「ありがとう」くらい言ったらどうだ。まだ聞いてないぞ」と言う。デニスは、仕方なく、「ありがとう」と言う。「ハグはどうだ? ハグして、『パパ、素敵な犬ありがとう』と言えよ」。デニスは、ベッドから出ると、パーネルにハグし、「素敵な犬ありがとう」と、パパを抜かして言う。そして、ベッドに戻ると、またクイーニーに夢中になる(3枚目の写真)。映画は、極力、2人の関係を頑なまでに正常に見せようとしている。連日性的暴行を受けている少年が、こんな素直な行動に出るものだろうか? 当然、にはこのようなシーンは一切ない。このあと、パーネルが、ここはサンタ・ローザ゙という町だと教え、デニスの髪を切り始める。「前に使ってた名前は、どんなことがあろうと、口にしちゃダメだぞ」と注意する(4枚目の写真)。「もし 忘れちゃったら?」。「恐ろしいことになる。鞭で叩かれ、児童保護施設に放り込まれる。そこは、誰も引き取り手のいないガキを閉じ込める施設だ。お前は、一人ぼっちで、犬は取り上げられ、常に鞭で叩かれる。刑務所のようなトコだ」。前に書いたように、髪を短くする場面は、では12月6日にあったが、様子は全く違っていた。
  
  
  
  

「サンタ・ローザ。1972年12月24日」と表示される。パーネルは、デニスと一緒に町に出ると、1ドル紙幣を2枚渡し(1枚目の写真)、「クリスマス・プレゼントを買って来い」と言う。そして、今が11時なので11時半にここで会おうと言って別れる。パーネルがいなくなると、デニスは、すぐ近くの店に入って行き、1ドル札を小銭に換えてもらい、公衆電話の料金を教えてもらう(10セント)。デニスはさっそく10セント入れ、通行人に操作方法を聞き、0を押す。そして交換手に、「デル・ステイナー〔父〕に電話したい」と言うと、「番号知ってる?」と訊かれる。「ううん」。交換手は411にかけるよう指示する。デニスは、10セント入れて411と押す。「どこの町ですか?」。「マーセド」。「1209-555-1212」にかけて下さい」。覚えられないので、訊き直すと(2枚目の写真)、すぐそこにパーネルが帰って来ている。そこで、急いで電話を切り、さっきの店に駆け込み、犬のためのゴムの骨を取ると、カウンターまで行き、ゴムの骨と、1ドル80セントを見せ、「このお金で これと、タバコ1箱買えますか?」と尋ねる。「お金は足りるけど、子供にタバコは売れないわ」。「お願い。パパへのクリスマス・プレゼントなんです」(3枚目の写真)。
  
  
  

モーテルに戻った2人。パーネルは、タバコを見て、「私のブランドだ。どうやって、タバコなんか買えたんだ?」と訊く。「プレゼントだって言ったから」。「誰に?」。「あなたに」。「誰から?」。「僕から」。そして、「パパ」と付け加える。それを聞いたパーネルは、嬉しそうに笑う(1枚目の写真)。そして、「ここに、あと2つプレゼントがあるぞ」と言い、まず、リボンをかけた大きな箱をデニスに渡す。紙を破ると(2枚目の写真)、「slotless electric racing」と書かれている。1970年代に売られていたおもちゃで、道路の部品をつないで立体的な走路を組み立て、その上を2台の小さな自動車を電気で走らせて遊ぶもの〔それなりに高価〕。こんな豪華なプレゼントをもらったことがないので、デニスはびっくりする〔母が買ったプレゼントは、第1節にあった兵隊さんの人形〕。もう1つのプレゼントは、犬の首輪。パーネルは、テーブルの上に置いてある紙の袋を見て、「これは何だい?」と訊く。「ゴムの骨」。中身を見たパーネルは、「デニス、2ドルは大当たりだったな」と言うと、ゴムの骨を犬の顔に当て、「素敵なネックレスだな」と言い、それを聞いたデニスは、ほんの一瞬だけ笑顔になる(3枚目の写真)。
  
  
  

「Magnolia小学校。1973年1月4日」と表示される。背後にある掲示板には、「特別速報/マーセド警察署/行方不明の少年/スティーヴン・グレゴリー・ステイナー」と書かれた紙が、写真付きで貼られている(1枚目の写真)。パーネルは学校の廊下を歩きながら、デニスに、「前の学校に似てるかい?」と訊く。「ううん」。「大丈夫、前の学校とそっくりさ」。そして、「もし、誰かが何かしつこく訊いたら、下を向いて、無視するんだ」。「もし、忘れたら?」。「私の堪忍袋の緒が切れる」。この時、後ろの掲示板の、スティーヴンの特別速報の上に、別の紙が貼られてしまう(2枚目の写真、矢印)〔どっちみち、髪型が違うので、誰も気付かない〕。担当者の前で、デニスは自分のフルネームを言い、パーネルは、パーネル牧師と自称する。以前はどこの学校、という質問に対しては、ヨセミテにある小学校の名前を適当にあげる。前の学校の記録を要求されると、郵送中と答える。では、入学時期は同じだが、その前に、パーネルがホリデイ・インで職を得て、「郊外にある人里離れたトレーラーパークで借りた小さなトレーラーハウス」に住むことになったと書かれている。これは重要なことで、転入学にあたっては、住所が必要になるからだ。また、パーネルの仕事中、学校に行っていない時は、一人で放置できないので、同じトレーラーパークに住んでいるStoufleという老婦人のトレーラーハウスに預けられることになった〔映画では、一切明らかにされない〕。また、パーネルが連れて行った学校は、Kawana小学校(2年生)〔校名を変えた理由は、Kawana小学校は実在するので、迷惑をかけないためか?〕。パーネルは書類がない理由を、「私は、自分でそれを持ってきたかったのですが、学校の事務が休暇〔クリスマス休暇〕で閉まっていました。すぐ、ここに届くでしょう。もし、届かなかったら、私が次にヨセミテの倉庫から品物を取りに行く時に持ってきます」と答え、相手も了解する。デニスは、クラスに連れて行かれ、「今日から 新しい生徒が加わったわ」と言い(3枚目の写真)、席まで連れて行くと、そこで、自分で自己紹介させる。
  
  
  

映画では、時々、マーセドの話も入るのだが、重要ではないのでカットしてきた。一番印象的な部分は、次のシーン。スティーヴンの父がガレージのペンキを新しく塗っていると、スティーヴンが残していった字のところまできて、刷毛を持つ手が停まる(1枚目の写真、矢印)。そこに、妻が、「あと数分で 夕食ができるわ」と声をかけたので、そこで作業をストップし、バルコニーまで来て汚れた手をタオルで拭き始める。すると、父を手伝おうと思ったケーリーが刷毛を取って塗り始める。それに気付いた父は(2枚目の写真)、「ケーリー、止めろ!!」と叫ぶと、ガレージまで走って行き、刷毛を取り上げると、「誰がやれと言った!」「スティーヴィーの名前の上にペンキを塗っちゃいかん!」と叱り飛ばす(3枚目の写真)。これは、父がスティーヴンに冷淡だったことへの贖罪意識と、その他の子供、特にケーリーに対する異常に冷たい態度を典型的に示したシーン。ケーリーが、将来殺人鬼になった背景には、スティーヴンが拉致された7年間の精神的虐待が、ある程度響いているとの分析もあちこちで見られる。
  
  
  

映画では、「Highland小学校。1973年9月」と表示されるが、では、その前に、6月にデニスが2年生を無事終えたと書かれている。そして、最初の担当者である 「Teller夫人は、デニスの学校の記録が、ヨセミテから届いていないことに何度も気を留めた。彼女は、一度ヨセミテの小学校に電話までしたが、たまたまデスクで働いていた生徒は、デニスの記録を見つけることができなかった。彼女は、Tellerの名前と電話番号を伝え、折り返し必ず電話を寄こすように言ったが、電話はかかって来ず、デニスの記録の問題は、いつしか忘れ去られていった」と書かれている。そして、新学期の9月になってパーネルが連れて行ったのは、同じ町にありながら、前と違うHighland小学校(ここも、本では実名のSteele Lane小学校になっている)。ここでも、前の学校の記録を要求されるが、今度は、ちゃんと持参してきたので(1枚目の写真、矢印)、問題なく受け入れられる。ここでも何の説明もないが、本によれば、半年間在学しただけで 「前の学校の記録」 が手に入るため、正規に転校できるためと書かれている。こうして、ヨセミテの記録がないという問題は忘れ去られてしまう。ただ、より安全を期すため、パーネルは、来年、もう一度学校を変える必要があると考え、実行に移す。また、本によれば、パーネルが禁煙規則を何度も破ったため、ホテルをクビになったとも書かれている。そして翌年の4月には、サンタ・ローザからウィリッツに引っ越し、聖書の戸別販売を続けたとあるので、サンタ・ローザでホテルをクビになった後も、こうして凌いでいたことになる。ただ、それだけでは収入が足りないので、フェンスの修理、配管工事、落ち葉の掃除、薪割り、便利屋でお金を稼いだ。話を先に進め過ぎたが、Highland小学校で過ごした数週間後、生徒指導の教師との対話のシーンが長く続く。彼が呼ばれた理由は、授業中に気が散っていると理由。「家の方は大丈夫?」と訊かれ、「ええ、まあ」と答える。「何か心配なことがあるの? 何を話しても個人的なことだから、誰にも知られませんよ」。「彼には言わない?」。「パパのこと?」。デニスは頷く。「あなたが話したことは、お父さんにも話しませんよ。何が問題なの?」。「彼、僕のお父さんじゃない」。「そうよ。養子だから。あなたのお父さんは、あなたを本当の息子のように愛してるわ」〔状況を聞かずに、一般論を話してしるだけ〕。「ママのこと、ずっと考えてる」(2枚目の写真)。「ママは、あなたが赤ちゃんの時、亡くなったじゃなかった?」。「ううん、死んでないよ。彼は死んだなんて話してるけど、ママはいるんだ」〔母は、離婚したことになっている〕。「あのね、あなたのお母さんのプライバシーは法律で守られてるの。新しい人生を送られているのよ。だから、あなたは、自分の新しい人生のことをもっと真剣に考えないと。お父さんがいるのは、すごく幸せなことなのよ。お父さんもお母さんもいない子供たちが、どれだけいるか知ってるの? 過去は忘れて、今の生活に集中なさい」(3枚目の写真)。すべて映画の創作だ。何度も書くが、映画は、極力、実際にあったことを伏せようとして、この時期のデニスの悩みを、別の問題にわざと置き換えている。夜、デニスは、ベッドで泣いている(4枚目の写真)。誰も話を聞いてくれないからなのか? 虐待を受けたからなのか? このあと、デニスは部屋を出て、外の町に出て行く。その時、絶対に間違っているのは、“郊外にある人里離れたトレーラーパークで借りた小さなトレーラーハウス” に住んでいるハズのデニスが、サンタ・ローザに着いた時のモーテルか、アパートの2階の部屋から出てくること。
  
  
  
  

パーネルとデニスが、食堂に行き、そこでデニスが質問する。「僕の前の家族に手紙を書いちゃダメ?」(1枚目の写真)。「ダメだ」。「どうして?」。「話したくなかったんだが、君の前のパパは、心臓発作を起こした」。デニスはびっくりする(2枚目の写真)。「大丈夫だった?」。「いいや、もう亡くなった。天国にいるよ」(3枚目に写真)。その意地の悪い笑顔に、デニスの顔が歪む(4枚目の写真)。「君のお母さんは東部のどこかに戻った」。「他の子たちは、どうなったの?」。「バラバラだよ。違った両親、違った名前。君のように」。
  
  
  
  

最後の、よく分からないシーン。「北部カリフォルニア。2年後」 とだけ表示される。きわめて曖昧な表現だ。パーネルと中年の女性が仲良く肩を組んでモーテルのような場所に入って行く。部屋の中では、如何にも不良っぽくなったデニスが、タバコを吸っている(1枚目の写真)。そこに2人が入ってくる。パーネルは、デニスに向かって、「しばらく、バーバラ〔Barbara Mathias〕が一緒に暮らす。ママと呼んでいいぞ」と言う。そして、デニスの前でディープキス。デニスは、無視してTVを見ている。バーバラは、パーネルをベッドに引っ張って行き、服を脱ぎ始める。デンスは、TVの音声を上げて、嫌な声が聞こえないようにする(3枚目の写真)。バーバラは、「デニス坊や、ベッドにいらっしゃい」と呼ぶ。「The Ithaca Journal」という新聞の1980年3月20日付けの記事〔スティーヴンが警察に保護されたのは3月1日〕には、「スティーヴン・ステイナー、水曜〔3月19日〕に、バーバラ・マティアスと彼女の息子ロイドに会う。マティアスはステイナーが誘拐の犠牲者と知らずに世話をしていた」という見出しで紹介されている。それによれば、彼女は誘拐の約9ヶ月後〔1973年9月頃〕にパーネルと会い、月60ドルで、ステイナーの面倒を見た〔ベビーシッターとして〕。それが2年ほど続き、1975年遅くにウィリッツのモービルホームで3人一緒に住み始め、翌1976年春に別れたというもの。彼女は、もちろん、虐待のことも知らないと否定した。しかし、これは、スティーヴンが自分の “知られたくない” 秘密を隠していた段階での話。そのあと裁判が始まり、1981年12月18日付けのUPI通信の記事では、裁判で証言した心理学者Phillip Hammの言葉が書かれている。それによれば、パーネルは、性的虐待と、楽しい体験を伴う脅迫をくり返すことで、強い心理的影響を与えた。裁判所が少年の親権をパーネルに与え、両親が見捨てたと告げることで、スティーヴンの心を枠にはめてしまった。それが、彼の意志に反して拘束されていることを当局に知らせたり、逃走しなかった理由、というもの。さらに、Phillip Hammはマティアスについても、裁判上の初めての証言を行う。「ステイナーが11歳の時、パーネルと一緒に住んでいたバーバラ・マティアスとセックスすることに、不快感を覚えた」。これで、バーバラの嘘は崩れ去る。には、なぜか、バーバラは一度も登場しない。
  
  
  

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