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Aloha アロハ

アメリカ映画 (2015)

ジェイデン・リーバハー(Jaeden Lieberher)が、『ヴィンセントが教えてくれたこと』のビル・マーレイに気に入られ、ビル本人が少しだけ顔を見せる本作に出演できるよう監督に推薦したことから、出演が決まった因縁の作品。ジェイデンの演技に問題はないのだが、この映画、アメリカでの評価は低い。原因は2つ。1つは、脳天気ともいえるご都合主義的な脚本、もう1つは、ヒロインを演じるエマ・ストーンのミス・キャスト。ハワイの先住民族と中国人のハーフの父と、スウェーデン人の母を持つ女性という設定にもかかわらず金髪の典型的白人、かつ、ハワイの歴史や伝統に詳しいという設定にもかかわらずハワイ語が英語訛なので、ハワイの人々を侮辱していると怒らせたからだ。この2点、何れも監督の責任である。脚本の呆れるようなお粗末さについては、関係分のみ、あらすじ中でコメントする。

映画は、核兵器まで秘密裏に搭載した軍事衛星を、ハワイから打ち上げようとする民間プロジェクトの一翼を担わされた元軍人ブライアンと、2人の女性を巡る話。1人は、13年ぶりに会った元カノで、長女はブライアンの落とし子、長男のミッチェルをジェイデンが演じる。もう1人が、空軍から押し付けられた監視役の優秀なパイロットで、これが例のミス・キャスト。最終的には、ビル・マーレイ演じる社長の陰謀に気付いたブライアンが、軌道に乗った人工衛星を破壊するのだが、その契機となったのが、何でもビデオで撮ることが趣味のミッチェルが映した、ロケット搬入時の極秘映像。だから、単に家族の一員というだけでなく、しっかりメインストリームと絡んでいる。ただ、出番は少ないので、あらすじは、ジェイデンの登場箇所に限定する。

ジェイデン・リーバハーに焦点を当てた映画ではないので、ジェイデンらしさはあまり出ていないが、ブライアンと自室で話すシーンは、微妙な表情の変化が楽しめる(脚本は最悪だが)。あと、笑顔のシーンが多いのも珍しい。何と言っても、彼の最大の特徴は、偏屈そうな顔や無表情な顔なので。


あらすじ

アフガニスタンで脚の骨を18ヶ所も折る重傷を負った後に退役したブライアン・ギルクレストは、大富豪カーソン・ウェルチに雇われ、軍から請け負ったハワイでの衛星打ち上げに係わる一種の「地上げ屋」として訪れた。そこで、ブライアンは相次いで2人の女性と会う。1人は13年ぶりに再会した元彼女のトレイシー、もう1人はお目付けのアリソン・イング(Ng)大尉。トレイシーはハワイに駐留する米軍の法医学部門とトップとして、ブライアンが空港に着いた時、偶然、兵士の遺体搬送式を仕切っていた。そして、2人の子供も同行していた。長男のミッチェルはビデオ撮影マニア。いつもカメラを持っていて、何でも映している。ブライアンが着く前から、彼を迎えに来ていた元同僚のレイシー大佐に、ビデオ・インタビュー。「レイシー大佐ですか」。大佐は、カメラに向かって、「イエスー・サー」とおどけてみせる。その後は、すぐにミッチェルの好きなハワイの神話の話になる。このハワイの神話が曲者だ。ハワイの四大神の1人ロノと、ハワイ創設神話の女神ペレのまつわるものだが、ネット上のあらゆる情報を探しても、ミッチェルが話してしているようなことは出て来ない。ハワイの神話には幾通りものバリエーションがあり、有名なペレのレジェンドでは、ペレがKahiki(一般にタチヒとされている)からハワイに移ってきたとされるが、そのカヌーには「On the canoe were Ku and Lono」という標記があることから、ロノも乗っていた。このレジェンドによれば、最初にハワイに移り住んだのがペレで、ロノは一緒にいただけ。一方、ハワイの神話では、宇宙を創造主として四大神クー、ロノ、カネ、カナロアが挙げられ、1ランク下のその他の神々の1人にペレが入っている。そして、その神話では、ロノとペレの接点はない。ところが、ハワイの神話マニアのミッチェルの話は、ロノとペレの際どい関係がメインになっていて、ブライアンのことを何度もロノかと訊く。これは、神話とは矛盾した内容で、この辺りもハワイの人々にとっては腹の立つ原因になっているのかもしれない。さて、ミッチェルのレイシー大佐への次の質問は、「ロノの再来神話って知ってます? カレンダーによると、今週、陽気なハワイの神様ロノが戻ってきて、火山の女神ペレと空に大惨事をもたらすんだ(wreak havoc in the sky)」(1枚目の写真)。しかしこの内容も、全くの虚偽。そもそもロノの再来する週など決まっていないし、ロノはペレと行動を共にしない。ましてや空を荒らすことはない。しかし、ロノ、イコール、ブライアンとすると、ブライアンは今週やってきて、危険な軍事衛星の打上げを先導し、衛星が軌道に乗れば強力な武器となる。「空に大惨事をもたらす」という言葉と合致する。それだけのために、こじつけ神話を捏造したのか? これは、ハワイの先住民族に対する冒涜だ。さて、その後、ブライアンが現れ、母が、「紹介するわ。こちらブライアン・ギルクレストさん」と姉弟を引き会わせる。「ミッチェルは10歳、グレイスは12歳よ」(2枚目の写真)。13年ぶりの再会で、12歳という微妙な数値が示すように、姉は実はブライアンの子供、夫はうすうすそのことに感ずいている(娘は知らない)。そこに、2人の父が期せずして現れ、2人が抱きつく。それから、ミッチェルがブライアンに、「ロト神のように戻ってきたの?」と尋ねる。「いいや、5日いたら さよならだ。新しいゲートを造るのに祈祷してもらう。しきたりなんだ、神話と遺骨と霊魂のために」。簡略化された、非常に分かりにくい説明だ。母は、「ねえ、夕食に来ない?」とブライアンを誘い、ミッチェルも「うんと、言ってよ」とブライアンに頼み、催促するように父を見上げる(3枚目の写真)。これでは、乗り気でない父も承諾せざるをえない。ミッチェルは、招待を承諾し去ろうとするブライアンに、「ハワイの神様ロノに詳しい?」と訊く。「知らないな」。「再来の神話では、ペレを助けて…」と言いかけ、お邪魔虫とばかりに、母に口を押さえられる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ミッチェルが、ビデオ撮影マニアなのは、大事な伏線なので、その後も、始終カメラを手にしている様子が紹介される。映画開始14分目。家では、母がランチの準備をしている。「ミッチェル、カメラを置いて、現実に戻ってちょうだい」と母が言っても、やめない。逆に、母にわざと接近して顔を大写しで撮り(1枚目の写真)、「ロノ再来の次の前兆だ。ハワイの太古の精霊が現れ始めた」と話す。次は、28分目。母の職場で。撮影の手を休めると、母に「パパに会いたい」と言う。「ママだって、いつもそうよ。でも、明日には戻るわ。ブライアンも来るし」。それを聞いて微笑むミッチェル(2枚目の写真)。母は、「何か食べましょ」と一緒に外に連れ出し、顔馴染みの移動販売車でフリフリ・チキンを買う。すると、目の前の道路を巨大なトレーラーが通って行く(3枚目の写真)。それを、興味深げに見送るミッチェル(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ブライアンが夕食に訪れるシーン。家族と一通り言葉を交わしたブライアンを、ミッチェルが自分の部屋に「ギルグレストさん」と呼び入れる。天井のかんむり座の装飾や、壁のロケットを見た後、ミッチェルのパソコンに映っている2匹のハムスターの交尾シーンを見て、「こりゃあ、面白いな。可愛いカップルだ」。それから、ミッチェルの質問が始まる。「もう少しで、ママと結婚してた?」。「何度もな」。「ママと別れる人が いるなんて」(1・2枚目の写真)。話題を変えたかったブライアンは、部屋にあった『再来』というタイトルの本を取って、「これ何だ?」と尋ねる。「ロノの再来だよ」。「4つ目と5つ目の前兆がある。神への犠牲とその傷の癒しだよ。あなたロノなの?」。(3枚目の写真)。「神話の結末如何だな、それで、俺の夏休みの過ごし方が決まる」。「神話の最後は、ペレがロノに要求するんだ、火山に連れて行けと。そこで千年の間、復讐のセックスをする」(4枚目の写真)。「抜け出せるのは、噴火の時だけ。すると、新しい島ロイヒが生まれて、あなたは雨粒になる」(5枚目の写真)。「悪くない 取り決めだ」。「あなた、ロノだよね」(6枚目の写真)。ジェイデンが最も長くしゃべる見せ場のシーンで、表情も変化に富んでいる。しかし、この部分、評論家には極めて受けが悪い。ハムスターの交尾シーンをネットで見ていること自体、8歳の子がポルノ・ファンであることを示唆し、それを裏付けるように「千年の復讐のセックス」という言葉を口にしたり、そのおぞましい結末を「悪くない」と発言している点、さらに、ブライアンがロノということは、彼と母の激しいセックスを許容している点などに非難が向けられている。欠陥脚本に対する最大限のクレームだ(One of the biggest mis-steps of the screenplay)(Mitchell actually wants the ex and his mom to have sex?!)。しかし、こうした白人の批評で忘れられているのは、ハワイの神話からの逸脱という、もっと重い罪についてだ。神話には、どこにも、このようなエロチックなことは書かれていない。だから、脚本は二重の意味でお粗末かつ許し難い。
  
  
  
  
  
  

映画では、先ほどのシーンの後で、部屋から出たミッチェルに向かい、ブライアンが「俺はロノだ」と言い(1枚目の写真)、ミッチェルが笑う(2枚目の写真)。ブライアンの3本指は、ロノ神の冠の特徴をかたどったものだが、なぜ、彼がそんなことまで知っていたのか?
  
  

翌日、両親がいない時、イング大尉がジョギングの途中でミッチェルの家を立ち寄る。ブライアンと一緒に招待されたことと、将校クラブの向かい側にある家なので、立ち寄り易かったのであろう。姉が、「赤ちゃんの子守がやらされてて」と言うと、それを聞いたミッチェルは、当然、「黙れ」と怒る(1枚目の写真)。大尉もふざけて、「やあ、赤ちゃん」。睨みつけるミッチェル。「冗談よ」と謝って中に入ってきた大尉、ミッチェルが壁のTVで見ている映像を見て、「何、見てるの?」と訊く。「僕が撮ったビデオ」(2枚目の写真)。「君が撮ったの? すごい」(3枚目の写真)。最初は、何の気もなしに見ていた大尉だったが、画面にグローバル・ワンのロゴの入ったヘリコプターが映ると急に真剣になる。グローバル・ワンは大富豪カーソン・ウェルチの会社のロゴだ。思わず、「嘘でしょ」と言う大尉。トレーラーから何かを衛星に積み込もうとしているのだ。ミッチェル:「あれ、何だと思う? すごく大きいね」(4枚目の写真)。「とても高機能そう」。「極秘作戦だよ、太平洋全体を巻き込むような。絶対さ」。「いつ撮ったの?」。「真夜中。2日前」(5枚目の写真)。この映像から、大尉は、衛星に本質的な「悪」があることを確信することになるという筋書きだが、幾らなんでもこの映像だけから、衛星を破壊してしまうのは無理がある。これも脚本の欠陥。
  
  
  
  
  

クウェートの任務から父が帰宅する。会話はいつも通り低調だ。母:「お仕事は?」。父:「ああ、いいよ」。「それで… 言うことはそれだけ?」。「ああ、いいよ。それじゃ」。席を立って、後を追う母を見る2人(写真)。父母の寝室での会話は、思わぬ方向へ。母は、「ウッディ、こんな沈黙 耐えられない。あなたはここにいて、私は出て行く」。「いや、違う。僕が出て行く」。そのまま、荷物も持たずに家を出て行く父。あまりにも突然かつ短絡的で、説得力も何もない。これも脚本の欠陥。欠陥の山だ。こんな脚本で映画を作ろうと思った製作者、監督の良心と常識を疑う。
  

脳天気な映画なので、結局、①ブライアンは、衛星を破壊し、最初は軍の幹部から総スカンを食うが、結局衛星に内緒で核兵器が積んであったことが分かり、お褒めの言葉を頂戴する、②家を出ていった夫は、自分の娘がブライアンの子だと知りつつ、寂しさのあまり、元に鞘に戻る、③ブライアンは、一緒に衛星を壊したことから、一歩引いていたイング大尉とうまくいく。何でもありのハッピーエンド。ブライアンは、元カノの家を永遠に出て行く前に、ミッチェルに旗をプレゼントする。先住民によるハワイ独立運動の旗だ。「ぴんと張らない方がいい。いいな。波打つ感じだ。それが、旗を飾る時のコツ」(1枚目の写真)。「いいね」。車で家を去るブライアンに向かって親指と小指を上げて見送るミッチェル。ハワイの伝統的な挨拶のサインだ(2・3枚目の写真)。あらすじはこれで終わり。ジェイデンが出演しているのでなかったら、絶対に観なかった史上最低の映画だ。こんな映画に主演させられたジェイデンも、まさか、こんなひどい作品だとは思っていなかったろうから、大迷惑だろう。こんな映画に5.4もつけているIMDbには呆れれし、Rotten Tomatoesの20%も高すぎる。1.0と 0%で十分。
  
  
  
  


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