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Amintiri din copilărie 少年時代の想い出

ルーマニア映画 (1965)

イオン・ボカンツァ(Ion Bocancea)が主演するルーマニアの19世紀文学の見事な映像化。原作はイオン・クリャンガ(Ion Creangă)(1839-89)が1881年頃に執筆した彼の代表作。自らの子供時代を、第1人称の形で淡々と綴ったもので、アメリカの19世紀文学の代表作『ハックルベリー・フィンの冒険』が同じく第1人称の形で(トム・ソーヤは第3人称)1885年に出版されたのと似ている。ただ、トムやハックと違いハラハラするようなストーリー展開はなく、もっと地味で、奇をてらったところがない。映画は、原作に非常に忠実で、すべてのシーンは、原作のどこかと対応し、原作の台詞や独白を、1字1句変えずにそのまま使っている部分が多々ある。従って、映画を観るというよりは、本を読むという感覚に近い。非常に残念な点は、本国ルーマニアでは非常に有名な原作も、書籍として英訳されたものは存在せず、映画そのものにもまともな英語字幕は存在しない。今回は、この名作を日本に初紹介するにあたり、https://ro.wikisource.org/wiki/Amintiri_din_copil%C4%83rieというサイトで原作のルーマニア語を参照し、http://www.tkinter.smig.net/Romania/Creanga/index.htmというサイトで、その完全英訳を参照し、映画のルーマニア語字幕と対応させることで、内容を的確に理解することができた。両サイトの管理者に心からの謝意を捧げたい(原作が書籍の形だと字幕の検索ができないので、WEB化は必須)。せっかくなので、訳が如何に大変だったかを実感してもらう「体験版」も作成した→pdfファイル

時代は1848年。場所はルーマニア北東部のフムレシティという小さな村。日本では寺子屋の時代だが、この村には正教会の神父が管理する小さな読み方教室のようなものがある。主人公のニカ(愛称、本名は作者と同じイオン)は、そこに通う悪戯好きの少年。映画は、夏に始まり、冬から春になって終る。主要なエピソードは、無断での水遊び、サクランボの盗み食い、カッコー隠し、正月行事、山小屋生活の5つだが、これらの間に身近なエピソードがちりばめられている。すべてが19世紀中葉のルーマニアの田舎での素朴な暮らしぶりを暖かい目で描いていて、観る者を郷愁の世界へと誘う。一方、原作は1~4部に分かれていて、それぞれが独立し、時系列の関係にはない。第1部に関係したものは、順に、教室に置かれた馬の形をした懲罰器具の話、祈祷書でのハエ叩きの話、教室でニカが読み間違えて逃げる話、教師の強制徴兵と、教室の閉鎖、それを受けて、ニカの勉強をどうするかの話、新しい学校への出発の話、山小屋の崩壊の話である。第2部に関係したものは、順に、金髪の効用の話、兄弟同士でのじゃれ合いの話、新年の大騒ぎの話、牛乳の盗み飲みの話、伯母の家のサクランボの盗み食いと、その後の大騒動の話、カッコーの捕獲と、叔母の抗議、家畜市への逃走、そして、最後の和解の話、無断での水遊びと、全裸での恥ずかしい帰宅の話である。第3部と第4部は含まれていない。このように様々な話題を、季節によって上手く並べ替えながら、大人になって小学校の先生になってからのイオンの回想シーンを交えて、見事に1つの作品にした脚本は見事としか言いようがない。

ニカ役のイオン(偶然、原作者と同じ名前)は1951年生まれなので、1965年の映画だと撮影時13歳くらいになるはずだが、映像で見る限り、どう見ても10-12歳くらいにしか見えない。原作の設定通り、とても素朴で、少し悪戯な感じのする、非常に可愛い少年だ。


あらすじ

映画の中には、原作小説の著者イオン・クリャンガ(Ion Creangă)(1839-89)が何度も登場し、ナレーションと進行役を務めている(1枚目の写真)。映画の中では村に住む小学校の教師のイメージだが、実際に教師だったのは1870年代の初めまでで、原作小説の執筆は1881年頃なので、事実とは違っている。映画は、ニカが大きな祈祷書を一語一語ゆっくり読みながら歩いているところから始まる。祈祷書は装丁がボロボロになるほど古びている。別にニカが勉強熱心なのではなく、何十年も使い回しているからであろう。頭のまわりでハエの飛ぶ音が聞こえる。おもむろに教会の墓地の草の上に座ったニカは、本を広げ(2枚目の写真)、そして、一気にバタンと閉める(3枚目の写真)。この部分は、原作の第1部の最初の方に書かれている短い一文が元になっている。「…ページは油じみていたので、ハエやマルハナバチが群れとなってやってきた。僕たちが本をさっと閉めると、一発で10-20匹を全滅できた。それはまさにハエ族の大量駆除だった」。青字は、映画になく、原作にある文章。
  
  
  

映画では、ハエ叩きの後、同じ教会の墓地で、ニカが少女とたわむれる(追いかける)短いシーンがある(1枚目の写真)。重要なシーンではなく、単なる風物詩的な光景なのだが、背景となる総木造りのルーマニア式の木造教会が珍しいので敢えて紹介した。木造教会といえばノルウェーが有名だが、ルーマニアのマラムレシュの木造聖堂群は世界遺産になっている。ただし、原作の舞台であるフムレシティ(Humuleşti)の村は、モルドバに近いルーマニア北東部に位置し、マラムレシュとは無関係。映画では、この少女は、数回チラと登場し、いつもニカと一緒にいるが、原作ではそのような少女はいない。有名な水遊びのシーンの後で、この少女が授業中に突然笑ってしまい、鞭で叩かれるシーンがあるが、原作ではその少女を “小さな”スマランダ(Smaranda)と称している。映画ではニカの母の名がスマランダ。誤解しやすいが、原作には、同じ名前の人物が多数登場し、父親の名前で分けている。ニカも2人いるし、イオンは3人もいる。原作での “小さな”スマランダは、神父の娘で、「いたずら好きで、活発、機転が利き、学習でも悪戯でもすべての少年を圧倒していた」と書いてあるが、ニカの遊び友達ではない。次に、ニカが雨の中にわざと出て行き笑っていると(2枚目の写真)、空が晴れてくる短いシーンがある。これは、原作の第2部の最初の方に、まじないが得意なニカの母が、雨が降っている時に、「外に行きなさい、金髪の坊や。そして太陽に笑うのよ。そうしたら、天気が変わるわ」と言い、「そして、僕が笑うと天気は変わった」という文章を受けている。そして、この直後に長文の独白が入る。ここでは、映画版ではなく、より長い原作の文章を紹介しよう(第4章の冒頭)。「わが心にかくも愛しき父、母、兄弟たち、そして村の少年たち、凍る寒さの冬の日に氷上で共に滑り橇で遊び、夏の休みの日々晴れた日に共に歌い叫んだ、わが愛しき仲間、そして、元気いっぱいの若き日々を招き寄せてくれた、森の中の涼しい空き地、日光浴をした土手、水遊びをした水辺、穀物の茂る畑や美しい花の咲き乱れる野原、そして堂々と聳える丘よ」。独白が終るとニカの家が映される(3枚目の写真)。右端で、父がニカの弟を「高い高い」している。日本とよく似ている。
  
  
  

家から、母の声が聞こえる。「ニカ、いい子ね。父さんはカラスムギを刈りに出かけたの、もう穂が地面についてるからね、それに、あたしもすることがいっぱいある、だから、あなたはフラフラ遊びにいかないで、家に残って糸巻きしたり、赤ちゃんを揺すってやって、そしたら、フォルティチェニのお祭りで、いつも欲しがってたリボン付きの帽子を買ってあげる」。しかし、赤ん坊を揺すっていたニカは、同じことのくり返しに飽きてくる(1枚目の写真)。「空は青く、とっても暑かったので、鶏が砂浴びしているような気分になった。そこで私は水辺に逃げ出した、母をひどく困らせると承知の上で」〔茶色はナレーション〕。ニカは、水辺の林で服を脱ぎ散らすと、そのまま川に入って行き、銀色の斑点のある日光で熱せられた石を交互に耳に当て、足を左右変えながらぴょんぴょん飛び(2・3枚目の写真)、おなじないを唱える。「アウラシュ、パトラシュ。耳に水を入れないで。古いコインをあげるから。木桶も洗ってあげるし、太鼓も叩いてあげるから」。アウラシュとパトラシュは、童話に出てくる王子と王女の名前で、魔法も使える。ニカは、それから、「1つは神様に、1つは悪魔に、1つは怒った悪魔を川底に閉じ込めるために」と言いながら、水辺の草の上から石を投げて水面上を跳ねさせる(4枚目の写真、しぶきが2つ上がっている)。石を3つ投げてから、ニカは勢いよく水に入って行く(5枚目の写真)。迷信深そうな民俗的な慣習が面白い。
  
  
  
  
  

一方、母は、思いの他ニカがいなくなったのに気付き、足跡を追って川まで来る。映画では、ニカが川で遊んでいるのを、母が木の陰で見ている姿が一瞬映るだけだが(1枚目の写真)、原作では、30分待っていても一向に止める気配がないので、堪忍袋の緒が切れて服を持ち去ったとある。母は、その時にニカに言葉を投げかける。「思い知らせてやる、この浮浪児、お腹が空いたら、態度も変わるだろうよ」。原作では、素っ裸で残されたニカを見て、川で亜麻布を漂白していた女性たちが「さあ、どうするの、イオン」〔ニカは愛称〕と言いながら、肘で突つつき合いながら、ニカの窮状を見てクスクス笑ったと書かれている(2枚目の写真)。ニカは、恥ずかしさのあまり、地面に飲み込まれるか、川で溺れ死にたいと思ったとも。そして、最後は「諺にもあるとおり、誰にも風や川は止められないし、人の口に戸は立てられない」と開き直る。そして、笑われていようが、後も見ずに全速で走り出す。映画では、村に入るまでは、人目を避けて道を走るが、村の入口でガチョウの群れを抜ける時に、正面から来た女性に「何て格好なの! 悪戯にもほどがあるわよ!」と言われ(3枚目の写真)、道の前方から子供たちが来るのが見えたので、柵を無理矢理くぐり抜け(4枚目の写真)、柵に隠れて子供たちをやり過ごす(5枚目の写真)。
  
  
  
  
  

村の中の道路を、全裸で歩けば、どんな噂が立つか分からないので、そこからのニカは、トウモロコシ畑や路地や裏庭を通って家を目指す。原作では、「腹ばいになり、四つんばいでトウモロコシ畑を抜け」、次のトウモロコシ畑に入った時、「犬に嗅ぎつけられ、細切れに引き裂こうと寄ってきたので、飛びかかってこられないよう、うずくまったまま、どれだけ吼えられてもじっと横になっていた」と書かれている(1枚目の写真)。ニカが犬を恐れたのは、犬以上にその家の当主に捕まるのが怖かったからだ。庭のリンゴやナシを盗んで捕まり、ひどく殴られて以来、ニカは天敵だと憎まれていた。ニカが藁山の中に隠れて顔だけ出しているのは(2枚目の写真)、恐らく、その男がいないことを確かめているのであろう。ニカはその後、野菜畑を低姿勢で駆け抜け(3枚目の写真)、牛のいる裏庭を突っ切り(4枚目の写真)、ようやく自宅に辿り着く(5枚目の写真)。原作では、「四つ辻を一気に突っ切り、我が家の庭に入ると、そこは天国に思えた」と書かれている。後、心配なのは、母にどう叱られるかだ。柵の間から、母の様子を伺うニカ(6枚目の写真)。顔も体も泥で汚れきっている。ニカは、母の姿を見つけると、飛び出して行って母の前まで行くと、「母さん、叩いても、殺しても、磔にしても、好きなようにしていいから、何か食べるものちょうだい」とすがるように頼む。母は、ニカを許し、食事を与えてくれた。しかし、このシーン、演じたイオン・ボカンツァにとっては、全身汚れきって実に大変だったと思う。
  
  
  
  
  
  

原作の方が丁寧なので、映画のナレーションと同時に紹介しよう。今まで通り、茶色がナレーション、混在する青字が原作での追加である。「私は、母に嫌われてしまったので、二度とあのようなことはしないと誓った。そして、できる限り良い子でいるように努め、母を困らせるようなことは決して口にせず、家の雑用には精を出し、誰にもできないほどきれいに片付け掃除もしたので、母は何の憂いもなく外出できるようになった。そこで、ある日、母は私にキスし、優しくこう言った。『きっと、神様が幸せにして下さるわ。この調子で続けるなら、素敵な贈り物をいただけるかもね』」。映画では、あまりにカットされていて、褒められるのが早すぎるような気もするが、ニカが、左手で赤ちゃんを揺らしつつ、右手で糸枷を回し、膝に乗せた祈祷書まで読んでいる(1枚目の写真)ので、ある程度カバーできている。母の赦しの言葉で、ニカは祈祷書を持つと学校に向かう。「私は、前にも増して罪悪感にかられた」。そして、家の角を曲がり、母の姿が見えなくなると、急にトーンが違ってくる。「まさかと思うだろうが、私は約束を守った。できる限りの間は」。そして、こそこそと、貯蔵室の中に入って行く。「雑にやれば うまくいかないし、丁寧にやれば ちっとも進まない。そいうかといって、何もしなければ どんどん溜まって、聖アナスタシアの力をもってしても 解決できないまでになってしまう」。そして、祈祷書をイスに置くと、こっそりと甕に近付く(2枚目の写真)。甕に一杯に詰まっていたのは、発酵させるために入れてあった牛乳。ニカは、かなり固まりかけたヨーグルトを甕から直接舐める(3枚目の写真)。原作の「一人の愚か者が池に投げ入れた石は、十人の賢者が集まっても取り返せない」〔信用は 失われるときは一瞬/覆水盆に返らず〕の諺が効いている。
  
  
  

盗み食いをして、すぐに学校に向かったニカ。学校の前で仲良しの少女と会い、口の隅や鼻の頭にヨーグルトを付けたまま、ニッコリ微笑みかける(1枚目の写真)。その後、村の少年たちは狭い入口に押し合いへし合いして1つしかない教室の中に入る。時代は1848年なので、教室といっても机が並んでいるわけではなく、壁に沿ってぐるりと生徒たちが座っている。そこに神父が入って来る。ルーマニアは正教会なので、神父はカミラフカと呼ばれる円筒形の帽子を被り、全身が黒ずくめだ。神父は、カルル・バラン(白い馬)と呼ばれる処罰用の道具を運び入れる。そして、「毎週土曜、教師は、すべての生徒たちについて、1週間でどれだけ学んだかを調べ、間違い1つにつき、石板に1つ線を引き、問題のある生徒は聖ニコラスに叱ってもらうことにする」と言い渡す。その直後、ニカの隣に座っていた少女は、なぜかプっとふき出してしまい(2枚目の写真)、さっそく神父は、「ここにきて、白い馬に乗りなさい。聖ニコラスが教えを垂れるであろう」と言う。泣きながら白い馬の上に伏せた少女。白い馬を運んできた男が教師に革の鞭を渡す(3枚目の写真、教師は写真右)。鞭で打たれて少女が泣くのを聞くニカは、両手で顔を覆ってしまう。この場面は、原作では第1部の冒頭に書かれている。
  
  
  

原書でも映画でも、ニカの一番の悪戯はサクランボの盗難。このエピソードは、第2部の中頃に書かれている。「夏、私は、こっそり家を抜け出すと、白昼堂々ヴァレシ伯父のところにサクランボを盗みに行った。伯父の庭や、村の他のもう2ヶ所では、聖神降臨の主日に向けてサクランボの実が熟していたのだ。私は、捕まらないようサクランボを盗む計画を慎重に立てた。私は、まず、平然と伯父の家に行き、いとこのイオンと一緒に泳ぎに行っていいかと訊いた」。マリワラ伯母は、「あの子なら、いないよ」と答える。「どこなの?」。「あんたの伯父さんと一緒に、コンドレーニにある縮充工場まで、作業着を買いに出かけたわ」。「じゃあ、お元気で、マリワラ伯母さん。僕一人で泳ぎに行くよ。がっかりだけど」。「しかし、その時、心の中ではこう言っていた。『やった! 2人ともいないんだ。帰りが遅いといいんだけど』そして、伯母の手にキスして、礼儀正しくいとまごいをすると(1枚目の写真)、泳ぎに向かうと見せかけて、こっそりサクランボの木に登ると、片っ端からサクランボをシャツの中に入れ始めた(2枚目の写真、映画では、半分は食べている)。熟しているのもいなのも手当たり次第だ。心配だったので、できりだけ急いだのだが、気付いた時には、手に棒を持った伯母が木の下にいた」。「この小悪魔め、これがお前さんの『泳ぎ』かい? 降りて来な、このこそ泥、目にもの見せてやる」。「でも、木の下で破滅が待ち構えているのに、どうして降りられよう」。そして、ニカは高い方に逃れようとする(3枚目の写真)。伯母は、土くれをニカ目がけて投げながら「待て、この豚野郎、お前の命取りになるよ」と叫ぶ。案の定、枝がたわんでニカは地面に落ちてしまう。そこからは、麻の畑の上を、大事な作物をなぎ倒しながらの追いかけっこが始まる。麻は腰の高さ茂っている(4枚目の写真)。最後には、伯母が麻に足がからまって転倒し、その隙に、ニカは柵を見事に跳び越して(5枚目の写真)、一目散に家に逃げ帰った。
  
  
  
  
  

ニカが貯蔵室に逃げ込むと、そこに母が入って来る。慌てて隠れるニカ。母は、発酵乳がなくなっているのに気付く。「何も残ってないじゃない」。その時、ニカが姿を見せて、「きっと、悪戯妖精のストリゴイが、牛に魔法をかけたんだよ、母ちゃん」と言う(1枚目の写真)。母は、ニカを鋭い目で見ながら、「盗んだストリゴイを捕まえてやりたいわ」と言い、さらに、「お前は、ストリゴイが食べたことに自信がありそうだけど、私は たかり屋やちょろまかし屋には我慢できないの」と続ける。ニカは、母の顔をじっと見て(2枚目の写真)、食べてないと訴えるように、舌を出して見せる。しかし、顔には、ありありと罪の意識が。「覚えておくのね、神様は、盗みを働くような人には、それが食べ物でも服でも、その他なんでも、幸せを与えて下さらないわ」(3枚目の写真)。その後に入る作者のナレーションは、この場面にではなく、原作では、サクランボの盗みの後に入っているもの。「このことから、私は、窮境のようなものにはまらないよう、ある程度気を付けることにした。しかし、そうは言っても、悪戯心に駆り立てられ、何度もトラブルに巻き込まれた」。実際、映画では、最大のトラブルに連続して巻き込まれる。
  
  
  

ニカが貯蔵庫から出ると、外で声がしている。伯母の「サクランボや麻はどうしてくれるの? 弁償してもらうわよ」の言葉にハッとするニカ。声のする方にこっそりと近付いていく。「全部あの子の仕業よ。腹いっぱい食べたのよ。ぶちのめしてやりたいわ」。文句は延々と続く。ニカは、鶏小屋の屋根に登り、庇に隠れるように様子を見ている(1・2枚目の写真)。原作によると、抗議に来たのは伯母ではなく伯父、村長と警官。責められるのはニカの父。伯父は、サクランボと麻の損害賠償と、盗難行為への罰金を要求した。「実を言うと、ヴァレシ伯父はしみったれで、マリワラ伯母同様、とても けちん坊だった」。父は、「今夜、奴が帰ったら、二度と忘れられんよう殴ってやる」と言うが、そんなことで許してくれるような伯父ではない。しっかりとお金をふんだくられた」。「信じられないかもしれないが、こんな悪ふざけで有名になってしまったことで、私は恥ずかしさのあまり、どこにも顔向けできなかった」。その夜、ニカは父から激しくぶたれ、泣き叫ぶ声が延々と続く(3枚目の写真)。ただし、罰せられる映像はない。そこが、この映画の優れたところであろう。
  
  
  

原作では、冒頭、「サクランボ騒動の後にも、新たな騒動が巻き起こった」という一文が入る。母が、ニカの体を揺すって起こす。「ほら起きて、このぐうたら息子。夜明け前に起きないと、カッコーにうんちされて、一日中災いが起きるわよ」。ニカは無理やり起こされ、大きなあくびをする(1枚目の写真)。にっくきカッコーだ。ここから入るナレーションは、原作のカッコーのエピソードから、順不同で抜き出されたものだ。「母が、私をからかうのに使ったカッコーは、アンドレイ叔父の家のそばにある丘の上のシナノキの洞に何年も住み着いている。そして、夏になると毎朝、夜明けとともに鳴き、その鳴声は村中に響き渡る」「母は、うんちを理由に、夜明け前に私を叩き起こした」「私が起きると、母は、トウモロコシの世話をさせるために雇っているジプシー用の配給食を運ばせた」。ニカは、両手に食料を一杯持ってトウモロコシ畑を歩いて行く。「私は、うんちという口実でカッコーに起こされるのに、いい加減うんざりしていた」。そこで、ニカはカッコーを捕まえてやろうとする。「私は、配給食を丘の上に置くと、素早くシナノキを登り(2枚目の写真)、洞に手を突っ込んだ。私は手に、卵の上に座っている鳥がいるのを感じ、『そのままでいろよ、やっとお前を捕まえた。これからはうんちなんかさせないぞ』と言って、鳥を引きずり出そうとした時、私は扇のような羽のとさかにぎょっとして(3枚目の写真)、思わず手を離してしまった。カッコーなるものを一度も見たことがなかったからだ。私は、羽の生えた蛇なんかじゃないとい自分に言い聞かせ―蛇は時々木の洞にいるので―思い切って、もう一度鳥を捕まえることにした」。ニカは、被っていた帽子を取ると、「思い知るがいい」と言って、帽子ごとカッコーを捉えた。そして、自宅の屋根裏に登って行き(4枚目の写真)、木の樽の底にそっと置くと、脚に付けた紐を樽に引っ掛け、上から大きなザルを被せた。
  
  
  
  

夜、子供たちが部屋になだれ込んでくる。騒々しいことこの上ない。両親のベッドの上に重なり合って乗り、取っ組み合って遊ぶ(1枚目の写真)。それを見た母が、「垂木の後ろから棒を取りなさい。青黒いあざのできるほど叩いてあげる」と注意する。しかし、子供たちには何の効果もない。原作では、「私たちは、ベッドの上では、まさに子供だった。眠ることなんかそっちのけで、じゃれ合ったり、笑いさざめき、母に髪の毛を引っ張られたり、ポカリとやられるまで止めなかった」と綴っている。そこにナレーションが重なる。「子供にとって、生活の大変さや万一の蓄えについて聞かされても 上の空でしかない」。そこに、父が帰ってくる。たちまち、子供たち全員が父にまとわりつく(2枚目の写真)。母が、夫に「ねえ、あんた、放っときなさいよ」と言っても、父は「構わんじゃないか。俺が帰ってきて喜んでるんだ」と大らかだ。そして、「みんなまだ小さいから、食べさせて遊ばせりゃいい。大きくなればやめるだろう。心配するな。知らんのか? 『子供は遊び、馬は引っ張り、神父は祈る』って言うだろ」と甘やかす。みんなが、父に甘えているのを見て、ニカは水と穀物を持って屋根裏に上がっていく(3枚目の写真)。そして、カッコーに水と餌をやると、ニッコリ微笑む(4枚目の写真)。「これこそ、幸せなひと時だった。世界が始まって以来ずっと、どんな子供も味わってきた楽しみ… 誰が何と言おうともだ」。夜もふけ、父もさすがに疲れてくる。「おい、黙れ、もう十分だろ」。屋根裏からこっそり降りて来たニカを竃(かまど)の上に登らせ、そこで騒いでいる子供たちには、「静かになさい。一晩中眠れないじゃないの」と注意する。
  
  
  
  

しかし、そのすぐ翌日、マリウカ叔母が凄まじい剣幕でやって来て、私のことで母に文句をつけた」。朝、マリウカ叔母は雄鶏のコケコッコーで目が覚めた。辺りはもう明るい。今朝はカッコーが鳴かなかったのだ。叔母が 急いで丘の上の木の洞を見に行くと、カッコーがいない。叔母は、そのまま小走りで義姉の家へと向かう。そして、「ねえ、知ってるの義姉さん! あんたとこのイオンが、目覚ましカッコーを盗んだのよ!」とわめく(1枚目の写真)。「何で決め付けるの。もしニカが、カッコーを虐めようと捕まえたなら、鞭で死ぬほど叩いてやる。話は聞いたから、後は任せて。私から話して 確かめるわ」(2枚目の写真)。「間違いないのよ。あの悪戯っ子め。カッコーがいないとみんな困るのに」。「誰か見たの?」。「イオンが捉まえてるのを見た人がいるのよ。有罪確定ね。村の時計を盗むなんて」。それを聞いたニカは、急いで屋根裏に上がると、カッコーをひっつかみ、その日が月曜だったので、家畜市で売ってやろうと家を抜け出して行く。
  
  
  

家畜市は盛大で、近郷から出て来た農民で賑わっている。真ん中には、木製の観覧車まで用意されている(1枚目の写真)。不確かなネット情報では、観覧車の原形は17世紀のブルガリアに遡るとあったが、ブルガリアと言えば、映画の舞台のルーマニアのお隣だ。だから、原始的な観覧車があってもおかしくはない。ニカは、家畜市の中を、「お安くしとくよ、コジキバト。可愛くて、きれいだよ」と大声で、売り歩く(2枚目の写真)。その時、若い雌牛を売りに来た老人がニカに声をかけた。「坊や、その鳥 売っとるのか?」。「そうだよ、おじいさん」。「幾らなんだい?」。「言い値で売るよ」。「じゃあ、見せてくれんか、重さをみたいでな」。ニカが脚に付けた紐ごと老人に渡すと、老人は紐をほどいて(3枚目の写真)、カッコーを逃がしてしまう。「しまった、手がすべっちまった」。当然ニカは怒り、老人に食ってかかる。「何すんだよ、じいさん。勝手に自由にするなんて! 買う気がないんなら、何で放したのさ?! 持ち逃げと同じじゃないか。何とか言えよ」。この文句に、群集が2人を取り囲むように集まってくる。「手ごわい奴だな。だがな、そもそも何で、あんなもん持っとった? わしの仔牛が欲しかったわけじゃあるまい? わしが思うに、何か隠そうとしとったじゃないのか、このずる賢い小僧。こんな風に叱られた幸運に感謝するがいい」。それでもニカが不満そうなので、「ちょっと待っておれ。お前の父さんを連れて来てやる。お前がカッコーを売りに来たと知ったら、何と言うかな」。これを聞いたニカは動揺する。カッコーのことがバレたら、一大事だからだ。「うまく行きそうだったのに、父の話が出た時、私の気分は沈んだ。私は、こっそりと群集から抜け出すと、老人が後を追ってこないか肩越しに見ながら、村に向かって走った。実際、老人から逃げることに必死だった」。
  
  
  
  

家に辿り着いた時は、父も母も市場に出かけていなかった。私の弟や妹は、叔母が、カッコーのお陰で村中が助かってると大騒ぎし、母を不快にさせたと話してくれた」。その時、巣に戻ったカッコーの鳴声が聞こえてくる。姉のカテリーナが、「あれ聞いた? あきれるわね。あんた、無実なのに、責められたのよ」。ニカは、にこにこしながら、「そんなもんさ」と言うが(1枚目の写真)、「心の中では、私のせいで叔母がどんな目に遭い、叔母のせいで私がどんな目に遭ったかを、にがにがしく考えていた」。「翌、火曜日、母は、竃いっぱいのチーズ・ケーキ、チーズ・パイ、串焼きの柔らかい鶏を焼くと、朝食の時間にマリワラ伯母とマリウカ叔母を呼び、愛想よくこう言った。『人間って、何でもないことや、中傷に耳を傾けて仲たがいするものよ。それよりも、神様のご好意を分かち合いましょうよ。そして、私たちの旦那さんの健康を祈って乾杯しましょう』」(2枚目の写真)。3人は乾杯し、「すべての邪心がなくなり、幸せが満ちますように。反目や不安が消え、神の御心に添えますように」と唱和する。それを聞いているニカのホッとしたような複雑な顔(3枚目の写真)。「このようにして、うまい答えが出せなくても、罪があっても、上手に人を騙すことができることもある。諺にもあるが、知恵は経験から生ずるのだ」。
  
  
  

このことがあって、そう日も浅くない5月のある日、ぼんくら先生は、こともあろうに、もう一人のニカに私の知識を試験させた。そいつは、知識なんかゼロに近い奴だったが、私がいつも一緒にいる少女のことで喧嘩したことがあった」。この、もう一人のニカは、ニカが教科書を読むテストで、1語つまるごとに、ニヤニヤしながら木の板に黒い線を1本引いていく(1枚目の写真)。それを見ながら、ニカはだんだんと集中力が欠けていく(2枚目の写真)。木の板は、黒い線でいっぱいになってきた。「『何てことだ。こんなこと冗談じゃない』と私は思った。『こいつは、僕が山ほど間違いを起こすまで、試験をやめないつもりだ』」。教室中が、ニカの失敗を笑う声で一杯になる。ニカは、カルル・バランに載せられて、聖ニコラスから青黒いあざのできるほど祝福を受けるのはごめんだった。そこで、ニカは、いきなり本を置くと、カルル・バランを飛び越えて、教室から飛び出して行く。そして、そのまま家まで走り通して、母に、「もう、学校なんか戻るもんか、母ちゃん。あんなとこ、苦しいだけだもん」と泣きつく。母は、祈祷書を一語一語読んで聞かせ、「無学なままでいるなんて惨めなことよ。教育を受ければ賢くなれるの」と諭す(3枚目の写真)。「母は、祈祷書や詩編やアレキサンダー大王の伝記を上手に読んでくれた。そして、私が本を読んでいるのを見ると、とても喜んだ」。
  
  
  

学校に戻ったニカが、教室の中で、歩き回りながら本を読んでいる(1枚目の写真)。「もう一人のニカの奴が、新しい犠牲者を虐めている」。その時、教師が教室に入って来た。そして、「さあ、子供たち、道路の補修を手伝ってくれ。王子様が通る時、この村が怠けてると思われたくないからな」と言って、全員を外に出す。「その日は、聖ポカイアの日だった。村長は、村人全員に道路の補修を命じた」(2枚目の写真)。その時、さっきの教師が投げ縄でモルドヴィア軍の強制徴募隊に捕まってしまう(3枚目の写真)。そして、手を縄で縛られ、ピアトラの町に連行されていった。村長が村人全員に道路補修を命じたのは、実は、この強制徴兵を欺くための隠れ蓑だった。「かくして、先生は運命が命じる場所へと去って行った。神父は、長い髪を風になびかせて他の教師を探したが、後任は見つからなかった。学校は、一時閉鎖となった」。秋となり、冬となっても、学校は閉まったままだった。
  
  
  

1月1日は、正教会が定めたバジルの日。村の子供たちは、新年のPlugulと呼ばれる行事に熱中している。ネットで見ると、現在では、ハロウィンのように、家々を廻りながらお菓子をもらうと書いてあったが、19世紀の農村では状況は違っていたようだ。1枚目の写真で、ニカが手に持っているのは、豚の膀胱。これを振り回しながら叫ぶのだ(2枚目の写真)。何を叫んでいるかは、映画にはあるが、原作には書いてないので、正しい英訳もない。「Plugusorul se porneste, Plugusorul tras de boi, Plugusorul tras de noi. Ia, mai manati mai flacai! Hai, hai!」。誤訳かも知れないが、敢えて訳すと「鋤を持って出かけるぞ。牛に引っ張らそう。僕たちで引っ張ろう。みんなもっと集まれよ」、かも?。今でも、鋤の形をしたものを持って廻るとあるが、映画では、子供たちが持っているのは、豚の膀胱と鈴だけ。一行が、ある家の前で叫んでいると、家から女性が飛び出てきて(3枚目の写真)、「お前たち、燃やしてやろうか! 何のつもりだい! ずうずうしいったら ありゃしない!」と追い払われる。とても、お菓子などもらえる雰囲気ではない。
  
  
  

ニカが、夜、窓から外を眺めている(1枚目の写真)。家の中では、祖父が、ニカの両親に話している。「お前の息子のことだが、スマランダが望んどるように叙聖までいくのは必要ないが、本が読めるようにはしないとな。今日は日曜、明日の月曜は家畜市じゃ。だから火曜に、もし、わしが達者じゃったら、ニカをわしの孫のドミトリと一緒に、ボロシュテニにあるニコライ・ナーノ先生の学校まで連れて行こう。ちゃんとした教育が受けられるじゃろうて」(2枚目の写真)。火曜日、家族全員の見送りを受けて、ニカが祖父と出かけて行く。祖父が用意した馬に乗せてもらい、母と父から、別れの言葉をもらい(3枚目の写真)、雪の道を去って行く(4枚目の写真)。
  
  
  
  

翌日、祖父は、私とドミトリをボロシュテニまで連れて行き、寝る場としてイリヌカという老女の小屋に案内してくれた」。そこは、丘の急斜面に建つ、藁葺きの粗末な小屋だった(1枚目の写真)。原作では、学校の様子が書かれているが、映画では一切省略され、季節は冬から春へと変わる。衛生状態の良くない生活のため、ニカとドミトリはダニによる疥癬になり、体中が痒くて2人で背中を合わせて擦り合っている(2枚目の写真)。ネットで調べるとダニの数は1000匹以下とあるが、それでもとんでもない数だ。そうは言っても、いつも掻いているわけにはいかないので、小屋のある急斜面を登り、川の見下ろせる高台まで来ると、木の枝にぶら下がって遊ぶ(3枚目の写真)。それが終わると、登ってきた丘を転がって下りる。その行為が引き金になったかどうかは分からないが、落石とともに、巨大な丸い岩が斜面を転がり落ちていき小屋を直撃する(4枚目の写真)。「一体何が起きたのだろう?! 老女の小屋は粉砕され、山羊は押し潰されてしまった。恐怖のあまり、疥癬など吹っ飛んでしまった」(5枚目の写真)。ドミトリに、「持ち物を持ったら、お婆さんが帰ってくる前に、大急ぎで逃げよう。ちょうど兄さんの筏がある」と言われ、2人して筏に乗る込む。
  
  
  
  
  

ニカの少年映画のラストを飾る筏のシーンは、原作の第2部のラストの文章がそのままナレーションとして使われている。「私は、フムレシティの生き生きとした大地が生んだ土人形のような存在で、10代では醜く、20代では愚かで、30代では貧しかった。もっとも、赤貧洗うが如しだったのは、生まれた時からだったが」。映像に出てくる筏は、かなり巨大で、先端に2基の櫂が固定されている面白い構造だ。
  
  

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