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Babel バベル

アメリカ映画 (2006)

アメリカのサンディエゴに住むジョーンズ家の物語をバベル〔旧約聖書で「混乱」を意味する〕のような断片描写で編集したドラマ。舞台となるのは、夫妻が旅行先に選んだモロッコの山岳地帯と、残された子供たちがメキシコ人の保母に無断で連れて行かれるメキシコ国境のティファナの郊外の村。そして東京。①カサブランカの南南東約370キロにある山岳地帯で起きたこと。東京に住む綿谷が現地にハンティング旅行に行った時、ガイドにプレゼントしたライフルが近くの羊飼いにハイエナ退治用に売られる。射撃が下手な兄は、上手な弟が羨ましく、遠くを走っている観光バスを狙わせる。弾は不幸にして窓際に乗っていたリチャードの妻のスーザンに当たる。バスは近くの村タザリン〔ツアーガイドの生まれ故郷〕に行き、スーザンは獣医の手当てを受け、アメリカ政府からの救援を待つ。②サンディエゴとメキシコで起きたこと。子供たちの保母のアメリアは明日が息子の結婚式。どうしても出たいのだが、主人のリチャードは撃たれた妻のことで頭が一杯で、アメリアへの配慮にまで頭が回らない。近くのメキシコから来た保母たちに頼むがすべて断られたアメリアは、仕方なく、迎えに来た甥のサンチャゴの車に2人の子供を乗せて結婚式に向かう。結婚式のあったのは、サンディエゴの南25キロにあるメキシコの国境の町ティファナの南東にある田舎。問題は、その夜の帰宅時に起こる。泥酔した甥はテカテのアメリカの国境検問所で挑戦的な言動をして怪しまれ、飲酒運転と併せて厳しい取調べを受けそうになると、検問所を突破して逃走する。迷惑をこうむったのは、アメリアと2人の子供たち。逃走の邪魔になると、砂漠の中に置き去りにされる。③東京で起きたこと。この映画で一番問題なのが、この東京編。綿谷が絡むのは「ライフルをプレゼントした」という一点だけ。それにもかかわらず、聴覚障害の娘・千恵子のふしだらな言動が延々と描写される。この部分について、海外の評でも評価は分かれている。私は③は「邪魔」以外の何物でもないと思っている。「混乱」を演出するための挿入かもしれないが、東京のシーンがなくてもジョーンズ家の物語は完結する。その場合、クレジットを除く本編の上映時間は2:22:18から1:40:37に減り、逆にちょうどベストの時間になる。

このサイトは子役しか取り扱わないので、『バベル』の中で紹介するのは、ジョーンズ家の長男、7歳のマイクの登場する場面のみ。映画はモザイク状なので、登場場面は、①サンディエゴの自宅~出発、②国境~結婚式が行われる田舎~結婚式を待つ間、③披露宴、④国境突破、⑤砂漠での彷徨、の5つのシーンに分かれる。あらすじでは、1・2節が①、3~6節が②、7・8節が③、9・10節が④、11・12節が⑤に該当する。

ネイサン・ギャンブル(Nathan Gamble)は好きな子役の1人。『バベル』が映画初出演で撮影時7歳。台詞もしっかりしているし、表情も多様だ。この後は、『ミスト』(2007)、『ザ・ホール』(2009)、既に紹介した『25 Hill(「25ヒル」道路)』(2011)、『イルカと少年』(2011)、『Beyond the Heavens』(2013)が少年期の主要な出演作。


あらすじ

夜、保母のアメリアと2人の子供マイクとデビー(エル・ファニング)がダイニング・キッチンでかくれんぼをして遊んでいる。そこに電話がかかってくる。主人のリチャードからだ。映画はアメリカ軸とモロッコ軸でわざと時間がずらしてあり、アメリカ軸でアメリアがこの電話を取るのは、映画が始まってすぐの “9分4秒~”。モロッコ軸でも、リチャードが電話をかける同じシーンがあるが、それは、映画も終盤になり妻がヘリコプターで病院に搬送された後の “2時間7分17秒~”。アメリアが話した言葉は、「はい、旦那様」。(そっちは大丈夫か?)。「何も問題はありません。レイチェル様から伺いました。大変でしたね。スーザン様はいかがです?」。(いま手術中だ。レイチェルは今夜飛ぶ。彼女が子供の世話をする人間を探すから、君は行っていい)。「どうもありがとうございます。感謝します」。(2人には何も言うな)。「もちろんです。どうか心配なさらないで」。(マイクに代わってくれ)。父からの電話だと分かり、マイクは耳を傾けているが(1枚目の写真)、日本語字幕のように、「奥様のことを伺いました。ご容体は?」などと明確に話したワケではないので〔誤訳〕、マイクには、「母が病気もしくはケガをした」という認識はない。だから、電話を取ると、いきなり学校であったことを話し始める。一方、父はマイクの声を聞き、思わずすすり泣いてしまう〔泣いたということは、“2:08:19” になって初めて分かる〕。そこで、マイクは、「パパ、大丈夫?」(2枚目の写真)と質問するが、当初の時点〔“0:10:00”〕では、なぜマイクが突然不審に思ったか観客には分からない。電話のシーンはすぐに打ち切られ、お休みのシーンに変わる。ベッドに寝かせつけられたマイクは、アメリアに歯を磨いたか訊かれ、歯を見せる(3枚目の写真)。
  
  
  

翌朝、アメリアが寝ていると電話の呼び出し音で起こされる。トイレは付いているものの、すごく狭い部屋だ。次のシーンでは、アメリアが抗弁している(1枚目の写真)。「でも、今日は息子の結婚式なんです」。(結婚式はキャンセルしてくれ。より盛大になるよう金なら出すから。君が必要なんだ)。「準備は終わっています。他の方にお子様の世話を頼めないのですか? 1日だけでいいのです」。(ここから、どうやって見つけろと言うんだ? レイチェルは子守に行けなくなった。君しかいないんだ。悪いが、頼むよ〔結婚式のドタキャンを求めるとは無茶な要求だ。アメリアにサンディエゴの仲介業者に電話をさせ、1日だけ派遣してもらうよう命じるのが当然ではないか? メキシコ人の保母に対し余りも酷な仕打ちだが、アメリカのサイトでその点を批判しているのは見たことがない。現在のメキシコ人差別に相通じる現象のように感じる〕。アメリアは近くで働いているメキシコ人の保母に電話をかけ、理由を告げて、1日だけ預かってくれと頼むが断られる。写真は、その間、TVを見ているマイク(2枚目の写真)〔アメリアは、なぜサンディエゴのベビーシッター・サービスに電話しないのだろう?〕。結局、アメリアはメキシコから車で迎えに来たサンチャゴの車に2人の子供を乗せて行くという法外な手段に訴える。迎えに来たサンチャゴ(3枚目の写真)にとっても、寝耳に水の話だ。サンチャゴは、「誰かに預けちゃダメなのかい? 世話してくれる女の子なら知ってるよ」と言うが、アメリアは「知らない人に預けたくないの」と断る。これで、何が起きようが、一切の責任はアメリアが負うべきことになる。
  
  
  

マイクの2回目の登場場面の冒頭映像(1枚目の写真)。矢印の車はサンチャゴの車ではない〔アメリカ側の国境警備の車〕。そもそも、サンディエゴからティファナまでは高速道路なので、映像のような未舗装道路は通らない。映画で、なぜこの映像が挿入されたのかは知らないが、ここで取り上げたのは、最近話題の「メキシコ国境の壁」が2005年の撮影時の時点でも延々と延びていたことを示したかったから。アメリカがメキシコに対して、昔から如何に冷徹で差別意識を持っていたかが良く分かる。2枚目の写真は、国境の手前の高速道路風景。車のリヤウインドウの赤い印は、サンチャゴが住んでいるグアダルーペのシンボル「グアダルーペの聖母」。4人を乗せた車は国境に差しかかる。正面に見えるのは、「申告なし」の車用のゲート(3枚目の写真)。アメリカ→メキシコはフリーパス状態。「行きはよいよい帰りは怖い」の典型。
  
  
  

サンチャゴは、「天国に入るのって簡単だろ」と子供たちに話しかける。どこに連れて行かれるのか分かっていなかったデビーは、「ここ、メキシコ?」とアメリアに訊く。「そうですよ」。それを聞いたマイクは、「ママ言ってたよ。メキシコってすごく危険なんだって」と言う(1枚目の写真)。サンチャゴは「メキシコ人が、うじゃうじゃいるからな」と脅すように言う。マイクは、何となく怖そうに、窓の外のティファナの町を見る(2枚目の写真)。映画に写る通りの雰囲気は、アメリカとは全く違った異質な国のイメージだ〔21世紀の文明国とはとても思えないような泥臭さと汗臭さに満ちている〕。映画の中で、東京が、これまで海外の映画作品の中では最も未来都市的に描かれているのとは対照的だ〔『惑星ソラリス』は1972年の段階の首都高を延々と映してそれなりに未来都市風だったが、この映画では、東京のあらゆる面が未来的で、逆に言えば、日本らしさを極力打ち消している〕。サンチャゴの車はティファナを通り抜けると郊外に向かい、最後は荒地の中を通る片側1車線の地方道から逸れて未舗装の脇道に乗り入れる。その道を延々と走った先にあったには、バラックのような家が数軒と、20以上のテーブルが並ぶ屋外のパーティ会場だった(3枚目の写真)。
  
  
  

新郎で息子のルイスは、母アメリアの姿を認めてすぐに出て来る。アメリアは、マイクとデビーを「お世話してる子供たちよ」と紹介する(1枚目の写真)。サンチャゴは自分の子供(?)を呼び寄せ、2人には「彼はルシオだ。彼が世話してくれる」と、「あっちに行ってろ」と言わんばかりに指示する(2枚目の写真)。マイクは不満そうで、アメリアには「行きなくない」と言いたそうに首を振るが(3枚目の写真)、アメリアには着付けがあるので行かせる。マイクは「すごく危険」という言葉が頭から離れない。アメリアが保母として過保護に育て過ぎたのかも。
  
  
  

マイクとデビーを交えた子供たちに、サンチャゴは放し飼いの鶏を捕まえる遊びをさせる。2羽目は、デビーに花を持たせる。2羽目への挑戦者を募のると、引っ込み思案だったマイクも、元気良く手を上げる(1枚目の写真)。サンチャゴはマイクに1羽持たせて、残りを籠にしまうと、マイクの持っていた鶏の首を握る。そして、握った手を中心にして、鶏を高速で回転させる(2枚目の写真)。そして、いきなり頭をつかむとねじ切る。首からは血がほとばしる。それを見たマイクは、あまりの残酷さに唖然とする(3枚目の写真、首から血が飛んでいる)。頭のなくなった鶏はまだ生きていて、地面を逃げて行く。子供たちをそれを追うが、マイクは振り返って恐ろしそうにサンチャゴを見上げる。やはり、メキシコは「すごく危険」な場所だった。これに関して最も有名なものは「首なし鶏マイク」〔偶然、同じマイクという名前〕。首を切られて18ヶ月生き続けた鶏だ。ウィキペディアの日本語版もあるが、BBCにも詳しく紹介されているので(https://www.bbc.com/news/magazine-34198390)、フェイク・ニュースではない。だから、映画で首のない鶏が走っても決して絵空事ではない。残酷であることに変わりはないが。
  
  
  

マイクの3回目の登場場面。いつ式が行われたのかは分からないが、その後、盛大な披露宴〔メキシコでの正式名称は不明〕が行われる。仮設ステージでは、如何にもメキシコといったバンドが演奏し、その前で新郎と新婦が踊る。新郎の母アメリアらが座った最前列のテーブルにマイクとデビーも座っている(1枚目の写真、矢印)。特別待遇だ。そこにアメリアが参加すると、デビーは手を叩いて喜ぶが、なぜかマイクの顔は曇っている(2枚目の写真)。先ほどの首なし鶏が余程こたえたのか? ダンスの輪が拡がり、アメリアとマイクが踊るシーンもある。夕方になり、参列者にチリコンカン(?)とメキシカンライスが振舞われる。マイクにはアメリアがタコスを食べさせている(3枚目の写真)。ここでも過保護ぶりがよく分かる。
  
  
  

辺りが暗くなった頃、テーブルにウェディングケーキが運ばれてくる。マイクはすぐ横でそれを見ている(1枚目の写真、矢印)。ケーキに顔を近づけた新婦の頭を新郎が押し、新婦の顔の下半分に生クリームがべったりと付く。それを見たマイクは大笑い(2枚目の写真)。折角その場に打ち解けたのに、景気付けにサンチャゴが空に向けて拳銃を撃ったので、マイクはまたビクつく(3枚目の写真)。
  
  
  

マイクの4回目の登場場面。真夜中を過ぎて披露宴は散会。サンチャゴは寝てしまったデビーを、アメリアは半分眠ったマイクを車に乗せる(1枚目の写真)。新郎は、「ママ、今夜はここに泊まれよ」と勧めるが、アメリアは、「無理よ、この子たちを家に連れ帰らないと。もう夜明けじゃない」と断る。「だけど、こいつ〔サンチャゴ〕は完全に酔っ払ってるぞ」。サンチャゴは大丈夫だと突っぱねる。母子は幸せそうに別れ、4人を乗せた車は出発する。車は真っ暗な田舎道をひた走る。後部座席ではマイクとデビーが眠っている(2枚目の写真)。酔っ払ってウトウトしたサンチャゴは、路肩の草の上を走り、慌ててハンドルを戻すあり様。アメリアが心配してもニヤニヤするだけ。そして、「テカテで国境を越えよう。その方がサンディエゴにうんと早く着く」と言う。テカテの国境検問所は行きに通ったティファナの東40キロ弱にあるので、結婚式の行われた田舎はかなり東に寄っていたことが分かる。メキシコ側の「お気をつけて。また会いましょう」の文字の向こうには、「合衆国 国境検問所」の表示が見える(3枚目の写真)。
  
  
  

真夜中を過ぎているし、メインの検問所ではないので車はサンチャゴの1台だけ。おまけにサンチャゴは酔っ払って態度が大きいので係官もより念入りに調べようとする。サンチャゴの間違いは、最初から始まった。「どこから来ましたか?」の質問に対し、「メキシコ」と言ってニヤリとする。メキシコとの国境で「メキシコ」と答えるのは不真面目だ。その後すぐ「結婚式から」と言い直すが、これも地名ではない。こうした態度が係官を硬化させる。「今日は、どこへ行くんです?」。「サンディエゴ。俺たちは… 連れてくんだ」と後部座席の子供たちを指す。「誰ですか?」。「彼女の甥と姪」。2人の子は、どう見てもメキシコ人には見えない。こうして不信感は募る。アメリアは、我慢できなくなって、「違います。あの子たちを任されているんです」とリカバリーする。係官は2人のパスポートを要求する。れっきとしたアメリカのパスポートで問題はない。それなのに、サンチャゴは「何か問題でも〔Is there a problem〕?」と挑発的に訊く。係官もムッとして、「あるはずなのか〔Should there be one〕?」と訊き返す。そして、詰め所に一旦戻る。その間に、アメリアは、「話すのは俺に任せて」と豪語する甥に、「怒らせてるじゃないの」と注意。それでも、酔った勢いで、「ただの冗談さ〔I was just kidding〕」と気にもかけない。トランクを開けさせられ、助手席の小物入れやアメリアのハンドバッグの中まで調べられる。サンチャゴのイライラは募る。決定打は、アメリアに向けた係官の次の一言。「あなたは、2人を任されているのですね? 両親の許諾書を見せて下さい」〔この点に関してはチェックできなかったが、2009年から義務化されたESTAでは、両親が同行しないまま未成年の子供がアメリカに入国する際には「親の渡航同意書」が必要になった。2006年の段階だが、アメリアは、子供だけでメキシコとアメリカを往復させたことになるので、両親の許諾が必要だったに違いない〕。アメリアにはそんな知識などなかったし、当然、許諾書など持っているはずがない。アメリアの書類不備の上に、係官はサンチャゴの酩酊状態〔飲酒運転〕にも気付く。ニ重の容疑で厳重に取り調べようと、係官は車を駐車スペースへと誘導する(1枚目の写真)。しかし、半分ブチ切れていたサンチャゴは、制止を振り切手国境を突破し逃走する(2枚目の写真)。アメリアは「何てことするの!」と責めるが、サンチャゴも「言っただろ! あいつら〔マイクとデビー〕、連れてくるべきじゃなかったんだ!」と反論。その後は、アメリアが、いくら「バカなことはやめて、車を止めて!」と頼んでも、後部座席の2人が泣き出しても、時速130キロ以上で一般道を突っ走る。そして、パトカー2台に追跡されていることを知ると、道から逸れ、砂漠の中にどんどん入って行き、いきなり急停車して「降りろよ」と命じる。アメリアが抗議しても、「降りろよ。捕まったら終わりだ。奴らをまいたら戻って来る」と強制的に真っ暗な砂漠の中に3人を放り出す(3枚目の写真)。
  
  
  

マイクの5回目(最後)の登場場面。3人が、辺りでは一番大きな木の陰で寝ている(1枚目の写真)。ほとんどが砂地の荒れた土地で、ところどころに背の低い木がひょろひょろと生えている。正確に言えば砂漠ではないが、学術用語で言う「超乾燥地帯」であることは間違いない。数100メートル先を1台の国境警備の車が走って行く。その音で目が覚めたアメリアは、「助けて!」と叫びながら走り出すが、あまりに遠すぎて気付いてもらえない。その動転ぶりを見たマイクは不安になる。がっかりして戻って来たアメリアに、「どうなってるの?」と訊く。「何も悪いことしてないなら、なぜボクたち隠れてるの?」〔助けて、と叫んだ直後の質問としては変。隠れているなら、助けを呼びには行かない〕。「私たちが悪いことをしたと思われてるからよ」。「そんなのウソだ。おばちゃんは悪い人だ」(2枚目の写真)。「そうじゃないのよ坊っちゃん。私はバカだっただけなの」。そう言うと、アメリアはマイクの頭を抱いてキスする。次のシーンでは、アメリアはぐったりしたデビーを抱き、その後ろをマイクが歩いている。照りつける太陽の下で、車の轍(わだち)に一縷(いちる)の希望をかけた彷徨はどこまでも続く(3枚目の写真)。
  
  
  

しかし、ある場所まで行くと、轍の跡が何重にも交叉し、どちらに進んでいいか分からなくなる。デビーを抱えてハイヒールで砂地を歩くのは大変な重労働だ。そこで、アメリアは、見つけた木の下の影にデビーを横たえると、マイクに、「助けを呼びに行きますから、ここから動かないようにね」と頼む。「一人でいたくないよ」(1枚目の写真)。「お願い、デビーを見ててあげて」。「ボクも行く」。「すぐ戻るわ、約束する。ここにいて。動かないで。いいこと?」。そして、アメリアは離れて行く(2枚目の写真)。アメリアを見送るマイクは半泣き状態だ(3枚目の写真)。これがマイクの最後のカット。この後、アメリアは来た道(轍の跡)を戻る。どのくらい歩いていたか分からないが、疲労困憊してふらふらと歩いていると、捨てられたペットボトルを見つける。そのまま歩き続けていると、国境警備の車が走ってくるのが見える。アメリアは、「助けて!」と叫んで駆けて行く。その目立つ赤い服のお陰で今度は発見される。アメリアは子供たちの救助を必死に訴える。しかし、アメリア自身は不法越境者として逮捕され後ろ手に手錠をかけられる。その後、アメリアは係官と一緒に子供たちを捜すが、似たようなブッシュはどこにでもあり、行方は全く分からない。低空でヘリコプターが飛んで行き、アメリアは連行されるので、その後の捜索はヘリに任された。マイクの登場しないアメリアの6回目の登場場面。国境検問所のオフィスか? アメリアは係官から、「2人の子供が見つかったのは奇跡だった」と伝えられ、「子供たちを砂漠に置き去りにするなど信じられん」と非難される。そして、「2人は元気ですか?」と尋ねても、「君には関係のないことだ」と厳しい返事。アメリアは、16年間アメリカに住んできた、2人の子供は生まれた時からお世話して自分の子供のようだと言うが、一切考慮されない。代わりに言われたことは、違法労働。そして、即座の国外退去。アメリアは個人の所有物が残っていると訴えるが、「事前に考慮すべきだったな」で終わり。最後のシーンは、着のみ着のままで送還されたアメリアが息子と抱き合う場面。トランプ政権下でのメキシコ人の強制送還は当時よりずっと厳しくなっている。アメリアは明らかな罪を犯したため、16年の違法労働とは無関係に送還されたが、現在では不法滞在者の全員が送還の対象になっている。
  
  
  

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