トップページに戻る
  少年リスト   映画リスト(邦題順)   映画リスト(国別・原題)  映画リスト(年代順)

Babycall チャイルドコール/呼声

ノルウェー映画 (2011)

ヴェットレ・クヴェニル・ワーリン(Vetle Qvenild Werring)が主人公の母子、トルキル・フ(Torkil Høeg)がチャイルドコールから聞こえて来るもう1人の子を演じたオカルト的サスペンス映画。2人の発音標記は間違っている可能性がある(QvenildとHøegの部分)。ノルウェー語ではフランス語のように最後のdやgは発音しないが、その前の部分がよく分からない。この映画は、父親の虐待を受けて、秘密の場所で新たな生活を始めた母子に降りかかる奇妙な体験がスタートになっている。赤ちゃんの様子を別室で確認できるベビーモニターから聞こえる児童虐待の声。それは、虐待を経験した母にとっては耐え難いもので、それが自室から50メートル以内のどこかから発信・混線していると聞き、発信源を探る中で、異様な体験に遭遇し、精神的に追い詰められていく。最後になって、意外な事実が判明するが、その「意外度」はかなりのもの。しかし、残念ながら合理性はゼロ。破綻している。ここでは、あくまで子役に注目していきたい。

映画の概略をざっと述べる。父親の暴力から逃れて郊外のアパートに引っ越してきた母子。母は警戒心が強く、一人息子のアンデッシュへの偏愛も際立っている。子供部屋で寝たがるのをやめさせ、強制的に自分のベッドに連れて来るほどだ。保護司の強い意見で自宅学習を断念し、仕方なく小学校に転入させるが、心配でなかなか校庭から離れられない。追い払われるようにバスに乗り、最初に降りたスーパーでベビーモニターを買う。その時、対応に出た店員が最後までキーとなる人物。ベビーモニターを買ったので、アンデッシュを子供部屋で寝せるが。翌日、アンデッシュを学校に送り、アパートに戻ると、母子連れが森の中へと歩いて行く。後をつけていくと、森の中に美しい湖がある。湖畔で楽しそうに語らう2人を、母は羨ましそうに見る。その夜、モニターから子供の悲鳴が聞こえ、母は子供部屋に駆けつける。しかし、何事もない。母が店員に相談に行くと、近くの同種のモニターの音声を拾っていると説明される。つまり、自室の半径50メートル以内で虐待されている別の子供がいるのだ。翌日、母が学校に迎えに行くと、アンデッシュは友達と一緒にいた。偶然、同じアパートに住んでいる子だ。その子を自室に連れてくるが、友達はいつの間にか消え、アンデッシュの態度も異常だ。逃げるアンデッシュを追って、地下の駐車場に行った母は、そこで死体らしきものの入った寝袋を担いで車に載せる男を見る。あの中に入っているのは、モニターから聞こえてきた子供なのか? ある日、アンデッシュは母と一緒に湖に行きたがる。しかし、以前と同じ道を辿った先にあったのは、湖ではなく駐車場だった。帰った母をアパートで待っていたのは、母に異常な興味を示し始めた保護司。彼から身を守るため、親しくなった店員を夕食に呼ぶ母。店員が夜夕食に訪れると、ドアのベルが鳴る。保護司だと思い隠れる母。店員がドアを開けると、そこには誰もいず、ドアを閉めるとそこに1人の少年が立っていた。その子は、以前、アンデッシュが連れて来た友達だ。いつの間にアパートに入り込んだのかは不明だが、店員はアンデッシュだと思い込む。その子は、自分はママに叱られると言い、腕や腹にある暴行による内出血の跡を見せる。アンデッシュの母を誤解した店員は立ち去る。一方、母は、ベビーモニターのある部屋を発見、そこから出て行く母親を追跡して行くと、再び湖に出て、そこで湖に溺れさせられる少年を目の当たりに見る。助けようと湖に入って行く母。しかし、気がつくと病院にいて、駐車場で癲癇発作を起こしていたと言われる。しかし、なぜか着ていた服は濡れていた。そのまま学校に迎えに行くと、アンデッシュの体に家庭内暴力の傷があるので、会わせないと言われる。教師を騙してアンデッシュをアパートに連れ帰る母。服を脱がせ内出血を見て、「すごく痛むんでしょ?」と訊くと「痛くない。僕のじゃないから」という不可思議な返事。そこに訪れる、強引な保護司。父親が直に来るからドアを開けろと強要する。ちょうどそこに、ベビーモニターの件で真相を知ってアパートにやって来た店員が、建物の玄関の電気錠を開けてもらおうとブザーを鳴らす。そのブザーを、父親が鳴らしたと勘違いした母は、父親の入室を阻止したい一心で、保護司をハサミで刺し殺す。何とか建物内に入った店員は、アパートのドアをノックする。父親ではなく、店員が来たと分かったにもかかわらず、母は、アンデッシュに「私たちは一緒よ。これからずっと一緒」と言い、子供を抱いたまま窓から投身自殺する。しかし、飛び降りるのを見た店員が下まで降りて行くと、そこには母の死体しかない…。下のあらすじでは、いわゆる「ネタバレ」を交えて記述するため、この部分の解説は、逆に映画を観ているように、「ネタバレ」なしで淡々と書き、結末は敢えてカットした。

ヴェットレ・クヴェニル・ワーリンは、出演時10歳程度。少しぽっちゃりした、割と可愛い男の子。トルキル・フの方は、虐待を受けている子供らしい感じのする、ごく普通の男の子。この映画の主役は母であり、2人の子供は、ストーリー上は重要な役だが、配役という点から見れば誰がやっても構わない(演技力はそれほど必要としない)。


あらすじ

以下のあらすじは、上記の「概略」と対比しながら読んでいただきたい。映画の冒頭、アパートから飛び降りて絶命した母に向かって、店員が「アナ」と声をかけ、さらに、「アンデッシュはどこだ?」と訊く短いシーンが挿入される。その次は、タクシーの後部座席左側に黙って座る母が映される。アパートに着き、タクシーが動き始めた時の写真が1枚目、タクシーが去った後が2枚目の写真だ。ヨーロッパは右ハンドルなので、タクシーは右側から降りる。アンデッシュは、後部座席右側に乗っていたはずなので、母より先に右側から出ている。しかし、1枚目の写真では、母はタクシーの後部にいる。ひょっとしたら、左側に座っていたので、異例だが、左から出たのかもしれない。あるいは、荷物をトランクに入れていたのかもしれない。しかし、何れにせよ、アンデッシュが、タクシーが去った後、さらに右側にいるのはあり得ない。何度も言うが、右側から降りるのが右ハンドル社会の場合の鉄則なので、写真正面から見て、母より右にいるはずはない。つまり、映画の冒頭から、アパートに着いたのは母1人で、アンデッシュは母の幻想の存在で、実在していないことが強く示唆されている。このことに、最初から気付く人はいないとは思うが…
  
  

アパートに入った2人。アンデッシュは子供部屋を見つけると、そこにあった2段ベッドをさっそく自分のものにするが(1枚目の写真)、母はそれを許さず自分のベッドに連れて行く。片時も手放したくないのだ。2枚目の写真は、「牛乳飲みたい?」とアンデッシュに訊いているところ。しかし、アンデッシュは2年前に父親に殺されていた。母は、父親が息子の頭を水に沈めて殺そうとしたので、警察を介して2人でここに逃げて来たと思い込んでいるが、それは、「息子の殺害」という悲惨な現実から逃避するために作り上げた物語の世界。例えば、アパートに入ってすぐに、児童保護司2人が訪れるが、これも架空の存在。ただし、アンデッシュについては、母の意識と関係なく自立的に行動するシーンが数ヶ所あるので、すべてを母の幻想と片づけると説明がつかなくなる。虐殺されたアンデッシュの魂のような存在が母の心をコントロールしているのかもしれない。
  
  

母は、息子をアパートから出したくないので、保護司に対し自宅学習を要請するが、学校に行き、普通の生活を送らせるべきとの強い指導を受け、翌朝、いやいや学校まで連れて行く(1枚目の写真)。しかし、心配でたまらないので、アパートに帰らず、校庭でじっと待っていたため、帰宅するよう教師に注意される。それでも、学校の前のバス停で待っていたことから、見かねた教師が強く警告しようとやって来る。それを見た母は、ちょうど来たバスに慌てて乗り込む(2枚目の写真)。3枚目の写真は、母がバスを降りて、スーパーでベビーモニターを買うシーン。学校に連れて行き、転校手続きをするのは、母の幻想。現実には、母は1人で学校に行き、校庭に座っていた。そして、不審人物が校内に入り込んでいるということで、教師から追い払われてバスに乗る。スーパーでモニターを買うシーンはすべて現実。母と一緒に映っている店員のヘルゲは重要な存在だが、彼の出てくるシーンは、基本的にすべて現実。結局、アンデッシュの出てくる場面はすべて幻想。出て来ない場面はすべて現実だと考えるのが一番判り早い。
  
  
  

学校が無事終了し、アンデッシュがアパートに戻り、夕食を食べずに、絵を描くのに熱中している。「それって わが家?」。「うん」。「湖を描いてね。どんな場所に住んでるか先生に分かるように」。「どこにあるの?」。「森の反対側よ。暖かくなったら行きましょうね」。「約束だよ」(1枚目の写真)。その後、母は、買ってきたベビーモニターを、トランシーバーのように使って、アンデッシュに話しかける。トランシーバーみたいに使えるので(ただし、一方通行)、さっそく「ママ」と話してみるアンデッシュ(2枚目の写真)。母は、息子を最初の希望通り、子供部屋に寝かせると、モニターをアンデッシュの枕元に置き、「触っちゃダメよ。これがあれば、眠ってるのが、ママの部屋で分かるから」と説明する(3枚目の写真)。「ここで寝ないの?」。「いいえ、ママは自分の部屋で寝るのよ」。そして、最後に、「知ってるでしょ。ママが愛してること。あなたなしでは生きられないの」。すべてが架空の出来事だが、いくつも重要な伏線が提示されている。第1は、アンデッシュが描いているアパートの側面図。これは、色々な場面で登場する。実際に存在するので、描いたのは母しかいない(「魂のような存在」のアンデッシュに示唆されて描いたのかもしれないが)。第2は湖。母は、このアパートに転居してきたばかりなので、「森の反対側」に湖のあることなど知るよしもない。湖は、幸せだった時代の、母とアンデッシュの想い出のシンボル的存在なのだ。第3はモニターの初使用。この時は何も起きないが、モニターを買ったこと自体は数少ない「現実」なのだ。
  
  
  

翌日、アンデッシュを学校に送って行った後(1枚目の写真)、アパートの前まで戻って来た母は、森の方へと向かう母子連れを見る(2枚目の写真)。後を追って森へ入って行く母。森を抜けると右手に小屋があり、正面にきれいな小さな湖が見える(3枚目の写真)。小屋の前のベンチに座り、湖畔で楽しそうに語り合う母子を遠望する母(4枚目の写真)。2枚目の写真は、アパートの前の現実風景だが、3・4枚目の写真は母の幻想上の風景、以前、別の場所で幼かった頃の息子と過ごした想い出の場所なのだろう。3枚目の写真と、6つ先のあらすじの2枚目の写真を対比してもらいたい。母の位置、その先の太い木の幹、右下の岩と右端の小屋、すべてが同じだが、その先に映っているものは全く異なる。現実の世界では、この場所には湖などなく、駐車場しか存在しない。そして、4枚目の写真。これと最後のあらすじの2枚目の写真を対比してもらいたい。遠景かクローズアップかは別として、両者は同じである。ただ、着ている服は、現実の母子連れが着ていた紺の服と、想い出の中の赤い服とは違っている。
  
  
  
  

恐らくその日の夜、母が寝ていると、突然モニターから子供の悲鳴が聞こる。「ダメ! イヤだよ!」。「黙れ! 来るんだ、くそったれ!」。「ダメ、お願い! 放して! イヤだよ! 放して!やめて!」。父親に殴られる音も聞こえる。とっさにアンデッシュの寝室に走る母。しかし、息子は何事もなく寝ている(1枚目の写真)。モニターを持ったまま遅くまで起きていた母は、寝過ごしてしまい、起きるとアンデッシュが自分で朝食を作っている(2枚目の写真)。息子を学校まで連れて行ったものの、そのまま一緒に引き返そうとする母。「どうしたの? 学校行かないと」。「今日は、おウチで勉強しましょ」。アンデッシュが自宅学習をしていると(3枚目の写真)、ドアがノックされ、保護司の2人が部屋に入って来る。「なぜ 学校を休ませた?」。「具合が悪くて」。子供部屋をチェックした男性が、「なぜ、子供部屋で寝かせない?」。そして、男性職員は、親権が再検討される可能性を示唆する。母は、アンデッシュを学校へ送った後、スーパーに寄り、先日対応した店員のヘルゲに、「訳の分からない声が聞こえるの。息子の部屋からの音声じゃなかった」と苦情を言う。ヘルゲは、別の同種のモニターの音が入り込んせいだと詫びる。アパートに戻った母がモニターのスイッチを入れると、今度はすすり泣きに続いて、「何てことしたのよ!」という母親らしき声が聞こえる。モニターの解説書を取り出し、有効距離50メートルという記載を見て、アンデッシュの描いたアパートの絵を手に、どの辺りまでが声の発信源かを歩数で調べる母(4枚目の写真)。モニターから聞こえる悲鳴は現実。その後の、アンデッシュの登場場面と保護司のシーンは幻想。しかし、スーパーでヘルゲと会い、その後、アパートに戻って聞いたモニターの声は現実。自分で描いた絵を持って捜し廻る部分も現実だ。
  
  
  
  

その日、母が学校へ息子を迎えに行くと、アンデッシュは自分と同じ背丈の男の子と一緒に出てくる(1枚目の写真)。そして、「一緒に家に来るよ。友達なんだ」と母に話す。「今日は。私はアナよ。あなたは?」。返事がない。「ご両親に話さないと」。「家に いないって」。友達という割には、奇妙に黙って歩き続ける2人。アパートに戻り、子供部屋にいる友達の子に、「何か食べる? パンケーキ作りましょうか?」。その言葉に、友達の子は立ち上がると、母のそばに寄って来て、手に優しく触れる(2枚目の写真)。アンデッシュのシーンはすべて幻想だが、問題は、もう1人の少年。こちらは幻想ではなく、一種の幽霊だ。昨夜モニターから聞こえてきたのは、この少年の悲鳴。そして、そのまま殺されてしまった。生きていないのに、現れたので幽霊と標記する。ならば、どうしてアンデッシュも幽霊でないのか? それは、後述するように、現実の存在であるヘルゲの目にアンデッシュは見えないが、もう1人の少年は見えるという違いによる。幽霊が「見える」というのも非現実的だが、多くの映画で幽霊は見える存在として描かれているので、そのレベルで「見える」のだ。それ対し、アンデッシュは「魂のような存在」で、幽霊と違って、その影響は母にのみ限定される。なお、もう1人の少年が幽霊として登場した理由は、父親に殺害され森に放置されたことに救いを求めて(自分の死体を発見してもらい、ちゃんと葬儀をしてもらい、両親を罰してもらうために)、母の元に現れたと思われる。だから、母の手に触れることには、救いを求める懇願の意味がある。
  
  

キッチンで、母が アパートの絵に、「ここに住んでる(Hår bor vi)」と書き込んでいる。この書き込みで、母が7階に住んでいることが分かる。50メートルの有効範囲は、アパートの棟全体をカバーしている。捜すのは容易でない。その時、子供部屋のドアが開く音が聞こえる。母は、2人が出て行こうとしていると思い、「アンデッシュ、外に出ちゃダメよ」と子供部屋に入るが、そこには誰もいない。そして、玄関ドアには、内側からドア・チェーンが掛かっている(外に出た可能性はゼロ)。母が振り返ると、アンデッシュはキッチンの中にいて、アパートの絵を手に持っている(1枚目の写真)。「どこにいたの?」「お友達はどこ?」の問いには答えず、「メチェメチャにしたね」と非難する。「何を?」。「絵だよ」。「消しゴムで消えるわ」。「血は消えないよ」。アンデッシュの持っていた紙を取り上げると、アパートの下に人間が横たわり、そこに血が塗られている(2枚目の写真)。「ママじゃないわ。お友達じゃないの?」。「そんなことない」。アンデッシュはドア・チェーンを外して廊下に出て行ってしまう。必死で後を追う母。地下の駐車場まで追って行く。そこで車の陰にいた息子を発見するが、その時 音がして、男が、死体の入ったような青い寝袋を車に積み込むのを目撃する(3枚目の写真)。この場面、さっきまでいた「幽霊」はいない。アンデッシュが手渡す 「死体と血の加わった絵」 は誰が描き加えたのか? しかも、死体と血は将来の母の姿を先見したものだ。可能性としては、「魂としての存在」であるアンデッシュが、母に示唆して絵を描かせた、としか考えられない。幽霊が絵を描けるとしても、他人の母の死を予告する必要はないからだ。この後、アンデッシュが母を地下駐車場に誘導し、そこで友達の死体を運ぶ現実の殺人鬼の姿を見させる。この部分は、母が作り出した幻想ではない。より積極的な力が働いている。「魂としての存在」であるアンデッシュが、友人の死体を母に見せるために母を地下駐車場まで走らせたとしか考えられない。しかし、本来なら、「幽霊」である殺された本人がアンデッシュと同行する形で母を誘導すべきであろう。
  
  
  

母は、翌日、ヘルゲに自分の見たものについて相談に行く。死体については否定されるが、話合っていて心が安らぐ母。しかし、アパートに戻ると、アンデッシュは母がヘルゲと話し合ったことを非難し、自分の部屋に鍵を掛けて閉じ籠もる。鍵があったことを知らなかった母は、「どこで鍵なんか見つけたの?」と訊くが返事はない(1枚目の写真)。母がよく見ると、ベッドの横の壁に父の写真が貼ってある。「なんで、あいつの写真なんか貼ってるの?!」と糾弾する母。「パパだから」。「何されたか覚えてないの?」「あんなことしたんだから、二度と会わないわよ」「今の住所や名前も知らないし」と母は言うが、アンデッシュは「知ってる」と不気味な返事をする。「何を言ってるの?」。「言っちゃダメなんだ」。「いったい何 言ってるの? 誰がダメだって言ったの?」。「あの人」。「誰?」。ここで、母は恐ろしい可能性に思い当たる。「パパと会ったの? どこで?」。「学校。2回来てる」(2枚目の写真)。この部分は、母の恐怖心が生んだ幻想。映画に謎とスリルを出すために挿入されただけのエピソード。
  
  

アンデッシュの恐ろしい告白を受けて、さっそく学校に文句を言いに行く母(1枚目の写真)。学校側は、すぐに保護司に連絡、2人が駆けつける。保護司はアンデッシュが嘘を付いたに違いないと言い、さらに、母自身も現実と空想の区別がつかなくて嘘を言った前例があると指摘する。そして、母親としての資質に疑問があるため、再審を請求したと告げる。さらに、これ以上問題を起こすようならトミー(本名)を里子に出すかもと脅す。学校から帰る途中で、泣いている母に、アンデッシュは「悪気はなかった」と謝り(2枚目の写真)、ヘルゲの勤めるスーパーの喫茶店でお菓子を食べさせてもらう(3枚目の写真)。その時、近くの職場にいたヘルゲは、お客さんに販売するデジカメの調子を見るため、レンズを母に向け、シャッターを押そうとする(4枚目の写真)。しかし、ヘルゲのカメラには、母の姿しか映っていない。学校へ抗議に言ったのも、そこで保護司からひどい言葉を浴びせられるのも、母の恐怖心が生み出した幻想の続き。しかし、重要なのは、次のスーパーの喫茶店でのシーン。母の前でお菓子を食べているアンデッシュが、ヘルゲのカメラには映っていない。冒頭での間接的なシーンの持つ意味に気付く人はいなくても、ここまではっきり示されれば、アンデッシュが母の空想上の存在だとはっきり判るはずだ。一方、2つ後のあらすじの1枚目の写真で、殺された少年が、同じ場所に座り、ヘルゲの向けたカメラに映っている。幽霊は映るので、アンデッシュが幽霊とは別の存在だと示唆している。
  
  

アパートの前で、「暖かくなったら湖に行けるって約束したじゃない」と言い出すアンデッシュ。仕方なく、以前、母子連れの後をつけたように、森を抜けて湖へ向かう(1枚目の写真)。しかし、以前と同じ道を辿って行き着いた先にあったものは、湖ではなく駐車場だった(2枚目の写真)。呆然とする母。「ここなの?」。「そう、ここなんだけど…」。「嘘はやめるって言ったのに。嘘ついた! 先生に言いつけるから」(3枚目の写真)。前にも書いたように、映画中盤の衝撃的なシーンだ。アンデッシュの存在は幻想だが、母は、この日 実際にここを歩き、行き先にあったのは湖でなく、駐車場だった。ここが本当に駐車場であることは、2つ先のあらすじで明らかになる。
  
  
  

アンデッシュと部屋に戻ると、玄関のドアが開いている。中にいたのは、保護司の男。相棒だった女性は辞め、今の担当は自分一人だと言い、付き合わないと不利に計らうと脅す。そして、今夜また来ると言って出て行く。さっそくスーパーに出向いた母は、ヘルゲを、7時に夕食に来てくれと招待する。保護司の男に対する防衛策だ。母が帰った後、先日 母を撮影しようとしてシャッターが下りなかったので、同僚になぜかと訊く。「まずISO(感度)をセットし、それからAUTO(全自動)にするんだ」。さっそく、先回と同じ場所にカメラを向ける。今度はそこに少年が1人いた(1枚目の写真)。ポーズをとる少年。この少年こそ、「殺されて埋められた少年」だった。夜になり、ヘルゲはアパートを訪れる。夕食を一緒にとるが、アンデッシュは気分が悪くて寝ているので会えない。食事が終わった頃、ドアのペルが鳴る。てっきり保護司が来たと思った母は、ヘルゲに出てくれと頼んで寝室に隠れる。しかし、ヘルゲがドアを開けても廊下には誰もいない。ドアを閉めて振り返ると、そこにいたのは殺された少年だった(2枚目の写真)。ヘルゲは、当然、この少年がアンデッシュだと思い込む。「君は、アンデッシュだね? 僕はヘルゲ。誰がベル鳴らしたか知ってる?」。「僕だよ」。「あのね、君にプレゼントがある」。「知らない人からプレゼントはもらえないんだ」。「分かるよ。だけど、僕は君のママを知ってるから、見ず知らずって訳じゃない」。「言うことを聞かないと、叱られる」。「これは大丈夫。それに、ママはとても優しいから」。「おじさんのお母さんと同じことするんだよ」。「どういう意味だ? 母さんの何を知ってる?」。「僕たち、ツーカーの仲じゃない」。そういうと、男の子は腕をまくり、青アザを見せる。痛々しい内出血の跡は腹部にもある(3枚目の写真)。「黙っててよ。もっとひどくされるから」。そして、少年は子供部屋に入って行った。アンデッシュの母に対して不信感を抱いたヘルゲは、子供部屋に入ることを拒否されると、「母=虐待魔」と勘違いし、黙って出て行く。さて、最初の保護司だが、実はトイ レの修理に来ていた管理人。そこにいたことは現実だが、会話のすべてが母の幻想。一方。スーパーで、カメラの前になぜ殺された子供が現われたのかは全く不明。ただ、幽霊がヘルゲの目に見えたことは確認できる。アパートでの夕食後のシーンが一番不可解。まず、ノックではベルが鳴ったのは、幽霊は物理的に叩くことは無理でも、電気的な信号を操作してベルなら鳴らせたということか? 中に入った幽霊がヘルゲに「おじさんのお母さんと同じことするんだよ」「僕たち、ツーカーの仲じゃない」という奇妙なことを言う。実は、あらすじでは避けてきたが、ヘルゲの母は入院中で死期が迫っている。しかし、ヘルゲの態度からは、母親から少年期に虐待を受けたと思わせるような素振りは全く感じられない。そこへきての、いきなりのこの発言。ヘルゲにこのような来歴を負わせる必要があるのだろうか? それに、そもそもヘルゲになぜ幽霊が見え、会話もできるのだろうか?
  
  
  

母が、ヘルゲを呼び戻そうと窓から下を見ると、先日、地下駐車場で死体らしきものを担いでいた男がちょうどアパートに入っていくのが見えた。急いで、階段室まで行くと、男は5階に入って行った。一方、子供部屋。母が安否確認で覗いた直後、幽霊少年が現れてアンデッシュのベッドに腰掛ける。そして、腕の青アザを見せる。アンデッシュ:「痛い?」(1枚目の写真)。幽霊:「助け合わないと」。アンデッシュ:「それがいい」。病院ではヘルゲの母が尊厳死を迎える。アパートでは、モニターから掃除機をかける音が聞こえ、母は部屋を特定することに成功。陰に隠れて部屋から母親が出てくるのを待ち、後をつける。彼女が向かったのは、これで3度目となる森への小径。そして、行く手に現れたのは再び湖。前回 母子が休んでいた湖畔から現れたのは、少年を溺れさせようとする凶暴な父親(2枚目の写真)。少年が着ている服は、幽霊少年と同じ。少年は体ごと湖に沈められ、浮き上がってこなかった。母は、男がいなくなると湖に入って行き、必死になって少年を助けようとする。そして、気がつくとそこは病院。担当の女医から、「なぜ、ここにいるか分かりますか? あなたは、説明のつけようがない状況下で、駐車場で発見されたのです。癲癇の一種だと思われますが、これまでにそういった経験はありますか?」と訊かれる(3枚目の写真)。しかし、駐車場にいただけなのに、着ていた服を、「濡れていましたから」とポリ袋に入れて返却される。殺人男性の部屋を特定するシーンはすべて現実。しかし、問題は、アンデッシュと幽霊少年との会話。もし、単にアンデッシュの挿話すべてが母の幻想だとしたら、母とは無関係な場での2人の少年だけの会話など存在しない。従って、この場面から、アンデッシュが「母の頭の中で作られた幻」ではなく、「魂のような存在」だという可能性が派生する。3番目の湖のシーン。恐らくこの場面は、幽霊と協力したアンデッシュによって操作された母の幻想だろう。だから、幻の湖の中で幽霊少年が殺される。そして、湖が存在しないことは、病院のシーン(現実)で、母が発作を起こした場所が駐車場だったことから確認できる。
  
  
  

母は、そのまま学校に向かうが、学校では息子に会わせてくれない。理由は、家庭内暴力の可能性があるから。それでも、学校側の隙をついて、息子を取り戻した母。アパートに連れ帰ると、早速上半身を裸にする(1枚目の写真)。体のあちこちに残る内出血の跡。「ひどい! 何があったの? 誰がやったの? パパに会った? パパにやられたの? すごく痛むんでしょ?」。「痛くない。僕のじゃないから」(2枚目の写真)。「何言ってるの? あなたの体じゃないの」。無言で子供部屋に入ってしまうアンデッシュ。学校の部分は、100%母の幻想。後半は、アンデッシュと幽霊の協力の結果であろう。アンデッシュの体についた傷は、幽霊少年の傷のコピーだ。だから、「痛くない」という表現がされている。ただし、このシーンがなぜ必要なのかが分からない。この部分を飛ばしても、次のシーンにスムーズに移行できるからだ。
  
  

スーパーのヘルゲの元に、1人の男性が訪れ、母が購入したのと同じモニターで、混信が発生すとの苦情が寄せられる。少年殺しの父親だ。ヘルゲが、「原因は、他のモニターとの混信でしょう」と答えると、「てことは、ウチのも他人に筒抜けだったのか?」と訊き、「あり得ます」の返事にモニターを投げ捨てて出て行く男。ヘルゲは、以前、アンデッシュの母から訊いた話、虐待や死体の話が頭の中で蘇る。そして、心配になってアパートへ向かうのだが、その前に男の保護司が部屋にやって来て、父親がアンデッシュを引き取りに来ると告げる。そして、建物の玄関の電気錠を開けてもらうための、インターホンのブザーが鳴る。電気錠が開けば、父親が上がってきて、アンデッシュをさらって行く。実はブザーを鳴らしたのはヘルゲだったのだが、母はそれには気付かない。切羽詰った母は、インターホンで話している保護司をハサミで数回刺して殺す。そして、アンデッシュに、「着替えて、ここを出るから」と声をかける。しかし、何とか建物に入ったヘルゲが、部屋のドアを叩き始めると、それが父親ではなくヘルゲだと分かっても、何故か母はアンデッシュの部屋に行き、「私たちは一緒よ。これからずっと一緒。約束したように」と言うと(1枚目の写真)、窓を大きく開け、アンデッシュを抱いて窓枠に腰掛ける(2枚目の写真)。そして、ヘルゲが子供部屋に入ると同時に飛び降りてしまう(3枚目の写真)。スーパーでの出来事は現実。保護司は前と同じ管理人。従って、母は何の罪もない管理人を刺し殺したことになる。そこから自殺までは、母の一人舞台。だから、窓枠に座っていたのは母1人だし、現に3枚目の写真には母1人しか映っていない。
  
  
  

以後は、事後談。1枚目は7階から地面に落ちて即死した母。映画の冒頭シーンは、この直後のクローズアップだ。ヘルゲは、女性警官から事情を教えられる。「彼女は、一人で暮らしていました。息子さんは2年前に殺害されました。前の夫は2人に暴行を働き、少年の殺害後に自殺しました」(2枚目の写真)。本来ならば、映画を観ていて一番驚く場面。
  
  

誰もいなくなったアパートで。アンデッシュ:「誰かに助けてもらわないと」。幽霊少年:「誰も助けられない」。アンデッシュは、アパートの絵を渡して、「さあこれ。誰かが君を見つけたら、良くなるよ。ゆっくり眠れるから」と慰める(1・2枚目の写真)。この「会話」は自殺後しばらくして2人の間で交わされたもの。最後にアパートを訪れたヘルゲは、ドアの裏に貼られた1枚の絵に目を留める。以前と同じ絵なのだが、一番右端に森の中の小径沿いに十字架と子供の死骸のようなものが描き加えられていた(3枚目の写真)。夜だったが、地図の辺りを捜し、浅く埋められていた青い寝袋内に幽霊少年の遺体を発見する(4枚目の写真)。かくして、遺体は発見により、少年は幽霊として出没などしなくても、穏やかな眠りにつくことができた。しかし、母が自殺した後も、消えずにそのまま残っている「魂のような存在」としてのアンデッシュは、今後どうなるのであろう?
  
  
  
  

アンデッシュの母の遺体が安置された霊室で、ヘルゲが語るかける。「かつて、小さな少年と母親がいました。2人は、新天地に移ってきました。何も持たず、頼れるのはお互いだけ。ある日2人は、住んでいる場所の近くにある森に出かけました。そこで道に迷った2人の目に、木々の間から突然飛び込んできた光るものは、湖でした」。そして、湖畔に腰を降ろした母子が慈しみあう姿(1枚目の写真)が映され、最後に引いた画面で湖畔に佇む2人の姿が映される。アンデッシュの「魂のような存在」が、美しい幻想上の湖畔で、母の魂と共に平安を迎えることが言いたかったのか? ヘルゲは、湖については一切知らないはずなので、なぜヘルゲの独白で終わるかが分からない。同じ独白を、第三者にさせた方が説得力があったのではないか? 以上、元々 不条理な映画に 無理矢理 解説を加えてみました。
  
  

  V の先頭に戻る    の先頭に戻る            の先頭に戻る
  ノルウェー の先頭に戻る                  2010年代前半 の先頭に戻る

ページの先頭へ