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Deutschstunde 国語の時間/ドイツ式教育法

ドイツ映画 (2019)

原作について、『明治大学人文科学研究所紀要』(vol.85、2019)の「ジークフリート・レンツの『国語の時間』」(p.1-18)には、以下のように書かれている。「1968年に、ジークフリート・レンツの『国語の時間』は出版された。この小説はナチ時代における権力と芸術のあいだの葛藤をテーマとしている。第三帝国の最北の地を舞台にして、ひとりの画家が国から命ぜられた絵画制作の禁止を守っているかを狂信的な義務感から監視し続ける警察官が登場する。その画家のモデルとなっているのが、エミール・ノルデ(Emil Nolde、1867-1956)である。レンツはナチ時代における芸術と権力の対立をテーマとする小説を書くために、実在のドイツ人画家の生と芸術を素材にしたのだった。学生運動の嵐が吹き荒れた1968年のドイツで、反権力や復古的体制の拒絶の風潮にも後押しされて『国語の時間』は驚異的なベストセラーとなり、それ以降現在まで、若者世代の課題図書として幾世代にもわたって読み継がれてきた。また、この小説は 24 以上もの言語に翻訳・出版され、戦後作家レンツは国際的にも認知される人気作家となった」。この原作を、半世紀後になって初めて映画化したのが、この作品。テーマは、「狂った時代における無検証かつ盲目的な義務遂行の恐怖」。ドイツ最北端の島の寒村で生まれた11歳のジギは、強権的な警官の父による支配という抑圧的な環境で育った無口で従順な少年。唯一の救いは、父の昔の親友で、生まれた時に名付け親になってくれた画家のナンセンの存在。2人の間には、ジギと父との関係(一方的な命令)とは違う心の交流があったが、それは、ナンセンの絵がナチにより退廃芸術と位置付けられて一変してしまう。父イェンスはナンセンの監視を始め、それとともに、ジギを監視の手先として利用したり、2人の関係に疑問を持つと 付き合いを禁じたりする。ナンセンの絵が没収されると、ジギは、没収を免れた絵や、没収後に描かれた絵を守ろうと必死になる。こうした善意の行動は、戦争の激化に伴う父の偏執度の高まりにより拍車がかかり、ドイツの敗戦後、父が長期の収監から帰宅した後も 以前と変わらぬ姿勢を見せた時、ジギ自体を変えてしまう。病的なまでに “ナンセンの絵の守り手” となったジギは、各所から盗んで隠すようになり、逮捕され、矯正施設に入れられる。その施設の国語の時間で、ジギが「義務の喜び」について書くよう命じられた時、“義務に従うことの恐ろしさ” しか知らなかったジギには、何も書くことができなかった。ジギは、罰として エッセーを書くよう命じられ、自分の辛かった少年時代について綴り始める。原作が発表されたのは、既に述べたように1968年。ドイツには「68年世代」という言葉がある。季刊『現代の理論』(第16号)の、「ドイツ『68年世代』の50年をめぐって」には、このような文がある。「元々ドイツ人は英国やフランスの国民に比べて、歴史的に権威に弱い国民だと見られ、ナチスの体制に国民が順応したのも、この国民性が大きく寄与していると言われた。『68年世代』は、彼らの家における家父長制が権威主義そのものであり、父親たちはその中で育ったから、ナチスの共鳴者になったのだと批判した。だから、自分たちの生活の中にある権威的な構造と人間関係に敏感になり、徹底的に批判し、排除しようとした」。まさに、『国語の時間』のテーマそのものだ。だから、レンツの原作はヒットした。しかし、なぜ今なのだろう? この映画は、最近でも綿々と作られ続けている “ナチ物” の映画ではない。映画の役割は、極論を言えば、啓蒙と娯楽に二分されるかもしれない。啓蒙の1つの表現が、過去を振り返り、そこにある何かを忘れないように次世代に伝えるというものだとすれば、“ナチ物” が多いのはそのためであろう。ここで、もう一度、しかしと言いたい。“義務” にひたすら従うことにしか生きがいを見出せない哀れな初老の男と、最近になって評価が割れ初めた “ナチから迫害を受けた著名画家” との相克を、2019年に映画化する必要がどこにあるのだろう? 映像は確かに美しい。バイエルン映画賞で最優秀撮影賞を受けただけのことはある。しかし、逆に、受賞したのはこの賞のみ。IMDbは7.0で悪くはないが、興行収入は日本円で僅か1億円余り。いつも参考にする「Variety」「The Hollywood Reporter」「The New York Times」なども、全くreviewを書いていない。映画の興行的失敗は、①時代が望んでいない、②あらすじの中で言及するように、脚本のミスのため戦後の描き方に矛盾が生じた、③全体に暗過ぎて救いがない、の3点によるものであろう。原作出版時とは時代が違うので、もっと②と③を工夫して欲しかった。なお、邦題は、『国語の時間』だけでは内容を反映しないと考えたので、「ドイツ式教育法」を副題として添えた。戦争が終わり数年してからも、ジギが送り込まれた矯正施設では「義務の喜び」が教育のテーマになっている。愚かなイェンスが取り憑かれたように従った “義務” が、未だに “喜び” として賞賛されている。これを、ドイツ式の教育に対する “皮肉” だと受け取り、副題とした。また、美しい映像の大半は、映画の舞台となるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州ではなく、その北側のデンマークで撮影された。Berliner Morgenpostの「『国語の時間』では、ドイツ北部の場所を見つけるのが難しい」という記事には、「ドイツのワッデン海沿岸では射撃ができない」と、その理由が書かれている。映像は、内容もだが 実質的にも暗かったため、あらすじの写真は、photoshopでかなり明るく加工した。最後に、英語字幕は全くのでらためだったため、訳出に当たってはドイツ語字幕を使用した。

1945年.敗戦直前のドイツが舞台。場所は、デンマーク国境に近いズルト島にある寒村。11歳のジギの父イェンスは、村で1人だけの警官。当時のドイツの父親像に似て、専横で子供の人権は100%無視。そんなイェンスが、昔は友人だった画家のナンセンに中央政府から来た手紙を渡す。そこには、ナンセンの表現主義的な絵が退廃的と判断されたので、画家としての活動を禁止すると書かれていた。イェンスは、警官として、その命令が着実に守られているかどうか監視する義務を負ったと思い込む。2人の関係は、ナンセンの誕生会の時 破局を迎える。会の最中に新たな手紙が届き、そこには、ナンセンの最近5年間の全作品が明日没収されると書かれてあったからだ。それを知ったナンセンは、内容を知っていて素知らぬ顔で出席したイェンスを責め、2人は決裂する。翌日、絵が没収される時、ジギは、最後に描かれた絵をこっそり奪うと、隠れ家の廃屋に持って行って飾る。その後も、何かあるごとに、ジギはナンセンの絵を救い、廃屋に飾る絵は増えていく。その間、従軍していた兄が、戦争が嫌になり脱走するが、家には戻れないので砂丘に隠れ、戦闘機の機銃掃射で重傷を負う場面がある。ジギの知らせを受けたイェンスは、義務を遂行するため、脱走兵がどうなるか知りつつ、通報する。問題は、ナンセンの指導を受けてジギが絵を描いたことから始まった。ナンセンは、ジギの絵を預かっていたため、イェンスにその絵が見つかったことで、禁止令を破ったかどで逮捕される。しかし、首都で尋問を受けた際、その絵を描いたのはジギだと告げる。結果としてナンセンは釈放され、誤認逮捕をしたイェンスは恥をかき、激怒してジギの “絵を描いた右手” を薪ストーブに押し付けて焼く。ジギの心は、父から完全に離反する。ナンセンの妻が肺炎で死亡した時、それはドイツ降伏の数日前だったが、葬儀の後の食事会の際、イェンスはさらなる問題行動を起こす。葬儀に唯一参列しなかったのは無論だが、イギリス軍が上陸したので、道路の防衛に加わるよう、食事会の男達に命令に来たのだ。この “状況をわきまえない行為” にナンセンは激怒し、イェンスを追い払う。そして、数日後、イェンスはイギリス軍に逮捕される。イェンスは、ジギが青年になった頃、釈放されて戻って来る。しかし、性格は変わっておらず、ナンセンに対する敵意は輪をかけてひどくなっている。そして、自宅にあったナンセンの絵を焼き、ジギが絵を隠しておいた廃屋も、家ごと火を点けて灰にしてしまう。こうした過激な行為を見たジギは、ナンセンの絵を守ろうという使命感にかられ、無意味な絵の盗難をくり返し、逮捕され、更生施設に入れられる。そして、国語の時間に「義務の喜び」という題での作文を命じられたジギは、義務には悲しみしかないと思っているので、白紙の紙を出し、懲罰として「国語のエッセー」を書くよう求められる。ジギは、自分の惨めな少年時代について書き始める。

ジギ役のレヴィ・アイゼンブレター(Levi Eisenblätter)は2006年生まれ。月日は不明。撮影は、2018年3月中旬から5月中旬までの2か月の間に行われたので、恐らく11歳。この映画の前にTVドラマに3回、TV映画に2回、映画に3回出ているが、ドラマ1つを覗き、すべて端役。そういう意味では 映画初主演となる。暗い役なので、表情はほとんど変わらないが、無表情が よく似合っている。

あらすじ

黒板に「義務の喜び〔Die Freuden der Pflicht〕」という言葉が書かれる。カメラが切り替わると、白く簡素な作業衣を着た坊主頭の青年が映る。後ろに、同じ衣を着た坊主頭の青年達が長机に向かって一生懸命に書いている〔最前列だけ5名、あとは6名×4列〕。この青年だけは、白紙。何も書こうとしない。教壇にいる教師は、「シギ・イェブスン」と声をかける〔正しくはジギ〕。ジギが顔を上げると、「質問は?」と訊く。ジギは首を横に振る。それでも、ジギは何も書かない。右手の “掌底” と呼ばれる部分にある痣〔父の折檻で受けた火傷の痕〕にペンの先を付けると、強く握りしめ、その結果、痣の部分が傷のように真っ黒に染まる。授業が終わり、全員がノートを教師に渡すが、ジギのノートは真っ白。その不真面目な態度に、教師は、部屋を出ようとするジギを呼び止める(1枚目の写真、矢印は何も書かれていないページ)。そして、タイトルが表示される。後で分かるが、ここは、更生施設。原作によれば、金曜日は「秩序の日〔der ordnende Tag〕」とされ、作文を書くことが日課となっている。作文を白紙で提出したジギは、罰として独居房に連れて行かれる。看守は、イスと一体化した小さな机の上に一冊のノート、ペンとインクを置く。部屋にあるのは、他には粗末な簡易ベッドと、剥き出しの便器だけ。洗面台はなく、代わりにバケツが1個置いてある。ジギはイスに座る。ノートの表紙には、「国語のエッセー/ジギ〔Deutsche Aufsätze von Siggi〕」と予め書かれている(2枚目の写真)。これがジギに課された罰で、原作によればジギは数ヶ月かけて、このノートに辛い思い出を綴る。それは、なぜ、ジギが更生施設に入れられるに至ったかを本人に自覚させる意味もあった。過去に戻って行くと、一番に思い出されるのが、懐かしい海の音。そして、抽象化された “負の記憶” としての炎に包まれた大量の絵画(3枚目の写真)〔「炎の幻覚」〕。これは、自分を可愛がってくれた画家、ナチに制作を禁止された画家ナンセンの絵を、大嫌いだった父(命令に従うことに汲々とし、その権力を振り回すだけの地元の警察署長)から守ろうとして、何度も焼かれてしまった暗い過去を象徴する幻覚でもある。
  
  
  

場面は、いきなり過去に戻る。時代は、原作では1943 年、映画では後で1945年と分かる。場所は、ドイツ最北端のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にあるラックブル〔Rugbüll〕という人口百人に満たない寒村。ただし、これは架空の村。デンマークに近い海岸で、映画の中に出てくる海に突き出した水制〔Buhnen〕群をグーグルマップの航空写真で 調べると、東海岸には一切なく、西海岸に集中している。そして、「両側に水制の並んだ細い通路」は、ユトランド半島からズルト島〔Sylt〕に渡る土手道〔長さ6キロ〕しかない。このことから、寒村はズルト島にあると想定できる。調べてみたら、この島の東海岸には、海岸を浸食から守るために19世紀に盛んに樫の木の杭が海岸から海に向かって一直線に数限りなく延びていて〔長さ300mくらい〕、それが島の風物詩にもなっていると書かれてあった。少し脱線したが、その海岸に、初老の男性と防寒服に身を包んだ少年が佇んでいる(1枚目の写真)。男性は、着ている青緑の制服から秩序警察〔Ordnungspolizei〕の警察官で、階級は襟章から署長だと分かる。彼が手に持っているのは、シャコー帽〔Shako〕と呼ばれる制帽で、ナチスの軍帽しか見慣れていない目からすれば、前時代的で物珍しい。2人は親子で、父はイェンス・オーレ・イェプセン。少年は、冒頭に出てきたジギの少年時代。この映画の主人公だ。イェンスは、海岸で画家ナンセンを捜していたのだが、姿が見当たらないので、自転車で海岸線を走り、ナンセンの家に向かう(2枚目の写真)。この映画では、島の大自然が美しく映像に捉えられているが、これもその一枚。ナンセンの自宅は、この島の典型的な藁ぶき屋根の家。2人は門を開けて敷地に入って行く(3枚目の写真) 。
  
  
  

イェンスは、ナンセンの妻に、「マックス〔ナンセンの名〕はいるか?」と訊く。「地溝〔Graben〕の向こう」。それを聞いたイェンスは、「ジギ、来い」と、すぐに地溝に向かう。ナンセン夫人は、「イェンス、首都から何か言ってきたの?」と訊くが、昔馴染みだが警官として “凝り固まった” イェンスは、「地溝に行く」としか答えない。2人は地溝を越えて 海岸に向かう(1枚目の写真、矢印はナンセン)。海岸には、水制が何本も突き出している。非常に特徴的な風景だ。ジギは、走って水制の木の杭列に行くと、カモメの白骨化した死骸を見つける(2枚目の写真、矢印)。一方、イェンスは、濡れた砂浜にイーゼルを立て キャバスに向かって絵を描いているナンセンに向かって真っすぐ歩いて行く。カンバスには、水制の上に舞うカモメが描かれている。イェンスは、ポケットから手紙を取り出すと、「すぐにこれを読め」と言って差し出す(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

自宅のアトリエに戻ったナンセンは、イェンスから渡された手紙を見る。全画面の2%の面積しかない本文を何とか解読すると次のようになる。
 ① 差出日: 1945年2月8日
 ② 宛先: Rugbüll 警察のJens Ole Jepnen
 ③ 指令: この手紙をMax Ludwig Nansenに直接渡すこと
 ④ 内容: 帝国文化院の規則第○条○項に基づき、貴君の信頼度が欠如したと判断し、帝国造形芸術院から除名するとともに、造形芸術の分野における副業も含めたあらゆる職業活動を禁止する。無効となった貴君の会員証は直ちに返却すべし。
 それを読んだナンセンは、「サインが読めないじゃないか」と変な難癖。イェンスは「いっぱいサインしてるからな」と受ける(1枚目の写真)。2人は子供の頃からの親友だった。彼の後ろには、カンバスの絵が映っている。ナンセンは、画家エミール・ノルデを意識したとされている。ノルデはドイツ表現主義を代表する画家で、1927-37年にデンマーク国境近くのゼービュル〔Seebüll〕に自ら設計した住居とアトリエを建て、晩年までそこで過ごした〔架空の場所 Rugbüllと似ている〕。ナチスから制作活動を禁じられたノルデが “描かざる絵〔ungemalte Bilder〕” として知られる水彩画を描いたのに対し、ナンセンは、“見えない絵〔unsichtbare Bilder〕” を描く。こうしたことから、原作の作家ジークフリート・レンツは、ナンセン≒ノルデと考えていたように見える〔『明治大学人文科学研究所紀要』(vol.85、2019)では、2014年に発表された “ノルデとナチの緊密な関係” を指摘した研究論文を受けて、ナンセン≒ノルデの虚像(弾圧された表現主義の芸術家たちの運命)と解釈している〕。解説が長くなったが、2人が話している間、ジギは拾ってきたカモメの死骸に見入っている(2枚目の写真)。「描くのはダメ、売るのはダメ。食べるのも飲むのもダメか? このサインと同じで、何が言いたいのか良く分からんな」(3枚目の写真、矢印は手紙)。矢印の右にナンセンの絵があるが、右の写真のノルデの描いた似たような絵。確かに表現法は似ている 。
  
  
  

次に映るのは、イェンスの家。ナンセンの家と似たような藁ぶきだ(1枚目の写真)。先程の手紙は、ナンセンの活動停止を命じたもので、作品の押収命令ではないが、堅物のイェンスは、自分の家に 反体制芸術家の烙印を押された人物の絵を飾っておくのは良くないと考える。そこで、居間に飾ってあった風景画を外し(2枚目の写真、矢印)、次いで寝室に向かう。そこには、妻をモデルにした絵が飾ってあった。妻はその絵がお気に入りだったので 「それはダメ」と反対するが、夫は 「この絵は病的なんだそうだ」と言うと、「私の絵よ」と抵抗するのを 「邪魔するな!」と叱りつけて 外す(3枚目の写真、矢印)。絵は、取り敢えず イェンスの埃まみれの書斎の隅に置かれた。
  
  
  

それから、どのくらい経過したかは分からない。ある日、ジギが海岸を暇そうに歩いていると、姉が土手道を家に向かって歩いているのに気付く。姉と会うのは久しぶりなので、ジギは走って行き、姉の背中に飛び付く。2人は地面に転がり、ジギは姉にキスする。ジギは姉を連れて家に入ると、ナンセンの絵が消えた居間の壁を見せる。そして、小声で「父さんは、絵は病的だって」と耳打ちする。壁紙には、絵の跡がくっきりと残っているので、相当の年月掛かっていたらしい。そして、薄暗い食堂で4人揃っての昼食。会話は全くない。姉は、そうした雰囲気が嫌いなのか、「干潟に行ってくる」と言って席を立つ。父は、「家に戻るや早々お出けか」と皮肉る。そして、長靴をはいて干潟を歩く姉。干潟に点在する巣からカモメの卵を取っては籠に入れる。そこに、姉と一緒にいたいジギが 「姉さん!」と叫びながら走ってくる。すると、雷鳴が響き渡る。2人が目をやると、黒い雲が時々光るのが見える。「ジギ、帰るわよ」。しかし、ジギは首を横に振ると、黒い雲に向かって走って行き、姉は仕方なくその後を追いかける(1枚目の写真)。ジギが小さ過ぎて分からないほど、大自然を感じさせる映像だ。この愚行の結果として、2人は土砂降りに遭い、一番近いナンセンのアトリエに逃げ込む。幸い、中にはナンセンがいて、タオルでびしょ濡れになった髪を拭いてくれる(2枚目の写真)。アトリエの中央には、布を被せられたイーゼルが置いてある。悪戯心を起こした姉は、ナンセンの許可を取らずに布を外してしまう。描かれていたのは干潟のカモメ。ジギも近寄って行き、絵をじっくり見る。姉:「どんな題なの?」。ナンセン:「当直のユリカモメ」〔飛んでいるカモメはみな軍帽を被り、絵の左下にいる一羽が如何にも当直らしく立って(?)いる〕。それを聞いて、思わず姉が笑う(3枚目の写真)。一方、ジギの顔は険しい。ナンセンの前まで行くと 「描いちゃいけないよ」と批判する。
  
  
  

その時、アトリエの木戸を乱暴に叩く音がして、イェンスが「開けろ!」と怒鳴る。姉は、急いでカンバスに布をかける。ナンセンが扉を開けると、イェンスが顔を見せる(1枚目の写真、背後は滝のような雨と雷光)。イェンスは 「ジギ!」と呼ぶ。雷雨の中、ジギはイェンスの自転車に乗せられ、姉は歩いて家に帰る。乾いた服に着替えたジギに、父は「パンツを下げろ!」と命じる。父は杖を手に持つ。「屈め!」。父の杖が容赦なく裸の尻を叩く(2枚目の写真、ジギは叫ぶと叱られるので、口を無言で開けて痛みをこらえる)。8つ叩かれたところで、ジギは父の顔を見る。「下を向け!」。さらに3発。「何て教えた?」。「雷雨の時は 家にいろ」。「これは、お前のお母さんからの頼みなんだぞ!」。ジギはベッドに丸くなって横になり〔お尻が痛い〕、父はベッドの端に座って話しかける。「お前も役に立つ人間になれ」。さらに、「奴は、仕事をしてたか?」と訊く。返事がないので、「お前に訊いとるんだ。描いとったか?」と返事を求める。「カモメ… カモメを描いた」(3枚目の写真)。「カモメか?」。「そう… みんな父さんみたいだった」。父は 「一緒に働こう。2人に敵う奴などおらん。あいつもだ。お前は私のために働け。お前には便宜を図ってやる」と命じる。
  
  
  

別な日、ジギは、父の命を受けて、ナンセンのアトリエに “偵察” に行かされる。ジギがアトリエに入って行くと、ナンセンは、真っ白なカンバスの前に座っている。そして、「君の父さんは、君がここにいるって知ってるか?」と尋ねる。ジギは、「ううん」と嘘を付く。「絵のどこが危険なんだ。私のどこが危険なんだ」(1枚目の写真)。ナンセンは、ジギを呼び寄せると、両手で腕をつかみ、「一緒に絵を描かないか?」と訊く。ジギは頷く。「誰にも言っちゃダメだぞ」。ジギは首を横に振る。「約束するか?」。頷く。ジギが連れて行かれた先は、誰も住まなくなった藁ぶき屋根の家。ナンセンは、家の全景の描ける場所にイーゼルを立てる。そして、黒のクレヨンを握らせたジギの手を取ると、家の輪郭を描いていく。「これは輪郭だ。色は後で付ける」(2枚目の写真)。ところが、ジギの目は家を向いていて、カンバスを向いていない。そして、「住んでた人は? 死んだの?」と訊く。「違うだろ」。その時、背後で物音がしたので、ハッと振り向く。危険なことをしていると自覚していることがよく分かる。結果は、イタチがいただけ。ナンセンはホッとして笑う。ジギの顔が暗いままなので、「私は、君の父さんには捕まらん。何も描いとらん」と言って安心させる。暗くなってからジギは家に帰る。門の前で待っていた父は、持っていた懐中電灯をジギの顔に向けると、「長いこと 絵描きと一緒にいたな。奴は描いたか?」と訊く。「ううん」(3枚目の写真)。「こんなに、何してた?」。「絵を描いてた」。「絵描きは何してた?」。「教えてくれた」。「何をだ?」。「痛み〔Schmerz〕の描き方」。「奴を見張れ。お前は描くな」。これだけ言うと、父はジギを放っておいて、自分だけ家に入ってしまう。
  
  
  

“誰もいない家” に興味を抱いたジギは、あくる日さっそく家に行き、開いていた窓から中に入る(1枚目の写真)。家は相当長く放置してあったらしい。SSを怖れて急いで逃げ出したか、あるいは、逮捕されたかの可能性が垣間見える〔開けっ放しのワードローブや、床に散乱する砕け散った食器から〕。ジギは、家の中を探検し、あちこちで見つけた死骸を、一番気に入った部屋の床に並べる(2枚目の写真、ネズミ2匹とカエル)。場面は変わり、寒村の住民10名ほどが、草しか変えていない荒れ地を歩いている。妻と一緒に歩いている父は、如何にも嫌そうな顔だ。その2人の10メートルほど前を歩いているのが、ジギと姉。ジギは、「空き家の人たち、どこに行ったの?」と姉に訊く(3枚目の写真)。姉は一瞬考え、「それがどうかしたの?」と訊き返す。答えが知りたいジギは、「どこに行ったの?」と再度訊く。答えを知っていて、弟に嫌な思いをさせたくない姉は、「ここよりずっといい場所よ」と誤魔化す〔反ナチ分子として収容所送りになった?〕
  
  
  

村人が向かっていたのは、ナンセンの家だった。そこでは、ナンセンの誕生会が行われている。招待客を前に、ナンセンは立ち上がって挨拶すると、妻ディットの隣に座っているイェンスに向かって、「私たちは、バカげたことをやったもんだな、イェンス。あの頃は2人とも青二才だった。2人でグッドロン〔イェンスの妻〕に憧れた」と言う。ここで、相手をグッドロンに変え、「私が最高に美しく描いたのに、君は彼を選んだ」と一種の批判〔寝室に飾ってあった絵〕。これを聞いたイェンスは、妻の肩に腕を置くと 反身になる〔すごく生意気な態度〕。「だが、君は、別の能力を持っていた。2人の結婚で、私にとって、とても大切な3人の子供が生まれた。クラース〔ジギの兄〕は 祖国のために戦っている」。次に、自分の2つ左隣〔イェンスの正面〕に座っているジギの姉を見て 「美しきヒルクに」と言い、自分の真横のテーブル〔妻のヒルクの正面の一番大切な席〕を叩いて 「名付け子の シギ〔ナンセンはユトランド半島の北部(デンマーク)出身なので、シギと発音する〕もいる」と言う〔テーブルの下に隠れている〕。ジギは、テーブルの下から指だけ出す。ナンセンは、ここで、左隣に座っている妻ディットを向く。「フレンスブルクからやって来て、私のためにすべてを… 仕事も、演奏会も投げ出してくれた、素晴らしき歌い手。わが愛しのディット。20年、私に寄り添ってくれた。そして耐えてくれた」(1枚目の写真、矢印は不遜な態度のイェンス)。ナンセンは一旦座るが、もう一度立ち上がると、招待客に向かって、「こんな礼儀知らずのために来ていただきありがとう」と礼を言い、グラスを取り、乾杯を唱和する。ジギは、テーブルの下で、「乾杯〔Prost〕」と言う。ディットは立ち上がると、「マックス、私、あなたの絵を一目見た時、とても心を動かされた。そして、『この人しかいない』と思った。だから、喜んで歌を捨てられた。あなたは、今、ドイツで最も偉大な画家の一人よ」と夫を称える。そして、誕生日のプレゼントとして、封印していた歌を披露しようとする。その時、彼女が声をかけたのは、若い頃に一緒に歌ったという理由で、何とイェンス。イェンスは、渋々立ち上がり、ディットとデュエットを始める。しばらくすると、テーブルの全員も歌に加わるようになる。盛り上がった頃、いきなりドアが開き、郵便配達が入ってくる。そして、封筒を見せ、「あなたにです。首都から」と言う(2枚目の写真、矢印)。歌は続くが、イェンスは封筒を取ると、それをナンセンに渡す。ナンセンはすぐに封筒を開けて読む。そして、立ち上がると、「退化した美術品の没収に関する法律〔Gesetz über Einziehung von Erzeugnissen entarteter Kunst(1938)〕に基づき、過去5年間に描かれたすべての絵画を没収する旨通知する」と、内容を要約する。そして、イェンスを見ると、「明日だ。これを知っていたのか? 知っていて、一緒に歌ったのか?」と非難するように訊く。イェンスは、それには答えず、「私は、義務を果たしとるだけだ!」と大声で言う。ナンセン:「私を殺せと言われたら、そうするのか?」。「そんな言い方はやめろ」。「言ってやるとも。みんなの前でな! 一度くらい義務に反したらどうだ!」。「義務に反しろだと? よくも言えるな!」。ここで、ディットが、昔、水門の所でイェンスが溺れかけたのを、ナンセンが命がけで助けたことを持ち出す。イェンスは、「黙れ!」と一喝し、「カモメの絵〔ジギが話した〕のことは不問にしてやった! だが、今日からは許さん! 気をつけろ!!」と怒鳴り、部屋から出て行く。テーブルの下にいたジギは、差し伸べられた姉の手をつかむ(3枚目の写真)〔この時、父への反抗を決意する〕
  
  
  

翌日、ナンセンは、自分の作品が持っていかれるのを茫然と見ている(1枚目の写真)。絵を順に持って行き、控えているトラックに渡すのはイェンスの役目。他に、役所の係官が2人見張っている。そこに、ディットが 大きな紙ロールを持って来る。そして、トラックに乱雑に並べられた絵を1枚取ると、それを紙で包もうとする。イェンスが、「絵は今日中に届けねばならん」と言って止めさせようとすると、ディットは「絵が傷む」と言い、作業を止めない。イェンス:「みんな、病的な絵だ」。それを聞いたディットは、イェンスの顔に唾を吐きかける。怒ったイェンスは絵を取り上げ、紙を剥ぎ取り、トラックの作業員に放り投げる。ディットは、再びその絵を奪うと、また紙で包もうとする。今度は、係官がそれを阻止しようとする。全員の目がその行為に向けられた時、ジギは、ナンセンが最後に描いたカモメの絵をこっそりと奪う(2枚目の写真、矢印)。リストに掲載された “5年間” の絵を積み終えると、トラックは出て行く。ナンセンがなすすべもなく見送っていると、その横にジギが来て、トラックの出て行った先を睨む(3枚目の写真)。この時、ジギは初めてナンセンの絵を守った。それが “始まり” という意識はなく。この後、姉が家を出て行くシーンがある。ジギは、「出てって欲しくない。あんな父さんと一人でいたくない」と必死に頼む。
  
  
  

激しい雨が降る早朝、1人の若い兵士がジギの部屋の小さな窓〔他にも大きな窓はあるが、わざと家の側面の窓を選んだ〕を叩く。目の覚めたジギが窓まで行くと(1枚目の写真)、ガラスの向こうにいたのは兄のクラースだった。ジギは父を起こさないように家を忍び出ると、雨合羽を着て小屋に向かう。そして、嬉しそうな顔で、「兄さん」と走り寄る(2枚目の写真)。兄は ジギを抱きしめる。兄は 「今は 砂丘に隠れてる。何か食べ物を持ってきてくれ」と頼む〔軍を脱走してきた〕。「隠れ家があるよ」。そう言うと、ジギは兄を例の空き家に連れて行く。ジギの好きな部屋には、ジギが集めてきた鳥や動物の死骸がきちんと並べられている(3枚目の写真)〔気味が悪い〕。ジギと趣味が違う兄は、「ここにいなきゃいけないのか?」と嫌がる。「誰も来ないよ」。兄は、死骸から一番遠い壁際にへたり込む。そして、ジギに「もし裏切ったら、殺してやる」と言う(4枚目の写真、矢印はジギが奪った「かもめの絵」)。
  
  
  
  

ジギが家に戻ると〔明るくなって、雨も上がっている〕、軍のジープが家の前に乗り入れ、父が下着のまま立たされている(1枚目の写真、矢印はジギ)。脱走した兄が匿われていないかの捜索だ。ジギが雨合羽を脱いで食卓に座ると、母が 「どこにいたの?」と訊く。「ちょっと外に」(2枚目の写真)。「朝、早くから?」。頷く。母は、直感で 長男と会っていたと察すると、パンを渡しじっと顔を見る。ジギがパンをセーターの下に隠すと、母はにっこりする。ジープは出て行き、父が入って来て 食卓に座る。そして、ジギの顔を見ながら、「お前の兄さんだ。一家の誇りだった」。そう言うと、両手で顔を覆った後、「あいつは、自分の腕を撃った。臆病者め」と蔑むように言う(3枚目の写真)。「刑務所に入れられ、脱走した。助けた者は 罰せられる」。ここで、再びジギを見ると、「いいか、ジギ、クラースを見たら すぐ知らせるんだ」と命令する。母は 「ここには来ないわ」と煙幕を張るが、父は 「他にどこに行く場所がある?」と一蹴する。
  
  
  

ジギは、兄にパンを届けようと 隠れ家まで走る。しかし、中に入ると、折角並べておいた死骸は山積みされ、かもめの絵には 着ていた服〔当然、濡れていた〕が、干してある。そして、兄は、腹を押さえて苦しんでいる。持ってきたパンを口に押し付けるが食べてくれない。そして、兄が言ったことは、「もし、ここにいたら、死んじまう」だった〔部屋を目茶目茶にした兄が悪いのか、気持ち悪い部屋に連れてきたジギが悪いのか…〕。ジギは、仕方なく、兄に肩を貸して砂丘地帯を横切る(1枚目の写真)。そして、辿り着いた先はナンセンの家(2枚目の写真、矢印は “重荷” でしかない兄)。ジギは、「自分で腕を撃ったんだって」とナンセンに伝える。ナンセン:「ここに来ちゃいけない」。しかし、高熱で苦しんでいるクラースを見ると、放ってはおけないので、「シギ、家に帰れ。君は 何も見てない」と指示する。家に戻ったジギは、夕食の時、父から 「画家の家にいたのか?」と訊かれ、頷く(3枚目の写真)。「また描いてたか?」。首を横に振る。「どうかしたのか?」。首を横に振る。
  
  
  

しかし、疑り深くて、息子のことなど全く信用しないイェンスは、辺りが真っ暗になると、制服を着、懐中電灯を持ってジギの部屋に行く。「服を着ろ」。そして、夜の海岸を、自転車を連ねてナンセンの家に向かう〔相手の迷惑など考えない〕。明かりの点いたアトリエの窓から中を確認すると、ナンセンが安心してドアを開けるように、ジギにノックさせる〔最初は嫌がるが、無理矢理させる/カンバスに布を被せないようにするため〕。ナンセンがドアを開け、「シギ、どうした?」と訊くと、卑怯なイェンスが姿を見せる。イェンスは、何も言わずにカンバスに向かう。ジギは、「ごめんなさい」と囁いてナンセンの横を通る。カンバスの前に立って絵を見るイェンスに、ナンセンは、「昔 描いたものだ」と言う。イェンスが指で触れると、絵具が付く(1・2枚目の写真)。イェンスは、それで満足せず、懐中電灯を取り出すと、「ジギ、来い」と呼び、勝手に本宅に向かう。捜しているのはクラースなので、公私混同に近い〔寒村に一人しかいない一介の警官のくせに、何様だと思っているのだろう?〕。イェンスの侵入に気付いたディットは、「ここで何してるのよ?」と訊くが、傲慢な男は返事すらしない。後から入ってきたナンセンが 「何か〔irgendwas〕を捜してる」と教える。ディットは 「ここに誰が〔jemand〕いるの?」と言ってしまい〔「物」が「人」になった〕、イェンスを確信させる。イェンスは、地下室に降りて行く。ジギはこっそり後をつける。地下室でイェンスが見つけたものは、床に敷かれた寝具。布団の上には軍服の一部と思われるベルトが落ちていた。それを見たイェンスは、ここにクラースが寝ていたことを知る。そして、近くの階段に座り、泣き出す(3枚目の写真、矢印は寝具)〔自分よりナンセンに頼ったことに プライドが許せなかった〕。ジギは、その光景を、柱の陰から見る(4枚目の写真)。
  
  
  
  

イェンスは、家を出ると、再びアトリエに行く。そして、イーゼルからカンバスを外し、「絵は没収する」と言って、床に置く。ナンセンは 「イェンス、訊いてくれ。まだ話し合うことはできる。お互い、昔からの仲じゃないか。もう止めよう」と申し出る。しかし、イェンスは 「お前さんは、法律に逆らえると思っとる。俺にもな」と聞く耳を持たない。その時、飛行機が接近する音が聞こえ、イェンスが「伏せろ!」と叫んで 物陰に伏せる。その隙に、ナンセンは絵を取り上げる。この絵は、木枠に張ってなく、厚紙に貼付けたものだったので、ナンセンは力任せにずたずたに絵を引き裂く。飛行機が去り、気の小さいイェンスが体を起こした時には、絵はバラバラになっていた(1枚目の写真、矢印)。ナンセンは 「もう止めよう。あと1年か2年したら、どうなってるか分からんぞ〔1945年2月8日以降なので、ドイツの降伏まで3ヶ月を切っている〕」と言うが、頑ななイェンスは 「処罰は免れんぞ」としか言わない。翌日、バラバラになった破片を持って隠れ家に行ったジギは、床の上に破片を並べ、ジグゾーパズルのように元に戻す(2・3枚目の写真)。
  
  
  

絵の “復元” が終わったジギは、砂浜を歩く。魚がいっぱい打ち上げられている(1枚目の写真)。すると、空襲警報のサイレンが鳴り出す。ジギが海を見ると1機の戦闘機が自分の方に向かってくる。ジギは急いで逃げるが、砂浜の向こうは丈の低い草の荒れ地になっていて、身を隠す物など何もない。爆音が近づき、ジギに気付いた戦闘機は 低空飛行に入り、機銃掃射を開始する(2枚目の写真、矢印)。当たらなかったのは 奇跡に近い。飛行機が去った後、近くで喘ぐような音が聞こえる。ジギが恐る恐る近づいて行くと、それは腹部に機銃掃射を浴びたクラースだった(3枚目の写真)〔兄は、ナンセンの地下室から逃げ出した後、砂丘に隠れていた〕
  
  
  

兄は、重傷で動かせないので、ジギは仕方なく父に話すことにする。そして、空襲の様子を丘に立って見ていた父を発見すると、「父さん!」「クラース!」と叫んで駆け寄る〔無慈悲なイェンスは一歩も動かない〕。ジギは、父のところまで行くと 「助けてあげて!」と言い、兄の方に引っ張って行こうとする。しかし、父は動かず、逆にジギの手を離したので、ジギは勢い余って投げ出される(1枚目の写真、矢印)。次のシーンでは、イェンスがクラースを木の台車に乗せ、家に向かって押している。ジギは、心配そうに横を歩いている。自宅のソファにシーツを敷き、寝せられたクラースには母が付き添うが、非常に苦しそうだ。ドアが開く音がして、ナンセンが入ってくる〔誰が どうやって 知らせたのだろう?〕。そして、クラースの横に座ると 「心配するな。きっと良くなる」と声をかける。そして、イェンスには 「もう連絡したのか?」と訊く。「まだだ」。「なら、あんた次第だな」。「そうだ」。「私に何かできれば…」(2枚目の写真)。「お前さんには関係ない」。「私には、自分の息子のような気がする」。「知っとる」。「捕まれば、命はない」。「もう、出て行け」。ナンセンは 「あんた次第だ」と再度強調して家を出て行く。ドアが閉まる音が聞こえると、イェンスは 「証人ができてしまった」と言い出す〔クラースが家にいるのを見られた以上、隠し続けたら 罪に問われる→ナンセンに知らせたのはイェンス自身?〕。ジギ:「それ、どういう意味?」。イェンスは 軍に電話をかけ(3枚目の写真)、妻は絶望の涙を流す。直ちに軍の救急車が到着し、クラースは担架で運び出される〔手厚く看護される可能性はゼロ〕
  
  
  

悲しくなったジギはナンセンの家に行き、「連れてかれちゃった」と言って、ナンセンにすがり付く(1枚目の写真)。ナンセンは、心を癒してやろうと考え、「また一緒に絵を描きに行かないか?」と誘う。2人は砂浜の脇の荒れ地に座り込むと、真正面見える沈みゆく夕陽を描く。以前の “空き家” の時と違い、絵を描いているのはジギだ。だから、油彩ではなく、クレヨン画。ナンセンは、「赤と黄は、沈む直前、荘厳な会話を交わすんだ」と指導する。そして、「この絵、私にくれるか?」と訊く。「いいよ」(2枚目の写真、矢印の先に絵)。ジギが家に戻ると、クラースの血で染まった木の台車を父が、束子(たわし)でごしごし擦っている。2輪で安定しないので、ジギが台車を押さえてやる。作業が終わった後、父は、そのお礼に村の酒場にジギを連れて行き、ジュースを飲ませる。そこに入ってきたのがナンセン。脇の下には、“如何にもスケッチが入っていそうな木の紙挟み” がある。それに目を付けたイェンスは、「その紙挟みは何だ?」と訊く。「絵だ」。イェンスは、呆れた顔をして立ち上がると、「紙挟みを開けるよう要求する」と命令。ナンセンは、中に一杯入っている白紙を並べて、わざと意味のない言葉を並べ、イェンスを挑発する。ジギは、ハラハラしながら2人を見ている(3枚目の写真)。イェンスは白紙を1枚ずつ調べ、中に、ジギが描いた絵を見つけると、「こいつ、描いてたぞ」と鬼の首でも取ったように喜ぶ(4枚目の写真、矢印は絵)。絵は、イェンスの “義務” として押収される。ナンセンは、イェンスの口調を真似て 「この種の日没は、きわめて危険だ」とバカにするように言う〔ナンセンが、ジギに夕陽を描かせ、それをもらっておいたのも、すべてこのため〕
  
  
  
  

その夜、ジギの部屋には鍵が掛けられ、外に抜け出すことができなかった。次の日、学校を終えたジギは全速で自転車を漕ぐ(1枚目の写真、背中に学校の鞄)。ジギがナンセンの庭に入って行くと、ちょうど軍のジープがナンセンを連行しに来たところだった。時間の猶予を与えられたナンセンは、アトリエに入って行き、隠してあった “グッドロン〔ジギの母〕を描いた小さな絵” を取り出す。アトリエに忍び込んだジギはナンセンの前に行く。そして、背中の鞄を外すとセーターをまくり上げ、ナンセンが持っていた絵を中に入れようとする(2枚目の写真、矢印)。意図を察したナンセンは、お腹の絵を背中に移し、鞄を背負わせる〔この方が、落下しない〕。そして、ジギを振り向かせると、「ディットを頼めるか?」と訊く。「戻ってこれる?」(3枚目の写真)。ナンセンは、それには直接答えず、「じゃあな、シギ」と言い アトリエから出て行く。そして、外で待っていたディットと抱き合い、ジープに乗る。
  
  
  

ジープが動き出すと、ジギはディットに寄り添う(1枚目の写真)〔中には、イェンスも乗っているので、ジープが家を離れてから出てきた方が、安全だと思うのだが…〕。ディットは、ジープの後を追って走り出し、門に達する前で地面に倒れる。次の場面では、ソファに横になったディットの顔に、ジギが手を当てている。「何か飲み物を持ってきてくれる?」。ジギは頷くと、テーブルの上の水入れを取って渡す。そして、飲んでいる最中、ガラス瓶が落ちないよう両手で支える。「魚のだし〔Fischsud〕、持ってきてくれる?」。テーブルの上には、ニシンを漬け込んだ陶器の容器が置いてあったので、それをそのまま持って行くと、ディットは容器ごと持ち上げて煮汁を飲む〔ジギが手で魚を押さえる〕。次の要求は、「ワインを少し、お願い」。これに対しては、「もっと喉が渇くって、マックスが言ってたよ」と断る。ディットはジギを抱き寄せ、「マックスが好きなのね?」と言いながら、顔を撫でる。そして、「夕陽の絵のこと、お父さんに話さないと。でないと、マックスが傷つけられる」と、噛んで含めるように話す(2枚目の写真)。居づらくなったジギは 「もう行かなきゃ」と言い、すがるように離さないディットを振り切って逃げ出す。向かった先は隠れ家。先ほどナンセンから預かった絵を壁に掛け、じっと眺める(3枚目の写真)。そこには、①かもめの絵、②ジグゾーバズルのように修復した絵、③母の絵の3枚が貼ってある。
  
  
  

ある日、ジギが学校から帰ってくると、姉が戸口の所にいる。ジギは、「姉さん!」と叫んで駆け寄る。2人が食卓に行くと、父と母が暗い顔で立っている。父は、ジギに 「鞄を置け」と命じる。姉は 「絵描きさんが釈放されたの」と、ひそひそ声で教える。父は、薪ストーブの前でコーヒーを飲みながら、「座れ」と命じる。犯罪者扱いだ。ジギが座ろうとすると 「止まれ」と言い、受け皿に落ちたコーヒーを薪ストーブの鉄板に投げる。じゅっという音とともに、たちまち蒸発する〔鉄板は高温〕。イスの前に立ったままのジギに対し、父は、「お前は、よく 絵描きと会ってた。奴は 絵を教えようとしたな?」と訊く。「うん」。「痛みの描き方も教えた。お前はそれが気に入った。そうだな?」。ジギはかすかに頷く。「だが、その後、一緒に絵は描くなと命じたはずだ。それに従ったか?」。この詰問に対するジギの態度は曖昧で、頷いたようには見えない。「どうなんだ?」。「うん」。「奴が、本土で何て言ったと思う? なぜ奴は釈放された? なぜ、お前の父は笑い者になった? お前は分かっとるな?」。ここで、イェンスの怒りが爆発する。「俺はお前に訊いとるんだ。何であいつが釈放され、俺が笑い者にされたかを!」(1枚目の写真)。イェンスは、ジギの右手を取り、「それはだな、この手が絵を描いたからだ!」と叫ぶと、そのまま薪ストーブに引っ張って行き、灼熱の鉄板に手のひらを押し付ける(2枚目の写真、矢印)。肉が焼ける音、ジギの悲鳴、母の叫び声が部屋中に響く。イェンスはもはや父親ではない。自分のメンツしか考えない鬼畜だ。ジギは家を飛び出し、干潟の海水で手をやすめる(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

ナンセンが、アトリエに置いてあるベッドに座ってパイプを吸っていると、窓のステンドグラスに石がぶつけられて割れる〔ナンセンは、イェンスに復讐するためジギを利用し、その巻き添えで火傷を負ったジギが復讐した〕。場面は変わり、石を投げたジギが、砂浜を走り、追ってきたナンセンに捕まる。ジギは、逃げようとして、ナンセンの右手に噛みつき、ナンセンが悲鳴を上げながら、手を引き抜く(1枚目の写真、上が噛まれたナンセンの右手、下が、包帯を巻いたジギの右手)。ナンセンは投石や噛みつきには言及せず、「ディットが病気だ。肺炎だろう。君に来て欲しがってる」と言うと、噛みつかれた手を見せ、「これで お相子(あいこ)だ、違うか?」と許しを求める。ナンセンは、ジギをディットのベッドまで連れて行く(2枚目の写真)。ディットはジギの左手を握ると、「マックス、シギにビスケットをあげて」と言って夫を外に出す。そして、ジギをベッドに座らせると、「私がいなくなったら、マックスの相手をしてやってね」と頼む。「どこかに行くの?」(3枚目の写真)。「そしたら、一人ぼっちじゃなくなるでしょ」。次のシーンでは、もうディットは棺の中に横たわっている〔場所は自宅〕。ナンセンは、棺をはさんで反対側にいるジギに、「彼女は、埋葬服〔Leichenhemd〕を自分で縫ったんだ」と、半ば茫然としながら話しかける。ジギは、「マックス伯父さん〔Onkel〕、ディットさんが棺の中で何か飲めるようにしたら?」と訊く。ナンセンは、「いい考えだ」と悲しそうに笑う。
  
  
  

葬儀の日。鬼畜のイェンスは、空襲警報を鳴らす装置の前に座り、その前にジギと姉が立っている。姉は、「父さん。ディットさんのためよ」と、出席を促すが、イェンスは、「空襲警報が要るかもしれん」と拒否する。姉はあきらめ、ジギが一人残るが(1枚目の写真、矢印は頂部にサイレンの付いた柱)、指で 「去れ」と指示され、姉とともに葬儀に向かう。教会の外では、ナンセンが葬儀用の大きな花輪を持ち、列席者の前を歩いて行く。そして、ジギの一家3人の前で立ち止まる(2枚目の写真)。教会の中では、牧師が告別の言葉を述べ、最前列に、ナンセンとジギの一家が並ぶ(3枚目の写真)。埋葬の場面はない。
  
  
  

葬儀の参列者の半分ほどが、ナンセンの家の庭の中にしつらえられた長いテーブルに座り、食事をとっている。テーブルの正面にはナンセンが座り、すぐ横に座ったジギが、気の抜けたようなナンセンの口に、スプーンでスープを運んでいる(1枚目の写真)。「ディットさんのためだよ」。そこに、招かれざる客が、警官の制服に身を包んでやって来る。ジギの一家は、何事かと心配そうに見る。イェンスは自転車を置くと、テーブルの端に立ち、「イギリス軍がやってくる」(2枚目の写真、矢印)「道路を守れとの命令だ。兵器は村に用意できている。銃の撃てる男は一緒に来い。道路を守る」と命じる。その言葉が終わらぬうちに、ナンセンが大声で怒鳴る。「ディットの弔い中だぞ!!」(3枚目の写真)。
  
  
  

イェンスは、「首都からの命令だ。道路を守れ!」と怒鳴り返す。ジギは 蔑むように父を見る(1枚目の写真)。ナンセンは、情勢に詳しいのか、「もう命令などできん」と断言する〔恐らく、ドイツの全面降伏の数日前〕。イェンスは 「義務を放棄すれば、どうなるか知らんのか?」と脅す〔彼には、“義務” のことしか頭にない〕。「戦争は終った」。イェンスは、拳銃を取り出すと、「戦争が終わるのは、我々が勝った時だ」と言い張る。ナンセンは、立ち上がると 「撃て!!」と挑発する。イェンスは、撃鉄を起こし、ナンセンに狙いをつける。ナンセン:「義務を果たせ、イェンス! 撃つがいい!」。ジギは、ナンセンに抱き着いて守る(2枚目の写真)。息子にそこまでされれば、決心がぐらつくのが普通だが、イェンスは、「我々は、道路を守らねばならん!」と叫び、空に向かって5発撃つ(3枚目の写真、矢印は拳銃)。赤ん坊が泣き出す。ナンセンは 「私の家から出て行け。二度と顔を見せるな」と静かに言う。イェンスは、誰一人動こうとしないので、うなだれて去って行く。後を追ったのは、自分の意見をほとんど持たず、夫に隷属するだけの妻一人。
  
  
  

それから何日かして、イギリス兵がジギの家に来る。彼が 窓から見ていると(1枚目の写真)、イギリス兵が、制服を着たイェンスを見て、「典型的なドイツ人だ」と見下すように言う。姉が、父の大きな鞄をトラックに入れる。イェンスは、ジギに向かって、「お前の父は、常に義務に従ってきた。それを忘れるな」と誇り高く言い、そのままトラックに乗せられる(2枚目の写真、矢印がイェンス)。トラックが出て行った後で、姉はジギに、「きっと戻って来ないわ」と言う(3枚目の写真)〔姉にとって、イェンスは、可愛い弟の手を焼いた男でしかない〕
  
  
  

子供時代 最後のシーン。束縛から解放されたジギと姉が、カモメの舞う砂浜で楽しそうに戯れる(1枚目の写真)。そして、ナンセンのアトリエ。中では、レコードの音楽に合わせて姉が上半身半裸で踊り、それを見ながらナンセンが太い鉛筆で描いたデッサンを指でこすって立体的にしている(2枚目の写真、矢印は裸の上半身)。こっそり近づいたジギが窓から覗いていると(3枚目の写真)、気付いた姉がカーテンを閉める。
  
  
  

原作ではイェンスは3ヶ月投獄されるだけだが、映画では、かなりの年が経っている〔ジギを演じる2人の俳優の年齢差は9つもある。いくら何でもこれほど長く収監されていたとは思えない〕。ジギと姉が家の前にいると、イェンスが大きな鞄を持って歩いて門をくぐる。2人は、“悪魔” の到来に緊張する。だから、彼が、「ヒルク、町に行くのか?」「ジギ、大きくなったな」と声をかけても、「お帰りなさい」の一言もない(1枚目の写真)。イェンスが、母と一緒に食卓に座っても、2人は立って見ている。「この日を どれだけ待っていたことか」。その後、母は、イェンスの古い制服から肩章や襟章などナチ時代に関わるものを外し、また着られるようにする〔命令したのはイェンスだろうが、ここまで過去に拘るところが気味悪い〕。イェンスは、昔のように制服を着ると、姉にクラースの写真を持って来させる。そして、3人を座らせると、目の前に置いた写真立てに向かって、「みんな、お前のしたことを知っている。もう締めくくりにしたい」と言う。そして、写真立てから写真を取り出すと、「今後、クラースの名を二度と口にしてはならん。記憶から抹殺するのだ」と3人に命じ(2枚目の写真)、写真を細切れに裂き、薪ストーブに入れる〔了見の狭さが加速された〕。イェンスは、後生大事にシャコー帽を抱えると、居間に飾り直してあったナンセンの絵を、「病的だ」と言って外し 焚火で燃やす〔もし、ジギ役の年齢差が半分でも本当だとしたら、この年は1950年となる。ナンセンの表象的存在であるエミール・ノルデは、当時の西ドイツ大統領テオドーア・ホイスがシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を訪れる時、同行を求めるまでに名誉回復していたので、“燃やす” ことなど問題外→この部分は、配役を変えずに、原作と同じ3ヶ月後にしておくべきだった〕。その後の場面も、観ていて気に入らない。絵が焼かれているのを見たジギが、制服だけでは寒いと、自分が着ていたコートを優しく鬼にかけてやる。そして、①絵の禁令は解除され、②没収する必要はなく、③燃やすなどもってのほか、と諭す。そして、イェンスに顔を殴られて地面に倒れる。イェンスは、口から血を流したジギに、「自分に忠実であり続ける人間もいるんだ。状況が変わろうと、義務は果たさねばならん」と言う(3枚目の写真)〔ドイツの誇るべき芸術を守るという義務から逸脱し、ナンセンに対する恨みだけで動いている→原作を読んでいないので分からないが、「義務への無条件の奉仕」というイェンス像から大きくズレている〕
  
  
  

イェンスは、今度は寝室に飾ってあるに違いない、もう1枚の絵を燃やそう取りに行くと、どこにもない。「絵はどこだ?」と妻に訊くが、彼女は寝た振りをして答えない。そこで、姉に傷の手当てをしてもらっているジギに、「絵はどこだ?」と訊く。姉は 「どの絵?」と白け、ジギに 「まだ壊してないの?」と訊く。「壊したよ。病的だから」。しかし、こんな甘い嘘がイェンスに通じるハズがない。先ほど、ジギが言ったことと正反対だからだ。翌日、ジギは母のお気に入りの絵を持って隠れ家に行く。床で包み紙を外し、ゆっくりと眺める。正面の壁は、これまで集めたもので一杯になっている(1枚目の写真)。そこで、もう1つの壁に1枚だけ掛ける。別格扱いだ〔最大の疑問は、戦後5年は経っているのに、イェンスがいない間に、ジギはなぜ絵をナンセンに返さなかったのだろう? 原作のように戦後すぐなら何らかの危害の可能性はあったかもしれないが、先に述べたように表象のノルデは、1950年には大統領も認める存在になっていて、1952年にはドイツ最高の名誉勲章であるプール・ル・メリット平和勲章を授けられている。ジギは、絵を返却して当然なのだが…〕。ジギが窓から出て行くと、それをじっと待っていたイェンスが、窓から侵入する(2枚目の写真)。結果は、その日の夜の火災警報となって現れる。ジギが駆け付けると、隠れ家は炎に包まれていた。ジギは中に入ろうとして気違いのようにわめく〔そんなジギをナンセンが止めるのも奇妙だ。2人がまだ仲が良いなら、絵を隠し続けたことは、ナンセンに対する卑劣な裏切り行為でしかない→ジギが青年になると、映画の質が一気に落ちる〕
  
  
  

別な日の朝、イェンスが、「ヒルク! ジギ!」と怒鳴り声を上げる。姉がイェンスの前に平然として立つと〔彼女は、父だと認めていない〕、イェンスは食卓の上に新聞を広げる。そこには、「マックス・ルートヴィヒ・ナンセン展覧会」という大きな見出しと共に、ヒルクがモデルになって踊っていた時の絵が、大きく掲載されている。姉は、「モデルが必要だった。それだけよ」と事実を述べるが、イェンスは、「俺と奴との関係は知っとるだろ!!」と狂ったように食ってかかる。そして、「そんなの過去の話よ」という姉の反論に対し、「この絵はみんなが見るんだぞ!! 俺は、また笑い者になる!!」と怒鳴る〔自己中の極み〕。イェンスに従うことしか知らないグッドロンは、「マックスの前で、自分を曝したのよ」と、イェンスに同調して責める。そして、姉が、「あなた〔母〕が惨めなのは、私のせいじゃない」と反論すると、いきなり娘の首を絞め、食卓に押し付ける〔夫婦とも狂っているとしか言いようがない〕。ふがいないジギはただ見ているだけ。姉が狂ったグッドロンを床に押し倒すと、今度はイェンスが頬を思い切り引っ叩く。これで、優柔不断なジギがようやく動き、イェンスに飛びかかると、何度も顔を殴りつける(1枚目の写真、黄色の矢印がジギ、空色の矢印がイェンス、横は、姉に払い倒されたグッドロン)。最後は、脚で腹を蹴って決める〔このシーンのためだけに、ジギを青年に変更した?〕。姉が町に去った後、ジギは 紙で包んだナンセンの絵〔新聞に載っていた姉がモデルになった絵〕を、地面を掘って埋める。ジギが家に戻ると、ナンセンが待っていて 「絵はどこだ? 出せ!」と、彼にしては強い調子で訊く〔絵に愛着があり、展覧会の目玉でもあるので〕。ジギが 「どの絵?」としらばくれても信用しない〔他に盗む者などいないし、ジギの姉を描いている〕。そこで、ジギの部屋中を捜すが見つからない。ナンセンは 「奴らが、どうやって私の絵を取り上げたか覚えてるな?」と問い掛けるが、ジギは何も言わない。ナンセン:「また、同じ思いをするとは思わなかった」。それに対し、ジギは 「助けてあげられない」と答える。それから、どのくらい経過したかは不明だが、かつて戦争末期にナンセンの絵を取り上げにきた係官が、罪を咎められることなく、同じ職に就いていて、今度は、ナンセンの絵を10枚盗んだ容疑者としてジギを取り調べにくる〔原作によれば、①ジギが映画の冒頭にあった「炎の幻覚」を見るのは、父がナンセンの絵を燃やそう としているのではないかという不安感、②ジギは、絵を安全な場所に移さなければならないという強迫観念にとらわれ、州内の都市でナンセンの絵を盗む〕。ジギは展覧会に行き、小さな銅像を盗み、その後、壁に掛かっていた大きな絵を外そうとして係官に捕まる。しかし、すぐに逃げ出し、地理に詳しいので何とか追っ手を振り切る。しかし、夜、穴を掘っているところをイェンスとナンセンに見つかる〔なぜ2人が一緒にいるのかよく分からない。イェンスは、5年以上不在の後、警官として再就職できたのだろうか?/そもそも、いつ2人は和解したのか?〕。その穴からは、ジギが今日盗んだばかりの銅像の外、10点の盗まれた絵も出てくる(2枚目の写真)。結果として、ジギは逮捕され、冒頭の更生施設に送られる。ジギは「国語のエッセー/ジギ」という課題に対し、1冊では足らないので、次々と新しいノートを要求し、60数冊書き、ようやく書き終える。この反省文を持ってジギは退所できることになる。ジギはノートの山を置き、父に火傷させたれた痕を見る(3枚目の写真)。この先、ジギがどうなるかは、映画でも原作でも分からない。
  
  
  

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