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Évolution エヴォリューション

フランス映画 (2015)

2016年11月に日本で公開された映画。原題『Évolution(進化)』はフランス語なのだから、邦題を「エヴォリューション」などとせずに「エヴォルション」とすべきだった。どのみち、一般には知られていない単語だし、フランス語の発音の方が、映画のミステリアスな雰囲気に似合っている。この映画の評価は、IMDb 6.1、Rotten Tomatoes79%という数字が物語るように、一般受けはそれほどでもないが、評論家には割と好評という結果。確かに観客を選ぶ映画で、(a)これまでの映画の着想の枠からはみ出たような「恐怖の世界の創造」、(b)要点のすべてをぼかし観る者に解釈を委ねるフランス映画らしさ、そして、(c)賛否両論のある映像は、この映画に何を求めるかによって評価を分けるであろう。それでは、「子役の登場する映画」として観た場合は、どうであろう。①主人公のニコラがちっとも可愛くない、②病院内のシーンが後半になるに従いどんどん明度・彩度が下がり表情も分からない、③内容が陰惨な児童虐待に近いの3点から、観ていても決して心地良くはない。島の一角に小さくかたまって建つ白い無機質な家並み。そこに住むのは人類から「進化」した異種の「女性」たち。背中にタコのような吸盤があり、生殖能力はない。恐らく、何らかの方法で、人間の男児を幼児の段階で入手し、担当の「養母」が特殊な食事を与えて11歳になるまで育てる。食事は、蠕虫状の海産無脊椎動物(ホシムシ?)に黒い藻を混ぜたようなもの。少年が一定の年齢に達すると、「病院」に連れて行かれ、腹部に異種の「女性」の元になる「何か」を注入され、一旦は帰宅を許される。少年の体内である程度「胎児」が育ってくると、入院が強制される。私物の持込は許されない。胎児の発育状態をエコーでチェックし、ある段階に達すると特殊な注射が打たれるが、それは恐らく胎児の発育を加速するもので(?)、少年は体力を消耗する。この段階で、嘔吐して死ぬ者もいる。胎児が摘出に適した大きさに育つと、少年の腹部を切開して胎児を取り出す。胎児が死亡し、あるいは、少年が死亡することも多い。両者とも生き延びた場合、少年は水槽に固定され、腹部に胎児が張り付き、栄養を吸い取って成長する(?)。これが、この島で行われている少年の「使い捨て飼育」の手順である。よくもまあ、これほど残酷なことを考えたものだと、呆れてしまう。この映画を一種のホラー・ミステリとしてみれば面白いのかもしれないが、児童虐待そのものの内容は、「唾棄すべき」レベルに達しているのかも。なお、撮影は、モロッコの西岸から130キロにある佐渡島とほぼ同じ大きさのスペイン領ランサローテ島で行われた。この島の特徴である、真っ白で方形の家は、映画の中の集落としてそのまま活かされている。また、この島の南西にある海中美術館(Museo Atlántico de Lanzarote)は、Jason DeCaires Taylorの海中群像展示で知られているが、それらの姿(下の写真は一例)は、この映画の水中での「女性」たちを思わせるものがあり、監督に何らかのインスピレーションを与えたのかもしれない。
  

島に住む11歳のニコラは、ある日、海で泳いでいて、海底に少年が沈んでいるのを発見する。腹部には大きなヒトデがついている。ニコラはびっくりして走って家に戻り、母にそのことを告げるが、見間違いだと言われ、実際に翌日母が海に入り、死体などなかったと言い、ヒトデだけ持ち帰る。しかし、その夜、女性8人がこっそり浜辺に集まり、引き揚げた死体を確認・処分した。白い集落にいるのは、女性6人と、同年輩の少年6人だけ。少年たちは順番に、病院に連れて行かれる。ニコラは、診察を受けた後、シャワーで体を洗わされるが、その際、ニコラの持っていた小さな「お絵描き帳」に看護婦が興味を惹かれる。その後、ニコラは手術台に載せられ、腹部に大きな注射を打たれる(あるいは、麻酔後に細径鉗子を挿入される)。ニコラは1日で退院する。しばらく経ったある夜。母がこっそり家を出るのに気付いたニコラは、寝室の窓から抜け出し、後をつける。浜辺には集落の女性全員が集まり、全裸になり、異様な生物を抱きながら恍惚感にひたっている。ニコラには人間としての知識は与えられていないので、これを異様とは思わなかったかもしれないが、ショックを受けたことは想像に難くない。帰宅した母がシャワーを浴びているのをこっそり覗くと、背中に吸盤がある。ニコラが次に病院に行った時、腹部のエコー検査が行われ、鼓動が聞こえる。それを聞いた母は、喜んでニコラにキスするが、ニコラには音の意味は分からなかったはずだ。それからのニコラは、ずっと病院のベッドで過ごすことになる。最初の日に会った看護婦が、取り上げられた「お絵描き帳」をニコラに返してやり、ニコラはそこに看護婦の絵を描き、2人はより親しくなる。しかし、「お絵描き帳」は母に見つかり、取り上げられてしまう。その直後、ニコラは縛り付けられて強い注射を打たれ意識を失う。気がつくと、ベッドの周りには遊び仲間がいて、「看護婦の絵」を渡してくれる。ニコラに同情的な看護婦は、こっそり紙を持って来て絵を描かせようとするが、疲労したニコラにはその元気もない。ニコラに埋め込まれた胎児が大きくなったことを悟った看護婦は、ニコラに「秘密」を教え〔実際に、何を話したのかは不明〕、この先 ニコラを待っている悲惨な運命に遭わせないよう、海に沈めて溺れさせる。しかし、仮死状態のニコラを見て不憫に思い、最後に救ってやろうと決心し(?)、人工呼吸で生き返らせる。ニコラは腹部を切開され、胎児が取り出される。ニコラが目覚めた時、ニコラは水槽に手足を縛り付けられ、腹部に奇妙な生き物が吸着していた。それを見てニコラは驚愕し、再び気を失う。次にニコラが気付いた時は、ストレッチャーに載せられ廊下を運ばれていた。看護婦が、ニコラを水槽から助け出してくれたのだ。看護婦はニコラを海に連れて行くと、自分の口から空気を与えつつ海中を進み、島から離れた場所でボートに乗せる。そして、しばらく介抱した後、ニコラを残して去って行く。数日後(?)、ボートはコンビナートに漂着する。

マックス・ブルバン(Max Brebant)は、撮影時13-14歳。「Quand j’ai lu le scénario, je l’ai trouvé un peu bizarre. Mais faire un film, être acteur, moi je disais oui!(脚本を読んだ時は、ちょっとキモいと思った。だけど、映画に出て俳優になれる。イエスって言ったよ)」と述べているが、演技が巧いとは思えない。


あらすじ

映画の冒頭、海中映像が3分にわたって流れた後、ようやくタイトルが示され、水面を少年が水面に顔をつけて泳いでいる(太陽をバックに、水中から撮影している)。少年はしばらく波間に漂っていたが、水中に何かを見たのか、息を吸うと、潜り始める(1枚目の写真)。彼が岩の隙間に見たものは、自分と同じような少年の死体だった。腹部には真っ赤なヒトデがついている(2枚目の写真、矢印はヒトデ、水中で色は変色しているが、実際は真っ赤)。びっくりした少年は、急いで浮上すると、岩場を走って家に向かう(3枚目の写真)。白い箱型の家の並ぶ特徴的な集落だ。
  
  
  

母が、ホシムシと藻を混ぜた食事を作り、2階に「ニコラ」と呼びに行くと、部屋には誰もいない。そこに、先ほどの少年が駈け込んで来る。「男の子が死んでた! 水の中だよ」。「泳いでたの?」。「怖い目してた」。「海じゃ、いろんな物が見えた気がするの。二度としないで。溺れたかもしれないでしょ」。「お腹に星がついてた」。「ヒトデのこと?」。「うん、赤くて大きなやつ。このくらい」と言って、手で示す(1枚目の写真)。母がいなくなると、ニコラは、机に向かって大好きなお絵描き帳に、さっき見た死体の絵を描く(2枚目の写真)。このシーンで驚くことは、ニコラの部屋に何もないこと。机とイスとベッドしかない。普通なら、子供の部屋を埋め尽くしているようなものは何一つない。ノートとペンがあるのが異様なくらいだ。その時、窓の外から声がかかり、同年輩の少年3人が、巨大なロブスターの尾を枝に刺し、これから埋めに行くから来ないかと誘う。本筋とは無関係なので詳細は省略するが、ここで分かるのは、子供たちの人種に統一性がないことと、子供たちの服装が、色違いの同一メーカー品のように見えることだ。再び1人になったニコラ。2階に母が上がってくる気配がする。ニコラは急いで死体の絵を隠す。「薬の時間よ」。母は、ベッドに腰掛け、コップにスポイトで4滴数えて黒い液体を入れる。コップを渡されたニコラ(3枚目の写真、写真は少量の薬の入ったコップ)は、「僕、なぜ病気なの?」と訊く。「あなたの年頃になると、体が変化し始めて弱ってくるの」。この言葉から、ニコラが薬を飲むようになったのは、比較的最近であることが分かる。「蟹も脱皮するとき弱るでしょ」。薬を飲んだニコラはベッドに入り、母は部屋を真っ暗にする。そして、「なぜ、泳ぎに行ったの?」と尋ねる。
  
  
  

翌日、母は、ニコラと3人の友達を同伴し、ニコラが死体を見たといった場所に連れて行く。波の荒い岩場で、確かに子供が泳ぐには危険な場所だ(1枚目の写真)。特に子供が「貴重品」の場合には〔「品」という表現を使ったのは、島の「女性」にとって、少年たちは、自分たちの幼生を植え付けて胎児に育て、「誕生」後は捕食寄生させるための宿主でしかなかったため〕。ニコラの母は、海に潜ると、真っ赤なヒトデを手に戻って来た(2枚目の写真)。そして、「溺れた子供の死体なんてなかったわ」と嘘をつく。
  
  

母の言葉を信用しなかったニコラは、集落の子供たちが母親と一緒に浜辺で楽しむ場に来た時、こっそり抜け出して、もう一度水中を捜すが、死体はどこにも見当たらない(1枚目の写真)。みんながいる場所に戻ってみると、母が、自分(ニコラ)を捜している(2枚目の写真、左の矢印は母、右の矢印は戻って来たニコラ)。写真に映っているのは6人の母親と6人の少年だ。ニコラは岩陰に隠れていたのを母に見つかり、潜って逃げる途中、岩を手で突いてケガをし、そのまま母に捕まる。さっそく看護婦が呼ばれ、左手の小指球部分を縫合針で3針縫う(3枚目の写真)〔結節縫合〕。ニコラは痛がる様子を見せないのは、局所麻酔をしているからであろう。処置をしているのは、将来ニコラの救世主となる女性。処置を終わって「頑張ったわね」と褒められても、ニコラはニコリともしない(4枚目の写真)。
  
  
  
  

その夜、家々から、小さなランプを手にした女性が次々と出てくる(1枚目の写真)。「それ」らが向かったのは海辺。すると、正面から小さな死体を抱いたニコラの母が現れる。病院の医師が死体に掛かった布を上げて顔を確認する(2枚目の写真)。そして6名の女性が2人を取り囲む。その後、死体がどうなったは分からないが、見つからない場所に処分したのであろう。
  
  

それから何日が経過したかは不明だが、ある晴れた日、ニコラは母親に連れられて集落を出る(1枚目の写真)。海を臨む小道に沿って歩いていると、海辺に建てられた3階建ての黄色の建物が見えてくる。そして、そこから戻ってきた2人連れの母子とすれ違う(2枚目の写真)。そこは病院だった。診察台に座らされたニコラは、冷酷な感じの白衣の医師に「一晩泊まるわよ」と言われる。部屋の中は暗く、殺風景だ。母は、「すぐ済むわ」と言ってニコラの額にキスすると、出て行く。代わりに、先日 縫合してくれた看護婦が入ってくる(3枚目の写真)。ニコラは、血圧を測られながら、「僕に 何するの?」と訊く。「注射よ」。看護婦は「大きな子だから、何てことないわ」と安心させる。医師は、聴診器を当てながら、「絵をよく描くそうね」と訊く。「うん」。「何を描くの?」。「動物たち。ヒトデ」。会話の間隔が非常に長く、それが非人間的な印象を与える。診察が終わると、看護婦がニコラの腕から採血するが、これはさっき医師が言っていた「注射」のことではない。ニコラは、医師に質問する。「僕、死ぬの?」。この質問は、的を射ていたので、医師と看護婦も押し黙ってしまう〔まさか、これから行う処置で、数ヶ月後には死に至るとは言えない〕
  
  
  

ニコラは、シャワー室に連れて行かれる。そこも暗い。看護婦が、「服はそこに掛けて」と言うが、ニコラは立ったままだ。「服着てちゃ、シャワー浴びれないわ」。「自分でできるよ」。「一緒の方が、楽しいわよ」。ニコラがシャツを渡し、靴を脱ごうと屈むと、ズボンの後ろポケットに入れてあった「お絵描き帳」を看護婦が抜き取る。「これ何?」。ニコラは、体を起こして奪い取る。「何を描いたか見たいわ。誰にも言わないから」。その言葉に、ニコラは「お絵描き帳」を差し出す(1枚目の写真、矢印は小さなノート)。「ありがとう」。そこには、自転車、クリスマス・ツリー、木馬、自動車、キリンなどが描かれていたが、何も置いてないような家にいて、どこでこうした知識を得たのだろうか?〔ニコラは、母を「自分の母」と思い込んでいるので、よほど小さい頃に連れて来られたはず。だから、自分の目で見たということはあり得ない〕。「上手ね」。ニコラと看護婦の間に「暖かい何か」が生まれた一瞬だ。その後、ニコラは手術室に連れて行かれる。ここも暗い。看護婦が4名と医師が1名いる。ニコラは、パンツだけの姿で鉄板の上に横になり、手足は枷で固定されている。看護婦が、「10数えたら終わってるわ」と話しかけ、天井の手術用無影灯が点灯される。ライトの配置は、ヒトデと同じ星型だ。カウントは、1から始まる。ニコラの臍の周りに正方形に消毒液イソジンが塗られる。「3」で、腹部を穴開きドレープで覆う。「5」で医師が注射器を持ち、「7」で注射針を腹部に刺す(2枚目の写真)。痛みに耐えるニコラ。「10」まで数えるとニコラは意識を失う。このことから、注射そのものが目的ではなく、注射は単なる局所麻酔で、その後に細径鉗子のような極細の器具を臍に挿入されたのかもしれない〔「女性族」の「元」になる物質が100%の液体だとは思えない。ただ、挿入する場合、数時間で絆創膏が外せるほど傷口が小さくないといけない。翌日、臍の部分が黒くなっているのは、そのためか?〕。翌朝、目の覚めたニコラがベッドから起き出し、窓から海を眺めていると、病室のドアが開き、少年が、「僕が 何されたか見て」とお腹をめくってみせる(3枚目の写真)。「僕たち、みんなにやったんだ」。他の子も、自分のお腹を見てみる。「全員、病気なのかな?」。ニコラは、「僕は病気じゃない」と言って病室を出て行くと、途中で迎えにきた母に会う。
  
  
  

家に戻ったニコラは、相変わらず薬を飲まされ、ベッドに就く。母が家を出て行く音が気になったニコラは、何が起きているのか探ろうと、窓から抜け出す(1枚目の写真、矢印はニコラ、その右はニコラの影)。ニコラは、小さなランプを手にした女性たちを見て、友達のヴィクトルの部屋の窓を何度も叩いて起こす。「来ないか?」。「どこに?」。「みんな、僕らに嘘ついてる。夜、何してるのか見に行こう」。ヴィクトルは乗り気ではない。集落から離れると、怖くなって帰ってしまう。ニコラは、真っ暗な中、小さなランプを頼りに海岸へと向かう。海を見下ろす崖の上に着いたニコラ(2枚目の写真)が見たものは、それまで見たことのない光景だった。自分の母を含む女性たちが全員裸になり、体を寄せ合い、身をくねらせている。それは、恍惚感にひたって自分やお互いの体を撫ぜているようにも見えたが、よく見ると、「何か別のもの」が愛しげに抱かれている(3枚目の写真、矢印は異形の胎児)。ニコラには、こうした行為全体が、どのくらい異常なのかを判断できる基準はなかったはずだが、一種の恐怖と、かなりの違和感を覚えたことは間違いない。ニコラは、走って逃げ帰り、窓から寝室に戻る。そのまま横になって寝ていると、家のドアが閉まる音がする。ニコラは、起きて、こっそりと下に降りていくと、母はシャワールームにいる。ドアの隙間から覗くと、母の背中にはタコのような吸盤が並んでいた(4枚目の写真)。自分とは違うとニコラは思う。しかし、母には自分にはない大きな乳房があるように、この違いが、「絶対的に異常なもの」だという認識は持たなかったはずだ〔ニコラは、人間の身体に対する教育など受けていない〕。ニコラに見られていると感じた母は、ハッとして振り向くと、ドアの隙間にはニコラの目があった。
  
  
  
  

しばらく経ち、ニコラは病院に行かされ、超音波で腹部を検査される(1枚目の写真)。臍の周りには、まだ黒いシミのようなものが付いている。母も寄り添い、モニターを見ている。ニコラには、初めての体験なので、何をされているか見当もつかない〔モニターの前には医師が陣取っているので、横になったニコラからは何も見えない〕。そして、鼓動の音が聞こえてくる。この音の意味もニコラには不明だが、母には大きな意味があった。自分が養育を任された「人間」の男の子が、ちゃんと役目を果たし、体内に「女性族」の胎児が生育し始めたのだ。母は微笑むと、嬉しそうにニコラを見る。検査が終わり、ニコラが服を着て廊下に出ると、母はニコラの頬にキスする。その後、ニコラは看護婦とエレベーターに乗せられ、「二度と戻れない病棟」へと向かう。そこは、今まで以上に暗い場所だった。ニコラが連れて行かれた病室は、構造は最初の入院時の病室と同じだったが、シーツは白でなく赤、窓は締め切られていた。ニコラは、病院服に着替えさせられたが(2枚目の写真)、他にも着替えさせられている子がいる。いちどきに「種」を仕込まれ、いちどきに再入院させられたのだ。「いつまで ここにいるの?」という質問に、看護婦は無言のまま立ち去り、電気を消して部屋を真っ暗にする。子供たちは、人格を否定された「培養器」でしかないのだ。「みんな、嘘ついてる。僕らは、良くならない」。その後、映画には不気味なものが映る。ステンレスの膿盆の上に置かれた血まみれの3つの生命体だ。ニコラと仲のいい看護婦が、愛おしそうに1個ずつ取り上げ、ホルマリン(?)入りのビンの中に落とし込む。そして、看護婦の背後には裸の脚が見える(3枚目の写真)。看護婦が3個とも入れ終わり蓋を閉めてそれを持って立ち去ると、手術台に放置された裸の少年の姿が見える。それは、腹部を切られて息絶えたヴィクトルの死体だった。恐らく再入院前のエコー検査で、鼓動が聞こえなかったため、胎児死亡と判断され遺児を摘出されたのだろう。「役立たずの容器」は、生かしておく意味はないので、そのまま放置し死亡した。看護婦は、ビンを保管棚に置くが、そこには大きさの様々な「遺児」が置かれている。このことから、死亡率がかなり高いのか、かなり昔からこうした行為が行われてきたことが推測できる。
  
  
  

ニコラが目が覚めると、ベッドの脇で、好きな看護婦が「お絵描き帳」を見ている。よほど気に入ったのだろう。半身を起こしたニコラを、看護婦がじっと見つめる。ニコラを待ち受ける悲惨な運命を可哀想に思っているのだろうか。ニコラは、「ヴィクトルはどこ?」と尋ねる。さっき、ヴィクトルの死体のそばにいたばかりの看護婦には、答えようがない。そこで、ニコラの前に行くと、「お絵描き帳」を手渡す(1枚目の写真)。そして、「これ、持ってきてあげた」と鉛筆を渡す。看護婦は、ニコラの脇に腰をおろし、ニコラが絵を描けるように体を起こしてやる。ニコラがオレンジ色の鉛筆で描いたのは観覧車。その1つに「人」の絵を描く。「あなたが乗って回ってる」。それを聞いて微笑む看護婦(2枚目の写真)。その後に、ニコラが描き始めたのは看護婦の絵だった(3枚目の写真)。この絵は、看護婦のニコラへの好意を決定的なものにする。
  
  
  

次のシーンでは、病室に母が訪れている。ちょうど食事時だが、ホシムシと藻を混ぜた皿(1枚目の写真)を前に、ニコラは食が進まない(2枚目の写真、矢印は皿)。「もっと食べて」。しかし、母が後ろを向いた隙にシーツにそっと吐き出す。それに気付いた母は、「何してるの? 無理矢理 口に入れられたいの?」と詰問。脇に置いてあった「お絵描き帳」に気付いて奪う。「返して」。母は、ベッドから離れてパラパラとめくる。「返して!」。ニコラはベッドから起き上がり、母から「お絵描き帳」を奪い返そうとする(3枚目の写真、矢印は「お絵描き帳」)。母:「ベッドに戻りなさい」「言う通りになさい!」「母親に逆らうんじゃないの!」。「母親なんかじゃない」(4枚目の写真)。これ以後、2人が会うことは二度とない。
  
  
  
  

恐らく、前のシーンの直後、ニコラがストレッチャーに載せられ処置室に連れて行かれる。直後と推測するのは、ニコラが暴れているからで、別の日だったら、そのような反応は示さないはずだからだ。ニコラは胸をベルトで固定されている。嫌がるニコラの腕に医師は注射を打つ(1枚目の写真)。この時の注射が何のためだったのかは皆目見当がつかない。しかし、この後、2分間近くにわたり水中映像が延々と続くので、腹部に埋め込まれた胎児の成長に関わる重要な薬剤だった可能性は高い。このシーンの後、映し出されるニコラは汗ばみ意識が朦朧としているように見える(2枚目の写真)。しばらくすると、「ニコラ」と呼ぶ声が聞こえる。カメラが引くと、ニコラのベッドの周りに4人の少年が立っている。「ニコラ」と再度呼びかけるが反応はない。1人の子が脇に置いてあった「お絵描き帳」を手に取って見るが、白紙のページ以外はすべて破り取られている。もう1人の子が、懐から折りたたんだ紙を取り出して拡げると、それは以前ニコラが描いた看護婦の絵だった。絵は、順番に回覧され、最後に枕元に置かれる(3枚目の写真、矢印は絵)。最後に、絵を持っていた子が、ニコラに語りかける。「僕の母さんも、僕の母さんじゃなかった」。全員が自分の置かれた立場を悟ったのだ。
  
  
  

その後、ニコラの体調は、胎児の成長とともに悪化し、点滴をしたままベッドから動けなくなる。その映像と重なるように、胎児の強い鼓動が流される。ある日、ニコラが目を覚ますと、目の前には好きな看護婦がいた。看護婦は、「ほら」と鉛筆を渡し、「一緒に描かない?」と言うと、ニコラの体を引きずって起こしてやり、自分用に1枚紙を破りとると、白紙だけになった「お絵描き帳」を渡す。しかし、力が湧かないのか、ニコラは何も描かない。看護婦に促されてやっとの思いで書いたのは、ヒトデ(?)、それとも、手術室の星型照明(?)。看護婦の描いたものは意味不明。看護婦は、以前ニコラが描いた自分の絵を渡す。ニコラがその絵を見ていると(1枚目の写真)、そこに鼻血が落ちる(2枚目の写真)。鼻血は、胎児を宿った子供たち特有の症状だ。看護婦は優しくフキンで拭いてやる(3枚目の写真)。まるで、自分の子供のように。
  
  
  

2度目の超音波検査。ニコラの腹部の胎児は、画像でもはっきり分かるほど成長している〔その割に、ニコラのお腹が膨らんでいない〕。ニコラは、首を上げてモニターを見、鼓動を聞いている(1枚目の写真)。中の胎児が動くので、思わず呻いてしまう。ニコラは、自分の体内で何が起きているか、ある程度悟ったに違いない。検査の帰り、看護婦はニコラを病室ではない違う場所に連れて行った。そして、「秘密を教えましょうか?」と訊く。「うん」。看護婦が見せたのは、背中の吸盤の写真等々〔他の写真は、画面に現れない〕。その後、2人はエレベーターに乗り最下層に降りる。2人は洞窟のようなところに入って行き、水辺に腰掛ける〔洞窟は海と直結している〕。看護婦は、ナースキャップを外すと、白衣を脱いで背中をむき出しにする。ニコラは、吸盤にそっと手を触れる(2枚目の写真)。映画は、水中シーンに移行する。海中に飛び込み、潜り込んだ看護婦が、水面にいるニコラの脚を引っ張り、水中に引きずり込む(3枚目の写真)。水面に出ようともがくニコラを押し留め、溺れさせようとする。これは、好きになったニコラを、この先 待ち受けている残酷な試練から救おうとする行為だった。しかし、実際に意識不明になって横たわるニコラの姿を見ると、不憫でたまらなくなる。恐らく、彼女は、ここでニコラの命を助けようと決意したのであろう。一転して救命にかかる(4枚目の写真)。心臓マッサージと人工呼吸をくり返すと、ニコラが息を吹き返す。それを見た看護婦の目には涙が。
  
  
  
  

ここで、短いエピソードが挿入される。ニコラは悪夢から覚めると、病室を抜け出し、看護婦が出てきた別の部屋に入って行く。その病室には1人だけ少年がいた(1枚目の写真)。ニコラは少年の脇に座ると、左手で少年の手を取り、右手でお腹を触る。「感じるだろ?」。「うん」(2枚目の写真)。しかし、少年が、その先 何かを言おうとすると、急にこみ上げてきて床に黒いものをいっぱい吐く。ニコラは必死で逃げ出す。
  
  

いよいよ、ニコラの「出産」が始まる。ニコラは手術室に連れて来られ、以前より広範囲にイソジンが塗られる。腹部を覆う穴開きドレープの穴も大きい。腹部はそれとなく膨れている(1枚目の写真)。ニコラは真っ直ぐ上を見つめている(2枚目の写真)。しかし、しばらくすると自分の意志で顔を左に倒すので、全身麻酔がかかっている訳ではない。医師はメスを手に取ると、ニコラの腹部にメスを当てる(3枚目の写真)。腹部を切る映像はないが、覚醒状態でメスを当てたということは、局部麻酔下での手術であろう〔ニコラは人間なので、麻酔なしの開腹には耐えられない〕
  
  
  

意識の戻ったニコラは、自分が顎まで水に浸かっていることに気付く(1枚目の写真)。そして、ふと目を下にやったニコラは、恐怖のあまり思わず息を飲む(2枚目の写真)。ニコラが体を動かそうと思っても、両手首と両足首が固定されているためびくともしない(3枚目の写真)。そして、お腹に張り付いた2体の何物かがニコラの腹部をしゃぶっている〔食い破るだけの鋭い歯はない〕。それは、人間の顔をした胎児のような存在だった。このシーンは、究極のホラーとして挿入されたのかもしれないが、不合理そのもの。もし、ニコラの体を胎児の餌として与えるであれば、腹に吸い付いても何も得るものはない。捕食のためには、腹部の切断部分が閉じずに開いているか、何らかの給仕用パイプが埋め込まれている必要がある。ニコラのその後の映像で、腹部には何も異常がないので、結局、このシーンはただの「恐怖心を煽る安手の一コマ」か、最大限譲歩して、ニコラの幻覚ということになろう。制作側は、「解釈は自由」と逃げているが、それは、合理的な解釈が幾通りも可能な場合の話。合理的な解釈の道が一つもない場合は興をそがれるだけだ。このシーンは、ない方がよほど良かった。
  
  
  

映画は、水槽のシーンの後、天井の電灯が滑るように動くシーンに切り替わる。ニコラがストレッチャーの上に仰向けなったまま運ばれているのだ。そして、看護婦とニコラは、先日訪れた洞窟の奥の海に一緒にいる。看護婦はニコラの頭から背筋を優しく撫で、互いに見詰め合うと、2人は海に入って行く。以前とは違い、ニコラの体を看護婦が前抱きにし、ニコラの口に直接空気を送り込むような姿勢だ(1枚目の写真)。この「女性族」は、人魚のように水中でも呼吸できるという設定なので、これならば、好きなだけ水中を進むことができる。しかし、ここに至るまでには、大きな疑問が幾つか残る。①ニコラを、見つからないよう、どうやって水槽から出したのか? ②その際、2体の胎児は死ぬのではないか? もし、そうだとしたら、看護婦にとって、ニコラは貴重な同族の子孫2体を犠牲にするほど大切な存在なのか? ③ニコラは開腹手術のあと、泳いでいいほどに回復するまでに1週間はかかるが、この点はどうクリヤーできるのか? いくら、あり得ない設定のダーク・ホラーだからといって、手抜きやごまかしは許されない。さて、ニコラは、水中から、ボートの上に移行する。ここでも疑問が山積する。ボートを、島から離れた海面に、予め、どうやって持ってきたのだろうか? ボートには推進装置が全くない。オールすらだ。さて、ニコラは、ボートでぐったりと横になる。看護婦は心配そうに見守る(2枚目の写真)。看護婦は、事前に用意しておいた水筒で水を飲ませてやる。そして、いたわるように、前髪を触る(3枚目の写真)。ボートは島からかなり離れている。海流にのれば、島からどんどん離れられる。
  
  
  
  

それを確かめると、看護婦は何も言わずに、船べりから海に滑り込んだ。それを見たニコラは、「ステラ!」と大声で叫ぶ〔看護婦の名前は、ここで初めて判明する〕。船べりから海を覗いて「戻って来て! ステラ!!」と叫ぶが、応答はない(1枚目の写真)。看護婦がニコラを逃がしたことは既にバレているだろうから、「ステラは無事 戻れるのだろうか」と、観ていて心配になる。夜になり、ボートは、小さな明かりを点けた状態で漂流を続ける。何日経ったかは不明だが、眠ってしまったニコラに、そのうち様々な音が聞こえて来る(2枚目の写真)。ニコラが体を起こして見てみると、そこには生まれて初めて見る光景が拡がっていたか。それは、巨大なコンビナートの放つ明るい光だった(3枚目の写真)。
  
  
  

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