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Intemperie インテンペリエ/荒野の逃亡者

スペイン映画 (2019)

ヘスース・カラスコ(Jesús Carrasco)の同名小説の映画化。原作(2013年)はカラスコの処女作で、多くの賞を受賞し、20の言語〔日本語は含まれていない〕に翻訳された名作。主人公は「少年〔niño〕」とあるだけで 名前はない。少年の逃避行を助けるのは年老いた山羊飼い。そして、少年を追うのは「監督〔capataz〕」。原作では「執行官〔alguacil〕」。どちらも、具体的にどのような存在なのか よく分からない〔映画の冒頭では、多くの小作の農作業の監視に現れる。彼の姿を見ると、小作達は帽子を取って挨拶するし、小作達を洞穴住居に住まわせたり追い出したりする権限も有している。ただし、大農場の持ち主ではないし、村の役人でもない〕。原作と映画では、逃避行の内容にかなりの違いがあり、映画の方がより活劇的なので、昔懐かしいマカロニ・ウエスタンを連想させる副題を付けた。映画の舞台となるのは 1946年。1936年から39年にかけてスペインを荒廃させた内戦が終わり、フランコ独裁が始まってから7年後。1946年12月には、スペインは “ファシスト国家” として国連から排除される。フランコ政権の支持母体は地主、貴族、資本家などの保守勢力だったため、小作農はきわめて厳しい立場に置かれた。2016年7月に紹介した『Entrelobos(エントレロボス/狼とともに)』では、7歳のマルコス少年が、地主から、奥地に1人で暮らしている老人の手伝いを命じられ、その老人が亡くなったことで狼と暮らすことになったという実話の映画化だったが、それが1954年の話。スペインというと観光と結び付けてしか考えないが、スペインが実質的な民主国家になったのは、1978年、新憲法のもとで立憲君主制に移行してから。スペインの1946年は、自動車こそ出てくるが、非民主的な社会はスペインを代表する画家ゴアが描いた19世紀初頭と何ら変わりはない。主人公の少年は11歳。スペイン南部の荒涼とした平原地帯(ムルシアとグラナダの中間点)にある “小作の洞窟” に暮らしている。それが、監督に見初められたことで、家に連れて行かれ、性的虐待を受けて逃げ出す。監督は、少年の代替がないことと、事実がバレるのを怖れ、部下を総動員して捜索に当たらせる。平原地帯には川も池もなく、井戸も、場所を知らなければ辿り着けないほどまばらにしかない。そして、少年が逃げ込もうとする町は遥か彼方。どうやって、その危機を少年は乗り越えるのか? 少年が偶然出会った山羊飼いの老人がメンターとなる。彼は、スペイン保護領モロッコで戦ったことのある元兵士。内戦が終わってもそのままモロッコに留まったことで、「モロ」とも呼ばれる。汚い戦争を見てきたことで、自分なりの処世観・人生観・規範をもつ人物で、少年は少ない会話の中から大切なことを学んでいく。それも、少年を守ろうとする彼の自己犠牲的な行動を通して。そこが、この原作の評価を高めた要因かもしれない。「山羊飼い」は、性的虐待で破壊された少年の心を癒し、将来、一人前の男として大成できるまでに鍛えてくれる。水のない砂漠からの脱出という意味では、2019年11月に紹介したか『Theeb(ディーブ)』が似ていなくはないが、この映画の方が遥かに深みがある。日本でも、下らないハリウッド映画の公開はやめて、こうした映画をちゃんと公開したらどうか? 原作の翻訳も、世界の20ヶ国でされていて日本はパスというのは情けない。中国では「荒野裡的牧羊人」という題で翻訳出版されているのに。

1946年、スペイン内戦(市民戦争)の7年後のアンダルシア地方東部の貧しい乾燥地帯。大農場を監督する男の家に住まわされていた小作農の子供が、命からがら逃げ出す。監督の男は、逃亡を知ると、手下に小作を指揮させ、近くを大々的に捜索するが発見できない。監督は、逃げた少年の妹を脅迫し、少年がバスを使って町まで逃げるつもりだと知ると、手下を連れて、子供の足では1泊野宿しないと行けない距離にある宿屋まで急行する。少年は、バスに乗れる直前で諦めざるを得なくなり、町まで荒野を歩いて行く決断をする。ただ、そのために必要な食料は持っていない。おまけに、ふとした事故で、大切な水筒を崖下に落としてしまう。少年は、事故の原因となった山羊飼いを追って行き、真夜中に食料を盗もうとするが失敗。持ってきたバッグも置いてきてしまう。飲まず食わずでさ迷う中、偶然に見つけた井戸は 水が枯れてしまっていて、少年は絶望のあまり気絶する。その命を救ったのは、少年を心配した山羊飼いだった。山羊飼いは、少年がさ迷う理由は分からなかったが、可能な限り助けてやろうと考え、その地域で唯一水の出る井戸まで連れて行く。しかし、監督の手下2名も、その井戸を目指していた。そして、そこに誰かがいるのを見つけると、挟み撃ちする形で井戸に近寄る。少年は、いち早く井戸の底に隠れ、手下の一人が山羊飼いの戦友だったことで、一時は事なきを得るかに見えたが、手下が連れてきた猟犬が、少年の小便の痕跡に気付いたことで、事態は一気に悪化。山羊飼いは、“少年の在り処を知る唯一の人物” として血なまぐさい拷問の対象となる。見るに見かねた少年は、手下2人の一瞬の気の緩みをついて、老人の小銃を奪い、それがきっかけとなり、その老人は、もう一人の手下によって誤射殺される。少年の小銃がその手下を傷付けたことで、形勢は逆手するが、山羊飼いは戦友だった男を殺さず、逃がしてやる。怪我を負った山羊飼いは、老人の残した馬に乗るが、それでも早くは進めない。水もなくなったので、少年は歩いて2時間先にある別の井戸まで 水を汲みに行かされる。そこで少年が遭ったのは、両脚を失い一人取り残された男。男は、少年が連れて来たロバを奪って兄のいる町に行こうと計略を立て、少年を物置に閉じ込めるが、少年は持っていたナイフで戸を壊して脱出。男を気絶させ、ロバを奪い返して山羊飼いの元に戻る。同じその夕方、井戸に捜索に訪れた監督と手下は、男から少年のことを訊き出した上で射殺する。翌日、井戸を再訪した少年は、山羊飼いが死体に敬意を払って埋葬するのを見る。そして、近くにある “昔鉄道が通っていた村” まで行くが、そこで待ち伏せていた監督と手下との間で戦いが始まる。山羊飼いは監督の手下2人を射殺する。一方、少年は一軒の廃屋に逃げ込むが、監督に見つかり、彼の仕掛けた罠にはまって山羊飼いは重傷を負う。監督は、少年をトラックまで連行するが、乗り込んだところを山羊飼いに引きずり出されて、殺される。しかし、それで力尽きた山羊飼いも息を引き取る。少年は、山羊飼いと敵の遺体を埋葬すると、生前に山羊飼いから教わった行き先目指して旅立つ。

主役の「少年」を演じるのは、ハイメ・ロペス(Jaime López)。2006年10月2日生まれ。映画の撮影は2018年8月に終了しているので、撮影時の年齢は映画の設定と同じ11歳。しかし、とても11歳には見えない。ハイメの映画初出演は8歳の時。『Techo y comida』(2015)だ。賞を量産した作品で、ハイメは、この映画でゴヤ賞の主演女優賞を獲得したNatalia de Molinaの息子という重要な脇役を演じている。3歳年下の時の下の写真を見ると、特徴は似ているが、この映画とはまるで違っている。メイクと強烈な太陽による違いだろうか? この映画は、今までノーマークだったので、COVID-19の蔓延で新規購入は控えていたが 我慢できずにドイツのアマゾンに注文してしまった〔アメリカとスペインは怖かったので〕
  

あらすじ

映画の冒頭、一人の “少年” が必死に野原を走る姿が オープニングクレジットとともに映される。後ろには、逃げてきた家が見える(1枚目の写真、矢印)。少年の服装は、後で出てくる少年の両親に比べると、格段に上等だ。そして、タイトル「Intemperie」が表示される。このスペイン語には、いろいろな意味があるが、ここでは、地形・自然としての「荒涼」、もしくは、状況としての「残酷」のどちらかが適切な直訳であろう。この映画は、その両面を持っている。オープニングクレジットは続き、映像は小麦畑に一列に並んで刈り取りをしている小作たちが映る(2枚目の写真、騎馬の男は “ポルトガル” 〔ポルトガル人なので、そう呼ばれている〕)。作業をしていた小作の1人が、「野兎!」と叫ぶと、全員が1匹の野兎を追いかける。作業は中断し、銃声が響く。馬に跨り、銃身の長い小銃を撃ったのは “監督”。「これは何だ? お祭りか?」と農作業を中断したことを叱る。小銃は空に向けて撃ったのではなく、野兎を殺している。小作たちが追いかけている野兎を狙えば、人間に当たるかもしれないが、監督には軍で鍛えた腕があり、絶対の自信で狙い撃ちしたのだ。監督は、野兎のすぐ近くにいて腰を抜かした小作に、「“片目”、持ってこい」と命じる。一方、近くにいながら兎追いを放置していた監視役に対しては、「ポルトガル、エミリオ様〔大地主〕には、収穫は月末までに済ませると話してある」と遅れを指摘する。「男手が足りません」。「なら、女も使え。ガキどももだ。さもなくば、お前も鎌で手伝え」。片目が兎を持ってきて監督に差し出すと、隣に控えた一の子分 “トリアナ”〔昔の芸名〕が、「こっちだ」と兎を取り上げ、代わりに監督が駄賃の小銭を片目に渡し、「ワインに使うな」と命じる。片目が作業に戻ると、監督の家から召使の女性が、「監督さん!」と叫びながら駆けてくる(3枚目の写真)。監督が、何事かと思い馬で近づくと、「あの子が家にいません。姿を消しました。出て行ったんだと思います」と報告する。「『出て行った』とは、どういうことだ? いつだ?」。「私は、村に買物に行きました。せいぜい2・3時間です。戻って来たら、いませんでした」。「鍵は掛けたんだろうな?」。「はい、誓って」。「どうやって逃げ出したのか分かりません。服もなくなっていました。パンとチーズもです。あと、今月のお金と、それに…」。「まだ、あるのか」。「あなた様の金時計も」。

少年は、予め打ち合わせてあったらしく、あちこち探しながら「チャニ」と呼ぶ。すると、1本しかない木の陰から少女が姿を見せ、「兄ちゃん、こっち!」と手を上げる。少年は、妹に走り寄る(1枚目の写真)。そして、バッグを地面に置くと、「誰かに見られたか?」と訊く。妹は首を横に振る。「確かだな?」。「うん」。少女が渡した布包みの中には、少年が着ていたシャツが入っている。少年は臭いを嗅ぎ、「どこに隠した?」と訊く。「言われたトコ。豚の囲いの中」〔少年の匂いを消すため〕。少年は、着ていたシャツを脱ぐ。すると、左腹部の打撲傷が露わになる(2枚目の写真、矢印)〔何らかの虐待を示す〕。「それ、どうしたの?」。「訊くな」。「監督がやったの?」。「訊くなと言ったろ」。少年は、下着と “豚の臭い” のシャツを着る。「一緒に行きたい」。「ムリだ。そう言ったろ。お金を稼いだら戻る」。「父ちゃんは、町の人は田舎の人に辛く当たるって」。「知ってるはずないだろ。行ったことないんだ」。「兄ちゃんだって」。「誰にも言うなよ。約束しろ」(3枚目の写真)。「約束する」。少年は、脱いだシャツを妹に渡し、「聖母の泉に行く道に置いてくるんだ。どこにあるか知ってるな?」と言う。妹は頷く。少年は、最後に、「できるだけ早く戻ってくる」と言い残し、バスが停まる宿屋の方角に向かって走り去る。その後ろ姿とともに、「スペイン、1946年」「市民戦争の7年後」と表示される。

妹が家族のいる洞窟に戻ると、ちょうど 監督が サイドカー付きのオートバイで乗り付けたところだった(1枚目の写真、矢印が監督)。監督は、複数ある洞窟の位置の一つに近づくと、「チャナはどこだ?」と訊く。入口に座っていた女性は、中に入って行き、「チャナ、監督さんだよ!」と呼ぶ。中に入っていった監督は、悪臭に思わず鼻を覆う。洞窟の内部は人工的に削られている(アーチ型の天井)〔なお、ネットで調べると、グラナダの40キロほど東にあるGuadix(グアディクス)では、2018年の記事で、今でも約2000人が洞窟住居に暮らしていると書かれていた。このGuadixは、映画のロケのあったOrce(オルセ)の南西70キロにあり、この地方の伝統的な生活スタイルのようだ〕。チャナ〔少年の母〕が、「何でしょう?」と顔を見せる。「小僧が、今朝、農園からいなくなり、帰って来ん」。「先週以来、見てません。他の子供たちと面倒を起こしたのかも。腹が空けば出てきます」。「俺の金時計を盗んだ」(2枚目の写真、中央のシルエットは妹のチャニ)。会話を聞いたチャニは「兄ちゃんは泥棒じゃない」と反論し、母に「監督さんに、何て口きくんだい」と頬を叩かれる。監督は、少年に詳しいらしい妹に、「兄を見たのか?」と訊く。「ううん」。「最後に見たのはいつだ?」。「3日前」。「何て言ってた?」。妹は、話そうとしない。そこで、母が、「あの子と会った後、すごく深刻そうに見えたって言ってました。あなたの家にはもういたくなさそうに思えたって」。「今、何歳だ?」。「来月9つになります」。「9歳の子に何が分かる?」。「とても頭のいい子です」。「なら、お前はバカだ」。監督は、変な疑いを抱かせまいと、妹に 「お前の兄の、初聖体拝領式の着衣が昨日届いた。ご主人の息子さんですら、着たことがないような服だ」と、言い聞かせる。母は、「そんなに良くして下さるとは、息子は幸せ者です」とお礼を言う。「息子だけか?」。「私ども全員です」。「そうだ。忘れるな」。

小作の洞窟村を出た監督は、聖母マリアの祠の前に行く。そこには、トリアナが待っていて、「犬がこれを見つけた。ガキのでしょう」と言って、シャツを渡す(1枚目の写真、矢印)。ポルトガルが、「他に、痕跡はありません」と報告する。すると、“セゴビア”〔地名〕が、「あんな小さなガキは、乾いた土に跡は残さんじゃろ」と言う(2枚目の写真)。監督は、トリアナに、「この道を行ったと思うか?」と尋ねる。「こっちに? 一番近い町で50キロ先ですぜ」(3枚目の写真)。セゴビア:「シャツは、丸見えじゃった。追われたくなかったら、埋めるじゃろうて」〔チャニが 母が言うほど「頭のいい子」ではなかったのか、少年が詳しく指示しなかったのが悪いのか?〕 。監督は、ポルトガルに、「男たちを半分連れて行き、村をくまなく捜せ」と命じ、セゴビアには、「残りを連れて谷だ」と命じる。さらに、「皆に伝えろ。見つけた奴には50ペセタ払う」と告げる〔1946年の50ペセタは、MeasuringWorth.comによれば、計算の算定基準により、現代の€31.43(同一の品物の価格比較)、€162.87(同一の未熟練労働に対する賃金比較)、€272.86(同一の平均的労働に対する賃金比較)、€323.95(一人当たりGDPに基づいた比較)などに分かれる。それぞれ円換算すれば、4000円、2万円、3万3000円、4万円弱とバラツキが大きい。中間をとれば約2万円か?〕

「谷」では、セゴビアが指揮を取り、男たちを等間隔に配置し、少年を捜す(1枚目の写真、矢印は両端)。この捜索は、大切な小麦の収穫を中断して行われている。それだけ、少年の失踪が監督にとって重要なことを意味する。この時点で観客に分かるのは、①腹部の暴行、②少年は監督の家にいるのを嫌がっていた、③監督は、少年に “小作の子供” という身分以上の待遇を与えていた、の3点。同じ頃、少年は 走りに走り、岩山まで辿り着き(2枚目の写真)、落ちていた枝を拾い集め、安心して夜を過ごせるように枝を岩の窪みに10数本立てて外から自分の姿が見えないように囲う。そして、恐らく、初めて水筒の水を飲む(3枚目の写真、矢印)〔水は貴重品なので、極力セーヴしなければならない〕。暗くなって明かりを点けると、遠くからでも見つかるので、夜になっても真っ暗な中で過ごす。監督は双眼鏡を使って明かりを捜すが、少年は見つからない。

翌朝、監督はチャニを呼び出す〔父と母も同伴している〕。トリアナ、セゴビア、ポルトガルの3人も一緒で、威圧感がある中、監督は、チャニに、「昨日、お前が何か隠してるんじゃないかと感じた」と切り出す。「機会をやろう。今は黙っていても、最後には話さざるを得なくなるぞ」。そう言うと、監督は昨日見つけた少年のシャツを見せる(1枚目の写真、矢印)。「お前の兄のだ。これを 聖母の泉に置いたのは、お前だな?」。妹は何も言わない。「注意して聞け。お前は、ここにいれば安全だ。兄は違う。オオカミやイノシシがいるし、岩の下にはサソリもいる。悪い男に怪我させられるかもしれん。そうなってもいいのか?」。妹は、首を横に振る。「俺もだ。だから、どこにいるか言うんだ。何か起きる前にだ。分かるな?」。妹は何も言わない。「我慢にも限界がある。やりたくないことをさせる気か? 何だか知りたいか?」。妹は、再び首を横に振る。「ここに来い」。妹が監督の前まで行くと、「お前は、両親や兄弟と一緒に洞窟に入れられる。入口を塞ぐから、お前たちは逃げられん。後は、飢え死にするまで待つだけだ」。この静かな脅しに怯え、妹は漏らしてしまう(2枚目の写真、矢印)。それを見た監督は、あと一歩だと確信し、「そうして欲しいのか?」と静かに訊く。妹は、三度 首を横に振る。「兄を助けたか?」。頷く。「どこにいる?」。「町に行くと言ってた」。「どの町か言ったか?」。「バスに乗るって」。これで、すべて判明した。監督は妹を両親の元に戻す。そして、両親に向かって、「お前たちの息子が 盗んだものと一緒に出て来なかったら、どこか他の村に行け。俺が監督である限り、ここで仕事はない」と宣告する(3枚目の写真)。「言ったことは、分かったな? でなきゃ、洞窟ごと丸焼きにしてやる」。監督は盗難のせいに見せたがっているが、執念の強さは、それ以外の何かを強く感じさせる。

少年は、バスに乗るため、2日がかりで宿(ホテルと食堂を兼ねた場所?)を目指していた(1枚目の写真)。乗る予定だった2日に一度のバスが走ってくるのが見える(2枚目の写真)。やったと思った時、背後で気配を感じる。少年が振り返ると(3枚目の写真)、そこに見えたのは、バイクが全速でこちらに向かってくる砂煙だった(4枚目の写真、矢印)。

少年は、急いで路端に飛び降り、道路を平らに盛り上げている境界の石積の陰に隠れる。しばらくすると、監督が運転するサイドカー付きオートバイが上を走って行く(1枚目の写真)。その後を、トリアナ、セゴビア、ポルトガルを乗せたトラックが追う。バイクとトラックは宿に直行する(2枚目の写真、矢印が2つ)。監督はバスの運転手を呼びつけ、「12歳くらいのガキを乗せたか?」と訊く。「いいえ、旦那」。「走っている時、誰か見たか?」。「誰もです、旦那」。「次はどこだ?」。「チャト・モレノ宿です。数時間先の」。中を調べに行ったトリアナは、宿の中には少年はいないし、見た者もいないと報告する。バスは出て行ってしまい、少年はバスで町に行くことはあきらめる(3枚目の写真)。一方、監督と3人は並んで歩きながら宿から離れる。セゴビアは、「なぜ、警察に通報しないんだね? 捜してくれるだろうに」と素朴な疑問をぶつける。「警察の世話にはならん」。ポルトガルは、「この暑さじゃ、歩いて町まで行くのは無理ですぜ」と、自分の体力から推定するが、監督は、「奴なら、やろうとする。強情だからな」と否定する。トリアナ:「最短コースは谷沿いですぜ」。セゴビア:「ガキがそれを知らんかったら、道に迷うじゃろ」。監督:「それはどうかな。奴は、コンパスを盗んでいった。自力で何とかするだろうし、銃の腕前はお前らより上だ〔銃は盗んでいかなかった〕」(4枚目の写真、左から、ポルトガル、監督、トリアナ、セゴビア)。それにもかかわらず、ポルトガルが、「お言葉ですが、崖から落ちたり、イノシシに襲われたりするかもしれませんぜ」と口を出し、頬を叩かれる。以上の会話から、①監督は警察沙汰にしたくない(少年が警察から尋問を受ける)、②少年の強さを認めており、死んで欲しくないと強く願っている、ことが分かる。ここまでの部分を、原作と対比してみよう。224ページもある本を読む時間はないので、「LISBOS de ESPAŇA」で紹介された「あらすじ」を引用させていただく。それによると、「少年は地面に掘った穴に身を隠し、自分を探す村の大人たちの気配に耳を澄ませる。逃亡の堅い意志とともに少年は眠りに落ちる。7~8時間後、太陽の光と体勢のつらさで目を覚ました少年は、日没を穴の中で待つ。猛烈な尿意。耐えかねてその場で小便をすると、不快な匂いが穴を満たす。夜になってからそっと外に出る。向こうに広がるのは、少年にとって全く未知の大地だった」と書かれている。映画とはかなり異なっている。

少年は野道に沿って歩く。喉が渇いたので、バッグを開けて水筒を取り出し、飲み終えたところで、後ろから何者かが接近してくる気配を感じる(1枚目の写真、矢印は水筒)。最初に見えたのは、犬。少年は、急いで道からどくが、後ろからやってきたのは、ロバに荷物を満載し、その後ろに山羊の群れを引き連れた “山羊飼い” だった(2枚目の写真)。少年は、道の脇の草むらの下に隠れる(3枚目の写真、矢印は水筒)。山羊飼いは、少年の存在を知らずに通り過ぎて行く。

少年が立ち上がろうとした時、乾燥した砂で足が滑り、そのまま斜面を転がり落ちる(1枚目の写真、矢印は左が足、右が頭)。手に持っていた水筒は、手から離れて崖下に落ちてしまう。少年は、草につかまり何とか崖から落ちずに済み、必死に這い上がる(2枚目の写真)。しかし、崖下に落ちた水筒はあきらめるしかない。何とか道に戻り、埃を払った少年が、無事を確かめようと、ズボンのポケットからコンパスを出すと、ガラスが割れてしまって使い物にならない(3枚目の写真、矢印)。邪魔になるだけなので、投げ捨てる。少年は、生存に大切な2つの物を一度に失ってしまった。

水の確保は、生きるための最優先事項なので、少年は、山羊飼いが一夜を過ごすために設営した場所にこっそりと近づき(1枚目の写真、矢印は水)、どこに何があるかを観察する(2枚目の写真)。そして、真夜中になり、山羊飼いが眠ったのを確かめると〔焚火の横で、毛布をかぶって寝ている〕、置いてあった荷物の中から、必要なものを頂戴し、逃げようとする。すると、思わぬ方角から、「わしの食べ物を持ってどこに行く気だ?」と声がし、びっくりする。“寝姿” は、少年を誘い出すためのトリックだった〔山羊飼いは、いつ少年の存在を知ったのだろう?〕。「なぜ、盗む?」。「お腹空いた」。「ここじゃ、みんなそうだ。まだ、質問に答えてないぞ」。「丸一日、何も食べてない」(3枚目の写真)。「だからって、他人の食べ物を盗んでいいのか?」。少年は、ナイフを出して戦う素振りを見せる。「動くな、さもないと殺すぞ!」。「お前に人は殺せん。それをしまえ、怪我するぞ」。少年はナイフを突き出すが、空振り。そこで、逃げ出す。おまけに、盗んだ食料を入れたバッグを置いていってしまう。原作との対比:「少年は北へ向かい、やがて焚き火を見つけて近づいていく。夜明けとともに、地面に横たわる一人の男と犬、そして山羊たちが見えてくる。男は山羊飼いの老人だった。山羊飼いは少年が逃げてきたことを察しており、乳を受け取りに人がやってくることを少年に教える」。この部分も映画とはかなり違っている。

翌日。2日間何も食べず、丸1日何も飲んでいない少年は、照り付ける太陽の中、着ていたシャツを頭に巻き付け、ふらふらと歩き続ける(1枚目の写真)。すると、目の前に現れたのは、井戸を囲む建物。少年は、辺りに誰もいないことを確かめ、真っ直ぐ建物に向って駆けていく(2枚目の写真、矢印)。何としても水が欲しいからだ。建物の真ん中にある井戸に、石を落としてみるが水の音がしない。井戸は干上がっていた。少年は絶望し、建物から出て日陰になっている壁を背に立つと(3枚目の写真)、そのまま気を失って倒れる。

監督が、辺鄙な場所にある一軒家で、部下と落ち合う。セゴビアが、「ガキは、村にも農場にも現われとりやせん。家族も何も聞いとりやせん」と報告する。木の粗末なテーブルの上には地図が置かれている。そこに、家の女主人が顔を見せる。「何か 食い物はあるか?」。「あり合わせで作ったシチューがあります」。「試そう。腹が空いた」。そのあと、監督は、地図を指差しながら、自分が探した範囲を示す(1枚目の写真、矢印は、初めて顔を見せる “老人〔viejo〕”。この写真には、サイドカー付きのオートバイを見ている子供も映っている)。監督は、バスのルート上の宿には、通達を出したと告げる。セゴビア:「あのガキは元気だから、早く歩くじゃろう」。監督:「食料も水もなしじゃ、続かんだろう」。老人:「なら、井戸を見張らんと」。監督:「どこで、水を見つけるかな?」。老人:「一番近い井戸は、ここじゃな」。トリアナ:「干上がっとる」。老人:「ガキは知らん。こっちには水があるが、町に向うなら、道から外れる」。監督は、トリアナと老人に2つの井戸に行くよう指示する。監督が出発しようとしてバイクの方を向くと、この辺りでは見ないような美少年が、監督の方を見てほほ笑む(2枚目の写真)。それを見た監督は、「あれは、あんたの息子か?」と訊く。そうだと知ると、名前を訊き、母親には、「あんたが村に来れるよう荷車を寄こそう。洞窟の一つが空く。仕事をやろう」と提案する。しかし、母親は、両親の村に行くからと言って申し出を断る。がっかりした監督は、最後に男の子の頭を撫でる(3枚目の写真、矢印)。これは、少年の逃亡の理由を明確化する重要な挿話。監督は小児性愛者だという可能性が浮上する。この新しい少年を村に連れて行き、逃げた少年の一家を追い出した後に、この母子を住まわせ、新しい少年を 逃げた少年の代わりにするという算段だったが、見事に失敗する。監督にそのような性癖があるとすれば、少年がどうして必死になって逃げようとしたかがよく理解できる。

一方、気を失った少年にいち早く気付いたのは、山羊飼い。水の入ったバケツを持って近寄ると、声をかけ、それでも動かないので、触れて起こす。少年は、目を覚ますと、「触るな、殺すぞ!」と、ナイフを向ける〔ナイフを握ったまま倒れていた〕。山羊飼いは、「落ち着け。何もせん」と言いながら(1枚目の写真)、次の瞬間、素早くナイフを持った手をつかんで無害化する。と、同時に。少年の背後に回り、「放せ!」と言うのを無視し、首に巻いていたバンダナを外すとバケツの水に浸し(2枚目の写真)、それを少年の口に含ませる。「ゆっくり、少しずつだ」。2回目の水分補給の後、今度は、カップに水を入れ、それを飲ませる。急いで飲み過ぎると、慣れていないのでむせてしまう。ある程度水を飲んだ少年は、もう一度気を失う。目が覚めると、日覆いの下に寝かされていた。夜になり、少年は悪夢にうなされる。そして、「僕に触るな」と何度も言う(3枚目の写真)。原作との対比:「少年は山羊飼いのもとを離れ、木陰で午前を過ごす。猛烈な渇き。いつのまにか少年は眠りこむ。悪夢。気づいた時には、凄まじい日差しに晒されたまま長い時間が過ぎていた。危険な状態に陥った少年を助けたのは山羊飼いだった」。ここは、かなり似ている。

翌朝、山羊飼いは少年にパンと水を与える。そして、少年が置いていったバッグも返してやる。まだ警戒心を解いていない少年は、「水も食料もなしに、どこに行く気だった?」という当然の質問に対しても、「関係ないだろ」と心を開かない。しかし、「出発するぞ。水がなくなった。動物たちが欲しがってる」の言葉を聞くと、水の入手は最優先課題なので、一緒に付いて行く。最初のうち、帽子を被っていない少年は、太陽光が直接頭に当たり辛そうだった。それを見た山羊飼いは、頭から首にかけて巻いていた布を取ると、「ほら、これをつけろ」と渡してくれる。少年は、お礼も言わずに受け取ると 頭から被って手で引っ張るが、それでは両手が塞がれてしまうため、山羊飼いが手伝おうとする。しかし、監督にされた嫌な思い出が、山羊飼いを近づけさせない。それでも、山羊飼いは、布を取り上げると、正しいやり方で頭から掛けてやる。その時、山羊が鳴いたので、「乳の絞り方知っとるか?」と尋ねる。「ううん、旦那〔señor〕。でも、覚えるよ」。山羊飼いは、少年の首の後ろで布を結ぶ。これで、布は頭にしっかりと固定される。「だといいが。それに、旦那と呼ぶな」(1枚目の写真)。山羊飼いは、さらに、「お前にパンとチーズをやる。たくさんじゃないが、節約すれば数日はもつだろう」と言う。「お金ならあるよ」。「何が欲しい?」。「あなたの食べ物を買う」。「わしの食べ物を買うだと?」。「売ってくれるなら」。「わしのロバも買う気か?」。「僕の金時計と交換だ」。「どこで手に入れたんだ?」。「もらった」。「誰に? 父さんか?」。「いないよ」。「誰に殴られた?」〔昨夜、寝かせた時に腹部の打撲傷を見た?〕。「誰にも。落ちたんだ」。「坊主… お前が真実を話そうが、嘘を話そうが、構わん。だが、もし嘘なら、助けてやれん。どこに行く?」。少年はしばらく考え、本当のことを話すことに決める。「町だよ」。「どうやって行く気だ?」。「バスで。遅刻した」。「2日後に、また来るぞ」。「知ってるけど、待ってられない」。「どうして?」。「待つのは嫌。だから歩いてる」。「町まで? 道は分かるのか?」。「太陽は東から昇るから、北はこっち。町も同じ」。「どこで覚えた?」。「ある人が、教えてくれた」。「その人は、どこに井戸があるか、どうやって暑さを防ぐか、教えてくれたか? 金(かね)と金(きん)は、この荒れ地じゃ何の意味もない」(2枚目の写真)。山羊飼いは1本の木を見つけると、即席の布団を作って日陰の場所に敷き、そこに横たわる〔シエスタ〕。少年が、太陽光の中に座ったのを見ると、「そこに座るな、体が溶けちまうぞ」と言い、体を少しずらし、横にくっついて寝るよう勧める。接触を怖がっていた少年だったが、山羊飼いへの信頼と 暑さから逃げるため、一緒に横になる(3枚目の写真、点線は日陰のライン、少年の右手が撫でているのは犬)。

2人がかなり歩いた頃、山羊飼いが、「今夜は、ここで夜を過ごすぞ。水のあるのはここしかない」と言い、行く手に廃墟が見える(1枚目の写真)。2人は、壁すら崩れ、どこからでも出入り自由な廃墟の中に入って行く(2枚目の写真)。幸いなことに井戸は形を保持しているが、横についている汲み上げ用の水車〔sènia〕は使えない。山羊飼いは、井戸に入って行き、底に僅かに流れ込む水を手ですくって飲めることを確かめると、少年にバケツを要求する。少年は、井戸のロープに結んであったバケツを入れようとして手を滑らせ、バケツはそのまま落下、危うく山羊飼いに当たるところだった。「何をする!」。「ごめん、手が滑った」(3枚目の写真、井戸は直径が大きく、下まで降りて行けるよう、木の棒がらせん状に付けられている。一番底に見える光るものが水)。

山羊飼いはバケツの水で体を洗い始める。少年は、裸の大人を見るのが嫌でたまらない。それでも、「来い、急げ。洗いたくないのか? 豚の囲い〔corral〕みたいに臭いぞ」と言われると、仕方なく、上半身裸になって頭から水をかける(1枚目の写真)。「終わったら、服を脱いで洗え。虫がついてるぞ」。「着替え、一つしかない」。「町までとっておけ。汚いと、乞食扱いされるぞ」。「洗ったら、着る物がない」。「荒野の真っ只中だぞ。誰が見る?」。夜になり、洗濯物を吊るしたまま、2人は布を体に巻いている(2枚目の写真)。「町に行ったら、何をするんだ?」。「金持ちになる」。「金持ちになったら?」。「村に帰り、ボスを殺す」(3枚目の写真)「そしたら、奴の土地を買い、全員追い出して村を焼く」。「死人の土地を買うのか?」。「まず買って、それから殺す」。「お前の後を追ってる奴か?」〔少年の様子から、後を追われていると推測した〕。少年は急に黙り込む。「焼くのに、村を買う必要はない。要るのは火と根性だけだ」。「2つともある」。「そうだろう。だが、心の中の火は 頭の中を煙らせる」。「どういうこと?」。山羊飼いは「年に似合わん」と言い、さらに「お前の人生はこれからだ。苦い思い出は断ち切れ」とも。夜明け前に目が覚めた少年は、壁の外に行き、用を足す。原作との対比:「少年は山羊飼いに導かれて、翌朝から3日ほどのあいだ転々と場所を変える。山羊飼いは少年の追っ手が迫っていることを察知していた。塔の上にキリスト像のある城の廃墟のそばに2人が着いた頃、山羊飼いは疲れ切っていた」。映画では1日。山羊飼いは “察知” はしておらず、“推測” しただけ。廃墟に塔などはない。山羊飼いは疲れていない。状況はかなり異なる。

井戸を調べに行ったトリアナと老人は、2人のいる廃墟に接近する〔猟犬を連れている〕。老人:「ここらで水の出る井戸は、あそこしかない。奴らが一夜を過ごすには最高じゃて」。その言葉に、トリアナはすぐに反応する。「『奴ら』とは、どういうことだ?」。「ガキは一人じゃない」。「何で分かる?」。「犬が そう言っとる。あんたはこのまま行け。わしは、ぐるっと回って横から入る」。その頃、少年は、朝の準備をし、お椀を山羊飼いに持って行く。「役立たずじゃなかったな」(1枚目の写真)。少年は犬が気に入って、また撫でてやる。2人が出発の準備を始めると、犬が吠える。山羊飼いが調べに行くと、遠くから馬に乗った男が近づいてくるのが見える(2枚目の写真、矢印)。少年は怖れを隠せない(3枚目の写真)。別の方角からも、もう1人やってくる。山羊飼いは、「すぐ隠れろ」と命じる。少年は、どこかに走って行く。原作との対比:「翌日の午後、山羊飼いは聖書を読んで過ごす。少年は、調理のために火を起こせば追っ手に見咎められてしまうかもしれないと諭されたが、聞き入れずにウサギを捕ってきてしまう。山羊飼いとともにウサギを食べ終えた少年はふと、追っ手がいるのを山羊飼いが知っていることを訝しく思い、自分を執行官に差し出そうとしているのではないかと疑惑にかられる。老人との口論の末に少年が一人で去ろうとした時、バイクに乗った執行官が、馬に乗った2名の手下とともに城を訪れる」。映画と原作は全く違っている。

廃墟に入って来たトリアナは、山羊飼いとは旧知だったので、「やあ、“モロ”〔ムーア人〕、びっくりだな」と喜ぶ。「ほんとだ、伍長〔cabo〕」。老人は、2人が知り合いなので困惑する。トリアナは、2人がモロッコで同じ軍に入っていたが、山羊飼いはムーア人と一緒に残ったと、老人に説明する(1枚目の写真、矢印は出発の準備を続ける山羊飼い)。トリアナは、「旧友にワインをくれるか?」と言い、山羊飼いはボタバックを投げて渡す。疑い深い老人は、山羊飼いに、「ここで何しとる?」と訊く。「何で? お前さんの物か?」。「雇い主の物だから、同じじゃろ」〔単なる監督が遠く離れた井戸まで所有しているとは思えない。監督を雇っている地主ならあり得るが… この老人は地主に雇われ、監督に使用権が委ねられているのだろうか?〕。「ここいらの井戸はみんな干上がっとる」。「次に、この土地に入る時は、許可を得ろ」。「そうする」。「わしらは 11歳くらいのガキを捜しとる。見たか?」。「ここずっと、誰にも会っとらん」。「なぜ、捜しとる?」。「盗っ人じゃ」。無事に終わりそうだったが、急に猟犬が吠え始める。犬の声がある程度わかる老人は、少年がここにいたことは確実で、どこかに隠れているに違いないと思い、井戸を覗く(2枚目の写真)〔少年は、井戸の底の隅に隠れている〕。犬の後をついて行ったトリアナは、犬が石壁の基部に向かって吠えているのに気付く〔朝、少年が小便をした場所〕。そこで、土を掘り、少し湿っている土の臭いを嗅ぐ(3枚目の写真)。その頃、老人は火を点けた藁を井戸に落とし、暗がりの中に隠れていないかを調べる。さらに、井戸の中に向かって銃を撃つ。

少年が、この廃墟の中にいると確信したトリアナは、井戸に隠れていたら撃ち殺すことになるので、「おい、老人、お前さん、監督が何て言ったか覚えてないのか? 『生きて連れ戻せ』だ。ガキが血まみれだと知れたら、俺たち地獄を見るんだぞ」と止める。それと同時に、山羊飼いの前に前に行き、「ふざけるのは止めろ、モロ」と警告する。「最後にしょんべんしたのはいつだ?」。「2時間くらい前かな」。「どこでした?」。山羊飼いが指した場所が正しかったので、トリアナは、いきなり杖〔山羊飼いの持ち物〕を振り上げ、肩を思い切り叩く。山羊飼いは地面に倒れる(1枚目の写真)。トリアナは、山羊飼いが指した辺りで小便の痕跡と、少年の足跡を見つけたと理由を話す。老人は、山羊飼いの前に屈み込むと、「モロ、お前のことは知らんし、何の反感も持っとらん。ガキがどうなったか話すだけでいい。そしたら、動物と一緒に行かせてやる」と持ちかける。「知らん」。「何の関係もないのに、なんで庇う?」。「好きなように殴れ。何も話さん」。その言葉に、トリアナは杖で山羊飼いの頭部を強打する。そして、山羊飼いを後ろから抱き抱え、腕で首を固定する。老人は、山羊を入れた囲いから1頭引き出すと喉にナイフを当てる。トリアナは、「どこにいるか言わんと、お前も同じ目に遭うぞ」と脅す。それでも山羊飼いが黙っていると、老人はヤギの喉を掻っ切り、死骸を井戸に投げ込む(2枚目の写真)。少年の目と鼻の先だ。2頭目を投げ込んだ後、老人が目を付けたのは、少年が可愛がっていた犬。口笛を吹いて呼び寄せると(3枚目の写真、矢印は山羊飼いの頭)、喉を掻っ切り井戸に投げ込む。それを見た少年は、涙を流して上を睨む(4枚目の写真)。

井戸の外にも、動物の死骸が多数転がっている。いくら殺しても山羊飼いが口を割らないので、トリアナは方針を変える。トリアナは、山羊飼いの首と手をロープで縛り、そのロープを馬に乗って牽く。そして、強制的に井戸の周りを歩かせながら、自分が闘牛士だった頃の話を2人に聞かせる。その間、老人は小銃を脇に置いて暇そうにしている。少年は、様子を見ようと、木の棒をつかんで井戸を登る(1枚目の写真)。そして、井戸の上まで来ると、石積みの隙間から外の様子を伺う(2枚目の写真、石の側面の赤いものは山羊の血)。トリアナは、闘牛士の顛末の最後を受けて、「これから、その復讐戦だ。ボロボロの死体にしてやる」と言い出し、馬を走らせる(3枚目の写真、矢印は老人の小銃。中央右に垂直に立っているのが水車)。

井戸の周りを何周かした後、老人は、「やめろ、トリアナ、もう十分じゃ」と止める。「なんでだ?」。「もう芝居には飽き飽きした。時間を無駄にしたくない」。そう言うと、山羊の喉を切ったナイフでロープを切断すると、そのロープを手でつかみ上げ、「モロ、わしには ガキなんか どうだっていい。だが、監督に無事に渡さんといかん。お前が教えんのなら、山羊と同じ目に遭わせる」と言い、喉にナイフを当てる(1枚目の写真、矢印はナイフ)。「ガキはどこだ?」。「お前の後ろだ」。少年は、放置してあった老人の小銃を奪い、老人に狙いをつけていた。老人は、両手を上げ、「銃を下げろ、弾が入っとる」と急に弱気になる。その時、猟犬が襲い掛かろうとし、少年に一発で仕留められる(2枚目の写真、左の矢印は猟犬、右の矢印は少年が構えた小銃)。監督が「銃の腕前もお前らより上だ」と言ったのは、事実だった。少年は、すぐに充填し 再び老人に向ける。トリアナも小銃を構え、少年に向かって「殺してやる」と叫ぶ。間に立った老人は、「何をする! 銃を下げろ!」と必死だ。「そこをどけ。でないと、あんたも死ぬぞ」。「銃を下げろ!」。「どけ!」。少年が先に撃ち〔トリアナの右耳に当たる〕、続いて撃ったトリアナの弾が老人の背中に当たる。老人は振り向き、「何てことをしやがる、このクソ野郎」と恨み節を言い(3枚目の写真、如何にも少年が撃ったように見える)、そのまま倒れて死ぬ。トリアナが耳を押さえて立ち上がると、今度は、山羊飼いが銃を構える。そして、「まだ1発残っている。それで十分だ」と威嚇し、トリアナは逃げていく〔トリアナの乗っていた馬は銃声で逃げてしまったので、トリアナは走って逃げる/老人の馬は残っている〕原作との対比:「執行官と2名の手下は、少年がとっさに隠れた城の塔の中で火を焚いて誘き出そうとするが、少年はどうにか身を隠しおおせる。執行官たちはやむなくその場を去る。塔の中で眠り込んだ少年は、真夜中に老人の呼び声で目を覚ます。老人は少年が隠れていた間、執行官から鞭で拷問を受けていた。6頭の雌山羊と雄山羊は首を刎ねられ、犬は行方不明、残っているのはロバと3頭の雌山羊だけだった」。ここも大幅に違っている。唯一同じなのは、山羊を殺して口を割らせようとする場面だが、少年はそれを見ていない。映画の方が、少年にとって遥かに残酷だ。

トリアナの姿が消えると、気力だけで立っていた山羊飼いが崩れるように倒れかけたので、急いで少年が脇の下に頭を入れて支える(1枚目の写真)。山羊飼いは、落ち着くと、「馬を連れてこい。怖がらせるな」と命じる。山羊飼いは、重くて自分で運べないので、老人の死体を馬に引きずらせて壁際に移すと、死体を石で覆い始める。少年は、相手が 憎い敵なので、「なぜ、埋葬なんか?」と訊く(2枚目の写真)。「尊敬に値せん生者はおる。だが、死者は違う。敬意を払え」。山羊飼いは、少年に、死者を敬うことを教える。老人の全身は石で覆われ、最後に、山羊飼いがひと握りの砂を振りかける。

2人は再び、炎天下の荒れ地を進む。負傷した山羊飼いは、死んだ老人の馬に乗り、元気な少年はロバと一緒に歩く。後ろには、虐殺を免れた雄山羊1頭と雌山羊4頭がロープでつながれ一列になって続く(1枚目の写真)。山羊飼いの具合が悪そうなので、少年は、「休もうよ」と心配するが、山羊飼いは「あと少し 行けるぞ」と痛みをこらえる。「あいつらに渡さないでくれて、ありがとう」。「井戸に隠れるとはな」(2枚目の写真)。「ごめんね。許して」(3枚目の写真)。「謝らんでいい。お前が悪いんじゃない」。

2人は、かつて住居だった跡に着く。「ここで、夜を過ごすぞ。もう限界だ」(1枚目の写真)。少年は、井戸の廃墟で教わったやり方で山羊の乳を搾るが、出が悪い。絞った乳を、「これっぽっち」と言って山羊飼いに渡す。山羊飼いは「山羊も、人と同じで、水と休息が要る」と教えると、「先に飲め」と椀を返そうとする。少年は「絞りながら飲んだから」と遠慮する〔そんなことをした形跡はない〕。ここで、山羊飼いが重要な発言をする。「明日、1人で水を汲みに行ってくれ。2時間で 井戸がある。早く歩けば 正午までに戻れる」。山羊飼いは、少年が渡した肉を食べ始める(2枚目の写真)。しかし、傷んだ歯では硬い肉は噛み切れない。そこで「小さく切ってくれ」と頼む。さらに 少年の様子を見て、「一で行くのは怖いか? 水がなくなったら、怖いどころでなくなる」と元気付ける。少年は何も言わず、小さく切った肉片を山羊飼いの口に入れる。「モロッコでは、水を切らした兵士は狂った」。「あなたは?」。「耐えた」。そして、「少しは食べろ。冷えた肉は噛めん」と言う。少年:「僕は食べない」。山羊飼い:「それしかない」。「あなたの山羊だ」。「わしの犬もだ。済んだことは変わらん」。そう言うと、山羊飼いは例え話を持ち出す。「嵐が来て、強く堅い木が折れても、ヤシの木は、強くはないが 幹を曲げる… 降伏とは違うぞ… そして、生き延びる」(3枚目の写真)。その頃、監督が気配を感じてオートバイのヘッドライトを荒れ地の雑草に向けると、トリアナが、「助けて… 水…」と言いながら現われる(4枚目の写真、矢印)。「見つけたか?」。頷く。「生きてたか?」。「はい… でも老人が…」。「どういうことだ?」。「ガキは一人じゃない。モロと一緒」。「誰だ?」。セゴビアが代わりに説明する。「モロッコの軍隊で、何年も一緒じゃった奴ですだ」と補足する〔どうして分かったのだろう?〕。「お前たち2人が、1人にやられたのか?」。トリアナは、水を飲んで口がきけるようになったので、「悪いのはガキで… 老人の小銃を奪い… 動物みたいに背中から撃ち殺しやした」と嘘をつく〔自分が、仲間の老人を殺したとは言えない〕

翌朝、少年はロバだけを連れて1人で井戸に向かう(1枚目の写真)。着いた先は、これまでの井戸と違い、“如何にも誰かいそうな” 感じの場所だった(2枚目の写真)。少年は井戸の所まで直行すると、中を覗いて水があることを確かめ、脇に置いてあったバケツ〔ロープが付いている〕の汚れた水を捨て、井戸の中に落とすと〔ジャボンと音がする〕、ロープで引き上げる(3枚目の写真)。バケツが上まで来たところで、地面に置くと、頭巾を取って顔を洗う。

すると、突然、「冷たいだろ?」と声がする。少年が驚いて顔を上げると(1枚目の写真)、置いてあった樽の後ろから現れたのは異様な男だった(2枚目の写真。膝から下がないため木の箱に体を固定し、両手に持った短い木の棒で地面を押して進む)。「誰だ?」。「アリト・パレハだ。近くに来い。危害は加えん」。「何で分かる?」。「どうやったら俺にできる? お前の方が大きいんだぞ」。「水を汲みに来ただけだ。誰もいないと思ったから、許可は求めなかった。瓶に詰めていいか?」。「もちろん。少量の水は構わん」。その後、車台の男は、「兄貴と家族は町に行き、俺は一人残された。お前も一人か?」と訊く。「違う。父ちゃんと兄ちゃんは動物たちと一緒だ。ここからは見えないが、近くにいる」。すると、男は、「家の中で待ったらどうだ? 涼しいぞ」と誘う。「すぐ戻れと言われてる」。それまで、少年は井戸の水を漏斗(ろうと)で瓶に入れていたが、次の言葉で手が止まる。「いいもんを食わせてやる。死人も生き返るスープだ」。この誘惑に耐えきれなくなった少年は、男の後を追って建物に入る。男は、少年にスープを与え、「今はガランとしてるが、前は、ここらで一番の宿だった。旱魃(かんばつ)で、みんな去った。もう誰も来ん。兄貴も出てった。俺のために戻ると言ったが、1年経つのに音沙汰なしだ」と説明する。「昔は汽車も走ってたが、止まった」。この言葉に少年は顔を上げる(3枚目の写真)。「汽車ないの?」。「ああ」。「町に行くには?」。「線路を辿れば、歩いて行ける」。

男は、「いいロバだな。俺に売らないか?」と訊く。少年は、父のものだと言って断るが、男は、買い値を2倍、3倍に上げ、さらには、「助けてくれ。何でもやるから。金や食い物を貯め込んできた。全部 お前にやる」とまで言う。危険を感じた少年は、「行かないと。スープ、ありがとう」と言って立ち上がる。そして、お礼の意味で、「あんたのこと父ちゃんに話す。きっと助けてくれる」と言うと、相手は、「親爺さんに、食い物持ってかないか?」と、新たな誘い水。少年は、昨夜、山羊飼いが食べるのに苦労していたことを思い出し、心を動かされる。「幾ら?」。「いらん。贈り物だ。一緒にいてくれたから。物置に行って、チーズとチョリソーを取って来いよ。親爺さんにワインも1本」。少年は、誘惑に抵抗できなく、物置を覗く。「暗くて見えない」。「ランプを使え」。少年は、部屋にあったランプを取って中に入る(1枚目の写真)。ところが、いざ調べてみると、棚の中には空の瓶とカビの生えたチーズしか置いてない。「腐ってるじゃないか」と言った途端、背後のドアが閉まる。少年は閉じ込められてしまった。大声で怒鳴っても開かないので、少年はナイフを取り出し、木の板に突き刺して隙間を作り、手を入れて “丸落とし” と呼ばれる一番原始的な鍵を解除するが、手を抜く時に無理してケガをしてしまう。痛いのを我慢して首にかけていた布を傷に巻き、家の外に出ると、男がロバに牽いてもらって逃げていく(2枚目の写真)〔少年がナイフを持っているとは思っていない〕。少年は、駆けていくと、石〔野球のボールくらいの大きさ〕を拾って男の頭に投げつける。男は、バランスを崩して、台車ごと転倒する。勝手な男は、石を持って近寄ってきた少年に、「傷付けないでくれ。町に行って兄貴に会いたい。一人でいたくない」と頼み、少年が石を持った手を下げると、脚に噛みつく。怒った少年は、何度も石で頭を強打し、男は噛むのをやめる。そして、懲りずに、「傷付けないでくれ」と頼む。今度は、少年も騙されない。「黙れ! この裏切り者! 骨と皮め!」と叫び、頭を蹴る。男は気を失う。少年は、ロバを連れて急いで井戸を離れる(3枚目の写真)。原作との対比:「少年はロバに乗り、夜明け前に目的地に辿り着く。村は既に廃墟であった。井戸水を大量に飲んだ少年が、腹を下しながらも水を容器に入れたりしていると、突然声をかけてくる者がいる。現れたのは指が全部で四本しかなく足が膝下から欠けた男だった。実は彼は執行官が少年に懸賞金をかけていることを知り、少年を陥れようとしたのである。少年は食糧を大量に蓄えた宿屋に誘い込まれ、眠らされて、片手を鉄輪で固定した状態で捕らえられてしまう。少年が目覚めたとき、男は既に少年のロバで執行官のもとへ向かっていた。少年は怪我を負いながらも手を輪から抜き、夜になる頃に男に追いついた。投げた石がロバに命中し、ロバは男を引きずって暴走する。少年は男がかろうじて生きていることを確かめる。男をその場に置いていくべきだろうか、それとも連れて行くべきだろうか? 少年はそれまでの出来事の恐ろしさのあまり、男を蹴ってその犬歯と鼻を折ってしまう」。ここも、映画と原作は、アリト・パレハという異様な男の存在と、少年がケガをするという点では同じだが、あとの展開は全く異なる。

山羊飼いが 小銃を持って警戒していると、少年とロバが帰ってくるのが見える(1枚目の写真)。少年が手に布を巻いているので、「どうかしたのか?」と訊く。「別に。水を取ろうとしてケガしちゃった。平気だよ」。そう言うと、「あなたこそ、大丈夫?」と言いながら、水筒をくるんだ布を渡す。「少し良くなった」。少年が次に取り出したのはワインの瓶。「それは? どこで手に入れた?」。「井戸の持ち主から買ったんだ」(2枚目の写真、それぞれに矢印)。少年が、布を巻いた手を動かさないようにしているのを見た山羊飼いは、「ここに来て、傷を見せろ」と言う。山羊飼いが巻いた布を取り、赤ワインを傷にかけると、少年は思わず呻いて顔をしかめる(3枚目の写真)〔赤ワインには、白ワインほど即効性はないが、経時的には同程度の殺菌効果があるとされる〕原作との対比:「少年は男を置き去りにして城に戻り、山羊飼いに再会して大いに涙する」。似ているかどうか判断し難い。次のシーンでは、監督の運転するサイドカー付きオートバイと、お付きの赤トラックが、“次の井戸” を目指し、先ほどまで少年がいた場所にやってくる。真っ先に見つけたのは、転倒したままの台車。男は、血は流しているが、意識はある。監督をみて、「助けて!」と頼む。「水を。どうか水を」。「誰だ?」。トリアナが、「アリト・パレハ、“切り株”」と教える。「水を持ってきてやれ」。セゴビアが取りに行く。「どうした? 転んだか?」。「違います。小僧が…」。監督の顔が変わる。「小僧?」。「悪魔のガキです。俺を殺そうとした」。「一人だったか?」。「はい。ロバで水を汲みに来ました」。そこに、水を持ったセゴビアが来たが、監督は水を渡すのを止め、「他に誰も見なかったか?」と質問する。「言ってました… 親爺と兄貴が待ってると。だけど、嘘だと思いました。水を。お願いだから水を」。「もっと話せば、水をやる」。「他には何もありません」。「いつの話だ?」。「2・3時間前です」。「どっちに行った?」。「分かりません。気を失ってましたから」。「役に立たん奴だ」。自業自得だが、男が必死で水を求める間、3人は話し合う。トリアナ:「小僧は一人で来たと思いますぜ。さんざ殴りつけてやったから、モロが動けないから」。監督:「そんなことはどうでもいい。奴らが今どこにいるかが知りたい」。セゴビア:「遠くには行けませんぜ」。監督:「当たり前だ。問題は、どこにいるかだ」。その時、男がもう一度水を求めたので、監督は拳銃を出して撃ち殺す。「ここで 一晩泊まり、明日出かけるぞ」。

朝になり、2人は出発の準備を始めるが、少年の態度が何となく投げやりだ。それを見た山羊飼いは、「どうした?」と訊く。返事がない。「昨日は、何があった?」(1枚目の写真)「ちゃんと話せ。これ以上、驚かされるのは御免だ」。「人を殺した。井戸の持ち主だよ」。「確かか?」。「分からない。ロバを盗もうとしたから、石で殴った。動かなくなったから、放っておいた」(2枚目の写真)「誰にも見られてない」。「いや、見られてる」。「誰? 神?」。「違う。お前だ」〔なかなか、意味の深い言葉〕。そして、山羊飼いは井戸に出かけると告げる。「死んでなければ、助けられる」。「死んでたら?」。「埋葬しないといかん。どのみち、大した回り道じゃない」。「回り道? どこから?」。「町だ」〔山羊飼いは、少年を町に行かせようとしている〕。井戸に向けて、今度は2人で馬に乗る(3枚目の写真)〔それだけ山羊飼いが回復した? 急ぐため?〕。山羊飼いは、「あまり深刻に考えるな。人はそう簡単には死なん」と慰める。原作との対比:「経緯を話すと、山羊飼いは男を助けようと言い出す。2人と動物たちは夜明け前に出発する。山羊飼いは背中の拷問の傷が致命傷となるであろうことを悟り、死んだらきれいに埋葬して十字架を置いてほしいと伝える。少年は泣く」。原作の山羊飼いは、映画よりもかなり弱く、“メンター” という感じはあまりしない。「死んだら」云々は、映画からは想像もできないほど弱気だ。

2人が井戸に着いた頃には、監督たちはもう出発していない。男の死体はどこにもなく、地面には多量の血痕が残り、近くには轍の跡も残っている。何が起きたかは歴然だ。山羊飼いは井戸の中を覗く。そして、少年が寄ってくると 近づかせない。「見るんじゃない。食べ物か水が残ってないか、中を見て来い。この可哀想な男には、もう不要だ」(1枚目の写真)〔死体は、井戸の中に投げ込まれていた〕。その後、死体をどうやって井戸から出したかは不明〔山羊飼いにそんな力はないし、少年にはとても無理〕。山羊飼いは、以前にしたように、死体を石で覆うと、顔の部分に砂をかけて弔う(2枚目の写真、矢印)。埋葬が終わると、山羊飼いは、「行先を 奴に話したか?」と訊く。「ううん、何も話してない。町に行くかと訊かれたけど、父ちゃんと一緒だと答えた」。「父さんと一緒と言ったのか?」。「それに兄ちゃんも。あと、山羊の大きな群れもだよ」。「奴は信じたか?」。「分からない」〔少年が折角、“町には行かない” と言ったのに、無能な “切り株” は、この貴重な虚偽情報を、監督に伝えなかった/逆に、少年は、妹が脅されて “町に行く” と漏らしてしまったことは知らない〕。この会話の後、山羊飼いは、重要な質問を少年にする。「監督は、なぜ躍起になってお前を捜すんだ?」。少年に黙るしかない。「わしを殴った奴らは、監督の手下だ」。「あいつを知ってるの?」。「わしがこの地に来てから、よく噂を聞く」。「くそったれだ」。「全員だ」。「最悪だよ」。「なぜ? 奴から盗んだ。そうだろ?」。「うん。でも、僕に借りがあるから」。「どんな? 奴に何をされた?」。少年は、車輪に掛けてあったバッグを肩にかけると、そのまま黙りこくって車輪にしがみつく(3枚目の写真)。山羊飼いが、慰めようと肩に触れると、さっと避ける。その様子から真相に気付いた山羊飼いは、少年に心から同情し、その雰囲気を悟った少年は、初めて自ら男性の胸に顔をつけて悲しみを共有する(4枚目の写真)〔山羊飼いは、メンターだけでなく、心の友になった〕原作との対比:「男はなぜか消えており、代わりに2頭の馬の足跡が残されていた。ふたりはその傍らの貯水槽の中で夜を明かす」。映画では、最も感動的な部分。男は消えておらず死んでいる。2頭の馬(2人)ではなく、オートバイとトラック(3人)。

2人は、汽車が通っていた廃村に入って行く。村の中心の道には枕木が残っている(1枚目の写真)〔ついでながら、私の家の庭にも、デザイン上、こうした古い枕木が飾りとして10本立ててある(1本50-60kg)〕。映画では、この最終場面は、懐かしいマカロニ・ウエスタンを思わせる。この大仰なセットにしてもそうだ。駅舎の跡まで来ると、2人は馬を降りる。山羊飼いは、「バッグを寄こせ」と言う。少年がバッグを渡すと、「軌道に沿って行け。夜中、できるだけ早く歩くんだ」と言いながら、ロバの背から水筒を取り、少年のバッグに入れる(2枚目の写真、矢印)。「夜明け前には、山羊の囲いのある小屋に着く。家主は良き友で、モロッコで一緒だった。馬を渡し、事情を説明しろ。正直にな。彼は、毎週 町までチーズを売りに行く。お前に仕事を見つけてくれるだろう」。「あなたは?」。「今日は… 休む。明日、発つ」。少年は、山羊飼いと別れるのが悲しいので、「あなたが、ここでその人を待つんなら、僕も残る」と言い出す(3枚目の写真)。「バカを言うんじゃない」。そして、馬に乗せられる。山羊飼いは馬を、これから向かう方向に連れて行く。「心配するな。これは、わしの人生だ。わしは誰にも好かれん」。「そんなことない」。ここで、少年は初めて冗談を言う。「僕じゃないよ、動物がいるよね」。そして、にっこりする(4枚目の写真)〔この映画の中で、唯一の笑顔。冗談の中に、山羊飼いへの愛を込めている〕。山羊飼いは馬の尻を叩いて先に進ませる。悲しい別れだったが…。原作との対比:「翌日、昨日の村に到着する。食糧を調達するため宿屋に侵入した少年は、はじめソーセージをむさぼっていたが、やがて置き去りにした男の死体を見つけ、2時間ほどの間呆然とする。いなくなった犬が扉に現れて喜ぶものの…」。どう見ても、映画の方が遥かに優れている。

少年の馬が10メートルも進まないうちに、オートバイの音が聞こえ、村の端の家の角を曲がって監督が現れる。少年はショックを受ける(1枚目の写真)。山羊飼いが後ろを振り返ると、赤いトラックが、後方を塞ぐように侵入してくる。山羊飼いは、「ここに来い!」と少年を手元に戻す(2枚目の写真、青の矢印は監督のオートバイと赤いトラック、黄色の矢印は馬に乗った少年と山羊飼い)。山羊飼いは馬を押さえ、少年は急いで降りると、指示されたように昔の駅舎に向かって走る(3枚目の写真)。少年が中に入ると、山羊飼いも駅舎の前に立つ。

監督は、「お前が “モロ” だな? お前は、モロッコで兵士だったそうだな。俺もそうだ。ラ・レヒオン〔スペイン外人部隊〕にいた。俺たちは戦友だ。これまでのことは全部忘れてやる。小僧を俺に渡し、好きな所に行くがいい」と山羊飼いに話しかける(1枚目の写真、矢印は小銃を手にした山羊飼い)。山羊飼いは、「わしには決められん。わしの物じゃない」と断る。「これは、お前の戦いじゃない」。「それは違うな。わしの戦いだ。わしは動物を殺され、獣のように引きずり回された」。「それは、争いの中で起きたことだ。老人の馬は 持ってていい。死んだ動物の代金だ。小僧を引き渡し、去れ」。「あんたとわしは、同じ戦争で戦ったが、あんたとは違うし、戦友でもない。あんたみたいな野郎のために、たくさんの友だちが死んだ。あんなことは二度とごめんだ。坊主は渡さん。欲しければ取りに来い」。この言葉を聞いた監督はいきなり拳銃を取り出して撃ち、山羊飼いが撃ち返し、すぐに駅舎の中に退避する。トリアナが小銃で扉のガラスを割る。山羊飼いは弾を再装填する〔かつて廃墟で、「まだ1発残っている。それで十分だ」と言っていたが、どこで弾を入手したのだろう?〕。すると、火の点いたランプがガラスを破って投げ込まれ、木の床に火が燃え広がる。セゴビアが2個目のランプを投げ込もうと近づいてきたところを、山羊飼いが射殺する。火勢は激しくなり、それ以上中に隠れていられなくなる(2枚目の写真、矢印の先の隅に少年が隠れている)。そこで、2人は駅舎から脱出する(3枚目の写真)。少年が先なのは、少年は決して撃たれないからだ。

少年は、一軒の家のドアが開いていたので、中に逃げ込む。窓の外にいる監督と目が合ったので、奥まで行って柱の陰に隠れる。監督がゆっくりと部屋に入って来る音が聞こえ、少年は柱に張り付く(1枚目の写真、矢印は監督)。このタイミングで、少年は柱を離れる。ここで、カメラは切り替わり、山羊飼いがトリアナに向けて一発撃ち、牽制してから走って “少年が逃げ込んだ家” に小銃を構えて入って行く。ここで再び少年。彼は、階段を駆け上がって2階に行く。1階を捜していた山羊飼いは、2階で足音がするのを聞く。その時、トリアナが入って来て、小銃を撃ち損じ、逆に山羊飼いに射殺される。これで残るのは監督ただ一人。2階に行った少年は、一番奥の部屋まで行くが、窓(あるいは、壁の穴)には板が何重にも打ち付けてあり、そこから外に出ることはできない。八方塞がりだ。そこに、開いたままのドアに近づいてくる足音が聞こえる。怯えた少年が見たものは、小銃を構えた山羊飼いだった。山羊飼いは部屋の半ばまでくると、声を出さないよう、口に指を当ててる。そころが、その途端、開いたドアの裏から監督が姿を現し、拳銃を向ける。気付いた山羊飼いが振り向いて撃つより早く、引き金が引かれる(2枚目の写真、倒れているのは山羊飼い、矢印の先に監督が立っている)。山羊飼いが倒れた衝撃で、朽ちていた床が割れ、山羊飼いは1階に落ちて動かなくなる。監督は、少年を連れてトラックに向かう。「あれだけしてやったのに。餓死寸前だったお前を、食わせてやった。着せてやった。いろいろ教えてやった。なのに、これが その礼か? 何を考えてる? 自分がやったことを見ろ! 町に行きたけりゃ、逃げなくても 連れて行ってやった。時計がそんなに欲しけりゃ、くれてやった。頼めば済んだんだ。頼むだけだ」(3枚目の写真)。そして、トラックの前まで来ると、「この恩知らず」と言いながら顔に触ろうとする。少年は、その手を払いのける。監督は、少年の腕をつかみ、トラックに押し込み、自分も運転席に座る。

この一瞬の隙をつき、少年は反撃に出る。ナイフを監督の首に当て、「あんたとは、どこにも行かない。その前に殺す」と本気で言う(1枚目の写真)。「俺を殺したら、お前の両親も殺すんだな。お前の言ったことを信じてくれなかった神父も殺せ。メイドの姪に同じことをしてる村長もだ。全員殺せ。それが済んだら、村の巣窟に火を点けろ」。少年は、「トラックから出ろ。他には誰も殺さない。あんただけだ」と言い、ナイフに力を入れる。その時、「やめろ」と声がする。いつの間にか、山羊飼いが運転席の前まで来ていて(2枚目の写真、右肩は銃で撃たれた傷)、監督をつかんでトラックから引きずり下ろす。そして、地面に倒れたところを、自分の杖で首を挟み、抱え上げる。少年が 恐ろしそうに見ていると(3枚目の写真)、「見るな!」と命じる。そして、少年が後ろを向くと、監督の首を捩じるように折る(4枚目の写真)。

すべての力を使い果たした山羊飼いは、崩れるように倒れる。それを見た少年は、走り寄り、泣きながら、「どうしたらいいの?」と尋ねる。「どうにもならん」。「どうして? 馬があるよ。あなたの友だちのところに行こうよ」(1枚目の写真)。「無理だ」。「ごめんなさい。みんな僕のせいだ」。「違う。それを言うな。子供たちが、邪悪な大人のせいで、責められてはならん。大人になっても、忘れるな」。山羊飼いは、少年の頬に手を伸ばし、「お前も成長したな」と嬉しそうに言い(2枚目の写真)、絶命する。少年は、すぐに近くの砂を手に取り、山羊飼いにかける。映画のラストシーン。馬に乗り、ロバと山羊を牽いた少年が、村を出て山羊飼いの友人の小屋に向かって発つ。山羊飼いの教えを守り、山羊飼いだけでなく、敵だった3人の遺体も石で埋葬されている(3枚目の写真、矢印は山羊飼い杖)。原作との対比:「…その後ろには執行官がいた。裏口にはその手下が待ち伏せしており、少年は追い詰められる。執行官は手下と犬を追い払い、窓を閉め切る。少年が「幾度も繰り返されてきた儀式」を強いられそうになったまさにその時、執行官の手下の猟銃を手にした山羊飼いが現れる。「床に伏せて耳をふさげ」。銃は執行官の頭を吹っ飛ばす。少年は山羊飼いの指示で出発を準備する。山羊飼いが執行官たちの死体を埋葬するように言いつけると、少年は「それに値しない」と反対するが、結局せめて執行官の手下の死体を宿屋に入れておくことになる。少年は最後に、山羊飼いの命令ではなく自分の意思で行動する。すなわち、少年は死体を入れた宿屋に火を放ってから村をあとにしたのだった。昼頃、少年はロバから山羊飼いを降ろそうとして彼が死んでいることに気づくが、あまりに疲れていてそのまま眠ってしまう。起きて眺めた山羊飼いの表情は穏やかだった。少年は夜明け前から午後までかかって山羊飼いを埋葬し、遺言どおりに小さな棒で十字架を作る。少年は午後の残りの時間を気ままに過ごしたあと、夜更け前に出発し、北極星に導かれて北へと進んでいった」。監督の殺され方、死体の対処法、山羊飼いの死に方、少年の態度など、どこをとっても映画とは異なる。初めに断ったように原作は読んでないが、映画の方がより感動的で、少年も山羊飼いも毅然として素晴らしい。

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