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Kler 聖職者

ポーランド映画 (2018)

2011製作の『Róża(バラ)』で、ポーランド・アカデミー賞の作品賞・監督賞など6部門を獲得したヴォイテク・スマルゾフスキー監督の最新作。2018年9月28日の公開から1週間で観客数93.5万人。3週間で約350万人(ポーランドの人口の10%)が観たという、ポーランド空前のヒット作。といって、この映画は娯楽映画ではなく、非常に重い一種の告発映画。ポーランドは、ヨーロッパでもカトリック信仰の篤い国として知られている〔455年ぶりに非イタリア人として教皇になり、しかも60年ぶりに列聖されたヨハネ・パウロ2世を生んだのもポーランド〕。そして、ポーランドでは、最近、欧米や南米で問題視されている神父による少年への性的虐待も、教会の圧力で打ち消されてしまい、社会問題になってこなかった。そこに、この凄まじい映画が投げ込まれる。カトリック教会の闇を扱った映画としては、アカデミー作品賞を受賞したアメリカ映画『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)が最も有名だ。ただし、アメリカ映画では、記者が闇を暴こうとするのに対し、この映画では堕落した司教本人が指示し、もっと堕落した神父が画策の限りを尽くすところを詳しく描いているだけに、「教会の闇」はより深く厭わしい。ポーランド国民が度肝を抜かれたのもよく分かる。映画に描かれている不正は多様だが、鍵になっているのは主役の1人のリソフスキー神父による少年へのレイプ。そして、もう1人の主役のククラ神父が少年時代に味わった屈辱の虐待。前者は、知恵の限りを尽くして孤児から金持ちの神父に登りつめるが、その資金はすべて汚職によって得たもの。後者は、少年時代の屈辱を乗り越えて立派な神父に育ち、自分の侍者をレイプしたリソフスキー神父を司教に告発する。しかし、リソフスキー神父が司教のスキャンダルを押えていたため、司教は全力でククラ神父を潰しにかかる。3人目の主役の神父トゥレボスの罪は泥酔と妊娠させたことだけで軽く、かつ、2人の神父との接点が映画の冒頭に限られている〔この神父の部分をカットして、もう少し細部を詰めていたら、もっとすっきりした内容になっていた/リソフスキー神父による画策行為には、映画を一度観ただけでは分かりにくい部分が多い〕

2019年2月21-24日にバチカンで初の対策会議が行われた。各国の司教や枢機卿が集められ、教皇は会議終了後の演説で、「弱者に対する忌まわしい罪を地球上から消し去らなければならない」と述べた。しかし、このポーランド映画を見ると、教皇の戒めが 腐敗しきった教会上層部に効果があるのか疑わしくなる。下級神父による児童虐待そのものは減るかもしれないが、長年続いた上層部の慣行(教会至上主義と隠蔽体質)は、それほど簡単に変わるものではない。

ククラ、リソフスキー、トゥレボスの3人の神父は、同じ神父でも身分も人品もかなり違うが、年に一度、リソフスキー神父によって2人が火災から救い出された日に集ってお祝いするのが習慣になっている。今年集った場所はククラ神父の教区の家。3人が泥酔状態で騒いでいる時、ククラ神父の侍者の少年リシェックが、死にかけている老婆がいると知らせに来て、ククラ神父はその家に向かう。家には、2人の神父とリシェックが残された。その夜のうちに、2人の神父はそれぞれの勤務地に酔っ払い運転で帰っていく。翌日、リシェックの具合がおかしい。そして、日曜礼拝の後、倒れているのを神父が発見し、救急車を呼び入院させる。しかし、リシェックを診た医師はレイプを疑い、警察が動き出す。署に呼ばれた神父は容疑を否定するが、DNAなどを検査され、教区の信徒からは小児性愛者扱いされる。そして、管轄する司教から呼び出され、退職した神父の入る施設で謹慎させられる。しかし、そこに行く前、神父は、2年前に似たような事件があったことを知り、謹慎中に 犠牲者のいる孤児院を調べてもらい、施設を抜け出してその孤児院に行く。そこで見たものは、友人のリソフスキー神父が2つの犯罪の犯人であることを示す証拠だった。神父は、DNA検査等で嫌疑が晴れていたので、そのまま教区に戻り、リソフスキー神父に対する告発状を司教に提出し、同じ告白状のコピーを国内の全マスコミに送る。ククラ神父が侍者への性的虐待に厳しい態度を示した背景には、自らの少年時代、2年間にわたり神父から性的虐待を受けてきたという屈辱の記憶があったからだ。一方、リソフスキー神父は、司教が主宰して1週間後に行われるミサ聖祭の一大行事〔大統領夫妻も参列する〕の準備を任されている。工事中に予定外のことが起きてもすぐに対処し、上手に動いて工事費をピンハネする。入札をめぐる争いでは、リベートをくれる会社が入札で勝つように、あらゆる手を尽くして敵の会社の信用度を落として敗退させる。最大の危機は、ククラ神父が書いた告発状。お陰で、今まで尽くしてきた司教から捨てられそうになるが、そこはちゃんと事前に司教のスキャンダルの証拠ビデオを入手しておき、司教を脅す。そのため。司教は全力でマスコミを押え、ククラがマスコミに送った告発状は無視される。停職処分になったククラ神父にとって、教会の闇を告発できる機会は、司教によって一生の晴れ舞台となるミサ聖祭の場で、焼身自殺して耳目を引く以外になかった。トゥレボス神父については、2人の神父と顔を合わせる冒頭以外、全くの別行動をとるので、あらすじでは一切触れない。

主な子役は2人。最初に出てくるのは、レイプ被害に遭う侍者のリシェックを演じるイグナッチ・クリム(Ignacy Klim)。もう1人は主役のククラ神父の子供時代を演じるアドリアン・ヤスクシャフキー(Adrian Jastrzebski)。出演場面は場面は、何れも細切れでしかなく、短時間。しかし、児童虐待が主要なテーマなので、脇役とはいえ重要な役柄だ。


あらすじ

3人の中年の男が、家の中で子供のようにはしゃいでいる。その後、ノートパソコンで、火災の動画を見ながら、パソコンの前に座った男(A)が、「君は、私たちを助け出してくれた。怖くなかったのかね?」と訊きながら、後ろに立っているシャツ1枚の男(B)にウォッカの入ったミニグラスを渡す。そして、もう1人(C)にも。そして、本人も立ち上がると、3人で、「奇跡の救出に」と言って乾杯する(1枚目の写真)。その後は、食卓で、Aが本を見ながら、「わが家は祈りの家であるべきなのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」と読み上げる(Bも横に座って見ている)。反対側に座ったCはウォッカを飲みながら、「『聖ルカの福音書』19章45」と答える。Aが、続いて、「酒を飲んで男っぷりを見せようとするな、酒で身を滅ぼした者は多い」と読み上げると、Cは 「だから、ワインを飲まないのさ」と返事をする。AとBは、「知らないんだ」とはやし立てるが、Cは 「『シラ書』31章23」と平然と言ってのける。3人の話題が偏っているのには理由があり、3人とも神父なのだ。Aはククラ、Bはリソフスキー、Cはトゥレボス(何れも姓)。ククラは、名前は出て来ないが割と大きな町にある立派な教会の神父。リソフスキーは、クラクフの司教の側近の神父、トゥレボスは片田舎の小さな教会の神父だ。一言で表現すれば、凡庸、策士、酔っ払い。その後は、ククラがトゥレボスの頭の上にリンゴを乗せ、それを、リソフスキーがおもちゃのパチンコで狙う(2枚目の写真)〔パチンコは、ククラが授業を担当している小学校の生徒から借りてきたもの〕。3人とも、全くの子供だ。遊びが済むと、ククラがリソフスキーに、「打ち明けろよ。ここ〔ポーランド〕が そんなに嫌か?」と訊く。「そんことない」。「じゃあ、なぜローマなんだ?」〔リソフスキーは、教皇庁に勤務したがっている〕。答える前に、トゥレボスが、「次は何だ?」と言い出し、奇妙な競争が始まる。この場所は、ククラの家なのだが、食卓のミニグラスにリソフスキーがウォッカを注ぎ、「今だ」と言う。ククラは、グラスを一気に飲み干すと、廊下と他の部屋を経由して食卓まで走って戻って来て、もう1杯飲み干す。「13秒」。「ホームランだ」。次に、トゥレボスが挑戦する。この時は、ククラが意地悪し、ゴール手前の食卓のドアを閉めてしまう。こんな競争が延々と続き、3人とも泥酔状態。リソフスキーが走っている時、家に入って来た少年を見て、びっくりして止まる。「ここで何してる?」。少年は、「ククラ神父に用が」と言うと、反対側から現れたククラを見る(3枚目の写真)。「ノヴァクさんが死にかけてます」。ククラは、別室で、それ相応の服を上から着る。この少年はリシェック。ククラの侍者なので、手伝うのも手慣れている。「また、無駄骨だろう」。「今日中に死ぬみたいです」(4枚目の写真)。「乗ってくか?」。「自転車があります」。「お父さんは、また飲んでるか?」と訊くので、そのような家庭であることが分かる。外では、酔っ払ったトゥレボスが、少年の自転車に乗って遊んでいる〔リシェックは帰宅できない〕。ククラが飲酒運転でアパートを訪れると、老婆は死んでいた。祈りを済ませて戻ってくると、教会の外で、残った2人の神父が酔った勢いで騒ぎ、パトカーが来ている。厳しい口調の警官は、ククラが知り合いの警部に携帯から電話して助けを求め、お引取りを願ったが、酒気帯び運転も見逃すなど上官の命令は絶対だ。リソフスキーはトゥレボスの旧式のオンボロ車(オペル)のサイドミラーをもぎ取り、その腹いせに、トゥレボスはリソフスキーの新車(メルセデスSクラス)の後部座席の窓ガラスを石で割る。
   

映画では、3人の神父のシーンが交互に映されていく。その通りに紹介すると混乱するだけなので、以後、紹介は必要な部分のみとし、順番も適宜入れ替える。また、トゥレボス神父の場面はすべてカットする。翌日、ククラ神父は、小学校に行く。廊下で会った少年に、「今日は、サッカーするかね?」と訊くと、相手の子は、「パチンコ、いつ返してもらえます?」と訊き返すので、昨夜、リソフスキー神父がふざけていたパチンコは、この子のものだった。神父は、忘れたので、「君が勝ったらな」と誤魔化す(1枚目の写真)。次のシーンでは、神父が きれいな校庭で子供たちとサッカーをしている。ゴールを決めてバンザイした後で、フェンスを見ると、いつもならサッカーをしているリシェックが、自転車に寄りかかるようにぐったりした顔で見ている(2枚目の写真)。神父が、「一緒にやろう」と声をかけても何も言わない。サッカーが終わってから、神父は、「なぜリシェックはプレーしなかった?」と子供たちに訊くが(3枚目の写真)、誰も答えられない〔リシェックには、昨夜異変が起きていた〕
  

次は、神父が如何にお金を集めるか、に関する初期のシーンを幾つかを紹介しておこう。最初は、昨夜の場面。ククラ神父が老婆の死の祈りを終えた後、息子に紙を1枚渡し、「葬儀屋だよ。ここなら信用できるから、お勧めだ」と話し、息子は祈祷のお礼を渡す(1枚目の写真、矢印)〔お布施とそっくり〕。次のシーンは、リソフスキー神父が車でクラクフに向かう途中(もう朝になっている)の話。運転中に電話がかかり(ちゃんとハンズフリー通話になっている)、ミサ聖祭の開催場所で問題が起きていることを知り、そのまま現場に向かう。現場で待っていたのは、準備を請け負った会社と、工事現場の責任者の2人。神父は、「あと1週間でミサ聖祭で、ポーランド中にTV中継されるんだぞ」と文句を言う。事態は、現場の土が、当初の地質の専門家の見立てが間違っていて、雨が降ったためドロドロになってしまったこと。これでは、大統領をはじめとするお偉方を乗せたリムジンも近づけないし、ましてや、そこを歩くことなど問題外だ。結局、急きょアスファルトで舗装することに決め、神父はアスファルトの製造元にそのまま直行する。そこで言われたことは、至急手配するためには費用として12万ユーロ〔1500万円〕を今日中に現金で、という要求だった。神父は司教館に行き、より上位の神父Dに15万ユーロ必要だと告げる〔差額は神父のポケット?〕。リソフスキーと神父Dは司教の部屋に行く。神父Dは保管していた寄附金約9万3000ユーロを並べ、残り4万8200ユーロが必要だと説明する〔合計すると14万1200ユーロで、15万ユーロと食い違う〕。司教は、別室にお金を取りに行き、袋ごと現金を持って来る(2枚目の写真、矢印は神父Dが持参した現金)。教会に、いかに現金があるかよく分かる。3枚目は、ククラ神父が昨夜祈祷を行った老婆の息子夫婦が訪ねてきて、墓地の相談をする。神父は、「20年近く放置された小さな区画があり、中央の通路にも面しています」と提案する。「幾らです?」。神父は、引き出しをあけながら、「先週、同じような件で来られた方が払われたのは…」と言って、そのお金を見せて数える。「2000〔25万円〕ですね」(3枚目の写真)「ただ、あの区画は壁際で悪い場所でしたから…」と増額をほのめかす。その少し後にあるククラ神父の日曜礼拝のシーンでは献金の籠の中にかなりの量のお札が入っている〔教会の維持・管理に使われる〕
  

その日曜礼拝の前日、教会の中では侍者の子供たちが内部を掃除している。リシェックも床掃除をしているが何となく元気がない(1枚目の写真)。掃除が終わると、一緒にいたククラ神父が、「リシェック、箒をもって部屋に来てくれ」と声をかけ、部屋に連れて行く(2枚目の写真)。ドアが閉まると、他の5人の子供たちが一斉にドアのところに駆けつけ、「見せろ」と隙間から覗こうとする。隙間から映したと思われるのが、次の映像(3枚目の写真)。リシェックが上半身裸になっている(3枚目の写真)。
  

そして、日曜礼拝。リシェックは、神父の脇の侍者のイスに腰掛けたまま気もそぞろといった感じ(1枚目の写真、矢印)。礼拝が終わる前に、勝手に横のドアから出て行く。礼拝が終わり、神父が集った献金を袋に入れ(小銭は、籠を傾けて袋に入れる)、物置き部屋に入って行くと、リシェックが床に倒れていた(2枚目の写真)。呼びかけても反応がないので、救急車を呼ぶ。リシェックは救急車に運び込まれるが(3枚目の写真)、神父はダメだと言われても病院まで同乗する。リシェックは救急処置室に搬入され、神父は入室を拒否される。夜になり、医者が中から出てくる。神父は「先生」と声をかけるが、「後で」としか言ってもらえない。代わりに、警官が2人中に入って行く。その時、医者は、「検査結果を待っているところです」とだけ神父に話す。神父は途中で寝てしまい、起きたら朝になっていた。気がついた神父は、受付に行き、「リシェック・マリノフスキーについて教えて下さい。昨日、ここに連れて来られた少年です」と訊くと、「もう、ここにはいません」としか答えない。「私は、どうなったのか知りたい」。「窓口から離れて下さい」。そっけない返事に、神父は「答えるまで、どこにも行かんぞ!」と怒る。しかし、受付は、それを完全に無視し、順番を待っている患者に、「次の人」と呼びかける。神父は、仕方なく病院を出て行く。そして、向かった先は小学校。彼は、神学の授業を受け持っている。授業の最初に、「今日は、聖体拝受について話そう」と話す。それに対し、ある生徒が、「僕の父さんは、パウロのテモテへの書簡について聞けると言ってましたよ」と反論する。そこで、神父はテモテの話を始める。すると、今度は女の子が、「ミサの間に侍者が気絶したってホントですか?」と口をはさむ〔もう噂になっている〕。神父は無視して話し続ける。
  

次は、リソフスキー神父について、策士ぶりを紹介しよう。神父がアスファルトの製造元で12万ユーロと告げられた直後のシーンは、司教館での記者会見のシーン。記者の最初の質問は、「神父が児童虐待をしたとの複数の告訴について、教会はどのように対応するのですか?」というもの。それに対する回答は、「教権反対派によって企てられた攻撃であることが明らかな如何なる情報操作にも 答えることは慎みたいと思います」という素っ気ない内容。記者が具体的な名前を8つほどあげると、「私たちは、時として過ちを犯します。邪心が誘惑し挑発するのです。教会は神聖ですが、それは罪深い人々から成り立っています」と教条的な言い逃れ。この会見にリソフスキー神父も5人の1人として列席しているが、ずっとスマホでメールのやりとりをしている。「お役に立てると思います。机と寝椅子〔何れも複数〕を…」。返答は、「感謝します! 神父様、あなたは素晴らしい方だ」〔これは、ずっと後で出てくるドイツ人からのメール。この夫妻は、ポーランドの孤児院から養子をもらいたいと希望している〕。記者会見が終わると、1人のユダヤ人の女性記者が神父に寄って来て、「私は、不正入札について記事を書くつもりです」と話しかける。「あなたの基金が管理している複数の神学校に対する情報機器の入札で、発注者は非常に特殊な仕様を要求しました」。「要点は何ですか?」。「その仕様に応えられるのは1社しかありませんでした。基金は、なぜ、必要以上の支出をしたのですか? そして、そのコンピューターはどこに消えたのです?」。神父は記憶にないと答える。「2日待ちます。回答がなければ記事にしますよ」。神父は、この記者に対する対抗措置として、小児癌の病院に行き、高価なゲーム機を1人1個ずつプレゼントする。そして、ニュースで、この記者(Zakrzewska Anna)の子供が腎保存手術の必要な病気にかかっていることを知る。ここまで来て、ようやく1枚目の写真の場面になる。神父が司教の部屋に呼ばれると、そこには、2人の客がいた。ともにPZPCという会社の取締役だと紹介される。そして、この会社が神父の担当している機材の入札に勝ちたいので、予定価格を教えるように命じられる〔司教はPZPCから賄賂をもらっている〕。神父を追い出した後、3人は祝杯を交わす(1枚目の写真、司教の手が浮かれて泳いでいる)。神父は、別の会社の社長のところに行き〔レストランの個室で食事中〕、入札が失敗したと告げて謝る。そして、もらったベンツもお返しすると言うが〔ベンツは賄賂だった〕、この社長はそんなことでは許してくれない。テーブルの上に置いていた神父の手の平に、突然、フォークを突き刺し(2枚目の写真、矢印の先にフォーク)、入札を成功させろと迫る。神父は、手の手当てをした医師に、腎保存手術には幾らくらいかかるか尋ねる。手術にはマインツ〔ドイツ〕の病院がベストで、保険は適用されず、手術費用、化学療法、回復期の入院を含めて約20万ユーロ〔2500万円〕と教えられる。神父は、①ユダヤ人の女性記者の懐柔と、②入札の逆転、の2つを目的に、ローマ教皇のサインを捏造し、かねてからそれを欲しがっていた男にサイン入りの本をプレゼントする(3枚目の写真、矢印)。そして、その見返りとして、PZPCの取締役を悪者に仕立てあげる情報を与えてくれる人物を聞き出す。少し詳しくなりすぎたが、この複雑な話が、切れ切れの形で映画の中に入っていて分かりにくいので、まとめてみた(「画策」編は、あと6回ある)。このリソフスキー神父は孤児院の出身。それが、豪華なマンション〔後で登場〕に住んでいられるのは、こうした画策のお陰。この映画は、児童虐待だけではなく、ポーランドのカトリック教会全体に対する厳しい弾劾なのだ。
  

恐らく、先ほどの授業の後、ククラ神父は警察に連行される。それを知った子供たちがスマホでその姿を撮っている(1枚目の写真、矢印)。「ナンなんだろう?」「神父さん、何したのかな?」。署まで連れて来られた神父。机に座っているのは、顔なじみの警部〔数日前、助けてくれた〕。しかし、その顔には親しさのカケラもない。イスに座った神父に(1枚目の写真)、警部は、「医者が君の侍者を調べ、犯罪の可能性を指摘した。判事が、検察官と心理学者を同席させて少年に質問した。少年は、聖職者によってレイプされたらしい。君がやったのか?」。「あんたとは長い付合いじゃないか」〔そんなことをする人間に見えるか、という意味〕。「君は、あの子にアナルセックスをしたか?」。「してない」。「DNA検査と、包皮の下の試験片の採取を承諾するか?」。神父は、少年が如何にひどい環境で暮らしているかを指摘するが、全く取り合ってもらえない。「承諾するのか?」。この尋問の間、神父の頭を、リシェックの姿が過ぎる(3枚目の写真)。これを見る限り、ククラ神父が犯人のように思えてしまう。
  

まだ逮捕されたわけではないので、ククラ神父は真相を訊こうとリシェックに会いに行く(1枚目の写真)。リシェックはゲームに熱中しているが、居間の中は雑然とし、母親らしい女性が床の上で寝ている。すぐに、神父の侵入に気付いた父親〔何度も拘留歴のある荒っぽい男〕が、「ここで、何してやがる? なんで貴様がここにいるんだ? このクソ野郎!」と飛びかかって来る。長男らしき若者が何とか止めている間に、別の男が神父をドアから外に出す。「今は、やめといた方がいい」。この先の3枚は、映画では もっと後の時点での話。神父が、1人で朝食を作り、座って インスタントコーヒー(?)のコップをかきまぜる。すると、一瞬画面が切り替わり、2枚目の写真となる。初めて見る少年だ。映画を見ていても最初は分からないが、実は、これはククラ神父の少年時代の姿。手に持っているのはすごく旧式のゲーム機。見ているにはTVのゲーム画面。右に映っている手は、同じようにコップをかきまぜている〔だから、昔の嫌な記憶が蘇った〕。この人物は、少年時代のククラを2年間も弄(もてあそ)んだ神父だと後で分かる。レイプする聖職者が相手の少年にゲーム機を贈る。先ほどのリシェックもレイプされゲーム機で遊んでいた… 場面は現在に戻り、窓から石が投げ込まれる(3枚目の写真、矢印は石)。明らかに、神父に対する嫌がらせだ。このような嫌がらせは、かなり後に、もう1度映される。それは、教会に向かう階段の脇にある神父の家の前の壁に「小児性愛者〔pedofil〕」とスプレーで書かれたものを、神父の家政婦と助祭が洗い落としているシーン(4枚目の写真)。
   

リソフスキー神父の画策編パート2。紹介された専門家は、PZPC の2人の取締役のうちマレク・チェカイが、かつての共産主義政権下 秘密諜報機関の第四課、通称グループDに属していたこと、そして、その任務は神父に対する拉致、殴打、拷問で、少なくとも1人の神父が命を落とした、と教えてくれる(1枚目の写真)。神父は次に、どこか教会の関連施設に行き、そこで記者Zakrzewska Annaの住所を教えてもらう。その際、天井に付けられた小型の監視カメラのことを知る。次いで、神父は、記者Zakrzewska Annaのアパートを訪れる。彼は、中に入ると、まず罪を認める。「Komputerowy Świat〔「コンピューター世界」という会社名〕は、不正入札で私に贈賄をしました。会社はゲーム機(複数)をくれました。私は、それを一つ残らず小児養護施設と小児癌の病院に持って行きました。調べていただいて結構です。病院側はそれに感謝し、腎保存手術のために1名の子供をドイツに送ってもいいと言ってくれました」。この不幸な女性記者にとって、それは息子の命を救うことができる唯一の機会だった(2枚目の写真)。しかし、それには条件が付く〔不正入札の件は解決済み〕。神父は、司教が勝手に取り決めた入札を妨害するため、入札会社の取締役(実際にはCEO)が「旧体制下で神父を殺した」という記事を書かせる約束を取り付ける〔教会は、そんな男がCEOになっている会社と契約は結べない〕。家に戻った神父は、監視カメラのメーカーを調べ(3枚目の写真、矢印)、すぐに購入する。
  

リソフスキー神父の画策編パート3。ミサ聖祭の現場で、白骨化した死体が発見される。さっそく神父の元に連絡が入り、夜中でも急行する(1枚目の写真、矢印)。そこにいたのも、最初のぬかるみの時と同じ2人だけ。このままだと、検察官により作業が中止させられる。少し掘り起こしてみると、それは第二次大戦時の兵士のヘルメットだった。少なくとも、近年の殺人事件ではない。そこで、神父は工事に支障が出ないよう、内緒で埋め戻すことを2人に了解させる。その足で司教を訪れた神父は、事情を説明し、ブルドーザーで埋め戻すところを撮影したスマホの画面を司教に見せる(2・3枚目の写真、2枚目の矢印は死体、3枚目の矢印はスマホ)。司教:「幾らだ?」。金額は1人2万5000ユーロ〔310万円〕。絶対に漏らさないという誓約書付きだ。
  

司教が 奥にお金を取りにいっている間に、神父は監視カメラを照明器具に取り付ける(1枚目の写真、矢印)。そして、戻ってきた司教から5万ユーロを受け取る(2枚目の写真、矢印)〔本当に5万ユーロ渡したかどうかは不明。ピンハネした可能性も〕。家に戻った神父は、さっそく監視カメラを起動させる。そこで見たシーンの1つが、老神父〔初めて登場〕が、金の司教杖〔羊飼いのもつ力のシンボルの形をしている〕をプレゼントする場面(3枚目の写真、矢印、背後に見える白いものは、新しい至聖所の建築模型)。この人物の目的は不明だが、以後、重要な場面では、司教のNo.2として、常に脇にいる。
  

ククラ神父が、先日亡くなった老婆の葬儀を行う。喪主の息子は、葬儀を主催する神父が疑惑の人物なので、何となく居心地が悪い。それは、神父も同様で、ついつい参列者の視線が気になる。そして、場所は教会から墓地へ(1枚目の写真)。棺を墓地の区画まで運んで行く間も、遠くから、「小児性愛者!」との罵声が浴びせられる。一番辛いのは遺族だ。最後に深く掘った穴〔3メートルほどある〕に、左右に2本ずつかけられた紐で棺が下ろされる。墓地の外れでは、リシェックの父親をはじめ、15人の男たちが怖い顔で見ている。式が終り、神父が式服を脱いで立ち去ろうとすると、参列者と一緒にいた10歳くらいの少女が、「神父様は小児性愛者なんですか?」と訊く。母がたしなめる。神父がじっと少女を見て、肩に手をかけると、リシェックの父親は「手をどけろ」と遠くから叫び、少女の母は慌てて少女を引き寄せる。神父が、父親とは反対方向に歩いて行くと、「見ろ、小児性愛者だぞ!」と言う声がかかる。リシェックの父親は、「貴様は小児性愛者!」と怒鳴りながら神父に近づこうとする。そして、それを止めようとした助祭(2枚目の写真)を地面に投げ倒し、それをきっかけに、遠くから見ていた連中が神父に詰めより 「小児性愛者!」と言いながら ど突く。喪主は、「止めろ! くそ野郎! 敬意を払え! 母の葬儀なんだぞ!」と怒鳴る。墓地から離れると、神父は 何をされるか分からないので必死に逃げる。建物の隙間から藪の中へ。そして、沼地の背の高い草の間に身を潜める(3枚目の写真)。幸い、気付かれない。「出て来い、小児レイプ魔!」「奴は、反対側に行ったにちがいない」「捜しに行こうぜ」「教会に行こう」。神父はそのまま夕方近くまで動かずに隠れている。そのうち、どうやって見つけたのか、神父の家政婦がやって来て さかんに手招きするので後をついて行き、何とか家に辿りつく。神父は、そこで重要な話を聞かされる。「似たような事件が病院でありました。2年前、養護施設から少年が連れてこられました」(4枚目の写真)。「警察は何て?」。「何も話しません。表沙汰にはなりませんでした。医療記録は紛失し、少年を診た医者は外国へ」。「なぜ、私に話したのです?」。「神父様が無実だと知ってるからです」。「どうして?」。「少年は、8月15日に連れて来られました。名前も覚えてます。マレク・トマシークです。8月15日には、あなたは巡礼に行かれていました」。そこに老婆の息子が入って来て、明日、クラクフまで司教に会いに来いとの電話があったと告げる。
   

リソフスキー神父は、記者会見中にメールでやりとりした件で孤児院を訪れ、院長(修道女)にドイツ人の夫妻がKrzysという8歳くらいの少年を引き取る段取りを決める。実は、その孤児院は、かつて神父が育った場所でもあった。そこで、昔暮らしたの子供部屋に行ってみて、誰もいない並んだベッドに1人で座っていると、記憶が戻ってくる。それは… 長い金髪の10歳くらいの少年が立たされ、その横を怖そうな中年の修道女が歩いている(1枚目の写真)。少年がうつむいているので、修道女は、「話している時は、私の顔を見なさい!」と強い調子で叱る。そして、「見せなさい!」と命令する。少年は、おねしょをしたシーツを高く掲げる。修道女:「この部屋の懲罰責任者は どの間抜け?!」。一番の年長者(15-16歳)が2段ベッドから飛び降りて、「僕です、シスター」と答える。「シーツを濡らした時の罰は何?! 決まりは何なの?!」。大きな少年は、自分のベッドに掛けてあったベルトを外す。手下が金髪の少年の頭に、おねしょをしたシーツを被せて尿を頭髪にこすり付ける。パンツを下げて お尻を剥き出しにし、ベッドにうつ伏せにひざまずかせると、2人がかりで押さえつける(2枚目の写真)。そして、「責任者」はベルトで思いきり裸のお尻を叩き、少年は絶叫に近い悲鳴をあげる(少なくとも17回)。修道女は平然とそれを見ている。悪魔のように冷酷な女だ。それを、子供の頃のリソフスキーが無感動な顔でじっと見ている(3枚目の写真)。他の小さな子も皆同じで、ただじっと見ている。顔に出したら、何をされるか分からないからだろう。それを思い出したリソフスキー神父は涙にくれる。しかし、最悪の事態は修道女が去ってから起きる。「責任者」が、「さてと、このカスで楽しむとするか」と言うと、自分のスボンを下げ、金髪の子にアナルセックスを始める。これはもう、地獄としか言いようがない。リソフスキー神父は、そんな場所で育ったのだ。
   

リソフスキー神父の画策編パート4。記者は、約束通り、Kurierという新聞の一面を、「PZPCのCEO、神父らの監視に関与」という記事で飾る。神父が、それをカフェで見ていると司教から電話が入る。「はい、読みました」(1枚目の写真)。神父は司教に呼び出される。今日の司教は、クラクフ市内で市民を交えた行事があるので、2人はリムジンの中で会う。司教は、新聞を読み上げる。「マレク・チェカイが、ボクサー、秘密諜報機関の一員… いったいこれは何だ? どう思う? 何のつもりだ!」と怒り、新聞を車の床に投げ捨てる。神父:「これでは、PZPCは暖房設備の入札に勝てませんね」。車が着いたので、司教は神父を車内に待たせておいて降りる。市民にスープ(?)を配り終えて車に戻った司教は、開口一番、「あの、ユダヤのくそ女め、こんなことを書きおって」と罵る。神父は、「彼女は、ドイツで息子を治療するのに大金を必要としています」と話す。「もし猊下が、手を廻されて慈善行為をなされば…」。「何だと?」。「彼女の息子はドイツで手術を受けられ、マズーレの邸宅のことは記事にしないでしょう」(2枚目の写真)〔マズーレはポーランド北部にある2000もの湖が点在する自然の美しい地区〕。「あの女は、なんでマズーレのこと知っとるんだ?」。神父は首をすくめる。このあと、次節で紹介するククレ神父の司教との面談がある。リソフスキー神父は、司教と別れると、以前、手にフォークを刺した社長に会いに行く〔今回もレストランの個室で食事中〕。そして、「すべては元通りになり、あなたの会社が入札で勝てます」と告げる。そして、「養護施設の子供たちのためのバスケットボール・コートの資金が必要です。費用は5万ユーロ〔620万円〕ほど」と頼み(3枚目の写真)、快諾される〔恐らく、全額神父のポケットに〕
  

ククレ神父は電車でクラクフまで出て、司教館を訪れる。司教は、「君の教区で起きていることを聞いた」と切り出す。「私は無実です」。「もちろん、そうだろう。だが、憎しみの目から君を逸らす必要がある」。「なぜです?」。「教会のためだ。君には、ピズドリ〔クラクフの北北西300キロ弱〕にある引退した神父の施設に行ってもらう。そこで祈るがいい。この 望ましくない騒動が収まるまでな」。神父は従うしかない。1枚目の写真は、その施設。神父は、施設の案内係から、「朝食は7時、昼食は午後1時、夕食は午後6時、談話室は2階、礼拝堂は廊下の突き当たり、施設の敷地内ではアルコールは厳禁です」と言われ、連れて行かれたのは簡素な一人部屋。寂しい老後だ。神父が談話室に行った時、そこで親友のボクダン神父と会う。説教檀で吐いたため療養のために来ていたのだが、彼は重要な情報を与えてくれる。「君は、あの老人がどうなったか知りたいだろう。彼ならここにいる。28号室だ」。その言葉で、ククレ神父は、すぐに28号室に行く。しかし、そこで見たのは車椅子に座り、身動き一つしない(恐らく痴呆症の)老人。神父は老人の前に向き合って座る(2枚目の写真)。辛い過去の思い出が蘇る。1つは、会ってまだ間もない頃、ベッドの上に並んで座った少年ククレに対し、神父は、「おちんちんで遊ぶことは悪いことじゃないんだよ」と言い、少年の手を取り、ズボンの中に入れる(3枚目の写真)。その次の記憶はもう少し後、神父が少年のアナルを犯した後で、ベッドから出ると窓辺に行き、「『神に誓います』と言いなさい」と強制する(4枚目の写真)。さらに、「もし、約束を守らなければ、地獄で焼かれるだろう」と脅す。老人は何の反応も示さないので、神父は悔し涙を流す。そして自室に戻ると、部屋の中をめちゃめちゃにする。このシーンに前後して、司教の前に呼ばれた「過去の児童虐待の犠牲者」対する、ひどい諮問の姿が映し出される。司教の机の前に計6人の神父が左右2列に分かれて座り、その先に「犠牲者」が座らされる。口撃の口火を切ったのはリソフスキー神父。「30年以上前の疑わしい出来事で、あなたは神父を告訴すると決めたのですか?」。犠牲者は、「『疑わしい』とは何です? 当時私は12歳で、すべてを覚えているのですよ」と反論する。司教は、「聖書の前で誓えますか? あなたは、神父に悲劇に追いやるという重荷を背負うことになるのですよ」と口をはさむ。犠牲者:「『悲劇』に遭ったのは、私なんですよ」。別な神父:「あなたは、キリスト教会に対し無情な攻撃を仕掛けていますが、なぜです? メディアから喝采を受けるためですか?」〔あまりにひどい〕。「彼は、私を何度も犯したのですよ」。もう1人の神父:「あなたがローマ教皇庁に出した書簡で、ヤヌシュ神父のことを『小児性愛者』と呼んだ中傷行為に対し、神父はあなたを告訴するでしょう」。司教:「多くの神父が、子供たちに性的な悪戯をしたとして偽って告発され、謹慎処分を課されたことをお忘れなきよう」。この言葉で完全に頭にきた犠牲者は、「どういうつもりだ?」と怒って立ち上がると司教の前に進み出て、「あきれた。何ということだ」と言うと、部屋を出て行く〔7対1での集中攻撃に近い諮問で飛び出した神父や司教の心ない言葉には呆れさせられる〕
   

リソフスキー神父の画策編パート5。司教と老No.2が2人だけで極秘に録画された映像を見ている。それは、オランダ人のジャーナリストによって記録された10名以上の「かつての犠牲者(男女)」の証言集。例えば、その中の1人は、「…それから、彼は俺の性器を握ると 射精させた」と生々しく証言する。それを見ながら老No.2は、「これらの事案は法的な観点からは時効です」と司教に説明する(1枚目の写真、TVに映っているのは 証言をしている犠牲者の1人)。「この人々は、神父たちを告訴することはないでしょう」。問題は、そのあと。司教は、映像を切ると、手元に置いてあったビデオカセットを取り上げ、「これには感謝している、よくやってくれた、テオドール」と言う。何が問題かというと、大画面の液晶TVの画面はハイビジョン画質だという点。つまり、司教が手にしたビデオカセットは、証言が記録された媒体ではない〔後で、司教の恥ずかしいビデオが登場する〕。だから、これ以後の会話は、犠牲者たちの映像とは一切関係がない。「あなたは、いつでも、今日のように私を当てにできます。そのカセットも、あなたのために買いました」。「破壊したと言ったはずだ」。「ええ、言いました。でも、私は あと1年で退職します。老後を 退職神父の施設なんかで送りたくありません。退職資金をいただきたいと思います」。それに対する司教の返事は「神を信じることだ。私は、全財産をミサ聖祭につぎ込んだ。自分のためではない」という曖昧なもの。「マンションが欲しいのです」。監視カメラでこの密談の様子を観ていたリソフスキー神父は、この言葉ににんまりする(2枚目の写真)。そして、老No.2のテオドール神父を自分の豪華なマンションに招く。そこは、クラクフを流れるビスワ川に沿ってモダンなテラスを持つ、第一級のマンションだった〔普通なら、孤児院出で、起業家でもない一介の神父が、こんなマンションを持てるハズがない〕。テオドール神父は感銘を受ける。リソフスキー神父は、「もし、司教が、私の教皇庁行きを承認すれば、ここは不要になります」と話す(3枚目の写真)。「何が言いたいのです?」。「すべて あなたのものです。一生涯」。「見返りは何ですかな? フェラチオでも?」。ここで、リソフスキー神父は、パソコンで 「司教とテオドール神父の密談の録画(カセットの部分)」を見せる。「司教は、あまり払ってくれないでしょう。恐らくほとんど何も。明日までお待ちします。明日が過ぎれば、この申し出はなかったことにします」。
  

映画では、司教とテオドール神父の密談の直前、ククレ神父は、どこかに電話する。「この盲目の少年ですが、救急部局に 何か書類が残っているかもしれません。調べてもらえますか?」。恐らくその回答が入ったのであろう。神父は、施設を無断で抜け出す(1枚目の写真)。映画の中では、リソフスキー神父が「にんまりする場面」の直後に当たる。そして、リソフスキー神父がマンションにテオドール神父を招いたシーンの直後、ククレ神父はヒッチハイクでトラックの助手席に乗っている。すると、ラジオがニュースを流し始める。その内容は、名前は出されないがリシェックの件につき、予備審査の過程で、ククレ神父に対する起訴は取り下げられ、事件そのものが棄却されたというものだった〔棄却されたのは、ククレ神父のDNA等が一致しなかったからだろう〕。これでククレ神父は晴れて無罪となった。次に、リソフスキー神父がワルシャワ空港で、ドイツ人夫妻と待ち合わせる場面が挿入される〔神父は、養子縁組のために夫妻を孤児院に連れて行く〕。そして、次のシーンではククレ神父が孤児院を訪れる〔リソフスキー神父が向かったのと同じ孤児院〕。ククレ神父が廊下を歩いていると、孤児の一団と会う。神父はさっそく、「君たちの中にマレク・トマシックはいるかい?」と尋ねる。先頭に立っていた年長の子が、盲人用の黒眼鏡をかけた金髪の少年を指差す(2枚目の写真、矢印)。ククレ神父は、本人に質問したかったのだが、修道女が、「神父様を邪魔しちゃだめよ」と言って連れ去ってしまう。そして、神父が院長に会い、マレク・トマシックのことを尋ねると、「誰があなたを寄こしたのです?」と批判的な口調で質問される。「この少年に何かが起きたと思われます。誰かが危害を加えました。8月15日です」。「あなたは、自分の教区の世話をしていればいいのです!」。「2年前の8月15日です。翌日入院しました」。「お帰り下さい。今すぐ」。そして、神父が立ち上がると、「あなたの越権行為は報告しますよ」と厳しい〔院長は、マレク・トマシックの事件が児童虐待だと知っていて、秘密を守ろうとしている〕。ククレ神父が廊下を歩いていると、ドイツ人の夫妻に同行してきたリソフスキー神父とすれ違う。2人は一瞬目が合う。そして、ちょうどその場所の壁に掛かっていた写真が、ククレ神父の目を引く。中央にはリソフスキー神父が笑顔で座り、膝にマレク・トマシックを抱いている(3枚目の写真、矢印)。ククレ神父は、これで、マレク・トマシックをレイプした犯人がリソフスキー神父だったと確信する。そして、リシェックをレイプしたのも同じリソフスキー神父だと。確かに、その夜、リソフスキーはククレの家にいて、一緒に浴びるほど酒を飲んでいた。ウォッカを飲んで競争していて、訪ねてきたリシェックと最初に会ったのもリソフスキーだった。そして、リシェックは警察の聴取に対し、犯人は「神父」だと述べている。その後、リソフスキー神父は院長に歓迎され、すべてが終わった後、神父は院長に、「これで、寝椅子や机が十分買えるでしょう」とお金を渡す〔この件では、「画策」は ないかもしれない〕
  

ククレ神父は、リシェックのアパートを訪れる。リシェックは、まだゲーム機で遊んでいる。神父が、イスを持って来て横に座っても、リシェックは見向きもしない。神父は携帯を取り出すと、リソフスキー神父の写真を画面に出し、「彼がやったのか?」とリシェックに見せる(1枚目の写真、矢印)。返事はない。「キャビネットやTVも全部買ってくれたのか?」。リシェックは携帯を見るが、何も言わない。「話してくれよ」。リシェックは神父の顔をじっと見るが(2枚目の写真)、肯定も否定もしない。それでも神父はリシェックを庇うように抱き寄せる。神父が教会に行くと、メルセデスが停めてある。中央通路の両脇の座席に男が1人だけ座っている。もちろんリソフスキー神父だ。リソフスキーは、「君がどう思ってるかは知ってる。だが、私はやってない。教会のためには、我々すべてを不幸にするような事案に これ以上干渉しない方がいい」と前置きし、「あの火事を覚えてるか? 君の命を助けただろ」と言い(3枚目の写真)、そのまま立ち去る。神父が出て行った後、座席を見ると札束が残されていた〔3枚目の写真の矢印/200ユーロ札の厚い束。200ユーロ札の縦幅は8.2センチ。札束の厚さはそれよりは薄いので5~6センチ。新札なら100枚で1センチ見当だが、使用済みなので半分としても約250枚。5万ユーロ(620万円)になる〕。この札束は、映画の後の方で、リシェックの母に、「18歳になったら、渡してあげなさい」と言って進呈される〔ククレ神父は私心のない高潔な人物〕
  

次に映るククレ神父の日曜礼拝は、無罪と分かって最初のミサ。堂内は溢れんばかりの信者で埋め尽くされている。神父は、「あなた方に祝福を与える前に、重要なことをお話したいと思います。どうぞ、お座り下さい」と話しかける(1枚目の写真)〔座席が足りなくて、後方で立っている人も多い〕。「私は、神父の家で少年時代を過した一人の子供の話をします。彼の母親は そこで家政婦をしていました。ポーランドに戒厳令が敷かれていた大変な時期でしたが、その神父は少年の家族にとても気前が良い人でした。当時、教会は西側から援助を受けていました。少年の家族には、毎週、司教から贈り物が与えられました」。ここで、昔の食卓の様子が映る(2枚目の写真、右が神父)。「そして、ある日、神父は少年に何かを飲ませました。少し経つと、少年は体を動かすことができなくなりました。そして、神父は少年を犯したのです」。ここで挿入されるのは、以前、退職神父の施設でククレ神父が思い出したシーンの続き。犯された少年は、「神に誓います」と言う(3枚目の写真)。「少年は、レイプ魔の神父と2年間暮らしました。その間、神父は少年を餌食にし、狡猾に脅しました。少年はすべてを母に話しました」。ここで、少年が父にベルトで殴られる様子が一瞬映る。「少年は全寮制の学校に入れられ、神学校に進みました。彼は、過去を受け入れることにしました」。ここまで語ってきた神父の顔には涙が伝っている(4枚目の写真)。そして、十字を切る。「皆さんに 神のご加護を」。聴衆の多くも、今の話がククレ神父の少年時代のことだと悟り、涙を流している。5枚目の写真は、ミサの直後に流れる回顧シーンで、ククレ神父が侍者を勤めていた時のもの。
    

ククレ神父は、独り立ちする助祭に、司教館に寄って手紙を届けてくれるよう頼む(1枚目の写真、矢印)。司教館では、司教がメインになってミサ聖祭の式典会場での席順を話し合っている。その時、ククレ神父の手紙が、極秘のマーク付きで届けられる(2枚目の写真、矢印)。司教は直ちに読み始める。「猊下。私は、極めて遺憾かつ断腸の思いで この手紙を書くことに致しました。私は、このように恐ろしく、難しく、辛い問題を、自ら提起せざるを得なくなろうとは思いもしませんでした。その問題とは、私の信仰の友の一人によってなされた子供たちに対する罪業です。無垢な犠牲者に対する残虐行為を許すことはできません。私は、その人物の犠牲者を少なくとも2人知っております…」。映画では、ここまでククレ神父の声で手紙が読み上げられるが、映像の方は先行し、ミサ聖祭にリムジンで向かう司教の姿を捉える。現場に着いた司教は、「リソフスキー!」と大声で呼ぶ。そして、足元がドロドロにも関わらず中に入って行く。「リソフスキー、来い! この愚か者!」と呼びつける。神父が前まで行くと、「これが何だか知っとるか?」と言い、一部を読み上げる。「事の重大性に鑑み、私はリソフスキー神父の行為を告発します」。そして、神父を車に乗せる。中に入ると〔運転手は外して2人だけ〕、最後の部分を読んで聞かせる。「私は、この手紙のコピーを、全国紙と地方紙および雑誌に送ります。その理由は、都合の悪い意見を握り潰せるほど強大で影響力のある神父と戦うためです」(3枚目の写真、矢印)。司教は、「君は、終わりだ。教会には救うことはできん」と見放す。その先の神父の言動は次節の「画策編パート6」に廻し、結果として、司教はリソフスキー神父を救うことに必死にならざるを得なくなる。そして、部下の神父を全員集め、マスコミに対し、記事を差し止めるよう方々に電話をかけさせ(4枚目の写真)、自らも、「助けが借りたい」と電話をかける。
   

そして、リソフスキー神父の画策編パート6(最後)。映画では、神父は、ククレ神父の日曜礼拝の直後に戻るが、マンションの鍵と引き換えに、テオドール神父からもらったビデオカセットをプロジェクターで観る短いシーンがある。その中で、司教は、半裸で豚のような声で鳴きながら、半裸の女性に鞭で打たれている(1枚目の写真、矢印が司教、手前が鞭を持った女性)。明らかに変態的なSM行為だ。そして、前節の3枚目のリムジンの中。「君は、終わりだ」と言われた後、神父は、「本気ですか、子豚同志?」と嫌味に訊く。司教には訳が分からない。しかし、神父が、口を歪めてビデオそっくりの声で豚の鳴き声をしてみせると(2枚目の写真、矢印は歪んだ口元)、観念せざるを得なくなる。破壊されるはずだったカセットが、最も強力な策士の手に渡っている。公開されたら身の破滅だ。だから、司教は、全力でククレ神父がマスコミに送った手紙を潰しにかかる。前後になってしまうが、作戦は成功し、リソフスキー神父の罪は問われず、念願のローマ教皇庁への転属も認められる。神父は1人乗りの特別機でローマ上空に達し、飛行機は着陸態勢に入る(3枚目の写真)。これが、リソフスキー神父の最後の登場場面。
  

翌朝。TV番組で、教会側が、①ククレ神父は、精神衛生上の問題を抱えており、②救おうとする教会の申し出を断った上、③信徒と問題を起こしたので、④停職処分にした、とのコメントが映される〔リソフスキー神父の名前は一切出されない〕(1枚目の写真、手前の頭は、ハラハラしながら観ている司教)。そこに、各種の朝刊が持って来られる。部屋にいた全員が、それぞれの新聞をチェックし、全く載っていないか、小さな扱いしかされていないことを確かめる(2枚目の写真、矢印は新聞)。確認が終わると、全員で拍手する。そして、全員でめでたく乾杯(3枚目の写真、13人いる→ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を連想させる)。映画では、このあとに、リソフスキー神父の飛行機がローマへの着陸態勢に入る場面になる。
  

そして、壮絶なラスト。ククレ神父は、全マスコミに無視され、傷心のままミサ聖祭の会場に入って行く。堕落した司教は、大統領をはじめとする主賓を前にして、盛大な式典を始める(1枚目の写真)。その招待者席の直前まで近づいた神父は、用意してきた灯油もしくはガソリンを頭からかけ(2枚目の写真、矢印は燃料の入ったペットボトル)、火を点ける。そして、全身に火が点いたまま、少しでも前に行こうと必死で歩き(3枚目の写真)、やがて、意識を失って倒れる(4枚目の写真)。映画は、この衝撃的なシーンで終わる。ククレ神父の身を挺しての抗議は叶うのだろうか?
   

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