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Kopfplatzen 頭が爆発しそう

ドイツ映画 (2019)

話は飛ぶが、以前、『Just Charlie(ジャスト・チャーリー/僕、女の子になるはずだった!)』(2017)という映画を紹介した。トランスジェンダーの悩みを正面から取り上げた初めての作品だった。映画の中で、少年は多くの偏見と障害を乗り越え、希望に満ちた未来が与えられた。この映画は、ペドフィリア(小児性愛障害)の男性の悩みを正面から取り上げた最初の作品だ。そして、そこには、何の希望も明るい未来もない。主人公のマークスは、医師から、ペドフィリアが思春期に発生した “素因” の一種で、治るものではなく、一生付き合っていくしかないと告げられる。マークスは、性犯罪を起こしたことは一度もなかったが、裸の少年の写真を収集し始めたことで症状が顕在化し、遂には自分で撮影するまでになり、一歩間違えば犯罪者に転落する寸前まで来ている。そこに現れた一人の可愛い少年アートゥア。彼は、同じアパートに引っ越してきたシングルマザーの一人息子。偶然、母親を手伝ったことから、少年とも親しくなる。引っ越しで友達のいない少年は、親切なマークスが気に入り、そのレベルは友達から親子のレベルになっていく。マークスは、アートゥアに手を出さないよう必死にこらえるが、うっかり写真を撮ってしまったのが母親に見つかり、すべてが崩壊する。トランスジェンダーに対しては、社会はようやく寛容になり始めているが、ペドフィリアに対してはより厳しい対応が取られるようになっている〔アメリカでは、厳罰化や出所後の情報公開〕。当然、同情の余地はないのだが、それが本人の落ち度ではなく、同性愛と同じように偶然によって付与された “素因” だと位置付けるのが、この映画の主眼である。だから、そうした “素因” を与えられてしまった人間にとってみれば、それは厳しい拷問にも等しい。こうした視点でペドフィリアを見るのは、これが初めての体験だ。映画は、観ることで、様々な体験をさせてくれることが素晴らしいのだが、この映画での体験は、二度と味わいたくないくらい苦しくて辛い〔映画の製作に当たって、見苦しい映像がないよう万全の配慮がされてはいるが…〕。IMDbは7.2。2019年10月のサンパウロ国際映画祭での上映を経て、2020年4月2日に、新型コロナを配慮して、インターネット配信(ドイツで)された。

建築事務所を経営するマークスは29歳の独身。キックボクシングに汗を流し、モダンなアパートにひっそりと暮らす寡黙な人物だが、人には言えぬ秘密があった。ネット上で男の子の裸を見たことで写真を集め始め、それでは飽き足らなくなり、市内に出かけては隠し撮りをする日々が続く。ある日、アパートに引っ越してきた女性ジェシカの荷物を、見るに見かねて部屋まで運んだことで人生が変わってしまう。そこには、可愛くて人懐(なつ)っこい少年アートゥアがいた。マークスは男の子に目がない。アートゥアは引っ越してきたばかりで友達がいない。ジェシカは離婚して一人で寂しい。ジェシカは、手伝ってくれたお礼にマークスを食事に招き、アートゥアは “喜んで相手してくれるマークス” にすぐに懐(なつ)く。ジェシカが女友達のパーティに行くため、アートゥアの世話を頼んだ時も、マークスにとっては、またとない機会だったため、全身全霊でアートゥアを喜ばせる。ジェシカは、そんなマークスを、未来の夫と期待し、アートゥアは未来の父とみなす。マークスは週末アートゥアと楽しく遊び、夜は、ジェシカのベッドで過ごす。しかし、マークスにとって、ジェシカとの時間は、アートゥアと一緒にいたいがための、義務としての付き合いだった。ある日、アートゥアにせがまれて一緒にプールに行った時、マークスは、これまでアートゥアに対して封印していた “写真撮影” をしてしまう。マークスは、自分の “嗜好” が不安になり、雑誌で見た精神科医に相談に行き、そこで、自分の嗜好が “治療のできない素因による病気” だと告げられ、ショックを受ける。そして、この「小児性愛」という素因が犯罪行為にまで悪化しないためには、子供を徹底的に避けることが必要だと告げられる。しかし、一度確立したアートゥアとの親子のような関係は、簡単に断ち切れるものではない。逆に、アートゥアが一緒にお風呂に入りたいと言い出し、マークスは自分の理性を総動員して “欲望” と戦うことになる。その最中に、ジェシカは夕食に足りない牛乳を借りようとしてマークスの部屋に行き、そこで “マークスの本質” を示す写真の数々を見つけてしまう。ジェシカは、マークスに利用されたことに気付いて激怒し、そこに現れたマークスを罵倒し、アートゥアと会うことを禁じる。自分自身に嫌気がさしたマークスは、手を切って自殺を図る。退院後、マークスは、過去の全てを断ち切るが、偶然 町でアートゥアに出会い、一緒に遊んで欲しいと頼まれる。最愛のアートゥアを将来とも傷付けないようにするため、マークスの選んだ道は、自らの死だった。

オスカー・ネッツェル(Oskar Netzel)は、これが映画初出演。撮影時の年齢は不詳だが、設定の8歳に近いと思われる。この映画では、役柄上、とにかく可愛く撮るようカメラが頑張っているが、次に脇役で出演したTV映画『Auf einmal war es Liebe』(2019)では、まさに百面相(下の写真)。左の写真は、この映画と同じように目がコケティッシュだが、中央の写真はまるで別人、右はとても真面目で訴えかけるよう。現在2本のTV映画がポストプロダクションに入っている。今後の活躍を期待したい。

あらすじ

1。カールスルーエに住む29歳の独身男性マークス。映画は、まず彼のアパートのモダンな内装を簡単に示す。そこで、彼はパソコンを見ながら自慰行為をしている〔示唆のみ。不愉快な映像はない〕。次のシーンは、キックボクシングのジムで、吊り輪を使った筋トレ。そして、路面電車に乗って通勤。彼の勤務先は、設計事務所。他の社員と比べ、机の配置、大きさから判断すると、そこのボスらしい。社員が来て、設計中の地下駐車場のことで相談があると話しかける(1枚目の写真)。そして、再びアパート。コーヒーを自動で沸かす。使っているマシンは、恐らくSiebträgermaschine-Bezzera BZ10S〔定価は€1.037(12万円)〕。そして、コーヒーカップを持って窓の外を見る(2枚目の写真)。野原では、子供達がサッカーごっこをして遊んでいる(3枚目の写真)。そして、タイトルが表示される。これらのシーンから暗示させるものは何もない。なお、カールスルーエについて一言。カールスルーエは、世界に数少ない “円形都市” の一つで、1715年に計画された時の図を右に示す。これによれば、南側3分の1だけが扇状に都市として整備され、残りは森のまま放置された。この形態は現代も変わらない。ついでながら、都内の田園調布も円形都市の系譜に属し、北半分が円形に計画された。

会社から出た所で、若い女性社員が、「飲みに行きませんか」と個人的に誘うが、マークスは、「行きたいけど、今夜は仲間と会うことになってる」と断る。しかし、アパートに戻ったマークスは、モダンな部屋に座って簡単な食事をとると、三脚付きの一眼レフを持ち出してきてTVの前に置き、如何にも慣れた手つきで写真を撮り始める(1枚目の写真)〔仲間云々は、嘘だった〕。カメラのファインダーが捉えたのは、上半身裸の少年(2枚目の写真)。そして、これまで撮った写真を拡げて、また自慰行為。マークスが、異常な性癖を持っているらしいことが示される。そして、冒頭に続いて、キックボクシングの本格的な練習(3枚目の写真)。ワンマントレーニングのあとは、模擬試合。なかなかの上手らしいことも分かる。シャワーを浴びた後、仲間から、「ビールを飲みに行こう」と誘われるが、「ガールフレンドが待ってる」と嘘を付いて別れる。

恐らく別の日、マークスは妹の家を訪れる。妹は、「良かったわ。またキャンセルするかと思ってた」と歓迎する〔妹の息子の誕生日〕。「パウルも喜ぶわ」。居間に入ると、そこには、2人の両親と、パウルと彼の友達がいた。「パウル、見てご覧」。パウルは、「マークス伯父さん」と言って飛びつく(1枚目の写真、矢印)。マークスは、パウルを抱くと、「よお! 誕生日おめでとう。重くなったな」と言い、プレゼントを渡す。プレゼントは、ティップ・キック〔ドイツの伝統的サッカーゲーム〕。パウルは大喜びで、さっそく友達と遊び始める。マークスは両親に挨拶した後、テーブルでパイを食べながら、パウルがティップ・キックで遊んでいるのをじっと見る。パウルは、そんな伯父を見ると、「最高のプレゼントだよ」と言って、抱きしめる。甥からの濃厚接触は抑えなくてはならないので、「ありがとう、パウル。トイレに行かないと」と言って体を離す。そして、トイレに行くと、自分の中に潜む抑えきれない欲望を鎮めようと顔を覆う(3枚目の写真)。

マークスは、公園(?)の一角で飼われている狼を見に行く。マークスは、後で、何度も狼を見に行くが、映画では、この狼が、“マークスの心の中に潜む狼” を表象している。この段階では、狼(マークス)はただうろついているだけ(1枚目の写真)。アパートに戻ったマークスは、新しく撮影した少年たちの写真を順に見る(2枚目の写真)。そして、その下の大きな引き出しを開けると(2枚目の写真、矢印)、中にいっぱい入っている写真の上に置き、引き出しを閉める。写真の枚数の多さから、異常レベルの高いことが窺える。

ある日、路面電車に乗ったマークスは、途中から乗ってきた2人の少年に目を留める(1枚目の写真)。マークスのひたむきな目が、じっと見つめる(2枚目の写真、他人を見つめ続けるのは不作法で気持ち悪い)。2人の少年が降りて行くと、マークスも電車を降りる〔マークスの降車場所ではない〕。2人はすぐに別れたので、マークスは眼鏡をかけていない方の少年の後をつける(3枚目の写真)。少年は人気のない公園に入って行くが、途中で仲間が現れ、それを見たマークスは180度向きを変え、引き返す〔マークスは直接行動に出るようなタイプではないので、後をつけた理由は分からない〕

“それ” は、ある日、突然起こった。マークスがアパートのドアを開けて入ってくると、すぐ前のロビーで、女性が重い引っ越し荷物と格闘していた(1枚目の写真)。それを見たマークスは、「手伝いましょうか」と声をかける。「ええ、助かりますわ」。「どこへ?」。「ドアが開いています」。マークスが、重い箱を開いたドアまで運んでくると、中から8歳の可愛い少年が出てきて、「今日は、僕 アートゥア」と言って握手の手を差し出す(2枚目の写真)。マークスには衝撃が走る。「あなた誰?」。マークスは、握手すると、「マークス」と名乗り、それを聞いた少年はにっこりする(3枚目の写真)。すごく 人懐っこい少年だ。そこに、残りの荷物を持った母がやってきて、「もう会ったのね」と息子に言い、マークスには、「息子のアートゥアです」と紹介する。そして、「こちらは…」。マークスとアートゥアの両者が同時に「マークス」と言い、母もマークス本人も笑ってしまう。「ジェシカです」。マークスは出て行くが、まだ若いシングルマザーの母にとっては、親切で魅力的な男性だった。その後、この映画の中でも最も腹立たしいシーンがある。マークスが、普通の開業医に行き簡単な診察を受けている。行きつけの医者なのか、初対面の医者なのかは分からない。診察が終わると、医者は、「完璧な健康体ですね」と言う。マークスが、もじもじしているので、医者は、「他に何か?」と訊く。「問題を抱えています」。「どうぞ、座って」。医者の前のイスに座る。「何です?」。「私… 私…」。なかなか切り出せない。「助けが必要です。子供が好きなんです」。「理解できませんが…」。「子供を見ると ときめくんです。そそられ、性欲を感じるんです。意に反して。助けて下さい」。それを聞いた医者は、立ち上がると背中を見せ、「今すぐ、私の部屋から出て行きなさい」と命じる(4枚目の写真)。何という無責任な医者であろう。犯罪者でもない小児性愛者の必死の嘆願を、このような形で遮断するとは、社会的にも許されない行為だ。暖かく支援すべく、別の専門医を紹介するのが筋であろう。

マークスとジェシカは、偶然 階段で出会う。ジェシカは再度礼を述べた後、「一度食事に来て下さらない?」と誘う(1枚目の写真)。「ありがとう」。「明日とか明後日に」。「ええ」。その日、マークスは、持っているシャツを並べ、どれを着ていくか鏡の前で迷う。そして、鏡の前で練習したのは、「やあ、ジェシカ」ではなく、「やあ、アートゥア」の言い方。そして、食卓の場面。ジェシカの話は、離婚した飲んだくれで不甲斐ない元夫に対する不満ばかり。マークスもアートゥアも聞いていて楽しくはない。アートゥアはうつむき、マークスは時々ジェシカを見るが、すぐにアートゥアに目線が向く(2枚目の写真、点線はマークスとジェシカの目線のズレ)。食事が済むと、居間の小さなテーブルでマークスとアートゥアはボードゲームを始める。アートゥアは、時々、マークスの顔を見ながら(3枚目の写真)楽しそうにゲームを続ける。マークスは、可愛い子供と遊べることに心から満足しているので、その熱意が伝わってくるのだろう。アートゥアが、遊び相手としてのマークスが気に入ってしまう。母も、嬉しそうに遊ぶ息子を見ると、マークスを再婚相手として強く意識し始める。その夜、ベッドで横になったマークスは、満足感にひたる。

週末、マークスは屋内の大規模な遊戯プールに行く(1枚目の写真)。そして、目立たない場所に行き、一眼レフを構えて少年達の写真を撮る(2枚目の写真)。そして、アパートに帰ると撮ったフィルムを現像する(3枚目の写真)〔デジカメの時代に、芸術写真でもないのに、なぜフィルムを使うのか全く理解できない。後で、この現像室が重要なポイントにするための脚本上の理由によるものと思われるが、時代に合っていない/そう言えば、映画の最初の頃、TVの画面をカメラで写していたが、これもナンセンスで、ブルーレイレコーダーに録画したものをパソコンで処理した方が、歪みのない高精細な画像が手に入る〕

現像室で作業中、呼び鈴が鳴る。マークスがドアを開けると、そこには、アートゥアを連れたジェシカがいて、「マークス、お願いがあるの。これから、お友達のパーティがあるんだけど、アートゥアは一人でいたくないって言ってる。できれば、アートゥアと一緒にいてやってもらえないかしら?」(1枚目の写真)。「いいよ、暇だから」。ジェシカは、マークスに抱き着いて感謝を表現するが、嬉しくて気が違いそうだったのは、冷静に見えるマークスであろう。マークスは、ジェシカの部屋で、アートゥアとチェスをして遊ぶ。アートゥアは、放った一手で相手を追い詰めた思ったので ニッコリ(2枚目の写真)。しかし、それはマークスの罠で、「チェックメイト」。「そんなのないよ! 今のなし。一手戻そうよ」。「だめだ。最初に約束したろ。一度動かしたら変えられない。戻せないんだ」(3枚目の写真)。「戻したいよ」。「今回だけだぞ」。嫌われたくないので、甘い。

チェスが終わると、今度は絵本を読み聞かせる。アートゥアは、最初、ソファの反対側の肘掛けにもたれていたが、姿勢を変え、頭をぴたりマークスの肩にくっつける。そして、さらに、マークスの腕が邪魔なので、腕を持ち上げ、中に入り込む(1枚目の写真)。そして、やがて お腹を枕にして眠ってしまう。しかし、マークスには、怖くてアートゥアの体に触ることができない。自分が制御できなくなるかもしれないと恐れたからだ。頭の中では、マークスのベッドに一緒に座り、優しくアートゥアを撫でられたら、と想像する(2枚目の写真)。しかし、パーティから戻ってきたジェシカが見たものは、ソファでそのまま寝てしまった2人だった(3枚目の写真)。ジェシカは、息子が “未来の夫” に懐いている様子を見て満足する〔子供が継父を嫌うというパターンが多いためか?〕。マークスが目を覚ますと、「2人ともキュートね」と感想を口にする。「見ていてくれてありがとう」。「楽しかったよ」。マークスが出て行こうとすると、「ベッドまで運んでもらえる?」と頼まれ、表面上は静かに、内心では小躍りしながらベッドまで運ぶ。ジェシカは、その場でアートゥアの上半身を裸にするが、マークスはじっとそれを見ている。「お休み」。「よく眠ってね。ありがとう」。アパートに戻ったマークスは、激しい自慰行為〔映るのは顔だけ〕。翌日も狼に会いに行く。狼は、前と違い、マークスの凝視を見返すように じっと見つめる。マークスの心は、100% アートゥアに向けられている。そのあと、 “怪しげな人物” とのラインでのやり取りも初めて紹介される。「月に一度、俺の城で会合がある」。「どんな会合?」。「大勢集まる。とっておきの話〔Leckerbissen〕もある。有名だぞ。俺たちは『見開かれた眼〔eyes wide open〕』と呼んでる。分かるか?」。「入れるのか?」。「俺次第だ。まずチェックするがな。来るか?」。具体的なことは、分からない。

マークスとアートゥアの親交を示す幾つかのシーン。最初は、マークスが水切りをするための石の投げ方を教える場面(1枚目の写真、矢印は石)。アートゥアは、初回で2回跳ねさせ褒められる。2つ目は、手をつないで自転車を走らせる場面(2枚目の写真)。そして、サッカーボールで遊び、転んで倒れたマークスの上に、アートゥアが乗る(3枚目の写真)。2人の姿は、実の親子と同じくらい親密で、微笑ましい。

マークスは、何度目か分からないが、ジェシカの食卓についている。ジェシカは、アートゥアに「もうベッドに行きなさい」と言う。「やだよ」。「ベッドタイムを30分も過ぎてるのよ。歯を磨いてきて」。「お願い」。「ダメよ」(1枚目の写真、点線はマークスの目線)。アートゥアは、渋々立って行く。2人だけになると、2人はソファに移動し、ジェシカは距離を縮め、最後には、脚をマークスの脚に乗せ、額と額をつける(2枚目の写真)。そして、ベッドシーン。終わった後、2人が寝ていると、アートゥアが来て、2人の間に割り込む(3枚目の写真、矢印)。これは、マークスにとって、限界を超える刺激だった。自制心を保つため、マークスは横になって背を向ける。

マークスにとって、アートゥアは甥と同じように不可侵の存在なので、またプールに行き、写真を撮っている。すると、いきなり、背後から、「何を撮ってるんです?」と声がする。驚いて振り返ると、それは、部下の男性社員で、自分の息子を連れて来ていた。マークスは、プールの建築学的な面白さを撮影していたと弁明する(1枚目の写真)。そして、「ニーマイヤーが、ポツダムの水上スポーツ公園〔Aquatic Park〕をデザインしたの知ってたか?」と話題を逸らす〔オスカー・ニーマイヤーはブラジルの有名な建築家。ポツダムの公園は2005年に設計したが実現しなかった。ネット上で見つけた唯一のものは、右の奇妙な模型〕。部下と別れた後、マークスは自分の不運、あるいは、愚かな行為を悔やむ。会社に行っても、笑い声が聞こえ、部下がこちらを見ているのが分かると(2枚目の写真)、自分がやっていたことがバレてしまったのでは と恐れる。

マークスとジェシカとアートゥアが、公園の池でボートに乗っている(1枚目の写真、舳先にいるのはアートゥア)。ジェシカはマークスの胸に寄り掛かり(2枚目の写真、マークスの目線は点線)、「とても幸せよ、マークス。こんなに幸せだったこと、一度もない。愛してるわ」と言ってキスをする。マークスが見ているのは、アートゥアの全体ではなく、常にその一部(3枚目の写真)〔気味が悪い〕。マークスが「遅くなった。もう戻ろう」と言うと、アートゥアは「一緒に漕ぐよ」と言い(4枚目の写真)、帰りは2人が並んで漕ぐ。アートゥアは、「いつか一緒にプールに行ける?」とマークスにねだる。「君のママがいいと言えば」。

マークスは、ジェシカにメールを書いている。「ジェシカ、君に話さなくてならないことがある。でも、どう話せばいいか? どこから始めるべきか? すごく恥ずかしいんだ」。ここまで打って手が止まる(1枚目の写真)。そして、画面には映らないが、さらに書き続け、最後に、「ごめん、マークス」と書き、「送信」の上にマウスを置くが、「下書きを保存」の方をクリックする。その夜、マークスはジェシカのベッドで過ごす。しかし、ジェシカがキスをしても、頭は自責の念でいっぱいで全く反応できない(2枚目の写真)。それに気付いたジェシカは、「どうかしたの?」と訊く。マークスは、ようやく我に返る。ジェシカ:「もう、私に感じなくなったの?」。マークスは「まさか、なに言うんだ」と否定し、アートゥアとの接点が絶たれないようジェシカの相手をするが、時々チラと見る目線の先には(3枚目の写真、点線)、写真立てに飾られたアートゥアの写真が(4枚目の写真)。

セックスが終わった後、ジェシカは寝てしまうが、眠れないマークスは、起き上がると、迷った末に、アートゥアの部屋に入って行く。そして、ベッドに座ると、布団を外して寝姿を見る(1枚目の写真)。何もせず、布団を元に戻すと、そっと立ち去る。翌日は、狼との何度目かの対面。マークスに慣れた狼は、柵越しにマークスの手を舐める(2枚目の写真)。これは、マークスがアートゥアに焦がれていることを示すが、逆に、それはマークスを制御不能にしていく “罠” でもあった。ラインでの会話。「どうした? 誰かと会ったのか?」。「ああ、だが、傷付けないかと心配だ」。「喜んで代わるぞ」。「そばにいるって素晴らしい。見れるし、嗅げる。おまけに、好いててくれる」(3枚目の写真)。「言った通りだ」。「終わるのが怖い。二度と会えなくなるから」。「リンクを教えてやろうか。小さな天上人〔kleinen Himmelswesen umgeht〕の扱い方が分かるぞ」。「放っといてくれ」。「彼らも、喜んでるし、楽しんでる。でなきゃ、相手にしないだろ」。「彼を愛してる」。「俺もみんなを愛してるんだ。このドリーマーめ」。

マークスはアートゥアを連れてプールに行く。ウォータースライダーで遊び、水の中でじゃれ合う(1枚目の写真)。プールから出た後は、アートゥアに好物を食べさせて、嬉しそうな顔をプールサイド・チェアに横になって鑑賞する(2枚目の写真、点線)。アートゥアは、マークスが大好きなので、いくら見られても嬉しくてたまらない(3枚目の写真)。

しかし、ここで、マークスは、取り返しのつかない間違いを犯してしまう。持って来るべきではなかったカメラを取り出し、アートゥアの写真を撮り始めたのだ。それも、記念写真ではなく、いつもの調子の写真を(1枚目の写真)。前からだけでなく、横からも、後ろからも。しかし、マークスを父のように慕うアートゥアは、異常さを強くは認識しない。撮影が終わると、マークスは、「いいかい、これは2人だけの秘密だ。ママには言うなよ」と言い、アートゥアは素直に頷く。「約束だぞ?」。もう一度笑顔で頷く。そのあと、アートゥアは「僕にも撮らせてよ」と言い出し、マークスは操作法を教える。アートゥアは、マークスの顔を正面から連写する(3枚目の写真)。

アパートに戻ったマークスが雑誌を見ていると、1つの広告に気付く。そこには、「あなたは、子供達が際限なく好きではありませんか?」と書いてある(1枚目の写真、矢印)〔小児性愛者を対象とした宣伝など雑誌に載るはずがないと思うのだが…〕。マークスは、すぐにその精神科医 兼 臨床心理士の診察室を訪れる。医者は、「お話を伺う前に、重要な質問があります。マークスさん、あなたは子供に性的な暴力を加えたことはありますか?」と訊く。「いいえ」。「結構」〔犯罪者は対象から外す〕。「私に何をお望みです?」。マークスがためらっていると、「どうぞ気楽に」とアドバイス。マークスは立ち上がると、医者の顔を見ないよう、窓の外を見ながら話し始める。「私は、何とか捨てたいのです。これ以上、小さな少年に惹かれたくありません。彼らとセックスする夢など見たくもありません。こんなのは病気です。でも、毎日、始終、そう願ってしまうのです(2枚目の写真)。「いつか、ある少年〔アートゥア〕に危害を加えてしまわないかと心配なのです。もう、その寸前まで来ているように思えます。でも、そんなことはしたくありません」。こう、医者の顔を見て言うと、イスに座る。「マークスさん、とても重要なことを言わねばなりません。あなたが抱えておられるものは、治療できる病気ではないのです。私だけでなく、誰にもできません。まず、その点をご理解下さい。治療法はありません。小児性愛は、一つの素因です。通常、思春期に発生する性的指向の一つです。そして、生涯にわたって続くとされています。この素因は、あなたの責任ではありません。同性愛や異性愛と同じです」。マークスは、これらの説明にショックを受ける。「どうしたら?」。「生涯、受け入れて暮らすしかありません」。「治らない?」。「ええ、そう理解しないといけません」。「何を理解するんです? 一生 セックスしちゃいかんと言われたら、どうすれば? もし、セックスが罪になるのなら?」〔この場合のセックスは、例えとしての通常のセックスを意味する〕。「残念ですが、これはあなたの運命です。誰にも変えることはできません。だが、あなたを助けることはできます。そうすれば、あなたの素因をコントロールできます。法的に罰せられる行為に及ぶこともありません。あなたの素因は変えられませんが、あなたの行動はコントロールできるのです。分かりましたか? この点が重要なのです。あなただけが、あなたの行動に責任があります。そして、それにどう対処するか学ぶことができるのです」(3枚目の写真)。絶望したマークスは、思わず泣いてしまう。

医者を出たマークスは、高速道路を跨ぐ橋の上に立ち、漫然と走る車を見つめる〔飛び降り自殺の可能性〕。そのあと、行きつけのキックボクシングのジムに行き、どうしようもない怒りを、パンチングマシンにぶつける(1枚目の写真)。そして、アパートに戻ると、プールで撮った写真を現像する(2枚目の写真)。アートゥアが撮ったマークスの写真に対しては、憎い自分の顔を擦って傷付ける。最後に、夜の暗い通りを歩いていて、立ち止まると、突然絶叫する。全否定された自分の人生に対する悲鳴だ。そして、再び診察室。マークスが話し始める。「初めはこうでした。ネット上で写真を見たんです。裸の少年たちの写真を。際どい物もありました。それから、自分で写真を撮るようになりました。校庭や遊び場やプール、それにTVでも」。「あなたは、誰かに話しましたか?」。「いいえ」。「なぜ?」。「誰にも理解できないからです。私にさえも。最低の行為だと思います。でも、私の頭の中で いつも声が囁き、『悪くなんかない』って言うんです」。こうした告白に対し、医者は、具体的な方法として、「子供達を見たら 避けなさい。道路の反対側に行き、バスや電車は降りなさい。子供達がいるような場所には近づかないように。プール、スポーツ施設、学校などです。如何なることがあっても、心をそそられてはならないのです。もちろん日々の内服薬は処方しますが、何より大切なことは、あなたがこうした努力を続けることです。そのお子さんがあなたに傷付けられるかどうかは、偏(ひとえ)にあなた自身の責任です」。この重い言葉は、マークスの行く末を大きく左右する。マークスに肉を与えられた狼が、マークスに向かって唸る場面が挿入される。肉はアートゥアで、その “ご馳走” がマークスを変貌させることを示唆している。

今は、鍵を預かっているマークスが、ノックなしでジェシカの部屋に入り、鍵束を玄関のサイドボードに置くと、居間に入って行く。マークスが来たことを知ると、アートゥアが、「マークス」と言って走って行き抱き着く(1枚目の写真)。如何に好かれているかがよく分かる。「よお、何して遊んでた?」。「神経衰弱だよ。一緒にやる?」。ジェシカは、「さっき何て言った?」とアートゥアに注意する。「お風呂に入りなさい。今すぐ」。「やだよ。先に遊んでから、お風呂だ」。「ダメよ。先にお風呂。そのあと、時間があれば 遊んでもいいわよ」。「マークスが一緒に入ってくれるなら」。「さあ、入ってもらえるかしら。訊きなさい」。「ダメなら、お風呂には入らない」(2枚目の写真)。マークスは、ふざけるように、「なんて強情なんだ」と笑いながら言うと、アートゥアの体をつかんで振り回す。次のシーンでは、アートゥアはもうお風呂に入っていて、マークスはジェシカが片づけをしてる横で服を脱ぐ(3枚目の写真)。

ジェシカが、「食事の準備をしてくる」と言って浴室を出ると、アートゥアは、「さあ、入って!」と要求する。マークスにとっては、“傷付けたくない最大の人物” と同じ浴槽に入ることは、大きな試練以外の何物でもない。でも、嫌われないためには、従うより他にない。マークスがパンツを脱ぎ、後ろ向きに浴槽に入ろうとすると、アートゥアは実に嬉しそうな顔をする(1枚目の写真)。そのあとは、向かいあって横になるが、アートゥアがリラックスしているのに対し、マークスは自制しようと緊張で堅くなっている(2枚目の写真)。その頃、ジェシカはキッチンで冷蔵庫を開けてみて、牛乳がほとんどないことに気付く(3枚目の写真)。そこで、「マークス、あなたのトコに牛乳ある?」と大きな声を尋ねるが、浴室からはアートゥアの笑い声が聞こえる。邪魔しない方がいいと思ったジェシカは、玄関に置いてあったマークスの鍵束を持って、部屋を出て行く。「あなたの部屋に行って、牛乳を取ってくるわ」。その声は、浴室にもかろうじて届いたが、アートゥアの耳には入っても、緊張しているマークスの耳には入らない。

アートゥアは、ゴムのボールをタイルの壁に投げて遊び始める。アートゥアは、幸せで一杯だ(1枚目の写真)。それに比べてマークスの顔に喜びは全くなく、自分を抑えようとしているのか、目の前のシーンを脳の回路から外そうとしているのか、完全に無表情。マークスの部屋に初めて入ったジェシカは、真っ直ぐ中に入って行き、キッチンで、残された手書きのメモを見る。そこには、ニーチェの有名な言葉、「愛のためになされるものは、いつも善悪の基準を超えて行われる〔Was aus Liebe getan wird, geschieht immer jenseits von Gut und Böse〕」が書いてあった〔小児性愛者に利用されれば、これは、ある意味、危険な発想になり得る言葉/ジェシカには何のことか分からない〕。ジェシカは冷蔵庫から牛乳の紙パックを出すと、キッチンを出るが、玄関に至る廊下に唯一照明灯が光っている場所がある。そこで、何かと思い、ドアを開けてみる。中は真っ暗なので手元ランプを点けると、真っ先に目に入ったのは、顔の部分が擦られて傷だらけになったマークスの写真(2枚目の写真)〔プールでアートゥアがマークスを撮ったもの〕。そして、顔を上げると、頭の上には、現像して干してある写真がある。写っているのは、すべて息子のアートゥアだ。中には、顔がなくて胴体だけのもの、真横からのものもあり、普通の記念写真とは思えない(3枚目の写真)。

バスタブでは、アートゥアが、「僕のこと好き?」と尋ねる(1枚目の写真)。「もちろん。大好きだ」。そう言うと、手を伸ばしてアートゥアの頬を触る(2枚目の写真)。「僕も好きだよ」。そして、ボールを投げ上げて、「ここから天井までくらい」と言う。「ここを出たら、神経衰弱で遊ぼうね。約束だよ」。「ママが許してくれたらだ」。「ママはいないよ。マークスの部屋にミルクを取りに行った」。この言葉に、マークスは衝撃を受ける(3枚目の写真)。最高に幸せな瞬間の直後にマークスを襲った最悪の状況だ。

ジェシカは、どこか変だと思い、その下にあった大きな引き出しを開ける。すると、そこに入っていたのは、数百枚もの少年たちの写真。もう一段上の引き出しも、写真で一杯だ(1枚目の写真)。これで、判明した。①マークスは、異常で穢らわしい嗜好を持っている、そして、それよりも、もっと大きな衝撃は、②マークスは、ジェシカなどどうでもよく、アートゥアに会いたくて利用しているだけだという事実。その時、急を知ったマークスが部屋に戻り、ジェシカが秘密の部屋に入っているのを知る。彼にとっては地獄のように辛く、恥ずかしく、すべてが崩壊した一瞬だ。ドアの外にマークスがいるのに気付いたジェシカは、写真をつかむと、「これは何?」と、答えが分かっていて責める(2枚目の写真)。そして、マークスの体を、写真を持った手で何度も叩き、「何なの?!」と強烈に非難し、壁に追い詰め、「このろくでなし!!」と叫びながら殴り続ける。「このろくでなし! 私は利用されただけ!」。爆発的な怒りが収まると、今度は、「アートゥアに、何かした?」と心配する。「してない」。「坊やに何かしたんでしょ? 白状なさい!」。「何もしてない」。「何てこと? 私が愛したのは、みんなあんたみたいなクズ! ナニしてた時も、頭にあったのはアートゥアのことだけ。ビョーキだわ。いいこと、何があろうと、絶対、二度とあんたとは会わない。分かった? この変態」(3枚目の写真)。

部屋から出ようとするジェシカに、マークスは、「やりたくなかった。君には理解できない。問題は、僕の頭の中だ。いつも、そこに何かがいる。僕は、考えたくないのに、いつだっているんだ。もし、頭の中で声がして、『さあ、やれ、やるんだ』って言い続けたら、どうする? 「嫌だ。そんなの僕じゃない」と言っても、何度でも繰り返し、その度にどんどん強くなっていく。消えてくれない。いつもそこにいる。そんなのが、いつも頭の中をうごめき回り、降伏するしかなくなる。いっときの平安… それから、またもう一度同じことが始まる」。マークスは、平手で何度も頭を叩きながら、「くそ、頭から出て行け!!」と叫ぶ(1枚目の写真)。「始まりは、とても静かだ。遠くから眺めるだけ。でも、すぐに、それでは飽き足らず、触りたくなる。欲望はどんどん大きくなる。そして回転木馬のように、際限なく回り続ける。決して止まらず、どんどん早くなっていく。逃れられないんだ!」。そう叫ぶと、マークスはキッチンに駆け込む。何事かと思ってジェシカが見に行くと、床に座り込んだマークスは、両手首を包丁で切って自殺を図っていた(2枚目の写真、矢印は流れ出た血)。

場面は病院に変わる(1枚目の写真)。マークスの妹が病室に入って来る。「具合は?」と訊いた後、なぜ自殺未遂が分かったかを、「ジェシカが電話してきた」と打ち明け、「今では、両親も知ってるわ。話しちゃったから。2人とも肩身が狭いって」と正直に言う。マークスが何も言わないので、しばらく会話が途絶え、妹は、決定的な一言を口に出す。「もう私たちとは係わって欲しくない。ポールを守らないと」(2枚目の写真)「ポールに話したわ。彼は、何もされてないと言ってた。それホント?」。返事はない。「マークス、あの子に何かした?」。「してない」。それを聞くと、妹はマークスの頬に別れのキスをし、「早く良くなって」と言って出て行く。マークスは、ますます孤独になる。

何日後かは分からないが、退院したマークスがアパートに戻る。医者の処方した精神安定剤を飲んだ後、コップを手で握り割ってケガをしようとするが、失敗。その後、マークスが近所を歩く姿が映るが、公園で子供達がサッカーごっこをしていても、見向きもしない。そして、現像室の大きな引き出しの中にあったすべての写真を床に捨て、黒いポリ袋に詰め込む(1枚目の写真)。そして、パソコンで、これまでのラインの履歴をゴミ箱に入れ、内容を消去しようとする。お馴染みの表示が出る。「ゴミ箱フォルダーを空にしますか?/削除されれば元に戻すことはできません/キャンセル 削除」。マークスは 削除 をクリックし(2枚目の写真)、忌まわしい記憶を全消去する。暗くなり、近くの森に行ったマークスは、写真の入った黒いポリ袋に火を点けて燃やす(3枚目の写真)。

ある日、マークスが街を歩いていると、背後からアートゥアが「マークス!」と呼ぶ声が聞こえる。マークスが振り向くと、嬉しそうな顔をしたアートゥアが走ってくる(1枚目の写真)。そして、そのままマークスにしっかりと抱きつき、顔を見上げる(2枚目の写真)。2人は公園に行き、ベンチに座る。アートゥアは、「またいつか遊べる?」と尋ねる。「さあ… 君のママ、喜ばないんじゃないかな」。「かまわないよ。また、前みたいに遊びたい。一緒に自転車に乗ったり、プールに行ったり、ポテトフライやアイスクリーム食べたいよ」(3枚目の写真)「お話しもね。また読んでくれる?」。「ダメだ。アートゥア、君のママは嫌がると思うな」(4枚目の写真)。

ここで、アートゥアは、思い切った提案をする。「ママに知られなきゃいい。僕は言わない。2人だけの秘密にしようよ。約束する?」。その、あまりにも誘惑の大きな提案に対し、自らを律しきれないと思ったマークスは、いきなり席を立つ(1枚目の写真)。そして、少し離れた場所に立ち尽くす。しかし、ベンチで寂し気にしているアートゥアを見ると、後ろに立って肩に手を置く。アートゥアは、顔を見上げて「約束する?」と訊き直す。マークスはわずかに頷く。それを見たアートゥアは、立ち上がってマークスの前に立ち、「約束だよ。土曜の午後、ここで」と言う(2枚目の写真)。そして、「じゃあね」と言って抱擁を求める。マークスはしゃがんでアートゥアを抱きしめ、「気をつけるんだぞ、僕の王子様」と、今生の別れの言葉を囁く(3枚目の写真)。このあと、狼が檻の中ではなく、野原を歩く姿が映る。これは、マークスの中の邪念が、マークスの制御を振り払って自由に振舞い始める危険性を表象している。その晩、ベッドに横になって考えたマークスは、朝起きると、部屋の中をきちんと整頓し、誰も住んでいないほどきれいにする。そして、真新しい白いシャツを着ると〔これまで、黒っぽいシャツばかりだった〕、完ぺきにメイキングされたベッドに座る。サイドテーブルには多量の睡眠剤が出してある(4枚目の写真、矢印)。映画はここで終わる。大好きなアートゥアを傷付ける可能性が高くなってきた今、マークスの選択肢は、自殺して、「頭の中で叫んで駆り立てる危険なもの」を排除するしかない。マークスの潔癖な理性が下した悲しい結論だった。

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