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Nimmermeer 二度と再び

ドイツ映画 (2008)

レオナルト・プロクサウフ(Leonard Proxauf)が主演する、一種のファンタジー映画。映画の舞台はバルト海に面するドイツ北部の寒村(ロケ地はデンマーク)、時代は恐らく19世紀。魚が獲れなくなっても漁師として生きる 老いた貧しい父を持つ9才の少年ヨーナスの、悲しくも不思議な体験を描いたドラマ。映画の冒頭、矮小な魔術師が登場し、これからヨーナスの物語が始まると口上を述べる。魔術師は、村を訪れるサーカスの座長なのだが、何故かヨーナスのことは何でも知っている。ヨーナスの父が死神に取り憑かれ、夢のような大漁を息子に見せてやろうと嵐の海に出て行き、死んでしまったことも。村の神父に引き取られたヨーナスが、夢を失ってしまったことも。魔術師は、サーカスの人形劇の中で、ヨーナスに「秘密の扉」を一瞬開けて見せ、父はいつでも心の中にいると教える。そして、夢を取り戻したヨーナスは、村にいても仕方がないと悟り、サーカスの一行に加わって村を去って行く。映画の最後、ヨーナスがサーカスに追いついたのを見て、魔術師は「やっと来たか。物語が失敗に終わるかと 心配したぞ」と歓迎する。このストーリー展開は、一体何なのだろう? ヨーナスを立ち直らせるには、「秘密の扉」ではなく、もっと現実的な「何か」でもいいはずだ。映画では、神父の異常なまでの厳格さが強調され、それがヨーナスを萎縮させ、救いは「秘密の扉」しかないように見せている。しかし、この逆の設定、例えば、『ジャック・ソード/選ばれし勇者』(2007)では、破壊されたジャクーの心を、おおらかな司祭が蘇らせている。だから、監督は、敢えて信仰ではなく、ファンタジー的なトリックで、少年を救済する映画を作りたかったのだろう。そのための「秘密の扉」であり、全能の魔術師なのだ。ただ、最後がサーカス団入りというのは、救済としては寂しい気がする。サーカスの座長としての魔術師は、団員に対し専横的に振舞っていたので、ヨーナスにどんな運命が待ち受けているか気になる。そこまで考えなくても、単にミステリアスな展開を楽しめばいいのかもしれないが、神父と魔術師の対比があまりにも極端なので、つい不平を漏らしたくなる。

レオナルト・プロクサウフは、日本では『白いリボン』(2009)で知られているが、そこでは脇役の一人にすぎず(ポスターでは一面だったが)、しかも、白黒映像。レオナルトが、主演した映画は、この作品だけだ。そういう意味では貴重な作品。レオナルトの特徴は、きつい目と、ワイルドな顔。話はずれるが、なぜレオナルト(Leonard)なのだろう? 英語名のレナード(Leonard)のドイツ語名はレオンハルト(Leonhard)のはずなのだが。レオナルトの標記は、『白いリボン』のパンフレットに拠った。


あらすじ

映画は、長い独白から始まる。「朝早く、とても早く。猫が、お気に入りの隅で丸まり、犬もまだ眠り、黒い塩の海も凪いでいる。辺りは静かで、何も聞こえない。犬小屋で身構える犬も、流れに漂う魚もいない。村の家々からは、息づかいも聞こえない。この 打ち捨てられた場所の話を 始めよう。田舎者の中から ヒーローが生まれた話だ。その小さな男の子の名前は、ヨーナス」。ここで、引っかかるのは、ヨーナスが、結局ヒーローでも何でもないことだ。もちろん、映画でも、その直後に「竜を倒し、巨人と戦うようなヒーローでない」と断り、「ただの子供でありながら、貧しい少年が、大人になるかを如何に学んだか。これは、お分かりのように、難しい問題だ」とくくる。それにしても、「ヒーロー」という言葉はしっくり来ない。その後、浜辺に建つ隙間だらけの貧相な小屋が映し出され(1枚目の写真)、次いで、ヨーナスの父親についての説明が入る。「ヨーナスの父は、村で最後の漁師。来る年も、来る日も、彼は海へと漕ぎ出した、天と海が一つになる場所まで」。この「天と海が一つになる場所」というのが、この映画のキーワードになっている。さらに説明は続く。「しかし、網はいつも空だった。ほとんどが手ぶらで家に帰る日々だった。彼は、信念を貫くあまり、村人のすべてが知っていることを、見逃していた。海から魚が消えて 何年も経つということを」。だから、ヨーナス達は極貧の生活を送っている。最後に魔法使いが藁屋根の上から、「これからが、物語の始まり」と開幕を告げる(2枚目の写真)。スタートは、悪くない。
  
  

ヨーナスは、毎日、砂浜まで出かけて行き、漁から帰ってくる父を、手を振って迎えるのが慣わしだ。父もそれに応えて手を振っている(1枚目の写真)。このシーンは、後で非常に重要な意味を持つ。父の舟の中を見て、「今日は1匹だけ?」と訊くヨーナス。「1匹だけ、って何だ? 1匹でも ご馳走だ。香草とジャガイモで 美味いスープができる。美味そうだろ」。「スープなんか作れるの?」。「いつも作ってた」。父の引っ張る網に乗ったヨーナスが、魚の顔を見ながら、「クヌートって呼ぶんだ」と言い出す。クヌートは、神父館で使われている野卑で若いブ男。父:「魚の方が、クルートより いい顔しとる。他の名前にしろ」。「ヨハンソンの娘のスヴェアはどう?」(2枚目の写真)。ヨーナスは密かにスヴェアが好きなのだ。「他のに しろ。何でもいいが、もっと勇ましい名がいいな」。「でも、神父さんに似てるから、エクダールにしておくよ」。「それならいい」(3枚目の写真)。神父は、冷血漢なので魚にはぴったりだ。父が、「聖職者を鍋に放り込め」と冗談を言ったところで、シーンは、教会でのミサに切り替わる。スマートな演出だ。
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神父が、村人に説教をしている。「人生とは 闇の中を歩くようなもの。神だけが 道をご存知です。神は 我らの保護者です。そのお陰で、生と死の間で、日々の営みができるのです。時として、正しい道を 見失う時があります。我々は、密林や猛獣に直面しています。密林は罪業です。野獣による誘惑もあります」。この辺りの比喩的表現は、ヨーナスを含め、村人にはさっぱり分からない。ポカンと口を開けたヨーナスが面白い(1枚目の写真)。説教は、さらに、「誘惑に負けてしまうと、猛獣が 我々をおじけさせ、死神の鉄拳が突然窓を叩くのです。我々の心は不安で一杯となり、闇に向かって『主よ、あなたは何処に』と叫ぶのです」。クヌートが集める礼拝献金の番がだんだんヨーナスの父に近付いて来る。だが、彼には一銭も持ち合わせがない。そこで、人目を避けながら、一張羅の胸についた金色のボタンを引きちぎり(2枚目の写真)、献金箱に入れる。確かに、チャリンと音がする。しかし、この冒涜行為は、密かに見られていた。
  
  

教会の前では、市が立っている。父は、「わし どうだ?」とヨーナスに訊き、ヨーナスは「偉いさんみたい」と答える。これが、一張羅を着て村に出てきた時の、2人のお決まりのやりとりなのだ。父の着ているのはヨレヨレの上着、ヨーナスは父のシャツを無理して着ているので、手の先にシャツの袖やカフスが惨めに垂れ下がっている。商品は一杯並んでいるが、2人には買うお金がない。献金すらできなかったので。父は、金持ちのヨハンソンを見つけると、つかつかと寄って行き、「会えてよかった。あんたが、ヒートの息子に仕事を頼んだと聞いたんだが」と打診する。あわよくば、仕事がもらえないかと思ったのだ。ヨハンソンは、「チビの詐欺師が 大金を要求しおった」と言い、逆に「誰かいるか?」と訊く。父は、ヨーナスを抱えながら、「わしが 役に立てるかも」(1枚目の写真)と遠慮がちに話し始めるが、ヨハンソンは、てっきりヨーナスのことを頼んでるものと勘違いし、「お前さんのガキは小さすぎる。あと2年経てば使い物になるがな」と断る。父は、「手伝おうと思ったのは、老犬のわしだ」と言い直すが、「あんたは いい漁師だった。それを続けた方がいい」とすんなり断られる。そして、「あっちの商人に訊いたらどうだ。仕事をくれるかもしれん」と振る。父は、落胆し、家に戻る。父が料理した魚の切り身を、手づかみで食べるヨーナス。口の周りが光っているのは魚の油のせいだ。「魚に餌をやったら、どのくらい大きくなる?」と父に尋ねる(2枚目の写真)。「いっぱいやったら、馬ぐらい大きくなる?」。ヨーナスは漁師の子だが、魚のことは何も教えてもらっていない。だから、こんな突拍子もない質問を平気でする。
  
  

翌日、ヨーナスが浜辺を横切るサーカスの一行を眺めていると、そこに、憧れのスヴェアが走ってくる。そして、「みんな浜辺に集まってる。ご馳走よ。来て。大きいの」と手を取って誘う(1枚目の写真)。「みんなで切り分けてる。すごいのよ」。「何を?」。「くじら! 昨夜、打ち上げられたの」。父を待っていようか迷うヨーナスを尻目に、「一人で行く」と走り出すスヴェア。ヨーナスが後を追って、打ち捨てられた舟まで行くと、確かに火は焚かれているが、誰もいない。「スヴェア、くじらはどこ?」と叫ぶヨーナス。しかし、それは恐ろしい罠だった。スヴェアは木の陰に隠れ(2枚目の写真)、その他の村の子供たちは廃舟の裏に隠れていて、一斉にヨーナスを捕まえると、予め掘っておいた穴に突き落とした。穴の周りから顔を出して、ヨーナスをいびる子供たち(3枚目の写真)。「お前の じいさん海か?」。「多分、ボタンでも 釣ってるんだ」。ミサでのボタン献金がバレていたのだ。上からヨーナスに砂をかけながら、「生き埋めって、どんな感じだ?」と訊く。「ウンチ食いめ」と罵る。子供は残酷だ。穴の底で苦痛と屈辱に打ちのめされるヨーナス(4枚目の写真)。幸い、そこに父が助けに来てくれた。ちりぢりに逃げる卑怯な子供たち。中でも、一番悪いのはスヴェアだ。
  
  
  
  

全身の汚れを石鹸で洗ってもらうヨーナス。父は、ヨーナスの髪を泡でピンと立たせながら、「奴ら、散り散りに逃げてったぞ。泡を食うとは あのことだ」とおどけてみせ、「誰かにやられたら、やり返せ。そして、お前には ちょっかい出せんと、思い知らせてやれ」と激励する。しかし、ヨーナスが不機嫌なのは、やられたからではない。父が、市での申し出を断ったからだ。「どうして、商人に 仕事 訊かなかったの?」と尋ねる(1枚目の写真)。「商人だと? わしが商人に見えるか? 番台の後ろに陣取って、小麦粉やじゃがいも売る? 嫌だな。わしの仕事じゃない。あれこれ、ラベルがあるだろ。香草やら香辛料やら。もし、わしが詰めたら、焼肉は甘く、コーヒーは塩辛くなっちまう」。「その代わり、礼拝献金くらいは できてたよ」。これが、さっき、ひどい目に合った最大要因だ。しかし、父はそれには答えず、思い出へと話を変えていく。「昔は、魚が沢山獲れてな… 網の周りに商人どもが押し寄せて、こう言ったもんだ… 浜は魚で銀色だ!」「銀色の天が 地上に降りて来たみたいだった」(2枚目の写真)。この「銀色」というのも、重要なキーワードだ。
  
  

父と枕を並べて寝ているヨーナス。後ろで寝ている父に向かって、「眠ってる?」と訊く。「いいや」。「彼を 見たことある? 誰のこと 話してるか、分かってないよね」(1枚目の写真)。「誰のことだ?」。「死神」。「彼が来ても見えないって、神父さんが言ってた。父さん、死神 見たことある?」。「幸い、ないな」。「いつ 見るのかな?」。このヨーナスの発言がきっかけとなり、映画のこの場面では何の説明もないが、酔っ払った父は、死神か魔女セイレンと「契約」を結んだと思い込み、眠るヨーナスの耳元で、「海に出てくる。そして、もう一度 天を下げてみせる。明日は ご馳走だ。ちゃんと火の用意をしとけ。銀色だぞ」と囁くと(2枚目の写真)、荒天の海へと漕ぎ出して行った
  
  

ヨーナスが朝 起きると、父はいない。外は、打って変わって晴天だ。いつもの場所で父の帰りを待つが、父は帰って来なかった。そのまま夜になり、暖を取る薪は残り僅か。ヨーナスは、短い蝋燭に別の短い蝋燭を継ぎ足して、ようやく明かりを確保する(1枚目の写真)。外はまた雨だ。心配そうに窓の外を見るヨーナス(2枚目の写真)。待っているうちに最後の蝋燭も消えてしまう。真っ暗な中で、机に座ったまま寝てしまい、そして次の朝が来る。誰かがドアをノックしている…
  
  

ドアを開けたヨーナスの顔に、眩しい朝日が当たる(1枚目)。彼が目にしたのは、ずらりと並んだ村人たち。そして、壊れた父の舟が男たちによって担がれてくる。その光景を呆然と見るヨーナス。中央にいる神父が手を差し出すが、ヨーナスはそれに構わず一人浜辺に向かって駈けて行く。浜には、大漁の魚が打ち上げられている(2枚目の写真)。海に入って行き、悲しみを波にぶつけるヨーナス。台詞は一切ないが、胸に迫るシーンだ。ヨーナスはクヌートに抱え上げられ、神父の館まで運ばれて行く。身寄りのないヨーナスにとって、神父が新しい後見人になる。
  
  

館の食堂で、神父と向かい合って座らされたヨーナス。神父は、「クヌートがここに来た時、君とほぼ同い年だった。彼の母が口を縫ってしまったから、叫ぶこともできなかった」と話す。その時、クヌートが、ヨーナスのグラスにも赤ワインを注いだ。神父は、さらに、「今は、家畜の世話をしている。命令と仕事で、人間らしさを取り戻した。我々は、神の戒律で生きている。司祭館の門は、常に開けておかねばならん。ドアを叩いた者は、誰であろうと歓迎される」。これは、ヨーナスに向けた言葉だ。そして、日課として、「朝は、祈りとともに始まる。6時に、その日の平安を神に祈る。その後15分は、何をしてもいい。寝室で過ごすか、市の日には出かける。その後は、労働に従事する」。ヨーナスは、神父の話など何一つ耳に入っていない。恐らく、父の死のことを考えていたのであろう。何もせず、ワイングラスを睨み続け(1枚目の写真)、挙句の果てに、力が入りすぎてグラスを割ってしまう。それで、ようやく我に返るヨーナス。思わず立ち上がると、ドアへと走るが、クヌートに止められる。神父が「どこに 行きたい?」と訊くと、「浜辺へ」と答える。神父は、「浜辺に行っても、誰も君を待っていない」と諭す。ヨーナスは「本当じゃない」と否定する。「本当だ」。ヨーナスは、大声で「違う!!」と叫ぶ。神父は、「焼けるように苦しいだろう。しかし、苦痛は敵ではない。神の慈悲の証拠なのだ。時として、神の手に触れることは、苦痛を伴う」(2枚目の写真)と教えを垂れるが、ヨーナスに理解できたとは思えない。
  
  

翌朝、クヌートに連れられて家畜小屋に行くヨーナス。途中で、「牛は牛だ。鼻っつらを叩いてやらないと 分からん。俺も同じだ、あざができるくらい殴られれば、従う」とヨーナスに教える。小屋に着くとドアを開け、「ここが仕事場だ。入れ」。そして、ヨーナスがやったことのない山羊の乳搾りをさせる。クヌートは、「何 見てやがる。ほら、おっぱいが はち切れるぞ」「なんて トンマなんだ」「何だ このひょろひょろの腕は。お前 女の子じゃないのか?」(1枚目の写真)。さらに、「何も 教わっちゃいないんだろ」「お前に つきあっちゃおれん」「お前の親爺、魚の獲り方くらい 教えたんだろうな。今じゃ、何も教えられんけど」とさんざヨーナスをこき下ろす。そして、山羊がヨーナスの手に糞をすると(2枚目の写真)、「クソ絞りくらいは できるようだな」と皮肉る。小屋から逃げ出すヨーナス。ヨーナスは、そのまま、いつもの浜辺まで駈けて行き、父の姿を必死で捜す。遺体はまだ見つかっていないのだ。
  
  

村では、サーカスの座長が、村人を前に口上を触れていた(1枚目の写真)。「さあさあ、夢か現実か? 夢か現実か? 幻想か、ありふれた真実か? 見たこともないような、興奮と驚異と芸術性に溢れたアトラクションですぞ! グリード親方が 扉を開ければ、世界がひっくり返り、息を飲むこと間違いなし!」。一座には、首を刎ねられた男(代わりに箱を載せている)、火吹き男、翼のある女性に引かれた200歳の老人らがいる。「お前がここに慣れたら、俺はサーカスに入る」と言っていたクヌートも、仕事そっちのけで興奮して見ている。ヨーナスも一緒だが、お咎めなしだ(1枚目の写真)。村人が大喜びなのは言うまでもない。何も娯楽のない時代なので、一生に何度もない楽しみなのであろう。
  
  

その夜、神父の館で、神父とヨーナスが向き合って食事をとっている。スープを注いでもらっても、手をつけようとしないので、神父が、「一般的に言って、家畜小屋で仕事に励めば、空腹のはずだ。それとも、働かなかったのか? それなら、どこにいた?」と訊く。「僕の部屋」。それが嘘だと察した神父は、「興行師達は 危険な存在だ。行く先々で、人々を惑わす。彼らの荷馬車は 動く死刑台だ。純真な者をたぶらかし、彼らの子供達を連れ去る」と話す。「そんなの、信じないよ」(1枚目の写真)。「私も、君を信じない」。その時、山羊のミルクが持って来られる。「ああ、上等のミルクが来た。納屋の山羊の乳だ。食欲が出るだろう。飲みなさい」。しかし、ヨーナスは、今朝、自分が山羊の糞を入れてしまったことを知っているので、「ウンチ臭い」と反抗。神父は、「この家では、日々の糧に敬意を示す決まりだ」と言い、「嫌だ!!」と拒絶するヨーナスの口をこじ開け(2枚目の写真)、ミルクを流し込む。そして、「敬意を示すことを学んだろう」と言い、「今日は、どこにいた?」と訊き直す、「浜辺に」。「もう嘘は付くな。約束だぞ」。ヨーナスは、「約束します」と小声で答える。神父は、「手にキスしなさい」と、ヨーナスの前に握り拳を突きつける。涙目のヨーナスがキスすると、神父は拳を開いて中味を見せる(3枚目の写真)。そして、「これは、君のだ。君の父の欺瞞は、許し難い罪だ。立派な人間のする行いではない」と言い捨てて、食堂を出て行く。献金箱にボタンを入れたのが亡き父だと、神父も気付いていたのだ。しかし、極貧の者からも献金を要求し、代りに大事にしていた金色のボタンを差し出した行為を、聖職者がこのように切って捨てるのは背徳的で「許し難い罪」だと思う。いったい「何様」だと思っているのか。父の大切な形見を返してもらったヨーナスは、首にかけようと、ボタンに紐を通して嬉しそうに見入る(4枚目の写真)。
  
  
  
  

翌朝、ヨーナスとクヌートが路地で荷物を運んでいると、サーカスの座長の怒鳴り声が聞こえてくる。仕事より、そっちの方が気になるヨーナス。クヌートの制止も聞かず、座長の荷馬車に首を突っ込む。ヨーナスにつられてクヌートも一緒に首を入れる。座長は、団員に、「ゴタゴタを引き起こした虫けらを捕まえたら、俺を邪魔した奴の話を ぶちまけてやる」とまくしたてている。サーカスの最後を飾る人形劇の準備がうまくいっていないのだ。「翼のある女性」に向かって、「この 豚の血のソーセージの ぶくぶくした化身め」とこきおろす。それを聞いてびっくりするヨーナス(1枚目の写真)。座長は、「どこへやった? お前はどうだ? 知っとるか?」と他の団員に迫る。その時、後ろから覗かれているのに気付いた座長は、「俺様に こっそり近付くな! 許さんぞ!」と噛み付くが、覗いていたのがヨーナスだと分かると、急に優しくなり、「失礼した」と謝り、「君を、ただの物好きと 混同した。芸術家は 君の苦悩を知っている」と宥める。このヨーナスに対する「特別待遇」にクヌートは腹を立てる〔後で、神父に嘘の密告をする〕。一方、座長は、ヨーナスの顎を上げさせ、人形劇に使う黒い紙を切ろうとするが巧く切れない。そこで、もっとよく切れるハサミを探そうと、横の小さな扉を開ける。すると、扉の向こうから金色の光が溢れ、そこには、舟に乗っている父と、その父に手を振っている自分自身の姿が見えた(2枚目の写真)。呆然とそのイメージを見るヨーナス(3枚目の写真)。「座長さん、あれは何? 扉の後ろのもの」と訊くが、座長は、「扉の後ろ? 別に。ただの、お粗末なトリックだ」と最初は否定する。しかし、ヨーナスが、「でも、あれはトリックじゃない」と言うと、「じゃない? そうかも… それとも、そうじゃないかも」「君は、我々の能力の真髄を見たんだ」と不思議な言葉を投げかける。神父の家に帰る途中、ヨーナスは、「扉を開けた時、あれ見えた?」とクヌートに訊く。「何を見た? がらくた部屋で、何 見たんだ?」。「別に。ただのマジックさ」。バカにされたと思い、復讐を誓うクヌート。
  
  
  

夜、藁布団で寝ていたヨーナスは、突然起こされる。そして、神父の部屋に連れて行かれる。神父は、「こんな遅い時間に呼び出された理由は、分かっていよう? 自分のしたことを認めるよう、呼んだのだ」と切り出す。そして、「『私は神を欺きました。そして、サーカスに心酔しました。私は、死神の手先として仕えます』。どうだ、その通りだろ?」と糾弾する。「いいえ」。しかし、神父はクヌートの密告を信じている。そして、密告の内容は実際にあったことより、ずっとひどいものだった。神父:「嘘付きは どうなるか知ってるか? 穴を掘り、そこに、投げ込まれる。もし すぐに死ななければ、鼠に足を食われるのを 待つことになる。鼠に食われた死体を見たことがあるか?」。「いいえ」。「クヌートが嘘付きだと 主張するか?」。「僕、あんなこと言ってない。多分、彼は、嘘と真実の違いが分からないんだ」。「罰を受けずに 嘘を付けると思っているのか? そんな偽証が通るとでも?」。「神父さんは、僕を憎んでる」。「そうか? 私は君に ひどいことをせねばならん。君を 敵から解放するためだ。憎んではいない。愛している。君が想像する以上に 愛している」。ここまで言うと、「ほら」と言ってヨーナスの顔の前に開いた手を差し出す(1枚目の写真)。「私の手を見なさい。愛している手だ。たとえ君を罰するとしても、憎しみからではない」。次に、顔の前に握り拳を突きつけ、「憎しみの手は、鉄拳だ」。そして、再び手を開き、「しかし、私の手は、君に対して いつも開いている。理解したかね?」。仕方なく「ええ」と答えるヨーナス。神父は、「懺悔をしなさい」と命じる。どうしたらいいか分からないヨーナスは、「何を言えば?」と尋ねる。「君は ちゃんと知っていると思うが…」と神父。ヨーナス:「僕は、話を作ったことを告白します」。そして、さっきクヌートが並べたでたらめを、くり返す。聞き終わると、神父は、「君は、内心の葛藤を負かすのだ。罰は、自分で選びなさい。何回 叩かれるに値すると思う?」。結局は、棒で叩かれることに変わりはない。ヨーナスが「5回?」と訊くと、少なすぎる様子。そこで、「7回?」と言ってみる。それで満足したのか、神父はヨーナスのシャツを脱がせ、机に向かって屈ませると(2枚目の写真)、背中を棒で強く叩いた。その夜、ヨーナスは、石の床の上に湿らせた布を敷くと、背中が当たらないように丸まって、主の祈りを唱えながら横になるのだった(3枚目の写真)。祈りの最中に想い出が頭を過ぎる。祈りが終わり目を開けると、そこには後悔して涙ぐむクヌートがいた。恐らくクヌートの手引きがあってか、ヨーナスは神父の館を脱出し、サーカス最後の人形劇を見に走った。
  
  
  

劇は、座長の「紳士 淑女の皆様。それでは、当劇場の ささやかな出し物を ご照覧あれ」の口上で始まった。「昔々、ある男の子がいました。浜辺の小屋で、父と暮らしていました。貧しくとも、彼らは幸せでした。老いた漁師の口癖は、良き昔、海に魚が溢れていた時代の自慢話でした」。多くの聴衆と一緒に、ヨーナスも劇を見ている(1枚目の写真)。「老人には、死神が訪れる前に大漁をするという、秘めた夢がありました。息子のために、銀色の浜辺を取り戻したかったのです。ある夜、男の子が眠っていると、父は、不思議な声を聞きました。『一緒に来れば、素晴らしい場所に連れて行ってやろう… 天と海が一つになる場所だ』。父は こっそり部屋を出ると、眠っている息子に、明日は ご馳走だよと、囁きました。そして、魔女セイレンと、海の底へと入って行きました。男の子は、何も知らずに、何日も待ちました。父が戻って来ないので、男の子は、二度と笑わうまい、夢など信じまいと誓いました。なぜなら、現実だけを信じていれば、失望せずに済むからです。笑いと夢を失ったことで、思わぬことが起きました。天と海が一つになる素晴らしい場所も、消えてしまったのです。しかし、強力な魔術師がいて、この悲惨な出来事を聞きました。この魔術師は、世界中の夢の管理者でした。彼は、秘密の扉を知っていました」。ここで、影絵の魔術師が秘密の扉を開き、子供が中に入って行く(2枚目の写真)。ここまでの話は、自分と父、そして、今朝の不思議な体験と全く同じだった。その意味は一体何なんだろうとヨーナスは考え込む(3枚目の写真)。座長の話はさらに続く。「男の子は、銀色の海にいる父を見で、夢が戻って来ました。それ以来、彼には、魔術師も扉も要らなくなりました。いつでも望む時に、天と海が一つになる場所を 見い出せたからです。目を閉じて、笑うだけでいいのです。男の子は、顔には笑みを 心には夢を抱いて、幸せに暮らしましたとさ」。その結末に、会心の笑みを浮かべるヨーナス。
  
  
  
  

浜辺で並んで座っているヨーナスと座長。ヨーナス:「僕と 父さんのことだ」。座長:「気に入ったか?」。「ありがとう。すごく寂しかったの」。そして、「扉の向こうに 連れて行ってくれない?」と頼む(1枚目の写真)。父のいる世界に行きたいのだ。しかし、座長は否定する。「君が 扉の後ろに見たものは、想い出の世界だ」。そして、「ここだ」と言って、ヨーナスの胸を指差す。「いつでも好きな時に お父さんと会える」。しかし、ヨーナスは、「もう 父さんはいない」と、悲しみを乗り越えられないでいる。その前を、サーカスの一行が通り過ぎて行く。先頭で馬を引っ張っているのは、クヌート。神父のところから逃げてきたのだ。そして、座長も一緒に去ってしまう。一人残されたヨーナス(3枚目の写真)。座長が、映画の観客に向かって、「これで、小さなヨーナスの物語は終わり。時として、『さらば』と言うのは 辛いもの。しかし、時には、『さらば』は、『さらば』ではなくなる。将来の再会の 事始めなのかもしれん」「誰が 切り離せよう。夢と現実を」と語りかける。その時、決心したヨーナスが、サーカスを追って行く。馬車から降り、両手を広げてヨーナスを迎えた座長。「やっと来たか。物語が失敗に終わるかと 心配したぞ」(4枚目の写真)。そして、映画は幕を閉じる。
  
  
  
  

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