スウェーデン映画 (2011)
第24回 東京国際映画祭で最優秀監督賞を獲得した2011年製作のスウェーデン映画。国内での公開はされていないので、慣例に従い、「未公開扱い」とする。映画祭での仮題は『プレイ』だったが、ここでは、内容を反映して副題を付けた。この映画は、北欧理事会映画賞、カンヌ国際映画祭の審査員注目賞など計9つの賞を受けている。スウェーデンのイェーテボリ〔ヨーテボリは間違い〕で実際に起きた出来事に触発されて作られた映画だが、この映画は、高い評価とは別に大きな衝撃をスウェーデン社会に与えた。ここで、公平な立場からスウェーデンの移民と犯罪について論じたSpringerのSociety誌57巻(2020年1月13日)の、「21世紀のスウェーデンにおける移民と犯罪」という報告(→読みたい人(pdf))を引用しよう。スウェーデンの犯罪防止評議会〔Brå〕が2002~17年に行った調査では、7種の異なる犯罪を、犯罪者の出身地を7つに分けて分析している。その結果は、人口33%に対するものではあるが、「全犯罪の容疑者の58%は、合理的な根拠に基づき、移民である。そのうち、殺人、過失致死、殺人未遂に絞れば73%、窃盗では70%が移民によるものである」という衝撃的なものであった。この背景にあるのは、「1990年代以降のスウェーデンにおける多文化主義政策の結果、我々は、中東及びアフリカから多くの移民を受け入れてきた」という歴史的経緯であり、その結果、「移民により、スウェーデンにおける殺人の殺人発生率は4倍となった」。しかし。こうした見方に対しては、非常に強い反対論がある。「民族性と犯罪とを結びつけることは、『嘘』であるばかりなく、ファシズムと言っても良い」「犯罪統計は、人種差別主義者の偏見を煽るものだ」というもので、移民差別に強く反対する 人道主義的な政治団体の主張である。これに対し、この報告は、別のスタンスを取っている。すなわち、「事実は決して『嘘』ではない。嘘だとすれば、それはもはや事実ではない。我々は、過激論的な単純化を避ける必要がある。ある種の方法論的な特徴〔移民が犯罪者となる確率は高い〕を、公衆の眼から逸らすべきとする思い込みは 危険であり、反民主主義的ですらある」。こうした議論を知った上で、この映画を見直してみよう。この映画では、5人のアフリカ系の移民の少年達が、2人の中流階級のスウェーデン人の少年と、同じクラス(?)の中国系の少年を相手に、集団的な脅迫による詐欺行為を働く。これに対し、主犯格の少年は、後で、「街で5人の黒人に携帯を見せるくらいバカなら、自分自身を責めろ〔Är du så dum att du visar mobilen för fem svarta killar på stan får du skylla dig själv〕」と、切って捨てるように言う。日本人の感覚からすれば、「盗まれる方が悪い」という言い方は、「盗人猛々しい」としか思えない。しかし、この映画が公開されると、スウェーデンでは、黒人を犯罪者にしたことで憤りに近い反論が巻き起こる。それは、先の報告の、「人種差別主義者の偏見を煽る」と考える団体からの批判だ。そうした背景を踏まえて、この映画で紹介される陰湿な5対3の犯罪を見て欲しい。また、他にも、「見て見ぬふりをする大人達」。「いざ “見る” ことに決めた時の荒っぽさ」。「無一文になった被害者の少年に対する呆れるほど無慈悲な車掌」「黒人擁護に走るおばさんパワーの怖さ」なども、見どころ。
映画は、3部構成。開始から7分までが、詐欺行為part 1の冒頭部分。その後 93分までの本篇が、詐欺行為part 2の開始から顛末まで。最後は、詐欺行為part 3の後日談。すべてが、スウェーデンのイェーテボリで起きたアフリカ系移民の非行少年グループ(ギャングに近い)による巧妙かつ悪質な窃盗行為を、淡々としたカメラワークで捉えたもの。part 1ではショッピング・モールで2人のごく普通の白人少年が、5人の黒人少年に囲まれて携帯を盗られそうになる直前までの、テクニックを描く。そして、本篇のpart 2では、セバスチャン、アレックス、ヨンの3人が、たまたま同じスニーカーの店で遭遇した “part1と同じ5人組” から目を付けられ、①店から逃げるが、②路面電車の中まで後を付けられ、③電車を飛び出して逃げても追って来られ、④助けを求めたコーヒー店では事なかれ主義で助けてもらえず、⑤結局、5人組のテクニックの罠にはまり、⑥再度、路面電車に乗せられ、どこかに連れて行かれそうになる。⑦セバスチャンは逃げるが、窃盗団の1人がつきまとって、結局連れ戻され、⑧3人はバスで郊外の辺鄙な場所に連行され、⑨勝てるハズのないレースに全財産を没収され、⑩帰宅途中に無賃乗車したことで、車掌から多額の罰金を科せられる。part 3では、携帯を盗まれた子の父親が、町を父子で歩いていて犯人の一人を見つけ、A.叱り、B.携帯を奪い返し、C.今後しないよう注意するが、犯人が大声で泣き叫ぶフリをしたことで、人種差別反対論で凝り固まった女性から強い抗議を受ける。このように、映画は、大量の移民を受け入れたことで犯罪が急増したスウェーデン社会の問題点を映像で訴えかけようとし、過激とも言える方法で、露骨にアフリカ系移民の少年ギャング団の恐ろしさを強調してみせる。異常なほどのスローペースや、ほとんど固定され、顔の識別も困難なカメラワーク、時々挿入される無意味で無関係な映像は、その強い刺激を緩和するための仕掛けであろう。観終わった後、決していい気分にはなれない映画だが、それが社会派の映画の宿命なのか?
この映画は、ドキュメンタリーのように、遠くから望遠レンズで全景を撮るような場面が多く、2人のスウェーデン人の少年のうち、セバスチャン役のSebastian Blyckertの顔がアップになるのは、2回だけ。もう一人のアレックス役のSebastian Hegmarに至っては、一度もアップがない。従って、ここではSebastian Blyckertだけ子役リストに入れている。2人とも演技履歴はなく、映画出演はこれ1回きり。
あらすじ
映画の冒頭、不良グループの手口が紹介される。対象となる犠牲者2人は、本編の主人公ではない。イェーテボリのショッピング・モールを買い物で訪れていた2人の12歳前後の少年2人(1枚目に写真)。そこに、2人のアフリカ移民の少年が2人近づいてきて、年上の方(主犯)が、「ワルイな、いま何時?」と訊く。「何?」。「今何時か分かる?」。金髪の子が携帯をポケットから出すと、チラと見て、「12時。ええと、11時55分」と教える。ところが、相手は、「それ見ていいか?」と訊く。「どうして?」。「チラと見てみたいんだ」。少年は携帯を再度取り出す。「持っていいか?」。「ヤだよ、何で?」。「ちょっと見るだけ。いいから見せろよ」。そう言って携帯を奪う。そして、携帯をチラと見ただけで、「俺の弟のが先週盗まれたんだ」と言い出す(2枚目の写真、矢印は金髪の少年の携帯)。「これと同じ携帯を持ってた。カバーも同じで、同じキズもある。どこで手に入れた?」。「パパからだ」。「いつ?」。「1年くらい前」。「父ちゃん、どこで買った?」。「知らないよ。プレゼントだから」。「このキズは、どこで付いた?」。「学校で…」。「どんぴしゃ、同じ場所だぞ!」。そこまで嘘を並べると、「ここで待ってろ」と言う。「僕たち、行かないと」。主犯が去って行き、従犯が監視役として残る。「急ぐんか?」。「ママと会うことになってる」。「いつ?」。「25分後」。「間に合うさ。弟を呼びに行っただけだ。5分で済む」。そこに、1人の年上に2人を加えた4人が戻ってくる。そして、主犯が、「もう一度、携帯見せろ」と言う。自分達より大きな黒い集団に囲まれた金髪は、脅威を感じ、携帯を見せる(3枚目の写真、矢印)。この場面は、ここで打ち切られるが、この不良グループの手口がよく分かる。金髪は、自分の父からのプレゼントなので、もっと毅然と対応してもいいと思う。特に、2対2の場合には、逃れる可能性は十分にあった。その優柔不断さがつけ込まれる隙を与えている。
別の日、ショッピング・モールのスニーカー売り場で例の5人組がたむろしている。1人は足でボールを蹴って遊び、他の1人は、買いもしないのに商品に手を伸ばし、主犯は、自分の持っているナイキ905について、大声で自慢する。何れも買う気なんかゼロで、店にとってはいい迷惑だ(1枚目の写真、矢印はボール。因みに、特売品の価格699は、当時のレートで8400円)。一方、その左にあるコーナーでは、12歳前後の少年2人と、中国系の年長の少年の3人がいて、緑のフード付きジャケットを着た少年(アレックス)が、スニーカーを選んでいる。そこに、ボールが飛んできて、店員は「いい加減にしろ!」と注意するが、「何もしてないよ」と適当にごまかす。アレックスは別の店員に、希望の商品のサイズ39を頼む。店員が探しにいっている間も、ボールの音が何度も聞こえてくる。店員が、「おい、ボールを渡せ」と要求する。その後も、5人組はベンチチェアを占拠し、店の邪魔を続けるが、主犯が隣のコーナーにいる3人のカモに気付き、他の4人の注意を喚起する。店員が出してきたのはサイズ38.5。スニーカーで小さいサイズは禁忌なので、アレックスは買うのをやめる。そして、隣の連中に恐れをなし、逃げるように立ち去る(3枚目の写真)。しかし、3人は、目星をつけられていたので、すぐに5人組が後を追う(4枚目の写真、3人目が主犯)。
路面電車に先に乗り込んだ3人。中国系の少年が乗降口から首を出して外を見ているので、アレックスが「やめろよ。ドアを開けてるぞ」と中止する。「怒鳴るなよ」。「ドアが開いてると、電車は動かないんだ」。「そんなこと、分からないだろ」。「ここに何て書いてある? ちゃんと読めよ、このバカ」。この “バカ” のお陰で、開いていたドアから5人組がドヤドヤと乗り込んでくる。アレックス:「何人いる?」。セバスチャン:「4-5人」。「奴ら、何してる?」。「こっちを窺ってる」(1枚目の写真、矢印はアレックス)。「1人、くるぞ」。1人がそばにやってきて、ニヤニヤ笑いかけて戻って行く。セバスチャンはアレックスと相談し、中国系の少年(ヨン)に、「奴らと話してきてくれないかな?」と頼むが〔少し年上で、移民という点で同じだから?〕、「バカ言うな。自分でやれ」と言われただけ〔ドアを開けっ放しにして、5人組を入れたことに、謝罪もないし、責任も感じていない〕。セバスチャンは、「次の停留所で降りるぞ。だけど、発つのはドアが閉まる直前だ」と2人に指示する。そして、頃合いを計り、一気に飛び出す(2枚目の写真)。しかし、一旦開いたドアはすぐには閉まらないので、脱出に気付いた不良達も出口に向かって走る(3枚目の写真)。
セバスチャンは、身の危険を感じ、コーヒーショップに入って行くと、応対に出た女店員に、「助けてくれる? 僕たち後をつけられてる」とSOS。「なぜ、つけられてるの? それに、誰なの?」。「5人組。僕らより、少し年上」〔アフリカ移民とは言わない〕。「どうして欲しいの?」。「警察を呼んで」〔なぜ、自分の携帯で112にかけないのだろう?〕。「どこにいるの?」。「たぶん角の向こう」。「確かなの? 警察を呼ぶって、大変なことなのよ」「なぜ、確かめてこないの? もし、まだいたら、ここにきなさい。何とかしてあげる」。セバスチャンは見に行き、「まだいるよ」と言う。すると、店主のおばさんが呼ばれ、また最初から説明させられる。セバスチャンは、路面電車のことも含めてもっと詳しく説明するが、店主は、何も起きていないのに警察は来ないと断言し、セバスチャンに両親に相談するよう勧める。そして、セバスチャンが留守録で通じないと答えると、店内にずっと留まれば安心だと笑顔で言う(1枚目の写真)。しばらくして、ヨンが入って来て、「彼らが、話したがってる」と言う。「なぜ?」。「さあ。何かを訊きたいそうだ」。「何を?」。「さあ。聞いたら、行かせてくれるって」。この、いい加減な甘言に乗せられ、セバスチャンとアレックスは5人組に会いに行く。そこで展開されたのは、冒頭と同じ手口。ただし、時間は訊かず、いきなり、「携帯を見ていいか?」から(2枚目の写真)。そして、「先週末はどこにいた?」。「家だよ、どうして?」。「俺の弟がこれと同じ携帯を盗まれたんだ」。「これは僕のだ」。「嘘つくな。なら、自分のだと証明してみせろ」。不良達は、それが “盗まれた弟のもの” と同じだと言い張り、“弟(架空)” に見せて確認させると言い出す。セバスチャンは、「行きたくない」と拒否する(3枚目の写真)。「なら、ここにいろ。携帯を見せに行く」。その後、大柄で脅す役と、それを宥めて如何にも味方のフリをする主犯の間で、嘘の口論が続き、結果、主犯が「君、セバスチャンだな。時間はとらせない。俺たち誰も面倒は嫌いだ。彼には、弟のことだから、とっても重要なんだ。君らが怖がってることは分かる。だけど、彼の弟に携帯を見せるだけだ。そしたら、どこに行ってもいい」と提案する。セバスチャンは、この時点で、①大声をあげて助けを求めるか、②さっきの店に何としても行くか、③携帯を手放すべきだった。そうしていれば、身ぐるみ剥がれることはなかったろう。
3人は、辺鄙な場所まで連れて行かれるが、誰もいない(1枚目の写真)。1人が離れた場所で電話をかけるフリをする。その間抜けは、「おい聞けよ。アブディの弟に電話をしたんだ。そしたら、ここじゃなくて、オーディンの広場にいるってさ」と言いながら、戻って来る〔そもそも、携帯を盗まれた弟に、なぜ電話できるのか?〕。アレックスは、「オーディンの広場? さっき通ったばかりだ。誰もいなかったじゃなないか」と指摘する。間抜けは、「ガムレスタッドの広場って言ったんだ」と取り繕う。「オーディンって言った」。「ガムレスタッドって言った」。他の仲間も同調する。アレックスは主張を曲げないが、最後に殴られて何も言えなくなる。この直後、我慢できなくなったヨンが離れた場所まで走って行き、鉄柱に捕まって中腰で野グソをする汚い場面がある。彼はパンツを破るが、それでお尻を拭くかと思ったら、漏らしたのかそのまま捨てる。中国系移民に対する人種偏見的、かつ、明らかに不要なシーンだ。最後に、3人は、ショートカットして路面電車に乗るため、原っぱのサッカー場に入っていく(2枚目の写真)。
5人と3人は、再び路面電車に乗る。3人を確保した不良どもは、車内で別の悪ふざけに走る。ターゲットになったのは、20歳前後の、小型のヘッドホンで音楽を聴いていた ドレッドロックスのスウェーデン男性。ドレッドロックスとは、髪の毛が束になったヘアスタイルのことで、黒人に多い。5人のうちの主犯は、そのうちの2本をつまみ上げて、「長くつ下のピッピだ」と言って、仲間に見せる(1枚目の写真、矢印は2本の髪束)。男が何事かと思って振り返ると、謝った上で、「何 聴いてんの?」と訊く。男は気分を害しているので、「音楽」と、つっつけどんだ〔ヘッドホンで音楽以外あり得ない〕。「どんな?」。「いろいろ」。「長くつ下のピッピ?」。これを聞いて、仲間がげらげらと笑う。男は、ヘッドホンをつけようするが、主犯は、奪い取り、「何だって?」と訊く。男は、仕方なく「アスワド」〔イギリスのレゲエバンド〕と答えるが、何も知らない主犯は、「アスウッド、それ何だい?」。こんな失礼な奴には答えなくてもいいのに、「ボブ・マーリーみたいな音楽」と教える。その名前は知っていたらしく、「あんた、ジャマイカから来たのか?」と訊く。「いいや」。「じゃあ、どこから?」。「Herrljunga」〔スウェーデンの田舎の村〕。主犯は、もちろんそんな地名は知らないが、発音が似ているので「Herrarnas djungel」〔“男のジャングル” という意味〕と大声で言い、仲間同士で笑う。「聴いても?」。「ダメだ」。「お願い、こんなのとても買えないんだ」と、ワザとらしい泣き声で頼み込み、いざ渡され、少し聴いた後で、「返せ」と言われると、からかうような声で断り(2枚目の写真、矢印はヘッドドホン)、その言い方を真似するまで返さないと言って開き直る。男は、何度もくり返して言わされた挙句、立ち上がって車内中に届くような大声で歌わされる。
電車が停止すると、2人の屈強な男〔1人は運転手?〕が、不良のいる車両の2つの出入口から飛び込んできて、不良どもを糾弾するが、一番後ろに立っていただけのアレックスとヨンも巻き込まれる(1枚目の写真)。だから、せっかく不良と縁が切れるかもしれなかったのに、一緒に車外に追い出される(2枚目の写真、矢印はアレックスが降りていく方向)。その後、4人と2人は、軌道上を反対側に走って行く(3枚目の写真、矢印は緑のジャケットのアレックス)。
怖い大人がいなくなると、座席の下に隠れていた “一番小柄” な不良が姿を現す(1枚目の写真、矢印)。一方、セバスチャンは、一人、車両の全部に座っていたため、退去されずに済んでいた。セバスチャンが泣いているのを見た乗客の中年男性が寄って来て、「おい、大丈夫か?」と声をかけ(2枚目の写真)、「全部、見てたぞ。もし、私の証言が必要なら、電話しなさい」と言って名刺を渡す〔映画中に登場する、唯一の “関心を持ってくれた大人”〕。
4人+2人は、陸橋の下のような場所に来る。アレックスは、「セバスチャンを見た?」と心配して訊く。「そいつ、誰だ?」。「携帯を持ってる子だよ」。「そいつがどうした?」。「ここにいない。だから、僕らも、もう行っていいか?」。主犯は、「腕立て伏せ100回できたらな」と言って、いつも通り、品なく笑う〔映画では、5人の黒人移民が “憎たらしい獣のように描かれている”〕。アレックス:「50回でいいだろ。それとも、2人で100回とか」。拒否されると、アレックスは仕方なく 腕立て伏せを始める。不良は、間違えないよう、回数を数える。50に近づいた時、1人が脚の方に回る(2枚目の写真)。数える声は次第に大きくなるが、アレックスは86で限界に達する。一方、セバスチャンは、路面電車の通る暗渠のベンチに座り、その横に、一緒残った “お目付け役” の不良が立っている。不良は、「かけたけりゃ、ママかパパに電話してもいいぞ」と言う(3枚目の写真)。セバスチャンはすぐにかけるが、いつまでたっても留守録であることに変わりはない。仕方ないので、メッセージを残す。「やあ、ママ、セバスチャンだよ。いろいろあって、ヨンとアレックスとバラバラになり、今どこにいるか分からない」。ここで、不良が、「Rymdtorget」と教える。「Rymdtorgetにいるんだ。迎えにきてくれる? これを聞いたら、電話して」。携帯を切ると、そこに、アレックスから電話が入る。場所の説明ができないので、不良が携帯を取り、アレックスの方も、同行している不良に替わらせる。2人は連絡を取り合い、セバスチャンをグループに合流させる。
セバスチャンと不良1人が合流し、3人+5人に戻り、待合所でバスが来るのを待つ。清掃係が、座っている全員の脚を上げさせ、長イスの下のゴミを掻き出す(1枚目の写真、結構ゴミで汚れているというか、掃除の仕方が荒っぽいというか…)。バスが来て、8人は乗り込み、セバスチャンとアレックスは、逃げられないよう、主犯と年上が通路側に座って塞ぐ。ヨンの横に座っている不良は、ヨンが大事そうに膝の上に置いている箱に興味を抱く。そして、何を訊かれてもヨンが中身を言わなかったことから、主犯が箱を取り上げる。壊されるといけないので、仕方なくヨンが開けると、中に入っていたのはクラリネット。無知な不良達が勝手に部品に触るので、ヨンは必死になって組み立てる。「高いのか?」と訊かれ、「5000クローネ〔6万円〕くらい」と答えるので、初心者用か超安物か中古品。ヨンは要求に応えて、車内で演奏する〔たまらないくらい下手〕。バスの窓からは森が見えているので、都心からかなり離れた場所に向かっている。バスが止まると、最前列の窓側に座っていた1人を除き、3人+4人がバスを降りる(3枚目の写真)。残った1人は、「俺、家に帰る」「ママを助けなくちゃ」と言うが、不良仲間に嫌気がさしたのだ。しかし、一番のチビからも、「この負け犬!」と罵られ、最後に、年上のワルの飛び蹴りを頭に食らう(4枚目の写真)。このヤクザ的な制裁には主犯も加わり、乗客に、「警察を呼ぶぞ」と警告されてもなかなか止めないほどの陰惨ぶり。こうした仲間に一旦入ったら脱けるのは命がけだ。
3人+4人は、大型ダンプが通る埃っぽい道端を歩き、ブルドーザーが出て来たフェンスの中に入って行く(1枚目の写真)。辺鄙な場所に連れて行かれると分かり、生命の危険を感じたセバスチャンは、不良の手を振り払って逃げ出す。しかし、それを止めようとしたのは、アレックス。セバスチャンがいなくなれば、一人で何をされるか分からないからだ。取っ組み合いとなると、「路面電車の時みたいに、僕を置いてきぼりにする気なのか?」と、不良達のいる方にセバスチャンを押す(2枚目の写真、緑服がアレックス、青服がセバスチャン)。「君のせいで、状況が悪くなるんだ!」。アレックスが何を言っても、セバスチャンは動こうとしない。アレックスの替わりに、路面電車で最後までい一緒だったチビがやってきて、如何にも心配するように、「奴らの言う通りにしないと、大変なことになる」と、自分も「奴ら」の一員のくせに、味方のようにアドバイスする。しかし、そんなことで誤魔化されないセバスチャンは、手を振り切ると、目の前にあった大木に、小便に行くとみせかけて登る。木の7分目ほどまで登ったセバスチャンに向かって、不良達がはやし立てるが彼は無視。話しかけるよう強要されたアレックスが、「セバスチャン、降りてこいよ」と頼んでも、「イヤだ!」。「1日中そこにいる気か?」。「奴らが、僕らに何をする気なのか話すまで、降りる気はない!」。年上が、「降りて来い。でないと、誰かに登らせて、引きずり下ろすぞ!」と脅しても、「やれよ!」(3枚目の写真、矢印、木は見えているよりもっと高い)。ここで、主犯が口にするのが、解説でも引用した「街で5人の黒人に携帯を見せるくらいバカなら、自分自身を責めろ」という言葉。しかし、この言葉で、すぐにセバスチャンが木を降りた訳ではない〔なぜ、降りたかは不明だが、次のシーンでは仕方なく不良達と一緒にいる〕。
目的地に着くと、主犯が、「さあ、着いたぞ。お前たち、一番足の速い奴を選べ。俺たちも選ぶ。そしたら、ここに 持ち物全部を山積みにしろ。勝者とそのチームが、その所有者となる」と言う。要は、不良達は、セバスチャンの携帯が目的だったのではなく、所持金も含めたすべてを奪う気だった。ヨンの着ていた分厚いコートが地面に敷かれ、MP3プレイヤー、iPod、全員の各種携帯、帽子からクラリネットの入った箱まですべてが置かれる(1枚目の写真、この段階では箱はまだ)。ヨンと年上は、カーブになった道沿いに歩いてスタート点に向かう。カーブを歩くのは、ヨンに、“走るのはここだ” と思い込ませるためだ。2人が位置につくと、主犯が白いボール状のものを投げ、それが地面に接触した時がスタートの合図(2枚目の写真、矢印)。2人は同時に走り始めるが、ヨンが道沿いに走って行ったのに対し、年上は、途中から、斜面を直線上に駆け上がる(3枚目の写真)。強いて言えば、どこをどう走って競争するか、予め確認しなかったヨンが甘い。
不良の間では、誰が何を取るかでもめるが、それを仕切ったのは主犯で、好きなものを取ったのも主犯(1枚目の写真、ヨンのコートを持っているのが主犯)。年上がもらえたのは財布1つだけ。3人は満足げな主犯のところに寄って行き、アレックスが、「僕らは、行くぞ」と言うが、用のなくなった主犯は「バイ」と見放すように言う(2枚目の写真)。しかし、1人だけ上着を奪ったヨンが可哀想になり〔セバスチャンとアレックスはジャケットを着ている〕、自分の着ていた黒いジャケットを渡す。3人は丘を下って逃げるように走り、自転車専用道に出た後も、走り続ける(3枚目の写真)。
次が、ある意味、一番腹立たしい部分。辺りが真っ暗になり、3人は電車に乗る。カメラはずっとセバスチャンを写し続けるが、最初、男の車掌がヨンに話しかける声が聞こえてくる。「君の名前は?」。「ヨン」。「君も切符を持ってないのか? 携帯も? 何もか?」。女の車掌が、「お金もないの?」と訊く。「乗車券が必要なことは知ってるな?」。「うん」。「家の電話番号を言って」。「331-1337」。「住所はDoktor Linds gata 2か?」。「うん」。「お母さんの名前は?」。「グニッラ」。そして、処理をした後、セバスチャンの前に。女の車掌:「あなたも、あの子の友達? じゃあ、切符を持ってないのね? 不正乗車よ」。男の車掌は電話番号、住所、父の名前を訊いた後、「罰金は1200クローネ〔14000円〕だ」(1枚目の写真)「ママとパパは、君が不正乗車をしたせいで払わなければならん。分かってるな?」と言う。さらに、途中で降りて、また乗ったら、罰金が倍になるとも。この2人の車掌は一方的に不正乗車だと決めつけ、短距離の乗車に対し、高額の罰金を科す。ギャングにより身ぐるみ剥がれた12歳の少年に対し、何と言う不当な行為かと呆れてしまう。それに、セバスチャンにしても、なぜ事実を話し、警察への通報を要求しないのだろう? 「腹立たしい」と書いたのは、こうした理不尽なシチュエーションを作り出した脚本家に対してぶつけた言葉だ。最後に、チラっとヨンの横顔と、アレックスがうつむいた顔(3枚目の写真)が映る。なぜ、セバスチャンしか写さないのだろう?
不良の4人組が、ピザ屋に入り、ピザが出来てくる前のサラダを食べている。すると、セバスチャンの携帯が鳴り出す〔留守録を聞いた母から〕。主犯は、斜め向かいの手下に、それらしく出るよう命じる。「ママ。やあ。あー。何。ううん、セバスチャンだよ。ヨンに替わるね」。今度は、主犯が携帯を取る。「ハロー。ヨンだよ。だけど、ヨンだよ。分かった白状する。カールだよ。セバスチャンのボーイフレンド〔pojkvän、ゲイ友〕。セバスチャンとは今トイレで3P〔trekant〕してるとこ。ホントだよ」。今度は、主犯の隣の手下が、わざと女の子のような声で、セバスチャンのフリをする。「ねえ、ママ。告白することがあるの」。邪魔されたらしく、「最後まで言わせて。あなたの息子セバスチャンよ。告白するけど、ワタシ、ホモなの」(1枚目の写真、矢印は携帯)。3人は大笑い。これくらい悪質な不良もない〔アフリカ系移民に対する偏見と嫌悪感を煽る可能性がある〕。ここで、1人1個ずつLサイズのケバブ・ピザが渡される(2枚目の写真)。すべて盗んだお金で払ったものだ。
映画のラストは、全く違う組み合わせ。2人の男性と2人の少年(恐らく、父親と2人の息子、それに、父親の友人)が歩いていると、道の反対側に黒人の兄弟がいる(今後Bと表記する)(1枚目の写真、空色の矢印が4人組、黄色の矢印はB)。4人が、道路の突き当りまで行くと。小さい方の息子が父親に何か話しかけ、そのあと、2人の息子と父親の間でやり取りがある。最後に父親の声が聞こえてくる。「怖れる必要はない。もちろん、話すべきだ。間違いないだろうな?」(2枚目の写真)〔2人の少年が、B(兄)から、先ほどと同じような盗難に遭った〕。
それを注意深く見ていたB(兄)は、2人の大人が決然とした足取りで自分の方に近づいてくるのを見ると、途端に逃げ出す。犯行を自白したようなものだ。大人たちは2人を捕まえ、「私達が歩いてきただけなのに、なぜ逃げた?」と問い詰める。この間、映像は、4人を写さず、B(兄)のいた空白の場所を写し続ける。会話の内容から、B(兄)が抵抗していることが分かる。ここで、ようやく画面の左端に父親とB(兄)が現れる。「なぜ、私を見たら逃げ出した?」。友人がB(弟)を連れてきて、隣のイスに座らせる。父親:「何をしたか、分かってるな? お前は、他の子供たちから携帯を盗んだ。それは間違った行為だ。お陰で、多くの子供達が怖がっている。しらばくれるのは、犯罪だぞ」。そうした状況を、人権活動家を自認する女性が通りかかり、事情を確かめもせず、人種差別行為だと思い込む。B(兄)は、「俺と7人の弟や妹は、母ちゃんと住んでる。ロクに食い物がないから、いつも腹が空いてる」と主張する〔それが正しくても、恐喝・強盗の正当化はできない〕。「なら、なんで、アイスリームを持ってるんだ?」〔B(弟)が食べている〕と言い、友人がアイスクリームを取り上げて捨てる〔嘘がバレた〕。「私の息子の携帯を持ってないか調べる。見せろ」。卑怯なB(兄)は、騒ぎ立てれば、“少年虐待” で相手がひるむと思い、大声で、「俺に触るな!!」と叫ぶ。「なぜ騒ぐ?」。「放せ!!」。その声で、待ち構えていた女性が、「何してるのよ?」と、批判がましく止めに入る(1枚目の写真)。「口出しはやめろ。こいつと話してるだけだ。あんたに関係ない」。お邪魔虫を遠ざけると、父親は、「携帯を渡せ、お前のものじゃない」とつかみかかると、B(兄)は、「やめろ!!」と悲鳴を上げる。そして、「なんで俺の携帯を取り上げやがる」と食いかかる。「お前のじゃないからだ」。B(兄)は、生来の不良らしく、いきなり父親に殴りかかる(2枚目の写真)〔暴行の現行犯〕。怒った父親はB(兄)の持っていた携帯を奪い取る。B(兄)は、「やめろ!!!」と叫ぶ〔友人が、動けないよう押さえている〕。父親は、まだ残っていた女性に、「あいつは泥棒だ。分かったか? 泥棒なんだ」と説明した後で、B(兄)のところに戻り、「失せろ! 生き方を変えろ! 人々を傷つけるのはやめろ!」と諭すが、B(兄)は懲りもせず殴りかかろうとする。①狂暴性、②無反省性、③狡猾さに、恐怖感すら抱かせるシーンだ。
父親は、隠れていた息子たちを呼び出す。そして無事に4人で帰路についたところで、先ほどの女性が現れる。「今度は何だ?」。「見過ごせないわ。電話番号を言って。警察に報告する。小さな子に暴力を加えた」。「何だと? 何があったか知りもせんで! あいつは、他の子の携帯をたくさん盗んだんだぞ。だから注意してやったんだ! 止めるべきだってな。そしたら、殴りかかって…」。「あんたの方が大きいからでしょ! それ、誰の携帯?」。「奴から取り上げた」。「泥棒じゃないの」。「奴のものじゃない」。「証拠は?」。「いいか、奴は、他の子供達から盗んだんだ!」。「あんた、警官?」。「違う」。「なら、何でそんなこと知ってるの?」。「私の息子から盗んだ。だから、他の子からも盗むなと言ってやった」。「あんた、何よ、自警団?」。「それは、嫌がらせか?」。「それは、あんたたでしょ。2人の大の大人が、2人の移民の子に」。「移民だから、どうしたってんだ。息子から盗んだことに変わりはない!」。「子供で移民。あの子は2倍 傷つき易いのよ!」。「移民に対し、何も批判出来ないというなら、それは ねじれた “逆人種差別” だ!」(2枚目の写真)〔この聞き慣れない言葉は、新語時事用語辞典によれば、「特定のグループや人々に対する差別的な側面を解消するための優遇措置によって、その優遇を受けないグループや人々などが不利益を受けたり、全体的に公平でなくなったりすること」とある〕。この最後の言葉は、スウェーデンの社会の抱える問題を象徴したものなのだろうか?