トップページに戻る
  少年リスト   映画リスト(邦題順)   映画リスト(国別・原題)  映画リスト(年代順)

Terre battue フォーティ・ラヴ

フランス映画 (2014)

ブルゴーニュ地方のテニス・リーグで、13歳の階級では最高位にいる本物のプレイヤー、シャルル・メリエンヌ(Charles Mérienne)が出演するテニス映画。しかし、本当に残念なことに、この映画は、シャルルを侮辱するだけでなく、共同主演者のオリヴィエ・グルメの失職と起業失敗の話に比重を置き過ぎて内容が空中分解した散々な出来栄えとなってしまった。すべての責任は監督と脚本と製作者にある。観るのを楽しみにしていて、これほど裏切られた映画は他に例がない。裏切られたというよりは猛烈に腹が立った。原題の“Terre battue”はクレーコート、英語題名の“40 Love”は文字通り「フォーティ、ラヴ」。テニスの点数だ。それにもかかわらず、映画の半分は、父親の失業→職探し→出たとこ勝負の起業→それに呆れた妻の離婚→親友との憂さ晴らしといった、テニスとは全く無関係の「下らない」内容に終始している。それでも、テニスの部分が素晴らしければ我慢できるのだが、主人公の11歳のウゴー(Ugo)は最終戦で、強敵に対し、何と相手の水筒に睡眠剤を入れ、対戦相手はアレルギー反応を起こして、スコアが「40-0」の時にコートに倒れ、その後 昏睡状態になってしまう。純粋な少年のテニス試合で、このような違法行為をさせるという発想自体が、フランスの全テニス少年に対する侮辱であり、社会規範を無視した行為だ。立派なプレイヤーであるシャルルにとっても失礼である。だから私がこの映画が許せない。

シャルル・メリエンヌは、2011年にブロワ(Blois)で開催された10-11歳の全仏テニス選手権に出ていたところを監督によって発見された。撮影時は13歳。年の割には小柄な方だ。出演場面の半分はテニスのシーンだが、そうでない部分は結構緊張したとか。


あらすじ(関係分のみ)

大手の量販店をクビになった父。その夜、家族3人の夕食の際、息子に「サッカーの監督を取り替えるのと、少し似てるかもな。モウリーニョに、プロじゃなくジュニアの監督なれって言うようなもんだ」〔モウリーニョは、マンチェスター・ユナイテッドの監督〕と説明する。「彼なら、どうすると思う?」。ウゴー:「辞めるよ」。「パパもそうしたんだ」。妻には、「物事の明るい面を見ないとな。新しい仕事を探す中で 新しい人々に会えるし、チャレンジもできる」と話す。ウゴーに「朝寝坊もできるよ」と言われ「そうだな、そりゃいい」。「パリに連れてってくれる?」。「つまらないだけだぞ」。「おとなしくしてる」。「パパが、イライラするんだ」。「ナイキの店に行くだけ」。「なら、初めから そう言え」。「いろんなプロの持ち物が みんなあるんだ。お願い」。「そんなもん 買う気はないぞ」。「ただ見るだけだよ。約束する。ねえ、お願い!」(1枚目の写真)。「代りに手を貸してくれ。写真を小さくできるか?」と、パソコンで作っている履歴書の写真の加工を頼む。写真を小さくするウゴー(2枚目の写真)。「この写真でいいか? しょぼくないか?」。「パパは、いつも しょぼいよ」。「何だと?」。「だって、それが見た目だもん」。「見た目って?」。「しょぼい」。「しょぼいのは、お前の方だぞ! 生意気な奴だ」。翌日、職安に行った後、安物ばっかり売っている場末の商店街に行き、合成皮革の靴に興味を持ち、職安で勧められた口を無視し、自ら事業を起こそうと夢中になる。そのまま帰宅して、息子に「お前に買ってきた」と安売り店の商品を渡す。「テニスウェアじゃないよ」。「じゃあ何だ? ピンポン用か?」。「ただの スポーツシャツだよ」(3枚目の写真)。「しゃれてないと、テニス用じゃないのか?」。「だって、見てよこれ。背中の78って、何なの?」。確かに、こんなシャツでテニスはできない。ひどいセンスだ。その後、父は妻に向かって、「自分で事業を始めることにした」と宣言する。妻は懸念するが、一切考慮しない。多分こうした独善的かつ自己中心的な態度が、クビになった要因であろう〔離婚の原因にも〕。
  
  
  

ウゴーの試合の日、父は、自分の起業のための調査であちこち寄り道し、学校に迎えに行った時はかなり遅れていた。それにもかかわらず、途中で大手量販店の屋上駐車場への進入路を見つけると、ウゴーが「遅れちゃう」と言うのを無視し、「時間ならたっぷりある。ちょっと見るだけだ」と言って、坂を上がって屋上へ。「きれいじゃないか、建物を見てみろ」。「遅れちゃうよ」。父は、車を停めて、ドアから出ようとする。「パパ、戻ろう!」。「一瞬だ」(1枚目の写真)。「試合を逃しちゃう!」。「戻るから」。そして、どこにでもあるスーパーの屋上駐車場を、感心したように歩き回る。こんなバカなことをしたお陰で、テニスコートには25分も遅刻する。当然、試合放棄とみなされ、ウゴーは試合に出られない。父は、最初は、「申し訳ないが、道路工事で渋滞してて。市外から来てるので」と、嘘を付いて下手に出るが、全く効果がないと分かると、「おかしいじゃないか。プレーを望んでるんだ。遠くから来て」と反論。「15分や16分ならいいのですが、30分ですぞ」。「規則 対 やる気。実にバカげてる」。「ええ、でも規則は規則です。従わねばなりません」。この言葉に、ウゴーはあきらめて(2枚目の写真)、去って行く。父は、その後もゴチャゴチャ文句を並べる。結局は、自分が寄り道ばかりして遅れたのに。実に自分勝手な人間だ。その後、父はウゴーに謝るが、当然許してもらえない。その日の夕食。暗いムードだ。母が、「前みたいに、忙し過ぎるわけじゃないから、試合に間に合うように着けたはずでしょ」と言う。何も言わずに父の様子を見ていたウゴー(3枚目の写真)。父が黙っているので、「下らない店を見てたからだ」と批判。父は「下らなくなんかないぞ」とすぐ反論。「この子の身になって考えて。怒って当然よ」。それに対して、あろうことか、「テニスの試合を逃しただけだ。大したことじゃない」。母:「自分以外は、みんな大したことじゃないのね」。ウゴー:「遊びに行っても、行くのは店ばかりじゃないか」。これを聞いた父がウゴーに怒鳴る。「何て ムカつく奴だ! お前は何様だ。俺は、好きな時に店に行く!」。怒ったウゴーは、席を立ってしまう。母:「私も、なぜショッピング・センターを見に行ったのか理解できないわ」。「仕事のためだ」。「後回しにできたのに」。
  
  
  

別の日、父は商機を見出そうと、別の店を見に行って、息子を迎えに行くのが また遅れる。先日の失敗から時間が経っているので、ウゴーは、やっと来た車がまだ走っているのに、走りよって窓を叩き、笑顔で「遅かったね」と声をかける(1枚目の写真)。「駐車する」と言いつつ、ウゴーが並走するのを見て、わざとスピードを上げ、「走れ!」。駐車している車の間を走らせるなんて、すごく危険だと思うのだが、いつも、自分勝手な男だ。今日は、女性コーチのシルヴィが一緒だ。実は、父子で地区リーグのヘッド・コーチに呼ばれていたのだ。コーチは、「通常、リーグではシーズン初めに子供たちを選抜します。でも、1人落伍者が出ました」。ウゴーが口をはさむ。「プレー やめたの?」。「テニスに集中できなかった」。そして、続ける。「空きができたので、ウゴーを取りたいと思いましてね」。父:「テニスのキャンプのようなものかな?」。「いいえ、生活は今まで通りで、我々が練習を指導します。彼には、 選手権大会を目指してもらいます。我々は何百人もの子供たちをフォローしていますが、シルヴィはウゴーを選びました。年齢毎にベストの選手を探すことが目標です。彼らを、地方大会でプレーさせます」。ここで、再びウゴーが訊く。「もし、僕が勝ったら?」。「もし勝ったら、パリにある国立の訓練プログラムに参加してもらう」。シルヴィが説明する。「ローラン・ガロスの国立訓練センター(CNE)よ」。「ホント?」。「ああ、エリート・コースだが、難関だぞ。連盟は、各地域で1人しか採用しない」。父:「エリート・コースって?」。「プロへの道です。ツォンガやシモンやガスケやモンフィスのような」〔何れも、フランスを代表してきたテニスプレイヤー〕。「そうなりたいか?」。「ええ!」(2枚目の写真)。そのまま、ウゴーは健康チェックを受ける。胸に心電図用の電極パッドを付けてランニングマシンで走る。しかし、30分近く走っていても心拍数が60を超えない。検査員が計器に不具合があると医師に告げる。何事かと心配するウゴー(3枚目の写真)。専門家2人の前で再び走らされる。やはり数値は60で一定のままだ。心拍数は安静時でも60は正常値の下限なので、30分も走っていて60のまま一定というのは、心臓の持続力(酸素供給能力)が非常に高いことを意味している。
  
  
  

翌日(?)、父は朝一番でウゴーをリーグに送って行く。ウゴーはさっそくコーチに連れられて練習用の室内コートへ。そこには7人の少年がいる。「諸君、お早う。みんな、集まってくれ。紹介する、ウゴー君だ。今シーズンの終わりまで 君たちと一緒だ」(1枚目の写真)。写真の左側の大人がコーチ、そのすぐ右にいるのが好敵手となるロリだ。さっそく練習が始まり、最初はサーブを打たせてスピードを計測する。137、137、139と続き、4人目のウゴーは119。その後、132、ロリは134。やり直しを命じられたロリは162を出す。12歳前後でこの数字は凄い。ライバルからは、「弾丸みたいだ」「教えてくれよ」などの言葉が。自分とのあまりの落差にがくぜんとするウゴー(2枚目の写真)。表情があまり顔に出ないが、一流のジュニアではあっても俳優ではないので仕方がない。その頃、父は本命の事業契約のプレゼンテーションをしていた。もしこれが成功すれば、前途は洋々だ。その後、妻に店舗の予定地を見せるが、妻は涙を浮かべ「全然、理解できない」と悲観的。夫の自信過剰の独走に不安なのだ。夫の必死の説明にも、「疲れたわ」「怖いの」。明白な、離婚の予兆だ。次いでリーグでの練習シーン。全員がコートの左右のサイドライン(ダブルス)の間をくり返し走らされる。最後まで残ったウゴーとロリ。先にダウンしたのはウゴーだった(3枚目の写真)。何をやっても彼には勝てない。
  
  
  

その日の夜、食事が終わると、母が早々に「寝室に行きなさい、ウゴー。シャツは脱いで洗濯機に。汚いわよ」と言って、夫と2人だけになる。ぞんざいに後片付けをしながら、妻は夫に「ジェローム、私、出て行くわ」と切り出す。「どこに行くんだ?」。「家を出て行くの」。「何を言ってる?」。「離婚するの」。「まさか! 今離婚するなんて、そんなことできっこない。最悪のタイミングだ」。「ごめんなさい」(1枚目の写真)。しかし、夫が何と言って頼んでも、彼女の意思は翻らなかった。最後の決め手は「性格の不一致」。今まで我慢してきたことが、失職後のエスカレートした行動で一気に爆発したのだ。母は、ウゴーの寝室に行き、まだ起きていた息子を無言で抱きしめる(2枚目の写真)。母のこうした行動は、無責任で自分勝手な父の行動に加えて、ウゴーにとっては大きな精神的重荷となる。
  
  

それでも、家庭の不和を忘れようとして、ウゴーはテニスの練習に打ち込んだ。練習相手との打ち合いに見事な返球を見せてコーチに褒められる(1枚目の写真)。打ち合いが終わると、コーチは「君は、次のステップに進まないといけない。モダン・テニスだ。トップ・プレイヤーには動物的本能がある。コートは縄張りで、それを守るんだ。分かるか?」。「はい」。そう言って、バッグを開けるウゴー。「何してる?」。「帰り支度です」。「帰っていいと言ったか?」。そして、再びコートに立たせる。「フォアハンド50回、バックハンド50回、クロス・ボール、ダウンザライン」と命じる。そして、「才能と練習が、チャンピオンを作る」「もし、君がボールを支配できないと、相手が支配する」(2枚目の写真)。『エースをねらえ!』的な雰囲気だ。
  
  

夜、眠れないウゴー。父の部屋へ上がって行く〔ウゴーの部屋は1階、父の部屋は2階〕。真っ暗な中で、父の様子を窺う。ウゴーは、自分に気付いた父に、「何してるの?」と訊く。「何も。睡眠剤を飲んだんだ」。「眠れないの?」(1枚目の写真)。ウゴーは話題を変え、「この前、医者が、心拍数が低いって言ったけど、あれって、いつかは僕の心臓が止るってこと?」。「なぜ、止るんだ?」。「ゆっくり動いてるから」。ウゴーが眠れなかったのは、死ぬかもしれないと考えて不安だったのだ。ただ、このこと自体に意味はなく、このシーンで重要な点は、父が睡眠剤を飲んでいると知ったこと。翌日、父は、自分が頼みの綱にしていた企画が没になったことを知らされる。これは父にはショックだった。リーグでは、ウゴーがロリと練習試合をしている。一方的に攻められるウゴー。左右に振り回されるだけで、全くいい所がない。練習後、コーチがウゴーに話しかける。「いったい、どうした?」。「分かりません」(2枚目の写真)。「分からないでは済まん。コート中を振り回されて、踊らされたんだ」。「彼の方が上なんです」。「ローラン・ガロスに行きたいなら、根性を見せろ。気迫で負けてるぞ。ライバルだと思うのなら、負けを認めるな」。女性コーチのシルヴィに家まで送ってもらったウゴー。話がしたいと言うので、父を呼びに行く。父は、まっぴるまから寝室で熟睡中。夢が破れたことで、自暴自棄となり寝てしまったのだ。何度も声をかけられ、体を揺すられてようやく目覚める。かなり強力な睡眠剤だ。「シルヴィが待ってる。パパと話したいって」(3枚目の写真)。「ママから電話があったぞ」。「何だって?」。「さあな。後で、電話しとけ」。実に すげない。
  
  
  

その夜、2人がTVを見ていると、父の悪友のゲレツがやってくる。酒を飲みながら、父がゲレツにぐだぐだと不満をぶつける。「サッカーを続けてればよかった。もっと金になったろう。何も残らなかったから、あいつは芝生の青い方に行っちまった」とか、「いっそ死んでくれた方がよかった。運命だと諦められる。こんな風にあいつを失って、捨てられて苦しむよりはな」。最後には、「あいつは離婚を選んだ。俺には理解できん。一番腹が立つのは、ダルボアの奴が、あいつと寝てるかもしれんってことだ」〔ダルボアは、母が働いてる会社の建築家〕。そして、まだそこにいたウゴーに「どう思う?」と訊く。余程酔っていないと、息子にこんな質問はできない〔非常識きわまる〕。「知らない」と答えるウゴー。「きっと寝てる。訊いてみるといい」。ここで、ゲレツが「寝る時間だぞ」と口を挟む。ところが、ウゴーが寝ていると、酔っ払った父に無理矢理起こされる(1枚目の写真)。そして、3人で車に乗って、先日完成したばかりの母の会社の新社屋に向かう。さっきの会話の続きで、その社屋を設計したダルボアに復讐しようという大人気ない行動だ。それに巻き込まれたウゴーこそ大迷惑。会社に着いた父とゲレツは持参した伸張式のアルミ梯子を取り出し、総ガラス張りの建物の2階に登り、ペンキの缶とハケをウゴーに渡す。「楽しんでこい。さあ」。「僕に何をさせる気?」。「いたずら描きをするんだ」。「イヤだよ」。「ダルボアの野郎を怒らせるんだ」。「僕には関係ない」。「こっちにはあるんだ」。「自分でやれば?」。「滑って落ちちまう。楽んでこい」。ウゴーがガラスに縦に線を引く。「もっと大きく」。「何を描くの?」。「ごちゃごちゃ言わんと、ちんちんを描け。でっかいくな。キンタマもだぞ。毛も忘れるな」(2枚目の写真)。「明日、こいつを見た時のデルボアの顔を見てみたい」。こんな下劣な行為を息子に平気でさせるような人間は、泥酔していようが父親としては完全に失格〔映画を観ていても非常に不愉快だ。テニス映画と一体何の関係があるのかと強く非難したい〕。週末に母が、家にやって来る。ウゴーを抱きしめる母。「今夜、泊まるの?」。「あなたと話しにきたの。バカンスについて」。母の会社がナポリで仕事をするので、2ヶ月一緒に来ないか、という誘いだ。父は猛反対。母は、「ウゴーと話してるの」と歯牙にもかけない。「どうする?」。「分からない。テニス次第」(3枚目の写真)。「試合が終わったら来れるでしょ。連れて行きたいの。イタリアは美しいわよ」。
  
  
  

リーグのライバル同士の最初の試合は、ウゴーがボールを散らして相手を圧倒(1枚目の写真)、緒戦(?)を飾る。父は、相変わらず、うまく行きそうにもない事業の視察に手間取り、ウゴーを迎えに行くのが遅れる〔そもそも、応援にすら来ない!〕。「勝ったよ」。「何にだ?」〔最低の質問〕。「試合だよ」。「よくやった」。そう言って抱き上げる(2枚目の写真)。あと2つ勝てば、ローラン・ガロスだ。それを、一緒に待っていたシルヴィから告げられる。父:「やれると思うかね?」。「難しいですね。飛びぬけて強い子が1人います。でも、可能性も。ウゴーは伸び盛りですから」。その夜、父の作った不味い夕食を食べながら、ウゴーはテニスの話をする。「マリーやガスケやジョコの共通点知ってる?」。「テニス・プレイヤーだろ」。「みんな、ママやパパがコーチだったんだ。ローラン・ガロスに行けたら、僕のコーチになってよ。一緒にトーナメントを回るんだ」。「シルヴィが嫌いなのか?」。「コーチは1人だけじゃない、チームを組むんだ。もし、僕が勝ったら、パパは1人じゃなくなる」。「勝ったらな。テニスのことは分からんから、フィットネス・コーチになろう」。父は本気で言ったわけではないが、何とか父を失業から救おうとしているウゴーは、それを聞いて嬉しそうにニッコリする(3枚目の写真)。
  
  
  

決勝戦の1つ前の試合。さすがに父も応援に来る。ウゴーは勝ったものの、いわゆる「かったるい」試合(1枚目の写真)。ウゴーの対戦相手となるロリの見事な試合運びを見ながら、コーチは父を振り返って、「話にならない」と一言。「きっとプレッシャーが。最後は良かったわ」ととりなすシルヴィ。「互いに、相手がミスを犯すのを待ってた。初心者の試合だ」。父:「でも、勝った」。「みっともなくね」(2枚目の写真)。そして、ロリを指し、「あんな風に戦わなきゃ。決勝では粉砕されてしまう」。次のシーン。母に呼び出されたウゴーが、テニスの本を母に読んで聞かせている。母:「パパには読んだの?」。「ううん」。「パパの具合は?」。「いいよ。もし、僕がローラン・ガロスに行けたら、僕のコーチになってくれるんだ。サッカーをやってた時のこと、教えるんだって」(3枚目の写真)。「家はどうなってるの? パパは悲しんでない?」。「ううん」。「何か言ってる?」。「ママの建築家がくそったれだって」。「そう思う?」。「さあ… 僕は、ママに戻って来て欲しいだけ」。母は、それは大人の問題だからと、逃げてしまう。大人はいつもずるいのだ。
  
  
  

夜、RCランスの試合を応援に行った父子。大声で声援を送るウゴー(1枚目の写真)。しかし、父は試合そっちのけで、反対隣に座った男と仕事の話に熱中。そうした父に不愉快になるウゴー。自分がツンボ桟敷に置かれているからだ。試合が終わり、帰る途中、父が、「他の試合も観に行こう」と話しかけるが、「知るもんか」(2枚目の写真)。「ACカンブレーが、すぐやるぞ」。「知るもんか」。「何だ その口のきき方」。「何も 話してくれなかった」。「ちゃんと話し合ったぞ」。「嘘つき」。「駄々っ子の真似はやめろ」。車に乗ってから、父はさらに、「仕事が簡単に見つかると思うのか? もしずっと仕事がなかったら、パパはおかしくなっちまう。仕事が必要なんだ」と話す。「ローラン・ガロスに行くと言ったろ。僕のコーチになるって。僕が勝てると思ってないんだ」(3枚目の写真)。父は、「対戦相手は、前に一度 お前に勝ってる。奴は強いんだ。夢見ることも大事だが、現実的にならんとな。魔法の処方箋なんかないんだ」。ウゴーはこの時悟ったのだろうか? 魔法の処方箋とは、父の睡眠剤をロリに飲ませることだと。そのことは、その後にウゴーが父に言った「僕は、ローラン・ガロスに行きたい。あと1試合だ。僕はそれに勝って、ローラン・ガロスに行く」の言葉が裏付けているような気がする。
  
  
  

日曜日。決勝の日の朝。ひどい格好で寝ているウゴー(1枚目の写真)。ずっと前に父からもらった安物のシャツは、パジャマ代りになっている〔背中に78の数字が見える〕。キッチンで父に会ってから〔父のいないことを確認して〕、父の寝室に行き、脇の棚から睡眠剤の箱を取り出す。「テマゼパム」と書いてある(2枚目の写真)。日本では発売されていない強力かつ超短時間型の睡眠鎮静剤で、過剰摂取すれば昏睡状態に陥ることもある危険な薬だ。薬のシートをポケットに入れ、バッグを閉めて出かける準備を終える(3枚目の写真)。表情が何となく暗い。
  
  
  

試合は、一方的に進む。第1セットは3-6でウゴーの負け。奇跡は起こらなかった。負けは確実だ。ウゴーは覚悟を決め、休憩時間中にペットボトルの水をほとんど飲みほす(1枚目の写真)。写真の右に「3-6」の3だけ見えている。ウゴーは席を立つと、審判に、「トイレに行きます」と言い、ボトルの水を飲んでいるロリに、「ボトルの水、一杯にして来ようか?」と訊く。ボトルを渡すロリ(2枚目の写真)。ウゴーはトイレに直行すると、まず水を入れてから、大便用の個室に入り、スボンから取り出したシートから1錠出して床に置き、シューズのかかとで砕いてボトルに入れる(3枚目の写真)。そして、さらにもう1錠。ボトルをよく振ってから、大急ぎでコートに戻る。渡された睡眠剤入りの水をごくごくと飲むロリ。分量から見て1錠分くらいは体に入った感じだ。そして、第2セット開始。最初のうち、ウゴーは2-4と負けていたが、薬が効き始めロリの反応が鈍くなると6-4と逆転する。休憩時間中、ロリを心配する専属コーチと父。第3セット開始後、15-0、30-0と一方的にウゴーが勝ち、40-0のコールと同時にロリは崩れるようにコートに倒れる(4枚目の写真)〔映画の英語版の題名の由来〕。これは、ウゴーにとっては想定外の事態だった。彼は、「少しだけ動きが鈍る」くらいを狙っていたはずだ。相手が気を失ってしまっては、当然原因を追求され、睡眠剤を混入したことがバレてしまう。
  
  
  
  

試合の翌日、警察から電話がかかっきて署に呼び出された父子(1枚目の写真)。担当刑事が、父に、「ロリ・バラス君は、昨夜 病院に搬送されました。心臓発作を起こし、医者は人工呼吸器を付けました。アレルギー反応だそうです。楽しい話ではありませんが、事故なのか事件なのか調べないといけません」と説明する。さらに、「医師は、血液中から疑わしい物質の痕跡を見つけました。テマゼパムです」。これにドキリとする父。自分が飲んでいた薬だ。思わず息子の方を見る。刑事:「強力な睡眠剤です」。そして、ウゴーに、「年齢は?」と訊く。「11歳です」。「13歳以下の未成年担当の同僚が、息子さんを事情聴取します。あなたの供述は私が取ります」。刑事が出て行くと、父は、ウゴーに「いいか、お前はやってない。分かったな?」と言う。うつむいて、黙ったままの息子(2枚目の写真)。これで、父の疑いは確信に変わった。「聞いてるのか? お前は何もやってない。いいか、何も言うんじゃない。分かったな?」。ウゴーは身動き1つしない。自分のしでかしたことに全身が麻痺したように…。女性の担当者と2人きりになったウゴー。担当者が何を聞いても、うつむいたまま口を閉ざしている。一方、刑事は父に対し、「何も見てないし、疑念もお持ちじゃない?」と訊く。「いいえ」。「状況を把握していますか? バラス君の所持品はすべて密封して回収しました。ボトルの指紋は分析中です。もし、どちらかの指紋が発見されれば、家宅捜査をします。もし、1ミリグラムでも睡眠剤が見つかれば十分な証拠となります。黙秘されるのは自由ですが、もし係わり合いがあるなら、立場を悪くするだけです。息子さんの場合も同じです」。そう言うと、パソコンに質問に対する父の回答を入力し始める。その時、父が思わぬことを話し出す。「私がやりました。ボトルに睡眠剤を入れました。あれは、私の薬です。息子の抜きん出た才能を知っていました。テニスに夢中なことも。息子が負けそうなのを見て、望みが絶たれてしまうと思い、釣り合いがとれるようにしてやろうと…」。「毒を使って?」。「毒じゃなく、睡眠剤です。アレルギー体質とは考えもしませんでした。私は息子のためにやりました。夢を見させてやりたかったのです」。
  
  
  

別な部屋では、担当者がウゴーに、「お父さんは、対戦相手に毒を飲ませたと言ったけど、あなたは それを信じる?」と尋ねる。「知りません」。しかし、取調室から出て廊下で歩く途中で「パパは、刑務所に行くの?」と訊く。「裁判官が決めるのよ。私には分からない」。それを聞いたウゴーは、遂に「パパはやってません。僕です」と白状する。「ボトルに睡眠剤を入れたの?」。「はい」。「ウゴー、嘘はダメ、ここは警察よ。これは重大な事故なの。分かってる? 誰が睡眠剤を入れたの? あなた、それとも、パパ?」。「僕です」(1枚目の写真)。「第1セットが終わってから、水を入れにトイレに行きました。そこで、シューズで2錠潰して水に入れました」。「パパはそのことを知ってるの?」。「いいえ」。「なぜ、そんなことをしたの?」。「テニスを続けたかったからです」。拘置室にいた父が取調室に連れて行かれる。「病院からいいニュースが入りました。バラス君が昏睡状態から回復し、良くなるそうです。悪いニュースもあります。報告書を書かないといけないが、書けないでいます」。「どういうことです?」。「ボトルから、あなたの指紋は出なかったが、息子さんのが見つかりました。分析結果は、彼の供述とも合致しています。あなたは嘘を付いたわけだ」。父は、「私がやったことにして下さい。私が息子にボトルを取らせ、息子は何をしているか知らずに従った、と」。そして、こうも追加する。「息子にとって唯一の救いはテニスへの夢でした」「私の指紋だったことにして下さい。薬は私のものだし」(2枚目の写真)。しかし、こんな話が警察で通るハズがない。映画の最後は、ウゴーが担当医に呼び出されて、こう申し渡される場面で終わる。「事件のことはしばらく忘れなさい。君には休養が必要です。9月になったら会いましょう。私と、もう一人の精神分析医が事態を分析しますが、くよくよ考えないことね。数年して、もう少し大きくなたら、多分プレーできるでしょう。あくまで趣味として」。それにしても、ドーピングで薬剤を使用したプレイヤーはいても、相手に「毒」を与えて勝とうとしたなどという話は聞いたことがない。そんな卑怯で反社会的な設定を考えつき、それを11歳の少年に実行させるという筋書きは、倫理的に許せない。
  
  
  

     C の先頭に戻る                    の先頭に戻る
     フランス の先頭に戻る               2010年代前半 の先頭に戻る

ページの先頭へ