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Den store badedag 浜辺でのすごい一日

デンマーク映画 (1991)

1992年の第64回アカデミー賞外国語映画賞部門のデンマーク代表作品。原作はパレ・フィッシャー(Palle Fischer)の同名小説(1982年)。「Grokipedia」の紹介文を参考にして短く解説すると、この映画は、大恐慌時代の1930年代の コペンハーゲンを舞台に、労働者階級の家庭で過ごした幼少期の体験を、大人になったグスタフ・アドルフが回想する形で物語が語られる。物語は、貧しい地区にある質素なアパートで、鍛冶屋の父アクセルと裁縫師の母スヴェアと共に暮らす6歳の少年グスタフ・アドルフを中心に展開し、少年の視点を通して、絆の深さと経済的な困窮が同居する日常を描いている。日々の苦労からの休息を願って、スヴェアが提案したビーチへの日帰り家族旅行は、めったにない外出へのグスタフ・アドルフの大きな期待を満たし、一家の夏の計画の重大な転換点となった。偶然の成り行きから賛同したアクセルは、アパートの共同階段沿いの3家族を誘って開設3年後のベルヴィ・ビーチに出かける。海岸で数時間を過ごすうちに、アパートのグループ、及び、隣り合った別のグループの間で、対人関係の摩擦・対立が生じ、グスタフ・アドルフの父親に対する純粋な畏敬の念と、摩擦・対立をきっかけに浮かび上がった、過去の家族の喪失やトラウマについての新たな思いが絡み合っていく。

「FILMPULS」というサイトの記事(2022.5.25)の中で、「Facebook グループの「史上最高のデンマーク映画」で、1024本の映画が優勝をかけて競い合っている。これは、毎日2本の映画を対象に4回の投票を行うことで実施される。各投票の勝者のみが、このコンペティションに勝ち進むことができる。この時点で、残っていた映画は8本。その中に、この映画は、以前紹介した名作『Pelle Erobreren(ペレ)』と共に8本の中に入っている。つまり、かなり評価度が高いことが分かる。古い映画は情報少なく、これ以上書くことがないので、最後に一言。これまで25本のデンマーク映画を紹介してきたが、これほど翻訳に苦労したデンマーク語の台詞はなかった。それは、父が隠語をいっぱい使うから。その最たる例が、あらすじの中でも書いた「hældt vandet fra kartoflerne」(ジャガイモの茹で汁を捨てる=おしっこをする)。

主人公のグスタフ・アドルフを演じたのは、ベンヤミン・ローテンボルグ・ヴィーベ(Benjamin Rothenborg Vibe)。1981年3月5日生まれで、撮影は1990年の夏~秋なので、撮影時9歳で、映画の中の設定の6~7歳とは大幅に違う。それでも、小柄なせいか、それほど違和感はない。以前紹介した『Det Skaldede spøgelse(イェスパーと無垢の霊)』(1992年)に次ぐ、2回目の紹介。その時にも、彼の笑顔の写真を1枚載せた。これほどの笑顔を見ることは滅多にないから。

あらすじ

映画の冒頭、大人になった主人公グスタフ・アドルフの声で、長いナレーションが入る。「雨が降ると、眼鏡の裏にいつも一滴のしずくが残る。私の片方の目の下に、一筋の “しわ” がある。かつての私に顔には “しわ” などなく滑らかで、背丈も今の脚の高さほどしかなかった。そして、どこまでも無垢だった。1935年の夏、私が7歳になるまでは、この世で最も無垢な子供だったと思う。ずっと後になって、私はこう思った。『嘘があるなんて、なんて幸せなことなんだろう。もし、ほとんどなにもかもすべて真実だったらどうなるんだろう』、と」。なかなか面白い最後の言葉のあと、古びた貧し気なアパートの裏にある階段で、まだ10代のアルマが、ほとんど服を着たまま立ってセックスをしている。それを “邪魔者監視役” のグスタフが階段の手すりから見ている(1枚目の写真)。「私はアルマが他人とこうしてつき合うのが好きではなかったが、それを態度には出さなかった。彼女を失うのが怖かったし、彼女の柔らかな太ももに顔を押し当て、毛糸とデニッシュ〔菓子パン〕、そして、おしっこの混じった温かい匂いを嗅ぐたびに高まっていく あの痺れるような感覚が、私を彼女に強く結びつけていた。だから、彼女が私の面倒を見てくれる時、私は見張りをして、デニッシュや5オーレ硬貨をもらっていた」。男が僅かなお金を渡して去って行くと、アルマはグスタフの所に行くと、「あたしの顔に煤ついてる?」と訊く。「うん、そこ」。次のシーンでは、見張りをしていてもらったデニッシュを裏口に座って食べていると、アルマは、壁にゴムボールを投げて遊んでいる。すると、同じように裏口にいた、アルマより年下の少年が、いきなりアルマのスカートをめくり上げ(2枚目の写真、矢印はグスタフ)、アルマに頬を引っ叩かれ、「売春婦!」と怒鳴って逃げて行く。その言葉の意味が分からないグスタフは、自分より少し上の少年が、アルマに叩かれたのを見て笑い始める。アルマは、「売春婦」を笑ったのかと誤解してグスタフを睨むが、なぜ睨まれたか分からずにいる素直なグスタフの顔(3枚目の写真)を見た、アルマは、“この子なんにも分かってない” と気付き、薄っすらと笑みを浮かべる(4枚目の写真)。




その日の夕食の時間。料理はデンマークでよく食べられる豚肉のレヴェルズベン(Revelsben、骨付きのバラ肉)。父のアクセルは、歯で骨にかぶりついて肉を掻き取っている(1枚目の写真)。母:「あんた、本当に骨付き肉をきれいに食べるわねえ」。父:「俺にできないことなんて、何かあるか?」。「ないわよ、何ひとつね。どうしてそんなこと思うのさ?」。「歯がいいからな。見ろ!」。「あんたは、本当、いい歯をしてるわよ」。「俺の歯に文句を言える奴なんて、どこにもいねえよ」。「グスタフ・アドルフとあたしじゃ、そうはいかないわ。あたしたち、骨付き肉はあんまり得意じゃないもの」。それを聞いたアクセルは、肉の多いところを2つに割いて差し出しながら、「ほら見ろ。これなら骨のねえ、上等な肉だ」と言って2人に渡す。「あんたって本当に優しいわね、アクセル」。それでも、その肉片(?) には骨がいっぱい残っていて、グスタフが噛み付いてもなかなか食べられない(2枚目の写真)。そのあと、母は、彼女が働いている麻袋工場でも、当時流行り始めた 「泳いで、砂浜で日焼けする」ことを数人が始めたと話す。それを聞いた父は、「お前は自分が何を言ってるのか、ちっとも分かっちゃいねえんだ。あんな真似をする連中はな、自分から最悪の危険に身をさらしてるようなもんだ」と言う。「だって、みんな楽しんでやってるみたいよ?」。「楽しんでるだと?」。「それが『モダン』ってやつよ」。「神経痛になっちまうぞ」。「お日様は温かいじゃないの」。「氷みたいに冷てえ水の中に入っていくんだぞ。それで今度はサハラ砂漠のラクダみたいに砂の上に寝そべるんだ」(3枚目の写真)。ここから、父の過去の話が始まる。「おい。太陽の光に身をさらすなんてな、俺が昔パンパス〔南米の草原〕で働いてた時と同じだ。だが、あの時の俺たちは必死で太陽を避けようとしてた。お日様ってのはな、少しずつ浴びるもんだ」。ここで、ナレーション。「もし父が言う通り、太陽の光がそこまで危険なものでも、私たちは安全に暮らしていた。太陽の光が私たちの家に届くことは、決してなかったからだ。向かいの家のいちばん上の窓に、時折、太陽が反射するくらいだった」「私の父は特別な存在だった。鍛冶屋で、子供の足では歩いていけないほど離れたアマー島で働いていた」(4枚目の写真)「父は世界で一番大きく、強い男だった。そして、もう50歳近く、子供の目には、ひどく年老いて見えた。父はほとんどすべてのことについて何でも知っていたし、私の母が何も知らないことも知っていた」。




次のシーンでは、父がキッチンの真ん中に置かれたズィンクバライェ(Zinkbalje、亜鉛メッキの洗濯タライ、タライ風呂)で、体、頭、顔を洗っている(1枚目の写真)〔かなり非衛生的〕。そのあと、母は、居間に行くと、裁縫を始める。「私の母も特別な存在だった。フュン麻袋会社で働いていて、話し方もみんなとは違っていた。スコーネ〔スウェーデン南部、だから母はデンマーク人ではない〕のローストンガ(Röstunga)村出身で、まるで映画スターのように美しかった」。この直後、居間の壁の話に変わる。「壁にはパンパやアンデス山脈の写真が飾られていて、そこで彼は最大の危険にさらされたのだという。彼はそこに3年暮らしていた。時には、5年だったと言うこともあった〔そのくらい、話がいい加減〕。私は彼の話を、何度でも繰り返し聴くことができた」。父:「俺なんか丸1ヶ月、ブドウだけで生き延びたんだぞ。俺のあばら骨は柵のようだった。まともな正気を保ったまま、よく生きて帰ってこれたもんだと自分でも思うぜ。あれに比べりゃパンパスにいた頃はいい時代だったな」。ナレーション:「彼のパンパ仕込みの笑顔は、私の心に深く染み付いていた」。父は「俺たちは、一番近い町まで馬を飛ばして、売春宿(bordellerne)へ繰り出したもんだ」と言い、グスタフは、「『売春宿』って なに?」と訊く(2枚目の写真)。母は「女の人のためホテルよ」と答える。「そいつは上出来だな、スヴェア」。「子どもの前でそんな話はダメよ。この子はまだたったの6歳なんだから」。「はいはい。あっちじゃそんなの、みんな当たり前だったんだよ。真昼間になるとな、そこらの店が全部2時間ばかし閉まっちまうんだ。そしたら男どもは、市長を先頭にしてゾロゾロとそこへ繰り出したのさ」。そして、話は続き、つまらなくなったグスタフが、「ねえ、人間の肉を食べた時の話をしてよ」と言い出す。母は「ダメ、その話だけはやめて!」と止めるが、父は 「なあに、このチビ助も強くなって、世の中でどんな目に遭うかを知らなきゃいけねえんだよ」と言うと、「最後に生き残ったのは、俺たちたったの二人だけだった。食べるものは何ひとつ残っちゃいねえ。そしたら、そいつがスペイン人でな。死んだ奴の一人を食おうって言い出しやがったんだ。父:俺たちは一番脂の乗った奴を選んだ。船長だ」と、何度目の同じ話をし、「そいつがどんな味がしたか分かるか?」と訊く。グスタフは、さっそく、「ニワトリの肉みたいに甘いんだよね」と言い、父から、「このチビ助、すごい記憶力だ。天才のタマゴだな」と褒められ(3枚目の写真)、笑顔で「うん!」と言う。母:「それって、恐ろしいことよ」。父:「何言ってんだ? もしあの時、俺が食ってなきゃ… 俺は死んでたんだぞ」。そして、「こんな俺を欲しがったのはお前の方じゃなかったか?」とも。「子どもができちゃったからじゃないの? でも、結婚したのはそれから2年も経ってから!」。「男にだって、少しくらい考える時間は必要だろ?」。そう言うと、「ビールが2、3本欲しいな」と言い、グスタフがバーまで買いに行かされる(4枚目の写真、矢印)。




ナレーション:「私の世界にいたのは大人たちばかりだった。家族の中で、子供は私一人だった。けれど、他の子供が恋しいと思ったことは一度もなかった。私は満ち足りていたし、自分たちの部屋から出ることも滅多になかった。そこは薄暗くて、安心できた。私は広い世界を、なるべく避けていたのだ。けれど、リネア伯母さんとエリック伯父さんの家に行く時なら、私は喜んで出かけた。私は二人の家に一週間泊まって、とても可愛がってもらった」。そして、映画館に連れていってもらった時の短いシーンが入る(1枚目の写真)。伯父:「私は家でグスタフと遊ぶ、いいだろ?」。伯母:「もう家には返さないわ」。「そうだとも。この子は私たちのものだ」。グスタフ:「ぼく、母さん、父さんの家に帰らなきゃ」。映画が始まり、伯父は 「スターリンは現代の英雄だ」と言う。グスタフ:あのウィリー〔『ウィリーの冒険(Willy på eventyr)』の主人公〕みたいな?」。「それに、彼は天才だ」〔1930年代前半から始まったスターリンの恐怖政治は、厳しい情報統制により、他国にはほとんど伝わっていなかったので、このように称賛する愚かな労働者がいた〕。家に戻ったグスタフは、自分のアパートの住民について、ナレーションで語る。「私はこのアパートの共同階段沿いの4つの住まいの中で、ただひとりの子供だった。私たちの階下には、エミリーと、小柄で痩せた夫のスクーグンが住んでいた。彼女は薄暗い酒場を営み、わずかな日差しを楽しんだ。彼はアパートの管理人で、健康のためにチーズを食べ、太陽を嫌っていた」(2枚目の写真、矢印はチーズ)。「それから、フレデリクセン夫人がいた。彼女は美しいものが好きだった。他人のものも含めて。父は彼女をクレプトマニア〔万引きをくり返す精神疾患〕だと言った。私はそれが高貴な響きに聞こえた」(3枚目の写真は、彼女が盗もうとしたもの)。「一番下にはユダヤ人たちが暮らしていた。彼らは決して外に出なかった。もし彼らの息子アブラハムが買い出しに行かなければ、彼らはきっと飢え死にしていただろう」(4枚目の写真、矢印は経済学の本)〔ナチスのユダヤ人迫害が激化し始めていた時期〕




ベッドに入った母は、ファミーリェ・ユアナール(Familie Journal)というデンマークの有名な週刊の新聞・雑誌にある連載のメロドラマ小説を読んでいる。そこには、赤毛の髪の若い女性の絵が、カラー印刷で掲載されている(1枚目の写真)〔カラー印刷は1930年代から普及〕。そして、母は、声を出して小説を読み始める(2枚目の写真)。「マルガレータの手は、微かに強張る彼の腕の上に置かれていた。彼女は声を震わせて、『私のこと、愛してくれているの、ラッド?』と尋ねた。彼は、『愛しい人よ、私が妻になってくれと頼む声が聞こえなかったのか?』と言うと、キスで彼女を黙らせた。その方が、彼女に答えるよりも簡単だったからだ。彼は彼女の口、首、髪、そして白くて小刻みに震えている肩に口づけした。しかし、彼の頭にあったのは彼女ではなかった。それは、赤金色の髪が、まるで後光のように青白い顔を包み込んでいる、一人のうら若き乙女の姿だった。お金目当てでマルガレータにプロポーズするという、今夜のあの行動へ彼を駆り立てたのは、まさにその乙女だった。しかし、その激し過ぎるキスはマルガレータの心に疑念を抱かせた。これは本当の愛なのだろうか、と」。途中で、横に入ってきたマックスが母に触る。グスタフが、「何してるの、父さん?」と訊くと、「くすぐってるのさ」と笑顔で答える(3枚目の写真)。結局、お邪魔虫になったグスタフは追い出され、自分のベッドに横になる。そして、ナレーション。「母の声は、私の耳にはまるで音楽のようだった。すべての意味は分からなくても、私はたくさんの素敵な表現を覚えた。それらは、後の人生で大いに役立つことになる表現だった。大理石のような白い胸。赤金色の髪。『今夜のあの行動へ彼を駆り立てた、まさにその乙女だった』。けれど、明かりが消えたあとに聞こえる物音は、美しい音楽などではなく、あの箱〔あとで登場する〕にまつわるものだった。それはデニッシュや、5オーレ硬貨を意味していた。『情欲に歪んだ唇』(4枚目の写真)〔本物よりもきれいなったアルマ)〕。『彼は彼女の口、首、髪、そして白くて小刻みに震えている肩に口づけした」。




翌朝、両親のベッドの下に潜って行ったグスタフは、箱の蓋を開け〔前節に出て来た「箱」〕、そこからコンドームを1個取り出す(1枚目の写真、矢印)。次のシーンでは、新たな「客」と一緒にいるアルマが、「これが最後よ」と言って5オーレ硬貨を差し出し、グスタフは、「いつもそう言うね」といいながら、ポケットからコンドームを取り出し、交換する(2枚目の写真、矢印)。アルマは半地下に下りて行き、長い金属製の筒を持った職人も、筒を置いて中に入って行く。グスタフが半地下室の通り沿いの窓から見ると、アルマはいつものことをしている。つまらなくなったグスタフは、男が置いて行った筒を持つと、口を付けて 「アルマ、きれいだ!」と叫ぶ(3枚目の写真)。筒を通った声が響き渡ったので、驚いたグスタフは筒を投げ捨て、ちょうど通りかかった4輪の荷馬車に轢かれて筒が凹む。マズいと思ったグスタフは、元あった場所に筒を戻す。そこに男性が出て来て、立ち去ろうとする。それを見たアルマは、「払わないなら、叫ぶわよ」と言うが、男は 「俺が大金持ちだとでも思ってんのか」と言っただけ。そこで、アルマとグスタフは一緒に悲鳴を上げる。男は走って戻ってくると、お金を渡し(4枚目の写真)、「売春婦」と言って立ち去る。




その日の夕食の席で、グスタフは、父に、「父さん、『売春婦』ってなに?」と訊く(1枚目の写真)。「売春婦?」。笑顔で「うん」。母は、「男の人が大好きな女性のことよ」と、前回、売春宿について訊かれた時と同じように、上手に答える。それを聞いた父も、「そいつは最高に上手いな、スヴェア!」と褒める。しかし、前回と違うのは、母が、「それなら、もうその話は終わりにしましょう」と、ある意味、余分なことを言ってしまったこと。これが、グスタフに新たな疑問を起こさせる。「だけど…  母さんは父さんのことが好きだよね。それに、おじいちゃんも。エリック伯父さんも。ぼくのことも」。母は、「でも、あたしは、あんたが今言ったような人間じゃない。だから、この話は、もう おしまいよ」ときっぱり否定する。父も、「母さんは決して売春婦なんかじゃない。実に素晴らしい女性だ」と、援護する。母は、さらに、グスタフが持っている5オーレ硬貨を取り上げ、「それ、どうしたの?」「どこでもらってきたの?」のくどくど訊く(2枚目の写真。矢印)。結局、母は、食卓で1人きりになった後も、硬貨を手にして、なぜこうなったかをじっと考える(3枚目の写真、矢印)。そして、推論が確定すると、硬貨を床に投げ捨てる。夜、ベッドで横になったグスタフの映像と同時に、ナレーションが流れる(4枚目の写真)。「その時、私は売春婦が何なのかが分かった。そして、アルマ、私が大好きだったアルマは、私の面倒を見ることを許されなくなった」。




前節のナレーションの続き。「そのため母は、私をランツァウ幼稚園に預けた。遊び時間には、いつも唾を吐きかけられた」。最初にグスタフが幼稚園に来た日、遊に時間になると、子供たちに囲まれる。1人ののっぽが、「なんてダサい奴だ」と言い、もう1人が、「楽しい遊び、一緒にやらないか?」と言い、グスタフは笑顔になる。最初ののっぽが、「口を開けて。見上げて」と命じる。グスタフが口を開けて空を見上げる。すると、のっぽが、グスタフの顔目がけて唾を吐きかける。「変な遊びだね」。同じくらいののっぽの子が、「そのまま」と言って寄ってくると(1枚目の写真)、また唾をかける。「いつもこうやって遊んでるの?」。「いつもさ。楽しいだろ?」。3番目が、「次はぼくの番だ。開けて」と言って、また唾をかける。そして、4番目は最初ののっぽ。ここで、ナレーション。「私は、おかしなことに、子供の遊びとはこういうものかもしれないと思っていた。一週間が経つ頃には、誰かが咳払いをしただけで、私の体は引きつるようになっていた」。場面はアパートに変わり、父が、「スヴェア、チビ助が痙攣を起こしてるぞ。手遅れになる前に、さっさと医者に連れて行け」と言う。医者の所に連れて行かれたグスタフ。その診断は、「これは… 神経性のものですね」(2枚目の写真)。アパートに戻った2人。1階にある共同便所にいる父に、外から報告する。神経性(nervøst)という専門用語の正しい意味は知らなくても、その簡単な意味については1930年代なら知られていたので、父は、「びくびくだと?」と怒鳴るように言う。それを聞いたグスタフは、「僕、死ぬの?」と母に訊く。父は、「なにバカ言ってやがる! お前がびくびくすることなんか何一つありゃしねえ」と言うと、共同便所から出てきて、「お前、びくびくしてるんか?」と訊く。「うん」。「グスタフ。言っておくがな、パンパスにいた頃、俺はあんな奴らなんか何とも思っちゃいなかった。牛の糞以下の存在だ。いいな、グスタフ・アドルフ? クソ医者なんだ。役立たずの豚野郎だ。お前に必要なのは、新鮮な空気と少しばかりの日光だけだ」。それを聞いた母は、「あんた、それなら海水浴に行こうよ」と言い出す。しかし、父は、「明日は日曜日だ。動物園に行くぞ」と言う。それを聞いたグスタフは、「やったー!」と叫んで飛び上がる。父は、部屋に戻ると、グスタフを担いで、「ハオウゥゥゥ!」と動物の鳴き声を真似しながら、部屋の中を走り回る(3枚目の写真)。そのあと、一家は動物園に行く。父は、フラミンゴを見ると、「あれはお前だな、スヴェア」と言い、オットセイを見ると、「見ろ、グスタフ・アドルフだ」と言う。その仕返しに、母は、ヌートリアを見て、「あれはあんたよ、アクセル」と言うが、父は、木の上の熊を見て、「違う、あれこそ俺だよ」と一番自分に近い動物を選ぶ。フタコブラクダの換毛〔生え変わり〕を見た父は、無知を丸出しにして、飼育係に向かって、「何だこのザマは? ラクダの毛がボロボロじゃねえか」と文句を言う。「こういうものですよ」。「いいや、動物虐待だ。二度とやるな。通報してやる」。このトラブルメーカーは、ラマを見つけると、「さあ、よく見ておけ」と言い、ラマの顔に向かって唾を吐きかける」(4枚目の写真)。母がたしなめても、「アンデスじゃこうするんだ」と言い、また唾を吐きかける。ラマは何もしないので、今度は、「なんだ? この偽物め」と言って、3度目の唾。そして、「本物のラマならやり返すはずだ。こいつら、唾を吐かれるのが好きだからな」と言うと、飼育係に、「おい、どういうつもりだ? 完全な詐欺だな」とまた文句。「何がですか?」。「こいつは、ラマじゃねえ」。「ラマですよ」。「俺を誰だと思ってる。ラマ通だぞ。この動物園は、羊に皮を被せて客を騙してやがる!」と言うと、4度目の唾。それを見た飼育係に、「あんた、どうかしてる」と言われると、父は、飼育係の鼻をつまんで、「何だと? もう一度言ってみろ」と怒り、別の飼育係2人が駆け付けて父をつかんで離す。「ここの奴らは、檻の中も外も狂ってやがる」。母が、2人の腕をつかんで動物園の出口に向かいながら、「あんたって人は!」と批判すると、父は、「お前はスコーネ産のジャガイモ一袋より頭が空っぽだな!」と侮辱。この珍事を見ていた来園者に笑われながら、3人は動物園の回転出口から外に出て行く。




アパートの裏の共同便所の前に乗りつけたキャベツ満載の荷車の前に、アパートの住民が集まって来てキャベツを買う。強引なフレデリクセン夫人は、他の女性が手にしたキャベツを 「ちょっとそれ見せてもらえる。ちょうどいいかも」と言って手に取ると、「なんだ、よくないわ」と言って荷車に戻す。一方、スクーグンは 「虫はたくさんいる。だが、見た目はすごく美味そうだ」と言う。そこに、スヴェアも加わり(1枚目の写真)、キャベツを恐らく2個は買う。その日の夕食は、大きな鉄鍋一杯のキャベツと肉を煮込んだ料理(2枚目の写真)。その大鍋が空になると、テーブルの前に座ったまま、父はおならを連発する。母は 「やめなさいよ! まともな人なら そんなことしないわ」と批判するが、父は 「この屁は臭わねえ。それに、腹の調子を良くするんだ」(3枚目の写真、矢印)「医者だってそうしろって言ってたぞ。あれだけキャベツを食った後だ、出るのが当然だ」と言い、その後もおならを連発する。父:「そういや… エミリーのやつも… キャベツを買ってたな」。母:「マルグリンスキー家ね」。「へえ、モーゼの息子〔ユダヤ人に対する差別的な呼び方〕も、ちゃっかり買い込んだってわけか。当然だな。あいつらだって、他の人間より頭が悪いわけじゃねえ」。「安かったからよ」。「おかげで、階段のてっぺんから下まで、みんなして屁をこいてやがるに違いねえ!」。ここでカメラは切り替わり、父が、キッチンの床にしゃがみ込み、ズボンを下げて床の上で排便を始める。「アクセル、何てことするの!」。「ヒステリックになるなよ。男ってのはな、せざるを得ん時があるんだ」(4枚目の写真)。その頃、共同便所の前には4人が2列に並んでいた。




一段落して、食後のコーヒーの時間。父は本を読みながら、「何て奴だ」と罵る。「どうかしたの?」。「あの卑劣な裏切り者め! お前の義兄のエリックが心酔してるクソ野郎だ。ひでえな、あの二枚舌の裏切り者めが」。「誰よ?」。「レーニンだ、地獄に落ちるがいい」。「誰?」。「レーニンだ、あの悪魔め。クロンシュタットの水兵たちを虐殺しやがった〔1917年の十月革命で冬宮へ歴史的な砲撃を行なった巡洋艦アヴローラの乗組員(革命の英雄)が、独裁化するボリシェヴィキ政権に対してコトリン島のクロンシュタットの海軍要塞で行った1921年3月の反乱に対するレーニンの過酷な制裁(約500名がその場で射殺、2100名以上が死刑)〕。彼らは氷の上〔海が氷結していた〕にいて、なぎ倒されたんだ〔氷上での銃撃戦〕。勝ち目なんてなかった。レーニンは革命を裏切ったんだ!」。「なるほど、そういうことだったの」。母は、楽しい話題に変える。「リネアとエリックも水に入り始めたわ」〔この頃から、夏でも気温の低いデンマークでも、浜辺に行き、海に入ることが流行し始めていた〕。母は、グスタフに、最新の「ファミーリェ・ユアナール」を持って来させ、「さあ、何が書いてあるか見てみましょう」と言う。そして、「ヨーロッパは生まれ変わったみたいだって書いてあるわ。みんな水に入ったり、運動したりしてるって」(1枚目の写真)「ドイツでもロシアでも、ですって」。父は、「へえ、そいつはびっくだな」と言うと、「ファミーリェ・ユアナール」を手に取る。そして、「いや、なんてひどい絵だ。おい、これを見てみろ」と言って母に見せる〔そこには、女性が、羊のたくさいる野原で男性に寄りかかって座り、膝の上に引いた毛布の上に子羊を乗せた絵が掲載されている〕。「子羊を膝の上に乗せるなんて許されん。子羊は食うもんだ」。「そうね、あんなに美味しいもの」。そして、また別の絵を見せ、「フランスの絵だ。印象派って奴らだ。アトリエじゃなく、外に出てって絵を描いてるイカれた芸術家どもさ」と貶す。ここでナレーション:「父は、世界情勢を議論することがとても重要だと考えていた。だから父はよく、イェーア通りの終点、そこから先は私にとって未知の世界だった場所にあった居酒屋、に座り込んでいた。そして朝がくるまでそこで話し合った」。場面は居酒屋に変わる。父:「資本家どもは、労働者階級がまるでエデンの園に暮らしてると思い込んでやがる。だが、そこらのガキどもを見てみろよ。どいつもこいつも青白い顔ばっかしだ。可哀想に、幽霊にしか見えねえ。次に戦うべきはこれだ。もっと長い休暇を勝ち取るための戦いだ。14日間。2週間だ。最低でもな!」。居酒屋のマダム:「それで、その長いお休みを一体何に使うつもりなの? 家でソファに寝転がってゴロゴロ? それとも、青い海にでも繰り出すの? どうせ2人とも、ここで、2週間ビールを飲み続けるんでしょ」(2枚目の写真)。ところが、父は、「いや、違う。外に出て羽を伸ばすんだ。さて、家に帰って『ヤンソンの誘惑』〔母がスウェーデン出身なのでスウェーデンの伝統的な家庭料理〕を食うとするか」と言って出て行く。そして、翌朝、母とグスタフが洗濯物を干していると、アパートの窓が開き、父が「スヴェア!」と呼びかける。「労働者だけ取り残されるなんて、許されん。社会民主党の連中は口先ばかりで、ビールに浸かってるだけのバカどもだ。外に出てくぞ! 太陽の下で新鮮な空気を吸うんだ。スヴェア、俺たちは海に入りに行くぞ!」(3枚目の写真)。「聞いたか、グスタフ・アドルフ、この青白いチビ助」。母:「それって、あたしが言ってたことじゃないの」。「だがな、ちゃんと計画を立てんといかん。素晴らしい浜辺の日(Den store badedag、映画の題名)にしないと!」(4枚目の写真)。




出かける日の朝、グスタフが缶を見ながら、「『N-i』は『ニ』、『V-e』は『ニ』、ううん、『ヴィ』」と読んでいる(1枚目の写真)。「『ニヴィ』。『A』は『ア』、『ニヴィア』〔有名な化粧品のメーカー〕」。父は、「チビ助は、何言ってるんだ?」と母に訊く。「赤くならずに日焼けできるのよ。スコウス石鹸店で見つけたの」。グスタフは、意味も分からず 「スコウス・セーベフス(石鹸店)」とくり返す。父:「インチキだ。そんな代物は置いていけ」。「色素が問題なの。男性には関係なくても、女性には問題なのよ」。「お前、案外賢いな。スヴェア」。次のシーンでは、父を先頭に、共同階段沿いの他の3世帯で父の説得に応じた4人(エミリー、スクーグン、フレデリクセン夫人、アブラハム)の7人が、アパートを出発する。アパートの窓からは、アブラハムの父がアブラハムに声を掛ける。「濡れたりして危ない目に遭うなよ」。アスラハム:「父さん水が嫌いだから、心配のしすぎだよ」。「海に小便でもして来いよ」。それに対しては、父が 「そりゃ大変だ、洪水になっちゃうぞ」と答える。「スウェーデンまで流されないように気をつけて」。「流されるだと? 何を言うんだ、今日の海ならどこまでも歩いていける」(2枚目の写真)。次のシーンでは、6人はベルヴィ・ビーチ(Bellevue Strand、1932年開設)に向かう市電(14番系統)に乗っている(3枚目の写真)。父が車内で、レコードをかけて反共的な合唱音楽を鳴らし始めたので、母は、「あんた、そんなもの持ってきたの?」と訊く。「今日、誰がビーチに来ているのかを、浜辺の連中に知らしめてやる。特に、お前の義理の兄のエリック、あの共産主義者の野郎に、これを聞かせてやるんだ」と言う。電車は、ベルヴィ・ビーチへの入口から200mの所にあるクランペンボー(Klampenborg)駅が終点〔電車の開通は1903年、コペンハーゲンの都心から訳12km北にあるこの地まで、こんなに早い時期に開通させたのは、世界最古の遊園地バッケン(Dyrehavsbakken)、王室の鹿公園デュアハウン(Dyrehaven)などがあったから〕。クランペンボー駅に着いた6人は電車を降りる(4枚目の写真)。この路面電車は、スキョルデネショーム路面電車博物館(Sporvejsmuseet Skjoldenæsholm)に動態保存されている車両を使って撮影された。




一行は、駅から砂の丘を越えて海岸に向かう。父:「もうすぐ着くぞ。足元に気をつけろ」(1枚目の写真)。丘の上まで来ると、僅か20キロほどしか離れていないスウェーデンが見える。自分の故郷を見た母は、「見て、グスタフ・アドルフ、あれがスウェーデンよ。海の向こう側に見えるでしょ」と笑顔で教える。アブラハムは 「青いですね」と言うと、フレデリクセン夫人は、「私が若い頃は、もっと青かったわ」と言う。丘を少し降りたところに、母の姉と義兄がいる。「リネアとエリックがいるわ。グスタフ・アドルフ、リネア伯母さんに挨拶してらっしゃい」。さっそく、グスタフは2人に向かって走って行き、リネアは両手を広げて迎える(2枚目の写真)。リネアに抱き着いたグスタフ。すぐにナレーションが始まる。「私は彼女のみずみずしい夏用ワンピースの下にある、柔らかい脚を感じていた。同時に、外の世界が素晴らしいことに、私は心から幸せを感じていた。そこには青い空と緑の木々があり、色とりどりの柔らかい風船があった。すべてが夢のようだった。それこそが、まさに私の感じていたことだった」。あんまり長く抱き着いていたので、横から、エリックが、「僕のこと忘れちゃったか、グスタフ・アドルフ?」と声をかける。エリックは、グスタフを抱き上げる。リネアは、「風船、欲しい?」と訊き、エリックは 「当たり前だろ」と言う。すると、15個以上の風船を手に持った風船売りが映る。リネアはグスタフと一緒に風船売りのところに行き、1個買うと言い、風船売りは1個の風船の紐をグスタフに渡す。リネアは、コインを渡し、お釣りを渡さないといけないので、風船売りは、「ちょっと持っていてもらえますか」と言って、風船が紐の束をリネアに渡す。そして、風船売りがお釣りのコインを探してリネアに渡そうとする。リネアは、風船が紐の束をグスタフに渡し(3枚目の写真)、お釣りを受け取って財布に入れる。2人が目を離していると、風船の浮力より軽いグスタフが次第に浮きながら離れて行く。それを遠くから見ていたスクーグンは、気楽に、「グスタフ・アドルフが飛んでるぞ」と言いフレデリクセン夫人は、「まあ、なんて素敵なんでしょう」と感激。母だけは、「今すぐ降りてきなさい!」と必死に叫ぶが、浮力の方が大きいのでグスタフには何もできない。リネアは、「放しちゃいなさい!」と叫ぶが、グスタフの身長以上の高さから落ちたらケガをしてしまうので、誤った指示。父が、ようやく、「おい、ぼさっと見てないで、走って追いかけろ!」と、動かずに叫んでいるだけの連中に文句を言うが、自分は動こうとしない。結局、グスタフを追いかけたのは、商品を失いたくない風船売りとアブラハムの2人だけ(4枚目の写真)。アブラハムがジャンプしてグスタフの靴ひもを解き、垂れ下がった靴紐を握ってグスタフを引っ張り下ろす。それを、じっと立ったまま遠くで見ていた父は、「ったく、ずいぶんと時間がかかりやがったな」と言っただけ。




父の後ろに一列になった6人は丘を横切り、グループで座れる場所を探す。そして、砂浜に近い場所に最適な場所をみつけ、境界を示す意味で枝を砂の中に差し込む。それまで、この近くにいた2つのグループ(各2人)には迷惑な存在なので、仕方なく、少し位置をずらす。父が、砂の上を歩いていると、エリックが 「アクセル、何してるんだ?」と訊く。「俺たちの境界を歩いて決めてんだ」。「犬や猫みたいな真似をしなきゃならんのか?」。「犬や猫ならションベンかけるだろ。揉め事を避けるにゃ、これが一番なのさ」。こうして、自分たちの「領土」が決まると、大人たちは、順次服を脱いで水着に着替えようとする。父は、うまく隠そうとやってみたが上手くできない。ナレーション:「突然、何でも父の思い通りにはいかないことに気付いた。だって、家にいたら、あんなにまどろっこしいことなんか絶対しないのに」。苛立った父は、結局全部脱いでしまい、初めから近くに座っていた “服を着たまま” の中年の女性は、手で顔を覆う。グスタフだけは、服を着たまま風船を握っている。それを見たリネアは、「グスタフ・アドルフ、着替えないの? 誰も手伝ってくれないの?」と声をかけて、グスタフの前まで行くと、服を脱がせようとする。グスタフが嫌がって触らせないので、「エリック、あんた力持ちなんだから手伝ってよ」と言うと、エリックを抱いて夫のところまで連れて行く。エリックは、「よし、こっちへ来い。ホップ・ステップ・ジャンプ、っと。ほらよ」と言いながら、どんどん服を脱がせていく(1枚目の写真、矢印はシャツ)。そこに、母がやって来て、自分と同じ色の海パンを渡そうとする。グスタフ:「やだよ」。母:「何がいやなの?」。「母さんと同じがいい」。エリック:「母さんと同じって、どういうことだ?」。「母さんのは胸まであるよ」。結局、海パンだけになったグスタフは、父と一緒に浜辺まで行く。砂浜と海の境に立って、海の水が静かに前後しているのを見たグスタフは、「水だ。ものすごい水だ。それに、これ、ずっと動いてる」と言う(2枚目の写真)。父は、「ああ、こいつは大洋からから押し寄せる波だからな」と教える。父は、6歩海に入って行くと、「冷てえ!」と言って砂浜まで戻る。そこに母が合流する。そこで、「おい、入らないのか? 足だけ浸かってたって、しょうがないだろ」と言う。すると、母は平気に海の中に入って行き、「アクセル、来なさいと!」と呼ぶ。母が波を浴びて楽しんでいるのを見て、怖がっていた父は、負けまいと、グスタフを抱いて海に入って行く。そして、残酷なことに、いきなりグスタフを海の中に投げ込む(3枚目の写真、矢印)。寒さで動転するグスタフを見て、“自分は6歩で引き返した” くせに、「何てザマだ」と苦言を呈し、それに対し母は、「水に慣れさせてあげなさいよ」と批判する。「海に入らなきゃ意味がないだろ? 泳げ、男だろ!」。しかし、そう言っている本人も、泳ぎ方を知らないので、父は、グスタムを掴むと、岸まで運んで行き、砂浜の上に置く。ナレーション:「海が裏切り者だということくらい、知っておくべきだったのだ。あんなに柔らかそうだった水が、容赦なく私に襲いかかってきた。私には、分かっていないことがあった。いつだって、私には分からないことばかりだった」。そして、海辺にポツンと1人で座っているグスタフが映る(4枚目の写真)〔ビーチの風景が映っているベストのシーン、矢印はグスタフ〕〔因みに、このベルヴィ・ビーチが1932年に「開設」された当時の長さは約6~700m。当初、この海岸にはちゃんとした砂浜がなかったので、海底から約4万㎥の砂をポンプで汲み上げて上げて海岸沿いに引き詰めて造られた人工的な白い砂浜。ビーチへの入場料は、コペンハーゲン中心部からの市電の往復切符を含めて30オーレ(当時のハガキの切手代が10オーレ)という格安料金だった〕




いよいよ、父が “確保” しておいた場所で、全員が集まったところで、持って来た食べ物を皿に置く(1枚目の写真)〔当然、フレデリクセン夫人は何も持って来ない〕。父は、少し離れて座り、本を読んでいるアブラハムに、「豚肉、食わねえか?」と、嫌味か無知なのか分からないかが声をかける。アブラハムは当然断る。息子がアブラハムと一緒なのを見た父は、「チビ助が何も食っとらんぞ」と母に言う。「あの子、ニシン〔ニシンの塩漬け〕が嫌いなの」。「甘ったれたガキだな。何か食わせてやれ。鶏なんかどうだ」。ナレーション:「私はニシンが大嫌いだった。だが、食べている間は、あの海に入らなくて済んだ」。エリック:「子牛肉か、滅多に食べれんな」。フレデリクセン夫人:「スウェーデン風のミートボールを、お一つ分けて下さいな」。そう言いながら、ソーセージを手にミートボールを3個取る〔さすが、クレプトマニア〕。父は、料理に満足し、「こりゃ文句のつけようがねえな」と満足する。グスタフが、「どうしてこんなにきれいに包んであるの?」と訊くと(2枚目の写真)、「お前の伯父が共産主義者だからさ」と、本人の前で侮辱する〔ミートボールもスウェーデン風だったので、大半の料理をリネアが用意した?〕。父:「どんどん面白くなってきたな。ここは実にいい国だ。まさに楽園そのものじゃねえか」。その頃、グスタフは、手に持ったローストチキンの周りを舞うハエを払うのに必死だった(3枚目の写真、矢印はハエ)。父は、最後まで何も食べなかったアブラハムに、「そう思わないか、アブラハム? 一緒に来て正解だったろ?」と訊く。アブラハムは、仕方なく、「はい、ありがとう」と答える。食事が終わると、全員が折り重なるように丸くなって眠る(4枚目の写真)。




食事後の眠りの中で最初に目を覚ましたのはグスタフ。「母さん、お便所」と訴える。「小さい方? それとも大きい方?」。「水に入ったら急に寒くなったの」。父が、「水の中ですりゃよかったんだ。そんなの自分で行けるだろ。便所はアイスクリームの店の横にある。これでアイスでも買うんだな」と言ってコインを渡し、じゃあ、さっさとおしっこして来い(hældt vandet fra kartoflerne の隠語の意味)」と言う。グスタフはすぐに便所に向かう。そして、隙間なく並んで用を足している男たちの間に割り込む。一人の青年が、「誰に言われて来たんだ?」と訊くと、グスタフは、「ぼく、ジャガイモの茹で汁を捨てに来た(hældt vandet fra kartoflerne の本当の意味)」と、父が言った通りに話す(1枚目の写真)。そこにいた全員に意味が分かったので、小さな子が、そんな隠語で答えたことで、笑い声が起きる〔この時代、排泄に関する直接的な表現を他人の前で口にするのは不謹慎とされていたので、大人はこうした変わった隠語を用いていた〕。便所を済ませたグスタフは、アイスクリームのビーチ出店に向かう。そして、順番を無視し、一番前に割り込んで〔背が低いので、店員からは割り込んだことが見えない〕、「おっきなアイスクリーム」と言う。「どれにする?生クリームとジャムが乗った一番大きいの?」と言いながら、手でお金を要求する。グスタフがお金を渡すと、「今のお金じゃ、昔ほど大したものは買えないの、お父さんにそう伝えて。小さいのなら買えるわよ」と言う。グスタフは、小さなアイスクリームを持って店から離れる(2枚目の写真、矢印はアイスクリーム)。グスタフは、両親の所に帰る途中で、大好きだったアルマの声が聞こえたので、寄り道だけど、様子を見に行く。すると、アルマが4人の青年たちに囲まれてくすぐられていた。しかし、グスタフのナレーションは違っている。「彼女の笑い声には絶望がにじんでいた。それは明らかだった。男たちは彼女を引き裂こうとしていた。腕を引きちぎろうとしていた。彼女は大きな危険にさらされていた」。そこで、アルマを助けようとして、グスタフは、一番手前の青年の脚に噛み付く(3枚目の写真、矢印はアイスクリーム)。怒った青年はグスタフを突き飛ばし、アイスクリームも吹っ飛ぶ。アルマが、それ以上グスタフが虐められないよう、彼の悪口を並べて青年たちを笑わせる。そして、一人だけになると、グスタフの横に来て 「まさか道に迷ったんじゃないわよね? ちゃんと一人で戻れる?」と優しく訊く(4枚目の写真)。そして、抱きしめてから別れる。




グスタフが戻って来たときには、もう全員が起きてきた。グスタフを見た伯母は、当時の呼び方で空気ボールをプレゼントする。空気ボールは伯父の顔に当たって転がって行き、それを、自分のことしか考えない父は、勝手に蹴り、丘の向こうに飛んで行く。父は責任上、グスタフは自分のものなので、すぐに後を追う。グスタフは、丘を越えた向こうにいた一家は無視して空気ボールを追うが、父は、その一家が持っていた、同じ色の空気ボールが “自分が蹴った空気ボール” だと思い込み、空気ボールを持っていた男の子に 「ありがとよ。そいつは俺たちのボールだ。さっきまで向こうで遊んでたんだよ」と言って取り上げる。さっそく、子供たちの父親が、「それは、うちの息子のボールですよ」と注意するが、父は、いつもの乱暴な言い方で、「泥棒どもがのさばる世の中だが、ビーチにまでいやがるとは知らなかったな。ガキを泥棒にするんじゃねえ。俺が蹴ったのは赤と白と青の空気ボールだ」と正当性を主張する。そこに、自分のボールを拾ったグスタフがやって来る。父は、「よくやった、グスタフ・アドルフ。その空気ボール、子供たちに返してやれ」と言うが、グスタフは自分の空気ボールなので嫌がる(1枚目の写真、矢印)。そこで、父は、「だったら俺たちのボールをあんたにくれてやるよ。これしきのことで揉める気はねえ!」と言って、相手の父親の頭にぶつけて返す〔要は、他人の空気ボールを自分の物だと主張し、詫びもせずに返しただけ〕。場面は、一旦、食事をとった場所に戻る、母は、「さて、フレデリクセン夫人。そろそろ、あれこれお返しいただく時間かしら」と言う。フレデリクセン夫人は、「ええ。もちろんですとも」と言うと、ハンドバッグを開けて、フォーク1本と手鏡(?)を返してバッグ閉める。しかし、母がさらに手を出すと、渋々日焼け止めの缶を取り出して返す。一方、老いたスクーゲンが、太った妻のエミリーの肩にこっそりキスする。すると、エミリーが手で払い除ける。「痛っ! なんでそんなことするんだ」。「あんただったの? クマバチかと思ったわ。さあ、お次は青い海へ飛び込むわよ」。「わしは絶対に嫌だね」。そして、場面は再び海に。父は、自分が泳げないくせに、母に泳ぎを教えようとする。しかし、母から、泳ぐ姿を一度も見たことがないと指摘され、「浜辺でニコニコしてる息子にでも教えたら」と言われる。そこで、父は、「イヤだ。離して。やめて。水に入るのイヤだよ!」と喚くグスタフを海の中に連れて行き(岸から10m)、「ほら見てろ」と言って、犬かきのように手を動かして見せ、「さあ、うつ伏せになれ」と言って腹と股を両手で支えて水平にすると、そのまま水面近くに降ろし、手と足をバタバタさせる(2枚目の写真)。そこにやって来たのが、エミリー。グスタフを立たせると、「違うわよ。よく見てて」と言うと、今度は、平泳ぎのように手を動かして見せる。そして、再び水平にすると、「平泳ぎよ。ほら、頑張って。カエルみたいに脚を動かすのよ」と言うが、グスタフは、同じように手と足をバタバタさせるだけ。見かねた父が、「何も分かってねえくせに、この大デブめ」と侮辱したので、怒ったエミリーが手を放し、お陰でグスタフは水中に。父は、「おい、正気か!?」と言うと、グスタフを抱いて岸辺まで連れて行き、砂浜の上に置くと、「ここなら誰の邪魔にもならねえだろ、このもやしっ子め」と言って立ち去る(4枚目の写真)。




これ以後の展開を示唆するグスタフの異様なナレーション:「私は自分を騙していた。ずっと前から気付いていた。隣人たちは、みっともなかった。さげすまれるべき連中だった。私はただ、それを見たくなかっただけなのだ」。そして、エミリー、母、父、フレデリクセン夫人の順に、大きな食べ物を口に咥えた奇妙な映像が映る(1~4枚目の写真)。




父が作った境界線の上部に、新しいクループ5人が陣取る(1枚目の写真)。父は、顔だけ出して砂の中に埋もれ、スクーグンが紙で作った円錐状の水入れを、父の口に突っ込み、ビールを飲ましている。そこに、リネアが来て、円錐紙の横から細いソーセージを押し込む。ビールを飲む邪魔になったので、父はソーセージを口から抜くと、投げ捨てる。投げ捨てられたソーセージは、新しいグループの30代前半の女性に当たる。怒った女性は立ち上がると、「あんた正気なの?」と批判する。父は、直ちに反応する。「何だとクソが! 俺たちは自由な国に生きてるんじゃないのか!?」と言って立ち上がり、伯父は、「だが、あんたやその仲間たちは、俺たちみたいな労働者をきっと有刺鉄線で囲い込みたいんだろうさ」と、個人批判に踏み込む。上の連中は笑って済ます。しかし、伯父は攻撃を止めない。最初に文句を言った女性に対し、「毎日シュウスの石鹸屋の中を暇そうに歩き回って、尻でも掻いてるくせに」と言いながらお尻を掻いている真似をする。女性は、「バカじゃないの!」と言い、もう一人の女性は、「私、ヌアゲード通りにあるキッチン用品店で主任販売員してるのよ」と自慢する。それを聞いたエミリーが、「私、居酒屋をやってるわよ」と言うと、上のグループの30代前半の男が、「自営業者様ってわけか」と言って笑う〔彼は、下町の安酒の飲み屋だと解釈した〕。それに輪をかけたのが、本来は味方のハズの伯父で、エミリーに 「ただの雇われ経営者だろ」と言い、エミリーから 「共産主義の豚め!」と呪われる。ここからは、内輪もめ。フレデリクセン夫人が、「お里が知れるわね」と言うと、エミリーは 「このクソアマ、何、上品ぶってんだい?」と怒り、夫人も 「何てことを、言葉を慎みなさいよ」と注意。それに対するエミリーの反撃は決定的。「偉そうに。男を寝取って身につけたのかい!?」。一方、エミリーの夫のスクーグンは、伯父に、「ボリシェヴィキ〔レーニンが率いた左派の暴力革命集団〕が、わしのエミリーを侮辱するな!」と怒鳴る(2枚目の写真)。伯父は、「あんた、薄茶色〔隠れナチス〕なのか?」と言い、スクーグンは 「断じて違う。だが、失業者をなくしたのはヒトラーじゃった」と援護したので、父はすかさず、「無理やりだ。そのことはもう話した」と注意。伯母は、「もうやめて!」と叫ぶ。ここで、上の連中のボスが、「ヒトラーって、案外バカじゃないかもな」と言い出し、それを受けて、父が 「もういい、やめろ。パンパスではな…」と、いつもの自慢話に持って行こうとしたことで、すべては破綻する。“パンパス” を聞いた伯父は、「パンパスはいい加減にやめろ! 僅か3週間後に、領事館の金で強制送還されたじゃないか!」。憎まれ口のエミリーは、「この人、生活保護ももらってたわよ」と発言。伯母は、「このバカ女」と言うが、「それも、何度もね」と続ける。父は、「完璧な人間なんていないだろ?」と弁明するが、伯父は、「お前さんが拘留所に入って スヴェアがパニックになった時、俺たちがグスタフ・アドルフの面倒を見たのを忘れたのか!?」と、最後のパンチ。母は、「やめて!!」と叫ぶ。グスタフは耳を押さえ(3枚目の写真)、上の連中は大笑い(4枚目の写真)。ここで、グスタフのナレーション。「真実が私を打ちのめした。父はもう、かつての父ではなかった。パンパの英雄はパンパの英雄は雲散霧消したのだ。母は、父が私を騙すのを黙って見ていた。二人とも、私を助けてはくれなかった。自分たちのことさえ、助けられないのだから」。




パンパスの嘘(母も知らなかった?)と、以前のナレーションで「私は二人の家に一週間泊まって、とても可愛がってもらった」とあった、“伯父の家での一週間” の真の理由をグスタフが知ってしまったことを心配した母が、「グスタフ・アドルフ、大丈夫?」と声をかけると、グスタフは 「ほっといて!」と怒る。母が、抱こうとしても嫌がって受け付けない。一方、上の連中が笑っていることに腹を立てた伯父は、「おい、あいつらに笑われてるぞ」と言うと、上の連中に向かって 「何を笑ってやがる?!」と怒鳴る。そして、最初に父を批判した女性に向かって、「おい、お前、お高くとまったバカ女。お前は何一つ分かっとらん!」と叱り付ける。それを聞いた、“上の連中の最年長の男性(30代後半)は、「そこまでだ。一線を超えてるぞ」と言うと、伯父の方に歩み寄る。それでも伯父が、「くだらんこと言うな!」と怒鳴ると、伯父の顔を引っ叩く。それを見た父が、「おい、やめんか!」と言うと、今度は、伯父が男性を蹴飛ばし、男性は父の顔を叩く。それでも、父は、伯父とボスの間に入って止めさせようと、「大人なんだ。いい加減にしろ!」と言うと(1枚目の写真)、後ろにいたエミリーが、何事か怒鳴る〔字幕がないので分からない〕。それを聞いた別の男が、「黙れ、このデブ女!」と言ったので、父は、「失礼だぞ!」と男を突き倒す。すると、3人目の男が、父の後ろから首に腕を掛けて締め付ける。母は、「やめて!」と叫び、父は、男を振り落す。エミリーは、瓶の一杯入った手提げバッグで、年長男性の頭を叩き、地面に倒す。年長男性は、「このプロレタリア〔労働者階級〕のデブ女!」と怒鳴り、伯父は、その男に向かって、「階級闘争の開始だ!」と叫ぶ。すぐに立ち上がった男の後ろから、今度は父が腕を首にかけて締め付ける。それを見たビーチの警備員が止めようとし、父に殴り倒される。一方、2人の男に掴みかかられた伯父は、「2対1でしか戦えんのか!」と怒鳴る。父は、そのうちの1人を離そうとするが、そこで警備員が笛を吹き、警官が駆け付ける。警官は、警備員が指差した父を捕まえる(2枚目の写真、矢印は父)。丘の上でずっと見ていたグスタフは、それを見て悲しくなって走り去る(3枚目の写真)。そして、海の中に入って行く(4枚目の写真)。




すると場面が変わり、グスタフが大好きだった祖父が一種の夢のように現れる。そして、「なあ、グスタフ・アドルフ、人生は時に厳しい。けれど、平等にできているんじゃ。お前さんが、どこへ向かっていようが、構わんのじゃよ。思った通りになっても、ならなくても、どうでもいいことなんじゃ。最後には、わしらはみんな同じ場所に行くのじゃから〔祖父みたいに死ぬのだから〕」と言う。場面は、海に戻り、グスタフは、首まで胸まで水に浸かっている〔自殺する気?〕。その時、背後から、伯父が叫ぶ声が聞こえる。「子供はあそこにだぞ、スヴェア!」。声を聞いたグスタフは振り返る(1枚目の写真)。すると、自分に向かって走ってくる母が見える(2枚目の写真)。ここで、画面は、グスタフのアパートに変わる。居間にテーブルに斜め向かいに座ったグスタフと母。グスタフは、しばらく考えていて、次に壁に貼られたパンパスの写真と、南米の地図3枚を見る。そして、席を立つと一番左上の写真の紙を剥がし(3枚目の写真、矢印)、引き裂いて丸めて捨てる。次に、3枚の地図を一気に剥がし、まとめて引き裂き(4枚目の写真、矢印)、丸めずに床に投げ捨て、イスに座る。




すると、バタンと音がして、父が静かに入ってくると、「誤認逮捕で釈放された。奴ら、謝罪せざるをえんかった」と話す。そのあと、続いて、「もし、これがパンパスだったら…」と言い始めると、グスタフが、「パンパスの話なんか聞きたくない!」と叫ぶ(1枚目の写真)。それを聞いた父は、何もなくなった壁も見て、「ああ、もうどうだっていいな」と言って部屋を出て行くが、母は、「そんなことない。ちゃんと反省なさい」と注意する。しばらくすると、父は戻って来て、テーブルの上のプレイヤーの蓋を開けると、蓋の裏からレコードを取り出し(2枚目の写真)、プレイヤーに掛ける。すると、ルイ・アームストロングのジャズ「You're Driving Me Crazy」が流れ始める。立ち上がった母は、ゆっくりと父に近づき、2人は踊り始める。そして、しばらく踊っていると、2人とも笑顔でグスタフを見ながら踊り続ける(3枚目の写真)。揺り椅子を揺らし続けるグスタフの顔にも、次第に笑みが浮かぶ(4枚目の写真)。そして、最後のナレーション。「その夏、私たちはもう二度と海水浴には行かなかった。けれど次の夏、父は私に泳ぎを教えてくれた。父自身は、とうとう泳げるようにはならなかったけれど」。





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