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Der verlorene Bruder (TV) 失われた兄

ドイツ (2015)

この映画の原作は、ハンス・ウルリッヒ・トライヒェル(Hans-Ulrich Treichel)によって書かれた『Der Verlorene(失われた者)』(1998)。筋書きを見ると、かなり忠実に映画化されているように見えて、大きな違いがある。1つは年齢で、原作は、明記されていないものの、1950年代の半ばから1960年代の前半までを描き、主人公の年齢は、およそ5歳以上から15歳くらいまで生育する。しかし、映画では、1960年が舞台となり、主人公は年齢不明だが、主演の子役は12歳程度。原作に書かれている10年間近くの出来事はすべて、この1年の間に起きている。2つ目は名前で、原作には主人公に名前はない。一人称で語る、語り手としか書かれていない〔映画では、マックス〕。一番大きな違いは、3つ目で両親の息子に対する無関心の程度が、原作の方が遥かに厳しい。そして、映画の主人公には、両親との対応以外にも、少年らしいバラエティが加えられていて、観ていて不愉快さに憤りを感じる割合はぐんと減っている。

映画のあらすじについて語る前に、原作がどのように展開していくか、https://ww w.pangloss.de/cms/index.php?page=der-verlorene に基づいて紹介しておこう。

 『失われた者』は、前置きなしに物語の途中から始まる。一人称の語り手は、家族の写真アルバムにある子供時代の写真の描写と、兄のアーノルトについての考察を織り交ぜながら、長い回想を語り始める。兄は難民の避難行の途中で餓死したことを、彼はトラウマを抱えた母との会話から知る。すでにこの時点で、姿のない兄の圧倒的な存在感に、語り手が苦しんでいることが示唆される。
 少し後、語り手は死んだと思われていた兄についてさらに詳しく知る。母が話し合いの中で、兄は餓死していないと明かしたからだ。沈黙と簡潔な言葉が日常を支配するこの家族では、長い会話はめったにない。母は、兄を見知らぬ人に引き渡したこと、そしてその後「恐ろしいこと」が自らに起こったと告白するが、その内容は明かさない。しかし文脈から、彼女は赤軍の兵士たちから性的暴行を受けたことが明白になる語り手は、その際に妊娠した子ではない〕
 次のセクションで、語り手は兄の死が自分の人生にどのような影響を与えたかを明らかにする。語り手は、兄の運命に責任はないにもかかわらず、罪悪感を感じている。これは特に家族での食事の際に明らかになる。トイトブルクの森への外出のような家族での外出でさえ、彼は父の車の中で嘔吐し、外出は「罪悪感と恥辱のドライブ」と化す。両親にとって、兄を失った悲しみは、父がますます大型の車に乗り換えるという経済的な成功をもってしても、埋め合わせることはできない。
 日曜日の外出禁止の間に、語り手はようやく暇つぶしを見出す。彼は、通り過ぎる車のエンジン音で車種を推測したり、何時間もラジオから流れる歪んだロシア語の音声を聞いたりする。父はついにテレビを買うが、それを使う権利は父だけにある。父の敬虔な姉、ヒルデ伯母は、家族がテレビを見ている様子を咎めるように見つめている。伯母の視線の下で恥ずかしさを感じるのは語り手だけだ。テレビの前で、彼と母は稀に一緒の時を過ごすが、それも一瞬で終わってしまう。母は家事で罪悪感を償い、父は保護者としての失敗を並外れたビジネスセンスで補う。
 父の根底にある悲しみは、肉を扱う時だけ束の間の喜びへと変わる。語り手は家族の屠殺宴を回想し、屠殺の過程を描写する際に身震いする。普段は陽気で気前の良い父が、こうした宴では語り手に軽蔑の念を抱かせる。父は、彼には「まともな頭脳がない」と決めつける。母はこうした宴でますます静かになり、彼は母がまるで人生を楽しんでいることへの「償い」をしているように見える。一方、父の償いは仕事で、彼は家族の家を改築し、語り手の子供時代の部屋も取り壊す。その間、母は精神的に参ってしまい、療養所に行かなければならなくなる。
 ある日、普段は寡黙な父が語り手を脇に連れ出し、兄は単に行方不明で、現在捜索中であることを明かす。赤十字の捜索サービスに連絡済みで、弟である語り手と兄である「孤児2307号」とを比較するため、その協力を要求する。その類似性は驚くほどで、実際、父は孤児が語り手に「瓜二つ」だと比喩的に表現する。この言葉を聞いて、彼は顔をしかめる。それは、自分が行方不明の兄に似たくないと思っているから。
 両親は、もしかしたら見つかったかもしれない行方不明の兄を探す努力を諦めない。語り手は、地元の警察官ルドルフによる指紋照合を受ける。続いて血液検査が行われる。両親との関連は、孤児との関連と同様、もっともらしいとも、あり得ないとも言えないことが判明する。行方不明の兄の特定に近づくにつれ、語り手はますます疎外感を感じる。次は、身体的な共通点を見つけ出すための写真撮影が行われる。頭蓋骨、特に耳を徹底的に比較した後、彼は孤児2307号が兄であるはずがないと確信する。
 専門家の意見は母をさらに深い絶望へと突き落とし、父は仕事に没頭し、新しい冷蔵倉庫を建てる。夫婦喧嘩は繰り返し起こる。母が転倒して頭蓋底を骨折すると、トラウマが彼女を襲う。彼女は、高級車オペル・アドミラルの購入資金として貯めていた夫の貯金を火の中に投げ込む。その後、ハイデルベルクの教授リープシュテット男爵により、人類遺伝学的祖先報告書の鑑定手続きが企画される。家族は検査のためにハイデルベルクへ向かう。法医学人類学研究所では、まず3人の足型が採取される。足形を取った後、教授は語り手だけに詳細な頭蓋計測検査を受けさせる。結果の出る翌日、男爵は検査では明確な結果は得られなかった、つまり特定はできなかったと告げる。
 無駄な旅に終わったことに激怒した父は、激しい発作の後、最初の心臓発作を起こす。帰宅後、冷蔵倉庫に忍び込まれたことに気づいた時、二度目の心臓発作を起こす。警察官ルドルフが父を病院へ搬送する手配をし、語り手は病院で死にゆく父を見舞い、聖書の死に関する箇所を読む。その後、母と語り手は父の葬儀に参列するが、父の生前から感じていた疎外感を再び味わうことになる。
 母は父の事業を続けてるが、思春期の語り手に十分に向き合うことができず、彼は孤独感を感じている。警察官ルドルフは、職務ルートを通じて、孤児2307号に関する鑑定書を請求する。その鑑定書と、追加の生物数学的鑑定書の両方から、両親と孤児との血縁関係は可能性が低いとみなされるが、母は鑑定書を受け入れることを拒む。しかし、孤児2307号はすでに養子に出されていることが判明し、養子縁組ができないと悟った母は、ルドルフに頼み、もうすぐ成人を迎えるその元孤児を、自分の目で確かめたいと言い出す。元孤児のハインリヒは、養父の肉屋で店員をしている。ルドルフは母と語り手を乗せて、その肉屋へと車を走らせる。語り手が車の窓から肉屋のショーウィンドウ越しにハインリヒを見て、自分自身との驚くべき類似に気づく一方、母はただこう言っただけだった。「窓を閉めて。車を出すわよ」。小説はここで終わる。

主人公のマックス役は、ノア・クラウス(Noah Kraus)。2001年生まれ。映画の撮影は2014年なので、撮影時13歳。彼は2011年からTVを中心に活躍し、この映画は、TVシリーズを含め5作目。現在もTV俳優として本格的に活躍している。

あらすじ

映画の主人公のマックスが、自転車に乗りながら、「僕はマックス」とナレーションの形で自己紹介する(1枚目の写真)。ここで 田舎の家の白黒写真が映り、「これは、僕の母と父の家。僕のじゃない。僕は一度も行ったことがない。その頃、僕はまだ生まれてもいなかった。僕の家は東にある。1945年、両親はロシア軍のせいで家を離れないといけなかった」と続ける。次に 赤ちゃんの白黒写真が映る(2枚目の写真)。「これが、兄のアーノルト。なぜ笑っているのか分からない。彼はロシア軍から逃げる途中で餓死した。悲しいよね。でも、僕の部屋を兄と二分しなくて済んだのは、むしろ好都合だった」。3番目は、遊んでいる幼児の白黒写真(3枚目の写真、矢印はバレーボール)。「これが僕。でも、顔が見えないね」。さらに別の写真が映るが、やはりマックスの顔が隠れて見えない。「こっちも、僕の顔が見えないよね」。最後の写真は母に抱かれた1~2歳児。「僕、ばっちり映ってる。足だけだけどね。どういうわけか、どの写真にも私の顔が映っていなかった。でも、誰もそんなことには気づかない。母は、兄の写真しか見ないから」。



これが僕たちの店。父は客を少しも信用していなかった」。このナレーションの正しさは、すぐ後に、父が、店の前にある自販機を前に、マックスに説明する時の言い方でよく分かる。「俺がもし機械にハジかれたコインをすべて交換してたら、とっくに破産してたろう。よく覚えとけ。そんなコインは、客が始末すりゃいいんだ。俺には関係ない。だが、機械の中でコインが詰まった時だけは別だ」(1枚目の写真、矢印は詰まったコインを取り除くためのドライバー)。そう言うと、父親は、機械を開けて、コインが詰まっていないのを見せる。ここで場面が変わる。1台の小型車が、田舎道を走っている。「僕たちは毎週日曜日に遠出をした。ビスマルク塔へ。その景色が、両親に故郷を思い出させた。そこへは、車で少し行かなければならなかった。フォード・タウヌスでは、それほど頻繁に吐くことはなかった。次に、オペル・オリンピアが来た。その車では、乗るたびに吐いた。1960年の夏のことだった」(2枚目の写真、矢印は吐いているマックス)。そして、「吐き気は僕にとって最大の問題ではなかった」の言葉で、場面は学校での4×400mリレーに変わる。最終走者のマックスは、1番でバトンを受け取ったのに、走っている途中で同じクラスの少女ミリに目が行ってしまい、ビリになる(3枚目の写真)。1番でバトンを渡したヴァルターから、「お前の走りはひどかったぞ。ブラシュケみたいな奴が、一体どうやってロシア人から逃げきれたのか、さっぱり分からん」と罵られる。マックスは、ヴァルターがいなくなると、彼とその仲間2人に対し、「このバカども。君らは確かに、僕より足は速いかも。だけど、頭の中は空っぽだ。詰まってるのはガラクタくらいさ。そんなじゃ、まともに考えることもできない」と呟く。そのあと、家に向かって自転車を走らせるマックスは、アイスクリーム屋の前を通ると、ミリを念頭に、「アイスクリーム、ご馳走しようか? チョコレートパフェ、美味しいよ。生クリームありでもなしでも選べるし。それとも、ストロベリーパフェの方がいい? そっちもすごく美味しいよ」と大きな声でブツブツ。それを聞いた、怖い伯母のヒルデが、「マックス」と何度も呼ぶが、マックスは気付かずに素通りする(4枚目の写真、矢印は伯母)。




マックスが家に着くと、母が、制服を着た女性に書類を渡し、女性は、その書類を隣にいた警官のルドルフに渡す(1枚目の写真)。マックスは、外に向かう警官に、「今日は、ルドルフさん」と言い、警官は、「今日はマックス」と返す。母は、2人だけになると、「お父さんと私から、あなたに話しておきたいことがあるの」と言う。ここで、ナレーション。「父と母が、僕に話し合いを求めてきたことなんて今まで一度もなかった。二人とも、僕とほとんど話そうとしなかったから」。いよいよ話し合いが始まる。口火を切ったのは母。「あんたのお兄さんのアーノルトのことよ」(2枚目の写真)。マックス:「アーノルトがどうしたの?」。「見つかったの」。「彼、餓死したんじゃなかったの?」。母:「あんたの兄さんは、餓死なんかしてない」。「それなら、どうやって死んだの?」。「はぐれたの。あの当時、私たち家を追われて逃げていて、アーノルトが空腹に苦しんだのは事実よ。でも死んではいない。見失ってしまったの。父:「俺たちは何年も彼を捜してきた」。「じゃあ、彼は、今までずっとどこにいたの?」(3枚目の写真)。「孤児院よ。今もそこにいる。ようやく、場所が分かったの」。「どこなの?」。「孤児院の場所までは教えてくれなかった。あの子はもう15歳。あんたよりずっと大きくなってる」。「ここに来るの?」。父:「いや、すぐには来ない。本人かどうかを確認しなきゃならないらしい」。「どうして?」。父:「誰の目にも明らかなのに、役所のあのバカどもだけは気づかん」。「その兄さん、見に行けないの?」。父:「それさえ許さんのだ、あいつらは」。「そもそも、どうしてはぐれたの?」。都合の悪い話になったので、父は、「仕事がある」と言って、会話を打ち切る。その夜、ベッドに横になってマックスは考える。「兄が家に引っ越してくるなんて、僕は嫌だった。部屋を一緒に使わなきゃいけなくなるかもしれないし、最後には僕のベッドを欲しがるかもしれない。アーノルトは僕より大きくて、力も強い。これまで、大きくて強い連中に何かを奪われた時、良い結果になったことは一度もなかった。お願いだから、僕の鳩小屋には手を出さないで。アーノルトのせいで起きているこの状況が、僕はちっとも気に入らなかった。死んだ兄のままの方が、ずっと良かったんだ」。



何日後かは分からないが、マックスが母に呼ばれてキッチンに行く。しばらくすると、ルドルフによって、母の10本の指全部の指紋が正確に採取される(1枚目の写真)。そして、次がマックスの番(2枚目の写真)。それを見ていたヒルデが、「コーヒーはないのかい?」と母に言う。「すぐに淹(い)れます」。伯母は、対面で座っているマックスに向かって、旧約聖書のイザヤ書の55章7節の一部をぶつける。「悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる」。それに対してマックスは、「悪いことなんて、何も考えてなかったよ」と言う〔彼は、その時、祖母に見られていたことを知らなかった〕。すると、これまで父の血液を採取していた医師が、「次は君の番だ」と言ってマックスを別のテーブルに呼ぶ。しかし、医師がまず着目したのはマックスの首の発疹で、薬が効かなかったと聞き、別の薬を処方する。母がヒルデに、「コーヒーはすぐできますわ」と言うと、ヒルデは、「それだけじゃないわ、彼は道路の真ん中で独り言まで言っていたのよ。あの子、普通じゃないわ」と批判する(3枚目の写真)。



恐らくかな日数が経ってから、鑑定書が届く(1枚目の写真)。母が、まず夫に訊いたことは、「あれは本当に私の子なの?」だった。しかし、大量の文書を前にして、父は「何だって? ちょっと待て」と言い、最初の分析結果をみて、「奴らは指紋を照合したんだ」と言う。母:「指紋?」。「指の紋様だ。それを計算で算出するんだ」(2枚目の写真)赤の内の数字は後述、黄色の点線の中の数値や記号も後述〕。「何を計算するの?」。「計算式があるんだ」。そして、父は報告書の一部を、意味も分からずに読み上げる。「その際、中央旋状紋〔渦状紋の1つで、小さな渦が中心にある〕については複雑度指数〔指紋の複雑さを数値化した指標〕を用いて算出し、二重渦状紋〔渦状紋の1つで、渦が二つ絡み合っている〕についても同様に算出を行う〔蹄状紋は、指紋の3分類、弓状紋、蹄状紋、渦状紋のうちの1つ〕」。意味不明な言葉に、マックスは「結果はどうだったの?」と訊く。父は、紙を見ながら、「ええと、34だ」と言う。母:「34?」。「俺は34。お前は43だ。マックスは30。そして、あの孤児2307号は28だ」(2・3枚目の写真)赤の内の数字、黄色の点線の中の数値や記号も後述〕。「それってどういう意味?」。「さあな」。「どこかに書いてあるはずよ」。父は、鑑定結果の紙を見つけて読み上げる。「指紋型の鑑定結果に基づけば、当該孤児(整理番号2307)が申請者らの実子である可能性は低い。ただし、その可能性は、申請者らの嫡出子〔実子=マックス〕が本来有するであろう指紋型の出現確率と比較して、格段に低いとは言えない」〔この読み上げ内容と、2・3枚目の写真の鑑定書の図は一致せず、メチャメチャ→2枚目の写真黄色の点線の指紋の分析結果)の中の文字を書くと、上の段(右手)が、「22 EE cccb 28」。下の段(左手)が、「20 00 abaa 15」。abcdは指紋のパターンを示す記号で、aが弓状紋(レア度5-6)、bが突起弓状紋(レア度8-10)、cが蹄状紋(レア度1)、dが渦状紋(レア度2-3)。父の右手の指紋はレア度の低いcが3つあるので特徴なし。左手は、レア度が高いので特徴的という風に見る。ここまではいいとして、問題は3枚目写真黄色の点線孤児2307号の指紋の分析結果)の中の文字。よく見ると、その内容は、黄色の点線全く同じ。そんなことはあり得ない(孤児は父の私生児になる)ので、これは映画の美術スタッフの大ミス〕。しかし、嫡出子の実が分からないマックスは、「誰のこと?」と質問する。母:「あんたよ」。マックス:「じゃあ、2人とも僕のホントの親じゃないの?」。この質問には誰も答えず、母は「血液型はどうだったの?」と訊く。父は、今度も鑑定書を読み上げる。「血液検査の結果によれば、親子関係の成立は可能であるが、それを肯定的に裏付ける蓋然性は高くない」(4枚目の写真)。母:「彼らが間違っているのよ。何とかしなくちゃ」 父:「奴らに、間違ってるなんて言えるわけがないだろ」。「なら、別の手を考えなくちゃ」。この観点結果の後の両親の態度について、マックスのナレーションが入る。「アーノルドの状況は思わしくなかった。僕にとっては好都合だ。けれど、僕が彼とほとんど同じくらい、両親の息子として “あり得ない存在” だという結果は、決して気分のいいものではなかった。両親は、この悪い知らせに対して、それぞれ全く異なる反応を見せた」。




父は、服を着替えて、背広姿になる。「どこに行くの?」。「講座に申し込んだ」。「何の講座?」。「商工会議所の講座だ。『食肉製品の適切な保存方法』って奴だ」。「あんた、いつも言ってるじゃない。できるだけ在庫は置くなって」。「卸売なら話は別だ」。「うちは卸売じゃないわ」。「これから始めるんだ」(1枚目の写真)「俺は、客を待ってるのはもう嫌だ。『このソーセージ、ずいぶん前からあるわね』なんて言いやがる。バカな客どもめ」。「私はやりたくない」。「俺たち、将来を考えなきゃ」。「私たち、子供を取り戻さないと」。隣の部屋で、ラジオから流れる音楽を聴きながら、マックスは両親の話にも耳を傾けている(2枚目の写真)。そこに、話を終えた父が入って来て、「そんなものは音楽じゃない」と、クラシック以外のものを聴いているマックスを批判し、「車を洗って、ワックスをかけろ。ドアのステップの部分を磨け。柔らかい布を使うんだぞ」と命じる。父が出て行くと、母も逆方向に出て行き、1人になったマックスは洗車を始める(3枚目の写真)。



母が向かった先は、先に指紋と血液の検査を依頼した近くの警察署の一人しかいない警官のルドルフの所(1枚目の写真)。「指紋の照合結果、良くなかったわ」。「お気の毒に」。「これじゃ、アーノルトは私の子供じゃないと思われてしまう」。「指紋は人物の確かな情報を示します。もし指紋が一致しないとなると… 当時は何千人もの子供が行方不明になりました」(2枚目の写真)「赤十字の女性が言っていましたよ、ラジオで呼びかける度に少なくとも15人の男女から連絡があると。我が子かもしれないと思うからです」。「でも、あの子は私の子供よ。確信があるわ。母親にはそれが分かるの。何かできることはないでしょうか?」。「そこまで確信があるなら… 遺伝生物学的な鑑定を申請できます〔DNA鑑定が実用化されたのは1987年以降なので、それより30年近いこの時点での鑑定は、耳の形、足型、頭の骨格測定という非常に不確定な検査〕。それで確実になります」。一方、父は、商工会議所の講座を、他の受講者と一緒に熱心に聞いている(3枚目の写真)〔こんな小さな町で、肉の卸売業者は一人いれば十分なので、父は別の大きな都市まで行って講座に参加した〕



ここで、場面は、父の店の前で洗車をしていたマックスに変わる〔車の床に横になり、ドアのステップを布で拭いている〕。すると、彼の憧れるミリが、店の前の自販機を使おうとする。マックスは。さっそく、その姿をじっと見ている。彼女はコインを入れ、欲しい品のレバーを引くが、品物が出て来ない。ミリは何度もレバーを引き、次にお金を戻そうとするが、それもできない。そこで、マックスの方を見て、「何とかしてよ」と言う(1枚目の写真)。マックスは、這うようにして車から出ると(2枚目の写真)〔如何に過酷な作業をさせられているかが、よく分かる〕、自販機をドンドンと叩いた後で、「これで、中に詰まって機械を止めてる1マルク〔1960年には1マルクで牛乳2リットルが買えた〕は、最後に使った君のものだってことが、証明されたんだ」。「私の1マルク、どうやったら戻ってくるの?」。「今から自販機を開けるよ」。マックスは店に入って行き、レジを開けて見るが自販機の鍵がない。そこで、2階まで走って自分の部屋に行き、貯金箱から1マルクコインを取り出して走って戻り、「特別顧客サービス。開けるより早いよ」と言って1マルクコインをミリに渡す(3枚目の写真、矢印)。コインを受け取り、ありがとうも言わずに立ち去るミリに向かって、マックスは、「自販機を開けたらまたおいでよ、そうすれば君の1マルクを返せるから。その時、僕の1マルクを返してくれればいい」と言うが、リカは、歩きながら振り返り、「私の1マルクなんて、あんたにあげるわよ」と言って立ち去る。



講座から戻って来た父は、洗車にアラがないかチェックし、「ホイールキャップを忘れてるぞ」と指摘する(1枚目の写真)。次に自販機を開けると、引っ掛かっていた1マルクコインをドライバーで落としてマックスに見せ、「これ、誰も文句を言わなかったのか?」と訊くと、「自業自得だ」と言い、溜っていたコインと一緒に回収し(2枚目の写真)、ポケットに入れる。説明する時間すら与えられなかったマックスは、1マルク損をする。次のシーンでは、両親がテーブルの上でコインを数えている。マックスがラジオを聴いていると、「被追放民の年次総会が本日、1960年9月1日、西ベルリンで開催されます」というニュースが流れる。両親は、ヴァルテラント(Wartheland)帝国大管区〔ナチスドイツのポーランド侵攻によって1939年から1945年まで存在したドイツ国の一部〕から逃げてきたので、「被追放民〔第二次世界大戦の終結に伴い、ポツダム会談などの決定に基づき、強制的に西へ移動させられは、東ヨーロッパに居住していた数百万人のドイツ人〕」に該当する。しかし、自らも該当する被追放民の年次総会のことを訊いた父は、「あんな総会など知ったことか。『負担均等法(Lastenausgleich)』〔難民、避難民、爆撃で家を失った人々に対し、給付金を支給し社会復帰支援を行う目的で1952年に制定された〕だと? 俺たちはここに辿り着いた時、何一つ持ってなかった」(3枚目の写真)「だが、あいつらのやってたことに関わるなんて真っ平だった。だから、すべて、俺一人で築き上げたんだ」。



母の方は、夫の目の前に同じ作業をしながら、こんな話は、全く耳に入っていない。いきなり、「遺伝生物学的な鑑定の申請を行なったわ。指紋以外にも、比較できるものはまだまだたくさんあるの」と口にする(1枚目の写真)。驚いた父が、「誰が言ったんだ?」。「ルドルフさんよ。私、息子を取り戻してみせる」。「なぜ俺にひと言も相談しなかったんだ?」。「息子を取り戻したいとは思わないの?」。「決まっているだろ。だが、勝手に決めるな。俺にまず聞け」。「あんた、卸売の仕事に追われてたじゃない」。「誰かが店を回さなきゃならんのだ」。「その金、どこから出す気?」。「銀行に行ってきた」。ここで、場面が変わり、マックスのナレーションが入る。「父はアーノルトのことで喧嘩になると、いつも決まって同じことをする。何か新しいものを買うんだ」。そして、TVは運び込まれる様子が映る(2枚目の写真)〔当時の全世帯に対する世帯普及率は約22〜25%〕。屋根の上に付けられたTVの画像は非常に不安定だったので、マックスが窓枠に座り(3枚目の写真)、TVの画面を見ながら、屋根の上の父にアンテナの向きを指示する〔先に紹介した、オランダ映画『Het Boek van Alle Dingen』(1961年が舞台)でも同じようなシーンがあった(①設置は業者でも微調整は毎日の仕事、②理由は弱くて不安定な当時のアナログ電波)〕



TVがようやくきれいに入るようになり、エレキギターで若者が踊っている。マックスが見ていると、伯母がさっそく、「何なの、その騒音?!」と文句を言い〔同居してる訳でもないのに、寂しいからいつも来てて、文句ばかり言う嫌な老女〕、飛んできた母がTVを消す。そして、立ち上がると、すぐ後ろにいたマックスに、「床屋に行きなさい」と命じる。「何?」。「今すぐ。あんたの写真が必要なの」。「何のため?」。「新しい鑑定のためよ」。「カメラマンがもう撮ったじゃない」。「後ろからの写真がいるの」。ここで、伯母が、「そのぼさぼさ頭、長すぎる」と口を出す。「僕、床屋なんか行かない」。「兄さんのためよ。床屋へ行って」(1枚目の写真)。そう言うと、先日の伯母からの文句を受けて、「それから、道路で自分に話しかけるなんて真似、するんじゃないよ」と命じる〔この母には、マックスに対する愛情など一切ない〕。ここで、場面は床屋に変わる。イスに座ったマックスは、主人に向かって、「あまり短くしないで」と言うが、主人は 「お母さんから、耳がはっきり見えるようにって聞いてる」と拒否。「片方だけにして」と頼んでも、「左右でバラバラには切れん」と断られる。結局、顔の側面が極端に短くなって終了。マックスは、母からもらったお金を渡す(2枚目の写真、矢印は次にカットするマックスの友人)。マックスは、友人のカットが終わるまで待っていて、写真屋に行き、自分の代りに友人の “後ろからの写真” を撮ってもらう(3枚目の写真、矢印の服からマックスでないと分かる)。2人は写真屋の外で少し話す。友人:「もしバレたらどうするんだ?」。マックス:「バレやしないよ」。そう言うと、お礼に、ナイフを取り出し、「僕のポケットナイフ、あげる」と言って渡す(4枚目の写真、矢印)。友人:「君、なんで兄貴、欲しくないんだ?」。マックス:「うちじゃ、すべてが 兄を中心に回ってるんだ。兄がホントに戻ってきたら、もっとひどくなる」。




家に帰ったマックスは、写真を母に渡す。母は、その写真を手に持つと(1枚目の写真)、「これで、あの子を返してもらうわ」と言いながら、書類と一緒に封筒に入れる。マックスは、「どうして自分の子供を失くしたの?」と訊く。母が話すのをためらったので、代わりに父が説明する。「1945年の逃避行だ。家からは何も持ち出せなかった。何一つ。少しでも早く逃げるためにな」。父が「何一つ」と言ったので、母は 「アーノルトだけ。一晩中、腕に抱いていたわ」と、一番重要な点を訂正する(2枚目の写真)。父:「ロシア軍との距離は離せたと思ってたんだが… 突然、奴らが目の前に現れた。3-40人ものロシア兵だ」。マックス:「それで?」。母:「ロシア兵が、父さんの胸に銃を突きつけたから、私もついて行かざるを得なくなったの。隣にいた女性の腕の中に、アーノルトを押し付けるのが精いっぱいだった」。マックス:「なぜ?」。母は、それには答えず、「アーノルトの名前さえ、彼女に言えなかった」と言う。父:「女性の顔は見えなかった。布で覆っていたんだ」。マックス:「どうして?」。父:「女性たちは皆、顔を布で覆っていた。特に若い女はな」(3枚目の写真)「若い女だと見抜かれないようにするためだ。だが、あまり役に立たんかった。ロシア兵は布の策略をすぐに見破った」。マックス:「どんな策略?」。父:「どうでもいい。うまくいかなかったんだ」。ここで、マックスは極めて重要な質問を、それと気付かずにする。「ロシア兵は、母さんに何をしたの?」〔映画での言及はないが原作によればレイプ/ただし、1946年に生まれていれば1960年には14歳なので、マックスはロシア兵の子ではない〕。話がヤバくなったので、父は、「郵便局に行ってくる」と、話をすり替える。マックス:「その写真で何するの?」。父:「照合だ。そうすりゃ、彼が俺たちの息子だと分かる」。



翌日、マックスと友達は、髪の毛が短か過ぎるので、ニット帽を被って学校に行く。それに目を付けたヴァルターは、マックスの教室の手前でニット帽をむしり取ると、「ブラシュケ、その頭、芝刈り機にでも突っ込んだのか?」と笑ってバカにする。怒ったマックスは、「この野郎、よく聞け、おまえたちの方がタフかもしれないけど、頭は空っぽ、ただのガラクタだ!」と怒鳴る。怒ったヴァルターは、顔に1発、腹に1発パンチを喰らわせ、マックスは痛くて床にお腹を押さえて倒れ込む(1枚目の写真)。それを見たミリは、「あんなマズいこと言っちゃうなんて、バカじゃないの?」と、同情すらしてくれない。別の日、父は巻き尺を持ってあちこち測っている。そして、「この家をリフォームする。何もかも新しくする」と言う。一方、母は毛糸のセーターを編んでいる。セーターは胴体の部分が完成に近づいていて、「マックス、こっちに来て。背を向けて」と言い、セーターをマックスの背中に当てると、「もう少し長くしなきゃ」と言う(2枚目の写真)。マックスは、母が自分のためにセーターを編んでくれているという “あり得ない希望” を抱き、「どうして? もう十分長いよ」と言ってしまう。母は 「アーノルトはあんたより背が高いから」と、希望を打ち砕く。その後に父が母に放った言葉が、マックスをさらなる悲嘆に追いやる。「中庭の壁や古いものを全部取り壊せば、もっとスペースができるだろう」。マックスは 「僕の鳩小屋? 壊しちゃダメだよ」と言うが(3枚目の写真)、父は完全に無視し、「そこに、鋼鉄の梁を取り付けるんだ」と続ける。母:「何のため?」。「冷蔵倉庫用だ」。「どうして?」。「卸売をやるには冷蔵倉庫が必要だ。中はすべて取り壊す」。その日の夕方になり、マックスは鳩小屋に行くと、悲しそうに、餌を食べる鳩たちを眺めている(4枚目の写真)。




次のシーンは、しばらく後、クリアスマの直前に母が警察を訪れる。ルドルフは、笑顔で 「お立ち寄りいただき、ありがとう。何かお手伝いできることでも?」と訊く。「息子へのプレゼントがあるの。孤児院にいる私の息子に」。「鑑定の結果はもう出ましたか?」。「いいえ。でも、クリスマスなんだから。彼に会ってはいけないのは分かってるわ。でも、小さなプレゼントくらいならいいでしょ?」。「孤児院の住所は教えることができません。その小包は私が代わりに送ってあげましょう」(1枚目の写真)「中に手紙は入っていないでしょうね?」。「いいえ。『メリークリスマス』と書かれた小さなカードだけです」。「それなら、規則に反していないでしょう。私が郵便局まで持っていきます」。一方、自宅では、クリスマスツリーの前に置かれた、たった1つの包みを開けると、出て来たのは毛糸の靴下。それを見たマックスのナレーション:「アーノルトのセーターの余り糸があったに違いない」(2枚目の写真)。指紋の鑑定で「親子関係の成立は可能であるが、それを肯定的に裏付ける蓋然性は高くない」と判断された孤児には、立派なセーターを贈り、小さな子供の頃から無視し続けて来たマックスには余った毛糸で編んだ靴下を贈る。あまりに悲劇的なところが、他の映画では見られないユニークさだし、それが実話に基づいている点は、とても怖い。父が妻に贈ったプレゼントは、レコードプレイヤー。それを見たマックスのナレーションは、「そして、父はまた何か特別なことを思いついた」(3枚目の写真、矢印)。父は、「レコードも1枚買った」と言って、妻に見せる。



次は、父が業者を呼んで、自宅以外の、鳩小屋を含む雑多な構造物をすべて壊す場面(1枚目の写真)。雨の降る日、マックスは、悲しそうにそれを見ている(2枚目の写真)。そして、出来上がった冷蔵倉庫に通じる通路の入口には、「肉とソーセージ L.ブラシュケ 卸売業者」〔L.は父の名Ludwigのイニシャル〕』と書かれた大きな看板が付けられている(3枚目の写真)。前に停まっている2台の車にも、同じことが書かれている。1軒の小売店から、ここまでの拡大には、相当の費用が投入されたであろうが、恐らく、かなりの部分は(銀行からの借り入れもあるが)これまでに貯めた自己資金らしきことが後になって分かる。



音楽の授業。教室には、ロックンロールが流れている。教師は、「ロックンロールは、もっぱら偶数拍子〔強・弱・中強・弱の繰り返し〕と単純な和声法〔主要三和音〕しか用いない。原始的、と言ってもいいかもしれん。そう、まさに原始的なんだ。他に何と呼べばいい? 3つほどのコードに過ぎないものが、絶えず繰り返される。そして、それが目立たないよう、できるだけ大音量で演奏するんだ」と軽蔑するように説明する。そして、それまでかけていた、シングル盤のレコードをプレイヤーから取り上げると、2つに折る(1枚目の写真、矢印)。マックスは、前の席のミリに、「僕んちにレコードプレイヤーが入ったんだ。音楽が聴けるよ。どう?」と囁く(2枚目の写真)。教師は、別のレコードを取り出すと、「一時(いっとき)の流行じゃない、これは100年も愛され続けている音楽なんだ」と言い、フランツ・シューベルトの歌曲集『美しき水車小屋の娘』を掛けて、恍惚感にひたる。ミリは、後ろを見て、マックスに 「ウチにもラジオはあるわ。あたしんちに来て」と囁く(3枚目の写真)。



ミリの家に行くと、彼女は4人の弟と妹の世話に追われていた(1枚目の写真)。マックスがドアを開けて、「今日は」と言うと、ミリは、「やっと来た。それ、かき混ぜくれる?」と言い、ミリの母は、「じゃあミリ、しっかりね」と言って、出かけてしまう。そのあとで、ミリは、ようやく、「やあ、マックス」と声をかける。そして、4人の子供たちの皿に簡単なスープを乱暴に注ぐと、マックスに向かって、「このチビたち、少し見ててくれる? あたし、ちょっと出かけなきゃ。ラジオそこにあるわよ」と言って、さっさと出て行く。マックスは子供たちの世話を始めるが、なぜこんなことになったかを知るため、逃げ出し、こっそりミリの後を追う。すると、事もあろうに、ミリを待っていたのは、あの憎きヴァルターだった(2枚目の写真)。彼は、マックスの姿を見つけると、ニヤっと笑って手を振る。ミリもそれに気付く。マックスは仕方なく、ミリの家に戻る。そこは一種の戦場と化していた。ミリがデートから戻ってくると、家の中から音楽が聞こえる。何かと思って窓から覗くと、マックスがテニスのラケットをエレキギターのように使い、ラジオのロックミュージックに合わせて踊り、いつもはやんちゃで、ミリに世話ばかりかけている子供たちも楽しそうに踊っている(3枚目の写真、矢印はマックス)。それを見ていたミリは笑顔になる。ミリの貧しい家は、町とは離れた雑草と大木の野原にあるが、そこを歩きながら、ミリはマックスに「なんで あんな上手にチビどもを扱えるの? あんた、兄弟なんかいないのに」と訊く。「あのね、もしかしたら、いるかもしれないんだ」。「もしかしたら、って?」。「兄が一人。もしかしたらね。僕、ずっと死んだと思ってた。でも、生きてるかもしれないんだ」。「そんなの初めて聞いたわ」。「僕だって。ついさっき、聞かされたんだ」(4枚目の写真)「毎週の日曜の遠出が なんだか変なのは、兄のせいだったんだ」。「あたしも、父さんがいない。戻ってこないと思う。だから母さん、いつは働き通しなんだ」。「また子供たちの面倒、見てあげようか。喜んで やるから」。それを聞いたミリは、笑顔でマックスを見る。




卸売業者としての開業の日。朝から、父はマックスに手伝わせて “肉の小売店の店主から、卸売業に大躍進する” パーティの準備に忙しい。伯母のヒルデは、そんなことには全く無関心で、大好きな聖書を読み上げている。「明日のことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたには分からないのだから〔旧約聖書の箴言の27章1節〕。ヒルデの意地悪はそれだけではない。「こんなに客を呼んでおいて、家族は招待もしないなんて」と文句を言い、「あんたたち、あたしが引き取ってあげなかったら、今ごろどこでどうなっていたことか」と、昔のことも持ち出す(実に嫌な性格)。父は、「もちろん、招待してますよ」と言う。そこに、警官のルドルフが来て、「画像比較の結果が出ました」と言う。マックスは、さっそく近くのテーブルに移る。母:「なんて書いてありました?」(1枚目の写真)。ルドルフ:「中は見ていません」。封筒を受け取った母は父に、「あなたが開けて」と言って渡す。父が読み上げる、「写真による比較が困難であったのは、当該写真において、幼児の年齢不変的部位である耳の周辺部が隠れていたためである」。父は、「ああ、写真のアーノルトは帽子を被っていたからな」と母に言う。母は、自分が批判されたかのように、「防寒のためだから仕方ないでしょ。検査のために撮ったわけじゃあるまいし」と過剰反応を示す。ここで、嫌な伯母のヒルデが「あの時、あんたがちゃんと子供を見てたら、こんなことにならずに済んだのに」と口を出す。母:「先を読んで」。父:「弟マックスの耳と当該孤児の耳には類似性が認められる」。それを聞いてマックスはがっかりする〔友達に頼んで、代わりに写真を撮ってもらったのに、逆の結果になってしまった〕。「しかし、ブラシケ夫妻の耳と当該孤児の耳の間には、いかなる類似性も認められない。当該孤児の耳は、耳介の巻き込み〔耳介の縁が内側に巻く程度の強さ〕の程度がより強い。いくつかの共通点はあるものの、特筆すべき家族的類似性が存在するとまでは断定できない。遺伝生物学的な観点に立てば、アーノルトという子と、当該孤児2307号との同一性は極めて蓋然性が低い」。結果的に、願い通りだったので、マックスはホッとする(2枚目の写真)。その時、会場に、客の第一号が入って来る。父は、鑑定結果など放っておいて、挨拶に行くと、客の奥さんに、「奥様、申し訳ありませんが、私には冷蔵倉庫しかありません。舞踏会場の方が、あなたの美しさに相応しいでしょうに」とおべっかを使う。それを聞いたヒルデは、「時には諦めることも必要ね。私の彼も戻ってこなかった。待たずに、別の道を進めばよかった」と、弟の成功を羨む。しかし、パーティを邪魔したのは、ヒルデではなく母だった。鑑定結果が気に入らない母は、「これからどうすればいいの?」と夫に訊く。「お祝いだ。お客がいらしてる。後で話そう」。しかし、不機嫌な顔を変えない母は、「いいえ、今よ!」と大きな声で反論し、父は「静かにせんか。卸売業として成功するためには、この人たちが必要なんだ。もし失敗すれば、俺たちはまたすべてを失うことになるんだぞ」と小声で叱る。そして、パーティが盛大に始まる。父は、テーブルに座ると、前や後ろの客に向かって、「小売業者の悩みはよく分かります」(3枚目の写真)「客は幅広い品揃えを望むものです。しかし、その分、肉を台無しにしてしまう可能性も高くなります。私は、自分がかつてあなたたちと同じ立場だったことを忘れてはいません。だから、小口の注文でも引き受けます。私の肉はとびきり新鮮で、食肉処理場から直送したばかりです。今、ちょうど美味しそうな豚の頭が食べられますよ。脂の乗りも申し分ありません」、と宣伝に大わらわ。母は相変わらず不機嫌なままで、誰とも話し合おうとしない。主催者の妻としては最低だ。食事が終わると、父はマックスにレコードをかけるよう指示する。そして、ダンスが始まる。母は嫌々ダンスを始めるが、途中から相手がルドルフになり、2人は会場から外に出て行く(4枚目の写真)。それに気付いた父は、2人を追って行き、「エリザベス、中に戻らんのか?」と尋ねる(5枚目の写真)。返事はない。「さあ、来てくれ。俺は、戻らんといかん」。まだ返事はない。ルドルフが、「私は帰ります。招待いただき、どうもありがとう」と父に言うと、母は「お願い、もう少しいて下さい」と止める。父は、「もしよろしければ、少しの間、私の妻の面倒を見ていただけませんか」とルドルフに頼んで、会場に戻る。





ある日、マックスがラジオを聴いていると、ヒルデは、「悪魔の仕業だよ。こんな音楽は悪魔の仕業だよ」とブツブツ。そこに父が帰宅し、ラジオを消すと、「びっくりするぞ」と言うと、クラッチバッグから10センチはありそうな100マルク札の束を取り出して、テーブルの上に置き、「オペル・カピテーンを買うぞ」と言う(1枚目の写真)〔当時の販売価格は10250マルク≒当時の約90万円、当時の日本の大卒初任給は約16000円なので4~5年分〕。すぐに伯母が、「新しい車なんて何に使うんだい?」と文句。「乗るためだ」。母は 「車、故障でもしたの?」と訊く。「いや、ちゃんと走る。オリンピアもいい車だが、新しいカピテーンは…」と言うと、パンフレットを見せ、「これがカピテーン2.6Pだ。2.6リッターエンジンに90馬力、6気筒。最高時速は160キロ出る。この『P』は、パノラマ窓〔フロントやリアに曲面ガラスを使用/昔の車は平面ガラスだった〕の意味なんだ」。母は 「車なんかいらない、子供が欲しい」と言う。伯母が、「もっと子供に気を配るべきだったんだよ」と、パーティーの時の非難をくり返したので、父は「黙ってろよ」と強く制止する。伯母:「なんて言い方をするんだい」。「黙ってろ。彼がまだ生きてるだけで、ありがたいことなんだ」。伯母が何か言い返そうとすると、父は 「黙れ!」と一喝する。母は 「車なんかいらない、子供が欲しい」と同じ言葉をくり返すと、いきなり立ち上がり、父が置いた1万マルクの分厚い札束を掴むと、キッチンの石炭コンロの蓋を開け、中にある灼熱した石炭の中に押し込む(2枚目の写真)〔一度に入らないので、分けて入れる〕。札束はすぐに燃え上がる。父は、平火箸で、必死になって燃えるお札を次々と外に救い出す。次のシーンでは、燃えたお札を入れた箱の前で、父とマックスが燃えた札から真っ黒な部分を取り除く作業をしている(3枚目の写真)。マックスは、「これ無理でしょ?」と言って、分分ほど燃えた札を父に見せる。父は「いや、いける。ここに線が確認できるし、これは1だ。間違いなく100マルク札だ」と言う〔「半分以上」の原則: 紙幣の表面積の半分以上が残っている場合、その紙幣は額面通りに交換される〕。次に、マックスは、マックスは、2枚の燃えた札片を並べて1枚目の札として見せ、「こっちは同じ札の一部かもしれないね」と言う。しかし、黒く燃えた部分が一部重なっているので、父は 「ダメだ。これは別々の2枚の札だ。銀行には2枚分弁償させる」と言う。そして、最後に、「お前は懸命に努力している。だが、最後には投じた努力以上の結果を出さなきゃならん。そうなれば成功だ。単純な話だろう?」と教訓を伝授する。



燃えたお札の処理が終わると、マックスが父に質問する。「父さん、よく分からないんだけど。アーノルトを見つけるために、いっぱい努力してきたんでしょ」(1枚目の写真)「なのに、何も成果も得られていないじゃない」。父が何と答えたかは分からないが、この質問は、恒例の日曜のビスマルク塔行きに大きな影響を与える。散歩の途中で、父は、マックスの質問を踏まえて、母を説得しようとする。「なあ、エリザベス。よく考えたんだが、この鑑定書の件は、もうこれくらにしょう」(2枚目の写真)「俺たちは事業のことを考えんといかん。成功するには努力しないと。そもそも、鑑定結果が出ても、何も確定できていないだろ。あいつらは、もう2回も、俺たちの息子じゃないと判定したんだ。もうこんなことはやめないと。時間の無駄だ。収益を上げないといかん。借入金の返済が大変なんだ」。それを聞いた母は、怒って帰ってしまう。結局、父とマックスだけで塔に向かう。父とマックスの2人だけで、オペル・オリンピアに乗って帰宅すると、お邪魔虫のヒルデ伯母が、「聖なる日曜日にどこに行ってたの?」と訊く〔この台詞(その後も)は、明らかに脚本のミス。日曜の一家の恒例行事を、いつも押しかけてくる伯母が知らない訳がない〕。父は、「今日はジョセファ。ビスマルク塔までハイキングしてたのさ」と答える。「何のために?」。マックスが、「ハイキングなんて、気まぐれでやるものだよ」と適当にごまかす。「気まぐれ?」。「そうだよ、伯母さん」(3枚目の写真)。「お母さんは、どこなの?」。この質問で、場面は、ルドルフの自宅の部屋に切り替わる。レコードがかけられている。すると、母は、「あなたがこれほどの音楽好きだなんて、知りませんでした」と言う。「オペレッタ〔語りとダンスの交差した喜歌劇〕が大好きなんです。時々、アメリカの現代音楽も聴きます。シュトライヒヴルストブロート〔ペースト状のソーセージをスライスしたパンに塗ったドイツの伝統的な軽食〕、もう一ついかがですか?」。「いいえ、結構です」。「では、片付けますね」(4枚目の写真)。状況から、夫に失望した、“アーノルトにことしか考えない” 母が、これまで2回、鑑定に関わってくれたルドルフに救いを求めて署ではなく(日曜なので)家まで押し掛けたことが分かる。ルドルフの経歴〔未婚か、男やもめなのか〕は不明だが、彼がエリザベスに好意を持って接してきたことは確か。




その日、夕食の時間になっても母が帰って来ないので、仕方なく父が簡単な夕食のシュトラマー・マックス〔ライ麦パンの上にハムと目玉焼きを乗せたオープンサンドイッチ〕を作って、マックスと一緒に食べている(1枚目の写真)。父が、パンの耳を切らなかったので、マックスが目玉焼きをナイフとフォークで持ち上げて不満を示すと、「自分で耳を切るんだ」と言う。一方、ルドルフの家では、2人はワインを飲んでいる(2枚目の写真)。エリザベスは、「お伺いしたいのですが、今夜、あなたの家に泊まらせてもらえますか?」と、異常なことを訊く。常識的な人間のルドルフは、「喜んであなたを泊めてあげたいのですが… でも、もう家に帰られた方がいいと思います。ずいぶんと夜も更けてしまいましたから」と丁寧に断る。しかし、エリザベスは 「でも、ワインをもう一一口くらい、いただいてもいいでしょう?」と笑顔で訊く。一方、父は、料理の後始末に苦労している。グリルパン〔美しい焼き目をつけるために底面に平行な数十本の低い突起のあるフライパン〕に油をひかずに生卵やハムを焼いたので、溝にこびりついた焦げ付きがどうしても取れない(3枚目の写真)。そこで、金たわしを探そうして、その名称を忘れたので、「おい、あの針金のモジャモジャ、どこにあるか知っとるか?」とマックスに訊く。洗った皿を布で拭きながら、マックスは「ううん」と否定する。その時、1台の車が家の前で停まったので、マックスは「フォルクスワーゲン・ビートル」と言う。カメラは、車の中の母とルドルフを映す(4枚目の写真)。家に入って来た妻に、父は、「目玉焼きを作ったんだが、焦げ付いちまった。あの針金のモジャモジャはどこにあるんだ?」と、怒りを抑えて訊く。「流しの下よ」。「お前の分のシュトラマー・マックス、あるぞ」。「もう食べてきたわ」。




ミリの家の近くの野原で、マックスは 「僕たちで子供たちの面倒を見てみてみない? つまり、一緒にってことだよ」と声をかける。ミリは、「金曜の放課後」と笑顔で言う(1枚目の写真)。そのあと、マックシは家に向かって走り、原作に似たナレーションが入る。「僕は、どんな車でも、エンジンの音で車種が分かった。でも、このエンジンは分からなかった」。マックスが家に着くと、そこには新しい車が父と一緒にでんと構えていた〔ビートルが大衆車で、オリンピアが中流階級用なら、カピテーンは富裕層向き〕。「オペル・カピテーンだった。親父は自分で自分を、艦長(カピテーン)に昇進させたんだ」。そこにやって来た母が不満に 「本当に買っちゃったのね」と言う。父は、トランクを開けて「見てみろ。荷物ならいくらでも入るぞ」と誇らしげに言う。「何を入れるつもり?」。「俺たちの荷物さ」。「どこへ行くっていうの?」。「ハイデルベルクだ」(2枚目の写真)「リーブシュテット教授を訪ねる。その道の最高権威だ。教授が俺たち家族3人を検査して、その… ええと… さらに詳細な、『人類学・遺伝生物学的血統鑑定書』を作成してくれることになった。そうすれば、ようやくあの子をうちに迎えられる」。それを聞いた母、笑顔で父に抱き着き、「いつ出発するの?」と訊く。「今週の金曜だ」〔こんな言い方をさせた脚本は間違っている。「何と、明日なんだ」とでも言うべき。なぜなら、この日が木曜日でなかったら、マックスは翌日学校に行き、ミリに金曜の約束がダメになったと謝れるのに、実際には、ハイデルベルクから帰った後に謝っているから〕。マックスは、「金曜?」と訊くが、父は、無視して、「運良く予約の空きが出たんだ」と言い、母と一緒に去って行く。マックスが 「金曜は無理だよ」と言っても、誰も聞いていない。車の来たのが何曜かは分からないが、木曜の夜、マックスはワイヤーカッターを手に、オペル・カピテーンの車体の下に入って行く。「アーノルトのせいでミリとの約束が台無しにされるなんて、あんまりだ。僕は取扱説明書を調べておいた。ガソリンがなけりゃ、あのカピテーンだってハイデルベルクには行けないからな」(3枚目の写真、矢印の黒いものがワイヤーカッター)。



父は、冷蔵倉庫に厳重に鍵を掛ける(1枚目の写真、矢印)〔このシーンは、原作にもあるのだが、原作者の完全な “ごまかし”。1960年の時点では、冷蔵倉庫の扉のように貴重なものを収納する場合、プロファイルシリンダーやピンタンブラー錠が使われ、その費用は100マルクくらいだった。1万マルクの高級車が買えるのに、大事な倉庫の鍵に南京錠を使うとは信じ難い。そもそも、すべての設計を専門の業者に発注しているので、業者は、盗難防止用に、最初からプロファイルシリンダーかピンタンブラー錠を使うことを前提にしているはず。なのに、そのような常識的な行為がされずに、父が南京錠を掛けているのは、南京錠でないと、一家がハイデルベルクに行っている間に、ヴァルターのような不良によって簡単に破られるという状況が起こり得ないからという “創作上の必然性” から作られた欺瞞〕。次のシーンでは、車に乗ったマックスのナレーションが流れる。「生まれて初めて車酔いしなかった。僕が何を切断したのか、その結果どうなるんだろうかと考えるのに忙し過ぎたから。でも結局何も起きなかった」。そして、ハイデルベルクの街(2枚目の写真)。参考までに、3枚目は私が撮った、ハイデルベルク城から逆方向に見下ろした写真。法医学人類学研究所では3人の足型が採取される(4枚目の写真)〔映画では足型をしっくいで取る場面しかないが、結果の説明では、足紋の分析結果が主体となっている(指紋と同様に、足紋の方が、足型より多くのデータが得られると当時は考えられていた)〕




次のシーンでは、研究所の教授〔原作では男爵〕が、マックスの頬に骨盤計を当て、顎角の幅の測定する(1枚目の写真)〔顎角の幅は、遺伝率の高い多遺伝子形質と考えられていた〕。教授は、「顎角の幅の相対的な大きさが決定的な要素となる場合があります。顎角の幅が同じであれば、額の幅、頬骨の幅、耳の幅も非常に多くの場合同じです」と説明する。そして、足型についての分析結果をみながら(2枚目の写真)、次のように説明する。「足の比較判定結果は非常に有望です。ただし、母親の上部には、尖化し、著しく外側に流れる中足紋〔足の裏の中央付近の隆線パターン〕が認められます。一方で、父親の母趾球〔足の裏の親指の付け根〕には、大円盤状の渦状紋核〔渦巻き型の紋様〕が確認できます。孤児2307号についても、同様に大円盤状の渦状紋核が存在します。両親にはいずれも三叉〔皮膚の隆線が3つの方向から合流している分岐点〕が認められます。これに対し、実子には三叉が認められません。そして、捨て子2307号にも同様に三叉は認められません」〔要約すると→→孤児2307号は父親の決定的な特徴(渦巻き)を持っているため、両親の遺伝子を強く引いているように見える。しかし、三叉がないという矛盾点においては、実子マックスと孤児2307号は全く同じ状態である〕。マックスは、「もし、あの捨て子が両親に似ていなくて、僕に似ているんだとしたら… それって、僕も両親の子供じゃないってことなのですか?」と質問する。教授は、「それは、この本調査の対象外だよ」と答える。父が「先生、それは一体どういう意味ですか?」と訊くと、「これまでのところ、足の比較を行ったに過ぎません。顔貌および体格的特徴の比較はまだこれからの段階です。現時点では、孤児との血縁関係は決して排除できない、と言うに留めておきます」と答える。この時、マックスが、首が急に痒くなったのでゴスゴシ擦り始める〔「僕は両親の子じゃない」という極度の不安(精神的ストレス)から出たアレルギー反応〕。それを見た教授は興奮し〔強烈なアレルギー反応が目の前で起きたので〕、赤黒くなった皮膚を見ると、「それにしても、このように突如として現れた見事な湿疹は、私も滅多に見たことがない。素晴らしい! 見事に特徴が出ている!」と感激する。それを聞いた母は、何を勘違いしたのか、「私はずっと分かっていました、あの子が私たちの息子だって」と言うと、教授は、タバコを取り出しながら、「私は『排除できない』と言ったのですよ」(3枚目の写真)「足の調査だけで血縁関係を導き出すことなどできません。いわば、引き分けですな」と言う。



3人が研究所から出て来ると、正面の道路に停めておいたハズの車がないのでびっくりする(1枚目に写真)。車を停めておいた場所まで行き、車を探して坂の下を見てみると、下の方に真っ赤な自分の車が見えたので、父は走って行く。車は、車道の先にある、急斜面の “公園内の階段” の上に斜めに横たわっていた(2枚目の写真)。車を引き上げたり、車が坂を下りていった原因を調べて修理するために、一家はホテルに宿泊する。ケチな父は、1部屋しか借りなかったので、マックスは、両親のセミダブルベッドの横にマットレスを敷いて横になる。「アーノルトのせいで、僕たち、ハイデルベルクで一泊しないといけなかった。そりゃ、アーノルトがサイドブレーキのワイヤーを切断したわけじゃない。だけど、そうなった原因は彼にあったから」(3枚目の写真)。



翌日、車を運転しながら、父はブツブツ文句を言う。「『引き分けですな』。『いわば、引き分けですな』だと! あの偉ぶったクソ教授め! 何もかも、時間の無駄だった」。ここで、母が教授を擁護する。「今のところ、足の分析が終わっただけなのよ」。しかし、父は、そんな言葉など耳に入らず、文句の声が大きくなる。「時間と金の無駄だった!! 結局何も分からなかったじゃないか、あの理屈だけの象牙の塔が!!」。そして、息をするのが苦しくなったように、ネクタイを緩めて、ハーハーと息を付く。母は 「どうしたの?」と訊き、心配そうに父の肩に手を当てる(1枚目の写真)。心配そうなマックスの顔が映り、「運転、続けてくれるか?」という父の声が聞こえる。次のシーンでは、初めて運転する大型の高級車を、母がハンドルにしがみついて必死に運転している。運転を変わるためには、一旦車を停めて、席を変わらなければならない。その際、運転を代わった母は、ギアを何度も入れ直さないといけないのだが、慣れていないので、父が「ギアチャンジして」と指示する。しかし、なかなかチェンジできないので、前方不注意となり、前から走って来たビートルと衝突しそうになり(2枚目の写真)、マックスは怖くなる(3枚目の写真)。



家に戻ると、卸売業のために新しく作った建物の入口が開いている(1枚目の写真、矢印)。真っ青になった父が、中に入って行くと、その奥にある冷蔵倉庫のドアも開いている。中の照明を点けてみると、肉は盗まれていないが、腐り始めている(2枚目の写真)。父は、「侵入された。昨日から開いていたに違いない」と言うと、そのまま、床に崩れ落ちるように床にしゃがみ込むと、「肉はすべて腐っちまった」と言い、急に息が荒くなる。母は、父の前に座り込んで、心配そうに 「ルートウィヒ」声をかけ、マックスは、それを呆然と見ている(3枚目の写真)〔翌日帰ることになったのは、彼のせいなので〕。早速呼ばれた医師は、「脳貧血を起こしています〔後で、誤診だと分かる〕。ベッドで休ませてください」と母に言う。



マックスと母が、冷蔵室内のソーセージの臭いを嗅ぎ、腐っているかどうか確かめる(1枚目の写真)〔全部 腐っている〕。すると、寝ていなくてはいけないハズの父が、冷蔵庫室の入口に現われ、「保険が有効になるのは来月の1日からだ。先に延ばしてしまった。保険はかかっていない。何年もあいつら(保険会社)に大金を貢いできたのに、今回ちょっとケチろうとした途端にこれだ!」と言うと(2枚目の写真)、言い終わった途端、その場に倒れて気を失う。早速救急車が呼ばれ、父は担架に乗せられて中に入れられる(3枚目の写真)。母は、ルドルフに、「義姉(ヒルデ)に電話してもらえません? マックスの世話をしてもらわないと」と頼むと、救急車に乗り込む。それを耳にしたマックスは、ヒルデだけは御免被りたいので、「ルドルフさん。お願い。伯母さんに連絡するのだけは、どうか避けてくれない?」と頼む。



次のシーンは、ルドルフの家での夕食。「で、味はどう?」。「はい。料理が上手ですね」。「まあ。バターを絡めただけのパスタくらいなら。今日はとんだ災難な一日だったね?」。「泥棒、捕まえられそうですか?」(1枚目の写真)。「指紋は見つかったよ。だが、もしかしたら君の両親か、君自身の指紋かもしれないな」。しばらくすると、ルドルフは立ち上がり、「よし、私はそろそろ仕事に行くよ。お母さんもきっと、もうすぐここへ迎えにくるはずだ。一人で留守番は大丈夫そうか?」。「行ってらっしゃい、ルドルフさん」(2枚目の写真)。ルドルフは、1人で置いておくのが可哀想になり、「なあ、マックス。泥棒を捕まえるのは、もう少し後でもいいんだ。私はしばらくここで君の話し相手になるよ。君が良ければだが」。その夜、ベッドで眠っていたマックスを、家に戻って来たルドルフが起こす。「マックス。君のお父さん、心臓発作を起こしたんだ。お亡くなりになったよ」(3枚目の写真)。



父の葬儀のシーン(1枚目の写真)。牧師の言葉はカットする。そのあと開かれた茶話会で、ヒルデはマックスを見つけると(2枚目の写真)、「ほら。聖書を読みなさい」と言って、マックスの前に聖書を置く。「僕は良い息子になって、父の喪に服したいと思った。だけど、その本はとても厚くて、どこから読み始めればいいのか分からなかった。僕は『死』という言葉を探した。『死』のついた言葉の、長いリストがあった〔索引を見ている〕。死者の国、死の克服、永遠の死。僕が一番興味を惹かれたのは、死海だった」。茶話会の最後のシーンは、ルドルフとマックスが窓の外の狭い通路でボールを蹴って遊んでいる場面(3枚目の写真)〔このシーンからは、ルドルフの純粋な優しさと、マックスの “僕なんかどうでも良かった父” への非愛着感が伝わってくる〕



家の前の通りで、マックスとミリが話している。「この前の金曜日はごめん。すごく行きたかったんだけど、どうしても遠くへ行かなきゃならなくて」。「いいよ。気にしないで。誰かが亡くなった時って、きっと変な気分になるでしょうね」。ミリの目線の先には、ヴァルターとその仲間2人がいた(1枚目の写真)。マックスは、あいつらが犯人だと思う(2枚目の写真)〔冷蔵倉庫が開かれ、父がショック死した責任の一端がマックスにある可能性も否定できない。ヴァルターの動機の可能性1は、急激な事業の拡大を成し遂げたマックスの父に対する、貧しい世帯の子から見た嫉妬、可能性2は、ヴァルターの彼女だったミリを、マックスが奪いつつあることへの復讐〕。マックスが。ラジオの音楽を聴きながら宿題をやっていると、勝手口のドアが開いてルドルフが入って来る。そして、「なあ、ソーセージ泥棒は、君の学校の連中かもしれないという情報が入ってな。何か知っているかい?」と訊く(3枚目の写真)。当然、アックスは何も言わない。ナレーション:「ソーセージ泥棒が誰なのか、僕にはだいたい見当がついていた。だけど、それは僕だけの秘密にしておいた」。そこに、母が現われる。ルドルフは、「いきなり押しかけてすみません。ドアが開いていて、音楽が聞こえたので。レコードを持ってきたのです。『微笑みの国』を。少しでも、笑顔になってもらえればと思って」」と言い、母は 「お心遣い、ありがとう」と、笑顔を見せる。



リープシュテット教授からの最終報告がルドルフの元に届いたので、ビートルに乗ってマックスの母に届けにくる(1枚目の写真)。そして、報告書の前半の「鼻の形などの見た目」について分析した結果を読み上げる。「夫婦および嫡出子においては、鼻背〔鼻の付け根から鼻先まで〕の形状が明らかに凸型を呈しているのに対し、当該孤児においては明らかに凹型を呈している」(2枚目の写真)「ただし、鼻背の長さに関しては、いずれの例においても比較的長いという特徴が見られる。鼻翼基部〔顔に接している膨らみ部分〕の湾曲は、妻および当該孤児においては中程度であり、鼻尖〔鼻の先端〕は比較的尖っている。一方、夫および実子においては、鼻翼基部の湾曲は極めて強く、鼻尖は下方へ傾斜している」。そして、「最終的総合鑑定: 当該孤児2307号が、申請者らの嫡出子である蓋然性は、やや低いから極めて低いと判定される」。それを読んだルドルフは 「あまり良くないですね」と言い、母は 「でも、悪くもないわ」と笑顔で言う。しかし、報告書はこれだけではない。ここからが、足紋、足型、顎角を含めた総合的な判断。「本主鑑定書を締めくくるこの一文〔さっきルドルフが読み上げた箇所〕は、私の最終的な専門的見解を示すものではない。当該見解は、むしろ添付の生物数学的追加鑑定書より導き出されるものである」。そして、「最終的結論: 99.73%以上という、確実性に限りなく近い確率をもって、申請者らは当該孤児2307号の親ではないと判定される」。これを聞いた母は、「あの子をもう一度奪われるなんて、絶対に嫌よ」と言う。「エリザベス、もう諦めないと。現実を受け入れるべきなのです」。「99.73%。じゃあ、残りの0.27%はどうなるの? あの孤児は、0.27%の確率で私の子かもしれないんでしょ? なら、たとえ0.27%しか似ていなくても、その子は紛れもなく私の子供よ」。「エリザベス、これで手続きはすべて終わりなのです。これ以上の追加鑑定を求める法的な権利は、あなたにはありません」。母は、それを聞くと、うつむいて悲しみ、それをルドルフが慰める(3枚目の写真)。今や、この2人は、母と元夫の時よりも、暖かい線で結ばれ始めている。



ルドルフか帰った後、マックスが伯母にコーヒーを入れていると、車の音が聞こえる。マックスは、すぐに、「メルセデス」と言い、窓の見ると、確かに、メルセデスが走って来て家の前で停まる。運転してきた男が降りる。次のシーンでは、マックスが母の寝室のドアをノックして開け、「母さん」と呼ぶが、母はさっきのショックで、目を開けたまま何も言わずにベッドに横になっている。マックスが、「お母さん、食肉処理場から、背広の人が来てるよ」と言うが(1枚目の写真)、母は出て行くどころか、一言もしゃべらない。マックスが仕方なく外に出て行くと、男は、「お母さんとちょっと話がしたいんだが」と言う。「母はいません」。「請求書の支払いが完了するまで商品の出荷・納品は停止するよ」。あわば危機的な状況に陥る寸前に、いつもは無関心で何もしない伯母が出てきて、強い調子て男に話しかける。「この人たちは戦争で全てを失ったのよ。そして今また、全てを失おうとしてる。キリスト教徒たるもの、手を差し伸べないと」(2枚目の写真)。「またあなたですか」〔男は、よく見る老女なのでヒルデの存在は知っているが、彼女は誰なのかは知らない〕。「亡くなったブラシュケ氏の姉ですよ。あなたの魂が救われますように」。それを聞いた男は、マックスに 「お母さんに、また来るって伝えておいて。その時に、支払期限を延長できないか、話し合いましょうと」言って、去って行く。マックスは、思わず 「やるじゃない、伯母さん」と言う。「彼は、請求書の支払いを延期してくれた。僕たち何とか切り抜けた。母は、父のオペル・カピテーンを売る決心がつかなかったけれど」。そして、その言葉通り、マックスが、母の代理で、書類に署名し(3枚目の写真)、冷蔵倉庫を閉めるが、中には肉が入っている。



マックスのナレーション:「ルドルフさんは、最近 僕たちの家をよく訪ねてくれる。『微笑みの国』の次は、『白馬亭にて』だった。そのあとルドルフさんはより大胆になり、アメリカの音楽まで持って来た」。母とルドルフの間に親密な空気が流れる中、母は新しい案を持ち出す。「私、アーノルトを養子にすればいいと思ったの。それならできるでしょ?」。「いいえ。孤児2307号の案件は終了しました」(1枚目の写真)「そして、ずっと前から出されていた養子縁組の申請が受理されたのです。あの男の子は、もう新しい両親に引き取られています」。これは、母にとって衝撃的な事実だった。しかし、それでもは母はすがり続ける。「あなたに一つお願いがあるの。あの子を一目見たいのよ」。「どういう意味ですか?」。「あなた、養父母の住所を知っているんでしょ?」。「それはできません。職務規定に反します」。「私が、こうして一生懸命お願いしても?」。マックスはこうしたやりとりを階段の上から聞いている(2枚目の写真)。「いいえ、無理です。それに、私はそれが良いことだとは思いません」。親密だった2人の間に冷たい空気が流れる。2人の話を聞いていて名案を思いついたマックスは、翌日以降に2枚のレコードを持って警察署に入って行く。そして、ルドルフにレコードを返す。ルドルフが、「元気か?」と訊くと、「いいよ」と答える。「もう会えないのは残念だ」〔よほど、エリザベスに嫌われた〕。「僕にために来てたんじゃないでしょ?」。その時、ルドルフが、別の部屋から呼ばれ、「ちょっと待ってて」と言っていなくなる。その間に、マックスはテーブルの上に置いてあった「孤児2307号の記録」を見て、その中に、「その少年は現在、ハインリヒ・ケーニヒス(Heinrich Königs)という名前で、レーベルク(Rehberg)のシューラー通り(Schürerstraße) 19に住んでいる」と記述を見つける(3枚目の写真、赤い下線の部分)。



ある日の夜、マックスはいつものようにテーブルで宿題をやっていると、車の音を察知し、「ビートル」と言う。そして、家の前に停まると、「ルドルフさんだ、間違いない」と母に言う。母は、「ルドルフさんがこんな遅い時間に訪ねてきた理由が分からないわ」と冷たく言う。「ルドルフさん、レコード持ってるよ」。「レコードは要らないと伝えて」。入口から僅かに中に入ったルドルフが、「やあ、マックス」と言うと、マックスは 「母が、レコードは要らないと言ってます」と伝える。ルドルフは、「これは、お母さん用じゃない、君のだ」と言って、シングル盤のレコードを渡す。マックスは、「エヴァリー・ブラザースなの!」と言って満面の笑顔になる(1枚目の写真)。そして、「ありがとう。一緒に聴かない?」と訊くと、ルドルフは、「君のお母さんは、私が家に入ってくるのを望んでないと思う」と言うと、「ほら、写真が届いたよ」と言って、封筒を渡す(2枚目の写真)。そして、「絶対返して欲しいやつだよね」と付け加える〔考えられる可能性は、友人の “後ろからの写真” を、自分の写真だと偽って送った時の物。そうだとしたら、ルドルフはそれがインチキだと知っていて黙認したことになる〕。母は、ルドルフがビートルに乗るところを見た後で、この母〔マックスを無視続けてきた冷酷な母〕にしては、異常な行動に出る。なぜか、マックスを抱き締めたのだ(3枚目の写真)〔映画の後のシーンから理由を考えると、この時のルドルフの対応が、母がルドルフを見直すきっかけになったようなので、そうした機会を与えてくれたマックスに感謝したから抱き締めた可能性が高い〕



アイスクリーム屋の前で、念願が叶ったマックスが、ミリにアイスクリームを選ばせている(1枚目の写真)。ミリはオレンジを選ぶ。通りに面したアイスクリームの屋の奥には、カフェがあり、そこで母とルドルフが仲良くアイスクリームパフェを食べながら話している。「ルドルフさんは遂に成し遂げた。母は喪服を着るのを止めた」(2枚目の写真)。マックスはお金を払うと、その間ミリが持っていたアイスクリームを受け取る、2人でどこかに行く〔ミリが出てくる最後のシーン〕。夜。マックスが1人で食卓に座っていると、ようやく母が帰宅し、「マックス、ただいま」と言って、笑顔で部屋に入って来る。マックスが、「ルドルフさんとはどうだった?」と訊くと、母はマックスの向かい側に座り、「彼にね、自分との将来が考えられるかって聞かれたわ」と話す。「それで?」。「私は、分からないって言ったの」。「ルドルフさんは住所を教えてくれた?」。「いいえ。それは職務違反よ。彼はそういうことはしないの。それに、ねえ聞いて? 彼のそういうところが好きなの」。「これからどうするの?」。「何も。アーノルトには会わないわ」。それを聞いたマックスは、以前、警察署に行った時に盗み見たことを打ち明ける。「アーノルト、今はハインリヒ・ケーニヒスって名前だよ。養父母はレーベルクで肉屋をやってるんだ」(3枚目の写真)。それを聞いた母は衝撃を受ける。



次のシーンは当然翌日の朝〔ただし、疑問がいくつかある。まず、自販機のある昔の店の中からルドルフが母と一緒に出てくる。店の前にビートルは停まっておらず、代わりにオペル・カピテーンが停めてある。①なぜ、母が打ち明けたのがルドルフの家でなく、わざわざ店まで呼んだのか? ②ルドルフはビートルなしで、どうやって来たのか? ③誰が、オペル・カピテーンを店のまえまで持って来たのか?〕。ルドルフは、店から出ながら、母に、「分かった。そこまで送ってあげる。一住民として〔自分が警官であることは棚に上げて〕。でも、あなたがどうやってその住所を知ったのか、理解できないな」と言う(1枚目の写真)。母は、「知らない方がいいわ」と言いながらカピテーンの鍵をルドルフに渡す。ルドルフは、カピテーンを運転して、レーベルクの町まで行き(2枚目の写真)、肉屋が真後ろに見える街路の角に車を停める(3枚目の写真)。



母は、後部座席にいるマックスに、「マックス、彼が店にいるか、ちょっと見てきて」と頼む。マックスは、店に入ったマックスは 「今日は」と声をかける。「今日は。ご注文は?」。「ハムソーセージ〔ハム・ベーコン入りの粗挽きソーセージ〕ください」。「どのくらい?」。「1マルク分」(1枚目の写真)。ここで、マックスのナレーションが入る。「彼は、僕の母が彼のために編んだセーターを着ていた。“彼” の母だ。彼は僕の兄だった。僕はすぐに分かった。僕に似てたから、ってだけじゃない。ただ、分かったんだ」(2枚目の写真)。店員は 「ありがとう」と言ってハムソーセージを渡し、マックスは 「こちらこそ」と言って受け取ると(3枚目の写真)、「さようなら」と言って出口に向かう。店員は「またね」と言い、それと同時にマックスは店を出る。



車に戻ったマックスは、「彼、いるよ」とだけ言う。ルドルフは、「中に入りたい?」と訊く。母は 「彼、何してた?」とマックスに訊く。「ソーセージ、売ってた」。それを聞いた母は、「車を出して」と言い(1枚目の写真)、ルドルフはエンジンをかける。この時のマックスの表情(2枚目の写真)を、どう捉えればいいのだろう? 嫌いな兄が無視されてホッとしているのか? 母の異常な判断に困惑しているのか? カメラは、母が永遠に去った後の肉屋を映して終わる(3枚目の写真)。この違和感のある母親の行動について、見つけることができた唯一の学術論文(REAL〔ポルトガル・ドイツ語研究協会が発行する学術誌〕の2010年7月号pp1-19に掲載された「失敗に終わった過去の克服のキー概念としての戦時性暴力: ハンス=ウルリヒ・トライヒェルの『失われた者』とラインハルト・イルグルの『未完の人々』」の中に、「語り手は、その孤児2307号の中に、自身の『数年年上の鏡像』を見ている。しかし、母親の方は車で立ち去ろうとする。語り手は、自分自身とその捨て子との間の類似性を、自らの想像の中で再現しているのだろうか。母親は、過去に囚われない新しい人生を始めたいと願っているのだろうか。あるいは、まさにこの男の有りようこそが彼女に突きつけているのだろうか。たとえこの男が本当にアーノルトであったとしても、彼はもはや彼女の息子ではないということ、そして過去―暴力が吹き荒れる前の彼女の幸福―には二度と到達できず、現在という時間は彼女にその代替品を差し出すことしかできないのだということを」という分析が書かれている。この中で執筆者が言いたいことは、「母エルザベスの思い出にあるのは、戦争前の、可愛い赤ちゃんとしてのアーノルトであり、肉屋の店員をやっているような大人ではない。だから、過去に引き連れられるのはやめ、ルドルフ、マックスの3人で新しい人生を始めよう、という決意の表れではないか」、というもので、私も賛同したい。




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