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El Último Vagón 線路が終わるところ

メキシコ映画 (2023)

観る者を感動させるメキシコ映画。15の賞に輝き、批評家のRotten Tomatoesは100%、IMDbは7.0。あまりにも原始的な鉄道工事に疑問を感じさせる以外は、脚本も良くでき、無駄なシーンもなく、演技も抜群で、誰が観ても満足できる素晴らしい映画。映画の主人公は、“無学で鉄道敷設の重労働をして生計を立てるしかない父” に連れられて各地を転々とし、学校にも行けなかった少年イカル。ある町に来た時、そこの小さな小学校の老教師ヒョルヒーナによって強制的に学校に連れて来られ、無理矢理に字を習わされる。しかし、その学校に通い始めたことで、イカルには素晴らしい友達がたくさんでき、字を習うにつれて勉強も面白くなる。それを見た父は、息子を引っ張り回すような職をやめて、この町に定住しようと決める。しかし、その直後、無茶な工事監督のせいで不慮の事故に遭い亡くなってしまう。イカルは、生まれて初めて楽しい思いをした町を離れることになるが、教師も生徒も心から別れを悲しみ、イカルに勇気を与えてくれる。そして、20数年後、1人の視学官が、当時の政府の “小さくて無駄な学校はすべて閉校にする” という無茶な方針を実行する辛い任務を与えられる。そして、その使命の対象に、イカルが大好きだった学校が入ってしまう。この映画はNetflixで配信されているが、日本語字幕のない状態での公開なので、未公開扱いとする。なお、訳にあたっては、スペイン語字幕を基本とし、質の良い英語字幕も同程度に参考にした〔ところどころ違っている〕

イカル役は、カーロ・イサーク(Kaarlo Isaac)。地元メキシコで、最優秀子役と、最優秀新人男優に選ばれる。その他の情報は特にない。

あらすじ

沼地の中の細い土の上を、イカル、ヴァレリア、チコ、トゥエルトの4人が歩いている(1枚目の写真)。一番背の高いチコが、「俺たちの仲間になりたいなら、キモ試しに合格しないとな」と言うと、この町に来たばかりのイカルは、「怖くないけど、それっていい考え?」と言いながら先に進んでいく。そして、歩いて行ける先端まで来ると、立ち止まって 「男が見えるね」と言う。チコが、木の枝を渡して 「行けよ」と言うと、イカルは沼の中に入って行く。“男” というのは、3人のうち誰かが見つけた “沼に横たわったまま動かない男”。イカルの役目は、彼が生きているか死んでいるか調べること。イカルは男に近づいて行くと、あまりの腐臭に手で鼻を覆いながら、枝で男をつつく(2枚目の写真)。そして、ふり返ると、「死んでるよ」と言う。3人は、恐ろしくなって走って逃げ出す。怖くも何ともないイカルは、ゆっくりと戻る途中で、イグサの茂みの中に1匹の犬がいるのを見つけ、「あの人、君の飼い主だったの?」と声をかけると、犬は寂しかったのか、イグサの間から顔を出す(3枚目の写真)。イカルは 「僕の友だちになりたい?」と訊く。

次のシーンでは、さっきの3人が、自分達の通っている小さな学校の1人しかいない老いた女性教師のヒョルヒーナと一緒に沼地の方に歩きながら、死体を発見したと話している。そこに、犬を連れたイカルが現われる。5人は、町の警察まで行き、ヒョルヒーナが中に入って行き、恐らくイカルから聞いたであろう話を告げて出てくる。そして、男はホームレスだと話し、「新しい子の名前は?」と訊くと、ヴァレリアが 「イカル・マチュカ」と教える。ヒョルヒーナは、振り向いてイカルと握手する(1枚目の写真)。そして、「(鉄道敷設の)労働者と一緒に来たの?」と訊く。「うん」。「学校にはいつ来るの?」。「さあ。学校あるの?」。「もちろん、あるわよ。この町じゃ、子供たちは全員 学校に行かなくちゃいけないの」。その日の夜、真っ暗になってから、鉄道労働者たちがトラックに乗って町に戻ってくる〔長時間労働〕。労働者達は、鉄道の延伸と共に移動しているので、住む場所もそれ専用の鉄道車両の中。だから、車両がずらりと並んでいる。イカルがヒョルヒーナと一緒に父の前にやって来て、「ヒョルヒーナ先生だよ」と紹介する。ヒョルヒーナは、ここでも自分から握手する(2枚目の写真)。イカルは、母に作ってもらった簡単な餌の入った椀を犬に与えた後、車両の前のテーブルに3人が座り、そこに母が夕食を持ってくる(3枚目の写真)。ヒョルヒーナがイカルに 「君が何年生かまだ聞いてないわね」と言うと、イカルは 「知らない」と答える。「また、どうして?」。母は 「私たちよく移動するんです」と、学校に一度も入っていない理由を説明する。ヒョルヒーナは 「私の所に来てもらえば、どの程度のレベルかすぐ分かります」と言った後で、すぐに 「読める?」とイカルに訊く。「手紙とか絵なら」。今度は両親に 「何歳なんですか?」と訊くが、母はすぐに席を立つ。父は、「明日は、学校に行かせます、先生」と言う。イカルは、父に向かって 「行きたくないよ」と言うが、父は聞く耳を持たない。

そのあと、連れて来た犬についても、父は、母が(今は回復期にあるが)長い間健康が優れなかったので 医者に動物を飼うなと注意されていると言い、飼わせてくれない。イカルは 「僕たち、いつもバッタみたいに町から町へと移動してる。やっと友だちができたのに、引き離そうとするんだ」と不満をぶつける(1枚目の写真)。優しいヒョルヒーナは 「イカルが犬を飼っても、夜は学校で寝せることができます。食事のことは心配しないで。私が何とかします。この子が読み書きを覚えるなら それでいいんです」 と素敵な提案をする。そして、翌朝、学校に向かったイカルは、学校のそばで犬に迎えられ、「ケツァール!」と喜び、犬を従えて嬉しそうに歩いて行く(2枚目の写真)〔犬の名前は、昨夜の食事の時、イカルがそう呼ぶ場面が1回あるが、いつ、なぜ、そのような名前にしたかは分からない。因みにケツァールはキヌバネドリ科の一種のオウムに似た緑色(胸だけ赤)の、“世界で最も美しい” と言われている鳥。また、ケツァールには、ドクロの付いた指輪という意味もある。いずれも、この犬とは無関係〕。学校は、古い客車を改造したもので〔当然、クラスは1つしかないし、教師も1人だけ〕、ヒョルヒーナが入口に立って生徒達を迎えている(3枚目の写真、矢印)。

授業中、ヒョルヒーナはヴァレリアに、黒板の前まで来て、そこに掛けてある地図上で、この州で一番重要な川を示すよう求める。ヴァレリアがゆっくりと黒板に歩いて行き、振り向く姿を、イカルがうっとりと見とれていると、ヒョルヒーナは厳しい声で、「イカル、あなたの心は、どの素敵な川に飛んで行ってるの? 学びたいのなら、授業に集中なさい」と注意し、地理の本をイカルの前に置き、読むよう求める。イカルが読めた言葉は、「La」だけ(1枚目の写真)。それを聞いたヒョルヒーナは、「授業が終わったら、待ってますからね。分かった」と言う。授業が終わり、全員が校庭に出て行く。そこで、ヴァレリアは、「1つどう?」と言って、イカルにリンゴを渡す。そこにトゥエルトがやってきて、新しく参加したイカルについて、どんな仲間なのか訊き始めると、真っ先にチコが、自己紹介を始める。「俺か? クソったれの一人さ」と言う。ヴァレリアが 「そんなことない」と言っても、チコは、「俺みたいな奴は、親爺やお袋、それに、爺や婆と同じで どうしようもないんだ」と言う。ヴァレリア:「なぜそんなこと言うの?」。チコ:「お前んちとは正反対だからな。そっちには土地があり、こっちには何もない。俺んちは、クソッタレのボスに言われたまま働かされるだけなんだ」〔この状況は、以前紹介した 『Entrelobos(エントレロボス/狼とともに)』や『Intemperie(インテンペリエ/荒野の逃亡者)で描かれた共に1946年頃の、非民主主義国家のとしてのスペインで全権を握っていた地方の地主の傲慢さとそっくり〕。それに対し、トゥエルトは 「僕はユニオン・パシフィック〔アメリカの鉄道会社〕の機関士になるんだ」と言う。ヴァレリアは 「私は、家族の農場で働くつもり」と言う。最後にチコが、「俺は、リオ・グランデを渡って、アメリカで百万長者になるんだ」と叶わぬ夢を語る。2人だけになると、ヴァレリアは、「あなた、大きくなったら何になるの?」とイカルに訊く。「分んない。今日、これからどうするのかだって分かんないもん」(2枚目の写真)。「それなら分かってるわ。ヒョルヒーナ先生のトコに行くんでしょ」。イカルは、ケツァールと一緒に鉄道車両の並びに戻ってくると、買い物から帰ってきた母と会い、一緒に “家” に向かう(3枚目の写真)。

家の中で初めての学校について簡単に話した後で、イカルはケツァールを連れて学校に戻る。ヒョルヒーナの住まいは、学校と同じタイプの古い客車を改造したもの(1枚目の写真)。イカルが中に入って行くと、ベッドで横になっていたヒョルヒーナに20分の遅刻だと言われ、「勉強したいのなら、言われたことは守りなさい」と注意される。ヒョルヒーナは、1冊の本をイカルの前に拡げ、場所を指定して読ませる。「Es...」と迷い、「この字は何ですか?」と訊き、「B」だと教えられる。そのあとは、「Po...」でまたつまづき、「ごめんなさい」と謝る。「なぜ謝るの?」。「読めないから」(2枚目の写真)。「なら、謝るのではなく、勉強なさい。火曜と木曜の午後、ここにいらっしゃい」。「どうして、読めないといけないの?」。「それはね、知るため。楽しむため。神様があなたに与えて下さった小さな頭を使うためよ」。「読むなんてつまんないよ」。ヒョルヒーナは、メキシコで1965年当時抜群の人気を誇ったスーパーヒーロー『Kalimán』シリーズの漫画本の1冊をイカルに渡す(3枚目の写真)〔ここで初めて、この映画の舞台の年代が確定するが、周囲の原始的な様相から少なくともそれより20年は昔の話だと思っていたので驚きだ〕。ヒョルヒーナは、イカルが週3回、ヒョルヒーナの家に来て『Kalimán』を読むことを条件に漫画本を貸す。

ここで、初めて左下に印が入る。これは、これまでの場面とは全く違った場所と時代でのシーンであることを示している。どこかの都市にある役所の中で、1人の視学官が、現れた髭男に、「お早うございます」と敬語で挨拶し、相手は、「お早う、バレンズエラ。どんな具合だ?」と訊く。バレンズエラが 「順調です」と答えると、「うまく切り抜けるためにも、スケジュールを早めないと」と言う。バレンズエラは、秘書から分厚い書類を渡される。机に座ったバレンズエラは、最初の20ページほどの書類を手に取り、内容を見てみる(2枚目の写真)。書類の標題は、「公立教育局(SEP)/学区07Bの調査」で、その下の字はほとんど読めないが、一番上にバレンズエラの名前があるので、彼が担当者だと分かり、そうした書類が他に4つ渡されたので、彼は5校について何かをすべきことが類推できる。場面は、客車の家に変わり、夜遅く父が戻って来ると、イカルが机に向かって何かを見ている。そんなことは絶えて例がないので、「それ何だ? 何してる?」と訊く。イカルは、「何も。ただ読み方を習ってるだけ。だけど、僕ってバカだから」と答える。父は、「そんなこと言うんじゃない。いいか、常に転々と移動しながら勉強するのが大変なのは分かってる。だかな、これはみんなお前のためにやってるんだ。分かるだろ?」と慰める。イカルは 「うん」と答える(3枚目の写真)。

週末の学校の授業で、ヒョルヒーナが来週までの宿題を出すと言うと、生徒達から一斉にがっかりした声が上がる。しかし、宿題の内容が、グループによって、植物、虫、果物だったので、生徒達はすぐ元気になる。イカルだけは、ヒョルヒーナの話も聞かず、鉛筆で何かを描いていて、強く叱られる。授業が終わると、教室(客車)と地面の間の階段に座ったヴァレリア、チコ、トゥエルトの3人は、その前でイカルとケツァールを見ている。そして、ケツァールがなかなか言うことを聞かないのを見たチコは、「お前は絶対先生にはなれないな」と言う。それを聞いたヴァレリアは、チコに向かって、「あなた泳げないから、(アメリカへの)不法入国者にはなれないわ」と言う。「泳げるぞ」。それを聞いたトゥエルトは、「溺れないのと、川で泳げるのとは違う」と言い、そこで、イカルが、「僕は川で泳げるよ」と言ったものだから、イカルとチコが川で競争することになる(1枚目の写真)。最初はイカルがリードしたが、途中で、チコがイカルの脚をつかんだことで、逆転勝利する。しかし、イカルはチコがズルをしたと言い、チコの勝利を断じて認めない。そのうちに、脱ぎ捨ててあったイカルのズボンをケツァールが咥え、走り去る。チコは、「ケツァール!」と叫びながら追って行くが、犬は止まろうとしない(2枚目の写真、矢印はズボン)。結局、イカルは、下着姿のまま家の前まで来たので、母が呆れて出て来て 「何があったの? 服はどこ?」と訊く。そのうちに、ヴァレリアが上着とバッグを持って来てくれる(3枚目の写真)。そのあと、ヒョルヒーナの家に行ったイカルは、何度も間違えながら、ようやく 「Cua, cui, cuidado, Kalimán」と読む〔最初の2文字は、3文字目の “cuidado(気をつけて)” を読む時の言い間違い〕、ヒョルヒーナに褒められる。

ここで、再び印。バレンズエラは全部で4ヶ所の学校を訪れる。1枚目の写真は、最初の学校を訪れた時のもの。この14秒の短いシーンの後、バレンズエラは旧知の男性教諭が教えている教室の窓から挨拶し、教師は窓まで行って握手する(11秒)。3番目は老教師の部屋で 「財源を最適化すれば、より多くの子供たちに手を差し伸べることができます」と、小規模の学校の閉鎖を告げる。老教師は 「この小さな学校にどれだけの人が頼っているか知っとるのかね?」と反論する(8秒)。4人目の女性教諭に対しては 「これ(閉校)は、現在の教育システムの改善を目的としたものです」と説明するが、教師は 「こんなの受け入れられないわ。局長はちゃんと子供たちを見に来て、必要なのは学校を増やすことで、減らすことじゃないと認識すべきよ」と強く反対する(15秒)。このあとで、最初の女性教師と一対一の会話となり、「これは何ですか?」という質問に対し、バレンズエラが 「学校閉鎖の通知です」と説明すると、教師は 「そんな、あり得ない… 親御さんにどう説明すればいいんです?」と困惑する。バレンズエラは 「公益〔bien mayor〕のため…」と言い始めると(9秒)、ここで、3人目の老教師に変わる。「『公益のため』 だと、ふざけるな! そんなこと、君も信じとらんくせに!」。そして、それ以上話を聞かず、出て行くよう促す(11秒)。そして、最初の一番おとなしい女性教師が、バレンズエラが去ったあと、呆然として立っている姿(3秒)。最後は、旧知の男性教師が、「子供たちはどうなるんだね?」とバレンズエラに聞き、彼は 「時間を有効活用して、子供たちに準備させて下さい」と答える。教師は 「君は、いつから、子供たちを信じられなくなったんだい? いつから、教育を信じられなくなったんだ?」と批判し、見放したように去って行く(23秒)。一方、イカルの家には、来るのが遅いので、ケツァールが迎えに来る。そして、ヒョルヒーナの読み書き特訓に行ったイカルは、恐らくあれから相当の時間が経ったのであろう。たどたどしくて、つかえながらではあるが(2枚目の写真)、何とか1冊目の最後まで読み終わる。ヒョルヒーナは握手を求め、「おめでとう。あなたは最初の本を読み終えた」と称える。そのあと、本筋とは関係のない会話が続いた後、ヒョルヒーナは、「大人になったら何になりたいか考えたことはあるの?」と尋ねる。「ううん」。「想像力があれば、いろんな人になれるわよ」。「でも、ぼく集中力がないから」。「私の(死んだ)息子も同じだったわ。あなたがすべきことは、自制心を持つ、それだけよ」(3枚目の写真)。イカルは、ヒョルヒーナの家を出て行く時、「僕、何になりたいか知ってるよ」と言う。「何?」。「先生」。

ある日、チコ、トゥエルト、イカルの3人は、半分不良のチコの先導で、彼の父が働いている地主の敷地内に不法侵入する(1枚目の写真)。敷地の中には大きな建物があり、勝手知ったるチコは、食堂まで2人を連れて行く。そして、テーブルの上に用意されていた昼食をつまみ食いしたり、バッグに入れたりする(2枚目の写真)。その途中で、チコは女中と鉢合わせし、大慌てで逃げ出す。逃げる方が早いので、3人は無事に逃げ切り、トゥエルトは取って来たパンを食べ、それよりタチの悪いチコは、盗んできた銀のスプーンやフォークを自慢げに見せる(3枚目の写真、矢印)。一番潔白なイカルが 「盗んだの?」と責めると、チコは 「盗っ人は(地主の)ボスだ」と、当時の悪辣な地主を強く批判する。しかし、良心が咎めるイカルは、トゥエルトを誘ってチコから別れ、チコは盗んできた大量の料理を一人で食べる。そのあと、やりたくない仕事から戻ってきたバレンズエラのシーンがあるが、重要ではないのでカットする。

月曜の朝になり、宿題をやってないことに気付いたイカルは、大慌てで野原に行き、小川の水を何度も採取して、遂に小さな生き物をゲットすると(1枚目の写真、矢印)、ホッとして学校に出向く。学校では、ヒョルヒーナが、客車学校の隣に作られた “粗末なトタン屋根を7本の細い木柱だけで支えた小屋” に 生徒が持参した宿題を持って行かせる。そして、生き物を持って来た生徒には、元いた場所に戻すように言った上で、1人の男子生徒を筆頭に、何を持って来たのかチェックを始める。その男子生徒の紙の箱の中には、草と一緒にきれいな蝶が生きたまま入っていた。それはオオカバマダラという4800キロを渡ると言われている蝶で、ヒョルヒーナは、いいものを持って来たと褒める。その次に当たったのがイカル。蝶に比べれば、随分と手軽に捕えたメダカかオタマジャクシのような小さな水中生物に見えたが、ヒョルヒーナが調べるとサンショウウオの幼生だった(2枚目の写真)。ヒョルヒーナは珍しいものを持ってきたイカルに貴重な言葉を与える。「サンショウウオはほとんどどこにでも適応して住めるって知ってた?」と言った後で、話をサンショウウオになぞらえてイカル自身に持って行く。「あなたは、生きている限り、何にでもなれるし、どこにでも住める。だから、人生を賢く選びなさい。やりたいことを慎重に選べば、幸せになれるわよ」(3枚目の写真)。ヒョルヒーナは、生徒全員に、「この生き物の別名知ってる?」と訊き、全員が 「いいえ」と答える。「トリトン」よ。そして、イカルに向かって、「トリトンって何だか知ってる?」と訊き、イカルが首を横に振ると、「調べることが宿題よ」と言う〔スペイン語で小文字のtritónはイモリのこと。しかし、大文字のTritónはギリシャ神話のトリトン(半人半魚)。すなわち、海神ポセイドンと海の女神アンフィトリテの息子〕

こんな田舎町にもサーカスがやって来て、数日後には1回限りの公演が行われる。サーカスの女性団長と、No.2のナイフ投げの女性がタバコを吸ってくつろいでいるところに近づいて行ったイカルとトゥエルトは、団長に呼ばれる。イカルが 「セニョーラ、マジシャンが帽子からウサギを出すの見られます?」と尋ねると、団長は自分がマジシャンだと言い(1枚目の写真)、マジシャンは男性だと思い込んでいたイカルを驚かせる。ナイフ投げの女性が、団長の凄さを自慢した上で 「チケットを買うの、買わないの?」と訊くと、イカルは 「ウサギが出るんなら」と答え、団長はちゃんと出ることをサジェストする。そこで、イカルは 「チケット、幾ら?」と訊くと、「2.5ペソ」という返事〔この時が、Kalimánから1965年とすれば、当時の約70円、2020年の約230円〕。団長は、イカルに半額クーポンをくれる。家に帰ったイカルは、さっそく小遣いを数え、「2.45…」と言っているので、半額クーポンがあれば十分に入場できる(2枚目の写真、矢印はコイン)。しかし、そこに疲れ切った父が戻って来て、最近の不穏な噂について妻に打ち明ける。①仕事があとどのくらい続くか誰も知らない。②今の区間はじきに終わる。③政府は、経費削減に熱心、といった内容。母は、自分が働けばと言うが、父は、病気が完全に治るまで働くなと禁止する。そうした内緒話を漏れ聞いたイカルは、僅かな貯金を布にくるむと、紙を添えて父のベッドの下に置く(3枚目の写真、矢印)。

父は、目が覚めて起きようとした時、足元にあった物に気付き、中を開けてみると、コインが入っていたので(1枚目の写真、矢印)、息子のベッドの方に目をやる。次は、1枚くらい父の仕事の様子の写真も必要かと思ったので、2人一組で担いで運んできた枕木を正しく並べ、その上にレールを置いたところで、あまりの暑さにトマスが 「ちょっと休憩しましょうぜ、ボス。ギラギラの太陽に参っちまう」と嘆願し、許されるシーンを2枚目に示す〔このシーンの線路の敷設について疑問を投げかけたい。メキシコの鉄道建設は1837年に始まり19世紀のうちにかなりの路線が開通している。なのに、1960-70年頃に、イカルが学校にも行けないほど、次々と線路を伸ばす工事が本当に行われていたのだろうか? 2枚目の工事の写真と、3枚目の19世紀の工事現場の写真と、どこが違うのだろう? 2枚目のような原始的な工事が本当に20世紀後半に行われていたのだろうか? 最初、この映画を観た時、当然、20世紀初頭が舞台と思って見始めたら、1963年に初登場したKalimánが登場し、映画は1963年以降となってしまった。また、映画の本編の20年ほど後の場面に、1990年代の初頭に販売されたDodge Spirit R/Tの中古車が出てくるので、映画の舞台が1965年前後という推定は間違っていないことが確認された。とすれば、この前世紀的な工事は一体何なのだろう?〕ここで、映画に戻り、僅かな休憩の間に、トマスは、横にいたドミンゲスに頼んで、ベッドの下にコインと一緒に置いてあった紙の文字を読んでもらう。そこには、「Para papá de su hijo Ikal(息子のイカルから、父ちゃんへ)」と書いてあった(3枚目の写真、矢印)〔ここで重要なことは、トマスが読めないことではなく 、イカルが文章を書けるようになったこと〕

次のシーンは、恐らく前節と同じ日。学校が終わった後、イカルが 家の前のテラスで、ヴァレリアに勉強を見てもらっている(1枚目の写真)。そのうち、ヴァレリアが、「サーカスのこと、本気で考えてるの?」と訊く。イカルは、2人分のチケットに相当する小遣いを父にプレゼントしたばかりなので、返事のしようがない(2枚目の写真)。ヴァレリアは 「心配しないで。チケットを買うには、いっぱいお金がいるから」と、行かないことに賛成する。そのあと、2人は、家の前の貨車の上に登って、たわいもない話を続ける。ヴァレリア:「雲って どんな味がするの?」。イカル:「砂糖」。ヴァレリアが遊びに飽きて 「いつかあなたも、こんな子供の遊びがうんざりするようになるわ」と言うと、イカルは 「ヴァレリア、僕は、君と遊ぶことに絶対うんざりなんかしないよ。すごく楽しいもん」と言い、ヴァレリアも笑顔になる(3枚目の写真)。

その日の夜、チコは地主の倉庫に入って行き、穀物の入った袋に尖った金属を突き刺し、中の穀物を溢れさせる。その音で、目覚めた監視係〔1965年なのに、火の点いたロウソクのランタンを脇に置いて寝ている〕がライフルを取ると、懐中電灯を持って外に出て来たので、チコは建物の角に隠れる(1枚目の写真)。そのあと、チコは 数十頭の山羊を閉じ込めている納屋の扉を開け、山羊を外に解き放つ。翌日、授業後、イカル、ヴァレリア、トゥエルトの3人が野原を歩いていると、チコが木に登って待っていた〔チコは、数日間、学校をサボっている〕。そして、木から降りると、3人にサーカスのチケットを順に渡す(2枚目の写真、矢印)〔チコは半額クーポンを持っていないので、数日前に地主の館に侵入した時に盗んだ銀のスプーンやフォークを売ったお金で、4人分10ペソ払ってチケットを4枚買ったのであろう〕。その日の夜、チコは、綿菓子も4本買い、3人に渡す(3枚目の写真)。その先、4人がサーカスをエンジョイするシーンが4分続く。中には、イカルが期待していた “帽子からウサギを出す” マジックもちゃんと入っていた。

サーカスが終わって外に出ると、イカルが 「チコ、チケットどうやって手に入れたの?」と訊く。「それがどうした?」。「どうやって手に入れたの?」。「うるさいな」。「何を盗んだの?」。「どうしたんだ、このくそったれ。謝れ!」。「イヤだ」。「謝りやがれ!」。「こんなこと、僕にさせて」〔サーカスを観て楽しむ前に言うべきだった〕。チコは 「このクソチビ!」と怒って、イカルを地面に突き飛ばす。そこに、チコを見つけた地主の使用人2人が走ってきたので、チコは逃げる(1枚目の写真)。それを見て 「どうしよう」と戸惑うイカルに、ヴァレリアは 「ヒョルヒーナ先生に言わないと」と言い、トゥエルトは 「家に帰ろうよ」と消極的。2人の意見を聞いたイカルは、「ダメだ、放っておけない。助けを呼びに行こう」と、ヒョルヒーナの家に向かう。その結果、ヒョルヒーナはなぜか鉄道労働者の住んでいる客車の家の前まで来て、“住民” に話し始める(2枚目の写真)〔ここの “住民” はこの町とは何の係わりもない。話すとすれば、地主の家に行くか、自分の生徒の家族の多い場所にすべき〕。「私たちは、一緒になって、彼の道を正す手助けをしませんか? 地主の所に一緒に行きましょう。そして、彼を解放させる。私たちが彼の代わりに責任を負うのです」。しかし、賛成の声はどこからも上がらない。「地主が 鉄道労働者の言うことなんか、なぜ聞くんだね?」。「先生、悪いが、俺たちは、トラブルに巻き込まれたくないんだ」。イカルは、チコが入れられた警察の監房にこっそり近づき、鉄柵越しに 「チコ」と声をかける。チコは 「何で来た? 見つかる前に立ち去れ」と言うが、イカルは 「大丈夫?」と訊く。「ああ。きっと釈放されると思う」。「みんな、君のこと心配してるよ」(3枚目の写真)。「ホントか?」。そして、チコは、持って来たタマル〔メキシコ人が大好きな軽食〕とKalimánの漫画本を渡す。チコは 「友だちでいてくれてありがとよ」と感謝する。

翌朝、父が真剣な顔でイカルを寝室に呼ぶ。そこには母もいる。「いいかな、イカル、引っ越しを続けるのが大変だってことは分かってる」。その父の言葉に、イカルはがっかりして 「また引っ越すの?」と訊く。母は 「父さんが話し終わるまで待ちなさい」と注意する。父は、「俺は、組合に、移動しない部署に配転するよう頼んだが拒否された。そこで、お前の母さんと俺は、すごく重要な決断をしたんだ。簡単じゃないが、3人にとってベストだと思ったからだ」と曖昧に言い、そのあと、母が明確に説明する。「イカル、あなたの父さんは仕事を辞めるの。あなたが学校を卒業するまで、この町で家を探すわ」。その、嘘みたいな最高の話に、イカルは 「ホント?」と訊き(1枚目の写真)、父が 「そうだ」と言うと、父に抱き着き、そこに母も抱き着き、3人は固く結束する(2枚目の写真)。家から飛び出したイカルは、周りの人々に 「僕たち、ここに残るんだ!」と触れ回り、トウモロコシ畑にいるヴァレリアにも 「僕たちここにいるよ。父ちゃん、仕事辞めるんだ」と教える(3枚目の写真)。最後に会ったのは殴られてから釈放されたチコ。彼は、イカルの話を聞くと、「俺は出て行きたい、お前は残りたい。ここは、天国にも地獄にもなる」と、立場の違いを顕わにする。

バレンズエラが 公立教育局の地方局に行くと、新しい “学校閉校” の仕事が待っていた。バレンズエラは秘書に 「この仕事は、私にとって恐ろしい悪夢です」と不満を言いながら、新しい資料を受け取る。その中の1つの資料を見たバレンズエラは衝撃を受ける(1枚目の写真)。そして、階段の途中で腰を降ろして、中を見て見ると、そこに懐かしい古い写真が挟まれている(2枚目の写真)。それを見たバレンズエラは、多忙で面会中止の局長の部屋に無断で入って行き、「聞いてください。申し訳ありませんが、私にはできません」と訴える。無能な中間管理職に過ぎない髭男は、何も分かっていないくせに、上司から言われた通りの言葉をくり返す。「バレンズエラ、これが非常に困難な仕事だとは分かっているが、公益のためなんだ」。バレンズエラは、「お願いだから、この子たちを見て下さい」と言いながら写真を見せようとするが、相手は見もせずに、「私たちがやっていることのすべては、彼らに明るい未来への機会を与えることなんだ」と、誰かが適当に作ったキャンペーンの理想論をくり返すだけ。「それが問題なのです。この子たちにとって、未来はとても遠いのです」。「バレンズエラ、君は連邦改革の重要性を真に理解していないな。これは、私たち全員の犠牲の上に成り立つ 非常な努力を要する目標なんだ」(3枚目の写真)〔何も理解していないのは髭男の方〕。バレンズエラは、「なら、他の誰かを行かせて下さい」と言うと、バカの典型は 「他には誰もおらん。視学官は君だ」と、責任を押し付ける。

その日の夜、鉄道仲間が集まるバーのような場所に父に付いて行ったイカルは、「ありがとう、父ちゃん。大好きだよ」と言い、父も、「俺もお前が大好きだ」と2人の仲は最高潮。「僕、いい生徒になるよ。父ちゃんが自慢できるような」(1枚目の写真)。そのあと、全員で歌うが、その歌詞の中に、「♪Es que estás en Apizaco(お前は、アピザコにいる)」という部分がある。もし、これが全員が今働いている場所だとすれば、そこは、アピザコ(Apizaco)〔メキシコシティの東約100キロにある人口8万ほどの町〕になる。次の場面では、翌日。荒れ模様の天気で、雷の音が聞こえる。工事監督は 「この町から出て行きたい奴が何人かいるのは知ってる。転勤を希望してる奴もいる。だが、この工区が終わるまで、それは叶わん」と言った上で〔だから、まだイカルの父も働いている~恐らく契約期間は、この工区が完了するまで〕、ひどい天候にも関わらず、工事を行うことを命令する。1人の部下は、「ボス、それは危険です」と進言し、他の部下たちも 「あちこちで落雷してる」と不安そうに言うが、無責任なボスは 「何があろうと、月末までに完成させんといかん」と主張し、全員を雷雨の中で働かせる(2枚目の写真)。その頃、学校ではイカルがヒョルヒーナから渡された本を読み上げている。彼が読み上げたのは、イタリアの著名な詩人サルヴァトーレ・カジモドの詩の中でも有名な「Ed è subito sera(すぐ夜になる)」という詩のスペイン語版。非常に短い詩で、イカルは全3行中の最初の2行を読んだところで、中止させられる。詩の全訳は、「誰しも地球の中心に唯一人/一条の太陽の光が差し込み/すぐ夜になる」というもの。この短い詩は、ある解説によれば、「カジモドの最も重要で表現力豊かな詩の1つ」だとか、たった3行で、人間の存在と状態に関するいくつかの重要な概念を語っている。①孤独さ、②つかの間の幸福を得るための葛藤、③への屈服。そして、それらを、次のように説明している。「地球の中心では誰もが孤独。なぜなら、人は皆、悲劇的に孤独だから。たとえ自分が世界の中心(地球の中心)にいると信じていたとしても。なぜなら、人は他の人と関係を持ち、おそらく結婚し、子供を持ち、明らかに自分の人生を全力で生きているから。人生は、人に一条の太陽の光のような暖かさと幸福への希望を与える。しかし、それは同時に、剣のように人を傷つけ、突き刺し、苦しめる。そして、その戦いもすぐに終わる。すぐに夜になるのだから。人の存在は一瞬で終わる」(https://www.finestresullarte.info/ poesiarte/2010/08a-ed-e-subito-sera-salvatore-quasimodo.php)。この詩がここで中断されたことには、大きな意味がある。長い間孤独に生きてきたイカルは、父の決断で幸福の絶頂になっていた〔最初の2行。そして、読まれなかった3行目にあるのは夜、つまり、。イカルが読み上げを中断させられたのは、イカルを町に連れていくために4人の人が来たから(3枚目の写真)。イカルの父が 作業中に雷に打たれてんでしまったからだった。

町に戻ったイカルは、父の遺体の前で、母と抱き合って悲しみにくれる(1枚目の写真、矢印)。雷に打たれて死んだ作業員は3人だったので、3つの棺が運ばれて行く(2枚目の写真)。この時は真昼の快晴だったのに、なぜか墓地に付き、埋葬を始めた時には、夕方で雨が降っている(3枚目の写真、矢印)。

の後、何日が経過したのかは分からない。ひっそりとした部屋の入口で、イカルがケツァールを撫でていると、母が 「手伝っておくれ」と、一緒に荷造りをするよう頼む。そして、「きっと、いとこたちと楽しく過ごせるよ」と言う(1枚目の写真)。「どうして、ここにいられないの?」。「みんなここを去るからだよ」。その言葉に、イカルは泣いて悲しむ。「ケツァールも連れていけないの?」。「ダメよ」。そして、イカルを慰めようと 「向こうで落ち着いたら、みんなに会いに来れるよ」と言うが、イカルは 「ここには、もう戻りたくない」と言う〔「どうして、ここにいられないの?」の発言と反する〕 。そして、翌朝、母とイカルを含めた工区作業員の客車の家列車は、最終目的地の都市に向けて2時間後に動き出す〔工事監督の無茶な命令による作業中の事故死のため、会社側が 出発までの客車の家の使用と、目的地までの乗車を認めた?〕。その僅かな時間でできるサプライズを考えたヒョルヒーナは、ヴァレリアとトゥエルトにイカルを呼びに行かせる。母が許可したので、3人は走って学校まで行く。ヒョルヒーナは、写真屋を呼んで待っていた。そして、学校の階段の前で、イカルたち4人組を中心に置き、記念写真を撮る(3枚目の写真)〔実際の写真は白黒だが、映画では白黒に変わる前のカラー映像も映る〕〔この写真こそ、3つ前の節で、バレンズエラが閉校を拒否した学校のファイルに入っていたもの〕

撮影が終わると、ヒョルヒーナはイカルを教室の中に呼び入れる。そして、「あなたなら、都会に行っても十分上手くやっていけるわ」と言って励ますが、イカルが悲しい顔をしているので、「もう忘れたの? 言ったでしょ、あなたはトリトンなの」と鼓舞する。イカルが 「イモリ?」と訊くと、トリトンは古代ギリシャ人にとって海の神だったと話し、「自分を過小評価しちゃダメよ。約束して」と言い、イカルはOKする代わりに笑顔になる(1枚目の写真)。ヒョルヒーナは、さらに、イカルが、ずっと前に亡くした息子を思い出させると言った上で、ジュール・ヴェルヌの本をプレゼントする(2枚目の写真、矢印)。ヒョルヒーナに、もう帰るように言われたイカルは、一旦は出て行こうとするが、「先生、ありがとう」と言うと、しっかりと抱き着く(3枚目の写真)。

イカルが戻り、しばらくすると、構内にアナウンスが流れる。その中で、列車の経由地として、Tepetitla、Apizaco、Tlahuapan、Texcocoの4つの地名を挙げ、終着駅がメキシコシティのブエナビスタ駅だと告げる〔バーで男たちが歌っていた歌詞の中にApizacoがあったので、そこがこの町かと思っが、実際にはもっと東のどこかだった。ただ、奇妙なのは、TepetitlaはApizacoより15キロもメキシコシティに近い駅なので、「Apizaco、Tepetitla」と言うべき〕。ヴァレリアは、イカルにさようならを言おうと、全力走ってくる。そして、列車が動き出すと、「イカル!」と叫ぶ声が聞こえたので、母が窓を開けイカルが顔を出すと、走りながら手を振るヴァレリアが見えたので(1枚目の写真、矢印)、イカルは満面の笑顔で 「ヴァレリア!」と叫ぶ(2枚目の写真)。そして、お互いに、「Adiós(さようなら)!」と叫ぶ。すると、トゥエルトをはじめとする子供達も手を振りながら走って来る(3枚目の写真)。短期間の滞在だったが、イカルにとって、この町は生涯忘れられない、最高の “故郷” になった。

駅の外れでは、何かの大きなタンクの上に乗ったチコが、「さよなら、イカル」と拳を上げる(1枚目の写真)。そして、ケツァールは、他の子供たちが追いつけなくなっても、まだ列車を追い続ける(2枚目の写真、矢印)。最後に、教室で汽笛を聞いたヒョルヒーナは、涙の溢れる目を覆う(3枚目の写真)。イカルは、何と幸せな少年なのだろう。

バレンズエラは、「MALINALLI TEPENEPATL公立学校」と書かれた学校に向かって歩いて行く(1枚目の写真)。左右に2両の古い客車が見える。ここは、かつて イカルが通っていた学校だ。その脇を、3人が歩いて行く。チコ:「イカル、どうなったかな?」。トゥエルト:「もう着いてるよ。僕たちのこと覚えてるかな?」。ヴァレリア:「もちろん。彼はいつまでも私たちの友だちよ」。そして、3人に寄って来た犬に、「パカル!」と呼びかけ、教室に入って行く。そこに、女性教師が、客車の家から出て来て、「今日は」と声をかけるが、ヒョルヒーナではない。「ご用件は?」。「ウーゴ・バレンズエラです」。「視学官の方ね」。次のシーンでは屋外のテーブルに資料と一緒に2人が座っていて、女性教師が、「こんな状態ですみません。校長が亡くなってから、学校は衰退してしまいました。ご覧の通り、支援を必要としています」と話す(2枚目の写真)。それを聞いたバレンズエラは、「それは、かなり前のことですか?」と尋ねる。「何がですか?」。「校長が亡くなったのは」。「1月で7年になります」〔この一言で、先ほど、3人が歩いて行ったのは、現実ではなく、バレンズエラの空想の中だったと分かる〕。バレンズエラは、上司から渡された書類を見せる。それを見た女性教師は、「あなたは学校を閉鎖するために来たの?」と冷たく訊く。しかし、彼女は渡された書類の中にあった写真に目を留める(3枚目の写真)。

25。「この写真、どこで?」。「ファイルの中に」(1枚目の写真)。そう答えたバレンズエラの顔を見た女性教師は、相手がイカルだと直感で気付く(2枚目の写真)〔写真の左下のは、バレンズエラの時代に、過去の登場人物が空想上出現したことを意味する〕。バレンズエラの目にも、ヴァレリアが自分に向かって、「虫けら野郎ね」と笑顔で言うのが見える。そして、2人は20-30年ぶりに抱き合う(3枚目の写真)。それを、昔の姿で映したのが4枚目の写真。

バレンズエラは、ヴァレリアの車〔これが、Dodge Spirit R/T、もしくは、同時代の類似の車。Dodge Spirit R/Tの発売は1990年代の初頭〕で、墓地まで連れて行かれる。ヴァレリアは、出身が農家だったので、「私、農業工学を学んだんだけど、戻って来て学校を続けることにしたの」と話す。「ケツァールは、どうなった?」。「年取って死んだわ。パカルと呼ばれてた犬は、ケツァールの孫」。そして、逆にバレンズエラに質問する。「なぜ、名前を変えたの?」。「父さんのことがあって、街に着いた時、昔の自分と決別したかった。ユーゴは僕のミドルネームから、バレンズエラは母さんの旧姓なんだ」。バレンズエラは、父の墓に野の草花を置く(1枚目の写真)。「トゥエルトは、どうなった?」。「どう思う?」。「機関士だろ?」(2枚目の写真)。次にチコについて訊くと、「新聞に載ってたわ、泥棒同士の喧嘩だとか。でも、誰がチコを殺したかは みんな知ってる」(3枚目の写真)〔当然、悪徳地主〕

ヴァレリアが、「これから どうするつもり?」と訊くと、バレンズエラは 「学校に空きはある?」と尋ねる。「閉校されちゃうわ」。「誰が閉校する? 僕はやらないぞ」。「クビになっちゃうわよ」。「やらせるがいい。僕は、こんなことするために勉強したんじゃない。教えるために勉強したんだ」。以前ヒョルヒーナが住んでいた車両に入っていったバレンズエラは、そこでも、ヒョルヒーナの幻影を見る。そして、彼女が『Kalimán』シリーズの漫画本を何冊も入れていた箱を開け、それを手に取ってみる。貴重な思い出の品を取っておいてくれたことに対し、バレンズエラは 「ありがとう」と言う(1枚目の写真、矢印)。そして、数ヶ月が経ち、休憩の時間が来て子供たちが一斉に学校から走って出て行くと、そこに髭が生えたバレンズエラが現われて、生徒達を見ている(2枚目の写真)。教師としてのバレンズエラは、映画の最後に、イカルの顔に戻り、辺りを満足そうに見つめている(3枚目の写真)。

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