ドイツ映画 (2023)
この映画は、1981年3月6日に誘拐された富豪の息子、11歳のヨハネス・エルレマン(Johannes Erlemann)が、52歳になってRTL+〔欧州最大のドイツのテレビ放送会社RTLの映画製作部門〕と共同して製作した作品で、ほぼ90%が実話で、その上、90%が実際に起きた場所で撮影された。少し前に紹介した『Wir sind dann wohl die Angehörigen(誘拐された父)』(2022)も実話で、この時の身代金は約15億円とドイツの誘拐事件としては最高額だったが、この映画の誘拐事件は、それより15年前に起き、身代金の約3億円は、ドイツの誘拐事件としては当時最高額だった。事件は、誘拐されたのが、①父親ではなく11歳の少年で、②誘拐された時点で減価償却専門家の父が詐欺に巻き込まれて逮捕され資産をすべて差し押さえられてしまっており、③警察の年少者に対する配慮が全くない時代だったことから、より悲惨なものとなった。ヨハネス・エルレマンは、この映画製作の翌年、2024年4月11日に、誘拐事件の詳細を 『Befreit: Wie ich als Kind entführt wurde und was ich dabei über das Leben gelernt habe(解放: 子供の頃に誘拐され、人生について学んだこと)』という本にして出版している。ここでは、その本が出版された3日後に、WERTというサイト上に掲載された 「„Ich bin kein Opfer!“(僕は生贄じゃない!)」という2024年4月14日付けの記事(https://www.welt.de/re gionales/nrw/article251005744/Als-Kind-entfuehrt-Wie-Johannes-Erlemann-mit-seiner-Geschichte-umgeht-und-warum-er-seine-Entfuehrer-treffen-will. html)に準じて、映画の背景について見ていく。記事の最初は省略し、映画の理解を深める部分から、本の〔ひいては、映画の〕内容に関する部分を引用しよう。「エルレマンは誘拐事件の前から語り始める。彼はまず、“各種の税法上の減価償却モデルを発明し、それによって一見無尽蔵に見える富を蓄積したケルンの企業家ヨヘム・エルレマン” の息子として、ジェット機で豪遊する生活について述べる。1970年代、一家はプライベートジェットでハーンヴァルト〔ケルンにあるドイツで最も高級な住宅地区の1つ〕とサン=トロペ〔フランス南部(マルセイユとモナコの中間点)にある世界的に有名なリゾート〕の間を往復していた。しかし、その華やかさは、ヨハネスの兄アンドレアスの重篤な慢性疾患と、父親の頻繁な不在によって陰ってきた」。こうした状況に加え、このサイトには書かれていないが、父のヨヘム・エルレマンは、1980年12月に詐欺罪で逮捕され、この時点で勾留中で、資産はすべて税務署に差し押さえられていた。そして、事件は起きる。「彼の子供時代は1981年3月6日に終わった。その日、3人の男が彼の家の近くで彼を待ち伏せ〔あくまで、ヨハネスの視点での記述→実際は、後述するように違っていた〕、自転車から引きずり下ろし、頭にテープを巻き付け、小さな木箱に入れ、北アイフェル〔Nordeifel、ケルンの南西にあるベルギー国境近くの森と山の地域〕までバンで連れて行った。人里離れた小屋の中に、彼らは幅1.50m、長さ2m、高さ1.60m〔ヨハネスの身長と同じ〕の木箱を用意していた。彼らは誘拐した少年をそこに閉じ込め、鎖につなぎ手錠をかけた」。「エルレマンの監禁の記述は、読むだけで不安にさせる。彼は『衝撃的な無の状態』を体験した。光も時間もない孤独は、誘拐犯が食べ物を持ってくる時と、両親への伝言をカセットレコーダーに録音させられる短い時間によってのみ中断された。『私はただそこにいて、何も感じず、何も考えなかった。希望は失われた』とエルレマンは書いている。『しかし、あきらめは、前向きな気持ちを失わせたが、不安や恐怖も遠ざけてくれた』。ある日、看守に逆切れした時の恐怖心のなさを、彼はこう説明している。『私は死にかけている! 何とかしてくれ!』。彼の怒りの爆発は実際に効果をもたらした。誘拐犯の1人がすぐにトランプを持って戻ってきた。2人はいつもポーカーをするようになった。心理学者は、彼が完全な喪失状態から、意識を回復できたことを、後になってこう解説した。『第1に、ポーカーをすることである種の親しみが生まれた。第2に、ポーカーにはゲーム中ずっと対戦相手と対等になる決まりがあった。第3に、そこでは 対話、計略、成功体験が可能だった』」。「しかし、死の恐怖に襲われた時も何度もあった。たとえば、誘拐犯の1人がヨハネスの小屋に入る前に顔にマスクを被るのを忘れ、その失敗に気づいた時、彼は少年が自分を認証したら殺すと脅した。あるいは、長い間誰も小屋に来なかった時、彼はこの小屋で見捨てられて死ぬだろうと思った」。そして、その後について、このように書かれている。「エルレマンが、その時社会で何が起きていたかを詳しく調べたのは、何年も経ってからだった。ファイルはもう見つからなかったが、1人の記者が資料を集めていて、それをエルレマンに提供してくれた。その多くは、今日の視点からするとほとんど信じられないことのように思える。たとえば、身代金の引き渡しの際、誘拐犯は警察に知られていない地下運河の入口からお金を懸垂下降させ、その後ボートで別の出口まで運んだ。ケルン当局が苦難から解放されたばかりの少年を数週間にわたって尋問した方法は、信じられないものだった。彼らは、誘拐犯の車とルートに関する情報を得るために、少年を再び箱の中に閉じ込めたりもした」。「そして、彼の正確な記憶のおかげで誘拐犯が捕まった時、彼は法廷で、マスクを被るのを忘れて、自分を認証したら殺すと脅した男を、公の場で指摘することを余儀なくされた。ヨハネス・エルレマンはそれでもそれを実行した」。映画はここで終わる。
主役のヨハネス・エルレマンを演じるのは、セシリオ・アンドレセン(Cecilio Andresen)。2011年生まれ。1つ前に主演した『Wochenendrebellen(ぼくとパパ、約束の週末)』(2023)で、激動的なアスペルガー自閉症の少年(黒髪)を見事に演じたが、ここでは一転して、何事に物怖じしない富豪の息子(金髪)を見事に演じている。他に、映画初主演の『Franky Five Star』(2023)で、主要な脇役を演じているが、DVDも発売されていないので、予告編に出ている女装で茶髪の顔だけ紹介しておこう。
あらすじ
1980年の夏、盛大な屋外パーティが、ケルンのハーンヴァルト地区にあるエルレマン邸で開かれている。百人を優に超える来客の前で、主人のヨヘムがマイクを手に歓迎のスピーチを始める(1枚目の写真、矢印はヨハネス)。ヨヘムは、シャンパンのコルクを捩じりながら、余興と称して、コルクをキャッチした人には1万マルク〔当時の約100万円〕さし上げると言うが、コルクはプールに落ちてしまう。運が悪かったと述べた後で、「血中アルコール濃度が0.2%未満でパーティを去った人は、次回招待されません」と言い、スピーチを終える。その直後、寄って来た妻のガビィから、1万マルク持ってるか訊かれると、ヨヘムは、午前中ずっとコルクをプールに飛ばす練習をしていたと打ち明け、「リスクは、完全にコントロール可能だった」と話す(2枚目の写真)。そして、重要な話し合いがあると言い、会場を離れて家の中に入って行く。そして、2人の投資家と話し合う。ヨヘムは 「損失は利益です。税金から控除すれば、最大250%の節税効果があります。すべては合法です。なぜなら、ドイツにはそれに反対する法律はまだ存在しないからです」〔1984 年 6 月 25 日の連邦財務裁判所の判決後、税務当局が認めなくなった〕と勧誘する(3枚目の写真)。ここで、1988年1月3日付けのシュピーゲル誌に掲載されたヨヘムに対する釈放後のインタビュー記事(https://www.spiegel.de/wirtschaft/die-scheu nentore-waren-weit-offen-a-1c489cf2-0002-0001-0000-000013525 631)の最後の部分を引用しておこう。「ヨヘム・エルレマンは、ドイツの節税産業の全盛期において最も有能な詐欺師とみなされていた。1970年代、いわゆるケルン学派の経営学博士〔ヨヘムのこと〕は、税金を払いたくない高所得者から数10億マルクを集め、それを減価償却資産に投資した〔投資家たちは、その結果生じる損失で所得税を減額できると期待した〕。エルレマンは、ケルンのアイスホッケークラブの気前のよい会長として、そして、派手な逮捕により、全国的に知られるようになった。業界では “スペシャリティ・ドクター” として知られていた彼は、レバノンで詐欺ビジネスに遭遇し、1年半の拘留を経て1982年に懲役8年の判決を受けた。彼は7年間服役し、49歳のクリスマスの週に釈放された」。
パーティ会場に戻ってきたヨヘムは、ヨハネス、ガビィ、長男のアンドレアスと一緒に記念写真を撮る(1枚目の写真)。2枚目の写真の左側は、映画のエンドロールで紹介される当時の写真の中で、家族4名が映った唯一の写真。右側の写真は、同じエンドロールの写真で、左のヨハネスよりは、まだ映画のヨハネスに似ている。脱線したが、映画では、このあとダンスが始まるが、それに合わせるように、双眼鏡でヨハネスを追う映像が挿入される(3枚目の写真)〔誘拐犯が見ているという想定〕。しかし、これはあくまで、ヨハネスの想像に端を発した映画の上での創作。この事件を最も詳細かつ中立的な立場から解説したサイト(http://azxy.communi tyhost.de/t307597118f585809338-SF-Fall-Kripo-Koeln-Entfuehrungsfa ll-Joh annes-Erlemann.html)によれば、「誘拐を企画したのは、空調会社の経営者ディーターとヴァーナーのドーツ兄弟〔Dieter and Werner Dutz〕だった。誘拐事件の直前に2人の会社は倒産し、税務署から7万マルクの資産差し押さえを通告された。ディーター・ドーツは、その時、児童誘拐を思いついた。それは、彼が地下運河のことを知っていて、身代金を安全・確実に受領できる確信があったから。誘拐は、3月2日に断行される予定だったが、もうの兄弟のホルスト・ドーツが待ち合わせ場所に酔っ払って現れたため、延期された。そして、3月6日に再度断行された。その際、相手は、富豪が集まっているハーンヴァルト地区の子供なら誰でもよかった。ヨハネスは偶然の被害者だった」と書かれている。
全く別の日、母が運転するポルシェ911で小学校まで送ってもらったヨハネスが、嫌々学校に向かって歩いて行く(1枚目の写真、矢印)。すると、ヨハネスを待っていたワルが 「おい、車 何台あるんだ? 明日はヘリコプターで来るんか?」と意地悪く言う(2枚目の写真)。ヨハネスは 「ヘリコプターなんかないよ」と反論するが、前を向いて歩き出すと、小さな声で 「ジェット機ならあるよ」と言う。すると、場面は時代を少し遡り、寒くてコートを来たヨハネスが、プライベートジェットの先端に、シャンパンをかけ、機体を名付ける(3枚目の写真)。
映画は、その時の続きも短く紹介する〔服装が同じ〕。ジェット機に乗り込んだ一家4人は、暖房の効いた機内で薄着になる。飛行機に乗っても、資料を見ている父を見たヨハネスが 「1日中働かなきゃいけないの?」と訊くと、父は 「信じてくれよ、ママや君たちとディズニーランドで大はしゃぎする方がずっといい」と言うが、仕事は止めない。その次の会話の中で、ハリウッドで映画の出資者と会う話が出て来るが、先のシュピーゲル誌のインタビューでは、ミュージカル映画『ヘアー』(1979)には関われなかったが、『ジェネシスを追え』(1980)、『リリー・マルレーン』(1981)、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1981)には融資したと書かれている。そのあと、操縦士から、この先 悪天候だと伝えられ(1枚目の写真)、母以外は、ジェットコースター気分を満喫する。そして、ジェットが向かった先は、サン=トロペ(2枚目の写真)。ついでながら、もう少し広角でのグーグル・マップの写真を3枚目に示す。そして、4人は海の見えるテラスでデザートを堪能するが(4枚目の写真)、父は途中で仕事でいなくなり、兄は腹痛に苦しむ。
時間が経過し、別の日、母がバッグに荷物を詰めている。そして、ヨハネスに、アンドレアスは、幾つかの検査が終ったら、チューリッヒの病院に入院すると話す(1枚目の写真)。「なぜ、チューリッヒなの?」。「最高の専門医がいるからよ」。「それって深刻なの? だから、いつもお腹が痛くなるの?」。母は、それ以上詳しいことは何も言わない。そして、それからさらに時間が経ったある日、ヨハネスが自転車で学校から帰ると、両親が待っている。そして、アンドレアスは癌で、結腸の手術を受けたと知らされる。それを聞いてショックを受けたヨハネスが、「彼、死んじゃうの?」と訊くと、父は 「アンドレスは若くて、体も丈夫だから、死なないよ」と言い、ヨハネスが抱き着いた母は 「幸い、早期に発見できたから、また健康になるわ」と慰める(2枚目の写真)〔アンドレアスが死亡したのは2022年(56歳)なので、手術は成功した(しかし、56歳での死因は、やはり癌)〕。自分の部屋に行ったヨハネスは、変わったイス〔巨大な運動靴の格好をしている〕に座ると、兄に手紙を書く。「やあ、アンドレアスお兄ちゃん。すごく寂しいよ。お兄ちゃんがいないと、すごく静かだ。パパは、早く気付いて良かったと言ってた。体が上手に対処できるからだって。お兄ちゃん、すごく勇気あるね。ヨハネスより」(3枚目の写真)。
そして、1980年の12月、事態は急展開する。両親とヨハネスが、立体駐車場に置いてあるランドクルザー(?)に向かって歩いて行く。その途中で、母ガビィが、アンドレアスの病状について、手術後の検査結果を待っていると話す。車の所に着くと、ガビィが運転席に座り、助手席に父ヨヘムが座り、ヨハネスは後部座席。父がヨハネスとガビィにプレゼントを渡すと、ガビィは車をゆっくりと動かし始め、父は、最近の緊迫した状況について簡単に話す。すると、数台の車が車の前後を挟み、ガビィは車を停めざるを得なくなる〔まだ駐車場の中〕。事態を悟った父は、ガビィに 「銀行に行き、引き出せるだけ引き出せ。運が良ければ、まだ凍結されてないだろう。愛してる」と早口で指示し、後部座席のヨハネスには 「ママの面倒見てくれよ。ガンバレ」と言う。そして「すぐに戻る」と言うと、ドアを開けて外に出る(1枚目の写真)。父は4人の刑事に押さえられ、手錠をかけられる。逮捕を指揮しているハバート・フィッシャー刑事が、ガビィに向かって、「目の前での逮捕失礼しました。他に方法がなかったもので」と詫びる(2枚目の写真、矢印は父)。ガビィとヨハネスは、連れ去られるヨヘムを呆然として見ている。場面は変わり、警察の拘置場の面会室を訪れたヨハネスは、ガラス越しに父と会う。ヨハネスの前に座った父が最初に発した言葉は 「ママはどうしてる?」。ヨハネスは 「ちょっとだけ、2人きりでいて いいって」〔このあと、ガビィが面接室に来ることを示唆〕と言うと、「どうして、向こう側にいるの?」と訊く(3枚目の写真)。父は、「ここに監禁されるようなことは何もしてないよ」と、嘘で安心させた後で、今後、ヨハネスに降りかかるであろうことに対し、「みんなは、パパのことを嘘つきの詐欺師だと言うだろう。そう言われても、信じないほど強くなって欲しい」と言った後で、「知ってるか? パパは真実を知ってる。そして、そのことは誰にも言わない。君は、何を、そして、誰を信じるか、自分で決めないといけないんだ。そして、君にとっての真実を見つけ出し、それを守るんだ」と話す。
自宅で、ガビィとギュニ〔映画だけの登場人物。ガビィを全力で助けるので、ガビィの弟なのかもしれないが、説明は一切ない〕が、絵の片付けをしていると、ジョン・レノンの死のニュースが流れる〔1980年12月8日〕。そのあと、ガビィが、夫の帳簿を調べたと話し、「パリのアパートのこと知ってた?」とギュニに訊く。“パリのアパート” については、あとでも出て来るが〔夫の不倫?〕、何の説明もないので、カットすべきシーン。そこにヨハネスが学校から帰って来て、母は、アンドレアスが帰ってくると教える。自分の部屋に行ったヨハネスは、帰宅を祝う小さな横断幕を作り始める(1枚目の写真)〔Willkömmenは、「歓迎→お帰り」の意味〕。そして、実際にアンドレアスが帰宅するが、その様子も双眼鏡で見られている。次に映るのが、独房の中のヨヘムが、ガビィから届いた手紙を読む場面。そこには、「今日は、ヨヘム。口座が凍結されたことはもう知ってるわね。新しい債権者が現れない日はないわ。ここ数週間で1000件以上よ〔この内容だと、この場面は1981年の1月中旬以降になる〕。アンドレアスは勇敢に頑張ってる。ヨハネスは、アンドレアスが帰宅してから彼のそばを離れない。だから、心配しなくていいわ。できるだけ早く出て来てね。息子たちには必要なの」。その直後に映るシーンは、アンドレアスのベッドの脇。人工肛門から排泄物の入ったストーマ袋を取り出す際、アンドレアスはヨハネスに 「出ていった方がいいよ。袋を替えなきゃ」と言うが、ヨハネスは 「居ていい?」と訊く。「そうしたいなら。でも臭いよ。うんちだから」(2枚目の写真)。「だから何? 僕のだって臭いよ」。そう言いながら、ヨハネスはトイレット・ペーパーをちぎる〔如何にも仲の良い兄弟〕。
別の日、玄関のベルが鳴ったのでヨハネスが降りて行くと、ガビィが出て来てドアを開けに行く。ドアの外にいたのは、ケルン税務署員で、来訪の目的は家の中にある資産の差し押さえ。ガビィが署員に 払うべき税金の額を訊くと、246万7324マルク〔当時の約2.5億円〕と言われる。署員は逆に、家の中に現金があるかガビィに訊く。ガビィは 「子供たちにお小遣いもあげられない」と答える。そこで、署員は、家の中の金目のありそうな物に 次々とシールを貼って行く。学校に行く用意をして降りて来たヨハネスは、それを見て、「お金を稼ぐいいアイディアがあるよ」と言うが(1枚目の写真)、学校に行かされる。学校から戻ったヨハネスは、大切にしてきた電車の模型のポラロイド写真を撮り(2枚目の写真)、自転車に乗ると、友だちと一緒に店に入って行くと、入ってすぐの掲示板に、「売ります/7859型の鉄道模型セット/興味があれば連絡してください/氏名」と書いた2枚の写真付きの紙を貼ろうとする。それを見た友だちが 「なぜ売っちゃうの?」と訊くと、ヨハネスは 「お金がいるから」と答える。すると、中年の意地悪そうな店主が、「そこに貼っていいのは、何かを買った子だけよ」と注意する。ヨハネスはポケットをさぐるがお金はない。すると、親切な友だちがお金を貸してくれる。そのお金で、ヨハネスは、何かの食べ物〔ジャム?〕の入ったビンを掴むと(3枚目の写真、矢印)、カウンターに持って行き、1.85マルク払い、掲示板に広告を貼る。
その帰り、森林公園の中で、ヨハネスはいきなりハンカチで口を塞がれる(1枚目の写真)〔吸入麻酔薬ではなく、叫び声を上げさせないため〕。そして、少し奥に入った所で、頭に3重にガムテープを巻かれ、両手もテープで巻かれ、そのまま抱かれて森の中を突っ切り、外に停めてあったバンの中に置かれた小さな木箱の中に押し込められる(2枚目の写真)。車は、かなり走ってから、山の中の野道に入って行き、停車すると、2人が箱を前後で持ち、1人がその後に続いて森の中に入って行く。そして、森との境界に建つ、打ち捨てられた小さな小屋の中に運び込む(3枚目の写真、矢印は木箱)。この日は、1981年3月6日(金)。
ヨハネスは木箱から出されると、小屋の中に用意された別の大きな木箱の中に連れて行かれ〔これが、解説に書いた幅1.50m、長さ2m、高さ1.60mの木箱〕、顔に巻いたガムテープを一気に剥がされ 「痛い!」と悲鳴を上げる(1枚目の写真)。顔にマスクを被った男は、「金さえ払えば、お前には何も起きず、すぐ自由になれる」と告げる。カメラは、床に置かれたポリバケツ〔糞尿入れ、拭く紙はない〕と、パン1枚をのせた皿を映す。ここが、普通の子と違うところだが、ヨハネスは臆せず 「うまくいかないよ」と言う。「どうして?」。「お金なんかないから」。それを聞いた、別の男が 「言っただろ!」と言い、もう1人が 「黙れ!」と怒鳴る。ヨハネスは、さらに 「パパが拘留されたから、州は、僕んちの口座を凍結したんだ」と説明する(2枚目の写真)。別の男が 「ちきしょう!」とどこかを蹴飛ばし、もう1人が 「しっかりしろ!」と怒鳴る。主犯の男は、それ以上何も言わず、箱の扉を閉めて出て行き、中は真っ暗になる。ヨハネスは 「やめて! 喉が渇いた! ここ真っ暗だ! 助けて!」と叫ぶ。そして 「1日目」と表示される。その頃、家では、母が、ヨハネスの帰りが遅いことを心配し始める。木箱では、ヨハネスの叫び声を聞いた主犯が、明かりと、水筒を持ってくると、「これ以上叫ぶのをやめたら、明日、手錠を片方外してやる。お前が好きな方の手だ」と言う。ヨハネスが 「ママに話した?」と訊くと、「ああ」とだけ言って出て行く。再び1人になったヨハネスは、がっくりしてうなだれる(3枚目の写真、矢印は水筒)。
ヨハネスがまだ帰らないので、心配になった母は、近くの署まで行き不安を訴えるが、2時間経っても現われなかったら もう一度来るようにとだけ言われる。そこで、母とギュニは、森林公園の中を捜しまわる。そして、ギュニが放置された自転車を発見する(1枚目の写真)。その頃、木箱の中では、ヨハネスが不安な一夜を送っている(2枚目の写真)。署の1人しかいない警官は、自転車が森の中に放置されていたことから、ようやく調書をタイプし始める。母は 「黄色の襟の青いジャケット、ブルージーンズ、白いスニーカーと服装を言った上で、金の延べ棒の形をしたペンダントが付いた金のチェーン。カルティエ製と言う(3枚目の写真)〔このペンダントは後で出て来る〕。警官は、このあとパトカーを出し、拡声器で住民に呼びかける。
同じ時間帯に、ヨヘムは独房から呼び出され、ケルン警察の上層部のアルバースというバカ〔『誘拐された父』では、ライナー・オストフという特別チームのチーフが最低のバカで、警察は大失敗したが、こちらの誘拐事件では、このアルバースが大失敗する。ドイツの2大誘拐事件で、どちらもトップが失敗するとは、よほど警察がダメなのか〕が、面談する。呼び出されたヨヘムは、アルバースに、「息子のアンドレアスに何があったんです?」と訊き、この最初の質問の内容が、アルバースを間違った方向に向かわせる〔ヨヘムがまず息子について尋ねたのが不自然に受け取られた〕。その上、アルバースが 「ヨハネス君が行方不明です」と言うと、ヨヘムは 「ヨハネスは誘拐されたんです。私たちは、数週間前から、こうしたことが起きるかもしれないと心配してました」と言ってしまう。誘拐だと判明しない段階でのこの言葉は、あとで実際に誘拐だったと判明すると、アルバースに、誘拐はヨハネスの “でっちあげ” だという固定観念を深く植え付けてしまう。ヨヘムは、さらに容疑者の名前を2人挙げ、今回の詐欺容疑での逮捕に関して、自分たちに嫌疑がかかることを恐れての行為ではないかと、勝手な推論を述べる。そして、「2日目」と表示される。ケルン警察の1つの部屋で、アルバースが20名ほどの刑事を集め、状況を説明している。彼が、まずスライドで見せたのは、ヨヘムの顔写真で、①現在、公判前の拘留中、②数百万マルクの脱税、③減価償却のプロで、ガス容器事業の株式を顧客に売却したが、それは書類上だけのものだった、④誘拐への対応で一時出所を望んでいる、と説明する。そして、昨夜ヨヘムが話した2人についても、1人はビジネス・パートナー、1人はヨヘムを騙した可能のある男として、写真付きで紹介する。そして、最後に、「ヨヘム・エルレマン自身が誘拐に関与している可能性が考えられる」と結ぶ(1枚目の写真)〔上記の③について、前記のシュピーゲル誌のインタビューでは、「購入しなかった製品に10万マルク支払った投資家は、損害を受けるべきではないのでは?」という質問に対し、ヨヘムは 「所得税の50%の累進を伴う10万マルクの投資による損失配分から270%の税の優遇措置を受ければ、税務署は彼に13万5000マルクを支払います」と答え、損害には当たらないと主張する〕。アルバースの話を聴き、先にヨヘムの逮捕を指揮したハバート・フィッシャーは、隣の席の相棒に 「そんなことは信じられん」と囁く。その勝手な囁きを耳に挟んだアルバースは、「フィッシャー、彼はなぜ一時出所を望んでると思う?」と訊く。フィッシャーは複雑な陰謀論を無視し、「息子を見つけるためです」と答える。そのお陰で、彼と相棒の仕事は、エルレマン家の監視とガビィの尾行になった。映画では、そのあと、当時の新聞が紹介される。1つ目は、「痕跡は森の中で消えた」という見出しで、その下に、「誘拐か恐喝か? - 警察は犯罪を排除していない - 犯人は不明」と書かれ、短い記事が掲載されている。「現在拘留中の投資顧問ヨヘム・エルレマンの息子で11歳のヨハネス・エルレマン君が金曜の夜から跡形もなく失踪した。ヨヘム・エルレマンは100万マルクの詐欺容疑で取り調べを受けている。警察はその夜、両親の邸宅付近の森林公園を捜索し、少年の自転車を発見した。凶悪犯罪の可能性も否定できない」というもの(2枚目の写真)。2つ目は、「少年の2度目の捜索」という見出しで、その下には、「ヨハネス・エルレマン君の痕跡なし - 森には浮浪者が住んでいた」と書かれているが、記事そのものは見えない。ただ、見出しの上の写真には、「数百人の警官が高速道路とライン川の間の地域を捜索」と書かれ、写真の下には小さな字で 「捜索隊は同時に、ケルン要塞の堀の南にあるゴルフコースで行方不明の小学生ヨハネス・エルレマン君の痕跡を捜索した」と付記してある(3枚目の複合写真~映画で2枚の写真が表示された)。
ヨハネスの木箱には、いつもの男がやって来て、手錠を外すのを 「左か右か?」と訊き、ヨハネスが 「右」と答えると、右の手錠を外してくれる(1枚目の写真、矢印)。しかし、これは、親切心でしたのではなく、カセットレコーダーに声明文を吹き込ませるため。犯人は1枚の紙を渡し、ヨハネスに読み上げるよう命じる。最初の読み上げは、ヨハネスが母を心配させないよう元気一杯に読んだので、犯人から、「キャンプから届いた下らない絵葉書を読んでるみたいだ」と指摘され、もっと悲しそうに読むよう指示される。「ママへ。どうか300万〔当時の3億円〕の身代金を払って(2枚目の写真、矢印はカセットレコーダー)。誘拐犯の指示に従って。警察の捜査もマスコミの関与もダメ。今は日曜日の夕方だから、土曜日までには戻れるよ」。恐らくここまでが、犯人の指示によるものだが、ヨハネスの声はさらに続く。「ママ、アンドレアスの誕生日のことは心配しないで。僕がいなくても、パーティーはキャンセルしないで。鉄道模型も売れるよ。最初は700 から始めて、600を下回ったら売らないで。じゃあね」。それを聞いたガビィは涙いて悲しむ(3枚目の写真)。
3月10日(火)、郵送されたテープには、1通の手紙も同封されていた。身元が割れないよう、活字のような文字で書いてあるため読むことができたので、下記に紹介する。「息子の声を録音したテープを注意深く聞き、子供を取り戻したいかどうか自分で決めろ。俺たちは次のことを要求する。(1)インスタント・メッセージのブロック〔1981年なので、e-mailなどなく、意味不明〕。(2)使用済み百マルク紙幣で150万、千マルク紙幣で150万、計 300 万ドイツマルクを1981年3月13 日金曜日までに、必ず用意しろ。いかなる遅延も許さん。すべての要件が満たされたら、後で、金の引き渡し前に、生きている証拠を見せてやる。(3)警察による捜査は禁じる」(1枚目の写真、これより下も、カメラが動くので少しは解読できるが、斜めに切れているため、(3)が限界)。(3)まで来たところで、ガビィは、2人の刑事に直ちに家から出て行くことと、報道管制を敷くよう上司に伝言するよう要求する(2枚目の写真)。ガビィは、そのあと、夫に会いに行く。そして、「ヨハネスは生きてます。テープからは、力強く落ち着いているように思えました。食べ物と水も与えられており、今のところ大丈夫です」と話す(3枚目の写真)。
しかし、この会見の最大の問題は、身代金だ。夫から 「金は幾ら要求されてる?」と訊かれ、「金曜までに300万マルク。それまでに 「Der Express」紙に、お金が用意できたという広告を掲載しないといけない。そしたら、再度 連絡があるの」と答える。その会話を、隣の部屋で録音したテープで聞いたロクデナシのアルバースは、部下から 「彼はまだ金を持っていると思いますか?」と訊かれ、無責任な思い込みだけで、「もちろん」と答える。さらに、「それで、少年は?」と訊かれると、「恐らく、コートダジュールの五つ星ホテルにいるだろう」と、観ていて腹の立つようなことを平気で言う(1枚目の写真)。一方、ガビィは、「私たちにはお金がない、そうでしょ?」と夫に尋ねる。ヨヘムの返事は曖昧で、「手に入れられるが、ここじゃ無理だ。ガビィ、署長と話してヨハネスが戻るまで家に帰れるようにして欲しい」と言い出す。それに対し、ガビィは、「警察は、この誘拐は、私たちと あなたのビジネス・パートナーのでっち上げだと思ってる。彼らはテープが本物だとも思っていないの」と、現状の厳しさを訴える。認識の甘いヨヘムは、「銀行に連絡して凍結された口座を解除してもらう必要がある」とガビィに指示する(2枚目の写真)。
閉じ込められて5日目を迎えたヨハネスは、拉致される前に、店で買ったビンの中身を少しずつ食べる(1枚目の写真、矢印)。一方、床に置かれたパンには、蛆虫が湧いていて、とても食べられない(2枚目の写真、矢印)。そのうち、最初の日に渡された懐中電灯の電池がなくなり、箱の中が真っ暗になる。そこで、ヨハネスはまた大声で救いを求める。
「6日目」と表示される。ガビィは、今まで懇意だった銀行のトップに電話を掛ける。「口座が凍結されているのは分かってます。だから、ローンが必要なんです。あなたはドイツ最大の銀行の CEO でしょ? 何か方法があるはずよ。ヨヘムは公判前の拘留中なので、推定無罪が適用されるから」(1枚目の写真)。そして、何らかの不親切な返事を聞いたガビィは、「それじゃ まるで私たちのお金がどこから来たのか問題視してるみたいじゃないの。あなた、私たちと一緒に何百万も稼いだくせに、突然、私たちを放り出すの?!」と怒鳴りつける。一方、事態が改善されない箱の中のヨハネスは、去年の誕生日に父と一緒にモーターボートに乗った時の楽しい思い出に浸る(2枚目の写真)。そのうちに、扉が開いて、懐中電灯を持った男が入って来ると、パンが食べられていないのを見て、「まあ、そのうち食べられるようになるさ」と言う(3枚目の写真)。それを聞いたヨハネスは、「あんたが僕と何かしてくれるまでは、何も食べない。僕と一緒に遊んでよ。何でもいい。お願い!」と必死に頼むが、男は何も言わずに扉を閉める。
ガビィは、旧知の女性投資家ヘレンの自宅兼オフィスを訪れると(1枚目の写真)、「ここに来るとは大胆ね」と言われながらも、ヘレンがまだ知っていないヨハネス誘拐事件のことを話し、「身代金を要求されてるけど、私たちには お金がないの。どうか助けて」と、切実な状況を訴える。次のシーンでは、エルレマン家のリビングの広いガラス・テーブルの上で、ギュニがお札を数えては束にしている。そこに、戻って来たガビィは、びっくりして 「それ何なの?」と訊く。「身代金。友人やご近所から」。ガビィは 「ヘレンから60万〔当時の約6000万円〕」と言って、大きな袋を渡す。そのあと、2人は、知人の名前を書いたノートを見ながら、駆けずり回ってお金を集めて行き、遂に目標の300万マルクに達する(2枚目の写真)。
さっそくガビィは、「Der Express」紙の 「紛失物発見欄」に、「Weiße Perserkatze, Name Hannibal, Belohnung(白いペルシャ猫、名前ハンニバル、報償)」のあとに電話番号を表示する(1枚目の写真、黄色の点線の枠内)。犯人たちは、バンの中でその広告を確認する(2枚目の写真、矢印)。
ガビィは、ヨヘムに面会に行き、身代金の用意が出来た嬉しいニュースを報告する(1枚目の写真)。そして、その内情について、「銀行は何もしてくれなかった。でも、あなたのパートナー、私たちの友人、あなたのお父さんは必要以上のものを提供してくれたわ。ヨハネスのために」と打ち明け、「今は、彼らが連絡してくるのを待つだけ」と締めくくる。そのあとで付け加えた言葉、「膨大な富、ジェット機やパーティ。もし私たちが普通の人生を送っていたら、ヨハネスにこんなことは起きなかった」と、ある意味、夫を批判する。それに抗弁しようとするヨヘムに対し、ガビィが 「パリのアパートのことも知ってるわ」 と言うと、ヨヘムは何も言えなくなるので、やはり彼の浮気に関係しているのか? そして、「7日目」と表示される。ガビィとギュニは、ヨハネスからの新たな録音テープを聞いている。「今日は3月13日の金曜。アンドレアスの幸せを祈ります。でも、そこにいられないのが悲しいよ。彼らは、月曜にお金が欲しいって。だから、月曜の朝までに用意して。彼らが言う通りにやってね。チャンスは1回しかないって言ってるから。さもないと、交渉は打ち切りだって」(2枚目の写真)。その夜、3人だけで、アンドレアスの誕生パーティが行われるが、弟が誘拐中で、父が拘留中なので、彼にとっては苦痛なだけ。翌朝、ガビィとギュニが今後について話し合っていると、ガビィが ゴミ作業員に化けた警官を見つけて詰め寄ったのを見て、車の中で待機していたハバート・フィッシャーが駆け寄り、大声で怒鳴っているガビィを引っ張って屋敷内に連れて行き、「公道で捜査官を暴(あば)けば、ヨハネス君を危険にさらしますよ」と注意する。ガビィが、「あなたも、この誘拐が夫による偽装だと信じてるの?」と訊くと、フィッシャーは完全に否定する(3枚目の写真)。不誠実そのもののアルバースしか見ていないガビィにとって、フィッシャーは救い主のように感じられたので、ガビィは 「お子さん、いますか?」と尋ねる。「ええ、娘のリッシが」。そこから、話はヨハネスの学校での虐め、そして、どうなるかわからない誘拐事件の行く末への心配へと変わる。フィッシャーは、「私たち〔彼と その相棒1人〕は全力を尽くします。あなたは、息子を取り戻せます」と励ます。
「8日目」と表示される。外は雷雨の夜。いつもの男が箱の中に入って来ると、「ポーカーできるか?」と訊く。「うん」。「賭けないと、楽しくないよな」。そう言うと、男は、ヨハネスの首にかけた金のペンダントを手に持つ(1枚目の写真)。「OK。いいよ。そっちは何 賭けるの?」。「懐中電灯」。そして、2人はポーカーを始める。「9日目」と表示される。ゲームは何度も繰り返され、勝負の結果が加算されて行く。ある勝負では、ヨハネスが、賭け金を 「100」と宣言し、相手もそれに応じる。そして、ヨハネスがカードを見せると、相手の負け。さらに、「10日目」と表示される。そこでは、両者の結果だけ映される。ヨハネスは、10が3枚とキング2枚のフルハウス、犯人は、9が3枚とクイーンが2枚のフルハウス(3枚目の写真)。勝負は3枚の札の強さで決まるので、10が3枚のヨハネスの勝ち。その時の掛け金は「250」。それまでの勝負の累計では、ヨハネスが「285」で勝っている。それを聞いた犯人は、「お前、ズルしたろ」と言うが、ヨハネスは 「ううん、僕の方が強かっただけ」と反論。怒った犯人は、「誰が強いだと?」とヨハメスの襟を掴み、「お前の親爺は、ひどい詐欺師じゃないか!」と怒鳴るが、ヨハネスも負けじと、「そんなの嘘だ! 僕のパパは無実だ!」と怒鳴り、一歩も引かない(4枚目の写真)。犯人は、「くそっ!」と叫ぶと、箱から出て行く。
「14日目」と表示される。目を覚ましたヨハネスが、痛いので懐中電灯を点けて腕を見ると、左手に残された手錠で腕に傷が付いている(1枚目の写真、矢印)。すると、外から 「お早う、ヨハネス」と声がかけられ、扉が開き、いつもの男が 「金の受け渡しは今夜だ。それが終わったら、お前は解放される」と言いながら入って来る。しかし、ドジな男はマスクをはめるのを忘れている(2枚目の写真、ヨハネスは犯人の顔を見ている)。ヨハネスは、慌てて顔を背ける。横を向いたままのヨハネスを見た犯人は、自分の顔に手を当て、マスクを忘れたことに気付くと、すぐに出て行く。そして、扉の外から 「俺を見たか?」と訊く。ヨハネスは、死にたくないので 「見てない」と嘘をつく(3枚目の写真)。しばらくすると、男が、マスクを被って入ってくると、いきなりヨハネスを壁に押し付け、手で顔を押さえると、「俺を見たか? どうなんだ?!」と怒鳴る。ヨハネスが 「見てない」と言っても 「嘘だ。見たんだろ!?」と迫る(4枚目の写真)。ヨハネスは、「まぶしくて、目がくらんで、何も見えなかった」と、何とか信じてもらおうとする。犯人は 「お前を解放したら危ないかもな」と言うと、箱から出て行き 「ちきしょう、ヤバい!」と叫ぶ。
その日の夜、タクシーが1通の手紙をエルレマンに届ける。それを受け取ったギュニが、ガビィの寝室に飛び込んできて、手紙を読み上げる。「あんた以外の者には、この手紙は見せるな。あんたに危険はない。この手紙と金と地図と懐中電灯だけを持ち、すぐに家を出ろ。あんたは、俺たちが完全に把握しているエリアに入ることになる。息子のことを考えろ。警察は呼ぶな」(1枚目の写真)。映像は、ガビィが、お札の詰まった大きな袋を2つポルシェに入れて、すぐに出て行く様子を映す。ところが、警察署では、アルバースが大声で叫んでいる。「急げ! タクシーの運転手からの電話が入った。彼女はもう家を出た。我々は離れて監視を続けるんだ!」。ハバート・フィッシャーは、廊下ですれ違いざま、「彼女が出かけたって、どうやって分かったんですか?」と訊く。「彼女の車には追跡装置が付いてる」〔無断装着〕。フィッシャーが、「何ですって? そんなの無茶だ。子供の安否が最優先しょ」と反駁すると(2枚目の写真)、アルバースは 「来たくなければ、来なくてもいい」とだけ言う。
ガビィは、送られてきた地図を基に、森の中に設けられた木の棒1本の遮断ゲートの前で車を停める。そして、木の棒の端を支える木の柱の下に置いてあった鍵を拾う(1枚目の写真、矢印)。その様子を、刑事たちが見ているが、フィッシャーも心配なので参加している。ガビィは、車から、150万マルクの入った袋を2個取り出すと、ゲートから中に歩いて入って行く。しばらく歩くと、新しい木で作られた1.5m角くらいの箱が 開けた草地に置かれている。ガビィは、箱の蓋の錠を拾った鍵で解錠し、蓋を開け(2枚目の写真、監視している警察からの視点、実際には箱の周辺はもっとオープン)、中にお金の袋2個を入れると、再び施錠し、車に戻って立ち去る。後は、犯人が来るのを待って逮捕すればいいので、警察はそのまま森の中で待機を続ける。
家に戻ったガビィは、アンドレスのベッドでトランプをして待っていた2人に、「あいつらの望み通り、すべてやったわ。森林公園に行ったら木箱があったので、そこにお金を入れて、鍵を掛けたの」と説明する(1枚目の写真)。いつ、解放の電話が掛かってくるか分からないので、ギュニは1階に降りて行く。アンドレスは 「もし、解放されなかったら?」と訊き、母を震撼させる。森の中では、フィッシャーが相棒に 「14日間だぞ」と、長期の拉致に同情したあと〔もちろん、小声で囁いている〕、「生かしておいてくれればいいんだが」と言う。そして、夜が明けるが、家族に連絡はない。ガビィとギュニは、今か今かとリビングで待ち続けるが、いつまで待っても なしのつぶて(2枚目の写真)。我慢の限界に達したガビィは、ポルシェで昨夜の遮断ゲートまで行き、そこから歩いて木の箱の前まで行く(3枚目の写真)。
鍵は昨夜置いてきたので、蓋の解錠はできない。頭に来たガビィは、「どこにいるの?! 何を目論んでるの?!」と叫ぶ。そして、木箱を思い切り押すと、箱には底がなく、そのまま反対側に転がり、何と地面が露出する。そこには、お金の袋はなく、マンホールの蓋があった(1枚目の写真)。「何なの?」。すると、アルバースをはじめとする警官が森の中から姿を現わす。そして、マンホールの分厚い木の蓋を外すと、中には煉瓦で造られた古い穴が開いていた(2枚目の写真)。ガビィが、アルバースに向かって、「犯人はどこにいるの? お金はどこに行ったの?! 私のヨハネスはどうなるの?!!」と叫ぶ(3枚目の写真)。
ヨハネスには時間の経過は分からないが、その日の夜になり、木箱の扉が開き、いつもの男が、「もし、お前が俺のこと密告したら、どこに隠れていようと見つけ出す。そして、お前たちみんな殺してやる。お前のお袋、親爺、兄貴、全員だ。分かったか?」と脅す(1枚目の写真)。ヨハネスは何度も頷く。すると、犯人は、ヨハネスの顔にテープを巻き、手錠を外し、代わりに両手をテープで縛り(2枚目の写真)、小さな木箱に押し込むと、乗用車まで運び、トランクに入れる。そして、どのくらい走ったのかは分からないが、野原の真ん中の何もない所で車を停めると、ヨハネスの頭と足を持って、車から10-20mほど先の路面の真ん中に横たえる(3枚目の写真)。そして、いつもの男が、「ヨハネス、これで終わりだ。これは、ポーカーでお前が稼いだ600マルクだ」と言い、お金を脇に置く。そして、「俺たちを裏切ったら、命はないからな。お前の家族もだ」と再度警告する。そして、車に戻ったところで、争いが始まる。いつもの男じゃない犯人は、ヨハネスを轢き殺すべきだと主張し、いつもの男は、自分の顔は絶対見られていないからと、轢き殺すことに反対する。結局、車は一旦バックし、突っ込んで来ると震撼させ、Uターンして去っていく。ここで、zweiというサイト上に掲載された「Warum Johannes Erlemann nicht mit seinem Schicksal hadert(ヨハネス・エルレマンが自分の運命に悩まない理由)」という2024年4月24日付けの記事(https://www.bremen zwei.de/themen/johannes-erlemann-kind-entfuehrung-buch-befreit-ueberle bender-gespraechszeit-100.html)の中の、ヨハネス自身の言葉を引用しよう。「彼らは私を未舗装の道路に引きずり出した。彼らは話し合いを始めた。『どうしよう?』『轢いちまおう!』。彼らは車に乗り込み、20メートル離れたところでエンジンをかけたまま停まった。私は轢かれると覚悟した。私は動けなかった。そしたら、車は去って行った。私は星を眺めた。それは私の人生で最も幸せな瞬間だった」。
前節の最後の引用通り、映画でも、ヨハネスはテープを自分で外すと、立ち上がろうとして、脚が萎えていたので道路脇に倒れ込み、そのまま満点の星空をじっと眺める(1枚目の写真、顔には草の影が映っている)。そして、しばらくすると、野道をゆっくりと歩き始める(2枚目の写真、矢印)。3枚目の写真は、ようやく人里に近づいた場面。
ヨハネスは、夜遅いので、開いていた唯一の店である酒場に入って行く。小さな子供が1人で入って来たので、店主が 「こんなトコで1人で何してる?」と訊くと、ヨハネスは 「お願い、タクシー呼んで」と言う。タクシーと訊くと、店主は鷹揚になり、カウンターに座らせてコーラを奢ってくれる。ヨハネスが、「僕は、ヨハネス・エルレマン。誘拐されて、さっき解放されたんだ」と話すと(1枚目の写真)、びっくりした店主は警察に電話しようとするが、ヨハネスは、「警察に連れて行かれちゃう。僕、家に帰りたいんだ」と主張し、タクシーを呼ぶよう強く要求する。ヨハネスは、やって来たタクシーで家に向かう。店主は、ヨハネスがいなくなると、すぐに警察に連絡する。だから、タクシーが自宅前に着き、犯人からもらった600マルクの一部で支払いを済まし、門をよじ登って敷地内に入ると(2枚目の写真)、大勢の警官に、まるで犯人のように取り囲まれ、家の中に引きずり込まれる。
ヨハネスは 「ママ!」と何度も叫ぶが、アルバースは証拠の確保のためと称して、ヨハネスの服を剥ぎ取る(1~3枚目の写真)。どう見ても、児童虐待にしか見えない。シャツとパンツだけになったヨハネスに、強引に割り込んだギュニがバスローブを着せると、シャツとパンツも奪われる。この箇所について、先のzweiには、本人の言葉も交えて、「ヨハネス・エルレマンは、何が起きたのか何も分からなかった。『重武装したSEK〔ドイツ地方警察特別出動コマンド〕の特殊部隊の警官たちが四方八方からやって来て、私をつかみ、引っ張り、家の中に引きずり込んだ。そして皆が叫んだ。誰もその子に触れるな!』。母親が彼を抱きしめることが許される前に、当時11歳の少年の服は取り上げられた。家の友人が警察を突破して、小さなヨハネスに白いバスローブを着せるまで、彼はずっと全裸で立っていた」と書かれている。映画よりも、もっとひどい扱いに対し、「1980 年代の初頭、被害者に対する配慮はほとんどなかった」とコメントされている。
着ているものをすべて剥ぎ取られたヨハネスはやっと自由にされ、母にしっかりと抱き締められる。そこに、ギュニと、階段の途中から見ていたアンドレアスが加わる(1枚目の写真)。しかし、すぐに、TVクルーの到着が告げられ、ヨハネスはバスローブ姿のまま、TVカメラの前でインタビューを受けることになる。母は心配するが、ヨハネスは、それまでも11歳にしては信じられないほどの “強さ” を発揮していたので、そのまま外に出て行き、インタビューに応じる。彼がまず尋ねたのは、「ヨハネスさん、メンヒェングラートバッハ〔Mönchengladbach、ケルンの40-50キロ北西〕で解放されたというのは本当ですか?」。それに対し、ヨハネスは 「はい、野原にある小さな村で、解放されました」と、臆することなく答える(2枚目の写真)。「そして、ここまでタクシーで帰りました」。「あなたが、どこで拘束されていたか、分からないでしょうね? 何か見ましたか?」。「どこにいたかは分かりません」。「誘拐犯は あなたをどう扱いましたか?」。「まあまあです。水も懐中電灯も、もらえました」。「縛られていましたか?」。「手錠で」。「ずっと?」。「はい」。「誘拐犯は、どんな顔でしたか?」。「分りません。マスクをしていました」。「いつもですか?」。「はい、いつもです」。ここで、ギュニが、「もう十分でしょ?」と口を挟み、インタビューは、「ありがとう、ヨハネスさん」で終わる。3枚目の写真は、インタビューが放映された時の写真。確かに、白いバスローブのままだ。書かれている標題は、「ヨハネス・エルレマンは身代金の支払いと引き換えに釈放された」。
翌日、アルバースはヨハネスの「行方不明者の捜索依頼書」を見ている(1枚目の写真)。この調書は、映画のヨハネスに合わせて写真が変えてあるので、実際の捜索依頼書を2枚目の左側に示す(顔写真が汚いので、クリアーな写真だけ右側に示す)。この捜索依頼書に書かれていることを Google ドライブ の Google ドキュメント を使って文字情報に変換すると、次のようになる。まず、氏名の下に、「1969年7月30日、ケルン生まれ。Hahnwald地区のオスターリートウェグ13番地在住」(参考までに、その場所のグーグル・マップの航空写真を3枚目に示す)。そのあとに、身体的特徴について、「身長155~160cm、スリム、金髪、青い目」。服装について、「黄色の襟付きのダウンパッド入り青のアノラック、背中に “ Jofa” の文字のあるジャケット、青いキャロットジーンズ、白または青のスウェットシャツ、白いテニスシューズ、首にぴったりフィットする小さな金の延べ棒が付いた金のチェーン(カルティエ製)」。それ以下は、行方不明になる前の状況: 「彼は1981年3月6日午後4時40分頃に両親の家を出て、午後5時50分頃にRodenkirchen駅の軽食堂Signalwerkで最後に目撃された。彼が持ち物である後部の泥よけがなくなったKettler社製の銀色のアルミ製自転車は、両親の家くの森林公園の端で発見された」。捜索依頼書の署名は、「ケルンの警察署長」としか書かれておらず、名前はない〔これは、最初に “近くの署の警官” がタイプで作成したもの?〕 。そこに、ヨハネスが1人で入ってくる。アルバースは、「今日はヨハネス」と言って手を差し出し、握手する。そして、自分の机の前に座らせると、車に放り込まれた時の状況について質問する。ヨハネスの発言を聞いていて感心したのは、動転して記憶が混乱しているかと思ったら、「5分後、高速道路に乗りました。約40分走りました。それから、カーブの多い区間がありました」と冷静に述べる。アルバースは、最悪の状態で、それほどはっきり覚えていることに驚く〔逆に、すべては嘘の作り事だという当初の疑念が強化される〕。ヨハネスは、自分の状況についても述べる。「自転車から引きずり下ろされた時、布が顔にきつく押し付けられたので、息ができませんでした。それで、すぐに意識を失ったふりをして、できる限りすべてを記憶しようとしました」(4枚目の写真)〔まさに天才的〕。
一方、ハバート・フィッシャーは、森林公園の中にあった穴が、ライン川への地下運河の立坑であることを調べ、犯人はこの地下運河を利用して身代金を下流まで運んだと推定し、2.5~3キロ離れた地点の立坑まで来てみる〔事実は、この地点の付近でゴムボートが発見されたことがきっかけ〕。映画は、ここで、実際に起きたことを再現する。まず、地下運河が映る(1枚目の写真)。そして、犯人のうち1人が、森林公園の中の立坑を登って木箱の中にあった2つの袋を回収すると、それを下で待っていたもう1人に渡す(2枚目の写真)〔2人はゴムボートに乗ってここまでやって来た〕。ここで、現在に戻り、フィッシャーと相棒が、“出口” と推定される立坑から中を覗く(3枚目の写真)。
映像は、再び過去に戻り、上流からゴムボートで下って来た犯人の1人が、三爪錨を投げて、ゴムボートを停める(1枚目の写真、矢印は三爪錨)。2人は、お金の入った袋2個を持ってその立坑を登ると、向こうの道路にはバンが待っている(2枚目の写真、矢印は2人)。フィッシャーと相棒が覗いていたのも、同じ立坑であることが、次の画面から分かる(3枚目の写真、矢印)。
この推論の最大の成果は、立坑の近くに、犯人が放置しておいた三爪錨をフィッシャーが見つけたこと(1枚目の写真、矢印)。フィッシャーは、昔、伸線工場で働いていた叔父に相談に行き、3本の “爪” を作るのに使われている太いワイヤーについて尋ねる。叔父は、それが非常に珍しい英国製のワイヤーだと指摘する(2枚目の写真)。
映画には出て来ないが、実際には、まずゴムボートが発見された。当時の2点の新聞は、運河とボートの記事で埋まっている。まず、1枚目の写真の新聞の見出しは、「誘拐犯は運河でボートを使用」。その下の小さな副題は、「犯罪の歴史の中でも特異」。その下の文章は、「警察は昨日、実行と構想の点で専門家が「ドイツ犯罪史上特異」と述べるエルレマン誘拐の捜査中に重要な証拠を発見した。警察は現在、犯人が幅の狭いゴムボートで運河を通って逃走したと考えている。ボートは火曜日の夕方に運河で発見された。警察は、お金を手に入れた犯人が運河を歩いて行ったという以前の説とは異なり、新たに、犯人は発見されたボートで移動し、ケルン~フランクフルト高速道路近くの立坑から脱出し、乗用車で逃走したと断定している」。文章の右側には、発見されたボートの写真が映っていて、その下の説明には、「運河による損傷からボートを守るため、ボートの側面にゴム製の袋を取り付けたと思われる」と書かれている。2枚目の写真の新聞の見出しは、「警察も追随」で、その上には、「エルレマン誘拐事件では、特別委員会がライン川右岸の運河に赴いた」と書かれ、こちらの方が、「警察も追随」よりは、見出しとしては相応しい気がする。見出しの下の副題は、「帰宅した少年、本部で事情聴取へ/警察が箱と木の蓋を調査」。その下の写真は、警察に赴くヨハネスが映っている。写真の右側の文章は、途中で切れている。「11 歳のヨハネス・エルレマンが帰宅してから 3 日後、刑事警察は初めて彼に質問する機会を得た。昨日の午後、刑事が彼を迎えに行った。特別委員会は昨日から「有望な手掛かり」を得ているが、詳細はまだ明らかにしていない…」。3枚目の写真の新聞の見出しは、上の2点とは全く違い、「11歳でも自信たっぷり」で、その下の副題は、「心理学者 対 ヨハネス・エルレマン」。その下の記事は、量が少なくて斜めに切れているので、ほとんど分からない。解読できるのは右側だけで、「心理学者の憶測は主に家庭環境に起因する」と書かれている。
ヨハネスは、警察を訪れ、拘置場の面会室で父と感激の再会を果たす(1・2枚目の写真)。その際の、新聞記事の見出しは、「独房での面会」(3枚目の写真、ここでも当時のヨハネスが映っている)。
次に、ヨハネスが再度、ケルン警察に呼び出される場面がある。ガビィが白のポルシェで息子をのせてケルン警察本部の前に乗り付ける(1枚目の写真)。マールブルク警察歴史博物館のサイト(https://polizeioldtimer.de/)によれば、博物館に保存されていた2台の当時のパトカーが撮影に使われたとあり、その時の写真も添えられている(2枚目の写真、1枚目の写真と同じ)。車から降りる前に、ヨハネスは、「ここに何回来ないといけないの?」と、母に不満を漏らす(3枚目の写真)。
いつものアルバースの部屋に連れて行かれると、いつもと違い大勢の刑事が、ヨハネスを威嚇するように並んでいる。その中で、アルバースは、「ヨハネス君、私たちは、この8週間、君を注意深く精査してきた」と言うと(1枚目の写真)、「君は、1回目の事情聴取の際、誘拐犯の1人が金髪だと言った。1週間後、心理学者のワインレブ博士に、同じ犯人が茶髪だと話した」と、証言の曖昧さを指摘する。ヨハネスは、「でも、僕、すべて話したよ。ありのままを。でも誘拐犯はマスクをしていたし、暗かったから」と、当然の誤解だと主張する。アルバースは、そんな話はすべて信じていないので、立ち上がると、「今から、本当のことを話すんだ。何より、君の父親がこの件でどんな役割を果たしたかについてを。私たちは君の言うことなど何一つ信じない!」と、非常に失礼な言葉で、小さな子供を威嚇する(2枚目の写真)〔ドイツ警察の恥、最大の汚点の1つ〕。先のzweiの記事では、「その後、数週間にわたる聴取・現場検証が行われ、最後に “エルレマン誘拐事件捜査班” 全員の前で、有名な発言がなされた」と書かれた後に、ヨハネス本人の話が紹介される。「指揮官はこう言ったのです。『私たちは君の言うことをすべて聞き、次の結論に至った。私たちは君の言うことなど何一つ信じない! いい加減、本当のことを話したらどうだ!』。私は立っていられなくて、倒れてしまいました。それは私には耐え難いことでした」。
次にケルン警察の本部に行った時、ヨハネス様子が心配だったので、母も一緒に付いて行く(1枚目の写真、諦めきったヨハネスの顔)。そこに、婦人の警官がやって来て、ヨハネスに付き添いたいと希望するガビィを、「私たちを信じて下さい。ヨハネス君にとっては、身近な人がいない方が、細かなことに集中できるのです」と、いい加減な嘘をついて帰宅させる。そして、アルバースはヨハネスを、バンに乗せた小さな木箱の前に連れて行く(2枚目の写真)。ヨハネスのように “真に強い” 少年でなかったら、誘拐によってPTSD〔心的外傷後ストレス障害〕になっていても不思議ではないし、もしそうなら、さらに症状を悪化させる行為なのだが、アルバースは全く気にしない。ヨハネスに箱の中に入るよう命じると(3枚目の写真)、蓋をして、車で走り回る。この悪魔のような行為に、強いヨハネスですら、当時のことを思い出し、泣き出してしまう。zweiの記事では、「犯行を再現するため、ヨハネスは再び箱に入れられ、ワゴンでその地域を走り回った」と書かれ、本人の話が続く。「3人は20分間私と一緒に車で回り、最後にこう尋ねた。『水平対向エンジンだったか、ディーゼルかガソリンエンジンだったか?』。最悪の惨事だったのに」。
一方、地道な調査を続けるハバート・フィッシャーの相棒が、重大な情報を掴んでくる。それは、森林公園の中を貫通する道路をジョギング中の男性が、森の中の白いトヨタ・ハイエースが停まっていて(1枚目の写真、矢印)、森の中では3人の男が、木箱を作っていた(2枚目の写真、矢印は目撃者)という証言だった。相棒は、トヨタ・ハイエースの記録をすべて調べるよう手配したと説明する。
フィッシャーが、署の裏口から出て行くと、ちょうど警察のバンが着き、車から降りたアルバースが、後ろの扉を開けて、中に置いてあった木箱の蓋を開け、ヨハネスに 「いいぞ、出て来い」と言う。それを目の前で見ていたフィッシャーは、「冗談でしょ?」と訊く。「冗談なもんか」。アルバースはヨハネスを連れて行こうとするが、フィッシャーはヨハネスの肩に手を掛けると、「おいで、家に帰ろう」と言って連れて行く。アルバースが 「何の積りだ、フィッシャー」と文句を言うと、フィッシャーは 「あんたは、どうかしてる。頭がおかしいんじゃないか?」と強く批判する。怒ったアルバースは 「お前は、停職寸前だぞ!」と警告する。フィッシャーの車に乗ったヨハネスは、「あいつら、なぜ僕を信じようとしないのかな? 僕、起きたこと、そのまま話したよ。パパは、ぜんぜん関係ないんだ」と、不満をぶつける(2枚目の写真)。フィッシャーは、「いいかい、ヨハネス、大人って、時として考え方が柔軟でなくなるんだ。彼らは、一旦こうと思い込んだら、いくら説得しても、考え方を変えようとしない。だが、私は君を信じるよ」と言い、その後で、「犯人を捕まえたら、もう誰も君のパパについて、バカげた嘘なんか言わなくなるだろう」と付け加える。それを聞いたヨハネスは、父を救いたい一心で、これまで隠してきた重要だが危険な真実を打ち明ける。「僕、犯人の1人の顔、見たよ」(3枚目の写真)。
フィッシャーは、さっそくヨハネスを似顔絵担当者の所に連れて行き、犯人の似顔絵を作成する(1枚目の写真、ここだけ、画面が細長い)。次の場面では、三爪錨で使われた太い英国製ワイヤーに関する調査結果の電話がフィッシャーに掛ってきて、ワイヤーの工場が判明し、そこの工場からドイツに出荷したのは僅か10個で、そのすべてが、ケルンの州の一軒の釣り具店だったと知らされる。フィッシャーと相棒は、すぐにその釣り具店に行き、三爪錨を見せる(2枚目の写真、矢印)。そして、誰に売ったかと訊くと 「感じのいい若者だった」と答えたので、ヨハネスと似顔絵担当者が共同で作成した絵を見せると、店長はすぐに 「その通り」と認めた上で、「彼は、トヨタ・ハイエースを運転してた」と言う。まさに、ぴったりだ。
ここで残念なのは、映画では、何の説明もなく、いきなり “似顔絵以外の2人の犯人” の逮捕の場面になってしまうこと(1枚目の写真、2つの矢印)。「ヨハネスは偶然の被害者」だったと指摘したサイトには、こう書かれている。「ケルンとその近郊でのトヨタ・ハイエースの所有者は全員、調査の対象となり、それには2ヶ月を要した。警察は、ベルグハイム〔Bergheim、ケルンの約20キト西〕のドーツ家に疑惑の目を向けた。ヴァーナー・ドーツが倒産し税務署に税金を滞納しているにもかかわらず、一族が贅沢な生活を送っていることが判明し、1982年5月8日、ドーツ兄弟とその妻が逮捕された。さらに、彼の会社の従業員カール・ハインツ・オーデンタールも拘留された。妻のハンドバッグから見つかった1200マルクは、身代金の紙幣だった」。そのあと、売春宿のオーナーからの電話で、警察からの似顔絵に似た男が、何日も金をバラまいているという情報が入り、警察はすぐに店に突入し、顔の割れた犯人(2枚目の写真、矢印)を逮捕する〔これは、映画だけの設定〕。犯人を3人逮捕しても、アルバースはフィッシャーに向かって、「自分が賢いとでも思っているのか? 身代金はまだ見つかっていない。誰が持っているのかも分からん〔ヨヘムの仲間が持っていると信じている〕。結局のところ、私が正しいかもしれん」と、強弁する(3枚目の写真)。
一件落着のあと、フィッシャーはわざわざエルレマン邸に行き、ヨハネスに、「誘拐犯を捕まえたよ」と報告する(1枚目の写真)。ヨハネスが、「どうして、ホントに犯人だったと分かるの?」と訊くと、「彼らは白状した。それに、そのうちの1人は、君が作った似顔絵にそっくりだった。君のお陰だよ」と、ヨハネスを褒める。「どんな人たち?」。「彼らは、3人兄弟で、共犯者がいた。空調会社を経営していて、10万マルクの負債をかかえていた」。「だから、僕を誘拐したんだ」(2枚目の写真)。「ところで、彼らのうちの1人を知ってるって裁判官に言う勇気、あるかな?」。少し考えたヨハネスは、頷く。帰ろうとしたフィッシャーは、床近くの台の上に置いてあった鉄道模型の箱を見て、「どこで手に入れたの?」と訊く。「どうして?」。「娘のためにあちこち探したけど、いつも売り切れてて」。「パパのお土産なんだ。欲しかったらあげるよ」。「それは問題外だ」。「僕もう 遊ばないから」。「それなら、買うよ。幾らだい?」。「100マルク」〔母へのメッセージでは、「最初は700 から始めて、600を下回ったら売らないで」と言っていた。如何にフィッシャーに感謝してるかが分かる〕。フィッシャーがお金を出そうとすると、ヨハネスは 「娘さんと一緒に遊んであげるって、約束してね」と言い、フィッシャーは了解して50マルク札を2枚渡す(3枚目の写真、矢印は模型の箱)。
署に戻ったフィッシャーは、アルバースの部屋のドアを開けると、自白の結果を受けて、「身代金の場所、分かりましたよ」と言う(1枚目の写真)。「どこなんだ?」。フィッシャーは、犯人を逮捕してすぐアルバースの部屋に持ち込んだ2個の金属製のガスボンベを指して、「その中ですよ」と楽しそうに言う。映画では、ドーツ兄弟が、お札を1枚ずつくるくる巻いて、ボンベの一番上にある小さな穴から中に押し込んでいく様子を映す(2枚目の写真、矢印は巻いたお札)〔ガスボンベの中のお金は169万3900マルク〕。それを聞いたアルバースは、見えない169万に戸惑うばかり(3枚目の写真)〔この失態だらけのアルバースの本名は、Herbert Mertens(https://www.spiegel.de/politik/)〕。
裁判は1981年9月22日から始まり、判決は10月3日に出された。映画が、そのいつの時点の出来事かは分からない。まず、母が1人証人席に呼ばれ、最後にヨハネスが呼ばれる(1枚目の写真、矢印)。裁判官は、ヨハネスに向かって、「あなたの陳述は、訴訟手続きにとって非常に重要です。だから、証人として、真実を語ることがとても重要なのです。もし、確信が持てない場合は、率直にそう言って下さい」と言った上で、ヨハネスから見て左側の席に並んでいる6人〔被告と弁護士〕を指して、「あそこに座っている人達を見て下さい」と促す。ヨハネスが見ようとしないと、「あなたは、誘拐犯の1人の非常に正確な似顔絵の作成に協力しましたね。あちらを向いて、その男を示して下さい」と言うが、それでもヨハネスは前を向いたまま。裁判官のヨハネスに対する命令は、次第に苛立ちを交えた厳しい言葉になって行く。そして、耐えられなくなったヨハネスはうつむいてしまう。そこに降りかかる、「ヨハネス!」と大声でくり返される命令。ヨハネスは、最後に、「お前が俺のこと密告したら……お前たちみんな殺してやる。お前のお袋、親爺、兄貴、全員だ」という脅しを乗り越え、顔を見た犯人を指差し、「僕、彼を見ました!」と叫ぶ(3・4枚目の写真)。その日なのか、もっと後の日なのか、映像とは関係なく裁判官の判決の声が聞こえる。「被告ホルガー・クルーゼは、児童拉致と強盗を併せた恐喝誘拐で有罪。懲役10年。ヴォルフ・クルーゼは8年、マーティン・クルーゼは3年、ルッツ・ハイムブレヒトは8年」〔実際には、主犯のディーター・ドーツが10年、弟のホルスト・ドーツと従業員のカール・ハインツ・オーデンタールが8年、22歳のヴァーナー・ドーツが3年〕。
映画の最後は、ヨハネスが兄のアンドレアスと、仲良く森林公園の中を自転車で走る場面で終わる(1枚目の写真)。そのあとのエンドクレジットでは、この最後のシーンの元となった、2枚目の左側の写真が一番に表示される。2枚目の右側は、この年代のヨハネスが最も良く映った写真。