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Bekas ベカス 〔戦争孤児〕

スウェーデン・イラク映画 (2012)

1990年、イラク北部のクルド人居住地区に住む2人の孤児が、町の映画館にやってきた『スーパーマン』(1978)に触発され、アメリカに行きスーパーマンを呼んできてサダム・フセインを打倒してもらおうと思い立つ映画。兄弟は、アメリカまでは行けず、シリア北部に脱出したところで映画は終る。この映画は何となく、ポーランド映画『300 mil do nieba(天国への300マイル)』(1989)を連想させる。厳格な体制から兄弟で脱出しようとするところ(弟の方が積極的)、トラックの下に隠れるところ(国境での厳重な検問もある)など、そっくりなところもある。ポーランド映画が1985年に起きた実話の映画化だったように、この映画は、1991年に家族でスウェーデンに逃げた監督カルサン・カルダール(Karzan Kader)自らの体験が元になっている。その時点で監督は6歳。映画では弟のザナが6歳。兄よりも弟の目線で映画が進行するのは、ザナが当時の監督の分身だからである(監督は、ストックホルム国際映画祭の際のインタビューで、子供の頃、『ランボー』(1982)を観て、ランボーにサダムをやっつけて欲しいと思ったと語っている)。ポーランド映画と大きく違う点は、監督の子供時代には周囲にフセインの兵士がいて、紛争と隣り合わせで過した体験が映画に反映されている点であろう〔1980年代末以降、サダム・フセインはクルド人に対する弾圧・攻撃をくり返した〕。それを強調するため、ザナと兄のダナ(10歳)は、戦争孤児で一切の身寄りがないという辛い立場に置かれている。2010年に現地で行われた撮影は、IS (アイエス)が活性化する前で、オバマ大統領がイラクでの戦闘任務集結を宣言した年だったが、イラク政府とクルド人との関係が平穏だった訳ではなく、監督自ら撃たれそうになったと語るほど危険なものだった(スウェーデンに逃げ帰れば、二度と映画は作れないと思って頑張ったとか)。そうした緊張感が、映画に独自の雰囲気を与えている。なお、DVDにはドイツ語が付いているが、流布している2種類の英語字幕の3者とも、内容がかなり違っていて、クルド語の翻訳が難しいことを実感した。結局、どれも信用できず、台詞の翻訳には3者を併用した。

フセイン政権軍がイラク北東部ハラブジャを化学兵器で攻撃し、クルド住民ら約5000人が死亡したのは1988年3月16日。1980年代の末は、イラクに住むクルド人は圧制に喘いでいた。ザナとダナの2人の弟兄が孤児となったのは、そうした時代背景によるものだが、天涯孤独となった2人は助け合って逞しく生きてきた。政情が不安定なため、孤児の入る施設もない。着の身着のままで、寝るのは他人の家の屋上。唯一の収入の道は靴磨き。ただ、ザナには、優しくしてくれる電器修理店のおじいさんがいたし、ダナには憧れの美少女もいた。そんなある日、町の映画館で『スーパーマン』が上映され、ザナは、スーパーマンなら両親を殺した憎いサダム・フセインをやっつけてくれると思い込む。そして、兄は、大好きな少女がアメリカに行くという話を聞き、ザナにアメリカに行ってスーパーマンに会い、両親を生き返らせてもらおうと焚き付ける。それをまともに信じたザナは、兄とともに、靴磨きで稼いだ全財産でロバを買い、アメリカに向かって旅立つ。しかし、当時のイラクには、戦時上、検問所が設けられるなど、通常に旅をできる状況にはなかった。そんな中、一銭も持たない兄弟は、ある時はトラックの下に隠れ、ある時は穀物と一緒に袋に詰められて検問を突破する。ようやく辿り着いたのは、シリア北部のアラブの村。果たして2人はその後、どうなるのであろうか?

ザナ(6歳)役のZamand Tahaは、監督のインタビューによると孤児院で見つけた子供。ダナ(10歳)役のSarwar Fazilについては不明だが、演技素人であることに変わりはない。ザナ役は、かつての監督をイメージしたものなので台詞は多い。しかし、それを怒鳴るような話し方でイントネーションなしにまくし立てるため、海外評では“gritty enthusiasm(ザラザラした熱狂)”と評したものもある。俳優養成所など皆無の現地で巧い「子役」など見つかるはずないので、酷な表現のようにも思える。兄のダナ役は整った顔立ちだが、性格設定が不自然(死んだ両親に対する思慕の情ゼロ、女の子にかまけてザラの邪魔ばかり)なため魅力のない役なのが可哀想だ。


あらすじ

子供たちが町外れの広っぱでサッカーをして遊んでいる。すると、1人の少年が、「映画館でスーパーマンが始まるぞ!」と走ってくる。子供たちは、映画館のある町の中心に向かって一斉に走り始める。『スーパーマン』がアメリカで封切られてから10年以上経っている。1980年代のサダム政権下のイラクは親米的だったので、なぜこんなに上映が遅れたのかは分からない〔観たこともない映画なのに、なぜこれほど熱狂するのだろう?〕。映画館の前に列を作る子供たち。その前に来たザナは、「兄ちゃん、2ディナールある」と訊く(1枚目の写真)〔1989年末の闇相場で1ディナール≒現在の約100円/すごく安いようだが、兄弟が稼ぐ靴磨き代も1回1ディナール、逆にロバ1頭が僅か45ディナールなので、映画の設定が正しいのか いい加減なのかすら分からない〕。兄は、「金なんかいるか。来い」と言い、弟を映画館の裏手の家に連れて行く。この町の建物は、日干しレンガの上から土を塗ったものばかりなので、簡単に屋上に登れ、屋上は平らで連続しているため映画館の屋根まで簡単に辿り着ける。映画館はさすがにコンクリートでできていて、2人は、屋根上の円形のドームに設けられた明り取りに登って、ちゃっかり映画を鑑賞(2枚目の写真)。しかし、外から覗くことができるということは、中からも、「こっそり見ている」のが分かってしまうことになる。どのくらい観ることができたかは分からないが、係員が屋上まで登ってきて、ザナをつかむと、「やい、そこで何してる? 降りて来い」と、引っ張り降ろす。そして、顔を叩きながら、「切符ぐらい買え!」と言いつつ、屋上の端まで引きずっていく。そこで、さらに何度も叩くと、「路地に落としてやる」と言わんばかりに、体をつかみ上げる。「二度と来るな!」(3枚目の写真、コンクリートの断面が剥き出し)。わずか1ディナールで、ずい分ひどい仕打ちだ。すべては兄の提案なのに、叩かれたのはザナだけ。兄は、一度助けに行くが、すぐに跳ね飛ばされる。何もできなかったくせに、兄は、2人で逃げた先で、泣いているザナを「泣くな、しゃんとしろ!」と叱る。「なんでさ?!」。「なんで泣いてる?」。「戻って、あいつの口を殴ってやりたい!」。「なんで さっき殴らなかった?」。「つかまれたからだろ!」。兄に叩かれそうになり、ザナはしぶしぶ口を閉ざす〔兄の情けなさが強調されている〕
  

2人は、町を見下ろす丘の上に行く。兄は、その先にある山を見ている。「兄ちゃん、なに見てるん?」。「アメリカ」。「アメリカって誰?」(1枚目の写真)。「アメリカは でかい街で、スーパーマンがいるんだ」(2枚目の写真)「ビルがいっぱいあって、お月さんに届くくらい高いのもある」。「兄ちゃん、なんで知ってんの?」。「英語で読んだ。俺たち そこに行くんだ」。それを聞いたザナは、町に向かって走り出す。「どこ、行くんだ?」。「パンと水、取りに」。「なんで?」。「アメリカ、遠いんだろ。行くって言ったじゃないか」(3枚目の写真)〔唯一判明したロケ地はイラク北部のクルド地区にあるコヤ(Koya/Koy Sanjaq)という人口4~5万の町。背後に映っている町は結構大きいが、そこがコヤかどうかは分からない〕。「バカ、そんな 簡単じゃない」。「なんでさ」。「俺たち、パスポート持ってないだろ、バカ」。「兄ちゃん、パスポートって、何?」。「ちっちゃな本で、お前の写真と名前と年、それに、父ちゃんの名前が書いてある」。「父ちゃん、いないじゃないか」。「なら、お前の名前だけでいい」。兄は、パスポートの話が出たので、弟と一緒に町の中心に向かう。
  

2人がまず向かったのが、ザナが「じいちゃん」と呼んで慕っているカリ老人の息子の店(電器修理店)。2人は「宿無し」なので、靴磨きの道具を置かせてもらっている。今日は、カリ老人は不在。ザナは、この40歳くらいの店の主人が苦手。兄が道具を取りにいっている間、気まずい感じで待っている。兄が道具を持って来たので2人で、「さよなら、イスマイルさん」と挨拶して店を出る(1枚目の写真、矢印は靴磨きの道具)。町の小さなバザールの一角に立ってザナが声を張り上げる。「お客さん。靴をピカピカにするよ!」(2枚目の写真)。ザナの商売はかなり強引だ。汚い靴の男を見つけると、「おじさん、そんな汚い靴で恥ずかしくない? もしアメリカだったら、笑われるよ」と大きな声で指摘する。「何だと! 公衆の面前で侮辱する気か?」。「じゃあ、恥ずかしいんだ。1ディナールで、おじさんの靴、男の靴にしてみせるよ」。この男は、ザナの客になった。隣で静かに座っている兄の磨き台の上に、憧れの女の子の父親が靴を乗せる。簡単な服装が一般的な中で、カラーのYシャツにネクタイをしたブレザー姿はお洒落で珍しい(学校の教師)。兄は、靴を磨きながら女の子の顔をじっと見ている(3枚目の写真、矢印は女の子のワンピース)。ザナは、小声で、「兄ちゃん、失礼だから見るのやめろよ」と注意する〔イスラム圏では、女性をじろじろ見るのは非常に失礼〕。何度言っても兄がやめないので、ザナは、自分の客がいなくなると、立ち上がって大声で客引きをする。女の子の父親は、「黙らんか! 耳が痛くなる!」と叱るが、ザナはやめない。父親は、半分しか磨いていないので、半ディナールだけ置いて立ち去る。
  

その後、2人はバザールの建物の中に入って行く。「パスポート」という言葉を耳にはさんだ兄は、「おじさん、パスポートって幾らするの?」と訊く。「なんでパスポートなんか要るんだ?」。「弟と一緒にアメリカに行きたい」。「7000ディナール以上するぞ。お前らには無理だ。とっとと失せろ」(1枚目の写真)。追い払われたザナは、「兄ちゃん、これからどうするの?」と訊く。「働くんだ」。「ボクに7000で、兄ちゃんに7000だと、幾ら?」。「14000」。こんな大金を靴磨きで稼ぐことは不可能だ。2人はモスクの前に来る。兄は、ガムを噛んでいるザナの頬を引っ叩く。「ガムを出せ。モスクだぞ」。「兄ちゃんが、毎回ちゃんと1ディナールもらってたら、今ごろ百万長者だ!」(2枚目の写真)。ザナは、入口の脇にガムを貼り付けると、モスクに入って行く。2人は、顔、手、足を専用の洗い場できれいにし、靴置き場に 運動靴と靴磨き道具を並べて置くと、絨毯が敷き詰められた堂内に入って行く。そこには20~30人ほどの男たちがメッカの方向を指すミフラーブに向かって礼拝をしている。祈りの言葉は、「アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)」〔これはアラビア語であって、クルド語ではないと思うが?〕。礼拝が終わって男たちが去った後、兄弟だけが後に残る。ザナは、「お願いです。ボクたちがアメリカに行って、スーパーマンに会えるようにしてください。お金を稼げるよう、汚い靴を山ほど与えてください」と祈る(3枚目の写真)。兄は始終黙っていて、ザナの祈りが終わると、「100万ディナールも頼んどけよ」と言う。「カリじいちゃんは、アッラーにお金を頼んじゃいけないって。そんなことしたら、みんな取り上げられちゃう」。「バカだな、何を取り上げる? 俺たち 何も持ってないだろ。欲しい物を頼め。パスポートとかな」〔兄は、自分では何もせず、人を批判するだけ。嫌な性格だ〕。兄が去った後、ザナは、「偉大なアッラー、兄ちゃんを許してください。今日はトロいんです」と謝る。
  

2人は、靴磨き道具を返しに行く。今度は、カリ老人が戻って来ていて、息子のイスマイルは不在。ザナは老人の元に飛んでいき、抱き付いて何度もキスする。ぴったりくっついたザナの臭いを嗅いだ老人は(1枚目の写真)、「ダナ」と兄を呼ぶ。「お前の弟は臭いぞ。ちゃんと洗わせてやらんか」。ザナは、その場で黄ばんだシャツを脱ごうとする。老人は、「ここで脱いじゃいかん。悪臭で目が潰れてしまう」〔イスラム教徒は清潔さを重んじるが、ザナの場合は、その規範を遥かに超えるほど臭かったのであろう〕。ザナは、「カリじいちゃん、靴磨かせて」と言い出すが、老人は、「偉大な勇者の多くは、履き古した靴を使っておった」と断る。「カリじいちゃん、ボクの靴もボロボロだよ」。「お前は、わしにとって ずっと勇者じゃった、愛しい坊主よ」(2枚目の写真)。しびれを切らした兄が、「ザナ」と呼ぶ。2人が路地を歩いていると、さっき兄が見惚れていた女の子が前方の路地を通り過ぎて行く。兄は、「すぐ戻る」と言うと、女の子の後を追って行く。女の子は途中で兄に気付くが、そのまま歩き続ける。誰もいない場所まで来た時、女の子はいきなり振り返って、「ずっと後をつけて、飽きない?」と訊く。「僕が歌手だったら、君のために歌うんだけど」。「何の歌」。「ジャングル。ライオンや象や猿がいる」(3枚目の写真)。「私は何なの?」。「蝶」。それを聞いた女の子は、「目を閉じて」と言い、兄の頬に軽くキスする。「誰かにこのこと話したら、殺しちゃうから」。「誓って、誰にも言わない」。兄がずい分遅れて戻って来ると、ザナは待ちくたびれ、靴を磨いてお金を稼いでいた。
  

2人は、水を容器ごとタダで借りられる親切な女性の家の前に来る。「俺がノックする。お前は口を閉ざしてろ」。「なんでさ? 市長のつもりか?!」。「お前のご主人様だ。だから、黙ってろ」。そして、兄がノックする。日干し煉瓦の土壁だが、ドアは鉄製だ。ただ、ドアといっても、中は、すぐに家ではなく、物干し場の「中庭」になっている。兄が話し出す前に、ザナが、言われたことなど無視して、口を出す。「今日は、おばさん。元気ですか?」。「元気よ。あんたたち、どうしたの?」。兄が、「水をバケツ2杯もらえません?」とお願いする(1枚目の写真、矢印は指の「2」)。「いいわよ。持って来るから、ここで待ってて」。親切なおばさんと交代に、嫌味なデブ少年が現れる。「お前ら何だ? また、タダで水をせびりに来たんか?」。怒って飛びかかろうとするザナを、兄がとめる。おばさんが、水で満杯のバケツを2個持って来る。「ほら。バケツは早く返してね」。兄:「どうもありがとう」。ザナが素早く復讐に出る。「アリ〔Ari〕、アザドが言ってたぞ。アリ〔Ali〕さんのリンゴ盗んだそうだな」。これで、兄弟を嘲ったアリは、母親から頬を叩かれる。ザナは、コンクリート・ブロックが剥き出しになった建設中の建物の屋上に登ると、荷揚げ用のロープを兄に投げ、兄がそれを引っ張ってバケツを屋上まで上げる。バケツを前にパンツだけになった2人。ザナが、そのまま足をバケツに突っ込むと、兄が強く頭を叩き、「最初に足を突っ込んじゃダメだって、何度言ったら分かるんだ?」と叱る〔イスラムの教えで一番汚い場所を、一番先にきれいな水に入れるのは間違っている〕。それから後は、2人は順調にバケツの水で体を洗う(2枚目の写真、矢印はバケツ)。ただし、せっけんなどはないので、あまりきれいになったとは言えない。バケツを返した2人が路地を歩いていると、反対側からさっきの女の子と、連れの女の子が2人でやって来る(3枚目の写真、矢印は兄の好きな女の子)。両者は路地の角でぶつかり、連れの女の子が、「どきなさいよ。男の子はみんな悪魔よ」と、邪険に兄を押し除ける。「何だよ?」。「アザドがヘリヤの金のネックレスを取り上げて池に投げ込んだの」。それを聞いた兄は、「カリじいちゃんの店に行ってろ」とザナに命じると、そのまま走り去る。
   

ここから先は、ザナと兄の話が、同時進行で語られる。あらすじでは、順不同で、先にザナの話をまとめて紹介する。ザナは、まず、バザールに行き、兄から聞いた「ちっちゃな本」サイズのノートを買う。白い厚紙を乱雑にとめただけの手製のものだ。ザナは、「スーパーマンへ」と書き、次いで「サダム・フセイン、アリ〔Ari〕」と書く。成敗して欲しい「悪玉」の順番だ。その後、ザナはカリ老人の店に向かう。今度も いたのは老人だけ。老人は、「なんで難しい顔をしとるんだ?」と尋ねる。「ダナが、女の子の後ばかり追ってる」。老人は、そのうちザナも後を追うようになると言うが、自分のことを訊かれ、かつては自分も追ったが、その美しい妻は、息子を産んだ時に死んだと話す。ザナは、「ごめんね。おじいちゃんと2人だけの話だけど、ボク、息子さん好きじゃないんだ」とヒソヒソと話す。「知っとるぞ。だが、あいつは、わしのたった一人の息子だから、愛してるんだ」。「ボクとダナがいるじゃないか」(1枚目の写真)。この「暴言」に対し、老人は、外に行って20・30本の小枝を拾って来るよう頼む。出て行く前に、ザナは、「カリじいちゃん、ボク、『愛しい坊主』って呼んでくれると、すごく幸せなんだ」と声をかける。ザナが小枝を持って戻ってくると、老人は、長めの枝を1本渡し、1つに折るように頼む。ザナが折って返すと、今度はすべてを束にして(2枚目の写真、矢印は小枝の束)、「一度に全部折ってごらん」と渡す。ザナには、どうしても折れない(3枚目の写真)。これは、イソップ童話の「兄弟喧嘩をする農夫の息子」に出てくる棒の束や、毛利元就の「三矢の教え」と同じものだ。老人は、「もし、家族がまとまっていれば強い。もし、お前とダナが一つになれば、2人とも強くなれる。息子とわしが一つになれば、わしらは強くなれる」と諭す。
  

一方、兄は全速で池に向かう(1枚目の写真、矢印)。そして、泳げもしないのに、枝に縛ってあったロープにつかまって、池に飛び込む(というか、飛び落ちる)。たまたま近くを通りかかった6名の作業員が、兄の「助けて!」という悲鳴を聞きつけ、1人が体にロープを縛って助けに行く。溺れるところをかろうじて助かった兄だったが、右手にはしっかりと金のネックレスをつかんでいる(2枚目の写真、矢印)。町まで全速で戻った兄は、さっき会った女の子にヘリヤの居場所を訊く。「あそこの車の中。家族でアメリカに行くみたい」。車には父親が乗り込み、今まさに出発しようとしている。兄は、車まで駆けて行くと、後部座席右側に座っているヘリヤに、「行かないで、聞いて」と声をかける(3枚目の写真、矢印はヘリヤ)〔「ネックレスがあった」と言えば即座に停まっただろうが、それでは映画にならない〕。車に捉まって窓を叩いているうちに、サイドミラーがもげて落ちてしまい、父親はカンカン。
  

ザナの靴磨きは大繁盛。くたびれてカリ老人の店に戻ってくると、店の前には人だかりが出来ている。何事かと中に割り込もうとするザナをとめたのは、老人の息子のイスマイルだった。「イスマイルさん、お願い、入らせて。カリじいちゃんに会いたいんだ」。しかし、イスマイルはザナを店から離すと、「ここにいては良くない」と立ち去るように言う。不審がるザナに真実を告げたのは、意地悪アリ〔Ari〕だった。「お前のカリじいちゃんは死んだぞ」。店から棺がかつぎ出される。それを見たザナは、「カリじいちゃん、お願い 置いてかないで!」と泣き叫ぶ(1枚目の写真)。そこに現れた兄。全く感情を表に出さない〔すごく不自然〕。いつかの、「スーパーマンの丘」の上にしゃがみ込んだザナ。兄は横に来てしゃがみ込むと、「俺もカリじいちゃんは好きだった。だけど、やめないぞ。アメリカに行くんだ」と言う(2枚目の写真)〔さっき、ヘリヤがアメリカに行くのを見たから〕。「行けっこないさ」。「行けるさ。行き方を知ってるからな」。そう言うと、地図を取り出す。それは、何と、すごくいい加減な世界地図。さらに、「俺たちは… ここだ」と言って指を置いたのは「Africa」のA字の上。「アメリカは…」と捜し、「Europe」のEの字の上に指を置く。彼は世界の地理も知らないし、「英語で読んだ」と言ったくせに「Europe」も読めない。そして、「信じろ。遠くない」と言うと、「Africa」と「Europe」を指で挟む(3枚目の写真)。「これっぽっちだ」と指をザナの前に持ってくる(4枚目の写真、矢印)。
   

ザナは、「何言ってんだよ。お金もパスポートもないんだ」と反対。それに対し、兄は、ヘリヤのネックレスを出してみせる(1枚目の写真、矢印)〔ネックレスというよりはペンダント〕。「これがあれば、アメリカに行ける」。その日の夜は激しい雨。宿無しの2人は、どこかの店の庇の下で雨をしのいでいる。ザナは、ペンダントトップの蓋の裏に母の写真を入れる(2枚目の写真、矢印)。「なんでそんなことする?」。「母ちゃんの写真、こんな風にして持ってたかった」。翌日、兄は、以前、パスポートのことを訊いた男たちのいた店に1人で入って行く〔ザナは入口で待つよう強制され、ふてくされる〕。あまりに偶然だが、兄が中に入って行くと、ひそひそ声が聞こえる。「最初と3番目の検問が難関だ。すごく危険だ」。兄は、「ちょっといい? 俺と弟、アメリカに行きたいんだ」と割り込む。髭の男は、「アメリカ? 金がかかるぞ。持ってるのか?」と詰問する。兄はペンダントを見せる。10歳の少女の持ち物が、それほど高価なはずがない。男は、ペンダントを開いてみて、「こんなんじゃダメだ。失せろ」と突き返そうとする。すると、同席していた眼鏡の男性が、開いている蓋の写真をチラと見て、ペンダントを手に取り、写真をじっと見る。「誰の写真だ?」。「母ちゃん」。髭の男は、母親の持ち物を持ち出したと責めるが、兄は、「もう死んだよ。今は、俺と弟だけだ」と答える。「君のお母さんの名前は?」。「ハディジャ」。「お父さんの名前は、ハサウかい?」。兄は頷く。「君はダナか? 最初の子の」。「そうだよ、おじさん。だけど、なんで知ってるの?」。「君のお父さんと私は戦場で一緒だった。彼は、君が小さかった時の写真を見せてくれた。君のお父さんは、私の命を救ってくれた。これは持っていなさい。私がアメリカ行きを助けてあげよう」(3枚目の写真、矢印は 見えにくいが ペンダント)。しかし、髭の男は、「オスマン、はっきりと言うぞ。途中は極めて危険だ。お前さんの家族で手一杯だ。その上、2人の子供なんて無理だ」ときっぱり断り、兄は追い払われる。
  

先の場面も、兄とザナのシーンが交互に進んでいる。今回は、後の順序を考え、先に兄の方を紹介したので、ここではザナについての部分をまとめて記述する。兄が店に入って間もなく、1人の男の子がビー玉で遊びながらバザールの中を歩いて行く。それを見たザナはすぐに後を追う。そして、2人は町外れでビー玉の勝負を始める。ザナは地面に腹這いになり、自分のビー玉を弾き飛ばして、相手のビー玉に当てる(1枚目の写真、赤の矢印はザナ、黄色の矢印はロバ)。それを見た卑怯な相手は、負けたのが悔しくて「インチキだ!」と因縁をつける。「インチキじゃない!」。「インチキだ!」。「ビー玉を寄こすか、兄ちゃんを呼ぶかだ!」。その言葉に、相手は、次なる「インチキ」を考える。横にいたロバを見て、「あれをやる」と言い出したのだ。「ロバか?」。「そうだ」。ビー玉より遥かに高価なロバがもらえるはずがないがのに、金銭感覚のないザナは、それを信じてしまう。そして、ロバに乗ってご機嫌に路地を練り歩いていると(2枚目の写真)、店を追い出された兄が駆け寄る。「ザナ、ロバに乗って何やってる? 降りろ!」。「ロバじゃない! これ、マイケル・ジャクソンだ。ボクが名前をつけた」。その時、ロバの飼い主が投げた靴が、ザナの頭を直撃する。飼い主は、「降りろ」とザナを引っ張り降ろすと、「俺のロバで何してやがる!」と問い詰める。「これ、ボクのだ。ビー玉の勝負で勝ったんだ」。「ビー玉だと! この嘘付きが! 盗っ人がどうなるか教えてやる!」。そう言うと、飼い主は靴を脱いで、それでザナと、助けようとする兄を叩き始める(3枚目の写真、矢印は靴)〔イスラムでは、靴で人を叩くのは最大の侮辱〕。何とか逃げ出す2人。飼い主は、「今度見かけたら、体中の骨を折ってやるからな!」と威嚇する。
  

兄はザナに、ネックレスが売れなかったと打ち明ける。「俺たちは、ここに釘付けだ。アメリカを見ることなんかできない」。「何言ってんだよ! ボクらで行きゃいいじゃないか!」。「どうやって?」。ザナは、「アメリカまで、これっぽっちだって言ったじゃないか」と言って、兄が地図の上で指で示した大きさを見せる(1枚目の写真、矢印)。「歩いて行けるだろ!」。「いい考えがある。歩かなくていいぞ。来い」。兄が向かった先は、さっきのロバの飼い主の家。兄は、「ここで待ってろ。じいさんを呼んでくる」と言って、家に入って行く。ロバには、「売ります」と書いた紙がぶら下げてある。そこに、飼い主が戻って来る。またザナがいるのを見つけると、靴を脱いで頭に投げつけ、「この、クソチビ。靴を寄こせ、お前をぶっ叩いてやる」と、実際に10数回お尻を叩く。兄は肝心な時にいない。ザナは兄に付いて来ただけなのに、実に損な役回りだ。騒ぎに気付いた兄がようやく飛び出てきて、「俺たち、ロバを買いに来たんだ」と叫ぶ。飼い主は、相手が買い手となると、急に態度が変わるが、「ロバ」と呼ぶことは失礼だと言い、「長耳」と呼べと主張する。そして、ザナが、「マイケル・ジャクソン」だと言うと、引っ叩く。兄は、溜め込んだお金をすべて出し、ザナのお金も全部出させ、「俺、幾らするか知らないけど、それ有り金全部なんだ」と言って渡す。お金が十分に多かったのか、買い手がないと思ったのか、不憫に思ったのか、飼い主は小銭をザナに返し、売ることにする。2人はさっそく「長耳」に乗って出発(2枚目の写真)。十字路にさしかかると、ザナは「アメリカはどっち?」と訊く。兄は世界地図を広げ、真っ直ぐと指示する(3枚目の写真、矢印は地図)。
  

しかし、ザナはすぐに、「兄ちゃん、ボクら、行けないよ」と降りる。「なんでだ?」。「父ちゃんや母ちゃんはどうなるの? 墓地に放っとけないよ」。兄は、スーパーマンを連れ帰れば、両親が生き返ると嘘を付き、ザナを納得させる。ザナは、2人の墓の前にひざまずくと(1枚目の写真)、①アメリカに行ってスーパーマンを連れてくる、②そうすれば、サダムとその兵士をやっつけてくれる、③父母も生き返らせてくれる、の3点を告げる。そして、墓石にキスし、待っている兄の元に行く〔兄は、自分の両親になぜ別れの挨拶くらいしないのか?〕。2人は、ホブス(パン)を3枚買い、ポリ容器に水を満たし、お別れに果物2個もらい旅に出発する。2人の壮行を知って、意地悪アリ〔Ari〕を含め、大勢の子供たちが見送りに来る(2枚目の写真)。しかし、町を一歩出ると、果てしのない不毛の地が拡がっている。ザナ:「兄ちゃん、アメリカには今夜着く?」。兄:「今夜が無理でも、明日には着くだろ」。「スーパーマンって、悪い奴を全部やっつけるくらい強いかな?」(3枚目の写真)。「ああ、すっごく強いぞ」。「なんで、サダムを殺さなかったの? 誰でも極悪人だと知ってるのに。それにボクらの父ちゃんと母ちゃんを殺したろ」。「さあな、サダムのこと知らなかったんだろ」。「ボクが、スーパーマンに教えてやる」。
  

2人が、パーキングエリアのような場所〔整備されているわけではない〕の前を通ると、コカ・コーラのビンを満載したトラックが停まっている。「兄ちゃん、ちょっぴりもらってきてよ」。「危険すぎる。捕まったらどうする?」。「大丈夫だよ。誰もいないじゃん。ボクに1本、兄ちゃんに1本。それだけ」。「誰か来たら知らせろよ」。兄はトラックの荷台に上がる。ザナも荷台にぶら下がる。その時、いきなりエンジンがかかる。運転手は最初から車内にいたのだ。ザナは飛び降りるが、兄は取り残される(1枚目の写真、黄色の矢印は兄、赤の矢印はザナ、トラックは「アオリ」と呼ばれる「荷台の側壁」が上がっているので、子供には登りにくいことがよく分かる)。兄は、荷台の後部に行くと、「ザナ! 来てくれ! 飛び降りるのはムリだ!」と叫ぶ(2枚目の写真)。こうしてザナは一人ぼっちになった。「長耳」は最初のうちザナの言うことを聞いてくれなかったので引いて歩いたが、そのうち乗せてくれるようになる。かなり進んだ頃、前方に荷車を牽いて歩いている老人が現れる。追いついたザナは、「おじちゃん、どこ行くの?」と声をかける。「あっちの村じゃ。弟がいる」。「荷車をつないだら? 一緒に行こうよ」。2人は、荷車に乗り、ザナは手綱を伸ばして「長耳」をコントロールする。「どこに行くんじゃ?」。「ボクと兄ちゃん、アメリカに行くんだ」。「ロバが兄なのか?」。「違う、どっかに行っちゃった。トラックが動き出して、飛び降りれなかったんだ!」。「アッラーが望まれれば、兄に会えるだろう」。「なんで、アッラーが兄ちゃん連れてっちゃったの? 孤児で 一人ぼっちなのに」(3枚目の写真)〔タイトルの “bekas” という言葉が台詞として使われる唯一のシーン〕。「お前は一人ぼっちじゃないぞ。アッラーが共におられる。人それぞれの生き方を与えて下さる」。
  

ザナと老人が荷車の旅を続けていると(恐らく数時間)、前方から兄がやって来るのが見える。ザナは大喜び。すぐに荷車を降りて、兄に向かって走り出す。「ダナ、ダナ、ダナ!」(1枚目の写真、矢印は後方の荷車)。兄も、「ザナ、ザナ!」と叫びながら走る(2枚目の写真、矢印はコーラのビン)。2人は駆け寄って抱き合う。「兄ちゃん、やったね」。「ほら、お前のだ、飲め」。2人は乾杯して飲む。ザナは半分残して老人にあげると言い出す。荷車に戻ると、今度は兄が手綱を取る。3人は、片言の英語(お早う、ありがとう、など)を言い合って笑う(3枚目の写真、矢印はコーラ)。映画の中で一番微笑ましいシーン。やがて、老人の村への分岐点があり、2人はそこで別れる。「アッラーが望まれれば、アメリカに着けるじゃろう」。
  

2人は、結構大きな町に着く。辺りはもう真っ暗。「長耳」は路地に残し、2人は置いてあった梯子で屋上に上がって寝る。しかし、その町にはあちこちに拡声器が取り付けられており、早朝礼拝を呼びかけるアザーンの「アッラーは偉大なり」の声で飛び起きるハメに。兄は、今度は弟を同伴して密輸業者に会いに行く。「俺たちアメリカに行きたいだけど、助けてくれる?」。首を振る男に、兄はペンダントを見せる。「これあげる」。「そんなもんじゃダメだ」。「行けるとこまで連れてってよ。後は、自分たちで何とかするから」。「うまくいくはずがない」。ザナは、「できるさ。あんたの助けなんかいるもんか」と憎まれ口をたたく。男は、「ここに来い」と呼び寄せると、いきなりザナの頬を叩く。「アメリカに行きたいんだな?」。「うん」。「どうしても?」。「うん」。「やり方は2つある。1つは、この町のタバコ工場から出てくる車の下に隠れるんだ」(1枚目の写真、頬を押さえているのは、叩かれて痛いから)「だが、落ちんよう 気をつけろ。でないと死ぬぞ」(2枚目の写真)「これまでにも、多くの奴が落ちて死んだ。検問で捕まった奴も多い。2つ目は、明日の朝、お前たちを検問所の向こう側に連れてってやる。だが、そこまで。そこでバイバイだ」。かくして、契約は成立。「長耳」は連れて行けないので売り、明朝7時にペンダントと引き換えに乗せて行くというものだ。2人は、さっそく町のバザールに行く(3枚目の写真)。最初の客の言い値は25ディナール。30まで上げたが兄は売るのを拒否。2人目は40ディナールを提示。ザナは50を要求。結局45で手打ち。お世話になった「長耳」とは、さよならだ。
  

ザナがお金を数えながら受け取っていると、アメリカに行ったはずのヘリヤが階段を上がって行く。兄は急いで後を追う。そして、近くにいたヘリヤの父親から見えない場所に引っ張り込む。ヘリヤ:「こんな所で何してるの? 父さんに見つかったら、殺されるわよ」。「1分だけ。大事な話がある」。その時、「ヘリヤ、どこにいる?」と父の呼ぶ声が聞こえる。ヘリヤは、モスクの近くの叔母の家にいて、6時に散歩に出かけるから、そこで会おうと約束する(1枚目の写真、矢印は父親)。一方のザナは、兄が突然いなくなったので大声で「兄ちゃん、どこ?」と叫んでいる。兄は、ザナに近づいて行くと、謝りもせず、「上にいた」と言うだけ。「何してたんだよ! 叫び続けたから、ノドが痛いじゃないか!」。兄は、「いつも叫んでるだろ」というが、自分の非を認めて、「これからは、黙って置いてかない」と言う。「アッラーに誓って?」。「誓う」。その日の夜、兄は、ヘリヤに聞いた番地まで行き、ザナを近くの屋上に寝せると、自分はヘリヤが出てくる扉が見える場所に陣取る。そして、朝6時、ヘリヤが出てくると、弟など放っておいて、ヘリヤの前に出て行く。ここからは、2人の行動が平行して映される。ここでは、兄の行動に絞って紹介しよう。この約束破りは、ヘリヤと一緒に町外れに行き、木に登る。そして、「君みたいにきれいな女の子は見たことない」と言った後、「目を閉じて」と頼み、ペンダントを首にかける。目を開けたヘリヤは、大切なペンダントが戻ってきてびっくりする(2枚目の写真、矢印)。その時まで時間のことを忘れていた兄は、「今、何時?」と尋ねる。「7時よ」。「行かないと。でないと、アメリカに行けなくなる」。「何言ってるの?」。「家族と一緒にアメリカに行くんだろ?」。「ううん、ちょっと大げさに言っただけ。ホントは、父さんがこの町で教えることになったの。だから、誰もアメリカには行かないわ。じゃあ、またね」。兄は、ヘリヤの後姿を茫然として見送る(3枚目の写真)〔これまでもそうだが、彼は何度もペンダントを手放そうとし、今回は本当にあげてしまった。蓋の裏の母親の写真に対する愛着は何もないのだろうか?〕
  

一方のザナ。朝 目を覚ますと、兄の姿はどこにもない(1枚目の写真)。昨日、「これからは、黙って置いてかない」と誓ったばかりなのに。しかも、時間は男との約束の7時に近い。ザナは、約束の場所まで走って行く。「兄貴はどこだ?」。「ここじゃないの?」。「見てないぞ。ネックレスは持ってるのか?」。「兄ちゃんが持ってる」。「あれがないなら、連れて行けない。分かったな」。男は、出発時間までもうすぐなので、準備に大忙しだ。7時を廻り、ようやく兄が現れる。兄を見つけた男が、駆け寄って、「遅いぞ。ネックレスを渡して、車に乗れ」と手を出す(2枚目の写真、矢印は手)。「ネックレス、持ってない」。「何だと! あれがないなら、連れていかん」。男は、遅れているので大急ぎでグループ(数台の乗用車)を出発させる。兄は、自分のせいで、他人にまで迷惑をかけたことになる。ザナももちろん怒り心頭。「ネックレス、どこにやったんだよ?!」。「ヘリヤに返した」。「ヘリヤがここで何してる?」。「ここに住んでるんだ。アメリカに行ったと思ってた」。「アメリカに行きたかったのは、父ちゃんと母ちゃんのためじゃなく、ヘリヤのためだったんか?!」。兄は、「ここで、ヘリヤと一緒にいたい」と言い張る。約束破りなだけでなく、自分のことしか考えない兄を見限ったザナは、向きを変えると歩き出す。そして、止めようと触った兄に、「放っといてくれ! どっかに行っちまえ! 後 ついて来るなよ!」と吐き捨てるように言い(3枚目の写真)、走り去る。
  

ザナが向かった先はタバコ工場。中に忍び込み、動き始めたトラックの下に潜り込んで車体につかまる(1枚目の写真、矢印)。しかし、フレームにぶら下がっての移動は厳しく辛いものだった(2枚目の写真)。一方の兄は、弟に見捨てられたことで、ようやく自分の愚かさに気付き、「きっとそこにいる」と思ってタバコ工場に行くが、弟はいない。どこでどうやって乗ったかは分からないが、次のシーンで兄はコーラを運ぶバンに乗っている(3枚目の写真、矢印はコーラのビン2本)。いつも、楽をするのは兄、苦労するのは弟だ。
  

ザナがぶら下がったトラックは検問所に到着する(1枚目の写真、矢印は国旗)。この国旗を見ると、1963年から1990年(正確には1991年1月12日)まで使われた「3つの緑の星」が入ったタイプであることが分かる(右上)。この旗が使われていることで、映画の背景が1990年だと確定する。フセイン政権は1991年1月13日から2004年の間、「3つの緑の星の間に『アッラーフ・アクバル(アッラーは偉大なり)』という文字の入った新たな国旗を使用する(右下)。検問所で国旗を間違えるとは思えないので、映画は必ず1990年だ。なお、1枚目の写真では小さいが、国旗をもっと大きく映したシーンもある。トラックが停止したので、ザナは貯まっていた小便をする。そころがその大量の小便が兵士に見つかってしまう。「おいおい、お前さんのトラックから何が漏れてるぞ」。運転手は、「冷蔵庫からでしょう。穴が開いてるんで」と答える。「確かか? トラックがどこか壊れてるんじゃないか?」。運転手は舐めてみて、「においがする。氷がとけてる」と言い、今度は兵士が舐めてみて、「いい味じゃないか」と笑う。ちょっとした冗談のシーン。いよいよ検査が始まる。鏡のついた棒を持った兵士がトラックの両側に立ち、後方から前方に向かって誰か隠れていないか調べていく(2枚目の写真、矢印は鏡のついた棒)。ザナは兵士たちの動きに合わせ、徐々に運転席に向かってぶら下がりながら進んでいく。最後に到達したのは、運転席とトレーラーとの間の隙間。当然、横に立った人間からは丸見えだ。しかし、鏡で調べている兵士は2人とも下ばかり見ているので、ザナは気付かれずに済んだ。
  

ちょうど検査が終わった頃、兄の乗ったトラックが検問所に着く。兄は、トラックを降りると(1枚目の写真、矢印)、順番に前の車に移りながら、トラックの底を覗いて声をかける。そして、先頭の、ザナがぶら下がっている場所まで来る。「ザナ、いるか?」。「何しに来たのさ? 話したくもないし、アメリカにも一緒に行かないからな」(2枚目の写真)。「ザナ、許してくれよ。ホントにごめん。一緒にアメリカに行こう」。「今すぐ消えないと、叫んでやる。兵隊に連れてかれて殺されるぞ」。「お前も殺されるぞ」。これには、ザナも黙るしかない。「なあ、ザナ、許してくれよ。口も利きたくないのは分かる。お前に辛い思いをさせて悪かった。この世で大事なのはお前だけだ。お前と一緒にアメリカに行って、スーパーマンに会いたい」。この、「心からの謝罪」で機嫌を直したザナは、トラックが動き出すと一緒にトレーラーの屋根に上がり、兄が持ってきたコーラで乾杯する(3枚目の写真)。
  

トラックが着いた最初の町で2人は車を降りる。そこで兄が見つけたのは、オスマン。「ザナ、オスマンさんがいる」(1枚目の写真)。「それ、誰?」。「いいから来い」。オスマンは、目の前に現れたダナを見てびっくりする。「ダナ、なんでここにいる?」。「ここまで2人だけで来たんだ」。「この先は無理だ。国境を違法に越えようとすれば、その場で殺される」(2枚目の写真)。兄は、「なら助けてよ。迷惑かけないって約束するから」と頼む。オスマンは、命の恩人の息子たちでもあるので、承知する。そして 夜。人影のない道路に2台の車が停まっている。乗用車には、前回、同行を強く拒んだ髭の男がいる。ジープのオスマンは、「我々は2台の車で行く。君達はジャマルさん〔髭の男〕の車で行くんだ。彼は、別の家族を送っていく。君達は何も書類を持っていない。だから、車に隠れてもらう。次の町に着いたら、彼の車の家族の名前で書類を用意する。そしたら、一緒にアメリカに行こう。いいね?」。2人は喜んで「はい」と言い、ジャマルの車に行く。彼は、オスマンのように丁寧でも親切でもない。「いいか、俺たちはすぐに出発し、国境に向かう。検問所では、係官が書類をチェックする。奴らは、トランクを開けろと命じるだろう。開ける前に、2度叩く。そしたら、じっとして黙ってろ」。そして、空のペットボトルを渡す。「小便はここに入れろ。車にするな。もし、やったら、目をえぐり出してやる」。ジャマルはトランクから大きな麻の袋を取り出す。「2人ともこの中に入れ」。ザナは「兄ちゃん、怖いよ」と囁き、兄は「大丈夫、怖がるな」と安心させる。2人が袋に入ると(3枚目の写真、矢印は袋)、ジャマルは中に大粒の穀物を大量に入れ、袋の口をロープで厳重に縛る。そしてトランクに入れ、上にいろんな物を載せてカバーする。もし、2人が見つかれば、大変な目に遭うのは2人だけではない。2人を隠し乗せた自分の命も危ないので、真剣だ。
  

2台の車が国境に到着する。先行するのはオスマンのジープ。その後ろがジャマルの乗用車だ(1枚目の写真、赤の矢印は国旗、黄色の矢印は2人が隠れているトランク)。今度の国旗は、赤、白、黒は同じだが、中央の白の部分には「2つの緑の星」(右)。これはシリアの国旗だ。この反対側にはイラクの国旗が立っている。だから、ここがイラクとシリアの国境であることが分かる。確かに、クルド系の住民がバグダッドからアメリカに向かうはずがない。今は、シリアは世界一危険な場所のひとつだが、1990年のシリアは、ハーフィズ・アル=アサド大統領(今の大統領の父親)の元で、安定した政情下にあった。だから、イラクからシリア経由でアメリカに向かうのがベストなルートになる。ジャマルの車にも、兵士が調べに来る。服装は、前回の検問所と同じなのでイラク側の兵士だ。兵士は家族の書類を調べ、問題がないと分かると、次にトランクを開けるよう指示する。ジャマルは車を降りると、トランクの鍵穴に鍵を突っ込み、乱暴に横を叩く。そして、「いつも、引っかかるんだ」と弁解。ジャマルは10メートルほど下がって後ろを向かされる。兵士は、物がいっぱい詰まったトランクを徹底的に調べる(銃剣で突き刺す)。そして、麻袋を見つけると、その真ん中に銃剣を突き刺す(2枚目の写真)〔映画でなかったら、恐らく刺されて血が吹き出ていたであろう〕。幸い、剣は2人の間を通り抜ける。兵士は、破れた袋の中に手を突っ込むが、出てきたのは穀物だけ〔予め穀物を詰めたということは、こうした事態を予測していたことになる。銃剣で刺して人体に当たらない確率はきわめて低いので、非常にリスクの高い方法だ〕。国境の通過を許されたジャマルの乗用車は、単独で荒地の中の道をひた走る〔許可の出た時点で、画像には、1台前のオスマンのジープがまだ映っているので、先に行くことを許可されたのかもしれない〕。しばらくして、助手席に座っていた「客」が、「ジャマルさん。子供達を出してやったらどうかな」と、心配する。「大丈夫。慣れてるから」。「可哀想じゃないかね」。ジャマルは急ブレーキをかけて停車すると、トランクを開け、「出ろ」と言ってザナを放り出す。袋の中で小便をしようとしてペットボトルの蓋を落としてしまったザナは、それまで我慢してきたので、勢いよく小便を始める。ジャマルが、「何してる、小僧!」と言ってザナの体に手をかけると、小便がジャマルのズボンにかかる。「よくも小便を引っ掛けたな!」。ジャマルはザナを地面に投げ飛ばす(3枚目の写真)。助けようとした兄も放り出され、「くそったれどもめ。勝手にアメリカに行くんだな」と言って、置き去りにされる。
  

2人が道の真ん中を歩いていると、後ろから高速で近づいて来た車に轢かれそうになる(1枚目の写真)。そこで、今度は道路から10メートルほど入った所を歩くことにする〔オスマンのジープはどこに行ったのだろう?〕。2人が話しながら並んで歩いていると、兄の踏んだものが、「カチリ」と音を立てる。兄は、予備知識がないので、地雷を踏んだと思って立ち止まる(2枚目の写真、矢印)〔これは兄の勘違い。通常の対人地雷は踏んだ途端に爆発する「圧力式」。一旦踏んだ後、足を離す時に爆発する「圧力解除式」は、古い映画で「地雷からの脱出劇」用に使われただけ〕。ザナには、なぜ兄が突然止まったのか理解できない。早く行こうと急き立てる。兄は、「ザナ、行くんだ。動くと爆発する」と命じる。ザナは冗談だと思い、信じようとしない。そして、早く行こうと、石をぶつけ始める〔石を何度ぶつけても動かないのに、兄の「冗談」と思い続けるのも、不自然すぎる〕。兄は、ザナを行かせようと、パチンコを取り出す。「行かないと撃つぞ」(3枚目の写真)。今度は、逆にザナが動くのを拒否し、何発もパチンコを食らう〔このシーンは、偽の地雷といい、人間の通常の感覚と かけ離れているので、好きになれない〕。最後になって、ようやく兄が、助けを呼んでくるよう依頼し、ザナは急にその気になって走って行く。
  

ザナが向かった先にあったのは、クルドではなくアラブ人の村。クルド人と違い、男性はクーフィーヤ、女性はヒジャブを頭につけている。そして、ザナがクルド語で何を叫んでも通じない(1枚目の写真)。ザナは戻ってこないし、太陽はじりじりと照りつけるので、兄は立っているのが辛くなる(2枚目の写真)。そこで、爆発する前にできるだけ体を離そうして、飛び跳ねるようにジャンプする(3枚目の写真、矢印は「地雷」のあった場所)。しかし、それは地雷でも何でもなかった。
  

兄は、ザナを捜しに行き、同じ村に入る。そして、2人は再会し(1・2枚目の写真)、抱き合う(3・4枚目の写真)。2人が、この後、どうなったのかは分からない。ただ、アラブの村にいつまでもいることはできないので、シリア国内にあるクルド地区に向かったのかもしれない。あるいは、ずっと遅れてやって来たオスマンに、奇跡的に助けられ、アメリカに行ったのかもしれない。
   

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