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Anatomie d'une chute アナトミー・オブ・ア・フォール

フランス映画 (2023)

2023年のカンヌ国際映画祭の‎パルム・ドール受賞作なので、The Hollywood Reporter(https://www.hollywoodreporter.com/)とVariety Magazine(https://variety.com/)の評の一部を紹介することにする。 まず、前者だが、かなり長い評で、その冒頭は、「『アナトミー・オブ・ア・フォール(転落の分析)』は━それが、両親に当惑する子供であれ、不可解な疑惑を解明すべく緊張する法廷であれ━何よりも、個人や婚姻関係の根源的な不可知性、そして理解しようと試みることの危険性の高い不可能性を描いた映画だ」という言葉から始まっている。映画の要点については、「『アナトミー・オブ・ア・フォール』は、思い込みや現実離れした想像で事件の空白を埋めようとする法制度の傾向を鋭く描いている。しかし、この映画につきまとって釘付けにさせ、身震いするほどの強制観念を与えているのは、サンドラをどう判断するかという争点だ。彼女は潔白を主張するが、アリバイはなく、冤罪のヒーローの条件も満たしていない。そして決定的なことは、この映画製作者(監督)が私たちに何の確証も与えていないことだ」と、あらすじで、別の出典から引用した内容と、かなり似た指摘をしている。そして、ダニエルについては、「監督は、網渡り的なバランスの “ダイナミックなリアリズムスタイル” で撮影を行っている。すなわち、映画は私たちの同情を誘いはしないが、試練に巻き込まれた登場人物たち━特にダニエル━に私たちを近づけるための流動的な視点の変化のおかげで、超然として冷たい感じもしない」で、まずダニエルの名前を出し、その後に、映画のラスト近くで 「監督は、ダニエルをこの映画の新たな “感情の羅針盤” に据え、グラネール〔ダニエル役の子役〕は 苦痛を伴う重大決意をすべき十字路に立たされた子供として、精神的に苦悶する」と書いている。次に、後者だが、これも長い評なので、ダニエルの部分だけ抜き出すと、「この裁判をどう受け取るかは別として、最も重要なリアクションは、最初は母親の味方だったが、途中から疑念を抱くようになっていくダニエルによってもたらされる。あるシーンで、監督は少年の顔に焦点を当て、何が起きたのか彼が想像する場面に切り替える。父が転落したのか、サンドラが押したのか? 裁判のラストで、少年は追加の証言を求める。自分自身の運命よりも、ダニエルの気持ちが気になるサンドラは、彼に真実を話すよう求めるが、ダニエルから証言台に立つ前の週末を彼女なしで過ごしたいと言われ、緊張する」と書き、評のラストを「これが、これまでの状況で最も厳しい局面で、少年は両親の両者について恐ろしい発見をさせられ、そして今、何を信じるかを決めることが求められる。監督は、観客に対しても同様の選択を求める。サンドラが有罪か無罪かを議論し、サミュエルに何が起きたのかにこだわるのか、それとも、この並外れて円熟した映画の中に、21世紀の人間関係についての滅多に表現されることのない真実を見るのだろうか?」という文章で結んでいる。この映画が日本で公開された折には、是非とも観に行っていただければと思う。ただ、こんな難しい内容の台詞を短い字幕で表現するのは、至難の技ではないかとを同情したくなる。なお、下の写真は、受賞時の主役3人と監督 。

映画のトータルな時間は2時間31分12秒、そのうち、本編の長さは2時間26分16秒。裁判の場面はその42%を占める。これまで作られた映画で、これほど裁判の場面が長い例は、ほとんどないのではないか? 映画は、グルノーブル近郊の山の中の一軒家のシャレーから始まる。時期は冬で周辺は雪に埋もれている。映画の主たる登場人物は3人。ドイツ生まれの母サンドラ・ヴォイター、この村で生まれ育った父サミュエル・マレスキー、ロンドンで生まれ、4歳の時に、オートバイと衝突して視覚障害者となったダニエル。母の所には、グルノーブルの大学の院生が、作家でもあるサンドラにインタビューに来ている。すると、サミュエルがB&Bに改造工事中の3階(屋根裏部屋)から大音量で音楽が鳴り出す。しばらく話して、インタビューが不可能だと悟った院生はグルノーブルに戻り、ほぼ同時にダニエルが愛犬のスヌープを連れて散歩に出かける。そして、ダニエルがシャレーに戻ると、家の前の雪の上に父が血を流して死んでいた。ここまで、本編が始まってから僅か6分25秒。優れた映画はダラダラと待たせず、すぐに本題に入る。警察による調査や、死亡原因を調べるための現場実験、母サンドラの殺人罪としての起訴、友人の弁護士ヴィンセントとの話し合いなどで約44分が消費され、事件から1年後、水曜日に裁判が開始される。最初の検察側証人は院生(8分33秒)、2人目がダニエル(2分35秒)、3人目が死因の分析者の部下(3分15秒)、4人目が、それに対抗する弁護側の唯一の証人(2分58秒)。そこまでの証言を聞いていたダニエルは、母は犯人ではないという確信を持ち始める。しかし、その日の裁判が終わると、ダニエルは単身裁判官に呼ばれ、明日からの裁判には “ダニエルが聴かない方がいい” 証言があるので、傍聴を禁止しようとする。それに対して、ダニエルは口実を並べて傍聴を許可してもらう。木曜日の裁判の最初の証人は母サンドラ(2分12秒)〔短いようだが、サンドラは、この時以外に他の証人の喚問の際にも、関連した証言をしているので、実際には、彼女の証言が一番長い〕。その日の2人目は、サミュエルのセラピスト(7分37秒)〔長く見えるが、半分以上はサンドラの発言〕。ダニエルは、この時初めて父の自殺未遂の話を聞き、衝撃を受ける。金曜日の裁判での証人は主任捜査官一人だけだが、本人の証言の前に、サミュエルが死の前日に2人が口論した時の会話を、彼が妻のサンドラに内緒で録音したものが流される(12分19秒)。口論の最後は、激しい喧嘩で終わる。そして、その後で主任捜査官が証言台に立つ(18分18秒)〔そのほとんどは、サンドラと検事と弁護士の発言〕。ダニエルは、録音された口論の中に入っていた自分に対する言及や、その後の、特に検事の発言を訊き、母に対する疑惑が急速に膨らんで行く。その日の裁判が終わると、裁判官は、本来なら金曜日に結審するはずだったが、ダニエルが二度目の証人喚問を希望したので、月曜日にそれを行ってから結審すると伝える。母サンドラは、ダニエルに影響を与える恐れがあるので、裁判官から派遣されたマージという女性が “コンタクトしないよう” に見張ることになり、結局、母は結審するまで家から出て行く。土曜日にダニエルは、証言を聞いてから疑問に思っていたことを、愛犬を使って実証実験を行い、それが母に対する信頼をある程度回復させるが、逆に、最初は母寄り、次が父寄りだった考えが、どちらが正しいとは言えない中立状態になってしまう。そこで、マージに助けを求め、彼女は、あくまで一般論という形で重要なヒントを与える。それが 「二つの選択肢のうち、どちらか一方を信じて、選ばないといけない」というもの。ダニエルは考えた末に、母を信じることし、それを月曜日に、過去の父サミュエルの発言を引用して証言し(4分58秒)、陪審は無罪の評決を下す。

主役ではなく出演場面は少ないが、限りなく重要な役であるダニエルを演じるのはミロ・マシャド・グラネール(Milo Machado Graner)。ファーストとミドルはイタリア系の名だが、国籍はフランス人。2008年8月31日生まれ。映画の撮影は2022年2月末~5月13日なので、撮影時は13歳。2021年にTVドラマに出演して以来、3本の映画(うち1本はTV映画)に脇役として出ている。この映画での演技は高く評価されているが、受賞歴はない。

あらすじ

映画は、母サンドラが夫サミュエルに向かって話す言葉から始まる。映像はなく、音声だけ。映画の後の展開に関係するので、紹介しておく。「何が知りたいの? ちょっと待って、録音されてないわ」。ここで、夫が録音を始める。「あなたの書き方。息子の事故… あなたの人生だと思うと読むのが辛いわ。経験からしか 書けないと思うの?」。映像の最初のシーンは、息子のダニエルが犬のスヌープを石鹸水の入った容器に入れて、洗っている(1枚目の写真)。場面はすぐに変わり、サンドラにわざわざ会いにやってきた大学院生の女性ゾーイ〔撮影時32歳の女優を使っているので、大学院生には見えない〕との話し合いになる。ゾーイの質問の要は、「あなたの小説は、いつも、本当のこととフィクションのミックスだとおっしゃいます。だから、読者としては、どこが、どっちなのか知りたくなります。それがあなたの目的ですか?」と質問する〔サンドラは有名な作家〕。その時、上の階から凄まじいレベルの音で、アメリカのラッパー50 セントの「PIMP」のインストゥルメンタル・バージョン〔歌の入っていない、楽器の演奏だけのもの〕が鳴り始める〔タイミングから判断して、意図的なのは明白〕。そのためか、サンドラは、ゾーイの質問に答えようとせず、「あれ、私の夫、サミュエルよ。上で作業中。で、あなた何に興味あるの? 気が狂いたくなるほど腹が立つことある? 学位論文も勉強も忘れるほど?」と、話しを逸らす。ゾーイは、「作家になる訳ではありません」「私の質問に答えて下さらないのですか?」と言うが、サンドラは自分勝手に話すだけ。それでも、上から聞こえてくる、声も打ち消すほどの騒音に、思わず目をやり(2枚目の写真、矢印)、ゾーイも、何て家庭だろうと思いつつ、見上げる(3枚目の写真)。結局、グルノーブルでもう一度会って話すことで合意し、ゾーイはわざわざこんな山奥まで来たのに、退散することに合意する。
  
  
  

次のシーンでは、まず、ダニエルがスヌープを連れてシャレー〔サミュエルが購入し、屋根裏をB&B用に改造して収入源にしようとしているアルプス地方特有の山小屋〕から出て行く場面が映る(1枚目の写真、矢印)。カメラが2階に移動し、車に乗ったゾーイに手を振るサンドラが映る(2枚目の写真、矢印)。つまり、この時点では、「PIMP」がまだ鳴り響き、家の中にいるのはサンドラとサミュエルの2人だけ。ダニエルは、スヌープと一緒に雪原を歩き〔まだ騒音が聞こえている〕、何も聞こえない場所まで行くと、木にもたれて座り、スヌープに枝を投げては、取りに行かせる。やがて、それに飽きたのか、渓流沿いの道をスヌープに頼りながら歩き(3枚目の写真)、その先の木橋に降りる坂を危なげに下るが、雪の積もっていない木橋の上はスムースに渡り、シャレーに戻って来る。「PIMP」は、依然として鳴り響いている。
  
  
  

すると、急にスヌープが走り始め、ダニエルは転びそうになり手を放す。カメラが振られると、雪の上に父が仰向けに倒れ、頭から流れ出した血で雪が赤黒く染まっている。ダニエルは4歳の時に交通事故で視力をほとんど奪われたが、真っ白な上に横たわった体の存在は分かるので、胸に手を当て 「パパ」と言い、次いで 「ママ!」と何度も呼ぶ。ダニエルは父の顔に触ったり、胸に耳を当ててみる(1枚目の写真)。そして、さらに、何度も 「ママ!」と叫ぶ。母はようやく1階のドアから出てくるが、惨状に気付くと、急いで階段を降りる。その後、カメラは 「PIMP」を大音量で再生し続ける屋根裏部屋の窓際に置かれたスピーカーを映し、次いで、屋根裏部屋から見たサミュエルの死体と、その横に立っているサンドラと、母に抱き着いているダニエルを映す(2枚目の写真)。母は、すぐに通報し、しばらくして警察と救急車がやってくる。警官が 「サミュエル・マレスキーの死体を発見」と言っているが、その名前と、息子に付けたダニエルという名前から、死んだ父親の家系は、昔東欧圏出身のユダヤ系の移民の可能性がある。サミュエルは、すぐに検死が行われ、①手と前腕に平行した表面的な擦り傷がある→体は衝撃で1~2メートル滑り、最終的に仰向けの姿勢になったらしい。②致命的な左側頭部の血腫は(3枚目の写真、矢印)、鈍器による打撲、または、頭部の激しい衝突を示す。③負傷の部位は発見の場所と一致しない→打撲・衝突は体が地面に激突する前に起きた。①~③による結論は、頭の傷が人為的な打撲か、落下による衝突かは不明。従って、現段階では第三者の関与は否定できないというものだった。
  
  
  

心配した弁護士の友人ヴィンセント・レンツィが、シャレーまで来てくれ、サンドラは感謝する。「こんな形でまた会えるなんて不思議ね青色は英語〕。「こんな山奥だとは思わなかった。ここに住んで長いの?」。「2年にもなってないわ。サミュエルは、この村で育ったの。私のフランス語、あなたに出会った時から進歩してないわね」。「英語でいいよ。何度質問された?」。「警官に1回、捜査判事〔フランス固有の制度〕に1回」。サンドラは、当日の状況について、①学生と話していると、サミュエルが繰り返し音楽を鳴らし、サンドラを怒らせて彼女を帰そうとした〔インタビューを録音していたが、できなくなった〕、②2階の寝室に行くと、ダニエルが散歩に行くのが見えた〔年を聞かれ、11歳と答える〕、③サミュエルが寝室に降りて来て、少し話した、④サミュエルは屋根裏に戻り、サンドラはベッドで仕事をした〔著作のドイツ語への翻訳〕、⑤耳栓をして昼寝をした、⑥1時間後、耳栓が外れていたらしく、ダニエルの叫び声が聞こえた、⑦救急車が30分後に着いた、というもの(1枚目の写真)。ヴィンセントは、シャレーの中の案内を求める。最後には、屋根裏に行き、端の窓を開けて下を見ると(2枚目の写真)、真下に薪小屋の屋根が見える(3枚目の写真、矢印)。その後、サンドラはダニエルの部屋に行く。彼は、まだ昼間なのにベッドで寝ている。それだけ、心理的打撃が大きかったのだ。サンドラは、「体を洗って服を着なさい。昼間なんだから、起きなきゃ」と言うが、返事はない。「坊や、辛いのは分かるけど、私だって辛いの」。映像には映らないが、ダニエルの泣き声が聞こえる。「前にやったように、何とか頑張らないと」〔恐らく、4歳の時の失明事故を指す〕と言うが、泣き声は止まらない。母は、ダニエルの横に座ると、「何か欲しい物ある?」と訊き、ダニエルが 「何も、僕、大丈夫」と答えると、母は息子を抱きしめる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ヴィンセントは、解剖報告書を元に、弁護の方針として考えられる仮説をサンドラに絵を描いて話して聞かせる。それは、サミュエルが窓から転落し、薪小屋の屋根に当って跳ね返され、薪小屋の屋根の端で頭を打ち、この辺りに転落し、死亡した場所まで1~2メートル何とか這って進んだ。その証拠に、雪の上に1~2m血が見られるというもの(1枚目の写真、薪小屋の屋根の端の✖印が、頭を強く打った場所、死体の左の✖が落下地点)〔サミュエルは仰向けに死んでいたので、「這って進んだ」という仮説には無理がある〕。ヴィンセントは、この仮説には、2つ問題があると言い、①薪小屋の屋根に、血痕もDNAも検出されなかった、②壁に3本の血しぶきがあり、屋根に頭部がぶつかっても、ここに血しぶきが飛ぶとは考えにくい、という点だった(2枚目の写真、薪小屋の屋根の端の✖印の下の3本の斜線が血しぶき)。そして、裁判官は専門家に分析を依頼したと話す。サンドラは、「これを見て、あなたはどう思うの?」と訊くと(3枚目の写真)、ヴィンセントは、「私は、血痕分析官ではないので分からない。でも、とてもいい人を知ってるから、彼女の意見を訊いてみるよ」と言う。最後にヴィンセントが問題視したのは、サンドラの腕の傷。「それは、争いや、暴力の結果のように見えるかもしれない。いつ、警察にそれを見られた?」と訊く。「あの日の夜」。サンドラは、その時ちょうどキッチンにいたので、「どうしてこうなったか見せるわ」と言い、テーブルの角でぶつけた様子を実演する〔当然、警察にも、そう説明した〕。そのあと、弁護の方針について、ヴィンセントは、①偶発的な転落という方針は困難、②第三者による犯罪という方針はナンセンスと話し、ここで、サンドラは 「私は彼を殺してない」と割り込む。弁護士にとって、それは当然の前提なので、第3の方針を語る。それは、③サミュエルが飛び降りて自殺したというもの。サンドラは反対するが、ヴィンセントは、「でも、これが唯一の弁護策だよ」と言う。サンドラは、それでも、「彼は (うっかり)転落したんだと思うわ」と主張し、ヴィンセントは、「そんなこと、誰も信じない。私も信じない」と否定する。
  
  
  

ダニエルは、ピアノの譜面台にタブレットの拡大楽譜を置いて弾いている(1枚目の写真)〔ピアノはかなり上手〕〔曲が進行しても譜面は変わらないので、彼はタブレットを見て弾いていない。これは、彼がどうやって譜面を覚えたかを観客に見せるために置いてあるだけ〕。サンドラはベランダでヴィンセントとスマホで話している(2枚目の写真)。内容を要約すると、①半年ほど前の早朝、サミュエルが酔っ払って床に倒れていた。②吐瀉物の中に白い斑点が幾つかあり、錠剤かと思った。③ダニエルはそれを見た。④今思えば、自殺未遂だったかもしれない。映像では、それを同じフロアでピアノを弾いているダニエルが聞いているようにも見える。次の場面は、警察の専門家によるダニエルの聴取(3枚目の写真)。質問の内容は、サミュエルが死んだ日に行われた両親の口論について〔口論があったと分かるのは、この時が初めて〕。これも、要約しよう。①ダニエルは家を出た時に両親の声を聞いた。言葉は聞き取れなかったが、言い争いではなかった。②騒音が大きかったが、母は2階の寝室にいて、ダニエルはその真下にいたので聞こえた。③場所が正確に分かったのは、父が、手触りの異なる粘着テープをあらゆる場所に貼ってくれたから。両親の声を聞いた時、薪小屋の粘着テープに触れた。そこは窓の下だった。
  
  
  

警察は、さっそくこの聴取の裏付けを取るため、屋根裏で「PIMP」を大音量で鳴らし、サンドラは英語で会話したと反対するが、担当者はフランス語で話しても “聞こえるか聞こえないか” はチェックできると言い、2階でサンドラと警官にフランス語で適当に決めた会話を普通の音声で話させる。そして、音楽を止め、ダニエルと並んだ警官が、「何か聞こえた?」と訊く。ダニエルが否定したので、もっと大きな声でと要求するが、サンドラは叫ばなかったと協力を否定する。そこで、担当者は、女性警官に代役を命じ、2人の警官は、先ほどより大きな声で、同じ台本を読む。しかし、ダニエルには聞こえない。そこで、さらに声を大きくし、ようやくダニエルと、一緒にいる警官に声が聞こえる。実験が終わった後、ダニエルは 「あんなじゃなく、もっと穏やかな声だった」と主張するが、担当者は 「だけど、君には聞こえなかった。そうだろ?」と、疑念を持って訊く。ダニエルは、「最後に1回だけ、外じゃなく中で聞いてもいい? 穏やかな声で」と頼む。そして、今度は、ダニエルがドアの手前にいる時に “穏やかな声” が聞こえたので、ダニエルは振り返って、「僕が間違ってた。僕は中にいたんだ。混乱してしまって」と発言する(2枚目の写真)。担当者は、直ちに 「それは、君が供述したことと違う。ゾーイ・ソリドールは、彼女が外に出てから君が家を出るのを見た。君のお母さんは、その後でお父さんと話したと言っている」と、ダニエルの意見を完全否定する。ダニエルは 「頭が混乱しちゃって」と弁解する。その夜、ダニエルが譜面なしでピアノを弾いていると、母がやって来る。そして、一緒に暖炉のまえのソファに座ると、「今日の午後は大変だったわね」と慰め、ダニエルは頷く。「悔しいよ。ホントだと思ったのに」。「でも、嘘じゃないんでしょ? 記憶を変えて欲しくないの。覚えている通りに、彼らにちゃんと言わないと。それで私が困ることはないから」。その言葉に、ダニエルは考える(3枚目の写真)〔あとで、この家では、夫婦は英語会話する決まりになっていたことが分かる。しかし、最大の謎は、なぜダニエルはフランス語で話すのかという点。もちろん、彼は週1回地元の学校に行っていて、そこではフランス語が使われているのだが、ダニエルが生まれたのはロンドン。そして、一家が父サミュエルの故郷(フランス)に引っ越したのは1年半前。ということは、英語が母国語のダニエルにとってフランスは片言言葉のハズ。なのに、母(ドイツ語が母国語)が英語で話しかけるのに、わざわざフランス語を使うのか? 恐らく、本当の理由は、あるサイトに、ダニエル役のMilo Machado Granerの語学力について、「フランス語(母国語)、ポルトガル語(バイリンガル)、英語(読み書き程度)、ドイツ語・ラテン語(基礎のみ)」と書いてあったことから、“英語が流暢に話せないから” の可能性が高い。そんな矛盾を看過したのは、元々フランス映画なので、この映画の核心となる台詞をフランス語で言わせたかったのであろう〕
  
  
  

人気作家がどうなるかの会見なので、多くのマスコミが詰めかける(1枚目の写真)。そして、検察官の会見が始まる(2枚目の写真)。内容を要約すると、①サンドラは今朝8時30分に起訴された。②起訴に至った要点は3つ。③その1: 薪小屋の壁の血痕の形態から、サミュエルが3階のバルコニーで 頭を鈍器で殴られた可能性がある、④その2: 3日前の再現実験〔ダニエル〕で多くの矛盾が明らかになった。⑤その3: サミュエルのUSBの中から、死の前日に録音された夫婦喧嘩の音声記録が見つかった。
  
  

サンドラが起訴されたので、勾留するかどうかの判断が審議される。検察側は、①被告の息子が目撃者で法廷で証言する予定、②保釈すれば同居になるので息子に圧力をかける可能性が高い、と言い、「保釈という選択肢はありません」と述べる。それに対し、弁護助手のブードーは、①ダニエルは交通事故よる視覚障害者でトラウマを負っている、②母と離せばトラウマが心理的にも感情的にも悪化する、と訴え、判事の同情を獲得することに成功し、サンドラが殺人容疑者であることを考えると、ある意味 奇跡的に保釈が認められる。シャレーに戻る途中の車内で、ヴィンセントは、“死の前日の喧嘩” についてサンドラが隠していたことを責める。サンドラは、夫が録音していたとは知らなかったと弁解し、「あの録音は真実じゃない。その一部だとは思うけど、もし、あなたが、過激な瞬間、感情のピークに焦点を当てれば、何もかも崩壊する。反論の余地のない証拠のように見えるかもしれないが、実際にはすべてを歪めてしまうの」と、録音内容の危機性を憂慮する。そのあと、サンドラは、「ここに来るべきじゃなかった。私はロンドンでとても幸せだった。彼なのよ、しつこく主張したのは。ここに来れば、仕事に専念できるからだって。経済的な問題も解決するだろうって」と打ち明ける。2人がシャレーに着き、サンドラがダニエルを抱きしめると、そこには、すでに先客がいた。法務大臣に任命されたマージ・バーガーという若い女性。ブードーは、審議の場で訴えた本人なので、理由を説明する。「この女(ひと)が ここにいるのは、すべてがうまくいくようにするためです。誰もダニエルに影響を与えようとしたり、裁判で、彼が言いたくないことを、彼に言わせようとしないように」。そして、特に母親であるサンドラに、「裁判官〔女性〕は、彼女の前では、フランス語を話さなければならないと言っています」と告げる。マージは、さっそく 「ダニエルと2人だけで話してもいいですか?」と訊き、ヴィンセントはサンドラを連れて家から出て行く。2人は、母が見ている窓の内側で話し合う(2枚目の写真)。マージは、「私は、あなたの証言を守るためにここにいます。法律が私を送り込みました。そして、法律は誰とも友だちにはなれません。だから、私はあなたの友だちになりません」と断った上で(3枚目の写真)、「何かおかしいと感じたら、何か問題があると感じたら、私に言ってください… 何でも、例えば、ママとか、裁判のこととかで」と、ダニエルに何をすべきかを告げる。
  
  
  

恐らく、それから数日後、母、ダニエルと犬のスヌープ、マージが、雪を被ったフランス・アルプスを背景に散歩している(1枚目の写真)。そして、シャレーに戻ってくると、大掛かりな実験が行われているのが見える。3階のベランダから落とした人形が、薪小屋の屋根にぶつかって地面に落ちる様子を再現する実験だ(2枚目の写真、矢印は地面に落ちた人形)。別の日、サンドラは、ヴィンセントとブードーを前にして、裁判で、夫との関係を証言する時の練習をしている。1回目の練習での主要な発言: 「彼が部屋に入って来ると、何かが調整され、雰囲気が変わりました。それが魅力なんだと思います」「私は彼が言っていること、彼が私に送っているシグナルを理解した。私たちは必ずしも同意していたわけではありませんが、お互いに言いたいことがありました」。ヴィンセントは、出会いについて話すよう指示する。「私たちが会ったとき、彼はロンドンの大学に就職したばかりでした。私たちは一緒にそこに移りました」「彼は立派な教師でした。しかし、本心は… 心の底では、彼が本当にしたかったことは書くことでした。彼は何年も小説に取り組んでいました。彼の時間や仕事との関係は 複雑だと気付きました… 私と違って」。ヴィンセントは、対比を止めるよう指示する。「私たちの関係は、たとえそれが他のすべてを無視することになっても、知的刺激を中心に回っていました」。ヴィンセントは、「他のすべて? ダニエルのこと? ダニエルのことをもっと早く言わないと。事故のことを」と指示する。「事故の後、すべてが変わりました。ダニエルは4歳でした。その日、サミュエルは彼を学校まで迎えに行くことになっていました。しかし、彼は執筆が順調だったので、直前にベビーシッターを呼んだところ、彼女は遅れて現れました。彼らが通りを渡っていたとき、オートバイがダニエルに衝突しました。彼の視神経は回復不能な損傷を受けました。サミュエルはそれが強迫観念となり、自分を責め続けました」(3枚目の写真)「もし、あの時、時間通りに迎えに行っていれば… 彼は罪悪感に打ちひしがれました。経済的な問題もあり、サミュエルは抗うつ剤を飲み始めました」。
  
  
  

1年後」と表示されると(1枚目の写真)、その後は、裁判の場面が続く。最初の証人はゾーイ(2枚目の写真)。まず、彼女がサンドラとインタビューした時に録音した内容が法廷に流れる。フランスの法廷の制服である赤と黒と白の派手な姿の検事が、ゾーイに、「彼女は、自分について話すのを拒んだ。あなたがそのために来たのに」と、サンドラを一方的に責めるような言い方で話しかける。そして、サンドラが、話題をどんどん変えていき、結局、何をしたのかゾーイに尋ねる。「私のことを訊きました」。ゾーイは、会話を楽しんでいただけだったと答えるが、いつの間にか、検事の話題は、サンドラがバイセクシャルだったという、どこからか聞いた話をもとに、「今、あの時の会話を聞かれて、後から考えると、誘惑と呼べるものでしたか?」と、サンドラを貶めるような質問をする。ゾーイは、サンドラが普段は誰にも会わないので、寂しかったんだろうと答えるが、検事はあくまでそれを “一種の誘惑” と言わせるのに全力を注ぐが、どう見ても成功したとは言えないし、それが成功したとしても、目的が分からない。次に検事は、急に始まった騒音に話題を移し、サンドラの反応を訊く。「少し、イライラしてました」。そして、彼女自身も、「リラックスできませんでした」と答える。そして、検事は、一番目的としていた質問をする。「マレスキーさんは、あの曲をかけることで、あなたのインタビューを妨害、もしくは、中断しようとしたのだと思いましたか?」。「そう思いました。でも、姿が見えない人の意図を知ることは難しいと思います」。検事は、次に、サンドラに “誘惑” について質問し、巧くいかないと、話題を騒音に切り替える。そして、「あなたの夫の曲の選択は、嫉妬の表明だと思いますか?」の質問に、サンドラは 「彼は、あの曲をよくかけていました。意図的とは思えません。彼は大音量の音楽が大好きで、よく気休めに聴いていました」と答える。検事は、ゾーイが帰った後、サンドラが、大音量の真下の部屋で仕事をしたとの証言にも、「正常とは思えない」と発言するが、サンドラは 「慣れてるから気にしません」とかわす(3枚目の写真)。そして、「仕事をしたかったので、耳栓をしていました」〔これは、サンドラがヴィンセントに話した内容と、食い違う。その時の文章をそのまま引用すると、“④サミュエルは屋根裏に戻り、サンドラはベッドで仕事をした、⑤耳栓をして昼寝をした” となっていて、仕事をしている時に耳栓はしていない〕。そして、仕事を強行した理由として、「翻訳の期限が迫っていました」。これで、検事もそれ以上の追及は諦める。
  
  
  

次の証人はダニエル。映画は、検事の質問の途中から始まる。「ダニエル、それは君が話したことと違う。ゾーイは、君が家から出て行くのを見ている。そして、君のママは、その後で君のパパと話したと言っている」(1枚目の写真)。ダニエルは、「僕、混乱してました。後で中に戻ったんです」。それに対し、裁判官自らが、過去にダニエルが述べた供述、以前の文章に従えば、「場所が正確に分かったのは、父が、手触りの異なる粘着テープをあらゆる場所に貼ってくれたから」「両親の声を聞いた時、薪小屋の粘着テープに触れた。そこは窓の下だった」などを取り上げて、「それから、再現実験の時、あなたは全く別のことを話しましたね」と、問題視する。ダニエルは、「僕は、どこにいたのか思い出したと思ったんだけど… たぶん、次に起きたことのショックで混乱してしまったんだと思います」と、正直に答える(2枚目の写真)。検事に、「なぜ中に戻ったのか 覚えている?」と訊かれ、「手袋かスマホを忘れたに違いないと思うんです」と答える。それに対し、検事が、ダニエルの記憶そのものに疑惑を投げかける。それに対し、ヴィンセントは、「あんたは、我々に何を信じさせたいんだ? ショックで、怒鳴り声が冷静な声に変わったんじゃないのか、ってことか? あんたは、彼が、母親を守るために嘘をついたとほのめかしてるじゃないか」と、反論する。検事は、その疑惑を否定した上で、「ダニエル・マレスキーは 両親が喧嘩している時には 家を離れていたと言っています。そころが、その日、彼は口論になりそうな時に たまたま外出した。だから、彼は何も聞いていない」と、ダニエルの証言を否定する。それに対し、ダニエルは、「『たまたま外出した』んじゃない。音楽から逃げたんだ」と、反論するが(3枚目の写真)、それで証言は終わりとなる。
  
  
  

3人目の証人として、検事は、サミュエルの死因を分析した当人ではなく、その資料を持って来た部下に説明を求める。部下は、ポケットに手を突っ込んだままの不遜な態度で(1枚目の写真、場面はもっと後だが、一番雰囲気が出ているので)、図や写真を見せながら以下の解説を行う。最初は、薪小屋の壁に飛び散った血痕の位置関係を示す拡大図を見せる(2枚目の写真)。これに対し、①血痕の形(A)は典型的な高所からの飛翔、②血痕は一番長いもので4センチ(3枚目の写真)、③実験によれば、マレスキーが3階のバルコニーで頭を殴打された時にのみ、飛翔がここに到達する。④飛翔の位置から、加害者に殴打された時、マレスキーの頭はすでにバルコニーからかなり外に出ていた(4枚目の写真)。そして、部下らしく 「それ以外の説明は成り立たない」と教えられた通りに断言する。⑤加害者は 「激怒していた」とも〔なぜ、そんなことが言えるか分からない〕
  
  
  
  

この、一方的で他の可能性を排除した証言を、ダニエルは真剣に聞いている(1枚目の写真)。そして、彼が頭の中で描いた想像光景が2枚目の写真(矢印は検視官が言っていた鈍器ではなく、少年の想像らしい鋼の大工用具)。3枚目の写真は、血痕の拡大図。この後の反対尋問で、ヴィンセントの主要な主張は、①バルコニーの柵の高さは1.2メートル、マレスキーの身長は1.82メートル、体重は85キロ。マレスキーを柵を越えて押し出すには、強い殺意が必要だった、というもの〔部下は、「殴打も殺意だった」と反論する〕。②証拠としては3つの血痕しかない、③なぜ薪小屋の壁に飛沫が付いたのかを説明するには、すべての可能性を考慮する必要がある、というもの。それに対し、部下は、「唯一の説明は、私が言ったものだ」と、上司の言い分を曲げない。ヴィンセントは、「あなたは、『説明』ではなく、『仮説』を話したのです。実は、2つの『仮説』があるのです。“故意による押し出し” があった場合とない場合の」と告げる。
  
  
  

そして、弁護側の最初の証人を呼ぶ。かつて、ヴィンセントがサンドラに、「とてもいい人を知ってるから、彼女の意見を訊いてみるよ」と言っていた人物だ。彼女は、シャレーの模型を持って登場する(1枚目の写真)。彼女の証言は、①薪小屋の壁の3つの飛沫については、2つの説明が可能。1つ目は、先程の部下が行ったもの、2つ目は、頭蓋骨が薪小屋の屋根の先端にぶつかった時に、できたものという内容。そして、②最初の仮説は、飛沫の形状と矛盾するため可能性が低い。彼女は、ここで、以前、サンドラやダニエルも目撃した大掛かりな実験のビオデを再生して見せる(2枚目の写真、矢印は回転する人形)。そして、「人形を使った再現実験から分かるように、この衝撃により体は急旋回します。そして、衝突から一瞬後の横転、もしくは、スピンにより、これらの3つ飛沫が表面に飛び散ったのです」と解説する(3枚目の写真)。そして、「唯一の根拠のある説明は、マレスキーさんが屋根裏の窓から落ちたということです」と述べる。
  
  
  

これに対し、検事は、「それは、あなたの意見です」と軽視し、衝突した場所にDNAや体の微量組織が見つからなかったことを指摘する。それに対し、この専門家は、シャレーで自ら実験した際のビデオを見せる。「事件当時、厚い雪の下には氷の層がありました」と言いながら、屋根の端に頭部がぶつかり、(に似せた赤い液?)が付着した状況を見せる(1枚目の写真)。そして、それから2時間3分48秒後の映像では、雪が融けるとともに、がすべて地面に落ちてしまい、屋根には何も残らない(2枚目の写真)。この説明に危機感を覚えた検事は、「あなたは、暴力的殴打仮説を 『不可能』 と呼んでいる〔①警察の専門家の “説明” を “仮説” に引き下げした、②『可能性が低い』を『不可能』と言った→検事も、女性の専門家の説明を無視できなくなった〕。それは、不可能と言えますか?」と質問する。「可能性は非常に低いですね」。「可能だということですね?」。「いつか、私も大統領になることだって可能です」。女性はさらに攻勢を強める。それは、警察側の仮説では、マレスキーの頭が柵から約80センチは外に出ていないといけないが、そうなると、胴体全体が後ろに傾く(3枚目の写真)。加害者も、体を大きく前に傾け、重い道具で、強く被害者を殴りつけることが必要となり、そのような仮説は可能性が非常に低いというもの。検事は、「不可能ではありません」としか言えない。
  
  
  

その日の裁判終了後、ダニエルは、裁判官の部屋に呼ばれる(1枚目の写真)。裁判官は、「私は、これまで、あなたに裁判への出席を許可してきました。しかし、明日は遥かに複雑になります。心をかき乱すような詳細な内容が含まれるので、あなたには出席してもらわないと決めました」と話す。これに対し、ダニエルは、「僕は、どんな内容でも聴けます。準備はできています」と傍聴を強く希望する。「聴くことはできても、対処できますか? 私たちには、すべき務めがあります。平静に審議を進める必要があります」。「裁判を邪魔したことなどありません」(2枚目の写真)。「邪魔とか、そういう問題ではありません。事実を あるがままに露呈する必要があります。あらゆることを述べなければなりません… あなたを傷つけることを恐れずに」。「僕はもう傷ついてます。だから、それを乗り越えるために、聞く必要があるんです」。「裁判は、あなたの傍聴の可否を判断するためではなく、自由な発言を促すことで、真相を究明するためにあるのです」。「これまで 自由な発言しなかった人、いましたか?」(3枚目の写真)「僕が来ることをあなたが禁じても、僕は、テレビ、ラジオ、インターネットで何が起きたか知ることができます」。この最後の発言が効き、翌日もダニエルは裁判を傍聴している。
  
  
  

翌日の裁判は、検事がサンドラに 「ヴォイターさん、あなたは、夫が亡くなる6か月前に自殺を図ったと主張していますね」と話しかけるところから始まる。最初の質問者は検事だが、サンドラの話が進むと、裁判官が直接質問するので、彼女は、正面を向いて話す(1枚目の写真)。供述の内容は、①自殺未遂は、夫が薬を飲むのを止めてから数週間後に起きた、②夫は、早朝、彼の部屋の床に気を失って横たわり、嘔吐し、その中にアスピリンが入っていた(2枚目の写真、矢印)、③錠剤はほとんど溶けていて最初は何か分からなかったが、ゴミ箱の中に空のブリスターパック〔錠剤を入れるパック〕を見つけた〔映像には、20錠近くの空のパックが映っている〕〔アスピリンはごくありきたりの解熱・鎮痛剤だが、医学専門誌には「自殺目的にしばしば大量服用されることがある」と書かれている〕、④意識が戻ってから、夫は、このことを話題にするのを嫌い、薬を止めるのが早過ぎたとだけ言った、というもの。傍聴席で、マージはダニエルに 「知ってた?」と訊き(3枚目の写真)、ダニエルは否定する。
  
  
  

次に検事が証人として呼んだのが、サミュエルが掛っていたセラピスト。セラピストといえば、2つ前に紹介した『オリヴェリオとプール』で、どうしようもなくダメなセラピスト2人が登場していたが、このセラピストもそれに負けていない。自分は偉いと信じきっていて、患者である夫の言い分しか聞いていないのにもかかわらず、妻のことまで、その言い分を元に判断しようとする愚か者だ。検事は、「どの抗うつ薬を処方しましたか?」と訊き、「エスシタロプラム〔気分の落ち込みや不安を軽減する薬〕、1日あたり20mg〔日本における標準的な処方の倍〕」と答える。「薬を止めたのは、彼の選択ですか?」。「はい。亡くなる約7ヶ月前、彼はやめたいと望みました」。「自殺願望はありましたか?」(1枚目の写真)。「いいえ、サミュエルはうつ病ではありませんでした。私は 彼の息子の事故に立ち向かえるよう〔ダニエルの事故は7年前なのに、この表現は如何にも直近の事故対応のようで、違和感が大きい〕、感情の盾〔感情的な負荷の軽減〕としてエスシタロプラムを処方しました」。検事は、薬を突然止めたことが自殺を引き起こす可能性について尋ねると、セラピストは、責任逃れのため強く否定する。ここで、検事からヴィンセントにバトンタッチし、ヴィンセントは、セラピストの患者が自殺、もしくは、自殺未遂を図ったことがあるか問う。セラピストは、フランス語では “自殺” という表示に、自殺未遂も含まれると言った上で、いないと答える。ヴィンセントは、生意気なセラピストを相手にするのをやめて、サンドラに 「ご主人は、あなたや他の誰とも話し合うことを拒否したそうですね」と訊き、話題を変える。「どうしてだと思います?」。「恥ずかしかったからです」。ここで、フランス語での説明に限界を感じたサンドラは、裁判官に英語での供述の許可を求め認められる(2枚目の写真)〔既に通訳が裁判官の横にいて、証人台にもイヤホンが置かれているが、それは、この裁判で、サミュエルがこっそり録音した英語での夫婦の長い会話が証拠として採用されているからであろう〕。「サミュエルは恥ずべき多くの問題を抱えていました。彼は教師として教えることにフラストレーションを感じ、それが負担となり、書きたいと思ったのです。彼は、ダニエルの事故の前も後も、何年も小説の執筆に取り組んでいました。しかし、ある日を境に、もう書くことができなくなり、止めてしまいました。それが彼を “意気地なし” のように感じさせたのです。彼は、薬に依存しているから書けないのだと思い込んだ。彼は自殺未遂について話せなかった。失敗者だという思いがあまり辛かったからです。彼は、最初のセラピーで自分を薬漬けにしたのはあなただと非難した。それが彼を狂気へと駆り立てたから〔半分以下の証言を省略〕。これに対し、セラピストは、「一緒に決めたのです」と言うが、そんなのは嘘で、セラピスト勧めたからOKしたに決まっている。ここでも責任逃れ。卑怯なセラピストは、さらに、「サミュエルが私に会いに来たのは罪悪感を感じていたからですが、それはあなたが彼を非難したからでした。あなたは、彼にとって最も重要なこと、つまり小説を書くことを諦めさせることで、彼に事故の代償を払わせたのです」(3枚目の写真)「事故による物質的・心理的負担はすべて彼が負わされた。まるであなたが、『これはあなたの問題です』と言ったかのように」と、一方的にサンドラを批判する〔半分以上の不愉快な証言を省略〕。この一面的でピント外れな発言に対し、サンドラは、「あなたの言うことは全体の状況のほんの一部に過ぎないわ。もし私がセラピストに診てもらっていたら、彼〔セラピスト〕もここに立って、サミュエルについて非常に険悪なことを言うに違いない。でも、それは本当なのかしら?」と、手前勝手なセラピストをやっつける。ダメ男に代わり、検事が、「あなたの息子さんは、視力を失ったも同然だったのに、あなたは数日間彼を恨んだだけですか?」と質問する。サンドラは、「はい、事故に対する彼の責任については」と答える。そして、「私はダニエルを障害者だとみなしたことはありません。私は、彼を、そうした物の見方から遠ざけたかったのです。子供にそのような見方を伝えてしまうと、彼の人生は彼のものだと思わないよう強いることになる。でも、彼はそれが最高の人生だと感じているはず。なぜかって、それが彼の唯一の人生であり、彼自身のものだから。彼は本を読み、他の子供たちと同じようにソーシャルメディアにアクセスし、ピアノを弾き、夢を見、泣き、笑います。とても活発な子よ」と一気に、ダニエルへの想いを語る(4枚目の写真)。そして、「私はサミュエルが、“自分の痛みをダニエルに投影した” ことに憤慨しました」の言葉で陳述を締めくくる。5枚目の写真は、それを聞いているダニエル。
  
  
  
  
  

その夜、ダニエルが寝ているベッドに行ったサンドラは、「愛しい坊や、あなたに知っておいて欲しい。私はあんなモンスターじゃないわよね? あなたが裁判で聞いたことは全部、ひねくれたことばかり。でたらめよ。あなたのお父さんは 私のソウルメイトだった。私たちはお互いを選び、私は彼を愛してたわ。でも、それをどう証明したらいいの?」(1枚目の写真)。それだけ話しかけると、「私は、あなたがこれらすべてから守られて欲しいと願ってる。そして、子供らしいこともして欲しい。もう少し子供のままでいて欲しいの」と語りかける(2枚目の写真)。
  
  

そして、翌日の裁判。冒頭に、裁判官が主任捜査官を呼ぼうとすると、係員が寄って来て、主任捜査官は録音の提示から始めたいと言っていると告げる(1枚目の写真)。そこで、陪審員には録音された内容の翻訳のコピーが手渡され、傍聴席の全員には、裁判所内に響き渡る英語の会話が理解できるように、2台の大型ディスプレイに、フランス語への翻訳文が映し出される(2・3枚目の写真)。ディスプレイの最初の画面の上部には、「2018年3月4日の マレスキー氏とヴォイター夫人のやりとりの翻訳」と表示されている。
  
  
  

裁判で流れるのは音声だけだが、映画では音声だけでなく、その時起きたことが映像でも流れる。12分以上の長いシーンなので、2人の会話の中で、重要な部分のみ訳出する。会話の中の主要な論点は大きく分けて、サミュエルの不満と焦り、サンドラの抗弁、ダニエルに関しての3つに分かれる。について、サミュエルは、「時間が欲しい。数時間じゃない。1年を通して自分の時間を確保したいんだ。こんな暮らしは限界だ」と言う。そして、サンドラがどんどん小説を出版しているのに、自分がゼロであることに、「俺は、君の後をずっと追って来た。だが、俺の時間じゃ何もできん。分かるか? 俺には自由な時間が何もなく、すべては君の時間なんだ」と、勝手にサンドラのせいにする(1枚目の写真)。「時間を稼ぐために授業を半分にしたが〔ロンドンの大学で教師をしていたが、フランスの片田舎で教えていたのだろうか?〕、まだ足りない。改修を終わらせないといけないし〔サニュエルが勝手にシャレーを購入し、B&Bのための改修を始めた〕、他のすべてのことにも俺が対処してる」という文句は、ロンドンから自分の生まれ故郷の山村に移り住んだサミュエル本人の失敗の結果だ。サンドラが、このような “時間の無駄” の会話について、「こんな雑談に費やす時間があるんなら、好きなことをして静かに過ごすことができるのに」と言っても、「俺も、君みたいに書く時間が欲しい」としか言わない。サンドラが、「やれば?」「スケジュールがどうのこうのとグチったり、あなたがしたこと、しなかったことを私のせいにするのはやめて」と言うと、「俺は、君と暮らしている。君を中心にしてだ」と、サンドラのせいにする。サンドラへの “献身” については、「俺は君に多くを与えた。多くの時間、多くの譲歩。その時間を返して欲しい。君は、俺に借りがある」と、勝手な言い分を並べるが、サンドラは、「私は、借りなんか何もないわ。そもそも、こんな所に引っ越して改修を始めたのは、あなたが決めたことよ。自らハマった罠じゃないの。私はあなたの時間を取ったりしてない。あなたが勝手に時間を浪費してるのよ」とズバり言う。サミュエルは、最後に、サンドラの “パクリ” について非難する。これについて適切な引用文はないが、映画のもっと後で、サミュエルが口にした簡単なヒントを元に、サンドラが内容を膨らまして分厚い小説にし、それをサミュエルが盗作だと怨んでいたことが分かる。次に、について、サミュエルは、サンドラが英語での会話を強制したことに怒りを感じている。サンドラの言い分は、「私は自分のテリトリーにいないし、母国語〔ドイツ語〕も話せない。そう、これは、事実上の中間点なのよ。私はフランス人じゃないし、あなたはドイツ人じゃない。そのための英語なの。私を責めないで」というもの。それに対し、サミュエルは、「俺たちはフランスに住んでいる。それが現実なんだ」と反論するが、サンドラは 「私は、あなたの国にいるのよ。私は、毎日、あなたの故郷に住んでることを受け入れないといけないの」と、村で冷笑されている辛さを訴える。そして、サミュエルの時間に対する不満と引っかけて、「あなたが私たちをヤギの中に住まわせたのよ。なのに、あなたは、自分で選んだ人生に文句を言う。あなたは被害者なんかじゃない」(2枚目の写真)「全然! あなたは自分の野心を直視できずに、そのことで私を怨んでる。自分が怖いから、ただ傍観してるだけ! なぜなら、アイディアの芽すら思いつかない前に、プライドがあなたの頭をパンクさせてしまうから! そして、40歳になってそれに気付き、誰かのせいにしようとする。すべての責任はあなたにあるのよ!」と激しい言葉で批判する。最後は、について。ダニエルについては何ヶ所も出て来るが、重要な会話は2ヶ所。1つは学習方法とサミュエルの手間について。「私、あなたが教えるよう強制した? ダニエルの自宅学習を強制した? 何一つ強制してないわ。あなたがダニエルの自宅学習を決めた時、私 “慎重に” って行ったでしょ。それ〔自宅学習〕は素敵で、寛容な心配りだわ。感謝はするけど、そうすべじゃなかった。それはあなたに(余計な時間を)使わせてしまうって…」。「何だと? 息子と過ごす時間が増えるからか? やって良かったんだ。やらなかったら、今のような息子との関係はなかっただろう」。「私には息子との関係がないって、言いたいの?」。「そんなことは言ってない」。「私、ダニエルを学校に入れるわ」。「週に一度だけだ」。もう1つは、この録音の最後の部分。「あなたは 自分で決めたバカな基準と失敗へ恐れから何もできなくなってる。それが現実よ。あなたは利口よ。だから、私が正しいと分かってる。ダニエルはこれとは何の関係もないの。やめてちょうだい!」。「君は “怪物” だ。ダニエルですら、自分自身の言葉でそう言ってる」(3枚目の写真)。「取り消しなさい! あなたは  “人間のクズ” よ!」。「彼は何度も、君がどれほど厳しいか言ってたぞ」。「彼はあなたが聞きたいことを言ってるだけなのよ。彼にはあなたの自責の念を感じることができる。だから、あなたを安心させようとしてるだけ。それが分からないの? あなたは彼に対する後ろめたさをずっと引きずってるわ!」。「君は冷酷だ。哀れみもない」。「あなたは自分勝手過ぎる!」。「君のよそよそしさには、もう我慢できん!! 君は攻撃的だ!!」。「そうよ!!」。このあと、何かをぶつけたり、争ったり、殴ったりする音が聞こえる。このような録音を妻に内緒でやったということ、そして、最後は、わざとサンドラの怒りを煽り、自ら大声を出して喧嘩にまで持って行った行動には、サミュエルの意図的で強い “作為” が感じられる。
  
  
  

この長い録音を聞かせた後に、主任捜査官が証人台に立つ。まず裁判官が、この録音をどこで見つけたかを訊き、捜査官はサミュエルのUSBと答えたあと、サミュエルが半年にわたってスマホで多くの録音をして、それを文字に起こしていたと話す〔先ほどの長い録音以外のすべて〕。次に検事が、録音の最後での暴力的な爆発について質問すると、「肉体的な口論となり、被告は夫を殴りました」と答える。検事が、なぜそう判断したか訊くと、「彼女は、明らかに、激怒している状態にあります。録音の最後にある彼女の叫び声は、暴力が肉体的なものになる寸前のものです。その後の混乱の分析は困難です。しかし、体や顔への打撃音が聞こえます。そして聞こえてくる くぐもった悲鳴はマレスキーさんのものです」(1枚目の写真)。次に検事は、サンドラの腕の傷について、資料を見せるよう求め(2枚目の写真)、「この写真は、彼女の夫が死亡した日に撮られました」と言った後で、サンドラがどう説明したか訊く。主任捜査官は、①最初、サンドラは調理台にぶつけたと話した、②警察は、打撲による痣が手首の周りにあったので、争いの後のように見えると指摘し、先ほどの録音を聞かせると、その際の争いの時のものだと認めた、③サンドラは、容疑者にされるのが怖くて嘘をついたと話した、と証言する。それを受けて、検事はサンドラに、①サンドラは夫が録音していていることを知らなかった、②そこで、喧嘩には触れずに嘘をついた、と指摘し、サンドラは 「有罪だと思われたくなかった」と、正直に答える(3枚目の写真)。検事は、傷が録音時のものなのか、翌日のサミュエル死亡時のものなのかを主任捜査官に問い、医者が診察した結果、いつ起こったのかを正確に判断するには遅過ぎたと話す。しかし、それを聞いた検事は、「ということは、マレスキーさんが死亡した日に、二度目の争いで打撲の傷を受けた可能性があります」と、過剰な推論を陪審員に向かってぶつける。
  
  
  

次に、ヴィンセントが、録音の最後に聞こえた争いについてサンドラに尋ねる。サンドラは、「ガラスが割れる最初の音は、私が、テーブルの上にあったワイングラスを壁に投げつけた音です。そのあとで、私は夫の前まで行き、引っ叩きました。その時、彼は私の手首を掴みました、非常に乱暴に。それが、録音にある苦悶の声です。その直後、私は彼が額縁を床に投げようとするのを止めようとしましたが、止められませんでした」。「その “引っ叩き” 以外に、彼を殴りましたか?」。「次に聞こえるのは、サミュエルが自分の顔や頭を何度も殴り、そのあとで壁を拳骨で殴った音です」(1枚目の写真)「まだ凹みが残っています。家の周りにも幾つかあり、彼のこうした行為は初めてではありません。数年前の話ですが、彼は壁を殴って指を骨折しています」。弁護士は、①録音時の喧嘩の際に、サミュエルが壁を殴った跡の現場写真(2枚目の写真)と、2017年6月にグルノーブルの病院で撮影された骨折した指のX線写真(3枚目の写真)を証拠として見せる。
  
  
  

ヴィンセントは、次に、主任捜査官に対し、「あなたの暴力描写は主観的であり、客観的ではないと言ってもいいでしょうか?」と、シビアな質問をする。主任捜査官は、“サンドラが何度も嘘をついた” と主張するが、嘘は手首の傷についてだけのハズで、これは主任捜査官のミスか意図的な嘘。そこで、ヴィンセントは、主任捜査官の発言を、「あいまいな録音に基づく主観的な意見に過ぎません。あなたは前日の言い争いと、死亡した日を勝手に結びつけています。直接的な証拠はありますか?」と鋭く訊く。「目撃者も自白もないので、解釈するしかありません」。こうした無責任な発言に対し、ヴィンセントは陪審員に、「マレスキーさんが亡くなる前日に争いがあったというだけで、このような空論を現実に変えてしまう危険性があります。前日を翌日と取り違えないで下さい」と訴える(1枚目の写真)。ここで裁判官が、「ヴォイターさん、あなたは夫が録音していたことを知っていましたか?」と尋ねる。サンドラは、①知らなかった、②彼はよく録音していた、③最初に録音した時にはそう言ったが、しばらくすると知らないうちに録音するようになった、④夫婦の会話、ダニエルのピアノ、自分自身の独り言を録音した、⑤彼の執筆の素材集めのためだった思う、と言った後で、「今にして思えば、彼は録音する目的で、この争いを起こさせた気がします」と、重要な発言をする(2枚目の写真)。それを聞いた検事は直ちに、「ちょっと待って、あなたは自らがひねくれた男の犠牲者だとほのめかしているのですか?」と訊き(3枚目の写真)、ブードーも直ちに、「彼は秘密裏に録音していたんですよ。これは妥当な疑惑です。あなたは状況が不条理なことを忘れている」と検事を批判する。検事は、録音の中で、はっきりとは分からなかったサンドラの著作とサミュエルとの関係について追及する。サンドラは1つの事例について話す。それは、サミュエルが途中で執筆を放棄した本の中に、サンドラが “面白い箇所” を見つけたというもの。それは、27ページあり、ただの粗筋(あらすじ)だったが、とても面白かったというもの。検事から内容を訊かれると、「弟を殺した事故がなかったら、自分の人生はどうなっていただろうと想像する男の話」だと答える。サンドラが、そのアイディアを使っていいかと尋ねると、サミュエルはOKを出した。話がここまで来たところで、検事は、録音の中ではサミュエルがそれを盗作だと批判していたと指摘する。サンドラは、使ったのはアイディアだけで、自分の小説では、母と娘とし、本は300ページ以上もあると主張する。そして、録音の中で彼が批判したのは、最近 彼が全く書けなくなった動揺が表面化したためではないかと述べる。その後、検事は、サンドラの最新作 『The Black House(黒い家)』の一節を読む。「どうやって殺す? あの体は? 重さは? 彼女はそれ以外 何も考えられなかった。彼女は彼が死んだのを見た。彼の体は不要な塊となった。彼女が愛した肉体は、今や邪魔でしかなく、何とかしないといけなかった」。検事は、この記述と、サミュエルの殺害と結び付けようとするが、ヴィンセントから裁判とは無関係だと批判され、裁判官からも ”読書” は止めるよう指摘される。検事は仕方なく、「あなたは引っ叩いたのを認めましたが、それ以外にあなたの夫を殴ったことはありますか?」と訊き、「一度もありません」の返答を最後に尋問を終える。
  
  
  

最後に、ヴィンセントは、まだ証人台にいる主任捜査官に、マレスキーがどこかに自分の原稿を送ったことがあるかを尋ねる。主任捜査官は、「彼は、最初の小説を出版した出版社の友人ポール・ナチェスに送りました」と答える。すると、ヴィンセントはすぐに、「2017年8月9日のEメール: 『また書くことにした。目を通して欲しい。まだ下書きだ。是非話したい』。ナチェスの返事: 『もちろん。送ってください。読みます』。マレスキーさんは、亡くなるまで、週に4通のメールを送りました」と、より詳しく説明する(1枚目の写真)〔死亡は2018年3月4日なので、100通以上〕。その上で、主任捜査官に、「出版社の対応は、どうでしたか?」と訊く。「出版社は返事をしませんでした」。それを受けて、ヴィンセントは、「友人の沈黙は、マレスキーさんの低下していた自尊心を傷つけたに違いない。彼は拒絶されたと感じたのです」と陪審員に訴える。そして、サミュエルの想いについて語る。要約すると、ロンドンでの医療費がかさんだので〔なぜ? ダニエルを視覚障害者にしたオートバイの運転者が負担しなかったのか?〕故郷に戻り、シャレーを買い、改修して収入を得ようとする。教師をやめ、フルタイムで書こうとする。しかし、改修は困難で、教師の給料は重要でやめられないし、改修工事は長引く。こんな生活が1年半続き、彼は、抜き差しならない状態に追い込まれたと感じる。何とか書かないと。話がこの辺りまで来た時の、ダニエルの表情が2枚目の写真。話は続く。そこで彼は抗うつ剤をやめ、いろいろなヒントを録音で集め、本を書こうとしたが、出版社からは無視されてしまう。ヴィンセントは、それを 「絶望のエネルギー」と表現する(3枚目の写真)。
  
  
  

主任捜査官の証言が終わると、裁判官が、「今は金曜日の夕方、週末を前にしています。休会する前に、お知らせがあります。私は、月曜日にダニエルを法廷に再召喚することにしました。彼は興味のある新しい情報を持っています」(1枚目の写真)「証人は被告の息子で、母親と同居しています。皆さんには彼との接触を控えていただきたい。接触が避けられない場合は、裁判について議論するのは控えるように。バーガーさん、週末はずっとダニエルと一緒にいて下さい。私は、誰も、絶対に誰も、彼の証言について尋ねたりしないよう、強く求めます」〔不思議なのは、ダニエルの証言は、傍聴人を入れずに行うことを明言しない点。これでは、月曜日に傍聴に来ても、追い返されてしまう〕。シャレーでは、ダニエルがシャワーを浴びてから、セーターに着替えて1階に降りて来ると、キッチンで夕食を作っている母が、「あと10分」と叫ぶのが聞こえる。ダニエルは暖炉の前に立ってしばらく考えていると、「僕、一人になりたい」と言う(2枚目の写真)。マージが、「あなたの部屋で食べればいい」と言うと、「ううん、週末は、ずっと一人でいたいんだ。証言するまで」と答える。「一人で? あなたと私だけで?」。ダニエルは頷く。マージは、「本気なの? この家は大きいから、他の選択肢もあるんじゃない?」と言うが、ダニエルは、「彼女にいて欲しくない」と、ママと言わずに彼女と言い、母と距離を置く。納得したマージはキッチンに行き、サンドラにダニエルの意向を伝える。母は、ダニエルの所に行くと、「それがあなたの望みなの? 今日聞いたことが原因? 前はあんなことまで話せなかったから」と話しかけるが、マージに、「裁判の話はダメ」と止められる。「分かってる。息子と話をしているだけなの」。そう答えると、「あなたが静かにしていたいのはよく分かる。私は口出しなんかしないし、一人でいる。あなたが望まないなら、何も話しかけない。それじゃダメ?」と言う。マージは、「英語では話さないで」と注意する。サンドラは、「あなたと私で話し合って、それから決めることはできないの?」と、ある意味、しつこく尋ねるが、マージは、「彼は決断したんだと思います」と言う(3枚目の写真)。そえを聞いたサンドラは、荷物を取りに行き、シャレーから出て行き、待機していたヴィンセントの車で小さなホテルまで送ってもらう。
  
  
  

マージが外に出て行き、家の中に1人きりになったダニエルは、アスピリンの箱を取り出す(1枚目の写真)〔近づければ何とか読める〕。そして、アスピリン2箱と、ドッグフードの缶、それに、スヌープの餌皿を持って自分の部屋に行く。次のシーンでは、アスピリン2箱入りのドッグフードを、スヌープに食べさせている。夜になり、スヌープが気を失って床に寝転がっている。朝、目が覚めた時、それに気付いたダニエルは、スヌープが死んでしまうんじゃないかと心配して、「マージ!」と大声で呼ぶ(2枚目の写真)。マージが飛んで来て 「どうしたの?」と訊くと、ダニエルは、「僕、アスピリンを与えた。ひどいことしちゃった」と言う。「アスピリンを?」。「そう」。「どのくらい?」。「8か10、覚えてない。吐き出させて」。「なぜ、こんなことしたの?」。「吐かせてよ! お願い」。マージはスマホのボイスボット〔AIを利用した音声会話プログラム・サービス〕を利用して、「犬に吐かせるには?」と言い、塩水を飲ませるよう指示されたので、すぐ塩水を取りに行く。そして、戻って来ると、ダニエルにスヌープの口を開けさせ、塩水を注ぎ込む。すると、犬が起き上がり、ダニエルがどうなるか見ていると(3枚目の写真)、しばらくして床に吐く(4枚目の写真、矢印)〔あらすじの真ん中の辺りに、サニュエルが大量のアスピリを飲んで自殺を図った時の嘔吐物の写真があるが、それと対比すると、何となく似ている〕
  
  
  
  

スヌープが元気になると、マージはなぜあんなことをしたのか、説明を求める。ここからが、ダニエルの見せ場。彼は、涙を流しながら説明し始める。「僕、パパが自殺しようとしたなんて聞いたことがなかった。セラピスト、薬、嘔吐物、アスピリンのことも、聞いたことがなかった。ママがそのことを話した時、僕、その頃起きたことを思い出したんだ。ある朝、スヌープが僕の寝室の床に倒れてた。動かないし、“へど” みたいな臭いがした。吐いたんだと思った(1枚目の写真)「だから、鼻と口をきれいにしてやった。僕は、スヌープがウイルスか何かに感染したんだと思った。その後 何日も様子が変だったから。眠ってるか、飲んでるだけ。だから、今、僕はこう思ってる。多分スヌープはパパが嘔いた物を食べ、“その” せいで病気になった、だからママはホントのことを話したんだって! 僕のアスピリンを使った実験は、スヌープの反応を見るためだったんだ。あなたも、見たよね。スヌープは14時間眠った。今もずっと飲んでる。臭いも全く同じなんだ! 何もかも! 全部が、そっくり同じ! でも、昨日から、僕は、彼女を信じるべきかべきでないか、分からなくなってたんだ。2人が争ったことは知ってた。でも… あんなに暴力的だとは思わなかった」(2枚目の写真)。マージは、「あなたが確信している記憶を、陪審員に話すことが重要なのよ。でも、あなたは目撃者にすぎない」と話す。「彼女は 彼を殺すことができたと思う?」。「私が判断することじゃないわ」。「分かっているけど、何とか言ってくれない?」。「答えられないわ。私の役目はあなたを守ることよ」。「頼むから助けて!」。この言葉で、約2分にわたって続く熱演は終わる。そのあと、2人は外に出て一緒に歩く。スヌープも元気になり、一緒に付いてくる。雪のない場所に座ったダニエルに対し、マージは、この映画の “核心” とも言える提言をする。「何かを判断しようとしても要因が欠けていて、それも耐え難いほど欠けている時に、私たちにできることは、心を決めることだけ。分かる? 疑問が生じて、どうしようかと迷った時、どちらにしたらいいか分からないのに、決めないといけない時もあるの。そんな時には、あなたは、二つの選択肢のうち、どちらか一方を信じて、選ばないといけない」。この難しい言葉に、ダニエルは、「じゃあ、自分で信じる方を決めないといけないの?」と問いかける。「ええ、まあ… ある意味では」。「ということは、確信が持てないのに、確信があるフリをしろっていうの?」(3枚目の写真)。「いいえ、決めなさいと言ってるのよ。それは、同じことじゃない」。この会話を簡単に要約すれば、マージは、「事実に確実性がない場合、ダニエルは、真実であると信じる方を選ぶ必要がある」と言っている。実は、これは、映画が観客に迫っていることでもあり、観客はサミュエルが自殺したのか、サンドラが殺したのかの最終判断を、自らしなくてはならない〔映画は答えてくれない。なぜなら、インタビューで監督も分からないと言っているから〕
  
  
  

夜になりダニエルとマージは、TVを見ている(1枚目の写真)。そこでは、女性評論家が、サンドラの小説について、自分なりの分析を語っている。評論家はまず、サンドラの2冊目の小説について言及する。ここで、既に終わった検事の言葉で、ここで紹介した方がいいと思った内容を少し紹介する。それは、サンドラの1冊目の小説は “母の死”、2冊目は “父との溝”、3冊目は “息子の事故”、と実際に彼女が体験したことが題材として選ばれた事実。評論家が言及した2冊目は “父との溝” のことだ。評論家は、「彼女の2冊目の小説はさらに踏み込み、父親が最初の小説(“母の死”)に耐えられなかった様を書いている。溝は深まり、彼女は国〔ドイツ〕を去らざるを得なくなる。父親の怒りを恐れた彼女は、恐ろしい幻影の毒牙にかかるんです。私は、彼女のインタビューのなかで、このような不安を感じさせる言葉を見つけました。『私の仕事は(自らの)行動の軌跡を隠すこと。小説は現実を破壊できるんです』。一方、サンドラは、田舎町の小さなホテルで別のTVを見ている。そこでは、別の男性の評論家が 「サミュエル・マレスキー事件で何が人々を興奮させるのか、それは、彼女の小説の中に書かれているように思えるからだ。彼の死にまつわる疑念、彼の死に方だけでなく、ヴォイター本人の秘密めいた性格、道徳観念を欠いた、人をだまそうとする形質までも、すべてが小説の中に読み取れる。彼がどう死んだかは重要ではないと思うが、実のところ、作家が夫を殺すという発想は、教師が自殺するより、はるかに説得力がある」と、前者同様、サンドラを犯人に見立てている。ここで、もう一度、検事が、サンドラの最新作『黒い家』の中の数行を読み上げる部分を、紹介しよう。そうすることで、男性評論家の意見の参考になるので。「彼はぐちをこぼすのをやめた。彼はあきらめた。彼女は彼を観察し、彼の弱さに嫌悪感を抱いた。彼女の心に一つの発想、解放の種が芽生えた。彼の死の可能性。どうやって殺す? 肉体は? 体重は? 彼女は、それ以外には何も考えられなかった」。
  
  

翌朝、ダニエルは、ピアノの鍵を撫でるようにポロポロと叩きながら(1枚目の写真)、どう決断すべきかを考える。そして、屋根裏まで上がって行くと、垂木に1本1本に触りながら慎重に歩いて窓辺へと向かう(2枚目の写真)。そして、事故以来閉めてあった窓を開け、下を覗く(3枚目の写真)。ダニエルの目に、薪小屋の屋根がどう見えたのかは分からない。
  
  
  

翌日の法廷は、ダニエルの供述は、最初からではなく、途中のこの2行から始まる。「母がそんなことをしているのを想像することは、僕にはできません。でも、父がしたと想像することは できると思います」(1枚目の写真)。これに対し、検事は、「君のお父さんが過剰摂取したとされるのは、自殺未遂によるものではなく、お母さんが毒殺しようとしたからではないか、と考えたことはある?」と述べ〔陪審員向けの発言で、返事は期待していないが、よく、こんな残酷なことが言えたものだ〕、「二つの選択肢があるのに、君はなぜそのうちの一つを選んだの? 君の記憶は、原因ではなく結果をなんだ」で発言を終える。これに対し、ダニエルは、「ええ。僕、そのことも考えたけど、彼女があんなことをした理由が分からない」(2枚目の写真)「なぜ起きたか確信できるだけの証拠がない時は、裁判がそうであるように、もっと深く検討しないといけない気がする。すべてを検討しても、なぜ起きたかが理解できない時には、なぜそのようなことが起きたのか、問いかけないといけないと思う」と、抽象的な発言で供述を終える。裁判官が、「終わりましたか?」と訊くと、予想に反して、ダニエルは 「いいえ」と答える(3枚目の写真)。
  
  
  

「他にも言いたいことがあります。僕の犬が何日も具合が悪かったので、父と僕は獣医に行きました」。そして、画面は、医院に向かう車内に変わる。ダニエルは、その時の様子を話し始める。「しばらくすると、彼〔父〕はスヌープのことを話し始めた。彼は 『スヌープは病気かもしれない』と言った」(1枚目の写真)「『死ぬかもしれない。いいな。覚悟が必要だ』。僕は、そんなこと聞きたくなかった。スヌープは良くなっていたし、まだ若かった。スヌープは一度も病気になったことがなかった。僕は彼に、スヌープは死なないと言った。でも、彼は続けた。『お前も覚悟しておかないと。いつかはそうなるんだ。スヌープが疲れるのも不思議じゃない。犬としては、それほど若くない。彼がどんな風に生きてきたか想像できるか? 彼は普通の犬じゃない。素晴らしい犬だ。傑出した犬だ。考えてもみろ。彼はお前の望みを読みし、お前の動きを予測し、お前を危険から守ってくれるんだ。彼はこれまでずっとそうしてきた。だから、疲れてしまったのかもな。いつか、その時が来たら、彼は行くだろう』」(2枚目の写真)「『お前には、どうしようもない。覚悟しておけ、辛いぞ。だが、それでお前の人生が終わるわけじゃない』。彼は自分のことを言ったんだ。今になって、彼が自分のことを言ってたんだと分かった」(3枚目の写真)〔これで、ダニエルは、父の自殺説を選択したことになる〕。この長い供述の後、検事は、「陪審員の皆さんには、この話が極めて主観的なものであることを、心に留めておいていただきたい。決して証拠に該当するものではありません」といい、すべての弁論は終了する。後は、陪審員の判断に委ねられる。
  
  
  

裁判所の前ではTV中継が行われていて、レポーターが、「私たちは、グルノーブルの裁判所の前にいます。裁判は金曜に結審するはずでしたが、サンドラ・ヴォイターの息子ダニエルが今朝再度証言することを求めたのです。陪審員はまだ…」と言っている。すると、裁判所の中から自由になったサンドラがヴィンセントと一緒に出てくる。マイクが一斉にサンドラに向けて出され、「ヴォイターさん、無罪を勝ち取った今のお気持ちは?」と訊かれる(1枚目の写真)。それを、ダニエルがマージと一緒にシャレーのTVで見ている(2枚目の写真)。サンドラが簡単に感想を述べ、最後にヴィンセントが陪審員に感謝すると、2人は車に向かう。それを見て、ダニエルはマージに微笑みかける(3枚目の写真)。
  
  
  

母は、本当なら、自分を救ってくれたダニエルに感謝すべく、シャレーに直行すべきだと思うが、そうはせずに、ヴィンセントと、よりによって中華料理屋に行き、祝杯を上げ、夜遅くまでそこで過ごす〔観ていて不愉快〕。従って、シャレーに辿り着いた時には、もうダニエルは眠っていた。ダニエルの面倒を最後まで見てくれたマージは、サンドラの帰宅と同時に出て行き、サンドラは居間で眠ってしまったダニエルを抱えて寝室まで運んで行く(1枚目の写真)。すると、ダニエルが目を覚まし、「僕、あなたが家に帰ってくるのが怖かった」と言い、サンドラは、「私もよ。家に帰るのが怖かった」と言う。そして、ベッドで横になっていたダニエルが体を起こし、母を抱きしめたところで映画は終わる(2枚目の写真)。ダニエルは、母が刑務所に殺人罪で長期にわたり収監され、“孤児” になるよりは、“父を殺したかもしれない女性と暮らす” 方を選択したのだ。
  
  

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