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Capra cu trei iezi 『ヤギと三頭の子ヤギ』

ルーマニア映画 (2022)

この映画の元となったのは、Ion Creangă(イオン・クリヤンガ)が1875年に初版発行したルーマニアでは非常に有名な童話。童話では主人公がヤギとオオカミなのに、映画では全て人間。しかし、題名は元の童話のまま。そこで、日本語の題名を付けるにあたり、“原作の童話から” というニュアンスを示すため、原題に『』を付けて表示した。ここでは、映画を語る前に、日本では全く知られていない童話の内容を簡単に紹介しよう。ネット上では、ルーマニア語の原作が https://www. povesti-pentru-copii.com/ion-creanga/capra-cu-trei-iezi.html で紹介され、英語の簡略版が https://11writers.wordpress.com/2020/12/13/the-goat-with-three-kids-ion-creanga/https://thekittycats.wordpress.com/2009/01/12/ the-goat-with-three-kids/ で紹介されている(2つはかなり違っている)。童話は映画と違って、状況説明は極めて簡単。「昔々、母ヤギが3頭の子ヤギと一緒に住んでいました。一番年上の子ヤギと、二番目の子ヤギは言うことを聞かないので よく叩かれていました。一番小さな子ヤギは よく働く良い子でした」だけ。そして、すぐに、母ヤギは、「子供たち、私は、森に行って食べ物を集めてくるわ。私が帰るまでドアにかんぬきをかけ、私の声を聞くまで開けてちゃだめよ。私が帰ってきたら、私だと分かるように、こう言うから。『子ヤギたち、お母さんよ。ドアを開けて。あなたたちに持ってきてあげた… 唇に葉っぱ、胸に乳、背中に塩を少し、足の裏にトウモロコシ粉、脇の下にお花の房』。分かった?」と言う。年上の2頭の子ヤギは、「はい、お母さん。心配しないで」と答え、一番小さな子ヤギは、「お母さん、うまくいくといいね。神様が助けて下さいますように」と涙ぐんで言う。母ヤギは出かけ、子ヤギ達はかんぬきをかける。しかし、悪いオオカミが 母ヤギの言葉を盗み聞きしていたので、しばらくすると、オオカミはドアの前で、先ほどの言葉を口にし、「さあ! お母さんのためにドアを開けて!」と言う。一番年上のヤギは、「ドアを開けよう。お母さんが食べ物を持って来た!」と言うが、一番小さなヤギは、「開けないで! お母さんじゃない。お母さんの声はあんなに太くてかすれていない、もっと細くてきれいだよ!」と反対し、結局ドアは開けられなかった。オオカミは鍛冶屋に行き、舌と歯を研いでもらい、戻ってくると、約束の言葉をくり返す。一番年上の子ヤギは、母ヤギだと確信し、「お母さんだ! 今、開けるよ」と言う。一番小さな子ヤギは、以前、悪いオオカミに伯母さんヤギが襲われたことを話し、思いとどまるよう説得するが、一番年上の子ヤギは聞く耳を持たず、かんぬきを外し、ドアを開けてしまう。二番目の子ヤギは毛布の下に隠れ、一番小さなの子ヤギは暖炉の中に隠れる。一番年上の子ヤギは、あっという間にオオカミに食べられる。オオカミは、まだ空腹だったので、家中をさがす。しかし、見つからず、疲れたので毛布の上に座ると、何かを感じ、毛布の下に隠れていた二番目の子ヤギもすぐに食べられる。オオカミは食べ残した子ヤギの2つの頭を窓の所に置くと、すべての壁に血を塗り、家から出て行く。一番小さなの子ヤギは、すぐにドアを閉め、かんぬきをかけると、2頭の兄ヤギのことを思って泣きじゃくる。すると、そこに母ヤギが戻ってくる。母ヤギは、窓の向こう側に置かれた2つの頭を見て震えが全身を襲う。それでも、約束の言葉を口にすると、一番小さなの子ヤギがすぐにドアを開け、母ヤギを中に入れ、「お母さん、見て。大変なことが起こったの」と泣きながら話す。母ヤギは恐怖に我を忘れながら、「何が起きたの?」と尋ねる。「お母さんが出て行くと、誰かがドアを叩いて約束の言葉を言ったの。兄さんはうっかり者だからドアを開けてしまい、僕はすぐ暖炉に潜り込み、二番目の兄さんは毛布の下に隠れたの。そしたら、大きなオオカミが入って来て、僕の兄さんたちを食べたちゃった」。復讐を誓った母ヤギは、サルマーレ〔ロールキャベツの一種〕、プラーキエ〔米料理〕、アリヴェンチ〔カスタード・タルト〕などのおいしい料理を作る。それから、庭に穴を掘り、残り火とたくさんの木の枝を詰め、その上から葉と土を置き、最後にマットを敷く。そして、用意が整うとオオカミの所に行き、「私が森にいた間に、何者〔熊〕かが来て、子供たちを食べてしまいました。子供たちの記憶と追悼のために料理を作ったので、一緒に食べて慰めて欲しいと思って来ました」と、オオカミを招待する。オオカミは喜んで母羊の家に行き、隠し穴の上に置いたイスにオオカミを座らせる。オオカミはたくさんの料理を貪欲に食べ始める。そのうちに、蝋〔ロウ〕で作ったイスが溶け、オオカミは火の中に落ちる。オオカミは火傷を負い、母羊と子羊はオオカミが完全に死ぬまで石を投げつける。童話は、「オオカミの死の知らせはすぐに森中に伝わり、すべてのヤギの耳に届きました。そしてヤギたちはみな、悪いオオカミの当然の結末に満足しました」で終わる。

映画は、童話のヤギとオオカミを人間に変えた以外に、以下の点を変えている。①映画の冒頭、貴重な食用穀物の入った倉庫が火事で燃えてしまう。従って母は森にその日の食べ物を集めに行くのではなく、貯めておいた僅かのお金で穀物を買いに村に行く。②2人の兄が、小さな弟に如何に意地悪かが3つのシーンでしっかり映像化されている。③母が家に入る時の “約束の言葉” の使われ方が違う。④子供たちは、人間なので、食べられる訳ではなく、殺された後、童話のように森に連れて行かれ、森に住む獣の食用に放置される(2人の首を窓に置くところと、血を部屋中に振りまくところは同じ)。⑤そもそも、オオカミならヤギを食べるのも理解できるが、男が子供を2人も残酷な方法で殺す理由がはっきりしないので、観ていて違和感を覚える。それに、母親の子供の皆殺しを目指したということは、母親に対し、個人的に強い恨みを抱いていたはずで、そんな母親からの招待をすんなり受けるのも不自然極まりない。⑥オオカミに相当する “悪い男” ためのイスは、蝋で作るのではなく、木のイスの3本の脚の1本に刃物で切込みを付け、折れ易くしてある。⑦宴会の最後に、生き残った末っ子が男の前に姿を見せる演出になっている。この時点で、男は、自分が2人の兄を殺した張本人だと気付かれていると悟ったハズなので、“何もなかったように振る舞う母と男” の態度が極めて異常に見える〔それでも、人気の童話の映画化なので、トランシルバニア国際映画祭では観客賞を獲得し、IMDbも7.3と高い〕。台詞は短いのに、訳にこれほど苦労したのは初めて。英語字幕は意味不明の箇所ばかり。その上、ルーマニア語→英語の5ヶ所の自動翻訳も役立たず。単語の意味を調べようと思っても、辞書すらない。

3人の子供に役名はない〔原作も同じ〕。一番小さな良い子を演じているのは、Antonio Gavrilă(アントニオ・ガヴリーラ)。情報は皆無。

あらすじ

映画の冒頭。夜。母は、敷地内の小さな穀物小屋から煙が出ているのに気付くと、家から水の入った桶を持って飛び出す(1枚目の写真、矢印)。しかし、焦ったため転んでしまい、桶の水が草地の上に飛び散ってしまう。母は、頭に掛けていた布で草地の水をできるだけ吸収すると、それを小屋の木の壁や柱にぶつけるが、効果はゼロ。そこで、今度は穀物の入った袋を小屋から出そうとするが、袋に木の棒が刺さっていて、いくら引っ張っても動かない。結局、大切な穀物の入った小屋からは何一つ取り出すことができず、小屋は全焼する(2枚目の写真)。

家の中では、長男と次男がうつむいて食卓に座っている。母は、家の中に置いてある僅かばかりの小麦粉を手ですくいながら、2人に向かって、「Na, c-o făcurăți(何てことするの)!」と言う。重要な言葉だが、英語字幕とポルトガル語字幕では、「お前たち、やったわね」になっている。この2つの言葉は、火を点けたのが、バカ息子2人であることを示唆している。母は、「これが私への恩返しなの? お前たちが飢えないよう 骨が痛くなるまで年中働いてるのに、何でこんなことしたの!?」と叱る。しかし、食卓の反対側にいる末っ子が、2人を批判がましく睨んでいるのに気付いた長男は、母が屋根裏の備蓄を調べに行ってしまうと、末っ子に 「何、見てるんだ? 母ちゃんの『坊や』」と因縁をつけ(1枚目の写真)、食卓の上に置いてあった殻付きのクルミを 末っ子の顔に向かって投げつける。末っ子は、何て兄だと恨めしそうに見る(2枚目の写真)。それを見た長男は、今度はクルミを複数掴んで投げつける。その音と、次男の笑い声で母が気付き、「まだ止めないの? この悪魔ども!」と言いながら、次男の耳を掴み、2人に貴重なクルミを拾うよう命じる(3枚目の写真)。

母は、さらに、「お前たちは、いつになったら悪ふざけを止めるの? お前たちが得意なのは、壊すことだけじゃないか! 家の中の何かに触れたり、動かしたりすることなど問題外! 私がいなくなったら、この小さな家の中は、お前たちと塵と灰だけだわ!」と2人を強くなじる〔2人とも馬耳東風〕。そして、母は、末っ子に、「水を注いでちょうだい」と頼み、器の中で手を洗いながら、2人に向かって、「お前たちはどうして可哀想な末っ子を虐め続けるの? お前たちは、兄らしく振る舞い、末っ子の世話をしようともせず、家族の絆を完全に失っているじゃないの!」と批判を続ける。そして、2人の前に立つと(1枚目の写真)、「お聞き! お前たちが心を入れ替えないなら、叩きのめしてやるからね!」と怒鳴る(2枚目の写真)。「分ったかい?」。返事がないので、「どうなんだい、この悪魔め!」と再度怒鳴り、次男はようやく 「うん!」と言うが、長男は黙ったまま。母は、「二人とも、目の前からお消え! あっちへ行くんだ!」と追い払う。ロクデナシが2人いなくなると、母は窓を開け、手を洗った水を窓から捨てる。末っ子は、「僕、何すればいいの?」と母に訊く。母は、「明日以降どうなるかは、心配しないで。寝てらっしゃい」と言い、末っ子はロウソクを手に持ち、奥に入って行く。

翌朝、末っ子は 朝早くから仕事に取りかかる。一輪の手押し車を納屋から出す姿が映る(1枚目の写真、矢印)。その頃、母は、2階の天井を箒の柄の先端で叩くが(2枚目の写真、矢印)、2人のロクデナシはまだ眠っている。母は、「夜になるまで寝てるつもりなの!」「聞いてるかい?」「起きて服を着るんだよ! やるべき仕事があるんだ!」と何度も叩き、ようやく次男が目を開ける。末っ子は、昨夜全焼した穀物小屋の床に積もった黒い灰をシャベルで手押し車に入れる。中には、トウモロコシの粒がかなり混じっている。手押し車が一杯になると、末っ子は 隣の小さな畑の柵を開け、何も生えていない茶色の土の上に “トウモロコシの粒入りの灰” をまく(3枚目の写真、矢印)〔トウモロコシが芽を出すのを期待した母の命令?〕

2人のロクデナシは、朝食を終えると、“やるべき仕事” など無視し、家から飛び出して行く(1枚目の写真)。そして、末っ子からシャベルを奪う。末っ子が、「僕のシャベル返してよ」と言うと(2枚目の写真)、長男はシャベルを放り出し、叫びながら森に向かって走って行く(3枚目の写真)〔もちろん、森の中で1日中遊ぶため〕

その頃、母は、大切なお金を入れてある袋を、隠し場所から出してくると、袋の中身を食卓の上にあけるが、中に入っていたのは5枚のコインだけ。母はそれをじっと見つめる(1枚目の写真、矢印)。末っ子は、灰まき作業が終わると、シャベルを手押し車に乗せ、納屋に戻す。家に戻る途中で、鶏数羽の入った小さな小屋から卵を4個取り出すと、シャツの “前身頃(まえみごろ)” と呼ばれる一番下の部分に卵を入れて、それを袋状にして手で握って家に向かう。末っ子がドアの前まで来た時、振り返ると(2枚目の写真)、遠くの丘の端に小さくポツンと人影が見える(3枚目の写真、矢印)。誰だろうと思って見ていると、急にドアが開き、母が出て来る。びっくりした末っ子は、卵を1個落としてしまう。「どうしたの? 何、ぼんやりして?」。「誰かいるよ…」。しかし、その時には、もう人影は消えていた。末っ子は、残った3つの卵を食卓の上に置く。母は、敷地内の物干し場に行き、洗濯物の取り込みにかかるが、2人の姿はどこにもない。そこで、「小悪魔どもめ。あいつら、やりたいことをやり続けてる」「Așchia nu sare departe de trunchi(あの父にしてこの子あり)」と言う〔2番目の台詞で、母の夫もロクデナシだったことが分かる(死別した)〕

母は、末っ子に、「あの子たちがどこにいるか知ってるかい?」と尋ねる。「うん」(1枚目の写真)。「連れてきておくれ。もし、来るのを拒んだら、一晩外で過ごせと言ってやりな。野性動物と一緒にね。中には、絶対入れてやらない」。そこで、末っ子は、仕方なく森に入って行き、「兄さんたち!」と呼ぶ(2枚目の写真、矢印)。しかし、2人は、隠れていて姿を現わさない。末っ子は、何度も呼び、最後には、「母さんが、帰って来いって!」と叫ぶ、すると、野鳥の鳴き声がしたので、怖くなって逃げ出す。末っ子が、縄の先に木の棒を結んだ簡単なブランコの所まで来ると、いきなり顔に泥が投げつけられる。すると、悪たれ2人が姿を現す。怒った末っ子は、2人を放っておいて歩き出す。長男は末っ子に追い着いて腕を掴むと、「何をそんなに急いでる?」と訊く。末っ子は 「放してよ」と言って腕を引き抜く。そして、長男を見上げて、「兄さんがやったことを、母さんに見せてやる」と言う。すると、後ろにいた次男が末っ子をつかんで自分の方を向かせ、「見せてやるだと? 何を見せるんだ?」と言って、長男の方に突き飛ばす。末っ子が、「投げた泥だよ」だよと言うと(3枚目の写真、矢印が泥の跡)、長男が末っ子の腕を取ると、「この密告者め。俺たちが投げたのを見たんか?」と誹謗する。怒った末っ子が腕を振り払い、去ろうとすると、次男が足を出して末っ子を転ばす。末っ子は怒って飛びかかり、また地面に突き飛ばされる。長男は、はっきり分かる傷をつけようと石を手に取ると、末っ子は、2人に向かって泥を投げつけ、2人がひるんだ隙に逃げ出す。

一方、母の家では、母が井戸から水を汲んでいると、そこに突然、森の中に住む男がやって来たので、母はびっくりして桶で手を打ってしまう。母は、「あんた、私を死ぬほど怖がらせたわね」と笑顔で言うと、男は、「単調な日々にはいいんじゃないか」と応じる。母は、何の用か尋ね、男は昨夜黒い煙が見えたので、無事かどうか確かめに来たと話す。母は、正直に 穀物が全て燃えたと話す。男は、母に気があるらしく、女性が一人で暮らしているのは良くない。誰か世話する人がいた方がいい。男のいない家は良くないと話す。それに対し、母は、夫(その男の友人だった)は、ずっと前に亡くなった。新しい夫をもらうような年ではないと否定する(1枚目の写真)。次に、男は 「悪たれどもはどこだ? 姿が見えんが」と訊く。母は、彼らは自由奔放で、それは男が子供の時もそうだったに違いないと庇う。男は、「もし、ガキどもが他人の家に侵入するようなら…」と言い、母は、①子供たち(長男と次男)は縛り付けておくつもり、②どうせ長くは家を空けない(すぐに空腹になるから)、③子供たちが招かれてもいない所にいるのをみつけたら、彼らの皮膚を剥いで棒にぶら下げてやってもいい、と話す。それに対し、男は、「俺は、あんたのガキどもには、決して危害を加えないと約束する」と言う(2枚目の写真)。しかし、そのあと、「ガキどもが誰かに恥をかかせるかもしれん」「Rău cu rău da' e mai rău fără rău(悪には悪があり、悪がなければ悪はさらに悪くなる)or(悪のある悪は、悪のない悪よりも悪い)」と 変わったことを言う。「孤独は人を狂わせる」とも。そして2人は別れる。この会話の中で、この男が、後で行うような残虐な行為を直接示唆するものは何もない〔「俺は、あんたのガキどもには、決して危害を加えないと約束する」と言っているので〕。しかし、解説に書いたように、オオカミが子ヤギを食べることは理解できても、男が子供を殺すことは理解できない。この会話に、そのヒントがあるとすれば、「悪には悪があり、悪がなければ悪はさらに悪くなる(悪のある悪は、悪のない悪よりも悪い)」という変わった言葉と、「孤独は人を狂わせる」、プラス、母が言った「彼らの皮膚を剥いで棒にぶら下げてやってもいい」(後で、実際に起きる)の3つくらいだろうが、殺人の動機にはならない。そこが、ヤギが主役の童話を、人間に変えてしまったことから生じる大きな矛盾点だ。

末っ子は、2人の兄に見つからないよう枯葉の中に隠れていたが、暗くなりかけたので、2人が諦めて家に戻って行くと、枯葉の中から姿を現わす(1枚目の写真)。そして、見つからないように、2人からずっと遅れて家に向かう。丘の上から2人が家に入るのを確認すると(2・3枚目の写真、矢印)、安心して家に向かう。

母は、末っ子の汚れた服を見て、「その服どうしたの?」と訊く。末っ子が何と答えたのかは分からないが、次のシーンでは、母は末っ子の肩に手を置いて 食卓の定位置に座った長男と次男に面と向かうと、「ちゃんと世話なさい! いいこと、お前たちが この子を虐めたり飢えさせたりしたら、許さないからね!」と強く注意する(1枚目の写真)。そして、「明日は、暗くなる前に戻ってくるわ。少なくとも数時間は、まともな子らしくなさい! できるわね?!」と、強く言う(2枚目の写真)。長男はニヤニヤするだけで何も言わないので、「できるの?! できないの?!」と訊く。うるさい母がいないので、思うつぼだと思っている長男は、「心配ないったら。約束はちゃんと守るよ」と言うが、次男がニヤニヤしているので、信用度はゼロ(3枚目の写真)。家の外では、日中に母を怖がらせた男が、中から聞こえる話を聞いている。

3人の子が、天井の下に設けられた寝処に上がると〔寝る場所だけが2階になっているので、境目から下を見ることができる〕、母はヤギの毛を撚り合わせて糸にしている。長男と次男は狭い空間でじゃれ合っているが、末っ子は母の手作業をじっと見ているうちに、「母さん、お話し聞きかせてよ」と頼む。母が、2人の兄には定番の話を始めると、次男が、「それ、知ってるよ。新しいの話して」と要求する。それを聞いた末っ子も、「おねがい」と笑顔で頼む(2枚目の写真)。そこで、母が話し始めたのが、何と、『ヤギと三頭の子ヤギ』の原作の冒頭。末っ子は、「子供たち、私は、森に行って食べ物を集めてきます」の辺りで眠くなって寝てしまう。しかし、真夜中になると、おしっこがしたくなり、梯子で1階に降りると、マッチでランタンの中のロウソクに火を点けると(3枚目の写真)、蓋を閉じ、手でぶら下げ、ドアから家の外に出て、屋外に設けられた小さな木製の便所小屋に入る。

早朝、母は 『ヤギと三頭の子ヤギ』の原作と全く同じ “約束の言葉” を歌うように話し、そのあと、「私が出たらドアを閉めて。よく話し合いなさい。私の声が聞こえるまでドアを開けないで」と言うと、穀物の袋を運ぶための木の2輪車を引いて村まで買い出しに出かける(1枚目の写真)。ドアの外で母を見送った末っ子が、中に入り、小さな掛け金をかけ、さらに、その上に、木製の大きなかんぬきを置く。そして、振り返ると、食卓に座っていた長男が立ち上がり、次男と一緒に末っ子の前に立ちはだかると、「どこに隠れるつもりだ?」と訊く(2枚目の写真、矢印は大きなかんぬき)。長男は、さらに末っ子を何度も壁に押し付けると、「泣かないんか?」と訊く(3枚目の写真)。

末っ子は 両手で長男の胸を叩くように押し、左足で相手の左腿を蹴る。長男が一瞬ひるむと、末っ子はその隙に、梯子を登り、寝処の先にある細い梁の上を歩いて中間の柱まで行き、さらに次の梁を渡って屋根裏の端まで行く(1枚目の写真)。長男は体が大きいので、先に次男を行かせようとする。この時、カメラは、誰かが井戸の前を歩いて、家に向かって降りて行くシーンを一瞬見せる。映像は、屋根裏に戻り、長男に命じられた次男は足が大きい分、末っ子より不利なのと、性格が臆病なので、足を少しずつずらすように梁の上を渡り(2枚目の写真)、中間の柱まで何とか到達する。長男は、怖がれば沽券にかかわるので、次男と違い、ゆっくりだが確実に歩いて中間の柱まで来る。こうなれば、末っ子にはもう逃げ場がない。長男は、中間の柱の末っ子側に立つと、「待っていやがれ」と怖がらせ、末っ子は覚悟する。その時、家の外で口笛の音がする。この家に誰かが来たことなど、3人にとっては初めてのことなので、長男ですらたじろぐ。そこで、末っ子は、「休戦?」と申し出て、長男も頷く。全員が1階に戻り、長男と次男は何か見えないかと窓から覗くが、何も見えない。長男は 「誰かが 通りがかったのかな?」と言い(3枚目の写真)、それを聞いた末っ子は 「母さんの歌だった」と言う〔例の男が、家の脇で盗み聞きしていたのは昨夜。今朝は、上に書いたように、天井裏の梁の場面で男はようやく井戸まで達したので、母が出掛ける前に歌うように話していたのは聞いていない。だから、この末っ子の台詞(脚本)は間違っている〕

兄が、ドアを開けて外の様子を窺おうとすると、末っ子は、「だめだよ。母さんは 『私の声が聞こえるまでドアを開けないで』って言ったじゃないか。あれは母さんじゃない」と反対する。次男は、「じゃあ、誰なんだ?」と無責任に訊く。末っ子は 「分からない」としか言えない。それでも、兄はドアを開けようとする。末っ子は、「お願い、開けないで。僕、きのう、母さんじゃない人が 丘のてっぺんにいるのを見たんだ」と頼む。それは重要な情報だったので、3人はもう一度窓のところに行き、外を見るが、窓は一方向にしかないので、ドアに誰かがいても見えない。約束破りで愚かな長男は、「母さんじゃないなら、誰なんだ?」と言い、再びドアを開けようとしたので、末っ子は、ドアの前に立ち塞がり、「お願い、開けないで。開けたら、僕たち終わりだよ」と反対する。「俺が間違ってるだと? De-atunci e rău în lume, de când a ajuns coada să fie cap(一番チビのくせに でしゃばるな〔『しっぽが頭にとって代わると、世の中最悪』、という諺の意訳〕)」と言うと、長男は末っ子に飛びかかり(1枚目の写真、矢印は末っ子)、暖炉の近くに投げ飛ばす。すると、ドアが何度もノックされる。末っ子は、ここに隠れようと思って、すぐ横の暖炉を見る(2枚目の写真、矢印)。長男はかんぬきを外し(3枚目の写真、矢印)、掛け金も外す。その頃には、末っ子は完全に暖炉の中に逃げ込もうとしている(4枚目の写真、矢印は潜り込む方向)。

長兄は、ドアを30センチほど開け、ドアの前にいるのが母でなく、ナイフに手をかけた怖そうな男だと分かると、ドアを閉めるが、その反応が、“頭の悪さ” に比例して遅かったため、男は閉まりゆくドアに靴の先端を押し込む。だから、長男が必死になってドアを閉めようとしても びくともしない(1枚目の写真、矢印は男)。男の方が圧倒的に力が強かったので、男がドアを強く押すと、ドアは簡単に全開し、長男はドアの後ろの空間に閉じ込められる〔ちょうど、ドアのすぐ右が壁なので、三角形の空間ができる〕。次男は、カーテンの後ろに隠れている。男はドアを閉めると掛け金をかけ、床にうずくまっていた長男の首を掴んで引きずり起こすと、首を掴んだまま宙に吊り上げ、絞め殺す(2枚目の写真)。長男の死体を床に捨てると、他の子供を探して歩き回り、次男を見つけて隠れ場所から追い出すと、逃げ出した次男の足を掴もうとする。その時、次男は 「Nănașule(名付け親)!」と二度繰り返して〔以前、母が「夫の男の友人」と言ったので、本当に 名付け親だったのかもしれない〕〔それにしても、前に書いたように、名付け親ともあろう者が、なぜこんな残虐な行為を行ったか、そのあり得ない状況について、映画は何の説明もしてくれない〕、やめてくれるよう頼むが、男はナイフで次男の首を切ってしまう(3枚目の写真、矢印はナイフ)。男は、3人目を探すが、泥で固めたような複雑な形をした暖炉の中に隠れた末っ子を見つけることはできない〔男は、暖炉の中に腕を突っ込んで探ってみる〕

そこで、3人目を探すのは諦め、男は、2人の死体を並べ、斧を手に持つと(1枚目の写真)、母の口ずさんでいた “約束の言葉” を、口ずさみながら〔先に書いたように、男がこの言葉やメロディーを知っているハズがない〕、映像には映らないが、2人の首を切断する。そして流れ出た大量の血を布に吸わせ、それをあちこちの壁に向かって振り、壁を血しぶきで黒く染める(2枚目の写真、矢印は十字架〔後の写真と対比〕、左の壁には布飾りが貼ってある〔後の節の写真と対比〕)。家の中を血だらけにすると、男は首のない2人の死体を担いでドアから出て行く(3枚目の写真)。男がいなくなると、暖炉の奥に隠れていた末っ子が、煤で黒くなって出てくる(4枚目の写真)。そして、家の中の惨状を見て、気絶して倒れる。

買い出しから戻って来た母は、何種類かの穀物の袋を積んだ木の2輪車を引いて、家に向かって丘を降りて行く(1枚目の写真)。しかし、家の前まで来ると、母は愕然とし、地面に膝を付いて絶叫する(2枚目の写真)。母の目線の先にあった物は、窓の内側に置かれた長男と次男の首だった(3枚目の写真)。

母の絶叫で、気絶していた末っ子の意識が戻る(1枚目の写真)。そして、立ち上がると、ドアを開ける。末っ子が生きているのを見た母は、泣くのをやめ、末っ子に向かって 「Puiu' mamii(母ちゃんの坊や)!」と叫んで駆け寄りと、思い切り抱きしめる(2枚目の写真)。そして、「いったい何が起きたの?」と訊く。末っ子は、「外で誰かが口笛を吹いているのが聞こえたので、兄さんがドアを開けようとしたんだ。僕は止めようとしたんだけど、開けちゃった。だから、僕は暖炉の中に隠れたの」と泣きながら話す(3枚目の写真)。「それから?」。「僕たちの名付け親、母さんの友だちが 兄さんたちに襲いかかったんだよ」。母は、それを聞いて衝撃を受ける。

母は、窓に置いてあった2人の兄の首を抱きしめると、家の敷地の外に2人の首を埋め、十字架の墓碑を立てる。家の中に戻ると、タワシを使って、壁に付いた血を洗い取る(1枚目の写真、矢印は掃除のために外した十字架⇒こちらの壁はまだ掃除が済んでいない、左の壁の布飾りも外してある⇒こちらは掃除が完了)。家中の壁をきれいにすると、もう眠ってしまった末っ子を、いつのも2階ではなく、自分のベッドに寝かせる(2枚目の写真)。母は、今度は床の血の洗い流しにかかる。末っ子は、怖い夢を見て、ハッとして目を覚ます(3枚目の写真)。恐怖のあまり息が荒いので、母が心配して駆け寄り、末っ子は母に抱き着く。

翌朝、母は四角い穴を掘ると、そこに2人の兄の遺品を、「何も残ってない。可哀想な子供たち」と言いながら入れ(1枚目の写真)、その上から何らかの液体燃料を振りかけて燃やそうとする。そして、マッチの火を点けたところで、ふと名案が頭に浮かび(2枚目の写真、矢印はマッチ)、マッチを消す。

母は、「Dihanie spurcată(不浄な怪物め)! 私の家を穢しおって!」と言いつつ、ニワトリの羽を水につけてむしる。そして、料理できる状態にすると、テーブルの上に置く(1枚目の写真、矢印)。テーブルの上には、卵や野菜も置いてある。壺の中身は不明。そして、「報いを覚悟するがいい」と言いながら、煮込んだ料理の入った壺の下の炉に薪を入れる。さらに、近くの林に行くと、木の枝を集め、背負って家まで戻る。夜になると、背もたれのない三本脚の小さな木の椅子の脚の1本の外側を、ナイフで “>型” に削る(2枚目の写真)。そして、削ったことが分からないように、その部分にロウのような物を充填する。それを見ながら、末っ子は、「神の手にゆだねた方がいいんじゃない? 母さんは、いつも言ったじゃない。復讐は良くない、神の怒りのさばきにまかすべきだって」と言うが(3枚目の写真)、母は、「今回は違うのよ、坊や」と、過去の自らの言葉を否定する。

イスが完成すると、母は、集めてきた木の枝を持って、“朝、火を点けかけた穴” まで行くと、シャベルを使って穴を深く掘り始める(1枚目の写真、矢印は母)。そして、翌朝。穴の前に置かれたテーブルには、端に柄のついた真っ白なクロスが掛けられ、その上に 家で一番立派な食器が並べられる。周囲には、一面に縞柄の布が敷かれ、穴を巧く隠している(2枚目の写真、矢印のイスの脚の黒っぽい点は、母が削って充填した場所)。用意が整うと、母は末っ子の頬を両手で包むと、「少し麓まで下りて来るわ。すぐ戻るから心配しないで」と言い(3枚目の写真)、家から出て行く。

母は、丘を下って行き、途中から森に入る。母は、血痕の跡を辿っているらしく、途中、枯葉の溜った場所で足を止める。カラスの鳴き声がしたので、そちらの方に行くと、下に、1枚目の写真のような場所が見える。2人の死体を焼いたのだろうか? 野生動物に食べさせたのだろうか? 何かは分からないが、母が涙を流すので、2人の死体に関連したものであることだけは確か。一方、男は、森の中の住処の外で、消えかけた焚き火を前に、木の幹に背をもたれて眠っている。足音がしたので目を覚ますと、森の中に母が立っている。男は 「今日は、cumătră(同族の女性)。どうしたんだ?」と声をかけ、母は 「あんたに神の祝福を」と答える。母は、ここに来た理由を、「私の不在中、誰かが家に来て子供たちを虐殺し、私を悲しみのどん底に突き落としたの。私の可哀想な子供たちは今、神の御許(みもと)にいるわ。私、子供たちと三位一体を讃えようと、ささやかな宴(うたげ)を設けたの。あんたにも来てもらえたらと思って」と説明する。男は、虐殺に対する弔意を一言も述べず、「素晴らしい、もちろん行くとも。これが、あんたとの結婚式ならもっと素晴らしかった」と言い、「この世は、思い通りにはならないものよ」と答える(2枚目の写真)。

母は男と一緒に家まで来ると、家の外に設けた華やかなご馳走の場に向かいながら、「ここですよ。貯えを使って用意した宴。私の心の痛みを和らげるためにも、あんたを招くべきだと思ったの。だって、世界で一番大切なものを失ってしまったのだから」と話す。それに対し、男は、「人には、予測できることしか防げないんだ」と、口先だけだが、初めて慰める。母は、細工を施したイスに男を座らせる(1枚目の写真、矢印)。母は、ある意味、腕を振るって料理を作ったので、男は、酒を飲み、おいしい料理にかぶりつく(2枚目の写真)。そして、酔っ払ったのと、本来の希望もあって、母の手をつかむ、体を引き寄せ、両手でお尻をつかむ。母が、「放して!」と言いつつ2人で揉み合っているところに、別の料理の壺を持った末っ子がやって来る。末っ子は、心配して 「母さん!」と声をかける(3枚目の写真、矢印は母)。その声で、男は卑猥な行為を止め、母は、末っ子に壺をテーブルまで持って来させる。

男は、「おい、どこに隠れてたんだ チビ君」と言うと〔こんなことを言えば、自分が虐殺犯だとバレるのに…〕、「名付け親にキスを」とつかんで抱く。その重さで、遂にイスの脚が折れ、男は そのまま後ろ向きに倒れて行き(1枚目の写真、矢印は方向)、穴を覆った布と一緒に 穴に落ちる(2枚目の写真、矢印は方向)。母は、「食べた物をすべて吐き出す時が来たわね」と言うと、マッチを取り出し、火を点ける(3枚目の写真)。そして、それを穴に落とすと、中には液体燃料がまいてあるので、一気に火が燃え拡がる(4枚目の写真)。

男は、全身に火が点いた状態で穴から出ようとするが、母は先端が二股になった鋭い棒を使って、穴から出させない。「死んじまう!」。「焼け死ぬがいい!」。その光景を見て、末っ子は、いつもと違う母に驚く(1枚目の写真)。母は、「覚えてるかい、この汚い豚め! お前は、私の子供たちには、決して危害を加えないと約束したんだよ!」と、燃える男に罵声を浴びせる(2枚目の写真)。そして、息絶え絶えに、「焼け死んじまう…」と呻く男に向かって、大きな石を手に持つと、「どんどん燃えろ」と言うと、石を高く掲げ(3枚目の写真、矢印)、それを男に投げつけて絶命させる。

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