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Louis, enfant roi ルイ: 少年王

フランス映画 (1993)

フランスの絶対王政の全盛期を築いた “太陽王” 14世(1638~1715年)は、4歳で王となり、あと4日で77歳になるまで在位(72年)した。これは、2022年に逝去したエリザベス2世の在位70年を抜き、正確な歴史の判明している中世以降で世界最長の在位も誇る長命の君主でもあった。ルイ13世に仕えた枢機卿リシュリュー公爵(『三銃士』であまりにも有名)の信任を受けたマザラン(1641年から枢機卿、1642年から宰相)が、1643年に4歳で王位を継いだルイ14世を支え、それまで不安定だったフランスに絶対王政を生み出すことに全力を費やした。その分、不安定なフランス王政の原因でもあった貴族達から怨まれ、それが、歴史上有名なフロイドの乱(1648~53年)を引き起こす。この映画は、ナポレオンと並び、フランスで最も有名な帝王・ルイ14世の少年時代、具体的には、1649年1月(11歳)から、1653年2月(14歳)までを描いている。前半は「高等法院のフロンド」の後半にあたり、後半は、「王子たち〔アンリ4世やルイ13世の子供たちが首謀者となり、貴族を巻き込んだ戦い〕のフロンド」に該当する。情勢は二転三転し、多くの人が幼いルイ14世、というか、マザランの味方となったり敵になったりと、入れ替わる。映画は、①1649年1月5日の真夜中に、王家とマザランがパリの王宮を抜け出し、大コンデの軍勢を味方につけて、高等法院派のパリ市民を包囲する場面、②1650年1月18日の大コンデ一党のヴァンセンヌ幽閉(マザラン嫌いの大コンデが、1649年9月14日にマザランの姪の結婚契約書への署名を拒否し、10月には “ジャルゼ侯爵の恥辱” で、マザランと王大后の怒りを買った) 、③1650年8月17日の、叔父オルレアン公ガストンの男児誕生〔王位継承順位No.3〕、④1651年2月4日の真夜中に変装したマザランがパリを脱出し、⑤2月9日夜にパリ市民がルイ14世が “パリを逃げずにいること” を確かめるために大挙して王の寝室に侵入した屈辱事件、⑥1652年4月7日のルイ14世のブレノーの戦い、⑦1652年7月2日に、反マザランの大コンデ軍を救うために、ラ・グランド・マドモアゼルが王軍に対してバスティーユの砲門を開いた事件、⑧1652年7月4日の、大コンデ軍によるパリ市庁舎無差別発砲事件と、1652年8月19日のマザランの2度目の亡命、⑨1652年10月21日のルイ14世のパリ凱旋、⑩1652年12月19日のレ枢機卿の逮捕、⑪1652年に起きたボーヴェ男爵夫人を使ったルイ14世の性教育〔なぜか、1649年末~1650年初頭に挿入されている〕、⑫マザランのパリ帰還などの実話をちりばめ、真正面からルイ14世の少年時代を描いている。ただ、非フランス人に映画を非常に解かりにくくしているのは、フランスの歴史の詳しくない外国人が観た場合、非常に混乱した時期に、多くの人物が立場を次々と変えて登場する内容を、丁寧な説明が一切ないまま観せるという監督・脚本のスタイルの責任。

普段はこの場所には映画の大まかな内容を書くのだが、それは前節で書いてしまったので、ここでは、外国の歴史映画の難しさについて書いておこう。私が、これまでに旅で訪れた外国で一番日数が多いのはフランス。34の都市や町で64泊している。これは、2番目のイタリアの26都市・町(45泊)や、3番目のイギリスの23都市・町(44泊)に比べて1.5倍近い。中には、ルイ14世がいたパリの王宮(現・ルーブル美術館)や、ルイ14世がフーケを断罪したヴォー=ル=ヴィコント城(3回)、ルイ14世の栄華を象徴するヴェルサイユ宮殿(2回)、ルイ14世の財務担当コルベールが完成させた当時世界最大のミディ運河(大西洋と地中海を結ぶ)などはあるが、コンデやレ枢機卿が幽閉されたヴァンセンヌは、現存しているのに情報の欠如で見損ねた(バスティーユ要塞は200年以上前に解体されて存在しない)。ルイ14世は、大好きな『ダルタニャン物語(三銃士を含む)』に出てくるので興味はあり、今回、楽しみにして映画の解説を始めたら、困惑の連続だった。使用する写真の処理が終わってアップロードしたのが12月20日。今まで、ほとんどの映画は、写真のアップロードから完成まで平均4日だったのに、今回は、2週間もかかってしまった。1日に2つの節しか書けない日が続きイライラさせられた。映画に出てくる歴史的事件について調べようとしても、ネット上ではなかなか情報が見つからず、見つかってもほとんどが大量のPDFで、それを何とか読んでも、求める情報はほとんど得られないという日々が続いた。日本なら、例えば、ルイ14世の少し前に起きた戦国末期のいろいろな合戦についてネット上ではデータが溢れているのに、フランスでは、そうした親切な情報は全くなく、ほとんどすべてが本か論文のPDFばかり。フランス人は自国の歴史に興味がないのだろうか? 今回、ウイキペディアは可能な限り避けた上で、何とか調べて解説を試みたが、その内容が間違っている可能性は大いにあり、その場合はご容赦願いたい。映画は、史実とそうでない部分が混在し、製作者は歴史に通じているので適当にカットしたり、創作したりしても、こちらにはそれが全く分からない。その上、フランス語字幕が存在しないため、かなり省略された英語字幕だけで会話の趣旨を理解するのは、極めて困難な作業だった。この種の映画は、もともと存在そのものが稀少だが、今後もし出て来ても、トライするのは金輪際やめようと固く誓った次第。

ルイ14世を演じたのはマキシム・マンシオン(Maxime Mansion)。生年不詳。1983年から映画(端役)に出演(最後は2021年)。この映画には、TV映画1本、TVミ二・シリーズ1本、TVドラマ1本を含め10本目の出演。かなりのベテランだが、情報は皆無。弟のアンジュー公フィリップを演じたのはジョスラン・キヴラン(Jocelyn Quivrin)。1979年2月14日生まれ、1990年からTVドラマ(主要な役)に出演。映画出演はこの映画が初めて(3本目)。2010年まで62本の映画やTVドラマに出演した売れっ子だったが、2009年11月15日、交通事故で30歳の若さで亡くなった。将来紹介予定の『Clément(クレマン)』(2001)にも脇役で出演している。

あらすじ

この映画は、登場人物が非常に多くて判別に苦労するため、すべての写真の上下に濃紺の枠を作り、そこに主要な登場人物の名前をフランス語で短く表示した。その写真標記の日本語での正式標記、簡単な解説、映画(1649年1月~1653年2月)に登場する際の年齢を表にしたものを下に示す。
Louis, enfant roi   
写真標記 正式標記 解説 年齢
Anne アンヌ・ドートリッシュ ルイ14世の母、摂政(~1651年9月7日) 48-51
Louis ルイ14世 国王(1643年5月14日~) 11-14
Philippe フィリップ(アンジュー公) ルイ14世の弟(この映画の語り部)  9-12
Mazarin ジュール・マザラン 宰相、枢機卿、ルイ14世の教育係 47-50
Gaston ガストン(オルレアン公) ルイ14世の叔父、一時宰相、意志薄弱で日和見 41-44
Grande ラ・グランド・マドモアゼル ガストンの長女、ルイ14世との結婚を願望 22-25
Condé 大コンデ コンデ公アンリ2世の長男、国王派→反乱軍 28-31
Conti コンティ公 大コンデの弟、反乱軍の中核 20-23
Châtellon シャティヨン公爵夫人 コンデ家の忠実な友、ヌムール公爵の愛人 22-25
Châtellon シャティヨン公爵 シャラントンの戦いを勝利して戦死 29没
Retz ゴンディ / レ枢機卿 パリ大司教の補佐官 / 枢機卿(1652年2月-10月) 36-39
Rivière リヴィエール 宮廷司祭→1655年に司教 56-59
Chevreuse シュヴルーズ公夫人 娘シャルロットの恋人ゴンディを支持 49-52
Beauvais ボーヴェ夫人 ルイ14世の性教育者(2年間) 35-38
Jarzé ジャルゼ侯爵 ジャルゼの恥辱事件の当事者 36-39
Turenne テュレンヌ子爵 王軍の元帥(のちの大元帥) 34-37
Longueville ロングヴィル公爵 高等法院を支援する有力な貴族 54-57
Longueville ロングヴィル公爵夫人 大コンデの姉、フロンドの乱の精神的指導者 30-33
Laura ラウラ・マンチーニ マザランの姪、コンデのマザラン嫌いの際登場 13-16
Paolo パオロ・マンチーニ マザランの甥、1652年戦死 13-14
Nemours ヌムール公爵 シャティヨン公爵夫人の愛人 25-28
Guitaud ギトー 護衛隊長 69-72
Villequier ヴィルキエ 警護隊長 46-49
domestique 老召使 ルイ専属(映画の創作人物) ?

映画の冒頭、黒地の白い字で、映画の直前半年間の状況が簡単に表示される。「1648年7月、パリはフランス宰相マザラン枢機卿に反旗を翻した。8月には街中にバリケードが築かれた。王大后は高等法院の突き付けた条件を受け入れねばならなかった。貴族たちは王室の権威が抑えられたことを喜んだ。王大后とマザランは反乱の鎮圧を誓った。国は内乱の危機に瀕した。1649年1月、内乱が勃発した。フランス国王はまだ子供だった」。次に、歴史的にいつ起きたかが分かるシーンが1月5日の夜なので、最初のシーンは、1月1日~5日の午前中に設定されている。そして、パレ=ロワイヤル(Palais-Royal)の庭園の中で、教育係が 「講義を始めます。公爵、王様がいら立っておいでです。始めますよ」と声をかけ、ルイの弟のフィリップ(アンジュー公爵)が振り向いて、「王になるには、ルイ13世の長男でないといけない。私の兄は王だ。でも、私の方が賢い。もし、私がそんなことを口にしたら、私は鞭で打たれてしまう。彼は王だから。王は何でも思うがままにできる。私の兄もそうだ。彼は秘密主義で、気取り屋で、ずる賢く、用心深い。言い過ぎた。彼は上品で、私に対し失礼な振る舞いをしたことはない。彼は完璧。彼は王だ」と言う(1枚目の写真)。フィリップは、この映画の進行役になっていて、カメラに向かって節目節目に話しかける。それだけ話すと、教育係のあとに続いて走っていくルイのあとを追いかける(2枚目の写真)〔この軸線の途中にある円形の広場には、中央に太陽が置かれ、その周りの球体上のものは惑星(左端が地球、フィリップ後ろは水星、右端は土星)〕。この時、背景に映るのは、1649年には存在しない “庭園を貫く軸線(アクス)”。このシーンのロケは、ヴェルサイユ宮殿(1682年)の北6kmに1687年に造られたマルリー(Marly)城〔現存しない〕の復元された庭園部分(3枚目の写真)。フランスの庭園に軸線が導入されるのは 1658年着工のヴォー=ル=ヴィコント(Vaux-le-Vicomte)城以降なので矛盾している。もう1つ変なのは、ルイとフィリップがいるのは、パリ市街地の中にあるパレ=ロワイヤル。4枚目に1660年頃の絵を示す。周囲を建物で囲まれており、2枚目の写真のように自然の中にある訳ではない。教育係は、天球における太陽の意味について語り始めるが、ルイは、教育係の話など無視し、中央の太陽の模した円形の鏡の前に行くと、太陽の方を見つめる(5枚目の写真)。すると、「ルイ、私はあなたを見ている、あなたに語りかける、あなたの心を見ている、あなたの心は私の鏡なのだから。球体の絶対君主は、あなたの夢を知っている」という声が、ルイの頭の中に響く。
   

1649年1月5日の夕方、ルイとフィリップの夕食。アンヌは水で薄めた赤ワインのグラスを2人に渡し立ったまま薄めない赤ワインをグラスに注ぎ、3人は同時に飲む(1枚目の写真)。すぐに、召使いが大きな金の皿に巨大なパイを2人のために持って来て、2人の中間に置く。さっそくフィリップが手を伸ばすが、ルイに手を叩かれ(2枚目の写真)、アンヌは、「先に手を出してはなりません」と注意する。ルイより遅れてパイを手にしたフィリップは、わざと変な顔でルイを見、2人はそのあと “変な顔ごっこ” をして遊ぶ(3枚目の写真)。食事が終わると、2人とアンヌは、他の女性達と一緒に食卓の周りを手をつないでぐるぐる回って騒ぐ。

しかし、護衛隊長のギトーは、部下の護衛士達に準備を命じ、「明日、パリには王も王大后も宰相もおらん」と説明する。一方、マザランとその娘達を庇護するのは、メルクール公〔ルイ・ド・ブルボン(アンリ4世の孫)、1651年にマザランの姪ローラ・マンチーニと結婚〕。ギトーは、食堂で戯れている王の前に現れ(1枚目の写真)、「怖がらないで下さい」と言うと、部屋に部下が大勢入って来て、よろい戸を閉めさせ、ロウソクの火を消す。アンヌは、ルイに 「勇気を出しなさい」と言う。アンヌが、ドレスや宝石を箱に入れさせていると、フィリップが自分のドレスも持って行くよう召使いに命じると、アンヌが 「劇場に行くわけではない」と言い、涙を流して悲しむフィリップに、「私たちは、コンデ親王〔コンデ大公〕とわが軍に合流するのです。涙を拭いなさい、公爵。もし兄が亡くなれば、あなたが王になるのです。王は決して涙など流してはなりません」と言い聞かせる(2枚目の写真)〔フィリップの女装好きは歴史的事実〕。それでも、フリップはドレスとカツラに拘る。アンヌは 「公爵は女装して戦ったりはしない! ドレスのことを また口にしたら、鞭で打ちますよ!」と、こんな忙しい時のばかげた行為を叱る。その言葉の一部を聞いたルイは、マザランに、「なぜ、私は涙を流してはいけないのか?」と訊き、マザランは 「王は強く、かつ、誇り高くなければなりませぬ」と言うと、剣を渡し、「私どもの命をお守り下さい、陛下」と言う。護衛士によって馬が用意され、ルイ、アンヌ、マザラン、フィリップ〔後ろで見えない〕が、真っ先に宮殿から出て行く(3枚目の写真)。王宮を支える召使いたちは、密かな脱出のことを知らされていなかったので、寝間着姿でロウソクを持って宮殿の入口まで降りて行くと、一体どうなっているのか戸惑う(4枚目の写真)。

次のシーンは、かつてルイ14世が生まれたサン=ジェルマ=アン=レー(Saint-Germain-en-Laye)城〔パレ=ロワイヤルの西北西18km〕にルイ達が到着し、王軍の総司令官の大コンデに迎えられる(1枚目の写真)。ここには、高等法院に反対する貴族が集結しており、大コンデは、その中央にいたガストン〔オルレアン公ガストン、ルイ13世の弟〕に向かって、「パリを飢えさせてやろう!」と叫ぶ。外でルイを待っていた貴族達が城内に入って行くと、アンヌはガストンを追いかけて行き、「ガストン、笑顔よ」と声をかける。それまで渋い顔をしていたガストンは、「痛風と内乱です」と言って笑顔になると、「パリ市民と高等法院が反乱を起こした。彼らは罰せられるでしょう」と言う(2枚目の写真)。一方、大コンデと一緒にいたコンティは、コンデ家の忠実な友であった美人のシャティヨン公爵夫人エリザベート=アンジェリックに、内密に話しかけている。「私は、姉(ロングヴィル公爵夫人)と共に反乱軍に加わるつもりです〔枢機卿になりたかったため〕。素敵なシャティヨンも私たちに加わり、私の兄とマザランを亡き者にしましょう」と誘う(3枚目の写真)。大コンデはルイに向かって、「陛下、我々の軍はパリの周りを囲み込み、封鎖致します。1ヶ月もすれば、反乱軍はネズミを食べるようになるでしょう」と言い、ルイを喜ばせる。そこに、割り込んだのがコンティ。「もし、貴族が高等法院を支持したら、食われるのは誰かな、嘲笑されるのは誰かな、兄者(あにじゃ)」と、その場に相応しくない発言をし、アンヌから、「コンティ、何という辛辣な言葉。王が嘲笑されることなどない」と、強く諫められる。それを受けて、大コンデは弟に向かって、「私の一人しかいない弟は猫背で醜いだけでなく、愚か者なのです」と言って突き放すと、ルイを抱き上げ、「1ヶ月の包囲で、あなたはパリに入ることができます。高等法院はあなたに屈服し、あなたを歓呼して迎えることでしょう」と讃える(4枚目の写真)。

1649年1月9日の深夜、コンティは、中庭で馬に乗ると、「マッツァリーノを殺せ! 反乱万歳!」と叫ぶ〔マザランはイタリア人。フランスに帰化する前の名はマッツァリーノ。マザランを侮辱する時には常にマッツァリーノが使われた〕。コンティは何度も叫んだので兵士達が中庭に集結する。大コンデは、いくらバカな男でも弟なので、兵士に撃たないよう指示するが、そんな優しい兄に向かって、コンティは舌を大きく出して侮辱し、馬を駆って城を出て行く(1枚目の写真)。コンティの大声で、主要な人物が集まって、逃げ去るコンティを見ている。アンヌは、ルイに向かって、「コンティを罰するのです。母に 『誓います』と言いなさい」と言い(2枚目の写真)、ルイは頷く。朝になり、ルイとフィリップは、教育係により向かい合って勉強させられている。すると、ルイは、銀食器を集めている同じ年頃の少女に気を惹かれ、近くに行ってじっと見ている。少女が去ったのでルイが席に戻ると、フィリップは教育係に 「私たちは内乱状態にあるのに、私たちの王は大きな足で召使いを見ている」と言うと(3枚目の写真)、テーブルの下をくぐってルイの横に出ると、「陛下は、臭い足が好きなの?」と茶化し、怒ったルイが胸を突き飛ばし、教育係が受け止める。一方、アンヌ、マザラン、ガストン、宮廷司祭(grand aumônier)のリヴィエールの4人はカードで賭けている。リヴィエールが 「パリは戦争を懸念しております。パリ市民を味方につければ、高等法院はパンケーキのようにひっくり返ることでしょう」と発言すると、「鍋で汚物をひっくり返す!?」と、バカな考えだと相手にしない。それでも、リヴィエールは 「市民を責めるにあたり、何千人もの女性と子供が死なねばなりませんか?」と問う。ガストンは 「私の心はノーと言っている。陛下はいかがですか?」とルイに声をかけ、アンヌは直ちに 「答えないで、ルイ。罠ですよ」と制止する。しかし、ガストンは立ち上がると、ルイの前に行き、「ルイ、パリに戻ったら、そこが墓地であって欲しいですか?」と尋ね、それがアンヌのさらなる怒りを買い、カードは中止、ガストンはリヴィエールとともにその場から立ち去る。マザランと2人になると、アンヌは、「諸国の笑い者になる。食べ物がパリに〔自由に〕搬入されている」と、現状を危惧する。マザランは 「シャラントンが唯一の入口です」と言い、ルイの前に行くと、敵の傭兵を買収することを提案する。「すべてのものに値段があります」。そして、そのための書類に、ルイの署名を求める。そのあと、大コンデが金貨の入った箱を搬入し、これですべてがうまく行くと誰もが喜ぶ。その後に、信じられないようなシーンが入る。シャティヨン公爵夫人のスカートの中に、夫であるシャティヨン公爵が頭を突っ込んでいると、そこに、シャティヨン公爵夫人の愛人のヌムール公爵がやってくる。すると、シャティヨン公爵は、「ヌムール、私の妻とやらせてくれ、君は毎晩してるだろ」と言う。ヌムール公爵が、「コンデはあなたに作戦を練ってもらう必要がある」と言うと〔シャティヨン公爵が指揮を取って戦死するシャラントンの戦いのこと〕、シャティヨン公爵は 「じゃあ急ごう。牝馬のように立ってやるのもいいものだよ」と言い、ヌムール公爵のいる前で、自分の妻のスカートの中に再度頭を突っ込む(4枚目の写真、矢印)。

パリでは、ロングヴィル公爵と、その横に座った赤子を抱いたロングヴィル公爵夫人が、高等法院の法服貴族を前に、「パリ万歳!」と叫び(1枚目の写真)、銃を天井に向けて撃つ。ロングヴィル公爵夫人(大コンデの姉)に次男が生まれたのは1649年1月19日なので、このシーンは、それ以後、恐らく2月7日〔シャラントンの戦いの前日〕であろう。ロングヴィル公爵夫人は、「この反乱の子に神のご加護を、マザランに反旗を翻したパリに神のご加護を」と言い、赤子はロングヴィル公爵からパリ大司教のゴンディが受け取り、「シャルル=パリ〔わざわざ、パリを名前に入れた〕、あなたは無能な宰相に跪かないパリに生まれた。マッツァリーノの頭に小便をかければ、あなたが私たちの仲間です」と赤子に話しかける。そこにコンティが姿を見せ、「パリ大司教、高等法院の皆さん、そしてすべての反乱者たちよ、私たちは明日、王軍を攻撃します」と大声をあげる。それに対し、ゴンディは、「私たちには、シャラントンと食べ物があります。なぜ、急ぐのですか?」と訊き、コンティと、“誰が指揮官か” で言い争いになり、あまりの愚かさに、最後は姉のロングヴィル公爵夫人に頬を叩かれる。一方、サン=ジェルマ=アン=レー城では、シャラントンの地図を前に、大コンデが、シャティヨン公爵と将校達、及び、ルイとフィリップを前に、「シャティヨン、あなたが騎兵隊の突撃で、奴らを我々の銃に向かわせれば、奴らを粉砕してやる!」と作戦を話す(2枚目の写真)。翌朝になり、ルイとフィリップは、2人で敵方をやっつける真似をして遊ぶ(3枚目の写真)。

1649年2月8日、大コンデがシャラントンを占領し、パリの封鎖が完了するが、シャティヨン公爵は戦死してしまう。アンヌは、夫を愛していなかったシャティヨン公爵夫人を慰め、大コンデに感謝し、「偉大なるコンデを讃えましょう!」と人前では惜しみなく賛辞を送る〔内心は別〕。一方、大コンデは、シャティヨン公爵の死に打ちひしがれ、遺体の置かれた部屋で、「神は豚だ」と叫んで、遺体の隣に横たわる。それを知ったのか、元々知っていたのか、3人だけになると、アンヌはルイとフィリップに 「神を否定することは悪魔の罪。私は自由思想家〔宗教的権威から自由であろうとする者〕が嫌いです。神は存在するのだから、否定する者は愚かなの。コンデは神を否定する。堕落した愚か者よ」と悪口を並べる。ルイが口を挟もうとしても、「コンデのために嘆願しないで。私たちはまだパリにさえ来ていないのに、この自由主義者は、あなたがたの所有する都市や地方を要求する。何も与えてはなりません。クリスチャンの王は、自由主義者を豊かにしてはならないのですよ」と、一方的に功労者を罵る。ルイが、「コンデは私たちの友人だし、戦費は彼のお金でした…」と言うと、アンヌは 「あなたに 偉大な王になるための知恵はあるの?」と訊く(1枚目の写真)。それに対し、フィリップが 「いいえ、彼は馬鹿者です」と言ったものだから(2枚目の写真)、アンヌは直ちに、「アンジュー公爵、跪きなさい! そして、ルイの許しを乞いなさい!」と強く叱り、2人を担当する老召使いに、フィリップのお尻を裸にして鞭で打つよう指示する。フィリップは、お尻を出して横になると、召使いが頭を押さえ(3枚目の写真)、若い男が鞭で何度も叩く。叩かれながら、フィリップはルイに向かって 「私の尻はゼリー状だけど、抜け目のない外交手腕でフランスの王のために大きな足の娘を用意したよ」と言い、それを聞いたルイはにんまりする。そして、ルイは、フィリップに連れて行かれた場所で、召使いの少女とキスをする。

ルイは、シャティヨン公爵の遺体につきっきりで悲しんでいる〔以下のシーンを含め、歴史的資料は発見できなかった〕。そして、遺体の仮安置所を訪れたルイに、きつい言葉で話しかける(1枚目の写真)。「王であるということは、あなたが考えているようなものではない。人は王座のために闘い、苦しみ、準じた土地に埋葬される」(2枚目の写真)。そして、棺を開け、「ルイ、死体を見るんだ! シャティヨンの見開いた目を… パリは跪いているが、その代償は大きい」(3枚目の写真)。そうルイに言うと、今度は、シャティヨンに向かって、「愚か者め、愛していたのに なぜ死んだ?!」と叫んで何度も棺を叩き、ルイは逃げ出す。叫びはさらに続く。「彼は国王ルイのために死んだ! 彼はあなたのために死んだ!」。そして立ち上がると、「あなたはどのような国王になる? 勇敢な男か、戦士か、それとも薄汚い政治的な狐か?」と2人に向かって問いかけると(4枚目の写真)、再び、床に崩れ、「フランスへの忠誠… 死者への敬意… 誠意…」と呟く。

1649年8月18日、王室はパリに凱旋する。進行役のフィリップが、「私は、ルイのあとについて凱旋した。戦争は私を進化させ、服飾も変わった。私は新しいレースのドレス2着と反乱軍の首〔複数〕を要求した」(1枚目の写真)。一方、ルイはマザランと一緒に歩きながら、「和平調印まで何週間もかかったのか?」と訊く。マザランは、「コンデは、勝利への貢献に対し、国王からの感謝を求めておりました。パリは飢えておりました。時間稼ぎをすれば、高等法院に多くのことを要求できましたし、コンデの要求も減らすことができますから」。そこに、アンヌが割り込んで来て、ルイに、「あなたの勝ちね」と笑顔で言う(2枚目の写真)。そのあと、ルイとアンヌの前に、大コンデが、弟のコンティと、姉のロングヴィル公爵夫人を連行してきて、跪かせる(3枚目の写真)。アンヌは、ロングヴィル公爵夫人からの “詫びのキス” を許すが、ルイは、頭を振ってコンティにキスさせない。式典が終わると、大コンデは、司教に文句を言う。「司教、あなたはコンデ家を攻撃し、マザランが私の死を望んでいると主張する!」。そして、「私を侮辱する小冊子がパリで配布されている」とも(4枚目の写真)。

この口論の場に、いきなりルイが現われ、「私のいとこ〔大コンデ〕を侮辱するのは誰だ?!」と文句を言う。この援軍に、大コンデはさっそく、「陛下、私を非難することは、陛下を侮辱することになります」と、援助に感謝する。それでも、マザラン嫌いの司教は、「パリはあなたを愛しているが、失敗した宰相〔マザラン〕の支持者は甘受できない」と姿勢を変えない(1・2枚目の写真)。大コンデが、「市民は高い税金を避けるために不平を言う」と批判すると、「高等法院の財政を立て直すのは、あなたか、それとも、あなたを笑うマザランか」と減らず口を叩く。大コンデも、「あなたの法外な駆引きにはうんざりするよ」と言い返す。その時、コンティが、ルイに、「陛下、あなたの兵士に発砲したパリ市民にご注意ください」と下らないことを言い、司教から、「コンティ、君は誰の味方だった?」と、反乱の首謀者であることを忘れた発言を鋭く批判される(3枚目の写真)〔しかし、司教本人も反乱に加担しているので、同じ穴の狢〕。司教は、ちょうどそこにいたメルクール公〔ルイ2世・ド・ヴァンドーム〕に、「マザランは、あなたの祖父であるアンリ4世を馬鹿にして、自分の姪と結婚させる気ですぞ」と注意し〔1651年に結婚する〕、ルイに向かっては、「マザランは国王を辱め、コンデを思うままに操っております」と言い(4枚目の写真)、「しかし、大コンデはそんなことは気にされません」とつなぐ〔大コンデを皮肉っている〕。それを聞いた大コンデは、「司教、あなたが知っているのは、あなたの密偵が言ったことだけだ。それも、安給料の」と、逆に皮肉る。

ここから、大コンデのマザラン嫌いの逸話が入る。まずは、先ほどの司教の話を受けて、マザランの娘達が集まっている場所に行くと、「メルクールと結婚できると思っている娘はどこにいる? ラウラ・マンチーニ〔マザランの姪〕、君の母親〔マザランの妹、イタリアのマンチーニ男爵夫人〕は雌豚〔10人の子供がいるから?〕だ! 貴族の特権はどこにある〔フランスの貴族ではないから?〕? この結婚は禁止する」と宣言する(1枚目の写真)〔大コンデがメルクールとラウラ・マンチーニの婚姻契約(contrat de mariage)への署名を拒否したのは、映画より遅く1649年9月14日/結局2人は1652年に結婚する〕。もう1つの有名な逸話は、1649年10月頃に起きた、“ジャルゼの恥辱(disgrâce de Jarzé)” として知られる事件。ここで、『ド・モンパンシエ夫人の回想録(Mémoires de Mlle de Montpensier)』の6章を引用しよう。「王大后はしばらくコンデ親王〔大コンデ〕の高慢な振る舞いに悩まされておられた。マザランは、この時、アンヌ・ドートリッシュに与えた忠告を手帖に記している: 『王大后は親王に対して無礼にならず、真摯に接して下さい。でも、親しげな議論や会話をしてはなりません。そうすることで、親王が自らの高圧的な振る舞いが許されないことを認識すれば、彼も変わるでしょう』。しかし、コンデ親王は、その野心的な自負を抑えるどころか、王大后に対して最も重大な侮辱を犯した。彼は彼女に恋人を押し付けるふりをして、自惚れと思い上がりで自ら伊達男と称する若者の一人、ジャルゼをその役に選んだのです」。映画では、大コンデが、パレ=ロワイヤルの庭園で、ジャルゼを 「彼は、フランス一の女たらしです」と紹介する。その次のシーンは、マザランがルイのために用意したプレゼントを見せようと、ルイの目を手で覆ってプレゼントの前まで連れて行く(2枚目の写真)。マザランのプレゼントは、木で作った城壁の遊び場だった(3枚目の写真)〔真偽不明〕。城壁の上にルイと並んで立ったフィリップは、「あなたは選ばないと。コンデか猊下か。どちらにする?」と訊く(4枚目の写真)〔ルイが何と答えたのかは分からない〕

その後、ジャルゼ侯爵シャルル・デュ・プレシ〔王の親衛隊長〕が、アンヌの愛犬のように振る舞う場面が続く(1・2枚目の写真)〔映画では、1つ前の節の直後〕。その様子を見た大コンデの姉ロングヴィル公爵夫人は、「ジャルゼが、あなたのために マザランを追い払ってくれるでしょう」と言い、大コンデはジャルゼのことを 「ろくでなしだ」と言う。一方、マザランは、隙を見てアンヌに近寄ると、「ジャルゼはコンデの手下ですぞ」と注意する。アンヌは 「あなたはどうかしてる。何もかもが陰謀なのね。証拠を見せて!」と相手にしない。そして、それから何日か、何週間か経った王宮内の劇場でマザランは、もう一度アンヌに話しかける。「『私は香水をつけたイタリア人が嫌いです』と言って、私を追い出す。それがジャルゼなのです」(3枚目の写真)。「嫉妬は最高の精神を台無しにする。ジャルゼはコンデの手下じゃない。甘えん坊の巻き毛の犬よ」。「コンデは、ジャルゼがあと2ヶ月であなたのベッドに入ると言っています。そして、ジャルゼは枕元であなたにフランスの政策を語る。これがその書き物です」。そう言うと、密偵が盗んだ物か、マザランがでっち上げた物か、分からない紙をアンヌに渡す。それを呼んだアンヌは、マザランの言葉を信じ、「こちらにおいで、ジャルゼ。恥ずかしがらないで」と言うと、シャティヨン公爵夫人とラ・グランド・マドモアゼルを引き連れ、ジャルゼを誹謗し、「この野卑者。私は裏切りが大嫌い、自慢たらたらの愛玩犬も大嫌い」と言った後で、ジャルデに向かって、「私の手にキスしなさい、できるものなら」と言って、手を差し出す。ジャルデが、恐る恐るキスしようとすると、アンヌは手でジャルデの顔を押して、舞台との段差の板にぶつける(4枚目の写真)。この事件に関しては、フランス歴史考古学協会の刊行誌『Le Vieux Saint-Maur』(No.78, pp.13-21, 2008)の『大コンデの奇抜なアイデア: ジャルゼ事件』が手に入った唯一の資料だが、それを読んでも、このような顛末は書かれていない。

コンデは、ジャルゼに対する屈辱に腹を立て、首謀者のマザランを誹謗すべく、「ルイ、私たちはあなたの宮殿の空気を変えないと。イタリアの悪臭がします!」と言って劇場から出て行く。アンヌの服が違うので、別の日、もっと深刻な対立が起きる。大コンデは、マザランに、「ジュリオ・マッツァリーノ、あなたの姪は我々の王の息子〔メルクール公ルイ2世・ド・ヴァンドームの父は、アンリ4世〕と結婚するのかね? ラウラ・マンチーニはすでにルイに宣誓したのか?」と訊く。軽薄者の弟のコンティは、「統治にはコンデの支持が必要だよ。愚か者がそれを否定するなら、私はそいつらの顔に屁をこいてやる」とバカなことを口にする。それを受けてか、大コンデも、「マッツァリーノ、我々の我が家のキャベツ畑にメスのイタリア・ウサギは要らない」と、皮肉る。それを聞いた、メルクールとラウラ・マンチーニは、悲しくなってルイの元に跪き、抱き合う。大コンデは、アンヌの顔を見ながら、「ラウラ・マンチーニは 神聖なるブルボン家とは結婚しない!」と宣言する。それを聞いたルイは、大コンデに、「親王…」と言いかけるが、大コンデは笑顔で首を横に振って否定する。そして、マザランの方を振り向くと、いきなり頬を叩く(1枚目の写真)。これを見たアンヌは何か言おうと一歩踏み出すが、マザランはそれを手で止める。しかし、そんなことに構わないフィリップは、「猊下は殴り返すべき?」と問いかけ、さらに、兄に対して、「王は、宰相の窮状に対処しなければ」と要求する。それに対し、大コンデは、「公爵、これはルイと私の問題だ」と否定する。しかし、ルイは、コンティと一緒に出て行こうとした大コンデのあとを追って行くと、「親王!」と呼び止める。そして、間近まで行くと、「なぜ、私の弟と、私の宰相に恥をかかせるのか?」と責める(2枚目の写真)。大コンデは、「陛下、あなたを愛しております」と言うが、ルイは首を横に振って否定し、部屋から走って出て行く。ルイが向かった先は、マザランの娘や姪の固まっている部屋。女性達は、「陛下、コンデはムッシュー・ド・メルクールに恥をかかせました。彼は、あなたの宰相の家族に恥をかかせたのです」と訴える。ルイは、そこからも逃げ出す。次のシーンは、夜、遅くなってから、ロウソクの前で、ルイがどうしようかと考え込んでいる。老召使いが、「陛下、お休み下さい」と言いに来るが、ルイは、「猊下は恥をかかされた。なのに、なぜ母は…」と不満をぶつけると、母に会いに行く。しかし、母の寝室に通じる扉の前で、ルイは中に入ることを止められる(3枚目の写真)〔寝室では、アンヌとマザランが寝ている〕。それを聞いて悲しくなったルイは、フィリップと一緒に老召使いの制止を振り切って、建物の奥に入って行き、靴を脱ぎ始める。老召使いは、「あなた方は、靴を脱いで屋根裏に登ることは禁じられております」と言うが、フィリップは 「ルイは自分の音楽教師に会いたいのだ」と正当化する。老召使いが、「彼は理想の女性と一緒に眠っております」と言うと、「理想の女性と一緒なら… 眠れないよ。ここで、私たちの靴を守っていて。彼は友だちだ。王は、王の音楽を聴きたいのだ」と老召使いに命じ(4枚目の写真)、屋根裏に上がって行く。

ルイとフィリップが屋根裏で見たものは、愛し合っている音楽教師と若い女性。そして、その奥の大きな部屋では、多くの女性の前で、コンティが、小さな舞台に置かれた巨大なペニスの模型を前に、「すごい棍棒ですね、みなさん」と言うと、「マザランのものかしら?」という声が上がる。「答えられるのは、ただ一人の女性だけ」。コンティは、「いいや、王大后にはできない。マザランは、お尻に入れるから見えないんだ」と答える(1枚目の写真)。17世紀にこうした言動がなされていたかに関する記述は、探した範囲ではなかったが、18世紀については、『Open Edition Journals』に、「パレ=ロワイヤルは、艶(つや)っぽいパリの都市伝説にとって特別な存在であり、18世紀のヨーロッパのエリートたちにとって、快楽と放蕩の中心地であった」と書かれているので、17世紀も同じだったのであろう。そして、小さな舞台の上では、巨大なペニスの模型を股に付け、枢機卿の赤い帽子をかぶった男と、アンヌに似せた女性が歌いながら踊る。それを、舞台の裏からルイとフィリップが見ている(2枚目の写真、矢印は巨大なペニスの模型)。母を侮辱する行為に激怒したルイは、舞台に出て行くと、照明用に並べられた数十本のロウソク台をひっくり返す。ルイの突然の出現にびっくりしたコンティは、「ゲームなんです、陛下。ただの娯楽… 際どすぎるかもしれませんが」と、弁明する。ルイが立ち去ると、コンティは、「皆さん、また始めましょう」と言い、また乱交が始まる。翌日の朝、廊下では、ルイのシーツを持った男〔医師?〕が、「年、月、日、時間を記入しろ」と部下に命じている。ルイの老召使いが、「王大后には内緒に。国王は、シーツのことは忘れろとおっしゃっておられる」と言うが、男は「国王はシーツを汚された〔夢精?〕」と、あくまで拘る。老召使いは、「堂々と。あの年で、奇跡だ!」と喜ぶ。一方、ルイは、ショックで壁にもたれている(3枚目の写真)。男は、「国家の問題です」と、内緒にすべきではないと主張する。この話は、すぐに広まり、ラ・グランド・マドモアゼル〔正式な名前はモンパンシエ女公アンヌ=マリー=ルイーズ・ドルレアン、ガストンの長女、太陽王と結婚したいという固定観念の持ち主〕は、さっそくルイの前に現れ、「いたずらっ子陛下、私に跨りたいでしょ? 私の肌は繊細で、果物よりも柔らかいのです」と言うと、腕を差し出し、「感じて… 味わって…」と言いながら、ルイに撫でさせる。そして、「私の膝は丸く、股(もも)は長い… あなたは、すぐにシーツの下でそれを感じるわ」と、さらに過激な発言。そこで、近くの階段の手すりの上に横になったフィリップが口を出す。「内親王、あなたは失望するでしょう。ルイは、淑女の蜜つぼにどうやって蛇口をはめ込むか知らないから」(4枚目の写真)。それを聞いたラ・グランド・マドモアゼルは、「公爵、お静かに!」と言うと、再びルイに向かって、「ルイ、あなたは小さくて、私は背が高い。王族の結合は、そのような些細なことは無視するのです。毎晩、私の夢の中で、神はあなたと私を合体させます。雄鹿のように、鷲のように! 神は、あなたを受け入れるよう、私の臓器を作られたのです」とルイを誘う。

先程の男は、アンヌ前まで行くと、「確認致しました。間違いございません。陛下はもう子供ではありません」と報告する。それを聞いたアンヌは、ルイに 「それは… 素晴らしい」と言う。アンヌは、さっそく、王宮にいる比較的年配の女性達を集め、その前を歩きながら人選する。そして目を留めたのが、右目に眼帯をはめた35歳のボーヴェ夫人。そのあと、アンヌは、ルイに 「無垢は失なうのは、すごく大事なことなの。あなたは、その意味を理解していないようだけど。それは、あなたが見出さねばならないこと。必ずしなくてはならないけど、口に出すべきではないこと」と説明し(1枚目の写真)、ボーヴェ夫人が待っている部屋に入れる。ベッドの上に座った夫人は、ルイに 「これから学んでいきましょう。ベッドの上へどうぞ」と声をかける。そして、「私たちの先祖であるアダムとイブのように、全裸で勉強します」と言うと、「女性がどのように作られ、どのような喜びを与えてくれるのかを、一緒に学びましょう」と言いながら、服を脱ぎ始める。ルイの服は、女性の召使が脱がせる。夫人は、さらに、「あなたが受けた授業の中で一番素敵ですよ、陛下。人生の楽しさを発見できます」と言う。その後、ルイが手ほどきに従って夫人を愛撫している姿が短く入る(2枚目の写真)。外では、召使いの男達が、「えらく長引いてるな」。「彼はあれが好きなんだ。赤ん坊の頃、彼は看護婦のおっぱいをむさぼってたからな」などと、話している。授業は遂に終わり、アンヌとボーヴェ夫人が並んで立つ。アンヌは 「私たちの王は恍惚としておられた!」と歓喜に満ちた顔で言い、ボーヴェ夫人も 「王は至福に浸っておいででした」と話し(3枚目の写真)、アンヌが 「あっぱれでした、ボーヴェ夫人」と感謝すると、待っていた多くの貴婦人たちから一斉に拍手が起きる。ルイが、裸のまま鏡で自分の姿を見ていると、部屋に入り込んだフィリップが、「放蕩者! シミのついたシーツに感謝しないと!」と冷やかす(4枚目の写真)。映画では、この時、ルイは11歳。この逸話はいろいろなところに書いてあり、ルイの年齢も様々だが、ここでは、一番信頼がおけそうな https://www.lobservateurdebeauvais.fr/ の 『Cateau la borgnesse : La femme de chambre devenue baronne de Beauvais(片目のカトー: ボーヴェ男爵夫人となった侍女)』の解説を、少し長いが引用しよう。「片目のカトー〔カトリーヌの前半分〕」の名で知られるカトリーヌ・ベリエ(Catherine Bellier)は、ルイ 14 世に非常に特殊な方法で教育したとして、ボーヴェ男爵夫人に叙せられた。彼女の家族は質素ではあったが、数世代にわたってフランス王家に仕えてきた。彼女の母親は、彼女が11歳の時、ルイ13世の妻であるアンヌ・ドートリッシュ王妃の侍女として入内させた。彼女は、すぐに王妃の寵愛を受け、非常に高く評価された。目に欠陥があるため、「片目のカトー」というあだ名を持つ彼女は、見苦しい体つきだが、「愛は雨上がりの太陽。セックスは太陽の後の嵐だ」と口にするような、強い欲望を持った女性として描かれている。Saint-Simon公爵が彼女の肖像画を『回想録』に描いたとき、公爵は彼女を 「聡明で、謀略に長け、非常に大胆で、王妃にしっかりと絡むなど胆力も人一倍で… 自分の利益のために国王を貶(おとし)めたとされる最初の人物である」と評した。なぜなら、ルイ14世の母が、息子に性教育を施すという特別な使命のために彼女を選んだからだ。王位継承者として、ルイ14世は子孫を残し、王家の争いを避けることが求められた。宮廷年代記作家のPrimi Viscontiは、この逸話を著書の中で次のように語っている。『この恐ろしい女性は、まだ若い(14歳)王が、ルーヴル宮殿で一人でいるところを見つけ、強姦し、少なくとも驚かせ、かくして彼女は望みを叶えた』。その後、彼女はアンヌ・ドートリッシュのもとに戻り、こう言った。『ご安心なさいませ。万時順調でございます。あなたには必ずたくさんの孫ができることでしょう』。彼女は、王が将来とも執着しないよう、その見苦しさから選ばれたのだが、ルイは16歳になるまで定期的に彼女に会いに行った。彼女の “功績” への感謝を込めて、彼女と夫はボーヴェ男爵および男爵夫人に叙せられ、パリに私邸を建てるための多額の資金を受け取った。この使命は国王の最初の建築家であるAntoine Le Pautreに委ねられ、当初ルーヴル宮殿に使用される予定だった石材が使用された〔映画では、この場面だけ、史実とは違い、かなり早いタイミングで挿入されている〕

この節のストーリー展開は非常に重要だが、「なぜ、こんなことが起きたか」について、映画は説明してくれない。Sophie Vergnesの『Les Frondeuses : l’activité politique des femmes de l’aristocratie et ses représentations de 1643 à 1661(フロンドの女性たち: 1643年から1661年までの貴族の女性の政治活動とその描写)』によれば、「(1649年8月18日の王室のパリ凱旋の後)数ヶ月の間、自らを王政の救世主と称したコンデの過剰な気取りは、王権が依然として対立する派のおもちゃであることを露呈した。そのため、1649年に(コンデ軍に)包囲された側の一人、ゴンディ(パリ大司教の補佐官、ジャン=フランソワ=ポール・ド・ゴンディ)に率いられた旧フロンド派は、親王、弟のコンティ、義兄のロングヴィル公の投獄を支持するために一時的に王室と結びついた」と書かれている。また、同じ著者の『Anne d’Autriche pendant la Fronde. Une régente dans la tourmente devant le tribunal de ses contemporains(フロンドの時代のアンヌ・ドートリッシュ: 同時代人が批判的に記した混乱状態の摂政)』には、投獄に至った経緯として、上記のゴンディが1652年にレ枢機卿になった時に残した文を引用し、「彼によれば、1651年、アンネ・ドートリッシュはコンデの気まぐれに腹を立て、自尊心を満たそうと躍起になっていた。彼女は、親王と理解し合う手段を模索することなく、そのまま戦争状態(投獄)に突入した」と書かれている。しかし、映画では、この陰謀の経過が説明されることなく、突然大コンデが逮捕されるので非常に判り難い。以下、少しくどくなるが、できるだけ多くの会話を収録する。大コンデがマザランに 「ボルドーが反乱を」と言うと、大コンデの姉のロングヴィル公爵夫人は、さっそく、「反乱軍を鎮めるには私の弟を利用しなければなりません。大コンデは戦いに勝利し、統治することができます」と言う。そこに、現われたアンヌは、なぜか、いきなり、「ボルドーに反抗するよう密かに圧力をかけている友人たちを投獄するのか?」と、問責するように大コンデに質問する。大コンデは、「誰がそんなことをしているのですか?」と訊き返し、マザランは 「軽率な者たち」と答え、それに対し、大コンデは 「君は無謀だよ、マッツァリーノ! ボルドーと戦うのは君一人だ。コンデは助けない!」と言うが、この辺りの文脈の筋が通っていない。フランス語字幕が存在せず、英語字幕しかないので、間違っていても訂正ができない。次のシーンは、別の日、初登場のシュヴルーズ公夫人がガストンに、「スペイン人(アンヌ)は私を嫌っています」と話しかける。ガストンは、「でも、彼女(アンヌ)はあなたに会うでしょう」と答える。「コンデは、それほど彼女(アンヌ)を悩ませているのでしょうか?」〔ジャルゼの恥辱が原因?〕。そこに、マザランがシュヴルーズ公夫人を呼びに来て、夫人の娘シャルロットと一緒にアンヌのところに連れて行く。アンヌは、2人の女性に 「司教〔ゴンディ?〕はいろいろと質問してきます」と言い、マザランには、「彼は自由主義者。枢機卿のような大尽〔金持ち〕」と言う。それを聞いたゴンディが好きなシャルロットは、横にいるルイに、「陛下、あなたには彼(ゴンディ)が必要です。彼は高等法院を牛耳っています。コンデを投獄するには彼が必要です」と言い、シュヴルーズ公夫人は、「私の娘には発疹がありますが、将来の枢機卿(ゴンディ=レ枢機卿)は彼女の容姿が好きなのです」と言う。アンヌは、ルイに、2人に挨拶するよう命じるが、母が何を考えているか分かったルイの顔には涙が溢れている。同じ日か別の日の夜、マザランはアンヌに、「コンデはあなたが病気だと思えば、1人で評議会に行くでしょう」と策略を話す。「残りはガストンがやります。私たちの屈辱は忘れ去られるでしょう」。そして、1650年1月18日。シュヴルーズ公夫人は、大コンデに、「評議会に行きましょう。古狸(マザラン)は放り出されます。オルレアン公はマザランの追放を要求するでしょう」と、嘘で誘う。大コンデの横にいたリヴィエール司祭は、「あなたは、宰相の座を要求できます。誓って言いますが、オルレアン公はイタリア人を排除したいと望んでおられます」と、こちらは本気で話す(1枚目の写真)。それを遠くで聞いていたガストンは、「嵐の中ですが、私は好天を予想しています」と、こちらも嘘をつく。大コンデは、情勢が自分に有利だと誤解し、姿を見せたマザランに、「シニョール・マッツァリーノ、困っているようですね。今日の評議会は不安ですか? 今年の夏はイタリアで過ごしますか?」と、皮肉る。マザランは、前夜打ち合わせてあったように、王大后の具合が悪いと宣言し、評議会は行われないことになる。出席の予定者はいなくなり、マザランは護衛士隊を呼び、隊長のギトーに王大后のところに行くよう命じる。こうした行動の目的が、大コンデの逮捕にあると悟ったリヴィエール司祭は、マザランに 「この逮捕は狂気の沙汰です! ガストンは反抗し、怒りをあなたにぶつけるでしょう!」と責めるが(2枚目の写真)、マザランは、「彼がコンデ氏の逮捕を命じたのです」と話し、そこに現れたガストンも、「焦らないで、司祭。準備万端ですよ」と、それまで司祭に言っていたことの逆を言う。ギトーがアンヌの前に行くと、仮病のアンヌは、「ギトー、全員逮捕なさい!」と元気に命令する。しかし、ギトーは動こうとしない。「従わないのですか?」。「国王の命令であれば従います」。ルイは、「私にはそのような命令はできません」と母に言う。強引なアンヌは、「王はこれから祈ります。そうすれば命令を出します」と言って、ギトーを締め出す。しかし、ギトーはドアを開け、「陛下、一緒に祈ってもよろしいですか?」と跪いて尋ねる。すると、反対側のドアが開き、リヴィエール司祭が入って来ると、「陛下、私は、名誉にかけてコンデの安全を保証致しました」と、懇願するが、アンヌに追い出される。ガストンとコンデの一族3人だけがいる評議会の部屋の中では、事態を悟った大コンデが、ガストンに、「裏切ったのか、ガストン?」と訊くと、ガストンは 「コンデ、君の敵は誰だ? 私かマッツァリーノか?」と、如何にも裏切り者らしい言い逃れをする。一方、アンヌとルイとギトーの3人がいる部屋に、マザランが入って来る。ギトーは、ルイに 「陛下、コンデを投獄するかどうかは、あなた一人で決めなければなりません。あなたがどう決めるにせよ、それは王の決断となります。私はあなたの友人を投獄しなければならないのでしょうか?」と訊く。この真摯な問い掛けには、策士らも黙って見ているしかない。ルイは、覚悟して 軽く頷く(3枚目の写真)。ギトーは、「了解致しました」と言うと、部屋を出て、部下を連れて逮捕に向かう。大勢の護衛士に押さえられた大コンデは、「国王の名において、嘘だろギトー! ルイはこんな命令絶対出さないよ。ルイは私を裏切らない!」と叫ぶ(4枚目の写真)。その声は、ルイにまで届き、彼を苦しめる。

恐らく、その夜、ルイがずっと部屋に閉じ籠っているので、フィリップが 「閉じ込められたのは、どっち? コンデ、それとも、国王?」と、皮肉を込めて訊く(1枚目の写真)。それを聞いたルイは、そこが教会の中だったのに、吐いてしまう。老召使いは王大后に、「陛下は、教会を汚されました。どうかお叱りになられないで下さい。陛下はご不幸なのです」と報告する。さっそくそばに寄って来た母に、ルイは、「何でもないよ、母上」と言うが、アンヌは、「来て。あなたの偉大な勝利を神に感謝しましょう」と言う。しかし、ルイは、「世の中は醜い! なのに、神に感謝しなければならない?」と心の内を打ち明ける(2枚目の写真)。駆け付けたマザランは、「王としてあるべき姿として、あなたは厳しかった。今こそコンデの部下を倒すのです。明日、あなたは反乱を起こした地方を取り戻します。そうすれば、権威がどこにあるのか、誰もが知ることになるでしょう。どうか笑顔に」と言う。しかし、ルイは、暗い顔のまま立ち上がる。アンヌは、ルイの顔をつかんで 「笑顔」と言うが、ルイは無視する。王宮内では、陰謀の首謀者の一人ゴンディが初めて顔を見せ、ガストン、シュヴルーズ公夫人、シャルロットが祝杯を上げている。そんな連中の近くで、ルイは、マザランに、「もし、コンデが私の友人でないとしたら、友人とは何ですか?」と重い質問をぶつける(3枚目の写真)。それに対するマザランの返事は、もっと重いものだった。「あなたは友人を持てません、決して。あなたが持てるのは臣下と敵だけです、これからも」(4枚目の写真)。

次のシーンは、反乱を起こしたボルドーの城壁の下に設けられた王軍の野営地。フィリップが、「猊下は予言された、混乱は続くと。私は、母上、マザラン、私たちの仲間とともに、ボルドーでコンデの部下を包囲した」と、カメラを見て話す(1枚目の写真)。撮影場所は不明。1650年のボルドーの絵が古絵図の販売サイトにあったので、サイト名が絵の上に一部重なった状態で2枚目に示すが〔751ドルも払って購入する気はないので〕、町の周囲が城壁で囲まれていた様子はよく分かる。ルイとフィリップは、戦闘ではなく 教育係に従って勉強しなくてはならないのに、ルイは勝手に戦場に行き、旗を掲げて王軍を鼓舞している(3枚目の写真)。それに気付いたアンヌの命令で、ルイは直ちに王家が借りている修道院に連れ戻され、説教される(4枚目の写真)。「私はあなたのために力ずくで王国を守っている。お陰で私は死に瀕している。これは遊びではない。王が命を危険にさらすのは罪です。ルイ、あなたは泥のように愚かだ」。しかし、このシーン、何のためにあるのか分からない〔このシーンの妥当性については、次節で検証する〕

「パリのオルレアン公ガストン宮殿」と表示される。1枚目の絵は、その当時の宮殿の絵。ガストンの母だった “アンリ4世の未亡人・摂政のマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)” が1631年に建て、1642年に亡くなった時に、次男でルイ13世の弟のガストンに遺贈したもの。そこでのシーンは、夜、ガストンが、ロレーヌのマーガレット(ガストンの2番目の妻)と、ゴンディ、シャティヨン公爵夫人に向かって、「私が軍隊を派遣しなければ、ボルドーは抵抗し続けるだろう。春になったら、私はこう言う。『ルイ、マザランを罷免して下さい』。あなたは(マザランの代わりに)宰相になり、我々は王大后を追放し、私は(ルイの)摂政になります」と、“コンデ一族を投獄する陰謀を王大后とマザランと組んで実行したばかり” なのに、新たな、もっとひどい陰謀を企てる。ゴンディは、それほど楽観的ではなく、「恐らく、マザランはボルドーと停戦協定を結ぼうとするでしょう」と否定的。シャティヨン公爵夫人は、せっかくの好機が潰れると心配し、ガストンに、「なぜ春を待つのですか? コンデを解放すれば、あなたの味方になるでしょう。彼を、自由にしてあげて。彼はあなたを摂政にするでしょう」と、別の面から煽る(2枚目の写真)。ガストンは、「摂政に? 前提条件なしで?」と懐疑的だ。シャティヨン公爵夫人は、「書面になさったら? コンデは署名するでしょう」と言う。すると、それまで黙って聞いていた妊婦のマーガレットは、夫のガストンに、「私たちの赤子は怒っております、殿下。私を蹴っております」と、反対の意志を表明する。ガストンは、「その状態では、政治的な話は避け方がいい」と言うと、「後ろに穴、前にニンジンのある小さなオルレアンを産んで下さい。フランスの王位を継承できる男の子を」と、妻に黙っているよう暗示し、シャティヨン公爵夫人に 「立腹したコンデが協定に応じるだろうか?」と質問する。返事は 「はい」。今度はゴンディが、「あなたも、協定を結ぶ気があるのですか?」と尋ねると、ガストンは、「コンデが、まず署名しないと」と言う。一方、ボルドーでは、マザランが、ルイに、「陛下、お願いします。明日、12隻の船に護衛された40本のオールのガレー船に乗られて入港し、ボルドーの人々に微笑みかけて下さい。彼らは、あなたに拍手を送るでしょう。あなたの母上は、彼らと交渉されたのです」と指示する(3枚目の写真)。これに対し、ルイは、「母上が? それともあなたが?」と不信感を顕わにする。そして、「我が軍はパリに退却している。私がコンデの友人たちに微笑みかける? いったい私はどんな勝利を得たのだ? ボルドーでは私の部下が無駄に死んだ! なのに、城壁はまだ聳えている!」と、不満をぶつける。4枚目の写真は、ルイに降伏したとは思えないボルドーの城壁。これに対し、マザランは、彼らしくもなく、ルイを叱りつける。「ボルドーなんか、どうだってよろしい! もう過去のことです。今は、パリにいるあなたの叔父に対抗しなければならない。時間が味方してくれると思いますか? あなたは、まだまだ子供ですな。味方になることはありません。時間は常にあなたに不利に働く。反逆はあなたにつきまとい、おそらく死が待っている」。この部分は、歴史的事実とは合致しない。というのは、次節に、8月17日の場面があるので、マザランの発言はそれ以前となる。しかし、『Louis XIV et sa cour: avant Versailles(ヴェルサイユ以前のルイ14世と宮廷)』という少し古い資料(la Force)によれば、「1650年7月、王大后は、その数日前に息子である国王とともにノルマンディーとブルゴーニュの平定に出かけたのに続き、ギュイエンヌの平定に向かうことを決意し、ボルドーへと向かった。王大后と国王は、グラン・マドモアゼル、マザラン枢機卿とともに8月1日にリボーヌ〔Libourne, ボルドーの東北東約30キロ〕に到着した」「1650年10月1日、ボルドーの議会は国王と条約を結んだ。ルイ14世は枢機卿を馬車に同乗させ、数日後、儀式を行うことなく入城した」と書かれている〔不確かな資料によれば、8月11日に王軍がボルドー上流のサン・ジョルジュ島を占拠。8月26日にマザランが、丘の上からルイ14世に包囲されたボルドーを見せた。9月28日、王軍はボルドーから撤退とある。これらの記述は、上記の8月1日と10月1日の空白を埋めている〕。前節で、ルイが旗を持って戦場を走っていたが、本格的な戦争らしいので、そんなことはあり得ない。本節の最後のマザランの言葉は、似たようなことを言ったのかもしれないが、時期がズレている。
  

パリのガストン宮殿で、研がれるナイフを前に、フィリップが 「オルレアンはナイフを研いでいる。だからパリに戻った! オルレアン夫人(ロレーヌのマルグリット)が王室全員の前で出産した場所だよ」と話しかける(1枚目の写真)。そして、マルグリットのお産のシーン。それを、部屋の入口でアンヌとルイを筆頭に、多くの人々が見守っている(2枚目の写真)。そして、男児が誕生する。ガストンは長女でルイが好きなラ・グランド・マドモアゼルに向かって、「なぜルイと結婚する? そなたの父は摂政となり、弟が王になるというのに」と(2つとも叶わぬ)夢を言う〔ガストンは2年2ヶ月後にパリを追放され、産まれた男児は2歳弱で死亡、ラ・グランド・マドモアゼルは子孫を残せなかった〕。そんな未来を知らないガストンは、産まれた赤子を胸に抱くと、多くの友人達に囲まれて王位継承可能者の誕生を喜ぶ(3枚目の写真)〔それまでの3人は何れも女児だった〕。ガストンは、赤子に向かって、「パリは君を愛しているよ、わが息子よ」と言った後で、「パリは、“監獄にいる最も純粋なフランス王族コンデ” のいとこを讃える!」と付け加えると、「コンデ公万歳! オルレアン公万歳!」の声が上がる。このような形勢は、主賓でありながら、祝いの席から外された形のアンヌとルイとフィリップには違和感が大きい(4枚目の写真)。

そんな中で、マザランは、王大后に、「司教(ゴンディ)に、1ヶ月以内に枢機卿になると伝えて下さい」と依頼する(1枚目の写真)。敵を分裂されるための無念の方策だ。しかし、王大后が何の反応も示さないので、「十字架のキリストに誓ってください。私たちには彼の支援が必要です。犬どもの仲を裂けるのはあなただけです。私の人生はあなたの手腕にかかっています」と、必死になって頼む。そこに現れた、意気軒昂なガストンは、王大后に 「司教かマザランか、あなたは決めないと」と言い、アンヌは 「王大后の特権です」と応じる。ガストンは、ゴンディを呼び寄せる。ゴンディは、王大后に 「陛下、あなたは孤立状態です。私は、パリからの支援をお届け致します」と言い、壁の向こうでは、その言葉を聞いたマザランがルイに 「疲労は埃のように蓄積していきます」と言いながら、肩に手を置くと、ルイに手を払い除けられる。一方、司教から手にキスされそうになったアンヌは、「手を放しなさい! この王国は、若き王たちを守ろうとする良き男たちで溢れています。私は摂政を辞めたり、田舎に引込みませんよ! 司教、あなたは司教のままです!」と、罵るように言い、ゴンディは、アンヌが 「あなたは決して宰相にはなれない!」と言う最後の言葉を口にした時には、怒って立ち去っていくところだった(2枚目の写真)。マザランは、すぐに王大后のところに行き、「あなたは彼らを分断したのではなく、司教を支援してしまわれた!」と責める。シュヴルーズ公夫人は、関係のないルイにまで、「彼の援助は拒絶されてしまいました」と、不満を洩らす。その言葉で、ルイは、母とマザランの近くに行く。マザランは、「彼はあなたの手にキスをし、あなたは愚かにも拒絶した! あなたは彼の先に立つべきだった」と責め(3枚目の写真)、アンヌも、「罪もまた正当と認められるのか? あなたの心が、そのことであなたを呪うように!」と反論する。ルイが、「私は出て行くべきでしょうか?」と訊くと、マザランは 「いいえ、ここに残って学ぶのです!」と答える。アンヌは出て行くよう迫るが、 ルイどころではないマザランは 「今は自尊心に拘る時ではありません。あなたの摂政を守るためなら、何でもしないと」と逆に迫る。「本当に?」。「そうです。目的と手段をわきまえた女性のように」。無視されたルイは、「私たちの宰相は弱いから叫ぶんだ!」とマザランを批判する(4枚目の写真)。アンヌは、「横柄な態度は鞭打ちですよ!」とルイを批判する。それを、ゴンディとシュヴルーズ公夫人とシャルロットは、ドアの陰で聞いている。

マザランが、ルイに、「あなたは王だから、私を解任し、すべての混乱を私の責任にすることができます」と言うと、アンヌは 「あなたを責める? そんな不条理な」と言うと、ルイに対して、「あなたの王位を守るため、猊下は辞任し、追放の身となると申し出られた。分かるわね。そんなことはあり得ない。あなたに王の資格なし。ただ、嫉妬してるだけよ」と批判する。「嫉妬? 理解できません」。「そう、なら黙ってらっしゃい。馬鹿は言い訳にはならないの」。侮辱されたルイは、拳を固めると、ドアのガラスを割る(1枚目の写真)〔もちろん、手を切って出血する〕。ルイは、ゴンディの前まで行くと、「私たちは、話さないといけない」と言うが、生意気な司教は、「悔しいし、失望しました。あなたに屈辱を負わされたから」と、王を軽んじる(2枚目の写真)。そこに、ガストンがやってきて 「可哀想なルイ」言い、シャルロットは 「鞭で脅すとは。陛下、あなたはフランスの王なのですよ!」と言い、シュヴルーズ公夫人は 「あなたを辱めた者は罰しないと」と言う。そして、一斉に起きる 「オルレアン公万歳!」の声。ガストンは、ベランダに立つと、「コンデ万歳! マッツァリーノに死を!」と叫び、一斉に同調する声が上がる(3枚目の写真)。映画では、すべてが8月17日に起きたこととして描かれているが、歴史的には、次節の大事件(1651年2月6日)まで半年近くある。

1651年2月6日の夜、枢機卿の赤い服を着て、マザランのような髭を付けた影武者を前にして、フィリップが振り返り、ルイに、「分からない? 宰相が逃げるのを助けるために、5つの門から5人のマザランが出て行くんだよ」と話す(1枚目の写真)。マザランは、重要な書類を、部下に命じて全て燃やしている。ルイは、マザランに 「私たちは、泥棒のようにパリから逃げるのですか? 王の罪は何ですか?」と尋ねる(2枚目の写真)。マザランは、「王であること」と答える(3枚目の写真)。その後、5人の影武者が走って出て行き、赤ではなく黒衣で身分を隠したマザランが、アンヌに 「数日後には再会できるでしょう」と言うと、用意された馬に乗り、影武者の先頭に立ってパレ=ロワイヤルから逃げて行く(4枚目の写真)。

1651年2月9日、ガストン宮殿では、「スペイン人がイタリア人を追った」という噂が流れる〔アンヌ・ドートリッシュの父は、スペイン王フェリペ3世〕。ゴンディはパリ市内のすべての教会の鐘を鳴らし、市民に緊急事態を知らせる。シュヴルーズ公夫人はゴンティに、「権力を握って。王宮を攻撃しないと」と過激な発言をするが、いつも “どっちつかず” のゴンティは、「なぜ私が権力を握る必要がある?」と訊き返す。シュヴルーズ公夫人同様に過激なゴンディは、「欲しくないのか?」と訊く。ゴンティは、司教を 「あなたは傲慢で邪険だ」と批判した上で、「私は既に権力を持っている。マザリンは逃げた。パリは、王大后がマザランを追って行くことを知っている。彼女は負けたんだ」と、勝利に酔っている。「戦いなど必要ない。宣言するだけで十分だ」。そして、その宣言文は、ラ・ロシュフコー公〔史実では、ボーフォール公〕によって王大后のもとに届けられる。ラ・ロシュフコーは、王宮がオルレアン公の支配下にあり、勝手な移動はできないと警告する。ルイは、その無礼な発言に対し、拳を握り締めることで怒りを伝える。ルイはアンヌの指示で、大コンデの釈放命令も書く〔史実では、2月11日〕。その時、宮殿の外が騒がしくなる。ルイは、小さな十字架を取り出すと、「男たちよ 武器を、神よ ご慈悲を」と祈る。フィリップが何もしないので、「祈れよ、この豚!」と怒鳴ると、フィリップは 「コンデは復讐を望んでいる。あなたを、フクロウのようにドアに磔にするだろう」と言い(1枚目の写真)、怒ったルイはフィリップに襲いかかって何度も叩く。外の群集は、扉を叩き、「お前はマッツァリーノに自分の尻とフランスを売った!」と アンヌを誹謗する言葉も聞こえてくる。アンヌは、このままでは宮殿が襲撃されると思い、逃げ出すための服を着ていた女性達に、至急ナイトウェア〔分厚くて長い、白いレースの服〕に着替えるよう指示する〔誰も、逃げ出すつもりがないことを示すため〕。そして、ルイをベッドに寝かせ、眠ったフリをさせる。アンヌは、さらに燭台を持ったナイトウェア姿の女性達を王宮の扉に向かわせ、群集に向かって扉を開ける(2枚目の写真)。群集は、扉が平和裏に開いたので、静かに宮殿の中に入ってくる(3枚目の写真)。「王様の寝室はどこですか?」という声に対し、アンヌは、「彼ら〔ガストンや司教〕は、子供を中傷しました。少年王の名誉を傷つけたのです。王は、パリを出て行くつもりなどありませんでした。クズどもは、あなたたちに嘘をつき、騙しているのです」と、不利な立場を逆転させる。そして、さらに、「愛するルイは眠っています。ルイを見なければ信じられないのなら、先に進みなさい。でも、音を立てないで」と、群集を ルイを寝かせた部屋に入れる。そして、ベッドの前で、「見捨てられ、裏切られたフランスのルイのために、心からの祈りを捧げましょう。天使のように眠っていますから、起こさないよう、静かに祈って下さい。その言葉で、群集は一斉に跪き、静かに、「父と子と聖霊の御名においてアーメン」と呟く(4枚目の写真)。この “市民のルイの寝室入り” は非常に有名な史実。例えば、『Face Aux Colbert: Les le Tellier, Vauban, Turgot... et L'Avènement du Libéralisme(コルベールとともに: ル・テリエ、ヴォーバン、テュルゴ… そして自由主義の到来)』という本には、「その夜、ボーフォールは約40名の騎兵を引き連れてパレ・ロワイヤルに向かい、第21衛兵隊長d'Aumont元帥を起こし、王大后が逃亡していないことを確認するため、王大后に会うことを要求する。王大后は、(ボーフォールに)疑問の余地などないと保証し、王の司令官Villeroy元帥に命じて、若きルイ14世の枕元に目撃証人を連れて行った。群衆はパレ・ロワイヤルに押し寄せ、その夜、王は例外的に眠っていたが、王大后は扉を広く開けさせ、暴徒たちは若い国王が眠るベッドの足元までやって来た」と書かれている〔寝たフリとか、王大后の言動は、後から生まれた噂話〕

この先は、史実とはかけ離れた、しかも、よく分からない場面。まず、王宮に痩せこけた半病人の男性が5名いて、それを修道女達が世話をしている〔5人がどんな人物で、なぜ王宮にいるのか全く分からない〕。アンヌとルイと老召使いが5人目の足を洗っている。それをガストン、司祭、それと、大コンデが見ている。この時期は、ル・アーヴル〔パリの西北西約180キロ〕に監禁されていた大コンデがパリに凱旋した1651年2月16日から、大コンデがパリを離れて内乱の準備を始める1651年9月6日までの間で、大コンデがパリに戻った直後であろう。ルイは、ここに来る前に庭園で太陽を見ていたので、母アンヌに、「神はルイを救ってくださるでしょう。神が太陽に告げ、太陽が私に告げのです」と話している(1枚目の写真)。アンヌは、大コンデに向かっては、「コンデ、(評議会は)あなたの思い通りにはなりません」と言い、ルイも、「オルレアン公は、あなたが積み上げた評議会をないがしろにしています」と現状を皮肉る。ガストンは、直ちに、「私の友人たちが評議会から締め出されれば、パリは反乱を起こすでしょう」と、評議会の人選変更に反対する。ルイは、「大胆ですね、叔父さん」とガストンに言い、大コンデには、「親王、パリを去るのですか?」と訊く(2枚目の写真)。大コンデは即座に否定する。すると、ガストン派の司教が、大コンデに 「あなたは私たちの連合を分裂させようとしている」と非難し、ルイは、「叔父さん、もしあなたが摂政になってコンデ一族を追い払えば、彼(大コンデ)は私たちと戦うだろう」と、司教への不快感をガストンにぶつける。ガストンは、大コンデに 「それは脅しかね?」と訊き、大コンデは 「用心のためだよ、いとこ。もし、私を裏切ったら、恥で眠れなくなるだろう」と言い、それを聞いたアンヌは、ガストンに 「現実を見なさい、ガストン。コンデはあなたに不信感を抱いているのよ」と言い、それを聞いたルイは 「今、私は知った。信頼は壊れやすいと」と、母と大コンデに言う(3枚目の写真)。ガストンはかねてから(1月30日)、大コンデの釈放に動いていたので、「誰が彼(大コンデ)を牢獄から出したのですか?」と、大コンデに聞こえるように王大后に訊くと、彼女は、「王です」と答える〔確かに、最終的に釈放命令に署名したのはルイ〕。自分の功績が無視されたガストンは、思わず、「クソ!」と叫んでしまい、アンヌから 「ここでは叫ばない。冒涜的な言葉もありません!」と叱咤されるが、アンヌが嫌いな大コンデは、「冒涜的ではありません」と言い、ますますアンヌに嫌われる(4枚目の写真)。たわいもない言葉の累積だが、三者三様で足を引っ張り合っている様子が分かる。このあと、王大后は舞台への扉を開け、全員に、「ルイが舞台を用意していますよ」と、観劇に来るよう促す。

舞台の袖では、フィリップの前に立った一人の男の子の頬を、彼が叩き、それを見たルイが走って来て、「公爵、男の子たちとドアの後ろに行くのはやめるんだ。悪癖は隠しておくこと!」と注意する(1枚目の写真)〔フィリップは女装も好きなので、ややゲイ〕。フィリップは、「あなたが、女の子たちをドアの後ろに連れていくのは、祈るため?」と言うと、泣き始める。その時、客席の方では、コンティが大勢の手下(剣士)に対し、「兄のコンデを投獄した男には、教訓を与えてやらないと。私を牢獄に入れたガストンをちびらせてやろう」と大声で扇動し、大コンデは制止するが、そこにガストンが仲間とともに現れると、収拾がつかなくなり、お互いに剣を抜いて睨み合う(2枚目の写真)。王大后は、「着席なさい。これは王室の演芸です。国王自らが踊るのですよ」と命じ(3枚目の写真)、全員を座らせる。舞台の上では、剣を持った男の子達の踊りが始まっているが、王がちっとも現れない。踊っていたフィリップは、舞台の袖まで走って呼びに来て、耳元で何事か囁く。すると、ルイは、「弟よ、そちは上品じゃなく、下品だ」と言い、フリップは、「そうだよ、踊るんだ、アホ陛下。でないと唾を吐きかけるよ」と言い(4枚目の写真)、ルイに唾を吐きかけられる。ルイは、ようやく舞台に上がり、剣を振ってフィリップ、プラス、6人の男の子達と一緒に踊り始める。

別の日、いつもの召使いの娘が人目をはばかりながら待っていると、そこにルイが現われ、すぐに上着を脱ぐと、娘に 「お前の父は、種子の担当だな? 種子を担当する庭師の娘は、王室からの褒美に値する。王がご褒美だ。王を受け入れるか?」と訊き、娘は膝を屈めて同意する。「喜んでか?」。「はい」。ルイは娘を石柱に押し付けると、「狭いが、王と擦れ合うには実に良い」と言うと、体をこすりつけ(1枚目の写真)、2人ともズボンとスカートを降ろし、ルイは、「乳房を出して」と言う。「はい」。ルイは、この時点では、もうすぐ13歳になる12歳の少年。映画では、ボーヴェ夫人による性教育を11歳の時に受けたことになっているので不自然ではないが、実際には、ボーヴェ夫人との接触は14歳だったので、このシーンは歴史的にはあり得ない。次のシーンでは、アンヌが、木の箱をコルベール〔この時点でマザランの財産の管理者。1665年から20年弱にわたってフランスの最高官僚として太陽王の黄金時代を築いた功績者〕と一緒に持ちながら、ルイに向かって、「ここにはテュレンヌのために2000人の兵士を買うだけの資金があるの」と話しかけ、コルベールが 「テュレンヌにはその3倍が必要です」と申し訳なさそうに言う〔こうした会話が成り立つためには、テュレンヌ子爵が王軍の指揮を取っていないといけないのだが、テュレンヌに王軍の指揮が任されるのは1652年2月22日で、映画ではまだ この先 大コンデが王宮にいるので、まだ1651年9月6日以前。史実とは食い違っている〕。ルイが、「私たちが持っている物を売ればいい」と言うと、「何も残っておりません」と答える。ルイは、コルベールを笑顔で見ると、「ありますよ。貴重な宝石。フランス国王が」と言う(2枚目の写真)。VALEURSというサイトの、『Louis XIV, “l’Etat, c’est ma dette”(ルイ14世: 「国家は私の負債だ」)』には、「①借金は爆発的に増え、治世の終わりには国の収入に近いレベルにまで達した。②前渡し金を与えることができる中央銀行が存在しないので、国王の政府は個人の富を募る以外に手段がない。③こうした個人寄付者の中には、軍隊への支払い、食料、衣類、装備品、場合によっては武器や弾薬の供給を保証し、かなりの量の食料品や工業製品に十分の一税を納めている人もいた。④個人寄付者とは誰なのか? 1632 年から1663 年にかけて、国王に1,100 万ポンド以上を前渡しできた人は 300 人いた。寄付者の第一位に位置するのは伝説的な貴族で、全投資家の13%を占め、銀行の不在を補った」などの記述がある。次の場面では、ルイが、ラ・グランド・マドモアゼルが現われるのを待って、剣の達人ぶりを見せる。アンヌは、ラ・グランド・マドモアゼルに、彼女の父のオルレアン公ガストンがマザランの帰還に同意すればルイと結婚できると、耳打ちする。そして、「ヨーロッパで最も裕福なプリンセス、あなたはフランスの王妃、あの元気な小さな王家の雄牛の支配者」とおだてる〔莫大な財産が目当て〕。そして、剣術を終えたルイは、ラ・グランド・マドモアゼルの前に行くと、甘えるように彼女の手を頬に当てると、「プリンセス、私はもう待てません。フランスの王妃」と言う(3枚目の写真)。しかし、ラ・グランド・マドモアゼルは意外なことを口にする。「ルイ、私はあなたに真実を話す義務があります。コンデも、金持ちのプリンセスとの結婚を望んでいます。彼は毎日午後、私を訪ねてくるのです。奥さんがひどい病気で死にかけているのに」〔大コンデの妻は1694年に死亡するので、結婚は出来ない〕。その日、舞台の上には、ルイとフィリップが、10名以上の大人の女性と一緒にいる。舞台の下では、ラ・グランド・マドモアゼルがガストンに、「父上、私はコンデと結婚したいのです!」と言うが、ガストンは、「彼の妻はまだ死んでおらん。そなたは、彼を金持ちにするために妻を殺すつもりか?」と訊き、ラ・グランド・マドモアゼルは 「コンデが駄目だというなら、マザランを受け入れて下さい」と言うが、ガストンは、「そなたがコンデか国王と結婚すれば、私は摂政にはなれん」と、どちらにも反対する〔今は何月か分からないが、9月7日にルイ14世は13歳となり、成人とみなされて摂政は不要になる。あと数ヶ月のことに、どうして拘るのか分からない〕

舞台の下で、ゴンディは王大后に、「マザランの追放は、長くは続かないでしょう。フランスの金で、彼はテュレンヌ率いる大軍を集めました」と話す(1枚目の写真)。ルイは、舞台の上から、「枢機卿、コンデの軍隊について教えて下さい。私の味方は誰ですか? 私が枢機卿にした あなたは?」と質問する(2枚目の写真)〔歴史上、アンヌがゴンディを枢機卿に指名したのは1651年9月22日。教皇が受理してレ枢機卿になるのは1652年2月19日。ゴンデが王宮と決別してパリから出て行くのは9月6日なので、矛盾している〕。そこに、大コンデが現われ、「ルイ、私が軍隊を率いれば、勝ちます」と自信たっぷりに言う。ルイは、「誰にですか?」と尋ねる。大コンデは、「シャティヨンのために泣いた夜を覚えていますか?」〔1649年2月8日のシャラントン占領時〕と言い、さらに、「私たちはその時、共に良い仕事をしようと誓いました。私たちは友だちだった。しかし、今では友情は終わってしまった。残念でならない」と続ける。それに対し、ルイは、「あなたの傭兵たちは、王宮の堡塁の前で野営しているではありませんか」と、彼が味方ではないことを指摘する。大コンデは、「ガストンとあなたの取り巻きは実に腹立たしい。だが、私があなたに求めるのは友情であって、戦争ではありません」と、ルイの足を掴み、ある意味、真心を込めて訴える(3枚目の写真)。しかし、ルイは、そっけなく、「踊りたい」と言うと、舞台の奥に戻っていき、女性たちと一斉に踊り始める。大コンデは、「踊りなんかのために友情を終わらせないで! ルイ、なぜ止めない! なぜ、死が最後の結論になるのです?!」と叫ぶ。ラ・グランド・マドモアゼルが寄って来て、「親王、女性がバレエを踊ったら、フランスらしさがなくなってしまうのではないですか? それは、犯罪的で、悪名高く、ひどく下品な行為です!」と言い、怒った大コンデは立ち去る。その後ろ姿に向かって、舞台から走って下りたフィリップは、「コンデは馬鹿だ! 戦争は彼の唯一の選択肢だ!」と叫び(4枚目の写真)、両者の関係は完全に決別する。

「1ヶ月後。パリの南。マザラン枢機卿の司令部」と表示される。前節が、大コンデがパリを離れる(1651年9月6日)直前だとすれば、10月になるが、内容は恐らく、翌1652年の4月7日にあったブレノー(Bléneau)の戦い。馬に乗ったマザランが、望遠鏡でコンデ軍の様子を見て(1枚目の写真)、「私はコンデが好きだが、彼は遅い」と、テュレンヌ元帥に言うと、同じように望遠鏡で見ていたテュレンヌは、「彼は賢い。我々を罠にかけるようと、軍を2つに分けました。我々もそうすべきでしょう」とアドバイスする(2枚目の写真)〔マザランが戦場にいたという記述は、どのサイトにも見当たらなかった〕。すると、歓声が上がり、鎧をまとい馬に跨ったルイが、フィリップや部下2名とともにやってくる。マザランが、「陛下、またお会いできて嬉しいです」と歓迎すると、ルイは、「今度、私から離れたら、殴るからね」と返す、マザランが笑顔で、「強く抱きしめて下さい。二度と離れません」と言うと、2人は鎧同士で抱き合う。そこに、王大后が現れる。アンヌが持って来た猫をマザランが愛おしそうに抱いているのを見て、フィリップがふざけた後で、ルイを見る(3枚目の写真)〔2人が同時に映る場面が他にないので、意味はないが採用した〕。次のシーンは、コンデ大公側。ラ・ロシュフコー公(?)が、「コンデ! 王軍が敗走してるぞ。マザランをやっつけたんだ!」と叫びながら馬で駆けつける。そして、「コンデは王を殺し、王座につくだろう」とも。コンデは、「ブルボン〔大コンデの正式名称はルイ2世・ド・ブルボン、彼もブルボン王朝の一族〕はクロムウェル〔清教徒革命で、1649年にチャールズ1世を処刑(斬首)した〕じゃない! 私はルイが大好きだ」と強く反論する。その次のシーンは、川沿いに攻める圧倒的に強いコンデ軍(4枚目の写真)〔赤い旗はコンデ軍〕。テュレンヌは、ルイに川を迂回してコンデ軍の背後に逃げるよう勧める。そして、ルイは逃げ出すが、アンヌとマザランはなぜか逃げずに留まる。

翌朝、ルイとフィリップが逃亡途中の小屋で目を覚ますと、パオロ・マンチーニ〔マザランの甥〕が現われ、「コンデ氏は撤退致しました」と、笑顔で伝える。ルイが外に出て行くと、そこには、アンヌとマザラン、それに兵士達が揃っている。すると、パオロが 「王様万歳!」と両手を上げて叫ぶ(1枚目の写真)。アンヌは、ルイを抱き締めると、「素晴らしい勝利よ、ルイ。神とテュレンヌに感謝を!」と言い、ルイも満面の笑顔になる(2枚目の写真)。ルイは、馬から降りたテュレンヌに抱き着く。ルイは、その後、兵士達の前に行くと、「奴らを容赦なく追い詰めろ! 奴らの心臓を切り裂け! コンデに死を!」と叫ぶ(3枚目の写真)。因みに、ブレノーの戦いについて、https://www.bleneau.fr/ には、「両軍の距離は3キロで、中央に隘路のある森で隔てられていた。テュレンヌは50頭の馬からなる部隊を隘路の入口に送り込み、その後、諦めたかのように撤退した。コンデは彼が逃げたと考え、6個中隊を隘路に送り込んだ。隘路は湿地帯だった。テュレンヌは騎兵隊を出撃させ、8 門の大砲で攻撃し、敵に大きな損害を与えた。コンデは敗北して退却し、戦利品〔それまで立ち寄った村で略奪した食料など〕と捕虜〔王軍〕を連れてRognyに戻った」と書かれている。ネット上で探した中で、最も具体的に書かれた資料だが、他の資料も簡素ながらだいたい似ているので、映画では何の説明もないが、王の勝利の背景には、テュレンヌの優れた作戦があった〔もっとも、どの資料にも、“両軍はお互いに勝ったと称した=引き分け” と書いてあるので、勝利ではなく、敗戦を免れたというのが正直なところ〕〔両軍の間では、1652年5月4日にもエスタンプ(Étampes)の戦いがあったが、対戦場所がこのような山中ではないので、ブレノーの戦いについて解説した〕

「1652年7月2日 パリの城壁の前で」と表示される。この日付は正しい。正確に言えば、フォーブル・サン・タントワーヌ(Faubourg Saint-Antoine)の戦いだ。城門の前で、馬に乗った反乱軍のトップ3人が会話を交わす。ラ・ロシュフコー公:「敵はすべての丘の上から、大砲で我々を狙っている!」。ヌムール公:「パリに避難しなければ」。大コンデ:「高等法院が、入れさせない」。城壁の正門の上には、多くの高官が並んでいる。その中には、大コンデを嫌っているレ枢機卿もいる。大コンデは、その中にラ・グランド・マドモアゼルがいるのを見つけると、「あなたの足元で身悶えせねばなりませんか? 助けて下さい。門を開けて。プリンセス、お願いします。我々は三対一で劣勢です、助けて! プリンセス、パリの大砲を装填して、マッツァリーノに発砲して下さい!」と、手を上げて救いを求める(1枚目の写真)。それを聞いたラ・グランド・マドモアゼルは、父のガストンに、「門を開けて下さい! 彼は私たちの親戚、いとこなんですよ!」と頼むが、いつもどっちつかずで、事なかれ主義のガストンは、「高等法院はコンデをパリに入れたくないんだ。私は争いたくない。高等法院と争えばパリを失う。単純なことだ」としか答えない。ラ・グランド・マドモアゼルは、高等法院の高官に向かって、「マザランはコンデを殺すだろうが、感謝はしてくれないでしょう! あなたたちは、彼の地下牢の中で終わるのよ! 単純なことね!」と、批判する。すると、レ枢機卿は、ガストンに向かって、「コンデは疫病だ。彼は、あなたの死、国王の死、高等法院の死を望んでいる」と警告し、ラ・グランド・マドモアゼルは、レ枢機卿を睨んで、「王族の親王か、シチリアの無法者か、どちらかを選んで!」と極端なことを言う〔「シチリアの無法者」とは誰のこと? マザランのことだろうが、彼はシチリアとは無関係〕。ガストンは、レ枢機卿と一緒に行こうとしたので、ラ・グランド・マドモアゼルは 「あなたは腰抜けだ、父上。私はコンデを死なせない」と言う。その頃、パリの城壁の手前の森の中で、ルイは、「今夜、王は戦場で食事をする」と言い、それを聞いたフィリップは、「陛下はコンデの心臓と肝臓を召し上がるつもりだ!」と大げさに言う(2枚目の写真)。兵士達は、森から出て、パリの城壁を囲む石塁の上に並ぶ(3枚目の写真、右が王軍、左の凹地の中がコンデ軍)。王軍は、凹地の中にも大砲を多数持ち込み、降伏を迫るが、コンデ軍は大砲に向かって騎馬で突進して行く。圧倒的な火力の差で、コンデ軍は全滅の危機に陥る。それを見ていたラ・グランド・マドモアゼルは(4枚目の写真)、突然行動に出る。

ラ・グランド・マドモアゼルの勝手な命令で、パリの城壁の大砲が一斉に王軍目がけて火を吹く(1枚目の写真、ラ・グランド・マドモアゼルは城壁の門の脇の上に立って見ている)〔史実では、ラ・グランド・マドモアゼルがバスティーユ要塞の大砲を自ら発射したとされている→右の絵の白いドレス姿〕。しばらくして、パリの門が開き、そこからラ・グランド・マドモアゼルが走って出て来て(2枚目の写真)、大コンデを迎え入れる。一方、砲弾を浴び続ける王軍では犠牲者が続出、それを見たルイは、「なぜ、私がこんな目に遭わされるのだ」と怒り心頭(3枚目の写真)。砲撃を腹に受けたパオロも死亡し、ルイは悲嘆にくれる。一方、パリの中に逃れたコンデ軍も、ラ・ロシュフコー公が危うく失明するほどの怪我を負う〔映画のこの部分は、ほぼ史実に即している〕

ルイは、当初の予定通り、たとえ敗北しても、その夜 戦場で食事をするが、悔しくて喉を通らない(1枚目の写真)。「数時間後。パリの北。王軍の司令部」と表示される。朝日が昇り始めるが、ルイは食事のために用意されたテーブルの上に立っている。老召使いが横になるよう勧めても、「スペインが我々を脅している間は、私はパリには入らない」〔大コンデは、もちろんフランス王族の一員だが、ルイ14世に反旗を翻す前に、一時スペインに仕えていた。そのためか、コンデ軍の中にスペンイン軍も一部入っている〕と言って、ずっと立ったままでいる。かなり明るくなった頃、「白旗を掲げたコンデの特使3名!」との報告が入る。それを見に行ったフィリップは、カメラに向かって、「シャティヨン夫人だよ」と説明する(2枚目の写真)。シャティヨン夫人は、ルイに向かって、開口一番、「スペイン軍が襲ってきます。マザランを降ろし、コンデと話し合いを」と提案する。「コンデがあなたをここに来させたのですか?」。「彼は、私に言って欲しくありませんでした」。「彼は、時間稼ぎに、あなたを来させたに違いない」。「私が嘘つきと言われるのですか? 私がスペインの勝利に賛成だとも? 私は親王と国王陛下を和解させたいのです」。「信じていいのですか? あなたは、コンデに溺愛されているそうですね」。「私は、彼と同じベッドで寝ていますが、嘘はつきません。平和を望み、陛下に笑みを浮かべていただきたいのです」。それを聞いたルイは、シャティヨン夫人に手を差し出す。彼女は、その手を取ると、「陛下、交渉して下さい、スペイン軍に攻撃されないように」(3枚目の写真)。馬に跨ってパリに戻ろうとしたシャティヨン夫人に、ルイが、「私の敵はコンデであって、あなたではありません」と声をかけると、夫人は白旗をルイに投げてよこす〔その旗を使って、和解に来いとの示唆なのか?〕

一方、高等法院内では、凄惨な事態が起きていた。コンデは、「私の友人たちは、レ枢機卿と高等法院が6時間もパリの門を開けなかったために死んだ。その上、高等法院は私に軍資金を与えようとしない。友好的とはとても言えない。君たちに、それが如何に非友好的であるかを分からせるため、尻に赤熱した火かき棒を突っ込んでやる」と言うと、銃を持った兵士が乱入し、高等法院の法服貴族を射殺する。さらに、ラ・グランド・マドモアゼルの目の前で、どのような男達かは分からないが、全裸にさせられ、豚のように射殺されるシーンもある(1枚目の写真)。ラ・グランド・マドモアゼルは、コンデに、「あなたは罪のない人々を虐殺している! こんなことは止めて!」と非難する(2枚目の写真)。シャティヨン夫人は、高等法院の高官から、「虐殺では、街はあなたを愛せません!」と責められる。実際に何があったかについて、一番詳しく書いてあったのは、Annales誌に掲載された、『Autopsie du massacre de l'Hôtel de Ville (4 juillet 1652). Paris et la « Fronde des Princes »(市庁舎での大虐殺の分析(1652年7月4日)。パリと「王侯のフロンド」)』という論文。そこには、「7月4日、“麦わらの日”。当日の流れは以下の通り。①午後2時に議会が招集される。グレーヴ広場は人で埋め尽くされた。その日、朝、ドフィーヌ広場付近で反乱が始まっていた。“麦わら(コンデ軍の集結の合図)” が議員たちや通行人に配られた。②午後3時、議員たちがそれぞれの場所についた。③午後4時、議会が親王たちを待つ。総督は彼らを待たせる。商人の代表と市の検察官のスピーチ。③午後5時、新王たち到着。司法官からの感謝、ガストン・ドルレアンの短い演説、コンデの演説はさらに短い。諸侯は議会に審議をさせるために退席した。④午後7時前、市庁舎への攻撃が始まる。窓にはマスケット銃が撃ち込まれ、ドアに火が点けられた。議員たちは、市と王侯の “連合” を宣言する書類に署名したが、包囲軍はそれを焼き払い、議員たちは出来る限り身を隠した。⑤午後9時、市の弓隊と総督の衛兵が抵抗を試みたにもかかわらず、暴徒による市庁舎への侵入が始まった。命からがら逃げる。暴徒に対する警護を依頼して帰宅しようとした議員が何人も殺され、中にはサン=ジェルマン・ロクセロワ地区の会計監査役のロベール・ミロン大佐、調査官のフランソワ・ルグラ、高等法院顧問のピエール・フェラン、商食料品店主で元市参事会員のジョフロワ・ヨン、鉄工商人のジャン・フレサンが… その他、負傷した著名人は数知れない。暴徒は100人以上が殺された。⑥7月5日、ボーフォール公、次いで、ラ・グランド・マドモアゼルが市の職員と、市庁舎に閉じこもっていた議員たちを解放し、宮廷の支持者と目されていた商事司法官アントワーヌ・ルフェーヴルと高等法院顧問でパリ総督ド・ロスピタル元帥を辞任させた」と書かれている。こうした状況を受けて、高等法院の高官は、レ枢機卿に、「我々には他に選択肢はありません。高等法院の残党は国王に合流しなければなりません」と進言する(3枚目の写真)。場面は城門の外に変わり、フィリップが、「スペイン人は北からやって来た。だから、私は軍隊をそこに移動させ、大砲で狙いを定め、犬どもが攻撃してくるのを待った」と、カメラに向かって話す(4枚目の写真)〔北から来るのは、スペイン領オランダからのスペイン軍〕

1652年8月19日。アンヌは、コンデからの手紙を読み、「『少年王をマザランから解放すれば、我々は武器を捨てる』だって、戯言(ざれごと)ね」と鼻で笑い、マザランは 「私を憎ませる巧妙な方法だ」と言う。その後、マザランは、レ枢機卿や高等法院の残党の前で、二度目の亡命について話し、それを聞いたレ枢機卿は、「マッツァリーノ、これは戯れですか、それとも本気ですか? 国王と高等法院に追放してもらいたいのですか?」と質問する。マザランは、「枢機卿、敵はルイが私の囚人だと言っている。王を解放し、私を追放しなさい。そうすれば、彼らの主張は愚かに見えることだろう」と答え、ルイは、すぐに 「私は一人でスペイン人と戦う!」と宣言する(1枚目の写真)。高等法院の高官の、「このことが知れ渡れば、スペイン軍は陛下の軍に襲いかかることでしょう」と危惧するが、ルイは、「そうなれば、フランスは、“マザランの敵は王の敵でもあった” と知り、王を救うために立ち上がるでしょう」と答える。万歳の声も上がるが、レ枢機卿は 「危険な計画です」と言い、マザランも 「極めて危険な」と言い、結局マザランの追放が決まる。この案に不賛成のアンヌに対し、ルイは、「何事にも代償が必要です。猊下はそれを私に教えて下さった」と諭す(2枚目の写真)。そして、マザランは数名の部下ともに、王から去って行く(3枚目の写真)https://gallica.bnf.fr/ によれば、行程はPontoise(パレ=ロワイヤルの北西27キロ)→La Ferté-sous-Jouarre(パリの東北東約60キロ)→Château-Thierry(同約80キロ)→ランス(同約130キロ)→Sedan(同約210キロ)と移動し、最終的に9月10日にBouillon(同約220キロ)に着き10月15日まで滞在〕

次の場面は、「陛下、伝言です。テュレンヌの大砲が戦線に配備され、戦闘が開始されました」という報告から始まる。一方、パリの城壁上のコンデは、「テュレンヌが敗れるか、私たちがパリを去るかのどちらかだ」と発言する(1枚目の写真)。ルイは、戦場に向かう兵士達に手を上げ、「スペイン軍は退却している! フランス全土が奴らを北海と地中海で溺れさせるために立ち上がるだろう。国王万歳!」の声が響く。そして、DVDの箱の表紙にもなっている、ルイが先頭に立って進軍していく勇壮な姿が映る(3枚目の写真)〔ただし、先の8月19日と、次の10月13日の間に、どのような戦闘があったのかについての史実は見つからなかった〕。そして、1652年10月13日のパリでの短いシーン。コンデは、目の負傷がまだ治らなくて目に包帯を巻いたままのラ・ロシュフコー公に対し、「フランドルに来たら、私と一緒にスポーツをしよう」と言って、パリを出て行く〔向かった先は、スペイン領オランダのスペイン軍〕

フィリップが、カメラに向かい、「私は1652年10月21日にパリに入った。私の新しい着衣に対し、(パリの)北から南まで大きな歓声が上がり、ヨーロッパは耳を覆った」と言う(1枚目の写真)。ルイが、パリの多くの教会の司教、司祭たちの前に進み出る(2枚目の写真)。すると、横からレ枢機卿が進み出て、「フランスは私たちのものです。神は常にそれを望んでおられました」と言う(3枚目の写真)。それに対し、レ枢機卿に不信感を持っているルイは、「あなたもですか、猊下? なら、そう言って下さい」と訊く。レ枢機卿が 「はい」と答えたので、ルイは 「ありがとう」と言う(4枚目の写真)。

映画では、先ほどのシーンの直後だが、実際には、約2ヶ月後の1652 年 12 月 19 日、ルイは7名の警護隊と一緒にいる。そして、「失敗は許されない」と言うと(1枚目の写真)、一旦少し離れ、振り返ると、「ヴィルキエ侯、『舞台』という言葉を忘れないで。私がそう言ったら、部下を襲いかからせなさい」と命じる。すると、そこに、レ枢機卿がやって来る。ルイは 「猊下、神が私たちを呼んでおられます。私の礼拝堂に あなたのプリ=デュー〔祈りの際に使われる、聖書を置く棚付きの跪くベンチ〕を運ばせて下さい〔枢機卿の部下がいなくなる〕。あなたのプリ=デューの方が、私のより良いですから」と言うと、レ枢機卿の手を握って階段の方に歩きながら、「今夜、あなたは議会に出席する。私の手を握って。ミサでも議会でも、私はあなたにそばにいて欲しいのです」と言い、階段を登って行く(2枚目の写真)。ルイは急に手を外すと、「しまった、忘れていた。ヴィルキエ 『舞台』の用意をして下さい」とヴィルキエに言うと、レ枢機卿には、「私は、あなたからバレエや芝居の指南を賜わりたい。『舞台』が大好きなのです」と言うなり、手で合図する。すると、警護隊の兵士が一斉にレ枢機卿に襲いかかり、剣を首や胸に突き付け、ヴィルキエが 「王の名において!」と言う(3枚目の写真)。レ枢機卿の前に立ったルイは、「枢機卿、誰も王の手を握ってはならぬ」と罪状を告げる(4枚目の写真)〔レ枢機卿は、即日ヴァンセンヌに投獄される〕。同じ日かどうかは分からないが、オルレアン公ガストンと、妻のロレーヌのマーガレットと赤ちゃん、次女のラ・グランド・マドモアゼルなど一家が揃って、夜、こっそり馬車に乗ってバリから出て行く〔ガストンはブロワの城に追放、ラ・グランド・マドモアゼルはサン・ファルゴー城に追放〕

夜、ルイが、多くの燭台を並べた前に立ち、何枚も鏡を家来に持たせて、自分の姿に見入っている(1枚目の写真)。その横では、フィリップが、ルイの書いた文章を読み上げている。「神は若い王たちに美徳、威厳、知恵、審美眼、洞察力の種を授ける。神は彼らに、最も頑なな首を下げることを教える。いつの日か、その木陰が多くの国々を覆うことになる若木の成長を見守るのは、素晴らしい光景だ。人民は啓発されるべきだ。王は神の化身であり、執行者である。王は神の分身である。その玉座は神の玉座である」(2枚目の写真)。そこにルイが寄ってくる。フィリップは、「なんてこと! こんなの自己崇拝だ!」と批判する。ルイは、「王をあざ笑う者は、王と戦って終わる! 今後は、真偽に関わらず、全面的な敬意を払って欲しい!」と言うと、「この悪ガキが」と言うや否や、フィリップの顔をつかんで乱暴に扱う。顔を上げたフィリップは、「あなたを尊敬します。でも、今後、あなたの信条書を読むのは、下僕たちにさせて」と悲しそうに言う(3枚目の写真)。それを見たアンヌは、ルイの変わりように驚く。ルイは、母を見ると 「私は教父に、戻ってくるよう手紙を書きました」と言い、教育係が持って来た紙を指差す。そして、「これが、招聘状です」と言うと、すぐにいなくなり、教育係が紙をアンヌに渡す。アンヌは傷ついたフィリップを慰めるように抱いて部屋から出て行くが、「ルイが、「お休みなさい、母上」と遠くから声をかけると、アンヌは臣下がするように両膝を曲げて一礼する(4枚目の写真)。

1653年2月3日、マザランがパレ=ロワイヤルに満面の笑顔で戻って来る(1枚目の写真)。ルイはマザランに、「猊下、王は苦悩を免れないのですか?」と尋ねる。マザランは、「あなたは率い続けるのです」と答える。「つらいよ、教父。この乱世は永遠に終わらないのでしょうか? 世界はいつも氷のように冷たいのでしょうか?」と嘆く。その後、ルイは、自分が演じる舞台の上に置いてある太陽のシンボルの前に立つと、「惑星たちは狂ったように回転する。永遠に互いに矛盾し続ける。太陽は不動だ。恐れを知らない。唯一、強く、動かない」と話しかけ、それをマザランが聞いている(2枚目の写真)。そして、アンヌとマザランが正面中央に座り、多くの高位の観衆を前に、ルイを中心とした劇が始まる(3枚目の写真)。

ルイが、舞台の下の観衆から見えない場所から、大きな声で話す。「余は世界にのしかかっていた悪霊を退治した。身の毛のよだつ狡猾な男、そして、反乱を。勝利の美酒に酔い、余は常に栄光を追い求め走り続ける」(1枚目の写真)。そして、マザランを称え、「神聖な手が余に指導力を与えてくれた」と言い、観衆は 「マザラン万歳!」と叫ぶ。次に、母を称え、「女神が余の権利を守ってくれた」と言い、観衆は 「王大后万歳!」と叫ぶ。ここで、舞台の上でそれまで踊っていた女性達の中央に、舞台の下からルイが徐々にせり上がってくる。「我らは栄光においては平等。彼女は女王たちの星、余は王たちの星だ」。この最後の言葉が終わると、ルイの体は、背後の太陽と重なり、観衆は 「王様万歳!」と叫ぶ(2枚目の写真)。それを、真向いの桟敷席で老召使いと一緒に見ていたフィリップは、「私たちの太陽! ルイは凛として、眩しい! 私はルイを讃える! 私はルイを敬う!」と言う。それを聞いた老召使いは、「あなたが王を讃え、敬えば敬うほど、私たちは、我らが太陽に圧倒され、ひたすら服従します」と応じる。舞台の上では、ルイの体が、 「♪王の栄光の音が、天と地に響き渡る」という女性達の歌に合わせて空中に上がって行き、最高潮に達したところで(4枚目の写真)、映画は終わる。

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