ページの先頭へ

                                            トップページに戻る
少年リスト  映画(邦題)リスト  国別(原題)リスト  年代順リスト

Miracle at St. Anna セントアンナの奇跡

アメリカ映画 (2008)

1944年秋、イタリア中北部トスカナ地方の海寄りの激戦地で、バッファロー・ソルジャーズの通称で知られるアメリカ陸軍の黒人だけの第 92 歩兵師団の4人の兵士、ネグロン伍長、トレイン一等兵、スタンプス二等軍曹、カミングス軍曹が、作戦を指揮していた “黒人の言うことなど信じない” 白人のノークス大尉の愚かな砲撃によりドイツ側の対岸に取り残される。そして、川岸近くの納屋の中でトレイン一等兵が、8歳の少年を保護する。この少年アンジェロは、その年の8 月 12 日に起きたサンタンナ・ディ・スタツェーマの虐殺(次節参照)の唯一人の生き残りだった。少年を含めた5人は、近くのコロニョーラ村に行き、そこで映画の本編が始まる。主要な登場人物は、5人を匿う村人の一家の他に、パルチザンのリーダーのペッピと、サンタンナ・ディ・スタツェーマの虐殺を引き起こした裏切者のロドルフォ、サンタンナ・ディ・スタツェーマの虐殺からアンジェロを救ったドイツ兵ハンス・ブルント。そして、冒頭の愚かなノークス大尉。これらの人々が複雑に絡み合い、そこにドイツ軍の襲撃が加わり、映画は本格的な戦争映画となる。その中で、心に残るシーンは、イタリア語が分からなくても、あくまでもアンジェロを守ろうとする巨大なトレイン一等兵の優しさ。裏切者のロドルフォにいち早く気付いたネグロン伍長は、ロドルフォがハンス・ブルントとペッピを殺害するのを目撃し、その怒りを1983年のニューヨークで果たす。そして、そのトレインを終身刑から救ったのは、アンジェロだった。この映画は、ジェームズ・マクブライド(James McBride)が2001年に刊行した同名原作の映画化で、脚本も作者本人が手掛けている。アメリカ映画なので「St. Anna(セントアンナ)の奇跡」という題名になっているが、これは、虐殺のあった「Sant'Anna(サンタンナ)」の英語名。そういう意味では、「サンタンナ・ディ・スタツェーマの虐殺が生んだ奇跡」と言うのが、映画内容を最も正確に捉えた題名かも。

ここでは、サンタンナ・ディ・スタツェーマの虐殺〔Eccidio di Sant'Anna di Stazzema〕について説明しよう。1944 年 8 月 12 日の朝早く教会前の広場に村民が集められ、第 16 親衛隊 装甲擲弾兵師団〔16. SS-Panzergrenadier-Division〕の第 2 大隊の第7中隊の中隊長・親衛隊少尉ゲアハルト・ゾンマー〔Gerhard Sommer〕の命令により約560人の無垢の村民が機関銃で銃殺された〔WEB上では誤情報が拡散していて、指揮官の親衛隊中将Max Simonや、参謀長の親衛隊中佐Albert Ekkehardの名前を挙げている場合も見られたが、実行者はあくまでゲアハルト・ゾンマー〕。この惨劇は、終戦後、NATOの一員となった西ドイツに配慮して資料は極秘裏に管理され、1994 年になり、ようやく「恥のクローゼット〔Armadio della vergogna〕」と呼ばれるようになった資料の詰まった巨大な棚から、この虐殺に関わる資料が取り出された。それからさらに10年以上経った2005 年、ラ・スペツィア〔La Spezia〕(サンタンナ・ディ・スタツェーマの北西約40キロ)の軍事裁判所は、560人の民間人を殺害したとして、10人のSS隊員に被告不在のまま終身刑を宣告した。この判決は、2006 年 11 月にローマの控訴裁判所で支持され、2007年イタリアの最高裁判所はゾンマーの終身刑を支持した。しかし、ドイツは引き渡しを拒否したため、有罪判決は実質的には何の意味も持たなかった。その後、2012年になり、ドイツのシュトゥットガルトの検察庁は、「起訴するには不十分」との結論を下した。その理由は。「起訴されるには、各個人が虐殺に関与し、かつ、“殺人の基準” に当てはまると証明する必要があった。しかし、この虐殺が民間人を計画的に根絶する命令であったと確実に証明することはできなかった。作戦の目的は本来パルチザンと戦うことであり、働くことができる男性はドイツに強制送還されるはずだった。当初の目的が達成できないと明らかになるまで、民間人の銃撃は命じられなかった可能性がある。検察官によると、その個人が該当する親衛隊の部隊に所属していたという事実だけでは、必要とされる各個人の有罪証明に代替できない」という手前勝手なものだった。ようやく2015年になって、ハンブルグ検察庁は、ゾンマーが犯した行為を 「残虐な殺人の可能性が高い」とみなしたが、彼が重度の認知症で老人ホームにいたため収監はされず、そのまま、2019年に老人ホームで死亡した。罪を隠蔽しようとするドイツの卑劣な姿勢にはひどくがっかりさせられた。下の写真は、現在27人の住民しかいないサンタンナ・ディ・スタツェーマに1948年に作られた納骨堂〔Monumento ossario di Sant'Anna di Stazzema〕。なお、映画の舞台となったコロニョーラ〔Colognora〕の村は、サンタンナ・ディ・スタツェーマの東約15キロにあり、地中海から僅か約8キロしか離れていない。ピサの斜塔の北北西約30キロにある。

アンジェロ役のマッテオ・スキアボルディ(Matteo Sciabordi)については、Microsoft Storeに「イタリア人パフォーマー」と書かれていた以外に何も情報が見つからなかった。

あらすじ

写真では、人の区別がつきにくいので、アメリカ軍の5人には、ネグロン伍長N、トレイン一等兵T、スタンプス二等軍曹S、カミングス軍曹C、ノークス大尉NO、ドイツ軍の逃亡兵ハンス・ブルントにはH、パルチザンの2人には、ロドルフォR、ペッピPの文字を表示した。

映画は、1983年、アパートの一室で老齢の黒人が 映画『史上最大の作戦』のジョン・ウェインの登場場面を見ながら、「俺たちだって、この国のために戦ったんだ」と不満げに言うところから始まる。確かに『史上最大の作戦』をはじめとするほとんどの第二次大戦映画の米軍に黒人兵は出て来ない。そして、場面はニューヨークの郵便局に変わり、同じ黒人が窓口で切手を販売している。何人かの客のあとに一人の老人が窓口にやってきて、20セント切手を1枚買おうとして、窓口に顔を寄せる。その顔を見た黒人は鋭い視線で客の顔をみつめると(1枚目の写真)、「ロドルフォ」と小さな声で言い、いきなり銃を取り出して男の心臓目がけて撃つ(2枚目の写真、矢印は銃と心臓の銃創)。郵便局にいた人々は逃げ惑うが、黒人は銃を窓口の外に台に落とすと、平然として販売口を閉める。カメラは、血にまみれたロドルフォの帽子の上に載っている旧ドイツ軍のワルサーP38拳銃を映し出す(3枚目の写真、矢印)。このシーンだけ観ていると、単なる殺人のように思えるが、映画は、ここから1944年の過去へと戻る。郵便局員は、黒人だけで構成された第 92 歩兵師団のヘクター・ネグロン伍長。プエルトリコ生まれの黒人でイタリア語の通訳も兼ねている。殺された男は、ネグロンが言ったように、ロドルフォという名のパルチザンの裏切者(ナチスの内通者)。それぞれの写真には、ネグロンの頭文字の「N」と、ロドルフォの「R」が表示されている。

警察はネグロンのアパートを捜索し、その中で見つけたことは、①彼が敬虔なカトリックの信者であること、②4人の黒人兵と一緒に映った記念写真と、伍長時代の肖像写真(1枚目の写真)〔この4人の集合者は極めて不自然。4人は、たまたま、この作戦を指揮した白人で “黒人嫌い” の大尉の失敗の結果、対岸に取り残されただけで、4人が仲間だったわけではないので、4人だけの記念写真などあるはずがない〕。③Purple Heart勲章〔戦傷した米国軍人に授与される勲章〕。そして、最も重要なものとして、④白大理石でできた女性の頭の傷んだ彫像。警察は、すぐに鑑定家のブルックス教授のところに持ち込むと、「サンタ・トリニタの失われた “春”」だと言ってびっくりする。そして、「フィレンツェにあるアンマナーティにより造られた世界最古の楕円アーチ橋の名前だ」「橋の入口4隅には4つの大きな大理石の像が立てられていたが、ナチスが1944年にフィレンツェから撤退する時に破壊した時、“春” の像の首の部分が行方不明になった」とも説明する(2枚目の写真、矢印は彫像)。この彫像は、映画の題名の “奇跡” とも関連しているので、もう少し詳しく説明しておこう。3枚目の写真は、フィレンツェの観光名所ヴェッキオ橋の中央から私が撮影した、250m下流にあるサンタ・トリニタ橋の正面写真。注目点は、アーチと橋脚の接触部分が、曲線状にスムースに接続していること〔正確に言えば楕円アーチではなく、6心円アーチ(橋脚に近付くにつれ半径が小さくなる3つのアーチを両側に並べている)。これにより、より扁平で安定したアーチが可能になった〕。1944年8月4日の早朝、ドイツ軍はサンタ・トリニタ橋を爆破して完全に破壊し、4つの彫像は川に捨てられた。橋は、アンマナーティの原画に基き、同じ採石場からの石材を用い、1958年に復元された。しかし、その時には4つの彫像の1つの “春”(右の写真) の首の部分は見つかっておらず、1961年に下流の泥の中から見つかり、修復された〔映画の中では、サミュエル・トレイン一等兵が首の部分を見つけてずっと一緒に運び、それは、彼の戦死によりカミングス軍曹、そして、最後にネグロン伍長がアメリカに持ち帰るという設定になっていて、1983年にアパートから発見される。だから、この部分は、史実とは全く異なっている〕

ローマのポポロ広場に面するサンタマリア・ デイ・ミラーコリ教会の前のオープンカフェで1人のアメリカ人がコーヒーを飲んでいる。すると、広場に面した4階建てのビルの4階の窓から新聞〔ヘラルド・トリビューン〕がテーブルの上に落ちてくる〔あまりに偶然。この映画のレビューの中には、その偶然さを強く指摘しているものもある〕〔イタリアなのに英字紙というのは、それを窓から捨てたのがアメリカ人だったから〕。その新聞には、「ニューヨークの芸術、殺人、謎/第二次世界大戦で失われたイタリアの美術品が、郵便局員の容疑者宅で発見され国際的な争いに発展」という一面の大見出しで、その横には、ネグロンの顔と “春” の頭部の写真も大きく掲載されている(1枚目の写真)。内容を呼んだアメリカ人は(2枚目の写真)、立ち上がると、広場を横切って走り出す。そして、足が広間の水溜りに踏み込んだ途端…

場面は、湿地帯の泥の中を歩いて行くアメリカ人の黒人兵士に変わる。1944年秋なので39年と少し過去に戻ったことになる〔1983年はクリスマスの時期だった〕。その下に「第 92 歩兵師団」と表示され、極秘裏の作戦の割には、大声を出して怖がる兵士もいて緊張感に欠けている。一行は川岸に到着し、ドイツ軍が潜んでいるかもしれない対岸に向かって銃を向けながら、徐々に前進していく。そこに、巨大スピーカーから、ドイツ軍の対黒人兵用のプロパガンダが流れてくる〔ドイツ軍は、アメリカ軍の襲来を承知している〕。その中を、第 92 歩兵師団は水深の浅い川を歩いて渡り始める。その時、待ち構えていたドイツ軍から一斉に銃撃が浴びせられ(1枚目の写真)、兵士達は退却を始める。しかし、4人の兵士だけは何とか対岸に辿り着く。そして、オーブリー・スタンプス二等軍曹は、無線で、“グリッド4、7、9、16” の位置に砲撃を加えるよう中隊に要請する。ノークス大尉は、「お前、どこにいるんだ?」と訊く。「川を渡った」。「何だと?」。「ドイツ野郎〔Uncle Jerry〕と一緒だ。グリッド4、7、9、16に砲撃を!」(2枚目の写真)。しかし、たかが黒人兵が対岸まで行けるはずがないと思った愚かなノークス大尉は、砲兵の部下に 「奴は嘘をついてる。グリッド23、24、25を狙え」と命じ、最初の無線での要請を心配する部下の黒人少尉に対し、「俺はこの部隊に来たばかりだが、横柄なニグロのくそ少尉と議論するする気はない」と怒鳴り付ける(3枚目の写真)〔この行為を、「unwritten law that no colored should ever be able to tell a white man what to do(有色人種は白人に指図すべきでないという不文律)」と指摘したレビューがある〕。そして、グリッド23、24、25(米軍兵)に砲撃を加え、これに加えてドイツ軍からの砲撃にも会い、退避する黒人兵の多くが砲弾で死亡する。かなりあとのシーンだが、この無能な大尉の上官の大佐が、第 92 歩兵師団の少将に報告に行った際、この時の愚かな誤爆による戦死者が15000名だと知らされる。

スタンプス二等軍曹とは別に対岸に渡ったビショップ・カミングス軍曹〔軍の中の序列は、二等軍曹の方が軍曹より一つ上〕とトレイン一等兵は、1軒のボロボロの納屋を見つけ、近寄って行く。すると背の高い “干し草の山” が動いて行くのが見え(1枚目の写真、矢印)、2人ともびっくりする。ここで、カメラが切り替わり、納屋の中からのカメラで、干し草の山の一番下に開いた穴から1人の少年が飛び出して納屋の中に逃げ込む(2枚目の写真、矢印は穴)。少年は、人を捜すように、「アルトゥーロ、どこにいるの?」(青字はイタリア語)と声を掛けるが 姿は見えない。その時、砲弾が壁を破って飛び込み、少年は吹き飛ばされるが、その衝撃で藁糸の糸玉が転がってくると、起き上がり、見えないアルトゥーロに向かって、「素敵だね。どこで見つけたの?」と言うと、歌いながらサッカーのように糸玉を蹴って遊び始める。そして、「アルトゥーロ、僕9歳だよ」と言って糸玉を大きく蹴ると、別の爆弾が飛んできて、屋根の一部がバラバラに壊れ、少年の上に崩れ落ちる(3枚目の写真)。

カミングス軍曹に、「行け、見て来い」と命じられたトレイン一等兵が銃を構えながら中に入って行くと、「分かったよ、僕まだ8歳だ」と言う声が聞こえるが、彼にイタリア語は分からない。ただ、子供がいることは分かり、材木の下に少年が埋まっている。巨漢で力強いトレインが、材木をどけると少年の顔が現われる。「なんてこった〔Good God〕!」。一方、生まれて初めて黒人を見た少年は、「チョコレートの巨人」と言う(1枚目の写真、矢印は梁)。トレインは、少年が出られないよう邪魔している太い梁を除けようとするが重くて動かない。トレインは諦めて出て行こうとするが、少年が 「お願いだから行かないで、痛いよ」と頼むと、意味は分からなくても痛そうなのは分かったので、フィレンツェで拾ってきた女性の頭〔サンタ・トリニタ橋の “春” の頭部〕の額を何度も手で擦り(2枚目の写真、矢印)、力をもらうと、全力で梁を動かして少年の体を自由にする(3枚目の写真、矢印)。そして、気を失ってしまった少年の上に跪くと、「おい坊や、息してるか?」と、胸に耳を当てる。気が付いた少年は、チョコレートの巨人なので、甘くておいしいかと頬を舐めてみる(4枚目の写真)。そして、「巨人さん、チョコレートの味しないね」と言う。トレインが、少年の胸をつかんで小屋から出て行くと、その瞬間に大砲の弾が納屋を直撃し、軍曹が 「トレイン」と呼びかけても返事がないので、死んだと思いそこを離れ、川岸の茂み沿いに下流に向かって歩いて行くと、反対側からやってきたスタンプス二等軍曹とネグロン伍長に出会う。

その後、3人は、ダムの上を歩いているトレインを見つけ、放ってはおけないのでトレインが向かった納屋に入って行き、彼に1400ドルの貸しがある軍曹が、トレインに話しに行くhttps://www.officialdata.org/ によると、1944年の1400ドルは、ロシアのウクライナ侵略前の2022年の23280ドルなので、かなりの大金〕。そして、金のことを話題すると、トレインはフィレンツェで拾ってきた大理石の頭を見せて 「黒猫の骨〔アメリカ南部の黒人の民間信仰(Hoodoo)の幸運のお守り〕よりいい。透明にしてくれるし、5人分の力をくれる」〔隠れずに歩いて、ドイツ軍に見つからずにここまで来られたし、少年の上の木の梁を撤去できた〕と自慢し、「お前イカれてるぞ〔I think your cheese done slid off your biscuit〕」とバカにされた上に、「俺はな、お前がやったみたいに白人のガキのために自分の身を危険にはさらさん」「軍服を着てようが何も変わらん。これは白人の戦争なんだ。黒人には関係ない。このガキはクソみたいな人生を送る。白人の親がそうさせるんだ」と言うと、旧約聖書の『箴言』の22:6を引用する。「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」。そして、「こいつは、憎むように育てられた。こいつの人生には1セントの価値もない〔his life ain't worth a dollar of Chinese money〕」と、逆人種差別的な発言をする〔この軍曹は、本業が牧師のくせに、常に過激な発言をする〕。そこに、あまりに時間がかかるので、スタンプス二等軍曹が様子を見に来る。ネグロンが、スタンプスに、「出発するか?」と声を掛ける。スタンプスが腕時計を見ると、2時15分だった。そこで、「夜まで待とう」と答える(1枚目の写真)。そこで、まず、衛生兵でもあるネグロンが、少年に薬を飲ませようとするが嫌がって飲まない。しかし、トレインが自分のチョコレートを一カケラ割って口のところに持って行くと喜んで食べる(2枚目の写真)。ネグロンは、「俺なら この子を好きにならんな。どうせ1週間で死ぬんだ」と言うが、トレインは 「俺、白人にこんなに近づいたの初めてだ。触ったこともない」と反対する。2人はしばらく別のことを話した後、ネグロンが少年に水筒の水を「」と言って飲ませようとすると、少年は左腕を出して 「アルトゥーロ、訊きたいことがある。僕は誰なの?」と言う(3枚目の写真)。「彼、何て言ったんだ?」。「『僕は誰?』って言った。だが、誰に話してるのかな?」。トレインは、「分かったぞ!」と興奮し、「彼には力があるんだ!」と、少年が神の言葉を聞いたかのように喜び、あとの3人は白けてそれを見ている。

「夜まで待とう」と言った割には、4人と少年は、まだ明るいうちに納屋を出て、山の斜面を下って村に向かう(1枚目の写真)。夜になり、一行が向かっているコロニョーラ(Colognola)村からは、ドイツ兵が家畜を全部巻き上げて去って行った。そして、ムッソリーニを信奉するファシストの家のドアがノックされる。ドイツ兵だと思ってドアを開けたところ、入って来たのは銃を構えた黒人兵だったので、全員がびっくりする(2枚目の写真)。スタンプスは、ネグロンに、アメリカ人だと言うよう命じ、ネグロンが「Americani」と言うと、3人の中年女性は大喜びでイタリア語をまくし立てる。そこで、「代表者は?」と訊くと、3人はファシストの主人を嫌々指差す。スタンプスは、「誰か英語を話せるものは?」と訊くが、誰も答えない。そこで、「どこ、ドイツ人たち?」と訊く。すると、主人の娘が、英語で、「どこにでも、いっぱい」と言い、「私、レナータよ」と付け加える。「どこで、英語を覚えた?」。「英国人の家の乳母だった」。「俺はオーブリー・スタンプス二等軍曹だ。助けが必要な少年がいる」。そして、トレインが少年を抱いて入って来ると、テーブルの上に置く(3枚目の写真)。「知ってる子か?」。「知らないわ」。ネグロンは、病院に連れて行きたいと言うが、レナータは、ドイツ兵がどこにでもいるから無理だと話す。そして、少年は病気だから、この家で預かるとも。

フルーガー大佐を乗せたメルセデスがクローチェ(Passo di Croce)峠〔標高1,636 m、地中海から僅か12kmしか離れていない。先ほどのコロニョーラ村の西北西16km〕に向かって坂道を登って行く(1枚目の写真)。2枚目の写真はグーグル・ストリートビューの定点写真。どちらの写真も、地中海の近さが良く分かる。大佐が会いに行ったのは、峠に建てられたトーチカの上で待っていたアイヒホルツ大尉〔この映画の中でアメリカ軍の白人将校は全員ロクデナシで、ドイツ将校も最悪なのが多いが、彼だけは唯一人間性がある人物として描かれている〕。フルーガー大佐は、アイヒホルツ大尉に対し、「この9ヶ月で、パルチザンの活動が急増しておる。君は何をやっとるんだ?」と叱責する(赤茶色の字はドイツ語)。「大佐、私たちに残されたのはシャベルとラバの糞だけです。部下は疲れ果てています。弾薬と食料が必要です」。「食料が欲しい? ロシアではつららを吸っておる。首の怪我を理由に、君がここに来る前はな。空腹の兵士を指揮するのは 君が初めてだと思うか?」「ところで、農民のテロリストだ。自らを “大きな蝶” と呼んでおるが、本名は分からん。奴は、ここの山のどこかに隠れ、我々に多大な損傷を与えておる。奴を探せ。見つけたら、奴とその仲間を掃蕩しろ。イタリア戦線司令官ケッセルリンク元帥の通達だ〔ケッセルリンクは、数千人のパルチザンと、女子供を含む民間人を殺害しておきながら、死刑にならず、早くも1952年に釈放されている。サンタンナ・ディ・スタツェーマの虐殺の際の扱いといい、なぜこんなに “甘い” のだろう? ある資料によれば、あれだけ民間人を虐殺したナチスの死刑戦犯数は僅か675名、それに対し、日本軍の死刑戦犯数はA級は7名だが、捕虜虐待によるBC級戦犯は934名。この差は、人種偏見によるものなのだろうか?〕各司令官の裁量で、ドイツ兵 1 名(の死)に対しイタリア民間人 10名 を処刑するんだ」(3枚目の写真)。「大佐、失礼ながら、私がこの命令を実行すれば、私の部下は罪のない民間人を殺すことになり、それはジュネーブ条約に違反することになります」。「パルチザンは民間人ではない、ジュネーブ条約で保護されていないテロリストだ。掃蕩しろ!〔サンタンナ・ディ・スタツェーマの民間人(パルチザンはいない)の虐殺もこの残酷な掃蕩作戦の一環〕

一方、黒人兵4人と少年が入り込んだ家では、ファシストの主人が、自分の部屋が黒人に占拠されたので、「誰か、あの獣どもにわしの部屋から出てくように言っとくれ」と言うが、目の前に少年が寝ているので、レナータは、「しーつ、この子 熱があるのよ。食べさせて休ませないと。たまには、他人のことを思いやれないの?」と小声で注意する。そして、持って来た陶器の鉢からスープを飲ませようとするが(1枚目の写真)、少年は手でスプーンを止めると、「アルトゥーロ、チョコレートの巨人の城は巨大だよ。ううん、もっと大きい。うん、僕、見たんだ。全部、チョコートだよ。君のために1枚取っておいた」と言うと、服の中からチョコレートを取り出し、そこに誰かがいるように腕を伸ばす。そして、そのチョコを、今度は自分の口に入れる(2枚目の写真)。それを聞いた老女は、「悪魔の眼〔malocchio〕にやられてるわ」と怖れ、主人は さっそく追い出そうとするが、レナータは 「この子は、ここに残るのよ。きっと幸運をもたらすわ」と庇う。そこに、トレインは、「失礼」と言って割り込むと、「薬を飲む時間だぞ」と言い、白い錠剤をぐるぐる回して少年を喜ばせてから口の中に入れる。そして、レナータが持っていた鉢を 「どうも」と言って取り上げると、スプーンで飲ませるが、レナータの時と違って積極的に飲む(3枚目の写真)。それが終わると、出発だと言って少年を抱き上げる。カミングス軍曹は例によって反対するが、スタンプス二等軍曹が同行を認め、4人と少年は家を出て行くことにする。

その次の不明朗な場面〔こんな場面があるから、この映画に対する批評家の評価が低い〕。てっきり兵士4人と少年が、この感じの悪い家から出て行くと思いきや、家から出てきたのはトレインと少年を除く3人の兵士と、家の主人ともう一人の老人(郵便屋)とレナータ(1枚目の写真)。敢えてこのシーンを紹介したのは、グーグル・ストリートビューのないコロニョーラ村で、フェイスブックで ちょうどこの場面の写真を見つけたから(2枚目の写真)。スタンプスは何とかアメリカ軍に合流しようとするが、ファシストの主人は辺り一面ドイツ兵だらけだと言い、娘のレナータが案内すると言い出すと 強硬に反対する。黒人兵側も、罠ではないかと思い、スタンプスは、レナータに、「俺たちだけで道を探す」と言って3人で出かける。それがなぜ、“不明朗” なのか? 次のシーンでは、その夜、3人の黒人兵は結局、ファシストの主人の家に留まる。そして、それに対して何の説明もない。一方、家に残ったトレインと少年は、仲はいいのだが、お互い言葉は通じない。スタンプスは、“透明にしてくれて、5人分の力をくれる” 大理石の頭のことを少年に自慢し、石の頭にも触らせる。少年は、その直後に、今度はトレインの頬を両手で像と同じように触る(3枚目の写真)。そのあと、もう一度石の頭の頬を両手で触り、「こんな風に首を回せる?」と訊く。トレインは、大理石の頭に拘り、像が “奇跡” を起こしてくれると言うが、少年は、どうしてもトレインの頭を反対側に向かせたい。何度イタリア語で言っても通じないので、トレインの後ろに、あたかも誰かがいるような調子で、「アルトゥーロ!」と声をかけ、それでトレインが後ろを向いたので、「やった。僕9歳だ!」と喜ぶ。彼には、イマジナリーフレンドがいることは想像できるが、なぜ振り返ると1歳年上になるか意味が分からないし、8歳が9齢になるシーンはこれで二度目。はっきり言って無意味。この映画は、無駄な場面が多過ぎる〔映画の上映時間が2時間40分近くもある〕

夜遅くなり、ネグロン伍長は、うまく作動しない無線機にもう一度トライしようとし、その横に、少年が座り、背後にトレインが座っている。少年は、急に横を向くと、「どうして知ってるの? ホント? うん、知ってる」と、如何にも誰かと会話しているように話す(1枚目の写真)。ネグロンは、これが初めての体験だったので、「誰と話してる?」と訊く。「アルトゥーロだよ」。「それ誰だ?」。「僕の友だち」。「どこにいる?」。少年は、「あそこ。見える?」と誰もいない部屋の隅を指差す。ネグロンは、なんだ空想かと、それ以上相手にしないよう無線の解説書を見始めるが、少年はネグロンが首にかけている十字架のペンダントに興味を持って手に持ってみる(2枚目の写真)。ネグロンは、これ以上何かに触られると困ると思い、無線機を遠ざける。すると、少年がまた横を向き、「アルトゥーロ、何だって? 助けてあげるよ」。その途端、無線機が直って、「37よりスタンプスへ」と声が入る。少年は、「やった!」と大喜び(3枚目の写真)。その声を聞いてやってきたスタンプス二等軍曹に、ネグロンは 「ガキが無線を直した」と言いながら受話器を渡す。無線の向こう側は、あの愚かなノークス大尉だった。大尉は、スタンプスにドイツ兵を1人捕虜にするよう命じる。

翌日、2人だけになったトレインは、少年に 「俺たち、話す方法をみつけないとな」と声を掛ける。「家にいとこがいて、話せない。 だから彼はトントン叩く。だから、俺たちもトントンしよう。いいな?」と言い、自分の肩の少し下を1回トンと叩き、「1回トンは、『Yes』」と言うと、親指を立てる。同じところを2回叩き、「2回トントンは、『No』」と言うと、今度は手の甲を見せる。同じようにして、「3回トントントンは、『Try』」と、両手を使って何かをトライする真似をする。「4回トントントントンは」(1枚目の写真、矢印)「『You sleepy』」と言いながら、手を頬に当ててグーグー眠っている真似をする。「5回トントントントントンは『You got to take your medicine』」と言いながら(2枚目の写真、矢印)、いつも与える白い錠剤を出す。「6回トントンはすごく重要だぞ」と言うと、6回トントン叩き、「ボンボン、バカーン」と銃撃や爆撃の声を出し、「It's danger. It's bad. It's trouble」と言う。そして、初めから、1回トンし 「OK. One」と訊き、少年は 「Si」と正しく答える。2回トンし 「2回トントンは?」。「No」。3回トンし 「3回トントン」。「Prova〔試す〕」。「分んないけど、理解したみたいだな。4回トントン」と言って 4回トン。少年は寝たふり。トレインは感心する。5回トンし 「5回トントン」。少年は 口を大きく開けて薬を飲むふり。「いいぞ、あと一つ。いいか? 6回トントン」と6回トン。少年は 両手で銃をバンバンするふり。その出来栄えに、トレインは大喜び。次のシーンは、村の教会で行われた村人全員による懇親会に、4人と少年も参加して楽しむ光景。残念ながら、この場面の主役は2人の軍曹で、トレインと少年は3枚目の写真の1コマのみ。

次のシーンは、翌朝。パルチザンの4人が、1人のドイツ兵を連れて村にやって来たところを、スタンプス二等軍曹が見つけて銃を向ける。そのすぐあと、スタンプスはファシストの家に戻り、他の2人の黒人兵とレナータ(CとSの間の女性)を連れて戻って来てパルチザンの一行と対峙する(1枚目の写真)。ここで初めて登場する人物は、レジスタンスのリーダー、ペッピ「P」とNo.2で裏切者のロドルフォ「R」、そして、捕虜のドイツ兵ハンス・ブルント「H」。何れも、黒人兵の4人に劣らない重要人物だ。レジスタンスと米軍は敵対していないので、レナータの仲介で、全員がファシストの家に行き、レジスタンスは食事にありつく。そこに、2人で散歩に行っていたトレインと少年が戻って来る。2人の方を見たロドルフォの顔を見て(2枚目の写真)、少年はハッと驚き(3枚目の写真)、トレインの肩をトントンと6回、それも、それを2回繰り返す。6回なので、バンバンという銃撃を意味するが、それを教えたトレインは鈍感なので、その重大な意味に気付かない。

食事が済むと、どちらが先に捕虜の尋問を行うかで、レジスタンスと黒人兵との間で意見が割れ、遂には、お互いに銃を向け合う。そのさ中、少年はドイツ兵ハンス・ブルントに寄って行くと、肩に手を当てる。それに気付いたハンス・ブルントは、初めて少年に気付き、急に笑顔になると両手で頬を包み、「生きてたのか〔Du lebst noch?〕」と喜ぶ。「逃げろと言ったから逃げたんだな。いい子だなぁ… とてもいい子で、賢い子だ。弟のウルリッヒと同じ。髪の毛まで同じなんだね。弟よ、私の話をよく聞くんだ〔少年にはドイツ語は分からない〕。ハンス・ブルントは、少年の耳に、イタリア語で 「また、逃げろ。走れ〔Scappa di nuovo, corri〕」と囁く。こうした ハンス・ブルントの態度に不安を覚えたロドルフォは 「すぐ殺しときゃよかったんだ」とブツブツ言うと、「黙れ!」と怒鳴り、ハンス・ブルントの口を手でふさぐ。一方、スタンプスは、カミングスに向かって、「無線機に行け。ドイツ兵を捕まえた」と指示する。カミングスは、すぐにドイツ兵を捕まえた旨報告する。その結果、ノークス大尉自らがやって来ることになる。その後、ドイツ兵と少年との関係に興味を持ったネグロンは、トレインと少年が一緒にいる部屋にやって来ると、トレインの助けを借りて〔トレインは肩を3回トントンする〕、少年に話しかける。「君の名は?」。「アンジェロ・トランチェッリ」。「アンジェロ。俺はヘクターだ。どこから来た?」。「サンタンナ・ディ・スタツェーマ」。「あのドイツ人、知ってるのか?」。「うん、いっぱいいた」。「さっき君に何て言った」。「前に言ったのと同じこと。急いで逃げろって」。「いつ?」。「Prima〔以前〕, al fuoco〔火/発砲〕, alla chiesa〔教会で〕〔一番重要な「発砲」だが、普通は「火」と訳すので、ネグロンも「火」だと思い、この3文字では虐殺があったと分からなかった〕。「お父さんとお母さんはどこ?〔虐殺で死亡〕。アンジェロは悲しくなって泣き始める。ネグロンは、質問をやめろと言うトレイン頼み込み、もう一つだけ質問する。「アンジェロ、なぜあのドイツ人が怖い?〔こんなバカげた質問、よくするなと思う〕。「ドイツ人は怖くない。僕の友だちだよ。怖いのはもう一人の方」(3枚目の写真)。「もう一人って?」。アンジェロは、レジスタンスがいる部屋の方を指差すと、また泣き始める。

スタンプス二等軍曹は、レナータに、「君の友だち(パルチザン)に、尾根まで登って何が見えたか話すよう頼んでくれ」と言い、レナータは その時近くにいたロドルフォに依頼する。ロドルフォが出掛けた後で、ネグロンは 「あいつは信用できん」と言う。それを聞いたレナータは、ロドルフォがこの村出身のパルチザンなのでいい人だと庇うが、ネグロンは 「あの目が信用できん」と納得しない。次のシーンは、尾根まで登ったロドルフォが、ドイツ軍の長い車列を見ているところ(1枚目の写真)。戻って来たロドルフォは、レナータから 「何もなかった?」と訊かれ、「ああ、何もない」と嘘をつく(2枚目の写真)〔この時点で、どの観客にも、ロドルフォが裏切者だと分かる〕。レナータから説明を受けたスタンプスは、ハンス・ブルントをロドルフォに尋問用に渡し、ネグロンを見張りに同行させる。一方、トレインは、ファシストの家の前で、アンジェロに大理石の頭を触らせている(3枚目の写真)。

映画の題名にセントアンナ(サンタンナ・ディ・スタツェーマ)が入っている以上、この時点では “過去” にあった出来事を入れないといけないので、無理矢理パルチザンのリーダー・ペッピを登場させ、彼がファシストの家の老女に過去の悲劇を語るという形で映像化する。ペッピが、以前フルーガー大佐が言っていた “蝶” に該当し、ナチスは、パルチザンの裏切者のロドルフォの手引きで、ペッピをサンタンナ・ディ・スタツェーマを来させ、捕獲する計画になっていた。しかし、荒天のためペッピが行かなかったため、腹を立てたゲアハルト・バークマンSS少佐〔実際は、ゲアハルト・ゾンマーSS少尉〕は 村の教会の前に神父と村人を集め、「お前たちの誰かが、奴がどこにいるか知っている。言うんだ!」と脅す。しかし、誰も知らないので 答えられない。神父は 「皆さん 何も知りません」と訴えるが(1枚目の写真)、SS少佐は 「15分やった。“蝶” と奴の一味の隠れ場所が知りたい」と怒鳴る。「私の命だけでお許しを」。「あと1分やる」。覚悟を決めた神父は、村人をその場に跪かせ、「父と子と聖霊の御名において」に続き、『マタイによる福音書6:9-13』を全員に口ずさませる。祈りが済むと、SS少佐は拳銃を取り出して神父を射殺。すぐに、周囲に配置された軍が村人に対し機関銃を撃ち始める(2枚目の写真)。そして、虐殺が終わった後、瀕死のまま生きている村人がいると、SS少佐は銃で確実に射殺する(3枚目の写真)〔解説に書いたように、この時の死者は560名。このような残虐な行為を命令した将校の裁判が、半世紀後になってようやくイタリアで裁判が始まるのも異常なら、終身刑の判決に対してドイツ側が犯罪者の引き渡しを拒んだのも信じられないし、主犯がいくら認知症だからといって老人ホームで何のお咎めもなく寿命をまっとうしたことも呆れて物が言えない。なぜ、被害者であるイタリア側に、こんな “追及の遅れ” が生じたのか? ある研究論文によれば、「ファシスト対レジスタンスの闘争という閉じた議論の円環」が 虐殺を忘れさせたと分析されている。しかし、加害者であるドイツ側の21世紀に入ってからの対応のひどさに、弁解の余地は全くない。ナチスが、ギリシャで1944年6月10日に起きたディストモの虐殺(ディストモ村の214人が殺害)に対しても、ドイツ政府は責任を完全に否定している。当分、ドイツ映画の紹介は止めることにした〕

虐殺が終わった後、ゲアハルト・バークマンSS少佐と、ロドルフォが責任のなすり付け合いをする。「ここで起きたことはすべて、ひどい間違いだ。お前が悪い。“蝶” を連れて来ると言ったじゃないか!」。「彼はここに来ると言った」(1枚目の写真)。「来なかったじゃないか!」。「あの人たちは、みんな俺の知人で 無関係なのに!」。その時、1人のドイツ兵(ハンス・ブルント)が、2人の少年を匿うように連れて近づいてくる。ドイツ兵は、大きい方の少年に静かにするよう仕草で注意する(2枚目の写真)。口論はまだ続いている。「イタリア人は、約束を守らん!」。「俺は仲間を裏切った。地獄で焼かれちまう」。「役立たずのイタリア人め。覚悟しとけ。償わせてやる!」。その時、大きい方の少年が、いきなり、「ママ!」と叫んで走り出す。それを見たロドルフォは、「アルトゥーロ!」と叫ぶ。アルトゥーロめがけてSS少佐が銃を向けると、ロドルフォは 「やめろ!」と叫ぶが、SS少佐は情け容赦なく少年を殺す。それを見たドイツ兵は、アンジェロを逃がして、「走れ〔Corri〕」と何度も叫ぶ。そして、アンジェロが撃たれないように、SS少佐に向かって、「子供殺し〔Kindermörder〕」と叫んで発砲する。アンジェロは逃げて行く時に、ロドルフォの前で一瞬足を止め、地面に伏せたロドルフォ(3枚目の写真)を睨み(4枚目の写真)、森の中へと逃げて行く。SS少佐は、「裏切り野郎〔Scheiß Verräter〕」と叫ぶとドイツ兵に向かって拳銃を連射するが、幸い当たらず、ハンス・ブルントも逃げることができた〔しかし、その後、最終的にレジスタンスに捕まり、ファシストの家でアンジェロと再会した〕

ここで、映像は、現在に戻り、裏切者のロドルフォがドイツ兵の捕虜ハンス・ブルントを連れて行き、監視にネグロン伍長が付いて行った場面の続きを映す。ネグロンがタバコを吸いながら故郷を懐かしがっていると、そこに隙を見い出したロドルフォがこっそりとハンス・ブルントに近付いて行き、ハンス・ブルントの口を手で塞ぐと同時に、胸元から取り出したナイフで首を刺す(1枚目の写真、矢印はナイフ)〔「あの目が信用できん」と言っていたくせに、気を許したネグロンの大失策〕。その悲鳴にびっくりして振り向いたネグロンの首にも、ロドルフォは切り付け、ネグロンがたじろいた隙に走って逃げて行く。軽い傷を負ったネグロンは、死にかけているハンス・ブルントから何か重要な情報を聞き出せないかと英語とイタリア語とスペイン語で話しかけるが、ハンス・ブルントには理解できずに死んでしまう(2枚目の写真)。ロドルフォは、山の中で待っていたペッピのところに行く。「ドイツ兵はどうした?」。「アメリカ兵に連れて行かれた。だから言ったろ。すぐここを離れよう。ドイツ軍がやって来るぞ」。しかし、ペッピはそんな話には関心はない。先ほどの回想の中で、サンタンナ・ディ・スタツェーマではロドルフォと落ち合うハズだったことを思い出し、それがロドルフォの罠だったことに気付いていたペッピは、多くの村民がロドルフォの裏切りのせいで死んだことを激しく責める。責めるだけで相手の凶暴さを見くびっていたペッピは、ロドルフォの拳銃で撃ち殺される(3枚目の写真、矢印は銃と、背中の銃創)。ペッピが死んだ直後、ロドルフォを追って来たネグロンが死体の横にいる裏切者に向かって、かなり離れた斜面の上から機関銃を乱射するが 一発も当たらず、取り逃がしてしまう。

ネグロンは、村まで走って戻ると 「スタンプス!」と叫び、スタンプスが現われると 「問題発生!」と知らせるのだが、このダメ軍曹は、何が起きたかを訊く前に、「どこにいた? ドイツ野郎はどこだ?」と訊く。「ソクッタレのロドルフォが喉を切り裂きやがった。ペッピも殺した」。「その首どうした?」。「奴は、俺も殺そうとした。奴はダメだと言ったろ」。ダメ軍曹は、謝罪も弁解もせず、「包帯、無線機を取って来い」と言っただけ。しばらくしてノークス大尉が、少数の手下を連れて現れる。アンジェロがぴったりくっついて離れないトレインを見た大尉は 「そのガキを離せ」と命じるが、トレインは 「やってますが、俺と離れたくないようで。いい子ですし。可愛いでしょ?」と反対する。「離せと言ったんだ」。「この子をどうしたらいいか分かりません。残して行けません」(1枚目の写真)「一緒に連れて行きます」。大尉は、それに対して怒って叱るが、トレインは 「この子が可哀想です」と反論。バカにしている黒人の一兵卒から抵抗を受けたため、怒った大尉は 「黙って、ジープに乗れ。こんなとこ、とっとと出てくぞ〔let's get the fuck out of here〕」と命令する。その言葉を聞いたトレインは、“fuck” という汚い表現が入っていたので、「子供の前でそんな言い方をするのはどうかと」と、アンジェロが英語を理解できないことは無視して上官に文句を言う。スタンプスは、トレインが変人だからと弁解し、何とかその場を収める。しかし、そのあと、ノークス大尉が殺されたドイツ兵を見つけると〔村まで運んであったらしい〕、彼はスタンプスに対し、怒鳴り始め、4人とも軍法会議だと決めつける。そして、4人を連れてジープに向かうのだが、その時、トレインがアンジェロを連れて来たので、大尉は離すよう再度命じるが、見かねた黒人少尉が 「本部には空きがあるます」と執り成し、大尉も仕方なく一緒に連れて行くことにし、少尉に少年をトレインから取り上げるよう命じる。しかし、トレインは 嫌がるアンジェロを守るため、近づいてきた少尉を怪力で持ち上げ、首を絞める。スタンプスは、それを止めさせようとし、トレインを撃とうとした大尉には、ネグロンとカミングスが銃を大尉に向けて守る。一種の反乱だ。最終的に、スタンプスがトレインに少尉への暴行を止めさせる。頭にきた大尉は、ふらふらになった少尉と2人の部下と一緒に2台のジープに乗り込むと、4人を村に残して出発する。しかし、その直後、大尉の乗ったジープに砲弾が当たって炎上(2枚目の写真)、2台目の2人も、いつの間にか村の屋根の上に陣取っていたドイツ兵からの銃撃を受けて死亡する。そして、銃口は残った4人の黒人兵だけでなく、集まっていた村人にも浴びせられる(3枚目の写真、手前で撃たれて死んだのは、ファシストの家にいた老婆。右端で頭を抱えているのはレナータ)。この6秒後にアンジェロが映った時には、右肩に赤いシミが映るので、彼も、撃たれたらしいことが分かるが、どういう状況下でおきたのかは主役の1人なのにはっきり映してくれない〔傷の程度も、軽傷なのか、重傷なのか、ワザと分からないように編集している〕

ドイツ軍の銃撃は、ジープに乗った兵士が加勢し、激しさを増す(1枚目の写真)。トレインは、撃たれて気を失ったアンジェロを抱えて教会の前で立ち、カミングス軍曹を呼んでいるうちに、銃弾を2発浴びる。それでも、アンジェロを抱いたまま教会の扉まで歩いて行くと、何とか背中で扉を押して開けると、力尽きて入口に横たわる。カミングスは、屋根の上のドイツ兵を狙撃して殺すと、トレインのところに駆けつける。トレインは、首が動かせないと訴え、「俺の子は生きてるか?」と訊く。「ああ、ただのかすり傷。大丈夫だ」(2枚目の写真)〔これが本当なのか、トレインを安心させるためなのかは分からない。弾が肩を貫通していることは確か〕。「ヘクター(ネグロン伍長)に、この子に十字架をかけてやってくれと」。「OK」。そして、それまで大事に持って来た大理石の頭も 「これを持ってけ」と託す。カミングスは、アンジェロを背負うと(3枚目の写真)、「迎えにくるぞ」と言い、大理石の頭を持って 扉から外に逃げて行くが、村の階段の手前まで走ったところで 右脚に銃弾が当たり、次いで 背中に一発。アンジェロと大理石の頭を路地の隅に隠すと、そのまま出て行こうとして射ち殺される。その後、数十名のドイツ兵が村の制圧に入って行き、ファシストの父と娘のレナータも射ち殺され、その直後にスタンプスも射ち殺される。最後まで残って戦っていたネグロンも、背後から撃たれて階段を転がり落ちる〔死んだわけではない〕

その頃、路地では、不思議なことが起きていた。大理石の頭と一緒に路地に横たわっていたアンジェロの前にアルトゥーロが現われ、「アンジェロ」と何度も声を掛ける。それでも気付かないので、「君はまだ死んでない。目を開けろ。アンジェロ」と言う。目を開けたアンジェロは、「アルトゥーロ、ここはどこ?」と訊く。「そんなこと、どうだっていい。僕たち、行かないと」(1枚目の写真)。「天国に行くの?」。「家に帰るんだ」。「家はどこ?」。「連れてくよ」。「友だち… チョコレートの巨人は?」。アンジェロを助け起こしたアルトゥーロは、路地から出て、教会の扉のところで死んでいるトレインを差し、「彼を覚えておくんだ。僕も、これ全部を。これが 僕らが子供の時に起きたことなんだ〔Sono cose di quando eravamo bambini〕」。そう言うと、撃たれて動けないネグロンのところまで連れて行くと、ネグロンは、首にかけていた十字架のネックレスをアンジェロの首に掛け(2枚目の写真、上の矢印はネックレス、下の矢印は大理石の頭)、十字架にキスさせる(3枚目の写真)。アルトゥーロは、アンジェロの手を取って、路地に連れて行くが、その瞬間に、姿が薄れて消えて行く(4枚目の写真、矢印)。結局、これは、アンジェロの幻想を映像化しただけなのだろうか? それとも、サンタンナ・ディ・スタツェーマで一緒に逃げて、最後に死んでしまったアルトゥーロが、奇跡的に現れて、アンジェロとネグロンを結び付けたのだろうか? 何れにせよ、ドイツ兵が村人を皆殺しにしようと駆けずり廻っている中で、こんな平穏な瞬間があるのは信じられない。そのあと、アンジェロは どこかにいなくなる。

ドイツ兵は村中に入り込み(1枚目の写真)、1人の兵士は、まだ生きているネグロンを見つけて射殺しようとするが、その銃を手で払いのけたのは、この作戦を嫌々命じられたアイヒホルツ大尉。「もう済んだ〔Es ist vorbei〕。負傷者を収容し、死者を葬れ」と命令する。そして、自分の拳銃を取り出すと、グリップをネグロンに向けて差し出す(2枚目の写真、矢印)。そして、英語で、「身を守れ〔Defend yourself〕」と言う。ネグロンは、こんな奇跡は大理石の頭のお陰に違いないと、像にキスする。ドイツ軍が去ってからどのくらい時間が経過したのかは分からないが、アメリカ軍の本隊が村に入って来て、ネグロンはただ一人の生き残りの米軍兵として、担架に乗せられて運ばれる(3枚目の写真、矢印は大理石の頭)。そして、ジープに乗せられたところで、Purple Heart勲章の授与を言い渡される。

そして、映画は1984年1月24日、マンハッタン上級裁判所〔重犯罪の第一審〕に。裁判の初めに当たり、検事と被告と弁護士が立っていて、名前が読み上げられる。「マイケル・デッガー、弁護のための法律扶助」。その時、女性の弁護士が現われ、「マイケル、私に任せて」と言い(1枚目の写真)、ネグロンの横に立つ。検事は、「裁判長、保釈金を200万ドル〔2022年の約563万ドル〕に設定するようお願いします。被告は冷酷に人を殺害し、イタリアから盗まれた有名な行方不明の美術品を所持していました」と述べる。裁判官が、「保釈金の額の提案について、弁護側は?」と訊く。直前に入れ替わった弁護士は、「被告は保釈金を現金で納めます」と発言する。裁判官は弁護士を呼び寄せ、小声で 「ここで何をしてるのかね? エクソン〔エクソンモービル〕が米国郵政公社を買うとでも?」と質問する。「これは、クリスマスの無料奉仕です。クジで選びました」。「まさか。胡散臭い」(2枚目の写真)。「来年、控訴審に任命されることを期待されるのなら、臭いを嗅がないことを勧めます」。この内緒の会話の後で、裁判官は保釈金200万ドルで決定し、保釈金は直ちに支払われ、ネグロンは保釈される。びっくりしたネグロンは、女性弁護士に 「質問してもよろしいか?」と尋ねる。「お望み通りに、ネグロンさん」。「あなたは、誰です?」。「友だちの友だち」。不思議な言葉を残し、彼女は、さっと去って行く。

次の場面は、カリブ海のバハマにあるローズ島の砂浜。1人の黒人がネグロンに寄って来て、友人が待っていると伝える。「友だちは みんな死んだ」。「一人います。あなたの友人は、人生は制御できないことを学んだのです。どこに行こうが、どこに隠れようが、リスクがあると。そして、あなたの友人は、それを変えようとして、シートベルトや安全装置などを発明して、大金を得たのです」。そう説明を受けたネグロンは、遠くにいる “友だち” に向って歩いて行く。ネグロンの目を惹いたのは、あの事件の前まで、ずっと手元に置いて大切にしてきた大理石の頭だった。ネグロンは、像を両手で抱き、「俺だけが一人残された」と泣きながら語りかける。「最後の一人だ」。すると、横のガーデン・チェアに座っていた白人の中年男性が、「あなたは『最後の一人』じゃない」と言うと、首に架けていた十字架のネックレスを外すとネグロンの首に掛ける(1枚目の写真、矢印)。そして、以前、自分がネグロンにされたように、十字架にキスさせる(2枚目の写真)。「小さな男の子がいた。それが私です」。「アンジェロ?」。「アンジェロです」(3枚目の写真)。2人は固く手を握り合い、ネグロンは何度も「アンジェロ」と くり返す。

   の先頭に戻る              の先頭に戻る
  アメリカ の先頭に戻る          2000年代後半 の先頭に戻る