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Blauvogel 青い鳥

東ドイツ映画 (1979)

映画は、イギリス軍に対し、フランス軍とインディアンとが組んで1755年7月9日に戦ったモノンガヒラ(Monongahela)の戦いの時に、イロコイ族によって拉致された9歳のイギリス植民者の息子ジョージが、“青い鳥” という名のインディアンに無理矢理させられるのが発端となっている。映画は、恐らく「原作を読んでいること」が前提となっているためか、北米大陸の先住民の歴史に疎い日本人には、何がどうなっているのか非常に分かりにくい。イロコイ族は主に五大湖地域に住んでいて、フランスはイギリスのように領有権を主張する地域を植民地化せず、そこにフランス人を定住させなかったので、比較的自由に暮らすことができた。それに対してレナペ族は大西洋地域に住んでいたため、イギリス人入植者によって土地を奪われた。特に有名なのは、1737年の 「Walking Treaty(徒歩条約)」 という詐欺によって多くの土地をレナペ族から奪い取り、彼らは難民となってイロコイ族の土地に共存するようになった。映画の中では、体に赤い色を塗ったインディアンが数多く登場するが、彼らがレナペ族であろう。レナペ族は、土地を奪われたことで常にイギリスに対して敵対的であり、モノンガヒラの戦いで、「役立たずの大砲を持ち、インディアンを嫌っていたイギリス軍のブラドック(Edward Braddock)将軍」を大敗に導く大きな要因となった。イロコイ族がジョージを拉致したのは、イロコイ族の一部族の一家の息子 “青い鳥” が死んだので、その代わりの養子が欲しかったためだが、なぜ同じ部族の中で養子縁組しなかったかは分からない。イロコイ族の話す言語はイロコイ語、だから、英語しか話せないジョージは本来全く話が理解できないハズだが、ドイツ映画なので、イギリス人もフランス人のイロコイ族もドイツ語を話すので問題はない。原作では、“マリア” という義姉がいて、彼女は片言の英語が話すことができ、そのため、“青い鳥” となったジョージも、次第に意志の疎通ができるようになる。インディアンで “マリア” は変なのだが、原作によれば、“マリア” が生まれた直後に、奇妙な言葉を話す黒い服の男(宣教師)がやってきて、“マリア” に数滴の水を掛け(洗礼)、“マリア(Maria)” と呼んだからだとされている。ただし、イロコイ語にはRの発音がないので、“Malia” と表記されている。ジョージが舟で村まで連れて来られるところや、イロコイ族の住居が平原アパッチ族のようなティピ(テント)ではなく、大きな長細い木造のハウスだったのは、歴史的にも正しい。そこには、ティピのような少人数ではなく、大勢の家族が同居し、食べ物その他を平等に分け合って暮らしていた。ジョージが “青い鳥” になる時の儀式は、原作ではジョージを裸にし、ただし、腰布を巻き、カラフルな絵の具のような物を塗るのだが、映画では全裸にして真っ黒な軟膏を塗る。その状態で川に引きずり込むのは同じ。そのあと、弓を射たこともない “青い鳥” が、レナペ族の居候の “斜視の狐” にバカにされ、喧嘩で任すのは同じ。しかし、何となく似ているのはそこまで。“青い鳥” はすぐに逃げ出し、森の中で迷うが、映画では偶然見つけた男に連れ戻されるが、原作では、“青い鳥” を養子にしようとした本当の人物、しばらく他所にいた酋長 “小さな熊” によって探し出されて、連れ戻される。そして、その部族長の娘の “マリア” と一緒に、“小さな熊” の部族の居住地 “肥沃の大地” まで、長い旅をして連れていかれるが、映画では、そうしたことは一切ない。映画の中で、観ていて一番理解できない部分が、「“青い鳥” の夢」として語られる奇妙な映像。これは、原作を読んで初めて意味が分かった。それは、“肥沃の大地” までわざわざやってきた “斜視の狐” は、雪の中での狩猟の際、“青い鳥” が歩いた跡を枝の葉で掃き消し、結果として、“青い鳥” は道に迷い、木の空ろの中で一晩を凍えて過ごす(この木の空ろは、映画では、拉致の場面に登場する)。結果的に、“青い鳥” は助かるが、重度の肺炎にかかり、回復に数ヶ月を要した。映画では、何と、また全裸にされ、冷たい水を全身に掛けられ、それで治ったことになる。映画で、その直後にある熊の捕獲シーンは、原作では、かなり後に書かれている。真冬で、食料がなかった時期なので、酋長に褒められ、熊の爪を褒美としてもらう。映画では、“青い鳥” の少年期の最後のシーンとなる、フランス軍による川原にいるイロコイ族の女性達に対する銃撃で、“マリア” を守ろうとして “斜視の狐” が射殺されるシーンは原作では、全く違っていて、撃たれて怪我をしたのは、“青い鳥” と養母。それに、先ほどの熊のシーンはこの後にあるので、少年時代はまだ続く。1763年に、イギリス軍のヘンリー・ブーケ(Henry Bouquet)大佐(スイスの傭兵)が、フランスとインディアン(レナペ族)の連合軍を破り、翌1764年10月に先住民全体に、インディアンが持っていたすべての白人捕虜の返還を命じる条約を締結し、結果として “青い鳥” は入植直後と違い、裕福になった家族の元に帰る。しかし、原作では、そこで受けた屈辱的で長い仕打ちに腹を立て、映画では、それを象徴的に現わした短いシーンの後、もう一度インディアンの家族の元に帰る。あらすじでは、原作と対比して標記したが、原作は入手の容易な「楽天Kobo」の電子書籍(ドイツ語)を使用した。

「青い鳥」役のロビン・イェイガー(Robin Jaeger)に関する情報は何もない。出演作は、この映画のみ。

あらすじ

映画は、主人公のジョージが、渓流で魚をつかみ取りしようとした瞬間、母の「ジョージ!」と呼ぶ声で顔を上げたところから始まる(1枚目の写真)。そのあと、大きくなってからの「青い鳥」のナレーションが入る。「僕の人生には、何度も邪魔が入った〔今の呼び声も「邪魔」の一つ〕時の流れは すべてぼんやりさせ、忘れてしまうこともある。しかし。頭を離れない幾つかの光景が、記憶を結びつける。僕が覚えている限りでは、記憶はいつも、仏英戦争の最初の年のある夏の日から始まる」。ジョージは、山道まで出て、イギリス軍の小連隊が通過して行くのを見ている。そして、その後から母と赤ちゃん、2人の姉を乗せた馬車がやって来る。ジョージは、ゆっくりと進んでいる馬車に上がると、母の横に座る(2枚目の写真)。1匹の犬が馬車を追いかけて行くが、それが、映画では重視されないシュナップという犬であろう〔原作では、もっと重視されている〕。この馬車が向かっているのは、夫と長男が先に出向いて、予め生活環境を整えていた入植地の粗末な家。イギリス軍に守られてやって来た妻と小さな子供達の乗った馬車を見た夫と長男は、迎えに飛び出して行く(3枚目の写真)。原作では、こうした導入部は全くなく、父と兄が民兵会議〔Milizversammlung〕に出ていて留守中のジョージの家が、夜、突然、イロコイ族のインディアン(亀部族〔Schildkrötenfamilie〕)により襲われる。ドアが打ち破られそうになり、屋根には火矢が飛ぶ。母は、銃で応戦し、ジョージは屋根の火が点いた部分に中から水をかけて延焼を防ぐ。いつの間にかインディアンはいなくなり、ジョージが開口部から覗くと、6月の夜のたそがれにそよぐトウモロコシ畑が見えると書かれているので、映画のように未開墾の土地ではなく、植えたトウモロコシがもう育っている。
  
  
  

夫は、「ミルドレッド、ミルクと蜂蜜が溢れる約束の地にようこそ」と手を広げる。そして、妻が馬車から降りると、「ここには塩がある。鹿、松貂(マツテン)、地栗鼠(ジリス)、熊、豚、それに、鳩がいる。肉と毛皮には生涯事欠かん。これ以上ない豊かな土壌。素晴らしい天国だ。強い木々。アカシア、トチノキ、カエデ、ヒッコリー」と、留めなく話す。そして、馬車から降りて来た2人の娘を迎える。最後がジョージ。父は、「ここは天国だぞ」と言って、ジョージを抱き上げる(1枚目の写真)。彼は、さらに、妻に向かって、「イギリスにいたら、ずっと前に飢えて死んでただろう。ここには必要な物は何でもある。パンも自由も」と自慢する〔だから、大量の移民が押し掛け、それまで先住民が暮らしていた土地を平気で奪って勝手に自分の物にしていった〕。イギリス軍は、馬車に積んであった家具などを降ろす手伝いをしている。小部隊の指揮官のアーチーは、父に、「ジョン、冬の間、奥さんと子供たちを砦に置いた方がいいのかもしれん」と言うが、父は、「みんな、この土地に属している」と断る。アーチーは、ジョージにナイフをプレゼントし(2枚目の写真、矢印)、ブラドック将軍に呼ばれていると言って、手伝っていた部下2人を連れて去って行く。後には、まだ荷物の整理のできていない一家が残された(3枚目の写真)〔一家の貧相な丸太小屋の様子がよく分かる。最後から4つ目の節には、大きくなって戻って「青い鳥」が見た、大きな2棟を建て増した家が映っている〕
  
  
  

その後、父、兄、ジョージの3人で、森を焼き払い、残った木を切り倒して馬で運び出す自然破壊の状況が映し出される(1枚目の写真、矢印はジョージ)。こうして、イギリス人の入植者は、森を畑に変えていった。2枚目の写真は、ジョージが力任せに馬を引っ張り、矢印で示した “切り倒した木” のところまで後退させ、木にロープをかけて引っ張らせようとしているところ。9歳の子供に、この労働は過酷だ。3枚目の写真は、一家が揃ったテーブルで、母が、旧約聖書の第2章の8,9節をつかえながら読み上げている。「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた」。ここで父が、「エデンの園、そこは楽園なんだ、ジョージ」と教える。「また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた」。母は、勉強のために ジョージに読ませようとすると、ジョージは、「どこまで森を切るの?」と母に訊く。それを聞いた父は、「山の上にあるカエデ、他のすべての木の上にそびえ立つ巨木が見えるか? そこまで伐採する」と教える。「ここは、楽園なの?」。今度は母が、「そうよ、ジョージ」と言い、ジョージは、聖書を読まされる。ジョージは、単語を1つずつ、とつとつと読み上げる。
  
  
  

父は、実際に畑になる場所を体験させようと、ジョージを連れて家からカエデの木まで歩く。父の足で306歩。1歩で2畝らしく、「612の畝だ」と言う(1枚目の写真)。さらに、「この木が根づいた頃、イギリスはまだ産声を上げていた。それは、そのイギリスで俺は小作農だった。40年間だぞ、ジョージ。それが、今や、俺が主人だ。612畝の農園のな」。まだ残る木の向こうには、家が見える(2枚目の写真)。それだけ言うと、父は、「ここで待ってろよ」と言い残し、森の方に歩いて行く。「その瞬間、僕は、本当に楽園にいた。父は正しかった」。ジョージは、すぐ下に生えていたベリーを1つ取って食べてみる。そして、2つ目に手を伸ばした時、濃い色の手がジョージの腕に向かって伸びて来る(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

訳の分からないうちに、ジョージは両手を縛られ、その縛ったロープから延びる2本のロープに引っ張られて、森の中を走って拉致される(1枚目の写真、矢印はロープ)。相手は、森に慣れたインディアンなのでスピードも速く、9歳の子供にとっては辛くて恐ろしい体験だ。ジョージは、木の幹にぽっかりと開いた室(むろ)の中に入れられ、声を出さないよう、口に白いものを入れられ(2枚目の写真、矢印は白いもの)、室の蓋が閉じられる〔理解できないのは、両手は縛られていない。白いものは口に入っているだけ。吐き出せるし、自力で無理でも、両手を使えば取り出せる〕。そして、インディアンはいなくなる。息子が消えたので、心配した父が、銃を持ち、長男を連れて探しにくるが、ジョージは声が出ないので(??)、居場所が分からない。そのうちに、兄がジョージのものと思われる何かが落ちているのを見つけ、父に知らせる(3枚目の写真、矢印)。この拉致の経緯は原作と全く異なる。原作では、入植者からなる民兵会議は、ブラドック将軍の部隊が荒野を進軍するための道を切り開くために、国境地帯の各家族が道路建設〔Wegebauabteilung〕に2人の男性を出さねばならないと決定。父は家族を守るために必要なので、兄と9代のジョージの2人が参加することになる。もっとも、9歳の子に土木作業はできないので、ジョージが馬に乗れることから連絡係となる。連絡係はペアで行動し、アーノルドと行動中、いきなり3本の火矢が飛んできて、ジョージも右足に傷を負って落馬する。亀部族のインディアンは死んだ馬の下敷きになったジョージを引きずり出し、激痛に意識が薄れる中、別の馬に3日間乗せられ、フランス軍のドゥケイン砦〔Fort Duquesne〕に連れて行かれる。そこの診療施設で医者の手当てを受けた後、英語でブラドッグの民兵組織について尋問を受ける。ジョージが砦に着いてから6日目、モノンガヒラの戦いでブラドッグ将軍が敗れ、砦は戦勝ムードに溢れる。戦闘に参加したレナペ族の戦士達は、長い棒の先にイギリス系の頭皮を付けて勝利を祝い、あるいは、捕虜にしたイギリス兵を棒に縛って火刑にする。イギリス人のジョージは、自分の命もないと覚悟するが、そこに1人のインディアンが現われ、「私の小さな兄弟の気分が良くなったら、インディアンと一緒に行き、彼自身 “赤い人” とならねばならない。彼は死んだ息子の代わりに養子にされる」と知らされる〔ジョージは、英語しか分からないので、誰かが通訳した?〕。フランス軍は、インディアンの助けを借りて買ったので、敵軍のすべての捕虜を要求したインディアンにノーとは言えなかった。モノンガヒラの戦いの3日目の朝、インディアンがジョージを迎えに来る。川岸には2隻の大型カヌーが泊っていて、ジョージは1隻目に乗せられる。
  
  
  

翌朝、ジョージは馬に乗せられる(1枚目の写真)。馬を引いていたのは、レナペ族の少年 「斜視の狐」。ジョージは森の中からイギリス兵達が逃げるように出て来るのを見ると、足で「斜視の狐」の背中を蹴って地面に倒し、馬を全速で走らせてイギリス兵に方に向かい、イギリス人の入植者だと叫んで助けを求める(2枚目の写真)。しかし、モノンガヒラの戦いで大敗して敗走中のイギリス兵は、そのまま走り続ける。馬から降りたジョージはイギリス兵に、「インディアンだよ!」と叫んで追うが、聞く耳を持たない(3枚目の写真)。
  
  
  

そして、前方の窪みから、待ち伏せしていたフランス軍が現われ、イギリス兵は直ちに手を上げて降参する。そこに、昨日ジョージを拉致したレナペ族が、馬を引いてやって来る(1枚目の写真)。ジョージは、フランス兵に、「ブラドック将軍に会いたいよ」と言うが、問題にされない(2枚目の写真)。そこで、今度は降伏しているイギリス兵の方に行くが、「運が悪いな。あれはフランス軍だ。将軍は戦いに負けた」と教える。そして、ジョージはレナペ族に連行される(3枚目の写真)。4枚目の写真は、ドゥケイン砦の前で、イギリス兵が火刑にされる様子。体が黒いのは、灰のようなものを体に塗られているから。そして、5枚目の写真は、カヌーに乗せられたジョージの目の前で頭皮を剥ぐインディアン〔倒した敵の頭皮を剥ぎ、戦利品とするのが一部の部族の習慣だった〕〔ところが、イギリス人の入植者達は、大西洋岸に住むインディアンを根絶やしにしたり、服従させたりする手段として、インディアンの頭皮狩りを行った。こちらの動機は、インディアンのそれとは違い、単に残虐で非人道的なだけ。当時のイギリス人というのは、何という卑劣で野蛮で唾棄すべき存在だったのだろう(『先住民とアメリカ合衆国の近現代史』(2022)より)〕
  
  
  
  
  

カヌーに乗っているシーンは僅か。「僕は 戦争の真っ只中にいた。フランス人とインディアンが イギリス人を殺すのを見た」と言う短いナレーションのあと、川沿いに建てられた亀部族の長細い木の家が見えてくる。原作では、カヌーに乗せられてから「4 日目の午後」になって、ようやく「2つの切妻屋根の小屋」が現れる。家が終わった辺りに多くのインディアンが川原に立ってカヌーを見ている(1枚目の写真、右端に長細い家の一端が見える。正面に見える丸太小屋は家ではない)。ジョージはカヌーから降ろされると、集まった住民の間を通り抜け、3人の怖そうな中~老年の女性の前に出る。3人は暴れるジョージを連れて、若い女性と、少女〔将来の義母と義姉〕が待っている場所まで連れて来られる(2枚目の写真、矢印は捏ねると真っ黒になる物)。若い女性は、手元に置いてある柔らかいものを混ぜ合わせるように捏ね始める。原作では、ジョージは、一人の女性によって、家の中に連れて行かれる。その女性について、ジョージは、話す言葉は全く理解できなかったが、顔は善意で溢れ、狭い額と広い頬の間の2つの黒い目は、気さくで優しかったので、ホッとする。長細い家の中央には廊下が真っ直ぐ反対側の端まで通っており、両側には幾つものドアがあり、優しい女性は、そのうちの1つにジョージを連れて行くと、おいしい夕食を食べさせてくれ、疲れていた彼はすぐに眠ってしまう。因みに、この女性は “ふっくら雲”。ジョージの叔母にあたる人物だ。ジョージは、3人のよって着ているものをすべて剥ぎ取られる(3枚目の写真)。若い女性が捏ねている物は、真っ黒になっている。そして、それを裸になったジョージの体に塗り始める(4枚目の写真)。原作では、翌朝、“ふっくら雲” が服を脱ぐよう身振りで示し、ジョージは、ズボンとジャケットを脱ぎ、彼女は、ジョージの下半身を腰布で巻く。それから、多くの壺からそれぞれ色の違う絵の具を取り出して、ジョージの体に塗る。だから、黒一色ではなく、カラフルだ。顔を含めて全員真っ黒にされたジョージだが、色が自然に抜けたのか、あるいは、一旦誰かが拭き取ったのは分からないが、次に、無理矢理に川まで連れて来られた時には、体は少し黒ずんでいる程度(5枚目の写真)。ジョージは、3人によって、何度も水中に押し込まれ、きれいに洗われる。とにかく、やり方がすごく荒っぽい。原作では、ジョージは3人の女性によって川に連れて行かれるが、3人はジョージと同じくらいの年頃の女の子。ジョージは、溺れさせられると思って全力で抵抗するが、その時、英語で、「あんたには何も起きない」と言われたので抵抗を止め、後は、3人がジョージを擦って絵の具を完全に落とす。因みに、英語で話しかけたのは、ジョージの義姉になるマリア。
  
  
  
  
  

次のシーンでは、ジョージは、インディアンの衣装をまとい、全身に、レナペ族の戦士にように赤い色を塗られて焚き火の前に一人で座っている(1枚目の写真)。この長細い家は、原作と違い、中は一つの広い空間になっていて、ジョージがいるのは、その真ん中。すると、大勢の人がジョージの横にやって来て、長細く立ち並ぶ。そして、白髪の男が、「我らが祖先から伝わる古い言い伝えによれば、今日から、お前の血管から白い血が一滴一滴洗い流されるであろう。お前の肉は我らが肉、お前の骨は我らが骨になる。我らは、我らが息子や娘を愛するように、お前を愛する。我らは、彼らと同じように お前を守る。お前は、イロコイ族の一員となり、“亀” の家族に加わる」と宣言する。そして、立ち上がると、「我が孫よ。お前は迎え入れられた。今や、その霊が 死後の世界で安らいでいる少年の代わりとして。彼の名は “青い鳥” であった。だから、お前も “青い鳥” となる」。そう言うと、前に進み出て、手に持っていた細い帯サッシュを首にかける。次に、先ほど荒っぽい扱いをした3人の女性が前に立ち、それぞれ短い言葉をかけ、何かの入った籠を、1つずつ “青い鳥” の前に置く。その時、3人目の最も年長の女性の言った言葉は、「あなたのお母さんは “真昼の太陽”、お父さんは “小さな熊”、お姉さんは “マリア” です」と教える。次に “青い鳥” の前に立ったのは、母と父と姉。“真昼の太陽” は、「あなたは、体や魂、年や姿が死んだ息子とそっくり。あなたは彼です」と笑顔で言い(2枚目の写真)、手に持っていた何かを床に置く。“小さな熊” は、「私が歳を取り、偉大なる魂が私を呼ぶ時が来ても、戸口には草など生えていない。お前の母が年老いたら、誰かが世話をせねばならん」と言って、何かを置く。最後になった “マリア” は何も言わずに物だけ置く。本来なら、“青い鳥” は何一つ理解できないハズだが、映画ではインディアンもドイツ語で話しているので、“青い鳥” は理解している。儀式のあと、食事が提供され、祖父が首にかけたサッシュを付けたまま、“青い鳥” はお椀に入った料理を貪るように食べる。しかも手づかみで(3枚目の写真)。原作では、ジョージの祖父ではなく酋長が 「お前の肉は我らが肉、お前の骨は我らが骨になる…」と、映画とほぼ同じ言葉で、ジョージを仲間として受け入れる。そして、小さな斧、火打石が入った毛皮の袋などを贈る。酋長の言葉は、彼について来た知人が、Rの発音のない英語で、逐語的に通訳してジョージに理解させた。そして、その後に、ご馳走がもらえるのも映画と同じ。ただし、大きな違いは、ジョージの父と母。原作の設定では、“亀” の家族の家で、ジョージを迎えたのは、“煙った日” と “ふっくら雲”。“マリア” はジョージの姉になる少女だが、“煙った日” と “ふっくら雲” は “マリア” はジョージにとって叔父と叔母にあたる人物。ジョージが息子として欲しくて “亀” の家まで連れてこさせたのは、この集落から歩いて1週間くらい離れた “肥沃な大地” という部族の酋長の “小さな熊”。彼の妻が “真昼の太陽”、娘が “マリア”。しばらく経って、“小さな熊” は、ジョージと “マリア” を自分の部族に連れて行くために現れる。その先の話は “肥沃な大地” が舞台となる。しかし、それでは複雑になってしまうので、映画では、舞台を “亀” に固定し、叔父と叔母を両親にし、名前だけ原作に合わせて “小さな熊” と “真昼の太陽” にし、“マリア” も2人の娘にしている。
  
  
  

翌朝、目を覚ました “青い鳥” のすぐ横に “マリア” が座っている。そして、目を覚ました “青い鳥” が驚いて体を起こすと、「弟の夢を見た?」と訊く(1枚目の写真)。“青い鳥” は、「僕はあんたの弟なんかじゃない!」と言うと、乱暴に起き上がると、壁に掛けてあった “アーチーからもらったナイフ” を首からかけると、長細い小屋の中でいろいろな作業をしている女性達の間を通って出入り口に向かう。「僕にとって、これはまだ戦争だった。見知らぬ場所に連れて行かれ、敵に囲まれているように感じた」。原作では、ジョージは疲れていたので、空腹で目が覚める。そして、近くにいた “マリア” に、「お腹空いた」と声をかける。“マリア” は、「お腹空いた? なら、食べなさい。バカね」と言い、ジョージを 3人の女性が調理中の大釜のところに連れて行く。「“マリア”、大釜は僕たちのものじゃない」。「でも、お腹空いてる」。「そうだよ」。「なら食べて」。ジョージは、食べ物を盗むんじゃないかと躊躇したのだが、“マリア” は、「私たちは、まず、男たちが食べ、それから女と子供が食べる。お昼ころまでは。他の時間は、誰でも、欲しい時に食べられる」と教える。別の日、別のこともマリアから教えられる。「倉庫にあるものは、“亀” の家族のもの。誰もが好きなだけ持っていける」。ジョージが、「誰かが、全部取っちゃったら?」と訊くと、「バカね。誰もそんなことしない。みんな、必要な量だけ取るの」と言う。きわめて平等な社会だ。弓と矢の話はそのあと。“青い鳥” が出入り口から外に出ても、誰も止める者はいない。1匹の犬が寄って来てじゃれ付こうとするが、最初は追い払う。それでも、くっついてくるので、最後は犬に任せるが、友だちになった訳ではない。“青い鳥” の木の枠の横を取り過ぎようとすると、そこが弓の練習場だったため、的に向かって弓矢が刺さる。“青い鳥” が驚いて前を見ると、そこには10人を超える子供たちがいて、その中で弓を射た少年がニヤニヤした顔で “青い鳥” を見ている。“青い鳥” は、少年達とは逸れて歩いて行こうとするが、弓を射た少年が中心となって、“青い鳥” の前に移動して行く手を遮る(その間、犬は、“青い鳥” から離れない)。少年は “青い鳥” の前に弓と矢を置く。そして、「“青い鳥” は鋭い目と強い腕を持ってた」と言う。“青い鳥” は、仕方なく弓と矢を拾い、標的目がけて矢を放つが(2枚目の写真)、弓など持ったことがないので、的を完全に外し、子供達に笑われる(3枚目の写真)。少年は “青い鳥” から弓を奪うと、「お前は、彼の名にふさわしくない」と罵倒する。原作では、「子供たちは朝、いつも、弓の練習のために集まった。“斜視の狐” は家の壁に赤い点を描き、射手は朝食の前に的に3度当てないといけなかった。最初の1週間、ジョージはほとんど失敗し、笑い声が絶えることはなかった」と書かれているので、映画のシーンは忠実だ。
  
  
  

その直後、少年は、枝を曲げて作った輪を転がし、先ほどまで “青い鳥” に甘えていた犬は、その輪を追いかける。すると、少年はその犬を弓矢で貫いて殺す(1枚目の写真)。怒った “青い鳥” は少年に襲いかかり、胴体の上に跨ると、少年の顔を 両手を使って交互に殴る(2枚目の写真)。十数発以上殴られた少年は気絶して動かなくなる。そして、周りを見回して大人の男がいないのを確かめると、すぐ近くの岸に置いてあったカヌーの一隻に乗り(3枚目の写真)、そのままカヌーを漕いで逃げ出す。原作では、弓で笑われた場面からしばらくして、このような一文がある。「レイズタウン〔Raystown、入植地の地域名〕のスピッツ〔Spitz〕と同じように、額に2つの白い斑点があったため、ジョージは狼狩りの猟犬うちの1匹を「シュナップ〔Schnapp〕」と呼んだ。少年がシュナップにパンや骨のぶつ切りを与え始めると、犬は際限のない愛情を示すようになった」。少年と犬は、映画と違い、大の仲良しになる。そして、その後、映画と同じ悲劇が起きる。“斜視の狐” が映画と同じように、シュナップを弓矢で殺したのだ。ただ、少年と犬は仲良しになっていたので、怒りは、映画よりももっと激しいものだった。「“斜視の狐” の鼻と口から血が噴き出し、締め付けられた喉はゴロゴロと音を立てた」。子供達は大人を呼びに行ったが、怒り狂ったジョージから “斜視の狐” を救い出すのに苦労した。ジョージは、シュナップを “マリア” に手伝ってもらって埋葬し、その後は、一日中何も食べなかった。翌朝、叔母は ジョージを “マリア” と一緒に森に木を取りに行かせる。そして、マリアが木を持っていなくなると、ジョージは逃げ出す。カヌーではなく、歩いて逃げる。
  
  
  

カヌーで川を下るシーンで一番美しいのは、一面の水草の上を滑るように下る場面(1枚目の写真)。この直後、カヌーは河床の岩にぶつかって川と直角になり、“青い鳥” の前に岸辺の木々が立ち塞がり、彼は渓流に落ちる。カヌーは転覆し、“青い鳥” は何とかカヌーにつかまって岸に這い上がる。その後は、森の中を走っていくが、やがて疲れて斜面に崩れるように倒れる。すると、何故か、その近くにいた “小さな熊” が立ち上がると、“青い鳥” に向かって歩いて行く(2枚目の写真)〔なぜ、“小さな熊” がそこにいたのかは謎〕。次のシーンで、“青い鳥” はうなだれて長細い家の出入り口から中に入って行く。「僕は、その日のことで何も責められなかった。彼らは黙っていた。僕は、逃げられないと悟り、囚人のように感じた。そして、彼らの習慣を身に付けようと決めた」(3枚目の写真)。原作では、ジョージは森の中で道に迷う(大人達が、ジョージがいなくなったことに気付くのは夕方)。正午を回った頃、暑くて疲れ果てたジョージは、木陰にしゃがみ込み、“煙った日” はきっと自分を殺すだろうと慄く。立ち上がったジョージは、蛇の群れに足を踏み入れそうになったり、また走り出したりするが、朝から何も食べていなかったので(途中でつまんだベリー以外)、暗くなる頃には、お腹が減って苦しくなる。火打石も置いて来たので、火も点けられない。そこで、ジョージは木に登って太い枝の上に横になり、ベルトで落ちないように体を縛って眠ろうとするが、痛みに耐えられなくなって枝から折り、木の幹にもたれて座り込む。暗闇に響く色々な音にジョージは悩まされる。そして、夜が明け、何とか立ち上がると、次第に暑くなる森の中を、正午まで足を引きづって歩く。ジョージの意識は乱れて行き、空想と現実が交錯する。そして、ふと見上げると見知らぬインディアンが彼の前にいた。彼は、ジョージの頬を優しく撫で、パンと冷たい加工肉を食べさせてくれる。そして、ジョージがよろめきながら立ち上がると、男は彼を背負い、ジョージは心地良く眠ってしまう。彼が目を覚ますと、そこは “亀” の家の前だった。“マリア” は喜んで叫び、叔母は抱き締め、叔父は新しい犬をプレゼントしてくれる。そして、ジョージが逃げ出したことについては、一言も言われなかった(ここだけ映画と同じ)。翌朝、ジョージが、“マリア” に、「昨日、僕を連れ戻した男の人、誰だか知ってる?」と訊くと、「私の父さん」と言われる。そして、父は、昨日、南への旅から戻って来て、ジョージがいないのを知ると、探しに出かけたと教えられる。この父が、正真正銘の “小さな熊”。ジョージの父だ。
  
  
  

“青い鳥” は、父と “斜視の狐” と、レナペ族の2人と一緒に大木の影に隠れている。父は、「あなたを殺すが、怒らないでください。あなたは賢いから、私たちの子供たちが食べなくてはならないことが分かるでしょう。子供たちは、あなたを愛し、あなたの体を喜んで体に入れます」と言うと(1枚目の写真)、銃を撃つ。銃で撃たれた牡鹿はその場で倒れる。“青い鳥” を除く4人は、殺した鹿のところまで行くと、父が何かを手に持ち、鹿の上に手を伸ばす(2枚目の写真)。その先は、殺した鹿のリアルな解体作業。観ていて気持ちが悪くなる。“斜視の狐” が鹿から取り出した直径30cm、厚さ10cmくらいの丸い物(ネットの写真から判断して、脾臓、肝臓、心臓の順で何れか)を 調理係の “マリア” のところに持って行き、大きな椀の中に入れる。そこに、レナペ族の2人が、銃で撃った鳥をそれぞれ1羽ずつ持ってやって来る。すると、“マリア” は、焚き火の上に掛けた鉄の容器から、煮えた肉片を取り出して4人に渡し、自分でも1個取る(“青い鳥” は待っているがもらえない)。しばらくして、父が、食べ残した小さな肉片か、あるいは、何か意味のある小さな丸い物を “青い羽” に差し出す(3枚目の写真、矢印)。ここで、「自らを主張する時が来た」というナレーションが入る。そして、“青い鳥” は差し出された物を受け取るのを拒み、後ろに置いてあった銃を取ると、銃口から火薬と弾丸を入れ、焚き火から1本燃えている枝を取ると、一人で狩りに出かける。そして、大きな兎を仕留めて戻ってくる(1枚目の写真、矢印)。原作は8章まであり、かなり長く、ドイツ語なので、全部を読んでいる時間がない。全文にざっと目を通したのは4章までで、その範囲には、このような部分はなかった。5・6章の 「肥沃の土地」での部分は、選択的にしか見てないので、どこかに書いてあるのかもしれない。映画は、かなり不親切な構成なので、原作との対比がないと理解できない部分が多く、この場面もその一つ。インディアンが、動物を殺す前に、命を奪うことへの感謝の念を伝える部分まではよく分かるが、その後の行動が良く分からない。
  
  
  
  

翌朝、オノンダガ族のインディアンが現われる。イロコイ族を含むイロコイ連合の5つの部族の1つ。そして、なぜか “青い鳥” に向かって、「私は友だち」と言う(1枚目の写真)。「あなたが、僕の友だち?」。男は、持参した狐の皮を “青い鳥” の前に置く。そして、“青い鳥” に対し、「命の主は、あなたに偉大な力と勇気を与えた」と言い、後ろに立っている父に向かって、「あなたの息子は、大きな、大きなオレンダ(力強い力)を持っている」とも。そのあと、父、“青い鳥”、“マリア”、“斜視の狐”、2人のレナペを交えた7人で、昨夜の焚き火の前に座る。オノンダガは、「もうすぐ冬になる。雪がたくさん降る」と言う。ここで、2人のレナペが立ち去る。父は、煙管に火を点けて客人に渡し、オノンダガはそれを吸う(2枚目の写真)。そして、「どうもありがとう」と煙管を返す。「あなたが来られて、私は幸せです」。「私は行かないと」。ここで、“青い鳥” が、「もう行くの?」と訊く。オノンダガは、父に別れの言葉を言って、立ち去る。“青い鳥” が 「どこに行くの?」と声をかけるが、彼は何も言わずに歩いて行く。“斜視の狐” は、「森の中では、どこに行き、どこから来たのかは訊かないんだ」と “青い鳥” に行って、オノンダガと一緒に行く。ここも、原作には、ないような気がする。そもそも、何の意味があるのか分からないシーン。なぜ、載せたのか? それは、次のシーンがあるから。
  
  

「もうすぐ冬になる」と言っていたのに、父と “マリア” と “青い鳥” は全裸で水の中に入っている。そして、子供2人は、水を掛け合って遊ぶ(1枚目の写真)。そのあと、父は “青い鳥” を持ち上げると(2枚目の写真)、「笑ってるのか? 次は、一緒に泣くことになるぞ」と言い、そのまま水面に放り投げる。水浴が終わった3人は、すごく小さな島のような場所に焚火で作る。父が、素手で魚を捕まえ、それを焚火で焼く。“マリア” は、「地面は、すべてを運ぶ亀。空はすべてを守る鷲。人々はその間にいる」と、“青い鳥” に教える(3枚目の写真)。ここも、原作には、ないような気がする。
  
  
  

そして、水浴の次は、本格的な冬。父と “マリア” と “青い鳥” は、深い雪の中をフランス軍のドゥケイン砦まで行く(1枚目の写真)。父は、交易商人に売るための大量の毛皮を運んでいる。そして、まず向かった先は、外川商。酒を飲んでいる商人は、“青い鳥” を見ては、「可愛いお子さんですな」、さらに、「奥さんも美しいんでしょうな」とおだて、真面目な父は、「甘いことを言うのはやめよう」と、商売の話に持って行く。商人は、毛皮を縛っていた紐を切り、1枚、2枚と数えて行くが、アカギツネを見て関心する(2枚目の写真)。父は、「こんな美しい奴は滅多にいない」と言うが、商人は、「鼻づらと足は純白ですな」と言って笑う。父は、「あんた、笑うと歯がキーキー言う。だから、隠すために顔を毛(髭)で隠してるんだ」と怒ったように言うと、ここでは売るまいと、毛皮を縛り始める。商人は、「取り引きとは関係ない。俺も生きてかないと」と、それを必死に止める。原作の後半で、インディアンに対するフランス人の態度が悪化した頃の場面がよく似ている。それは鷲族の “立った雄鹿” が、プレスク・アイル〔今のメイン州〕で受けた被害。彼が、鼻づらと足に銀灰色の毛が数本あるだけの見事な黒狐を売ろうとした時、商人は安いビーバーの金額しか払おうとしなかった。そこで、怒った “立った雄鹿” が売るのを止めようとすると、商人はアルコール度の高い酒を飲ませ、酩酊状態にして安く買い取った。翌朝、本人が “青い鳥” に助けを求めに来たので、“青い鳥” は商人に購入の取り消しを要求し、相手は怒鳴ったが、今後は一切売らないと言うと、相手は折れた。その際、商人が怒鳴るのに使った言葉を父の “小さな熊” に訊かれ、“青い鳥” は恥ずかしくて言えなかった。それは、「このインディアンの犬野郎め」という差別用語だった〔この差別用語は、何と、今でも使われている! アメリカは何という国だろう。先住民からすべての土地を奪っておいて、未だにこのような暴言を吐くとは〕“青い鳥” が暇そうにしていると、そこに、フランス人の少年が寄ってきて、「何て名前?」と訊く。「君は?」。「アルフォン。君は?」。“青い鳥” は言いたくないのか、「アルフォン」と下を見て呟く。それを、“青い鳥” の名前だと思ったアルフォンは、「アルフォン? 僕と同じ?」と訊き、そこに、母が呼ぶ声がしたので、「家に帰らないと」と言い、一緒に来るよう誘う。
  
  
  

アルフォンの母は、息子が風変わりな少年を連れて来たので、“青い鳥” の背中に優しく手を置くと、「あなた、名前は?」と訊く。すぐに、息子が、「僕と同じアルフォン」と言うが、母親が “青い鳥” の頬を手で包むと(1枚目の写真)、「僕はジョージ。ジョージ・ラスターです」と答える。母親は、きっと、イギリス軍との戦いの時に、インディアンに引き渡された可哀想な子供に違いないと思い、「イギリス人なんでしょ?」と訊き、最大限の優しさで食卓に連れて行く〔アルフォンを呼んだのは、昼食のため〕。母親が食前の祈りを終えると、“青い鳥” はナイフとフォークを使っておいしそうに肉とジャガイモを食べ始めるが(2枚目の写真)、その時、ドアがノックなしにギーっと開き、父と姉が顔を覗かせる(3枚目の写真)。原作には、このシーンはない。次の場面では、3人は、“亀” の家に帰って来る。父は、毛皮を売ったお金で買った銃を “青い鳥” にプレゼントする(1枚目の写真、矢印)。“青い鳥” は心から喜ぶ。
  
  
  
  

そして、家の中のシーンに変わる。赤い色を塗った男たちも含め、家の中は大勢の人で埋まっていて、それぞれが食べ物を持ってむしゃぶるように食べている。中で、前に一度出て来た “青い鳥” の祖父だけは、鹿の頭骨を真っ赤に塗っている。そのすぐそばで、“アンナ” は “青い鳥” に何かを食べさせようとするが、“青い鳥” は嫌がって食べようとしない。今度は、母が、別の食べ物を差し出すが(1枚目の写真)、“青い鳥” は、「この一週間、食べてばかり」と言って、食べようとしない。母は、「食べるの。残してはいけない。動物の霊を怒らせないように」と言う。それを聞いた父は、「私が愛する3つのこと。それは、女性、夢、そして 食べ放題の会だ」というと、祖父が真っ赤に塗った鹿の頭骨を “青い鳥” に渡す。次のシーンでは、鴎外の木の枝に、多くの鹿の頭骨がぶら下げられていて、“青い鳥” も長い棒の先端に、先ほど渡された頭骨を付け、それを枝に掛けようとする。しかし、うまくいかないので、秋に現われたオノンダガ族のインディアンが、代わりに掛けてくれる(2枚目の写真)。そして、「あなたが新たな肉体をまとい、また鹿になれますように」と言う。この後、“マリア” は、“青い鳥” に、「オノンダガからの使者は、いつも私たちに戦いをもたらしてきた」と教える。原作にはない。
  
  

家の中に戻ったオノンダガは、一人立ち上がると、細い帯サッシュを頭上に掲げ持ち、「兄弟たちよ。命の主は、この豊かな土地を 私たちの祖先と私たちに与えて下さった。しかし、目の前に敵、イギリス人がいる」(1枚目の写真)「未知の世界から来た奴らが、私たちの森を燃やし、狩り場を壊し、祖先の墓を荒し、私たちの尊厳を侵している」と、新たな行動を呼びかける。それに対し、ジョージを最初手荒に扱った3人の女性のうちの最年長者が、「私たちは、いわれなく熱狂はしません。数週間前、あなたは、私たちの男を率いてフランス人と戦った。今、あなたは、イギリス人と戦おうとしている」と、好戦的な姿勢に反対する。オノンダガは、「白い怪物〔白人〕には頭が2つある〔フランス人とイギリス人〕。彼らが赤い男に友好的だという話は聞いたことがない」と言い(2枚目の写真は、その話を聞いている “青い鳥”)、「イロコイ族は自由な男。各自が自分の心に従って行動できる」と、戦いを煽る。そして、何人かの赤い戦士が立ち上がる〔立ち上がらない戦士もいる〕。オノンダガは、戦うことを決めた戦士に、一緒に戦いの踊りをするよう求める。“斜視の狐” は、“青い鳥” が座ったままなのをからかってから、顔に灰をこすりつけると、踊りの輪に加わる(3枚目の写真)。原作にはない。
  
  
  

次が、理解を越えた部分。①“マリア” は “青い鳥” に、「狐は 初めての頭皮を手に入れるつもりよ」と教える。②“青い鳥” は父にもらった銃を持って、雪原を走って行く。「彼は、僕を嫌っていた。激怒が僕を森に行かせた。狐〔“斜視の狐”〕を殺すために」。③“青い鳥” は木の室(むろ)の中に隠れ、銃を構える。そこに、オノンダガに率いられた10名ほどの戦士が現われ、中には “斜視の狐” もいる。④“青い鳥” は撃とうとするが撃てない。すると、場面は、家の中で寝ている “青い鳥” に変わる。目を覚まして起き上がった “青い鳥” は、祖父と母と “マリア” に向かって、「あれは、夢だったんだろうか」と言う(1枚目の写真)。そして、3人に連れて行かれながら、「僕、長いこと病気だった?」と訊く。「長かった。息子よ」。結局、①~④は、“青い鳥” が持つ “斜視の狐” への憎しみがもたらした悪夢だったようだ。原作では、2章の終わりに ジョージと “マリア” は “小さな熊” と一緒に旅に出て “肥沃の大地” に着く。3章は、真冬の “肥沃の大地” での楽しい暮らしが延々と語られるが(映画に無関係な内容)、3章の最後に “斜視の狐” が “肥沃の大地” に移って来る。そして、4章の3分の1くらいのところに “肥沃の大地” の悪だくみが書かれている。それは、晴れた日が続いたあと、食料が不足しているので、大勢で山に行き動物を狩ろうとする。その時、“青い鳥” はアライグマの足跡らしきもののある獣道を見つけて、跡を追って行く。その時、“斜視の狐” は木の枝を折って、全員の足跡を消してしまう。そして、“青い鳥” 以外は別の足跡を追って行く。“青い鳥” はアライグマの巣を見つけるが、そこにはアライグマはおらず、巣に上がることもできなかった。その時、急に激しい吹雪が襲い、家に戻ろうとするが、途中、みんなと別れた場所までは足跡で戻れたが、そこから先、足跡が消えていたので道に迷う。夕方になり、急に暗くなったので、“青い鳥” は大きな木の根に「ひじの先から中指の先端」くらいの隙間があるのに気付き、中に、犬のシュレップと一緒に逃げ込み、開口部を枝で塞いで雪が入ってこないようにする。一晩中、嵐が吹き荒れる。翌朝、外に出ようとした “青い鳥” は、腰の高さまで積もった雪が枝を押し固めたため、出られなくなる。理由の分からない “青い鳥” は恐怖で押し潰されそうになるが、全力で押すと、朝日が中に入って来る。“青い鳥” は太陽の向きで方角を知り、深い雪の中を苦労して歩き、正午に家まで辿り着く。全員が大喜びするが、“青い鳥” は突然寒くなり、横になる。“青い鳥” は重度の肺炎で、回復までに数ヶ月かかった。“斜視の狐” が憎しみの対象となる、木の割れ目から中に隠れる、病気になる、の3点で似ている。ただ、“長い病気” の後の対処法は、映画では、余程子供を全裸にしたいのか、サウナのような蒸気室に入れ(2枚目の写真)、そこから零下の屋外に出させ(3枚目の写真)、正面から水をぶっかけ、全身が濡れた状態で上から毛皮を被せる(4枚目の写真)。これでは、治りかけの病気も悪化する。
  
  
  
  

“青い鳥” は、「お腹が空いた」と言い出す。すぐに “マリア” が小さな物を渡すが、到底足りない。もっと要求すると、「私たちは、みなお腹が空いてる。今は、食べる物が乏しい」と言い、祖父も 「わしは、毎年飢えに苦しんでおるが、それでも生き残った」。その言葉を受けて、“青い鳥” は、木の板で作った 「かんじき」 を履き、銃を持って猟に向かう。すると、途中で、大きな足跡を見つける(1枚目の写真、足跡が幾つも見える)。その足跡の上を歩いて行くと、その先の低い崖に気付かず転落し、そのまま転がって行き、さらに、穴の中に滑り込む(2枚目の写真、矢印の方向に滑り落ちる)。底にいたのは、何と冬眠中の熊。“青い鳥” は、銃を向けて撃ち殺す(3枚目の写真、矢印は熊)。原作は全部で8章まであり、7章で “青い鳥” は青年になっている。映画のこの部分は、何と6章の4割程度のところにある。“青い鳥” は熊の穴に落ち、冬眠中の雄の熊の目の間に銃口を向けて引き金を引く。ただ、雄熊は重すぎて動かすことは不可能。そこで家に帰って母に報告すると、大きな家の中で歓声が響き渡り、最強の男たちが熊を運ぶべく出発する。映画では、熊を撃ち殺した後、熊をどうやって運んだか、そのニュースに “肥沃の大地” が如何に沸き立ったかへの言及はなく、「僕が村に戻ると、戦士たちは戻ってきた。彼らは、死んだ男を運び、“斜視の狐” は頭皮を掲げていた」とのナレーションとともに、その映像が入る(4枚目の写真、矢印は頭皮)。なので、時間的には、オノンダガが戦士を連れて出かけてそれほど日数が経っていないことになる。“青い鳥” の病気も、「長かった」と言っても、原作のように数ヶ月ではなく1週間以内だったのであろう。
  
  
  
  

“青い鳥” は、父や母に 「熊を撃ったよ」と言うが、“マリア” は、「夢を見るのは、お腹が空いてる時に、いいわね」と侮辱。父は、何と言ったか訊き直し、“青い鳥” が 「熊を撃ったよ」とくり返すと、「お前が熊をか?」と訊き、「そうだよ、僕」と答えると、「本当に殺したのか?」と言う。インディアンの会話としては不自然で、原作のように、すぐに歓声が上がる方が自然。なぜ、疑うのだろう? きわめて不愉快な父と姉だ(母が黙っているだけ)。その後、なぜか信用して熊を取りに行き、そのあと、祖父が “青い鳥” と “斜視の狐” に対し、お褒めの言葉をかける(1枚目の写真)〔敵の頭皮を持ち帰ることと、飢えに苦しんでいる時、熊1頭の肉を供給することの重要性が同列とは思えない〕。ナレーション:「ザルツバッハ〔塩の渓流〕で、僕は “斜視の狐” と友だちになった」。原作では、“青い鳥” は記念に18個の熊の爪をもらい、それを首にかける。映画では、友達になった2人が気に登って遊ぶ姿が映る(2枚目の写真)。“斜視の狐” は、キツツキの開けた穴に手を突っ込んで抜けなくなり(3枚目の写真、矢印)、“青い鳥” がナイフで穴の周りを広げてやる。原作にはない。この時、“青い鳥” 遠くの林の中で煙が立ち昇るのを見つける。。
  
  
  

ここからが、“青い鳥” の少年時代最後のエピソード(映画では)。“青い鳥” は煙の方に枝から枝に飛び移って行き、最後は、6人のフランス兵が休んでいる所に、いきなり真上から着地して驚かせる(1枚目の写真)。「どこから来たんだ?」。“青い鳥” は真上を指差し、「そこだよ」と言う。「ここで、何してる?」。もう1人が、「空から降って来た」と言い、全員が笑う。「僕たち塩を煮てる」。原作によれば、この辺りに、ザルツバッハ〔塩の渓流〕があり、それを大釜で煮詰めると、塩が黄色い粒になって付着する。内陸のインディアンが塩を入手する貴重な手段。“青い鳥” が複数形を使ったので、1人が、「僕たち?」と訊き返す。“青い鳥” は “亀” と答える。当然、通じない。「亀?」。「亀だよ。イロコイの」。これで、フランス兵にも、亀が部族名など分かる。そこで、元々、悪意を持ってここにやって来たフランス兵は、おどけた口調で、「川のほとりには、そんな亀が何匹くらい這い廻ってるんだい?」と訊く。「半ダースぐらい」。「雄か雌か?」。「“マリア”、僕の甲羅(こうら)。ほとんど雌だよ」。「だが、君は、亀じゃないだろ?」。「うん、亀じゃないよ」。「どこから来た?」。「国境」。「そうか、君は、イギリスの入植者だな。一緒に来るか?」。もう1人が、「その前に、まず、亀のスープをつくらないとな」と言う(2枚目の写真)。そして、全員が銃を持って立ち上がる。この時になって、“青い鳥” は、ようやく、容易ならぬ事態だと気付く。
  
  
  

“青い鳥” は、今までの調子をそのまま続け、笑いながら、亀のように這いながら斜面をゆっくり下って行く。フランス兵たちは、亀の真似に腹を抱えて笑う。その隙に、一番下の石ころの斜面まで降りた “青い鳥” は、叫びながら走り出す(1枚目の写真)。川原にいた女性達は、その叫び声で、一斉に上を見上げる(2枚目の写真)。フランス兵は、ようやく事態に気付き、急いで “青い鳥” を追い始める。“青い鳥” は草むらの中に潜り込んで行き(3枚目の写真、矢印)。だから、兵士達が来た時には、姿は全く見えない。それでも、腹を立てた兵士達は、草むらに向かって一斉に射撃する(4枚目の写真)。その音は、逆に、下いた亀族にはいい警報になった。
  
  
  
  

女性達は、塩水を煮詰めている大釜を放り出して、一斉に逃げまどう(1枚目の写真)。少数の男達は馬を連れて逃げたり、銃を持っている者は来襲に準備する。“青い鳥“ は茂みから逃げ出すと、川原を走って、段差の所に隠れている父と “斜視の狐” の間に潜り込む(2枚目の写真、矢印)。川原に銃を持ったフランス兵どもが走って現れる。悪漢は3人が撃ち殺される。しかし、銃声に怯えて暴走し出した馬のロープが “マリア” の足に絡みつき、彼女は、川原のごろごろした石の上を馬に引きずられて悲鳴を上げる。それを見た “斜視の狐” は、危険を顧みず、追いかけると、馬と “マリア” を繋いでいたロープをナイフで切ることに成功するが(3枚目の写真、矢印)、その直後に撃たれて倒れる。怒った “青い鳥” は、撃った奴を、撃ち殺す(4枚目の写真)。最後の1人も父に落ち殺され、残った3名のフランス兵は逃げ出す。安全になると、“青い鳥” は “斜視の狐” に向かって、父は、娘に向かって走って行く。父は、娘を出して去り、“青い鳥” は、“斜視の狐” が死んでいるのを確かめると、自分のナイフを取り出し、ロープ切った直後に撃たれてナイフを落としたため、空になった胸の鞘に、そのナイフを入れる(5枚目の写真、矢印、上の矢印は “マリア”)。「この日、僕は、時が癒せないほど心の傷を負った」。原作では、5章の最後にある。6章の熊よりも前だ。映画のようにコミカルな導入部はなく、いきなり、川原の女性達が銃撃を浴びる。しかも、卑劣な攻撃を仕掛けたのは、フランス兵ではなく、イギリス人の民兵達。“青い鳥” の母は肩に重傷を負い、“青い鳥” も映画とは違い足を撃たれる。幸い筋肉を裂いただけで、骨には当たらなかった
  
  
  
  
  

場面は、女性達が、「新しい火、新しい光、新しい命」と声を合わせて歌うように唱える前で、仮面を被った男達が踊るところから始まる。男達は家の中に入って行く。「夏が7回、冬が7回過ぎ、僕はイロコイ族の男になった」。仮面を取ると、大きくなった “青い鳥” が現われる(1枚目の写真)。「戦争は終わった〔1764年〕。イギリス人はフランス人に勝った。今、イギリス兵が、僕たちの村の前に立っている。彼らは、すべての白人捕虜の返還を要求した。僕も、いかないと」。その後の、家族の話し合いの中で、母が、「私の息子は、別の人生に戻らないといけないの?」と発言し、父は、「私は、イギリス人に斧を振り上げたことなど一度もない」と、不公平な命令に不満を洩らす。祖父は、ハサミを持ち出し、「ここに、2つのナイフが、2 人の戦士のように向き合っている。ナイフは、お互いを破壊するものだが、ここでは、お互いをこするだけだ。しかし、間に何かを入れるとすぐに、ナイフはそれを細かく切り刻む。2つのナイフは、イギリス人とフランス人だ。そして、私たちは、とうもろこしの葉なのだ」と、状況を的確に表現する(3枚目の写真)。そして、カヌーに乗せられた “青い鳥” は、村人全員の沈黙の別れを受け、レイズタウンに向かう。
  
  
  

“青い鳥” と父は、ピット砦(かつての、フランスのドゥケイン砦)までやって来る(1枚目の写真)。そして、父に常(とわ)の別れを告げる(2枚目の写真、矢印は父)。兄がジョージを迎えに来ていて、家まで連れて行く。古い家は残っていたが、大きな2棟が両脇に建てられ、耕作地は広がり、多くの牛も飼われていた(3枚目の写真)。
  
  
  

ジョージは、そこで、母、2人の姉、別れた当時赤ちゃんだった弟と顔を会わせるが(1枚目の写真)、弟は、インディアンの格好をしたジョージに玩具の銃を向けて、パン、パンと言うような嫌なガキだった(2枚目の写真、矢印)。馬から降りたジョージに、今度は、姉の1人が、「野蛮人の男には、奥さんがいっぱいいるのよね」と言い、母に叱られる。ジョージは、最後に父のところに連れて行かれる〔父は、なぜ迎えに行かなかったのだろう?〕。父は、ジョージを歓迎するが(3枚目の写真)、不思議なことも言う。「俺は、お前にまた会える日を待ち望みながら、木を見ていた」。そして、広大な耕地の先に1本だけ残ったカエデの大木を指して、「覚えているか?」と訊く。それは、ジョージが拉致される直前に、父が「山の上にあるカエデ、他のすべての木の上にそびえ立つ巨木が見えるか? そこまで伐採する」と言っていた木だった(4枚目の写真)。そして、「明日、木を切り倒せ」と言う。
  
  
  
  

ジョージは、部屋に連れて行かれ、インディアンの格好を丁寧に外す(1枚目の写真)。そして、家族の待つ食堂に現れた時には、イギリス人の服になっている(2枚目の写真)。ここでも、本当にジョージのことを思って行動しているのは、母親だけ。彼女は、「私たちは、7年間、あなたを待っていた。お互いにとって辛い7年だった」と言うと、ジョージの前に置かれた “バースデーケーキのようにロウソクの7つ点いた丸いケーキ” を指して、「ろうそくを吹き消して、悪い記憶を消すのよ」と、思いやりのあるハプニングをさせる。しかし、ジョージが戸惑っていると、悪ガキが勝手に吹き消してしまう。ジョージがケーキを口に入れて、考え込んで食べていると、悪ガキがまた玩具の銃を向ける(3枚目の写真)。怒った母は、銃を叩き落とす。ジョージは立ち上がり、そのまま部屋に上がって行くので、母が後を追う。そして、すぐベッドに入れるよう布団をめくると、ジョージの額にキスし(4枚目の写真)、「よく眠りなさい、ジョージ」と言って出て行く。ジョージが、窓から見下ろすと、7年前にあったオンボロ家屋には4人の黒人奴隷が住まされている。
  
  
  
  

翌日、家族全員がカエデの木の前に集まり、神父が、「木を切り倒す前に、神に感謝し、主の祈りを捧げましょう」と言う。神のことを知らないかもしれないと思った母は、「天におられる、私たちの父なる神よ」と囁く。ジョージは、インディアンの格好をして、帽子だけ被っている。そして、1人木の前に立つと、木に話しかける。「木よ。あなたは、私の先祖たちの木です。私は、あなたを傷付けるために ここにきたのではありません」(1枚目の写真)「あなたは私がよそ者だと知っています。あなたは最も偉大な謎です」と言うと、父の前で一瞬立ち止り、そのまま、急ぎ足で去って行く。それを見た母は、「ジョージ!」と悲鳴のような声で呼び、ジョージは足を止め振り返る。しかし、また早足で歩き始める。ジョージが戻って来ないと思った父は、自分で斧を振るって木を切り倒し始める(3枚目の写真)。その頃には、“青い鳥” の姿は、もう小さくなっている。戻ってからのジョージは、原作と全く違っているので、敢えて対比はしないが(映画の方がすっきりしていて良い)、最後には 「肥沃の大地」 に戻り、暖かく迎えられる。
  
  
  
  

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