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Les orphelins de Duplessis (TV) デュプレシスの孤児たち

カナダ映画 (1997)

カナダの最大の汚点とも言える「デュプレシスの孤児たち」を、いち早く映画化した作品。この悲劇を最初に世に知らしめたのは、ポーリン・ギル(Pauline Gill)の著作 『デュプレシスの子供たち〔Les Enfants de Duplessis〕』(1991)。そして、翌1992年に「デュプレシスの孤児の委員会〔Comité des orphelins de Duplessis〕〔現在のCODVA 「虐待された孤児の犠牲者の委員会(Comité des orphelins victimes d'abus)」の前身〕がスタートする。1993年に集団訴訟が起こされたものの、1995年に却下される。この映画が撮影されたのが1996年だとすれば、それが如何に先鋭的なチャレンジであったかよく分かる。1997年1月、ケベック州のオンブズマンDaniel Jacobyの報告書『デュプレシスの子供たち〔Les Enfants de Duplessis〕』を受け、同年11月にはカナダ連邦法務大臣のAnne McLellanが「州が管理・支援・資金提供した施設での子供達への身体的・性的虐待に対する救済策〔les moyens de réparer les sévices physiques et sexuels infligés à des enfants placés dans des établissements dirigés, financés ou parrainés par l’État〕」をまとめるよう指示する。ケベック州政府は謝罪し、30万ドルの基金を「デュプレシスの収容男女孤児委員会〔Comité des orphelins et orphelines institutionnalisés de Duplessis〕」に設け、個人に対する補償は行わないことを決定する。一方、同じ時点で、ケベックの司教達は、謝罪も金銭的補償も拒否する。何という恥知らずな連中だろう!! ここでは資料の存在の紹介だけに留めるが、「デュプレシスの孤児たちとの和解の国家的プログラム〔Programme national de réconciliation avec les orphelins et orphelines de Duplessis〕」の中でまとめられた2003年6月20日のレポート(https://www.mtess.gouv.qc.ca/publications/pdf/ACCES_9_Rapport_Comite_Multipartite_Juin2003.pdf)を見ると、聖職者ではない男性警備員ではなく、修道女が少女に性的暴行を加えている例まである。なのに、謝罪すら拒否するとは ! その後、2010年4月2日に、モントリオール大聖堂の前で、生き残った元孤児たちがデモを行い、「LA PRESSE」「LE DEVOIR」などの新聞に大きく取り上げられた。しかし、その見出しの1つは、「カトリックの教会は、聖職者によって虐待もしくはレイプされた子供たちに、教会が有する膨大な財産の中から、そのごく一部を使ってすら補償することを拒んだ」とある。そして、その状況が現在までに変わったというデータは1つも見い出せなかった。カナダ全部ではなくても、少なくともケベックの司教達は、とても人間と言うに値しない。煉獄に落ちるがいい!! 一方、ケベック州政府の方は、2001年6月30日、「デュプレシスの収容男女孤児委員会」に、「デュプレシスの孤児たちとの和解の国家的プログラム」の制度の元で、1人当たり1万ドル、及び、毎年1000ドル(ただし、上限は両方合わせて25000ドル)の補償金を出すことで合意に至る。2006年になると、ケベック州政府は、訴訟を行わないという条件付きで2600万ドルの補償を追加した。しかし、存命する3000人以上の孤児にとってみれば、両方合わせても、1人2-3万ドル〔≒160~240万円〕くらいの “はした金” では、”台無しにされた人生” の補償にはほど遠い。この映画を観ると、カナダがG7に相応しい国とはとても思えなくなる。

この映画ほど、紹介を初めて、「しまった。やらなければ良かった」と思った作品はない。それは、内容ではなく、あまりにも貧弱な英語字幕の存在〔フランス語字幕は存在しない〕。それは、英語そのものが目茶目茶で、誰かが耳で聴き取ったフランス語を機械翻訳、それも、現代のGoogle翻訳ではなく、恐らく1997年当時の低レベルのものを使用したと推測され、意味不明の文章が頻出するからである。それ以外にも、困ったことは山ほどあった。まず第一に主役のジュリアンの姓。何と 「Fairy tale」となっている。「お伽話」? 実は 「Leconte」。映画の中では、それを聞いたフランソワが、「嘘だろ?」と言う。なぜかと言えば、フランソワは、「Le conte(物語)」と聞き間違えたから。英語字幕は、その聞き間違いをそのまま踏襲し、しかも、余分に「Fairy」まで付けている。重要な役の神父は 「Monsieur Labet」。これでは 「ラベさん」になってしまう。正しくは、「Monsieur l'Abbé」。定型句で「神父」という普通名詞。礼拝堂で、院長が枢機卿からの手紙を受け取る場面では、「From arhieparhii?」となっているが、こんな単語は存在しない。「archiprêtre(主席司祭)」か「archdiocese(大司教区)」の間違い。一番手を焼いたのは、「The worst thing in the "Provincial" continues to publish articles that "acetic urine."」という台詞。そのまま訳せば、「最悪なことは、プロヴァンシャル紙が、この “酢酸尿” を連載し続けていることです」となる。この部分で使われているフランス語は、ヒヤリングで聴き取ると、「pisse-vinaigre」。直訳すれば「酢酸尿」だが、フランス語では 「ひねくれ者、気むずかしがり屋」という意味。ところが、英語の「acetic urine」には「酢酸尿」という意味しかない。如何に、劣悪な機械翻訳かが分かる。神父が行った厳しい説話に対し、院長が口にした重要な言葉は、英語字幕では 「OpustoÅŸjonno, msÑŒe aʙʙat, sovsem opustoÅŸjonno」。この部分のヒヤリングによる聴き取りは 「Désolant Monsieur l'Abbé. Tout à fait désolant」なのだが、これでは “謝って” いるになる。しかし、院長のその後の対応は全く逆。だから、聴き間違いで、別のことを言ったのかもしれない。修道院の改修工事で、ジュリアンたちがバスに乗り、残されたガブリエルに対してロゴが吐く言葉。「Go, hydrochloric elsewhere」。この「hydrochloric」には全く手が出なかった。ただ、それを聞いたマリーが、「ロゴさん、この子を そんな風に呼ぶのを禁じます」と言うので、余程ひどい意味だと思い、「hydrocéphale(脳水腫患者)」から「ノータリン」と訳してみたが、この部分のフランス語は、私には聴き取り不能で、少なくとも「hydro」云々と言ってはいない。こうなってくると、意訳よりもっと悪い想像訳になってしまう。だから、この映画の紹介では、そうした怪しい部分が多過ぎ、困惑してしまった。本当に「やらなければ良かった」。それでも途中で放棄しなかったのは、日本人の恐らく99%は知らないこの恐ろしい出来事の全容を、いろいろな人に知って欲しいと思ったからだ。

前置きが長くなったので、内容紹介はごく簡単に済まそう。映画は、非嫡出子として修道院の管轄する病院で生まれたジュリアンという架空の人物の目を通して、「デュプレシスの孤児たち」という “悲劇” の渦中に置かれた11歳の少年が、高校生程度の年齢〔高校生と書かなかったのは、学業を一切受けられなかったため〕になるまでを描く。ジュリアンが11歳になって連れて来られた「神の国修道院」には、ロゴという乱暴な男性補助員はいたが、マリーという優しい修道女の管轄下で、それなりに幸せな環境にあった。ただ、思ったより生徒たちの学業は進んでおらず、読み書きができる生徒はほとんどおらず、明らかに知恵遅れと思われる生徒も1割ほど混ざっていた。そんな環境に大きな変化が起きる。それも、ジュリアンやマリーですら知らされないうちに。その発端は、第二次大戦の後に連邦政府が目指した国民の健康レベルの向上政策にあった。そのため、一般病院や精神病院の建設が推奨された。ケベック州の首相デュプレシスは、新規の病院建設の代わりに、カトリックの修道院が管轄していた孤児院を、精神病院に変えることを思いつき、孤児院には孤児1人当たり0.70ドルしか支給せず、狂人には2.50ドルを支給するよう政策を転換する。赤字を抱えた孤児院を何とかするため、モントリオール大司教から初めて枢機卿になったレジェは、積極的に孤児院の精神病院化を推進する。生まれた時から捨てられたジュリアンのような少年は、行き先がないので、精神病院になった後の修道院で週7日、毎日12時間、無給で働かされる(1955年から)。もちろん、勉学時間はゼロ。しかし、ジュリアンは、事態が悪化する前に、孤児院の惨状を視察に来た新聞記者から偶然 記者手帳をもらったことで、自分の思ったことを手帳に書き綴るようになる。こうした状態が4年続き、ジュリアンが青年になった時、大事件が持ち上がる。11歳の時に修道院に来た時からの親友フランソワが、ロゴに虐待を受け、怒ったフランソワがロゴに瀕死の重傷を負わせ、鍵を盗み、ジュリアンを誘って “監禁状態” の精神病院化した修道院から逃げ出そうとしたのだ。彼は逃げたが、ジュリアンは逃げなかった。そのことが幸いし、これまでの贖罪感からマリーはジュリアンを まともな孤児院に移そうと決心する。そして、悪化する一方の精神病棟に見切りを付けた神父に伴われて、新しい人生へと旅立つ。

ジュリアン役は、フランス系カナダ人なので、フランス流に発音すればロランス・アークエット(Lawrence Arcouette)。しかし、Lawrenceはフランスではローラン(Laurent)になるので〔ジョンがジャン、マイケルがミシェルになるように〕、なぜLawrenceのままかは分からない。1983年12月18日生まれ。TVでの放映はIMDbでは1999年となっているが、これは完全な間違い。「Le JOURNAL DE MONTRÉAL」の2020年6月20日付けの、このTV映画の再放送に関する記事では、映画は1997年の製作で、ジュリアンは11歳という設定だと書かれている。これなら、1983年生まれのロランスが演じていても、おかしくはない〔1996年の撮影なら、12月生まれなので12歳〕。ロランスは、1996年からTVシリーズを中心に活躍した子役だが、唯一YouTubeで入手できたのは、『Captive』という1998年10月に放映されたTV映画の映像のみ(下の写真)。明らかに、この映画より年上だ。
  

あらすじ

カナダで一部(妊娠の継続による生命の危険ばある場合)の中絶が合法化されたのは1969年、女性の権利として合法化されたのは1988年。従って、ジュリアンが生まれた1940年代後半には禁止されていた。映画の冒頭、非嫡出子を妊娠した若い母親は、処置に困って修道院を訪れる。彼女は、何枚もの紙にサインさせられる。「署名なさい。私たちが罪を犯した時、私たちは自問し、罪の赦しを祈ります。何をためらっているの? タダなのよ」。さらに別の紙も。「これは、あなたがここに6ヶ月滞在するためのもの」。「6ヶ月?」。「あなたの贖罪のためですよ。祈りと奉仕で、罪を償うのです。負債ね」。こうして、彼女は、その紙に何が書かれているか読むことなく署名させられる。弱い立場にある者が、契約書の約款を読まずにサインすることは、相手に悪意がある場合極めて危険な行為だが、彼女は、これらの紙にサインしたことで、後々最悪の事態に追い込まれる。それから1年後、修道院の赤ちゃんベッドが10数個置かれた部屋に、養子希望の夫妻が10組ほど訪れ、気に入った子がいないかを探している。ある上品そうな女性は、黄色の服を着せられて泣いている赤ちゃんに魅かれる(2枚目の写真)。そこには、ファーストネームだけが「ジュリアン」と書かれ、生まれた日は9月16日〔残念ながら、何年かは不明〕となっている。女性はジュリアンが気に入ったのだが、夫は、既に息子がいるため女の子を望んでいた。そこで、強く反対する。女性は、引き取れなかった お詫びにと、自分のイニシャルが刺繍してあるハンカチをジュリアンに渡す(3枚目の写真、矢印)。結局、その後も ジュリアンに引き取り手は いなかった。
  
  
  

横に「REFUGE DE SAINTE-CROIX(神の館)」と書かれたバスが、同じ名前が掲げられた大きな建物の前に停まる(1枚目の写真)。非常に詳しい資料(http://www.orphelinsdeduplessis.com)によれば、デュプレシスの孤児たちが入れられた施設は7つ。その何れの建物も1枚目の写真とは合致しなかった。そこで、一例として、モントリオールにある1950年に完成したLe Mont-Providenceという施設(現在はRivière-des-Prairies病院)〔解説で述べた “2003年6月20日のレポート” で、被害報告が一番多い〕のグーグル・ストリートビューでの外観を示す(2枚目の写真)〔他の施設も だいたい同じ〕。上記の “非常に詳しい資料” によれば、問題が起きたのは1953年から54年にかけてなので、このシーンは1953年。バスから降りたジュリアンが “学校” を見上げる(3枚目の写真)〔資料には、保育園を出ると6-7歳で送られたと書いてあるので、本当は、ジュリアンの年齢では大き過ぎる〕。ベッドが並んでいる大部屋の前まで連れて来られた新入り達を前に、修道女のマリーが簡単な挨拶をし、あとは世話係のロゴに任せる。このロゴは、孤児院で育った男で、「デュプレシスの孤児たちの苦難と虐待〔Le Calvaireet le bourreaux des orphelins de Duplessis〕」「性奴隷の歴史〔Histoire d’esclaves sexuels〕」などの恐ろしいキャッチフレーズで知られる最もダークな部分を担う悪役〔この映画は、トップからボトムまで悪役だらけ〕。ロゴ:「これから、ここでの規則を話す。大部屋を一歩でも出たら、廊下だろうが どこだろうが、走ること、笑うこと、大声で話すことは絶対に許さん。お前たちは、それぞれ ベッドと棚を持てる。トイレと廊下での飲食は禁止。見つけ次第厳罰に処す。夜は8時消灯。話すことはもちろん、囁くことも許さん」。あまりの厳しさにジュリアンは不安になる(4枚目の写真)。
  
  
  

夜が近づき、ジュリアンは 宝物の入った缶の中から、刺繍入りのハンカチを取り出し、枕の下に入れる(1枚目の写真、矢印)。しかし、それを陰でこっそり見ていたのが、この大部屋の “主” 的存在で、体の大きなフランソワ。目が合うと、フランソワは 「何て名だ」と訊く。「ルコント〔Leconte〕」。「嘘だろ〔Le content de mensonges〕?」〔フランソワは「物語〔Le conte〕」と誤解した/英語字幕も「物語〔Tale〕」になっている〕。「ジュリアン・コントだ」。「どこから来た?」。答えない。「中に何を隠した?」。答えない。フランソワは 枕の下からハンカチを盗み出すと、「枕の下にハンカチ隠すなんて、女の子だ!」と冷やかし、仲間の間でハンカチを投げ合って、ジュリアンに渡さないようにする。ジュリアンは必死に取り返そうとし、床に落ちたハンカチを、フランソワの手下ガブリエルと奪い合ううちに破れてしまう。そこに、マリーが来て一発で騒ぎを沈める(2枚目の写真、矢印は破れたハンカチ)。「いったい何が起きているの!?」。ガブリエルが、「た、助け、お、起こそうと」と嘘を付く〔ガブリエルには若干の知的障害があり、普通に話せない〕。マリーは、嘘を簡単に見破り、「何て残酷なの? 新入りの子には優しくしてあげないと」と叱る。そう言いながら、破れたハンカチを手に取る。ジュリアンのすがるような眼差しを見たマリーは、ジュリアンを部屋に連れて行き、ハンカチの破れを縫って直す(3枚目の写真、矢印)。「誰のハンカチ?」。「ママの。カトリーヌって名なんだ。カトリーヌ・コント。僕にくれた」。「お母さん?」〔ジュリアンは非嫡出子なので、母のハンカチを持っているハズがない〕。マリーは「嘘付きは嫌いよ」と言いながら、縫い終わったハンカチをジュリアンに渡す。
  
  
  

場面は、ある新聞記者の家に変わる。妻が、夫の書いた記事を読み上げる。「『デュプレシス首相が、ケベック州を神の祝福を受けた土地だと主張する一方で、12000名の捨てられた孤児たちは孤児院で苦しんでいる』」。「こんなにたくさん?」(1枚目の写真、矢印は記事)。「正確な数字だ」。「『孤児院の子供たちは、書くどころか読むこともできない。これらの施設における拘禁的環境と学業の遅滞という極度に劣悪な環境が、精神薄弱を生み出していると言っても過言ではない。疑問は一つ。この欺瞞はいつまで続くのか?』」。「これって糾弾に思えるわ。告発だとも。これ、確かなの?」。「告発でも何でもない。この通りのことが起きている」。そして、場面が、“授業” 風景に。若い修道女ジャンヌが教壇に立ち、自分の前に一脚のイスを置き、「ドミニクの左。くり返して」と言う(2枚目の写真、矢印はイス)。イスが、修道女の右に立っている生徒ドミニクの左側〔生徒から見て〕にある、ということを言わせようとしている。上記の新聞記事の「学業の遅滞」は、これほどまでにひどい。読み書きができないので、右と左という言葉を耳で教えようとしている。あまりにバカらしいので、最後列のジュリアンは 机の中に置いてあった本を読んでいる。次に修道女は、イスをドミニクの右に持って行き、「イスは どちら側?」と訊く。その時、口をポカンと開けた生徒のクロースアップが映される。明らかな知的障害だ。修道女が、最後列の1人の生徒を指名すると、彼は 「分りません、シスター」と答える。ジュリアンのハンカチを破ったガブリエルが、「イ、イスの、よ、横です、シスター」と言い、笑い声が起きる。「いいえ、右よ」。そして、何度も、左と右を生徒に言わせながら、机の間を最後尾まで歩いて行く。すると、本を読んでいるジュリアンに気付く。「ジュリアン、それ面白い?」(3枚目の写真)。「はい」。その本は、Paul Mongourの『フランスのすべての子供達へ〔A tous les enfants de France〕』(1955)という本〔この映画の舞台は、1953-54年なので矛盾している〕。ジュリアンは、「でも、どちらが左で右かは知ってます、シスター」と弁解する。そのあとのシーンで、ロゴが生徒達を二列縦隊に並ばせ、意味もなく大部屋の中を行進させる場面があるが、フランソワが先を歩くジュリアンの足に 自分の足を引っかけて転ばせるという “虐め” のシーンがある。
  
  
  

ジュリアンが、木のロッキングチェアに座って 木製のヨーヨーにヒモを巻き付けていると、フランソワが、「俺のイスからどけよ」とイチャモンを付けてくる(1枚目の写真、矢印は赤いヨーヨーとヒモ)。後ろに立っているのは、いつもの手下のガブリエル。ジュリアンが無視すると、「俺のイスだ」と くり返す。ジュリアンが仕方なく別のロッキングチェアに移動すると、今度は、ガブリエルが 「こ、これ、ぼ、ぼくのだ」と言い、ジュリアンは大部屋から出て、中庭に面した回廊(2階)のロッキングチェアに座る。フランソワは、しつこく付いてきて、隣に座ると、「それ、どこで手に入れたた?」と訊くや否や、さっと取り上げ、中庭の手すりから下に向かってヨーヨーを投げ、何度もアップ・ダウンした後で、中庭に落とす。ヨーヨーは木製で、真ん中が切れ込んでいるので、2つに割れてしまう。怒ったジュリアンは フランソワにつかみかかるが、相手の方が大きいので勝負にならない(2枚目の写真)。部屋からフランソワの悪さを見ていたマリーは〔フランソワを止めなかった〕、喧嘩が始まると すぐに出て来て、「2人とも、何をしているのです? 地下室に 狂人たちと一緒に閉じ込められてもいいの?」と脅す。そして、フランソワには、「夕食は抜きですよ」と罰を重くするが、暴力を振るったことは同罪とみなし、順番に自分の部屋に連れて行き〔部屋から、ガラス越しに大部屋が見える〕、ズボンを下げさせ、手で何度もお尻を叩く(3枚目の写真)。
  
  
  

夜、知的障害度の高いドミニクに、フランソワがベッドメイキングの仕方を教える。端部が雑だったので、端部を三角形に折るよう教える(1枚目の写真、矢印)。何度も「三角形」と教えるが、ドミニクが理解したとは思えない。その様子をフランソワが、典型的なアイアンベッド越しに見ている(2枚目の写真)。それに気付いたジュリアンは、柵のすぐ近くまで行くと、「僕を悩ますことをやめてくれれば、みんなにとっていいことなのに」と話しかける(3枚目の写真)。
  
  
  

翌朝の新聞の一面の下部に、「ケベックの孤児たち」という記事が掲載される(1枚目の写真)〔この新聞の発行日を特定しようとしたが、「LE PROVINCIAL」という新聞は、ケベックに存在した記録はなく、一面トップの「エール・フランスのエアバス(aérobus)の□□:死者41名」(□□は 見えない箇所)という記事にしても、死者41名もしくはそれを超える事故が1950年代にエール・フランスで起きたことはないので、架空の見出し。ただし、「エアバス」という表現は、1919年にパリ~ロンドン間を飛んだLe Goliathという14人乗りの、“当時としては超大型” の飛行機に対しても使われているので、1974年のエアバスA300以前でも不自然ではない〕。すると、1つの部屋に4人の人間が映る。右端に修道士のマルティノ、左端のソファには、ジュリアンのいる修道院の院長(修道女)と神父。マルティノが2人に向かって力を込めて話す。「この記事は、プロヴァンシャル紙のギ・ガニェが書いたものです。そして、閣下を憤慨させました。とりわけ、年初にローマから凱旋帰国され、枢機卿になられた直後でしたから。閣下がこれほど怒ったのを、私は見たことがありません。最悪なことは、プロヴァンシャル紙が、この “pisse-vinaigre(ひねくれ者)” を連載し続けていることです。わが国に多くの孤児がいるため、記者としての誘惑にかられた彼が、こうした記事を書いたものと 我々は考えています。これは、社会現象かもしれませんが、ガニェの悪意は際立っています」。そして、2人の背後に行き、新聞の問題箇所を読み上げる、「『我々に顔を向けたすべての蒼白な子供たちは、自由でのびのびしたところが全くなく、いわば植物状態の人間だった。そうなった原因は、子供たちが世の中から忘れ去られているからでしかない。愛情の完全な欠如だ』」(2枚目の写真、矢印)。その間、同席していた枢機卿は、まるで無関心な態度で、窓の方を眺めている。その時、老いた修道女が部屋をノックし、マルティノに、「州首相からお電話です」と伝える。「閣下は、執務室から電話される」。そう言うと、マルティノは 手持無沙汰な枢機卿のところまで行き、「州首相からお電話です」と伝える(3枚目の写真)。枢機卿は、2人に手を差し出し、指輪にキスさせると、何も言わずに部屋を出て行く。この枢機卿こそ、ポール=エミル・レジェ(Paul-Émile Léger)。1950年にモントリオールの大司教となり、1953年1月12日に、モントリオールの大司教として初めて枢機卿になった実在の人物。枢機卿が席を外した後、神父は 「言うまでもないことですが、私たちには如何なる責任もありません」と言う。マルティノ:「もちろんです。枢機卿は、我々は慎重に行動すべきだと考えておられます。この記事でガニェが固執している判断は、ごく部分的な調査に基づいています。彼が訪れた孤児院は1つか2つでしょう。だが、州には何十もの施設があります」。修道院長は、「あなたは、厳密に言って、私たちに何を期待されるのですか?」と質問する。この場面は、ここで終わる。
  
  
  

ロゴとフランソワがボクシングをし、周りで子供たちが声援を送っている。体格の差は圧倒的だが、それでも残酷なロゴは一切手加減せず、フランソワの頭に強烈なパンチを食らわせ、フランソワは床に倒れ込む。これは、明らかな虐待行為なのだが、ロゴは、フランソワの右の守りが下手だったことを指摘し、両手を常に上げているべきだと、他の子供たちに自慢げに言う。そして、「他に、挑戦する者は?」と訊く。ジュリアンが、「僕」と言い、フランソワからグローブをもらって手にはめる。そして、ロゴに打ちかかるが、あまりに小さいので、ロゴは本気になって相手にせず、右手でジュリアンの頭を押さえて笑う(1枚目の写真)。フランソワのリーチが短すぎるので、何度パンチを繰り出しても すべて空振り。あまりにつまらないので、今度は、手を放して、フランソワに自由に腹を叩かせるが、痛くも何ともないので、ここでも笑う。そして最後は、ジュリアンの顔に一発。このロゴは、実に残忍な男だ。床に吹っ飛ばされたジュリアンを見て、マリーが指をパチンと鳴らし、それ以上の蛮行を止めさせる。倒れたジュリアンを、フランソワとガブリエルが助け起こす(2枚目の写真)。これ以後、3人は親密な友達となる。子供たちが出て行くと、マリーはロゴに歩み寄り、「相手はただの子供、あなたは残忍過ぎます!」と批判する。それに対し、ロゴは反省するどころか、「あいつらは女子じゃありませんよ。強くならないといけない! 生き残るためには、『男になる』とは何かを知ってないと! でないと、チャンスはありません!」と反論。「だからといって、殴る理由にはならないでしょ!」。「俺は、身の守り方を教えてるだけです〔嘘。弱い相手を殴るのが楽しいので殴っているだけ〕!」(3枚目の写真)。階級から言えば、ロゴはただの雑役係。しかし、修道女に平気で盾を突いても、誰もそれを制御できない。
  
  
  

教室に戻ったフランソワは、ジュリアンが最後列に行こうとするのを引き留め、自分の席に座らせる。そして、隣の席の子を、以前のジュリアンの席に行かせる(1枚目の写真、ジュリアンが見ているのはガブリエル。これで3人が横一列に並ぶ)。ここで場面が変わり、最初に登場した妊婦が10年以上経ってもう一度修道院を訪れ、修道院長に会う。そして、「私の子供に会いたいわ」と言う。「残念ですが、何もしてあげられません」。「全部の孤児院に行ってみました。残るのは、ここだけです。だから、ここにいるはず。子供に会いたいの!」(2枚目の写真)。「できません。あなたは書類に署名した。だから、何もできないのです」。「そうと知ってたら、こんな所に来なかったわ! 犬のように通りで産んだ方が良かった! 会わせてちょうだい! お金なら、払うわ! 今は、働いているから、補償だってできる! 子供は、どこにいるの?」。「奥さん、あきらめなさい。忘れるのです」。「できないわ!」。「あなたの子供は、養子に行きました」〔この女性は、恐らくジュリアンの母。彼女は、このような冷酷な拒絶を可能にするような書類に、何の説明もなくサインさせられてしまった。最初の担当者も不親切で悪辣だが、この修道院長は後で 人間性の全くない人間であることが分かる(単純なロゴより、もっとたちが悪い)。この場面でも、聖職にありながら平気で嘘を付くので、その卑劣さが初めからよく分かる〕。その夜、ベッドで、ジュリアンは頭を突き合わせて寝ているフォラソワに声を掛ける。そして、「狂人がいるって本当?」と訊く(3枚目の写真)。「監房がいくつかある。入れられたら出られないから、ひどい臭いがするんだ」。「僕を怖がらせてる?」。「いいや、事実だ」。そのあと、話題が変わり、フランソワが、「ずっとここにいるしかない」と言ったのを聞いたジュリアンは、「ママがきっと探し出してくれる」と言い出す。横で聞いていたガブリエルが、「ママ?」と訊く。フランソワは、「もし、お袋がいるんなら、お前はこんなところにいない」と反論。「僕は、待ってるんだ」と言い、枕の下のハンカチを見せ、「ママがくれたんだ」と、誤解をそのまま話す〔ハンカチの存在が、ジュリアンの支えになっている〕。そして、なぜすぐ迎えに来ないのかと訊かれ、妹が病気で、治るまでは来られないと、こちらは誤解でなく、確信的な作り話をする。
  
  
  

次のシーンは、非常に長く、観ていて不愉快に尽きるので、簡潔に記述しよう。枢機卿の腰巾着のマルティノ修道士は、プロヴァンシャル紙の社長に枢機卿からの特使という形で会いに行き、次のような “虎の威を借る” 言い方で新聞をやんわりと非難する。「枢機卿の寛容なご示唆により、私はこれらの記事が、性急な結論によるものと結論に至りました」。社長は、記事を書いた記者を、「ガニェ氏は、わが社で最も有能な記者の一人です」と擁護する。それに対する巧妙かつ狡猾な対応は、次の言葉に集約される。「枢機卿は、これを彼に渡すようにと言われました。招待状です。神の館修道院は、孤児の家としては最良の場所です。ここへの訪問は、ガニェ氏にとって きっと啓発になります。あなたがおっしゃるように、ガニェ氏は有能だと思いますが、結論を急ぎ過ぎておられるのだと信じております」。社長が、招待状は、直接本人に手渡されるべきものだと言い、ガニェを呼ぶ(1枚目の写真)。マルティノは ガニェに対し、非常に抽象的、かつ、批判的な言葉をかける。「神はあなたに空を与えたのに、あなたは頑なに雲についてだけ書かれます!」。そして、「ガニェさん、あなたも ご自分の分析が、あなたのようなベテランの記者に期待されるべき公平性に欠けていることは、お認めになるでしょう?」と言い、最後は “終わり良ければすべてよし” となるよう、示唆する。すなわち、一連の記事の最後をしめくくる記事が、読者の記憶に残るものなのだと。一方、修道院では、ごろつきロゴが、子供たちを相手にドッジボール。集中的にフランソワを狙って、ボールを回し、最後は、強烈なボールをフランソワの脚に意図的にぶつける。膝からその下にかけて皮膚が破れて出血し、フランソワは痛くて泣き出す。ガブリエルは、「フランソワ、け、けがした! 血、血…」と大きな声でロゴに訴えるが、このロクデナシはそっぽを向く。怒ったジュリアンが、「急いで、何とかしてよ!」と叫ぶと、ようやく寄って来て、傷を押さえつけていた両手を乱暴に払いのける(2枚目の写真)。「ただのかすり傷じゃないか。結婚式までには治っとる〔治るのに5年以上かかる?〕」と、自分が負わせた傷に 軽口を叩くだけ。そして、ジュリアンに 「階段を下りて廊下の端まで行け。そこのシスターに頼めば貼り薬をくれる」と命じる(3枚目の写真)。
  
  
  

ジュリアンは 一度も通ったことのない暗い階段を駆け下りる。そして、診療所と書いてあるドアを何度もノックして、「シスター、助けて!」と呼ぶが、応答が一切ない。すると、反対側のドアから 間延びした男の声が、ジュリアンの言葉をくり返す。不思議に思ったジュリアンがドアを開けて中を覗くと(1枚目の写真)、その先には、金網で仕切られた大きな部屋があり、中には白い病服を着せられた虚ろな青少年たちが寝転んだり、フラフラと歩いたりしていた。とても正気とは思えない。ジュリアンは、これが “地下室の狂人たち” だと気付く。もう1つ隣のドアから中に入ると、そこの狂人たちはもっと乱暴で、頭を壁に何度もぶつけたり、絶えず体を震わせたりと、より重症だ。そのうち、ジュリアンを見つけた1人の青年が飛びかかって来て、金網に体を体当たりさせる(2枚目の写真)。恐怖にかられたジュリアンは、大声で泣き叫びながら階段を駆け上がり、廊下を走っていると、マリーに、「ジュリアン、廊下で走っては駄目よ」と止められ、「どうしたの?」と訊かれる。「僕、地下室に行きたくない。あんな風になりたくない」(3枚目の写真)。マリーは、「怖がらなくていいの。あなたを あんな所には入れないわ」と言いつつ、ジュリアンを抱きしめる。
  
  
  

何日後かは分からないが、ガニェを含めて2社4人の記者が神の館修道院を訪れる。場面は、記者たちが見学に来るジュリアンたちの教室の “事前準備” に変わる。子供たちは、いつものランダムな服ではなく、真っ白なYシャツに赤いネクタイをはめている。座る席もいつもと違い、普通の子は前に、知的障害のひどい子は最後列に座らされる。そして、マリーは 障害の最も重いドミニクに、「覚えておくのよ。一言も話さないで!」と注意する(1枚目の写真)〔すべて、浅はかな院長の指示〕。横に座っている、もう少しまともな2人にも、「あなたたちも、分った? 質問に答えるのは、一番前に座っている子供たちだけよ」と注意する。次に、ジュリアンのすぐ後ろに座っていたガブリエルはもっと後ろに行かされ、代わりにフランソワが座る。そこに入って来たジャンヌが、「こんなこと必要なんですか? あるがままの姿を見せるべきなのでは?」と質問するが、マリーは、「現実を隠さないといけない時もあるの。院長の指示よ」と答える。そして、マリーは、ジュリアンに向かって、「シスター・ジャンヌが、あなたに、記者とは誰かと訊きます。記者は、新聞に記事を書く人です。いろいろ質問して、研究もします。そして、見たことを、どう思ったかを書くのです」と、模範解答まで教える。場面は、院長とガニェとのやりとりに変わる。院長は、まず、「私たちは、すべての孤児の質の向上に努めています」(2枚目の写真)などと概論を述べた後、すかさずガニェが、こうした環境で精神薄弱になる可能性について指摘する。院長はそれを否定し、ガニェと論争になる。そこに入って来たのが、悪の主役マルティノ修道士。一行は、ジュリアンのいる教室に移動する。全員が立ち上がって参観者を迎える(3枚目の写真)。
  
  
  

このクラスの教師ジャンヌが、「皆さんが来られる前に、私は、この子たちに記者とはどんな人か知っているか、と尋ねました」と、記者たちに言い、今度は子供たちに、「誰か答えられる子は?」と訊く。さっそくジュリアンが手を挙げる。「シスター、記者は新聞を書く人です。質問して、見たことを話す人です」。ここで、間違いに気付き、「違った、どう思ったかを書く人です」と言い直す(1枚目の写真)〔ガニェがそれを聞いて笑顔になったのは、“やらせ” だと気付いたからなのか?〕。ここで、マルティノがしゃしゃり出て、「彼らは、皆、知識に飢えています。ご覧の通り、神の館修道院の教育レベルは、他の教育機関と同等です」と自慢する。そして、「あなた方の中には、子供たちが放っておかれていると信じたがっておられる方もおられるようですが…  に一人で〔son seul sur une île 」と付け加える。この嫌味が 藪蛇となる。というのは、さっそく、ガニェは、「『』とは何か、答えられる子は?」と、子供たちに訊く。さっそくジュリアンが手を挙げるが、ガニェは、他の、手を挙げない子供たちを見て行くうちに、とろんとした顔のドミニクに気付く。そこで、最後列まで歩いて行くと、ドミニクに向かって、「島とは何か、言えるかい?」と訊く。ドミニクは、何も言えず、ただ奇妙な声を発しておどおどするだけ(2枚目の写真)。これで、この教室に、知的障害児のいることがバレてしまう。ガニェが両隣の子を見ると、同じように異常だ。ガブリエルは、「わ、分りません」と答える。ガニェは、マルティノを睨むように見る。他の生徒が立ち上がって、「島、水ですか?」と訊く。「ああ。だが、川だって水だ」と不十分な回答に反論する。後は、ジュリアンとフランソワが手を挙げていて、2人同時に立ち上がるが、ジュリアンの方が先に、「水に囲まれた土地です」と答える。「よくできた。誰に教わった?」。「シスター・マリーです。時々、本を見せてくれます」〔学校なのに、「いつも」ではないのは変だが…〕。ガニェが、ジュリアンを褒めて教壇に歩いて行く時、机にぶつかって記者手帳が床に落ち、すぐにジュリアンが拾ってガニェに渡す(3枚目の写真、矢印)。「ありがとう」。「それ、何に使うんですか?」。「何を見て、それをどう思ったかを書くんだ。忘れないために。君にあげよう」。これ以後、もらった手帳に、“見たこと、思ったこと” を書くことが、ジュリアンの習慣になった。
  
  
  

全員が、ロゴによって、ホッケーの練習に駆り出される。靴をなかなか履けないドミニクに同情したジュリアンが近寄ってきて、靴の紐を結んでやる。ドミニクは、「『しま』 ってなに?」と訊く。「島ってのは、水に囲まれた土地だよ」。「わかんない」。ジュリアンはドミニクの両脚を木の台の上に乗せる。そして、「ほら、今、君は島にいる。周りはみんな水なんだ」(1枚目の写真)。それを聞いたドミニクは 「こわい」とパニックになるが、ジュリアンが 「僕も怖いんだ」と言って泣き始めると、台から降りてジュリアンを抱きしめ、髪の毛を撫でながら、「泣かないで」と言う。心打たれるシーンだ。その次のシーンは、最悪。マルティノが、修道院長を、「ちゃんと準備するよう、言ったはずですぞ。クラスの最良の面だけを見せろと。薄弱どもを最後列に並べて、見えなくなるとでも? 誰の考えです?」と叱責するように訊く(2枚目の写真)。「私です」。「絶望的だ〔Désespérant〕〔絶望的という点では、2人とも似たり寄ったり〕。一方、子供たちがホッケーの準備をしている場所に行ったガニェは、ロゴに、「よく理解できないのですが、あなたは、ここで何をしているのです?」と質問する。「シスターたちに囲まれていたら、男の仲間が必要でしょうが? 子供たちには “愛” も要るし」。ロゴは 平気で白々しい嘘を付く。その後、ロゴが笛を吹いてホッケーが始まるが、記者の存在を意識して、いつものような凶暴さはない。柵の外に出たガニェに、マルティノが寄ってくる。「私たちの達成した成果を ご覧になりましたね」。「そんな子もいましたが、全員ではない。ぽかんとした顔の子供たちは、何が起きているかすら 分かってなかった。精神薄弱児と普通の子の混在は問題なのでは? 20年後にはどうなっているかな? 私には、いい影響があるようには思えませんね」。「それは逆だと思います。ガニェさん、あなたは無神論者なのですか?」〔ここで神を持ち出すのは、非常にずるくて卑怯な戦法だ〕。「見たものと見なかったものがあります。見せられたものだけで事実を語るのは難しいですね」(3枚目の写真)。「信仰を持たない者には、見えないのです」〔再度、卑劣な戦術〕。「あなたの芝居じみた演出にもかかわらず、一人がパニック状態になった。それに、あなたは7-8名を最後列に隠しましたね」。「あなたの批判記事は、子供たちを傷付けています。でも、あなたは、子供たちに同情しておられた。そのお気持ちは 変わらないでしょうね?」〔これは、“批判記事を書かせないようにする” ための巧妙な戦略的暗示〕。「もちろんです」。
  
  
  

大変だった一日が、ある意味、平穏に終わりかけた夕方、ジュリアンがフランソワの隣のロッキングチェアに座って ガニェからもらった記者手帳を広げると(1枚目の写真、矢印)、フランソワが 「それ、どうするんだ?」と訊く。ガブリエル:「書くよ。僕、大きくなったら 記者になるんだ」。フランソワ:「ここを出られたらな」。「連れ出してもらえるよ」。「お袋さんにか?」。ここで、ガブリエル が、「ぼ、僕ら、そ、そんなこと、し、信じないぞ」と 口を出す。ジュリアン:「病気の妹のことは責めない。誰かが世話しないといけないから」。フランソワ:「病気、病気って、年中 病気なんだな?」。「ほ、ほんとは、い、妹なんか、いないんだろ?」。ジュリアンは、呆けたようにロッキングチェアを揺らしているドミニクを指して、「あん風なんだ」と、嘘に嘘を重ねる。「でも、いつか治る」。フランソワは、ジュリアンに母も妹もいないと確信しているので、「僕らは、みんな 世の中で一人ぼっちなんだ。お前もな」と言う。その日の夜は、さらに悲惨な事態が待ち受けていた。消灯前の大部屋で、全員がベッドの前に跪いてロゴのチェックを待っている。ドミニクは、日中の興奮のためか、体を前後に揺すり続けている。それを見たロゴは、ベッド(マットレス)の端部がきちんと折られていなかったため、「ベッドの端をどうするか 教わらなかったか?」と注意する。唸り声を出しながらの前後の動きがますます激しくなったので、ロゴはドミニクの頭を両手でつかむ(2枚目の写真)。そして、無理矢理立たせ、ベッドに叩きつけるように放り出す。ドミニクはベッドの上で、叫んで暴れ始める。ロゴが 「止めろ!」と命じても止めない。ロゴは、ドミニクの狂気が限度を超えたと判断し、「お前みたいな奴をどうするか見せてやる。地下室行きだ」と言うと、背中に担ぎ上げ、暴れるドミニクを狂人の監獄へと連れて行く(3枚目の写真) 。
  
  
  

その夜、ガニェと社長が話し合う。映画を観ていて、この部分が一番理解困難。いきなりデュプレシスの決めた州政府の方針の話が出てくる。社長がガニェに、「我々が神の家修道院の教育について追及し続ければ、(修道院は)州の助成金が得られなくなる」と話す。ガニェ:「そうなったら、修道女たちは何をするのです? 子供たちを育てるのか、病人を看るのか?」。「政治の論理に従えば、修道院は病人を扱うべしと書いた方がいいだろう。そうすれば、助成金を引き続き受け取ることができるし、枢機卿も喜ぶだろう」。「孤児たちは、自分たちが政治の巻き添えにされたと気付くでしょうか?」。これまで、一度も話に出なかった内容なので、カナダ人なら分かるのかもしれないが、そうでない限り、観る者は戸惑うばかりだ。そして、翌朝の朝刊。記事の標題は、「孤児院の宝石」という、これまでとはうって変わった “非批判的” なものに変わっている(2枚目の写真)。そして、マルティノと枢機卿の会話。「これは嬉しい驚きです。我々の真意が届きました。これで、施設の医学的・教育的方向性が認められました」。「そうだな」。「記事はとても良いので、首相を説得する一つの手段にもなります。ここに、『子供たちの家は、非常に重要な役割を果たしている』と書いてあります」。「彼(首相)は いつ来る?」。「家族との夕食の前です。時間に正確な方です」。「尽きるところ、問題は金だ。この場合、これ以外に途はない」。ここで、少し詳しくその背景を見て行こう。なぜ、こんなひどいことが行われたのか? その原因はサイト上でなかなか見つからなかった。しかし、遂に辿り着いたのが、2007年10月に、ケベック大学モントリオール校から刊行された『LA CRISE DE L'ENFERMEMENT ASILAIRE AU QUÉBEC(ケベックにおける孤児の隔離の危機―静かなる革命の始まり)』という本(Catherine Duprey著)。その44ページの「2.2.1節 1948年の国民健康補助金プログラム」の中に、「1948年、連邦政府は国民健康補助金プログラムを立ち上げた。Yves Vaillancourt〔現代の研究者〕は、1921~1930年と、1935~1948年に政権を掌握した自由党の党首である『マッケンジー・キング〔カナダの第12・14・16代首相〕の政治的遺産』と述べている。衛生環境の改善を目的として各州に補助金を割り当てることで、連邦政府は国民の人口当たりの健康レベルの向上を目指した。公衆衛生のキャンペーンは、特に、癌、結核、性感染症、子供の先天性疾患、精神疾患など、ハイリスクの病気に対して行われた。連邦政府は、一般病院、精神病院、専門的なトレーニング、及び、研究機関の建設を進めることで、すべての州の公的医療制度を改善するために取られた措置を支援するための助成金を交付した」と書かれている。そして、それを行ったのは、当時の厚生大臣ポール・ジョセフ・ジェームズ・マーティン(Paul Joseph James Martin)だった。すると、真の極悪人はこのマーティンとなる。広く極悪人と認定されている州首相のデュプレシスは、それに従っただけ、ということになる。そして、そのために補助金がカットされ、立ち行かなくなったキリスト教系の孤児院を、仕方なく精神病院に変えたのが枢機卿レジェとなる。こうして見て来ると、このデュプレシスもレジェも、ある意味、当時の政府の犠牲者と言えなくもない。そして、マーティンの政策も、公衆衛生の向上は、第二次大戦直後の衛生環境を考えれば、ごく自然な方向性だったとも言える。すると、どこにも悪人はいなくなってしまう。それにもかかわらず、何千人もの孤児が、カナダ史上最悪の虐待に遭ってしまった。悪かったのは時代なのだろうか? 1948年という数字は、わが国の「旧優生保護法」を思わせる。ここでは、「遺伝性疾患や精神疾患、知的障害のある人を対象に強制的に不妊手術が行われた。対象は異なるが、どちらも “時代そのもの” が生んだ悲劇という点で、よく似ている。
  
  
  

枢機卿と首相の重要な会話。枢機卿が一歩的に話す。「これらの子供たちを、このような施設に入れておく方が、より良いであろうことは、ご理解いただけると期待します。それはお金の問題です。我々(キリスト教会)が受け取る金額は、そうした子供1人あたり十分な金額となり、ずっと収益性が高くなります」(1枚目の写真)。なんという恐ろしい言葉。マーティンは、孤児達のことまで気が回らなくて国民健康補助金プログラムを立ち上げたのだろうが、孤児達に直接危険が及ぶと知りつつ〔孤児達は、生徒から無賃労働者にさせられた〕、経済論理だけで孤児達を犠牲にしたポール=エミル・レジェの罪は非常に重い。州首相のデュプレシスより重いかも。だから、自分の罪を認識していた枢機卿は、贖罪のため、1967年に辞任した後、アフリカに行き、一神父としてハンセン病患者の救済に尽くすことになる。一方、神の家修道院では、マリーが子供たちに、「週末に、特別のお客様がお見えになります。何と、枢機卿様なんですよ」と、嬉しそうに話す(2枚目の写真)。そして、枢機卿の前で、子供たちが演じる 『雪の王子〔Le Prince des Neiges〕〔ロジェ・ペルフィットが1947年に初演した劇〕を見せることになったので、出演者を募る。全員が手を上げるが、主役に選ばれたのは当然ジュリアン。次のシーンは、修道院院長の部屋。同席しているのは、神父。院長:「100万ドル足らずのお金しかありません。これでは やって行けないわ。連邦と州の助成金が減額されるので、565万892ドルも不足します」。神父:「枢機卿がこの数字を見たら、終わりです!」。「でも、見ていただかないと。私には 嘘は付けません。あの方なら、助けて下さります。奇跡を待ちましょう」。「シスター、私には奇跡があるとは思えません。1週間後に枢機卿がここに来られます。神の家は いったいどんな変革を迫られることでしょう。あの方も、私たちと同じ結論に達しているかもしれません」。神父は、孤児院の精神病院化を怖れている。
  
  
  

修道院では、『雪の王子』の舞台の準備が着々と進んでいる(1枚目の写真)。ジュリアンは、マリーがガブリエルに何か告げているのを見て、後でマリーに訊いてみる。「ガブルエルが何か?」。「役が欲しいって。でも、どもってちゃ無理でしょ」。そして、「ジュリアン、お話があるの。あなたの “お母さん” の話、もう聞きたくありません」(2枚目の写真)「本当のことを話したいなら、それは良いことです。しかし、お友だちに無理矢理信じ込ませようとすることは…」。「でも…」。「ガブリエルは、信じてないふりをしているけれど、彼は、願っているの。あなた、お母さんが迎えにくるって話したでしょ。あの子は、自分も連れて行ってもらえるかもしれないと期待しているから、信じているのよ」。「僕の妹が…」。「あなたには、妹なんかいない。すべて嘘じゃないの! あなたは、枢機卿を喜ばせるにはどうすればいいかだけ考えていなさい。大変偉い方だから」。劇の準備の様子をじっと見ていたロゴは、マリーの話が終わると、ジュリアンに 「来い。服をちゃんと着せてやる」と言い、舞台裏に連れて行く。そして、安全ピンを口にくわえ、王子用の真っ赤なフワっとしたズボンのお尻の寸法を合わせる。その時、ロゴの両手が一瞬ジュリアンのお尻を触る。そして、今度は前を向かせ、お腹を剥き出しにして、ズボンの中に指を入れる(3枚目の写真)。好意的に解釈すれば、ぴったりフィットしているかを確かめているとも見れるが、ロゴの顔つきは性的虐待を感じさせる。ジュリアンは無表情のまま。良心が咎めたのか、自分が抑えきれなくなるのを恐れたのか、ロゴは急に厳しい顔になり、「失せろ!」と命じる。
  
  
  

ジュリアンが、いつものロッキングチェアに記者手帳を持って座っていると、ガブリエルが寄って来て、「な、何か、も、もう書いた?」と訊く。「何も」。「か、かあさんのこと、か、書いたら? いつも、は、話してるじゃないか」。「枢機卿の訪問が終わったらね。ママは劇を見たがってた。僕が雪の王子をやるから 喜んでた。だけど、また妹が変に…」(1枚目の写真)。「そ、そんな、へ、変だよ」。ここで、フランソワが口を出す。「お前のお袋の話なんか絶対信じないぞ。俺たちに親はいないんだ」。「今、一番大事なのは枢機卿だ。だけど、終わったら、元に戻る」。「ああ、孤児にな」。次のシーン。神の家修道院の玄関に向かう階段にレッドカーペットが敷かれ、その入口で男女2人の子が花束を持って枢機卿を迎える(2枚目の写真)。階段の途中の広いスペースには10名ほどの子供たちが待っていて、歓迎の言葉を述べる。これから、この冷血無比な枢機卿が院長に何を話すかを知っていたら、生卵でもぶつけただろうに。そして、場面は 会議室のような場所に変わる。出席者は、枢機卿、マルティノ、修道院長、神父の4人。枢機卿:「最悪の事態を避けるべく、私は何度も祈ってきた。だが、私は、神の家の方針は 完全な失敗だと思う」。修道院長:「政府を説得していただけませんか? あなたの話なら聞いて下さると思います」。枢機卿:「ここにいるのが病人だけなら、政府も喜んで支援してくれる。昨年、精神薄弱者のため800万ドルの助成金が用意された」。神父:「私たちは、地下室に幾らか精神薄弱者を収容していますが、主目的は子供たちの教育です」。「君は、何も分かっとらん。州政府は、ケベックの教育施設を助成するのを好まん。デュプレシス氏の政府は 我々に教育分野からの離脱を求めておる。このままでは資金が枯渇する。我々は順応せねばならん〔Il va falloir de la souplesse。私の元には、州政府からの返済要求が来ておる。170万ドルだ。神の家修道院は、精神薄弱者の病院となる必要条件を十分満たしている。誰にとっても、これほど簡単なことはない〔tellement plus facile pour tout le monde〕」(3枚目の写真)。「簡単」? 簡単だから、平気で孤児達を犠牲にする? 「」の中に、もちろん孤児達は入っていない。何という冷酷さ。何という非人間性。ローマ教皇ピウス12世は、よくこんな人間を枢機卿に任命したものだ。宗教指導者としての慈悲心・道義性のかけらも持ち合わせていない。
  
  
  

雪の王子の舞台衣装を着たジュリアンが幕の間から客席を覗く(1枚目の写真)。観客席の最前列の中央に ひときわ立派なイスが置いてある。その時、背後からマリーの声がする。「ジュリアン、ここにいたの?」。「はい、シスター」。「心配しなくても 万事うまく行く。枢機卿様も喜ばれるわ」。会議室では、まだ会話が続いている。枢機卿:「業務の方向性の部分partie変更で〔孤児の教育施設→精神病院の変更の どこが「部分」なのか? 根本的な大変更だ〕、我々はカナダ憲法の要件に反することなく、ケベック州からの助成を失わずに済む」。神父:「具体的に申しますと?」。枢機卿:「私は 厚生大臣の計画に同意した。状況に鑑みれば、やむを得ないものだと思う。君たちは、新たに500人の気違いを受け入れる必要がある」。修道院長:「500人?」。ここで、腰巾着のマルティノが ボスを擁護すべく口を挟む。「今でも、地下室に 幾らかいると思いますが」。神父は、不安と不信が隠せない。「閣下、その計画で、神の家は どう財政再建するのですか?」。枢機卿:「350万ドルを支援するよう デュプレシス氏を説得できると思う」。この男の頭にあるのは、お金のことばかり〔これがキリスト教の実態?〕。舞台では、開幕の準備が整い、観客席には、白いYシャツに赤ネクタイの子供たちが着席している。枢機卿を先頭に4人が廊下を歩いている。枢機卿:「もう時間がない。我々は、君たちのために 正しい方向へと進み出した。しかし、することは山積している」(3枚目の写真)。神父は 「でも、子供たちが、劇の用意をしています」と進言するが、それに対し、枢機卿は返事すらしない。代わりに、腰巾着が 「いいですか、私たちが今日ここに来たのは、この問題を話し合うためです」と言う。何という薄情さ。観ていて腹が立つ〔「デュプレシスの孤児たち」ではなく「レジェの孤児達」とすべきであろう〕。劇は中止となり、子供たちは劇場から出て行く。劇場に入って来た神父に、ロゴは 「予想されたことですな」と声をかける。神父は、マリーに 「引き留めようとしたんだが、とても急いでおられた」と弁解する。それを聞いたジュリアンが、幕を開けて顔を見せる。マリーは、ジュリアンの前まで行くが、かける言葉がない。ジュリアンは泣きながら幕の中に戻る。そして、楽屋の鏡の前で、自分の顔を見ながら、記者手帳を取り出す。ジュリアンの独白が入る。「こんなこと書きたくない。ママなんか本当はいないんだと。でも、フランソワは正しい。僕は、この世で一人ぼっちなんだ」。
  
  
  

このTV映画はⅠ部Ⅱ部に分かれていて(計3時間)、ここから後半のⅡ部が始まる。内容からして、Ⅰ部から1年半ほどが経過している。マリーが、告解室に入り、神父に話しかける。「神父様、罪を告白します。私は、子供たちに嘘を付く心構えができていません」。「あなたは規則に従っているのです。嘘を付いているのではありません」。「神父様、私は怖いのです。子供たちがどうなってしまうのか。ずっと祈り続けているのですが、それで十分だとはとても思えません」。「主、イエス・キリストは言われました。信仰を持つ者は…」。「でも、本当にこれでいいのでしょうか?」(1枚目の写真)。「これらの問題について、真剣に考えておられる人たちがいます。あなたは、彼らを信じるべきです。あなたは聖職に就くことを誓約しました。上級聖職者に従う義務があります」。マリーは、この映画の中の “良心” だ。頑ななように見える神父も、実は悪い人ではないことが後で判明する。次の場面。マリーが ロゴを伴って教室に入ってくる。そして、“嘘” を交えた説明をする。「みなさん、今後の予定に変更が生じました。喜ぶ人も多いと思いますが、しばらく、あなたたちは学校から解放されます。神の家修道院に改修が必要なためです。みなさんのうち何人かは、里親に預けられます。親戚の家に行く人もいます。ただ、残念なことに、全員の行き先を見つけることができませんでした」(2枚目の写真)「何人かは、ここに残ってもらいます。バスは明朝出ますから、離れる人は すぐに荷物の用意をして下さい」。ロゴがリストを読み上げる。ジュリアンとフランソワは、農家に行くよう言われる。伯父に引き取られる子もいる。ほとんどの子供たちは席を立ってロゴの横に並ぶが(3枚目の写真)、ガブリエルは呼ばれなかった。
  
  
  

教室から出ると、フランソワはジュリアンに不満をぶつける。「俺とガブリエルは ずっと一緒だった」。ジュリアン:「ロゴがやったんだ。ガブリエルは他と違うから。あいつ、違ってる子は嫌いなんだ」。フランソワ:「俺はどこにも行かないぞ」。「事態を悪くするだけだ。少年院に入れられちゃうよ」。2人は中庭に面した回廊の手すりに座る。すると、そこにガブリエルがやってきて、2人の間に座る。「ぼ、ぼくには、い、行くところがない」。フランソワは、「いったい どうなってる? ルークとボスコは、これまで天涯孤独だった。なのに、突然伯父さんだと?」と怪しむ(1枚目の写真)。「み、みんな、こ、孤児だったのに。な、なんで、と、突然変わったの?」。ジュリアンは、「奴ら、絶対 嘘付いてる」と、ずばり真相を指摘する。翌朝、修道院を離れる子供たちが、バスの前に並ぶ(2枚目の写真)。フランソワとジュリアンは、行く先がベルビル(Belleville)〔モントリオールの西南西約330キロ〕だと告げられる。2人がバスに乗った時、ガブリエルが、「僕も乗せて」と叫びながら走ってくる。ロゴは、「お前の顔など見たくない。消え失せろ!」と怒鳴る。マリーは、「ここにいてはだめよ」と 優しく声をかける。「な、なぜ、ぼ、ぼく行けないの?」(3枚目の写真)。「ノータリンはあっち行ってろ」。それを聞いたマリーは、「ロゴさん、この子を そんな風に呼ぶのを禁じます」と言うが、ロゴは返事すらしない。
  
  
  

目的地に着いた2人は バスを降りるが、誰も迎えになど来ていない。恐らく、その先にある農家が “仮の里親” の家だろうと思い、歩いて行く。「何て名前だ」。「リアランド。僕らが いつ着くか、連絡しなかったのかな?」。「さあ、俺たちがいないと、困るんじゃないか?」。「あそこで訊いてみよう」。次のシーンでは、農作業に出たフランソワが、主人から怒鳴られている(1枚目の写真、矢印)。「精一杯やってます」。「そんなじゃ、全然だめだ! 女子を送れなどと頼んだ覚えはないぞ!」。「俺のせいじゃない! こんなことするの初めてなんだ!」。場面は変わり、修道院に残されたガブリエル。地下室にある2つの狂人の監房に食事を運ぶ手伝いをさせられている。そこで、ガブリエルは別れて長年経ったドミニクと再会する。彼は 「いい天気〔Il fait beau〕」という言葉をくり返すだけの廃人になっていた。ガブリエルが、「ドミニク?」と声をかけると、一緒にいた怖いシスターは、「話しかけても仕方ない。何も分からないのだから」と注意する。「で、でも、ぼ、ぼく、彼 知ってるよ。ドミニクだ!」と 必死に言う(2枚目の写真)。シスターは、そんなことにはお構いなく、食べ物の皿を渡すよう命じる。最後のシーンは、ジュリアン。フランソワに暴言を吐いた農家の主人の妻は、情け容赦のない意地悪。ジュリアンに、鶏の卵を取るよう、やり方も教えずに命じるが、1回目は鶏が暴れて飛び出し(3枚目の写真、矢印)、叱られる。2回目は、やっとの思いで取った卵を床に落として割ってしまい、もっと叱られる。この農家は、“仮の里親” でも何でもない。無賃の働き手として 臨時に預かっただけで、愛情のカケラもない。
  
  
  

修道院に、新しい登場人物が加わる。アウシュヴィッツ強制収容所にいた “死の天使” メンゲレ医師のカナダ版だ。院長がマルティノに、「ブラックバーン博士はロンドンから来られました。向こうで、著名な専門家と働いておらたそうです」と紹介する(1枚目の写真)。ブラックバーン:「私たちは、心理学者を雇いました。彼は ニューヨークで学び、精神薄弱児が専門です。よい選択だと思います」。院長:「ボルゴ博士です」。ブラックバーン:「子供たちが戻ったら、彼が 知能テストや各種のテストで診断します。訓練生の扱いをどうするか決まりましたか?」。マルティノ:「枢機卿は、神の家修道院の構成変更が完了後すぐ、300万ドルの助成金が支給されると知らされました。それで訓練生の問題も解決します。重要なのは、(生徒だと疑われないような)訓練生の定義です」。ブラックバーン:「面接と検査のため、ボルゴ医師には助手が必要です。できれば、教育経験と、子供たちと良好な関係のある人がいいですね」。院長:「分かりました」〔このロクデナシは、よりによってロゴを選ぶ〕。マルティノ:「教育を施す教室は 確実に忘れないといけません。黒板も机も鉛筆はもう存在しないのです。それを、当局者が確認に来ます」。院長:「はい、そうします」。ブラックバーン:「私たちが検査をしている間、子供たちに何か仕事を与えるのがいいでしょう」。マルティノ:「無為に過ごすこと。それは、すべての悪徳の母です」〔元孤児に強制労働をさせろと示唆している〕。この3人の 虐待実行者としての悪辣度は、ブラックバーンがトップで10。ロゴと並ぶ。院長は7くらいか? 計画推進者としての悪辣度は、枢機卿が10なら、それに唯々諾々と従うマルティノは9くらいか? 次のシーンでは、ガブリエルが熱を出してベッドに寝ている。ガブリエルは、「も、もう、あそこには、い、行きたくない」と訴える。修道院が精神病院化したことで新しく入って来た生意気なシスターが、マリーに 「熱を測ってちょうだい」と 体温計を渡す(2枚目の写真)。マリーは、体温計をガブリエルの口に入れる。ベッドから離れると、生意気なシスターは、「狂人との接触で感染したに違いないわ。触れるなって、注意したのに」と、冷酷に言う。マリー:「あの子は、怖がっているのよ! 二度と地下室へ行かせないで!」と反論。生意気なシスター:「恐怖なんかで、熱は出ませんよ」。マリー:「なんて場所なの! 配置換えしてもらうわ!」。マリーは、神父を探し、温室の中に入って行く(3枚目の写真)。神父は、「あなたは まだ子供たちのことが心配ですか? 訓練生は別の場所に移されるだろうとの確認が取れました。私を信じてください」と言う。それを聞いたマリーは、「何て嬉しい話でしょう」と喜ぶ。「もちろん、私たちは移行を乗り切るでしょう。あと数日で 子供たちが戻ってくると、一時中断されますが、でも大丈夫です。病気でない子供たちは、ここには残りません」〔神父も騙されている。院長かマルティノのどちらかに〕。「私が、どれだけ安堵したか、知っていただければ!」。
  
  
  

ある夜、ジュリアンは、記者手帳を手に、フランソワに 「僕、ちゃんと仕事がしたい。でも、奥さんは、僕が まるで “低能” みたいに話しかけるんだ」と文句を言う。そして、後ろのベッドのフランソワを振り向くと、彼はハードな農作業に疲れて眠っている。次のシーンは、ジュリアンが、その “奥さん” に連れられて一緒に店屋に行く。ドアから中に入る場面でも、ジュリアンが邪魔者扱いされているのが良く分かる(2枚目の写真)。彼女は店主に口早に注文する。店にいた2人の少女は、ジュリアンを見て、「孤児院の子よ」とヒソヒソ。カウンターの上には、球状のキャンディーの詰まったガラスの瓶が置いてある。ジュリアンが その前に歩いて行くと、女の子の1人が、「あんた キャンディー見たことないの?」と訊く。「あるよ」。「あたしたち、いつもここで買うのよ」。「欲しい?」。「もちろん」。ジュリアンは、いきなり蓋を取ると、中から1個取り出す」。その瞬間、“奥さん” が、「誰が触っていいと言ったの?」と言いながら飛んで来て、ジュリアンの手からキャンディーを取り上げる(3枚目の写真、矢印)。「何て、躾の悪い! 養護施設じゃ、そんな風に教えてるの?」と叱る〔ただし、これは無断でキャンディーを取ったジュリアンが悪い〕。しかし、そのあとで、少女たちに向かって吐いた言葉は、許し難い。「あいつはエテ公よ! ウチに来てからというもの、悪さしかしないんだから!」。
  
  
  

教室で、地球儀を持って戸惑っているジャンヌに、院長が 「ここに残しておきなさい。1日は24時間しかないのですよ。時間が到底足りません」と 冷たく言う。「教室の中で、持っていけるものはありますか?」。「何もありません」。「でも、子供たちを教えないと」。「心理学者が、子供たちの適性をテストします。仕事を振り分けるための。あなたは、その助手になりなさい。この仕事は、教職の延長のようなものです。だから、子供たちが戻って来たら、適切に処理できるでしょう」(1枚目の写真)。農家の納屋では、サンドバックに見立てた袋を、フランソワが手袋をはめて叩いている(2枚目の写真)。いつかロゴに勝つつもりだ。そのあと、ジュリアンがまた記者手帳を開いている。「何だ? 何も書いてないのか?」(3枚目の写真)。「早く戻りたいよ。孤児院の方がまだましだ」。「そうかもな」。「シスター・マリーは、いろいろ教えてくれる。ここの奥さんは叱るだけだ」。「ああ。だが、あっちにはロゴがいるぞ」。
  
  
  

神の家修道院に帰って来た子供たち。しかし、様相は一変していた。廊下には、見たこともない老人たちが、フラフラと歩き回っている(1枚目の写真)〔今で言う、アルツハイマーか?〕。すると、その中にドミニクもいる。ジュリアンが、「もう、地下室にいないの?」と訊くが、また 「いい天気」と言うと、去って行く(2枚目の写真)。「今じゃ、ここが “地下室” なんだ」〔この言葉は当たっている。ここは、もう「神の家修道院」ではなく、「神の家精神病院」なのだから〕。廊下の先には、頑丈な格子が作られていて、その向こうにロゴが待っている。「久しぶりだな」。そう言うと、格子に付けられたドアを開け、全員を中に入れる(3枚目の写真)。ロゴは、後に付いて来ようとしたドミニクを邪険に追い払うと、ドアを閉め、鍵を掛ける。
  
  
  

ロゴは、子供たちを昔の大部屋まで連れて行く。そこには、ガブリエルがいた。彼は、何となく元気がない。「どうかしたの? 病気?」。「ううん、つ、疲れてる」(1枚目の写真)「15人、い、いなくなった。か、家族を見つけて。ぼ、ぼくたち、残った。だ、誰も、いないから」。その時、ドアが閉まる音がする。「あいつ〔ロゴ〕、何してる?」。「と、閉じ込める」。2人が、ドアまで走って行くと、以前は 自由に出入りできたドアに鍵が掛けられていた。中庭に面した2階の回廊にポツンと立っていたジュリアンに、マリーが近づいて行く。ジュリアンは、「僕たちが戻ったら、こんなになってるなんて知ってたの? 大人なんか勝手だ。平気で嘘を付く」と批判する(2枚目の写真)。そして、「なぜ 僕たちなの? 何も悪いことしてないのに」と訊く。この言葉に、マリーは 「家族のある人は、それが遠い親戚でも引き取られたわ。あなたにも見つける。ここに長くは置いておかない。約束する!」と、心を込めて言う。ただし、院長は、マリーのレベルのシスターには隠してしたため、この約束は実現しない。それを見通したように、ジュリアンは、「僕、もう、あなたを信じない。他の大人たちと同じだ。嘘ばっか!」と、強く責める(3枚目の写真)。
  
  
  

恐らく翌朝、ジュリアンと、フランソワが見ていると、マリーの部屋でガブリエルが薬を飲まされている(1枚目の写真、矢印)。この薬は、クロルプロマジンと推定される。1952年に登場した第一世代抗精神病薬(フェノチアジン系)で、フランスの病院で躁状態の治療に用いられ、次いでカナダで統合失調症の患者に投与された。大きな副作用は錐体外路症状〔手足が震える、動きが遅くなる、顔の表情が乏しくなる〕40%、眠気27%など。当時 実際に飲まされた少女は、後年になって、「薬は私をゾンビに変えました〔Il m’a transformée en une zombie〕」と語っている(「サイエントロジー教会の人権ジャーナル〔Le journal des Droits de l'Homme de l'Église de Scientologie〕」より)。大部屋にいた 9人に向かって、ロゴは、「今日から、お前らに、ちょっとした仕事をしてもらう」と言う。そして、ちょうど部屋から出てきたガブリエルの首根っ子を荒々しく掴むと、「例えば、ガブリエルは先月 洗濯室で働いた。ここに、リストがある。何人かは患者の世話、残りは掃除だ」。子供たちは、“生徒” ではなく “労働者” となった。小学生から中学生の彼らは、以後、一切の教育を受けられなくなる。子供たちが最初に連れて行かれた隣りの部屋には “檻” が置いてある(2枚目の写真)。「これは、悪戯坊主のためのものだ。お前たちは、俺の手中にある。気に入らん奴は、この檻にぶち込んでやる。恐ろしい目に遭うぞ、試してみたい奴はいるか?」。ボルゴ医師の助手になったロゴは、今や天下を取った気分。子供たちを奴隷としか考えていない。次のシーンは、そのボルゴによる個別のテスト。彼は4枚の素描画を渡し、それを順番に並べられるかどうかで知能を判断しようとする(3枚目の写真、矢印)。しかし、ジュリアンには、どうやっても並べられない。迷っているジュリアンを見て、ボルゴは、「君は、それが 何だと思う?」と訊く。「トラックじゃないですか?」。「いいや、汽車だ」〔赤ちゃんの時から施設に入っていたジュリアンは、汽車など見たことがないのであろう→その可能性を無視したテスト自体が間違っている〕。ブラックバーンとボルゴを補助することになったシスター・ジャンヌは、ジュリアンの優秀さを知っているので、別の資料をボルゴに渡す。それを見たボルゴは、「君は字が書けるんだな? こうやってノートに書いてるのかい?」と訊く。「ノートじゃありません、記者手帳です」。「記者手帳か、それはいい。よく分かった。君は書くことが好きなんだな? 何を書くんだい?」。「思ったことです」。「例えば、どんな?」。「その日によります。僕が農家にいた時は、あの人たちは いったい僕に何を期待しているんだろうと書きました。説明してもらえれば、何でも理解できるのに」。「1冊貸してもらえないかな? 読んでみたいから」。「だめです」。「そうか、個人的なものだからな」。これで、ジュリアンは、テストに楽々合格することができた〔ボルゴ医師は非常にいい人間で、“死の天使” のブラックバーンと対照的〕
  
  
  

フランソワは、仕事として、糞尿で汚れた痴呆老人の体を洗っている。そこに、テストの結果を報告にジュリアンがやってくる。「テスト、どうだった?」。「いろいろ、訊かれた。絵も見せられた。間違えるなよ、汽車って言うんだ。トラックじゃないぞ」。「で、テストに通れば、ここから出られるのか?」。「きっと」。「そうは思えんな。一生 ここで暮らすことになりそうだ」(1枚目の写真)。ここで、場面が変わり、神父がロゴの方針に異議を唱えている。「子供たち全員が狂っているわけではないでしょう?」。「俺の見方は違いますな。今、ここは、もう子供たちの家じゃない。まともな子は指折り数えるほどしかおらんですよ」。「問題外だ。孤児たちを一方的に精神薄弱にするなどできない」(2枚目の写真)。「俺たちには方法があるんです」。「あなたが? どこでそんな方法を? あなたの一言で孤児が振り分けられる? 神の家修道院で起きていることは、最大限の慎重さで扱う必要があるのですぞ。黒か白かではない」。ロゴは渋々、「ええ、彼ら全員は狂ってませんよ」と答える。この会話から分かることは、ロゴが以前のようなシスターの手伝いから、医師の助手になったことで、より高慢ちきになったこと。そして、神父のことなど、意にも介さなくなったこと。そして、最後の場面は、再び、枢機卿と首相との短い会話。枢機卿:「私は、あなたと議論したように、大臣と資金のことで話し合いました。残っているのは小切手を書くことだけです。これで、私たちの取引は成立したことになります」。首相:「あなたは正しいことをされたのです」〔これで、デュプレシスも、レジェと同罪であることが 確定した〕
  
  
  

次のシーンは、“病院” に戻り、ブラックバーンと神父、それに、一部、院長を交えた会話。ブラックバーン:「現実の問題として、ほとんどの子供たちは、学習不能〔inéducable/お粗末な英語字幕は真逆の “teachable” になっている〕です。最も知的な子にも、情緒剥奪症候群〔子供の成長・発育・発達過程に必要不可欠な愛情を、小児期に充分受けることができなくなる結果、生じる成長・発達障害〕の兆候があります。ここでの生活は、精神薄弱を増大させるだけです。情緒剥奪は知的障害を生むのです。常識です」。こういう、危険な考えを “常識” と称し、それを「何とかしよう」という気の全くないところが、ブラックバーンを “死の天使” に変えていく。神父:「待って下さい。私には理解できません」。「普通の状況下なら、これらの子供たちは十分な能力を発揮できます。しかし、ここでは そうはいきません。この子たちは、生まれてからずっと施設で暮らしてきたのです」(1枚目の写真)。ここで、何も分かっておらず、枢機卿の言いなりにしかならない院長が口を出す。「他にも問題があります。もし、彼らを学ばせることにしたら、あなたには、それが実行できますか?」。神父:「何か打つ手があるでしょう!」。ブラックバーン:「どこの施設も満杯です。子供たちを入れる場所がありません」。ここで、院長が再び、「私たちが300人の患者と学習不能児を共存させれば、問題は解決しません〔le problème demeure entier/お粗末な英語字幕は真逆の “the problem will disappear” になっている〕。教育を再開する必要があります。そして、そんなことはできないのです〔ça ne va pas du tout〕」と言う(2枚目の写真)〔院長も、ブラックバーンに追随する確信犯〕。そして、その直後のシーンで、ガブリエルが、患者の白い病衣を、巨大な洗濯機らしきものに 大量に入れている(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

ガブリエルが病衣を入れ終え、キャリヤーを押して、シーツの山の中に入って行くと、いきなり頭からシーツを被せられる。犯人は2人。顔は映らない。そして、ガブルエルの悲鳴が響き渡る。その後、ガブルエルはベッドに寝かされている。そのすぐ脇で、ジュリアンとフランソワが心配している(1枚目の写真)。ジュリアンは、ガブリエルの “あるもの” を見て、マリーの部屋に飛んで行く。「急いで、ガブリエルが…」。「どうかしたの?」。「誰かに傷付けられました!」。「ここには、そんなことをする人はいませんよ」。マリーは、ガブリエルに掛けられたシーツが、臀部の部分で真っ赤に染まっているのに気付く(2枚目の写真)。不思議なのは、この場面はこれで完結してしまい、マリーが罪びとを探そうとしないこと。誰が見ても児童に対する性的虐待であることは明らかなのに、カトリックの長年の “伝統” なのか、「臭い物には蓋」 で終わってしまう。これに関して、2010年春季に出された 『収容されたデュプレシスの子供達の体験: 50年以上経過後の結論〔Les expériences vécues par les enfants de Duplessis institutionnalisés : les conséquences après plus de 50 ans〕』という109ページの報告書(“Santé mentale au Québec”, Vol.35)には、「施設内の性的虐待は日常的で、収容者の57.1%が犠牲者だった〔Les abus sexuels étaient communs au sein des institutions et plusieurs participants (57,1 %) en ont été victimes〕」という衝撃的なことが書かれている〔もちろん、収容者には男子だけでなく女子もいた〕。「Le Journal de Montréal」〔ケベック州最大の新聞〕の2016年6月23日の記事では、一人の元・デュプレシスの孤児の話が書かれている。彼は1955年、12歳の時、それまでいた学校が精神病院になり、“気違い〔fous〕” に分類された。1日12時間、週7日働かされた。14歳の時、記者が確認した当時の医療報告書で、“裂肛による焼灼止血〔cautérisation des fissures anales〕” が原因で1ヶ月入院する。ガブリエルと何と似ていることか。しかし、幸い、この悲惨な結果は修道院長の介入を招き、彼は、専門学校に転校させられ、「地獄から救われた〔J’étais sauvé de l’enfer〕」と述べている。マリーは院長に報告したに違いないが、この院長は何もしなかった。次のシーンでは、ジャンヌが孤児たちのファイルを数冊、ブラックバーンの執務室に持って行く。そこでは、ブラックバーンが、他のファイルを開いては、中に入っていた紙を丸めてくずかごに放り込んでいる。不審に思ったジャンヌが、そのうちの1個を取り上げると、それはボルゴ医師の診断書だった。ブラックバーンは、それを見つけて、「何をしてるんだ」と咎める。ジャンヌは、「こんなことをなさっているなんて!」とブラックバーンを責める。「君には関係ない。返したまえ」。それでも、ジャンヌは返そうとしない(3枚目の写真、矢印)。「院長を呼んで欲しいんだな?!」。怒ったジャンヌは、紙を丸めてブラックバーンに投げつけると、何も言わずに部屋を出て行く。
  
  
  

マリーがジャンヌの部屋に入って行くと、彼女は、修道女を辞めることを決心し、ウィンプルを頭から外していた。ジャンヌは 「子供たちを、どんどん気違いにしてるわ」と言いながら、首にかけていた十字架も外す(1枚目の写真)。マリーは、「あなた、何か誤解しているわ。辞めるなんて間違いよ」と止めるが、ジャンヌは 「私ははっきり見たの。あいつが、孤児たちの診断書を次々と投げ捨てて行くのを。こんなことに加担するのは、もう嫌! 私たちがここでしていることは、違法行為よ!」と はっきり言う。こういう良心的な修道女も、きっと いたのだろう〔そう、望みたい〕。年上のマリーは、ある意味、“修道女でいたい” という使命感から抜け出せず、悪が行われていると知らされても、何もしない。一方、先の執務室では、ブラックバーンが、ガブリエルの新たな診断書の精神障害の欄に、「精神薄弱〔AEEIÉRÉ MENTAL〕」と書き、サインする。次に同じ内容でサインしたのがフランソワの診断書。そして、3枚目はジュリアン(2枚目の写真)。前節で触れたモントリオール新聞の犠牲者が受けた違法行為と全く同じことが行われている。ブラックバーンに代表される これら医師たちには、良心のかけらもない。この診断書に被るように、ジュリアンの顔が映る。ジュリアン、フランソワ、ガブリエルの子供時代の場面は、ここで終わる。映画の第Ⅱ部の後半では、青年になった3人が登場する。このサイトの主旨とは反するが、3人がどうなるかについても興味があるので、これまでよりは簡単に筋を紹介していこう。
  
  
  

以前よりも高慢ちきになった修道院長が、看護婦を引き連れて病院の廊下を歩いて行く。そして、格子戸の扉を開けて、精神病棟に入って行く。胸を反らし、真正面しか見ずに歩いて行くので(1枚目の写真)、せっかくガブリエルが掃除で集めたガラス片を蹴散らして行く。怒ったガブルエルは、「ど、どこ見て、あ、歩いてるんだ!」と怒り、箒を振り上げる。それを見た院長は、自分が悪いのに、吐き捨てるように、「ガブルエル!」と叱りつける。そして、「箒を床に置かないと、一生後悔しますよ」と、冷たく言い放つ。マリーが優しく 「ガブルエル、置きなさい」と言うと(2枚目の写真)、「はい、シスター」と箒を下げる。院長は、マリーに、「医者に 薬の投与量を増やすよう言いなさい」と命じるが、マリーは 「もう十分与えています」と反論。それを無視して行こうとした院長に、神父も 「ガブリエルは、誰かを怒らせようとしたわけではありません」と擁護するが、生意気な院長は、「あなたは聖職だけをしていればよろしい。残りは私がします」と、傲慢な口をきく。次のシーンでは、大きくなったジュリアンとフランソワが登場する。フランソワは、精神に異常をきたした老人達の面倒を見るのに疲れて、ベッドに座り込み、それをジュリアンがなだめている。そこにロゴがやって来て、「ここで何をしとる?」と フランソワに訊く(3枚目の写真)。「働かんか!」。ジュリアンは、「さあ、行こう」と声をかけるが、フランソワは動こうとしない。そして、「働くのはもう嫌だ!」とロゴの命令を拒む。
  
  
  

フランソワは、罰として 別の部屋の台上に寝かされ、口に棒を咥えさせられ、額に、電気ショックの端子が当てられる。ショックで暴れて体が動かないように、左右に2人ずつ並んだ男が、両手でフランソワの体を押さえつける(1枚目の写真)。「L’EXCEPTION」の2020年4月24日の記事には、このように書かれている。「デュプレシスの孤児たちは 精神病患者の世話をさせられただけでなく、その当時の薬の実験台だった。医師たちは、正式に使用する前に、試作品でテストしたかった。それらの薬のほとんどは、今では禁止されている。こうして自由を奪われた孤児の中には、電気ショックで苦しめられたり、ロボトミー〔統合失調症などの治療を目的に、前頭葉の白質の一部に切開を加えて神経線維を切断する外科療法〕を施された者もあった。殴られた際に抵抗もしくは反抗した場合には、拘束衣、四肢拘束具付きベッド、檻も使用された。強力な抗てんかん薬が罰として投与され、孤児たちを “野菜” のように無個性化するのに効果を発揮した」〔こんな非道なことが、修道院の中で 日常的に行われていたとは!〕。心配になったジュリアンは、ロゴたちが去った後、フランソワを見に行くが、彼は気を失ったままだ(2枚目の写真)。呼びかけて、体を揺すっても全く反応しない。そして、かなり前にあった告解室のシーンが再現される。マリーが、「神父様、私はもう、どうすればいいか分からなくなりました。誰に頼めばいいかも分かりません。だから、ここに来ました」と、すがるように言う。神父も 「私とて同じです。どうして、このような事態になったのか、全く理解できません」と、数年前と違い、マリーに賛成する。マリー:「子供たちは、どうなってしまうのでしょう?」。この真摯な心配は、修道院で行われる礼拝の時に反映される。院長をはじめ40名ほどの修道女を前にして、神父は、通常の説話から始める(3枚目の写真)。しかし、最後に、こう付け加える。「しかし、時々、私は疑います。私たちが助けている人々は、本当にそれを必要としているのだろうか、と常に自問しなければなりません。『ひょっとして、自己保全のためだけにしているのではないか? 自らの栄光のためではないか?』 と」。この最後の投げかけは、院長を直撃するものだった。説話が終わって礼拝堂から出て行く時、院長は、神父に向かって、「申し訳ありません〔Tout à fait désolant〕」と謝るが、後の言動から見て、反省したとは一切思えない。
  
  
  

大部屋で、ロゴが子供たちに怒鳴っている。「苦情2つだぞ! こんなことがあると、俺は頭にくる! ちゃんと説明しろ!」(1枚目の写真)。お説教は延々と続く。見るに見かねたマリーが、ロゴを部屋に呼ぶ。「ここで孤児を激しく罵るとは、あなたは大きな間違いを犯しています」。「孤児じゃありませんよ。でなければ、ここに残ってはいなかったでしょうからな」。「ロゴさん、私は悪寒が走ります。何と恥かしい。私たちが、あの子たちに何をしてしまったかと思うにつけ… 私は混乱しています。こんな “ごまかし〔mascarade〕” に参加していることが恥ずかしい! あなたは、もっと理解すべきです。あなたも孤児だった。苦しみが分かるではずでしょう」。「俺を、気違いどもと比較しないでいただきたい」。「あなたは、それが 嘘だとよく知っています!」。「俺は、医者の話を聞いてるだけですよ。彼らは専門家です。勝手な結論を出さないで下さい!」(2枚目の写真)。「時々、私は疑問に思います。私たちは、同じ場所で、同じ子供たちと働いているのだろうかと。私たちの間に相互理解はありません」。ロゴは、強力な精神安定剤を入れたカップを載せたトレイを手に取ると、「俺は お医者から指示を受け、それをやっているだけ。あなたの話には ついて行けませんな」と、捨て台詞を残し、大部屋に戻る。そして、その薬をガブリエルに飲ませる(3枚目の写真、矢印)〔他のカップは、痴呆老人用〕
  
  
  

次の短いシーンで、ジュリアンは棚の中の記者手帳の山から1冊取り出す(1枚目の写真)。マリーは、その記者手帳を見ながら、言葉の使い方や 綴りの間違いを ジュリアンに指摘する(2枚目の写真)。ジュリアンは、11-12歳の頃から、一切勉強をさせてもらえなかったので、これが唯一の “教育” になっている。その記者手帳を読み終えたマリーは、「これだけ?」と訊く。「事実しか書きたいと思わないから」。「ガブリエルのことは… あの子が飲んでる薬は… 医師が出したものです」〔ロゴに言ったことと違う。マリーも、責任を医者に転嫁している〕。それを聞いたジュリアンは、遂に、マリーに対し、不信感を顕わにする。「僕たち、ここに長く居過ぎです。ずっと前、あなたは、『ここに長くは置いておかない』と言いました」(3枚目の写真)「今は、もう何も言ってくれない!」。
  
  
  

ロゴの本性が顕れる場面。ロゴが、昔と同じように 孤児とボクシングをしている。対戦相手はフランソワ(1枚目の写真)。ロゴは、フランソワに強烈な一発を食らわすが、フランソワはそれでも続ける。そして、もっと強烈な2発目。右目の周りに血がにじむ。それでも、フランソワはあきらめない。そして、遂にロゴの顔に一発お見舞いする。ロゴは鼻血を出す。その後、フランソワの連続パンチが決まる。何とか立ち上がったロゴは、もう人間ではなく獣だ。ボクシングなどやめてしまい、フランソワを捕まえると、拘束衣を着せ、檻の前まで連れて行くと、頭を何度も金網に叩き付ける。そして、扉を開けると、檻の中に放り込む(2枚目の写真)〔正規の試合をしていたのに、負けたからといって、職責を笠に着てこのような行為に走るとは、以前のガブリエルに対する性的虐待と重ねて見ると、終身刑に相応しい悪魔の化身だ〕。このあとで、ロゴと神父の会話が入る。「フランソワが檻に入れられたと聞きました。もう丸一日ですね?」。「既定の手続きです。ブラックバーン博士は知ってますよ」(3枚目の写真)。「私は、そのことを話しているのではありません。キリスト教徒として訴えたいのです」。「彼は暴力的です」。「でも、可哀想な無実の子供なのですよ!」。「医者は、そうは思っていません」。「どのくらい、入れておくのです?」。「必要なだけ」。ロゴを止められる者は、もう誰もいない。
  
  
  

心配になったジュリアンは、夜、こっそり、フランソワに会いに行く。そして、「こんなこと止めろ! 気違いにされちゃうぞ! ほんとの気違いに! 奴らは君より強いんだ」と言いながら、水に濡らした布で、フランソワの顔に付いたままの血を拭う(1枚目の写真)。そこに、ロゴが入って来て、ジュリアンは怒鳴られて追い出される。ロゴは 檻の中に入って行くと、お前みたいな奴に効く方法は一つしかない。やってみたいか? どうなるか、試してみたいか? 脳の一部を切り取るんだ。ロボトミーって呼ばれてる」と脅す(2枚目の写真)〔ロボトミーについては、4つ前の節で記事を引用〕。フランソワは、「俺は、出て行くぞ! 気違いじゃない! なぜ俺を絡むんだ?!」と怒鳴る。「お前が命令を聞かず、乱暴だからだ! それに、いやが応でも、お前に目を付けたからだ!」。「貴様には、こんなことする権利はない!!」。「どうだ 気付いたか? お前の頭は おかしくなる寸前だ!」。フランソワは、扉の開口部の上の枠を両手でつかむと、両足でロゴの胸を 思い切り突き飛ばす。ロゴは、そのままコンクリートの床に転倒する。ロゴの胸の上に乗ったフランソワは、これまでの恨みを込めて何度も拳で顔を殴る(3枚目の写真)。
  
  
  

檻は大部屋の隣にあるので、ジュリアンは、その異様な音に心配している〔それまでの怒鳴り合いの時は、耐えられずに耳を塞いでいた〕。フランソワは、ロゴのポケットに入っていた鍵の束を取り上げる。そして、大部屋に入って行くと、ジュリアンに一緒に来いと合図する。ジュリアンは、ガブリエルも一緒にと促すが、フランソワは 「彼には無理だ」と拒む。フランソワはジュリアンと一緒にドアに向かい(1枚目の写真)、ロゴの鍵で大部屋から外の廊下に出る。そして、その先の、精神病棟と普通病棟を分ける鉄格子のドアも鍵を開けて突破。その先の、地下の配管路のような所を走る。その頃、何とか立ち上がったロゴがよろめいている音で目を覚ましたマリーは、ガラス戸の血だらけのロゴに気付く。2人は、工場の中のような迷路を走り続けるが、元学校の “病院” に、なぜそんなものがあるのかは理解できない。マリーの通報で、他の修道女や警備員達がフランソワの捜索を始める。2人は、ようやく建物の出口に辿り着く。最後の鍵を開けてフランソワは外に飛び出すが、ジュリアンはドアから出ようとしない。それに気付いたフランソワは、「何してる? 急げ!」と呼ぶが(2枚目の写真)、ジュリアンは動こうとしない。「いったいどうした?」。「できない」。フランソワは、ジュリアンの決意を知ると、「気が変わるかもな」と言って、鍵束を渡し、そのまま走り去る。マリーが大部屋に戻ると、そこには、ガブリエルを抱いたジュリアンがいた。ジュリアンは、鍵束をマリーに渡す(3枚目の写真、矢印)〔ジュリアンは、薬漬けのガブリエルを放置したまま逃げることができなかった〕
  
  
  

翌日、ジュリアンは中庭の回廊の手すりから、記者手帳からページを1枚ずつ破っては捨てている。それに気付いたマリーが止めると、「もう記者手帳なんか要りません。考えることは止めました」と言う。そして、「フランソワのことが心配です。気違いにされてしまう」とも。マリーは、「まだ 探してるわよ」と嘘を付く。次のシーンでは、神父が院長室に入って行くと、そこには、マルティノが座っている。マルティノは、本性を顕し、「実を申しますと、神の家修道院におけるあなたの状況を調査した結果、私どもは、あなたが この種の施設における責任に 十分対処できていないとの結論に達しました」と、一種の解雇通知を言い渡す。神父:「『私ども』 とは、誰を指すのですか?」。「高位の方々です」。神父は、日ごろ思っていた怒りを、この “枢機卿の腰巾着” にぶつける。「恐らく、私たちの考えている “キリスト教徒にふさわしい寛容さ” は、最早同じものではなくなったのでしょう。もし、あなた方が、この施設の壁の中に 僅かでも寛容さを残しているとしたら、子供たちを奴隷のように働かせることなどできません!」(1枚目の写真)。院長は、それでも、自己弁護する。「しかし、あなたは、彼らがしている仕事をご存じのはず。あれは 特別な心理療法です」。神父は、さらに痛烈に、聖職者の顔をした人間のクズに 「そうは思いません。管理費の削減を通じて、あなた方の利益になっているだけです」と、その醜い実態を指摘する。院長は、タダ働きの理由を、「子供たちはお金を必要としません。お金で何をするのですか?」と強弁するが、この修道女はいったい何を考えているのだろうか? 良心はもちろん、慈愛の心の断片すら持っていないことは確かだ。神父:「仕事に対してお金を払わないことは、私たちの品位を貶めます」。マルティノは、「もう十分でしょう」と議論を終わらせる。その夜、マリーは、自分の部屋にジュリアンを呼び、持って来させた数冊の記者手帳を選びながら 「あの方〔神父〕に 最高のものを お見せしなければ」と言う(2枚目の写真)。「それで、どうかなるのですか?」。「ここを、出て行くのです。あの方に、あなたを連れて行くようお願いしました、きっと、相応しい場所に連れて行って下さいます」。そして、ジュリアンを神父の部屋に連れて行く。ジュリアンが部屋に入って行くと、神父は、“悪の巣窟” を明日出て行くので、荷物の整理中だった。それでも、ジュリアンが持って来た、“最高” の記者手帳を読んでくれる。「こうした手帳は、もっとあるのかね?」。「はい、少なくとも100冊は」。「誰が、教えてくれたのかな?」。「シスター・マリーです」。「ずっと?」。「ここに来た時からです」。感動した神父は、思わず 「シスター・マリー、あなたは素晴らしい方だ」と口にする(3枚目の写真)〔マリーが そこにいたわけではない〕
  
  
  

明朝、スーツ姿でガブリエルのベッドに行ったジュリアンは、宝物の入った缶を渡し、貴重なハンカチをガブリエルの心の支えとなるようにプレゼントする。それが終わると、マリーは、「あなたは、とてもいい孤児院に入ることになったわ」と教える。中庭では、神父がジュリアンのやって来るのを待っている。そして、荷物を受け取ると、「前に乗りなさい」と言う(1枚目の写真)。その姿を、2階の回廊から、マリーとガブリエルが見送っている。マリーが、涙にくれているので、この修道女が、神父のように “造反してまで悪を正そうとする力” はないものの、実に心優しい女性であることが分かる。神父が運転する車は、“死の収容所” の柵を出て、自由な世界に出て行く。神父の車は、“社会に開かれた” 孤児院の前で停まる。車の屋根には神父の荷物が載っている。神父はトランクを開けてジュリアンの革鞄を取り出す。その機会をとらえて、ジュリアンは、「フランソワが どうなったか ご存じですか?」と尋ねる。神父は言うのを渋っていたが、ジュリアンは、「言えない訳でも?」と言うと、意を決して、「フランソワは捕まった。逃げ出してすぐだ」と教える。「今、どこにいるのです?」。「病院だ」〔これで、フランソワが、一生を “気違い” として送ることが決まってしまった〕。孤児院の教室では、教師の神父が、「昨日、君たちに話したように、今日から新しい生徒が加わることになった。ジュリアン君だ」と紹介する。その教室にいる生徒達の年齢は、最初にジュリアンが神の家修道院に来た時と同じだ。だから、青年のジュリアンを見た生徒の1人は、「すごく大きいや。少なくとも7つは上だな」と言う、生徒達が笑う。教師は それを注意し、そのあと、生徒たちに、デュプレシスが昨日死んだと告げる。このことから、この日が1959年9月8日だと分かる。映画は1953年から始まったので、約6年後となる。最初11歳だったので、今では17歳だ。教師は、ジュリアンに 「デュプレシス氏に何か言うことがあるかね? 彼は君に何をした?」と質問する。これは、ジュリアンに対する質問というよりは、映画全体の強いメッセージでもある。カナダ史上最悪の政治家。数千人の孤児達を悲惨な目に遭わせ、生き残った孤児達にも深い心の傷を残した冷酷な人間に対するメッセージだ〔映画を観ている限り、デュプレシスより 枢機卿レジェの方が よほど悪質〕
  
  
  

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