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Nenè ネネ

イタリア映画 (1978)

スヴェン・ヴァルセッキ(Sven Valsecchi)が主演級を演じるが、すぐ前に出演した『ラスト・クリスマス(Questo sì che è amore)』では薄幸の天使という「いい子」だったのに対し、ここでは無邪気な堕天使という「悪い子」に変身している。少し怖い。ベッドシーン(少し意味は違うが)も3回ある。直接何かをするわけではないが、10才以下の子にこのような会話をさせていいのだろうか、と真剣に思う。ただし、映画そのものは、第二次大戦直後のイタリアの世情の中で不幸に終わった恋愛を描いた真面目な映画であることをお断りしておく。

戦争で何もかも失い、その後の職探しも下手で、以前にお屋敷があった島の管理人の家のような所で暮らす夫婦と兄弟の4人の家族。そこに途中から加わる、いとこのネネ。中でも、中心となるのは、15~17才くらいのネネ(Leonora Fani)と、8~9才のユー(Sven Valsecchi)だ。2人の際どい掛け合いが中心となる。それとは別に、貧しく暮らす一家の毎日、廃墟化したお屋敷に無断で住み込む多くの浮浪者、次の選挙に賭ける共産党員、それを防ごうとする教会、など様々な要素が交じり合う。ユーの父は、不満の塊のような人物で、ユーとは男同士で仲がいいが、ことチェスやポーカーとなると、負けてばっかりなので機嫌が悪くなる。こうした中に登場する混血の不良ロディ。ネネに心を寄せていたユーは嫉妬するが、最後の最後までネネを見捨てない。しかし、ユーがロディに捨てられ、愛をもって救おうとした時に子ども扱いされ、絶望に沈む。成人に近い女性と幼児に近い少年の不思議な恋の物語だ。

この映画の監督は顔のクローズアップが好きで、スヴェンの顔も何度も大写しになる。『ラスト・クリスマス』の頃と年令はほぼ同じで、金髪もきれいで可愛いが、無邪気さと性の目覚めと嫉妬が交じり合った微妙な表情が面白いので、あらすじではシーンごとに追加してみた。


あらすじ

映画は、ユーの「ボクには、怖いモノなんかない」という言葉で始まる。すぐに、ユーが全身を大きな鏡に移し、パンツを下げて「男、女、男、女」「男にはコレがあって、女にはないんだ」と犬に向かって話す衝撃のシーン。そして、安給料で働いている父が帰ってくる。母は父に向かって、いつものグチを並べる。今日の不満は、広大な庭に残る昔のお屋敷が不審者に占領されていることだ。父は暇さえあればユーとチェスをし、いつも負けては文句ばかり言っている。
  
  

父の稼ぎが少ないので、ユーは学校にも行かせてもらってない。近くに住む未婚で欲求不満気味のおばさんに読み書きを習っているだけだ。書き取りをさせておいて、隣の部屋で下着姿になり、「誰でもいいわ。こんな体じゃねぇ」。その姿を、こっそり見つめるユー。
  
  

勉強が終わると、ユーはお姉さんのクリスティーナと森で転げまわって遊ぶ。そして、こっそり不審者を見ているうちに、もっと知りたくなって単身屋敷内に侵入。中は浮浪者で一杯だ。うろついているうち、黒人と混血の高校生ロディに出会う。ユーの好奇心は旺盛だ。「やっぱり、殺したり、盗んだりするの?」「せめて、不道徳なコトぐらいするの?」「要するに、あんた、落ちこぼれ者?」。口は達者である。
  

ユーの父は、兄が入院したため、長女ネネを引き取ることになった。今でさえ貧しいのに食い扶ちが増えると母は困惑気味。一家で、駅まで迎えに行く。そこで、ネネに「あなたが、いとこの、チェスの達人さんなのね?」とキスされて、心を奪われてしまう。家に帰り、パジャマに着替えてベッドに入るネネをじっと見つめるユー。「駅で、私のこと見てたでしょう?」「もっと 話したいから、私のベッドに来ない?」と訊かれ、返事は「いや」。「なぜ?」。「自分が、信用できないから」。すごい返事だ。「あなた、まるで大人のように、私を見てたじゃないの」。「それなら、どうしてボクに、裸を見せたの?」。「あなたが、勝手に見てたんじゃない」。子供とはとても思えない。
  
  

ユーは気に入ったネネと屋敷の脇にある壊れた温室へ。そこで1本のタバコを交互に吸いながら、ネネ:「あなたは、好きよ」。ユー:「タバコ吸ってたなんて、パパに言いつけないよね」。その後で、森の中でいなくなった犬を探していて突然ロディと遭遇。「これが、あの評判の、いとこ君かい?」。「うん」。「きれいだな!」。嫉妬深げにロディをみるユーの眼差しが怖い。これが、ネネとロディの運命的な出会いとなる。
  
  

ロディに惹かれたネネは、その夜、ユーをベッドに呼び寄せた。ロディの話をユーから聞き出すためだ。しかし話は逸れていき… 「私、ほんとに、きれい?」。「うん、ボク、好きだよ」。「で、どこが好きなの?」。「きれいなトコさ」。「私の どこが好きなの?」。「口だよ」。ネネは、「鼻をつまんで、できるだけ我慢してて」というと、相手がロディのつもりで、ユーに長いキス。そして、「ロディも、こんな事したいと思う?」と言いつつ、ユーの手を自分の乳房に触らせ、パンツの中にも入れる。ユーは、「ロディが、したがるかなんて、何でボクに分かるのさ?」と反発し、後ろを向いてしまう。
  
  

その後、ネネとロディは森の中でよく会い、キスを交わす関係になっていった。それを見守りながら顔をしかめるユー。そして、またベッドの中で話し合う二人。「君達、抱き合ったの?」。「ええ」。「じゃあ、同じコト、ボクにしてよ」。「何ですって?」。「さあ、やってよ」。「何んて事を… イカレてるんじゃない?」。「やってって、言ったんだよ」。そして、ネネがユーにやったことは、何とフェラチオ。「気に入った?」。「まぁね」「でも、何してるの?」。「あなたの望んでる事」「気に入った?」。「うん。でも、ちょっとくすぐったい」。「そうね。小さなままだから」。「飽きちゃった」。はっきり言って、そら恐ろしい会話だ。ユーは、前歯がほとんどないくらい小さな子供なのに。
  
  

森の中で、ネネの本心を、ユーが長いホースを通して聞く印象的なシーンだ。赤裸々な男女の関係を打ち明けるネネ。それに対し、「そんなの売春婦だ! ほんとの売春婦だ!」と言って涙を流すユー。ユーはそれ以上聞くのを拒み、ホースを放して去って行った。
  
  

父がマラリアにかかり、病気がある程度治った時、ベッドの中で退屈しのぎにポーカーをやろうと言い出す。チェスだと負けることを知っているからだ。キャンディを賭けたポーカーは、何でもできるユーにはお茶の子だった。賭けがキャンディ1個のうちは適当に負け、5個に上がってからは、「クイーンのフルハウス」に対し「10フォーカード」。「やるな」「運のいい奴だ!」「幸運は、人生で役に立つからな」。ここまでは機嫌の良かった父だったが、負けが続くと怒り始め、ユーに「一人勝ちされるようなら、ゲームをやめるのが鉄則だ」と言われても勝負に出て、フラッシュで負けてしまう。怒鳴りまくる割には、「病人なのに、手加減しなかったんだぞ」と往生際も悪い。屈折した場面が多い映画の中で、一番面白いシーンだ。
  
  
  

着替えをするからと部屋を追い出されたユーは、窓の外に机を置いて、ちゃっかり覗き見する。「行きなさい。着替え中なのよ!」。「ボクを中に入れて。見せてよ、何もかも!  そこに 何つけてるの?」。とても子供とは思えない。中に入れてもらったユーが見たものは、ネネの腰に巻かれた鍵付きのチェーン・ベルトだった。イタリア版の貞操帯である。「ロディが、つけたのよ。彼が主人で、私が奴隷だから」という話に、「何てぶざまな」という顔で聞き入るユー。「もう、愛し合ったの?」。「いいえ、でも、もうすぐ」。
  
  

話はがらりと変り、イタリアの総選挙。敗戦後3年を経て共産党が勢力を伸ばし、町の床屋も党員として選挙活動に大わらわ。開票前から、盛大な祝賀パーティを用意している。そこに、党員でもないのに招かれたユーの一家。パーティが盛り上がったところで、敗戦の報が入る。その時、一家はユーとネネの姿が1時間以上も見えないことに気付く。ユーは、ネネとロディの結婚式の神父役を務めていたのだ。それと知らずに探しに出かける父。
  

結婚式が終わりユーと別れた2人は、温室の廃墟で愛を交わす。そこにユーの父が現われ、2人をベルトで殴り始めた。卑怯にも逃げるロディ。ネネは一人になり、ベルトで滅多打ちにされた。それを隠れて見ていたユーは、父が立ち去ると「ネネ、泣かないで。もう、ボクだけだよ」と慰める。そして、「ボクは、2人で幸せになりたい。君にできる?」と涙ながらに誘うが、「私はもう子供じゃない。分からない?」の言葉に寂しく去っていく。
  
  

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