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Scrooge クリスマス・キャロル

イギリス映画 (1970)

先月末(2018.11.30)に『Merry Christmas! ロンドンに奇跡を起こした男』が公開された。ディケンズが『クリスマス・キャロル』を執筆するに至る経緯を描いた作品だ。そして、今日(2018.12.24)はクリスマス・イヴ。この映画を紹介するとすれば、今しかない。『クリスマス・キャロル』は過去に何度も映画化されたが、私はこのミュージカルが一番好きだ。34歳の若さで、老齢のスクルージを演じたアルバート・フィニーの才能には脱帽するし〔ゴールデングローブ賞の主演男優賞/過去のシーンでは20代のスクルージも演じている〕、アレック・ギネスも貫禄だし、歌もなかなかいいが、何といってもティム少年が可愛くて、大役を与えられている。これほど有名な原作を、「これほど変えてしまっていいのか?」と思えるほど、ティムを重視した映画になっている。

原作と映画について対比してみよう。このサイトの目的は子役の紹介なので、原作との対比もティム少年に限定する。映画は、かなり原作に忠実なのだが、1つだけ大きな違いがある。それがティムの扱い。映画では、ティムは、スクルージを改心させるに当たって、非常に重要な役を担っていて、その分、出番は原作より遥かに多い。せっかくなので、私の蔵書にある『クリスマス・キャロル』と、その中の挿絵を使って説明しよう。この本は、1915年(大正4年)に出版された「アーサー・ラッカムの挿絵入り」の稀覯本(左上)で、『クリスマス・キャロル』の出版物の中では一番有名なもの。525部限定で、私のものはNo.45(右中)。この原作では、ティムは「第3節 第二の精霊」の場面でしか登場しない。映画の最初に描かれて、ミュージカル・ナンバーも入る父とティムの買い物のシーンは原作には一切ない。「第1節」には、「書記は…クリスマス前夜を祝うために、何度となく、男の子たちの列のあとについて、コーンヒル通りのつるつした路面を歩いて…」と書かれているだけ。だから、この本のそのシーンのカラー挿絵(左下)にも、当然ティムは入っていない。原作でティムが登場するのは「第3節」のみ。その初登場場面は、書記がティムを教会から家に連れ帰るところ。「教会からずっとティムの純血種の馬となって、後足で立って姿勢で帰ってきた」と書かれている。このシーンが白黒の挿絵で83ページに描かれている(右下)。ティムの絵は、何と この1枚だけ。その後、原作でも映画でも、クラチット家での侘しくも心温まる夕食前の光景が描写されるが、映画ではティムに「The Beautiful Day」というナンバーを特別に歌わせている。原作では、食事のシーンは集団描写になっていて、ティム個人に焦点があてられることはほとんどない。挿絵もない。その割に、原作でも映画のように、スクルージは、ティムの将来(死にはしないか)を心配する。原作では、逆に、「なぜ、そんなに心配するのか」が不思議に思えるほどだ。映画では、ティムは3回登場する。3度目は、原作の「第5節」にあたる。そこでは、スクルージは、書記の家族に七面鳥をプレゼントするが、贈らせるだけで本人はクラチット家には行かない。「あれをボブ・クラチットのところに贈ってやろう。ボブには誰が贈ったのか教えないでおこう。ティムの二倍も大きいんだ」と言うだけ。映画では、サンタ姿で行き、ティムたちにプレゼントを渡し、ティムを抱く。そしてちゃんとした医者にかからせると明言する。如何に、ティムが重視されているかが分かる。なお、あらすじは、ティム少年に係わる部分に限定する。


ティム少年を演じるのは、リチャード・ボーモン(Richard Beaumont)。1961.6.5生まれなので撮影時8歳。それまでTVシリーズに端役で2回出ただけ。その後は、翌年のマーク・レスター主演の『誰がルーおばさんを殺したか?』に孤児の役で少しだけ顔を見せただけで(下の写真)、後はずっとTVばかり。この映画で2回歌っているが、歌手になった形跡もない。やはり、「可愛らしさ」だけでの出演だったのだろうか?
   


あらすじ

12月24日の夜、薄暗くて〔ロウソウ各1本だけ〕、寒い〔暖炉が小さく、書記が手に息を吹きかけて温めている〕スクルージの事務所で働く書記のボブ・クラチットは、午後7時が来てようやく給与を渡してもらえる〔当時は、週6日10時間労働〕。それも、明日のクリスマスが年1回の休日なので、「働きもしないのに1日分余計に払う」ことに対し、ネチネチと文句を言われた末だ。金額は僅か15シリング(週給)〔慶大の論文には、ブラック・カントリー(イギリス中部のウェスト・ミッドランズ工業地域)における1840年の「夫婦に子供2人」の家庭の「最低生存水準」の週賃金は14シリング7.5ペンス、という資料が示されていた。また、イギリスの資料でLondon, Brighton and South Coast Railwayという鉄道会社の事務員の1830年代の週給は21シリングとあった。ロンドンの書記と単純比較はできないが、クラチット家の子供は5人、週15シリングはどうみても少ない〕。そこで場面は一転し、おもちゃ屋の前で羨ましげにショーウィンドーを覗いているティムとキャシーが映る(1枚目の写真、矢印は松葉杖をついたティム)。ティムの憧れるような顔がクローズアップされる(2枚目の写真)。そこに、父が現れて2人を抱く(3枚目の写真)。「遅れてごめんよ。スクルージさんと 土壇場まで仕事をしてたからね」と謝った後で、「一番欲しいものはどれ?」と訊く。キャシーは、「角のお人形がいい」と控え目だが、ティムは、「ぜんぶだ」と言う。「特に欲しい物はないのかい?」。「どうせ買ってもらえないんだから、全部好きだって言った方がいいよ」(4枚目の写真)。「ティム、お前は哲学者で紳士だ」。そして、「今、ポケットに15シリングある。クラチット家も、ロンドン市長みたいに、豪勢なクリスマスが過せるってわけだ」。そう言うと、父はティムを肩に乗せる。
   

キャシーは、「お人形が欲しい」と ショーウィンドーからなかなか離れない(1枚目の写真)。ここから、『Christmas Children』のナンバーが始まる。歌うのは、父、ティム、キャシーの3人〔https://www.youtube.com/watch?v=exqWZBS2r7I〕。2枚目の写真は、ティムが、「Christmas hopes and joys(クリスマスの希望と喜び)」と歌う場面。そして、「謎のプレゼント。1シリングで4個」という看板を前にしたサンタの前に行く(3枚目の写真)。手持ち15シリングでは、子供たちへのプレゼントはこれが限界だ。1つ渡されたキャシーは、「Wonder what’s inside(中は何かしら)」と歌う。ティムは、「But ‘til Christmas morning. No one knows(でも、クリスマスの朝までは、誰も知らないよ)」と歌で受ける(4枚目の写真)。サンタ服を着た父の友人は、「お前んとこは5人だから、1シリングで5つだ」と、小さな箱をおまけしてくれる。
   

鳥屋の店頭には、賞をもらった特大の七面鳥が吊るしてある。それを見上げながら、2人は「I suppose that children everywhere will say a Christmas prayer(子供たちは どこでもクリスマスの祈りを唱えてる)」と歌う(1枚目の写真、左端に七面鳥の首が映っている)。父が、「’Til Santa brings their Christmas things(サンタが贈り物を届けてくれますように)」と歌いながら、小さなガチョウを買って店から出てくる。そして、「ほら、店で最高の鳥を買ってきたぞ。1シリング10ペンスだ」と話す。そして、ティムをイス付きの手押し車に入れ、鳥をティムに渡す(2枚目の写真)。ティムは、「Wondrous things to eat(素敵な食べ物)」と歌う(3枚目の写真)。その後、3人は、果物の出店の前に来る。リンゴが6個1ペニー、オレンジが4個1ペニーで売られている。キャシーは、まだ、「角のお人形がいい」とティムに言う。現実的なティムは、「僕はオレンジでいいや」(4枚目の写真)。その後、父は、パンチ〔お酒にいろいろなものを混ぜてつくる飲物〕を1本2ペンスで買い、最後は菓子屋。クリスマスプディング〔一種のプラムケーキ〕が1個4ペンス。これで、支払った総額は、3シリング5ペンスになる。
   

クラチット家では、長男が紙で作った飾りを天井に付けている。すると、軽いノックの音。長男は、すぐに「パパだ」と言ってドアを開ける。ティムを肩に乗せた父が入って来て(1枚目の写真)、「こんなに買ってきたぞ」と言って子供たちに見せる。そして、残ったプレゼント〔ティムとキャシーはもうもらっている〕を子供たちに配る(2枚目の写真、矢印)。奥さんと抱き合った後、背丈ほどのクリスマスツリーのロウソクに火をつける。ここで、原作にはない、クラチットの買い物シーンが終わり、スクルージが事務所を出て帰宅する場面に変わる。
 

原作の「第3節」。第二の精霊、「現在のクリスマスの精霊」は、スクルージをクラチット家に連れて行く。スクルージは、窓から中を覗く(1枚目の写真)。映画開始から1時間6分半だ。父は、2ペンスで買ってきたパンチの味に大満足。その時、長女からガチョウの用意ができたと言われる。父は、「クラチット風 セージとタマネギ詰めガチョウのローストは、現代の奇跡の料理だ。カムデン・タウン〔Camden Town、リージェンツ・パークのすぐ北東〕の津々浦々〔througout the length anda breadth〕で生きた伝説になってるぞ」と自慢する。要は、小さなガチョウの内臓を出した後の空洞に大量のタマネギを詰めて7人で食べられるように膨らませるのだ(1枚目の写真、赤の矢印はダチョウの空洞、左の少女の前にあるボールの中身を全部詰める。黄色の矢印は窓から覗くスクルージの影)。そこに、キャシーとティムが、外から帰ってくる。父は、「さてさて、クラチット家のかけがえのないキャロル・シンガーが、大成功のライブ・コンサートからご帰還だ」と歓迎する(2枚目の写真)。母:「どうだった、ティム坊や」。「10ペンス半ペニー」。「偉いわ」(3枚目の写真)。父は、「若きティモシー・クラチットは凄腕、金もうけの天才だ〔financial wizard〕。たった7歳なのに、大クラチット帝国の若き百万長者だ」とユーモラスに盛り上げる〔父の週給15シリングは180ペンスにあたるので、10ペンス半は決して多くはない。しかし、先ほどのリンゴに換算すれば63個にあたる。日本のリンゴは高いので、1個150円としても1万円弱になる一方、オレンジだと42個。日本の輸入オレンジは、1個100円として4000円強。物価の比較はかくも難しいし、あまり意味がない〕
   

ここで、父が、「もし貴重なお時間を頂戴してもよろしければ、私たちにぜいたくなクリスマスの食事を与えて下さった寛大な2人の紳士の健康を祝して乾杯しよう〔drink a toast〕じゃないか」と言い出し〔ずい分、オーバーな言い方。原作では、もっとあっさりしている〕、全員にパンチの少し入ったコップを渡す。「ティモシー・クラチット坊やと…」。ここまでは、全員がにこやかだった。「エベニーザ・スクルージさん」(1枚目の写真)。全員がコップを下に置く(2枚目の写真)。夫人は、「クリスマスを台無しにするつもり?」と非難する。「でも、カチョウは彼のお金で買ったんだぞ」。「違うわ。あなたのお金で買ったのよ。あなたが稼いだお金よ。1週間15シリング、1時間3ペンスで〔この数値だと、3ペンス×10時間×6日=180ペンス=15シリングになり、週給といっても日曜日の分は入っていないことになる〕。おまけに、8年間1ペニーの昇給もなし」。「スクルージさんは、景気が悪いからだと」。「あなたにはそうでしょうね。彼は儲かってても」。夫人は、さらに、「もし、あの人がここにいたら、思いのたけを全部ぶつけてやるわ。1ヶ月は消化不良になるでしょうよ」。夫は、子供たちの前で、しかも、クリスマスなのにと諌めるが、「スクルージみたいに、不親切で無情で貪欲な守銭奴のために乾杯するなんて」と断固反論する。そして、「子供たち、愛と幸せをもたらしてくれる お父さんに乾杯しましょう。そして、ティム坊やが健康になれますようにって」と提案する(3枚目の写真)。さらに、夫思いなので、「お父さんのために、守銭奴のスクルージさんにも乾杯するわ」と付け加える。全員が、「メリー・クリスマス!」と唱和し(4枚目の写真)、乾杯する。
   

乾杯の後は、父の発案で、ティムが歌を披露する(1枚目の写真)。ここでティムが歌うのは、『The Beautiful Day』のナンバー〔https://www.youtube.com/watch?v=V6hiR0p2e5s〕。歌詞は、「On a beautiful day that I dream about(夢見るような美しい日に)」「In a world I would love to see(僕が見てみたいのは)」(2枚目の写真)「Is a beautiful place where the sun comes out(太陽が昇る美しいところ)」「And it shines in the sky for me(そして、僕を照らしてくれる)」。ここで、カメラアングルが変わる。「On this beautiful winter’s morning(この美しい冬の朝に)」(3枚目の写真)「If my wish could come true somehow (僕の願いが何とか叶うなら)」「Then the beautiful day that I dream about(夢見るような美しい日が)」「Would be here and now(すぐに来ますように)。再びアングルが変わる。ただし、歌詞は先ほどのリフレイン(4枚目の写真)。10年前に製作された同じディケンズ原作の『オリバー!』で、マーク・レスターが歌う『Where Is My Love?』を思わせる。1人だけで歌うナンバーを割り振られているということは、如何にティムが重視されているかの現われだ〔他に、1人だけのナンバーがあるのはスクルージだけ〕
   

歌を聴き終ったスクルージに対し、精霊は、「何と不愉快な〔unpleasant〕子だ」と言いい〔DVDの日本語字幕は「かわいそうな子だ」となっていた。これは誤訳/精霊は、わざと、守銭奴のスクルージの視点に立って、スクルージに話しかけている〕、さらに、「なあ、クリスマスを楽しんどる家族に比べれば、次のはもっと吐き気がするぞ〔there are few things more nauseating to see than a happy family enjoying themselves at Christmas〕」と付け加える〔「次」とは甥の家/DVDの訳は「家庭は幸福そうでも十字架を背負っている」とめちゃめちゃ。最初で「不愉快」を「かわいそう」と同情したものだから、収拾がつかなくなって辻褄合わせをした結果だ。誤訳ではなく迷訳〕。スクルージは、ティムのことが忘れられない。「ティム坊やはどうなる?」と訊く。「何だと? 病気の子を案じるとは、お前、正気を失ったか〔take leave of your senses〕?」。「からかうな。あの子の病は重いのか? わしにとっては どうなろうと一向に構わんのだが… どうなる?」。「もちろん病気だ」。「すごく悪いのか?」(1枚目の写真)。精霊は無言。「生きるんだろ?」。無言。「そうなんだろ?」。「それがお前に何の関係がある? もし、あの子が死ねば、いいことじゃないか。過剰な人口が減るからな」(2枚目の写真)〔この言葉は、原作でも映画でも、冒頭、スクルージに対して貧しい人々への義援金を求めにきた紳士に、「死んで、過剰な人口を減らしてくれた方がいい」と言って拒絶した時に使っている→スクルージは自分の言葉の非情さに気付く/原作では、スクルージがティムについて最初に訊いた時、すぐに、「あの子は死んでしまうさ」と答える。映画の方が、ティムを重視しているため、会話を長くしている〕。ここから3枚目の写真までは10分間が開いている。その間に「第4節」に入り、「第三(未来のクリスマス)の精霊」が現れる。その未来では、カムデン・タウン中の人々が通りに出てお祝いをしている。スクルージも、訳が分からないまま、お祝いに加わる〔どの精霊の場合もだが、スクルージの姿は誰にも見えないことになっている〕。この大掛かりなミュージカル・シーンで歌われるのは、映画の中で最も有名な『Thank You Very Much』〔https://www.youtube.com/watch?v=Dkq7WZTzkLQ〕。一番分かりやすい映像は3枚目の写真。馬に牽かれた台車に載っているのはスクルージの棺(赤い矢印、黄色の矢印はスクルージ)。強欲な金貸しが死に、借金がチャラになったので皆が喜んで「どうもありがとう。人生こんな素晴らしいことはない」と歌う楽しい曲だ。スクルージもつられて楽しそうに歌い踊るところが物悲しい。
  

群集が去った後、スクルージの目の前に精霊がすっくと立ち、クラチット家を指す(1枚目の写真)。スクルージが窓から覗くと、夫人は目に手を当て(2枚目の写真)、子供たちには、涙をごまかすため、「化粧が目にしみるわ」と話す。部屋の中にいる子供は4人だけ。階段の下には、使われなくなった松葉杖が置いてある。それを見たスクルージは、精霊に「ティム坊やはどこだね?」と尋ねる。「連れてってくれ」。連れて行かれた先は雪に覆われた墓地。バックグラウンドに、ティムが歌っていた声が聞こえる。「美しい冬の朝…」。そして、カメラは、墓参に来たボブ・クラチットを映す(3枚目の写真、矢印)。クラチットは、持ってきた1輪の花を十字架の下に置くと、「もう行くよ、坊や。クリスマスの晩餐の手伝いをするって約束したから。また、明日、会いに来るぞ。同じ時間に。いいな?」〔1年後のクリスマス〕。立ち去るクラチットを見送ったスクルージは、「ティモシー・クラチット/1854-1862 7歳」と彫られた十字架を悲しそうに見る(4枚目の写真)。
   

スクルージは、「精霊よ、あんたは、大きな喜びと悲しみの未来を見せてくれた。だが、わしはどうなるんだね? 精霊が指した先にあったのは、「エベニーザ・スクルージ」と彫られた真新しい墓石。そして、墓石の前には棺を納める深い穴が開いている。その時、精霊が初めて顔を見せた。頭巾の中にあったのは骸骨。驚いたスクルージは、墓穴の中に落ちて行く(1枚目の写真)。原作では、スクルージは落ちずにそのまま「現在=クリスマスの日の朝」に目覚めるが、映画では地獄に落ちて行く。そこには、マーレイの幽霊が待っていて、ルシファー(サタン)の事務室へ連れていき、苛酷さが気に入られ書記に登用されたと告げられる。その事務所は、スクルージの事務所に似てはいるが、すべてが凍り付いている。そして、スクルージの体は特製の長くて太い鎖でぐるぐる巻きにされる(2枚目の写真)〔鎖は過去の悪事が多いほど長く 重くなる〕。スクルージがもがき苦しんでいると、場面は、「現在=クリスマスの日の朝」に変わり、鎖の代わりに、ベッドの柱に絡みついたシーツでがんじがらめになっている(3枚目の写真)。スクルージは、自分のいる場所が、地獄ではなく寝室だと気付くと、生きていることに感謝し、「わしは、チャンスを与えられた。二度と昔のわしには戻らんぞ。やり直すんだ」と誓う(4枚目の写真)。
   

スクルージは家から出ると、外にいた少年を呼び止め、「今日は、何の日だね?」と訊く〔3日間、3人の精霊に会っていたので、「いつ」なのか分からない〕。「クリスマスに決まってるよ」。クリマススを逃がさずに済んだことを喜んだスクルージは、「ひとつおいた次の通りの鳥屋を知ってるかい?」と訊く。「知ってるとも」。スクルージは、賞を取った七面鳥が売れたかどうか尋ね、残っていると聞くと、七面鳥代にソヴリン金貨(1ポンド=20シリング)2枚を渡し、お駄賃に半クラウン(5シリング)やると言って買いに行かせる。原作では、鳥屋がやって来てお金を渡すと、クラチット家に配達うるよう頼むだけで家には行かない。しかし、映画では、七面鳥を少年の橇に乗せたスクルージは、おもちゃ屋に行き、山ほど買い占め20枚くらいのソヴリン金貨を店長に渡す〔400シリングはクラチットの半年分の給料〕。買ったおもちゃを運んでくれる少年たち(10人以上/1人半クラウンのお駄賃付き)を引き連れてスクルージと群集が歌うナンバーが『I Like Life』。途中で甥夫婦に会う〔原作では、そこが最終目的地〕。しかし、スクルージは後で行くと言ってすぐに別れると、店でサンタの衣装を買い、そのままクラチット家に直行する。スクルージは、「メリー・クリスマス、サンタクロースが参りましたぞ」と言って中に入って行く(1枚目の写真)。夫人は、びっくりして小さなガチョウを床に落としてしまう。サンタは、「ガチョウなら心配なさるな、クラチット夫人、これに詰めればよいじゃろう」と言って七面鳥を渡す。あまりの巨大さに、もらった夫は全身で抱きかかえる。「他のプレゼントは、どこにあるかな?」。3人の女の子にはそれぞれ人形が渡される。キャシーは、「角にあった お人形だわ」と大喜び。長男には、弓矢のおもちゃとクリケットバットが渡される。次は自分の番だとティムは満面の笑顔で待ち構える(2枚目の写真)。しかし、次は夫人へのプレゼント。そして、「では、おいとましよう。わしはとっても忙しいのでな」と告げる。これを聞いて、ティムはがっかりする(3枚目の写真)。「行くところがいっぱいあるからのお」。サンタは、ドアを出ようとして、「忘れるところじゃった!」と叫ぶ。そして、おもちゃ屋に置いてあった大きなメリーゴーランドのおもちゃをティムの前に置く(4枚目の写真)。
   

ティムは、「盗んだんじゃないよね?」と訊く。「ハハハ。盗むもんか。君へのプレゼントだよ」と言いながら、サンタは、ティムを抱き上げる。そして、「メリー・クリスマス、ティム坊や」と言って頬にキスをする(1枚目の写真)。サンタは、「まだ、わしが誰だか分からんかな、ボブ・クラチット?」と父に訊く。「いいえ、サンタさんなのでは?」。スクルージは一瞬、白い付け髭を下ろす(2枚目の写真)。それを見た夫人は思わず叫ぶ(3枚目の写真)。「スクルージさんよ。気が狂ったんだわ」。「大丈夫だよ、お前。心配するんじゃない。怖がることなんてないんだ」。スクルージは、「気は狂っちゃいない。月曜から、君の給料は倍にするぞ」と言う。「倍だって? やっぱり気が変なんだ」。「一度ゆっくり相談しようじゃないか。どうやったら君の家族を助けられるか。手始めとして、ティム坊やを治せるような ちゃんとしたお医者を見つけよう。この子を元気にしないといかん」(4枚目の写真)〔原作では、ティムの治療に対する約束はない〕。夫:「あなたを信じます。どんなことでも」。こうしてクラチット家から出て来たサンタ=スクルージをカムデン・タウンの住民が歓声を上げて迎える。スクルージは、借金を書いたノートをちりぢりに破り捨てる(5枚目の写真、矢印)。そして、もう一度『Thank You Very Much』のナンバーが、今度は本当に心をこめて歌われる。
    

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