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Goodnight, Mister Tom (TV) おやすみなさい トムさん

イギリス映画 (1998)

同名原作の『おやすみなさい トムさん』(1981年)は、ミシェル・マゴリアンの小説家としての第一作で、イギリス国籍及び英連邦諸国籍の作家〔1981年当時の制約〕によりイギリスで出版されたフィクションの児童書の中で、優れた作品1点に対し毎年贈られる「ガーディアン賞」を1982年に受賞した作品。1967年にガーディアン紙によって設立され、2016年に休止されるまで50件が受賞しているが、そのうち6割ほどが日本語に翻訳されて出版されている。TV映画だが、伝統のBBC製作ではなく、ITVの製作。それでも、イギリス・アカデミー賞のTV映画に贈られるLew Grade 賞など計4つの賞を受賞し、IMDbの評価の7.8とかなり高い。日本語の訳本は400ページを少し超える長さで、それを1時間40分の映画にするため、特に原作の中間部、主人公のウィルと一番の友達になるザックが学校で、演劇などで活躍する場面や、ウィルがロンドンに呼び戻され、狂信者の母に殺されそうになった後に病院で受けた薬漬けにされた後と、ザックの死を受けて衝撃を受けた後の、心神喪失場面は大幅にカットされている。映画の紹介に当たっては、原作とできる限り対比する。

1939年、ウィリアムという9歳の少年が、ドイツとの開戦が間近に迫り、疎開児童として小さな村にも配分されてくる。村の疎開児担当の女性は、70歳近い一人暮らしの老人トムにも、本人の意志は無視し、義務だと言ってウィリアムを住まわせるよう要求する。ウィリアムは、母からの素っ気ない依頼状に書いてあったウィリーという名で呼ばれることになるが、いつもびくびくした性格で、泊った最初の夜からマットレスまでベタベタになるほどのおねしょをする。母親は何の着替えも入れて寄こさなかったので、トムは隣の親切な夫人に頼み、ウィリーより大きい息子たちの古着を分けてもらう。その着替えの際、ウィリーの背中にひどい折檻の傷跡のあることが分かり、トムは、母親に対し怒りを覚える。なかなかトムにもなつかないし、村にも慣れないウィリーだったが、同じ疎開児のザックという少年が、気安くウィリーに声をかけてくれ、2人は大の親友になっていく。そして、呼び名も、侮辱的な意味のあるウィリーから、ウィルに変わる。ウィルには、折檻以外にも悪行の多い母親のせいで、読み書きもできないという不運な側面もあった。お陰で転校した小学校では、低学年のクラスに編入されてしまったが、同情したトムの優しい特訓で、次第に読み書きができるようになり、半年後には、年齢相応のクラスに変わることができた。しかし、その嬉しい知らせのあった日に、ロンドンの母からの手紙が来て、具合が悪いから返して欲しいと言われ、ウィルは帰らざるを得なくなる。ところが、いざ帰ると、具合が悪いと言うのは嘘で、そもそもウィルを疎開させたのも、妊娠後期の孕んだ腹部をウィルに見せたくなかったためだった。ウィルは生まれたばかりの赤ちゃんを、イエス様からの授かり物として紹介される。淫乱な母は、表面だけ、敬虔なキリスト教徒のフリをしているので、こうした破廉恥な嘘をついたのだ。ウィルと赤ちゃんは、この悪魔のような、言葉を変えれば、重い精神病の母の虐待を受け、階段下の狭い物置に縛り付けられ、放置される。ウィルからの何の連絡もないことを心配したトムは、ウィルが旅立って1ヶ月後にロンドンに行き、糞尿と嘔吐物にまみれ、栄養不良で動くこともできないウィルと、死んだ赤ちゃんを発見する。ウィルはすぐに病院に搬送されるが、病院の強圧的態度に精神的ダメージを受けたウィルを見て、トムはすぐにウィルを “誘拐” し、故郷の村に連れて帰る。監禁と、強圧の二重のダメージを受けたウィルが回復するのには時間がかかったが、ザックの協力もあってよくやく元に戻りかけ、役所からの “誘惑” 容疑に対しては、ウィルを養子にすることで回避できたが、ロンドン大空襲でザックの父が重傷を受けたとの知らせを受けて急きょロンドンに戻ったザックは、その直後の大空襲で死んでしまう。そのため、ウィルは再び強いショックを受けるが、トムの言葉で何とか乗り切り、ザックが残していった自転車を受け継いで仲良しザックの思い出とする。なお、あらすじを書くにあたり、原作の英語版を用いて、映画と詳しく対比した。評論社から翻訳本も出ているが、訳があまりにも原文と異なり、倍の長さになっているので、こちらも私自身で適宜翻訳した。村人の英語にはかなり方言が入っていたので、ロンドンの近くと言う意味で、東京近くの茨城弁を使用したが、その際、標準語から方言への変換には「恋する方言変換」のサイト(https://www.8toch.net/translate/)を利用させていただいた。

田舎で疎開児童を受け入れる老人トムと並ぶ映画のもう一人の主役ウィルを演じるのはニック・ロビンソン(Nick Robinson)。1986年生まれ。他の代表的な映画出演は、『Tom's Midnight Garden(トムは真夜中の庭で)』(1999)の脇役と、『Vatel(宮廷料理人ヴァテール)』(2000)の端役。ウィルのベスト・フレンド(原作では、もっと重要度が高い)ザックを演じるのはトマス・オレンジ(Thomas Orange)。1985年生まれ。他の代表的な映画は、『La passione(ラ・パッシオーネ)』(1996)の重要な脇役。

あらすじ

リトル・ウィアフォルド(Little Weirwold)という小さな村にある聖メアリー教会で、牧師が集まった村人を前にラジオを聴かせている(1枚目の写真、矢印)。「こちらロンドン。これから首相の声明があります」。そして、チェンバレン首相の声が聞こえてくる。「私は、ダウニング街10番地の閣議室から話している。今朝、ベルリンの英国大使はドイツ政府に対し、ポーランドから直ちに軍隊を撤退させるとの連絡が11時までになければ、両国は交戦状態にあると宣言するとの最終文書を手渡した。私は今、そのような約束は受けておらず、その結果、この国はドイツと戦争状態にあると告げねばならない」。この有名な宣戦布告から、この日が1939年9月3日(日)だと分かる。集会が終わり、牧師が出口で地元の年配の女性達と話していると、白髪の男性が 「失礼」と言って、その間を無理に通って自宅に向かう(2枚目の写真)。牧師は、「オークリーさん」と呼び止めると、①教会の聖歌隊指揮者が招集された、②確かな筋の話ではオークリーは音楽家、と話しかける。それに対するオークリーの返事は、「わしは、昔オルガン弾いでだごどがある。それがおめの言いでえごどなら。だが、聖歌隊についで知ってるどが、やりでえどがは思わん」とすげなく断る〔オークリーには方言がある。ロンドン近郊なので、茨城弁を採用した〕。それを聞いたうるさ型の女性が、「今は、誰もが役割を果たさなければならない時です。義務なんですよ」と強く批判すると、オークリーも、「フォードさん、わしの義務についで教えでもらいでえ時は、いづでも連絡するよ」と、憮然と言い返す。そして、牧師には、「考えでおぐよ」と言って分かれる。一方、疎開児童を乗せたロンドンからの蒸気機関車がウィアフォルド駅に到着し、この村で引き取られる6人が下車する(3枚目の写真)。ここで、まず、映画について触れておこう。映画には原作のリトル・ウィアフォルドという村名は出て来ない。しかし、3枚目の写真の駅には「ウィアフォルド」とあるので、映画も原作を踏襲していることが分かる。このロケ地は、セヴァーン渓谷(Severn Valley)鉄道のアーリー(Arley)駅(4枚目の写真)〔バーミンガムの西南西約30キロ〕ここからは、原作との違い。原作の第1章「出会い(Meeting)」は9月1日から始まっている。ラジオによる宣戦布告があるのは、第5章「チェンバレンの宣言(Chamberlain Announces)。この第5章では、①ラジオは、いつもの日曜礼拝の後で聴き、村人はこのためだけに集まった訳ではない。②ウィルも聞いている、③牧師とオークリーの会話はないし、生意気なフォードの発言もない〔原作のフォードはもっと腰が低い〕
  
  
  
  

子供達を迎えに来たのは、疎開係のフォード夫人。駅と村の間は結構距離があるので〔映画でも、原作でも、荷馬車に乗って行く〕、宣戦布告からは少し後であろう。夫人がどうやって疎開児童たちを村まで連れて来たかは分からない。映画では、フォード夫人が児童達を先導し、家を回ってそれぞれの疎開先に連れて行くシーンから始まる(1枚目の写真、矢印)。この時は、最初の1軒目なので、まだ6人の児童がいる。それが、最後の1人になった時、フォード夫人は、オークリーの家のドアを乱暴にノックする。そして、オークリーがドアを開けると、「私が、この地区の分宿担当だということは、ご存じでしょ?」と、強権的な役人調で話しかける。「それが、わしと何の関係が?」。「ウィリアム・ビーチの母親は、彼を信心深い人か教会の近くに住んでいる人だけに疎開させたがっています」(2枚目の写真)「そして、内務省は、疎開児童の受け入れは義務だと言ってます。申し訳ないが、彼もどこかに行かなければなりません」と言うと、オークリーの返事も聞かずに、ウィリアムを残してさっさといなくなる。1人取り残されたウィリアムを見て、オークリーは、「じゃあ、中に入るしかねえな」と声をかける。ウィリアムは、どんどん離れて行くフォード夫人を見てから(3枚目の写真、矢印)家に入る。3枚目の写真の矢印は、分かりにくいが、彼が、疎開に送り出すなら当然履いているべき革靴ではなく、粗末な布製の運動靴を履いていることを示している。この部分は、原作の第1章「出会い」の冒頭の場面。「私は、この地区の分宿担当です。あの、お宅は…」。「トマス・オークリー」。「ありがとう、オークリーさん。宣戦布告が迫っておりますが…」。「そーたごどは分がっとる。要点は何だね? 何して欲しいんだ?」。「彼のことで来ました。今、他の子たちと一緒に村役場に向かっている途中なんです」。「他の子だぢ?」。映画と違い、彼女の後ろには、全員が立っていた。オークリーは、「言わねでも分がった。これは義務だし、戦争のだめだがらな」。「あなたには、どの子か選ぶ権利があります。でも、彼の母親は、信心深い人か教会の近くにいる人と一緒になることを望んでいるのです。彼女は、かなり強硬で、そうでなければ、疎開はさせないと言ったそうです」。「それで?」。「教会の近くですから」。オークリーはある程度協力的だし、担当者は低姿勢なので、こちらの方が映画よりはもっともらしい。
  
  
  

家に招じ入れられたウィリアムは、「コート脱いで」と言われ、右手で持った紙袋を床に置き、コートを脱ぎ、手を差し出したオークリーに渡す。オークリーは、コートを玄関のドアのコート掛け〔かなり高い位置〕にそのまま掛ける。次のシーンでは、ウィリアムが、少量の肉とパン1切れの食事を食べている。あまり食が進まないようなので、「もう十分だら、やめどげ」と言うと、ウィリアムは、遠慮がちに皿を少し前にずらす(1枚目の写真)。オークリーが温かい紅茶の入った陶器のカップを飲んだので、ウィリアムも真似をして、自分のカップから飲んだが、喉が大きく鳴ったので、嫌な思いをさせたのではないかと、心配そうにオークリーの方を見る(2枚目の写真)。オークリーは、「わしは、ちょっと出がげんといがん。一人で大丈夫が?」と訊く。ウィリアムが 「ええ」と答えたので、「良がったら、外見どるがいい」と言い、出かける。オークリーが向かったのは、役場のフォード夫人のところ。オークリーは、「彼は預がれん。ちゅうごどだ。あの年頃の子供についで、わしに何が分がる?」と言うが、長い反論を浴びただけ。「失礼ですが、オークリーさん。あなたは彼の面倒を見るのです。好むと好まざるとにかかわらず。いやも応もないんです、我慢なさい。言っておきますが、私は、あなたに子供を預けたくなんかなかった。でも、今は緊急の場合なんです、オークリーさん。村中を見ても、余っている寝室は1つもありません」。「それなら、別の村に行げばいい」。「問題外です。私たちは皆、 懸命に努力しないといけません。オークリーさん、あなたでさえも。戦争が始まってるんですよ」。原作の第1章では、オークリーは、少年を受け入れることに決めたので、そもそも、役場に文句を言いになんかいかない。だから、コートを掛ける位置が高すぎるので、少年を呼んで、手の届く位置に釘を打つための場所を書かせる。その後の食事は同じだが、メニューはベーコン。そのベーコンについて、「ベーコンは贅沢品だった。ベーコンを食べることができたのは、下宿人か訪問者だけだった。なのに。彼はそれを食べることができなかった」と、緊張して喉を通らないのが残念だったと書かれている。緊張して喉を鳴らす場面は映画と同じ。
  
  
  

ウィリアムは、家の前にある教会の墓地に少女の天使の像が立っているのを見つけると、玄関から外に出て、像の前まで行ってみる(1枚目の写真)。2枚目の写真は、この映画で、駅とロンドン以外のほとんどすべてをロケしたチューヴィル(Turville)〔ロンドン中心から西北西約55キロ〕の村にある教会の墓地。天使像は、映画のために臨時に置かれたもの。すると、背後から女性が、「今日は。あなたロンドンから来た子たちの一人ね?」と声をかける(3枚目の写真)。「はい、ミス」。「かなりの悪戯っ子ぞろいだって聞いてるわ」。もう一人の男性が、「何で名前だい?」と訊く。「ウィリアム・ビーチ」。「じゃあ、ウィリアム・ビーチ君、じき私のクラスで会いましょう。私は、ミスじゃなくミセス、ミセス・ハートリッジよ」。「誰ど一緒に住むんだ?」。ウィリアムは、「あの家の人です」と、墓地の向こうの家を指差す。「トムさんね」〔女性は教師なので方言がないが、男性には方言がある〕。2人がいなくなると、今度は、犬が吠えかかる。怖くなったウィリアムは、後ろの墓石に立て掛けてあったシャベルを手に取ると、「行っちまえ! でないと殺すぞ!」と叫んでシャベルを振り上げる。すると、すぐに手が伸びてシャベルを掴み取ると(4枚目の写真)、オークリーが 「殺すなんて言うな! おめにはごじゃっぺうんざりしとるんじゃがらな!」と叱る。原作の第1章でも、小天使の石像が出て来る。そのあと、ミセス・ハートリッジと軍服姿の男性が現われるのも同じ。会話の内容も似ているが、ウィリアムは年齢を訊かれ8歳答える〔映画の設定はこの時点で9歳〕。ウィリアムと会うのは 「じき」 ではなく 「月曜」 と言う〔後述するが、これは作家のミス〕。2人が去ると、ウィリアムが夢中になるのは生まれて初めて見たリス。そして、映画のように犬に吠えられる。ウィリアムが犬に乱暴な口をきくのは、彼の悪女の母親から、「毒犬ども。一口でも噛まれたら 咬まれたら死ぬわよ。どいつも、恐ろしい病気にかかっているから」と、嘘を教えられていたから。そこで、シャベルではなく。地面に落ちていた太い枝を拾って、映画と同じように叫ぶ。オークリーの言い方は、もっとずっと穏やかで、「わしなら、そーたごどはせん。その犬めは、何もしねえがら、わしがおめだったら、そーたごどはやめでおぐ〔I wouldn't do that. He ent goin' to do you no 'arm, so I should jes' drop that if I was you〕」と言うだけ〔サンプルで、原作の英文を標記した。赤字は方言英語〕
  
  
  
  

家に戻ったオークリーは、暖炉の前に座ると、火掻き棒でコークスを突きながら、「いいが、あれは わしの犬めだ。名前はサミー。優しくていい子だがら〔he's soft as my pocket〕、二度ど脅したりすんな」と言うと、あまり気にせず、真っ赤になった火掻き棒をウィリアムに向ける(1枚目の写真、矢印)。映画では、2枚目の写真でウィリアムの感情が表現されるが、原作の第1章には、「先端は真っ赤だった。彼は、焼き印を押されるだろうと確信した。部屋がぐるぐると回って見え、火掻き棒の先端が回りながら近づき、床が押し寄せてくると、真っ暗になった」と書かれている。そして、ウィリアムは気を失ってイスから落ち、オークリーが床に倒れたウィリアムを抱き起こす(3枚目の写真)。オークリーは、真っ赤な火掻き棒を見て、何が起きたのか類推し、「まさが、いぐらなんでも…」と驚く。
  
  
  

オークリーは、ウィリアムを暖炉の横に置いたイスに寝かせると、彼がロンドンから持って来た紙袋の中身を検める。中から、パジャマ、タオル、聖書、封筒の順に取り出す。封筒には、「担当者の方へ」と書かれ、中には、「殿方、もしくは、御婦人。私はウィリーが神を敬う人たちの家に泊めてもらえるよう頼みました – そうなることを願っています。多くの少年と同じように – 彼は罰当たりですが – 良い子でいると約束しました。でも、万が一のため - ベルトを入れました。敬具。マリー・ビーチ」と書かれていた。原作の第2章「リトル・ウィアフォルド」にも同じ手紙が登場する。内容は、映画の倍以上の長さだが、その前半は、映画と同じ〔「- 」はない〕。短い手紙で違うのは最後の部分。映画では、「万が一のため - ベルトを入れました〔But just in case - I have put the belt in〕」となっていたが、原作では、「私は会いに行けません。私は未亡人で、お金がありません。戦争でもありますし。彼が悪さをした時のためにベルトを入れましたし〔I've put the belt in for when he's bad〕、冬に備えて彼に下着を縫い付けました〔下着の上下を縫い合わせて、脱げないようにしてある⇒極めて異常〕。私はいつも、彼に着せたまま洗っています〔これも異常〕。寒い季節のために特別に用意したので、風邪はひきません。母親がいい子になさいと言ってた、と伝えやって。ミセス・ビーチ」〔依頼文の最後に自分の名前のミセスを付けるのも異常〕と、異常だらけの文面となっている。なお、原作にはパジャマは入っていない。そして、オークリーが手紙の最後の部分を読んで、紙袋の中から、金属のバックル付きの革ベルトを取り出し、ウィリアムを見ると(2枚目の写真、矢印)、彼は、きっとベルトと殴られるに違いないと思って、不安そうに見ている(3枚目の写真)。オークリーが革ベルトを紙袋の中に投げ入れると、ウィリアムはホットする。原作では、オークリーは、ミセス・ビーチの腹を立て、「わしの家にいる間は、おめは わしの規則に従えばいい。わしは今まで子供ぶっくらしたごどはねえし、もしやるどしても手でぶっくらすべ。分がったな? だがら、こーた悪しきベルトのごどなど忘れぢゃえ」とウィリアムに言う。その後も、映画とはかなり違う。外にいた時、雨に濡れたので、オークリーはウィリアムの濡れたセーターを脱がせ、次いで、少年なので〔半スボン〕、履いていた長靴下も脱がせる。すると、腕や脚にあざ、みみず腫れ、傷が一杯ついていて、ベルトの金具で付けられた折檻の痕だとすぐに分かる。そして、体の傷を見ようとしても、シャツとパンツが縫いつけてあるので脱げない。そこで、オークリーはハサミで縫い目を切り、傷だらけの体を拭き、タオルで包み、映画と違ってパジャマなどないので、オークリーの古い寝間着を短く切って着せる。映画との大きな違いは、早い段階で、ウィリアムがロクデナシの母から受けた虐待に オークリーが気付く点。
  
  
  

ベルトのシーンの後、オークリーは、暗幕を手にしてウィリアムを2階の寝室に連れて行く〔暗幕は、外に漏れた光で空爆を受けないよう、窓に付けることが義務付けられている〕。オークリーは、母が紙袋に入れたパジャマを持って部屋に入って中を見回してから、暗幕を取り付けたオークリーの前に立つ。オークリーは、「じゃあ、お休み」と言い、ウィリアムは、「お休みなさい、おじさん」と言い、パジャマをベッドの上に置く。オークリーは、ベッドの反対側に立つと、「わしのごどはトムど呼んでぐれ」と言う(1枚目の写真、矢印はパジャマ)。ウィリアムは頷く。トムが1階に戻り、オルガンの上に置いてある写真立てを見ていると、2階から、「お休みなさい、トムさん」という声が聞こえる。このベッドのシーンは、原作の第2章の最後の部分。ウィリアムは、先に書いたようにパジャマではなくトムの古着を着ている。そして、彼が最初にしたことは、ベッドの下に潜り込み、丸くなったこと〔ロンドンでは、ベッドなどは夢の存在で、床に寝かされていた〕。トムが、「何しとる? 下じゃなぐで、上に寝んだ」と言うと、ウィリアムは、「え? 上に?」と驚く。トムは部屋を出て行く前に、「おめは、わしをトムど呼ぶのが一番だ」と言い、ウィリアムは 「お休みなさい、トムさん」と言う。翌朝〔9月4日(月)〕、トムが、小さな畑を掘っていると、2階の窓からウィリアムが見ている。トムがそれに気付くと、ウィリアムは慌ててカーテンを閉める。何事かと部屋に入って行くと、ベッドは、シーツだけでなくマットレスまでオネショで濡れている(2枚目の写真)。ウィリアムは、「ごめんなさい、おじさん」と謝る。トムは、尿で濡れたものを脱ぐように命じ、ウィリアムはパジャマを脱いで渡すが、トムは裸を見ないように部屋から出て行ったので、ウィリアムの背中の傷には気付かない(3枚目の写真、矢印はトム)。先に書いたように、原作の第1章で、トムはウィリアムの傷に気付いているので、映画とはそこが大きく違う点。汚れた寝具の処理は、映画では示されないが、原作の第3章「土曜の朝(Saturday Morning)」の冒頭に、「トムはかさ張る寝間着を(ウィリアムの)頭から引き抜くと、銅製のたらいに投げ込んだ。彼は冷たい水と石鹸でウィリーの体を優しく洗った。突き出た肋骨とポッコリ出たお腹〔典型的な飢餓状態〕には、紫色のアザが浮き出ている。彼は立っているのもやっとだった」と書かれている。その少し後に、マットレスには水を掛けてゴシゴシ洗い、屋外の落下式便所〔トムの家の中にトイレはない〕の屋根に乗せて干したと書いてある。
  
  
  

次のシーンでは、トムは、ウィリアムを連れて郵便局に行く。ロンドンの母親に、無事着いたことを知らせるためだ。トムは、「こごが郵便局だ。医者どちょっと話してぐっから、わしの代わりに切手貼って、出しておいでぐれ」と言って、葉書と切手代を渡す(1枚目の写真、矢印は封筒)。なお、この場所は、チューヴィルに4分の1世紀前と変わらずに残っている(2枚目の写真)。原作の第3章では、疎開係が残していった葉書〔既に、ウィリアムの母親の住所が書かれている〕をトムから渡されたウィリアムが、ただじっと見つめている。トムは、彼がどう書けばいいのか分からなくて迷っているのだと勘違いし、自分で書こうと、「ミセス・ビーチ様。ウィリアムは…」と書く内容を口にし始めると、「彼女は僕をそう呼びません。ウィリーと呼びます」と言ったので、「…ウィリーは無事到着し、幸せで元気です」と言い、その通りに葉書に書く。そして、「名前書ぐんだ〔Now write yer name〕」と言うと、ウィリーは 「できません」と答える。トムが読むことができるかと訊くと、それもできない。そのあと、2人は揃って医師のところに行き(後述)、それが終わってから郵便局の近くまで行く。映画でトムがウィリーに言ったことは、医者には行った後なので、「郵便局は店の近ぐにある。そごで会うべ」と言い、店に行こうと別れる。ウィリーが小さな郵便局に入って行くと、中には虫メガネを持って、葉書を小さな字でびっしりと埋めている少年がいる(3枚目の写真、矢印は虫メガネ)。局員の女性が、「おめのママは、そーたの読めねえわよ」と言うと、少年は、「読めるよ。母さんもこれと同じのを持ってるんだ」と反論する(4枚目の写真)。少年は、ウィリーに気さくに笑顔を見せる。原作では、この少年が、オークリー医師の所にいる疎開児だと分かる。ウィリーに笑顔を見せるのは同じだが、そこにトムが入ってくるので2人が言葉を交わすことはない。
  
  
  
  

トムがオークリー医師を訪れた時の会話。「今朝起ごしてみだら、ベッドでおねしょしたのめっけでね」。「よぐあるごどだよ、トム。子供は、住み慣れだ家がらひっこ抜がれで、異邦な土地に放り出されだんだ」(1枚目の写真)。「わしは どうしたらいいんだね?」。「この際、みんながしなぎゃならんこど。最善尽ぐすまでじゃな」。医師の見立てと助言はこんなに短い。原作の第3章では、ウィリーが同行したこともあって全く違う。①トムは、昨夜、ウィリーが吐いたと話す。それに対し、医師は栄養失調〔malnutrition〕だと言い、対処法を教えた上で、「おねしょもしてるんじゃねえが?」と訊き、正解だったので トムをびっくりさせる。しかし、医師が、「何歳だね? 5づが6づ?」と訊き、トムが、「8づ、すぐに9づ」と答えると、今度は医師が驚く。そして、映画と違って膨大な折檻のあとを見ているので、医師にウィリーの傷を見せるが、医師は何も言わず、代わりに奥さんが傷に訊く “非西洋医学” 的な液体を渡す。そのあと、映画では、郵便局にいた少年とウィリーが、一方は自転車、一方は徒歩で並んで進みながら、仲良く話す。「君、何て名前?」。「ウィリアム・ビーチ」。「君は?」。「ザカライアス・レンチ。両親が考えたジョークだと思う。ザックと呼んでくれていいよ」〔①北イスラエル王国の第14代国王(BC6世紀)、②ヘブライの預言者(BC6世紀)、③アビヤ族の司祭(BC1世紀)、何れにせよユダヤ人〕(2枚目の写真)。ザックは、彼がいるのは、医者の家で、両親の友達だと話し、ウィリーを医者の家まで連れて行く。すると、ちょうど話が終わったトムが出てくる(3枚目の写真)。原作では、2人が友達になるのは、第6章「ザック(Zach)」。
  
  
  

家に戻ったトムが、屋根の修理をしていると、自分の家の庭に、息子たちにアンダーソン式シェルター〔防空壕〕を作ってもらった隣のおばさんが、声をかける。「アンダーソン、もうでぎだ?」。「届いだよ」〔アンダーソン式シェルターに使う鋼板と土のう袋〕。親切なおばさんは、「息子だぢに手伝わせるわ」と言ってくれる。トムは、「頑張るよ、どうも」とお礼を言った上で、預かることになったウィリーについて、「着でる服以外、何も持って来ながった」と窮状を訴え(1枚目の写真)、「こごだげの話なんだが、彼に2、3着でいいがら、何がかぎ集めでぐれねえがな?」と頼む。優しい隣人は、「考えでみるわ」と笑顔でOK。すぐに息子たちが、自分たちの古着を持って来てくれる(3枚目の写真)。トムは、お礼を言ったあとで、「アンダーソンの方もよろしくな」と声をかける。原作では、第2章で、トムがフレッチャー夫人にトムの服のことで頼み、服が(昨夜)山のように届いたと書かれているのは、第5章に入ってすぐ。アンダーソン式シェルターは、その後、何も言わずにフレッチャー夫人の息子たちが手伝ってくれる。
  
  
  

トムが、もらった古着を持ってウィリーに見せに行くと、彼は、「僕に?」と喜ぶ(1枚目の写真)。トムは、さっそく、大きさが合うか着てみてチェックすることにし、ウィリーはパジャマの上着を脱ぎ、背中をトムに向けて羽織らせてもらおうとする(2枚目の写真)。映画では、この時点で、ようやくトムはウィリーが受けてきた残虐な折檻について気付く。トムが、ウィリーに質問したかどうかは分からないが、次のシーンでは、トムは怖い顔をして紙袋から革ベルトを取り出し、裏口から庭に出て行き、思い切り遠くにベルトを投げる(3枚目の写真、矢印はベルト)。
  
  
  

次は、アンダーソン式シェルターを作る場面。フレッチャー家の2人の年上の子供2人が、避難所となる正方形の土地を掘り始め、トムは配布された鋼板を運んでくる(1枚目の写真)。参考までに、イギリス空軍博物館(Royal Air Force Museum)のホームページにあるアンダーソン式シェルターを作る手順を2枚目に示す。図1には、使用する鋼板と道具が描かれている。手前が入口。大2つと小1つの波状鋼板。左上置くが行き止まりになっている奥の鋼板。途中には、∩字型の鋼板〔頂部でつないである〕が、シェルターの深さに応じて必要枚数並べられる。それらを固定する溝形鋼も描かれている。図2は、シェルターを設ける場所とサイズ(幅は6フィート〔1.83m〕と決まっている)。図3は掘る穴の深さ(3~4フィート〔0.91~1.22m〕)。図4は、掘った穴の底の四方に置く溝形鋼の配置、図5は溝形鋼にはめる “上部がアーチ型になった2枚の鋼板を頂部で固定し、∩字型にする方法。図6はその拡大図。図7は、背面の鋼板、図8は、∩字型の鋼板の上に載せる土(最低15インチ〔38cm〕の厚さ)。図9は、入口側から見た完成図。トムは、ウィリーにも手伝わせようと呼びに行くが、ウィリーは 「新しいシャツが汚れちゃう」と言う。トムは、「なら、脱ぎゃいい」と言うが、傷を2人に見られたくないウィリーは動こうとしない。そこで、トムは 「着替えで来い」と言う。結局、ウィリーが着たのは、冬用の分厚い長袖のジャンパー。それを見た2人のうちの弟は、「そーたの着で、ジャンパーの中で焼げぢゃわねえが?」と冷やかす。「ううん」。そこに、冷たい飲み物を持ってきたトムは、「熱があっから、汗かがにゃならんのだ」と、理屈をつける(3枚目の写真)。この場面は、原作の第5章だが、台詞に違いはあるが、内容はほぼ同じ。トムは、3人に向かって、「さあ急いでぐれ。今夜までに仕上げで欲しい」と催促し、3人は勢いよく掘り始める〔子供達が、冷たい飲み物を飲む機会がない〕。穴掘りが終わり、鋼板の組み立ても、その上に土を載せる作業も終わってから、トムは着替えると、シェルターの所に1人だけ残っているウィリーに向かって、「ちょっと教会に行ってくる。1時間で戻っからな」と言い残して、すぐ隣の教会に入って行く。そこでトムがしたことは、映画の最初に牧師から頼まれた聖歌隊の歌の練習のためのオルガン弾き(4枚目の写真)。原作では、牧師から依頼ではないが、第13章「キャロルの練習(Carol Singing)」で、トムが聖歌隊の練習のためにオルガンを弾く。
  
  
  
  

トムがいない間に、ウィリーは重い土のう袋を何とか持ち上げ、シェルターの入口の上部に乗せる(1枚目の写真)。教会での練習が長引き、暗くなりかけてからトムが戻ってくると、入口に土のう袋が並んだ状態の前で、疲れたウィリーが犬のサミーと一緒に横になっている(2枚目の写真)。それを見たトムが、「こーた暗ぐなってがら外にいるなんて、分別失ぐしたのが?」と叱ると、ウィリーは 「『今夜までに仕上げで欲しい』って言ったじゃない」と言い返し、先の言葉など忘れていたトムは、「分がった。じゃあ中に入んだ」と言う。翌朝〔9月5日(火)〕、ウィリーが鍵のかかったオルガンの鍵盤蓋を開けて鍵盤に触れていると、音を聞きつけたトムが飛んで来て鍵盤蓋をバタンと締め、「わしの許可なぐ、二度どその楽器に触るんじゃねえ。分がったが?」と、強く叱る(3枚目の写真、矢印はオルガン)。この部分は、原作とかなり違っている。第5章の最後、トムがシェルターの作業で奮闘していると、そこに、郵便局でチラと見ただけの少年がやってきて、「やあ」と声をかけ、「君、ウィリアム・ビーチだろ?」と訊く。ウィリーが頷くと、「はじめまして。僕は、ザカライアス・レンチ。分かってるって、舌を噛みそうだろ。僕の両親には、ひどいユーモア感覚があるんだ。略してザックって呼ばれてる」と自己紹介する。ここまでは、映画で、郵便局を一緒に出た後の会話と似ているが、ここからが違う。ザックは、シェルター作りを手伝いながら、ウィリーが昔からの友人のように、自分のことをペラペラ話す。その中には、映画の中では出て来ないが、「僕の両親、劇場で働いてる」と、親の職業を話す場面もある。さらに、辺りが真っ暗になった頃〔後で、夜の9時近くだと分かる〕、 トムが村の集会から帰って来るが、その時にもザックは一緒にいる。ウィリーがシェルターの所にいたので、トムは映画のように中に入るように言うが、その時、ザックが顔を見せる。そして、「僕の発想なんです。頑張ろうって。こんないい夜に、中に入るのはもったいないと思ったから、ウィルを説得して、しばらく、一緒に作業することにしたんです」と説明する〔原作では、ウィルと呼ぶ最初の瞬間、映画はもう少し後〕。「ウィルって誰だ?」。「ウィリアムのことです。彼は、ウィリーって言ったけど、そんなの、誰にだってすごくひどいことだと思ったから〔イギリス英語の俗語で “willie” は “ちんちん” の意味〕。ウィリーじゃ、笑い者になっちゃう、そう思うでしょ?」。これでトムも納得し、以後はウィルになる。なお、オルガンで叱られる場面はない。
  
  
  

前節で、トムはウィリーを叱るが、その後、言い過ぎたと反省し、「なあ… 今日の午後、釣りに行ぐんだが、もしよがったらきねえが?」と尋ねる。ウィリーは、戸惑って何も言えない。トムが通りに面した仕事場で作業をしていると、自転車で通りがかったザックが、「手伝うことある?」と訊く〔突然こんなことを訊くなんて、奇妙な気もするが…〕。トムが断ると、「ウィルいる?」と訊く。「ウィル?」。「ウィリアムのこと。ウィリーなんて、バカみたいだと思うから。で、ウィルいる?」。「実は、今がら出がげるどごなんだ」。「どこか素敵な所?」。「釣りだ」。「ほんと? 僕も行っていい?」(1枚目の写真)。原作には、トムがウィルを釣りに連れて行く場面はない。似たような場面は、第7章「ブラックベリーでの出会い(An Encounter over Blackberries)」だが、主催者はトムではなく、聖歌隊の少年のジョージと双子の妹。ジョージは母に言われて、ウィルを誘ってブラックベリー摘みに連れて行こうとしたのだが、そこにザックが割り込む。映画では、トムが 似たような5人を釣りに連れて行く(2枚目の写真)。釣りに行った先で、双子〔2人とも同じ服を着ている〕の1人が、「ザック、おめの父さん、ほんとに役者なの?」と訊き、ザックは、「ママもだよ」と答える(3枚目の写真)〔前節の原作と同じ〕〔釣りの場面などゼロに近いので、ブラックベリー摘みからなぜ替えたのだろう?〕
  
  
  

次は、ウィルの初めての登校日。学校は朝からだから、ブラックベリー摘みの後ではなく、翌日であろう。そうなると、9月6日(水)となるが、これは絶対に可笑しい〔なぜ、月曜から学校に行かない?〕。しかし、映画では、1939年9月3日が何曜日か分からないので、それが変だと思う観客はいない。同じミスは原作でも起きている。原作の第5章「チェンバレンの宣言」では日曜と書いてあるし、歴史的にも日曜日だ。そして、原作の第1章「出会い」で、小学校の教師ハートリッジがウィルに 「月曜日に学校で会いましょう」とはっきり言っている。第5章第6章は日曜日、第7章「ブラックベリーでの出会い(An Encounter over Blackberries)」は月曜日、そして、第8章「学校(School)」は、その翌日。つまり火曜日。「月曜日に学校で会いましょう」と矛盾している。“書き物” でこうしたミスは見苦しい。ウィルはトムに見送られて家を出て行くが、その時の姿が2枚目の写真。注目すべきは矢印の革靴。粗末な布製の運動靴を履いてきたウィルが、いつの間に革靴を持てたのか? それは、原作の第4章「必要な物(Equipped)」で、トムがウィルを連れて、①服地屋、②靴屋、③図書館、④ラジオ屋の順に買い物をして、必要な物を買い揃えたから。次は、学校で、ハートリッジのクラスに行ったウィルが教壇の前で、「ごめんなさい、ウィリアム、(あなたのクラスは、ここじゃなく)ホールの向かい側のドアよ」と言われる場面(1枚目の写真)。それを聞いたウィルは、悲しそうにうつむき、ドアを開けて出て行く(3枚目の写真)。あまりにも簡単で、説明不足のシーンだが、原作の第8章では、小学校には、ハートリッジと、臨時の教師としてブラックという女性教師がいて、後者は5-8歳の子供と、カトリック教徒以外の疎開児童を担当すると書かれている。最初の疑問は、ザックがユダヤ教徒でシナゴーグに行く疎開児童なのに、ブラックではなくハートリッジが担当すること、そして、ウィリアムは読み書きができないので、ブラックの担当になる。ただ、教室は1つしかないので、座る場所が違うだけ。だから、映画のようにドアを出て行く必要はない。
  
  
  

しょんぼりして帰ってきたウィルを見て、トムが 「どうした?」と訊くと、「赤ん坊と一緒にされちゃった」という返事〔実際には、小学校低学年〕。それを聞いたトムは、小学校まで出向いてハートリッジにどうなっているのかを訊きに行き、ウィルが読み書きのできないことを初めて知る。原作では第3章で葉書に名前を書けなかったのでトムはそのことが分かっていたが、映画では名前を書かせなかったため、知りようがなかった。そこで、トムは、ウィルに読み書きの練習をさせようと決心し、第一段階として、自分の名前を書かせることから始める。原作の第8章では、学校で面倒を見てもらえないことが決まったので、トムが自分で教えようとする。トムが用意したのは、一番上に点がいっぱい付いた白い紙(1枚目の写真)。そして、「さあ、点ど点つなぐんだ。そしたら、どうなるが見でみっぺ」と言って、鉛筆を渡す。緊張したウィルが力を入れ過ぎて芯を折ってしまっても、叱らずに削って渡す。ウィルは最初に点をつないで 「W」 を書き、次いで 「I」。こうして、フルネームを書き終わる。トムは、「ほら、見でみろ。自分の名前が書げだじゃねえが」と褒める。トムの優しい言葉に、悲観していたウィルが笑顔になる(2枚目の写真)。トムは、「じゃあ、その下に線引いで、その字真似で書ぐんだ」と言う。ウィルは、名前の下に定規を使って書いたようにきれいな線を引く。驚いたトムは その下にもう1本線を引かせる(3枚目の写真)。きれいな平行線になったので、「定規使うよりもまっすぐだな。どごでそーたごど覚えだんだ?」と感心する。「ただ書いただけ」。トムは、線の下に、上の文字を真似して書くよう指示して席を立つ。すると、ウィルは、「地獄に落ちない?」と、変なことを訊く。「地獄だど?」。「真似なんかしたら地獄に落ちるんでしょ? ズルだから」(4枚目の写真)。「どこの阿呆がそーたごど言ったんだ?」。それがウィルの最悪の母親だと悟ったトムは、気にせず書くよう促すだけに留める。原作では、紙には最初から2本の直線が定規で引かれていて、その間に点が打ってある〔この方がもっともらしい。1枚目の写真のように、白紙にアルファベットの屈折点だけをバランスよく書くことは不可能に近い〕。ウィルは、別の紙に2本の平行線を引き、そこに見本と同じようにアルファベットを書くが、その時の平行線をみて、トムが驚く。真似についての云々はほぼ同じ。
  
  
  
  

トムは、図書館で借りてきた『火うち箱』(アンデルセン)や、『黄金のがちょう』(グリム童話)などを、ウィルに本を見せながら読み聞かせ、文字に慣れさせる(1枚目の写真)。そして、ウィルが何度も間違えながら、短い文章を読むシーンもある。彼は、自分の名前を、普通の筆記体で書くこともできるようになる。そして、ある日、トムが墓地に立っている亡き妻と息子の墓に 新しい花を飾っていると、2階の部屋の窓からそれを見たウィルが、パジャマ姿のまま飛んでくる。そして、「トムさん、何て書いてあるの?」と訊く。トムは、「レイチェル・オークレイを偲んで、享年27歳。親愛なる最愛の妻、そして、ジョン・オークリー、享年5歳。神のもとにいる親愛なる息子」。死亡年月日のところだけ省いて読み上げる。そして、2人とも猩紅熱で亡くなったと教える〔1917年7月に1日違いで死亡〕。そのあとで、なぜウィルが服を着ずにパジャマ姿で外にいるのかを尋ねる(2枚目の写真)。ウィルは、「見せたいものがあったから」と言うと、「来て」と家に向かって走り出す。トムを連れて行った先は自分の部屋。ベッドにおねしょはなく、ウィルは 「乾いてるよ、トムさん」と言ってベッドの上で飛び跳ねたあとで横になる。トムは 「偉えぞ、ウィリアム」と褒める(3枚目の写真)。原作では、おねしょが止まるのは第11章「金曜(Friday)」の最後の1行。11月3日(金)の翌朝なので11月4日(土)。2つ前の節では9月6日(水)だったので、一気に2ヶ月が経ったのか? 実際には、はっきり言って、映画ではどのくらい時間が経ったのか分からない。映画の次の場面は、ウィルの誕生日で、原作では9月6日だ。映画では、9月6日のシーンの後、トムによる語学の練習が進み、ウィルはかなり上達する。それが、そんなに短時間で可能だったとは思えない。誕生日の後、ウィルのロンドンへの帰宅(1940年3月末か4月初)があるので、11月よりもっと先かもしれない。
  
  
  

ウィリーの誕生日の日。どうして知っているのかは分からないが、年配の郵便配達が、「誰かさんの誕生日ですよな?」とトムに声をかけ、トムは、「また蒸気をあてて封筒の中を見たのかね?」と冷やかした後で、「ロンドンからのは?」と訊く〔母親からのプレゼントを期待していた〕。「ロンドンの消印には気づかなかった」(1枚目の写真)。原作の第9章「誕生日の男の子(Birthday Boy)」では、似たような会話の後、郵便配達は、村の夫人から預かった、誕生日の朝食用のパンと卵とベーコンの入った籠を渡される〔だから、誕生日だと知っていた〕トムは、そのあと、画材店まで行き、画帳と色鉛筆、絵の具を買う〔店の時計では午後3時半〕。同じ頃、ウィルは墓地に行って天使像をスケッチし始めるが、雨が降ってきたので、教会の中に逃げ込む。そして、教会の中に置いてあった鷲の書見台〔英国国教会で最も一般的な書見台〕の鷲が気に入り、スケッチを始める。そこに、ウィルを探しにきたトムが入ってくるが、描くのに夢中のウィルは気付かない(2枚目の写真)。トムは、そっと近寄り、絵を見てみるが、上手なのでびっくりする(3枚目の写真)。そして、突然大きな声で、「こんな所に隠れていたのか。紅茶が半時間もテーブルで待っておるんだぞ」と言ったので、ウィルはびっくりする。原作では、探しにきたのはザック。だから、ウィルはそれほど驚かない。
  
  
  

ウィルが家に戻ると、そこには、先日ブラックベリー摘みにいった子供たちと、医師夫妻がいて、ハッピースデー・トゥー・ユーが歌われ、フレッチャー夫人が10本の蝋燭に火の付いたケーキを持ってくる。そして、拍手が終わると、トムが 「さあ、吹ぎ消すんだ」と言う(1枚目の写真)。すると、ザックが、「もし、すべて吹き消すことができれば、願い事をすることができるんだ、だけど、誰にも言っちゃ…」と早口で割り込んだので(原作では、似たようなことを双子の1人が言う)、トムが、「いいがら、全部吹ぎ消すんだ、ウィリアム」と言う。賑やかで楽しいパーティが始まり、フレッチャー夫人に説得されたトムは、長年封じ込めてきたオルガンを弾いて、場を盛り上げる。夕方になり、みんなが帰ると、トムは先ほど買っておいたプレゼントをウィルに渡す。包みを開けたウィルは、「これ、僕が生まれてから、最高の時間でした」と感謝する(3枚目の写真)。なお、原作では、第8章「学校」の次が第9章「誕生日の男の子」。学校の翌日が誕生日。原作では、前述のように学校が火曜日だったから、誕生日が9月6日(水)になる。そして、彼がこの村に来たのは、映画より2日早い9月1日(金)。この第9章の冒頭は、「ウィリーはベッドから飛び起きた。リトル・ウィアーウォルドでの6日目の始まりだった」とあり、ぴったり合っている。しかし、第21章「学校に戻る(Back to School)」で、10歳の誕生日を9月7日(土)と書いてあり、1日違う。一体どうなっているのだろう?
  
  
  

ある日、ウィルは、誰もいなくなったハートリッジの教室に、「ブラック先生から、帰宅前に先生に会うよう言われました」と言いながら入って行く。ハートリッジは、「そうよ、ウィリアム。ちょっとしたお知らせがあるの」(1枚目の写真)〔この時の、ハートリッジの言い方と顔つきは、その後の発言内容に相応しくない〕。何を言われたのかは分からないが、ウィルは学校から笑顔で飛び出して行き、帰宅すると、「トムさん! 僕、ハートリッジ先生のクラスに進級したよ!」と叫ぶ。原作では、第14章「新たな始まり(New Beginnings)」で、1月の3週目の月曜〔1940年1月15日(月)〕に、ウィルは朝からハートリッジの教室にいる。そして、彼女は、生徒全員に向かって、「みなさんが、ウィリアム・ビーチ君をこのクラスに迎え入れたいと思っていたことは知っています」と言った後で、ウィルに向かって、「私たちは、あなたがどれだけ素晴らしい進歩を遂げ、どれだけ努力してきたか知っています」と褒める。彼がトムに報告する場面はない。すると、そこには、1通の封筒を持ったトムが、疎開係のフォード夫人と一緒に立っていて、悲しそうな顔で、「おめのママさんからだよ、ウィリアム。彼女は、体調があまり良ぐねえようだ。おめに戻って欲しいそうだ」と言われ、ウィルは愕然とする(2枚目の写真)。原作の第14章では、この日は、3月の第1週の金曜(3月1日(金))の朝。前の場面とは1ヶ月半の時間差があるのに、映画では一瞬だ。手紙の内容はほぼ同じ。それを受けて、何日後かは分からないが、ウィルはトムの馬車に乗って駅まで向かう(3枚目の写真)。この場面は、原作の第15章「家へ(Home)」の冒頭と同じ。映画では示されない2人の様子を、「二人とも感覚が麻痺していた。ウィリーはサミー〔犬〕を強く抱き寄せ、ぼんやりとした目で革と真鍮の馬具、ドッブス〔馬〕の脇腹、その下の荒れた道を見つめた」と書かれている。なお、この映画では1998年の撮影なので どの道も舗装されているが、1940年頃には、こんな田舎では ほとんどが土道だった。ロンドン行きの記者がプラットホームに停まると、トムは 「忘れずに (手紙か葉書を)書いでぐれ」と言うと、ウィルを列車に乗せ、「母親どは数ヶ月会ってねえがら、最初は少し気まずがっぺー」と注意する。ウィルは、「寂しいよ」と本音を言う(4枚目の写真)〔折檻しかしない母より、余程トムの方がいい〕
  
  
  
  

ウィルがロンドンのどこかの駅に着いても、ロクデナシの母には、最初見分けがつかなかった。始終虐待していた頃の内向的な表情や痩せ細った体型とは違い、自信に満ちて健康そのものの体型なので、別人だと思ったのだ(1枚目の写真)。しかし、母がホームに置いていた荷物を持ってあげようと手を伸ばすと、ウィルの手を叩き、「勝手に触るんじゃないよ」と叱る。ウィルは母の後を追いながら、「で、今の気分はどう?」と心配する。「元気よ」。「病気だって聞いてたから」。「そうかい?」〔全くの嘘〕。母にバッグの中身を訊かれ、医師の奥さんが、“体調が良くない” という嘘の手紙を信じてウィルに託した強壮ワインのことを話すと、飲酒の害悪について文句を並べる(2枚目の写真)。ロンドンのどこに住んでいるという設定かは分からないが、列車が着いた時はまだ明るかったのに、2階建てのバスが家の近くに着いた時には、辺りは真っ暗になっていた。路地を歩きながら、母は、「家に着いたら、静かにしてるんだよ」と注意する。「どうして?」。「お前がここにいることを、誰にも知られたくないからさ」。原作の第15章では、駅でウィルと会った母は、自分の息子を認識するまでに、もっと時間がかかる。母の荷物を持ってあげようとして手を叩かれたり、強壮ワインにケチをつけるのは同じ。違う点は、ウィルが皆に好かれていたと聞き、「お前は高慢の罪を犯してるんだよ、ウィリー。高慢の罪を犯した輩がどうなるか、お前も知ってるだろ」と全く信じない点と、母が考案した「ウィリー」という侮辱的な名で久々に呼ばれて戸惑う点。
  
  
  

ウィルの母の安アパートは、路地から鉄柵で仕切られた階段を下りた地下に入口がある。そこを下りて行く前に、母は、「中に入ったら、びっくりするものがあるよ」と言う。中に入ると、異様な臭いがするので、「この臭い何?」と訊く。慣れている母は、「何だって?」と言ったので、ウィルは追究しない方がいいと思い、「いいんだ」と言い、代わりに、「びっくりするものって?」と訊く。「あっちだよ。箱の中」。ウィルが箱の中を見ると、中にいたのは、生まれたばかりの赤ちゃん。母は 「イエス様からの贈り物だよ」と言うが(1枚目の写真)、この母、厳格なキリスト教徒のフリをしているくせに、父親のいない子を不倫で生んだのはウィルに次いでこれで2人目。妊娠3ヶ月の時(9月1日)、ウィルを “疎開” という名目で半年間隔離し、赤ちゃんが生まれたから呼び返し、イエスからのプレゼントだと言って、妊娠してしまった破廉恥さを隠そうとする。何という、うわべ飾りの、あばずれ女なのだろう。ウィルが赤ちゃんを抱き上げようとすると、「触るんじゃない! その子〔女の子〕に必要なのは、躾なんだよ」と、早くも、虐めを臭わせる。母は、ウィルを粗末なテーブルに座らせると、「何てひどい人生なんだろうね。毎晩、一人でここに閉じ込められて。半分頭がおかしくなりそうなんだよ!」と不満をぶつける(2枚目の写真)〔かなり重度の精神異常〕。ウィルは、「母さん、何が怖いの? 空襲?」。「空襲だって? それで殺されるのなら、それは神様のご意志だろ?」。「じゃあ、何を恐れてるの?」。「もちろん、そこで起きてることさ。汚物、山のような汚物」〔自分が生んだ赤ちゃんの糞尿の放置〕。「誰かに診てもらったほうがいいんじゃない?」。「例えば誰なのさ? 精神科医… そう思ってるんだね? もしかしたら、あたしの頭がおかしくなったかもしれないって。礼儀をわきまえな、このクソガキめ、持ち帰ったんだろうね? ベルトだよ」。「忘れた」(3枚目の写真)。狂った母は、「嘘つき!! 」と叫ぶと、ウィルの顔を思い切り引っ叩き、ウィルは階段を駆け上がって1階に逃げて行き、ベッドの上に横になって耳を塞ぐ。原作の第15章では、汚物、そこから派生する、怖さ→精神科医→叩かれる、という設定はない。この箇所は短く、ウィルが、「名前、あるの?」と訊くと、母が、握り拳でテーブルを叩きつけ、「ないよ! いろいろ訊かれるのはうんざりだ。ベルトで叩かれたいのかい?」と怒鳴る。
  
  
  

翌朝、ウィルは下に降りて行き、薄い紙包みを手に持つと、「これ、母さんへの贈り物。トムさんの発案だよ」と言って渡す。「トムさん?」。「僕を泊めてくれた人」。紙の中には、トムの家を描いた水彩画が入っていた〔年齢の割には上手に描けているという設定〕。それを見た母は、「これ、盗んだの?」と訊く(1枚目の写真、矢印)。「僕が描いたんだよ」。「嘘つき!」。母は、一緒に置いてあった絵を描く道具も、「これも盗んだのかい?」と疑う。「ジニーとキャリーからの贈り物だよ」。そして、話はザックに。ザックが教会に行かないことから、ユダヤだと説明したことで母の態度は最悪に。「お前、ユダヤ人と付き合ってたのかい?」。ウィルが 「ユダヤ人の何が悪いの? ザックが言うように、イエス様はユダヤ人だったんでしょ?」と言うと、母は 「冒瀆者! この家じゃ、冒瀆者をどうするか知ってるでしょ!」と叫び〔体を売って 妊娠・出産する方が遥かに冒瀆女〕、ウィルの腕を掴むと(2枚目の写真)、180度回転させ、そのまま後ろから押して監禁用の “階段下の物置き” に連れて行き(3枚目の写真)、二重に掛け金を掛ける。原作の第15章では、ザックがユダヤだと分かった時点でウィルに暴力を振るって床に倒れさせ、「イエス=ユダヤ」の言葉で、“何か重い物” で頭を殴られて気絶する。“階段下の物置き” で目が覚めると、体じゅう傷だらけで、上下を縫い付けられた下着を着せられ寒さに震えていた。
  
  
  

ウィルがいなくなってからのトムは、ウィルから何も言って来ないので心配し、ラジオでロンドン空襲のニュースを聴く毎日だった。ある日ザックが、裏庭の畑で仕事をしていたトムに、「オークリーさん、まだ連絡がないんですか?」と訊かれ、「残念だが」と答える。いつもの郵便配達も、自分から、「すまんなトム、ロンドンがらまだ何も来ん」と詫びるように言う(1枚目の写真)。「どれぐらい経づ? 何週間だよな。学校のハートリッジさんにも悪い知らせだ。スピッツ〔スピットファイア戦闘機〕乗りの若え旦那が、行方不明で… 死んだどが」。トムは疎開係のフォード夫人に、何か連絡が来ていないか訊きに行く。「彼がら連絡が来てるど思ったんだ。もう1ヶ月以上になる」。ある意味、無責任で、一般論しか言わない夫人は、一旦戻ったら、疎開のことなんか忘れてしまう子が多いとしか言わない。そこで、心配になったトムは、愛犬のサミーを連れて汽車でロンドンに向かう(2枚目の写真)。このロケ地は、グレート・セントラル(Great Central)鉄道のラフバラ(Loughborough)駅(3枚目の写真)〔バーミンガムの北東約60キロ〕。田舎の駅なのでロンドンの駅にはまるで見えないが、午後10時35分で真っ暗なら、首都の駅に見えなくはない。住所を知っているトムは、汽車を下りると、すぐにバスに乗り、1ヶ月以上前にウィルと殺人鬼が降りた場所で、バスを降りる。すると、空襲警報が鳴り出し、防空警備員に防空壕〔Air Raid Shelter〕に連れて行かれる。最初、犬は入れないと言われるが(3枚目の写真)、「じゃあ、どうすりゃいい? 置ぎ去りにして、吹ぎ飛ばさせるのが?」と言い、許可される。原作の第16章「捜索(The Search)」では、3週目に入ると、それまでに、トムはウィルに4通の手紙を書いていたので、ウィルから1通の手紙も来ないことで、非常に不安になる。ある晩、悪夢を見たトムは、翌日がロンドン行きの汽車が通る金曜日だったことから、それに乗ることにする。ウィルの元に母からの嘘手紙が届いたのが3月1日だったので、それから数日後に出発し、3週間程度経った金曜日とすれば、3月29日か 4月5日であろう。駅からウィルの住所まで、何度もバスに乗り換えたとある。空襲警報が鳴るのも、防空壕でサミーを拒否され、認められるのも同じ。
  
  
  
  

翌朝、トムが防空壕から出てみると、辺りは空爆を受けて散乱状態(1枚目の写真)。トムは、昨夜 防空壕まで連れて来てくれた防空警備員に頼む込み、紙に書かれたウィルの番地まで連れていってもらう。トムは、サミーと一緒に階段を下りて、地下のドアをノックする(1枚目の写真)。すると、ちょうど真上のドアを開けようとしていた女性が、「ビーチさんに用があるんなら、彼女いませんよ」と教えてくれる。防空警備員が、「どこに行ったか知ってますか?」と訊くと、「海岸だとか」と答える。階段を上がってきたトムが 「男の子は? 彼女ど一緒だったがね?」と尋ねる。「男の子なんか、見た覚えないわ」。「10歳の子なんだ」。「ああ、ウィリーのことなのね。田舎に疎開したとか聞いたわ。おとなしい子で、友だちなんかいない。いつも虐めの標的だったわ。つまりね、この家は… まさに謎の家だったわけ。時々、おかしなことを耳にしたわ」。「どーた?」。「すすり泣きとか、ドスンとか」。「ドスン?」。「家具をぶつけてるみたいな」。防空警備員:「誰だって、家具を動かすでしょ」。「午前3時に?」。「おめさんが、最後に彼女を見だのはいづなんだね?」。「1週間くらい前。見下すような態度で話しかけてきたから、カチンときたわ。まるで、気取り屋」。その時、まだ下にいたサミーがトムを呼ぶような声を出す。原作の第16章では、防空壕の中で、グラッドという女性から、ビーチの家について、映画と似た話を聞かされる。映画の終盤の紹介まで来た時、このシーンの本質的矛盾に気付いた。この時期は、原作では1940年の3月末~4月初、映画では不明だが、この先、いろいろなことが起きるずっと先に、9月6日の記述がある。しかし、ドイツ空軍のイギリスへの空爆は開戦後すぐに始まった訳ではなく、一番最初が1940年8月13日で、対象は、イングランド南東部の空軍基地(イーストチャーチ、アンドーヴァー、デットリング)、ポートランド島の港、サウサンプトンのドックなどに対する、「アドラーングリフ〔Adlerangriff〕」(鷲攻撃)と呼ばれる小規模な攻撃だった。攻撃がレベルアップしたのは、8月24日からで、ドイツ空軍100機が、ドーヴァー、ラムズゲート、テムズ河口、東ロンドン地域などを空爆した(https://blog.forceswarrecords.com/)。しかし、ロンドン市内に対する本格的な空爆が開始されるのは、「黒い土曜日」として知られる 1940 年 9 月 7日(土)の大空襲から。従って、映画のこの時点で、市街地が空爆で破壊されていることはあり得ない。戦争を実感させるための、歴史を歪曲した映画脚本の意図的な間違い原作には、この時点で空爆の記載はない。
  
  
  

トムは、サミーがウィルについて何か見つけたと確信し、下に降りて行くと、防空警備員が止めるのを無視して、ドアに体当たりする。トムがドアを破って中に入ると、サミーは中に一目散。トムも跡を追い、掛け金のかかったドアを開けようとする。1つは紐で縛ってあったので、防空警備員がナイフで切断する。そしてドアを開けると、左手を壁の金具に縛り付けられた下着姿のウィルが、赤ん坊を抱いて、苦しそうに咳いていた(2枚目の写真、矢印)。さっそく、警察と救急車が呼ばれる。長イスに座らされたウィルは、警官が声をかけても、赤ん坊を放そうとしない(3枚目の写真)。そこで、トムが、「その子の〔his〕名は何でいうんだい、ウィリアム?」と優しく声をかける。「“her” だよ。僕はトゥルーディって呼んでる」。「トゥルーディが、いい名だな。ちょっと抱がせでもらえるが?」。しばらく考えてから、ウィルは赤ちゃんをトムに渡し、すぐに警官が受け取る。赤ちゃんをみた婦警は、死んでいることを確認する。原作の第16章では、ドアを破った直後、「強烈な悪臭」がし、“階段下” の扉を開けると、「あまりの臭気に、防空警備員は、吐き気を催したように顔をそむけた」と書かれている。映画では1週間、原作では不明な期間、ウィルと死ぬまでの赤ちゃんは狭い空間に閉じ込められ、糞尿も垂れ流しだったため、死体の腐食も相まって、恐ろしい悪臭がしたのであろう。これほどの悪女は、映画の中でも例を見ない。後半は、原作の第17章「救出(Rescue)」の冒頭で、内容もほぼ同じ。
  
  
  

トムが、悲惨な思いをしたウィルに同情して抱き締ると、ウィルもトムの背中にすがりつく(1枚目の写真)。ウィルは救急車は病院に運ばれ、トムが駆けつけた頃には、医者の診察が終わったところだった。医師は、「あなたはこの子の身内ですか?」と尋ねる(2枚目の写真、矢印は、壁に縛り付けられていた傷跡)。「いいえ」。「では、誰ですか?」。「彼を助け出した人」。「ギリギリ間に合って良かったです」。そう言うと、看護婦にむかって、「よし、小児科に連れて行って、破傷風を打ってもらおう」と言う。車椅子に乗せられて連れて行かれるウィルに向かって、トムは 「わしは、遠くにはいかん。安心おし」と声をかける(3枚目の写真)。原作の第17章では、防空警備員も一緒。だから、医師が身内かどうか尋ねた時に、トムがどんな人間か説明する。医師の看護婦の指示は、破傷風の注射の前に、体の洗浄が入る。糞尿まみれなので、診察の前に洗っていたのかと思ったが、戦時中のせいなのか、後手にまわっているような…
  
  
  

病院から外に出たトムは、待っていた防空警備員に、「母親の消息は?」と尋ねると、「いいや。だが、捕まったら、刑務所行きだろう」と言う。「夫は?」。「何年も前に、路地で死んだ。自分で吐いたものを喉につまらせて。奴の考える家庭生活とは、酔っ払って家に帰り、妻をサンドバッグにすることだったようだ」。ウィルの母が残酷なのは、夫のせいだったことが分かる。防空警備員が、「じゃあ、あんたは、これで田舎に帰るんだね?」と訊くと、「ウィリアムど一緒じゃなぎゃ、帰らんよ」と答える。ここからが、映画でも、原作でも、一番戸惑う場面。夜の病室で、目の覚めたウィルがいきなり大声で叫ぶ(1枚目の写真)〔1週間の死と隣り合わせの監禁で悪夢を見た〕。大部屋なので、他の病気の子供も目が覚めてしまう。それでは迷惑なので、看護婦は注射で眠らせる〔このことに、問題はない〕。翌日、病院には入れないサミーを道路際の鉄柱に縛り付けると、病院に入って行く。次の場面では、廊下でトムが看護婦から説明を受けている。「彼はひどい衝撃を受けています。ですから、鎮静状態に保つ必要がありました」と言い、注射で眠っているウィルを見せる。彼は、頭部に多くの傷があったため、軍人のよう髪を短く刈られていた〔このことに、問題はない〕。目が覚めたウィルに、トムが、「櫛でどぐ手間がはぶげんな。今の気分はどうだ?」と訊くと、「悪夢を見たよ。そしたら、僕に注射したんだ。トムさん、僕も一緒に帰れない?」と言う。その時、看護婦がやってきて、「申し訳ありませんが、お帰り下さい」と言う。ウィルは 「行かないで! もう少しここにいて!」と頼むが、トムは、「今はただ、自分自身良ぐするごどに集中しろ。いいな?」と言って、ベッドから離れる。すると、「私自身、薬漬けにすべきではないと信じています。あなたは、きっとトムさんですね?」と口髭の医師が笑顔で言い、「私はステルトン、精神科医です」と名乗り(3枚目の写真)、「私は児童養護施設で働いています。私たちは、彼がそこで治療を受けることが有益だと考えています」と続ける。トムは、「どのような治療ですか?」と訊き、「精神科の治療」と言われる。トムが、「彼ど一緒に家に戻りでえ」と希望を言うと、「オークリーさん、あなたは彼の身内ではありません」と言われてしまう。原作の第17章では、ウィルが入院した翌日の午後、看護婦がトムを呼びに来て、①精神科の医師がウィルを診た、②精神的な衝撃を受けていて、夜中に悲鳴をあげたので、鎮静剤を打った、③今すぐ会えると伝える。トムがウィルに会うと、過去形ではなく現在形で、①怖い夢を見る、②目が覚めると、注射を打たれ、動くことも話すこともできない、と僅か1日しか入院していないのに、こうした状態が日常化しているような言い方で不満を訴える。そして、ウィルに会いにきた医師〔精神科医〕が、施設に行けば良くなると言うが、トムさんと一緒に村に帰りたいとすがるように頼む。では、何が一番戸惑うのか? 確かに施設に入りたくないのは分かるのだが、短期間の入院で、鎮静剤の注射が常態化していて、それが悪いような筋書きはどこか変。映画の終盤で、ステルトンが村に再度現われた時、トムは、「ステルトン医師によって彼〔ウィル〕が人間モルモットにされるより、わしと一緒の方がよほど理想的ですぞ」と、ある意味誹謗するが、少し飛躍し過ぎではないか? 既に紹介済みの『An Angel for May(タイムトラベラー/戦場に舞い降りた少年)』で、メイが精神病棟で薬漬けにされて廃人になるのとはわけが違う。
  
  
  

病院を出ると、トムはウィルのアパートにこっそり戻ると、ウィルが一晩泊った階段の上の部屋に行き、そこに放置されたままのウィルの衣服すべてを紙袋に詰めると、真っ暗になってから病院に戻り、再びサミーを鉄柱に縛る(1枚目の写真、矢印は紙袋)。そして、病院に入っていくと、大部屋で眠っていたウィルを抱き起こすと(2枚目の写真)、そのまま大胆に肩に担いで病院から出て来る。次のシーンでは、もう駅から村に戻る馬車にウィルと並んで乗っている。半分ウトウトしながら、ウィルが、「トムさん、僕、どうやってここに来たの?」と訊くと、トムは 「おめを誘拐したのさ」と言って笑い出す(3枚目の写真)。原作の第17章では、トムはウィルのアパートには戻らない。暗くなるまで病院の入口で、救急車からの怪我人の搬送の手伝いをして時間を潰してから、ウィルを盗み出す。そして、駅の近くの防空壕で朝になるまで隠れていて、翌朝駅に行くが、ウィアウォルド行きの汽車がなかったため、途中のスカイロン〔これも架空の村〕行きの汽車に乗る。そこからは、3台の車のヒッチハイクと残り5マイル〔8km〕の徒歩で、駅の村まで辿り着く。そこからは、ドブスの牽く馬車で家に戻る。その馬車の中で、気が付いたウィルがトムに投げかける質問と、トムの答えは、映画と同じ。
  
  
  

トムが一番にしたことは、馴染みの医師にウィルを診てもらうこと。トムの家に往診に来た医師は、「病院はちゃんと手当でしてくれだ」と、外傷に関して意見を言う(1枚目の写真)。そして、ウィルから聞こえないところまでくると、「ただれは、もぢろんじゃが すぐに治る。わしらが心配しなぎゃならんのは、心の傷じゃ」と言った後で、「遅がれ早がれ、彼らが探しにやってくるごどは、覚悟せんとな」とも注意する。トムは、「彼らは忙し過ぎで、疎開者を追ってるどごろじゃねえ」と、気楽に言う(2枚目の写真)。原作の第17章の最後では、医師の発言はほぼ同じだが、トムの最後の意見は、トムではなく、医師の奥さんが言う。順序が異なるが、医師が、心の傷について懸念すると、トムは、「分っとるよ。必要な時には、わしが支えでやる」と言い、後ろから、ザックが 「僕も!」と叫ぶ。医師を見送ってから家に入ると、ウィルが、「イヤ! イヤ! イヤ! イヤ!…」と叫んでいる。トムが2階に駆け上がる、ベッドでは恐怖に満ちた顔で、「彼だよ、トムさん! 彼だ!」と、叫ぶ(3枚目の写真)〔彼とは、ステルトン医師のことだが、何度も書くように、ウィルは入院してから2日目の夜に救い出された。注射をうったのは看護婦だし、ステルトンとは1回しか会ってない。それ以前の1週間にも及ぶ糞尿監禁がトラウマにならずに、なぜ、鎮静剤の注射でこうも騒ぐのか、全く理解できない〕原作の第18章「回復(Recovery)」の冒頭では、ウィルは夢の中で4人の背の高い白衣に取り囲まれていた。そのうちの1人が、「大声を出せば、永遠に眠らせてやる」と脅す。ウィルは、「イヤ! イヤ!」と叫ぶ。叫んだせいで、4人は長い皮下の注射針を取り出し、ウィルは麻痺したようにそれを見る。「うつぶせになれ」。逃げようとするウィルを何本もの手が抑え込み、注射針がお尻に刺さる〔映画よりも、もっとオーバーだ。何ヶ月も精神病院に入れられていたなら分かるが、一晩小児科病棟に入っていただけなのに…〕
  
  
  

別の日の朝(原作の第18章では、かなりの日数が経っている)、トムがウィルの部屋の暗幕を外すと、急に明るくなったので、ウィルが目を覚ます。トムが、「気分はどうだ?」と訊くと、「ベッドから出てみたい」という返事だったので、トムはOKし、ウィルは布団をどけて足を床につけ、立ち上がろうとするが、まだ足が萎えていて、倒れてしまい、すぐにベッドに戻る。原作の第18章には同じ場面がある。トムがウィルの朝食を作っていると、そこにザックが入って来る。そして、「オークリーさん、今日は彼に会えますか?」と尋ねる(1枚目の写真)。「朝食の後でな」。「すごく時間がかかっちゃう。知ってるでしょ。何でも噛むんだから。僕なら、一口食べたら、飲み込んじゃう」。原作の第18章では、「一口」じゃなく「2、3回噛んだだけで」。しかし、その後、まだ会うのは早過ぎると言われる。そして、「5月の第1週目〔帰村後1ヶ月経過〕」になり、ようやく… 2階から、「トムさん。下にいるのはザック?」と声がする。それを聞いたトムは、ザックに朝食を持って行かせる。2階では、ウィルが、久し振りに会ったザックに、「僕がいない間に、何か起きた?」と訊く。「たいして。ほんと、退屈だった。そうそう、ハートリッジ先生のご主人が撃ち落とされたことを除けばね」(2枚目の写真)「でも、赤ちゃんは無事生まれたんだ」ウィルは、初耳だったので、「赤ちゃん?」と訊く。「先生に赤ちゃんができたの知らなかったの?」。「うん」。「あんなたに(お腹が)大きかったのに? セックスのこととか知ってるよね?」。「それが何か汚らわしいことで、やったら地獄に落ちるってことぐらい」。「最悪だな、ウィル。僕のパパは言ってるよ、セックスとは 男と女が互いにどれだけ愛し合っているかを示すものだって。セックスがなかったら、僕たちここにはいなかった」。「じゃあ、女の人は、一人じゃ子供は産めないの?」。「もちろんさ。男の人は必須だよ」(3枚目の写真)。話が、ウィルには相応しくないと思ったトムは、2階に上がってくると、「そろそろ帰る時間じゃねえのが」と言う。原作の第18章では、ザックの最後の言葉は、「そうさ。女の人に自分の種をあげる男の人がいなきゃね」となっている。
  
  
  

部屋にいるのがトムだけになると、ザックに訊いたことで、ウィルが一番気にかかっていたことをトムに質問する。「ザックは言うんだ、女の人は男の人なしでは子供を産めないって」(1枚目の写真)「それ、ホントなの?」。「そうだ」〔これで、ウィルには母が嘘つきだと分かる。赤ちゃんが、神からの授かり物でないことも〕。ところが、この後、ウィルは別のことを心配する。「僕が、トゥルーディ殺したんだ。僕、あそこから出るべきだった。やってみたんだ!」。「だが、おめは縛られでただっぺ?」(2枚目の写真)「ただ、こんたけは覚えでおげ。あの女がおめや赤ん坊にした仕打ぢは、病気のせいだったぢゅうごどじゃ。かなり病んでおったに違いねえ。困ったごどは、戦争で誰もが生ぎ残るごどに精一杯で、それに気付がながったごどじゃ」。ここで、話はさらにズレていく。「教えでくれるがな、ウィリアム。おめが見続げでる悪夢。いづも同じものなんだっぺ? そして、いづも同じ男なんじゃ。奴は誰なんじゃ? 夢の中で何するんじゃ?」。これに対し、ウィルは、「彼と一緒に来なければならないと言い続けるんだ」と答える(3枚目の写真)。何度も書くが、僅か一晩の入院で、こんなに長く悪夢が続くのは、不自然極まりない。原作の18章では、トゥルーディについてのウィルの短いコメントの後、彼は、当然のことを言う。「てことは、母さんは男の人と会ってたんだ。嘘ついてんだ。男女が付き合うのは罪だと言ってたくせに」。それに対し、トムは、「おめの母さんは心の病なんじゃ。いづも心の中に不幸抱えでるような」と言う〔映画では、病=赤ん坊に対する仕打ち、原作では、病=嘘の男女交際。後者の方が、ザックの始めたセックスの話と結びついている〕。ウィルは、「トムさん、僕ここにいたいよ。病気だからと言っても、母さんのところには戻りたくない」と言う。「彼女の元には戻んねえだっぺ。当局はそーたごど許さんでな」。「でも、なぜ僕を誘拐したの?」。「病院で会った医師は、おめを児童養護施設に入れっぺどしてだ。わしは、こごに戻ってぎで欲しかったんじゃ」。「どうして」。「おめのごどが好ぎだがらじゃよ〔I'm fond of you〕。会えねえなんて寂しいがらな」。それを聞いたウィルは、「僕、トムさんが大好き〔I love you〕」と言い、トムも、「わしもじゃよ〔I love you too〕と言う。この感動的な場面の代わりに、ズレた会話にした脚本が悪い。
  
  
  

ザックからハートリッジの赤ちゃんのことを聞いていたウィルは、歩けるようになると、先生に会いに行く。原作の第18章の最後の方に、「5月が飛ぶように過ぎ6月になると、ウィルは着実に力をつけていった」と書かれ、さらに、「6月最後の土曜日〔1940年6月29日(土)〕… ウィルはアニー・ハートリッジのコテージに向かった」と書かれている。ロンドンから戻って約3ヶ月後だ。ハートリッジは赤ちゃんと一緒に庭にいて、「今日は、ウィリアム」と声をかけると、イスから立ち上がり、芝生の上に毛布を置いて寝かせていた赤ちゃんを抱き上げると、「彼女はペギー。皆さんが、この子のパパに似てるっておっしゃるわ」と言うと、「気分はどう?」と訊く。「僕、大丈夫です」。ハートリッジは、レモネードを用意する間、ペギーを抱いているように頼み、その場からいなくなる(2枚目の写真)。原作の第18章の最後で、ペギーを抱いたことで。ウィルはトゥルーディの死に対する罪の意識が完全に消えたと書かれている。映画では、こうした配慮はない。次のシーンは、ウィルとザックが郵便局の前に行くと、「EAST END / BLITZED / MANY DEAD」と、大きな字で掲示されている。イースト・エンド(East End)はロンドンの主要な工業、貯蔵施設、テムズ川沿いのドックが集中する地域で、イギリスのサプライチェーンの破壊を目的としたドイツ軍の空襲のターゲットになった地区。BLITZEDは、ドイツ語で電撃戦を意味するblitzkriegから英語化した言葉で空襲を意味している。空襲は1940年9月7日(土)から50夜以上にわたって続き、多くの犠牲者が出た(「The Blitz in East London - Your WW2 Stories From History」より)。その掲示を見たザックの顔が青くなる。「そこが父さんの拠点なんだ」。「大丈夫だよ」(3枚目の写真)。「もちろんさ」と言うが、ザックは心配でならない〔1つ前の場面は、原作によれば6月29日だったのに、この場面は9月7日以降。映画では、時間の経過が分かりにくい〕なお、原作にこの掲示版は出て来ない。
  
  
  

トムが家に戻ると、そこには怖い顔をした4人が待っていた。そのうちの2人は、疎開係のフォード夫人と精神科医で児童養護施設長のステルトン、残りは、村の警官と、1人だけイスに座っている ウイングカラーシャツに蝶ネクタイ姿の傲慢な顔をした内務省の役人だ。最初に口を開いたのはフォードで、ウィルの母が溺死したと告げる(1枚目の写真)。原作の第20章「不気味な小屋(Spooky Cott)」では、4人が待っていたが、映画と同じなのは地元の警官のみ。1人は、ロンドンでトムを助けてくれた防空警備員、1人は児童養護施設の女性、残る1人は最後まで正体不明の男性。最初に口を開いたのは女性で、母の死は溺死ではなく自殺。映画に戻り、フォードは、訪問の目的は、ステルトン医師がウィルを児童養護施設に引き取りに来たことだと告げる。ウィルは、「僕は、トムさんと一緒にここにいたい」と主張する。それを聞いた警官は、ウィルに、「オークリーさんが、大変なことになるよ。誘拐は重大な犯罪なんだ」と言うと、ウィルは 「誘拐されたんじゃない、助け出されたんだ」と反論する。すると、内務省の役人が、「ウィリアムを2階で待たせておきたまえ」と指示する。ウィリアムが階段を上がり始めると、トムが、「ウィリアム」と呼び止める。そして、「おめが夢で見る男。口髭の男は彼なのが?」と訊く(2枚目の写真)。ウィルは何度も頷く。ウィルが2階に行くと、トムは攻撃を開始する。ステルトンに向かって、「あの子は、こごに来てがらずっと悪夢にうなされでる。どうやら、おめのな。おめが、あの子を連れ去りに来る悪夢じゃぞ。あの子は、しょっちゅう目覚まし、そのごどで叫んでる」と非難する(1枚目の写真)。ステルトンは、それでも懲りずに、役人に、「あの子には専門医による治療が必要です」と言うが、トムは、「あの子に必要なのは愛ですぞ。おめたぢは、あの子を連れで行ぐべどしてる場所の方が、こごよりずっと有意義だど言うつもりなのがね? もしそうなら、そーたのは全ぐの戯言(たわごと)じゃねえが」と、スケルトンに代表される精神医学を強く批判する。原作の第20章のウィルはもっと雄弁だ。誘拐という非難に対し、「誰かを誘拐する場合、普通なら身代金を要求するよね。だけど、僕のために身代金を払ってくれる人なんか、世界中探したっていない… トムさんを除いては。そんなトムさんが、僕を誘拐しただって? 僕は誘拐されたんじゃない、助け出されたんだ」と、より強く反論する。そこには口髭医師はいないので、トムの反撃もない。
  
  
  

内務省の役人は、トムを家の外に連れ出す。そして、トムの動機を疑って、「オークリーさん、ホントは少年の福祉のためじゃないんだろ? あんたのため、あんたの福祉のためだ。聞くところによると、孤独で苦しい老後を迎えたみじめな老人のためだ」。この失礼な物言いに、トムは、「私が彼に戻って欲しいのは、そーただめだど本気で思ってるのが? 憤慨やるがだねえな」。「あんたが70になっても、彼がまだ10代であることは気にならないのかね?」。「気になるども。わしはバカじゃねえ! だが、こう言ってはなんだが、あの子がステルトンに人間モルモットにされるよりは、よっぽど理想的だっぺ」。「オークリーさん、一つだけ教えてくれ。なぜ突然、あの少年が、あんたにとってそんなに重要な存在になったんだね? ただの疎開児童が」(1枚目の写真)。「もぢろん、彼が大好だがらじゃ。まるで、あの子が、わしの血や肉であるがのように」。この曖昧な会話の後で〔何事も、会話ではっきりさせないのが、この映画の最大の欠点〕、トムが2階のウィルの部屋に行くと(2枚目の写真)、彼は、顔を見るなり、「僕、あいつらとは行かないからね、トムさん!」と叫ぶ。トムは、「わしが おめを養子にすっから、すべで合法的になるんじゃ」と言い、それを聞いたウィルは、感激してトムに抱き着く(3枚目の写真)〔いつの間にそんな話になったのか、さっぱり分からない〕原作の第20章ではもっと “いい加減” で、途中の話し合いは一切なく、「ウィルは床に耳を押し当てたが、彼らが書類を持って戻ってくるということしか聞き取れなかった」という文章のあと、1階に降りたウィルが 『僕、どうなるの?』と訊くと、トムは 『おめを養子にする』と言う。ウィルは、『僕、あなたの息子なんだ!』と叫ぶと、イスから飛び降り、『僕のお父さんになるんだね?!』と言いつつ、歓喜の雄叫びとともに肘掛けイスから飛び上がった」と書かれている。因みに、この第20章の冒頭に、8月31日とあるので、「イースト・エンド」の場面だけは、原作と映画とで順番が逆転している。
  
  
  

ウィルは、この素晴らしいニュースをザックに知らせようと、医師の家に行く。しかし、夫人は、「彼は2階で、荷造りしてるの」と言われる。ウィルが2階に行くと、ザックは荷物をスーツケースに詰めながら(1枚目の写真)、「あいつらドックを爆撃し、父さんがそこにいたんだ。もちろん無事だって確信してるけど、確かめにいかないと。万が一、父さんが…」と、悲しそうな顔で言う〔ロンドンのテムズ川沿いには連続して大きなドックが造られていた。なぜドックがあるのか? ロンドンはテムズ川の河口から60キロほど上流にあるが、潮の干満の差は大きく、最大6メートルに達するため、外洋から直接入って来た船が荷物を積み下ろしするのに、ドックと呼ばれる施設が設けられ、川に沿った部分に閘門が設けられ、川の水位が上下しても、ドックの中の水位が一定に保たれるようになっていた→右の 昔のイースト・エンドの地図参照〕原作の第21章では、「翌朝、リトル夫妻はザックをウィアフォルドの駅まで送った」とあり、その次の節に、「ザックが突然帰っていった翌日の1940年9月7日の土曜は、ウィリアムの10歳の誕生日だった」との記載がある。しかし、ロンドンの空爆開始は、数節前に書いたように、歴史的事実として1940年9月7日。だから、2日前の9月5日にザックの父が空爆に遭うハズがない。何度も書くが、“書き物” でこうしたミスは見苦しい。次の場面で、夜、トムとウィルがアンダーソン式シェルターに隠れている。そして、恐らく翌朝、BBCの放送を聞きながら2人は朝食を取っている。「昨夜のロンドン大空襲は、この戦争で最も激しいものだったと思われ、少なくとも400人が死亡、1400人が重傷を負った。今も街中では火災が続いており、イースト・エンドでは多くの家が倒壊した」。それを聞き、ウィルは不安になり、食べ物が喉を通らなくなる(2枚目の写真)。ウィルは、ザックからの連絡が何もないので、駅まで行き、列車からザックが降りて来ないか見に行くが、味わったのは失望だけ。そして、ウィルが家に戻って来ると、そこにはリトル夫妻がトムと一緒に待っていて、夫人が、電報の紙を手に持ったまま、「ウィリアム」と言ったきり、何も言えないのを見て(3枚目の写真、矢印)、気を失い、とっさに飛び出たトムによって転倒は免れる(4枚目の写真)。原作の第21章の最後に、9月10日(火)の朝、リトル夫妻がやってきて、その顔を見たウィルは意識を失ってその場に倒れる。
  
  
  
  

心に再び深い傷を負ったウィルは、学校の門まで行くが、授業が始まっても中には入らずに柵のところに立っている(1枚目の写真)。教室の中では、空席になったザックの隣のウィルの席も空席なので、ハートリッジが窓の外を見ると、ウィルの姿が見える。そこで、急いで教室から外に出ると、もうウィルはいない。彼は、教会まで行くと、「神様、あなたなんか大嫌いだ!」と叫ぶ(2枚目の写真)。ハートリッジは授業が終わると、トムを訪れ、「オークリーさん、ウィリアムは大丈夫ですか?」と尋ねる。「彼は… 無論、すごぐ動揺しとる… だが… なぜじゃね?」。「今日、学校に来ませんでした」。夕方の6時20分になって、ようやくウィルはトムの家に帰って来る。「どごにいだんじゃ?」。ウィルは 肩をすくめる。「大丈夫が?」。元気なく、「うん」。トムが夕食だから手を洗うように言っても、「お腹、空いてない」と言って2階に上がっていく。翌日、階段の下部に寄りかかったままのウィルに、トムは、「ちょっと一緒に来てぐれ」と声をかける。そして、妻子の墓石の前まで行くと、語り始める。「大切な人を失ったのは自分だげだど思ってるのが? それは、誰にでも起ぎでるごどなんじゃ。まさに、この瞬間にもな。それが起ぎだ時、わしがどう感じだど思う? 家内はわしの大の親友じゃった。最高のな。そして、わしの可愛い息子。ただし、本当は、失ったわげじゃねえ。2人はまだこごにいるんじゃ」。そして、指で自分の頭をさして、「この中にな」と言い、「これがらも、ずっとじゃ。おめにとって、ザックがそうなるように。おめは、ザックのごど、これがらもずっと覚えでっぺ。あらゆる小さなごどまで。そして、それは誰に奪うごどがでぎねえものなんじゃ、誰にも。そして永遠に」(3枚目の写真)。素晴らしいアドバイスに、ウィルはトムに抱き着く。映画では、ザックの死から数日の出来事のように感じられる。しかし、原作の第22章「悲嘆(Grieving)」の冒頭は、「ザックの死の知らせから数週間、ウィルはゾンビのような放心状態で毎日を生き延びていた」という文章から始まる。
  
  
  
  

映画では、最初の1枚は順序が異なるが、トムはリトル医師からもらってきたザックの自転車をウィルに見せる(1枚目の写真)。そこから、自転車に一度も乗ったことのないトムの熱心な練習が始まる(2枚目の写真)。そして、ある程度乗れるようになったトムに、ハートリッジは、「夫は、死んでおらず、捕虜になっている」という知らせが電報で届いたと、嬉しそうに知らせる(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

そして、自転車を自由に乗りこなせるようになったウィルが、「わーい」と叫びながら、急坂を勢いよく降りて行く(1枚目の写真)。その声を遠くから聞いたトムが、道路で待ち受けていると、ウィルはトムの前で自転車を停めると、「僕、乗れるよ、父さん! ほんとに乗れるんだ!」と、初めてトムを 「トムさん」ではなく 「父さん」と呼ぶ。それを聞いたトムが満面の笑顔でウィルの頭を抱いたところで映画は終わる。最後の3節、なぜ原作との対比がなかったのか? それは、ウィルの立ち直り方が全く違っているから。以前、原作の第20章「不気味な小屋」という章が出てきたが、その時は、章のタイトルの「不気味な小屋」とは無関係な内容だった。映画には、この「不気味な小屋」は登場しない。この小屋は、村の子供達から、そうした名前で呼ばれ、怖れられている小屋。そこに、嫌がるザックを連れて、興味津々のウィルが近づいていく。中にいたのは化け物でも、怖い老人でもなく、プロの絵描きの20代の好青年ジョフリー。彼は、第21章の「学校に戻る」では、ハートリッジと一緒に授業を担当する。そして、ザックの死後の、第22章の「悲嘆」で、非常に大きな役割を果たす〔原作には、トムが妻子の墓石の前でウィルに話した “教え” はない〕。その代わりになるのが、ジョフリーの全く違った “教え”。映画では、ジョフリーを出すと長くなるので、カットした関係で、トムにあの言葉を言わせるしかなかった。ジョフリーは、彼の “不気味じゃない小屋” に、ザックの死後何度か目にウィルが来た時、ウィルの絵の先生の立場から、「これが今日の午後の画題だ」と言って、1枚目の写真を渡す。そこには。2人の青年が映っていて、1人はジョフリー、もう1人は戦死した彼の親友だった。そして、ジョフリーがいつも吸ってパイプを、「これは、彼のパイプなんだ」と教える。「その人のパイプを使ってるの?」。「うん。彼は僕に持っていて欲しかったと思うんだ。これで吸うたびに、彼がまだ生きている気が少しするんだ」。ウィルは絵を描き始めるが、集中できなかった。「彼らは、単なる被写体ではなくなった。彼らは生きていた。ウィルは、2人は、(目の前にある)ティーポットから紅茶を飲んだに違いないと思い始めた」「突然、ウィルは、色鮮やかな自転車に乗って歌いながら両腕を高く上げ、『見ろよ、両手を放してるぞ』と叫ぶなり、生け垣に倒れ込んだザックが、傷だらけの顔でニヤニヤと彼を見上げていたのを思い出した」。その後、ジョフリーは、いつものようにレコードをかけ、ウィルは辛いので暖炉の火を見つめていたが、「そうしているうちに、突然、火を見つめているのは自分だけではないと感じた… ザックも一緒に火を見つめている。聞いているだけで満足している自分の隣に、興奮ではちきれそうになり、音楽に合わせて動きたくてたまらないザックが座っているのを感じた」。ジョフリーの家から帰る途中でも、「ウィルは、ザックが隣にいるこという感じをまた受けた」。門のところで待っていたトムに、ウィルは 「ごめんなさい、父さん」と謝り、トム喜ばせる。ウィルは、そのあとでリトル家に行き、「ザックの自転車に乗ってもいいですか?」と尋ねる。ウィルは、リトル夫人が 「サドル下げであげるっぺね」というのを断って自分でやりたいと言い、夫人が「動がねえよう押さえでいであげる」と言うと、ザック独自の言い回しの 「合点だぃ〔Rightio〕」と思わず言ってしまう。さらに、泥除けの修理とか、金属の錆び落としをしていると、「ザックの一部に触れているような、不思議な感覚がした」。こうして、自転車に乗ることは、ウィルにとって、「ザックと一緒にいること」と同じになる。それが、ウィルを立ち直らせる。だから、映画のラストの自転車には、もっと深い意味がある。
  
  
  

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