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Princess プリンセス

イスラエル映画 (2014)

36歳のタリ・シャローム・イーザー(女性)の初監督作品(脚本兼)で、2014年のエルサレム映画祭で最優秀長編作品賞を獲得した作品。一部のレビュー(英語版)では、主演の12歳の少女アダル〔脚本の設定上で、出演時の実年齢は16歳〕が、一緒に住んでいる母の愛人ミハエルに犯されるシーンに焦点を当てている。しかし、それは表層的な見方で、実際には、アダルと、その「第二の自我」としてのアランの2人が作り出す、現実と非現実の境が曖昧になった不思議な世界を描いた秀作だ。そのアラン役がアダル・ゾハー・ハメッツ(Adar Zohar-Hanetz)。どこをどう調べても、生年、出演時年齢とも不明だったが、役柄では12歳のアダルの少し上とあるので、17歳以下だろう考え、紹介の対象とした。さて、映画は、アダルがふとしたことから、自分とそっくりな雰囲気の少年を見つけ、気が合ったことから、自分の部屋に一緒に泊めるところから始まる。年頃の男女が一緒のベッド? そんなことを母が許すか? こうした疑問にもかかわらず、2人の新たな日常が始まる。これまで、ミハエルは、母と毎夜激しくセックスしながら、アダルとのスキンシップも楽しむ「継父」だった。それが、次第にエスカレートし、バイセクシャルのようにアランに接近し、アダルがそれを厭わしげに見ている。そして、ミハエルの魔の手はアダルにも伸びる… 映画は一見すると、そのように観られてしまう可能性があり、そうした面だけから捉えると、ある評のように「恐怖に満ち、ぞっとするほどいやな映画 〔the most genuinely dread-filled and nauseating films〕」という見当違いの評価に辿り着く。しかし、それは全く間違った捉え方だ。実際は、アランは、アダルが空想で造り出した存在で、アダルにとっては「実在」していても、母やミハエルにとっては存在しない。この点について、監督はインタビューで、「アランが実在するのか、あるいは、ミハエルとの関係を絶つために作り上げた代役なのか分からないのですが?」という質問に対し、「それが私の狙いです。そう感じて欲しかったのです。彼は、彼女の内面世界の創造物です〔he is an expression of her internal world〕。だから、アダルにとって、彼は実在するのです」と答えている。だから、ミハエルもバイセクシャルではない。ミハエルがアダルにとって不快な言動をとるようになると、アダルはそれが、アランに対してなされたと自らに思い込ませることで、精神のバランスを保ろうとしたのであろう。しかし、ミハエルが、ある夜 一線を越え、アダルはヴァージンを失う。この事態を受けて、消極的な防衛線としてのアランは消滅し、アダルは母を強く責め、それをミハエルに対する強固な防衛線とする。こうした複雑な状況は、顔のよく似た2人を画面上で識別しながら観ていかないと、実際に何が起きているかを正確には把握できない。そこで、あらすじの写真で、アダルには 「」 を、アランには 「」 を付けることで、両者をはっきり区別できるようにした。

アダルは12歳の頭のいい少女。秀才ばかり集めた学校に通っているが、家庭環境がマイナスに作用して学業に身が入らず、欠席がちとなっている。アダルの家には、父は追い出されておらず、代わりにボーイフレンドのミハエルがいる。法律上、ミハエルが継父になっているのか、母子家庭にただ入り込んでいるだけなのかは分からない。ただ、ミハエルが精力抜群で、毎夜母とセックスに勤しみ、それがアダルに影を落としていることだけは確か。アダルとミハエルの関係は、父と娘、同年代の友達同士の2つの側面をもっていたが、節度を保っているように見える。しかし、アダルが、①上半身裸の姿で ミハエルのデッザンのモデルになり、②初潮を迎えた、の2点が、アダルの精神状態を不安定化させ、結果として、アルター・エゴ、すなわち、「自我から別れた別人格」「第二の自分」としてのアランを生み出す。アダルは、街で偶然にアランに出会ったと思い込み、お揃いのTシャツを買い、「そっくりさん」の友達ができたと喜び、夜になって捜しにきた母に、自分の部屋に泊めてもいいかと訊いた… と思い込む。アダルは、ミハエルのモデルになるのをアランに任せるが、アダルの制御を離れたアランにはアダルのコケティッシュな面が乗り移っていて、ミハエルを唆(そそのか)す結果となってしまう。アダルの空想の産物のはずのアランとミハエルの危い関係は、ミハエルにとっては、相手はアランではなくアダルなので、アダルに最悪の結果をもたらす。ミハエルによるアダルの強姦だ。この惨事をきっかけに、アダル=アランの幻想は消え、アダルの母への直訴となって実り、一家は正常な毎日に戻る。

アダル・ゾハー・ハメッツには 取り立てて魅力は感じなかったが、この映画の類い稀なムードだけは是非とも知ってもらいたいと思い、敢えて紹介対象とした。


あらすじ

アランが登場するまでの内容を簡単に紹介しておこう。映画は、ミハエルの隣で寝ているアダルを、母が起こすところから始まる。同じベッドといっても、継父と娘の関係で、それ以上のものは何もない。だから、母も2人が一緒にいても何とも思わない。時々、3人で寝ることもあるからだ。次に、アダルが母と一緒に学校に呼び出されるシーンがあり、そこでは、3科目が「不可」で、このままでは退学の可能性もあると示唆される。同席していた母は、「自業自得ね」と娘に手厳しい。それは、教師を驚かせる作戦だったかもしれないが、アダルにとっては不愉快なものだった。母は、朝も夜もミハエルと いちゃつき、2交代制の看護師としての仕事で疲労がたまっていることもあって、アダルのことなど構っていられない。それが、思春期を迎えつつあるアダルを不満の虜にし、学校のことなど どうでもいいと思うようにしてしまったのだ。この時期、ミハエルは母のようにぶっきらぼうではなく、アダルにとって話しやすい友達で、それがアダルを平静に保たせえる役割も果たしていた。しかし、ある朝アダルに初潮があり、それを契機として、アダルの心のバランスが崩れていく。写真では、1枚目でアダルと継父ミハエルの「友達同士」のような関係を、2枚目で母とミハエルとの「いちゃつき」を、3枚目でアダルが母に初潮を打ち明ける場面を示す。最後は、アラン出現の直前のシーンなので、もう少し詳しく紹介すると… ある朝、自分の部屋で目が覚めたアダルは、出血に気付き、ミハエルの隣で寝ている母を起こしに行く。話を聞いた母は、看護婦でもあるので、確信をもって「生理になったのよ」と笑顔で話す。「ホントに?」。「200%」。「嬉しいでしょ?」。「何が?」。「女性になったこと」。アダルは、ちっとも嬉しくない。できれば、生理であって欲しくない。最後に言った言葉は、「ミハエルには黙ってて」。「もちろん。2人だけの秘密よ」。そして、母は、ブラウスでも買ったらと、お金を渡す。
  
  
  

アダルは、学校をサボって街を歩いている時、廃虚化したビルに何故か惹かれ、使われなくなったフロアから屋上に出る。柵も何もない縁に立って、真下を見下ろすと、ビルを囲む狭い通路で、2人のティーンエイジャーがボクシングをして遊んでいる(1枚目の写真)。そのうちの1人が、自分と同じような長髪で、同じ色のTシャツを着ているので、アダルは思わず微笑む(2枚目の写真)。すると、画面は切り替わり、先程と同じ屋上からの見下ろしアングルで、アダルが画面下から現れる(3枚目の写真)。灰色のTシャツの少年に興味を持ったアダルが、屋上から1階まで降りて行き、通路に現れたという設定だが、唐突で面白い演出だ。
  
  
  

アダルが、少年をじっと見ていると、少年はボクシングをやめ、アダルの方に向かって歩いてくる。2人が通路ですれ違うシーン(1・2枚目の写真)は、同じような角度で撮影されていて、2人の長髪もそっくり、Tシャツの色も同じなため、男女や年齢の違いはあるものの、双子でも見ているような不思議な感覚に襲われる。2人の顔のクローズアップは、バラバラの画面ながら、ツーショットのようで面白い(3・4枚目の写真)。この時点では、アダルが街を歩いていたら、自分とよく似た雰囲気で、少し年上の少年と出会い、お互いよく似ているので、惹かれ合ったとしか考えられない。アダル:「行き先、決まってる?」。少年:「決めてない」。「学校には行かないの?」。「行ってない」。「私もよ。気が向いた時だけ。どこに住んでるの?」。「どこにも」。「両親はどこ?」。「知らない」。「気にならない?」。「どうせ構ってくれない」。
  
  
  
  

2人は、そのままショッピング・センターに行き、安売りコーナーで、お揃いのTシャツを捜す。少年が先に選び出し、アダルもそれが気に入り、同じものを手に取る(1枚目の写真)。そして、2人揃って試着室に入り、まず、少年が裸になって新しいTシャツを着てみせる。その姿に見とれるアダル(2枚目の写真)。アダルの着替えシーンはなく、次は、もう2人がお揃いのTシャツを着て外を歩いている〔母からもらったお金で買った〕。息がぴったり合った感じがよく分かる(3枚目の写真)。
  
  
  

場面は、急に夜に変わり、アダルの右に車が寄って来る。「アダル」と、母が呼びかける。すると、アダルが振り向く(1枚目の写真)。夜遅くなったのに、娘が帰って来ないので、ミハエルの運転で母が捜しに来たのだ。「いったい何のつもり?」。「時間、忘れてた」。「1日中どこにいたの? こんなに心配かけて」。「帰る途中だった」。アダルが左(運転席側)のドアを開けて乗り込む。しかし、次のシーンでは、アダルは右側に座り、左側にはさっきの少年が座っている(2枚目の写真)。映画を観ていて、最初に「おや?」と思う場面だ。なぜかと言えば、①車の左には、アダルしか映っていない。②アダルがドアを開けてから、バタンと閉まるまでの時間は僅か〔後部座席に2人も乗った形跡がない〕。この2点から、「少年は実在するのか?」という疑念が沸く。その後、アダルは、いきなり、「アランよ」と少年を母に紹介する。そして、アランには、「私のママと、ボーイフレンドのミハエルよ」と言う。母:「私はアルマ。会えて嬉しいわ」。アダル:「ママ、アランが泊まってもいい?」。母:「あなた、アダルの学校の友達?」。アダル:「私の部屋で一緒に寝るから、2人の邪魔はしないわ」。母:「どこに住んでるの?」。アダル:「お父さんが迎えに来るんだって。今、外国なの。数日でいいわ」。ここまでは、アダルと母の会話だが、ここで、母はアランに直接、「知らない家で泊まっても、お許しは出るの?」と尋ねる。しかし、答えたのはアダル。「野宿させるつもり?」。今度は、ミハエルがアランに訊く。「誰が、面倒見てる?」。「どうにかやってる」。「今夜、寝る場所あるのか?」。「ううん」。会話の最後でアランが直接答えるので、アランが実在しているように見える 〔しかし、後になって観返すと、車に乗ったのはアダル1人で、こうした会話は、アダルの空想の産物と考えても変ではないことに気付く〕。アダルは無事帰宅し、自分の部屋のベッドに寝ころぶ。ベッドの脇にはアランが座り、ギターを弾く。アダルは、自分の右足をギターに見立て、左手で弦を奏でるフリをしている(3枚目の写真、矢印はアダルの手)。「どうして、パパと一緒にいないの?」。「君こそ、どうしてだ?」〔アダルの母親が、ミハエルと暮らしているので〕。「ママは、〔私のパパが〕バカだって思ってる」。最後の部分も、普通に観れば、アダルとアランの会話だが、アランが、アダルのアルター・エゴだと分かって観ると、アダルの実父に対する思慕が、こうした空想を生み出したようにも思える。
  
  
  

翌朝、アダルが呼んでもミハエルは起きない〔母はとっくに出勤して 姿はない〕。アダルが家にいるのは学校をサボっているからだが、ミハエルがいるのはおかしい。そこで、アダルは、後で、「なぜ、起きなかったの?」と聞いてみる。「解雇された。もう、教えてない」。「なぜ?」。「楽しくなくなった。教師なんか最低だ」。「ママには話したの?」。「まだだ」。こうなれば、ミハエルは、看護婦として身を粉にして働く母にぶら下がった「ヒモ」のような存在でしかない。次に、アダルとミハエルが、体をぶつけ合ってじゃれ合う姿が映される。壁には、ミハエルが描いたアダルの絵が何枚も貼ってある。胸より上の絵だが、見える範囲では服は着ていない。この先が、問題のシーン。サーモンピンクのTシャツを着たアダルが、ミハエルの部屋に入っていく。いつも通り、絵のモデルになるためだ。彼女は、入口まで来ると、Tシャツを脱ぐ(1枚目の写真。矢印は、アダルの短いジーンズ)。ところが、連続した次のシーンで部屋に入って来た上半身裸の人物は、膝までのジーンズを履いている(2枚目の写真、矢印は鏡に写ったジーンズの裾)。そして、その人物がミハエルの方を振り向くと、アダルでなくアランだ(3枚目の写真)。この一連の映像で、この家にいるのは1人だけで、アダル=アランであることが確実に分かる。ミハエルの部屋に上半身裸で入っていったアダルは、「子供でなくなった、生理のある女性」としては恥ずかしいと思っているので、部屋に入っていったのは自分ではなくアランだと考えることで、自分の行為を正当化しようとしたのだろう。かくして、上半身裸でミハエルの前に座ったのは、実際には、アランではなくアダルだった。「アラン」を見て ミハエルは微笑む。それを見て「アラン」も微笑むと、ミハエルは「微笑まないで」という。微笑みをやめると、「君の唇は赤ちゃんのようだ。可愛い」「君は美しい」と語りかける。さらに、絵筆を動かしながら、「どうしたらいいと思う〔What can you do〕?」と、謎掛けのように訊く。最後に、うっとりと見つめながら、「まさにプリンスだ〔Such a prince〕」と言う。この場面だけ観ていると、ミハエルがゲイのようにも見えるが、実際にはアダルに向かって話しているのでゲイではない。これは、危険なサインでもあった。継父と「母の娘」という関係からの逸脱が始まる。ところで、「プリンス」という表現は本来男性を意味するが、ミハエルは、アダルをいつも「boy」と呼んでいるし、このシーンの前後でも、アダルに「prince」と呼びかけている。実を言うと、映画の題名は「Princess」なのに、「prince」は7回台詞に出てくるが、「princess」は一度も出て来ない。だから、映画の題名は反語的でもある。
  
  
  

夕食の前、アダルが自分の部屋で鏡を見ていると、そこにミハエルが入って来て、アダルを抱き上げ、くすぐって、ベッドの上にドサッと落とす。そして、また、くすぐり始める(1枚目の写真)。それを、部屋に入って来た母が 不愉快そうな顔で見ている。しかし、口から出た言葉は、「アダル、やめなさい」〔本来なら、「ミハエル、やめなさい」と言うべきであろう〕。さらに、「一日中ベッドでごろごろして。少しぐらい片付けたらどう? この甘やかされた駄々っ子」と叱る。夕食の時間となり、1人でフテ寝していたアダルは、「食べに来なさい」「呼んでるのが聞こえないの?」の声に仕方なくキッチンに行くと、そこにはアランが座っていた。思わず、アダルの顔がほころぶ。気配を感じてアランが振り向く(2枚目の写真)。アダルが食卓につくと、ミハエルが、ワイングラスを持ち上げ、「アランに」と言う。この呼びかけに、4人が食卓の中央でグラスを合わせる(3枚目の写真)。2つ前のシーンでアランが存在しないと確信していないと、4人が仲良く食卓に着き、アランが家族の一員として受け入れられたと錯覚してしまう。アランがアダルのアルター・エゴだとして観れば、このシーンは、「自分の新しい友達アランを、母とミハエルが快く受け入れて欲しい」と願うアダルが、頭の中で描いた空想だと推測できる。
  
  
  

夜、アダルがベッドで目を閉じていると、話し声がするので目を開ける。アランがベッド〔ダブルベッドの左側〕で上半身を起こし、母が話しかけている。「一日中、何してたの?」。「ミハエルに協力してた。何時間もじっとしてるのに慣れたよ」〔絵のモデルのこと〕。「大変でしょ」。「ちっとも」(1枚目の写真)。母は、アランにシャツを着せると、頬を愛しげに触り、「明日の朝は早く起きて、アダルをちゃんと学校に行かせてね」と頼む(2枚目は、それを聞いているアダル)。アランからの返事はなく、次のシーンでは、母はアランではなく、アダルの脇に座っている(3枚目の写真)。ここでも、母が話しかけていたのは、初めからアダルだけだったことが明白に分かる。アダルは、最初、どうしてアランを登場させたのか? 恐らく、ミハエルにモデルになっていることが、内心では嫌だったからであろう。だから、アランがミハエルのモデルになったことにしたのだ。
  
  
  

翌日、アダルは学校で担任の教師と面談した後、アランと最初に出会ったビルの通路の上に2人で腰掛け、同じように手を動かして遊んでいる(1枚目の写真)。「私たちと一緒に住むの 好き?」。「うん」。「ミハエルは 好き?」。「うん」。「パパは どんな人?」。「一度、いっぺんに3人 殴り倒した」。もちろん、ここにはアダル1人しかいない。アランに強い父親を与えたのは、後で一度だけ登場するアダルの実父が、頼りなげな男なので、「理想のパパ」を与えたかったのかもしれない。その後、アランは一度姿を消し、次に現れた時には、口にタバコを2本くわえている。タバコを分けあう2人。アダル:「内緒の話、聞きたい?」。「なんでも」。「ミハエルには、あんたの知らないことがいっぱいあるの」。「たとえば?」。「無精子症なの」(2枚目の写真)。「だから?」(3枚目の写真)。「だから、普通じゃないの。それが問題」。
  
  
  

家に帰った2人は、居間のソフェアに仲良く寝転ぶと、TVのマンガを見ている(1枚目の写真)。アランが、唾で作った小さな風船のような泡を、下の先に付け(2枚目の写真)、軽く息を吐くと、泡は飛んでいった。それを見たアダルも、同じような泡を作ってみせる(3枚目の写真)。たわいないが、絵になるシーンだ。
  
  
  

その後、アランが「暑いな」と言い出し、「裸になる?」とアダルが訊く。「君は、家の中で一番クレイジーだ」。2人はソファの上に正座すると、同時にシャツを脱ぐ。そして、お互いに、手で相手の肌を触る(1・2枚目の写真)。このシーンは、本当に2人が実在する場合には、結構セクシャルな場面だが、実際には、アダルが1人で上半身裸になっただけ。しかし、その時、居間のドアが開いて、アダルの裸を覗き見ている男がいる(2枚目の写真の黄色の矢印)。ミハエルだ。ミハエルは部屋に入ってくると、瞬時にアランは逃げ出し、アダルはシーツのようなもので体を隠す。アダルは、シーツを被ったままソファに押し倒される。「何してたんだ、プリンス?」〔アダルに対して、プリンスと呼びかけている〕。「何も」。「嘘付くな。ちゃんと話せ」。「話すことなんかない」。「手を握り合ってたろ? キスしたのか? 舌を使ったキスか?」。「違うわ。気持ち悪い」。ミハエルはシーツを剥がしてアダルの顔を出すと、「顔が赤いぞ」と言う。「赤くない。暑いだけ」。「ママから聞いたぞ。女性になったんだってな」。「あんたに関係ない」。「本物の、小さな女性ってわけだ」。あまりの気まずさに、アダルは、再度シーツで顔を隠す。このシーンは、アダルの女性としての性への目覚めと、アダルを「新たな欲望の対象」として考え始めた「欲獣ミハエル」の双方を描く、重要な場面だ。
  
  
  

その夜、母とミハエルは激しく愛し合った。その音が、あまりに大きくて アダルは眠れない。手で耳を押さえても効果ゼロ。頭にきて、握り拳で壁を叩く(1枚目の写真、矢印)。その時、背後で笑い声が聞こえる(2枚目の写真)。いつの間にか、隣にアランがいたのだ。アランは、赤ちゃんのように拳骨を口で吸い始める。「何してるの?」。「唾で血を止めてる」。アダルは、アランの拳骨を口から離して自分の手で包むと、「どうしたの?」の訊く。「覚えてない」。「あんたのこと、何でも知っていたいわ」。「何が知りたい?」。「セックスしたことある?」(3枚目の写真)。アランは何も言わなかったが、アダルは「誰と?」と訊く。それでも返事はない〔アラン=アダルで、アダルにはセックス経験がないので、答えようがない〕。「やってみせて。セックスするって、どんな感じ?」。アランは、アダルがセックスだと思うような仕草を、象徴的にやってみせる。2人のじゃれ合いは、アダルがアランの膝に乗って、舌の先をつけたところで終わる(4枚目の写真)。実際にアダルが何をしていたのかは分からないが、母とミハエルの激しいセックスに触発された空想であることは間違いない。
  
  
  
  

翌日、久し振りに学校に行き、帰宅したアダルが見たものは、アランとミハエルのふざけ合う姿だった。ミハエルがアランに昼食を用意してやり、アランは冷蔵庫のアイスボックスでできた氷を手に持って、顔や首にこすり付けている(1枚目の写真)。そして、ガラスボウルに山ほど入っていた氷を左手で握り取ると、キッチンに立って料理しているミハエルのシャツの中に入れる。2人の間で、氷の投げ合いが始まる。結局、アランは、居間のソファに追い詰められ、ミハエルが上からのしかかる。こうしたじゃれ合いを、アダルは冷たい目で見ている(2枚目の写真)。現実には、恐らく、アランがやっているのと似たようなことをアダルがやり、自分の恥ずべき行動を、第二のアダルが批判的に見ているというのが実態であろう。アランは、しかし、ミハエルの最後の言葉、「俺を、そこへ連れてけよ」を聞くと(3枚目の写真、このシーンだけ見るとゲイ同士のように誤解してしまう)、急に不機嫌になり部屋から出て行ってしまう。アダルは、帰宅前、実父と会っていたことが、この突然の離反と関係があるのかは分からない。
  
  
  

寂しくなったアダルは、お昼の休憩時間に母に会おうと、病院を訪れる。やっと出てきた母は、開口一番、「どのくらい、ここに座ってたの?」。「昼休みで 出てくると思ったから」。「12時から待ってたの?」。「アランのことで話したくて」。「こんなとこまで来て、トラブルに巻き込む気?」。「誰か困るの?」。「私でしょ」。母の口調はさらに批判的に。「なぜ学校にいないの?」。「行くの止めたから」。「いつから?」。「ずっと前。働きたいの」。「朝も起きれないようなネンネのくせに」。「モデルになる。ミハエルが私のヌードを描きたいって」。それを聞いた母は、思い切りアダルの頬を叩く。「描くだけでないでしょ。異常だわ」。この女性、完全な母親失格だ。絶望して帰宅したアダルが見たものは、上半身裸になったアランに、寄り添うように座るミハエルの姿(1枚目の写真)。アランが「描いてよ」と言うと、ミハエルは、「絵を描く際に一番大事なのは、観察することだ」と言って、アランを見つめ続ける。アラン:「ミハエル…」。「何だい、プリンス?」。「見られてる間、眠ってていい?」。「いいとも。お休み」。アダルは、2人の会話を、ソファに横になって聞いている(2枚目の写真)。「ミハエル…」。「パパでいいよ」。「パパ…」。実に際どい関係だが、ミハエルとアダルが実際にこれに近い会話を交わしたのか、アダルが最悪の事態を想像しただけなのかは分からない。
  
  

アダルの部屋。真夜中。ベッドに横になっているのはアラン(1枚目の写真、3枚目の写真と対比するため、黄色の矢印を付けた)。この後、ミハエルは、アランの頬に触れて「プリンス」と囁く。「気分はどう?」。「いいよ」。「今日は、脈が遅いな」。「大丈夫だよ」とアランが体を起こす。「起きるんじゃない。安静にしてるんだ。病気だぞ」。「元気だよ」。「動いちゃダメだ。まだ治ってない」。ベッドに横になるアラン。ミハエルは、「心から愛してるよ」と言いつつ、アランに顔を寄せていく。一方、主寝室では、母が一人で寝ている。そこにアダルが入って行き、向かい合うように横になる。母は目を覚ましてアダルを見る。アダルは、「私とミハエル、どっちの方が好き?」と訊く。母:「ミハエルはどこ?」。アダルは質問をくり返す。母:「お前よ」。アダル:「世界で一番恐ろしいもの 見てみたい?」。「脅かさないで」。「見に来て」(2枚目の写真)。重大な誘いにもかかわらず、母は寝てしまう。場面は、再びアダルの部屋。ミハエルが、アダルの左の頬にキスをしている(3枚目の写真、黄色の矢印の先の顔の輪郭は、1枚目の写真と似ているが、髪の毛の色、生え際の乱れ毛、睫毛からアランではなくアダルの可能性が高い。空色の矢印はミハエルの髭の生えた左頬)。
  
  
  

カメラは一瞬で切り替わり、アダルの左の頬にミハエルがキスをしている(1枚目の写真、空色の矢印はミハエルの髭の生えた左頬)。先程の映像では判別は曖昧だったが、今度は確実にアダルだ。このことから、アダルの部屋でのアランとのやりとりは、実際に、ミハエルとアダルの間で起きた出来事だと分かる。アダルは、ミハエルの行為が嫌でたまらないので、アランに代理をさせていたのだが、実際にキスされると、その感覚を受けるのは本人なので、自分に戻るしかなかった。母のベッドに助けを求めに行ったアダルは、本人が実際に行った訳ではなく、「助けを求める魂の叫び」のようなものであろう。そして、母は 一瞬目を開けたのではなく、ずっと眠っていたのであろう。そして、その間に、アダルのベッドの上では、「世界で一番恐ろしい」ことが、アダルの身に降りかかっていた。アダルは強く抵抗するが、体力で優るミハエルにレイプされてしまう(2枚目の写真)。
  
  

非道な男ミハエルは、事が済むと、平然と夫婦の寝室に戻り、母に背を向けて横になる。そのミハエルの体を、母が腕を伸ばして抱く。何とも嫌な光景だ。娘が強姦されたのに、その当事者を母が抱くとは… 知らないとはいえ、危険性は察知していたはずだ。しかし、母がこれまで責めたのはアダルだけで、自らはミハエルの肉体に溺れ、何も手を打とうとしなかった。一方、ミハエルに処女を奪われたアダルは、当然、眠ることなどできない。ダブルベッドの奥には、アランが寝ている。そのまま、早朝まで起きていたアダルは、アランを起こそうと肩を揺するがなかなか起きてくれない。レースカーテンに触りながら一人 茫然と時間を過す(1枚目の写真)。次のシーン。アダルとアランの寝ている場所が逆になっている。これは演出のミスではなく、アランは空想の産物なので、アダルのいる場所に合わせて、どちら側にでも出現できると考えた方がいいであろう。アダルが、なかなか起きないアランの頬に触ってみると、氷のように冷たい。アダルは体を寄せ、「分かってる。大丈夫よ」と話しかける(2枚目の写真)。これは、独り言で、自分自身を慰めたのであろう。次のシーンで、2人が愛しくキスする場面(3枚目の写真)。ここは、何を意味するのかよく分からない。実際にいると思っているアランに救いを求めたったのか? ミハエルに穢された唇を浄化したかったのか? どころで、この場面での2人の服装が、Tシャツでなくランニングになっているのは、明らかな演出のミスだ。
  
  
  

朝になり、ベッドからアランが立ち上がる(1枚目の写真)。アダルはいない〔つまり、立ち上がったのは、アダル本人〕。アランは、そのまま化粧室に入って行くと、ドアを閉め、鏡で自分の顔を見る(2枚目の写真)。100%の自信はないが、この顔は恐らくアランであろう。この映画は、時々、アダルの顔を男の子のように映すので、判別が困難なのだ。それが監督の狙いでもあり、一種のイリュージョンなのだろうが… アランが洗面で顔を洗っていると、母がドアを叩いて、開けようとする。すると、アランでなくアダルが、ドアを押さえて開かないようにする(3枚目の写真)。この時は、横顔の感じから、アランではなくアダルだと判断した。母は、「アダル」と呼びかけ、それに対して抵抗していることも理由の1つだ。2人の違いが一番曖昧になった瞬間でもある。2人が同化し、アランが消えかけていることを暗示しているのかも知れない。
  
  
  

そして、その直後の朝食。4人がテーブルについている。母がアランの方を向いて、「具合はどう?」と訊く。「最悪」。「なら、食べないで」。アランは、「あんたたちは、これまで会った最低の家族だ」と言うと、口に入れた食べ物を、ミハエルに向かって吐き出すフリをする(1枚目の写真)。ミハエル:「やめろ」。その言葉で、アランは立ち上がり、自分の皿を床に投げ捨て、居間の棚から物を放り始める。ミハエルが「話し合おう」と止めると、アランは飛び出しナイフをミハエルに向ける(2枚目の写真)。アランは、「近寄るな、この変態」と言うと、ミハエルを睨みつけ、棚を床に倒すと(3枚目の写真)、そのまま家を出て行った。このシーンで、最初、母が具合を尋ねたのは、当然アダルに対してだ。「最低」と言ったところまでは現実だったのかもしれないが、その後の乱暴な行動は、アダルの意識下の願望なのかもしれない。
  
  
  

家を出たアランを追って、アダルも家を出る。道路の反対側を歩いていたアランは(1枚目の写真)、そのまま去って行った。アダルは、その姿を立ち尽くしたまま見送る(2枚目の写真)。アダルのアルター・エゴの消失だ。ミハエルとの一件で、中途半端な甘えから訣別したアダルは、これからは自らの力で立ち向かって行こうとする。消失は、成長を意味している。
  
  

アランが消えてからの内容も簡単に紹介しておこう。アダルは、そのまま夜になっても家に戻らなかった。母は一人でアダルを捜しに行く。そして、公園のベンチで1人で座っているアダルを見つける。母:「家に帰って。何か誤解してるんじゃない?」。それに対するアダルの返事は一言。「バイタ」。「気がふれたの?」。「あんたのせいよ」。「私の? ミハエルと淫らな行為をしてたから? ミハエルはボーイフレンドよ。私のボーイフレンド。分かった!?」。「あんたはバカよ」。「何よその口の聞き方、青二才のくせに。私は母親よ。敬意を払いなさい」。「あんたはバイタよ」(1枚目の写真)。その言葉を口にするアダルも泣いているし、1人車に戻った母も嗚咽をもらす。夜。母は、寝室でじっくり考える。そして、ミハエルが抱こうとした時、馬乗りになると首を絞めて半殺しの目に遭わせる。翌朝の朝食は、4人ではなく、もちろん3人(2枚目の写真)。アダルは、紙ナプキンを取り出すと、学校に持っていくランチ用にと、「食パン+薄焼き卵+食パン」と重ね、飛び出しナイフを取り出し(3枚目の写真)、2つに切り、カバンに入れる。このナイフは、昨日、アランがミハエルを脅したナイフだ。そして、ランチを持ったアダルは、今まで登校拒否していた学校へと向かう。あの夜のようなことは2度と起きないこと、さらに、アダルが より良き中学生活を送るであろうことを示唆しつつ。
  
  
  

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