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Le nez dans le ruisseau (ルソー)に鼻を突っ込んだ

スイス映画 (2012)

http://www.frenchfilms.org/review/le-nez-dans-le-ruisseau-2012.htmlによれば、「ルソーは文明があまり好きではなく、本質的にどこか悪いものとみなしており、その信念が彼の考え方に多くの影響を与え、社会の片隅で、徹底的に自己中心的だが、概ね充実した生活を送ることを可能にした」とルソーの本質について触れたあとで、「シュヴァリエ(監督)の映画は興味深い問いを投げかけている : 今日、この考え方に従って生きることは可能なのだろうか、それとも、我々は大量消費主義やその他の社会規範と結びつき過ぎていて、ルソーがしたように自由かつ正直に生きることができなくなってしまったのか?」。短い文章ながら、これほど、この映画の本質を突いた解説はないであろう。ただ、この映画の最大の弱点は、こうした疑問の投げかけに、10歳の、ルソーのことを一度も勉強したことがないような少年が、ルソー研究の権威と渡り合うような発言をすること。これが、数学などのある意味単純な学問なら可能かもしれないが、ルソーが多くの本に残した言葉を何も知らないで、その権威と話し合い、ルソーの思想体系との違いを指摘することは、不可能だと思うのだが…

なお、この映画の題名であるが、『レ・ミゼラブル』の第5巻「ジャン・ヴァルジャンの15節に少年ガヴローシュが蜂起に加わり、銃で撃たれて死ぬシーンがある。その時まで、ガヴローシュは銃で狙われながら歌い続ける。
「僕らはナンテール(Nanterre)では恥さらし/それはヴォルテール(Volterre)のせいだ
パレゾー(Palaiseau)ではおばかさん/それはルソー(Rousseau)のせいだ」
「僕は公証人(notaire)じゃない/それはヴォルテール(Voltaire)のせいだ
僕は小さな鳥(oiseau)/それはルソー(Rousseau)のせいだ」
「喜び僕の人柄(caractère)/それはヴォルテール(Voltaire)のせいだ
惨めさは僕の宝箱(trousseau)/それはルソー(Rousseau)のせいだ」
ここで、一発の銃弾がガヴローシュに当り、よろめいて、ぐったりと倒れる。それでも、上半身を起こすと、顔から血を流しながら、両手を掲げて歌い始める。
「僕は地べた(terre)に転んだ/それはヴォルテール(Voltaire)のせいだ
溝(ruisseau)に鼻を突っ込んだ/それは…」
ここで、2発目の銃弾が当たり、彼はうつ伏せに倒れて動かなくなる。この映画の題名は、この最後の句の一部だけを使って、「Le nez dans le ruisseau」としているが、フランス人なら、その後に 「C'est la faute à Rousseau」と続き、“ruisseau” が “Rousseau” と韻を踏んでいることが分かるが、日本語ではルソーでは何の関連もない。そこで、仮題をつけるのに(ルソー)と色を変えて表示した〔最初は、森の中の渓流がよく出て来るので小川と訳していたが、ガヴローシュが撃たれて 「地べたに転んだ」後なので、「溝に鼻を突っ込んだ」方が彼の歌としては自然だと思い、題名を変更した〕

映画の構成は非常にシンプル。ルソーの生まれ故郷ジュネーヴのTV局が、生誕300周年を記念して2012年に特別番組を放送しようと考え、マリー・メルシエというベテラン女性に企画を任せる。マリーは、ジュネーヴ大学のルソー研究の第一人者オーギュスト・シュトラー教授に全体の指導を任せようと考え、その下準備に、教授が住んでいるジュネーヴ郊外の町コンフィニョンに行き、街頭インタビューを行う。そこで、1人面白い発言をしたトムという少年に注目したマリーは、その時の映像を持って教授に指導依頼に行く。教授は、10歳の子が、そんなことを言えるハズはないと思うが、マリーに説得されてトムと話してみる。一方、マリーは、トムのクラスの時間を一部借りてルソーについて子供たちがどう思っているか収録し、トムとの差を強調しようと試みるが、トムは虐めを恐れて一言も口をきかない。しかし授業時間が終わって生徒達が出ていった後で、単独インタビューに応じる。マリーは、トムを連れて すぐ近くに住む教授の家に行き、2人に対談をさせるが、2人の意見は対立する。2度目の対談でも対立し、教授は番組に興味を失くして降板する。しかし、この対談が終わった後、トムは、誰もいなくなったTVカメラに向かって、教授の発言の間違いを指摘していた。それを、後になって気付いたマリーは、その映像を教授に送り、それを見た教授は動転し、急いでトムに会いに行こうとして心臓麻痺を起こす。その後は、病院から抜け出した教授と、トムとの間の交流が映画の主題となる。2人は、トムが教授に 「10歳の少年に、不機嫌な年配の教授を友だちにすることできる?」と訊くほどの仲となるが、それは教授が死に至るまでの数日で終わる。教授が実行した最も重要なことは、トムの特異な才能を知った校長が、トムの父を説得して、トムをギフテッド・チャイルド向けの全寮制学校に入れようとしたのを阻止したこと。それは。教授が、短いくも温かい交友関係を通じて、トムにとって一番大切なことは、彼が自然と一体化して大人になっていくことだと知ったから。なお、2人の会話は、かなり哲学的で難しいが、翻訳にあたってはフランス語字幕(80%くらいの充足度)と英語字幕(充足度は100%だが、間違いも多い)を対比しつつ、結局は8対2程度の比率で使用した。

この映画で大きな役割を果たしているトム役は、Liam Kim。キムという姓が示すように韓国系のスイス人。

あらすじ

映画の冒頭で、主たる登場人物3人が紹介される。いつも森の中で遊んでいる10歳のトム・デュボワ(1枚目の写真)。そして、ジュネーヴ大学の哲学の教授オーギュスト・シュトラー(2枚目の写真)。彼は、ジュネーヴ生まれのルソーの世界的権威で、この日の講義では『孤独な散歩者の夢想』について、「この作品は音読しないといけない。耳で聞き、自問自答するんだ… 『誰が話してる?』と。すると、ルソーの声はより力強くなる、それは、彼がこの作品を間髪入れず、息もつかずに書き上げたからだ」と語る。そして、指名された学生が、冒頭の一節を読み上げる。「こうして私は地上でたった一人になってしまった。もう兄弟も、隣人も、友人もいない。自分自身の他には共に語る相手もいない」。読み方が、棒読みだったので、教授はそこで打ち切り、他の女子学生に読ませる。教授は、「私たちは他人から離れて、生きていけるだろうか? 生きてはいけるだろうが、重要なのは、私たちが社会から離れて 幸せに生きていけるかという点だ」と学生たちに語りかける。最後が、TV局のプロデューサーに呼ばれた番組ディレクターのマリー・メルシエ。プロデューサーに、「マンシュからルソーの生誕300周年で何かやってくれと頼まれた。局の特番になるだろう」と言われる(3枚目の写真)。マリーが 「冗談でしょ?」と言うと、「現実に目を向けろ。君は、毎日視聴者を失っている」と批判する。「どの局も視聴者数を減らしてるわ。私の番組に限ったことじゃない」。「話を逸らすんじゃない。独自の視点と、箔をつける専門家を見つけるんだ。素敵なものを作れば喜んでもらえるぞ」。
  
  
  

ここで、映画で重要となるトムの家と、教授の家との位置関係をグーグル・マップと映画のシーンを元にして説明しおこう。1枚目の図は、コンフィニョン〔Confignon〕の町の航空写真の擬似立体映像。左下のがトムの家の玄関、右上のが教授の住んでいる建物〔わずか300mしか離れていない〕。ジュネーヴの街中にある大学に努めていて自家用車を持たない老教授がなぜこんな田舎町に住んでいるのか? それは、映画の中で、教授がマリーに、彼の好きな『告白』の第2巻にある 「世界中を果てしなく旅したあと、私はジュネーブから2リーグ〔9.6km(実際には約6km)〕離れたサヴォイアの地コンフィニョンに行った〔ルソーが生まれたのはジュネーヴの中心部(現在の旧市街)〕」という一節を引用しているので、ルソーの権威としてジュネーブの近郊で暮らすならそこしかないと考えたからであろう。2枚目の写真は、映画の中のトムの家(左端)の前の道〔Chem. Pontverre〕。3枚目は、その家が映っているストリートビューの写真〔戸口の上に古めかしいランプのあるのが玄関〕。4枚目は、映画でトムが教授の住んでいる建物への通路〔Chem. Des Hutins〕に入っていく場面〔左側の建物〕。5枚目は、この場所のストリートビューがないので、航空写真の擬似立体映像で、この部分を方向を合わせて拡大したもの〔矢印はトムの進行方向〕。すぐ脇にあるのがカトリックの教会で、映画の中でも一瞬映る。次のシーンでマリーが教授に初対面するのも、この家。そして、マリーが “独自の視点” で、子供たちがルソーについて何を知っているか試しに質問したのも、この家の近く。だから、その中にトムもいた。  
  
  
  
  
  

マリーは、地元ジュネーヴ大学のオーギュスト・シュトラー教授がルソー研究の権威だと知ると、電話で簡単に訪問の目的を告げた後、教授の住んでいるコンフィニョンで “街頭インタビュー” 行い、その結果を持って教授の住まいを訪れる。そして、詳しい説明をする前に、タブレットに入れた動画を教授に見せる(1枚目の写真、矢印)。マリーが、「ルソーが誰だか知ってますか?」と質問すると、中高年の女性は、「教育論を書いた紳士が子供を捨てるなんて… 私には彼が理解できないし、いい人だとも思えないわ」と言う〔“教育論”とは 『エミール』(1762)のこと。この意見は、ネット上の中学教師の経験者の真面目なサイトにある、「ルソーには5人の子どもがいましたが、全員を孤児院に入れています。これで教育学の最高峰ともいえる『エミール』を書いたのだから、驚くばかりです」と言う意見と、似ていなくもない〕。次にマリーが訊いた小学生は、「サッカー選手?」と言ったので、それを聞いた教授は、「子供たちにインタビューするなんて、何と愚かな」と言い出すが、マリーは、それを遮り、続きを聞くように言う。すると、中高年の男性が、「ルソーは人間を信頼していた」と言うと、後からトムだと分かる少年が、「ううん、あまり妬(ねた)まなくなれば、みんな幸せになるよ」と口を挟む(トムの発言は赤茶色で表示する)〔トムの言ったことは、恐らく、ルソーが45歳の時(1757年)、d'Houdetot夫人に一方的な恋愛感情を抱き、それを支援者のd'Épinay夫人に妬まれ、夫人から与えられた小邸宅Ermitageから追い出されたことを指している〕。邪魔された男性は、「うるさいな」と言うと、「ルソーは、人間の救済には自然への回帰が必要だと知っていた」と言いたかったことを続ける。トムは、これにも、「それも違うね。“自然への回帰” なんて不可能だ」と反論する(2枚目の写真)https://www.humanite.fr/ には、「ルソーは、完全な自然状態や、道徳的に善良な自然人が存在するとは決して主張しなかった… 彼が決して “自然への回帰” を望まなかったように。なぜなら、彼は、そのような回帰は可能でも望ましいことでもないと考えていたから」と書かれている〕。このトムの発言を聞いた教授は、「あの年で、知っているハズがない。これには数年間の研究が必要だ。彼には才能があるのか、それともどこかで聞いた話を繰り返しているのか、のどちらかだろう。私は後者だと思う」と、全面否定する(3枚目の写真)。しかし、マリーは、「先生、彼の表情や、彼がどう話に割り込んだか、ご覧になったでしょ? なぜ知っていたのか、訊くべきではありませんか?」と言うが、教授は常に後ろ向き。しかし、マリーが、①全国チャンネルの午後8時半のゴールデンタイムに放送する、②別のルソーの専門家を探す、と言ったので、明日、午前10時半に大学に来るよう指示する。
  
  
  

翌日の午前中、教授は、マリーの車でコンフィニョンに向かう。実走行距離でも僅か6.2kmなので、あっという間にトムの家に着く。その頃、トムは、学校でただ一人親しいテレーズと一緒に、父が作った4輪の簡易な玩具に乗って遊んでいる(1枚目の写真)。マリーは教授を連れて、トムの父の仕事場に入って行くと(2枚目の写真)、マリーはTVによく出ているので、父は一目で相手が誰か分かる。マリーは、「私は、2日前に街頭インタビューに来ました。そして、息子さんにルソーを知っているかどうか聞いてみました〔実際は、トムが大人を遮って口を出した〕。その内容は驚くべきものでした」と、わざわざ家を訪れた理由を述べる。父は、「トムは変なことばかり言っています。とても変わった子ですから」と話す。「ちょっと会いに行ってもいいですか?」。「どうぞ。自分の部屋にいるはずです」。その頃、トムはテレーズと別れていた。だから、トムの部屋をノックしても返事はない。2人はドアを開けて中に入って行くが、小さな部屋は空っぽだった。すると、階段を登ってくる音が聞こえ、トムが開いたドアから入って来て、“勝手な闖入者” にびっくりする。マリーが、「今日は、トム。あなたに質問に来たの。話してもいい?」と話しかける。返事がないので、「ルソーについての私が質問したこと覚えてる?」と訊くと、トムは 「部屋から出てって」と言う(3枚目の写真)〔“Sortez” と言っていて、“Sors” ではないので、命令法でもやや穏やか〕。それでも、もっと丁寧な言い方はいくらでもあるので、教授はマリーを睨んで すぐに出て行き、マリーも後を追う。
  
  
  

教授は、町の通りを歩きながら、マリーに、「人は常に自分の望むものを信じてきた。ルソーを勉強したこともない あの小さな少年が、ルソーのことを知っていたなどと視聴者に信じさせることなどできない」と話す。それに対しマリーは、「視聴者はエンターテインメントを望んでいる人たちなんです。こうしたストーリーは、視聴者を日常生活から連れ出してくれます。たとえ完全な真実でなくても、視聴者が真実だと信じてくれればいいんです。視聴者に、ルソーの生涯について話してあげて下さい」と言う。教授は、「すぐに分かるよ、驚きの連続なんだから。彼がなぜ『告白』を書いたか知ってる?」と訊く。「いいえ」。「『エミール』と『社会契約論』が発禁になった後、彼はあらゆる攻撃の的になった」〔『エミール』は、合理主義の立場からキリスト教を相対化し、カトリック教会の威信を弱めたことで怒りを買い、1762年6月、ルソーが暮らしていたフランスで押収命令、逮捕状が出され、ルソーの出身地のジュネーヴでも追放令が出される。『社会契約論』は、王権神授説に基づく当時の政治体制にとってきわめて重大な脅威と見なされ、絶対王制下のフランスで発禁〕「彼の著書は焚書され、彼は禁固刑に処せられた」〔右下の絵は、ジュネーヴでの焚書〕〔ルソーは、すぐにパリから逃亡し、追放令の出ているジュネーヴを避け、イヴェルドン(Yverdon、ジュネーヴの北東75km)に避難。しかし、近くのベルンが追放令を出したのでヌーシャテル公国(現・スイスのヌーシャテル州)のモティエ(Môtiers)に逃げ、その後も保護してくれる場所から場所へと転々と放浪した〕「彼は『告白』の第1巻の冒頭で、歴史に残るこの言葉を述べている。『私はこれまで例がなく、そして今後も模倣する者のないことを企てる。私は同胞たちに、自然の真実をすべて備えた一人の人間を見せてやりたい。そして、その人間こそが私である』」(1枚目の写真)「これを書くのに必要な勇気を想像してみて欲しい」。この教授の説明に対し、マリーは、「私たち戻りましょう。あの子と話して下さい」と頼む。教授は仕方なくマリーの懇願に従う。教授とトムは木のベンチに座らされる。教授は、「私の名はオーギュスト。誰もが私をシュトラー教授と呼ぶ。だが、君は、オーギュストと呼んでくれてもいい。君がトムだとは、知っている。なぜ私がここにいるか、君は知ってるか?」。「ううん」。「実はな、私もそうなんだ。いくつか質問していいかな?」。「うん」。「君にとって自然とは何だね?」(2枚目の写真)。「人の手が加わっていないもの」。この後の映像は、2人から離れて、自然、特にトムがいつも遊びに行く渓流のせせらぎが意図的に映される(3枚目の写真)。「人間も自然の一部かな?」。「それは僕らの物の見方で違ってくる」。「『物の見方』について、君流に説明して」。「人は自然に反することをするけど、自然によって創造されたんだ」。大学に戻る車の中で、教授はマリーに、「トムは自然について、自然の中にある兆候について、すべてがそこにある兆候について話した。人間の真実を聞くには、ただ目を開いて見るだけでいいと。そして、動物は生まれた時にすべてを知っているが、人間はすべてを学ばなければならないとも」と話す。「彼はどうしてそんなことを知っているのでしょう?」。「彼はそれを言おうとはしない。彼の内面から出て来るようなので、私は動揺した」と打ち明ける。
  
  
  

その日の夕食で、父は、「嫌なら、やらなくていいんだぞ」とトムに言うが、トムは、「平気だよ」と言う。「俺を喜ばせるためならするな。お前が好きでやるならいいが」。「大丈夫だって、パパ」(1枚目の写真)。ここで父は話題を変える。「もうすぐお前の誕生日だな。パーティやれるぞ」。「テレーズだけ〔如何に友達がいないか〕。部屋に行ったトムは、ベッドに入ると、頭からすっぽりシーツを被り、フィルムスキャナーで、トムがテレーズのおどけた顔を撮ったフィルムを楽しそうに見る(2枚目の写真)。すると、父が階段を上がってくる音が聞こえたの、急いでフィルムスキャナーはベッドと壁の隙間に隠し、ベッドに横になる。開いているドアから顔を覗かせた父は、「もう寝ろ」と言う。出て行こうとする父を、トムは 「パパ」と呼び止め、「僕みたいじゃない、別の男の子が欲しかったんじゃない?」と訊く。それを聞いた父は、ヘッドボードに屈んでトムの顔を見ながら、「もちろん、そんなことはない」と、誤解を解く。一方、教授は、翌朝、ジュネーヴ郊外にあるトゥール病院を訪れ、心臓医の診察を受けている。「薬は飲んでいますか?」。「はい」。「手術〔冠動脈バイパス手術〕を考えるべきです。真剣に。あなたは一度心臓発作〔急性心筋梗塞〕を起こしたのだから。β遮断薬を忘れずに」と言われる(3枚目の写真)〔重要な伏線〕
  
  
  

映画の場面にはないが、マリーはトムの学校と交渉し、トムのクラスにTVカメラを持ち込んで、取材をする許可を取りつける。そして、取材の日の朝、トムの自宅を再度訪れ(1枚目の写真)、なぜかTV局で捕えたハエを10匹ほど入れた容器をプレゼントする。一方、クラスの他の生徒達にも、事前に今日の取材のことは学校から伝えてあったらしく、テレーズの家では、母が 「彼はいつ生まれた?」とテストする。テレーズが 「1912年」と答えると、「わざとやってるの? 1712年でしょ。2012年は、彼の生誕300周年なのよ」と言うと、教育ママらしく、パンフレットを読み上げる。「ルソーは、1712年1月28日、ジュネーヴのグラン・リュ40番地で生まれた。母親は陣痛中に死亡」。そこまで読むと、「父親の職業は何?」と質問する。テレーズが 「時計職人」と答えると、「彼の父親は時計職人でした」と、ちゃんと答えられるよう指導する〔この時点では、主役はトムで、後の生徒は “添えもの” だとは知らされていない〕。いつも通り、トムがテレーズと一緒に学校に歩いて向かっていると、彼女は、「母さんがうるさいの。取材を受けるかもしれないから、ルソーについて勉強しなきゃって」と 今朝の不快な出来事を打ち明ける。その時、虐めっ子3人組がトムに向かってきて(2枚目の写真)、トムが肩にかけていたバッグを奪うと、中身を地面に放り出す。テレーズは、トムが拾うのを手伝いながら、「あいつら、ただのバカよ」と言って慰める。授業が終わりに近づいた頃、マリーとカメラクルーが入ってきて、担任の教師が 「今日は、ジャン=ジャック・ルソーという、その時代を代表する偉大な人物について勉強しましょう」と生徒達に話しかける(3枚目の写真、矢印はTVカメラ)。
  
  
  

担任の最初の質問は、「彼がどんな人だったか知っている人はいますか?」というもの。手を上げた少女が、「ジュネーヴ出身の哲学者でした」と答え、次いで手をあげた隣の少年が 「彼は『Confections(お菓子)』を書きました」と答え、「いいえ、『Confections』ではなく、『Confessions(告白)』を書いたのよ」と訂正される。担任は、「『告白』が何だか知っている人は?」と訊く。手を上げたテレーズは、「何か悪いことをした時、アントワーヌ神父に話すと、許してくれます」と、全く見当違いの発言をする。担任は、すぐに隣に座っているトムに振る。しかし、トムは何も言わない。そこで、困った担任は、「最後の頃、ルソーは自分の人生を語る必要があると思いました。トム、あなたは、なぜルソーがそのような願望を抱いたと思いますか?」と、普通の生徒には答えられない質問を直接ぶつける。これで、どの生徒も、今日の取材の目的はトムだと悟るが、そのトムは担任を睨んだまま何も答えない(1枚目の写真)。その時、終業のベルが鳴ったので、担任は、トムとマリーとカメラクルーの3人を残して、生徒全員を教室から出す。マリーはイスをトムの近くに持ってきて座ると、「どうしたの、トム?」と尋ねる。「他の子たちの前で話したくなかったの?」。「バカにされるから」。「みんないなくなった。あなたと私だけ。今なら答えられるでしょ?」。「彼は、真実を語りたかった。それを独り占めしたくなかった。彼は、語ることで、みんながよりよく生きられると思ったんだ」(2枚目の写真)。「どうして知っているの? 誰に教わったの?」。「誰にも」。「じゃあ、どうして知っているの?」。この時、担任が入ってきたので、撮影を終える。トムが外に出て行くと、生徒達は遊具で遊んでいる。トムを見たバカな3人組の1人が、「なぜ、あいつを報道してるんだ?」と言い、もう1人が 「知恵遅れだからさ」と自分のことを言い、一番のワルが、「おい、アインシュタイン!」と声をかける。トムは完全に無視し、テレーズのところに行くと、水盤の縁に乗って、2人で地面に落ちていた羽を飛ばして遊ぶ(3枚目の写真)。
  
  
  

マリーとカメラクルーは、トムの父の仕事場に行き、マリーが父にインタビューする。その間に流れる映像は、トムが渓流を横断するように倒れた木で遊ぶシーン(1枚目の写真)。そして、それに重なるように、父の言葉が続く。「彼の母親が亡くなったとき、彼は私を支えてくれた。彼は真夜中のかがり火のように、小さな幸せの光だった。彼は本能的に私を慰める方法を知っていた。彼は幼い頃から話し始めた。時々、子供にしては驚くような真実を口にすることがあった」。「他の子供たちと触れ合うことで、トムは心を閉ざしていったとおっしゃっていましたね」。「彼が学校に通い始めた頃、私は先生から定期的に呼び出され、彼が他の子と同じようなことを何もしないと言われた。彼は自分の世界を持っていたんだ」。「あなたが、ルソーについて彼にいろいろと教えたのですか?」。「いいや」(2枚目の写真)。インタビューはここで終わり、夜、トムのベッドサイドでの2回目の父との会話。トム:「この番組、まだ続けなきゃいけない?」。父:「いいや。だが、もう始めたんだろ? 他の子たちに、お前がどれだけすごいかを見せてやれ。でも、お前がホントに嫌なら、止めてもいいんだ」。「ビクターは、学校で僕のことをアインシュタインって言った」。「ビクターなんかにやられるな。次はひっぱたいてやれ。機会をねらって、奴の顔に、バンだ」。「パパは、僕が他の子と違ってるのを悲しんでない?」。「お前に幸せになって欲しいだけだ」(3枚目の写真)。
  
  
  

マリーは、トムを連れて教授の家に行く。部屋の中には本棚が並び、本が天井まで詰まっている。それを見たトムは、「これ全部読んだの?」と訊く(1枚目の写真)。「二度読んだものもある」。「死んじゃったら、学んだことはどうなるの?」。「学生たちに伝えてあるから、彼らが それを他の人々に伝えるだろう」。ここまで話したところで、カメラクルーの準備が終わり、2人はソファに座って対談することになる。しかし、マリーは、対談を始める前に、是非とも見て欲しいと、先日トムのクラスで撮影した動画の入ったタブレットを教授に渡す(2枚目の写真、矢印)。教授は、クラス全員が出て行った後にトムが発言した内容を聞く。それに対して意見を求められた教授は、「トムの言うことは興味深いが、我々は慎重であるべきだ。ルソーを理解するには一生かかっても十分ではない。たとえ10歳のトムの言うことが正しいように思えても、ルソーを偉大にしているものを忘れてはならない」と言う。そして、マリーに、現代におけるルソーの意義を問われると、「現代の社会にはあらゆる解決策がある。彼は、人間の救済には自然を尊重することが必要だと知っていた。彼は、誰よりも早く消費や投機を非難した」と言うが、ここでトムが口を挟む。「そう、でもそれは間違いだった」。「なぜ、間違いだったと言えるんだね?」。「彼は、他の人も自分のように正しくなって欲しかった。でも、人は正しくなんかなかった」。「彼は、人間を信頼していた」。「そうすべきじゃなかった」(3枚目の写真)。「なぜ、そうすべきじゃなかったかな? 彼が、人間は本質的に貪欲・悪質・邪悪ではないと考えていたのは事実だ。社会との接触を通じてそうなるから。彼は、人間は生来、無害な存在だと思っていた。彼は人間を信頼していたから、変えたいと願ったのだ」。「そうかも、でも人は悪いものに惹かれるから、彼にはどうすることもできなかった」。2人の論戦はここで突然終わり、トムの鋭い指摘に対し、教授がどう返答したのかは分からない。
  
  
  

画面は、トムが帰ったあとの、マリーと教授のもっと平凡な会話に変わる。場所は書斎からベランダに。マリーは、如何にも世間話的に、「お子さんはいますか?」と質問する。教授は、「あなたと同じくらいの年の娘がいます。彼女のことは話したくありません」と、それ以上の質問を断る(1枚目の写真)〔伏線〕。そこに、マリーのスマホに夫から電話が入る。その中で、夫は、妻が今何をしているか知ると、「是非、夕食に招待して」と話す。結果的に、教授はマリーの家を訪れることになる。資本家の夫は、「私は、子供の頃から、より良い生活を手に入れるには金を稼がなければならないと思ってた。私のような出では、思想家が入る余地はない」と、きつい言葉で自分の出自と、金儲け主義との関係を話す(2枚目の写真)。それに対し教授は、「驚かれるかもしれないが、私も低所得家庭の出身で、父は駅長だった。しかし、あなたと違って、私はお金で幸せが買えるとは信じていなかった」と反論し、一部の金持ちに富が集中する社会は不平等を生むと主張する(3枚目の写真)。それに対し、マリーの夫は、「子供の頃、貧しかった私は、金こそ幸せだと思ってきた」と言い、さらに、「私が消費することで、多くの人々にお金を与え、その人々もまた消費することができる」「今は消費が世界を動かしている」と傲慢な姿勢を鮮明にする。ルソーの主張に賛成している教授は、こんな男と夕食を共にしていることが耐えられなくなり、早々に退散し、マリーが家まで送るというのも断る〔タクシーで帰るしかない〕
  
  
  

恐らく翌日、教授の家に4人が集まり、再びインタビューが行われる。シーンは、教授の、「学生を教育する目的は、考えれば考えるほど自由になれると理解させることにあるんだ」という言葉から始まる(1枚目の写真)。この言葉に対し、トムはすぐに鋭く反対する。「狼を飼いならすことなんかできない」(2枚目の写真)。「しかし、飼いならされた狼は人間に近づく」。「そんなのは、もう狼じゃない。幸せじゃなくなる。子供でなくなった子供のように」。この言葉を聞いた教授は、マリーに、「やめてもいい?」と言い、ソフアから立ち上がると、1階に降りて行く、そして、後を追って来たマリーに、「こんなこと誰も信じない」と言う(3枚目の写真)。マリーは、「私たちが撮影したものが証拠です」と言うが、教授は、「一体何の証拠? 私は神の存在を信じていない。私は、あなたの世界に興味がない。私と違い過ぎる。私は疲れた」と言い、これ以上の協力を拒絶する。
  
  
  

2階に1人取り残されたトムは、誰もいないTVカメラの前に立つと、スイッチを入れ、カメラに向かって 「僕を信じてくれないんだね? オーギュスト、どう言えばいいのか分からないけど、あなたは間違ってる」(1枚目の写真)「ルソーは、理性よりも心に触れたかったんだ」(2枚目の写真)と重要な言葉を語り、家から出て行く〔理性(raison)という言葉も、心(coeur)という言葉も、映画では、ここで初めて登場する。つまり、教授は理性と心について直接話したことは一度もない。なぜ、トムは、こう言ったのだろうか? 直前の発言で、“学生に理解させること” が理性で、“飼いならされた狼” は心を壊された人を意味するのだろうか? そう捉えれば、教授の発言は、理性の方が心より重要だと言っていることになる〕〔ルソーが理性と心についてどう考えていたかについては、『人間不平等起源論』の中で、「もし、自然が人間に理性の支柱として憐れみの情を与えなかったとしたら、人間はそのすべての徳性をもってしても怪物にすぎなかったであろう」と書いていることから、ルソーが心の重要性を認識していたことは確かであろう〕。トムは、自転車でいつもの森に行くと、渓流のすぐ横の岩に横たわり、眠ってしまう(3枚目の写真)。
  
  
  

その夜、録画した映像をタブレットで見ていたマリーは、自分達が撮影した映像の後に、トムが勝手に追加した “意見” を聞き、“やった” とばかり、ニッコリする(1枚目の写真、矢印)〔これで、教授をもう一度番組に連れ戻せる〕。次の場面では、トムがテレーズを、彼の “楽園” を見せに森に連れて行こうとする。その途中で、テレーズは、「トム、話しておきたいことがある。母さんは私があなたと一緒にいるのが嫌いなの。あなたは普通じゃないと言ってるわ」。それを聞いたトムは、「そんなことない!」と言って走り去る(2枚目の写真)。家に戻ると、ベッドと壁の隙間に隠してあったフィルムスキャナーから、テレーズのポジフィルムを1枚ずつ2つに折る(3枚目の写真、矢印)。
  
  
  

数日後、大学では、教授が、受付で郵便物をもらう(1枚目の写真、矢印)〔日本の大学のように、学科ごとに事務室があり、そこに、各教官専用のポストがないのだろうか?〕。教授は、郵便物〔マリーが送ったDVD〕を革鞄の背面に入れて、それきり忘れてしまう。講義室でのシーンは、教授が 『社会契約論』の第1編の冒頭を読み始めるところから始まる。「人間は自由なものとして生まれたが、至る所で鎖につながれている」。この有名な言葉を読み上げると、学生に、「これを聞いて、何を連想するかね?」と質問する。1人の男子学生は、“鎖” から、単純に、「社会は刑務所です」と言う。次の女子学生は、「社会で生きていくためには、他人をコントロールする必要があります」と、もう少しまともなことを言う。教授は、「そう。人間は法律上は自由だが、実際には奴隷化されている。私たちは、動物と人間の違いを、後者が自由であるという事実で理解している。しかし、人間は社会においてそれほど自由ではない」と述べる。それを聞いた別の男子学生が、「つまり、自由は幻想であり、現実には叶わない理想なんですね?」と質問する(2枚目の写真)。「ルソーは、そうかもしれないと考えている。私も、もし叶えようとするなら、真の道徳的な勇気が必要だと思う。心の奥底、とても深いところにある、公正で誠実な勇気が」。すると、3人目の少し攻撃的な男子学生が、「先生が言う勇気とは、感情の問題だけなんですか? それが正しいかどうか、どうすれば分かるんです? 隣人を殺したいと思うことだってできますよね。そんな感情があっても道徳的なのですか?」と質問する。「自由というのは非常に難しい問題だ。道徳的な勇気も要る。自らに対する感情は、国家や社会を超えている。そしてルソーは…」。ここで、教授は、急に黙り込み、窓の外の木々を見つめる。学生に、「先生?」と言われ、我に返った教授は、「私は、自由について、自由であるために支払わなければならない代償、そのために犠牲にしなければならないものについて考えていた」と答える(3枚目の写真)。講義が終わった後、携帯から娘に電話し、「折り返し電話して」と伝言を残して切る。
  
  
  

学校の遊具の前にいたテレーズに悪の3人組が寄ってくると、彼女を虐め始める。それを見たトムは、父に示唆された「機会をねらって、奴の顔に、バンだ」を実行に移そうと、ビクターの肩を何度も “ど突く” が(1枚目の写真)、“顔をバン” はできない。すぐに女性校長(?)が止めに入り、彼女は、3人組の残りのワルの “ビクター擁護の意見” だけ聞き、トムとビクターを校長室(?)に連れて行く。次の場面では、トムの父が呼び出され、校長から意外なことを言われる。「ローザンヌで学校を経営している友人がいます。彼女はトムのような才能のある子供たちを毎年数名受け入れています。私は、純粋にトムのためを思って話しているのです。考えてみてください。ただ、あまり長く待たせないで。参加を決める登録は目下進行中なんです」(2枚目の写真、右端にいるのはトム)。その日の夕食で、父は、校長から言われた話を伝え、「これはチャンスなんだ」と言う(3枚目の写真)。「夕方、どうやって家に帰るの?」。「お前は向こうで寝るんだ。お前は、部屋も友だちも持てるし、週末には家に帰れる。お前が “違う” からといって、もう誰にもわずらわされない」。その言葉を聞くと、トムは父を睨みつけ、食べるのを止めて2階に駆け上がる。
  
  
  

別の日の朝、教授が大学の受付に行くと、ちょうど固定電話に電話が入っていると教えられる。電話をかけてきたのはマリーで、トムの父が、トムをギフテッド・チャイルド向けの学校に入れようとしていると話す。教授は、①事の発端はマリーの番組にある、②トムを知的に刺激する機会になる可能性がある、それに対して何の反応も示さない。それ聞いたマリーは、教授がDVDをまだ見ていないに違いないと思い、早く見るよう勧める。教授は、革鞄に入れたまま忘れていたDVDを取り出す(1枚目の写真、矢印)。そして、近くにいたノートパソコンを持った女子学生に、DVDを見せてくれるよう頼む。教授は、トムが1人になってから話したことを聞くと、ノートパソコンを横に置き、礼も言わずに立ち上がると、急いで出口に向かい、ちょうど来たタクシーに向かって階段の上から手を上げ、「タクシー!」と言いながら15段の階段を駆け降り、Carl Vogtの銅像の台座のところで、心臓マヒを起こして倒れる。2枚目の写真は、RADIO LACにあったジュネーヴ大学の正面〔現在は改修工事中で像はない〕。階段の前に大きな白い大理石の台座の家に胸像が載っている。3枚目の写真は、倒れた教授(矢印)の周りに集まった人々。すぐに救急車が呼ばれる。そして、病室で意識が戻った教授のシーンが続く。一方、トムの家では、「登録ファイルの情報」という紙に、父が、息子のフルネーム(トマ・デュボワ)、生年月日(2001年1月22日)、出身校(Daid Coneignonの5年生)、記載日(2011年8月23日)のあと、最後に、サインをして書き終わる(4枚目の写真)。
  
  
  
  

トムは、テレーズの一家が夏のバカンスに出かけるので、前夜、彼女の両親に見つからないよう、こっそり部屋を訪れる。そして、ドアを閉めた音で母親が様子を見に来たので、急いで、薄い半透明のシアーカーテンで仕切られたベッドに逃げ込む。母親が出て行くと、テレーズは、母から先ほど 「ニコちゃん」と、小さかった時からの愛称で呼ばれたことを批判し、トムに、「あなたのこと、パパは何て呼ぶ?」と訊く。トムは、それには答えず、「彼のことなんか言うなよ。大嫌いだ。あんな学校なんか行くもんか」と話す。言っていることは厳しくても、2人はシアーカーテン越しに仲良く手の平を合わせている。トムは、「いつ戻って来るの?」と訊く。「9月中。どこにいても、手紙くれる?」。「約束するよ」。そして、シアーカーテン越しにキスをする(1枚目の写真、矢印はトムの頭)。翌朝、テレーズは、声でさよならというと母親にバレるので、手を上げてトムに別れを告げる(2枚目の写真)。トムも、目立たない場所に座って、テレーズに手を振る(3枚目の写真)。
  
  
  

一方、病室で一夜を過ごした教授。朝になり、部屋を訪れた看護婦が 「朝食を用意します」と言うと、「要らない。休んでいたい。疲れてるんだ」と断る。「食べなきゃダメですよ」。「お腹が空いてない」と言っていたのに(1枚目の写真)、次に看護婦が様子を見に来ると、ベッドは空。実は、教授はその頃、病院に無断でマリーの車に乗っている。そして向かった先はトムの家。ドアを開けた父は、「学校のことで私を説得しに来られたのなら、時間の無駄ですよ」と言う。教授は、「いいえ、トムと話がしたいだけです」と答える(2枚目の写真)〔この特徴ある八角形のドア窓が、グーグル・ストリートビューで家を探す時のポイントになった〕。そして、「中に入っても?」と訊くと、トムは家にはいなくて、「渓流にいます。そこで一日中過ごしています」と言われる〔しかし、案内はしてくれない〕。教授は、病院から抜け出してきた体で森の中に入って行く。マリーも一緒でないとおかしいのに、なぜか彼は一人で森に分け入り、渓流で遊んでいるトムのところに無事到達する(3枚目の写真)。
  
  
  

そして、トムが大好きな森が2枚の映像で表現される(1・2枚目の写真)。教授は、トムの後ろの石に座って体を休めると、「どこに行けば君が見つかるか教えてくれたのは、君のお父さんだった。すごく遠かった」と、如何にも疲れた声で言う。トムは、渓流で冷やしておいたステンレスの水筒を渡す。水を飲みながら、教授は、「君は正しかった」と言う(3枚目の写真)。
  
  
  

そこに、なぜか遅れてマリーが現われる。そして、3人で乾杯する(1枚目の写真)。そのあと、教授が疲れて眠ってしまったので、トムとマリーは普通の話をする。「時々、ママがいなくて寂しい。まあ、それが人生かもね。あなたのお母さん まだ生きてる?」(2枚目の写真)。「ええ」。「よく会うの?」。「いいえ」。「どうして?」。「分からない」。「時間がないから?」。こうした無難な会話の最後に、毛布の上で寝ている教授が映る(3枚目の写真)〔この毛布、マリーが持って来たとしか思えないが、彼女が最初に渓流に現れた時の姿は手ぶらだった〕
  
  
  

目覚めてから切り株に座った教授は、遊んでいるトムを見ながらマリーに尋ねる。「番組はどこまで進んでる?」(1枚目の写真)。そして、「番組は、君を幸せにはしていないようだ」とも。マリーは、「こんな風に彼の人生に入り込むべきじゃなかったわ。そして、こんな仕事はしたくないと思うようになったの。これ以上したくないんです」と本音を打ち明ける。それに対し、教授は、「君のこの話がなければ、私がトムと出会うことはなかった」(2枚目の写真)「なんとお礼を言っていいかわからない」とまで言う。その言葉を捉え、マリーは、「なら、トムを例の学校に行かせないよう 父親を説得して下さい。彼はここでこそ幸せなんです」と言い、立ち去る。その後、紹介はしないが、マリーの家で、金儲けに生きている夫との不和を思わせるシーンが入り、最後は、TV局でのプロデューサーとの会話。番組の一部が短く映り、そこでは、マリーが視聴者に 「ルソーは私たちに、自由という非常に強いメッセージと、連帯という非常に強いメッセージを与えてくれました」と話しかけている。それを見たプロデューサーは、「俺には理解できん。こんなもの、どうやって制作部門に売り込むんだ。彼らは、俺の顔に投げ返すだろう」と、最大限の不満をぶつける。それに対し、マリーは、「いいこと、何一つ変えないからね。私は、視聴者をバカにしないような仕事をしたの」(3枚目の写真)「この少年を裏切ることなくね。私をクビにしたいなら…」と言って、マリーは部屋から出て行く。
  
  
  

朝、トムは、リンゴを2個バッグに入れると、嫌いな父のいる家をさっさと出ると、自転車に持って森には向かわず、教授の家の窓の下まで来ると、「オーギュストいる?」と声をかける(1枚目の写真)。すると、教授がベランダに現れて、「今、下りてくぞ」と笑顔で言う。2人は仲良く自転車で田舎道を走り(2枚目の写真)、自転車を置くと、森の中の小道を歩いて行く。その映像をバックに、教授が『孤独な散歩者の夢想』の「第七の散歩」を読み上げる声が流れる(3枚目の写真)。「輝くばかりの花よ、野の彩りよ、爽やかな木陰よ、せせらぎよ、木立ちよ、緑の茂みよ、早く来て、このぞっとするほど嫌なもので汚された私の想像力を浄めておくれ。あらゆる大きな動きに対して死んだ私の魂は、敏感な物体以外にはもはや影響を受けない。私には感情しかない。感情を通してのみ、痛みや喜びが私に届く。私は自分自身を教育しようとしているわけではない。もう手遅れだ。これほど多くの科学が人生の幸福に貢献しているのを見たことがない。私は、無理なく楽しんで、不幸から気を紛らわせるような、甘くて単純な娯楽を自分に与えようとしている。植物は、喜びと好奇心を引きつけて人間を自然の研究に誘うために、空の星のように大地に大量に蒔かれた。しかし、星は私たちから遠く離れたところにある」。教授が途中で立ち止まったので、心配したトムが、「オーギュスト?」と言って走って戻る。「大丈夫?」。「君は私には速すぎるんだ」。「ごめん」。「いいんだよ」。
  
  
  

2人は、渓流沿いの石ころの斜面に座り、トムが教授に 「子供の頃のルソーって、どんな人だった?」と尋ねる。「興味ある?」。「うん」。「知っておいて欲しいのは、彼の母はルソーを産んで亡くなったということだ。彼を育てたのは父だった。夕食が終わると、父は、ルソーの母が残していった本を読み聞かせた。〔7歳になると〕ルソーは父と共に読書に熱中し、朝方まで本を読んでいた。ルソーはこう述べている。『私は、すべての感情を知っていたので、状況については無関心だった〔『告白』12〕。そしてある日、喧嘩が原因で父はジュネーヴを去らねばならなくなった。父は彼を従弟に託し、従弟は彼をランベルシェという牧師に預けた。そしてそこで、ルソーの人生において非常に重要な出来事が起こる。彼は、“櫛が折れたという やってもいないこと” で叩かれたのだ。彼にとって、それは不当なことだった。彼はこう述べている。『不当だという最初の感情は、私の魂に深く刻まれたままであり、それに関するあらゆる考えが私の最初の感情を取り戻してくれる〔『告白』43〕(1枚目の写真)。「私の言っていることが分かるか? 何をそんなに悲しんでいる? 話して。それは学校のことか?」。トムの質問は、教授にとって意外な物だった。「10歳の少年に、不機嫌な年配の教授を友だちにすることできる?」(2枚目の写真)。「君は、どう思う?」。答えは映されず、次のシーンは、2人が森を貫く真っ直ぐな土道を、自転車を並べてゆっくりと走る姿。2人が、教授の家のすぐ近くの教会の前に来た時、自転車を停めた教授は、トムに 「素敵な一日をありがとう」と感謝し、「早く戻りなさい。お父さんが心配してるだろう」と付け加える。すると、トムは教授に抱きつく(3枚目の写真)。高齢の老人と少年の不思議で心温まる友情だ。2人は、「また明日」と言い合って別れる。
  
  
  

家に戻った教授は、いつもの心臓病の主治医に電話をかけ、「手術という選択肢はまだ有効か、お聞きしたかったのです」と訊く〔医師がどう答えたかは分からないが、手術はできなくても、侵襲度の低い冠動脈カテーテル治療は残っているので、見放されることはないはず〕。それでもなぜか、教授は、普段、音信不通に近い娘に “最後の別れ” のような手紙を書き始める(1枚目の写真)。「愛する娘よ、私を責めないで許しておくれ。私は、失った時間を取り戻したいだけなんだ。私たちは、お互いを理解するのに多くの時間を浪費してきた。でも、私があなたを愛して止やまなかったことは知っておいて欲しい。たとえ、私があなたの選択にいつも同意していなくても、あなたの信念に完全に共感していなくても、私はあなたを無条件に愛している。それはこれからも変わらない」。この手紙を読み上げている時、トムは昨日と同じように自転車で教授の家に向かう。トムは、家の前まで来ると、「オーギュスト?」と声をかける。2回読んでもベランダに姿を見せないので心配していると、教授はもう下にいて、トムに帽子を被せると、封筒を見せ、「投函しないと」と言う。そのあと、2人はいつもの場所に行き、トムは渓流に向かって石を投げて跳ねさせて遊ぶ(2枚目の写真)。その後、教授は、彼が最初にルソーの本を読んだ時のことを話す。「これこそは自然のままに、全く真実のままに正確に描かれた唯一の人間像、このようなものは、かつてなく、また今後もおそらくないであろう。私の運命あるいは私の信頼が、この草稿の処置を委ねたあなたが誰であろうとも、私は自分の不幸とあなたの真心にかけて、また人類の名において、この類例のなく、また有用な作品を闇に葬ってしまわぬようにお願いする」(3枚目の写真)「『告白』という本だよ。それがルソーを知ったきっかけだった。彼は私に話しかけてきた。私だけに」。
  
  
  

教授は、その日遅くにトムの家を訪れ、トムの父に懇願する(1枚目の写真)。「私が娘にしたのと同じ間違いをしないで下さい。私は彼女が幼い頃、娘に良かれと、全寮制の学校に通わせました。それが私の人生で最も愚かな行為だったとも気付かずに。手元に置くべきでした。それどころか、私は、娘のことを考えることもなく、長い年月を無駄に過ごしてしまいました。どうか同じ過ちをしないで下さい。トムは秀才ではありません。彼は生命力と想像力に溢れた、ただの小さな男の子です。彼の学校は “自然” なのです。そこで彼は学びます。そして、そこには 彼が私たちに教えてくれることがたくさんあるのです」。それを聞いた父は微笑む。教授は、帰宅することにして外に出た時、ふらついたので、父は 「大丈夫ですか?」と心配する。「今日は、少し無理をし過ぎたかもしれません」。「お送りしましょうか?」。教授は、その代わりに 「お願いしてもいいですか」と言って、1通の封筒を父に渡し(3枚目の写真、矢印)、「ありがとう」と言う。封筒には 「トムへ」 のような記載があったので、父も 「ありがとう」と言う。教授は、時々ふらつきながら歩いて行くので、300mはかなりきつかったであろう。
  
  
  

翌朝、トムが、これまでの2日間と同じように、家から飛び出して自転車で教授の家に向かい〔昨日と違うのは、教授からもらった帽子を被っている〕、教授の家の前の通りに入って行くと〔この時の映像が、あらすじの2節目の地図の中の「教授の家の前」の写真〕、家の前に父とマリーの車が停まり、父とマリーともう1人の女性が立っていたので、心配になったトムは(1枚目の写真)、「オーギュスト!」と叫びながら、家の中に駆け込む。しかし、どこにも教授の姿はない(2枚目の写真)。トムの跡を追って来た父は、「彼は昨晩亡くなった」と教えるが、トムは 「オーギュスト!」と叫びながら走り出て行く。父は、渓流の前で茫然と座っているトムのところまで行く(3枚目の写真)。
  
  
  

父は、昨夜 教授から預かった封筒を、「彼はこれをお前に残していった。万が一、何かあった時のために」と言って、トムに渡す(1枚目の写真)。その手紙を読んで行くトムの顔は、どんどんきつい顔になっていく(2枚目の写真)。そして、渓流の中に走って行くと、教授からもらった帽子を投げ捨てる(3枚目の写真)。それと同時に、教授が最後に書き残した手紙を、教授が読み上げる声が聞こえる。「トム、素晴らしい時間を私に与えてくれてありがとう。君は太陽のようだ、頼もしき少年よ。成長し続けること、そして何よりも、何も変えないこと。何一つとして。約束して欲しい。これはさよならじゃない。私はいつも君の心の中にいるから。ただ、呼びかけてくれるだけでいいんだ」。何と素晴らしい別れの言葉だろう。
  
  
  

映画のラスト。「階段教室/オーギュスト/シュトラー」と表示されたドアを1人の青年が入って行く(1枚目の写真)。青年は、教壇に立つと、「私は、トマ・デュボワです。本は閉じたままにして。これから、ルソーについて話します。でも、その前に、ここで教鞭をとっていた一人の人物について話しおきたい。彼はこう言いました。『私はこれまで例がなく、そして今後も模倣する者のないことを企てる。私は同胞たちに、自然の真実をすべて備えた一人の人間を見せてやりたい。そして、その人間こそが私である」と優しく話しかける(2枚目の写真)〔『告白』1〕
  
  

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